08/03/26(水)
前編
1米ドル=7.5ケツァール
7時前に起床。扇風機をつけて寝ていたが、朝になると寒く感じ、扇風機を止める。気温は20度前半くらいか。そもそも扇風機の「1」の風力が強いから、一番弱い風にしていても狭い部屋では十分すぎるくらいに躰の熱を飛ばすことができる。
昨日会った協力隊員の人が、朝は海岸沿いの通りに市がたつと言っていたので、朝飯がてら出かける。公園のまわりにはバスを待っているらしい人たちが30人ほど。海沿いの通りには言っていた通りに市がたっていた。野菜や果物が中心。直線距離で言うと100mほどなので、規模は小さい。
宿の方から行くとその通りは突き当たってT字路になっている。そのT字路にたどり着いたとき、左手からはスクールバスと書かれたバスが市の前を通り過ぎようとしていて、バスの向こう側ではなんだか騒々しい声と物音がした。
バスが通り過ぎてから、そちらを見ると生卵が大量に道路に崩れ落ち、割れている。右手に視線をやるとおじさんが椰子の実を頭上にふりあげ、誰かを追いかけており、その誰かは人混みの中に走り込んでいるよう。走り込まれた人混みの中の人々は、椰子の実をふりあげて走ってきたおじさんを見て、一斉に逃げ出す。ひょろっとしたおじさんだったので、椰子の実をそんなに強く投げられるとは思わなかったが、しかしあんな硬いものをぶつけられてはひとたまりもない。
おじさんは誰かに向け、椰子の実を放り投げたが、当たったかどうかはぼくの視角からは見えなかった。そちらに気を取られていたら、すぐ目の前で若い女の人が二人「ファック」と言って、卵を踏みつぶしている。
何がどうしたのかはさっぱりわからないが、大人が喧嘩しているのを見たのは、この旅行で2~3回目だ。
カメラの電池が切れたので、一旦宿に帰り、また出直す。船着き場に行ってみると、イミグレの入り口にマヤ系の男の人が二人座っていて、声をかけられる。二人はグアテマラのプエルトバリオスに行くチケットを売っていて、今日の9時半に出ると言う。
昨日、ここで確認したときには別のおじさんが今日は舟が3便あって、9時半、14時、17時だと言っていた。だから、午前中はここでのんびりして、午後の舟で出ようと思っていた。
が、チケットを売っている人が言うに、午後の便はいずれも料金が高いと言う。それを聞いて予定を変更。9時半の舟に乗ることにする。料金は40ベリーズドル(20米ドル)。バスが8時間乗って10ドルちょっとだったから、舟もそれくらいだろうと思っていたが、そうではないらしい。高い。
市を一通り見て回る。小降りのバナナがあったので、それを買う。小さいが一房10本ほどついて1ベリーズドル(約60円)は安い。味も大きいバナナと違ってさわやかな甘さでなかなかよろし。ただどうも粉っぽい。
それから人気のないところで隠していた米ドルを取り出し、さっきのチケット売りの人のところに行き、チケットを買う。ベリーズドルはないので米ドル払い。20米ドル。チケットを買うときにはパスポートを見せる。彼はそれを見ながら名前などを書き写す。
チケットを買い終わってから飯を食いに行く。
市が出ている道沿いの海側には長屋風のコンクリートづくりの建物があって、そこも商店となっている。店は道路側だけでなく、海側にもあってそっちには食堂が4~5軒並んでいた。メニューも何もないが、地元の人がそこで食事をしている。昨日、協力隊の人におすすめの店を紹介してもらったのだが、けっこう人がいっぱいだったのと、きれいなのでヤメにし、こちらで食事をすることにした。
ぼくは一番南側の見せで朝飯を食べることにする。出てきた料理は、大盛りの赤飯に煮込んだ鶏モモとキャベツのサラダ。ご飯には鶏を煮込んだカレー味のスープがかかっている。ご飯大すぎ。たぶん日本の旅館で出る茶碗5杯分はある。どうもこれはぼくが6ベリーズドルくらいで、と最初に料理を頼んだのがまずかったよう。普通は4ベリーズドル(2米ドル)らしい。
さっき買ったバナナをすべて食べた後だったから、後半は完食するのにやや苦労する。ベリーズドルがなかったので、米ドルで3ドル払う。
それから宿に戻り、荷物を持ってイミグレへ。チケットを買ったときに、舟の人からは9時までに来て、イミグレのスタンプをもらうよう言われていた。イミグレに着いたのは8時45分頃で、バックパッカーらしきカップルが一組すでに来ていた。あとは地元の人が数人。
建物に入って右側が手続きをするところで、そこに行くが5分待ってとごついおじさんに言われる。しばらく待っているとOKが出たようで、他の人たちも並び始める。
手続きはさっさとすすみ、自分の番がまわってくる。パスポートを見せると、たいした質問もなくすんなり終わり、最後に7.5(ベリーズ)ドルと言われる。出国税にしては安いなと思いつつ、ベリーズドルはないから20米ドル札を出すと両替してこいと言う。公共の機関で、カネを取るなら釣りぐらい用意しておけよな、と思うのだが、そんなこと言えるわけもなく・・・。
また人気のないところに行って、かばんの奥に入れていた1ドル札の束の中から3ドルぶん抜き取り、それにベリーズドルの50セントコインを付けて出す。
すると”PACT"と書かれた名刺サイズの緑色の紙をもらう。領収書かと思い、書かれてある文字を読むと、今払った7.5ベリーズドルは、ベリーズの自然資源や文化資源を守るために使われると書かれてある。PACTというのは、上のことを定めた法律の略称で、元は"Protected Areas Conservation Trust Act No.40 of 2002"と言うよう。
出国の手続きはそれで終わり。荷物のチェックもなし。
桟橋のところで舟を待つ。9時半前に舟がどこからともなく現れて桟橋に接岸する。どんな舟かと思っていたら、大型のモーターボートだった。ブルーシートの屋根付きで、20数人乗り。
舳先の方に客の荷物をまず乗せる。ぼくは一番最後に乗り込んだのだが、一番前の席しか空いてなかった。なんで後ろの席から詰まったのかよくわからなかったが、その後、先頭の方が揺れが大きく、また水しぶきもかかりやすいからという理由を体得する。
乗船すると、オレンジ色に黒のマジックで舟の名前が書かれたライフジャケットがみんなに配られる。
舟は9時45分頃、離岸。あっと言う間にトップスピードに乗る。想像していたのよりも早い。ただ、キーカーカーに行ったときの舟よりも風圧は低いので、そこまで早くはないよう。
昨日は風速10mくらいはありそうな風がびゅんびゅん吹いていたが、今日は一転して快晴で穏やか。波もない。
舟の先頭の方は例のごとく10°くらい上に傾いている。なので、一番前に座ったのに前が見えない。ときおり数十センチ浮き上がり、ストンと落ちる。身構えていないとけっこうな衝撃がくる。後ろに座っているおばさんは、浮き上がったときに、キャーともヒャーとも聞こえる声を上げる。他の人は黙って乗っている。
15分もすると右手奥には陸がうっすらと見える。雲がかかっていてあまりはっきり見えないが、近づくに連れ、海岸沿いに家が立っていることなどがわかってくる。
そのうち左手にも陸が見え、湾に入っていくことがわかる。湾の奥にはフェリーや貨物船が停泊している。また、同じようなボートがリビングストンの方面から走ってくるのも見える。
ベリーズ側を出てから約1時間後の11時前。小さな水しぶきを10回近く浴びて、舟はグアテマラのプエルトバリオスの船着き場(ドック)に到着。ボート専用の船着き場のようで、似たようなボートが数隻ある。
ボートから降り、あたりを見回すが、イミグレらしき建物が見えない。同じようにバックパックを背負ったカップルが先に歩いていたので、彼らについていく。すると船着き場から50mほど行ったところにイミグレがあった。
一応道路沿いに看板は出しているのだが、まわりの木の陰になっていて、建物のすぐ近くまで行かないと気がつかない。建物も独立した建物ではなく、商店などと並んであるので、気づきにくい。
一緒に乗ってきたボートの客がすでに中にいて、その後ろに並ぶ。自分の番になって、パスポートを出すと、英語でどこに行くのかと聞かれる。グアテマラシティと答えると、質問はそれだけで、ここも荷物のチェックもなく、入国手続き完了。
つづく
2008年3月30日日曜日
ベリーズシティからプンタゴルダへ
08/03/25(火)
夜中、カサカサとビニール袋が擦れる音で目が覚める。もしやと思ったら案の定ゴキブリが4匹。日本のよりもでかい。移動のバスの中で食べようと思っていたバナナの袋の中に入ってなにやらしている。ああ。サントドミンゴの宿もぼろかったけど、ここまでひどくなかったけどなぁ。ゴキブリが入り込んでいる袋を動かすとドアの下の隙間から部屋の外へと逃げていく。
8時。メキシコペソを両替しようと銀行に行く。宿から歩いて5分圏内に銀行は4カ所ほどあり、そのうちの3カ所に行くもペソの両替はやっていないと言われる。ある銀行の窓口の人に、どこで両替できるかと聞くと中央銀行ならできると言われ、海のそば、ベリーズ博物館裏の中央銀行に行く。
が、ここは両替自体をやっていないと守衛に言われる。無駄足。これで国境に両替屋がいなかった理由がわかった。ベリーズではメキシコペソは、まったくと言っていいほど価値がない。しかし、陸路で簡単に行き来ができる隣の国の通貨を両替していない国なんてそうないだろうに。
結局、別の銀行の窓口の人が言っていた船着き場の店が両替商も兼ねていた。店の看板にはそれらしいものは何もないから教えてもらわないとわからない。インド系の人がやっている店で両替してもらうと、1ベリーズドルが7ペソ。2軒の店で合計700ペソ(約65米ドル)ぶんを両替してもらったが、100ベリーズドル(50米ドル)にしかならず。為替差額で実に10米ドル以上損した。
経済の実態から言うと、ぜったいメキシコペソの方が強いと思うのだが、米ドルに固定しているから、こんなことになる。やれやれ。がっくりですわ。
カネがかかることもあり、さっさとベリーズを出ることにする。結局、ベリーズシティも連休だったから、普段どんな感じのまちかがわからなかったが、もう1泊する気にはなれない。
さすがに今朝は昨日、一昨日と違って朝から人手が多く、車もひっきりなしに走っている。8時過ぎにはどの店も開店の準備をしていて、確かにベリーズ最大の都市というだけある物量がかいま見える。
10時くらいのバスに乗れればいいかと8時40分頃宿を出る。歩いてバスターミナルへ。朝飯はまだ食べていなかったが、ターミナルの周りに出ている市でまた果物でも買おうかと思っていた。
20分ほど歩いて、バスターミナルがもうそこに見えているところまで来た時、ちょうどフロントガラスにPunta Gordaと書いたバスが正面から来た。
ラッキーと思って、右手を挙げてバスを止める。インド系のお兄さんが出てきて、どこに行くんだと聞くので、プンタゴルダと答えると、乗ってという合図をされる。
パッと見た感じでは満席なのだが、一番の奥の席が空いていた。車内は中央に通路があって、その両脇に二人掛けの椅子が並んでいる。12列ほどあって、50人近くが座れる。
