2011年3月7日月曜日

[diary]カーシーで静養、宿換え

カーシーで静養、宿換え

2009/02/21(土) 晴れ
[Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

※時間は自治区の時間

・腹痛
・バスの下見
・カネの紛失に気づく
・宿換え
・地図を購入

夜中腹痛で目覚める。どうも腹を下したらしい。中国に入って以降続いている食い放題路線に腹が反乱を起こしたのか、あるいは昨日食べた何かにあたったのか、それともいつか日本人旅行者から聞いたように中国の油にやられたのかはわからない。あるいはそれらの複合かもしれない。

そういうわけで夜中眠れず。部屋にはテレビがあったのでテレビをつけてみる。ちょうど映画をやっていたのでそれを見る。もちろん中国語なので会話はよくわからない。ただ中国語の字幕もついている(これはすべてのチャンネルの映画やドラマにも共通している)ので、それでわずかにわかるときがある程度。字幕の切り替えがぼくには早くてとても全部の漢字を読みとることができない。

映画を立て続けに2本見たが、服装や髪型からすると、80年代くらいに作られたよう。どっちも他愛もないストーリーでコメディ的だったが、その笑いも今となっては苦笑あるいは微笑ましいといったところがせいぜい。言葉がわかればもっと面白かったのかもしれないけど。でもミスタービーンの方が、言葉がわからなくても笑える。どっちも霊が出てくる点と学園ものである点、それから高校生くらいの女の子たちが主役というのが共通していた。

映画が終わるとそのチャンネルは夜中の休止時間に入ったので、ほかのチャンネルを見る。ヨーロッパのサッカーやNBAの試合をやっているチャンネルがあったので、それを眺める。そのうち寝る。

明るくなって目覚める。まだ腹の調子がおさまっていなかったので、またテレビを見ながらだらだらする。

チャンネルは中国のばかり20ほど(それ以上?)あるのだが、古い時代のドラマ(歴史ドラマ)をやっているチャンネルが5つ以上あった。中国ならいくらでも歴史ネタはあるのだろうが、誰がこうしたのを見ているのだろうかと不思議に思う。日本のような視聴率主義は中国にはあるのか?

新彊チャンネルでは定期的にウイグル語の番組が流れる。北京や上海の番組もあり。

チャンネルを回していたらちょっとしたお昼のバラエティ番組みたいなのがあったので、そこに固定する。「笑っていいとも」系の番組のようで、司会とその取り巻きの若い男たちはお笑い系。ちょうどチャンネルを止めたときは中国人男女のモデルたちに歩き方を習うというようなコーナーだった。身長190cm近い男のモデルや170cmは越えている女のモデルが6人ほど出ていた。女性の方は日本で言うと○○(○○には個人名を入れたいのだが、顔はわかるが名前が出てこない)系だが、男は日本人の一般的なモデル顔とはだいぶ違って切れ長の目をしたのが数名。劇団ひとり系も1人いる。驚いたのはファッション界の人間らしい解説者(もしかしたら服のデザイナーなのかもしれない)が、顔といい、背丈といい、髪型といい日本のテレビによく出ている落語家(名前がわからない。桂文珍とかそのあたり)にそっくりだったこと。もしや彼は日本と中国の両方で仕事をしているのかと思ってしまったくらい。

あと面白かったのが、そのモデルたちにモデル歩きをしてもらうる際にかかった曲の中にSMAPの曲があったこと(「明日からハレルヤー?」とかいう歌詞がある歌)。日本で中国のポップスなんて聴いたことがないが、流れることはあるのだろうか。それから出演している芸人っぽい人が、別のコーナーで谷村しんじ(漢字を忘れた)の「すばる」を歌っていたのも面白かった。そういえば彼は上海かどっかの大学に招かれていたとかいう話を思い出す。

そうこうしているうちに昼がすぎる。

ちょっとは腹が落ち着いたので、明日のためにバスターミナルにバスの下見に行く。歩いていける距離だが、試しにバスに乗って近くまで行く。バス代は1回1元(約15円)。

ここのバスターミナルもウルムチ同様、立派な建物だった。日本でいうと消防署に似ているかもしれない。中に電光掲示板があって行き先と出発予定時刻、座席数、運賃などが中国語とウイグル語で表示されている。

壁には鉄道の時刻表や運賃表もあった。滞在可能日数とビザ延長などのこともあり、しばしどういうルートで移動するか悩む。

30分ほど鉄道地図やガイドブックを見て考え、とりあえずの行き先を決めて、バスターミナルを後にする。

バスターミナル周辺には煮卵売りやナン売り、カバン売りの人たちが路上にいた。また周りには宿屋、風呂屋、食堂などがあったので、ぶらぶらと見て回る。

小さな食堂があったので、腹が落ち着いたばかりなのに入る。そして餃子と包子を頼む。ここも餃子10粒3元(約45円)、包子(具は青っ葉と卵の炒め物だった)は1個0.5元(約7円)。これに餃子のゆで汁らしきものがそば湯のようにして出てくる。これはタダ。

若い女性が2人でやっていて、一人の女の子は陽気にいろいろ話しかけてくる。当然こちらは一言もと言っていいほどわからず。なので紙に書いてと手帳を取り出して仕草で伝えるのだが、彼女は手帳に書かれてあるぼくの字をしげしげと見つめるだけで筆談にならない。彼女の上着にはハングルとカタカナがプリントされていたので、なんと書かれてあるか見せてもらおうと彼女の服を指さして、見せてくれと言うようなにわか中国語を言うが、意図がまったく伝わらず。これほどまでに通じない相手も珍しい。しかし、彼女はそれでも何度も話しかけてくる。そのたびにぼくは首を傾(かし)げる。言葉がわかれば・・・という思いがまた強くなる。

お金を払うと彼女らは「バイバイ(と中国でも言うらしい)」と言う。こちらも「バイバイ」と返し、店を出る。

そこから歩いて中国銀行に向かう。移動のルートを考えると今のうちにもうちょっと両替しておいた方がいいように思えてきた。が、宿を出てすぐに通ったときは開いていた支店はすでに閉店。

しかもこのときにカネを紛失したらしいことに気づく。残り金を頭で数えていたところ、昨日靴下の中に入れていたカネをどこにやったかわからなくなる。そして、おそらく靴下を脱いだときに落としたらしいことに思い至る。

あわててホテルに戻り、昨日靴下を脱いだあたりを探すが見あたらず。宿主にも相談するが、わからず。昨晩靴下を洗濯するため共同便所の洗面所に行ったとき、そこで靴下を脱いだためそこで落としたらしかったが、すでにそれらしきものは何もなかった。一見しただけじゃカネとはわからないだろうからごみと一緒に捨てられたのかもしれない。

カネがなくなってショックを受けているところへ、宿主がこの宿を出るように行ってくる。宿に泊まっていた人で2~3の日本語を知っている人が英語が多少出来る人がいて、その人がたまたまフロントを通りがかったので通訳してもらうと、どうもこの宿は中国人専用で外国人は泊めない(泊まれない)らしい。通りでチェックインの時パスポートの提示を求められなかったのだと合点する。でも、言葉が出来ないから外国人だということはわかっていたはず。つまりはカネの件で警察に相談されると困るようなことでもあるのか、と勘ぐる。

いずれにしても部屋から出ていくよう言われたので、荷物をまとめて宿を出る。

ガイドブックに載っていた宿まで移動。幸いなことにここの宿のドミはさっきまで泊まっていた宿とは比べものにならないくらいきれいでトイレ、シャワー付き。しかも他に客はいない。これで値段は同じ30元(約450円)なので、最初からこっちに泊まっておけばカネを紛失することもなかったと後悔。やれやれ。

それからネット屋に行ってメールの確認。そこからの帰りがけに1年前から中国に住んでいる知り合いに電話。国内電話は一律1分0。3元(約5円)なので助かる。しかも電話はあちこちの商店が店先においているので探す手間がかからないし、カードも買う必要がない。こういうところはスウェーデンなどよりも便利。

