ナイロビからモヤレへ(3日目)
08/10/04(土) 晴れ
[?:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・朝の一杯
・エチオピア入国
・うっとおしい両替屋
・イミグレ休憩中
・エチオピアンタイム
・群がる人々
・卓球、ビリヤード
・アムハラ語
一昨日の午後にナイロビを出てから3日目。1日目の晩は徹夜で走っていたが、さすがに昨晩はトラックを未舗装の道路わきに止めての宵越しとなった。辺りには集落も見えずただ大地が広がるだけ。空には目を見張るほどの夥(おびただ)しい数の星が見えた。運転手は運転席から降り、どうも地べたに寝ている模様。何か敷物を持っているのかどうかはわからない。我らは助手席に座ったまま寝るのである。10月に入ったこともあってか車内はまったく暑くなく、逆に肌寒いほどだった。そういう意味では寝苦しいなんてことはなかったのだが、いかんせん横になれないので尻が痛くなったりして夜中に何度か目覚める。
5時を過ぎた頃にまたケツが痛くて目が覚める。あたりはうっすらと明るくなり始めていた。もうしばらくがんばって寝る。
6時前になると隣のA君も目覚める。何時間も窮屈な体勢で寝ていたので、体を伸ばすために外に出る。外はひんやりとしている。トラックの後部車輪あたりに人が横になって寝ていた。どうやら運転手らはトラックの下で寝ていたらしく、しばらくすると何人かがトラックの下から起きだしてくる。
運転手は目覚めるとそのまま運転席に向かい、すぐに発車の準備を始める。ぼくらも助手席に戻り、出発を待つ。
6時前にトラックは発車。あたりはもうすっかり明るくなっている。
昨日までと同じようなさらさらした砂の道をトラックは走る。沿道には円形の家や木製の掘っ立て小屋のような家、土壁の四角い家などがときおり現れる。
今日こそはエチオピアとの国境にたどり着くのだろうが、あとどれくらいかかるのかは、まったくわからない。それでももうだいぶ近くまで来ているはずだから一気に国境まで行くのだろうと思っていたら、1時間くらい走ったところでトラックは止まった。あたりには家々が並び、食堂や商店らしき建物もある。トラックは食堂の前で止まり、そこでみんな降りる。どうも朝飯タイムらしい。
超長距離移動ということで、この移動中は食事を控えていたが、もう先が見えてきたのでぼくも朝飯を食べることにする。電気のついていない暗い店内に入り、店の男性に注文する。今朝のメニューはチャイにチャパティにカランガという羊か何かのモツ炒め。チャイは甘い。チャパティもうっすらと甘みがある。いずれもなかなかうまい。お値段はチャイが1杯20ケニアシリング(約30円)、チャパティ1枚15ケニアシリング(約25円)、カランガ100ケニアシリング(約160円)。
食事後、表に出てみたらトラックの給油をしていた。トラックに一緒に乗っている運転手の仕事仲間がガソリンが入っているポリタンクとトラックの給油口をホースでつないでいる。日本のガソリンスタンドのように引き鉄をひけば給油が始まるというような機械はないから、ホースの一方から空気を吹き込んでその反動(?)でガソリンが這い登ってくる力を利用して給油している。空気を吹き込むときは、ホースに直接口をつけて吹き込んでいるので、あれではガソリンを飲み込んだりしてしまうこともあるんじゃないかと気になる。
店の脇にあった木製のベンチに腰掛けてそうした作業の様子を見ながら再出発を待つ。
結局、着いてから1時間ほどそこですごし、8時過ぎに再出発。同じような道をまたずっと走り続ける。
それから走ること約3時間。11時ごろになってようやく舗装されたアスファルト道が現れる。舗装されている道を見るのは久しぶり。国境はもうすぐ。それにしてもやっぱり舗装道はタイヤで走るには楽だなぁ。
さすがに国境の町ということで小さいがホテルらしき建物や商店もある。人も多いように感じる。トラックで国境まで行けるものだと思っていたら、トラックは適当なところで止まり、運転手はここで降りろと言い出す。同乗のエチオピア人きょうだい2人もなんの文句も言うことなく降りる準備を始めたので、ぼくらもここで降りる。荷台に預けてあったリュックを受け取り、背中にかつぐ。
国境らしきところはもう見えているから歩いて行こうか考えていたら、エチオピア人きょうだいが荷物が多いからタクシーに一緒に乗っていかないかと言い出す。すでにタクシーはあたりに待機していて、ぼくらの動向を観察している。1台のタクシーに聞くと1人あたま100ケニアシリング(約160円)だと言う。距離のわりに高いなぁと思うが、人助けと思って一緒に乗ることにする。セダン型の車に4人で乗り込み、国境に向かう。イミグレでパスポートのチェックがあったが、あれこれ聞かれるようなことはなく、すんなり通る。ケニア出国は無事終了。
車ごと国境を超えて、エチオピア側へ。ここは緩衝地域らしき区間もなく、すぐにエチオピア側のまちに入る。イミグレは国境を越えたらすぐのところにはなく、200mほど町のほうへと進んだ右手にあった。不思議なことに入口には門番がいて、イミグレの敷地内にはスルスルとは入れない。タクシーの運転手が門番に聞くと、この時間は昼休み中らしい。で、開くのは何時かと聞くと15時だと言う。まったくなんでそんなに昼休みが長いんだ! というわけでエチオピアに入国したもののすぐには入国スタンプをもらえず。
そんなしていると周りに両替屋が集まってきて、両替しないかと言ってくる。必要ないと断ってもついてくるので、先に宿に行くことにする。宿の当てはまったくなかったので、同乗者たちと相談して運転手に安い宿に連れて行くよう頼む。
すると両替屋たちもついてくる。宿は幹線道路に面したところにあり、イミグレからは100mほど離れているだけ。中学校のサークル小屋を思わせるようなコンクリート製の長屋型の宿。部屋を見せてもらうと6畳ほどのところにベッドがあるだけ。一応、電球もあるがそんなに明るくない。便所や水浴び場は外にあり、共同。宿代を聞くと25ブル(約300円)だと言う。エチオピアは東アフリカの中では物価が低いと聞いていたので、部屋の出来などから1泊150円くらいかと想像していたのだが、意外と高かった。しかし、他に宿を探すのも面倒だし、A君もオッケーと言っているのでここに泊まることにする。まだエチオピアの通貨ブルを入手していないので、支払いは後でということにしてもらう。
部屋に荷物を置いてしばらく休憩。表に出るとさっきから着いて回っている両替屋たちがホテルの敷地の中にまで入って来ているので、ちょっと部屋で過ごす。といっても部屋も独房のような雰囲気でたいして居心地はよくないので、しばらくしたら表に出る。
A君を誘って改めて両替屋を探しに行く。トラックに一緒に乗ってきたエチオピア人きょうだいによればアディスアベバでは1米ドルがだいたい10ブルらしい。
道を歩いているとやはり目立つ。視線が集まるのを感じる。幹線道路沿いにはレストランや食料雑貨店、道具店、散髪屋などが並ぶ。水を買おうと食料雑貨店に行って聞いてみるとケニアシリングも使えるというので、とりあえずケニアシリングを使って買い物をする。ペットボトル入りの水1.8リットルが50ケニアシリング(約80円)。
