ビシュケクからアルマティへ
2009/02/11(水) アルマティは霧雨 2度程度
[Bishkek:Kyrgyzstan→Almati:Kazakstan]
レート:1米ドル=147テンゲ=90円、1ユーロ=180テンゲ=118円
・マルシュルートカで1時間待ち
・国境越え
・移動中にて
・マルマティ着
・日本大使館出張駐在館事務所閉館日
ビシュケクの宿,南旅館。
昨晩もやや夜更かししたため、やや寝坊。時計が動いていないから何時かわからない。
とにかく宿を出る支度をして、玄関前に荷物を移動させる。そして鍵を返そうと宿主の部屋をノックするが誰も出てこない。なので、別室で寝ている旅行者を起こして鍵を頼む。
歩いて近くのバス乗り場まで行き、そこで132番のマルシュルートカに乗る。通勤者などで満席になっていたら面倒だなと思っていたが、幸い空いていた。運賃8ソム(約20円)。
道の渋滞はいつも通り。距離のわりに時間がかかる。
30分ほどかかって終点の西バスターミナルに到着。すぐ近くのアルマティ行きのマルシュルートカ乗り場に移動する。20代前半くらいのロシア系男性が客引きをしていて、彼に運賃を確認してから荷物を後部に乗せてもらう。車はメルセデスベンツのスプリンターという大型ワゴン。助手席に2人、後部座席に15人ほど乗れる。また後部座席の正面上部にはソニーのテレビが備え付けられている。
彼に出発時刻を聞くと7~8人集まったら出ると言うので、両替と買い物に行く。バスターミナルの敷地内にある両替所で昨日オシュバザールの両替所で拒否された10米ドル札を使ってテンゲを入手する。ソムを間に挟むため1米ドル=135テンゲになる。
カザフスタンは物価が高いらしいので、ここで食料を少し買うことにする。残っているソムでパンを買う。1枚10ソム(約25円)。
それから車に乗り込み、書き物をしたりしながら発車を待つ。ぼくの次に乗り込んできたおばちゃん二人は待っている間、何度か運転手の彼を呼び、いつ出るのかと聞く。そのたびに彼はあと何人集まったらと答える。
車に乗車したのが9時40分頃。そして、ようやくそこそこの乗客が集まり、発車したのは10時35分頃だった。
運転手は東バスターミナルにも寄って、そこで数人の客を集めてくる。結局車内は8割程度埋まる。
テレビではバスターミナルで待っている間からすでに映画が流されていて、乗客の何人かはずっと画面を見続けている。ロシア映画(ロシア語)なのでぼくにはさっぱりセリフがわからないのだが、映像を見ているだけでもコメディ映画だということはわかる。
20分ほど走るとなだらかな平原が左右に広がる。雪がところどころに残っている。
11時半前、カザフスタンとの国境に到着。車からみな荷物をおろし、客は客でイミグレの方へ行き、車は車で車チェックの方へ行く。
カザフやキルギスの人はパスポートではなく、身分証だけで国境を行き来できるためさらさらと行ってしまう。ぼくは一人外国人用のボックスに行く。面倒くさいことがなければいいが、と思っていたが、杞憂に終わる。数秒でスタンプをもらい、さっさとキルギス出国。
そこから歩いて50mほど行くとカザフのイミグレがある。こっちはいくらか行列ができていた。パスポートコントロールの窓口の女性にパスポートを渡す。ロシア語はしゃべれるかとロシア語で言われ、少しだけと答える。カザフスタン入国の目的やこの後どこに行くかを聞かれる。最後に気になっていた滞在登録は必要かと彼女に聞くと必要ないとのことだった。
その後、荷物チェック。チェックの方法は機械に通すだけ。税関申告もしないといけないかと思っていたが、3000米ドル以上の現金などを持っていなければ必要ないらしい。言葉がわからなかったので、申告書を一通り書いたのだが、担当の人はぼくが書いた所持金額を見て申告は不要と言う。ただ、そこへ人相の悪い別の係官が来て、ここでカネを数えて見せろと言うようなことを言う。そんなことする必要はないと言うと、担当の係官も必要ないと彼に言う。彼もカネを抜き取ろうとでも考えていたのだろうが、まともな担当者のおかげでさっさと抜けることができる。
これで入国完了。イミグレを出たところには両替屋やガソリンスタンドがあり、タクシーの客引きなどもいた。
車のチェックの方が時間がかかり、ぼくらはしばらく待たされる。
12時過ぎようやく車がやってきて、再度乗り込む。
車窓からはうねうねと波打っている丘陵が見える。木はない。ときどきその丘陵を羊の群を連れて歩いている人たちを見る。
車内では1作目の映画が終わり、新たな映画が始まる。今度もちょっとしたコメディ映画。言葉がわからなくてもそこそこ楽しめる。
道路はきれいに整備されているため、車は上下に揺れたりすることはない。
2作目の映画が終わるともう映画は流されなかったので、暇になる。車窓からは白くなった木々や遠くに雪山を見る。その景色からビシュケクよりもずいぶん気温が低いことがわかる。車内は暖房が効いて十分暖かいためときどき寝る。休憩はなし。
だんだんとアパート的な建物が増える。ビルのてっぺんにアルマティとキリル文字で書かれている文字板を見る。車はそこをいったん素通りして、Uターンしてそのビルの下の駐車場に入る。そこが終点のサイランバスターミナルだった。
車から降りるとタクシーの客引きがやってくる。リュックを受け取り、運転手にトロリーバス乗り場を聞く。指さして教えてくれたので、そちらに行く。
さっきまで暖かい車内にいたためか外がやけに冷たく感じる。実際に気温もゼロ度前後なのかもしれない。手は外に出していたらすぐに冷えて動かなくなる。
ちょうどその乗り場に着こうというときに乗る予定の19番のトロリーバスに追い越され乗ることできず。すぐに来るかと待っていたが、これがなかなか来ない。
20分ほど待ってやっとやってきたトロリーバスに乗る。乗って驚いたのは、自動精算機が使われていたこと。しかも精算機は違う形のものが2台並んでいて、片方にオカネを入れると片方からお釣りが出てくる。なぜ二つに分かれているのか気になる。ちなみにお札は使えない。ちゃんとお釣りが出るのはすばらしい。乗客はみなこの機械で運賃50テンゲ(約30円)を払い込み、チケットを手に入れる。
無事に乗り込んだはいいものの、乗って10分もするとどうも中心部とは反対の方向に行くものに乗ったことに気づく。ただ、幸いなことに終点まで20分足らずだった。
先に出るトロリーバスに乗りかえ、出発を待つ。10分ほど待つと発車。
さっきも通った道を通って中心部に向かう。旧ソ連のまちらしく街路樹が多い。それから霧が深い。
ガイドブックではぼくが泊まる予定をしている宿の近くの交差点まで20分ほどとあったのだが、なかなかそれらしきところに着かない。いつまでたっても木立の多い幅広の道路。全体的に暗い。中心部に来たとわかるような明るさがなかなかやってこない。
と、突然、交差点にどでかい電光掲示板を見る。バレーボールコートの半面はあろうかというくらいでかい。電光掲示板には動画の広告が次々と流れる。その他にもここほどでかくはなかったが、いくつか広告用の電光掲示板を見る。
周りの建物に書かれている通り名を読みながら、地図で現在地を把握しようとするが、通り名が地図上に載っていなかったりしてよくわからない。
その様子を見ていたらしい初老の男性がロシア語で話しかけてくる。どこに行きたいのかと聞いてくるので目印の大学名を伝えるが、彼は知らないよう。そこへその男性の前に座っていたマラソンの有森裕子似の女性が英語でどこに行きたいのかと聞いてくる。それで目安の通り名を伝えると、そこに着いたら教えてくれると言う。
ホテルらしき建物などがいくつか見え、いくつかの交差点を越えた頃、女性が次だからと教えてくれる。停留所は目的の通り(今走っている通りとは交差している)を通り過ぎたところにあるらしく、彼女は一度戻らないといけないということまで教えてくれる。だが、ちょうど信号待ちのために目安の通りとの交差点でバスが止まったので、そこで運転手にお願いしてドアを開けてもらい、降りる。
外は霧。地図を見ながら宿を目指す。右手にエッフェル塔を模したらしい作りものが見える。高さは20mほどあり、材質も普通の鉄塔と同じだからただの見せ物なのか、それとも実際に電波塔かなんかで使っているのかよくわからない。ただ、それはホテルの入り口に建てられているので、おそらく作りものなのだろう。ホテルの入り口の軒とエッフェル塔の模造品はくっつくような距離にあるから、ごちゃごちゃしていてあまり見た目にはきれいではない。
歩いていても霧の水滴を感じるほど、霧は濃かった。地図からするとそろそろ着いていいような場所にきたのだが、それらしきところが見あたらない。なので、近くにいた若い男に聞く。ロシア語で話しかけたのに相手には通じておらず、英語はわからないと言われ、英語ができる友達を携帯電話で呼び出してくれる。その友達はすぐ近くにいたようで、すぐに現れた。彼に聞くとこの先を左に曲がったところにあるという。
だが、ぼくが行きたかった宿は隣の建物だった。入り口の看板を見て確認。2階の受付に行く。学生寮をホテルとしても解放しているところらしいことは聞いていた。2階にあがると確かに学生くらいの年齢の女の子たちが廊下にいて、ぼくの姿を見ると友達同士で何かを言い合う。どうせ髪が長いだの、髭がどうのだと言っているのだろう。
受付の女性は慣れたものでさっさと手続きをしてくれる。何泊するか聞かれ、とりあえず2泊と伝える。部屋は416号室。ドミトリーで1泊1000テンゲ(約700円)。部屋に誰かいるらしく鍵はもらわず。
階段を上り最上階へ。416号室のドアを開けると背の高い若い男が一人いた。「ズドラーストヴィチェ」とロシア語で挨拶すると、挨拶が返ってきた後で「ニホンジンデスカ?」と日本語で聞かれる。ビシュケクで会った日本人がこの宿で韓国人と一緒だったと言っていたのを思い出し、彼がそうかと合点する。
彼は日本語はほんの少しだけ知っているらしい。会話は英語。彼はお茶を淹れてくれる。ありがたくいただく。
聞くと彼はイギリスの大学に通う大学生で、専攻はロシア研究(特にロシア語)らしい。大学の制度上、在学中にロシアに1年滞在しなくてはいけないらしく、今は休みでカザフスタンを旅行していると言う。この後、ウズベキスタンなどにも行く予定らしい。
お茶を飲み干してからぼくは外に出る。滞在登録(レギストラーツィア)の件で日本大使館に確認したいことがあったので、まずは日本大使館に向かう。
日本大使館への道は緩やかな下り道。霧が濃くてあまり見通しは良くない。暗い。沿道には映画館、スーパーやしゃれたカフェなどを見る。それだけでもキルギスとの違いを感じる。HSBCというイギリス系の銀行があったりするのも違う。外資が入っているレベルが明らかに違う。それからATMもあちこちに見る。
通りを歩く人は少ない。日本大使館(正確には出張駐在館事務所)まで30分近く歩いたが、すれ違ったのは50人もいない程度。歩道も広いし、道路も広いが人口密度は低い。
1階はきれいにリニュウアルされているが、2階から上はボロボロという建物もある。
日本大使館が入っているビルに行き、1階にいた警備員のおじさんに聞くと、今日は休みだと言う。残念。同じビルにシティバンクがあったので、そこでドルをおろす。
テンゲに両替することも考えたが、今はどんどん落ちているらしいので、1日様子を見ることにして、今日は両替せず。
帰りがけ歩道にあるキオスクをのぞく。新聞が20種類ほどあるところもウズベクやキルギスと違う。トルクメやウズベクでは新聞はないに等しかったし、キルギスも少なかった。だが、ここのキオスクには多種類の新聞が並び、雑誌も豊富。なお、ビシュケクではキオスクで普通にヌード専門の雑誌がぶら下げられて売られていたが、ここではそうしたものは売られていない。
数ある新聞の中から英語のものを探す。1紙だけ「Central Asia Monitor」と英語でタイトルが書かれた新聞があったので、それを買う。お値段45テンゲ(約30円)。新聞は安い。
宿に戻ると同室のおじさんたちが部屋にいた。50歳は過ぎていそうなおじさんと40代前半くらいに見えるおじさんの二人。ロシア語で挨拶。
自分のベッドに座り、さっき買った新聞を広げてみると、なんと英語なのはタイトルのみで、記事は完全にロシア語だった。おじさんたちがロシア語が読めるのかと聞いてきたので、読めないと答える。それで片言ロシア語と仕草で英語かと思って買ってきたら違ったと言うと、言葉は不十分だったものの意図は伝わったらしく笑っていた。
そこへ韓国人の彼が戻ってくる。彼は同室の16歳の少年のボクシングの試合を見に行ってきたらしい。今、10代のボクシング大会が行われているらしく、その大会に出る選手がこの宿に多く泊まっているらしい。彼は今晩のバスでトルキスタンというまちに行くらしいが、バスは遅い時間のためしばらく部屋で待機のよう。
彼を加え4人で話ながら夕食。ぼくがビシュケクで買ったパンを取り出すとおじさんの一人がそれを取ってビリビリに裂いてみんなで食べようと提案する。おじさんたちは魚の缶詰やビスケットを供出。一緒に食べる。が、ビスケットはどうやったらここまで湿気るのかと聞きたくなるくらい湿気ていた。ビスケットの端を持って振るとしなるし、口に入れてみるとすでに誰かの口の中にしばらく入っていたんじゃないかと思えるくらい湿気ている。
韓国人が通訳となり、おじさんたちと話す。聞いてくるのは他と同じ。年齢はいくつだ、結婚しているのか、なぜ結婚していない、どこから来たのか、どこに行くのだ・・・といったような質問。本当にここらの人は、というよりも世界の人(いわゆる先進国をのぞく)は、結婚話が好きだ。中でもここらの人は必ず聞いてくる。もっとも話しかけてくるのはぼくより年輩の人が多いから、みなたいてい結婚している人で子どももいる人が多い。こちらとしてはなんで結婚したのかと聞きたいとところだが、あえて突っ込まず。
20時頃、韓国人が去る。同室のおじさんの一人が彼を見送りに出たので、そこで会話は終了。ぼくはベッドで『罪と罰』を読む。残ったおじさん(大学教授)はヒューレットパッカードのノートパソコンでなにやら作業を始める。
『罪と罰』を読み始めたものの寝ころんでいたら眠くなり50ページも読まないうちに寝てしまう。
Fin
2011年3月4日金曜日
[diary]キョーネウルゲンチからウズベキスタン入国
キョーネウルゲンチからウズベキスタン入国
2009/01/19(月) 晴れ 日中10度近く
[キョーネウルゲンチ:Turkmenistan→Nukus:O'zbekiston]
※レート:1米ドル=1400スム(ホジャイリとヌクスのバザールの闇両替にて)
・キョーネウルゲンチからウズベキスタン国境へ
・英語を話す職員、長い荷物チェック
・乗り合いタクシーで国境からホジャイリへ
・ホジャイリのバザール兼バスターミナルにて
・ホジャイリからヌクスへ移動
・ヌクスの宿、バザール
トルクメニスタンのキョーネウルゲンチ。バスターミナル近くのボロ宿。ぼったくり宿にて。
なぜか3時頃に目が覚める。なので、しばらく書き物。
9時になってようやく出発の準備。9時20分頃部屋を出る。鍵は壊れたままだったが、修理代などを請求されることはなかった。
歩いてすぐ近くのバスターミナルへ。そこから国境に行く乗り合いタクシーに乗れるとガイドブックにあったのだが、いざ聞いてみるとここからは車はないと言われる。どうもバザール近くから車はでているらしい。教えてくれた人がバザール行きのマルシュルートカを捕まえてくれ、さらに運転手にぼくのことを伝える。
車に乗り込む。運賃2000モナト(約15円)。
舗装状態の悪い道をがたごと走り、15分ほどでバザール近辺に到着。運転手は車を止め、ぼくに国境行きのタクシーはあれだと指さし教えてくれる。
マルシュルートカを降りて、通りを渡り、タクシーのそばに行く。運転手がすぐに「タモージニャ(国境)?」と聞いてくるのでうなづき、運賃を聞いてから荷物をトランクに詰める。運賃15000モナト(約100円)。
客が4人集まったところで出発。
予想していたよりも国境はずっと近かった。バザールをでて5分ほどで国境に到着。荷物を受け取ってから運賃を払う。時刻は10時過ぎ。
歩いてトルクメ側のイミグレへ。入国時と同じく、ここでも税関申告書を書かされる。また入国時にもらった入国カードをここで回収される。荷物のチェックはなし。わりとすんなりと出国できる。
そこから20mほど向こうにウズベキスタンのイミグレがあった。歩いてそちらに行く。イミグレの建物に入る。入国スタンプは簡単に押してもらえたのだが、荷物チェックが長かった。
片言の日本語を知っている係官が英語で話しかけてくる。なぜ日本語ができるのか尋ねると6年ほど前に日本に行ったことがあると言う。ならばさっさと通してくれるかと思ったのだが、そうはいかなかった。彼は荷物の中身を見たいから全部中身を出せと言う。たいていは荷物の中身は入れたままでチャックを開けてちらちらとのぞき込む程度で終わるのだが、彼はそうではなく全部出せと言う。しょうがないので、机の上にリュックの中身を全部出す。
彼はいちいちそれをチェックする。特に本やパンフレットなどはいちいちめくったりしてチェックしている。後から来た客は先に行ってしまうので、ぼくだけがそのようなチェックの対象になっているようだった。彼はのんびりとチェックをする。