夕方、また餃子が恋しくなったので餃子を食べる。ここはウイグル風餃子のようでタレが、中国系の店では黒酢だが、ここでは唐辛子が効いた赤い色をした辛いタレだった。

その後は宿でゆっくりする。シャワーのお湯の温度が低いのが残念。あと指定されたベッドがある部屋があまりに暗いので勝手にベッドを変更。

結局、誰も相客はいず完全にシングルルームとして使える。すばらしい。

Fin

[diary]カーシーの金曜日

カーシーの金曜日

2009/02/20(金) 曇り
[Urumqi→Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

※時間は自治区の時間

・公安へビザの延長をしに
・ウイグル地区をまたぶらり
・金曜日の礼拝

夜中何度か目が覚める。外からやたらとクラクションを鳴らす音が聞こえる。これにはいらつく。

7時前に目が覚め、しばらく物書き。

10時半頃宿を出て、近くにある公安局の外事処に行く。公安の建物は10階以上ある白のコンクリートのビル。入り口にいた警備員に、日本人だがビザを延長したいと、事前に中国語で書いてきた文章を見せながら伝えると、入り口の手前の脇にある平屋の建物に行くよう促される。

そこが目的の場所だった。壁にはビザの延長や滞在許可などの項目名とそれぞれにかかる料金が張り出されている。

カウンターにいたウイグル系の女性は多少英語を解した。ビザを延長したいと書いた紙を見せると、英語ができるかと英語で尋ねてくる。それ以後は会話は英語。彼女はぼくのパスポートを見ると、”今日は20日、ビザの延長できない”などという。意味がわからず金曜日は受け付けていないのかと思い、月曜にくればいいのかと尋ねたところ3月2日と紙に書く。そして別の男性の職員を呼ぶ。

彼も英語を多少解した。つまりはノービザでは15日間滞在できるのだが、その滞在期限が迫った頃でないb座の延長は受け付けてくれないらしい。だから15日目の3月2日にホテルの領収書のコピーとパスポートのコピーと写真2枚、あと代金160元を持って来るように言われる。

ここの人の対応も予想外に柔らかだった。中央アジアの警察や店員などの態度に慣れていたからか、中国の方がずっと態度が気持ちよい。

滞在期限まであと10日もあるため、一気に問題が出てくる。ここらで10日間過ごしてからまた出直すか、それとも他のまちでのビザ延長に挑戦するか。ただ、ここで簡単に延長できるものだと思っていたので、他のまちの情報がない。まずはその情報を入手しなければと困ったときのネット屋頼みで、ネット屋を探しにウイグル地区(という名前はぼくが勝手につけた)に向かう。

泊まっている宿の近くにネット屋があったのだが、昨日行ったところ会員以外はお断りみたいなふうに拒否されたためそこは使えなかった。他にどこにあるか知らなかったので、探さなければならない。

幅3m足らずの土壁の住宅街の曲がりくねった道を歩く。路上ではぷらぷらと一人で遊んでいる男のがいたりする。その中には例のごとく股のところが縫われていないズボンを履いている子がいて、すごい子になると尻もちんちんも丸見えという子もいた。そういうのを見るとなんのためにズボンを履いているのかわからなくなる。

今日は金曜日、つまりはイスラムの休息日ということでか昨日よりも路上には人気がないし、露店も少ない。今日は曇っていて昨日よりもやや冷える。

昨日とは違う通りを歩いていたらモスクがある広場の脇にでる。あたりには土産物品などを売っている店あり。その並びにネット屋を偶然発見。ここでメールチェックなどをする。1時間2元(約30円)。これまでの中で最安だ。遅くもないしなかなかよろしい。ビザ関係の情報も検索。

モスク前の広場は人が多かった。モスクに向かって歩いている人(ほとんど男)多数。その人を相手にビニール袋みたいなのを売っている少年たちが5人ほど。下に敷くためのビニールなのか、靴を入れるための袋なのかはよくわからず。

また広場の一角には馬やラクダが遭わせて5頭ほどいた。どれも記念写真用らしくできあがった際の写真を貼りだしているおじさんもいた。

広場に連なるある通りがとても賑やかだったのでそこに行ってみる。メロンやスイカ売りのおじさんたちが、片手にメロンなどを持って客引きをしている。臓物系の料理を出す屋台やひよこ豆料理、涼麺、シャシリクなどの屋台多数。ナン屋もあり。普通の食堂も沿道に沿って何軒もあった。入り口近くではシャシリクを焼いていたり、プロフを炊いていたりする。

そのうち一軒の食堂の人が声をかけてきたので、そこに入ってみる。入り口付近の鍋にあった料理を頼む。中はウイグル人ばかりで、ぼくが入るとちと目立つ。

隣の席の人がちらちらとこちらを見ているので軽く挨拶。相手も挨拶を返してくれたがそれ以上に発展することはなかった。

出てきた料理はどんぶりに辛そうな色をしたスープだった。中をかき混ぜてみると羊の肉とじゃがいもがごろごろ入っている。スープの色はトマト色というか、ラー油いろなのだが、飲んでみるとたいして辛くはなかった。これが10元(約150円)もしたのには驚いたが。

こちらの一帯もくねくねした道に土壁の家が続く。路上で遊んでいる3~5歳くらいの子どもたちはぼくを見ると不思議そうな顔でこちらを見る。通り過ぎてもあとからしばらくついて来る子もいるが、近寄ろうとするとたいてい逃げる。

ぶらぶら歩いている昨日も通った広い道にでる。引き返す。住宅街を通っていると入り口の扉に「文明家族」とか「平安家族」と書かれたシールを貼っている家を多く見かける。

ちょうどお祈りタイムが終わったようで、多くの男たちがモスクから帰っていく途中だった。手にはお祈り時に下に敷く一人サイズの絨毯を持っている。

金曜日とは言え、たいていの店は開いている。食堂や屋台は人々で賑やか。路上の洋服売りのおばちゃんたち、DVD売りの若い男の人たち、ナッツ類売りなどもいる。またモスク周辺にはお祈りする人たちを当てにしてだろう物乞いの人たちがけっこう集まっていた。目算で20~30人ほどだろうか。女性が多いように感じる。

それから中国の地図を書おうかと思い、本屋に行く。ガイドブックはあるものの中古のため中国全体の地図は破れていて使えなかった。例のビザの関係で延長ができるまちの名前はわかったが、それがどこにあるのかがわからなかったり、どういうルートで行けばいいかを考えるには地図が必要かと思ってのことだったが、これが長引く。

市内には大きな本屋としては新華書店と新華教育書店があり、それぞれの間は400mほど離れている。片方にしかない本がけっこうあるためその両方をまず見て、売っている地図の類を見てみる。一枚の紙のものは3元(約45円)であったが、道路などの図が簡単にすぎるように感じる。手帳型の地図帳も複数ある。値段は10~20元。あれこれ迷う。さらに困ったことに中国国内の古いまちを紹介したガイドブックがあり、これがほしくなる。値段が38元(約550円)もするのがネック。しかも作りが粗い。

結局何度か本屋を行き来して財布とも相談しながら最終的にはガイドブックを買う。さらにたまたま立ち寄った料理本コーナーにウイグル料理本があり、それがカラーでなかなかよかったためそれも買ってしまう。こちらは1冊12元(約170円)。10種類近くあったが悩んだ末2種類だけ購入。予定外の出費にため息をつきつつ、また倹約しなきゃなと思う。

夕方前、昨日も行った屋台街に行って夕食。麻婆豆腐やカリフラワーの炒め物、トマトと卵の炒め物、煮豆みたいなもの、豚肉炒めみたいなのと5~6種類のおかずに白飯がついた定食のようなものが6元(約90円)。味はいかにも中華という味なので新しい発見はなかった。