人通りはそれほど多くないが、市場まで行くとだいぶ賑やかになる。道端にはビリヤードの台や卓球台もあり、そこでは若い男たちが遊んでいた。
両替ができるところがないかと探す。たまたま道端で会った人に両替屋がないか聞いてみると、あいつがそうだと30前後くらい年恰好の男を紹介してくれる。彼にレートを聞くと1米ドル=9ブルだと言う。10ブルにはかなわないが、極端に悪いということもないので彼と両替することにする。しかし、そうやって話しているとすぐに男たちが集まってきてうちらのやり取りをじっと観察しだすので財布を見せるにはあまりよろしくない状況になる。そこで彼に周りにいる奴らが鬱陶しいみたいなことを仕草で伝えると、彼はすぐに察知して周りの男たちに離れるよう言うが、そう簡単に離れないのでこちらが彼らから離れることにする。
彼がついて来いというので着いていくと、宿屋らしいこれまた長屋形式の建物のちっちゃな一室に勝手に入っていって、そこを取引場所にしてしまう。ここで両替完了。
さて、両替も済んだので飯でも食いに行こうと食堂を探してまわる。食堂はいくつかあったので、わりと客が入っている店を選んで2人で入る。
さて、エチオピアの食といえばまずはインジェラ。ある人が“あれは雑巾の味がする”と言ったほどの料理らしいのだが、これが実際にどんな味なのかを知ることがエチオピアに来てまずしなければいけないことだった。
うきうきしながら食堂の店主らしいおじさんにインジェラがあるか聞くとあると言う。英語はほとんど通じないが料理名は通じるよう。4人席に座り、注文。インジェラ&ミートという料理を注文する。それからこれもエチオピアでは外せないコーヒーも頼む。インジェラ&ミートは12ブル(約150円)、コーヒーは1杯1ブル(約10円)。さすがに原産地ということか、コーヒーが安い。
15分ほど待ったところで料理が登場。銀色のステンレス製らしい円形のお盆の上に半分に折りたたまれたインジェラとおかずが盛られた皿が乗って出てくる。インジェラの色は灰色だった。そしてでかかった。厚さはクレープ並みに薄いけど、面積は一般的なクレープよりもはるかに広い。それはいいんだけど、意味不明なところが一点ありまして、なぜかおかずが盛られた皿がインジェラの上に乗っている。なんで? インジェラが乗せられているお盆の上には隙間があるんだから、わざわざインジェラの上に乗せなくてもいいじゃん、と思うのですが。
さてさてお味の方はと、さっそく手でちぎってインジェラを食べてみる。うっ、すっぺぇ(酸っぱい)! というのが、1口食べてまずは出てきた言葉。見た目からはちょっと予想していなかった味だった。しかし、どうもこれに似たような味のものを食べた気がする。“どこだったっけ?”と思い出して、出てきたのがトーゴやガーナで食べたものだった。フーフーやウガリに似た食べ物だったが、名前は知らない。あれも酸っぱかった。炎天下に道端の屋台であれを食べたときには、“え? これ腐ってんじゃねぇか?”と思ったくらい。よく考えてみるとこの酸っぱさはドイツの黒パンなどの酸っぱさにも似ている。でも、黒パンよりもこっちのほうが数倍酸味が強い。というわけで、うまいうまいとバカバカ食べられるようなものではなく、しんみりと人生の酸っぱさに想いを馳せながらチビチビ食べることとなった。
一方のおかずは盛り付けは適当だが、味は良かった。これまで食べた料理はけっこう大雑把な、適当な味の料理が多かったが、これは味がしっかりしている。ぼくの見込みではけっこう日本人受けするような味付けだった。もう少し量が多いともっといいんだけどなぁ。
食後、おじさんにインジェラの調理場を見せてもらえないか聞くと愛想よくすぐに調理場を案内してくれる。調理場の一角にはすでに焼かれたインジェラが何枚も重ねて置かれていた。また焼く前の水に溶いた液状のものも寸胴鍋のような入れ物に入れられておかれていた。おじさんは“これをここで焼くんだ"と平べったい鉄板(? プレート)などを指差しながら教えてくれる。
そうして見学させてもらってからコーヒーをもう一杯注文する。コーヒーの味はよくわからんけど、まずくはないと思う。ブラックかと思ったら底に砂糖が1cmくらい溜まっていた。
それから時間つぶしに市場周辺をぶらつき、道行く羊を眺めたり、テコンドーか何かの道場の壁画を鑑賞したり、売られている野菜などを見て回る。幹線道路は完全に舗装されていてなかなか良いのだが、道を一つ入ると未舗装の石や糞などが転がる道となる。ぶらぶら歩きながらみかんを買ったり、ピーナッツを買ったり、バナナを買ったり、ポップコーンを買ったりする。
それから市場のすぐ近くにあったバスターミナルに行って明日乗る予定のバスについて下調べ。ぼくは首都のアディスアベバに行くのだが、エチオピアのバスは朝が早いという噂どおり、アディスアベバ行きは朝の5時発だった。
卓球台近くを通りがかったときに、そこで遊んでいるのを見ていたらやらないかと誘われる。その誘いにA君がのる。いざ卓球対決。といってもどっちも素人だから、バシバシ球が飛び交うような試合にはならず、ピンポンという音そのままのゆったりしたラリーが続く。やっているとすぐに見物客が集まる。10歳前後くらいの男の子たちも寄ってきて、卓球が終わるとぼくらの周りをうろうろする。A君がビデオカメラを持っていたからその録画画面を覗きたがっていた。言葉ははっきり言ってまったくわからない。
15時に近くなってきたので2人でまたイミグレに向かう。ちょっと早く行っても中に入れてくれるだろうと見込んでいたのだが、まったくの見込み違いでしばらく門のところで時間が来るまで待たされる。そうしてしばらく待ってようやくイミグレの建物内に入ることができる。そして入国カードを記入し、パスポートと一緒に提出。手続きは難なく終了。これでエチオピア入国の手続きは完了。
いったん宿に戻って、ここでA君とは別行動とする。
ぼくはまたさっき通った道を戻って幹線道路を北へと歩く。ネット屋を探していたのだが、最初に見つけたところは現在接続できない状態のようで使用不可。そこで他にネット屋があるか聞いたらあるというので、場所を教えてもらいそちらに行ってみた。そしたらこちらのネット屋は動いていた。が、料金高すぎ! 1時間24ブル(約300円)って日本並みじゃん。まぁ、しかし、そもそもこんな国境地帯にもネット屋があること自体が驚きだけれど。
それから予備用にパスポートとビザのコピーをとっておこうと、コピー屋でコピーを作成。白黒コピー2枚で1ブル(約10円)。
それから宿に戻る。外が明るいうちに水を浴びようと浴場へ行ってみるとちょうどA君がいたので聞いてみる。すると彼は水を浴びようとしたらバケツ一杯いくら払えとある人に言われ、でも宿主らしい人には無料で良いとも言われとちょっと混乱したらしい。結局、無料で使えたらしいが、それでも水は蛇口のあるところからバケツに汲んできたものを使うので、足りなくてもすぐにそこで水を補給することはできない。結局は最初に汲んできた量の水しか使えないので、ようく考えて計画的に水を使わねばならなかったらしい。
水浴び場は鍵がかかっているので、スタッフらしい女性の人に頼んで鍵を開けてもらい、バケツ一杯の水をもらう。
それで持参している石鹸などを使って体を洗浄。ずっと砂道だったが、それほど砂にまみれてはいなかった。気温がそれほど高くないので、水を浴びるとちょっと冷える。