その作業が終わるのを待っていたら、彼のボスらしい人が現れ、カメラを持っているかと聞いてくる。カメラを見せるとちょっと貸してくれというふうにぼくの手から取り、パソコンで作業をしている女性の写真を撮ったりする。まったくのんきなもんだ。
結局、荷物のチェックに30分以上費やす。特に何もなく、また荷物をリュックの中に詰め直す。ちなみに大きめのウエストバックをウィンドブレーカーの下に隠していたのだが、驚くことにそれには気づかず、チェックされなかった。
やっとのことでウズベキスタン入国。イミグレを出たところに乗り合いタクシーが待っていたので、それに乗る。もちろん乗る前に運賃を確認。乗客が4人集まったところで出発。
国境から延びるまっすぐな道を行くと正面に小高い丘が見えた。そこには無数の建築物があり、一目でそれが遺跡であることがわかる。これだけの密度でそれなりの形を留めている遺跡は珍しい。ガイドブックによればこの遺跡は古代都市ミズダル・ハーンの遺跡らしい。ティムールに滅ぼされたと言われ、残っている建築物は12~14世紀に建てられたものらしい。建物は霊廟やモスクなど。またその隣の城塞跡は紀元前4~3世紀に作られたものらしい。車から降りてゆっくり見てみたい気分になるほど、ここの遺跡は充実していた。
国境から最寄りのまちホジャイリまでは20分ほどだった。タクシーはホジャイリのバスターミナル兼バザールの駐車場に止まる。運賃を払おうと運転手に10000モナト札を2枚渡すと、彼は釣りをくれない。15000モナトだろうがと言ったが、札を握ったままこれでいいなどと言う。乗る前に確認したのにバカじゃないかと思ったが、バカな奴を相手にするのも疲れるので、カネモチの太っ腹なところを見せつけてやろうと5000モナト(約30円)はあきらめる。やれやれ、こういう奴がいるから移動は疲れる。
さて、まずはウズベキスタンのオカネがないので両替屋を探してバザール内を歩く。でかいリュックを背負っていることもあり、店の人や若い男たちがこちらを見て、何かごちゃごちゃと噂している。
適当にぶらついても見つからないので、その辺のお店のおばちゃんに両替屋の場所を教えてもらう。言葉ではよくわからなかったので、指さした方向に向けて歩く。
バザールはごちゃごちゃしていてなかなかよろしい。人出も多く活気がある。道はキョーネウルゲンチのバザールと同じくぐちゃぐちゃ。もっと寒ければ凍っていてちょうどいいのだろうが、暖かいから雪が溶けてべちょべちょになったのだろう。イランで買ったブーツが役立つ。
おばちゃんに教えてもらった方に行くが見あたらない。なので、近くのばら売りのお菓子屋のおばちゃんに聞くと、そこの旦那が出てきていくら両替したいのかと聞いてくる。20米ドルと言うと、携帯電話で誰かと話し始める。したら2階からでっぷりとしたおじさんが降りて来る。この人が両替してくれるらしい。1米ドル=14000モナトで両替。
菓子屋のおばちゃんにロシア語でありがとうと言って去ろうとしたら、なぜかおばちゃんは店で売っていたナン(円形のパン)を2枚ビニール袋に入れ、くれる。買い物をしたわけでもなく、こちらからお願い事をしたのにパンをくれるなんて、と感激する。ありがたくいただく。ここのバザールの人はわりとフレンドリーで歩いていたらたまにどこから来たのかと尋ねる人あり。
バザールの一角にもうもうと炭火の煙が立っている地帯があったのでそこに言ってみる。シャシリク屋が並ぶ一帯で通路でパタパタと串を焼いている。
朝飯も食っていなかったので、ここで飯を食うことにする。適当に指さして牛肉らしき串を注文。テーブルには透明の液体が入っている瓶があり、その液体には唐辛子やニンニク、胡椒の実(?)、セロリなどが浸けられていた。周りでシャシリク(串焼き)を食べている人を見てみると、この透明の液体を串にかけて食べている。なので、ぼくもそれを味見をしてみると透明の液体は酢だった。
まもなくして肉片が5つほどついている串2本が小さなパン切れと一緒に運ばれてくる。焼きたてということもあり、うまい。肉もうまい。酢をかけて食べるといっそう美味い。チャイもただでこれで2300スム(約150円)ほど。安いことは安いが、2本食べたくらいでは腹はたいして膨れないのがネック。
とりあえず満足したので、バスターミナルの方に行き、ヌクス行きのバスを探す。適当に尋ねるとすぐに見つかる。
車内にはすでに乗客が乗り込んでいたので、ぼくも乗り込み、席を確保。出発を待っていたら車内にサモサ売りのおばちゃんがやってきたので、サモサを1つ買う。お値段200スム。
12時40分にバスは発車。運賃400スム(約30円)は距離を考えると安い。
腹にものが入ったからかしばらくしたら眠くなり、寝てしまう。
14時前にヌクスに入る。近くに座っていたおばちゃんにヌクスホテルはどこにあるのかと尋ねると、降りる場所を教えてくれ、そこから別のマルシュルートカに乗るよう言われる。降りたところから別のマルシュルートカに乗ると、バザールで終点となり、そこでおろされた。
歩いていたら闇両替のおじさんたちが声をかけてくる。バザール用に立派な建物が建てられているが、その外側(つまり道ばた)にもいろんな物を売る人が集まってきていてなかなか活気がある。
まずは宿探しと地図を見ながらホテルヌクスに向かう。安宿などでおんぼろな小さい建物を想像していたのだが、これがまったく反対の様相をしていた。ホテルはこのまち一の高さではないかというくらいの高層ビルだった。これは高いんじゃないかと受付に行ってみると案の定外国人は一番安くて25米ドルとあった。安くならないか聞いたが、受付の女性はにこりともせず首を振るだけ。安いところはないかと尋ねたらホテルタシュケントが安いというので、そちらに行ってみる。
そこから歩くこと15分ほど。こちらもそこそこ立派な近代的な建物だった。受付の若い女性はモンゴル系東アジア人的な顔立ち。英語を話すのに驚く。宿代を聞くと3人の相部屋で1泊10米ドル朝食付きだと言う。なので、ここに泊まることにする。パスポートを見せ、レギストラーツィアの髪をもらう。
そして階段を上り、3階の部屋へ。
部屋には2人の男がいた。一人は金髪のオーストラリア人、一人はウズベキスタン人のおじさん。おじさんは部屋の中でもたばこを吸っている。
おじさんがロシア語で話しかけてくる。どこから来たのか、ロシア語はわかるかなど。おじさんはそこにいるオーストラリア人はぜんぜんロシア語がわからないとやや不満げにぼくに言う。当の彼は寝ている。
荷物をベッドの横に置くとおじさんは自分のペットボトルの水をプラスチックのコップについでぼくに差し出す。ちょうどのどが渇いていたのでありがたくいただく。
一息ついたところで部屋を出る。まずは両替をしなければいけない。バザールに向かう。その途中、インターネットと書いた看板を出している店があったので寄ってみるが、今はつながっていないとのことでネットできず。
バザールに行き、路上の闇両替で両替。彼の言い値は1米ドル=1400スム。こちらは1米ドル=1500スムでと言ったが、相手は飲まず1450だと言ってくる。面倒なのでそれでおれると、結局くれたのは1400スムで計算した額。またもや最初に確認した合意は無視される。なんなんだ。こっちも突っ込めばいいのだが、相手にするだけ疲れるし、そこまで損しているわけでもないので、気づかぬ振りしてカネを受け取る。最後に彼は握手を求めてくる。わけがわからんが握手してやる。
それからバザール見学。バスなどが走る広い通りから見るとバザールは体育館のような建物だけのように見えるのだが、実際にはそこだけではなく、その裏のスペースもバザールになっていた。テントスタイルの店もあればプレハブスタイルの店もある。もちろん屋根なしの台だけという店もあるし、荷車や乳母車に品物を並べて売っている人もいる。バザールの規模はそこそこ大きい。
屋内の店舗はとてもきれいだが、電気が少なく暗い。屋外の店舗はごちゃごちゃしていていいのだが、道がべちゃべちょで気をつけていないと足下が危ない。
大型の電化製品以外はたいていのものがそろっていた。絨毯や皮のコート、長靴、革靴、子どものおもちゃ、靴下、下着、薬、携帯電話などなど。食べ物もサモサ屋の他、食堂がいくつかあったので、そのうちの一軒で飯を食う。ラグマンを注文。すいとんのような、ほうとうのような太めでやや平たい麺に油が浮かんだ肉汁スープ。麺は歯ごたえがなく物足りないが、味はなかなかよい。
青果売場ではじゃがいも、人参、ひょうたん系の形をしたかぼちゃ、緑大根、キャベツ、白菜(悪くなった外側の葉を剥ぐ作業をしながら売っているおばちゃんたち多数)、干し魚(でかい魚から鮭のような魚、それからアジ程度の大きさの魚までさまざま。香りがよい)、みかん、メロン、赤りんご、青リンゴ、牛乳(ペットボトルをリユースしている。ビニールカバンに牛乳の入った1.5リットルなどのペットボトルを何本も入れて売っているおばさんが多い)、チーズ(数種類ある)などなど多数。
メロンを売っているあるおじさんは切り身にして売っていたのでひとかけら買って食べる。腐ってとろけている部分をさけ、良さそうなところを選んで食べる。これが甘くてうまかった。ひとかけら500スム(約30円)。
それから夜食用に干し魚を1尾買う。体長25cmくらいの中くらいの魚が2500スム(約150円)だったので、それを買う。それから総菜コーナーで春雨サラダと牛モツがメインのサラダを買う。それぞれ200g程度で600スム(約40円)、1500スム(約100円)。総菜売場にいるおばちゃんの中には韓国人のように見えるおばちゃんが数人いた。もちろんここでもチムチ(キムチ)は売られていた。
それからリンゴを1kg1500スム(約100円)、牛乳500ml500スム(約30円)、水1.5リットル600スム(約40円)などを買って帰る。
バザールをぷらぷらしていて思ったのが、けっこうモンゴル系の顔立ちをした人が多いな、ということ。トルクメは日本人や中国人に多少似てはいるものの、モンゴル系ほど丸っこい顔ではなかった。こちらは丸く平べったい顔をした人がよく目に付く。
部屋はたばこ臭いので廊下にあったソファに座り、早いけど買ってきた総菜を食べる。春雨サラダは日本のそれと同じ味。久しぶりの味になごむ。牛乳は牛乳の味だった。
しばらくして部屋に戻る。部屋の暖房は強烈に効いていて暑い。窓を開けて調整しないといけないくらい。相部屋ということもあり、書き物をするのは気が引けたのでガイドブックを見たりして過ごす。
おじさんはテレビを見ている。
ちょっと居眠りをして目が覚めたとき、テレビで映画が始まった。タイトルが「Little Tokyo」だったのでおじさんと一緒に見ることにする。舞台はロサンゼルスのリトルトウキョウ。ちょうど1年前に行ったところなのでなんか懐かしく思う。映画は80年代くらいに作られたのか、登場人物の服装などが古くさい。
ストーリーはリトルトウキョウに根を張っているヤクザとそのヤクザに親を殺されたアメリカ人警官との対決話。アメリカ人警官が二人でヤクザのグループに乗り込み、やっつけてしまうまでを描いている。指詰めのシーンや日本刀を振り回したり、手裏剣を投げたり、相撲取りがやくざの一員だったりとよくあるパターンが映し出される。ある意味おもしろい。
結局最後まで見て、ようやく眠りにつく。
Fin
2009/01/19(月) 晴れ 日中10度近く
[キョーネウルゲンチ:Turkmenistan→Nukus:O'zbekiston]
※レート:1米ドル=1400スム(ホジャイリとヌクスのバザールの闇両替にて)
・キョーネウルゲンチからウズベキスタン国境へ
・英語を話す職員、長い荷物チェック
・乗り合いタクシーで国境からホジャイリへ
・ホジャイリのバザール兼バスターミナルにて
・ホジャイリからヌクスへ移動
・ヌクスの宿、バザール
トルクメニスタンのキョーネウルゲンチ。バスターミナル近くのボロ宿。ぼったくり宿にて。
なぜか3時頃に目が覚める。なので、しばらく書き物。
9時になってようやく出発の準備。9時20分頃部屋を出る。鍵は壊れたままだったが、修理代などを請求されることはなかった。
歩いてすぐ近くのバスターミナルへ。そこから国境に行く乗り合いタクシーに乗れるとガイドブックにあったのだが、いざ聞いてみるとここからは車はないと言われる。どうもバザール近くから車はでているらしい。教えてくれた人がバザール行きのマルシュルートカを捕まえてくれ、さらに運転手にぼくのことを伝える。
車に乗り込む。運賃2000モナト(約15円)。
舗装状態の悪い道をがたごと走り、15分ほどでバザール近辺に到着。運転手は車を止め、ぼくに国境行きのタクシーはあれだと指さし教えてくれる。
マルシュルートカを降りて、通りを渡り、タクシーのそばに行く。運転手がすぐに「タモージニャ(国境)?」と聞いてくるのでうなづき、運賃を聞いてから荷物をトランクに詰める。運賃15000モナト(約100円)。
客が4人集まったところで出発。
予想していたよりも国境はずっと近かった。バザールをでて5分ほどで国境に到着。荷物を受け取ってから運賃を払う。時刻は10時過ぎ。
歩いてトルクメ側のイミグレへ。入国時と同じく、ここでも税関申告書を書かされる。また入国時にもらった入国カードをここで回収される。荷物のチェックはなし。わりとすんなりと出国できる。
そこから20mほど向こうにウズベキスタンのイミグレがあった。歩いてそちらに行く。イミグレの建物に入る。入国スタンプは簡単に押してもらえたのだが、荷物チェックが長かった。
片言の日本語を知っている係官が英語で話しかけてくる。なぜ日本語ができるのか尋ねると6年ほど前に日本に行ったことがあると言う。ならばさっさと通してくれるかと思ったのだが、そうはいかなかった。彼は荷物の中身を見たいから全部中身を出せと言う。たいていは荷物の中身は入れたままでチャックを開けてちらちらとのぞき込む程度で終わるのだが、彼はそうではなく全部出せと言う。しょうがないので、机の上にリュックの中身を全部出す。
彼はいちいちそれをチェックする。特に本やパンフレットなどはいちいちめくったりしてチェックしている。後から来た客は先に行ってしまうので、ぼくだけがそのようなチェックの対象になっているようだった。彼はのんびりとチェックをする。
その作業が終わるのを待っていたら、彼のボスらしい人が現れ、カメラを持っているかと聞いてくる。カメラを見せるとちょっと貸してくれというふうにぼくの手から取り、パソコンで作業をしている女性の写真を撮ったりする。まったくのんきなもんだ。
結局、荷物のチェックに30分以上費やす。特に何もなく、また荷物をリュックの中に詰め直す。ちなみに大きめのウエストバックをウィンドブレーカーの下に隠していたのだが、驚くことにそれには気づかず、チェックされなかった。
やっとのことでウズベキスタン入国。イミグレを出たところに乗り合いタクシーが待っていたので、それに乗る。もちろん乗る前に運賃を確認。乗客が4人集まったところで出発。
国境から延びるまっすぐな道を行くと正面に小高い丘が見えた。そこには無数の建築物があり、一目でそれが遺跡であることがわかる。これだけの密度でそれなりの形を留めている遺跡は珍しい。ガイドブックによればこの遺跡は古代都市ミズダル・ハーンの遺跡らしい。ティムールに滅ぼされたと言われ、残っている建築物は12~14世紀に建てられたものらしい。建物は霊廟やモスクなど。またその隣の城塞跡は紀元前4~3世紀に作られたものらしい。車から降りてゆっくり見てみたい気分になるほど、ここの遺跡は充実していた。
国境から最寄りのまちホジャイリまでは20分ほどだった。タクシーはホジャイリのバスターミナル兼バザールの駐車場に止まる。運賃を払おうと運転手に10000モナト札を2枚渡すと、彼は釣りをくれない。15000モナトだろうがと言ったが、札を握ったままこれでいいなどと言う。乗る前に確認したのにバカじゃないかと思ったが、バカな奴を相手にするのも疲れるので、カネモチの太っ腹なところを見せつけてやろうと5000モナト(約30円)はあきらめる。やれやれ、こういう奴がいるから移動は疲れる。
さて、まずはウズベキスタンのオカネがないので両替屋を探してバザール内を歩く。でかいリュックを背負っていることもあり、店の人や若い男たちがこちらを見て、何かごちゃごちゃと噂している。
適当にぶらついても見つからないので、その辺のお店のおばちゃんに両替屋の場所を教えてもらう。言葉ではよくわからなかったので、指さした方向に向けて歩く。
バザールはごちゃごちゃしていてなかなかよろしい。人出も多く活気がある。道はキョーネウルゲンチのバザールと同じくぐちゃぐちゃ。もっと寒ければ凍っていてちょうどいいのだろうが、暖かいから雪が溶けてべちょべちょになったのだろう。イランで買ったブーツが役立つ。
おばちゃんに教えてもらった方に行くが見あたらない。なので、近くのばら売りのお菓子屋のおばちゃんに聞くと、そこの旦那が出てきていくら両替したいのかと聞いてくる。20米ドルと言うと、携帯電話で誰かと話し始める。したら2階からでっぷりとしたおじさんが降りて来る。この人が両替してくれるらしい。1米ドル=14000モナトで両替。
