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2009年7月4日土曜日

[diary]カンパラからナイロビへ移動

カンパラからナイロビへ移動

08/09/27(土) 晴れ
[Kampala:Uganda→Nailobi:Kenya]

・明朝カンパラ発
・手羽先屋
・道端の蜂蜜屋さん
・赤道を越えて
・出発危機一髪
・20時ごろナイロビ着
・おそるおそるナイロビの夜のまちへ

起きたのは4時過ぎ。携帯電話を目覚まし代わりにしていたのだが、携帯電話よりも早く目覚める。すでに荷造りはしてあったので、こそこそと部屋を出る。こういうときは相部屋だとほかの人に気を使わないといけないので、ちと面倒。

部屋には鍵も何もないから出て行くだけ。階段を下りて裏口のドアから出る。

バス会社の事務所はすぐそこ。あるいて30秒ほど。すでに客が20人くらい集まっていて、バスも通りに止まっていた。10分ほどしたところで乗車開始。荷物は荷台に預け、チケットのチェックを受けてから乗り込む。

バスはほぼ時間通りに5時過ぎに発車。真っ暗なカンパラのまちを走る。

5時30分を過ぎたころ、だんだんと外が明るくなり始める。それから10分もすると日の出が始まる。徐々にまわりの景色が白日の下にさらされ、色を持って立ち現れる。

沿道には家や商店が見え、その向こう側には林が続いている。家の中にはコンクリート作りもあれば板を張り合わせたような家もある。その向こうにはなだらかな丘や山が見える。でも、一面が緑というわけではなく、サバンナほどではないけれど、どちらかといえば薄い。作物の植わった広い畑もあり。たまにミニ市場のようなところがあり、そこでは山盛りにされたバナナやキャッサバ、トマト、パイナップルなどが売られている。

外の景色はころころ変わるが、基本的に緑が切れることはない。

6時半ごろ、沿道にあったミニ市場の前でバスは停まる。朝飯休憩のよう。乗客はそれぞれ降りて野菜や果物、飲み物を売っている店へと行く。バスの周りには乗客を当てにして、バナナや焼きバナナ、鶏の串焼きなどを売りに来た人たちが集まる。まだ先が長いから何も買わずにバスの中で出発を待とうと思っていたのも最初だけで、焼きバナナや鶏モモの串焼きの誘惑に克てず、バスを降りてそれらを買い求める。鶏モモは1本2000ウガンダシリング(約140円)、焼きバナナは3本で500ウガンダシリング(約35円)。バナナは安いなぁ。というわけで、それらを頬張りながらバスの出発を待つ。

送信者 kenya



意外と休憩時間は長く30分近くここにいた。車内にはさまざまな食べ物の匂いが立ち込める。

バスは順調に走り、途中、街中でもないところで中国式建築で造られた中華料理屋を沿道に見る。なんでこんなところに?

畑や田んぼ(?)、湖や林などに挟まれた道をバスは快調に走る。あるところでは若い男たちがサッカーの試合をやっていた。また日干し煉瓦で造られた草葺の家なども見る。

カンパラを5時過ぎに出てから約4時間後の9時すぎ、バスは国境に到着。なぜか国境のいったいは未舗装。貨物列車が積んでいるようなコンテナを積んだトラックが数珠つながりに並んでいて、その脇を人々が通っている。トラックに車、自転車、通過人と物売りの人、牛などがいて国境はなかなかにぎやか。

乗客はいったんバスを降りて、自分の荷物を持って出国手続きに向かう。窓口に多少行列ができたが、すんなりと通る。

100mほど歩いてケニア側のイミグレへ移動。そこで入国カードとビザの申請書を記入して提出。ケニアもビザ代は50米ドルで米ドル払い。けっこう高い。タンザニア以降、ビザ代50米ドル以上が続いている。

送信者 kenya


荷物のチェックはなく、質問もほとんどなく、すんなり判子をもらってケニア入国。で、自分のバスを探すがあたりにない。きょろきょろしていたら、通りすがりの人があっちのほうじゃないかと教えてくれる。一度、そちらに行ってみるがバスは見えない。他にも似たようなバスが何台も止まっていることもあり、どれが自分が乗ってきたバスがすぐに見つけることができない。あっち行ったりこっち行ったりして、ようやく発見。幸いなことにまだ乗客は集まっていなかった。

すべての乗客が集まるまでしばらく待つ。待っている間、残ったタンザニアシリングをケニアシリングに両替。ダンボールの箱に500mlのペットボトル飲料を入れて売り歩いている男の子がいたが、ケニアのお金は少ないので我慢。