それからまたネット屋に行って、写真のデータのアップロードなどをする。

暗くなり始めた頃に宿に戻る。

宿に戻ってからしばらくすると腹の調子がおかしくなる。今日もいろいろ食ったからそのせいか、ちょっと黴びたような味がしたナッツ類のせいか、道ばたで食べた自家製ヨーグルトのせいか、ただの食いすぎのせいかはわからない。

これまた金曜の夜ということでか近くからカラオケを歌う声が聞こえてくる。

夜はテレビを見ながら安静。

Fin

[diary]カーシー(カシュガル)到着

カーシー(カシュガル)到着

2009/02/19(木) 晴れ
[Urumqi→Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

※時間は自治区の時間

・23時間の移動でカーシー到着
・カーシーのまち
・人民広場
・ウイグル人地区

ウルムチからカーシー(カシュガル)に向かうバスの中。

布団があることもあり、夜は寒くなかった。

明るくなった頃、目が覚める。窓の外を眺めながらMP3プレイヤーで中国語を聞く。緑気がないのは相変わらず。

しばらくして沿道に煉瓦作りの家や土壁の家が見える。そして、バスは土ぼこりを上げながら駐車場らしきところに止まる。便所と休憩所があるだけの小さな駐車場で舗装もされていない。

乗客が次々と降りていくので休憩かと思い、ぼくも降りる。降りる間際にもしやと思い、運転手に「カーシー?」と聞くと「カーシー」と言ってうなづく。どうも着いたらしい。

ベッドに置いていた小型リュックを取りに行き、靴を履いてバスを降りる。リュックを荷台から取りだし背負う。

時刻は新彊時間の10時過ぎ。ウルムチを出てから23時間で着いた。

改めて降りて周りを見渡したが、ここまで素っ気ないバスターミナルも珍しい。ターミナルというよりもただの駐車場。それも未舗装だからバスが停まっていなければ、ぜったい空き地か何かと思って見逃すようなところだ。

駐車場にはタクシーなども乗り付けていて、一部の乗客はタクシーに乗り込んでいた。近くからバスがあるらしいことはガイドブックに載っていたのだが、少なくともこの駐車場内にそれらしき乗り物はない。

何人か歩いて出ていく人たちがいたので、その人達をまねてちょっと歩いてみることにする。

ターミナルを出ると1本道が左右に伸びていて、みな右の方に行っていたのでそちらに向けて歩く。ここで初めて見たのがバイクの後ろに金属製の荷台を付けた乗り物。8人ほどが乗れるように座席も作られていて、通り過ぎていくその乗り物はどれも満席状態。屋根はなし。

沿道にはナン屋が5軒ほど並んでいた。ぼくを見て声をかけてくるおじさんが1人。キルギスやカザフ、ウルムチでは道を歩いていて声をかけられることなどなかったので、久しぶりのことだ。

おじさんは中国語で何をかを言う。が、こちらはまったくわからない。適当に日本人だと言うと、”おー、ヤーポニャ”みたいなことを言う。おじさんは焼く前のパン生地に水をかける作業をしていて、他の二人はその生地を釜の内側にペタペタと貼る作業をしている。釜は中央アジアと同じく壷型でてっぺんが開いている。パンの生地は壷型の釜の内側の壁に貼られていく。釜の中では火がたかれているので、それで焼き上がるのを待つというスタイル。

その道をちょっと行くと舗装された片側2車線ほどある大きな通りにでる。どでかい病院の建物が左手に見え、沿道には食堂や各種商店が並んでいる。ここまで来てバスを発見。

8番のバスに乗る。バスはマイクロバスサイズ。適当に乗り込んでからバスの集金係らしい女性に行きたいホテルの名前を告げる。するとバスが違うようで別のバスに乗るようにというようなことを言われる。ガイドブックを見てみると予定していた宿に行くには9番がいいらしい。バス停でおろしてくれ、運賃も取られず。

9番のバスに乗り換える。乗り込む前にやはり集金係と見える女の子にガイドブックを見せてここの宿に行きたいのだがと伝えようとしたら、彼女は漢字が苦手なのか手を振って拒み、運転手に聞けと言う。なので、運転手に見せるとすぐに了解した。

この沿道にも店がたくさん並んでいてなかなか賑やか。招待所も1軒見かける。シャシリクを焼く炭火の煙がそちこちから上がっている。

よく整備されている通りを走ること15分ほど、目的の宿の前に到着。運賃1元(約15円)。

そこで降りたものの予定していた宿には行かず、あたりに招待所がないか探して歩く。しかし、見あたらず。結局、元来た道を戻るのも面倒なので、適当な宿に入って値段を聞いてみる。

1軒目に入った宿のカウンターには10代半ばくらいの女の子がいた。ここの宿の娘さんなのだろう。彼女に部屋はあるかとにわか中国語で聞くと、当然ながら中国語で返答される。それが想定外に長い返答だったので、何を言いたいのかわからず。とりあえず30元(約450円)の部屋はないかと聞いてみると、また何をか言う。首をひねっていると彼女は紙を取りだし、そこに書いてくれる。完全には意味がわからなかったが「公共的」とかと書いている単語からトイレやシャワーが共同なのだろうと思い、OKと言ってそこにする。

30元と10元のデポジットの計40元を払い、チェックイン。3階にあがるとそこにいた掃除係らしい女性が部屋を教えてくれる。部屋は5畳ほどの広さでタイル張り。ベッドが2つにテレビ、小さな細長い球型の蛍光灯が1つ。トイレ、シャワーなし。十分よろしい。

トイレの場所を教えてもらうと4階だと言われる。4階に行ってみるとこっちはなかなか年季の入ったトイレだった。ウルムチで泊まった招待所の方がはるかにきれい。

12時前だったので、荷物を置いて宿を出る。元が少なくなっていたのでまずは両替。

適当に歩いていたら中国銀行の支店を発見。だが、開いていない。シャッターに営業時間が書かれていてどうも昼休みを取るらしいことがわかる。ただその時間が北京時間なのか新彊時間なのかはわからず。どちらにしても今開いていないならここから少し離れているカーシー本店の方に行っても開いていないだろうと思い、適当にふらつくことにする。

人民西路を歩いていると奥の方に連なる横道があったので、そこに入る。両脇には鶏や豚の各部位を煮たものを売っている店や北京焼き栗を売っている店、くるみやアーモンド、干しぶどうなどを売っている屋台などがある。左手には大きな電化製品屋もあった。奥まで行くと右手に屋台街が登場。これがガイドブックにあった美食城らしい。

屋台街はアーケードの中にあり、100mにわたり通路の両側に店が計30軒ほど並ぶ。ウイグル料理から四川料理、重慶料理などと看板に書かれ、それを見ればどこの料理かがわかる。

一通り店を見て回る。各地の料理もうまそう(特に小さな鍋料理がうまそうだった)だったのだが、せっかく新彊にいるのでウイグル料理をと思い、ウイグル料理屋に入る。ウイグル料理屋の看板にはアラビア文字が併記されているから、それだけでそこがウイグル料理屋だということがわかる。

これまで食べたことがないものをと思ったのだが、どうもラグマン(うどんのトマトベースの羊肉野菜炒めかけ)とプロフ(炊き込みご飯みたいなの)しかないよう。ウルムチでラグマンは食べたからプロフにしようかと思ったら、なんと9元(約140円)ほどもするというので、5元(約75円)のものは何かと尋ねたらラグマンということになり、結局新彊で3度目のラグマンとなる。

麺は手打ちで店内で若いにいちゃんが麺を延ばしながら、バンバンと木製のまな板(?)に叩きつけている。味付けはウルムチと同じトマトベースの羊肉と野菜炒めをかけたもの。量はそこそこ多い。

麺を打っていたにいちゃんは、ぼくのことがすぐに日本人とわかったらしく、それと聞いてきて日本人と答えると「モシモシ」と言ってくる。同じ店員の女性は意外だったようで、日本人なんだと彼に確認していた。また隣の席に座っていた漢人らしき女性も中国語で日本人かと尋ねてくる。