菓子屋のおばちゃんにロシア語でありがとうと言って去ろうとしたら、なぜかおばちゃんは店で売っていたナン(円形のパン)を2枚ビニール袋に入れ、くれる。買い物をしたわけでもなく、こちらからお願い事をしたのにパンをくれるなんて、と感激する。ありがたくいただく。ここのバザールの人はわりとフレンドリーで歩いていたらたまにどこから来たのかと尋ねる人あり。
バザールの一角にもうもうと炭火の煙が立っている地帯があったのでそこに言ってみる。シャシリク屋が並ぶ一帯で通路でパタパタと串を焼いている。
朝飯も食っていなかったので、ここで飯を食うことにする。適当に指さして牛肉らしき串を注文。テーブルには透明の液体が入っている瓶があり、その液体には唐辛子やニンニク、胡椒の実(?)、セロリなどが浸けられていた。周りでシャシリク(串焼き)を食べている人を見てみると、この透明の液体を串にかけて食べている。なので、ぼくもそれを味見をしてみると透明の液体は酢だった。
まもなくして肉片が5つほどついている串2本が小さなパン切れと一緒に運ばれてくる。焼きたてということもあり、うまい。肉もうまい。酢をかけて食べるといっそう美味い。チャイもただでこれで2300スム(約150円)ほど。安いことは安いが、2本食べたくらいでは腹はたいして膨れないのがネック。
とりあえず満足したので、バスターミナルの方に行き、ヌクス行きのバスを探す。適当に尋ねるとすぐに見つかる。
車内にはすでに乗客が乗り込んでいたので、ぼくも乗り込み、席を確保。出発を待っていたら車内にサモサ売りのおばちゃんがやってきたので、サモサを1つ買う。お値段200スム。
12時40分にバスは発車。運賃400スム(約30円)は距離を考えると安い。
腹にものが入ったからかしばらくしたら眠くなり、寝てしまう。
14時前にヌクスに入る。近くに座っていたおばちゃんにヌクスホテルはどこにあるのかと尋ねると、降りる場所を教えてくれ、そこから別のマルシュルートカに乗るよう言われる。降りたところから別のマルシュルートカに乗ると、バザールで終点となり、そこでおろされた。
歩いていたら闇両替のおじさんたちが声をかけてくる。バザール用に立派な建物が建てられているが、その外側(つまり道ばた)にもいろんな物を売る人が集まってきていてなかなか活気がある。
まずは宿探しと地図を見ながらホテルヌクスに向かう。安宿などでおんぼろな小さい建物を想像していたのだが、これがまったく反対の様相をしていた。ホテルはこのまち一の高さではないかというくらいの高層ビルだった。これは高いんじゃないかと受付に行ってみると案の定外国人は一番安くて25米ドルとあった。安くならないか聞いたが、受付の女性はにこりともせず首を振るだけ。安いところはないかと尋ねたらホテルタシュケントが安いというので、そちらに行ってみる。
そこから歩くこと15分ほど。こちらもそこそこ立派な近代的な建物だった。受付の若い女性はモンゴル系東アジア人的な顔立ち。英語を話すのに驚く。宿代を聞くと3人の相部屋で1泊10米ドル朝食付きだと言う。なので、ここに泊まることにする。パスポートを見せ、レギストラーツィアの髪をもらう。
そして階段を上り、3階の部屋へ。
部屋には2人の男がいた。一人は金髪のオーストラリア人、一人はウズベキスタン人のおじさん。おじさんは部屋の中でもたばこを吸っている。
おじさんがロシア語で話しかけてくる。どこから来たのか、ロシア語はわかるかなど。おじさんはそこにいるオーストラリア人はぜんぜんロシア語がわからないとやや不満げにぼくに言う。当の彼は寝ている。
荷物をベッドの横に置くとおじさんは自分のペットボトルの水をプラスチックのコップについでぼくに差し出す。ちょうどのどが渇いていたのでありがたくいただく。
一息ついたところで部屋を出る。まずは両替をしなければいけない。バザールに向かう。その途中、インターネットと書いた看板を出している店があったので寄ってみるが、今はつながっていないとのことでネットできず。
バザールに行き、路上の闇両替で両替。彼の言い値は1米ドル=1400スム。こちらは1米ドル=1500スムでと言ったが、相手は飲まず1450だと言ってくる。面倒なのでそれでおれると、結局くれたのは1400スムで計算した額。またもや最初に確認した合意は無視される。なんなんだ。こっちも突っ込めばいいのだが、相手にするだけ疲れるし、そこまで損しているわけでもないので、気づかぬ振りしてカネを受け取る。最後に彼は握手を求めてくる。わけがわからんが握手してやる。
それからバザール見学。バスなどが走る広い通りから見るとバザールは体育館のような建物だけのように見えるのだが、実際にはそこだけではなく、その裏のスペースもバザールになっていた。テントスタイルの店もあればプレハブスタイルの店もある。もちろん屋根なしの台だけという店もあるし、荷車や乳母車に品物を並べて売っている人もいる。バザールの規模はそこそこ大きい。
屋内の店舗はとてもきれいだが、電気が少なく暗い。屋外の店舗はごちゃごちゃしていていいのだが、道がべちゃべちょで気をつけていないと足下が危ない。
大型の電化製品以外はたいていのものがそろっていた。絨毯や皮のコート、長靴、革靴、子どものおもちゃ、靴下、下着、薬、携帯電話などなど。食べ物もサモサ屋の他、食堂がいくつかあったので、そのうちの一軒で飯を食う。ラグマンを注文。すいとんのような、ほうとうのような太めでやや平たい麺に油が浮かんだ肉汁スープ。麺は歯ごたえがなく物足りないが、味はなかなかよい。
青果売場ではじゃがいも、人参、ひょうたん系の形をしたかぼちゃ、緑大根、キャベツ、白菜(悪くなった外側の葉を剥ぐ作業をしながら売っているおばちゃんたち多数)、干し魚(でかい魚から鮭のような魚、それからアジ程度の大きさの魚までさまざま。香りがよい)、みかん、メロン、赤りんご、青リンゴ、牛乳(ペットボトルをリユースしている。ビニールカバンに牛乳の入った1.5リットルなどのペットボトルを何本も入れて売っているおばさんが多い)、チーズ(数種類ある)などなど多数。
メロンを売っているあるおじさんは切り身にして売っていたのでひとかけら買って食べる。腐ってとろけている部分をさけ、良さそうなところを選んで食べる。これが甘くてうまかった。ひとかけら500スム(約30円)。
それから夜食用に干し魚を1尾買う。体長25cmくらいの中くらいの魚が2500スム(約150円)だったので、それを買う。それから総菜コーナーで春雨サラダと牛モツがメインのサラダを買う。それぞれ200g程度で600スム(約40円)、1500スム(約100円)。総菜売場にいるおばちゃんの中には韓国人のように見えるおばちゃんが数人いた。もちろんここでもチムチ(キムチ)は売られていた。
それからリンゴを1kg1500スム(約100円)、牛乳500ml500スム(約30円)、水1.5リットル600スム(約40円)などを買って帰る。
バザールをぷらぷらしていて思ったのが、けっこうモンゴル系の顔立ちをした人が多いな、ということ。トルクメは日本人や中国人に多少似てはいるものの、モンゴル系ほど丸っこい顔ではなかった。こちらは丸く平べったい顔をした人がよく目に付く。
部屋はたばこ臭いので廊下にあったソファに座り、早いけど買ってきた総菜を食べる。春雨サラダは日本のそれと同じ味。久しぶりの味になごむ。牛乳は牛乳の味だった。
しばらくして部屋に戻る。部屋の暖房は強烈に効いていて暑い。窓を開けて調整しないといけないくらい。相部屋ということもあり、書き物をするのは気が引けたのでガイドブックを見たりして過ごす。
おじさんはテレビを見ている。
ちょっと居眠りをして目が覚めたとき、テレビで映画が始まった。タイトルが「Little Tokyo」だったのでおじさんと一緒に見ることにする。舞台はロサンゼルスのリトルトウキョウ。ちょうど1年前に行ったところなのでなんか懐かしく思う。映画は80年代くらいに作られたのか、登場人物の服装などが古くさい。
ストーリーはリトルトウキョウに根を張っているヤクザとそのヤクザに親を殺されたアメリカ人警官との対決話。アメリカ人警官が二人でヤクザのグループに乗り込み、やっつけてしまうまでを描いている。指詰めのシーンや日本刀を振り回したり、手裏剣を投げたり、相撲取りがやくざの一員だったりとよくあるパターンが映し出される。ある意味おもしろい。
結局最後まで見て、ようやく眠りにつく。
Fin
2011年2月24日木曜日
[diary]サラフスからトルクメニスタン、アシュガバードへ
サラフスからトルクメニスタン、アシュガバードへ
2009/01/15(木) 晴れ
※レート:1米ドル=14000モナト(国境にて)
※現在、デノミで通貨単位を移行中。5000モナトが1新モナトになる。
・サラフスの国境
・タクシーでごたごた
・マーリー行きのバスは和気藹々
・マーリーから乗り合いタクシーでアシュガバードへ
・ドバイチックなまち
・さまよう19歳の運転手
・宿着
2009/01/15(木) 晴れ
※レート:1米ドル=14000モナト(国境にて)
※現在、デノミで通貨単位を移行中。5000モナトが1新モナトになる。
・サラフスの国境
・タクシーでごたごた
・マーリー行きのバスは和気藹々
・マーリーから乗り合いタクシーでアシュガバードへ
・ドバイチックなまち
・さまよう19歳の運転手
・宿着
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2009年9月29日火曜日
[diary]ジプチからイエメンへ
ジプチからイエメンへ
08/10/18(土) 晴れ 涼しい
[Djiboti Villa:Djibouti→Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル
・蚊との闘い
・ジプチを出国
・慌ただしいフライト
・イエメン入国、すずしい!
・アラビア半島”最貧国”の首都
・オマーン大使館
・ポパイな人たち
ジプチ国際空港。夜中の0時過ぎ。イエメン行きの飛行機が朝早かったこととジブチの宿が高い(約2500円もする!)ので、昨日の午後に空港に来てからずっと空港で過ごしていた。当然、宵越しも空港で。
4席並んでいるベンチに横になる。エアコンも何もないが、常に汗が流れ出るほど暑くはないが、眠るのに心地よいほどの涼しさでもない。
眠りをさまたげるのは、どこからともなく現れる蚊。入り口のドアからは20mほど距離があるのだが、やはり人間のにおいを嗅ぎつけてか蚊がやってくる。最初はまわりにいたのが2匹ほどだったので、成敗してから寝ていたのだが、成敗しても2~3匹単位でまた新たな蚊が現れる。
長袖に長ズボン、靴下という格好で寝ていたから刺されるのは決まって手。手の甲や手首あたりを刺される。成敗するのも面倒になったので、蚊取り線香を炊くがあまり効き目なし。しょうがないので最後は蚊帳を投入する。それまでに10カ所近くやられる。
そうした蚊との格闘があったり、ベンチもゆっくり眠るには窮屈だったりということもあり、あまり眠れず。
朝5時頃、人の足音で目が覚める。周りを見ると乗客らしい人たちが3人ほどいてベンチでおしゃべりをしていた。
ぼくも起きだし、蚊帳を片づけ、荷物の整理をする。
6時になったところで隣の搭乗者用の入り口に行き、セキュリティチェックを受けてからチェックイン。搭乗券をもらい、出国手続きに移る。
出国カードをチェックインカウンターでもらったので、それを記入し、パスポートとともに提出。出国カードはフランス語とアラビア語の併記だったのだが、一部わからないところがあったので空欄のまま出したところ、窓口の男性が書き込んでくれる。質問等は特になし。搭乗券とパスポートにダンダンとスタンプが押されて帰ってくる。
階段をのぼり、2階の搭乗ロビーに行く。朝早いためだろう、売店も何も開いていない。コンセントがあったのでその近くの机でしばらく日記書き。
作業をしていると搭乗ゲートに入っていく人たちが見えたのでぼくもそちらに移動。荷物チェックを受けてから待合室に入る。
ふとチケットを改めて見ると座席番号がない。スタッフの人に聞いてみたらどこでも座っていいと言う。飛行機で座席指定がないなんて初めて。
7時半。ベンチに座ってまた書きものをしていたら搭乗が始まる。あっと言う間に列ができ、片づけをしたりしていたぼくは一番最後になる。窓際に座りたかったのにこれでは席取りゲームに負けてしまうな、と思いながら窓の外を見ると、バスがやってくる。どうやら飛行機まではバスで行くらしい。これだったら勝機あり。
バスに最後に乗りこみ、ドア際に立つ。バスはゆっくりと発車し、2分ほどで飛行機の階段前に到着。ぼくが立っていた側のドアが開き、見事にすぐそこが飛行機へとつながる階段の登り口だったので、ねらい通りに一番に飛行機に乗り込めた。
安いイエメン航空ということでちょっとぼろい飛行機を予想していたのだが、なんのなんの十分にきれい。フライトアテンダントの格好もイスラム以外の国と変わらない。女性も普通に髪を出している。
一番乗りということで窓際の席が取れるなと意気揚々と飛行機に乗り込んでみたものの、なんとすでにたくさんの乗客がいた。どうやらエチオピアかどこかが初発地でここは経由地だったよう。当然、窓際の席はほぼ埋まっている。なんとか空いているところをみつけて座席は確保できたものの主翼の根本。窓から外を見てみるが、あまり視界は良くない。それに大変問題なことに窓ガラスには猫がひっかいたような傷が無数にある。美しくない。
飛行機は予定時間よりも少し早く7時55分に離陸。客室正面にあるスクリーンには飛行機の速度や外気温、離陸してからの時間などが飛行地図と一緒に映し出される。離陸後はすぐに雲の上に出てしまったため眼下は白いだけ。紅海がきれいに見えるかと期待していたのだが、見えずじまいだった。
無事、離陸をすると機内はにわかに慌ただしくなる。客室乗務員が食事の準備を始めたよう。1時間のフライトなので飲み物くらいしか出ないだろうと思っていたので嬉しくなる。
朝食の入ったプラスチックの容器と飲み物が配られる。食事はチーズのみのサンドイッチ2個とクロワッサンのようなパン2個。
ぼくのもとに食事が届いたのは離陸してから24分後。着陸まであと30分ちょっとしかない。着陸態勢に入ることを考えればのんびり飯が食えるのは実質20分ほどか。
客室乗務員は乗客全員に配り終えた後、すぐにごみの回収を始める。行動が早い。
ぼくのところには離陸後36分後に回収にくる。そうしている間にも雲の中に突入して、シートベルトのランプが付く。スクリーンに映し出されている高度が下がり始めたからすでに着陸に向けて下降し始めたよう。
雲を抜けると眼下にアラビア半島が見える。紅海も見えた。眼下にはベージュの木のない山々が見える。とにかく緑がない。そのうちちょろちょろ人家が見える。急峻そうな山の上の方に集落が見えるので、そこの人たちはどうやって水を得ているのかと不思議に思う。それからグランドキャニオンに似たような大地がボロボロと欠けた渓谷も見える。
しばらくすると突然大量の人家が眼下に見える。隣に座っていた学生という若い男がサナアだと教えてくれる。
これから着陸という頃になって、腹が少し膨れたせいかうとうと眠くなり、気が付けば着陸していた。創造していたよりも空港は立派。
着陸したのがぼくの時計で8時45分。機体から出ると外はひんやりしていた。心地よい涼しさ。
またバスに乗って空港に移動。そして入国審査。ビザはすでに取っていたのですぐにイミグレへ。たいした質問もなくになんなく通過。
空港内の両替屋で両替をする。1米ドル=199イエメンリアル、1ユーロ=260イエメンリアル。米ドルの細かいのがなかったので20ユーロ札を両替。
荷物もすぐに出てきてさっさと空港を出ることができる。
空港を出るとタクシーの客引きがいたが、1度断るとあとは何もなし。しつこくない。
駐車場を挟んで向こう側の道路を市内に行くミニバスが走っているとガイドブックにあったので、そちらに行く。
ちょうどミニバスがやってきたので、ハサバ(地名)?と行き先を確認し、それに乗る。ここのミニバスはダッバーブと呼ばれている。やはりトヨタのワゴン。運転手も客もターバンを頭に巻いている。道路はよく整備されていてアスファルトの表面もそれほど悪くなっていない。
道路沿いにはいくつか店が並び、その後ろの方に家が見える。遺跡のようなベージュ色の石組の四角い家々。店の看板もアラビア文字ばかり。ジプチもアラビア語が公用語だったが、店の看板はフランス語だったのでそれほどアラブの国という雰囲気はなかった。
驚いたのが男の人の大半が腰(へそのあたり)に帯刀していること。ジャンビーヤというらしいが、アラビアの半月刀をベルトと腹の間に差している。刀が本物なのかはわからない。女性も黒いブルカを着ている人がほとんど。洋服はみないし、ジプチやモロッコのように色鮮やかなスカーフをまとっている人も見ない。
服装といい、町並みといいすっかり別世界に来た印象を受ける。
30分ほどで乗り換え地点のハサバに着く。運転手に適当に代金を払うとガイドブックにあった通りの運賃を徴収してお釣りをくれた。何かとごまかそうとしていたジプチとは大違いだ。