同じバスにはもう一人日本人が乗っていた。20代半ばくらいの男子。ぼくはカンパラでバスに乗り込んだときから気づいていたが、相手はまったく気づいていなかったようで、ここで初めてしゃべる。彼もナイロビに行くらしい。しかもナイロビには一度行っていて、これから戻るところらしい。ナイロビの宿の在り処も知っているというので、じゃあナイロビで一緒に動きましょうということになる。正直なところナイロビの治安がどの程度が図りかねていたので、道連れができて少し安心する。どこでもそうだが暗くなってからの到着では宿探しが面倒。その点、知っている人となら少しは安心できる。

結局、国境を通過するのに1時間ほどかかる。バスは再出発。

ケニアに入ったからといって特に景色は変わらない。風に揺れる緑の畑、ツチ壁に草葺の円形の住宅、サッカーに興じる男たち、収穫した米(小麦?)を天日で乾かす人たち。車は休まずに走り続ける。
送信者 kenya


送信者 kenya


何時ごろだったか、沿道に看板を見る。ここが赤道直下、つまり緯度0度だと書いている。エクアドルのようにどでかいモニュメントを造ったりしている様子はない。これで赤道を越えるのは何回目なんだろうとふと思う。一度はエクアドルで超え、それからアルゼンチンからスペインへ行った飛行機で南から北へと行き、西アフリカを南下する過程でもう1度越え、そして今回。こうして数えると4回目ということになる。これ以降は南下する予定はないから赤道をまたぐのはこれが最後となりそう。

ここらに来て、沿道には蜂蜜屋さんが目立つようになる。パラソルを道路わきに立てて、ビン入りの蜂蜜を台に並べて売っている。ジンバブエでもムタレからハラレに行くときに同じようにして蜂蜜を売っている人たちがいたが、バスも止まったりしなかったからそのときは買えなかった。しかし、今回は運転手の友達なのか蜂蜜売りのおばちゃんがバスに乗り込んできて、車内販売を始めた。当然バスは移動し続けているからおばちゃんは帰りはどうするんだろうと不思議に思うのだが、まぁいい。蜂蜜が入っている瓶はウィスキーが入っていたと思われる瓶やジャムなどでよく使われる円筒形の瓶などいろいろ。どれもリユースのようだ。ぼくは運転席のすぐ後ろに座っていたのだが、一度は見送ったものの、やはりアフリカの蜂蜜を試したいという気持ちに克てず、車内を回り終えて前に戻ってきたおばちゃんに蜂蜜を見せてもらう。色具合は日本で見るものと違わない。どのサイズがいいかとしばらく迷い、最終的にはウィスキーの小瓶サイズのものを購入。お値段は100ケニアシリング(約150円)。宿に着いたらレモンを買ってきて蜂蜜レモンジュースでも作ろうかな、とか、ナンとかパンとかを買ってきてぜいたくに蜂蜜をかけて食べてみるかな、などと考えはじめる。楽しみが増える。

しばらくは都市部のようなところはまったく通らなかった。

16時を過ぎたころ、ちょっとした町に入り、そこのある小さな食堂前でバスは停車。昼食休憩はなかったので久しぶりの休憩となる。乗客の中には食堂で食事をはじめる。一緒に乗っていた日本人男子も「どれくらいここで止まっているのかなぁ」などと不安げにしながら食堂に入って食事を始める。ぼくは噂でここいらのバスの運転手は気まぐれで、休憩といっても自分の都合でバスをすぐ走らせたりすると聞いていたので、置いていかれるかもという疑念から外には出てもバスが見える範囲でうろうろする。

そして案の定、そのとおりとなり、バスのクラクションがなったのを聞きつけて慌てて口をもぐもぐさせながら日本人男子は食堂から出てくる。「まったくあいつら・・・」などと彼は文句を言いながらバスに乗り込んでくる。

明るいうちにナイロビに着いたらな、と淡い期待を持っていたのだが、やがて日が暮れ、19時をまわる。19時を過ぎたころから道路が込み合いだす。大きな湖がある町にバスは入って行き、そこの町のターミナルで停車。客を何人か降ろす。

再び走り始め30分ほどたったころ、いよいよ建物が立て込んできて、ビル街が遠くに見えるようになる。やっとナイロビに入った模様。

ビルが並び立ち、よく整備された通りを走る。街中に入ってからは地図を取り出し、地図と辺りの様子を見比べながら現在地確認に励む。宿の名前を頭でリフレインしながら“どこだ、どこだ?”と探していたら、やや狭い込み入った通りに入ってバスは停車。ここが終点だった。