夜は同じトラックに乗ってきたエチオピア人きょうだいとたまたま宿で一緒になったエチオピア人男性(20代くらいで英語堪能)の5人で飯を食う。意外と夜のレストランの選択肢は少なく、昼食べた料理の主食がパンになったというような程度だった。いくつかのレストランでは音楽がガンガンかけられ、通りを歩いていても聞こえるくらい。
明日の朝が早いこともあり、21時過ぎには解散して部屋に戻り、明日の準備。んで、暗いこともあってさっさと寝る。
Fin
2009年8月14日金曜日
2009年8月5日水曜日
[diary]ナイロビからモヤレへ(2日目)
ナイロビからモヤレへ(2日目)
08/10/03(金) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・砂漠の道を走る
・沿道の集落、石を投げる子ども
・らくだの群れ
・国境にも届かず
・満天の星空
気がついたら外が明るくなっていた。トラックは相変わらず走り続けている。昨日の夕方ナイロビを出て2日目。エチオピアとの国境であるモヤレに向かう。
ちなみにケニアからエチオピアに行くこのルートは一般的には危険だと言われている。理由は盗賊が出るから。こうして荷物を運んだりしているトラックを襲い、金品を持ち去っていくらしい。だから一般的にはこのルートを避ける。つまりは陸路ではなく、空路で移動するのを選ぶ。だが、途中で会った旅行者の中にはエチオピアから陸路でナイロビに行ったという人が少なからず(と言っても母数が10人もいないというほど少ないんだけど)いた。またエチオピアの国境とナイロビをつなぐルートは2通りあって、一方は所要時間は比較的短いが危険、もう一方は時間はかかるが比較的安全というような噂だった。トラックに乗る前に運転手に聞いた話では前者のルートを行くというようなことを言っていたのだが、後に後者のルートを通ったとことを知る。
上記のようにこのルートは危険だからか、道が整備されておらず、公共交通機関もないに等しい。南アフリカからナイロビまではバスターミナルに行ってそこから出ているバスに乗って移動はできたが、このルートはそれができない。ぼくらが乗っているようなトラックに乗るか、週に数本しかないバスに乗るしかない。
今日も天気はよい。このトラックに乗っているのはぼくとA君、エチオピア人のきょうだいやケニア人たちばかり。まぁ、地元の人が使っているならそこまで危険ではなかろう。運転手はケニア人、ぼくらの後ろに座っているきょうだい(兄と妹)はエチオピア人。彼らはスワヒリ語がわかるから運転手とはスワヒリ語で話をしている。彼らはエチオピアの言葉であるアムハラ語、スワヒリ語、そして英語と3つの言葉を使えるよう。
フロントガラスには見事なひびが入っているのだけれど、助手席に座っているからまわりの景色は良く見える。あたりはほとんどまっ平で、半分砂漠。というか、砂漠そのものかもしれない。
高さ1m足らずの木々が一応は生えているのだが、葉はない(というかそういう植物?)し、青々とはしていない。要は一面が緑というような風景を見ることはない。
道は舗装されておらず、車が走った跡が道になっている。
人の姿も見ないからここらには人は住んでいないのだろうと思っていたら、いた。水を運ばせているらしくロバに20リットルくらいのプラスチックボトルをくくりつけ、一緒に歩いている。その男性はゆったりした大き目の白の長袖シャツに下はサルン(足首まである布を腰に巻いたもの)を履いている。細身だった。
7時ごろ、なぜかトラックは停車。パンクなのか何なのか修理っぽいことを始める。後ろから同じようなトラックもやってきて、トラック2~3台が止まっての休憩となる。もちろんまわりには商店も物売りの人も集落もないから何か食うものなりを買おうと思ってもない。
トラックには運転手のほかにそのアシスタントみたいな男が一緒に乗っていて、そうした事態になると彼が動く。運転席下の葉っぱも彼が掃除をする。身長は180cmくらいあるが人懐っこい雰囲気で挨拶をするとにこっとして返す。見た目は20代半ばくらいに見えるのだが、もっと若いかも。
修理が終わり再び発車。運転手はアシスタントの彼が荷台に乗り込む前に走り出す。運転手はミラーで彼の様子を見ながらにやけている。アシスタントの彼も笑いながら全力ダッシュ。そして適当なところを手がかりにしてトラックにつかまり、一気に荷台の上まで登る。ぼくらは「いやぁ、元気だねぇ」と笑う。
それからしばらく行くと集落が現れた。すっかり人など住んでいないところを走っているもんだと思っていたので、ちょっと驚く。
家は骨組みを組んだ上からバサッとわらを重ね置きしたような家。どこが入口なのかわからない。そういう家がパッと見で50軒ほどある。しばらく行くと木の枝を編むようにして壁にしたわりとしっかりした家やレンガ積みでトタン屋根の家も見える。子どもを連れた女性を見たり、ロバやらくだを引いた女性を見たりする。女性はモロッコと同じように頭から足首まである布(ワンピース?)を着ている。黒もあれば濃い赤や緑やさまざまな柄が入ったものなど、その色はさまざま。なかなかきれいだ。
集落を抜けるとまた砂漠のような景色になる。車の前方をマイクロ小鹿とでも呼びたくなるような小さく細い動物が南東も横切る。あれは何という動物なんだろう? その他、走っていたら名も知らぬ動物を見る。飼われているのかどうかは知らないけどダチョウも見た。有名どころのライオンやシマウマ、象、きりんなどは見ない。今回のアフリカ旅行ではサファリには結局行かなかったが、タンザン鉄道とこれでちょっとはサファリ気分が味わえたから“まぁいいかな”という気になる。
しばらくそうしたところを走るとまた集落に入る。道端で遊んでいた子どもたちがトラックをよけて端による。そしてこっちを見ているから窓からA君が顔を出して見ると子どもたちは驚いてあとづさりしながらも石を投げてくる。もっともみな5~6歳くらいだから投げる石も小石。この反応には2人して苦笑い。
ある集落に入ったとき初めての食事休憩となる。ぼくはチャイとビスケットを買う。怖いもの見たさなのかさっき石を投げてきたくらいの子どもたちが5~6人集まってきて、ぼくらを遠巻きに見ている。その距離2~3mほど。子どもたちはそれ以上近づこうとしないので、こちらから寄っていこうとすると驚いて背を向けて逃げ出そうとする。近づくのをやめるとまたさっきと同じくらいの距離まで戻る。A君がふざけて「やー!」と空手の構えのような適当な構えをしたらみな驚き、逃げようとする。中には石を拾って、こっちに投げるぞという威嚇をする。ビスケットを買ったお店のおばちゃんは面白そうにそれを見ていた。あちこちで子どもには会っているけど、こういう反応をする子どもたちは初めて。子どもたちにすれば肌が黒くない人を見るのは初めてだったのだろう。
30分ほど休憩して、再出発。
14時ごろ、パンクなのかまたもやトラックは緊急停車。ぼくらは乗ったまま再出発を待つ。
再出発後、さらに走る。沿道に見える家は半球形の家が多い。建築途中らしいものからそれらの家は木の枝で骨格が作られ、その上に藁みたいなものを被せて造っているらしいことがわかる。中には藁に混ぜて服も家を覆う材料として使っている家もあった。それにしてもここらの人たちはどこで水を手に入れているのだろう?