さて、ミニバスがたくさん停まっている地帯に着いたのだが、市街地に行く車がどれなのかがわからない。なので同じ車に乗っていた背広姿の男性に宿があるタハリール(広場の名前)に行きたいと英語で言うと、”タハリール”が通じたようでその車の乗り場まで案内してくれることになる。
乗り場は降りた未舗装の道をまっすぐ行ってぶつかった道路沿いにあり、そこにはまたたくさんの車が停まっていた。そこまで歩いて3分足らず。そのおじさんもはっきり知っていたわけではなかったようで、何人かの人に聞いてタハリール行きの車の乗り場を突き止めてくれる。そして、アラビア語でいろいろ説明してくれるのだが、まったくわからない。
とにかく言われたところで待っていたらミニバスがやってくる。運転手に聞くとタハリール行きだと言う。さぁ、乗り込もうとしたら空っぽで到着したにも関わらず、一瞬で満席になってしまい、乗れず。今度のミニバスは軽自動車のワゴン。これは初めて。なので座席が助手席をのぞけば6つしかない。そのためかタハリールに行くらしい人は、車が止まる前から待ちかまえていて、停まった瞬間に一斉に乗り込む。
車に乗れずにありゃりゃと思っていたら、次々と同じ方面行きの車がやってきて、周りにいた人もあれだあれだと指さして教えてくれる。なので、待つこともなく別の車に乗ることができた。
後部の向かい合いの6人座席のドア際に座ったのだが、ドアは閉まらないようになっている。それいてカーブもたいしてスピードを落とさないから、ドアの外へと飛び出しそうになる。クラクションが盛んに鳴り響き、隙間があればどんどん車が入ってくる。なかなか荒い。
外を眺めていたら向かいに座っている30代くらいの男が英語でどこから来たのかと聞いてくる。日本からと言うとたぶん予想が外れたのだろう、ふうんという顔をして「Thank you」と礼を言う。なかなか礼儀正しい。これには驚く。
だんだんと建物が建て詰まった地帯に入っていき、20分ほどで終点に到着。地図で見るよりも小さな広場(というかバス乗り場)だったので念のため運転手に確認するとタハリールだと言う。
車を降りて端の方に行くと食い物を売っている人たちがいた。男ばかり。女性はいない。ゆで卵を売っているおじいさんがいたので、そこでゆで卵を1個買う。15リアル(約8円)。おもしろいのが4種類ほどの香辛料が用意されていて、それを付けて食べることができるようになっている。
そばにいた少年がにこやかに話しかけてくるが、まったく言葉がわからない。
道を聞こうにもそれすらもアラビア語で覚えていなかったのでガイドブックを頼りに歩く。が、どうも違う。そうしてふらふらしていたら英語で話しかけてくる男性がいた。彼に行きたい場所を言うと英語で教えてくれる。
教えてもらった通りに行くと確かにその通りだった。バスが止まったのはタハリール広場そのものではなかった。
広場から歩いて3分ほどのところが泊まる予定の宿。日本語の情報ノートがある宿で、道ばたには日本語の看板が出ていた。
通りからちょっと奥まった建物の2階にあがる。そこが受付。ソファには日本人旅行者が2人いた。部屋の値段を聞くと1000イエメンリアル。800リアルのシングルは満室という。さっそくその部屋を案内してもらう。変わった作りの建物で階段の方向がいろいろある。これがイエメン式の建物のよう。
部屋は10畳ほどある広い部屋でベッドが2つにテレビ、タンスもある。通りに面した部屋で窓からはその通りの様子がうかがえる。なかなかよろしい。
部屋に荷物を置いてから受付のロビーで情報ノートを閲覧。めぼしい情報は大してなかったが、サナアからサユーン行きのバスには現在外国人は乗れない(チケットを売ってくれない)ということになっているという情報は大きかった。しかし肝心のパーミットをとる場所が書かれていない。あとオマーン大使館の位置も書かれていない。
情報ノートを見ながら2人の日本人とちょっとしゃべる。1人は中東に半年いるという人だった。
時間はまだ11時すぎ。オマーンのビザを今日中に申請できればと思い、近くのネット屋に行ってサナアのオマーン大使館の位置をグーグルマップなどで調べる。
そして歩いてオマーン大使館へ。
アラビア半島ではイエメンは最貧国だなんてどこかで読んでいたので、どんなに貧しい首都かと思っていたのだが、これが予想以上に大都市だった。ぼくの感覚から言うと、アフリカでここまで整備され、かつ店が多いまちはあまりない。アディスアベバやダルエスサラーム、ナイロビよりも大きいように感じる。
店の中で目立つのがフルーツジュース屋。軒先にみかんやショウガなどをぶら下げ、カウンターには数種類のジュースがミキサーに入った状態で置かれている。それからイエメン(アラブ)らしい店が香辛料屋やイスラム服屋やジャンビーヤ(アラビア刀)屋、それから看板に「Honey」と書いた蜂蜜を使ったお菓子屋など。コーヒーモカマタリの国ではあるが、コーヒーの専門店は見ない。
道ばたで物乞いしている人は少ないが、それでもちらほらと見る。その中には頭からブルカを着た女性も多い。子どもを抱えている人もいる。片道2車線ある大きな通りの交差点では赤信号の時に停まった車の間をまわりティッシュやペットボトルの水、子供用のおもちゃ、音楽CDなどを売っている人たちがいたのだが、おじさんや少年に混じってブルカを着た少女も1人いた。
きょろきょろしながら歩いていたが、なかなか目的地に着かない。ガイドブックの地図は道路名が大ざっぱにしか載っていないためわかりにくい。そんなこんなでふらついていたら目安にしていた通りにたどり着く。そこを歩いていたとき、ぼくが気づかずに1片の紙を落としたのを見ていた通りがかりの白人男性がそれを教えてくれる。英語だったのでこれ幸いと英語でオマーン大使館の位置を訪ねてみると、近くだと言って行き方を教えてくれた。
しかし、彼の説明は後に間違っていたことが判明する。それから3~4人の人に聞きながらなんとか大使館に到着。アラビア語だと大使館という言葉もぜんぜん違う音になるので、ガイドブックにあるオマーンの旗を見せるとみんなわかってくれた。
オマーン大使館は門の脇にビザ申請用の小部屋の入り口があってノーチェックでそこに入れる。
窓口のおじさんは英語を解す。ビザがほしいというと国境で取ったらどうかと言われるが、国境の人が英語がわかるかどうかが不安のためここで取りたいと言うと21米ドルとパスポート用の写真1枚、パスポートのコピーなど必要なものを教えてくれる。例のごとくぼくは1米ドル札を持っていないのでリアルで払えないか聞いたがダメとのこと。翌日出直すことにする。
13時を過ぎていたので近くの食堂で飯を食う。これがおもしろい飯屋で石焼きビビンバのような料理を出している。タイル張りの店内の端に調理場があり、そこではガスバーナーがゴーゴーと火を噴き、その火の中に石焼きビビンバで使われるような石釜(石鍋)が置かれていた。
英語ができる客に助けられてなんとか注文する。10分ほど待ってじゅうじゅうはじける音とともに釜が目の前に到着。中を覗くと卵を入れたお粥のように見えた。ここに主食のパン(インドのナンのようなもの)を付けて食べる。店の入り口でブルカを着た女性が売っていた円形のナンを買ったのだが、これが直径80cmくらいある。これを釜の中の具に浸けて食べる。
お粥のように見えたものは、実際にはジャガイモを細かくしたものや肉を細かく切ったものなどいろいろ入っている。味は親子丼の具の味に近い。辛くはない。
この釜の他にテーブルにはインド料理で使われるカレーを入れる容器に透明のスープが入れられたものが2杯分配られる。食べていたら隣のおじさんが、このスープを釜の中に入れるよう教えてくれる。どうやら焦げ付き防止用にこのスープを使うらしい。
ナンがでかいこともあってすっかり満腹になる。値段は700リアル(約350円)。意外に高い。飯はエチオピアの方が安いかもしれない。
それからぶらぶら歩いて宿の方面に向かう。商店がたくさんある通りを適当に歩いていたら道が違ったようで行きたいところにたどりつかない。しょうがないので店で道を聞いて教えてもらう。
午後になったからか路上でカート(見た目は若い木の枝。噛んでいると覚醒作用があるらしい)を噛んでいる男たちを多数見る。片方の頬に文字通り頬張っておりさながらポパイのよう。店の中でも店主らが噛んでいる。
ぶらぶらと歩いて戻り、もう一度ネット屋に行く。暗くなって以降もちらっとふらつく。スカーフなどを売っている店で買い物。タハリール広場周辺の道ばたにはスリッパや靴下、下着、コート、雑誌を売る人がたくさんいる。表の通りから一本入った通りには食堂がたくさんあり、大勢の人で賑わっている。
ちょろちょろと買い食いしていたせいか腹が減らず、そのまま部屋に戻る。部屋に戻ってからジーパンの洗濯をする。その後は日記書きなどをしているうちに就寝。
Fin
08/10/18(土) 晴れ 涼しい
[Djiboti Villa:Djibouti→Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル
・蚊との闘い
・ジプチを出国
・慌ただしいフライト
・イエメン入国、すずしい!
・アラビア半島”最貧国”の首都
・オマーン大使館
・ポパイな人たち
ジプチ国際空港。夜中の0時過ぎ。イエメン行きの飛行機が朝早かったこととジブチの宿が高い(約2500円もする!)ので、昨日の午後に空港に来てからずっと空港で過ごしていた。当然、宵越しも空港で。
4席並んでいるベンチに横になる。エアコンも何もないが、常に汗が流れ出るほど暑くはないが、眠るのに心地よいほどの涼しさでもない。
眠りをさまたげるのは、どこからともなく現れる蚊。入り口のドアからは20mほど距離があるのだが、やはり人間のにおいを嗅ぎつけてか蚊がやってくる。最初はまわりにいたのが2匹ほどだったので、成敗してから寝ていたのだが、成敗しても2~3匹単位でまた新たな蚊が現れる。
長袖に長ズボン、靴下という格好で寝ていたから刺されるのは決まって手。手の甲や手首あたりを刺される。成敗するのも面倒になったので、蚊取り線香を炊くがあまり効き目なし。しょうがないので最後は蚊帳を投入する。それまでに10カ所近くやられる。
そうした蚊との格闘があったり、ベンチもゆっくり眠るには窮屈だったりということもあり、あまり眠れず。
朝5時頃、人の足音で目が覚める。周りを見ると乗客らしい人たちが3人ほどいてベンチでおしゃべりをしていた。
ぼくも起きだし、蚊帳を片づけ、荷物の整理をする。
6時になったところで隣の搭乗者用の入り口に行き、セキュリティチェックを受けてからチェックイン。搭乗券をもらい、出国手続きに移る。
出国カードをチェックインカウンターでもらったので、それを記入し、パスポートとともに提出。出国カードはフランス語とアラビア語の併記だったのだが、一部わからないところがあったので空欄のまま出したところ、窓口の男性が書き込んでくれる。質問等は特になし。搭乗券とパスポートにダンダンとスタンプが押されて帰ってくる。
階段をのぼり、2階の搭乗ロビーに行く。朝早いためだろう、売店も何も開いていない。コンセントがあったのでその近くの机でしばらく日記書き。
作業をしていると搭乗ゲートに入っていく人たちが見えたのでぼくもそちらに移動。荷物チェックを受けてから待合室に入る。
ふとチケットを改めて見ると座席番号がない。スタッフの人に聞いてみたらどこでも座っていいと言う。飛行機で座席指定がないなんて初めて。
7時半。ベンチに座ってまた書きものをしていたら搭乗が始まる。あっと言う間に列ができ、片づけをしたりしていたぼくは一番最後になる。窓際に座りたかったのにこれでは席取りゲームに負けてしまうな、と思いながら窓の外を見ると、バスがやってくる。どうやら飛行機まではバスで行くらしい。これだったら勝機あり。
バスに最後に乗りこみ、ドア際に立つ。バスはゆっくりと発車し、2分ほどで飛行機の階段前に到着。ぼくが立っていた側のドアが開き、見事にすぐそこが飛行機へとつながる階段の登り口だったので、ねらい通りに一番に飛行機に乗り込めた。
安いイエメン航空ということでちょっとぼろい飛行機を予想していたのだが、なんのなんの十分にきれい。フライトアテンダントの格好もイスラム以外の国と変わらない。女性も普通に髪を出している。
一番乗りということで窓際の席が取れるなと意気揚々と飛行機に乗り込んでみたものの、なんとすでにたくさんの乗客がいた。どうやらエチオピアかどこかが初発地でここは経由地だったよう。当然、窓際の席はほぼ埋まっている。なんとか空いているところをみつけて座席は確保できたものの主翼の根本。窓から外を見てみるが、あまり視界は良くない。それに大変問題なことに窓ガラスには猫がひっかいたような傷が無数にある。美しくない。
飛行機は予定時間よりも少し早く7時55分に離陸。客室正面にあるスクリーンには飛行機の速度や外気温、離陸してからの時間などが飛行地図と一緒に映し出される。離陸後はすぐに雲の上に出てしまったため眼下は白いだけ。紅海がきれいに見えるかと期待していたのだが、見えずじまいだった。
無事、離陸をすると機内はにわかに慌ただしくなる。客室乗務員が食事の準備を始めたよう。1時間のフライトなので飲み物くらいしか出ないだろうと思っていたので嬉しくなる。
朝食の入ったプラスチックの容器と飲み物が配られる。食事はチーズのみのサンドイッチ2個とクロワッサンのようなパン2個。
ぼくのもとに食事が届いたのは離陸してから24分後。着陸まであと30分ちょっとしかない。着陸態勢に入ることを考えればのんびり飯が食えるのは実質20分ほどか。
客室乗務員は乗客全員に配り終えた後、すぐにごみの回収を始める。行動が早い。
ぼくのところには離陸後36分後に回収にくる。そうしている間にも雲の中に突入して、シートベルトのランプが付く。スクリーンに映し出されている高度が下がり始めたからすでに着陸に向けて下降し始めたよう。
雲を抜けると眼下にアラビア半島が見える。紅海も見えた。眼下にはベージュの木のない山々が見える。とにかく緑がない。そのうちちょろちょろ人家が見える。急峻そうな山の上の方に集落が見えるので、そこの人たちはどうやって水を得ているのかと不思議に思う。それからグランドキャニオンに似たような大地がボロボロと欠けた渓谷も見える。
しばらくすると突然大量の人家が眼下に見える。隣に座っていた学生という若い男がサナアだと教えてくれる。
これから着陸という頃になって、腹が少し膨れたせいかうとうと眠くなり、気が付けば着陸していた。創造していたよりも空港は立派。
着陸したのがぼくの時計で8時45分。機体から出ると外はひんやりしていた。心地よい涼しさ。
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またバスに乗って空港に移動。そして入国審査。ビザはすでに取っていたのですぐにイミグレへ。たいした質問もなくになんなく通過。
空港内の両替屋で両替をする。1米ドル=199イエメンリアル、1ユーロ=260イエメンリアル。米ドルの細かいのがなかったので20ユーロ札を両替。
荷物もすぐに出てきてさっさと空港を出ることができる。
空港を出るとタクシーの客引きがいたが、1度断るとあとは何もなし。しつこくない。
駐車場を挟んで向こう側の道路を市内に行くミニバスが走っているとガイドブックにあったので、そちらに行く。
ちょうどミニバスがやってきたので、ハサバ(地名)?と行き先を確認し、それに乗る。ここのミニバスはダッバーブと呼ばれている。やはりトヨタのワゴン。運転手も客もターバンを頭に巻いている。道路はよく整備されていてアスファルトの表面もそれほど悪くなっていない。
道路沿いにはいくつか店が並び、その後ろの方に家が見える。遺跡のようなベージュ色の石組の四角い家々。店の看板もアラビア文字ばかり。ジプチもアラビア語が公用語だったが、店の看板はフランス語だったのでそれほどアラブの国という雰囲気はなかった。
驚いたのが男の人の大半が腰(へそのあたり)に帯刀していること。ジャンビーヤというらしいが、アラビアの半月刀をベルトと腹の間に差している。刀が本物なのかはわからない。女性も黒いブルカを着ている人がほとんど。洋服はみないし、ジプチやモロッコのように色鮮やかなスカーフをまとっている人も見ない。
服装といい、町並みといいすっかり別世界に来た印象を受ける。
30分ほどで乗り換え地点のハサバに着く。運転手に適当に代金を払うとガイドブックにあった通りの運賃を徴収してお釣りをくれた。何かとごまかそうとしていたジプチとは大違いだ。
さて、ミニバスがたくさん停まっている地帯に着いたのだが、市街地に行く車がどれなのかがわからない。なので同じ車に乗っていた背広姿の男性に宿があるタハリール(広場の名前)に行きたいと英語で言うと、”タハリール”が通じたようでその車の乗り場まで案内してくれることになる。
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乗り場は降りた未舗装の道をまっすぐ行ってぶつかった道路沿いにあり、そこにはまたたくさんの車が停まっていた。そこまで歩いて3分足らず。そのおじさんもはっきり知っていたわけではなかったようで、何人かの人に聞いてタハリール行きの車の乗り場を突き止めてくれる。そして、アラビア語でいろいろ説明してくれるのだが、まったくわからない。