店はウイグル人がやっているので店員同士のやりとりはウイグル語。

ラグマンを食べていたら学校のジャージを着たままの女の子(13~15歳)が二人やってきて、ラグマンを注文する。女の子のジャージには”カシュガル二中”の文字と彼女自身の名前が縫い込まれていた。それを見て、ウイグル人の人は名前を漢字とアラビア文字で書くのかと気づく。彼女らは漢人っぽかったが、きっとそうなのだろう。

ちょうど昼休みなのか、それとも学校が終わったのか、同じようにジャージ姿の子ども(小学生から中学生くらいに見える)たちが続々と屋台街にやってきて、各店に入り、飯を食っていた。

ラグマンを食べた後、同じ屋台街に饅頭専門店があったので、そこで饅頭を1個買う。日本で一般的に売っている肉まんよりも少し大きめのサイズで表面がぱっちりしていてうまそうだった。値段は1個0.5元。肉まんでこの大きさでこの値段は安いなあと思っていたら、肉まんではなかった。具は何も入っていない生地だけの饅頭で、ちょっとがっかり。まぁ、うまかったけど。

屋台街を出たところにも店や物売りの人たちが並んでいてタコ(あげて遊ぶやつ)や花などを売っていた。あと射的の屋台もあり。

そこからぶらぶら歩いて中国銀行の本店を目指す。店が切れることなく続いており、途中には大きなショッピングモールもあり。ただここは夕方になって言ったところ1階部分は店舗で埋まっているものの2~3階は空き店舗が多かった。

また途中に郵便局があったので、ここで葉書を出す。歩道は幅2mほどあってきれいに整備されている。歩道にも風呂敷の上に服などを並べて売っている人あり。また物乞いのおじさん、おばさんも5人ほど見る。

10分ほど歩いたら正面左手に一見して毛沢東とわかるでかい銅像が見えてきた。道路を挟んで向かいは人民広場でサッカーコートが十分取れるくらいの何もない広場がある。そこでは凧揚げに興じている子ども、おじさんらが数人。また凧売りのおじさんおばさんも5~6人いた。

広場の向こうに中国銀行の本店があったのだが、行ってみると開いていない。入り口近くにいたおじさんが、何かと言う。どうも開いていないらしい。

しょうがないので両替は後回しにして適当に歩く。すると中国農業銀行と書いたでかい建物が見えたので試しにそこで両替してみることにする。窓口の女性が多少英語を話したので彼女に聞いたが、今は両替できないから中国銀行に行ってくれと言う。

途中で会った旅人の話では銀行前に闇両替のおじさんたちがいると聞いていたのだが、ウルムチにはいたもののここでは見ない。

なので、もうしばらく時間を潰してから中国銀行に再度いくことにする。

人気(ひとけ)のある通りを適当に歩いていたら、えらくたくさんの人が集まっている一画に出る。近くには壷などを作成販売している店やナンの店、シャシリク屋などがある。

橋の向こうも人がぎょうさん見えたのでそちらに行く。どうもここらがウイグル人が多く住んでいる地区らしい。圧倒的にウイグル人率が高い。

道ばたにはシャシリクの屋台、メロンやスイカ売りのおじさん(切り身にしてその場で食べさせている)、アラビア文字の看板、羊肉がぶら下がっていたり、絨毯がどかーんと売られていたり、果物(りんご、ザクロ、ぶどう、なし、みかんなど)売りの屋台、大きな干し唐辛子が売られていたりととにかく賑やか。屋台も羊の内臓ものから米の腸詰め、ひよこ豆と千切り人参をゆでたものとゆで卵、羊の足部分を湯がいたもの、羊の唐揚げ、プロフ、幅広で黄色い麺の料理、ヨーグルトなどなどあちらの街角や屋台にはない料理がいっぱい。

ぶらぶら歩いているうちに住宅街に続く道があったのでそちらに行ってみる。幅2mほどの石畳の道の両脇には土壁の家が並ぶ。車は入れない細い横道が何本もある。中央アジアなどの家と同じような作り。

3歳くらいの子どもが一人でぼくの前を歩いていたので見ていたら、お尻がちらちらと見える。これが噂の中国式子ども(幼児)服らしい。聞いた話では簡単に小便等ができるように股のところが開いている(縫われていない)らしい。

路地を歩いていたら路地の一画でお祈りをしている男たちの集団を見る。

しばらく住宅街を歩き、適当なところに出る。出たところが小学校の入り口の門で、そこには午後の授業を待つ子どもたちが50人くらい集まっていた。ぼくに気づいた6歳くらいの男の二人が「ハロー」と声をかけてくる。学校のすぐ隣にはウイグル語専門の書店があり、中では女性が二人立ち読みしていた。ウイグル語の会話帳がないか探すがない。ウイグル語英語の辞書はあったもののアラビア文字が基本のため読めず。

歩いていたらさっきも通った通りに出る。そこでさっきは見落としていたヨーグルトを売っているおばちゃんたちを発見。歩道の端にヨーグルトの入った大きな容器と丸いパンとを並べていて、おじさんが一人、しゃがみ込んでパンでヨーグルトをすくいながら食べている。

おばさんに値段を聞くとお椀1杯1元だと言う。なので、ぼくも食べてみる。お椀にヨーグルトが盛られて手渡される。食べて(飲んで)みると酸味があまりなく、やや甘みがある。さらさらと飲める。

それからさっき素通りした国際市場というところに行く。ここは立派な屋根付きの市場で中に入ってみるとコーナーごとに何を売っているかを示すプラカードが天井からぶら下がっている。子ども服コーナーや男物・女物の服コーナー、靴、食器、洗剤や石鹸、化粧品、文房具、スカーフ、絨毯、ウイグル独特の帽子、民芸品などなどいろんなものが売ってある。

石鹸がほしかったので石鹸を見て回る。包装箱にきゅうりの写真があるものなどもあり。いくつか見て回った中で「Sheep Oil」と英語で書かれている石鹸があったので、それを買ってみる。お値段3元(約45円)。

一度そこを出て汚い川岸の方に行ってみると川辺の堤防兼駐車場の一画はビリヤード場になっていた。ビリヤードの台が10ほどあり、すべての台に客がついている。やっているのは男ばかり。年齢は10代くらいのから50代くらいの人まで幅広い。

それからまたあたりをぶらぶら。もうそろそろ銀行が開いた頃かと思い、銀行方面に向かう。

来た道とは違う通りを行ってみたら、ここが旧市街のメインストリートだった。土壁の家が並ぶ間の幅3mくらいの通りを荷台を付けたバイクが客を乗せて走る。沿道にはナン屋、鍛冶屋、板金屋、麺を伸ばす棒やパン作りに使う道具を作る木工屋などが並ぶ。なかなか面白い通り。

そこを抜けたら人民広場近くの交差点近くに出た。

改めて中国銀行に行ってみると今度は開いていた。窓口の若い男性は英語がわかり、ぼくを見ると英語で話しかけてくる。ここで両替。手数料を8元ほど取られる。

それから近くの携帯電話屋が集まる通りを抜け、ウルムチにもあった新華書店へ。ここは2階ぶんだけを使っているのみだった。ウルムチより規模は小さい。カーシーらしく1階のフロアにウイグル語の本が置かれていた。2階は中国語の文学や各種専門書。ウルムチで見ていいなと思った本を探していたのだが、ここでは見あたらず。

それからホテル方面に向かって歩く。途中、昼間は通り過ぎたショッピングセンターに寄る。洋服屋やパソコン機器屋、ゲームセンターなどが入っていた。PLAY BOYブランドの服屋もあり。目を引いたのがプリクラ屋らしき店。この店が3店舗ほどあって、表にプリクラ的な写真がべたべたと貼られている。

一通り見てからまたホテル方面に行く。美容室が何軒かあって、いずれの美容室も表にモデルの写真を貼りだしていた。その髪型がパーマをかけたものが多い。中国に入ってパーマをかけている女性が多いなと感じたのは、そういう理由があるらしい。

中国にいる知人に連絡を取るためネット屋を探すが、これがなかなか見つからない。宿の近くに電脳城という1階から4階までがパソコン屋のビルがあったので、そこに行ってみたがやはりネット屋はなかった。

晩飯でも食おうかと昼にも行った屋台街に行ったが、今やすっかり客はいなくなっていて、いくつかは既に店じまいしていた。

なので、ホテルの方に行く。明日行く予定の公安の位置を確認しに行く。その途中、小さな本屋があったので、そこに寄る。そこで探していた本を発見。『図説天下 中国最美的100風情小鎮(※漢字は日本式に変換)』という230ページほどの本を買う。お値段19.8元(約300円)。文章はもちろん中国語だが、写真がふんだんにあるので買ってみた。

そこから歩いて公安に向かう。途中、野菜市場に立ち寄るが規模が小さかった。魚が売っていたのは川か湖での養殖ものか?

