2009年4月3日金曜日

[diary]タンザニア入国(タンザン鉄道2日目)

タンザニア入国(タンザン鉄道2日目)

08/09/13(土) 晴れ
[Zanbia→Tanzania]

・タンザニア入国
・説教(?)をされる

中国が手がけたタンザン鉄道の列車内。

夜は窓を開けたまま寝るには寒かった。車内で配られたブランケットをかぶって寝る。結局、昨日はこの部屋についてだけ言えば、新たに乗り込んでくる人がいなかったため二人部屋として使えた。

ちなみに入り口のドアは鍵がきちんとかからない。昨晩寝る前に同室のおじさんが鍵がちゃんとかかっているか試したところロックしたにも関わらずドアが開いた。おじさんはこれでは危ないと言うので、ぼくが持参していた細いロープなどでドアが開かないように固定してから眠りについた。

体を起こす。おじさんが起きたところで窓を開ける。外は既に明るかった。

しばらくして添乗員のおじさんがまわってきて朝食の注文をとっていく。当然、ぼくはカネがないのでパス。

外は相変わらず低い草木が生い茂る空き地のような景色が続く。

時々集落が現れ、そこの子どもたちが線路沿いに走りよってきて列車に手を振る。どの子も着古した伸びたTシャツに膝下まである短パン、それに裸足という格好。

家々は煉瓦を積み上げた壁にトタンの屋根だったり、たまに藁葺きの屋根だったりする。トタンの屋根がここまで行き渡っていることが意外だった。

10時30頃、列車はザンビアとタンザニアの国境地点に到着。いったん列車は止まる。

車内にいたらイミグレの係官が回ってくる。まずはザンビアの出国手続き。係官がパスポートを集めていき、しばらくして出国スタンプを押したパスポートを返してくれる。

それからタンザニア側。こっちも係官が回ってきてパスポートを集めていく。ここでビザ代50米ドルを払う。列車はすでに動き出していたが、パスポートはちゃんと返ってきた。スタンプ式のビザなので、あまりありがたみがない。50米ドルも払うんだからもうちょっと記念になるようなものを作ってくれればいいのに。

またこのとき両替屋も車両を回ってくる。同室のおじさんは両替屋のレートは悪いからダルエスサラームで換えた方がいいと言うのだが、なんせカネがないし、ダルエスサラームに着いて駅から中心部まではタクシーしかないらしいので、そのぶんは用意しておかなければならない。おじさんが交渉してくれるがぼくが20米ドルほどしか両替しようとしなかったため、両替屋はレートを渋る。両替屋は1米ドル=1000タンザニアシリングだと言うが、1050タンザニアシリングにしてもらう。

タンザニアに入った途端、かなり大きな集落が現れる。集落ではなく、もはやまち。ただまちというには、それらしさを演出する建物がなく、とにかくトタン屋根の家がたくさん並んでいるだけ。でも、おそらく数千人が暮らしているのではというくらい大きい。                                                                                                                                                                         

またこれまたわけがわからないのだが、線路が枝分かれしている先に貨物列車が何両も重なって落っこちていたりする。ちょうどその線路はジャンプ台のように滑らかに反り上がっていて、その先にジャンプに失敗したかのように車両が転がっている。これはいったいナンなんだ? 故意にしたものなのか、それとも何かの手違いでこうなったのか、現場の風景からはどっちともわからない。

貨物の車両は、その後も沿線に転がっていた。これは脱線したものらしく、線路のすぐ下に転がり落ちていたりする。貨物車なんて重機がなければ動かせないだろうから、その重機がないためそのまま放置しているのだろうか。

今日もときどき駅に止まる。タンザニア側に入ってからも新たに乗り込んでくる客がいたが、例の戦法で部屋のドアは開けず。おじさんも説教師のクセして心が狭い。というか、用心深いと言った方がいいのだろうか。しかし、夕方に停まった駅でついにこの部屋にも来客がある。若い男性二人。一人はダルエスサラームで学生をしているらしい。

駅に止まる度に物売りの人が車両に寄ってくる。例のごとくぼくがいる車両にはあまり人が回ってこない。タンザニアに入って新たに現れたのが、チャパティ。売り子のおばちゃんが「チャパティ、チャパティ」と連呼しているのを聞いて、また違う文化圏に入ったのだと実感する。買ってみるとインドのチャパティと同じくクレープ状のものだった。

他に売られているのはペットボトルのジュースは言うまでもなく、他に鶏の唐揚げ、魚のあげたもの、沖縄のさーたあんだぎーのような球型のドーナツ(これがうまい)、それからちょっとした具が入った揚げパン、バナナ、アボカド、焼きバナナのトマトサンドなどなど。それからぼくの車両には回ってこなかったが、駅から離れるときにホームに何かご飯とスープ系(たぶんカレーに似たようなものの類)のものを売っているおばちゃんもいた。ぼくはこっちが食べたかったが縁がなかったな。