とにかく言われたところで待っていたらミニバスがやってくる。運転手に聞くとタハリール行きだと言う。さぁ、乗り込もうとしたら空っぽで到着したにも関わらず、一瞬で満席になってしまい、乗れず。今度のミニバスは軽自動車のワゴン。これは初めて。なので座席が助手席をのぞけば6つしかない。そのためかタハリールに行くらしい人は、車が止まる前から待ちかまえていて、停まった瞬間に一斉に乗り込む。
車に乗れずにありゃりゃと思っていたら、次々と同じ方面行きの車がやってきて、周りにいた人もあれだあれだと指さして教えてくれる。なので、待つこともなく別の車に乗ることができた。
後部の向かい合いの6人座席のドア際に座ったのだが、ドアは閉まらないようになっている。それいてカーブもたいしてスピードを落とさないから、ドアの外へと飛び出しそうになる。クラクションが盛んに鳴り響き、隙間があればどんどん車が入ってくる。なかなか荒い。
外を眺めていたら向かいに座っている30代くらいの男が英語でどこから来たのかと聞いてくる。日本からと言うとたぶん予想が外れたのだろう、ふうんという顔をして「Thank you」と礼を言う。なかなか礼儀正しい。これには驚く。
だんだんと建物が建て詰まった地帯に入っていき、20分ほどで終点に到着。地図で見るよりも小さな広場(というかバス乗り場)だったので念のため運転手に確認するとタハリールだと言う。
車を降りて端の方に行くと食い物を売っている人たちがいた。男ばかり。女性はいない。ゆで卵を売っているおじいさんがいたので、そこでゆで卵を1個買う。15リアル(約8円)。おもしろいのが4種類ほどの香辛料が用意されていて、それを付けて食べることができるようになっている。
そばにいた少年がにこやかに話しかけてくるが、まったく言葉がわからない。
道を聞こうにもそれすらもアラビア語で覚えていなかったのでガイドブックを頼りに歩く。が、どうも違う。そうしてふらふらしていたら英語で話しかけてくる男性がいた。彼に行きたい場所を言うと英語で教えてくれる。
教えてもらった通りに行くと確かにその通りだった。バスが止まったのはタハリール広場そのものではなかった。
広場から歩いて3分ほどのところが泊まる予定の宿。日本語の情報ノートがある宿で、道ばたには日本語の看板が出ていた。
通りからちょっと奥まった建物の2階にあがる。そこが受付。ソファには日本人旅行者が2人いた。部屋の値段を聞くと1000イエメンリアル。800リアルのシングルは満室という。さっそくその部屋を案内してもらう。変わった作りの建物で階段の方向がいろいろある。これがイエメン式の建物のよう。
部屋は10畳ほどある広い部屋でベッドが2つにテレビ、タンスもある。通りに面した部屋で窓からはその通りの様子がうかがえる。なかなかよろしい。
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部屋に荷物を置いてから受付のロビーで情報ノートを閲覧。めぼしい情報は大してなかったが、サナアからサユーン行きのバスには現在外国人は乗れない(チケットを売ってくれない)ということになっているという情報は大きかった。しかし肝心のパーミットをとる場所が書かれていない。あとオマーン大使館の位置も書かれていない。
情報ノートを見ながら2人の日本人とちょっとしゃべる。1人は中東に半年いるという人だった。
時間はまだ11時すぎ。オマーンのビザを今日中に申請できればと思い、近くのネット屋に行ってサナアのオマーン大使館の位置をグーグルマップなどで調べる。
そして歩いてオマーン大使館へ。
アラビア半島ではイエメンは最貧国だなんてどこかで読んでいたので、どんなに貧しい首都かと思っていたのだが、これが予想以上に大都市だった。ぼくの感覚から言うと、アフリカでここまで整備され、かつ店が多いまちはあまりない。アディスアベバやダルエスサラーム、ナイロビよりも大きいように感じる。
店の中で目立つのがフルーツジュース屋。軒先にみかんやショウガなどをぶら下げ、カウンターには数種類のジュースがミキサーに入った状態で置かれている。それからイエメン(アラブ)らしい店が香辛料屋やイスラム服屋やジャンビーヤ(アラビア刀)屋、それから看板に「Honey」と書いた蜂蜜を使ったお菓子屋など。コーヒーモカマタリの国ではあるが、コーヒーの専門店は見ない。
道ばたで物乞いしている人は少ないが、それでもちらほらと見る。その中には頭からブルカを着た女性も多い。子どもを抱えている人もいる。片道2車線ある大きな通りの交差点では赤信号の時に停まった車の間をまわりティッシュやペットボトルの水、子供用のおもちゃ、音楽CDなどを売っている人たちがいたのだが、おじさんや少年に混じってブルカを着た少女も1人いた。
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きょろきょろしながら歩いていたが、なかなか目的地に着かない。ガイドブックの地図は道路名が大ざっぱにしか載っていないためわかりにくい。そんなこんなでふらついていたら目安にしていた通りにたどり着く。そこを歩いていたとき、ぼくが気づかずに1片の紙を落としたのを見ていた通りがかりの白人男性がそれを教えてくれる。英語だったのでこれ幸いと英語でオマーン大使館の位置を訪ねてみると、近くだと言って行き方を教えてくれた。
しかし、彼の説明は後に間違っていたことが判明する。それから3~4人の人に聞きながらなんとか大使館に到着。アラビア語だと大使館という言葉もぜんぜん違う音になるので、ガイドブックにあるオマーンの旗を見せるとみんなわかってくれた。
オマーン大使館は門の脇にビザ申請用の小部屋の入り口があってノーチェックでそこに入れる。
窓口のおじさんは英語を解す。ビザがほしいというと国境で取ったらどうかと言われるが、国境の人が英語がわかるかどうかが不安のためここで取りたいと言うと21米ドルとパスポート用の写真1枚、パスポートのコピーなど必要なものを教えてくれる。例のごとくぼくは1米ドル札を持っていないのでリアルで払えないか聞いたがダメとのこと。翌日出直すことにする。
13時を過ぎていたので近くの食堂で飯を食う。これがおもしろい飯屋で石焼きビビンバのような料理を出している。タイル張りの店内の端に調理場があり、そこではガスバーナーがゴーゴーと火を噴き、その火の中に石焼きビビンバで使われるような石釜(石鍋)が置かれていた。
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英語ができる客に助けられてなんとか注文する。10分ほど待ってじゅうじゅうはじける音とともに釜が目の前に到着。中を覗くと卵を入れたお粥のように見えた。ここに主食のパン(インドのナンのようなもの)を付けて食べる。店の入り口でブルカを着た女性が売っていた円形のナンを買ったのだが、これが直径80cmくらいある。これを釜の中の具に浸けて食べる。
| 送信者 yemen |
お粥のように見えたものは、実際にはジャガイモを細かくしたものや肉を細かく切ったものなどいろいろ入っている。味は親子丼の具の味に近い。辛くはない。
この釜の他にテーブルにはインド料理で使われるカレーを入れる容器に透明のスープが入れられたものが2杯分配られる。食べていたら隣のおじさんが、このスープを釜の中に入れるよう教えてくれる。どうやら焦げ付き防止用にこのスープを使うらしい。
ナンがでかいこともあってすっかり満腹になる。値段は700リアル(約350円)。意外に高い。飯はエチオピアの方が安いかもしれない。
それからぶらぶら歩いて宿の方面に向かう。商店がたくさんある通りを適当に歩いていたら道が違ったようで行きたいところにたどりつかない。しょうがないので店で道を聞いて教えてもらう。
午後になったからか路上でカート(見た目は若い木の枝。噛んでいると覚醒作用があるらしい)を噛んでいる男たちを多数見る。片方の頬に文字通り頬張っておりさながらポパイのよう。店の中でも店主らが噛んでいる。
ぶらぶらと歩いて戻り、もう一度ネット屋に行く。暗くなって以降もちらっとふらつく。スカーフなどを売っている店で買い物。タハリール広場周辺の道ばたにはスリッパや靴下、下着、コート、雑誌を売る人がたくさんいる。表の通りから一本入った通りには食堂がたくさんあり、大勢の人で賑わっている。
ちょろちょろと買い食いしていたせいか腹が減らず、そのまま部屋に戻る。部屋に戻ってからジーパンの洗濯をする。その後は日記書きなどをしているうちに就寝。
Fin
2009年9月22日火曜日
[diary]ジプチに入国
ジプチに入国
08/10/12(日) 晴れ
[Diredawa:Ethiopia→Djibouti Villa:Djibouti]
レート:1米ドル=176ジブチフラン=100円
・2時起き、4時発
・国境、わけのわからない検問
・久々の海
・汚い住宅街、アリババ
・ヨーロッパ的&アラブチックな中心街
・高い物価
エチオピアはディレダワの朝。というか、まだ夜中の2時に目が覚める。2時半に携帯電話でアラームを設定していたのにそれよりも早く起きる。ここのホテルはここ数ヶ月ではかなりいい部類に入るのだが、まぁ、それだけのカネ(1泊100ブル≒1100円)を払っているから当然かもしれない。この宿賃もここ数ヶ月では最高額だし。そんないいところに泊まったのに朝2時起きなのが悲しいところ。もちろん今日ここを離れなければいけない理由などないのだが、かと言ってもう1泊ここにいる気分にもならないから、結局はしょうがないのである。
さて、ちょっと早く目が覚めてしまったのだが、ここでもう30分あるからと二度寝をしてしまったら終わりだと思い、思い切って体を起こし、完全に起きる。眠い。
荷物の支度をして2時半には宿を出る。外は真っ暗。部屋を出れば外へとつながる中庭だから鍵はほったらかしで部屋を出る。
昨日、バスを予約した宿の前の通りにあるバスの事務所まで歩く。通りに出れば明かりがついているのはそこだけだったので、すぐにわかった。ずいぶん人が集まっている。すでにこうした客を相手に商売をやっている人もいる。
バスの事務所に行き、チケットを買う。ジブチの首都であるジブチシティまでバス代は130ブル(約1500円)。チケットを手にしたらすぐにバスに乗り込む。座席は決まっていないようだから適当に窓際の席を占拠。外にはいくらか明かりがあったのだが、車内は真っ暗。すでに客は半分以上乗り込んでいて、話し声などなんやかんやと声が飛ぶ。
3時前にバスに乗り込んだのに、出発はしたのは結局4時。この待ち時間の意味がわからない。
ヘッドライトの明かりだけを頼りにバスは走る。当然、車窓からは暗闇しか見えない。というわけで、寝る。
6時にもなれば外はすっかり明るくなる。ようやくどういうところを走っているのかがわかる。辺りには緑はなく、半分砂漠のようなところをバスは走っている。ちょうどケニアからエチオピアに行くときに通ったあの国境地帯に風景が似ている。沿道には時折らくだが現れる。また、やはりナイロビからエチオピアに行くときに通った沿道で見た木の枝で骨組みを作って布などを張って作った半球型の家なども見る。
8時すぎ、前方右手に大きな屋根が見えてくる。周りは相変わらずベージュ色の砂の世界。そんな中にぽつんとある大きな屋根とくれば国境に違いない。
バスはこれまで走ってきた舗装された幹線道路からはずれ、右に曲がり、その大きな屋根のほうに行く。やっぱり国境の施設だった。でも、その屋根の下で何をするわけでもなく、バスはその屋根近くにあるコンクリート製の四角い事務所の前まで行って停車。ここがイミグレらしい。
通常なら一人ひとりがイミグレの窓口に行って、そこで手続きするのだが、ここでは乗客みんなのパスポートをイミグレ側がいったん全部集めて、早く終わった人から返却するというやり方だった。すぐに手続きは終わるかと思いきや、これがなかなか終わらない。15分ほどしてもパスポートが戻ってくる気配がないし、他の乗客もめいめいトイレに行ったり、バスの乗客を目当てにチャイを売りに来た人たちからチャイなり朝飯になるようなものを買って、その辺に腰をかけて待っている。
ぼくもトイレにと思って行ってみたが、これが描写する気にならないくらいひどいところだったので、その辺で済ます。暇だったし、まだ何も口にしていなかったので、チャイ売りの女性からチャイを1杯買う。チャイ(ミルクティー)は1杯1ブル(約10円)。女性は魔法瓶らしい水筒にチャイを入れて持ち歩いていて、それをコップ代わりの空き缶に入れて売る。空き缶はフルーツか何かの空き缶らしく円柱形で縦に長く、缶切りで開けた蓋もついたまま。チャイが熱いため、当然入れてもらった缶も熱く、持って飲むのも一苦労。もちろんこの缶は要返却。ちなみにこの時点で、ここに着いてから1時間が経過していた。まだパスポートは戻ってきていない。
それから30分ほどしてようやくパスポートの返却が始まった。ぼくはここらの人間ではないからか早くに戻ってくる。パスポートを受け取ったらバスへ。
バスはぼくらが待っている間に屋根のある方へと移動してしまっていた。なので、その屋根のあるところへ歩いていく。バスは3台ほど止まっていた。バスの屋根に載せていた荷物を見ればどれが自分が乗ってきたバスかわかるだろうと、それぞれのバスの屋根を見回してみたが、なぜかあるはずの荷物がない。そこで屋根の下のコンクリート打ちの床を見てみると一角に荷物がどさっと無造作に置かれているところがあった。なので、そこまで歩いて行き荷物を確認。ぼくのリュックも降ろされていた。荷物の山の隣には1台のバスが止まっていたので、リュックを持って乗り込もうとすると、近くにいた運転手らしい男が乗るのを制する。ジブチシティに行きたいのだがと英語で言うも、どうも通じていないようでただ首を振るだけ。ちと困る。
しょうがないので、他に止まっているバスを回ってジブチシティに行くかどうか適当に聞くが、どれもいまいちの反応。どうしたものかと思いながらも、まだパスポート待ちをしている人たちの中にジブチシティに行く人がいるだろうと思い、その人たちの動きを待つことにする。
同じバスに乗ってきた人たちのパスポートチェックが終わったところで、また一緒にバスに乗り込む。8時半ごろにここに着いてから既に2時間近くが過ぎようとしていた。
バスはまた舗装された一本道を走る。辺りには相変わらず緑がない。まったくない。標高が下がってきたようで、徐々に暑さを感じるようになる。エチオピアは標高が高いところが多いから、アジスアベバにいるときも涼しかった。ケニアも大して暑くなかったから、暑いと感じるのは久しぶりだ。
順調にバスはとばす。もちろん信号も何もない。
12時になってもバスは止まることなく走り続ける。このままノンストップでジブチシティまで行ってくれると早く着くなと思っていたら、突然渋滞が現れ、バスは速度を落とす。そして、道路わきの簡易食堂の前で停車。昼食休憩かと思いきや検問だった。再び乗客全員がバスから降りる。警察の格好をした男たちがバスに乗り込み、複数の乗客が持っていたカート(葉っぱの嗜好品。噛むと覚醒作用か何かがあるエキスが出てくる模様)の束を取り上げ、バスの外に持っていく。取られた乗客は警察に言い寄っているが、警察は強い態度で聞く耳を持たない。言葉がわからないので、なんでこんなことが起きているのかわからない。
乗客の中には食堂で食事を始める者もいれば、ずっと警察に食いついている人もいる。ぼくはやや離れて彼らのやり取りを眺める。
30分以上、そのゴタゴタで待たされる。結局は、警察側が乗客から取り上げたカートを返してことは終わった。結局、なんだったのか?
再びバスは走り出す。なだらかな下り坂に入り、遠くに建物が見えるようになる。もしや紅海が遠くに見えるのではと目を凝らすが、まだそこまでは近づいていないよう。
暑さはさらにきつくなり、だんだんと真夏のような空気になる。あたりは相変わらず半分砂漠のような風景。
検問を抜けてからしばらくすると遠くに海が、その手前にはジブチシティが見えてくる。1時間後、バスはジブチシティに入る。コンクリート製の背の低い四角い建物群の間をバスは抜けていく。車の量がいきなり増える。乗客のうち何人かは途中で適当なところで降りていった。
例のごとくガイドブックを取り出し、窓から見える景色や道路名と地図とを照合させ、現在地を割り出す。ジブチシティは海に面しているから方角が定めやすい。が、いまいち現在地がわからない。まっすぐ進むと予想していた通りからバスが右へと曲がり思わぬ方向へ行きそうだったので、慌てて席を立ちここで降りる旨をバスの運転手に伝える。荷物を受け取って下車。
さてさて、宿はどっちの方か? ガイドブックの地図を見ながら歩く。暑い。こんなに暑いのは久しぶりだ。これまでずっと20℃台だったのに急に30℃台にあがった模様。
近道をしようと住宅街を抜ける。同じような型のコンクリート製の四角い家が碁盤の目のように並んでいて、その間の道は幅3mほどある。なぜかその道が異様に汚い。ごみで埋め立てて作ったのかと思ってしまうくらい、路面にごみが落ちている。落ちているというよりもそもそも未舗装の道だからそれらが車や人に踏まれて舗装材のようになっている。雨が降ったのか、それとも排水施設の問題なのか、ときおり水溜りがあるのだが、これがまた緑色だったり、油のようなものが浮いていたりして汚い。なんなんだ、これは?
