2009年9月7日月曜日

[diary]モヤレからアディスアベバへ(2日目)

モヤレからアディスアベバへ(2日目)

08/10/06(月) 晴れ
[Awasa→Addis Ababa:Ethiopia]

・4時起き
・5時半発のバスに乗って
・畑、草原
・荷車、荷馬車、ロバ、牛、馬
・背負う人々
・アディスアベバの第一印象

エチオピアはアワサの宿。
人の声がして目が覚める。モヤレの宿もそうだったが、壁がほとんど防音効果を持っていないから隣部屋の話し声がそのままのボリュームで聞こえてくる。時計を見ると夜中の3時前。起きるにはまだ早い。また目を閉じる。

3時過ぎにまた目が覚める。この宿に連れてきてくれたバスで一緒だったエチオピア人は、5時半にぼくを起に来ると言っていたのだが、その時間までもまだ時間がある。

廊下で”ジャパニーズ”と言っているのが聞こえ、次にドアをノックする音がする。昨日の人らしい。起こしに来たよう。時計を見ると4時半。5時半に来るって言ってたのに1時間も早い。あるいはただ単に言葉を間違えたのか?

すぐに出られるように、ジーパンのまま寝ていたからベッドから起き出したらそのままリュックを背負って部屋を出る。部屋の前には昨日の彼がいた。

彼とその父親らしい人の3人でバスターミナルに向かう。バスターミナルはきちんと門があって、周囲を塀で囲まれている。宿からは道路を横切って100mほど。

外はもちろん暗いが、街灯があるからモヤレのように真っ暗というわけではない。ターミナルの入り口近くの路上には、すでにワゴン車型のミニバスが集まり、客引きをしている。

他のアフリカ諸国のターミナルと違ってここのターミナルは整然としている。居並ぶ旧型の大型バスたちは塀に沿って内側を向くような形で止められているから、敷地の真ん中は広い空きスペースになっている。バスは50台ほど停まっているようだったが、動いているものはまだ一台もない。どこ行きのバスがどこに停まっているかを示す看板などもないため、昨日乗っていたバスがどこに停まっているのかわからない。

バスの形やデザイン(塗装)も似たようなものばかり。唯一の手がかりは屋根に荷物が乗っていることくらい。二人はあたりを見回しながら歩き、ほとんど迷うことなく、昨日乗っていたバスを見つける。車内にはすでにバスのスタッフがいた。客はぼくらが一番乗りのよう。

座席を確保し、しばし眠る。

しばらくしてエンジンをかかり、バスが走り始める。車内を見ると座席は4割方くらいしか埋まっていない。発車したのは5時半すぎ。彼らが言っていた5時半とは、出発時刻だったようだ。

外の気温は20度程度。ぼくにしてみれば涼しくちょうどいい温度だが、こちらの人は皮のジャンパーなどの上着を着ている。

完全に日が昇った6時半頃。どこかのまちのバスターミナルに入る。まちと言っても沿道に店が立ち並んでいるだけで、いわゆる街ではない。バスターミナルの入り口では、おばさんたちが丸い形のドーナツや円形のドーナツのようなものを売っていた。

そこで20分ほど停車し、新たな客を乗せる。バスが停車していた脇の木陰では、チャイとパンを売っている露店(椅子があるだけ)があったので、待っている間にここで朝飯用にパンを買う。

パンは見た目は蒸しパンに似ていて厚さ10cmほどある。店の人は片手ほどの大きさに切り分けて売っている。1かけらが2ブル。ここらになるともう英語は通じない。ぼくはアムハラ語はまったく覚えていないから通じないとは知りつつも英語と仕草で買う。

パンを受け取り、カネを払おうとしたとき、パンが手から離れ、地面に落ちる。それを近くにいたおじさんが拾って、地面に着いた面をフーッと吹いて汚れを飛ばし、ぼくに手渡す。落ちた瞬間、買い換えようかと思ったのだが、おじさんが拾ってくれたので、まぁいいかと思い、それを受け取りバスに戻る。

バスに戻ってから早速食べてみるとやや酸味がある。昨日食べたインジェラほどではない。ちょうどドイツの黒パンっぽい。生地はもちもちしているのでうまい。

7割ほど座席が埋まったところでバスは発車。

日の当たる側に座っていたので、ポカポカと暖かくなり、また寝る。

バスが止まったのを感じ、目を覚ます。またどこかの町に着いたよう。窓の外には商店が並んでいるのが見える。乗客はバスからぞろぞろ降りていく。バスの添乗員のおじさんが、ぼくのところに来て、右手を口に持っていき食べるような仕草をする。どうも朝食休憩らしい。時計を見ると8時40分。朝食の休憩があるなんて珍しい。

ぼくは眠かったので、おじさんに食べないと仕草で伝え、そのままバスに残る。座席に仰向けになって寝る。

ガチャガチャとドアの開く音で目を覚ます。朝食休憩が終わったらしい。時計を見ると9時20分。ずいぶん長い朝食休憩だ。タンザニアなんか朝食休憩なんかなかったし、昼飯でさえ10分や20分だった。