公安の位置を確認。だんだん日が暮れ始める。

帰りにウイグル料理店で夕食。頼んだことのない料理をメニューを指さし注文。出てきたのはカレーうどんとも言うべきものだった。肉は鶏肉で味は完全にカレー。麺はラグマンと同じ手打ちのうどんみたいな麺。これはこれでうまい。8元(約120円)。

新彊時間の18時半頃、北京時間の20時半頃に日が暮れる。あとは宿にて過ごす。

Fin

[diary]ウルムチからカーシー(カシュガル)へ

ウルムチからカーシー(カシュガル)へ

2009/02/18(水) 晴れ
[Urumqi→Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

※時間は自治区の時間

外から聞こえてくる金属音が耳につき、まだ暗い5時過ぎ(新彊時間)に目が覚める。カンカンという高い音からするとスコップか何かで路面の氷を割る作業をしているらしい。

しばらく物書き。

明るくなった7時半頃、荷造りをしてチェックアウト。今朝は雪は降っていない。霧もかかっていず、どちらかと言えば晴れに近い。

宿のすぐ近くのバス停から44番のおんぼろバスに乗る。通勤時間なのかバスはほぼ満員。通路にもたくさんの人が立っていたので乗れるか危ぶんだが、無事乗り込むことが出来る。

15分ほどで長距離バスターミナルに到着。中に入り、チケット売場の窓口でカーシー(カシュガル)行きのチケットを1枚と頼むが”没有(メイヨウ;ない)”と言われる。どういうことだ?と思いながら、昨日の案内係のおばさんを探す。昨日言っていたとおり、確かに今日もいた。おばさんに声をかけると、ちゃんとぼくのことを覚えていてすぐに案内してくれる。チケット窓口とは違う方向に行くので、どこに行くのかと不思議に思っていたところ、おばさんは一人のおじさんに声をかける。そのおじさんはぼくの荷物を持ち、一緒に来るよう言う。中国語であれこれ話しかけられるが、まったくわからず。

構内にある荷物チェックの機械にリュックを通し、待合室を素通りしてバスが並ぶ駐車場に出る。そこから歩いて100mほどいったところに小さな小屋が並んでいるところがあって、そこに連れて行かれた。中に入るとバスを待っているらしいおじさんがいる。どうもここがカーシー(カシュガル)にバスを走らせている会社のオフィスらしい。そこでバス代を払う。235元(約3500円)。やっぱり高いなぁ。24時間ほどかかるにしてもこんなに高いのはトルコ以来かもしれない。

ザラ紙のチケットに出発時刻らしいものが記載されていた。「12:00」とあるので、これは北京時間かと聞くとその通りだと言う。現在、新彊時間の8時過ぎ、北京時間の10時過ぎ。まだ2時間ある。ガイドブックには1時間ごとにバスがあるとあったから昨日は時間をチェックしなかったのだが、こんなことならもうちょっと宿でのんびりしていてもよかった。

しばらく時間があるので、荷物をそこに置いてバスターミナルの外の店に買い出しに行く。まだ食べていなかった当地のナン屋に行ってナンを買う。ピザ生地のように平たい円形をしているのは中央アジアと同じ。それ以外に見た目あんパンのような形をしているものもあったので、それも買う。ナンは直径30cmほどのピザ生地タイプのナンが1枚1元(約15円)、あんパンタイプの小さいのは1個0.5元(約7円)。

近くに蒸かしたばかりの包子(パオズ)を売っている店がいくつもあったので、そのうち1軒で包子(パオズ)を2個買う。ミニ肉まんサイズで1個0.7元(約8円)。

飲み物はあえて買わず。

またさっきのオフィスに戻る。オフィス内の待合いスペースの壁には禁煙と中国語で書いた紙があり、そこには吸った者は罰金10元とあった。しかし、室内はたばこ臭い。バスを待っている客の一部が吸っているし、何よりバス会社のおじさん方が吸っている。さすが中国。

中国語の本などを見たりしながら待つ。

新彊時間の10時過ぎ、北京時間の12時過ぎ、バス会社のおじさんがカーシーに行く客に声をかけ、荷物を駐車場にある車に乗せるように言う。おじさんはぼくのところに来て、ぼくのリュックを軽く蹴り、外に持っていくよう言う。人の荷物を足蹴にするとはこのオヤジまったく躾がなってない。

荷物を持っていったら持っていったで、車にはすでに入りきらず、また待合いスペースに持って戻ることになる。すでに出発時刻なのにバスが現れない。

結局バスが現れたのは新彊時間の11時前だった。バスの荷台にリュックを詰め込み、バスに乗り込む。バスに乗り込む前にチケットは回収される。

バスは中国製の寝台バス。中国ならでは乗り物でこれが初体験だ。

車内にあがる前に運転席横で靴を脱ぐ。脱いだ靴を入れるビニール袋は用意されていたので、それに靴を入れて中に入る。

寝台バスの名前のとおり、車内には完全に横になって寝れるベッドが備え付けられている。それも2段ベッド。両側の窓沿いと通路を挟んで真ん中に1列ずつの計3列。バスの車体にあった数字によれば合計39人が乗れるらしい。

添乗員らしい男の人が、ぼくにここに座れ(寝ろ)というようなことを言う。指定された席(ベッド)は左手中程の窓側の2段目のベッド。

持ち込んだ小さなリュックと靴は、どこにも置く場所がないので、ベッドのどこかに置かざるを得ないことになった。他の人を見ると足下のスペースなどに置いている人が多い。

ベッドに上がると天井がすぐそこ。というより頭を上げて座れない。だから結局横になるのが一番楽な姿勢となる。

ベッドは幅70~80cmほど、長さ180cm程度。頭の部分は盛り上がっており、その下に後ろの人の足が入るような設計になっている。つまり、前の座席の頭の部分は後ろから見ると空洞の箱のようになっていて、そこに足を突っ込むようになっている。

アフリカのように長距離バスが多いところでもこのスタイルのバスがあればずいぶん楽になると思うのだが、問題はベッドのサイズが合わないであろうこと。横幅はぼくでもちょっと窮屈に感じるくらいしかない。腕を体の脇にくっつけた状態でやっと入るくらいしかないから、アフリカのおばさんたちでは確実にあふれ出る。北部ヨーロッパ人にすると今度は長さが足りない。要は完全にアジア人的体型を前提とした設計になっている。

またベッドにはちゃんとシーツが敷かれており、掛け布団も用意されている。なので、寒くはない。

一度寝てしまうと寝返り以外は身動きが取りにくいので、寝たきりになってしまう。

13時過ぎ、予定より1時間遅れでバスは発車。

車内前方には2つテレビが備え付けられていた。1つは1段目に寝ている人たち用、もう1つは2段目に寝ている人用で、上下の段それぞれの高さに合わせて設置されていた。

発車するとさっそく映画が上映される。ジャッキーチェンが主演の映画。

ウルムチのまちを外れるとあたりは緑のない景色になる。岩山の間をくねくねと走る。たまに平地が見えるが砂利状だったり、土漠状だったりする。緑はない。

ジャッキーチェン主演の映画が2本続けて流れる。いずれも吹き替えはウイグル語。3本目はジェットリー主演の映画。その途中、バスは食堂前に停車して休憩。緑気のない土地の中をまっすぐ走る道路の脇には車の修理屋や食堂、営業しているのかどうかわからない旅館などがポツポツある。