16時ごろ、道端の商店前でトラックは停車。A君はオレンジジュースを買っていた。ぼくは何も買わず。結局、この日は小便も1回したくらいで大便なし。口に入れたものも小さい小袋のビスケットのみ。もっとも車に乗っているだけだから腹も減らないし、暑くないから喉も渇かない。
昨日、出発前に聞いた話ではエチオピアとの国境まで1泊2日だと聞いていた。だから今日の夕方、もしくは夜には着くのだろうと思っていたが、たまたま途中でみたまちの名前を手元のアフリカ地図に探してみると、国境まではまだまだある。とても今日中には着きそうにない距離だった。
それにしても運転手は何度か休憩はしているものの昨日から寝ていない。彼の目を見るとビキビキに充血している。大丈夫かと聞くと大丈夫だと言うのだが、運転しながらときおり「ぅワァァァー」と言って突然叫んだりしているから相当眠そうだった。ぼくなんかは何もしていないのにしょっちゅう居眠りしているのに、なかなか根性あるなぁ。
やがて日が暮れ、やはり今日中には着かないのだなと諦めモードになる。22時くらいまで運転手はトラックを走らせ、適当なところで止める。さすがに今晩は寝るらしい。運転手らは外に行き、戻ってこないから外で寝ている模様。ぼくもちょっと外に出て、体をちょっと動かす。空を見上げると満天の星。他の国でも星空を見て、あまりに星が多いのに感心したが、ここはまた格別だった。この星空を見られたことでさっきまでの今日中に着かないのかという諦めモードは消え去り、なんだかすっきりした気分になる。月も異様に存在感があってその光は足元まで届いているような実感がある。
しばらく空を見上げて感心した後、トラックの助手席に戻って座る格好で寝る。
FIN
08/10/03(金) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・砂漠の道を走る
・沿道の集落、石を投げる子ども
・らくだの群れ
・国境にも届かず
・満天の星空
気がついたら外が明るくなっていた。トラックは相変わらず走り続けている。昨日の夕方ナイロビを出て2日目。エチオピアとの国境であるモヤレに向かう。
ちなみにケニアからエチオピアに行くこのルートは一般的には危険だと言われている。理由は盗賊が出るから。こうして荷物を運んだりしているトラックを襲い、金品を持ち去っていくらしい。だから一般的にはこのルートを避ける。つまりは陸路ではなく、空路で移動するのを選ぶ。だが、途中で会った旅行者の中にはエチオピアから陸路でナイロビに行ったという人が少なからず(と言っても母数が10人もいないというほど少ないんだけど)いた。またエチオピアの国境とナイロビをつなぐルートは2通りあって、一方は所要時間は比較的短いが危険、もう一方は時間はかかるが比較的安全というような噂だった。トラックに乗る前に運転手に聞いた話では前者のルートを行くというようなことを言っていたのだが、後に後者のルートを通ったとことを知る。
上記のようにこのルートは危険だからか、道が整備されておらず、公共交通機関もないに等しい。南アフリカからナイロビまではバスターミナルに行ってそこから出ているバスに乗って移動はできたが、このルートはそれができない。ぼくらが乗っているようなトラックに乗るか、週に数本しかないバスに乗るしかない。
今日も天気はよい。このトラックに乗っているのはぼくとA君、エチオピア人のきょうだいやケニア人たちばかり。まぁ、地元の人が使っているならそこまで危険ではなかろう。運転手はケニア人、ぼくらの後ろに座っているきょうだい(兄と妹)はエチオピア人。彼らはスワヒリ語がわかるから運転手とはスワヒリ語で話をしている。彼らはエチオピアの言葉であるアムハラ語、スワヒリ語、そして英語と3つの言葉を使えるよう。
フロントガラスには見事なひびが入っているのだけれど、助手席に座っているからまわりの景色は良く見える。あたりはほとんどまっ平で、半分砂漠。というか、砂漠そのものかもしれない。
送信者 kenya |
高さ1m足らずの木々が一応は生えているのだが、葉はない(というかそういう植物?)し、青々とはしていない。要は一面が緑というような風景を見ることはない。
送信者 kenya |
道は舗装されておらず、車が走った跡が道になっている。
送信者 kenya |
人の姿も見ないからここらには人は住んでいないのだろうと思っていたら、いた。水を運ばせているらしくロバに20リットルくらいのプラスチックボトルをくくりつけ、一緒に歩いている。その男性はゆったりした大き目の白の長袖シャツに下はサルン(足首まである布を腰に巻いたもの)を履いている。細身だった。
7時ごろ、なぜかトラックは停車。パンクなのか何なのか修理っぽいことを始める。後ろから同じようなトラックもやってきて、トラック2~3台が止まっての休憩となる。もちろんまわりには商店も物売りの人も集落もないから何か食うものなりを買おうと思ってもない。
送信者 kenya |
トラックには運転手のほかにそのアシスタントみたいな男が一緒に乗っていて、そうした事態になると彼が動く。運転席下の葉っぱも彼が掃除をする。身長は180cmくらいあるが人懐っこい雰囲気で挨拶をするとにこっとして返す。見た目は20代半ばくらいに見えるのだが、もっと若いかも。
修理が終わり再び発車。運転手はアシスタントの彼が荷台に乗り込む前に走り出す。運転手はミラーで彼の様子を見ながらにやけている。アシスタントの彼も笑いながら全力ダッシュ。そして適当なところを手がかりにしてトラックにつかまり、一気に荷台の上まで登る。ぼくらは「いやぁ、元気だねぇ」と笑う。
それからしばらく行くと集落が現れた。すっかり人など住んでいないところを走っているもんだと思っていたので、ちょっと驚く。
家は骨組みを組んだ上からバサッとわらを重ね置きしたような家。どこが入口なのかわからない。そういう家がパッと見で50軒ほどある。しばらく行くと木の枝を編むようにして壁にしたわりとしっかりした家やレンガ積みでトタン屋根の家も見える。子どもを連れた女性を見たり、ロバやらくだを引いた女性を見たりする。女性はモロッコと同じように頭から足首まである布(ワンピース?)を着ている。黒もあれば濃い赤や緑やさまざまな柄が入ったものなど、その色はさまざま。なかなかきれいだ。
送信者 kenya |
集落を抜けるとまた砂漠のような景色になる。車の前方をマイクロ小鹿とでも呼びたくなるような小さく細い動物が南東も横切る。あれは何という動物なんだろう? その他、走っていたら名も知らぬ動物を見る。飼われているのかどうかは知らないけどダチョウも見た。有名どころのライオンやシマウマ、象、きりんなどは見ない。今回のアフリカ旅行ではサファリには結局行かなかったが、タンザン鉄道とこれでちょっとはサファリ気分が味わえたから“まぁいいかな”という気になる。
しばらくそうしたところを走るとまた集落に入る。道端で遊んでいた子どもたちがトラックをよけて端による。そしてこっちを見ているから窓からA君が顔を出して見ると子どもたちは驚いてあとづさりしながらも石を投げてくる。もっともみな5~6歳くらいだから投げる石も小石。この反応には2人して苦笑い。
ある集落に入ったとき初めての食事休憩となる。ぼくはチャイとビスケットを買う。怖いもの見たさなのかさっき石を投げてきたくらいの子どもたちが5~6人集まってきて、ぼくらを遠巻きに見ている。その距離2~3mほど。子どもたちはそれ以上近づこうとしないので、こちらから寄っていこうとすると驚いて背を向けて逃げ出そうとする。近づくのをやめるとまたさっきと同じくらいの距離まで戻る。A君がふざけて「やー!」と空手の構えのような適当な構えをしたらみな驚き、逃げようとする。中には石を拾って、こっちに投げるぞという威嚇をする。ビスケットを買ったお店のおばちゃんは面白そうにそれを見ていた。あちこちで子どもには会っているけど、こういう反応をする子どもたちは初めて。子どもたちにすれば肌が黒くない人を見るのは初めてだったのだろう。
30分ほど休憩して、再出発。
14時ごろ、パンクなのかまたもやトラックは緊急停車。ぼくらは乗ったまま再出発を待つ。
再出発後、さらに走る。沿道に見える家は半球形の家が多い。建築途中らしいものからそれらの家は木の枝で骨格が作られ、その上に藁みたいなものを被せて造っているらしいことがわかる。中には藁に混ぜて服も家を覆う材料として使っている家もあった。それにしてもここらの人たちはどこで水を手に入れているのだろう?