一番後ろの席の後ろが、荷物置き場になっていて、そこにリュックを置く。すでに置かれているバナナなどの荷物で床が見えない状態になっており、どこに置こうか迷っていると、右の列に座っていたおじさんが背負っていたリュックを抱えて置くのを手伝ってくれる。
車内はエアコンもテレビもなし。窓からの涼しい風が入るから、エアコン付きで窓が開かないバスよりもだいぶん気持ちがいい。
乗客はチェトウマルからのバスと違って、マヤ系の人も多い。
車窓からは何にも使われていない木々がパラパラと茂っている平原が見える。高床式の家もときおり見える。
ベリーズシティを出て1時間10分後の10時20分、ベリーズの首都ベルモパンに到着。バスターミナルは郊外にあるのか、まわりは道路と民家が少々。バスの中にバナナチップ売りの男の子やピザ売りのおじさんが乗り込んできて、乗客に売り込む。ぼくはバナナチップを購入。1ベリーズドル(約60円)。例のごとく塩味。
星条旗のマークが入った帽子をかぶったヨーロッパ系のおじさん(70歳手前くらい)が、その友達というおじさんと一緒に乗り込んできて、隣に座る。しゃべる英語からアメリカ人っぽいように感じる。ベルモパンには買い出しに来てたようで、プラチックのトレーに入った肉や野菜などを大量にバスに積み込む。
同じバスに乗ってた若いアメリカ人らしき男の人とおじさんは話す。
まちを抜けると山道に入る。道路沿いには広大なオレンジ畑。山の斜面まで開墾しており、傾斜のきついところにもオレンジが植わっている。数十分もの間、オレンジ畑の脇を走る。面積で言うと数十ヘクタールはあるよう。木々には実が着いているものもあるし、ないものもある。実も黄色や緑がかっている皮の固そうなものばかり。
ぼくがオレンジ畑の写真を撮っていると、アメリカ人ぽいおじさんが話しかけてくる。オレンジが好きかというので、イエスととりあえず答えると、あっちにもと右手の畑を指さし、こっちにもと左手の畑を指さして、写真を撮ったらというような仕草をする。
そして、ジャパニーズかと聞いてくる。そうだと答えると、昨日もダングリガ(Dangriga)行きのバスで日本人のかわいい女性にあったらしい。彼女はベリーズで教師をしていると言っていたらしい。ベリーズで教師をしている日本人ってどんな人だろうとそのとき思ったが、あとで思うに、どうもその女性は協力隊員のよう。
オレンジ畑の中を走ること30分ほど。そのおじさんは自分の家があそこにあると左手奥に見えてきた赤い屋根の家を指さす。自分で"Big house"と言うのだが、確かにそこそこでかい。聞くとおじさんは運良くビッグマネーを手にし、25年以上ベリーズに住んでいるらしい。家は山の斜面にあり、やはりオレンジ畑に隣接している。隣の家までは50m以上離れており、辺りの人口密度はかなり低そう。
道沿いには、マヤ系の人たちの集落を多く見る。コンクリートづくりの家もあるが、集落によっては木製の壁に椰子の葉で屋根を葺いた家だけというところもある。家の周りにはバナナなどが植えられ、たいてい家の玄関前などで子どもたちがじゃれあって遊んでいたりする。ほとんどの女性がいわゆる民族衣装を着ている。
辺りはジャングルで緑が深い。川を何本も渡ったから水も豊富なようだ。
広大なオレンジ畑を見て、これらをどうしているのかと思っていたら、途中1カ所だけジュース工場を見た。どこの会社がやっているのか知りたかったが、工場の入り口には車窓から見る限り、はっきりとわかるような看板はなく、わからずじまい。ちなみに、その工場の入り口のところにみかんを抱えた労働者の銅像が建っていた。
12時20分、ベリーズの南部の中心町らしいダングリガ(Dangriga)に到着。ここもジャマイカなどから連れてこられたりしたアフリカ系の人が多く住むまち。その人たちのことをガリフナ族と呼ぶらしいが、まちの外れにはガリフナに関するミュージアムがあり、まちの入り口になっているロータリーにはドラムをたたく人たちの像が建てられ、台座には"Drum is My Father"という文字が彫り込まれていた。
ここでバスに乗っていた4~5人のヨーロッパ系・アメリカ系の旅行者はバスを降りる。旅行者らしき人間はぼくだけとなる。
ダングリガを出ると、バスはこれまた広大なバナナ農園の中を走る。両脇に数ヘクタールにわたってバナナが植えられている。
バスはまたジャングルに挟まれた道を通る。ここまではすべて舗装されていた道路を走っていたが、ダングリガを出てしばらくすると未舗装の道に出る。20分ほど未舗装の道が続く。未舗装と言ってもちょうど舗装の工事をしているところで、おそらく数ヶ月後や1年後には舗装されるのだろう。未舗装の道から舗装されている道に切り替わる地点の脇には、工事に使う車両などとともに、飯場として使われているのか、プレハブの建物が建てられていた。
13時50分、Independence Villageという村でお昼の休憩。レストランが併設されている駐車場にバスは停まり、乗客のほとんどがバスを降り、レストランに入っていく。ぼくは荷物のことがあるので、バスの中で待機。レストランに行かなくても、バスの中まであれこれ売り込みに来てくれるので、それを待つ。
物を売りにバスに乗り込んで来たのは、子どもばかり。体格からすると8~10歳くらいと思われる男の子と女の子ばかり。食事代わりになるようなものはなかったので、食べたことのない物を男の子から買う。名前がわからないが、猛烈に甘い練り菓子だった。日本にも似たようなお菓子があるが名前が出てこない。きな粉を使った棒状やあめ玉状の甘いお菓子に似ている。
20分ほど、ここには停車してまたバスは走り出す。バスの中から見た限りでは、この村は幹線道路以外は舗装されていない。だから、車が走ると砂埃がすごい。ここでも高床式の家が散見される。
外の景色は、さっきまでのジャングルは消え、ベリーズ北部の移動時に見たような平原が広がる景色に変わる。
バスの中も乗客がだいぶ減り、すかすかになってきた。
15時半を過ぎた頃、車掌的役割をしているバスの乗務員のおにいさん(インド系)が、前から順に乗客になにやら聞いて回っている。ぼくのところにも来て、英語で何やら聞く。2度聞き返してやっとわかったが、プンタゴルダのどこで降りるかと聞いているのだった。これまでそんなことは聞かれることなく、目的地のターミナルにどかっと降ろされるのが定番だったので、そんなことを聞かれるとは思っていなかった。
市場の近くで降りたいというと、おにいさんはうなづいて、運転手横の自分の定位置に戻る。
ふと、左手に海が見えていることに気づく。おにいさんとしゃべっている間に海沿いに出たよう。目的地のプンタゴルダは海に面したまち。これはかなり近づいている。
すぐにバスは家が立ち並ぶ通りに入る。客が一人降り、二人降りして、最後にぼくともう一人マヤ系の人だけになる。公園らしき一角でバスは停まり、車掌のおにいさんが、ここだと合図をする。
リュックを背負ってバスを降りる。まだ時間は16時前。ベリーズシティでバスに乗り込んだのが9時10分だったから、7時間ちょっとしかたっていない。ガイドブックによれば8時間とあったので、17~18時に着くと予想していた。だから、予想外に早く着き、驚く。
空は曇り空。風が強い。
公園には8時40分で針が止まっている時計があった。周りには不揃いの形をした商店が並び、ぼくがバスから降りたすぐ横の店では女の子二人がゲームセンター(ゲーセン)によくあるゲーム機でゲームをしている。その店にはゲーム機は5台ほどしかなかったが、こんなところにもゲーセンがあるとは。
ガイドブックの地図を見て、位置を確認し、顔をあげたとき、「何かお探しですか?」と日本語が聞こえる。えっ?と思って、声がした正面を見ると、日本人の女性がラフな格好で立っていた。ぼくと同じくらいの年齢くらいか。
「宿を探しているんですけど」と言ったら、じゃあここがいいですよと『歩き方』にも載っている2軒のゲストハウスを紹介してくれる。どっちがいいか聞かれたので、近い方と伝えると、じゃあ、と案内してくれる。
その女性は、青年海外協力隊の隊員の人で、このまちで商店の販売の手伝いをしているという。今は、ちょうどその帰り道だったらしい。
宿は公園から歩いて5分もかからないところにあった。宿主とは知り合いのようで、料金まで全部確認してくれる。一泊35ベリーズドル(17.5米ドル)だったのは、予算的にちょっといたかったが、施設はベリーズシティの宿とは比べ物にならないくらい良い。風呂桶もあり、タオルも付いている。テレビ、扇風機もある。テレビはケーブルテレビのようでチャンネル数多し。なので、どれがベリーズのチャンネルかよくわからず。
協力隊の人に高床式の家のことを聞くと、洪水対策らしい。雨季にはものすごい雨が降り、あっと言う間に水がたまり、今とはまったく景色も違って見えるという。
チェックインを済ませてから、その人に近くの店まで案内してもらう。中国系の店がここも多いので、そのことについて聞くと、ベリーズの国が以前土地を売り出したときに、中国人が大量に買い付けた結果、このように中国人が住み着き商売しているという。
中国人は世界中にいるというが、商売を始めるまでの過程がどうなっているのか気になる。ベリーズの場合にしても、そもそもベリーズについての情報をどこで得たのか、また外国の土地を買うカネを持っていた中国人はどういう人たちだったのか、あるいは各国の土地が売り出されたときに土地を買い付けるようなブローカー的な人やグループなリがいる/あるのか。きっと誰かが調査しているとおもうが、その辺が気になる。
あと蛇足だが、協力隊員の男女比を聞いたところ、5分の3以上~4分3以下が女性らしい。圧倒的に女性が多いとのこと。ベリーズの隊員は、その女性が7番目でまだまだ始まったばかりらしい。このまちには他に3人の隊員(いずれも女性)がおり、その人たち等は学校で教員をしているらしい。
紹介してもらった商店で、絵はがきとヨーグルトとアイスを買う。アイスはとりたててうまくはないが、まずくもない。ヨーグルトは日本の有名メーカーのプレーンと比べると酸味がやや強い感じがするが、ほとんど味は変わらない。
公園のベンチは座席(?)がやや上を向いているため、座り心地がいい。
一通りまちを歩く。
船着き場に行き、入り口付近にいた人に、明日の船便を聞くと、一番早いのが9時半で、次が14時、次が17時と言われる。
ネットカフェもあり、1時間4ベリーズドル(2米ドル)。中国系の店は10店舗近くあり、中華料理店や日用品店をやっている。中国語で話しているおじさんたちもいた。
ベリーズシティと違うのは、アフリカ系の人よりもマヤ系の人が多いこと。協力隊の人も言っていたが、この辺りは住民の6割だったかがマヤ系らしい。
1時間ほどふらついて、宿に戻る。宿に着いたとき、警官二人が後ろから来て、自分たちはツーリストポリスだと言って、ここに住んでいるのかと聞いてくる。なぜか写した写真を見せろと言われ、写真を見せる。ふらふらしているときに、住民の誰かが通報したのだろうか。中国系の人が多いまちだから、怪しい中国人がいると思われたのかもしれない。
実際、パスポートを見せると"You are japanese!"という反応。それからパスポートの写真を見て、"You look like Ninja-man"などと言う。どういう忍者を見たというんじゃ!?
