郵便を出す、ウイグルの家を見せてもらう
2009/02/25(水) 晴れ 日中10~15℃
[Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=96円
※時間は自治区の時間
和田から戻ってきてカシュガル3日目。
午前中 8時におじさんたちと朝食(ポロウ)。新しい店の開店。太鼓とラッパ。
その後、書き物、おしゃべり、パッキング、おじさんが来るも断る
12:30 郵便局へ、カスタム担当不在
モスク周辺へ、1時間ネット、便所 腹の具合悪い
14:40 再び郵便局へ、執拗な検査、新聞送れず
15:30? ウイグル地区へ、路上の子どもたち、石炭、立ちはだかるおじさん、女性旅行者との違い、ソーミンを食べる。セリカさんがウルムチの友人に電話。タクシーでホテルに戻る。しばらく待つ。1月23日の英字新聞はアンゴラ特集、部屋で待つ。
部屋に英語を話す若い男が登場。そのすぐ後に日本語がわかるヌルブさん登場。モンゴル系のウイグル人。旧市街を案内してもらう。
彼女の経歴:ウルムチで育ち、西安師範学校で日本語を勉強。その時日本人の教員に習う。同級生は全部中国人。中国語もうまくできなかったので、中国語も同時並行で勉強する。日本語を勉強したのは2年間。現在はカシュガルの大学で教員になるための勉強中、中学・高校の政治の教員になりたいらしい。なお、卒業までには5年かかるらしい。
中国は高校までは学費無料。大学は有料。お金が払えないときは政府などからもらったり、借りたりする。同級生には路上でものを売って稼いでいる人もいる。
中華料理は基本的に食べない。理由は味が合わないから。外食するのはわりと一般的らしい。
スカーフは若い人になるとつけないのが多いらしい。つけないからと言って親と喧嘩になることはない。小さい頃はスカーフをかぶっているが、高校生ぐらいになると脱ぐという。
男も若い人では髭を生やす人は少ないらしい。男の長い髪は「ダメ」と即答。
18:00頃 宿に戻る。おじさんたちがこれから食事に行くところに出くわす。そのまま一緒に食事へ。今日は火鍋。
中国人の社長が現れる。中国語の発音が違う。ハキム、ソレット、バトル、李強(リーチャン)、Sさん、ぼく。
手元のティッシュペーパー、ビニールでパッキングされた食器、こぼしても何も言わない店員、箸をうまく使えないソレット、
タマダ
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カーシーで暇つぶしと思いきや予想外の展開
2009/02/24(火) 晴れ
[Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=93円
※時間は自治区の時間
・書き物
・郵便局下調べ
・ウイグル地区で食事
・同室の人と同宿のおじさんたちとお食事会
和田から戻ってきてカシュガル2日目。
ちょっと橋本龍太郎系の顔をしているハキムおじさんの話から
現在年齢は40代後半。中国人の母親(回族)とアラブ人の父親との間に生まれる。本人は自分は回族だと言う。しかし、酒好き。タバコは吸わない。生まれは中国だが、1962年に戦争(※おじさんは鉄砲を撃つ格好をしてドゥドゥドゥドゥドゥと言った。要確認)が勃発したため、家族でキルギスに移る。
その後はビシュケクにいた模様(※細かくは確認していない)。22歳前後の2年間は兵役でモスクワに行っていた。アフガン戦争に行ったらしいことも言う。そして、”たくさんのことを見てきた”とも。右のわき腹には弾痕があると言ってSさんに触らせてみせる。彼女によれば確かにくぼみみたいなものがあったらしい。それまでは酒を飲まなかったが、その負傷がきっかけで酒を飲むようになったらしい。
おじさんは中国の警官は「ハローシィ(よい)」と言う。だが、キルギスとカザフスタン、ウズベクスタンはダメだと言う。
おじさんが言うには、自分はロシア語は95%程度、中国語は70%程度、ウイグル語やキルギス語はそれらよりも劣る程度に理解できるらしい。
カシュガルにはコンダクターの仕事で来ているらしい。中国人のパスポートをたくさん持っていたため、そのビザ申請(おそらくキルギスへの。でも、カシュガルに領事館みたいなのがあるかどうかは不明)か何かの仕事のよう。しかし、これはあくまでも想像にすぎない。
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