16時ごろ、道端の商店前でトラックは停車。A君はオレンジジュースを買っていた。ぼくは何も買わず。結局、この日は小便も1回したくらいで大便なし。口に入れたものも小さい小袋のビスケットのみ。もっとも車に乗っているだけだから腹も減らないし、暑くないから喉も渇かない。
送信者 kenya |
昨日、出発前に聞いた話ではエチオピアとの国境まで1泊2日だと聞いていた。だから今日の夕方、もしくは夜には着くのだろうと思っていたが、たまたま途中でみたまちの名前を手元のアフリカ地図に探してみると、国境まではまだまだある。とても今日中には着きそうにない距離だった。
それにしても運転手は何度か休憩はしているものの昨日から寝ていない。彼の目を見るとビキビキに充血している。大丈夫かと聞くと大丈夫だと言うのだが、運転しながらときおり「ぅワァァァー」と言って突然叫んだりしているから相当眠そうだった。ぼくなんかは何もしていないのにしょっちゅう居眠りしているのに、なかなか根性あるなぁ。
やがて日が暮れ、やはり今日中には着かないのだなと諦めモードになる。22時くらいまで運転手はトラックを走らせ、適当なところで止める。さすがに今晩は寝るらしい。運転手らは外に行き、戻ってこないから外で寝ている模様。ぼくもちょっと外に出て、体をちょっと動かす。空を見上げると満天の星。他の国でも星空を見て、あまりに星が多いのに感心したが、ここはまた格別だった。この星空を見られたことでさっきまでの今日中に着かないのかという諦めモードは消え去り、なんだかすっきりした気分になる。月も異様に存在感があってその光は足元まで届いているような実感がある。
しばらく空を見上げて感心した後、トラックの助手席に戻って座る格好で寝る。
FIN
2009年8月3日月曜日
[diary]ナイロビからモヤレへ(1日目)
ナイロビからモヤレへ(1日目)
08/10/02(木) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・バスの予約
・トラックに乗っていざ出発
・葉っぱを噛む運転手
・ノーストップ
昨日、やや調子の悪かった腹は復調。今日、予定通りナイロビを出ることにする。朝起きて、ロビーのソファでチャイを飲む。今日から一緒にエチオピアに向かう同宿のA君と今日の動きを打ち合わせ。エチオピア国境に行くトラックは午後発だから午前中は時間があいている。彼は郵便物を送るなどやることがあるようなので、午前中は別行動。ぼくは念のためトラック乗り場に行って予約してくることにする。
9時ごろ、宿を出てこの間と同じルートでイシリー地区に行く。例のごとく渋滞で、派手なデザインが施されたバスはなかなか進まない。
40分ほどかけてイシリー地区のある通りに到着。バスを降りる。今日もこの間と同じように沿道にはさまざまな露店が出ている。大きい砂利がごろごろした道を歩いてバス乗り場に向かう。
これまたこの間と同じようにトラックが止まっていた。近くにいたおじさんたちに聞くとこれは今日出るトラックらしい。バスもあったのだが、バスよりもトラックのほうが運転手が気をつけて運転するだろうという見込みからトラックを選んだ。つまり、バスは乗せているのは人ばっかりだからたとえひっくり返ったって自分の生き死には別として運転手にしてみればたいした損害はない。しかし、荷物を運ぶとなればきちんと荷物を最後まで運ばなければ給料も入ってこないし、次の仕事もないということになる。なんて適当な論理とあとはトラックの方が転倒したりしないだろうとの見込みからトラックを選んだのだった。ちなみに運賃はどっちも2000ケニアシリング(約3000円)程度。
トラックの運転手だという男はこの間とは別の男。彼に今日、2人乗りたいと伝える。すると荷台か助手席かと聞かれる。荷台のほうが安いのだが、安全を優先して助手席を予約する。運転手は午後3時ごろに来いと言い、さらに前金として1人ぶんのカネを払っていけという。前金なんて、この人たち信用できないんだけどなぁ、と思いつつ、払わないなら払わないで先着順とかになりそうだから、1人ぶんだけ払う。
こうしてバスは確保。いったん宿に戻る。
宿に帰って荷物の整理をし、しばらく休憩。それから宿代を精算。14時前にA君と一緒に宿を出る。天気はよし。
朝と同じようにバスに乗ってトラック乗り場へ行く。そこには朝と同じトラックが止まっていたが、周りにいる人間の数がちがった。指定時間よりちょっと前だったのだが、相手は遅いと感じていたようで、なんでそんな遅いんだとでも言いたげな態度で迎えられる。トラック代の残りを払おうとしたら、朝は1人2000ケニアシリングと言っていたのにいきなり2500ケニアシリング(約4000円)にあがる。出た! アフリカ得意のあと出しじゃんけん! なんて思いながら、朝は2000と言ったろと返すと、別の男が出てきて2500だと譲らない。どうもこいつが元締めか何かのよう。朝、直接話した運転手はそいつの前では黙る。あ~やだやだとしばらく無視していたのだが、向こうは2500を譲るつもりはないらしく、値切っても一切ひかず。しかも別に乗りたい人が来ているからぼくらを乗せなくても彼らは損しない模様。まったくがめつい奴だといらいらしながら追加料金(?)を払う。
トラックだから助手席にはゆったり2人座れる。しかし、そこへ男女2人がさらに乗ってこようとする。え? なんで? と思っていたら彼らは座席の背後のスペース(日本の大型トラックにもよくある)に靴を脱いであがった。聞くと二人はきょうだい(兄と妹)。エチオピア人でナイロビの親戚の家に遊びに来ていたという。エチオピアから来るときは飛行機を使ったのだが、帰りの飛行機が取れなかったためこれを使うことにしたらしい。2人とも大学生ということで英語もできる。
ぼくらの荷物は荷台の上に乗っけられ、その上からカバーをかけられる。荷台に乗る人たちは荷物に座るような格好で運転ボックス(?)のすぐ後ろの部分に座る。トラックは4トン車程度だから彼らのいる場所は地面から3mくらいのところになる。もちろん屋根も何もなし。吹きっさらしだ。ちなみにフロントガラスには石でも当たったのかピキピキと派手にひびが入っている。
結局、荷造りだのなんだのが終わってトラックが走り出したのは17時くらいだった。
しばらく市街地を走るとやがて、まわりには小さな民家以外の建物は何もなくなる。18時を過ぎると日が暮れ始め、あたりは真っ暗になる。道は舗装されているからそこまで揺れたりしないが、しかしそれは助手席にいるからそう感じるのであって、上に乗っている人は案外飛び跳ねていたりしたかもしれない。
20時ごろガソリンスタンドで給油休憩。そこでパンを買う。100ケニアシリング(約150円)。
暗くなるとあたりは真っ暗で何も見えない。車は多いからテールランプなどは見えるが、その他は何も見えない。さっきガソリンを入れるために止まったあとは、一度も止まらず、運転手はアクセルを踏み続ける。そのうちなんの葉っぱなのか木の葉を噛みだす。どうもボリビアでみんなが噛んでいたコカのような作用のあるものらしい。葉の筋なんかは噛まず、それらは足元に捨てる。だから運転手の足元は見る見る緑色に染まっていく。
そんなのを見ているうちにぼくらは眠くなり、助手席で寝てしまう。
FIN
08/10/02(木) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・バスの予約
・トラックに乗っていざ出発
・葉っぱを噛む運転手
・ノーストップ
昨日、やや調子の悪かった腹は復調。今日、予定通りナイロビを出ることにする。朝起きて、ロビーのソファでチャイを飲む。今日から一緒にエチオピアに向かう同宿のA君と今日の動きを打ち合わせ。エチオピア国境に行くトラックは午後発だから午前中は時間があいている。彼は郵便物を送るなどやることがあるようなので、午前中は別行動。ぼくは念のためトラック乗り場に行って予約してくることにする。
9時ごろ、宿を出てこの間と同じルートでイシリー地区に行く。例のごとく渋滞で、派手なデザインが施されたバスはなかなか進まない。
40分ほどかけてイシリー地区のある通りに到着。バスを降りる。今日もこの間と同じように沿道にはさまざまな露店が出ている。大きい砂利がごろごろした道を歩いてバス乗り場に向かう。
送信者 kenya |