写真をチェックしていた方の警官は、2000枚以上になっていた画数に気が付き、その数字を指さし、これが枚数かと聞いてくる。そうだというと、いいカメラだと言い、値段を聞いてくる。200米ドル位というと、そうか、と感心して終わり。何かあったら自分たちに言ってきてと言うが、すでに何か起こっているんですけど・・・、と一人ごつ。
警官が帰った後に、宿のおじさんになぜ彼らが来たのか聞いたが、わからないとのこと。まったくベリーズではツいていないというか、何というか。
6時過ぎ、協力隊の人に薦められた店に行く。体感風速10mほどもあるからか、客は誰もいない。店も客が来ないと見込んでいたのか、料理の準備もできていないという。20分ほど待ってくれればできるというので、待つことにする。
どんな料理が出てくるのかと期待していたら出てきたのは、ご飯に魚のフライが2枚、あとちょっとしたサラダ。もうちょっといいものが出てくるかと思っていたのでがっかり。タマリンドのジュース2杯とあわせ、15ベリーズドル(約900円)ほどだったか。
18時を過ぎたら、天気が悪いこともあってか、辺りは真っ暗。道を歩いている人も少ない。中心部の公園付近には若い人等がたまっておしゃべりしてはいた。
警官といい、さっきのレストランといい、なんだか不満がたまることばかり起こるので、商店で水を買うついでに夜食用にトルティージャチップスのスナック菓子とベリーズ産というチョコレートを買う。これらでまた800円近くとぶ。ベリーズではちょっと無駄遣いするとあっと言う間にカネがなくなる。
レストランの中には英語をしゃべる白人観光客が20人ほど入っている店もある。
20時前には宿に戻り、イライラしながらトルティージャチップスを食う。カネのこともあり、早くベリーズを出たい気分になってくる。明日は風がやみ、いい天気になるよう祈る。
08/03/29
Guatemala city,Guatemalaよりアップ
夜中、カサカサとビニール袋が擦れる音で目が覚める。もしやと思ったら案の定ゴキブリが4匹。日本のよりもでかい。移動のバスの中で食べようと思っていたバナナの袋の中に入ってなにやらしている。ああ。サントドミンゴの宿もぼろかったけど、ここまでひどくなかったけどなぁ。ゴキブリが入り込んでいる袋を動かすとドアの下の隙間から部屋の外へと逃げていく。
8時。メキシコペソを両替しようと銀行に行く。宿から歩いて5分圏内に銀行は4カ所ほどあり、そのうちの3カ所に行くもペソの両替はやっていないと言われる。ある銀行の窓口の人に、どこで両替できるかと聞くと中央銀行ならできると言われ、海のそば、ベリーズ博物館裏の中央銀行に行く。
が、ここは両替自体をやっていないと守衛に言われる。無駄足。これで国境に両替屋がいなかった理由がわかった。ベリーズではメキシコペソは、まったくと言っていいほど価値がない。しかし、陸路で簡単に行き来ができる隣の国の通貨を両替していない国なんてそうないだろうに。
結局、別の銀行の窓口の人が言っていた船着き場の店が両替商も兼ねていた。店の看板にはそれらしいものは何もないから教えてもらわないとわからない。インド系の人がやっている店で両替してもらうと、1ベリーズドルが7ペソ。2軒の店で合計700ペソ(約65米ドル)ぶんを両替してもらったが、100ベリーズドル(50米ドル)にしかならず。為替差額で実に10米ドル以上損した。
経済の実態から言うと、ぜったいメキシコペソの方が強いと思うのだが、米ドルに固定しているから、こんなことになる。やれやれ。がっくりですわ。
カネがかかることもあり、さっさとベリーズを出ることにする。結局、ベリーズシティも連休だったから、普段どんな感じのまちかがわからなかったが、もう1泊する気にはなれない。
さすがに今朝は昨日、一昨日と違って朝から人手が多く、車もひっきりなしに走っている。8時過ぎにはどの店も開店の準備をしていて、確かにベリーズ最大の都市というだけある物量がかいま見える。
10時くらいのバスに乗れればいいかと8時40分頃宿を出る。歩いてバスターミナルへ。朝飯はまだ食べていなかったが、ターミナルの周りに出ている市でまた果物でも買おうかと思っていた。
20分ほど歩いて、バスターミナルがもうそこに見えているところまで来た時、ちょうどフロントガラスにPunta Gordaと書いたバスが正面から来た。
ラッキーと思って、右手を挙げてバスを止める。インド系のお兄さんが出てきて、どこに行くんだと聞くので、プンタゴルダと答えると、乗ってという合図をされる。
パッと見た感じでは満席なのだが、一番の奥の席が空いていた。車内は中央に通路があって、その両脇に二人掛けの椅子が並んでいる。12列ほどあって、50人近くが座れる。
一番後ろの席の後ろが、荷物置き場になっていて、そこにリュックを置く。すでに置かれているバナナなどの荷物で床が見えない状態になっており、どこに置こうか迷っていると、右の列に座っていたおじさんが背負っていたリュックを抱えて置くのを手伝ってくれる。
車内はエアコンもテレビもなし。窓からの涼しい風が入るから、エアコン付きで窓が開かないバスよりもだいぶん気持ちがいい。
乗客はチェトウマルからのバスと違って、マヤ系の人も多い。
車窓からは何にも使われていない木々がパラパラと茂っている平原が見える。高床式の家もときおり見える。
ベリーズシティを出て1時間10分後の10時20分、ベリーズの首都ベルモパンに到着。バスターミナルは郊外にあるのか、まわりは道路と民家が少々。バスの中にバナナチップ売りの男の子やピザ売りのおじさんが乗り込んできて、乗客に売り込む。ぼくはバナナチップを購入。1ベリーズドル(約60円)。例のごとく塩味。
星条旗のマークが入った帽子をかぶったヨーロッパ系のおじさん(70歳手前くらい)が、その友達というおじさんと一緒に乗り込んできて、隣に座る。しゃべる英語からアメリカ人っぽいように感じる。ベルモパンには買い出しに来てたようで、プラチックのトレーに入った肉や野菜などを大量にバスに積み込む。
同じバスに乗ってた若いアメリカ人らしき男の人とおじさんは話す。
まちを抜けると山道に入る。道路沿いには広大なオレンジ畑。山の斜面まで開墾しており、傾斜のきついところにもオレンジが植わっている。数十分もの間、オレンジ畑の脇を走る。面積で言うと数十ヘクタールはあるよう。木々には実が着いているものもあるし、ないものもある。実も黄色や緑がかっている皮の固そうなものばかり。
ぼくがオレンジ畑の写真を撮っていると、アメリカ人ぽいおじさんが話しかけてくる。オレンジが好きかというので、イエスととりあえず答えると、あっちにもと右手の畑を指さし、こっちにもと左手の畑を指さして、写真を撮ったらというような仕草をする。
そして、ジャパニーズかと聞いてくる。そうだと答えると、昨日もダングリガ(Dangriga)行きのバスで日本人のかわいい女性にあったらしい。彼女はベリーズで教師をしていると言っていたらしい。ベリーズで教師をしている日本人ってどんな人だろうとそのとき思ったが、あとで思うに、どうもその女性は協力隊員のよう。
オレンジ畑の中を走ること30分ほど。そのおじさんは自分の家があそこにあると左手奥に見えてきた赤い屋根の家を指さす。自分で"Big house"と言うのだが、確かにそこそこでかい。聞くとおじさんは運良くビッグマネーを手にし、25年以上ベリーズに住んでいるらしい。家は山の斜面にあり、やはりオレンジ畑に隣接している。隣の家までは50m以上離れており、辺りの人口密度はかなり低そう。
道沿いには、マヤ系の人たちの集落を多く見る。コンクリートづくりの家もあるが、集落によっては木製の壁に椰子の葉で屋根を葺いた家だけというところもある。家の周りにはバナナなどが植えられ、たいてい家の玄関前などで子どもたちがじゃれあって遊んでいたりする。ほとんどの女性がいわゆる民族衣装を着ている。
辺りはジャングルで緑が深い。川を何本も渡ったから水も豊富なようだ。
広大なオレンジ畑を見て、これらをどうしているのかと思っていたら、途中1カ所だけジュース工場を見た。どこの会社がやっているのか知りたかったが、工場の入り口には車窓から見る限り、はっきりとわかるような看板はなく、わからずじまい。ちなみに、その工場の入り口のところにみかんを抱えた労働者の銅像が建っていた。
12時20分、ベリーズの南部の中心町らしいダングリガ(Dangriga)に到着。ここもジャマイカなどから連れてこられたりしたアフリカ系の人が多く住むまち。その人たちのことをガリフナ族と呼ぶらしいが、まちの外れにはガリフナに関するミュージアムがあり、まちの入り口になっているロータリーにはドラムをたたく人たちの像が建てられ、台座には"Drum is My Father"という文字が彫り込まれていた。
ここでバスに乗っていた4~5人のヨーロッパ系・アメリカ系の旅行者はバスを降りる。旅行者らしき人間はぼくだけとなる。
ダングリガを出ると、バスはこれまた広大なバナナ農園の中を走る。両脇に数ヘクタールにわたってバナナが植えられている。
バスはまたジャングルに挟まれた道を通る。ここまではすべて舗装されていた道路を走っていたが、ダングリガを出てしばらくすると未舗装の道に出る。20分ほど未舗装の道が続く。未舗装と言ってもちょうど舗装の工事をしているところで、おそらく数ヶ月後や1年後には舗装されるのだろう。未舗装の道から舗装されている道に切り替わる地点の脇には、工事に使う車両などとともに、飯場として使われているのか、プレハブの建物が建てられていた。
13時50分、Independence Villageという村でお昼の休憩。レストランが併設されている駐車場にバスは停まり、乗客のほとんどがバスを降り、レストランに入っていく。ぼくは荷物のことがあるので、バスの中で待機。レストランに行かなくても、バスの中まであれこれ売り込みに来てくれるので、それを待つ。
物を売りにバスに乗り込んで来たのは、子どもばかり。体格からすると8~10歳くらいと思われる男の子と女の子ばかり。食事代わりになるようなものはなかったので、食べたことのない物を男の子から買う。名前がわからないが、猛烈に甘い練り菓子だった。日本にも似たようなお菓子があるが名前が出てこない。きな粉を使った棒状やあめ玉状の甘いお菓子に似ている。
20分ほど、ここには停車してまたバスは走り出す。バスの中から見た限りでは、この村は幹線道路以外は舗装されていない。だから、車が走ると砂埃がすごい。ここでも高床式の家が散見される。
外の景色は、さっきまでのジャングルは消え、ベリーズ北部の移動時に見たような平原が広がる景色に変わる。
バスの中も乗客がだいぶ減り、すかすかになってきた。
15時半を過ぎた頃、車掌的役割をしているバスの乗務員のおにいさん(インド系)が、前から順に乗客になにやら聞いて回っている。ぼくのところにも来て、英語で何やら聞く。2度聞き返してやっとわかったが、プンタゴルダのどこで降りるかと聞いているのだった。これまでそんなことは聞かれることなく、目的地のターミナルにどかっと降ろされるのが定番だったので、そんなことを聞かれるとは思っていなかった。
市場の近くで降りたいというと、おにいさんはうなづいて、運転手横の自分の定位置に戻る。
ふと、左手に海が見えていることに気づく。おにいさんとしゃべっている間に海沿いに出たよう。目的地のプンタゴルダは海に面したまち。これはかなり近づいている。
すぐにバスは家が立ち並ぶ通りに入る。客が一人降り、二人降りして、最後にぼくともう一人マヤ系の人だけになる。公園らしき一角でバスは停まり、車掌のおにいさんが、ここだと合図をする。
リュックを背負ってバスを降りる。まだ時間は16時前。ベリーズシティでバスに乗り込んだのが9時10分だったから、7時間ちょっとしかたっていない。ガイドブックによれば8時間とあったので、17~18時に着くと予想していた。だから、予想外に早く着き、驚く。
空は曇り空。風が強い。
公園には8時40分で針が止まっている時計があった。周りには不揃いの形をした商店が並び、ぼくがバスから降りたすぐ横の店では女の子二人がゲームセンター(ゲーセン)によくあるゲーム機でゲームをしている。その店にはゲーム機は5台ほどしかなかったが、こんなところにもゲーセンがあるとは。
ガイドブックの地図を見て、位置を確認し、顔をあげたとき、「何かお探しですか?」と日本語が聞こえる。えっ?と思って、声がした正面を見ると、日本人の女性がラフな格好で立っていた。ぼくと同じくらいの年齢くらいか。
「宿を探しているんですけど」と言ったら、じゃあここがいいですよと『歩き方』にも載っている2軒のゲストハウスを紹介してくれる。どっちがいいか聞かれたので、近い方と伝えると、じゃあ、と案内してくれる。
その女性は、青年海外協力隊の隊員の人で、このまちで商店の販売の手伝いをしているという。今は、ちょうどその帰り道だったらしい。
宿は公園から歩いて5分もかからないところにあった。宿主とは知り合いのようで、料金まで全部確認してくれる。一泊35ベリーズドル(17.5米ドル)だったのは、予算的にちょっといたかったが、施設はベリーズシティの宿とは比べ物にならないくらい良い。風呂桶もあり、タオルも付いている。テレビ、扇風機もある。テレビはケーブルテレビのようでチャンネル数多し。なので、どれがベリーズのチャンネルかよくわからず。
協力隊の人に高床式の家のことを聞くと、洪水対策らしい。雨季にはものすごい雨が降り、あっと言う間に水がたまり、今とはまったく景色も違って見えるという。
チェックインを済ませてから、その人に近くの店まで案内してもらう。中国系の店がここも多いので、そのことについて聞くと、ベリーズの国が以前土地を売り出したときに、中国人が大量に買い付けた結果、このように中国人が住み着き商売しているという。
中国人は世界中にいるというが、商売を始めるまでの過程がどうなっているのか気になる。ベリーズの場合にしても、そもそもベリーズについての情報をどこで得たのか、また外国の土地を買うカネを持っていた中国人はどういう人たちだったのか、あるいは各国の土地が売り出されたときに土地を買い付けるようなブローカー的な人やグループなリがいる/あるのか。きっと誰かが調査しているとおもうが、その辺が気になる。
あと蛇足だが、協力隊員の男女比を聞いたところ、5分の3以上~4分3以下が女性らしい。圧倒的に女性が多いとのこと。ベリーズの隊員は、その女性が7番目でまだまだ始まったばかりらしい。このまちには他に3人の隊員(いずれも女性)がおり、その人たち等は学校で教員をしているらしい。
紹介してもらった商店で、絵はがきとヨーグルトとアイスを買う。アイスはとりたててうまくはないが、まずくもない。ヨーグルトは日本の有名メーカーのプレーンと比べると酸味がやや強い感じがするが、ほとんど味は変わらない。
公園のベンチは座席(?)がやや上を向いているため、座り心地がいい。
一通りまちを歩く。
船着き場に行き、入り口付近にいた人に、明日の船便を聞くと、一番早いのが9時半で、次が14時、次が17時と言われる。
ネットカフェもあり、1時間4ベリーズドル(2米ドル)。中国系の店は10店舗近くあり、中華料理店や日用品店をやっている。中国語で話しているおじさんたちもいた。
ベリーズシティと違うのは、アフリカ系の人よりもマヤ系の人が多いこと。協力隊の人も言っていたが、この辺りは住民の6割だったかがマヤ系らしい。
1時間ほどふらついて、宿に戻る。宿に着いたとき、警官二人が後ろから来て、自分たちはツーリストポリスだと言って、ここに住んでいるのかと聞いてくる。なぜか写した写真を見せろと言われ、写真を見せる。ふらふらしているときに、住民の誰かが通報したのだろうか。中国系の人が多いまちだから、怪しい中国人がいると思われたのかもしれない。
実際、パスポートを見せると"You are japanese!"という反応。それからパスポートの写真を見て、"You look like Ninja-man"などと言う。どういう忍者を見たというんじゃ!?