焼きバナナサンドは大して甘くなく、どっちかというと芋のような味。挟まれているトマトは輪切りにされており、唐辛子入りのドレッシング何かで味付けされている。

また列車が着くと子どもたちが寄ってきて乗客からペットボトルを集めて回る。ぼくも顔を出していたらペットボトルがないかと言われた(というか、彼らの仕草でそのように言っていると感じた)ので、持っていたペットボトルをある男に投げてやる。子どもたちはぼくを見ると「ムズング、ムズング」と言う。なんのことかと思っていたら同室のおじさんが、スワヒリ語で「外国人」という意味だと教えてくれる。

同室のおじさんは朝から昨日と同じように書き物をしていた。何を書いているのかと思ったら、聖書かなにかに関する英語の文章をザンビアのなんとか語(忘れてしまった)に翻訳しているとおじさんが教えてくれる。翻訳した文章は教会に来る人たちに配るらしい。

そうした話をしていたらおじさんはぼくに宗教は何かと聞いてくる。当たり障りのないところで仏教と答えておくが、もちろん仏教のことなんて学校の倫理か何かで習った以上のことは知らないし、まぁ、知っていたとしても都合のいい部分しか信じないので実際には無臭今日(※勝手に変換された文字が面白いのでこのまま記録しておく)じゃなくて無宗教が実際のところ。

するとおじさんはキリスト教のことを知っているかと聞いてくる。そしてなぜキリスト教を信じないのかというようなことも言う。ぼくは”なぜ神がいると信じられるのかがわからない”と答えると、おじさんは”まず神がいると信じることから始まるんだ”と答えになっていない答えを言う。信じるものは救われるということらしい。やっぱりそこを飛び越えられるかどうかが宗教を、というか一神教を信じられるかどうかの境目なのだろう。

日本に教会はあるのかと聞くので、多くはないがあることはあると答える。すると日本に帰ったらぜひ教会に行けとのたまう。思い返してみるとぼくは日本では教会には行ったことがないような気がしてきた。入り口前を通ったことはあったような気がするが定かでない。もしかしたら中学生の修学旅行で長崎に行ったときに、観光でそれらしきところに行ったかもしれないけど、それも定かでない。日本の教会の存在感はその程度だ、と言ってしまうと日本のキリスト教関係者に怒られそうだが、自分の実感としてはその程度だ。教会と言われても自分が住んでいるまちのどこにあるのかまったくわからないもんな。

話は変わっておじさんは、ぼくのリュックを指さし、これはいくらしたのだと聞いてくる。なのでちょっと安めに「300米ドル(約3万円)した」と言い、加えて「高かった」と言うと、”300米ドルならそんなに高くないじゃないか”と言う。ぼくはこの反応に驚く。リュックに3万円もかけるなんて、一生に一度あるかないかの一大事なのに、それをたいして高くないなんて、このおじさんはもしや金持ちかと思ってしまう。

さらにおじさんは”日本に帰ったら同じタイプのリュックを買って送ってくれ”と言い出す。しかも、真顔で言う。今、現金でカネを預かるならともかく、こっちのカネで買ったあとでおじさんからカネを送ってもらうなんてのは当然信用できない。それにこうして言っているのもただの思いつきかもしれないし。しかし、そうはっきりとは言えないので、”このタイプのリュックは古いタイプのだからもう売っていない”と言って逃げる。それ以上は深追いしてこず。

昼を過ぎた頃だったか、途中の止まった駅には駅名を書いた看板があったので、自分が持っていたアフリカの地図の上でその名前を探したりする。おじさんはぼくの地図を見て、見せろというので見せる。そして、だいたいこの辺りにいると言う。

その地点を見るとまだ全ルートの半分も行っていないことがわかる。おじさんは、”この列車は遅れている”と言う。列車の時刻表では明日の午前中には着くはずだったのだが、地図で見た残りの区間の長さからすると時刻表通りに着かないであろうことは明白だった。ただ遅れると言ったって到着予定日内にはなんぼなんでも着くだろうと多少楽観していた。が、この期待は翌日大いに破られることとなる。

夕方泊まった駅でついに新たな客が乗り込んでくる。おじさんは渋い顔をして迎える。そしてぼくに荷物には気をつけるよう忠告してくる。またどっちかが部屋から出るときにはどっちかが部屋にいるようにしようとも言われる。新たな客は二人でどちらとも20代に見える若い男性。一人の方は学生であることが後にわかる。二人ともおとなしく、取り立てておしゃべりもせず、自分のベッドで何かしていたりする。

日が暮れるまでぼくは外を眺め、暗くなるとスワヒリ語の会話帳を眺めたりする。

夜食は途中で買ったもので済ませ、列車内で出している高い飯は食わず。

適当に寝ておしまい。

Fin

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