バスを降り、荷物を受け取って、同じバスに乗ってきた日本人旅行者と一緒に宿に向かう。幸いすぐに見つかった。バスを降りたところから100mも離れていないようなところ。階段を上って宿に入る。中には数組の日本人旅行者がいた。

カップルで旅行しているらしい日本人カップルの女のほうは、ぼくを見るなり「なんや乞食みたいな格好してるな。よう似合っとるわ」とのたまう。旅行をしているとほんのたまにだが、こういう異常になれなれしいというか無礼な奴に出くわすことがある。日本人同士だからという気安さからなのか、それとも誰にでもこうした態度をとっているのかどうか知らんが、まったくもってなっていない。というわけで、そういう人は無視するに限るので無視。やれやれしょうもない日本人だ。

相部屋が空いていたのでそこにベッドをとり、荷物を置いて2人で飯を食いに行く。宿の周辺は商店が集まっていて、飲み屋もあったが、食堂は20時をまわっているからかどこも閉店しかけるところだった。そんなわけで選択肢は少なく、しかも入った食堂はメニューはもう2種類ほどしか残っておらず、結局ビーフシチュー&ウガリを食べる。量は少なめ。お値段120ケニアシリング(約200円)。ちょっと高い。

宿に戻ってから宿にある情報ノートを借り出し、情報収集。さっきのカップルはもう宿を出たようだったが、他に4人ほどこの宿には日本人が泊まっているよう。ほとんどが20代半ばから後半で、1人は60代くらいのおじさん。ロビーの共用スペースにあるソファに座って情報ノートを見ながら、他の日本人旅行者などとしゃべったりして夜を過ごす。

ナイロビはカンパラよりも涼しいのだが、なぜか部屋には蚊がおり、羽音がうっとおしかった。なので肌を出さないようにシーツをかぶって就寝。

FIN

2009年7月2日木曜日

[diary]カンパラ到着

カンパラ到着、

08/09/26(金) 晴れ
[ Kabare→Kanpala:Uganda]
※レート:1米ドル=1600ウガンダシリング

・カンパラへ
・朝方カンパラ着
・ひどい宿
・あふれる市場
・近代的な街並み、ショッピングセンター
・バイクタクシー

昨日、ルワンダからウガンダに入国し、カバレというカンパラ行きのバスが出ている町まで来たが、昨日はすでにカンパラ行きのバスは終わっていて乗ることができなかった。次のバスは明日の3時だというからバスターミナルでずっとバスが来るのを待っていた。

3時と聞いていたが、バスが来たのは予定より早かった。それがどこ行きなのかわからないからバスがターミナルに入ってくるたびにバスまで行き、カンパラ行きかと尋ねていた。その調子で3時にはなっていなかったけれども、ターミナルにバスが入って来たので行ってみると、それがぼくが乗るバスだった。座席も無事確保でき、一安心。あとは着くまで待つのみ。

夜中では歩けれど、夜道をぷらぷら歩いている人をぽつぽつ見る。バスは静まりかえっている町の中を轟音をたてながら走る。

乗ってしばらくしたら寝てしまう。睡眠。

気がついたら外は明るくなっていた。時刻は6時過ぎ。バスは舗装された片道一車線の道をまっすぐ走っている。車窓からはレンガ造りの平屋の民家やバナナ畑、それから果樹なのかただの木なのか樹木がごそごそと延々と連なっているのが見える。開いた窓からはひんやりとした風が吹き込んでくる。

しかし、1時間もすると沿道に自動車修理屋やタイヤ屋、その他の商店が並ぶようになり、交通量も増える。通勤しているのか、250cc程度のバイクに大人が2人またがり、カンパラ方面を目指している。「株式会社タシロ」とドアに書いた4トン車くらいのトラックが緑色のバナナを満載して走っている。

しばらくするとバスはやや細い道に入る。下り坂にかかるとそんなに遠くないところにビルが立ち並んでいるのが見える。そのうちバスの速度が落ち、渋滞にはまってしまう。このことでカンパラがもう近いことを確信する。歩道には3歳くらいの女の子が一人地べたに座り込んでいるのが見えた。

渋滞にもまれること30分ほど、ようやくカンパラの街中に入る。時刻は8時ちょうど。カバレからはだいたい5時間かかった。これはガイドブックどおり。

さて、バスが入ったのは巨大な市場が向き合っている地点。歩いて通勤している人々に、バイクタクシー、それに普通のタクシーにバスが入り乱れ、なかなか進まない。乗客たちはバスが立ち往生している間に三々五々降りて行く。

