2008年2月9日土曜日

テキーラツアー ー 予想外の展開

2008.2.4(月)午後

メキシコを代表する飲み物であるテキーラの由来は、実はこの土地の地名だということをガイドブックを読んで初めて知った。テキーラの原料となる植物は、アガべ・アスール・テキラーナと言うらしい。サボテンが原料なんてことを聞いたことがあるが、これは間違いらしい。

さて、バスを降りたはいいが、どこに行けばいいかわからず、間違って入った病院で、英語で話しかけてきたおばちゃんから韓国人が行くべき方向を聞き出す。ぼくは、その病院から出てきたおばあちゃんに、声をかけられたので、スペイン語でテキーラ、fablica(工場)と単語を並べて言うと、道路の先を指さしながら、あっちへ行けと教えてくれる。

そして、その方向へ歩いていると、大きな協会が右に見えてきたところで、韓国人が何やら地元の若い女の人に英語で話しかけられた。脇から眺めていると、その人は、テキーラの工場見学を主催している会社の人のようで、外国人やメキシコ人の観光客を見つけては、声をかけ営業をしているようだった。

それで我らもその営業にのっかり、この会社のツアーに参加することになった。料金は試飲付き、工場及びミュージアムの見学付きで2時間程度で75ペソ(約900円)。

工場までは、見学者用の2階建てのバスで行く。




同じ時間帯のツアー参加者はぼくら以外はぜんぶメキシコ人のようで、ガイドのマリアナ(女性)は、スペイン語でまず話してから英語でまた同じ内容を繰り返して話す。
こうしたときにお決まりだが、英語での説明はスペイン語の半分程度だった。

バスで5分ほど行くと、あるテキーラ会社の工場敷地に入る。あたりは一面テキーラの原料の畑だ。



まずは工場に行き、原材料と発酵、蒸溜しているところを見る。テキーラは原材料のアガべ(と略す)の葉っぱや根は切り落とした茎というか幹みたいなところだけを使う。それはそのままでは使えず、最初に蒸す。そうすると甘い香りを発するようになる。その香りは、ぼくの感覚だと干した杏の香りを濃縮してきつくしたような香りだった。こういう香りがするとは予想外だった。






その後は、同じ敷地内にある会社の歴史やテキーラで使う農機具を展示しているミュージアムを見て、それから醸造藏で試飲をする。テキーラも寝かしておく期間によって、まったく味が違う。数カ月しか寝かせていないものは、渋みというか、苦味みたいなひっかかるものがあったが、3年ほど寝かせていたものにはなかった。それにしても度数が40度なので、舐めただけでギブアップ。味もあまりおいしいとは思えないし。メキシコ人のおじさんなんかは、試飲のカップが小さいというような素振りをしていたけど。

2時間ほど工場の敷地内にいて
、またバスで戻る。そのバスの中、ぼくら3人と向かい合って、メキシコ人のグループが座った。夫婦1組にその子ども二人(女)、それに夫の男友達が2人。その
グループの男3人は工場で買ったテキーラを既に飲み始めており、そのうち英語ができるひとりの人が話しかけてくる。どこから来たのかなどと聞かれ、韓国人のヨンホが答える。話しているとテキーラを勧められ、彼らが持っていた片手サイズの瓶に買ったばかりのテキーラが注がれ、渡される。ヨンホが、自分にはこの酒は強すぎるなどと英語でいうが、おかまいなしで、陽気に勧めてくる。それを見ていた周りのお客もうちらのやりとりを見て、時折笑う。

これぞメキシカンという感じで、すっかり仲良くなる(ほとんど受答えはヨンホがしたが)。そこで、ヨンホがテキーラでおすすめの食堂がないかと彼らに聞くと、Mar2(マルドス)というところがいいと勧められる。そして、一緒に食べようという話になり、メキシコ人グループの車に便乗し、一緒にその店へ。車はワゴン車(メーカーは不明)で本当は7人乗りくらいなのに、9人を詰め込む。でも、これはこのへんだとグあたりまえのよう。たいていの車は定員オーバー状態で乗っていて、普通車に6-7人くらい乗っているのを見ることがある。もっとも大人ではなく、子どもが3-4人なので、そんなにスペースとしてはきつそうではないようだが。