写真をチェックしていた方の警官は、2000枚以上になっていた画数に気が付き、その数字を指さし、これが枚数かと聞いてくる。そうだというと、いいカメラだと言い、値段を聞いてくる。200米ドル位というと、そうか、と感心して終わり。何かあったら自分たちに言ってきてと言うが、すでに何か起こっているんですけど・・・、と一人ごつ。
警官が帰った後に、宿のおじさんになぜ彼らが来たのか聞いたが、わからないとのこと。まったくベリーズではツいていないというか、何というか。
6時過ぎ、協力隊の人に薦められた店に行く。体感風速10mほどもあるからか、客は誰もいない。店も客が来ないと見込んでいたのか、料理の準備もできていないという。20分ほど待ってくれればできるというので、待つことにする。
どんな料理が出てくるのかと期待していたら出てきたのは、ご飯に魚のフライが2枚、あとちょっとしたサラダ。もうちょっといいものが出てくるかと思っていたのでがっかり。タマリンドのジュース2杯とあわせ、15ベリーズドル(約900円)ほどだったか。
18時を過ぎたら、天気が悪いこともあってか、辺りは真っ暗。道を歩いている人も少ない。中心部の公園付近には若い人等がたまっておしゃべりしてはいた。
警官といい、さっきのレストランといい、なんだか不満がたまることばかり起こるので、商店で水を買うついでに夜食用にトルティージャチップスのスナック菓子とベリーズ産というチョコレートを買う。これらでまた800円近くとぶ。ベリーズではちょっと無駄遣いするとあっと言う間にカネがなくなる。
レストランの中には英語をしゃべる白人観光客が20人ほど入っている店もある。
20時前には宿に戻り、イライラしながらトルティージャチップスを食う。カネのこともあり、早くベリーズを出たい気分になってくる。明日は風がやみ、いい天気になるよう祈る。
08/03/29
Guatemala city,Guatemalaよりアップ
2008年3月28日金曜日
お休みベリーズシティ、キーカーカー
08/03/24(月)
6時頃目が覚める。涼しい。10時まで部屋でもろもろの整理。同室のオランダ人は7時過ぎ頃、グッバイと言って出ていった。彼女は2週間ほどの休みで来ているそうで、ベリーズの海が目当てのよう。昨日、ぼくに明日はどこに行くのかと訪ねたとき、ぼくがベリーズシティ内を散歩と言ったら、海には行かないのかと言っていた。ベリーズは世界遺産に登録されている珊瑚礁群などもあり、みなこれを目当てに来るよう。
10時になって、宿を出ようとすると、宿のおじいさんが今日も泊まるのかと聞いてきて、そうだというとお金を払えと言う。誰に払えばいいのかと言うと、ちょっと待ってと宿主を呼ぶ。出てきたのはメキシカン系の年輩の女性。英語もスペイン語も話す。
今夜も泊まると言うと、そこの部屋に?と聞くから、もっと安い部屋はあるか聞くと、ちょうど掃除し終わった一人部屋を案内してくれた。値段を聞くと20ベリーズドル(1米ドル=2ベリーズドル:固定相場)。こっちの部屋の方が窓があり、気持ちよさそうなので移ることにする。
荷物を移して外に出ようとしたとき、宿主のおばちゃんが話しかけてきた。"Are you a photographer?" 写真家ってなんでまた、と思いながら、"No"と言うと、何をしているか聞くので"Office worker"と答えると、おばさんは"あなたの顔(容貌、風貌)がとてもアーティスティックだから、写真や絵など何か芸術をやっている人かと思った”と言う。
そんなことを言われるのは人生で初めてだが、これから先、入国時などに職業を聞かれたら、そう答えてみると面白いかなと思ったりする。今まではオフィスワーカーと言っていたが、すでに旅も2ヶ月近く。普通のオフィスワーカーが2ヶ月以上も休みを取れるはずがないから、芸術家だなんて言ったら面白そう。
まずは大量に残っているメキシコペソの両替をしようと銀行に向かう。スウィング橋を渡り、中心街へ。宿から歩いて5分程度。銀行が見えたが、開いている雰囲気がない。月曜の10時なのにおかしい。
他にも銀行の看板が2軒ほど見えたので、そちらも行くがどこも閉店。入り口の開店時間には月曜は8時からとなっているのに。銀行と同じ通りに並んでいる店もほぼすべてシャッターが降りている。今日が日曜だったかと思い、道ばたにいた警官に、銀行がいつ開くかと英語で聞くと、明日だと言う。今日は祝日で、店は休みだと。
昨日はイースターで休みとは聞いていたけど、今日まで祝日とは・・・。完全に当てが外れる。ということは、郵便局も博物館も図書館も開いていないんだろうなと思ったら、まったくその通りで、それぞれの入り口まで行ったが、完全に閉まっていた。
これはどうしたものかとがっかりする。ベリーズは米ドルとの固定レートを取っていて、米ドルがそのまま使えるが、メキシコペソが余っているのに米ドルを使うのはもったいない。
やれやれと思いながら、とりあえず朝飯を食うことにする。来た道を戻る。マーケットの建物の入り口やその向かいの建物前には、昨日もいた路上生活者らしい白髪まじりのおじさん、おじいさんたちが10人ほど。みなアフリカ系の人。何をするでもなく座り込んでいる。中にはラスタのヘアスタイルをしている人もいる。さっき通ったベリーズ銀行横の公園には20~30人くらい同じような人がいた。ここベリーズシティは8万4千人の人口があるというが、人口割合から言うとハバナやサントドミンゴ(ドミニカ)よりも多いような気がする。
スウィング橋近くの屋台で弁当を買う。マッシュポテトが主食で、魚のフライとサラダが入っている。なかなかうまい。
行こうと思っていたところが軒並み休みなので、とりあえずバスターミナルに行くことにする。明日はまた移動するので、その下見。
商店の看板は並んでいるものの本当に見事に閉まっている。さらに人通りもない。
ネットカフェと書いてあったところがガラスドアが見え、開いてそうだったので入り口をたたくと、なかからおばさんが"No open"と言ってくる。
ぼちぼち歩いていると、アフリカ系の女の子2人連れがバナナチップを売り歩いていた。ぼくに買わないかと言ってくるので、1袋買う。いくらか聞いたら2袋で4ベリーズドル(約240円)と言う。高い。カンクンでも同じようなバナナチップスは1米ドルもしなかったのに。でも、まぁ、子どもの小遣いなりになればいいかと言い値を払う。
聞くと二人はいとこ同士で、小さい方の子は9歳だという。歩きながらかすかに開いてる店や歩いている人に売り込みに行く。
バスターミナルに続くこの道は、きちんと舗装されてあったが、脇の住宅街に入る道の中には舗装されていない道もある。住宅街と言っても、木造の家は木材が朽ちてけっこうぼろぼろの家もある。道ばたにはお菓子の袋や弁当箱などのプラスチックごみなどがぎょうさん落ちているところも。時折、家の中からレゲエが聞こえてくる。
バスターミナルに到着。昨日も来たところだが、ここが一番人が集まっていた。バスを待つ人。その人たちをターゲットにした物売りの人。そして、すぐ近くには野菜の市場があった。簡易テントが20軒ほど並んでいる。店主は多くがマヤ系かヨーロッパ系の強いメキシカン系。アフリカ系の人のも何店舗かある。なかにはラスタのヘアスタイルをした人もいる。
売られている野菜は日本で見るものとほぼ同じ。キャベツに人参、赤いじゃがいも、インゲン、トマト、カボチャ、ピーマン、タマネギ、ピーナッツ、サツマイモ、里芋、キャッサバ、オクラ、米なすにニンニク、しょうが。果物はパインにマンゴー、パパイヤ、メロン、みかんなど。乾燥させたハーブ専門の店もある。
ここではわりとスペイン語の方が話されているが、英語も十分通じる。アフリカ系の人は基本は英語のよう。ぼくは一通り見て、ひとつの店でバナナを買う。10本で1ベリーズドル(約60円)。これは安い。野菜の写真を撮らせてもらう。
どの店も子どもを連れてきており、子どもは店の奥でじっと客の様子を見ていたり、兄弟がいると道ばたで遊んだりしている。
バナナを食べながらバスターミナル内に向かう。ターミナル内には国境の町のColozalや南の中心町Dangrigaに行くバスが停車しており、バスの運転手らしき人がそれぞれの行き先を大声でいい、客集めをしている。家族連れなどがバスに急ぐ。
時刻表を見ようと思ったが、2006年とかのしかないので、当てにならなさそう。チケット販売の窓口もあるがすべて閉まっていて、壁には料金はバスの中で払うように書いてある。
これは明日は適当に来てバスを待つしかないなと思い、引き上げる。
途中、地元の人が次々と並んでいた露店が気になり、そこに立ち寄る。ここではタマーレとポタージュスープを売っていた。スープは紙コップ1杯が1ベリーズドル(約60円)。味は日本で売られている普通のものよりも甘い。
それから市内をぶらぶら。途中、道ばたで切り身の果物を売っていたので、パパイヤを買う。
ベリーズ一の大都市とあったが、祝日ということもあってか、人も車も少ない。すれ違った人の数も数えられるくらい。3時間ほど歩いていたが、バスターミナルを除けばせいぜい100人くらいとしかすれ違っていない。
ぐるっと回って中心街に戻ってくる。まだ半日残っているが、どうも見るべきところはないので、急遽、観光地のキーカーカーという島に行くことにした。
スウィング橋のたもとに乗り場があり、朝もアメリカやヨーロッパからの旅行客で乗り場の待合室はいっぱいだった。昼過ぎだから少しは空いているだろうと思ったら、その逆。100人以上の人が待っていた。
チケット売場の窓口で次の便を聞くと13時半だという。まだ30分ほどある。チケット代を聞くと30ベリーズドル(15米ドル:約3500円)と言う。米ドルしかないので、ちょっと惜しい気がしたが、たぶんもう二度と来ないので、試しに行くことにする。
乗り場の建物内には5軒ほど売店があり、お菓子や飲み物の他、水中で使える使い捨てカメラや絵はがきなども売っている。また、グアテマラやメキシコ行きのバスのチケットも扱っているよう。1軒の店には、日本語の張り紙が貼られており、トラベラーズチェックを無料で両替できると書かれてある。
また、いくらかしらないが荷物を預ける木製のロッカーも備え付けられている。
13時半になったが、まだ船は出ない。しばらくして、まずはサンペドロ行きの船の乗船が始まり、その後にキーカーカー行きの乗船が始まる。
同じ船に乗る人たちは圧倒的にアメリカやヨーロッパからの旅行客が多い。特にアメリカ人らしき集団は16人ほどで、みな白髪であることから退職者のグループのよう。あとは30~40代のカップルなど。地元の人らしき人は1割程度。
船は大型のモーターボートで、40~50人乗り。船の縁が座席になっており、前頭部には屋根が着いている。乗船するとみな日焼け止めを塗り始める。
13時50分ころ、船は出発。一気にスピードをあげ、前の方は浮き上がったような状態になる。風圧がすごい。海風があるとして差し引いても、体感速度でいうと30~40kmは出ている。髪の毛がぺちぺちと顔をたたき、やや痛い。加えて目にも入るから、目を開けておくのにも苦労する。カツラだったら絶対飛んでいるだろう。
出発時にはあった日差しも、進むに連れあいにくの曇り空の下に入り、肌寒くなる。何人かは長袖を取り出し、着込んでいる。
20分ほどするとマングローブの一群が両脇に見え、その間を船は通る。海の色は濃い緑いろ。
それからしばらくすると左手に島が見える。バンガローが何棟かあるが、人はいない。
さらにもうしばらく行くと、海上に小屋が建っていた。それも2軒だけ。人は見えなかったので、家なのかどうかはわからない。
波はなく、穏やか。きっと空が晴れていれば、海の色はエメラルドグリーンなのだろうが、曇っていてあまり美しくない。
1時間ほどして、船は目的地の島に到着。桟橋には帰りの船を待っている観光客がぱらぱらいる。海岸には桟橋が20本ほど出ており、ところどころにヨットが停泊している。
桟橋から下を見ると、はっきりと底まで見える。水深は2mもないくらい。
島に入ると道はすべて砂の道。雨が降ったのかそこらじゅうに水たまりがある。走っているのはゴルフカートと自転車ばかり。止まっている車はあっても走っているのは一台もない。