食堂に入る人は誰もいず、みなその裏に歩いていく。そこには便所があったが、男はみなその周りの大地の上で用を足している。座り込んで大きいのをしている人もあり。足下にはその残骸が多数有り。

雪はまったくなく、気温もそれほど低くない。10℃近くはありそう。

30分ほど休憩してまた発車。さっき途中で消えた映画はそれで終わりらしく、新たに別のDVDが始まる。ウイグル人の歌手や役者達による歌や芸で、どこかのホールで上演されたものを録画したもののようだっった。

ぼくは寝る。

夕食休憩はなかったよう。寝ている間にあったのかもしれないが、その場合は気づくと思うので、なかったということにする。

その後も寝る。

Fin

[diary]ウルムチの1日

ウルムチの1日

2009/02/17(火) 雪 日中-2℃
[Urumqi:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

※時間は自治区の時間

・雪の一日
・バスチェック
・市街地をぶらり

新彊時間の6時50分、北京時間の8時50分に起床。外はまだ暗い。この部屋はあいして暖房が効いていないが、温度はちょうどいい程度。

テレビを付けるとある番組では英語でニュースの報道をしていた。新彊と画面の左上に書かれているチャンネルではウイグル語でニュースの放送をしている。コマーシャルなどに使われる文字はアラビア文字。商品名はアラビア文字と漢字の併記だったりする。岩手でマグニチュード6程度の地震があったことをニュースの字幕で知る。

10時過ぎ、泊まっている招待所があるビルを出る。表の通りにはうっすらと雪が積もっていた。雪もちらちらと降っている。昨日のような霧は出ていないが、曇っているため薄暗い。

まずは明日の移動に備えてカシュガル行きのバスの下調べをしに長距離バスターミナルに行く。44番のおんぼろバスに乗って15分ほど。このターミナルも最近建てられたかのように立派。3階建てくらいの長方形の白い建物。向かいにはモスク的なデザインの寺(?)があった。

入り口から入るとすぐそこがチケット売場になっていて、窓口の上の方には大きな電光掲示板があり、どこ行きは何時発といった情報が流れている。それを眺めていたのだがカシュガル行きの文字が見えない。漢字を再確認しようとガイドブックを見ていたら制服を着た女性が話しかけてくる。首からIDカードのようなものをぶら下げていたので、ここの案内係の人らしい。中国語で何やら言われるので、にわか中国語で明日カシュガルに行きたい旨を告げると「有(よう)」と言う。そして、自分のIDカードを見せながら明日もここにいるからここで私に尋ねるように、というようなことを仕草混じりで言う。値段を確認すると230元程度(約2600円)。予想外に高かった。

出口の近くで新聞を売っているおばちゃんがいたので記念に新聞を2種類買う。1つは「○(王篇に不)球時報(GLOBAL TIMESと英語で併記)」、もう1つは「鳥魯木○(?)晩報」。前者の1面の記事は日本経済について「日本経済陥入”戦後最悪”・・・(※漢字は日本式に変換)」とあった。一方のウルムチの新聞はスポーツ新聞だったようで一面はNBAのオールスターゲームの結果だった。

バスターミナルの表では太鼓と独特のラッパで音楽を奏でている男が3人。なんのための音楽なのかはよくわからず。ただその近くには長机が10脚ほど並べられていた。机には求人情報を書いた紙が貼られている。給料が書かれているいくつかの紙を見ると、700~1500元(約1~2万円)くらいのものが多い。仕事内容はよくわからず。

バスターミナルを出てから辺りをぶらぶらする。この辺りにも食堂がいっぱい。道で羊の串焼きを焼いているウイグル料理店が3~4軒あった。また長征なんとかと書いたデパートというか小さなお店が集まったビルがあったので、中を覗く。服屋と布地屋、靴屋などばかりが集まっているビルだった。5本指ソックスを探すが見あたらず。

その後、近くのバス停から適当にバスに乗る。するとウルムチ駅に行ってしまった。ウルムチ駅で乗り換える。新彊ウイグル自治区博物館に行きたかったのでバス停で路線図を眺めていたら地図を持ったおじさんが近づいてきてウルムチの地図を書わないかと売り込んでくる。地図は昨日、本屋で見たものと同じ。試しに買おうと値段を聞くと3元(約45円)だった。その地図と路線図を見比べていると、そのおじさんがどこに行くのだというようなことを聞いてくる。地図にあった博物館という文字を指さすと向こうのバス乗り場だと教えてくれる。

30mほど離れていたそのバス乗り場に行く。そこから906番のバスに乗る。今、駅に着いたばかりらしい大荷物を持った人が続々と乗り込んできてぼくの足下はそれらの荷物に包囲されてしまう。バスの運賃は1元(約15円)。

バスに30分ほど揺られて博物館前に到着。小さな博物館かと思っていたらまたこれが立派な建物だった。道路を挟んだ向かいには科学学院とか書かれたこれまた20階建てくらいの巨大な近代的なビルがあって、これにも驚く。学校の施設がこんなにでかいのも中国らしい。

博物館に行ってみたらなぜか入れず。入り口で雪を掃いていたおじさんは「明天、明天(ミィティエン:明日)」と言うので、しょうがなく引き返す。バスに乗って中心部に戻る。

今度乗ったバスは新しめのバス。なぜか車内前方には薄型テレビが設置されていてアメリカの無声アニメやCMなどが流れる。

人通りの多い通りで適当に降りる。雪はますます勢いが強くなり、向かい風の中を歩くと雪が顔めがけて飛んでくるので非常に歩きにくい。

[diary]アルマティからウルムチへ 3日目

アルマティからウルムチへ 3日目

2009/02/16(月) 濃霧 日中-2℃
[Urumqi:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

・ウルムチに到着
・駅を出て驚く
・宿泊拒否
・牛肉麺
・中国銀行で両替
・招待所に泊まる
・ウルムチ食い倒れ
・新華書店に驚く
・時計の電池交換

ウルムチ行きの列車の中。

外がやや明るくなってきた頃、目覚める。が、昨晩寝るのが遅かったので眠い。しばらく寝ていたが、同室の人が起き出す音でまた目が覚める。みな身支度をし、荷物をまとめ、乗客に配布されていたシーツ等を畳んでどこかへ持っていったりし始めるので、もう到着が近いのかと思い、ぼくも起き出す。

窓から外を見るとまた一面の雪。

すぐに着くかと思っていたらなかなか着かない。車窓からは煉瓦やコンクリートブロックを積み上げた小さな家々が見える。あるところでは木のない小さな山(丘)の斜面に集落が出来ていた。どの家も小屋と呼んでいいくらいに小さく、だいぶ痛んでいるように見える。

ぼくも自分のベッドのシーツなどを片づけようと思ったのだが、同室のふとっちょのおじさんがぼくのベッドに寝ころび寝ているためできない。どうせ寝るなら自分のベッドで寝ろよな。

おじさんは自分の携帯電話がなったことでようやく目覚める。それを機にベッドのシーツなどを車掌室のおじさんところに持っていく。

しばらくして列車は立派なホームに入る。乗客が廊下に出て並び始める。

8時半、列車はウルムチ駅に到着。同室の人たちはさよならも言わずにバタバタと降りていった。ぼくもリュックを背負い、車両を降りる。ホームは日本の大きな駅と同じような作りになっていた。いくつもホームがあるため、駅を出るには地下道を通っていかないといけないよう。

地下へ降りる階段を下りる。駅自体が最近改装されたのか、ホームにしても地下道にしてもとてもきれい。地下道の壁にはいろんな会社や商品の広告看板が貼られている。

地下道をまっすぐ行くとそこが改札だった。すんなりと改札を通過すると、駅の外に出る。空港の出口と同じように、出口の所には柵が両脇に置かれていて、かつ警備員みたいな人がいて、外部の人がたかることができないようになっている。キリル文字や漢字で人の名前か何かを書き付けた紙を持って待っている人が数人いる。