ぼくはガイドブックを取り出し、宿の位置を確認。どうもこの辺りらしいというのがわかったので、ぼくもバスが立ち往生している間にバスから降り、歩いて目的の宿に向かう。

目的の宿は『歩き方』にも載っている安宿。行ってみるとけっこうぼろい。便所は水が流れないし。ただ情報ノートは、ここにあるらしいからそれは見たい。値段も1万ウガンダシリング(約700円)に値上がりしていた。さっき歩いてきたところ辺りには同じように安そうな宿がいくつかあったのだが、探すのは面倒だし、どうせ1泊しかしないしと思ってここに泊まることにする。

部屋に荷物を置いてフロントで情報ノートを借りてしばらく読む。

9時になってから出かける。あたりは交通の要所でもあり、買い物の要所でもあるので人と乗り物がごったがえしている。ルワンダのキガリは静かだったし、人口密度が低かったが、ここはうるさいし、人が多い。

とりあえず両替をしに行かないといけないので、街中の方へ両替屋を探しに行く。

歩き出してすぐにパン屋兼ケーキ屋を発見。昨日からまともに飯を食っていないのでちょっとここで軽く腹ごしらえをする。いろいろあるものからそれほど甘くなさそうな小さなマーブルケーキみたいものを買い、牛乳と一緒に店内で食す。牛乳は500mlのビニール袋入りで600ウガンダシリング(約40円)。ケーキは3倍近く高く1かけらで1700ウガンダシリング(約110円)。

腹が少し膨れたところで本題の続き。また歩き始める。カンパラのまちは坂道が多い。建物が多いし、店も多い。そして人が多い。ジンバブエのハラレもけっこう店は多かったけど、こっちのほうが高層化されているからカンパラの方が店が多いように思う。つまりは今まで行ったアフリカの首都の中でも有数の都市という感じ。一方で歩道の端で本を並べて売っている女の人や歩きながら物売りしている男の人、女の人をしょっちゅう見る。

送信者 uganda


送信者 uganda


いくつかの両替屋や銀行を見て回ってからその中でレートの良かった銀行で両替をする。

銀行の近くの歩道で道に幾種類もの雑誌を並べて売っている女性がいたので、ちょっと雑誌を物色する。ウガンダはルワンダと違って英語が公用語のため、雑誌も英語のものが多い。『African Woman』という女性誌があったのでそれを買ってみる。袋に入っていたため中身は確認できず、いわゆるジャケ買い(表紙買い)。1冊の値段は5000ウガンダシリング(約350円)だからけっこういい値段。

近くに郵便局があったのでそこで絵葉書と切手を買う。絵葉書は1枚1000ウガンダシリング(約60円)、切手は日本まではがき用が1枚1400ウガンダシリング(約90円)。郵便局に入ったときに明らかに周りから浮いた格好をしている人たちがいた。グレーの上下のスーツ。一発で日本人とわかる。仕事なのか協力隊なのか5~6人で何かやっている。

郵便局を出た後、途中で見つけたネット屋でネットをする。ADSL並みに速い。お値段は1時間1500ウガンダシリング(約100円)。

昼が近くなってきたので宿近くの市場に昼飯を食いに行く。

市場は人と物でごったがえしていた。いろんな店が屋根をつけ合わせ品物を積み上げ、狭い通路を人々が歩く。歩いている人の中には肩に手に商品を持って売り歩いている人もいる。服や布地、文房具、石鹸・洗剤の類などなど日常に必要なものが何でもある。それも山盛り。いやいやなかなか豪快。

市場の中には食堂街もあって、木炭を燃料にしたウガンダ風竈(かまど?)の上には大きな鍋がかけられており、中のスープがぐつぐつ言っている。歩いているとそこここの店から声がかかる。鍋を見てまわりしながらどれを食べようかとふらふら考える。結局、そこそこうまそうで客が入っている店に落ち着く。ご飯と肉のぶつ切りが入ったスープ、それにオレンジジュースで4500ウガンダシリング(約300円)。けっこう高い。こんな高いのは南アフリカ以来かもしれない。味は可ではなく不可ではでもなく。

食事後、市場の中で懐中電灯用の乾電池を買う。

その後、宿近くのバス会社に行き、ナイロビ行きのバスのチケットを買う。ナイロビ行きのバスは比較的本数があった。また夜行バスで行こうかと思ったりもしたが、夜中に国境が開いてなかったら面倒だなと思い、明日の朝の便にする。またも朝が早く5時発。このバスに乗れば夜7時くらいには着くという。バス会社は他にも数社あったが、ここのバスはナイロビで泊まる予定をしている宿のすぐ近くが終点だというので、そういう利点もあり、ここのバスを使うことに決める。バス代は45000ウガンダシリング(約3000円)。けっこう高い。