レストランやホテルが建ち並び、観光客がふらふらしている。ここにも中国人は店を出していて、食料品店やホテルをやっている。この人たちはどうやって商売を始めたのかと不思議に思う。
島内は1時間もあればほぼすべて見て回れる。海産物の市場でもあるかなと思っていたが、それらしきものはない。島内にはインターネットができる店もあった。試しにしてみると20分で5ベリーズドル(2.5米ドル=約500円)。さすがに離れ小島とあって高い。
海で泳ぐつもりもなく来たので、すぐに飽きてしまい、16時の船で帰ることに。帰りの船もいっぱい。今度はすべて屋根で覆われているタイプの船だったので風圧がない上、外が眺めにくいこともあり、寝てしまう。
17時ごろ、ベリーズシティに到着。昨日も弁当を買った店で夕食を買い、宿で飯を食い、寝る。
08/03/27
Puerto Barrios,Guatemalaよりアップ
6時頃目が覚める。涼しい。10時まで部屋でもろもろの整理。同室のオランダ人は7時過ぎ頃、グッバイと言って出ていった。彼女は2週間ほどの休みで来ているそうで、ベリーズの海が目当てのよう。昨日、ぼくに明日はどこに行くのかと訪ねたとき、ぼくがベリーズシティ内を散歩と言ったら、海には行かないのかと言っていた。ベリーズは世界遺産に登録されている珊瑚礁群などもあり、みなこれを目当てに来るよう。
10時になって、宿を出ようとすると、宿のおじいさんが今日も泊まるのかと聞いてきて、そうだというとお金を払えと言う。誰に払えばいいのかと言うと、ちょっと待ってと宿主を呼ぶ。出てきたのはメキシカン系の年輩の女性。英語もスペイン語も話す。
今夜も泊まると言うと、そこの部屋に?と聞くから、もっと安い部屋はあるか聞くと、ちょうど掃除し終わった一人部屋を案内してくれた。値段を聞くと20ベリーズドル(1米ドル=2ベリーズドル:固定相場)。こっちの部屋の方が窓があり、気持ちよさそうなので移ることにする。
荷物を移して外に出ようとしたとき、宿主のおばちゃんが話しかけてきた。"Are you a photographer?" 写真家ってなんでまた、と思いながら、"No"と言うと、何をしているか聞くので"Office worker"と答えると、おばさんは"あなたの顔(容貌、風貌)がとてもアーティスティックだから、写真や絵など何か芸術をやっている人かと思った”と言う。
そんなことを言われるのは人生で初めてだが、これから先、入国時などに職業を聞かれたら、そう答えてみると面白いかなと思ったりする。今まではオフィスワーカーと言っていたが、すでに旅も2ヶ月近く。普通のオフィスワーカーが2ヶ月以上も休みを取れるはずがないから、芸術家だなんて言ったら面白そう。
まずは大量に残っているメキシコペソの両替をしようと銀行に向かう。スウィング橋を渡り、中心街へ。宿から歩いて5分程度。銀行が見えたが、開いている雰囲気がない。月曜の10時なのにおかしい。
他にも銀行の看板が2軒ほど見えたので、そちらも行くがどこも閉店。入り口の開店時間には月曜は8時からとなっているのに。銀行と同じ通りに並んでいる店もほぼすべてシャッターが降りている。今日が日曜だったかと思い、道ばたにいた警官に、銀行がいつ開くかと英語で聞くと、明日だと言う。今日は祝日で、店は休みだと。
昨日はイースターで休みとは聞いていたけど、今日まで祝日とは・・・。完全に当てが外れる。ということは、郵便局も博物館も図書館も開いていないんだろうなと思ったら、まったくその通りで、それぞれの入り口まで行ったが、完全に閉まっていた。
これはどうしたものかとがっかりする。ベリーズは米ドルとの固定レートを取っていて、米ドルがそのまま使えるが、メキシコペソが余っているのに米ドルを使うのはもったいない。
やれやれと思いながら、とりあえず朝飯を食うことにする。来た道を戻る。マーケットの建物の入り口やその向かいの建物前には、昨日もいた路上生活者らしい白髪まじりのおじさん、おじいさんたちが10人ほど。みなアフリカ系の人。何をするでもなく座り込んでいる。中にはラスタのヘアスタイルをしている人もいる。さっき通ったベリーズ銀行横の公園には20~30人くらい同じような人がいた。ここベリーズシティは8万4千人の人口があるというが、人口割合から言うとハバナやサントドミンゴ(ドミニカ)よりも多いような気がする。
スウィング橋近くの屋台で弁当を買う。マッシュポテトが主食で、魚のフライとサラダが入っている。なかなかうまい。
行こうと思っていたところが軒並み休みなので、とりあえずバスターミナルに行くことにする。明日はまた移動するので、その下見。
商店の看板は並んでいるものの本当に見事に閉まっている。さらに人通りもない。
ネットカフェと書いてあったところがガラスドアが見え、開いてそうだったので入り口をたたくと、なかからおばさんが"No open"と言ってくる。
ぼちぼち歩いていると、アフリカ系の女の子2人連れがバナナチップを売り歩いていた。ぼくに買わないかと言ってくるので、1袋買う。いくらか聞いたら2袋で4ベリーズドル(約240円)と言う。高い。カンクンでも同じようなバナナチップスは1米ドルもしなかったのに。でも、まぁ、子どもの小遣いなりになればいいかと言い値を払う。
聞くと二人はいとこ同士で、小さい方の子は9歳だという。歩きながらかすかに開いてる店や歩いている人に売り込みに行く。
バスターミナルに続くこの道は、きちんと舗装されてあったが、脇の住宅街に入る道の中には舗装されていない道もある。住宅街と言っても、木造の家は木材が朽ちてけっこうぼろぼろの家もある。道ばたにはお菓子の袋や弁当箱などのプラスチックごみなどがぎょうさん落ちているところも。時折、家の中からレゲエが聞こえてくる。
バスターミナルに到着。昨日も来たところだが、ここが一番人が集まっていた。バスを待つ人。その人たちをターゲットにした物売りの人。そして、すぐ近くには野菜の市場があった。簡易テントが20軒ほど並んでいる。店主は多くがマヤ系かヨーロッパ系の強いメキシカン系。アフリカ系の人のも何店舗かある。なかにはラスタのヘアスタイルをした人もいる。
売られている野菜は日本で見るものとほぼ同じ。キャベツに人参、赤いじゃがいも、インゲン、トマト、カボチャ、ピーマン、タマネギ、ピーナッツ、サツマイモ、里芋、キャッサバ、オクラ、米なすにニンニク、しょうが。果物はパインにマンゴー、パパイヤ、メロン、みかんなど。乾燥させたハーブ専門の店もある。
ここではわりとスペイン語の方が話されているが、英語も十分通じる。アフリカ系の人は基本は英語のよう。ぼくは一通り見て、ひとつの店でバナナを買う。10本で1ベリーズドル(約60円)。これは安い。野菜の写真を撮らせてもらう。
どの店も子どもを連れてきており、子どもは店の奥でじっと客の様子を見ていたり、兄弟がいると道ばたで遊んだりしている。
バナナを食べながらバスターミナル内に向かう。ターミナル内には国境の町のColozalや南の中心町Dangrigaに行くバスが停車しており、バスの運転手らしき人がそれぞれの行き先を大声でいい、客集めをしている。家族連れなどがバスに急ぐ。
時刻表を見ようと思ったが、2006年とかのしかないので、当てにならなさそう。チケット販売の窓口もあるがすべて閉まっていて、壁には料金はバスの中で払うように書いてある。
これは明日は適当に来てバスを待つしかないなと思い、引き上げる。
途中、地元の人が次々と並んでいた露店が気になり、そこに立ち寄る。ここではタマーレとポタージュスープを売っていた。スープは紙コップ1杯が1ベリーズドル(約60円)。味は日本で売られている普通のものよりも甘い。
それから市内をぶらぶら。途中、道ばたで切り身の果物を売っていたので、パパイヤを買う。
ベリーズ一の大都市とあったが、祝日ということもあってか、人も車も少ない。すれ違った人の数も数えられるくらい。3時間ほど歩いていたが、バスターミナルを除けばせいぜい100人くらいとしかすれ違っていない。
ぐるっと回って中心街に戻ってくる。まだ半日残っているが、どうも見るべきところはないので、急遽、観光地のキーカーカーという島に行くことにした。
スウィング橋のたもとに乗り場があり、朝もアメリカやヨーロッパからの旅行客で乗り場の待合室はいっぱいだった。昼過ぎだから少しは空いているだろうと思ったら、その逆。100人以上の人が待っていた。
チケット売場の窓口で次の便を聞くと13時半だという。まだ30分ほどある。チケット代を聞くと30ベリーズドル(15米ドル:約3500円)と言う。米ドルしかないので、ちょっと惜しい気がしたが、たぶんもう二度と来ないので、試しに行くことにする。
乗り場の建物内には5軒ほど売店があり、お菓子や飲み物の他、水中で使える使い捨てカメラや絵はがきなども売っている。また、グアテマラやメキシコ行きのバスのチケットも扱っているよう。1軒の店には、日本語の張り紙が貼られており、トラベラーズチェックを無料で両替できると書かれてある。
また、いくらかしらないが荷物を預ける木製のロッカーも備え付けられている。
13時半になったが、まだ船は出ない。しばらくして、まずはサンペドロ行きの船の乗船が始まり、その後にキーカーカー行きの乗船が始まる。
同じ船に乗る人たちは圧倒的にアメリカやヨーロッパからの旅行客が多い。特にアメリカ人らしき集団は16人ほどで、みな白髪であることから退職者のグループのよう。あとは30~40代のカップルなど。地元の人らしき人は1割程度。
船は大型のモーターボートで、40~50人乗り。船の縁が座席になっており、前頭部には屋根が着いている。乗船するとみな日焼け止めを塗り始める。
13時50分ころ、船は出発。一気にスピードをあげ、前の方は浮き上がったような状態になる。風圧がすごい。海風があるとして差し引いても、体感速度でいうと30~40kmは出ている。髪の毛がぺちぺちと顔をたたき、やや痛い。加えて目にも入るから、目を開けておくのにも苦労する。カツラだったら絶対飛んでいるだろう。
出発時にはあった日差しも、進むに連れあいにくの曇り空の下に入り、肌寒くなる。何人かは長袖を取り出し、着込んでいる。
20分ほどするとマングローブの一群が両脇に見え、その間を船は通る。海の色は濃い緑いろ。
それからしばらくすると左手に島が見える。バンガローが何棟かあるが、人はいない。
さらにもうしばらく行くと、海上に小屋が建っていた。それも2軒だけ。人は見えなかったので、家なのかどうかはわからない。
波はなく、穏やか。きっと空が晴れていれば、海の色はエメラルドグリーンなのだろうが、曇っていてあまり美しくない。
1時間ほどして、船は目的地の島に到着。桟橋には帰りの船を待っている観光客がぱらぱらいる。海岸には桟橋が20本ほど出ており、ところどころにヨットが停泊している。
桟橋から下を見ると、はっきりと底まで見える。水深は2mもないくらい。
島に入ると道はすべて砂の道。雨が降ったのかそこらじゅうに水たまりがある。走っているのはゴルフカートと自転車ばかり。止まっている車はあっても走っているのは一台もない。
レストランやホテルが建ち並び、観光客がふらふらしている。ここにも中国人は店を出していて、食料品店やホテルをやっている。この人たちはどうやって商売を始めたのかと不思議に思う。
島内は1時間もあればほぼすべて見て回れる。海産物の市場でもあるかなと思っていたが、それらしきものはない。島内にはインターネットができる店もあった。試しにしてみると20分で5ベリーズドル(2.5米ドル=約500円)。さすがに離れ小島とあって高い。
海で泳ぐつもりもなく来たので、すぐに飽きてしまい、16時の船で帰ることに。帰りの船もいっぱい。今度はすべて屋根で覆われているタイプの船だったので風圧がない上、外が眺めにくいこともあり、寝てしまう。
17時ごろ、ベリーズシティに到着。昨日も弁当を買った店で夕食を買い、宿で飯を食い、寝る。
08/03/27
Puerto Barrios,Guatemalaよりアップ
2008年3月27日木曜日
カンクンからベリーズへ
08/03/23
目が覚めたのは朝の5時半。部屋に差し込んできた薄い光と近くのダンスホールかなにかから聞こえてくるダンスミュージックが二度寝を妨げる。同じ宿に泊まってる人は、音楽がうるさくて、昨日の晩はずっと起きていたと言っていた。やかましい音楽は、ここでは毎晩のことだし、僕の感覚ではそこまでひどくないが、気になる人にとってはつらいだろう。