出口を出て驚いたのが、駅周辺の様(さま)。ここしばらく通ってきた国々ではたいてい駅前は閑散としているのが相場だったのだが、ここは違う。日本の大きな都市の駅のように、駅前のロータリー周りにはビルが並び立っている。食堂やホテルも多く、たくさんの人が行き交っている。駅前のこの様子を見ただけでキルギスやウズベキスタン、カザフスタンなどとはまったく違うところ(国)に来たのだということを実感する。

どのビル、どの店にもでかでかと漢字が書かれている。使われている色も赤、黒、黄色などと目立つものが多い。日本の看板もけっこうなものだが、さすがに中国はもっと大胆だ。とにかく各看板が自分を主張している。

ガイドブックの地図を見て想像していたのは、閑散とした駅前だったので、そのギャップもあり、なかなか強烈な中国初上陸となった。ただ濃霧のため視界があまりよくなかったので、これがなければもっと強烈だったかもしれない。

辺りを見回すと招待所(安宿)と書いた看板がいくつも見えたので、この近くで宿を取ろうかと看板が出ているところに行く。ロシア語がちょっとは通じるかと思っていたがまったく通じず。最初に行った宿では部屋はないとのこと(”ない”という中国はわかった)。次に行ったところでも断られる。招待所は安い部屋(数人の相部屋)だったら15元(約200円)くらいで泊まれるのだが、新彊ウイグル自治区では外国人は宿泊を拒否されることが多いとガイドブックにあったので、たぶんそれなのだろう。

4軒くらいまわったが、どれもだめ。どうもこの辺の招待所はダメっぽいので4軒目のところで仕草でどこなら泊まれるかと聞くとフロントの人は道まで出て、指さして教えてくれる。

そちらは招待所ではなくホテル。フロント脇に料金表が貼られていて、それ見ると一番安い「普通部屋」というのが50元(約650円)。他は軒並み100元を越えている。フロントの若い女性に料金表を指さし、50元の部屋に泊まりたいと伝える。言葉がまったくわからないので、漢字を見ながら見せながらのコミュニケーション。相手に意図は通じたみたいでパスポートを見せてと言うので、パスポートを見せる。彼女は書類にあれこれを書き込む。

一通り手続きが終わったところで宿賃とデポジットを請求される。宿代が1泊50元でデポジットで100元。手元には40元しかなかったので、「没有(メイヨウ:ない)」と答えた上で会話帳を指さし両替所はどこかと聞いたのだが、どうも今カネを払わないといけないみたいで、彼女は書き終わったばかりの書類をビリビリと破ってしまう。他の国では両替してから夕方に払うことができたのに。

しょうがないので、先に両替をしに行くことにする。生憎なことにこの近くにはないようで町中まで行かないといけないらしい。当然バスに乗らないといけないのだが、ガイドブックにはバスは釣りをくれないことがあるとあったので、手元の10元札をこわすことも兼ねて飯を食うことにする。

ありがたいことにいくつかの食堂は玄関のところにメニューと料金表を貼りだしているので、それを見て適当な店に入る。隣が「旅館」だったので、食堂に入る前にそこに行ってみたがやはり断られる。ついでにそこのおかみさんに両替が出来るところを聞くと教えてくれるが、口頭では文字がわからないので文字を教えてもらう。「南門(実際は、門の字は中国では行書のような簡略体になっている)」に行けとのことらしい。

隣の食堂に入る。メニューを指さして「牛肉普通麺」を頼む。代金は5元(75円)。

入り口横の作業場ではまだ10代後半くらいに見える女の子が「包子(パオズ:饅頭)」用の生地になる小麦のダマ(玉)をこねている。

しばらくして牛肉麺が運ばれてくる。本当にシンプルで麺と肉少々とネギだけ。汁は澄んでいる。懐かしい味。日本でもどこかのラーメン屋で飲んだことのあるような汁だ。いや、ラーメンというよりもベトナムで食べたフォーの汁に似ている。

がっかりだったのは麺のコシのなさ。市販品っぽい。

あと気になったので「肉包子(肉まん)」を1個注文。他のテーブルではこの肉まんだけ5~6個食べている人がいるので、食事としてはそういうふうに食べるのが普通なのだろう。ぼくが1個だけ注文すると、”1個だけ?”と笑いながら女の子は聞いてきた。お値段は1個0.5元(約7円)。大きさは中くらい。日本で売られている一般的な肉まんより小さい。体積というと半分くらいか。味はやっぱり肉まんだった。

すっかり満足してバス乗り場に向かう。駅の前のロータリーは大きく2つに分かれていて、それぞれから違う番号のバスが出ている。乗り場には路線表があるので助かる。

道ばたではウルムチの地図などを売っているおじさんたちがいる。

ここらを歩いている人たちを見ていて感じたのが、来ている服や髪型にバラエティがあること。中央アジアでは冬と言うこともあって、男女ともほとんどが黒のコートを着ていたが、ここでは赤や青、黄色などが目立つ。髪型も女性ではパーマをかけている人が目につく。何よりメガネ率が高くなった。ロシア系の人はまったく見なくなる。

聞こえてくる言葉は中国語の方が多いが、ウイグル語もそれなりに聞こえてくる。ウイグル語はウズベク語やカザフ語とほとんど同じだから音はどんなものかわかる。

走っているバスはかなりぼろくなっているものもある。女性の運転手もちらほら見る。

バスの運転手に「南門」に行くバスを尋ねると44番と仕草も交え教えてくれる。

なので44番に乗る。運賃は前払い。0.5元(5角)かと思っていたら1元(約15円)だった。5角札はあったが1元札がなかったので5元札を渡すと渋い顔をして5角札でいいからとそれを運賃ボックスに入れるよう指さす。やっぱり釣りはくれないみたい。

20分ほどバス乗る。沿道にはぼろい3階建て程度の横長いビルや10階以上ある近代的なビルが続く。実感としてはトルクメニスタンを除いた中央アジア各国の各首都よりもずっと大きい。中央アジアの各首都は面的には広かったけれども高さを伴う密度がなかった。どでかい漢字、それも赤や黄色で書かれた漢字はまさしく中国的だ。

意外だったのが、バス乗り場にきちんとバス停の名前を書いたプレートがあることと、それぞれのバス停に路線図があること、それから市内の地図を書いた看板があったり、通りの名前がきちんと明示されていることだった。なので、バスから降りるにもバス停を見ていればわかるので安心。わかりやすい。

南門でおりる。中国銀行はすぐにわかった。路面には薄い、部分によっては2cmほどの氷の層が出来ているため滑らないようにのろのろ歩く。

リュックを担いだまま銀行に入ると入り口で止められるかと思ったが、これまた意外にすぐに案内兼警備係らしい制服姿の若いにいちゃんがやってきて、目的を聞いてくる。会話帳を見せて両替がしたい旨を伝えると、そのにいちゃんはすぐに番号札(紙)を機械からちぎり取ってきてぼくに渡す。そして店内にあるベンチを勧め、荷物を下ろすように促す。その態度がまた意外にも丁寧。旧ソ連圏だったらこんな対応はありえない。中国も各種情報から素っ気ないものだと想像していたが、少なくともこの銀行は違うらしい。

銀行の入り口付近には札束を持った闇両替のおじさんが、堂々と通りがかる人に声をかけていた。ぼくも声をかけられた。闇の方がレートがいいらしいが、偽札がかなり出回っているとのことなので、まずは本物を確認しなければいけないので、闇両替はパス。不思議なことに闇両替のおじさんたちは銀行の店内にもいてあからさまにぼくに声をかけてくる。銀行はこういう人らを放置している。