とりあえず今日、すべきことはこれでおしまい。また、街を歩き回る。バイクタクシーやワゴン車のルートバスなど交通量が多い。

ガイドブックを見ていたらショッピングモールが中心部からちょっと離れたところにあるとあったので、そこにバイクタクシーに乗って行ってみる。アフリカではよく見る食品スーパーやスポーツ店、ファーストフード店、服屋、電化製品屋などが入っているが、市場と比べると人の出入りはたいして多くない。ここにやってくる人は車を持っている人が多いようで、駐車場は車でいっぱい。ATMがあったのでそこでちょっとお金をおろす。

帰りはてくてく歩いて帰る。薄暗くなってきた。

帰り道、歩道で物乞いをしていた少女がいたので少々カンパ。

宿に着くころにはすっかり日が暮れていたが、あたりは食堂や屋台が出てにぎやか。明日も長距離移動だからあまり食べるとバスのチケットも買ってあるし、もしものときが怖いのだが、あまりに賑やかなので釣られて辺りをぶらぶらする。湖で採れたらしい小さい魚の揚げ物や肉の串焼き、ご飯ものやチャパティを焼いている屋台など種類も多い。どの屋台も人が入っていて繁盛している。ぼくは魚の揚げ物や串焼き、茹でバナナとジャガイモとトマトのスープなどを食す。最後はチャイとチャパティで仕上げる。チャイは1杯700ウガンダシリング(約50円)、チャパティは1枚200ウガンダシリング(約13円)。これは安い。市場の昼飯はけっこう高かったなぁと改めて感じる。

今夜の宿は4人部屋。明日も早いのでさっさと寝ることにする。ベッドごとに蚊帳はついているのだが、穴があいたりしていて効果があまりありそうにない。なので持ち歩いているガムテープで穴をふさいだりしてから寝る。夜は意外と涼しかった。

FIN

[diary]キガリ虐殺記念館、ウガンダへ

キガリ虐殺記念館、ウガンダへ

08/09/25(木) 曇りのち雨 20℃程度
[Kigali:Rwanda→:Uganda]
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン

・キガリの虐殺記念館
・人をはねる
・ウガンダ入国
・カンパラ行きのバスなし
・バスで夜を明かす

朝は7時前に起床。それから昨日は食わなかった朝食を食いに本館に行く。朝食付きだなんて昨日は忘れていた。朝食はロールパンと卵いためと生野菜とコーヒーのみ。なんだか寂しい。

本館にはインターネットコーナーがあったので、そこのネットで30分ほどネットをする。ネット代は30分で300ルワンダフラン(約60円)。

宿代が高いので、60米ドルものビザ代を払いながら、今日ルワンダを出てしまうことにした。今日、宿を出る旨をフロントに伝え、チェックアウト時間を聞く。朝のうちに宿代2泊分を払ってしまいたかったのだが、あいにく両替しないと持ち金がない。というわけで、まずはフロントの人に、近くに両替屋がないか尋ねる。歩いていけるところにあるというので、教えてもらった方へ行ってみると、あるにはあったが、まだ準備中だった。

今日のキガリも昨日に引き続きパッとしない天気。空には雲がドヨドヨしている。半袖で歩くには肌寒く、長袖のシャツやカーディガンを着ているも目立つ。

両替屋の開店は1時間後の9時だというので、しばらくプラプラ散歩することにする。通りをフルフェイスのヘルメットにビブスをまとったバイクタクシーが走り回る。まだ8時過ぎということでか、車はそこそこ走っているものの通りを歩いている人は少ない。中心部のほうに向かって歩いていくとショッピングセンターみたいな建物を発見。見学するために入ってみる。入り口付近に警備員がいたが、何も言われず。

その建物は3階建て程度の横長の白い建物。中に入ると広い廊下があって両脇に店が並んでいる。まだオープンして間がないのか床も壁もピカピカ。天井のライトが床に反射して輝いている。だが、こちらもまだ開店時間がきていないようで開いている店はほとんどない。開いていたのは24時間営業の食品スーパーのみ。ここの入り口にも武装した警備員がいた。全体で言うと店の数も少ない。適当にぶらぶら見て回ってからこの建物を出る。

改めてキガリのまちを見ていると面的には小さいけれどもけっこう近代的なビルが多いなぁと感じる。それもわりと新しい建物があるし、建築途中のビルも何棟かある。きっとこれらは大虐殺が終わって後に造られたものなのだろう。基本的には2階建てのコンクリート作りのアパートのような建物があちこちにあって、そこが店だったり事務所になっていたりする。街路樹が多く、道にごみもほとんど落ちておらずなかなかきれいだ。