住宅街の道があまりに汚いので車が走っている広い通りにいったん出て、その道沿いを歩く。歩いていたらすれ違うバスの中から若い男が顔を出し、こちらを見て「アリババ!」と大きな声で言う。これが噂に聞いていたアリババ攻撃らしい。
リュックを背負って歩いているとすぐに汗が噴出してくる。30分ほど歩いて目的の宿を無事に発見。ガイドブックでは最安値の宿だったが、宿泊代を聞いてみると5000ジブチフラン(約3000円)。エチオピアと比較すると5~6倍も高い。フロントのにいさんのうちの一人は英語が出来たので、その人に言って部屋を見せてもらう。部屋はエアコン付の8畳ほどの広い部屋。トイレとシャワーは共同。トイレとシャワーが共同でこの値段なんて信じられないのだが、フロントに聞いてもこれが一番安いらしい。値下げ交渉もしたが、これで十分安いと向こうは言い張る。他に宿の当てがあるわけでもないので、一晩だけここに泊まることにして、部屋に案内してもらう。
部屋に荷物を下ろし、しばし休憩。30分ほど歩いただけだが、かなり汗をかいた。天気がとてもいいので、シャワールームで簡単に洗濯をしてからまちに繰り出す。
中心街までは歩いて10分ほど。まずは両替をしなければいけない。今日は日曜日だから開いてないかなと不安に思いながら中心部へ行くと、両替屋に限らずほとんどの店が閉まっていた。それでも1ヵ所は開いていたので、そこで両替する。
中心街はヨーロッパ調の建物で統一されていて、掃除も行き届いており、その一帯だけは見た目にも美しい。ただ、どういうことなのか、道端にらくだがいた。
中心街の南側にバスターミナルがあり、その周り一帯がアラブ調の市場街になっていた。野菜・果物市場ではさまざまな野菜や果物が無造作に陳列され、路上には食べ物の屋台や布や服、葉タバコなどの露店が並び、とても賑やか。ジブチはイスラムの国ということもあり、夕方にはモスクからアザーン(お祈りの時間を知らせる呼びかけ)が聞こえて来る。女性はほとんどが頭から腰くらいまでブルカのようなものと足首まであるロングスカートを着ている。ただブルカと言っても中東のように真っ黒なそれではなく、モロッコと同じくアフリカンカラーの見た目にも鮮やかな柄のものを着ている人が多いから、なんとなくまちの雰囲気が明るい。ちなみに男性はスラックスのようなズボンに半袖のTシャツなど、まぁ適当な格好をしている。男性だけ見るとイスラム的ではない。
暗くなるまで3~4時間ほど歩き回る。夕方暗くなったところで道端の食堂で夕食。地元の食をと思っていたのだが、ちょうど歩いていた通りには魚を焼いて出すだけとかスパゲッティとかあまり物珍しくない料理を出すところしかなかった。せっかっく海のある国に来たからと、魚でも食べようかと思い、魚料理店に入ったところどの魚がいいかと冷凍庫を見せられ、その中の小ぶりのを指差したらそれだけで500円近くするというので辞めた。結局、人がそこそこ入っている食堂でスパゲッティと肉炒めみたいなもののセットを食べる。お値段は300フラン(約190円)。値段のわりに量は多いのがうれしい。スパゲティはピリ辛のミートソース。麺はちょっとやわめ。
なんだかありきたりのものにしかありつけなかったので、食後、近くに並んでいた屋台を見て回る。その中で珍しいものを売っているおばちゃんがいたので、そこで売っているものを注文。それは牛乳の中に穀物の何かを入れたもので、どちらかというとデザートのようなものだった。でも、デザートというには甘さが足りない。食べた感触だと中に入っていた穀物は麦の粒っぽい。ジブチはアラビア語かフランス語だから聞こうと思っても、こちらの言語能力が低すぎて文字通りお話にならない。だから実際はどうなのかわからない。
19時過ぎごろ、宿にいったん戻る。宿の人に近くにネット屋があるか聞いたらあるというので、近くのネット屋に行く。ネット代は1時間300フラン(約190円)。エチオピアやケニアの2倍の値段だがそこそこ速い。ネットでジブチの安宿情報やイエメン大使館の場所などを探す。
その後、ホテルに戻り、適当に就寝。
Fin
08/10/12(日) 晴れ
[Diredawa:Ethiopia→Djibouti Villa:Djibouti]
レート:1米ドル=176ジブチフラン=100円
・2時起き、4時発
・国境、わけのわからない検問
・久々の海
・汚い住宅街、アリババ
・ヨーロッパ的&アラブチックな中心街
・高い物価
エチオピアはディレダワの朝。というか、まだ夜中の2時に目が覚める。2時半に携帯電話でアラームを設定していたのにそれよりも早く起きる。ここのホテルはここ数ヶ月ではかなりいい部類に入るのだが、まぁ、それだけのカネ(1泊100ブル≒1100円)を払っているから当然かもしれない。この宿賃もここ数ヶ月では最高額だし。そんないいところに泊まったのに朝2時起きなのが悲しいところ。もちろん今日ここを離れなければいけない理由などないのだが、かと言ってもう1泊ここにいる気分にもならないから、結局はしょうがないのである。
さて、ちょっと早く目が覚めてしまったのだが、ここでもう30分あるからと二度寝をしてしまったら終わりだと思い、思い切って体を起こし、完全に起きる。眠い。
荷物の支度をして2時半には宿を出る。外は真っ暗。部屋を出れば外へとつながる中庭だから鍵はほったらかしで部屋を出る。
昨日、バスを予約した宿の前の通りにあるバスの事務所まで歩く。通りに出れば明かりがついているのはそこだけだったので、すぐにわかった。ずいぶん人が集まっている。すでにこうした客を相手に商売をやっている人もいる。
バスの事務所に行き、チケットを買う。ジブチの首都であるジブチシティまでバス代は130ブル(約1500円)。チケットを手にしたらすぐにバスに乗り込む。座席は決まっていないようだから適当に窓際の席を占拠。外にはいくらか明かりがあったのだが、車内は真っ暗。すでに客は半分以上乗り込んでいて、話し声などなんやかんやと声が飛ぶ。
3時前にバスに乗り込んだのに、出発はしたのは結局4時。この待ち時間の意味がわからない。
ヘッドライトの明かりだけを頼りにバスは走る。当然、車窓からは暗闇しか見えない。というわけで、寝る。
6時にもなれば外はすっかり明るくなる。ようやくどういうところを走っているのかがわかる。辺りには緑はなく、半分砂漠のようなところをバスは走っている。ちょうどケニアからエチオピアに行くときに通ったあの国境地帯に風景が似ている。沿道には時折らくだが現れる。また、やはりナイロビからエチオピアに行くときに通った沿道で見た木の枝で骨組みを作って布などを張って作った半球型の家なども見る。
8時すぎ、前方右手に大きな屋根が見えてくる。周りは相変わらずベージュ色の砂の世界。そんな中にぽつんとある大きな屋根とくれば国境に違いない。
バスはこれまで走ってきた舗装された幹線道路からはずれ、右に曲がり、その大きな屋根のほうに行く。やっぱり国境の施設だった。でも、その屋根の下で何をするわけでもなく、バスはその屋根近くにあるコンクリート製の四角い事務所の前まで行って停車。ここがイミグレらしい。
| 送信者 djibouti |
| 送信者 djibouti |
通常なら一人ひとりがイミグレの窓口に行って、そこで手続きするのだが、ここでは乗客みんなのパスポートをイミグレ側がいったん全部集めて、早く終わった人から返却するというやり方だった。すぐに手続きは終わるかと思いきや、これがなかなか終わらない。15分ほどしてもパスポートが戻ってくる気配がないし、他の乗客もめいめいトイレに行ったり、バスの乗客を目当てにチャイを売りに来た人たちからチャイなり朝飯になるようなものを買って、その辺に腰をかけて待っている。
ぼくもトイレにと思って行ってみたが、これが描写する気にならないくらいひどいところだったので、その辺で済ます。暇だったし、まだ何も口にしていなかったので、チャイ売りの女性からチャイを1杯買う。チャイ(ミルクティー)は1杯1ブル(約10円)。女性は魔法瓶らしい水筒にチャイを入れて持ち歩いていて、それをコップ代わりの空き缶に入れて売る。空き缶はフルーツか何かの空き缶らしく円柱形で縦に長く、缶切りで開けた蓋もついたまま。チャイが熱いため、当然入れてもらった缶も熱く、持って飲むのも一苦労。もちろんこの缶は要返却。ちなみにこの時点で、ここに着いてから1時間が経過していた。まだパスポートは戻ってきていない。
| 送信者 djibouti |
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それから30分ほどしてようやくパスポートの返却が始まった。ぼくはここらの人間ではないからか早くに戻ってくる。パスポートを受け取ったらバスへ。
バスはぼくらが待っている間に屋根のある方へと移動してしまっていた。なので、その屋根のあるところへ歩いていく。バスは3台ほど止まっていた。バスの屋根に載せていた荷物を見ればどれが自分が乗ってきたバスかわかるだろうと、それぞれのバスの屋根を見回してみたが、なぜかあるはずの荷物がない。そこで屋根の下のコンクリート打ちの床を見てみると一角に荷物がどさっと無造作に置かれているところがあった。なので、そこまで歩いて行き荷物を確認。ぼくのリュックも降ろされていた。荷物の山の隣には1台のバスが止まっていたので、リュックを持って乗り込もうとすると、近くにいた運転手らしい男が乗るのを制する。ジブチシティに行きたいのだがと英語で言うも、どうも通じていないようでただ首を振るだけ。ちと困る。
しょうがないので、他に止まっているバスを回ってジブチシティに行くかどうか適当に聞くが、どれもいまいちの反応。どうしたものかと思いながらも、まだパスポート待ちをしている人たちの中にジブチシティに行く人がいるだろうと思い、その人たちの動きを待つことにする。
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同じバスに乗ってきた人たちのパスポートチェックが終わったところで、また一緒にバスに乗り込む。8時半ごろにここに着いてから既に2時間近くが過ぎようとしていた。
バスはまた舗装された一本道を走る。辺りには相変わらず緑がない。まったくない。標高が下がってきたようで、徐々に暑さを感じるようになる。エチオピアは標高が高いところが多いから、アジスアベバにいるときも涼しかった。ケニアも大して暑くなかったから、暑いと感じるのは久しぶりだ。
| 送信者 djibouti |
順調にバスはとばす。もちろん信号も何もない。
12時になってもバスは止まることなく走り続ける。このままノンストップでジブチシティまで行ってくれると早く着くなと思っていたら、突然渋滞が現れ、バスは速度を落とす。そして、道路わきの簡易食堂の前で停車。昼食休憩かと思いきや検問だった。再び乗客全員がバスから降りる。警察の格好をした男たちがバスに乗り込み、複数の乗客が持っていたカート(葉っぱの嗜好品。噛むと覚醒作用か何かがあるエキスが出てくる模様)の束を取り上げ、バスの外に持っていく。取られた乗客は警察に言い寄っているが、警察は強い態度で聞く耳を持たない。言葉がわからないので、なんでこんなことが起きているのかわからない。
乗客の中には食堂で食事を始める者もいれば、ずっと警察に食いついている人もいる。ぼくはやや離れて彼らのやり取りを眺める。
30分以上、そのゴタゴタで待たされる。結局は、警察側が乗客から取り上げたカートを返してことは終わった。結局、なんだったのか?
再びバスは走り出す。なだらかな下り坂に入り、遠くに建物が見えるようになる。もしや紅海が遠くに見えるのではと目を凝らすが、まだそこまでは近づいていないよう。
暑さはさらにきつくなり、だんだんと真夏のような空気になる。あたりは相変わらず半分砂漠のような風景。
検問を抜けてからしばらくすると遠くに海が、その手前にはジブチシティが見えてくる。1時間後、バスはジブチシティに入る。コンクリート製の背の低い四角い建物群の間をバスは抜けていく。車の量がいきなり増える。乗客のうち何人かは途中で適当なところで降りていった。
例のごとくガイドブックを取り出し、窓から見える景色や道路名と地図とを照合させ、現在地を割り出す。ジブチシティは海に面しているから方角が定めやすい。が、いまいち現在地がわからない。まっすぐ進むと予想していた通りからバスが右へと曲がり思わぬ方向へ行きそうだったので、慌てて席を立ちここで降りる旨をバスの運転手に伝える。荷物を受け取って下車。
さてさて、宿はどっちの方か? ガイドブックの地図を見ながら歩く。暑い。こんなに暑いのは久しぶりだ。これまでずっと20℃台だったのに急に30℃台にあがった模様。
近道をしようと住宅街を抜ける。同じような型のコンクリート製の四角い家が碁盤の目のように並んでいて、その間の道は幅3mほどある。なぜかその道が異様に汚い。ごみで埋め立てて作ったのかと思ってしまうくらい、路面にごみが落ちている。落ちているというよりもそもそも未舗装の道だからそれらが車や人に踏まれて舗装材のようになっている。雨が降ったのか、それとも排水施設の問題なのか、ときおり水溜りがあるのだが、これがまた緑色だったり、油のようなものが浮いていたりして汚い。なんなんだ、これは?
住宅街の道があまりに汚いので車が走っている広い通りにいったん出て、その道沿いを歩く。歩いていたらすれ違うバスの中から若い男が顔を出し、こちらを見て「アリババ!」と大きな声で言う。これが噂に聞いていたアリババ攻撃らしい。
リュックを背負って歩いているとすぐに汗が噴出してくる。30分ほど歩いて目的の宿を無事に発見。ガイドブックでは最安値の宿だったが、宿泊代を聞いてみると5000ジブチフラン(約3000円)。エチオピアと比較すると5~6倍も高い。フロントのにいさんのうちの一人は英語が出来たので、その人に言って部屋を見せてもらう。部屋はエアコン付の8畳ほどの広い部屋。トイレとシャワーは共同。トイレとシャワーが共同でこの値段なんて信じられないのだが、フロントに聞いてもこれが一番安いらしい。値下げ交渉もしたが、これで十分安いと向こうは言い張る。他に宿の当てがあるわけでもないので、一晩だけここに泊まることにして、部屋に案内してもらう。
部屋に荷物を下ろし、しばし休憩。30分ほど歩いただけだが、かなり汗をかいた。天気がとてもいいので、シャワールームで簡単に洗濯をしてからまちに繰り出す。
中心街までは歩いて10分ほど。まずは両替をしなければいけない。今日は日曜日だから開いてないかなと不安に思いながら中心部へ行くと、両替屋に限らずほとんどの店が閉まっていた。それでも1ヵ所は開いていたので、そこで両替する。
中心街はヨーロッパ調の建物で統一されていて、掃除も行き届いており、その一帯だけは見た目にも美しい。ただ、どういうことなのか、道端にらくだがいた。
| 送信者 djibouti |
| 送信者 djibouti |
中心街の南側にバスターミナルがあり、その周り一帯がアラブ調の市場街になっていた。野菜・果物市場ではさまざまな野菜や果物が無造作に陳列され、路上には食べ物の屋台や布や服、葉タバコなどの露店が並び、とても賑やか。ジブチはイスラムの国ということもあり、夕方にはモスクからアザーン(お祈りの時間を知らせる呼びかけ)が聞こえて来る。女性はほとんどが頭から腰くらいまでブルカのようなものと足首まであるロングスカートを着ている。ただブルカと言っても中東のように真っ黒なそれではなく、モロッコと同じくアフリカンカラーの見た目にも鮮やかな柄のものを着ている人が多いから、なんとなくまちの雰囲気が明るい。ちなみに男性はスラックスのようなズボンに半袖のTシャツなど、まぁ適当な格好をしている。男性だけ見るとイスラム的ではない。
| 送信者 djibouti |
暗くなるまで3~4時間ほど歩き回る。夕方暗くなったところで道端の食堂で夕食。地元の食をと思っていたのだが、ちょうど歩いていた通りには魚を焼いて出すだけとかスパゲッティとかあまり物珍しくない料理を出すところしかなかった。せっかっく海のある国に来たからと、魚でも食べようかと思い、魚料理店に入ったところどの魚がいいかと冷凍庫を見せられ、その中の小ぶりのを指差したらそれだけで500円近くするというので辞めた。結局、人がそこそこ入っている食堂でスパゲッティと肉炒めみたいなもののセットを食べる。お値段は300フラン(約190円)。値段のわりに量は多いのがうれしい。スパゲティはピリ辛のミートソース。麺はちょっとやわめ。
なんだかありきたりのものにしかありつけなかったので、食後、近くに並んでいた屋台を見て回る。その中で珍しいものを売っているおばちゃんがいたので、そこで売っているものを注文。それは牛乳の中に穀物の何かを入れたもので、どちらかというとデザートのようなものだった。でも、デザートというには甘さが足りない。食べた感触だと中に入っていた穀物は麦の粒っぽい。ジブチはアラビア語かフランス語だから聞こうと思っても、こちらの言語能力が低すぎて文字通りお話にならない。だから実際はどうなのかわからない。
19時過ぎごろ、宿にいったん戻る。宿の人に近くにネット屋があるか聞いたらあるというので、近くのネット屋に行く。ネット代は1時間300フラン(約190円)。エチオピアやケニアの2倍の値段だがそこそこ速い。ネットでジブチの安宿情報やイエメン大使館の場所などを探す。
その後、ホテルに戻り、適当に就寝。
Fin
2009年7月4日土曜日
[diary]カンパラからナイロビへ移動
カンパラからナイロビへ移動
08/09/27(土) 晴れ
[Kampala:Uganda→Nailobi:Kenya]
・明朝カンパラ発
・手羽先屋
・道端の蜂蜜屋さん
・赤道を越えて
・出発危機一髪
・20時ごろナイロビ着
・おそるおそるナイロビの夜のまちへ
起きたのは4時過ぎ。携帯電話を目覚まし代わりにしていたのだが、携帯電話よりも早く目覚める。すでに荷造りはしてあったので、こそこそと部屋を出る。こういうときは相部屋だとほかの人に気を使わないといけないので、ちと面倒。
部屋には鍵も何もないから出て行くだけ。階段を下りて裏口のドアから出る。
バス会社の事務所はすぐそこ。あるいて30秒ほど。すでに客が20人くらい集まっていて、バスも通りに止まっていた。10分ほどしたところで乗車開始。荷物は荷台に預け、チケットのチェックを受けてから乗り込む。
バスはほぼ時間通りに5時過ぎに発車。真っ暗なカンパラのまちを走る。
5時30分を過ぎたころ、だんだんと外が明るくなり始める。それから10分もすると日の出が始まる。徐々にまわりの景色が白日の下にさらされ、色を持って立ち現れる。
沿道には家や商店が見え、その向こう側には林が続いている。家の中にはコンクリート作りもあれば板を張り合わせたような家もある。その向こうにはなだらかな丘や山が見える。でも、一面が緑というわけではなく、サバンナほどではないけれど、どちらかといえば薄い。作物の植わった広い畑もあり。たまにミニ市場のようなところがあり、そこでは山盛りにされたバナナやキャッサバ、トマト、パイナップルなどが売られている。
外の景色はころころ変わるが、基本的に緑が切れることはない。
6時半ごろ、沿道にあったミニ市場の前でバスは停まる。朝飯休憩のよう。乗客はそれぞれ降りて野菜や果物、飲み物を売っている店へと行く。バスの周りには乗客を当てにして、バナナや焼きバナナ、鶏の串焼きなどを売りに来た人たちが集まる。まだ先が長いから何も買わずにバスの中で出発を待とうと思っていたのも最初だけで、焼きバナナや鶏モモの串焼きの誘惑に克てず、バスを降りてそれらを買い求める。鶏モモは1本2000ウガンダシリング(約140円)、焼きバナナは3本で500ウガンダシリング(約35円)。バナナは安いなぁ。というわけで、それらを頬張りながらバスの出発を待つ。
意外と休憩時間は長く30分近くここにいた。車内にはさまざまな食べ物の匂いが立ち込める。
バスは順調に走り、途中、街中でもないところで中国式建築で造られた中華料理屋を沿道に見る。なんでこんなところに?