ちなみに、だいたいそういうところ(観光地で夜中までやっているやかましい店)で踊っているのは、アメリカ人やヨーロピアンというのが、日本人旅行者の間での定説になっているよう。ある日本人旅行者は、別の国を旅行していたとき、夜に歯を磨いているときにヨーロピアンにこれから踊りに行かないかと誘われたらし。こっちは寝る準備をしてるっちゅうに、とはいわなかっただろうが、そんな感じで断ったらしい。
結局、カンクンには2泊の予定が、キューバで買ったものなどを日本に送ろうとあれこれしていたら、4泊に伸びてしまった。予想していなかった21日(金)の祝日と昨日土曜日の郵便局の閉店。そして、キューバのもの(コーヒー)は、どうもアメリカを経由するため送れないらしいこと。
それから値段。昨日DHLに持っていったら5kgで1万3000円ほどだった。そのときも閉じてあった段ボールを開けられ、中のものを一つ一つチェックされた。やれやれ。
明日には郵便局が開くもののもう1泊する気にはなれず、今日、ベリーズに向かうことにした。決めたのは昨日の夜。目が覚めたら出ようと。
5時半に目が覚めたので、昨日決めたことに従って、荷物を整理し、宿を出る。
宿からバスターミナルまでは、歩いて3分ほど。宿に7冊(『コロンブス航海記』、『敗れざる者たち』、『ボブ・マーリー語録集』、『ボーン・フィ・デッド』、『ラスタファリアンズ』、『コロンブスからカストロまで』ⅠとⅡ)を置いていき、キューバで会った学生に1冊(吉田太郎本)あげたので、そのぶん荷物は軽くなったが、まだまだ重い。
バスターミナルのチケット売場で、Chetumal(チェトゥマル)行きのチケットを買う。バスもいろんなグレードがあるので、”エコノミコ ポルファボール”と言って安いバスにしてもらう。
バスは7時発で料金は177ペソ(約2000円)。窓際の席を頼んだが、座席指定はしていないらしい。
まだ時間は6時15分。しばらく時間はある。バスターミナルにはすでにバスを待っている人が100人以上はいて、売店も開いている。
荷物を送る代金としておろしたメキシコペソが大量に余っていて、どうしたものかと困る。もしかしたらATMで預けられるかもしれないと、根拠のない期待をして適当にボタンを押してみたらさらにカネが出てきてしまった。ATMも便利だが、現地通貨で出てくるのが困りもの。英語がちゃんとわかればこんなことはないのだろうが、銀行用語などを理解していないからこうなる。ため息。
これから行く国々で両替するしかないなと諦め、ベンチで本を読みながら待つ。出発30分前をすぎたので、Baggage check inと書いてあるところにリュックを持っていく。そこの係員にチケットを見せると、あっちの方だと言われる。
係員に言われたとおりに30mほど離れているところに行き、また係員らしき人にチケットを見せるとそこで待てと言われる。そこにも待合室があり、地元の人たちがたくさんバスを待っていた。どうもぼくが待っていたところは1等などのバスを使う人たち用の待合室で、こっちが安いバス用の待合室のよう。
アナウンスが流れるが、よくわからないし、7時が近づいても人の動きがないので、職員にチケットを見せると、あのバスと言って教えてくれる。すでにバスに乗り込もうとしている人がいた。
バスの腹部分にある荷台にリュックを乗せ、バスに乗り込む。乗り込んで5分程度、7時ちょうどに発車した。乗客は10人ほど。これまでの長距離バスの中では一番少ない。
バスはところどころで客を乗せたりしながら走る。道路は広く、よく整備されている。まわりの景色は雑草地や3~4mの薄い雑木林ばかりで、椰子の木もバナナも見ない。つまらないので寝てしまう。
8時半、バスターミナルに到着。ホテルなどがまわりにあったので、これまた観光地のよう。数人の客が降りる。
10分ほどで発車。景色は相変わらず退屈。
11時、Felipe Arrillo Puertoと書かれているバスターミナルに到着。バスの乗降車口には乗客をあてにした人たちがタコスや揚げ物を売りに来ている。昼も近かったので、茹でたか焼いた鶏肉を裂いたものとキャベツなどが乗っているタコスを1つと、揚げ物を2枚買う。それぞれ6ペソ(約70円)。揚げ物の方は、1枚はチーズを練り込んでいる生地で、もう一方は何もしていないもの。冷えていることもあり、そんなにうまくない。
10分ほどで発車。
しばらく走ると片道3車線で中央分離帯がある広い幹線道路に出る。12時40分、チェトゥマルまで46kmとある標識を通り過ぎる。
途中では7割くらい埋まっていたのに、気がつくと客はほとんど降りてしまっており、あと8人くらいになっている。運転手は、ときおり携帯でメールをしながら運転する。
13時5分、チェトゥマルまであと19km。
道路は相変わらず片道3車線の大きな道路。国境に近づくにつれ、道路脇に店がポツポツと出てくる。ぼくは国境に近くなればなるほど、道は狭くなり、人気もなくなるだろうと思っていたが、ここは逆だった。
13時20分、日本でもそれなりの人口があるところでしか見られないような巨大ショッピングセンターが左手に見える。もちろんマクドナルドも入っている。その近くで1人乗客が降り、それからちょっと行ったところでさらにもう一人が降り、客はぼく一人になる。
ショッピングセンターを見て、チェトゥマルの市内に入ったのかと思ったら、案の定、バスは幹線道路から左に入り、バスターミナルに到着。13時半。カンクンを出てから6時間半後だった。
ターミナルは大型バスが4台ほど停まっているが、人気はなく閑散としている。バスから降り、リュックを背負い、さて国境行きのバスはと思っていると、アフリカ系の人が話しかけてきて、ベリーズに行くと言うと、停まっていたバスのうち、一番古めかしいバスを指さし、あれに乗れと言う。値段を聞くと100ペソ(約1200円)とのこと。
バスのフロントガラスのところにはBelizeという札があったので、それを信じ、リュックを荷台に乗せる。バックパックがたくさん積まれていたので、他にも旅行者がいるもよう。
バスに乗り込むと座席はほぼ埋まっており、しかも乗っている人はアフリカ系の人ばかり。さっきまで乗っていたマヤ系の人もいない。よく見るとアメリカ、ヨーロッパからの旅行者らしき人が6人ほどいる。アジア系はゼロ。
イギリスがベリーズを植民地にしているときに、労働力としてジャマイカからアフリカ系の人びとが連れてこられたというのは、ガイドブックにもあったが、車内でこんな割合で会うとは予想外だった。
唯一、便所の前の座席が2席空いていたので、そこに座る。便所のにおいがたまらん。
バスは47人乗り。前に座っているのはドイツからの旅行者のようで、ドイツ語の新聞を広げ、読んでいる。左の座席に二人ならんでいる金髪の若い男性等は英語の本を読んでいるので、アメリカ人のよう。
乗り込むと10分もしないうちにバスは発車する。乗り継ぎがロスなくできたことに安心する。というのも、国境でビザを発給しているイミグレは16時までとガイドブックにあったからだ。今、13時40分だから何かあったとしても16時には国境に着けそう。
車内では音楽が流れる。低音量でレゲエ系の音楽。これで大音量だったらジャマイカにいたときと同じ感じなのだが、音量が小さいのが決定的に違う。
ターミナルを出てから20分後、メキシコの出国ゲートに到着。こんなに早く着くとは思ってなかった。
みなバスを降り、ゲート前のイミグレに並ぶ。国境を行き来する車も人も少ない。左手にATMあり。
列に並んでいるときバスの運転手が、旅行者らしき人たちに、メキシコに戻ってくるか英語で聞きまわる。もし、メキシコに戻ってくるなら、再入国時の税金などを払わなくて済むよう処理してくれるとどっかで読んだので、それらしい。
パスポートと出国カード、100ペソを出す。質問などはなく、あっと言う間に手続きは終わる。イミグレの前でマヤ系のおばちゃんがマンゴーを売っていたので買って食べる(15ペソ:約180円)。うまい。
バスに乗り込み、今度はベリーズの入国ゲートへ移動。この間には、casinoと表に書いてある立派な建物があった。
入国ゲート前に着き、みんな自分のリュックなどを背負って、入国審査等がある建物の中に入っていく。
まずは入国審査があり、そこでパスポートを審査官に見せる。審査官はマヤ系の女性とアフリカ系の男性の二人。基本は英語のようだが、スペイン語もOK。
空港でのそれとは違い、審査官はベリーズ国籍であろうアフリカ系の人たちのときは、ポンポンスタンプを押すだけで、顔を確認することもしていない。旅行者になるとさすがにいくつか質問をしてから通す。それもけっこうフレンドリーで、さっきのドイツ人の女性には、男性の審査官はドイツ語で"Auf Wiedersehen(さようなら)"と声をかけてたりしている。
最後に並んでいたぼくはビザが必要なので、パスポートを見せると、どれくらいベリーズにいるのか、ベリーズのどこに行くのか、ベリーズの後はどこに行くのかなどを聞かれ、それからビザ申請のための記入用紙を渡される。
英語の用紙でところどころわからないところがあるが、あまり重要そうでもないので、飛ばして記入。記入後、その用紙とパスポート、それから日本から用意してきた証明写真を1枚、それにビザ代600ペソ(約6500円)を付けて、審査官に出す。
ビザは基本的にUSドル払いで50ドルのようだが、大量にペソがあったので、ペソで払うことにした。レートから言うとUSドルで払った方が数ドル安い(1ドル=10.5~10.8ペソなので)が、ペソから各国のお金に両替するときのことを考えれば同じようなものだろうとそうすることに。
審査官は、ちょっと待っていてと言い、事務室の方にそれらを持っていく。一旦、彼は出てきて仕事を再開。5~10分ほど待って、事務室からぼくのパスポートを持った職員が出てきて、それを女性の審査官に渡す。
女性の審査官は丁寧にも、こっちが入国スタンプで、こっちがビザと教えてくれる。これで入国審査はパス。キューバに比べればラクチンだ。
それから税関審査。すばらしい体格の女性審査官の前に背負っていたリュックなど、荷物を置くと、”何か申告するものは?”と聞かれ、”ない”と言うと、荷物をチェックすることもなく、入っていいとの合図。そんななら、リュックを背負ったままでいれば良かった(重くて背負うのがけっこう大変なんです)と思うほど、早かった。時間にすれば30秒ほどか。
結局、並んでいる時間も含め、30分ほどで入国審査を通過。他の旅行者の話ではビザ申請で時間がかかるので、バスに置いていかれることもあると聞いていたが、幸いなことにバスの運転手はぼくが申請している間、横にいてぼくを待っていてくれた。
バスに戻る。すると、乗客が増えていた。さっきまで座っていたところに人が座っている。ドイツ人の女性の横は荷物があったものの空いているようだったので、そこに座る。
14時40分、バスは発車。意外だったのは、国境に両替屋がいなかったこと。メキシコペソを国境で両替しようと思っていたのに、あてが外れた。
国境を越えたところでバス料金を集めにくる。ぼくはメキシコペソで100ペソ(約1200円)払うとベリーズドルで4ドルぶんのコインのお釣りが来た。米ドルとベリーズドルのレートは1米ドル=2ベリーズドルのようなので、結局バス代は米ドルで8ドルほどだったよう。
隣のドイツ人は、すでに払っていると回収に来たお兄さんに言う。するとチケットを見せてと言われ、それを見せると料金の回収はなし。どうもこの人はバスターミナルでチケットをすでに買っていたようだった。
10分ほどで、ベリーズ側の国境の町Colozalに到着。何人か客を降ろす。
そしてすぐに出発。ベリーズ側はメキシコ側と違って、ショッピングセンターなどない。道路は舗装されているものの片側1車線で、車線も消えている(のか最初からないのか)。
まちとまち、あるいは村と村の間は、林か畑かしかない。目に付くのはサトウキビ畑で、キューバの規模に比べれば小さいものだが、それでも数ヘクタールはある。家の敷地にバナナや椰子が植わっているのも見る。
建物はコンクリートやブロックで造られたものが半数以上だが、木造の家もそれなりにある。今回の旅で初めて見たのが、高床式の家。インドネシアなどではよく見たが、こちらでは初めて。