これまたこの間と同じようにトラックが止まっていた。近くにいたおじさんたちに聞くとこれは今日出るトラックらしい。バスもあったのだが、バスよりもトラックのほうが運転手が気をつけて運転するだろうという見込みからトラックを選んだ。つまり、バスは乗せているのは人ばっかりだからたとえひっくり返ったって自分の生き死には別として運転手にしてみればたいした損害はない。しかし、荷物を運ぶとなればきちんと荷物を最後まで運ばなければ給料も入ってこないし、次の仕事もないということになる。なんて適当な論理とあとはトラックの方が転倒したりしないだろうとの見込みからトラックを選んだのだった。ちなみに運賃はどっちも2000ケニアシリング(約3000円)程度。
トラックの運転手だという男はこの間とは別の男。彼に今日、2人乗りたいと伝える。すると荷台か助手席かと聞かれる。荷台のほうが安いのだが、安全を優先して助手席を予約する。運転手は午後3時ごろに来いと言い、さらに前金として1人ぶんのカネを払っていけという。前金なんて、この人たち信用できないんだけどなぁ、と思いつつ、払わないなら払わないで先着順とかになりそうだから、1人ぶんだけ払う。
こうしてバスは確保。いったん宿に戻る。
宿に帰って荷物の整理をし、しばらく休憩。それから宿代を精算。14時前にA君と一緒に宿を出る。天気はよし。
朝と同じようにバスに乗ってトラック乗り場へ行く。そこには朝と同じトラックが止まっていたが、周りにいる人間の数がちがった。指定時間よりちょっと前だったのだが、相手は遅いと感じていたようで、なんでそんな遅いんだとでも言いたげな態度で迎えられる。トラック代の残りを払おうとしたら、朝は1人2000ケニアシリングと言っていたのにいきなり2500ケニアシリング(約4000円)にあがる。出た! アフリカ得意のあと出しじゃんけん! なんて思いながら、朝は2000と言ったろと返すと、別の男が出てきて2500だと譲らない。どうもこいつが元締めか何かのよう。朝、直接話した運転手はそいつの前では黙る。あ~やだやだとしばらく無視していたのだが、向こうは2500を譲るつもりはないらしく、値切っても一切ひかず。しかも別に乗りたい人が来ているからぼくらを乗せなくても彼らは損しない模様。まったくがめつい奴だといらいらしながら追加料金(?)を払う。
トラックだから助手席にはゆったり2人座れる。しかし、そこへ男女2人がさらに乗ってこようとする。え? なんで? と思っていたら彼らは座席の背後のスペース(日本の大型トラックにもよくある)に靴を脱いであがった。聞くと二人はきょうだい(兄と妹)。エチオピア人でナイロビの親戚の家に遊びに来ていたという。エチオピアから来るときは飛行機を使ったのだが、帰りの飛行機が取れなかったためこれを使うことにしたらしい。2人とも大学生ということで英語もできる。
ぼくらの荷物は荷台の上に乗っけられ、その上からカバーをかけられる。荷台に乗る人たちは荷物に座るような格好で運転ボックス(?)のすぐ後ろの部分に座る。トラックは4トン車程度だから彼らのいる場所は地面から3mくらいのところになる。もちろん屋根も何もなし。吹きっさらしだ。ちなみにフロントガラスには石でも当たったのかピキピキと派手にひびが入っている。
結局、荷造りだのなんだのが終わってトラックが走り出したのは17時くらいだった。
送信者 kenya |
しばらく市街地を走るとやがて、まわりには小さな民家以外の建物は何もなくなる。18時を過ぎると日が暮れ始め、あたりは真っ暗になる。道は舗装されているからそこまで揺れたりしないが、しかしそれは助手席にいるからそう感じるのであって、上に乗っている人は案外飛び跳ねていたりしたかもしれない。
20時ごろガソリンスタンドで給油休憩。そこでパンを買う。100ケニアシリング(約150円)。
暗くなるとあたりは真っ暗で何も見えない。車は多いからテールランプなどは見えるが、その他は何も見えない。さっきガソリンを入れるために止まったあとは、一度も止まらず、運転手はアクセルを踏み続ける。そのうちなんの葉っぱなのか木の葉を噛みだす。どうもボリビアでみんなが噛んでいたコカのような作用のあるものらしい。葉の筋なんかは噛まず、それらは足元に捨てる。だから運転手の足元は見る見る緑色に染まっていく。
そんなのを見ているうちにぼくらは眠くなり、助手席で寝てしまう。
FIN
2009年8月2日日曜日
[diary]キベラのスラム街、ウェストランド
キベラのスラム街、ウェストランド
08/10/01(水) 晴れ ラマダンあけの祝日
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・キベラのスラム街
・ナイロビショー
・ウェストランド
今朝も蒸し暑さと車のクラクションの音で目が覚める。『歩き方』にはナイロビは年中軽井沢だと書いていたが、たいして涼しくない。
昨日食べた半生米のちらし寿司のせいか腹の調子が悪い。しかし、今日の夕方からエチオピアに移動する予定なので、残っていたアップルマンゴーを朝飯代わりに食べる。カンパラからナイロビに来る途中で買った蜂蜜はカンパラの孤児院で長期でボランティアをしているという日本人女性に引き取ってもらう。
昨日到着した日本人夫婦旅行者の人等としばしおしゃべり。この夫婦はアフリカを1年旅していて西から中央、南に東とほぼすべての国を回ってきたよう。この旅で会った人の中ではこれだけアフリカを回っている人は2人目。
腹の調子が悪いのでしばらく様子見してから11時頃に宿を出る。80万人の人々が暮らすことから世界最大のスラム街と呼ばれているらしいキベラという地区に向かう。
祝日ということで閉まっている店は多いものの、通りを歩く人々は多い。混雑しているマタツ(ミニバス)乗り場をすり抜け、ヒルトンホテル近くのバス乗り場に行く。
バス乗り場周辺にいた人にキベラ行きのバスのナンバーを聞く。32番。
連なっているバスの中から32番を見つけだし、乗り込もうとしたものの、例のごとく満席だと言われ3台も見逃す。座席が埋まっているだけで通路に立てるスペースがたくさんあるのに乗車拒否。これだからナイロビはむかつく。たぶん法律か何かで決まっていて警察の取り締まりが厳しいからこうしているのだろうが、効率は悪いだろうに。
4台目のバスに乗り込む。すぐに満席になる。例のごとくその後は客を乗せることなく、バスは走る。
市街地を出る。バスは苦しそうに坂道を上る。左手には大きなスーパーマーケットなどが見える。中国大使館があるところはChina Centerという地名になっていた。
20分ほどでキベラ地区に入る。進行方向左手にトタン屋根が軒を連ねている一帯に出る。トタン屋根街のメインロードらしい一本の道が見え、その両脇に商店が立ち並んでいる。人通りは多い。メインロードは、3m幅ほどの未舗装の土道。雨が降る日にはどろどろになるから行かない方がいいと言っていたが、確かに土質を見ると雨が降ったらべちゃべちゃになりそうだ。
左にトタン屋根の波を見ながら数分行くとさっき見えたメインロードの終わりが左に、そして右に別のマーケットが見える。そこでバスを降りる。
まずはマーケットの方を見て回る。メインロードのお店はコンクリートづくりの店舗が多かったが、マーケットの方は細い木材で簡単に組んだ店ばかり。未舗装の一本道の両脇にだいたい3畳程度の大きさの木組の店が隙間なく並んでいて、売っているのは服、布地、靴などが多い。服はギコンバと同じように古着がおおく、知った名前のブランド服もある。けっこうしっかりしたウィンドブレーカーなども売っている。
100mほど奥に行くと一本道から碁盤状の地帯に出る。ここに来ると服屋の他、トマトやキャベツ、タマネギなどを売る野菜屋や木炭を売る店、チャイなどを飲ませるカフェなどがある。
声をかけられることはあまりなく、雰囲気も落ち着いている。子どもはさすがにぼくを見つけるとしばらく凝視する子が多い。
一軒のカフェに入り、1杯のチャイとチャパティ1枚を注文。チャパティはプラスチック皿に丸められフォークが刺された状態で出てくる。チャイは甘い。店内はコンクリートの床にトタン壁とトタン屋根。調理は炭でしている。
服屋の中には長袖のシャツなどを50ケニアシリング程度で売っているところもあり。
マーケットをぐるっと簡単に一周してから、トタン屋根街のメインロードに戻る。
こちらの方がマーケットよりも人通りが多い。ナイロビの町中と違うのは、ここを歩いている人にイスラムの格好をした人が多いこと。男は白い帽子に白の一張羅のイスラム服を来て、女性は広い布地を頭からかぶっている。その布の柄が色とりどりだからナイロビ市内よりもこちらの方が色彩豊かに感じる。女性の中には目だけしか見せないブルカ(だったっけ?)を着ている人もちらほら。”スラム”という言葉で想像するようなボロボロの服を着た子どもたちなどは、歩いた範囲ではほとんど見ない。みなきれいな格好をしている。