畑や田んぼ(?)、湖や林などに挟まれた道をバスは快調に走る。あるところでは若い男たちがサッカーの試合をやっていた。また日干し煉瓦で造られた草葺の家なども見る。
カンパラを5時過ぎに出てから約4時間後の9時すぎ、バスは国境に到着。なぜか国境のいったいは未舗装。貨物列車が積んでいるようなコンテナを積んだトラックが数珠つながりに並んでいて、その脇を人々が通っている。トラックに車、自転車、通過人と物売りの人、牛などがいて国境はなかなかにぎやか。
乗客はいったんバスを降りて、自分の荷物を持って出国手続きに向かう。窓口に多少行列ができたが、すんなりと通る。
100mほど歩いてケニア側のイミグレへ移動。そこで入国カードとビザの申請書を記入して提出。ケニアもビザ代は50米ドルで米ドル払い。けっこう高い。タンザニア以降、ビザ代50米ドル以上が続いている。
荷物のチェックはなく、質問もほとんどなく、すんなり判子をもらってケニア入国。で、自分のバスを探すがあたりにない。きょろきょろしていたら、通りすがりの人があっちのほうじゃないかと教えてくれる。一度、そちらに行ってみるがバスは見えない。他にも似たようなバスが何台も止まっていることもあり、どれが自分が乗ってきたバスがすぐに見つけることができない。あっち行ったりこっち行ったりして、ようやく発見。幸いなことにまだ乗客は集まっていなかった。
すべての乗客が集まるまでしばらく待つ。待っている間、残ったタンザニアシリングをケニアシリングに両替。ダンボールの箱に500mlのペットボトル飲料を入れて売り歩いている男の子がいたが、ケニアのお金は少ないので我慢。
同じバスにはもう一人日本人が乗っていた。20代半ばくらいの男子。ぼくはカンパラでバスに乗り込んだときから気づいていたが、相手はまったく気づいていなかったようで、ここで初めてしゃべる。彼もナイロビに行くらしい。しかもナイロビには一度行っていて、これから戻るところらしい。ナイロビの宿の在り処も知っているというので、じゃあナイロビで一緒に動きましょうということになる。正直なところナイロビの治安がどの程度が図りかねていたので、道連れができて少し安心する。どこでもそうだが暗くなってからの到着では宿探しが面倒。その点、知っている人となら少しは安心できる。
結局、国境を通過するのに1時間ほどかかる。バスは再出発。
ケニアに入ったからといって特に景色は変わらない。風に揺れる緑の畑、ツチ壁に草葺の円形の住宅、サッカーに興じる男たち、収穫した米(小麦?)を天日で乾かす人たち。車は休まずに走り続ける。
何時ごろだったか、沿道に看板を見る。ここが赤道直下、つまり緯度0度だと書いている。エクアドルのようにどでかいモニュメントを造ったりしている様子はない。これで赤道を越えるのは何回目なんだろうとふと思う。一度はエクアドルで超え、それからアルゼンチンからスペインへ行った飛行機で南から北へと行き、西アフリカを南下する過程でもう1度越え、そして今回。こうして数えると4回目ということになる。これ以降は南下する予定はないから赤道をまたぐのはこれが最後となりそう。
ここらに来て、沿道には蜂蜜屋さんが目立つようになる。パラソルを道路わきに立てて、ビン入りの蜂蜜を台に並べて売っている。ジンバブエでもムタレからハラレに行くときに同じようにして蜂蜜を売っている人たちがいたが、バスも止まったりしなかったからそのときは買えなかった。しかし、今回は運転手の友達なのか蜂蜜売りのおばちゃんがバスに乗り込んできて、車内販売を始めた。当然バスは移動し続けているからおばちゃんは帰りはどうするんだろうと不思議に思うのだが、まぁいい。蜂蜜が入っている瓶はウィスキーが入っていたと思われる瓶やジャムなどでよく使われる円筒形の瓶などいろいろ。どれもリユースのようだ。ぼくは運転席のすぐ後ろに座っていたのだが、一度は見送ったものの、やはりアフリカの蜂蜜を試したいという気持ちに克てず、車内を回り終えて前に戻ってきたおばちゃんに蜂蜜を見せてもらう。色具合は日本で見るものと違わない。どのサイズがいいかとしばらく迷い、最終的にはウィスキーの小瓶サイズのものを購入。お値段は100ケニアシリング(約150円)。宿に着いたらレモンを買ってきて蜂蜜レモンジュースでも作ろうかな、とか、ナンとかパンとかを買ってきてぜいたくに蜂蜜をかけて食べてみるかな、などと考えはじめる。楽しみが増える。
しばらくは都市部のようなところはまったく通らなかった。
16時を過ぎたころ、ちょっとした町に入り、そこのある小さな食堂前でバスは停車。昼食休憩はなかったので久しぶりの休憩となる。乗客の中には食堂で食事をはじめる。一緒に乗っていた日本人男子も「どれくらいここで止まっているのかなぁ」などと不安げにしながら食堂に入って食事を始める。ぼくは噂でここいらのバスの運転手は気まぐれで、休憩といっても自分の都合でバスをすぐ走らせたりすると聞いていたので、置いていかれるかもという疑念から外には出てもバスが見える範囲でうろうろする。
そして案の定、そのとおりとなり、バスのクラクションがなったのを聞きつけて慌てて口をもぐもぐさせながら日本人男子は食堂から出てくる。「まったくあいつら・・・」などと彼は文句を言いながらバスに乗り込んでくる。
明るいうちにナイロビに着いたらな、と淡い期待を持っていたのだが、やがて日が暮れ、19時をまわる。19時を過ぎたころから道路が込み合いだす。大きな湖がある町にバスは入って行き、そこの町のターミナルで停車。客を何人か降ろす。
再び走り始め30分ほどたったころ、いよいよ建物が立て込んできて、ビル街が遠くに見えるようになる。やっとナイロビに入った模様。
ビルが並び立ち、よく整備された通りを走る。街中に入ってからは地図を取り出し、地図と辺りの様子を見比べながら現在地確認に励む。宿の名前を頭でリフレインしながら“どこだ、どこだ?”と探していたら、やや狭い込み入った通りに入ってバスは停車。ここが終点だった。
バスを降り、荷物を受け取って、同じバスに乗ってきた日本人旅行者と一緒に宿に向かう。幸いすぐに見つかった。バスを降りたところから100mも離れていないようなところ。階段を上って宿に入る。中には数組の日本人旅行者がいた。
カップルで旅行しているらしい日本人カップルの女のほうは、ぼくを見るなり「なんや乞食みたいな格好してるな。よう似合っとるわ」とのたまう。旅行をしているとほんのたまにだが、こういう異常になれなれしいというか無礼な奴に出くわすことがある。日本人同士だからという気安さからなのか、それとも誰にでもこうした態度をとっているのかどうか知らんが、まったくもってなっていない。というわけで、そういう人は無視するに限るので無視。やれやれしょうもない日本人だ。
相部屋が空いていたのでそこにベッドをとり、荷物を置いて2人で飯を食いに行く。宿の周辺は商店が集まっていて、飲み屋もあったが、食堂は20時をまわっているからかどこも閉店しかけるところだった。そんなわけで選択肢は少なく、しかも入った食堂はメニューはもう2種類ほどしか残っておらず、結局ビーフシチュー&ウガリを食べる。量は少なめ。お値段120ケニアシリング(約200円)。ちょっと高い。
宿に戻ってから宿にある情報ノートを借り出し、情報収集。さっきのカップルはもう宿を出たようだったが、他に4人ほどこの宿には日本人が泊まっているよう。ほとんどが20代半ばから後半で、1人は60代くらいのおじさん。ロビーの共用スペースにあるソファに座って情報ノートを見ながら、他の日本人旅行者などとしゃべったりして夜を過ごす。
ナイロビはカンパラよりも涼しいのだが、なぜか部屋には蚊がおり、羽音がうっとおしかった。なので肌を出さないようにシーツをかぶって就寝。
FIN
08/09/27(土) 晴れ
[Kampala:Uganda→Nailobi:Kenya]
・明朝カンパラ発
・手羽先屋
・道端の蜂蜜屋さん
・赤道を越えて
・出発危機一髪
・20時ごろナイロビ着
・おそるおそるナイロビの夜のまちへ
起きたのは4時過ぎ。携帯電話を目覚まし代わりにしていたのだが、携帯電話よりも早く目覚める。すでに荷造りはしてあったので、こそこそと部屋を出る。こういうときは相部屋だとほかの人に気を使わないといけないので、ちと面倒。
部屋には鍵も何もないから出て行くだけ。階段を下りて裏口のドアから出る。
バス会社の事務所はすぐそこ。あるいて30秒ほど。すでに客が20人くらい集まっていて、バスも通りに止まっていた。10分ほどしたところで乗車開始。荷物は荷台に預け、チケットのチェックを受けてから乗り込む。
バスはほぼ時間通りに5時過ぎに発車。真っ暗なカンパラのまちを走る。
5時30分を過ぎたころ、だんだんと外が明るくなり始める。それから10分もすると日の出が始まる。徐々にまわりの景色が白日の下にさらされ、色を持って立ち現れる。
沿道には家や商店が見え、その向こう側には林が続いている。家の中にはコンクリート作りもあれば板を張り合わせたような家もある。その向こうにはなだらかな丘や山が見える。でも、一面が緑というわけではなく、サバンナほどではないけれど、どちらかといえば薄い。作物の植わった広い畑もあり。たまにミニ市場のようなところがあり、そこでは山盛りにされたバナナやキャッサバ、トマト、パイナップルなどが売られている。
外の景色はころころ変わるが、基本的に緑が切れることはない。
6時半ごろ、沿道にあったミニ市場の前でバスは停まる。朝飯休憩のよう。乗客はそれぞれ降りて野菜や果物、飲み物を売っている店へと行く。バスの周りには乗客を当てにして、バナナや焼きバナナ、鶏の串焼きなどを売りに来た人たちが集まる。まだ先が長いから何も買わずにバスの中で出発を待とうと思っていたのも最初だけで、焼きバナナや鶏モモの串焼きの誘惑に克てず、バスを降りてそれらを買い求める。鶏モモは1本2000ウガンダシリング(約140円)、焼きバナナは3本で500ウガンダシリング(約35円)。バナナは安いなぁ。というわけで、それらを頬張りながらバスの出発を待つ。
| 送信者 kenya |
意外と休憩時間は長く30分近くここにいた。車内にはさまざまな食べ物の匂いが立ち込める。
バスは順調に走り、途中、街中でもないところで中国式建築で造られた中華料理屋を沿道に見る。なんでこんなところに?
畑や田んぼ(?)、湖や林などに挟まれた道をバスは快調に走る。あるところでは若い男たちがサッカーの試合をやっていた。また日干し煉瓦で造られた草葺の家なども見る。
カンパラを5時過ぎに出てから約4時間後の9時すぎ、バスは国境に到着。なぜか国境のいったいは未舗装。貨物列車が積んでいるようなコンテナを積んだトラックが数珠つながりに並んでいて、その脇を人々が通っている。トラックに車、自転車、通過人と物売りの人、牛などがいて国境はなかなかにぎやか。
乗客はいったんバスを降りて、自分の荷物を持って出国手続きに向かう。窓口に多少行列ができたが、すんなりと通る。
100mほど歩いてケニア側のイミグレへ移動。そこで入国カードとビザの申請書を記入して提出。ケニアもビザ代は50米ドルで米ドル払い。けっこう高い。タンザニア以降、ビザ代50米ドル以上が続いている。
| 送信者 kenya |
荷物のチェックはなく、質問もほとんどなく、すんなり判子をもらってケニア入国。で、自分のバスを探すがあたりにない。きょろきょろしていたら、通りすがりの人があっちのほうじゃないかと教えてくれる。一度、そちらに行ってみるがバスは見えない。他にも似たようなバスが何台も止まっていることもあり、どれが自分が乗ってきたバスがすぐに見つけることができない。あっち行ったりこっち行ったりして、ようやく発見。幸いなことにまだ乗客は集まっていなかった。
すべての乗客が集まるまでしばらく待つ。待っている間、残ったタンザニアシリングをケニアシリングに両替。ダンボールの箱に500mlのペットボトル飲料を入れて売り歩いている男の子がいたが、ケニアのお金は少ないので我慢。
同じバスにはもう一人日本人が乗っていた。20代半ばくらいの男子。ぼくはカンパラでバスに乗り込んだときから気づいていたが、相手はまったく気づいていなかったようで、ここで初めてしゃべる。彼もナイロビに行くらしい。しかもナイロビには一度行っていて、これから戻るところらしい。ナイロビの宿の在り処も知っているというので、じゃあナイロビで一緒に動きましょうということになる。正直なところナイロビの治安がどの程度が図りかねていたので、道連れができて少し安心する。どこでもそうだが暗くなってからの到着では宿探しが面倒。その点、知っている人となら少しは安心できる。
結局、国境を通過するのに1時間ほどかかる。バスは再出発。
ケニアに入ったからといって特に景色は変わらない。風に揺れる緑の畑、ツチ壁に草葺の円形の住宅、サッカーに興じる男たち、収穫した米(小麦?)を天日で乾かす人たち。車は休まずに走り続ける。
| 送信者 kenya |
| 送信者 kenya |
何時ごろだったか、沿道に看板を見る。ここが赤道直下、つまり緯度0度だと書いている。エクアドルのようにどでかいモニュメントを造ったりしている様子はない。これで赤道を越えるのは何回目なんだろうとふと思う。一度はエクアドルで超え、それからアルゼンチンからスペインへ行った飛行機で南から北へと行き、西アフリカを南下する過程でもう1度越え、そして今回。こうして数えると4回目ということになる。これ以降は南下する予定はないから赤道をまたぐのはこれが最後となりそう。
ここらに来て、沿道には蜂蜜屋さんが目立つようになる。パラソルを道路わきに立てて、ビン入りの蜂蜜を台に並べて売っている。ジンバブエでもムタレからハラレに行くときに同じようにして蜂蜜を売っている人たちがいたが、バスも止まったりしなかったからそのときは買えなかった。しかし、今回は運転手の友達なのか蜂蜜売りのおばちゃんがバスに乗り込んできて、車内販売を始めた。当然バスは移動し続けているからおばちゃんは帰りはどうするんだろうと不思議に思うのだが、まぁいい。蜂蜜が入っている瓶はウィスキーが入っていたと思われる瓶やジャムなどでよく使われる円筒形の瓶などいろいろ。どれもリユースのようだ。ぼくは運転席のすぐ後ろに座っていたのだが、一度は見送ったものの、やはりアフリカの蜂蜜を試したいという気持ちに克てず、車内を回り終えて前に戻ってきたおばちゃんに蜂蜜を見せてもらう。色具合は日本で見るものと違わない。どのサイズがいいかとしばらく迷い、最終的にはウィスキーの小瓶サイズのものを購入。お値段は100ケニアシリング(約150円)。宿に着いたらレモンを買ってきて蜂蜜レモンジュースでも作ろうかな、とか、ナンとかパンとかを買ってきてぜいたくに蜂蜜をかけて食べてみるかな、などと考えはじめる。楽しみが増える。
しばらくは都市部のようなところはまったく通らなかった。
16時を過ぎたころ、ちょっとした町に入り、そこのある小さな食堂前でバスは停車。昼食休憩はなかったので久しぶりの休憩となる。乗客の中には食堂で食事をはじめる。一緒に乗っていた日本人男子も「どれくらいここで止まっているのかなぁ」などと不安げにしながら食堂に入って食事を始める。ぼくは噂でここいらのバスの運転手は気まぐれで、休憩といっても自分の都合でバスをすぐ走らせたりすると聞いていたので、置いていかれるかもという疑念から外には出てもバスが見える範囲でうろうろする。
そして案の定、そのとおりとなり、バスのクラクションがなったのを聞きつけて慌てて口をもぐもぐさせながら日本人男子は食堂から出てくる。「まったくあいつら・・・」などと彼は文句を言いながらバスに乗り込んでくる。
明るいうちにナイロビに着いたらな、と淡い期待を持っていたのだが、やがて日が暮れ、19時をまわる。19時を過ぎたころから道路が込み合いだす。大きな湖がある町にバスは入って行き、そこの町のターミナルで停車。客を何人か降ろす。
再び走り始め30分ほどたったころ、いよいよ建物が立て込んできて、ビル街が遠くに見えるようになる。やっとナイロビに入った模様。
ビルが並び立ち、よく整備された通りを走る。街中に入ってからは地図を取り出し、地図と辺りの様子を見比べながら現在地確認に励む。宿の名前を頭でリフレインしながら“どこだ、どこだ?”と探していたら、やや狭い込み入った通りに入ってバスは停車。ここが終点だった。
バスを降り、荷物を受け取って、同じバスに乗ってきた日本人旅行者と一緒に宿に向かう。幸いすぐに見つかった。バスを降りたところから100mも離れていないようなところ。階段を上って宿に入る。中には数組の日本人旅行者がいた。
カップルで旅行しているらしい日本人カップルの女のほうは、ぼくを見るなり「なんや乞食みたいな格好してるな。よう似合っとるわ」とのたまう。旅行をしているとほんのたまにだが、こういう異常になれなれしいというか無礼な奴に出くわすことがある。日本人同士だからという気安さからなのか、それとも誰にでもこうした態度をとっているのかどうか知らんが、まったくもってなっていない。というわけで、そういう人は無視するに限るので無視。やれやれしょうもない日本人だ。
相部屋が空いていたのでそこにベッドをとり、荷物を置いて2人で飯を食いに行く。宿の周辺は商店が集まっていて、飲み屋もあったが、食堂は20時をまわっているからかどこも閉店しかけるところだった。そんなわけで選択肢は少なく、しかも入った食堂はメニューはもう2種類ほどしか残っておらず、結局ビーフシチュー&ウガリを食べる。量は少なめ。お値段120ケニアシリング(約200円)。ちょっと高い。
宿に戻ってから宿にある情報ノートを借り出し、情報収集。さっきのカップルはもう宿を出たようだったが、他に4人ほどこの宿には日本人が泊まっているよう。ほとんどが20代半ばから後半で、1人は60代くらいのおじさん。ロビーの共用スペースにあるソファに座って情報ノートを見ながら、他の日本人旅行者などとしゃべったりして夜を過ごす。
ナイロビはカンパラよりも涼しいのだが、なぜか部屋には蚊がおり、羽音がうっとおしかった。なので肌を出さないようにシーツをかぶって就寝。
FIN
2009年7月2日木曜日
[diary]キガリ虐殺記念館、ウガンダへ
キガリ虐殺記念館、ウガンダへ
08/09/25(木) 曇りのち雨 20℃程度
[Kigali:Rwanda→:Uganda]
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン
・キガリの虐殺記念館
・人をはねる
・ウガンダ入国
・カンパラ行きのバスなし
・バスで夜を明かす
朝は7時前に起床。それから昨日は食わなかった朝食を食いに本館に行く。朝食付きだなんて昨日は忘れていた。朝食はロールパンと卵いためと生野菜とコーヒーのみ。なんだか寂しい。
本館にはインターネットコーナーがあったので、そこのネットで30分ほどネットをする。ネット代は30分で300ルワンダフラン(約60円)。