目的の店について食事。メキシコ人の人たちは、それぞれオクタビオ(英語が分かる)、ミゲル、ジョニーとその妻(の名前は忘れたというか聞き取れなかった)、それから娘のモニカ(12-14歳くらい)、ジョアンナ(6歳)。みんなだいたい40代くらいで、小さいころから家が近所同士だったためずっと仲がいいらしい。ミゲルは、見るからにマッチョで、上腕の周りも40-50cmくらいある。聞くとジムに通ってそ鍛えているらしい。彼はカサノバというあだ名がついていて、最初にオクタビオがそれぞれを紹介したときにもまずカサノバで紹介し、本名は後から教えてくれた。カサノバは映画にもなった18世紀の恋愛の達人からとっているようで、何かというとみんなで"カサノーバ"と合唱をはじめる。確かに見た感じにその節がある。

ジョニーは家族でクリーニング屋をやっており、ミゲルは宝石関係の仕事をしているらしい。オクタビオが何をしているかは聞いたようで聞かなかったようで覚えていない。

モニカは夕方になって日が暮れ始めていてもサングラスをとらない。それをオクタビオに注意されるが、おしゃれでしているから、一度はとったもののまたつける。本人いわく、パリスヒルトンやビヨンセを意識しているらしい。彼女は歌が抜群にうまい。店内でかかっている音楽をときおり口づさんでいたが、声の響きがすばらしかった。きっとまじで歌手になることを目指しているのだろう。

食事中は、どこを旅行しているのかとか、メキシコ人のことをどう思うとか、仕事は何をしてるとか、一緒にいた日本人の女の人は恋人がいるか、といったことを聞かれる。

ヨンホがメキシコのリゾート地であるカンクンに行くというと、オクタビオは´、自分たちにとってはカンクンは遠し、高いからなかなか行けないと言う。そして、それよりもキューバの方が通貨の面で強いから行きやすいと言う。

ぼくは羊のスープを食す。たいして辛くなく、するすると食える。


1時間半ほど食事とおしゃべりをして、7時過ぎにはおひらき。記念撮影をして、それぞれ食べた分の代金を払い
、少しチップをおいて店をあとにする 。

彼らはグアダラハラに済んでいるらしく、宿まで送ってくれるという。これはラッキー!
乗車してしばらくは車内は大合唱。オクタビオがメキシコでは誰もが知っている歌を聞かせてやるとCDをかけてくれ、それに合わせて6才のジョアンナも声を張り上げて歌う。ほんとにイメージ通りのメキシカンという感じだった。それにしても6才の子とその親世代が一緒に歌を歌え、それも国民的な歌だというからがすごい。これだけ根づいている歌なんて日本にはないだろう。別にあった方がいいというわけではないけど、その違いが興味深い。

しかし、道は大渋滞だった。メキシコでは3連休だったため、出かけていた人たちが一気に帰ってくるところに鉢合せとなる。時速5kmでとろとろと進んでるのか進んでいないのか。

2時間位したところでモニカが気分が悪いと言い出し、もどす。どうも酒を飲んでいたらしく、逆に呑まれてしまったようだ。さすがにメキシカンも2時間もたつと歌う元気はなくなってきたようで、ミゲルはうとうと眠り出す。

後ろの席に座っていたジョニーの連れ合いさんが、自分のデジカメを取り出し、家族の写真を見せてくれる。自分の親と妹だったかの家族が一緒に映った写真で20人くらいいる。そして、うちらに家族の写真はないかと訪ねる。誰も持っておらず。

そのうち、今度は助手席に座っていたオクタビオが突然走っているままの状態でドアを開け、もどす。てっきりこの人たちには酒で気持ちが悪くなるなんてことはないのだろうと思っていたが、どうも違ったようだ。その辺は同じらしい。

店を出て4時間後、23時に宿に到着。オクタビオはまたここで会おうという。最後に3人とハグしてお別れ。

こうしてグアダラハラの2日目は終わったのでした。

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