それからは目が覚める。沿道の看板にはアディスアベバまであと170kmほどとある。昼頃には着きそう。

昨日と違って今日は平坦な地帯をバスは走る。ときどききれいな草原が現れる。沿道に見える森や山は緑が濃い。昨日よりも全体的に緑が多いし、色も濃い。畑もきれいに作られており、トマトか何かを作っているらしい畑では、木の枝で支柱のようなものが一株ごとに作られている。

車窓から外を眺めているだけで、これまで通ってきたアフリカとエチオピアではまったく文化が異なることがわかる。例えばモロッコ以降、通ってきたアフリカでは物を運ぶと言えば、頭に載せるスタイルが基本だった。しかし、エチオピアに入って以降、正確にはケニア北部以降、頭に載せて物を運ぶ姿は見られなくなり、二宮金次郎の銅像のように紐などを使って背中に背負うスタイルをよく見るようになった。もちろん子どもたちの中には頭に載せて物を運んでいる子もいるが、少ない。大人ではまずいない。

それからロバや牛が荷物を運ぶのに使われているのを頻繁に見るようになった。特にロバが多い。ロバの背に直接荷物を載せるスタイルと荷馬車で運ぶスタイルとがあるが、基本は直接背に荷物を載せるスタイルのよう。これもケニア北部以降。それ以南では家畜を使って物を運ぶ姿は稀(まれ)にしか見なかった。

また、耕作に牛を使っているのも見る。そして久々に見たのが馬。途中、通り過ぎたまちでは馬車が活躍しているところもあった。ただ造りが簡素なので、荷馬車なのか人を運ぶ馬車なのかはわからなかった。

それから昨日途中で停まったある町で目を引いたのが木製の一輪荷車。二宮金次郎像が背に付けているような木製の背負い子を大きくした物に金属の車輪が1つだけ付けられていて、それが荷を運ぶのに使われている。他のアフリカで頭に薪などを載せて歩いている人たちを見て、なぜこの人たちは荷車(車輪)を使わないのか(そこには自転車があったから作ろうと思えば作れるはずだ)と思うことがあったが、ここではこうした道具が一般的に使われている。

こうしたことだけからしても、エチオピアは他のアフリカとは違うとの印象を受ける。

バスは朝食休憩後は、たまに乗客を乗せるために沿道に停まるだけであとは走りっぱなし。いつの間にか車内は満席になっていて、最初は隣に置いていたぼくのリュックも若い添乗員が屋根の上にあげてしまった。

車内ではエチオピアの音楽が大きな音で流れている。モロッコでよく流れていた音楽と似ていて、アラブチックでもあり、インドチックでもある。

その後、大きなビニールハウス地帯を3カ所ほど見る。こんな国で数ヶ月前には餓死者が出ていたとはとても思えない。

12時頃。バスは検問のためストップ。いよいよアジス・アベバらしい。

乗客は全員降ろされ、警察らしき人たちが車内を点検する。検問所にはジュースを売るおばさんや少年、揚げたスナックを売るおばさん、青年などが待ち構えていた。ぼくはスナックを買う。1袋2ブル。おばさんの中には山高帽のような藁帽子をかぶっている人がいた。道路を挟んで反対側にはお菓子工場があった。

検問所には警官が6人ほどいて、女性警官もいる。迷彩色の服にサングラスをしている女性警官もいた。

パスポートのチェックなどはなく、車内の検査が終わるとまた乗り込み、再発車。

首都に入ったはずなのだが、それらしい雰囲気はあまりない。もうすぐ着くかと思ったら道路工事のため大渋滞。

とろとろ走るバスの窓からはトタン屋根街などが見える。中心部らしきところに入ったようだが、ナイロビなど東アフリカの首都と比べると都市としては劣る。どちらかというと西アフリカの各首都と同じくらい。

『ロンプラ』を取り出し、道路名から現在地を確認しようとするが、道路名を書いた標識が見あたらない。

そのうちバスターミナルに到着。ガイドブックの地図は範囲が限られているため、このバスターミナルが地図上にあるバスターミナルなのかどうかがわからない。

13時半ごろバスは停車。降りて荷物を受け取る。屋根に載せた荷物はターミナルのポーターみたいなおじさんたちが降ろすのだが、当然のようにカネを要求してくる。2ブル(約20円)程度だから安いのだが、頼みもしないのにバスの屋根から荷物を下ろしただけでカネを取るなんて、なんて気楽な商売なんだと思う。

普通であれば、バスを降りた瞬間からタクシーの運転手にからまれるのだが、ここではそういうことがない。ターミナルからはタクシーの運転手らは排除されているようで、そういう人たちさえも見ない。これはこれで気が楽でよい。

ターミナルを出て、大通りで交通整理をしていた警官に行きたい場所を英語で告げ、どうやって行けるかを訪ねる。すると彼は英語を解すようで、あっちからミニバスに乗って行けると教えてくれる。