歩いていたらKIGALI A-Z BOOK CENTREという本屋を発見。ここはすでに開いていたので中をのぞいてみる。フランス語や英語で書かれた本に加えて地元の言葉で書かれているものもあり。だが、値段はけっこう高い。

さらにぶらぶらしていると両替屋を発見。こっちの方が宿近くの両替屋よりも若干レートが良かったので、ここで両替する。1米ドルが550ルワンダフラン。ちなみに1ユーロは760ルワンダフランだった。

お金ができたのでちょいと買い物。さっきの本屋に行って絵はがきを2枚購入。1枚500ルワンダフラン(約100円)。パイナップル1個よりも高い。

それから郵便局に行って切手を買う。葉書用の切手は日本まで450ルワンダフラン(約90円)。それから映画「ホテルルワンダ」のモデルとなったホテルに歩いて向かう。キガリの道はまっすぐになっておらず、上から見ればちょっと入り組んだ放射線状にでもなっているのではないかと思えるような造りなので、方向感覚だけで歩いているとなかなかたどりつけない。しかも坂道が多いから道を間違うと面倒。

迷っている時間もないので、ちゃんと地図を見てホテル近くの目印になる建物にまず行くことにする。キガリの路上には食べ物の屋台がほとんどないので、こうして歩いていてもつまみ食いすることができない。そうやって真面目に歩いていたらなんとかホテルに到着。ホテルは10階建てくらいで薄い落ち着いたベージュ色をしている。敷地の入り口には警備員の詰め所があって、その前を高級車っぽい車が颯爽と入っていく。中を見学させてもらおうかとも思ったが、今日はまだ行きたいところがあったので、外観を眺めるだけでここを離れる。

ホテルの前を離れて歩いていたら道端で雑誌を売っているおじさんがいた。見ると英語の雑誌も売っていたので値段を聞くと4000ルワンダフラン(約700円)などと言う。高すぎる。なので無視して去ろうかとしたらいくらだと食いついてくるので、1500ルワンダフラン(約300円)とふっかけると安すぎると言ってひかない。何度か繰り返して結局2500ルワンダフラン(約500円)で買うことにする。どうせどこかで拾って来たものなのだろうが、まぁおじさんの生活の足しになればと思い妥協する。

その近くでバイクタクシーをつかまえ、キガリにある虐殺記念館に連れて行ってくれるよう頼む。そこまでいくらかかるか尋ねると400ルワンダフラン(約80円)というので後ろにまたがる。キガリの虐殺記念館(Kigali Memorial Centre)は中心部から東(たぶん)のほうに外れたちょっと小高いところにあった。ここはそのために建てられたらしいきれいで立派な建物だった。外見は瀟洒な豪邸という感じ。

記念館の敷地の入り口前でバイクから降り、運賃を支払う。その入り口には警官らしい制服を着た男が2人ほどいて検問をしていた。ここで荷物のチェックがあり、たまたま持っていたアーミーナイフを預けることになる。

記念館の入場料は無料。中に入ると昨日行った記念館とはまったく違っていて、内装もレイアウトも凝っている。大虐殺までの歴史的流れから当時の様子、生き残った人たちへのインタビュー、あるいはツチ族をかばったフツ族の人の話などを文章と写真、映像などで紹介し、さらに虐殺後発掘された白骨遺体の頭部や殺された人々の所持品なども展示している。さらに世界各地で起きた虐殺のコーナーもあった。そこではナチス支配下でのユダヤ人虐殺やオスマントルコ帝国下でのアルメニア人大虐殺、カンボジアのポルポト政権下での大虐殺などなどについての簡単な展示がなされていた。

この大虐殺が起こったのは1994年。当時、ぼくは高校生で新聞はスポーツ欄しか見ないという人間だったから新聞などで詳しく追っかけるようなことはしなかったが、それでもなんだかすごい虐殺が起きているというようなニュースは入ってきていたように思う。ツチ族とフツ族という名前はそのときに聞いて覚えたように思う。

ルワンダの大虐殺を改めて知ることになったのは、映画「ホテルルワンダ」の日本での上映運動だった。時は2005年だったか、たまたま家でラジオを聞いていたら運動を立ち上げた人が招かれて話をしていた。同世代の人が運動をやっていたということもあるが、他の国々ではすでに上映されているのに日本では映画界の判断で上映される予定がまったくないという話に引かれ、上映運動について調べてみることにした。結局、ぼくがしたのは署名だけだったけど、この後、日本でも上映が決まり、各地で上映されることになる。上映運動が映画界の見込みを覆したのは、なかなか良かった。が、ぼく自身はどういう事情だったか映画館で見ることなく、この旅行の前にレンタルDVDで見たところだった。