足下の道は未舗装でぼこぼこしている。ごみも多い。雨の日はどろどろになって歩くのが大変らしいが、確かにそんな様子だ。
沿道には店が並び、七輪の上に中華鍋を置き、フライドポテトを作って売っているおばちゃんたちもいる。たまに”マスター”などと言って声をかけてくる人がいるが、少ない。
このメインロードから左右に枝状に細い道が延びていて、その道を行くと住宅街に入り込むような作りになっている。メインロードは車が通れるくらいの広さがあるが、それらの道は人がすれ違う程度の幅のものが多い。また、道の入り口となっている部分には、門があったりするため、中に入るにはちょっと気が引けるような作りになっていたりもする。
ここの人々の家が見たかったものの、道を間違えたり、奥に入ると大変な目に遭うこともあると、ここで支援活動をしているという昨日あった日本人が言っていたので自制し、中には入り込まず。
時々すれ違うときに10歳くらいの男の子らが”How are you?"などと控えめに声をかけてくる。もっとじろじろ見られたりするかと思ったが、意外とそういうことはなく、ナイロビの中心部を歩いているのとあまり変わらないような雰囲気だった。
メインロード沿いはごみで汚れているものの、枝分かれしている家々に続く短い道などはきれいに掃かれていたりする。
スラム街と聞いて小さな家ばかりがひしめき合っているようなイメージを持っていたが、ここは店も数多くあり、ひとつの街として成り立っているように見える。
1時間ほどぶらぶらしてから、またバスに乗って中心部に向かう。バス乗り場のヒルトン前に戻り、そこでバスを乗り換える。あるバスの客引きがさかんに”ナイロビショー、ナイロビショー”と言っていたので、それはなんだと聞いたところケニアの農業などの紹介をする展示会みたいなのが行われていると言う。
それが気になったのでナイロビショー行きのバスに乗る。道はさっき乗ったバスが通った道とほぼ同じ。昼を過ぎてポカポカと良い陽気になってたせいか、バスの中で寝てしまう。
気が着いたらバスは止まっていて目的地に着いているようだった。
駐車場には車がいっぱいで会場の入り口には入場チケットを買う人々が列を作っていた。てっきり無料で入れるものと思っていたが、予想が外れる。入場料は200ケニアシリング。しかも5列ほどある列それぞれに20~30人が並んでいるから、入るにしてもしばらく待たなければいけない状況。
時間は13時半過ぎ。14時半前には宿に戻り、エチオピア行きのバス乗り場に移動すると同行者と約束していたため、列に並んで中に入ることはやめ、すぐにバスに乗ってまた市街地に戻る。
宿に戻る。
宿に戻ってエチオピアに一緒に行くA君と落ち合ったところ、彼が明日に出発を延期できないかと言う。今日、日本に荷物を送ろうと思ったが、郵便局がラマダン明けの休日ということで開いておらず送ることができなかったので、明日送り出してから行きたいという。ちょうどぼくの腹の調子もイマイチだったので、予定を変更。出発を明日に延期する。
時間はまだ15時過ぎ。まだ日暮れには時間があるので、気になっていたウェストランドという地区に行ってみることにする。
バスで20ケニアシリング(約30円)。30分足らずでウェストランドに着く。ここにはショッピングセンターなどがあり、ある旅行者はヨーロッパみたいと評したところ。でかい広告看板がたくさんあり、ちょっとした大型ショッピング街ふうに見えもするが、実際にはビルの中に小さな個店が入っているスタイルが多く、いわゆる大規模ショッピングセンター街というわけではない。また、祝日ということで開いている店も少ない。
ぶらぶら歩いていると主要な道路に面した一角に、細長い長屋風の商店街を発見。炭火で焼いた肉を食べさせる食堂ばかりが並んでいる商店街で、2本ある通路の両脇に長屋風の建物が立っている。1つの店はだいたい6畳程度の広さしかなく、肉は通路で焼いている。どこの店も同じメニューばかりのようで、肉とウガリ、肉とチャパティといった具合。通路は人がすれ違える程度しかない。蠅も多い。
その中の一軒で焼きあがった牛肉1枚を買う。一枚だいたい200~300gほどある。持ち帰りでと頼むとまな板の上で、親指大ほどの大きさに切り刻んでビニール袋に入れてくれる。お値段100ケニアシリング(約130円)。
早速食べてみるとかなり堅い。過剰に乾燥してしまった干し肉を食べている感じ。中には噛みきれないようなものもある。
1軒、大きなショッピングモールを見つけたのでそこに行ってみる。円形の建物で日本式に言うと4階立て。本屋やファストフード店、土産物屋、映画館、ゲームセンター、食品スーパーなどが入っている。ここには中国人や白人の姿も多い。ここでもスーパーやファストフード店以外はほとんど閉まっていた。一通り回ってから、建物を出る。
建物を出て、まちなかに行くバス乗り場に向かっていると途中、さっぱりした格好をした14~15歳くらいの女の子が話しかけてくる。スワヒリ語らしく何を言っているのかわからない。英語でわからないと言うと、彼女は英語に切り替え、水をくださいと言う。喉が乾いているふうではなかったので、不思議に思うが、どちらにしろ水は持ち歩いていなかったためないと応えると、いくらか生活のためのお金をくださいと言ってくる。格好からは物乞いのようには見えなかったが、コインを一枚プレゼント。
またバスに乗って中心街に戻る。宿に戻る頃にはだいぶ日が傾いていた。
宿のロビーに行くと同じ宿に泊まっている日本人旅行者がおしゃべりしていたので、ぼくもちょっと混ぜてもらう。新たに到着した日本人夫婦旅行者は新婚旅行と称してアフリカ一周の旅行中だという。すでに西も中央西部も南も回ってきたらしく、もう残すところあとわずかという。ちなみにアフリカ一周で1年かかった(かけた)と言っていた。一般に皆が敬遠するカメルーンあたりからナミビアにかけての諸国も一部飛行機を使ったりしながらなんとかクリアしたらしい。なかなか2人とも気合が入っているものだと感心する。
そんなこんなでお互いの旅情報を交換したりして夜を過ごす。
FIN
08/10/01(水) 晴れ ラマダンあけの祝日
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・キベラのスラム街
・ナイロビショー
・ウェストランド
今朝も蒸し暑さと車のクラクションの音で目が覚める。『歩き方』にはナイロビは年中軽井沢だと書いていたが、たいして涼しくない。
昨日食べた半生米のちらし寿司のせいか腹の調子が悪い。しかし、今日の夕方からエチオピアに移動する予定なので、残っていたアップルマンゴーを朝飯代わりに食べる。カンパラからナイロビに来る途中で買った蜂蜜はカンパラの孤児院で長期でボランティアをしているという日本人女性に引き取ってもらう。
昨日到着した日本人夫婦旅行者の人等としばしおしゃべり。この夫婦はアフリカを1年旅していて西から中央、南に東とほぼすべての国を回ってきたよう。この旅で会った人の中ではこれだけアフリカを回っている人は2人目。
腹の調子が悪いのでしばらく様子見してから11時頃に宿を出る。80万人の人々が暮らすことから世界最大のスラム街と呼ばれているらしいキベラという地区に向かう。
祝日ということで閉まっている店は多いものの、通りを歩く人々は多い。混雑しているマタツ(ミニバス)乗り場をすり抜け、ヒルトンホテル近くのバス乗り場に行く。
バス乗り場周辺にいた人にキベラ行きのバスのナンバーを聞く。32番。
連なっているバスの中から32番を見つけだし、乗り込もうとしたものの、例のごとく満席だと言われ3台も見逃す。座席が埋まっているだけで通路に立てるスペースがたくさんあるのに乗車拒否。これだからナイロビはむかつく。たぶん法律か何かで決まっていて警察の取り締まりが厳しいからこうしているのだろうが、効率は悪いだろうに。
4台目のバスに乗り込む。すぐに満席になる。例のごとくその後は客を乗せることなく、バスは走る。
市街地を出る。バスは苦しそうに坂道を上る。左手には大きなスーパーマーケットなどが見える。中国大使館があるところはChina Centerという地名になっていた。