たくさんのワゴン車が止まっている道ばたに行き、今晩泊まる予定の宿があるピアッサ(地区名)行きの車を探す。歩いていたら一人のおじさんが英語でどこに行くのかと聞いてくる。ピアッサと言うと”カム”と行って案内してくれる。案内した後にカネを要求してくるのではと思ったが、そのときはそのときと思い着いていく。

おじさんは停まっているミニバスややってくるミニバスの運転手などにピアッサ行きかを訪ねる。何台かそれらしい車はあったが、リュックが大きいからか乗せてもらえず。

5分ほど待って、おじさんが止めた車が乗せてくれた。おじさんはカネを要求してくることもなく、ぼくが乗り込んで椅子に座った頃にはどっかに行ってしまっていた。

この通り沿いには通り名を書いた看板があったので、車の中で『ロンプラ』の地図とつきあわせながら位置を確認。ようやく自分の居場所がわかる。

地図と周りの様子を照合しながら降りる場所を見定め、予定の宿の近くに来たところでミニバスから降りる。バス代は2ブル(約25円)。

これまで通ってきたまちと比べると、あたりには瀟洒な店が立ち並び、行きかう人々もスーツ姿があったりしてやっぱり首都なのだと感じさせる。リュックを背負い、手に別の荷物をぶらさげ、地図を見ながら宿を探す。地図で浮かぶイメージと実際のまちの道が若干違ったため、少し時間がかかったが15分ほどさまよって目的の宿に到着。この宿を選んだのは日本語の情報ノートがあったり、本の交換をやっていると聞いていたから。ただ受付で1泊の宿代を聞いて泊まるかどうかためらう。一番安い部屋で95ブル(約1200円)もする。1200円なんて一日の予算だっつーのに。しばらく悩むが、宿探しをする気分にはならないので、ここは奮発することにする。

案内された部屋はベッド、シャワー、トイレつきの6畳ほどの部屋。内装はそんなに悪くない。ベッドに荷物を降ろし、ちょっと一息。それから受付に言って情報ノートを出してもらう。宿の入り口にあるテラスの席で情報ノートを見ながらしばらく情報収集。うまい食事どころやビザ情報、大使館情報などを中心に情報を集める。

情報ノートを一通り見終えたところで食事に行く。宿の近くには食堂やレストランが何軒かあったのだが、混んでいて入れないところもあったので、空いているところに行ってみる。メニューをもらうとすべてアムハラ語。文字自体が読めないからまったくわからない。しょうがないのでガイドブックにあったエチオピア料理名を店員に告げ、注文してみる。出てきたのは春巻きのように畳まれたインジェラ2枚とパンのかけら2つ、それにおかずとしてチーズのようなものとミートソースのようなもの。インジェラはモヤレで食べたものよりもすっぱさが弱いように感じたが、やっぱり酸っぱい。おかずの方はどちらともなかなかいい味。これで御代は17ブル(約200円)。

送信者 ethiopiq


食事後、近くをぶらぶら。街角に本屋があったので、そこに入ってみる。本は専門書から教科書らしき本までいろいろある。基本はアムハラ語の本だが、全体の2~3割は英語の本。英語-アムハラ語の会話帳があったので購入。本代は23ブル(約300円)。それからまたぶらぶらする。

近くをぶらぶらしていて感じるのが、全体的にみんな体型が細めであること。痩せているってほどではないが、これまで行ったアフリカ諸国や南米と比べると細身の人が多い。また道端で飴を売ったり、揚げ物を売ったり、靴磨きしている人もナイロビと比べると多く感じる。小豆の半分くらいの大きさの豆を春巻きのような皮で三角形に包んで揚げたものを売っている人が道端にいたので、1粒購入。1つ1ブル(約10円)。味はなかなかよい。

歩いていたらネット屋を見つけたのでしばらくネット屋に入り浸る。看板ではADSLをうたっていたが、実際にはけっこう遅い。いちいちホームページを開くのに待ち時間がある。ここのネット屋では日本語が読めた。70分ほどいて料金は14ブル(約170円)。けっこう安い。

そんなことをしているうちにだんだんと外は薄暗くなり始める。アジスアベバ初日だし、長距離移動後だったので、あまりあちこち動き回ることはせず。

夜は近くのピザ&スパゲッティ屋でピザを1枚(23ブル=約280円)食べた後、まだ腹が減っていたためエチオピア料理屋に移り、そこで適当な料理を注文する。そしたらまた不思議な食べ物が出てきた。

送信者 ethiopiq



インジェラはいいのだが、おかずがどれもチーズっぽい何かで、けっこう塩気がきつく、全部食べるにはインジェラが少なかったため、完食できず。料理名がよくわからないのだが、この料理は人生初めてだった。

あとは宿に帰って明日の予定を考えたり、今後のルートを考えたり。涼しいし、蚊もいないので健やかに眠れる。

Fin

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