こうして展示を見ていたら、新たに知ることも多い。説明文はフランス語と英語と地元語なので、読んでいると疲れるのだけれど、たとえばツチとフツという分け方自体が、ベルギーが侵出して来る前にこの地に侵出したドイツ人が適当にやった名残でたいしてはっきりとした根拠があるものではなかったという事実は、この虐殺の悲惨さをより強く感じさせる。すらすらと説明文を読めるわけではないので、本当なら1日くらいかけてゆっくり見たいのだが、高い宿に泊まり続ける気にならないので、2時間ほど見て記念館を出る。入場料無料なので、寄付を少々。

Kigali Genocide Memorial Centre
http://www.kigalimemorialcentre.org/old/genocide/index.html

記念館に隣り合って売店があったので、そこで冊子を購入。これがまた高い。20 米ドル(約2200)もした。買うかどうか迷ったが奮発する。

バイクタクシーに乗って宿に戻り、荷物を整理してチェックアウトする。

宿前からまたバイクタクシーに乗ってバスターミナルへ。

バスターミナルをふらつき、ウガンダとの国境に行くバスを探す。当然ながら車が多すぎてどれかわからないので、適当に人に聞いて教えてもらう。

そんなに手間取ることなく目当てのバスを発見。昼飯を食っていなかったので出発を待っている間にビスケットを買う。ダンボールやお盆にそうしたお菓子を載せて売って回っているおばさんから買う。買ったビスケットはビスコサイズで、なぜか袋には貴乃花が写っている。

バスにはいろんな物売りの人がやってくる。シャツを買わないかとかジャンパーを買わないかとか靴を買わないかとか、なかなか対応も忙しい。

結局、出発まで1時間ほど待ち、バスは14時ごろ発車。国境まででバス代は2000ルワンダフラン(約400円)。

しばらく走っていたらぽつぽつと雨が降り始め、そのうち土砂降りのようになる。例のごとく山あり谷ありの曲がりくねった道。道がそういう状態だから当然見通しもきかない。それに加えて車のワイパーは片方しか動いていないからさらに見通しが悪い。それでも順調に走っていたのだが、右に曲がるカーブに差し掛かったとき、前方で一人の男が道路を横断する。雨にできるだけ濡れまいと首をすくめて駆け抜ける。“おいおい、あぶねぇなぁ”と思っていたら、彼に続いてまた別の男が路上に走り出してくる。しかも彼は車の往来をまったく確認せずにいきなり飛び出してきた。一応、彼は駆け足だが、目に入った瞬間“ぶつかるんじゃん?”というタイミングだった。運転手も驚いてブレーキをかける。だけど、ブレーキを踏んでいないのじゃないかと思うくらい車はたいしてスピードを落とすことなくスルスルと走っていく。おいおい、と思わずぼくは運転手を見る。でも、顔は驚いているから止めようとしている様子。でも、実際にはブレーキがきいていない。“アァ、こりゃぶつかるよ”と思っていたら、フロントガラスに走っていた男がぶつかる。カエルが仰向けになったような感じで、腕は万歳状態で、足はパーって状態でフロントガラスに一瞬張り付く。車は男の後ろからぶつかったので、男はフロントガラスに張り付いた後、道路にうつ伏せになって倒れる。その瞬間、沿道で雨宿りしていた彼の友人らしき男たちが、ワーッと騒ぎ出す。運転手は目を見開いてフーフーと激しく呼吸をしている。

“あいや~”と思いながら、男を見たら彼はうつ伏せになって倒れた次の瞬間、スタッと立ち上がり、道路の端の方へまた走っていく。そして、道路の脇の安全なところまで行って驚いて興奮した様子でこちらを見ている。幸いなことに血は流れていない。もっともくねくね道で上り坂だからたいしてスピードは出ていなかったんだけど、でも打ち所が悪くなくてよかった。

沿道にいた男たちからワーワーと何か言われるが、運転手はなんとかと言い返し、またアクセルを踏んで車を先へと進める。これで一件落着(?)。死ななかったから良かったけど、しかしあの人はあとであちこちが痛むだろうなぁ。