20分ほどでキベラ地区に入る。進行方向左手にトタン屋根が軒を連ねている一帯に出る。トタン屋根街のメインロードらしい一本の道が見え、その両脇に商店が立ち並んでいる。人通りは多い。メインロードは、3m幅ほどの未舗装の土道。雨が降る日にはどろどろになるから行かない方がいいと言っていたが、確かに土質を見ると雨が降ったらべちゃべちゃになりそうだ。
送信者 kenya |
送信者 kenya |
左にトタン屋根の波を見ながら数分行くとさっき見えたメインロードの終わりが左に、そして右に別のマーケットが見える。そこでバスを降りる。
まずはマーケットの方を見て回る。メインロードのお店はコンクリートづくりの店舗が多かったが、マーケットの方は細い木材で簡単に組んだ店ばかり。未舗装の一本道の両脇にだいたい3畳程度の大きさの木組の店が隙間なく並んでいて、売っているのは服、布地、靴などが多い。服はギコンバと同じように古着がおおく、知った名前のブランド服もある。けっこうしっかりしたウィンドブレーカーなども売っている。
送信者 kenya |
送信者 kenya |
100mほど奥に行くと一本道から碁盤状の地帯に出る。ここに来ると服屋の他、トマトやキャベツ、タマネギなどを売る野菜屋や木炭を売る店、チャイなどを飲ませるカフェなどがある。
声をかけられることはあまりなく、雰囲気も落ち着いている。子どもはさすがにぼくを見つけるとしばらく凝視する子が多い。
一軒のカフェに入り、1杯のチャイとチャパティ1枚を注文。チャパティはプラスチック皿に丸められフォークが刺された状態で出てくる。チャイは甘い。店内はコンクリートの床にトタン壁とトタン屋根。調理は炭でしている。
服屋の中には長袖のシャツなどを50ケニアシリング程度で売っているところもあり。
マーケットをぐるっと簡単に一周してから、トタン屋根街のメインロードに戻る。
こちらの方がマーケットよりも人通りが多い。ナイロビの町中と違うのは、ここを歩いている人にイスラムの格好をした人が多いこと。男は白い帽子に白の一張羅のイスラム服を来て、女性は広い布地を頭からかぶっている。その布の柄が色とりどりだからナイロビ市内よりもこちらの方が色彩豊かに感じる。女性の中には目だけしか見せないブルカ(だったっけ?)を着ている人もちらほら。”スラム”という言葉で想像するようなボロボロの服を着た子どもたちなどは、歩いた範囲ではほとんど見ない。みなきれいな格好をしている。
足下の道は未舗装でぼこぼこしている。ごみも多い。雨の日はどろどろになって歩くのが大変らしいが、確かにそんな様子だ。
沿道には店が並び、七輪の上に中華鍋を置き、フライドポテトを作って売っているおばちゃんたちもいる。たまに”マスター”などと言って声をかけてくる人がいるが、少ない。
送信者 kenya |
このメインロードから左右に枝状に細い道が延びていて、その道を行くと住宅街に入り込むような作りになっている。メインロードは車が通れるくらいの広さがあるが、それらの道は人がすれ違う程度の幅のものが多い。また、道の入り口となっている部分には、門があったりするため、中に入るにはちょっと気が引けるような作りになっていたりもする。
ここの人々の家が見たかったものの、道を間違えたり、奥に入ると大変な目に遭うこともあると、ここで支援活動をしているという昨日あった日本人が言っていたので自制し、中には入り込まず。
時々すれ違うときに10歳くらいの男の子らが”How are you?"などと控えめに声をかけてくる。もっとじろじろ見られたりするかと思ったが、意外とそういうことはなく、ナイロビの中心部を歩いているのとあまり変わらないような雰囲気だった。
メインロード沿いはごみで汚れているものの、枝分かれしている家々に続く短い道などはきれいに掃かれていたりする。
スラム街と聞いて小さな家ばかりがひしめき合っているようなイメージを持っていたが、ここは店も数多くあり、ひとつの街として成り立っているように見える。
1時間ほどぶらぶらしてから、またバスに乗って中心部に向かう。バス乗り場のヒルトン前に戻り、そこでバスを乗り換える。あるバスの客引きがさかんに”ナイロビショー、ナイロビショー”と言っていたので、それはなんだと聞いたところケニアの農業などの紹介をする展示会みたいなのが行われていると言う。
それが気になったのでナイロビショー行きのバスに乗る。道はさっき乗ったバスが通った道とほぼ同じ。昼を過ぎてポカポカと良い陽気になってたせいか、バスの中で寝てしまう。
気が着いたらバスは止まっていて目的地に着いているようだった。
駐車場には車がいっぱいで会場の入り口には入場チケットを買う人々が列を作っていた。てっきり無料で入れるものと思っていたが、予想が外れる。入場料は200ケニアシリング。しかも5列ほどある列それぞれに20~30人が並んでいるから、入るにしてもしばらく待たなければいけない状況。
時間は13時半過ぎ。14時半前には宿に戻り、エチオピア行きのバス乗り場に移動すると同行者と約束していたため、列に並んで中に入ることはやめ、すぐにバスに乗ってまた市街地に戻る。
宿に戻る。
宿に戻ってエチオピアに一緒に行くA君と落ち合ったところ、彼が明日に出発を延期できないかと言う。今日、日本に荷物を送ろうと思ったが、郵便局がラマダン明けの休日ということで開いておらず送ることができなかったので、明日送り出してから行きたいという。ちょうどぼくの腹の調子もイマイチだったので、予定を変更。出発を明日に延期する。
時間はまだ15時過ぎ。まだ日暮れには時間があるので、気になっていたウェストランドという地区に行ってみることにする。
バスで20ケニアシリング(約30円)。30分足らずでウェストランドに着く。ここにはショッピングセンターなどがあり、ある旅行者はヨーロッパみたいと評したところ。でかい広告看板がたくさんあり、ちょっとした大型ショッピング街ふうに見えもするが、実際にはビルの中に小さな個店が入っているスタイルが多く、いわゆる大規模ショッピングセンター街というわけではない。また、祝日ということで開いている店も少ない。
送信者 kenya |
ぶらぶら歩いていると主要な道路に面した一角に、細長い長屋風の商店街を発見。炭火で焼いた肉を食べさせる食堂ばかりが並んでいる商店街で、2本ある通路の両脇に長屋風の建物が立っている。1つの店はだいたい6畳程度の広さしかなく、肉は通路で焼いている。どこの店も同じメニューばかりのようで、肉とウガリ、肉とチャパティといった具合。通路は人がすれ違える程度しかない。蠅も多い。
その中の一軒で焼きあがった牛肉1枚を買う。一枚だいたい200~300gほどある。持ち帰りでと頼むとまな板の上で、親指大ほどの大きさに切り刻んでビニール袋に入れてくれる。お値段100ケニアシリング(約130円)。
送信者 kenya |
早速食べてみるとかなり堅い。過剰に乾燥してしまった干し肉を食べている感じ。中には噛みきれないようなものもある。
1軒、大きなショッピングモールを見つけたのでそこに行ってみる。円形の建物で日本式に言うと4階立て。本屋やファストフード店、土産物屋、映画館、ゲームセンター、食品スーパーなどが入っている。ここには中国人や白人の姿も多い。ここでもスーパーやファストフード店以外はほとんど閉まっていた。一通り回ってから、建物を出る。
建物を出て、まちなかに行くバス乗り場に向かっていると途中、さっぱりした格好をした14~15歳くらいの女の子が話しかけてくる。スワヒリ語らしく何を言っているのかわからない。英語でわからないと言うと、彼女は英語に切り替え、水をくださいと言う。喉が乾いているふうではなかったので、不思議に思うが、どちらにしろ水は持ち歩いていなかったためないと応えると、いくらか生活のためのお金をくださいと言ってくる。格好からは物乞いのようには見えなかったが、コインを一枚プレゼント。
またバスに乗って中心街に戻る。宿に戻る頃にはだいぶ日が傾いていた。
宿のロビーに行くと同じ宿に泊まっている日本人旅行者がおしゃべりしていたので、ぼくもちょっと混ぜてもらう。新たに到着した日本人夫婦旅行者は新婚旅行と称してアフリカ一周の旅行中だという。すでに西も中央西部も南も回ってきたらしく、もう残すところあとわずかという。ちなみにアフリカ一周で1年かかった(かけた)と言っていた。一般に皆が敬遠するカメルーンあたりからナミビアにかけての諸国も一部飛行機を使ったりしながらなんとかクリアしたらしい。なかなか2人とも気合が入っているものだと感心する。
そんなこんなでお互いの旅情報を交換したりして夜を過ごす。
FIN