そのうち自分の番号が回ってくる。窓口の人は中国語で何か言うがわからず。「フーチャオ(パスポート)」という基本的な単語も聞き取れず。相手が「パスポート」と言って初めてわかった。両替にはパスポートが必要で、領収書にもサインをしなければいけない。レートは1米ドル=6.83元らしいが、1米ドルぶんくらいの手数料を取られるため手取りが少なくなる。これを考えるとやっぱり闇がいい。1米ドルあれば1.5食たべられるからね。

これでようやく元(げん)が手に入ったので、宿探し。駅周辺の宿に戻るのは面倒なので、適当にあたりをふらつく。宿はいくらでもある。赤い字ででかでかと招待所と書かれているところがあったので、そこに行ってみる。

ビルの4階。エレベーターであがり、ドアを出るとそこがフロントだった。漢人系の40代くらいの男性がフロントにいた。にわか中国語で部屋があるか尋ね、宿泊代を聞く。宿代は1泊68元らしい。40元(約600円)の部屋はないかと言うつもりで、電卓に40と打ち込んで見せたら、意外に簡単にうなづく。40元の部屋なのか、それともまけてくれたのかは不明。

パスポートを見せてチェックイン。さっきのホテルと同じくデポジット込みの前金制。50元札を渡したら10元がデポジットとなった。さっきのホテルはデポジットが100元だったことを考えると、デポジットの額は宿によってまちまちのようだ。

掃除係らしいおばちゃんが部屋を案内してくれる。このおばちゃんも愛想がいい。何人かというようなことを聞かれ、日本人だと答える。おばちゃんは終始にこにこ顔だった。

部屋は5畳ほどの小さめのシングルルーム。テレビ付き。トイレ・シャワーは共同。部屋は十分きれい。中央アジアの安ホテル(ゲストハウスは除く)と比べると格段にいい。

[diary]zアルマティからウルムチへ 2日目

アルマティからウルムチへ 2日目

2009/02/15(日) 曇り
[Almati:Kazakstan→Urumqi:China]
レート:1米ドル=148.5テンゲ=90円、1ユーロ=191.5テンゲ=118円

・雪原
・停車駅にて
・なが~い国境

明るくなったことに気づき、目が覚める。日が昇っているので8時はすぎているよう。外の景色を見ようと窓をのぞくが、窓の表面の水滴が凍り付いていて向こう側がよく見えない。そもそも窓自体が汚れていたから余計に見にくい。

しばらくして部屋の人たちが起きる。

10時くらいになると窓の氷は溶けたようでいくらか外が見えるようになる。外は右も左も雪原。真っ白な平たい大地の向こうに地平線が見える。

ぼくは持参していたMP3プレイヤーで中国語のお勉強。テキストを見ながら覚えようとするが、すぐ他のことを考え初めて、なかなか頭に残らない。

そのうち退屈になる。

10時半、列車はある駅で止まる。5分ほどたっても発車しないし、コートを着て廊下を歩いていく乗客が見えたので、ちょっと外をのぞいてみると、車両の入り口には地元の人が物売りに来ていた。ピロシキやペリメニ(水餃子みたいなの)、ペットボトルの水、ジュース、菓子、たばこ、薫製魚などなど。おばちゃん達が多いが、15歳くらいの女の子も薫製魚を売りに来ていた。

ペリメニが1粒20テンゲだったので、5粒買い、あとよくわからない揚げ物があったので、それを買う。

駅の周辺には民家がたくさんあった。どこも雪で埋もれているが、それほど雪は深くない。20~30cmといったところだろう。最近は雪が降っていないのか家々の屋根には雪はない。

20分ほどそこに停車した後、また列車は走り出す。

ベッドでごろごろしているうちに昼寝になる。

ドアがごんごん鳴る音で目覚める。勝手にドアが開く。見ると制服を着た人が立っている。どうもカザフの国境に来たらしい。外を見るとすっかり雪がなくなっている。

パスポートを見せろというので、みなパスポートを見せる。ぼくのパスポートとイミグレカードを見ると制服の男は何かがないというようなことを言い出す。どうも滞在登録の件らしい。なので、必要ないとロシア語で伝えると、ビザをどこで取ったのかと聞いてくる。イミグレカードやビザを見ればそこに書いてあるのに、なぜわざわざ聞いてくるんだと思いつつ、ビシュケクだと答える。彼はちょっと待っててとロシア語で言ってどっかに行く。上司にでも相談しに行くらしい。

しばらくして戻ってくる。別の係官も一緒。彼がビシュケクでビザを取ったのかと確認してくるのでそうだと答えると。例の制度のことを知っていたらしく、それ以上ごたごたすることはなく、パスポートは返ってきた。でも、この時点は出国スタンプはなし。

16時前、カザフ側の国境地点、ドストゥック駅に到着。列車は完全に止まる。

車両切り替え時に聞こえてくるようなガチャガチャといった音が聞こえてくる。ガイドブックによればカザフと中国では軌道の幅が違うから国境でその調整をするらしいから、その作業をしているよう。

一方、車内にはさっきとは別の制服を着た警官たちが回ってきて乗客のパスポートを集めて行く。

それから税関担当の警官がまわってきて、何か申告することがないかと聞かれる。何もないのでそのように答える。

停車してから2時間半後の18時半頃、列車が動き出す。だが10分も立たずにまた停車。今度は荷物チェックの係官がまわってきて乗客の荷物をかるくチェックしてまわる。そうした後にパスポートが戻ってくる。確認すると出国スタンプが押されていた。

これもかなり時間を食い、ようやく列車が発車したのは20時半だった。

しかし、また10分もしたら停車。また制服の人たちがまわってくる。今度は漢字が入った制服。中国側に入ったらしい。

また係官が各部屋をまわり、客の荷物をチェックする。カザフと違ってこちらのチェックはけっこう念が入っている。みなカバンを開けるよう言われ中身のチェックを受けている。

ぼくもリュックの中身をほとんど全部出すことになる。係りの女性は本を熱心にチェックする。中央アジアに関する日本語の文庫本をぺらぺらめくって、これはどこについての本なのだと片言英語で聞いてくる。

さらに別の男の係官はカメラを持っているか聞いてくる。持っていると言うと見せろと言うので見せると、これまで撮った写真を見始める。ちょっと見るだけかと思ったら、これがなかなか終わらない。電池がもったいないなぁと思っていたら、彼はあまりに写真が多いのに疲れたらしく、USBを持っているかと聞いてくる。どういうことかと思ったらパソコン上で写真を見たいとのことらしい。同室の女性がロシア語に訳してくれてそうしたことがわかる。

しょうがないのでカメラからデータカードを取り出し、彼に渡すとどっかに行ってしまう。

その間に別の係官がまわってきて入国カードに記入するように言ってくる。その彼はなぜか珍しいことに愛想がいい。彼から入国カードをもらい、記入。パスポートも集めていたので、記入したカードとともにパスポートを渡す。

それから20分ほどした頃、カメラのデータカードが戻ってくる。これまた珍しいことに返す際に彼は「Thank you」と言った。

こうしたなんだかんだでとにかく時間がかかる。

結局、パスポートが戻ってきたのは23時過ぎ。担当の彼は入国スタンプの欄をわざわざ見せた上でパスポートを返す。

23時20分、ようやく列車が走り出す。カザフ側から数えれば国境を越えるのに8時間ほどかかった。

さて寝るかと思っていたら、同室の男二人が酒盛りを始める。ぼくは端で寝ていたが、そんなことは気にもかけずに飲んでいる。こういうとき下のベッドだと面倒。

ちょっとばかし寝ていたが、しばらくして目が覚める。おじさんはウォッカを、もう一人の男はビールを飲んでいる。つまみはパンと既製品のサラミと何かの揚げ物。おじさんが酒を勧めてきたが1度断ったらそれ以上勧めてこなかった。

1時頃になってようやく酒盛りが終了。すぐにいびきをたてて眠り始めたので、ぼくはその隙に書き物をする。

そんで3時半頃に就寝。

今晩も部屋は暖房がきいており、暑い。

Fin