それから1時間足らずでウガンダ国境に到着。タクシーはここでおしまい。リュックをかつぎ、運賃を払う。

あいにく雨は降り続いていた。でも、かなり小降りになっていたのでラッキーだった。またリュックにカバーをして、イミグレに向かう。ルワンダの出国手続きはすんなり終わり、そこからちょっと歩いてウガンダ側に移動。ウガンダ側のイミグレでビザの申請書と入国カードを書いて提出。ビザ代は50米ドル。高いなぁ。でも問題なく、入国できる。入国後、国境の両替屋で両替。1米ドルは1500ウガンダシリング。

さて入国はしたものの、この先がどうなるのかよくわからない。あちこちにタクシーがあるだけでまちらしき雰囲気はない。適当にまわりにいるタクシーの運転手ではない人に、首都のカンパラに行きたいんだけどどうすればいいと尋ね、行き方を教えてもらう。それによるとカバレという町までタクシーで行けば、そこからカンパラ行きのバスに乗れるとのことだった。入国してくる人たちもタクシーに乗って移動していたので、ぼくも乗り合いタクシーに乗ることにする。タクシー代は3000ウガンダシリング(約200円)。

カバレのまちには30分ほどで到着。

しかし、運転手は不親切なことにバスターミナルではなく、適当な道端でぼくをおろす。余計にカネを取られるのも嫌だからしょうがなくそこで降り、タクシー代を払う。そして、バスターミナルはどこか教えてもらい、そちらに向けて歩き始める。

カバレの町は商店や露店も多く、意外ににぎやかだった。バスターミナルに着くまで何人かに確認し、ようやくターミナル到着。サーカー場の半分くらいの敷地を取り囲むように商店やバス会社の事務所があり、真ん中は駐車場になっていた。

バスの絵が表に書かれてあるところを探し、バス会社の事務所に行く。ドアのないフルオープンの事務所だった。そこでカンパラに行きたいんだがと言うと、今日はもうカンパラ行きのバスはないと言う。ぼくの皮算用では夕方発の夜行バスに乗って、明日の朝にはカンパラに着くというものだったが、それがあえなく壊れる。他にバス会社がないか探すがない。

しょうがないので今日バスに乗ることはあきらめる。それで明日は何時発なのかと尋ねると朝の3時だとか言う。バス会社の人はホテルを紹介するからそこに今晩は泊まって明日の朝ホテルの前までバスが行くからそこで乗ればいいというようなことを言うが、3時だったら眠らずに起きておかないと逃す可能性がある。だいたい口で何時だと言っても容易には信じがたい。できるだけ早くバスに乗り込み、自分の席を確保しなければ椅子に座れない可能性もある。そんなふうに考えていたら当然ホテルに泊まるなんてもったいないので、タンザニアであったようにバスの中で寝られないかと尋ねる。が、これを許してくれない。

夜中までは時間があるので、ここからカンパラに少しでも近い町まで行って、そこでバスを乗り換えるという方法で行こうかとも思うが、だいたいこうした乗り継ぎ法を採用すると結局高くつくことが多いので悩む。

しばらくの間、あれはどうだ、これはどうだとあれこれ考える。そして、結局はここで夜中まで待つということにする。夜中にバスがあるならここも人がいなくなるということはないだろう。バスのチケットは買って、それで持ってバス会社の事務所が開いている間はずっと事務所にいて、追い出されたらその辺でバスを待とう。そういうふうにすることにした。バス代はカンパラまでが18000ウガンダシリング(約1200円)。

雨はあがり、外はまだ明るい。町を見て回りたい気分なのだが、なんせ荷物が多い。リュックを背負い、小型リュックを片手に持ってぶらぶら歩きにはなれない。というわけで、事務所の入り口の段差のところに座って、メモ書きをしたり、本を読んだりして時間を潰すことにする。今日はビスケットしか食べていないし、新しい国に入ったから何か食いたいところだが、バスにはトイレがついていないだろうし、実際のところカンパラまでどれくらいかかるかわからないので我慢する。

暗くなったらぽちぽち電気がついたが、本を読むには厳しかった。なので、あたりを眺めたり、蚊と格闘したりしながら何をするでもなく時間が過ぎるのを待つ。

こうして夜は更けていったのであった。

FIN

2008年9月26日金曜日

[速報]カンパラ(ウガンダ)いり

昨日の午後ウガンダにはいり、昨晩はバス中で眠り、今朝首都のカンパラにはいりました。

ルワンダのキガリとは打って変わってまちなかはバイクとタクシー(大型バン)、チャリタクシーなどでごちゃごちゃ。ストリートチルドレンもすこしあるいただけで20人はみましたね。近代的なビルもちょろちょろありますが、全体としてはごたごたしていますね。

明日にはケニアに移動し、夜にはナイロビに到着予定です。

では。

2008.09.26 13:30
Kampala,Uganda