数こそせいぜい1割程度だが、1mほど床を地面から離している。
それから目に付いたのが、旗。国旗ではないようなのだが、やたらと国旗等と同じサイズの旗が家いえにたてられている。フランスの国旗のような赤、青、白の3色の旗など3種類ほどある。
インゲンと思われる畑やトウモロコシ畑、牛や馬の放牧地も見えるが、農作業をしている人の姿は不思議と見ない。
15時40分、オレンジウォークタウンというまちに到着。ヨーロッパ系の旅行者など数人が降りる。バスが止まった周辺はコンクリートの建物が建ち並んでいるが、店は空いていない。屋台がなんぼかあるだけ。
ここには15分ほど停車したが、その間、車内にはお菓子売りのにいさんやミニサイズのトウモロコシやタマーレ(トウモロコシの粉で作ったチマキみたいなもの)を持った6~7歳くらいの男の子が乗り込んできて商売をする。男の子が持ってきた5袋(1袋に2本)くらいのトウモロコシはすぐに売り切れる。ぼくも買おうかと思ったが、あいにくベリーズドルの手持ちがない。
バスはまた走り出す。外を眺めているとYourth Centerと名前が入った建物が見える。また、商店か何かの入り口には”Let's talk Chinese”と書かれた紙が貼られている。ベリーズではここのところ中国系の移民が増えているとどこかに書いてあったが、中国語講座を開くくらいに受け入れられているのだろうか。
町を抜けるとバスは低木の雑木林の中を走る。
17時前、きれいに舗装された道が何本も交差しているところに出て、流量豊かな川が見える。それから、そこそこ大きなスーパーらしき建物が見える。
17時10分、ベリーズシティのバスターミナルに到着。カンクンを出てから約10時間後だった。
バスを降りて、まず位置をガイドブックの地図を見て確認。元首都のバスターミナルだからツーリストインフォメーションがあるかと期待していたが、ターミナル内にはなかった。
タクシーの客引きはおじいさんに近いおじさん一人だけ。サントドミンゴのこともあったので、今回は声をかけてくる人は片っ端から無視することにし、歩く。
地図に乗っていたターミナルの位置に着いていれば、歩いている方向は正しいと思うが、ハイチのこともあって、そもそも地図上のバスターミナルに着いたかどうかも確信が持てない。
道を歩いている人に聞こうとも思うが、こちらの偏見で人を選んでいるとなかなか聞けない。途中、中国系の5~6歳の女の子3人が遊んでいるのを見る。そういえば、これまで中国系の人がいるところにも行ったが、こうして小さな子が遊んでいるのを見るのは初めて。
通り過ぎる家のなかには大音量で音楽をかけている家もある。車の通りがある道を目指し、適当に歩いていると、ベリーズバンクのある交差路に出る。これで間違っていなかったことを確信。
日曜ということでか店は1軒も空いていない。その交差路には弁当を売っている露店とホットドッグを売っている露店が2店あったが、それ以外はまったく店らしきところがない。
事前に調べたガイドブックに乗っているゲストハウスに向け歩く。20分ほどしか歩いていないが、肩がつらい。途中、ホテルを探しているのかと聞いてくるおじさんがいる。見ると、おじさんがいる後ろにホテルがあったので、そこの客引きかと判断し、無視。そしたら、それに怒ったのか、通り過ぎるた後ろから、ジャッキーチェンとかジャッキーリーとか言い出す。中国系の人もいっぱい住んでいるのに、なんなんだこのおじさんは。
予定していた8ドルのゲストハウスは移転したのか見つからず。その近くのゲストハウスに行ったが、ガイドブックには12米ドルとあったのが15米ドルというので、却下。
来た道を戻り、別の宿を探す。途中、中国語で書かれたゲストハウスを発見。泊まってみると面白いかもと値段を聞くと、対応してくれた女の子が30米ドルというので、やはり却下。そんなに高いとは。
それでガイドブックに載っている10ドルの宿に行く。途中、サッカーをしている若者たちを見る。目的の宿に着くと入り口に"Sorry, No Vacancy”の文字が・・・。空いてないってマジで、と思い、入り口にいたおじいさんに聞くと、やっぱり空いていないが、ちょっと考えると行って奥に消える。
しばらくして出てきて、やはり入り口にいたオランダ人の女性に部屋をシェアするのでもいいかと聞いている。ありがたいことに、彼女は問題ないと言ってくれ、同じ部屋に泊まることに。
おじいさんに部屋に案内される。6畳くらいのスペースに2段ベッドが一つとベッドが1つ。3人寝れるようになっている。値段を聞くと20ベリーズドル(10米ドル)。安く済んで良かった。
荷物を部屋に置いて、外に出る。すでに18時をまわり、外は薄暗くなり始めていた。さっき通った唯一開いてていた食料雑貨店で水を買う(約150円)。今朝、カンクンで1.5リットルを買って、まだ半分以上残っていたのに、乗ってきたバスに忘れてきてしまった。ああ。
水代は米ドルで払い、お釣りをベリーズドルでもらう。それからさっきの露店に行き、ミートボールの弁当を買う(7ベリーズドル=約400円)。意外と高い。
宿に戻り、食事。ミートボールはスパイスが利いていてなかなかうまい。ご飯はキューバやジャマイカと同じ、黒豆入りのご飯。わりともちもちしていてうまい。あと黒豆の煮豆とポテトサラダ。いずれもまずまず。
飯を食った後、シャワーを浴びる。サントドミンゴのシャワーもけっこうぼろかったが、ここはけた違いに施設が古い。足下には水が徐々にたまる。お湯は出ず。それそれで気持ちいい。
あとトイレには電気がない。これで10ドルは、とメキシコと比べてつい思ってしまう。
その後は、部屋で本読み等。で寝る。扇風機が着いているが、2段ベッドの上に寝た僕にはいっこうに風が来ないためむし暑くて、夜中目覚める。やれやれ。蚊がいないのがせめてもの救いだ。
目が覚めたのは朝の5時半。部屋に差し込んできた薄い光と近くのダンスホールかなにかから聞こえてくるダンスミュージックが二度寝を妨げる。同じ宿に泊まってる人は、音楽がうるさくて、昨日の晩はずっと起きていたと言っていた。やかましい音楽は、ここでは毎晩のことだし、僕の感覚ではそこまでひどくないが、気になる人にとってはつらいだろう。
ちなみに、だいたいそういうところ(観光地で夜中までやっているやかましい店)で踊っているのは、アメリカ人やヨーロピアンというのが、日本人旅行者の間での定説になっているよう。ある日本人旅行者は、別の国を旅行していたとき、夜に歯を磨いているときにヨーロピアンにこれから踊りに行かないかと誘われたらし。こっちは寝る準備をしてるっちゅうに、とはいわなかっただろうが、そんな感じで断ったらしい。
結局、カンクンには2泊の予定が、キューバで買ったものなどを日本に送ろうとあれこれしていたら、4泊に伸びてしまった。予想していなかった21日(金)の祝日と昨日土曜日の郵便局の閉店。そして、キューバのもの(コーヒー)は、どうもアメリカを経由するため送れないらしいこと。
それから値段。昨日DHLに持っていったら5kgで1万3000円ほどだった。そのときも閉じてあった段ボールを開けられ、中のものを一つ一つチェックされた。やれやれ。
明日には郵便局が開くもののもう1泊する気にはなれず、今日、ベリーズに向かうことにした。決めたのは昨日の夜。目が覚めたら出ようと。
5時半に目が覚めたので、昨日決めたことに従って、荷物を整理し、宿を出る。
宿からバスターミナルまでは、歩いて3分ほど。宿に7冊(『コロンブス航海記』、『敗れざる者たち』、『ボブ・マーリー語録集』、『ボーン・フィ・デッド』、『ラスタファリアンズ』、『コロンブスからカストロまで』ⅠとⅡ)を置いていき、キューバで会った学生に1冊(吉田太郎本)あげたので、そのぶん荷物は軽くなったが、まだまだ重い。
バスターミナルのチケット売場で、Chetumal(チェトゥマル)行きのチケットを買う。バスもいろんなグレードがあるので、”エコノミコ ポルファボール”と言って安いバスにしてもらう。
バスは7時発で料金は177ペソ(約2000円)。窓際の席を頼んだが、座席指定はしていないらしい。
まだ時間は6時15分。しばらく時間はある。バスターミナルにはすでにバスを待っている人が100人以上はいて、売店も開いている。
荷物を送る代金としておろしたメキシコペソが大量に余っていて、どうしたものかと困る。もしかしたらATMで預けられるかもしれないと、根拠のない期待をして適当にボタンを押してみたらさらにカネが出てきてしまった。ATMも便利だが、現地通貨で出てくるのが困りもの。英語がちゃんとわかればこんなことはないのだろうが、銀行用語などを理解していないからこうなる。ため息。
これから行く国々で両替するしかないなと諦め、ベンチで本を読みながら待つ。出発30分前をすぎたので、Baggage check inと書いてあるところにリュックを持っていく。そこの係員にチケットを見せると、あっちの方だと言われる。
係員に言われたとおりに30mほど離れているところに行き、また係員らしき人にチケットを見せるとそこで待てと言われる。そこにも待合室があり、地元の人たちがたくさんバスを待っていた。どうもぼくが待っていたところは1等などのバスを使う人たち用の待合室で、こっちが安いバス用の待合室のよう。
アナウンスが流れるが、よくわからないし、7時が近づいても人の動きがないので、職員にチケットを見せると、あのバスと言って教えてくれる。すでにバスに乗り込もうとしている人がいた。
バスの腹部分にある荷台にリュックを乗せ、バスに乗り込む。乗り込んで5分程度、7時ちょうどに発車した。乗客は10人ほど。これまでの長距離バスの中では一番少ない。
バスはところどころで客を乗せたりしながら走る。道路は広く、よく整備されている。まわりの景色は雑草地や3~4mの薄い雑木林ばかりで、椰子の木もバナナも見ない。つまらないので寝てしまう。
8時半、バスターミナルに到着。ホテルなどがまわりにあったので、これまた観光地のよう。数人の客が降りる。
10分ほどで発車。景色は相変わらず退屈。
11時、Felipe Arrillo Puertoと書かれているバスターミナルに到着。バスの乗降車口には乗客をあてにした人たちがタコスや揚げ物を売りに来ている。昼も近かったので、茹でたか焼いた鶏肉を裂いたものとキャベツなどが乗っているタコスを1つと、揚げ物を2枚買う。それぞれ6ペソ(約70円)。揚げ物の方は、1枚はチーズを練り込んでいる生地で、もう一方は何もしていないもの。冷えていることもあり、そんなにうまくない。
10分ほどで発車。
しばらく走ると片道3車線で中央分離帯がある広い幹線道路に出る。12時40分、チェトゥマルまで46kmとある標識を通り過ぎる。
途中では7割くらい埋まっていたのに、気がつくと客はほとんど降りてしまっており、あと8人くらいになっている。運転手は、ときおり携帯でメールをしながら運転する。
13時5分、チェトゥマルまであと19km。
道路は相変わらず片道3車線の大きな道路。国境に近づくにつれ、道路脇に店がポツポツと出てくる。ぼくは国境に近くなればなるほど、道は狭くなり、人気もなくなるだろうと思っていたが、ここは逆だった。
13時20分、日本でもそれなりの人口があるところでしか見られないような巨大ショッピングセンターが左手に見える。もちろんマクドナルドも入っている。その近くで1人乗客が降り、それからちょっと行ったところでさらにもう一人が降り、客はぼく一人になる。
ショッピングセンターを見て、チェトゥマルの市内に入ったのかと思ったら、案の定、バスは幹線道路から左に入り、バスターミナルに到着。13時半。カンクンを出てから6時間半後だった。
ターミナルは大型バスが4台ほど停まっているが、人気はなく閑散としている。バスから降り、リュックを背負い、さて国境行きのバスはと思っていると、アフリカ系の人が話しかけてきて、ベリーズに行くと言うと、停まっていたバスのうち、一番古めかしいバスを指さし、あれに乗れと言う。値段を聞くと100ペソ(約1200円)とのこと。
バスのフロントガラスのところにはBelizeという札があったので、それを信じ、リュックを荷台に乗せる。バックパックがたくさん積まれていたので、他にも旅行者がいるもよう。
バスに乗り込むと座席はほぼ埋まっており、しかも乗っている人はアフリカ系の人ばかり。さっきまで乗っていたマヤ系の人もいない。よく見るとアメリカ、ヨーロッパからの旅行者らしき人が6人ほどいる。アジア系はゼロ。
イギリスがベリーズを植民地にしているときに、労働力としてジャマイカからアフリカ系の人びとが連れてこられたというのは、ガイドブックにもあったが、車内でこんな割合で会うとは予想外だった。
唯一、便所の前の座席が2席空いていたので、そこに座る。便所のにおいがたまらん。
バスは47人乗り。前に座っているのはドイツからの旅行者のようで、ドイツ語の新聞を広げ、読んでいる。左の座席に二人ならんでいる金髪の若い男性等は英語の本を読んでいるので、アメリカ人のよう。
乗り込むと10分もしないうちにバスは発車する。乗り継ぎがロスなくできたことに安心する。というのも、国境でビザを発給しているイミグレは16時までとガイドブックにあったからだ。今、13時40分だから何かあったとしても16時には国境に着けそう。
車内では音楽が流れる。低音量でレゲエ系の音楽。これで大音量だったらジャマイカにいたときと同じ感じなのだが、音量が小さいのが決定的に違う。
ターミナルを出てから20分後、メキシコの出国ゲートに到着。こんなに早く着くとは思ってなかった。
みなバスを降り、ゲート前のイミグレに並ぶ。国境を行き来する車も人も少ない。左手にATMあり。
列に並んでいるときバスの運転手が、旅行者らしき人たちに、メキシコに戻ってくるか英語で聞きまわる。もし、メキシコに戻ってくるなら、再入国時の税金などを払わなくて済むよう処理してくれるとどっかで読んだので、それらしい。
パスポートと出国カード、100ペソを出す。質問などはなく、あっと言う間に手続きは終わる。イミグレの前でマヤ系のおばちゃんがマンゴーを売っていたので買って食べる(15ペソ:約180円)。うまい。
バスに乗り込み、今度はベリーズの入国ゲートへ移動。この間には、casinoと表に書いてある立派な建物があった。
入国ゲート前に着き、みんな自分のリュックなどを背負って、入国審査等がある建物の中に入っていく。
まずは入国審査があり、そこでパスポートを審査官に見せる。審査官はマヤ系の女性とアフリカ系の男性の二人。基本は英語のようだが、スペイン語もOK。
空港でのそれとは違い、審査官はベリーズ国籍であろうアフリカ系の人たちのときは、ポンポンスタンプを押すだけで、顔を確認することもしていない。旅行者になるとさすがにいくつか質問をしてから通す。それもけっこうフレンドリーで、さっきのドイツ人の女性には、男性の審査官はドイツ語で"Auf Wiedersehen(さようなら)"と声をかけてたりしている。
最後に並んでいたぼくはビザが必要なので、パスポートを見せると、どれくらいベリーズにいるのか、ベリーズのどこに行くのか、ベリーズの後はどこに行くのかなどを聞かれ、それからビザ申請のための記入用紙を渡される。
英語の用紙でところどころわからないところがあるが、あまり重要そうでもないので、飛ばして記入。記入後、その用紙とパスポート、それから日本から用意してきた証明写真を1枚、それにビザ代600ペソ(約6500円)を付けて、審査官に出す。
ビザは基本的にUSドル払いで50ドルのようだが、大量にペソがあったので、ペソで払うことにした。レートから言うとUSドルで払った方が数ドル安い(1ドル=10.5~10.8ペソなので)が、ペソから各国のお金に両替するときのことを考えれば同じようなものだろうとそうすることに。
審査官は、ちょっと待っていてと言い、事務室の方にそれらを持っていく。一旦、彼は出てきて仕事を再開。5~10分ほど待って、事務室からぼくのパスポートを持った職員が出てきて、それを女性の審査官に渡す。
女性の審査官は丁寧にも、こっちが入国スタンプで、こっちがビザと教えてくれる。これで入国審査はパス。キューバに比べればラクチンだ。
それから税関審査。すばらしい体格の女性審査官の前に背負っていたリュックなど、荷物を置くと、”何か申告するものは?”と聞かれ、”ない”と言うと、荷物をチェックすることもなく、入っていいとの合図。そんななら、リュックを背負ったままでいれば良かった(重くて背負うのがけっこう大変なんです)と思うほど、早かった。時間にすれば30秒ほどか。
結局、並んでいる時間も含め、30分ほどで入国審査を通過。他の旅行者の話ではビザ申請で時間がかかるので、バスに置いていかれることもあると聞いていたが、幸いなことにバスの運転手はぼくが申請している間、横にいてぼくを待っていてくれた。
バスに戻る。すると、乗客が増えていた。さっきまで座っていたところに人が座っている。ドイツ人の女性の横は荷物があったものの空いているようだったので、そこに座る。
14時40分、バスは発車。意外だったのは、国境に両替屋がいなかったこと。メキシコペソを国境で両替しようと思っていたのに、あてが外れた。
国境を越えたところでバス料金を集めにくる。ぼくはメキシコペソで100ペソ(約1200円)払うとベリーズドルで4ドルぶんのコインのお釣りが来た。米ドルとベリーズドルのレートは1米ドル=2ベリーズドルのようなので、結局バス代は米ドルで8ドルほどだったよう。
隣のドイツ人は、すでに払っていると回収に来たお兄さんに言う。するとチケットを見せてと言われ、それを見せると料金の回収はなし。どうもこの人はバスターミナルでチケットをすでに買っていたようだった。
10分ほどで、ベリーズ側の国境の町Colozalに到着。何人か客を降ろす。
そしてすぐに出発。ベリーズ側はメキシコ側と違って、ショッピングセンターなどない。道路は舗装されているものの片側1車線で、車線も消えている(のか最初からないのか)。
まちとまち、あるいは村と村の間は、林か畑かしかない。目に付くのはサトウキビ畑で、キューバの規模に比べれば小さいものだが、それでも数ヘクタールはある。家の敷地にバナナや椰子が植わっているのも見る。
建物はコンクリートやブロックで造られたものが半数以上だが、木造の家もそれなりにある。今回の旅で初めて見たのが、高床式の家。インドネシアなどではよく見たが、こちらでは初めて。
数こそせいぜい1割程度だが、1mほど床を地面から離している。
それから目に付いたのが、旗。国旗ではないようなのだが、やたらと国旗等と同じサイズの旗が家いえにたてられている。フランスの国旗のような赤、青、白の3色の旗など3種類ほどある。
インゲンと思われる畑やトウモロコシ畑、牛や馬の放牧地も見えるが、農作業をしている人の姿は不思議と見ない。
15時40分、オレンジウォークタウンというまちに到着。ヨーロッパ系の旅行者など数人が降りる。バスが止まった周辺はコンクリートの建物が建ち並んでいるが、店は空いていない。屋台がなんぼかあるだけ。
ここには15分ほど停車したが、その間、車内にはお菓子売りのにいさんやミニサイズのトウモロコシやタマーレ(トウモロコシの粉で作ったチマキみたいなもの)を持った6~7歳くらいの男の子が乗り込んできて商売をする。男の子が持ってきた5袋(1袋に2本)くらいのトウモロコシはすぐに売り切れる。ぼくも買おうかと思ったが、あいにくベリーズドルの手持ちがない。
バスはまた走り出す。外を眺めているとYourth Centerと名前が入った建物が見える。また、商店か何かの入り口には”Let's talk Chinese”と書かれた紙が貼られている。ベリーズではここのところ中国系の移民が増えているとどこかに書いてあったが、中国語講座を開くくらいに受け入れられているのだろうか。
町を抜けるとバスは低木の雑木林の中を走る。
17時前、きれいに舗装された道が何本も交差しているところに出て、流量豊かな川が見える。それから、そこそこ大きなスーパーらしき建物が見える。
17時10分、ベリーズシティのバスターミナルに到着。カンクンを出てから約10時間後だった。
バスを降りて、まず位置をガイドブックの地図を見て確認。元首都のバスターミナルだからツーリストインフォメーションがあるかと期待していたが、ターミナル内にはなかった。
タクシーの客引きはおじいさんに近いおじさん一人だけ。サントドミンゴのこともあったので、今回は声をかけてくる人は片っ端から無視することにし、歩く。
地図に乗っていたターミナルの位置に着いていれば、歩いている方向は正しいと思うが、ハイチのこともあって、そもそも地図上のバスターミナルに着いたかどうかも確信が持てない。
道を歩いている人に聞こうとも思うが、こちらの偏見で人を選んでいるとなかなか聞けない。途中、中国系の5~6歳の女の子3人が遊んでいるのを見る。そういえば、これまで中国系の人がいるところにも行ったが、こうして小さな子が遊んでいるのを見るのは初めて。
通り過ぎる家のなかには大音量で音楽をかけている家もある。車の通りがある道を目指し、適当に歩いていると、ベリーズバンクのある交差路に出る。これで間違っていなかったことを確信。
日曜ということでか店は1軒も空いていない。その交差路には弁当を売っている露店とホットドッグを売っている露店が2店あったが、それ以外はまったく店らしきところがない。
事前に調べたガイドブックに乗っているゲストハウスに向け歩く。20分ほどしか歩いていないが、肩がつらい。途中、ホテルを探しているのかと聞いてくるおじさんがいる。見ると、おじさんがいる後ろにホテルがあったので、そこの客引きかと判断し、無視。そしたら、それに怒ったのか、通り過ぎるた後ろから、ジャッキーチェンとかジャッキーリーとか言い出す。中国系の人もいっぱい住んでいるのに、なんなんだこのおじさんは。
予定していた8ドルのゲストハウスは移転したのか見つからず。その近くのゲストハウスに行ったが、ガイドブックには12米ドルとあったのが15米ドルというので、却下。
来た道を戻り、別の宿を探す。途中、中国語で書かれたゲストハウスを発見。泊まってみると面白いかもと値段を聞くと、対応してくれた女の子が30米ドルというので、やはり却下。そんなに高いとは。
それでガイドブックに載っている10ドルの宿に行く。途中、サッカーをしている若者たちを見る。目的の宿に着くと入り口に"Sorry, No Vacancy”の文字が・・・。空いてないってマジで、と思い、入り口にいたおじいさんに聞くと、やっぱり空いていないが、ちょっと考えると行って奥に消える。
しばらくして出てきて、やはり入り口にいたオランダ人の女性に部屋をシェアするのでもいいかと聞いている。ありがたいことに、彼女は問題ないと言ってくれ、同じ部屋に泊まることに。
おじいさんに部屋に案内される。6畳くらいのスペースに2段ベッドが一つとベッドが1つ。3人寝れるようになっている。値段を聞くと20ベリーズドル(10米ドル)。安く済んで良かった。
荷物を部屋に置いて、外に出る。すでに18時をまわり、外は薄暗くなり始めていた。さっき通った唯一開いてていた食料雑貨店で水を買う(約150円)。今朝、カンクンで1.5リットルを買って、まだ半分以上残っていたのに、乗ってきたバスに忘れてきてしまった。ああ。
水代は米ドルで払い、お釣りをベリーズドルでもらう。それからさっきの露店に行き、ミートボールの弁当を買う(7ベリーズドル=約400円)。意外と高い。
宿に戻り、食事。ミートボールはスパイスが利いていてなかなかうまい。ご飯はキューバやジャマイカと同じ、黒豆入りのご飯。わりともちもちしていてうまい。あと黒豆の煮豆とポテトサラダ。いずれもまずまず。
飯を食った後、シャワーを浴びる。サントドミンゴのシャワーもけっこうぼろかったが、ここはけた違いに施設が古い。足下には水が徐々にたまる。お湯は出ず。それそれで気持ちいい。
あとトイレには電気がない。これで10ドルは、とメキシコと比べてつい思ってしまう。
その後は、部屋で本読み等。で寝る。扇風機が着いているが、2段ベッドの上に寝た僕にはいっこうに風が来ないためむし暑くて、夜中目覚める。やれやれ。蚊がいないのがせめてもの救いだ。
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belize |
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