宿代が高いので、60米ドルものビザ代を払いながら、今日ルワンダを出てしまうことにした。今日、宿を出る旨をフロントに伝え、チェックアウト時間を聞く。朝のうちに宿代2泊分を払ってしまいたかったのだが、あいにく両替しないと持ち金がない。というわけで、まずはフロントの人に、近くに両替屋がないか尋ねる。歩いていけるところにあるというので、教えてもらった方へ行ってみると、あるにはあったが、まだ準備中だった。
今日のキガリも昨日に引き続きパッとしない天気。空には雲がドヨドヨしている。半袖で歩くには肌寒く、長袖のシャツやカーディガンを着ているも目立つ。
両替屋の開店は1時間後の9時だというので、しばらくプラプラ散歩することにする。通りをフルフェイスのヘルメットにビブスをまとったバイクタクシーが走り回る。まだ8時過ぎということでか、車はそこそこ走っているものの通りを歩いている人は少ない。中心部のほうに向かって歩いていくとショッピングセンターみたいな建物を発見。見学するために入ってみる。入り口付近に警備員がいたが、何も言われず。
その建物は3階建て程度の横長の白い建物。中に入ると広い廊下があって両脇に店が並んでいる。まだオープンして間がないのか床も壁もピカピカ。天井のライトが床に反射して輝いている。だが、こちらもまだ開店時間がきていないようで開いている店はほとんどない。開いていたのは24時間営業の食品スーパーのみ。ここの入り口にも武装した警備員がいた。全体で言うと店の数も少ない。適当にぶらぶら見て回ってからこの建物を出る。
改めてキガリのまちを見ていると面的には小さいけれどもけっこう近代的なビルが多いなぁと感じる。それもわりと新しい建物があるし、建築途中のビルも何棟かある。きっとこれらは大虐殺が終わって後に造られたものなのだろう。基本的には2階建てのコンクリート作りのアパートのような建物があちこちにあって、そこが店だったり事務所になっていたりする。街路樹が多く、道にごみもほとんど落ちておらずなかなかきれいだ。
歩いていたらKIGALI A-Z BOOK CENTREという本屋を発見。ここはすでに開いていたので中をのぞいてみる。フランス語や英語で書かれた本に加えて地元の言葉で書かれているものもあり。だが、値段はけっこう高い。
さらにぶらぶらしていると両替屋を発見。こっちの方が宿近くの両替屋よりも若干レートが良かったので、ここで両替する。1米ドルが550ルワンダフラン。ちなみに1ユーロは760ルワンダフランだった。
お金ができたのでちょいと買い物。さっきの本屋に行って絵はがきを2枚購入。1枚500ルワンダフラン(約100円)。パイナップル1個よりも高い。
それから郵便局に行って切手を買う。葉書用の切手は日本まで450ルワンダフラン(約90円)。それから映画「ホテルルワンダ」のモデルとなったホテルに歩いて向かう。キガリの道はまっすぐになっておらず、上から見ればちょっと入り組んだ放射線状にでもなっているのではないかと思えるような造りなので、方向感覚だけで歩いているとなかなかたどりつけない。しかも坂道が多いから道を間違うと面倒。
迷っている時間もないので、ちゃんと地図を見てホテル近くの目印になる建物にまず行くことにする。キガリの路上には食べ物の屋台がほとんどないので、こうして歩いていてもつまみ食いすることができない。そうやって真面目に歩いていたらなんとかホテルに到着。ホテルは10階建てくらいで薄い落ち着いたベージュ色をしている。敷地の入り口には警備員の詰め所があって、その前を高級車っぽい車が颯爽と入っていく。中を見学させてもらおうかとも思ったが、今日はまだ行きたいところがあったので、外観を眺めるだけでここを離れる。
ホテルの前を離れて歩いていたら道端で雑誌を売っているおじさんがいた。見ると英語の雑誌も売っていたので値段を聞くと4000ルワンダフラン(約700円)などと言う。高すぎる。なので無視して去ろうかとしたらいくらだと食いついてくるので、1500ルワンダフラン(約300円)とふっかけると安すぎると言ってひかない。何度か繰り返して結局2500ルワンダフラン(約500円)で買うことにする。どうせどこかで拾って来たものなのだろうが、まぁおじさんの生活の足しになればと思い妥協する。
その近くでバイクタクシーをつかまえ、キガリにある虐殺記念館に連れて行ってくれるよう頼む。そこまでいくらかかるか尋ねると400ルワンダフラン(約80円)というので後ろにまたがる。キガリの虐殺記念館(Kigali Memorial Centre)は中心部から東(たぶん)のほうに外れたちょっと小高いところにあった。ここはそのために建てられたらしいきれいで立派な建物だった。外見は瀟洒な豪邸という感じ。
記念館の敷地の入り口前でバイクから降り、運賃を支払う。その入り口には警官らしい制服を着た男が2人ほどいて検問をしていた。ここで荷物のチェックがあり、たまたま持っていたアーミーナイフを預けることになる。
記念館の入場料は無料。中に入ると昨日行った記念館とはまったく違っていて、内装もレイアウトも凝っている。大虐殺までの歴史的流れから当時の様子、生き残った人たちへのインタビュー、あるいはツチ族をかばったフツ族の人の話などを文章と写真、映像などで紹介し、さらに虐殺後発掘された白骨遺体の頭部や殺された人々の所持品なども展示している。さらに世界各地で起きた虐殺のコーナーもあった。そこではナチス支配下でのユダヤ人虐殺やオスマントルコ帝国下でのアルメニア人大虐殺、カンボジアのポルポト政権下での大虐殺などなどについての簡単な展示がなされていた。
この大虐殺が起こったのは1994年。当時、ぼくは高校生で新聞はスポーツ欄しか見ないという人間だったから新聞などで詳しく追っかけるようなことはしなかったが、それでもなんだかすごい虐殺が起きているというようなニュースは入ってきていたように思う。ツチ族とフツ族という名前はそのときに聞いて覚えたように思う。
ルワンダの大虐殺を改めて知ることになったのは、映画「ホテルルワンダ」の日本での上映運動だった。時は2005年だったか、たまたま家でラジオを聞いていたら運動を立ち上げた人が招かれて話をしていた。同世代の人が運動をやっていたということもあるが、他の国々ではすでに上映されているのに日本では映画界の判断で上映される予定がまったくないという話に引かれ、上映運動について調べてみることにした。結局、ぼくがしたのは署名だけだったけど、この後、日本でも上映が決まり、各地で上映されることになる。上映運動が映画界の見込みを覆したのは、なかなか良かった。が、ぼく自身はどういう事情だったか映画館で見ることなく、この旅行の前にレンタルDVDで見たところだった。
こうして展示を見ていたら、新たに知ることも多い。説明文はフランス語と英語と地元語なので、読んでいると疲れるのだけれど、たとえばツチとフツという分け方自体が、ベルギーが侵出して来る前にこの地に侵出したドイツ人が適当にやった名残でたいしてはっきりとした根拠があるものではなかったという事実は、この虐殺の悲惨さをより強く感じさせる。すらすらと説明文を読めるわけではないので、本当なら1日くらいかけてゆっくり見たいのだが、高い宿に泊まり続ける気にならないので、2時間ほど見て記念館を出る。入場料無料なので、寄付を少々。
Kigali Genocide Memorial Centre
http://www.kigalimemorialcentre.org/old/genocide/index.html
記念館に隣り合って売店があったので、そこで冊子を購入。これがまた高い。20 米ドル(約2200)もした。買うかどうか迷ったが奮発する。
バイクタクシーに乗って宿に戻り、荷物を整理してチェックアウトする。
宿前からまたバイクタクシーに乗ってバスターミナルへ。
バスターミナルをふらつき、ウガンダとの国境に行くバスを探す。当然ながら車が多すぎてどれかわからないので、適当に人に聞いて教えてもらう。
そんなに手間取ることなく目当てのバスを発見。昼飯を食っていなかったので出発を待っている間にビスケットを買う。ダンボールやお盆にそうしたお菓子を載せて売って回っているおばさんから買う。買ったビスケットはビスコサイズで、なぜか袋には貴乃花が写っている。
バスにはいろんな物売りの人がやってくる。シャツを買わないかとかジャンパーを買わないかとか靴を買わないかとか、なかなか対応も忙しい。
結局、出発まで1時間ほど待ち、バスは14時ごろ発車。国境まででバス代は2000ルワンダフラン(約400円)。
しばらく走っていたらぽつぽつと雨が降り始め、そのうち土砂降りのようになる。例のごとく山あり谷ありの曲がりくねった道。道がそういう状態だから当然見通しもきかない。それに加えて車のワイパーは片方しか動いていないからさらに見通しが悪い。それでも順調に走っていたのだが、右に曲がるカーブに差し掛かったとき、前方で一人の男が道路を横断する。雨にできるだけ濡れまいと首をすくめて駆け抜ける。“おいおい、あぶねぇなぁ”と思っていたら、彼に続いてまた別の男が路上に走り出してくる。しかも彼は車の往来をまったく確認せずにいきなり飛び出してきた。一応、彼は駆け足だが、目に入った瞬間“ぶつかるんじゃん?”というタイミングだった。運転手も驚いてブレーキをかける。だけど、ブレーキを踏んでいないのじゃないかと思うくらい車はたいしてスピードを落とすことなくスルスルと走っていく。おいおい、と思わずぼくは運転手を見る。でも、顔は驚いているから止めようとしている様子。でも、実際にはブレーキがきいていない。“アァ、こりゃぶつかるよ”と思っていたら、フロントガラスに走っていた男がぶつかる。カエルが仰向けになったような感じで、腕は万歳状態で、足はパーって状態でフロントガラスに一瞬張り付く。車は男の後ろからぶつかったので、男はフロントガラスに張り付いた後、道路にうつ伏せになって倒れる。その瞬間、沿道で雨宿りしていた彼の友人らしき男たちが、ワーッと騒ぎ出す。運転手は目を見開いてフーフーと激しく呼吸をしている。
“あいや~”と思いながら、男を見たら彼はうつ伏せになって倒れた次の瞬間、スタッと立ち上がり、道路の端の方へまた走っていく。そして、道路の脇の安全なところまで行って驚いて興奮した様子でこちらを見ている。幸いなことに血は流れていない。もっともくねくね道で上り坂だからたいしてスピードは出ていなかったんだけど、でも打ち所が悪くなくてよかった。
沿道にいた男たちからワーワーと何か言われるが、運転手はなんとかと言い返し、またアクセルを踏んで車を先へと進める。これで一件落着(?)。死ななかったから良かったけど、しかしあの人はあとであちこちが痛むだろうなぁ。
それから1時間足らずでウガンダ国境に到着。タクシーはここでおしまい。リュックをかつぎ、運賃を払う。
あいにく雨は降り続いていた。でも、かなり小降りになっていたのでラッキーだった。またリュックにカバーをして、イミグレに向かう。ルワンダの出国手続きはすんなり終わり、そこからちょっと歩いてウガンダ側に移動。ウガンダ側のイミグレでビザの申請書と入国カードを書いて提出。ビザ代は50米ドル。高いなぁ。でも問題なく、入国できる。入国後、国境の両替屋で両替。1米ドルは1500ウガンダシリング。
さて入国はしたものの、この先がどうなるのかよくわからない。あちこちにタクシーがあるだけでまちらしき雰囲気はない。適当にまわりにいるタクシーの運転手ではない人に、首都のカンパラに行きたいんだけどどうすればいいと尋ね、行き方を教えてもらう。それによるとカバレという町までタクシーで行けば、そこからカンパラ行きのバスに乗れるとのことだった。入国してくる人たちもタクシーに乗って移動していたので、ぼくも乗り合いタクシーに乗ることにする。タクシー代は3000ウガンダシリング(約200円)。
カバレのまちには30分ほどで到着。
しかし、運転手は不親切なことにバスターミナルではなく、適当な道端でぼくをおろす。余計にカネを取られるのも嫌だからしょうがなくそこで降り、タクシー代を払う。そして、バスターミナルはどこか教えてもらい、そちらに向けて歩き始める。
カバレの町は商店や露店も多く、意外ににぎやかだった。バスターミナルに着くまで何人かに確認し、ようやくターミナル到着。サーカー場の半分くらいの敷地を取り囲むように商店やバス会社の事務所があり、真ん中は駐車場になっていた。
バスの絵が表に書かれてあるところを探し、バス会社の事務所に行く。ドアのないフルオープンの事務所だった。そこでカンパラに行きたいんだがと言うと、今日はもうカンパラ行きのバスはないと言う。ぼくの皮算用では夕方発の夜行バスに乗って、明日の朝にはカンパラに着くというものだったが、それがあえなく壊れる。他にバス会社がないか探すがない。
しょうがないので今日バスに乗ることはあきらめる。それで明日は何時発なのかと尋ねると朝の3時だとか言う。バス会社の人はホテルを紹介するからそこに今晩は泊まって明日の朝ホテルの前までバスが行くからそこで乗ればいいというようなことを言うが、3時だったら眠らずに起きておかないと逃す可能性がある。だいたい口で何時だと言っても容易には信じがたい。できるだけ早くバスに乗り込み、自分の席を確保しなければ椅子に座れない可能性もある。そんなふうに考えていたら当然ホテルに泊まるなんてもったいないので、タンザニアであったようにバスの中で寝られないかと尋ねる。が、これを許してくれない。
夜中までは時間があるので、ここからカンパラに少しでも近い町まで行って、そこでバスを乗り換えるという方法で行こうかとも思うが、だいたいこうした乗り継ぎ法を採用すると結局高くつくことが多いので悩む。
しばらくの間、あれはどうだ、これはどうだとあれこれ考える。そして、結局はここで夜中まで待つということにする。夜中にバスがあるならここも人がいなくなるということはないだろう。バスのチケットは買って、それで持ってバス会社の事務所が開いている間はずっと事務所にいて、追い出されたらその辺でバスを待とう。そういうふうにすることにした。バス代はカンパラまでが18000ウガンダシリング(約1200円)。
雨はあがり、外はまだ明るい。町を見て回りたい気分なのだが、なんせ荷物が多い。リュックを背負い、小型リュックを片手に持ってぶらぶら歩きにはなれない。というわけで、事務所の入り口の段差のところに座って、メモ書きをしたり、本を読んだりして時間を潰すことにする。今日はビスケットしか食べていないし、新しい国に入ったから何か食いたいところだが、バスにはトイレがついていないだろうし、実際のところカンパラまでどれくらいかかるかわからないので我慢する。
暗くなったらぽちぽち電気がついたが、本を読むには厳しかった。なので、あたりを眺めたり、蚊と格闘したりしながら何をするでもなく時間が過ぎるのを待つ。
こうして夜は更けていったのであった。
FIN
08/09/25(木) 曇りのち雨 20℃程度
[Kigali:Rwanda→:Uganda]
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン
・キガリの虐殺記念館
・人をはねる
・ウガンダ入国
・カンパラ行きのバスなし
・バスで夜を明かす
朝は7時前に起床。それから昨日は食わなかった朝食を食いに本館に行く。朝食付きだなんて昨日は忘れていた。朝食はロールパンと卵いためと生野菜とコーヒーのみ。なんだか寂しい。
本館にはインターネットコーナーがあったので、そこのネットで30分ほどネットをする。ネット代は30分で300ルワンダフラン(約60円)。
宿代が高いので、60米ドルものビザ代を払いながら、今日ルワンダを出てしまうことにした。今日、宿を出る旨をフロントに伝え、チェックアウト時間を聞く。朝のうちに宿代2泊分を払ってしまいたかったのだが、あいにく両替しないと持ち金がない。というわけで、まずはフロントの人に、近くに両替屋がないか尋ねる。歩いていけるところにあるというので、教えてもらった方へ行ってみると、あるにはあったが、まだ準備中だった。
今日のキガリも昨日に引き続きパッとしない天気。空には雲がドヨドヨしている。半袖で歩くには肌寒く、長袖のシャツやカーディガンを着ているも目立つ。
両替屋の開店は1時間後の9時だというので、しばらくプラプラ散歩することにする。通りをフルフェイスのヘルメットにビブスをまとったバイクタクシーが走り回る。まだ8時過ぎということでか、車はそこそこ走っているものの通りを歩いている人は少ない。中心部のほうに向かって歩いていくとショッピングセンターみたいな建物を発見。見学するために入ってみる。入り口付近に警備員がいたが、何も言われず。
その建物は3階建て程度の横長の白い建物。中に入ると広い廊下があって両脇に店が並んでいる。まだオープンして間がないのか床も壁もピカピカ。天井のライトが床に反射して輝いている。だが、こちらもまだ開店時間がきていないようで開いている店はほとんどない。開いていたのは24時間営業の食品スーパーのみ。ここの入り口にも武装した警備員がいた。全体で言うと店の数も少ない。適当にぶらぶら見て回ってからこの建物を出る。
改めてキガリのまちを見ていると面的には小さいけれどもけっこう近代的なビルが多いなぁと感じる。それもわりと新しい建物があるし、建築途中のビルも何棟かある。きっとこれらは大虐殺が終わって後に造られたものなのだろう。基本的には2階建てのコンクリート作りのアパートのような建物があちこちにあって、そこが店だったり事務所になっていたりする。街路樹が多く、道にごみもほとんど落ちておらずなかなかきれいだ。
歩いていたらKIGALI A-Z BOOK CENTREという本屋を発見。ここはすでに開いていたので中をのぞいてみる。フランス語や英語で書かれた本に加えて地元の言葉で書かれているものもあり。だが、値段はけっこう高い。
さらにぶらぶらしていると両替屋を発見。こっちの方が宿近くの両替屋よりも若干レートが良かったので、ここで両替する。1米ドルが550ルワンダフラン。ちなみに1ユーロは760ルワンダフランだった。
お金ができたのでちょいと買い物。さっきの本屋に行って絵はがきを2枚購入。1枚500ルワンダフラン(約100円)。パイナップル1個よりも高い。
それから郵便局に行って切手を買う。葉書用の切手は日本まで450ルワンダフラン(約90円)。それから映画「ホテルルワンダ」のモデルとなったホテルに歩いて向かう。キガリの道はまっすぐになっておらず、上から見ればちょっと入り組んだ放射線状にでもなっているのではないかと思えるような造りなので、方向感覚だけで歩いているとなかなかたどりつけない。しかも坂道が多いから道を間違うと面倒。
迷っている時間もないので、ちゃんと地図を見てホテル近くの目印になる建物にまず行くことにする。キガリの路上には食べ物の屋台がほとんどないので、こうして歩いていてもつまみ食いすることができない。そうやって真面目に歩いていたらなんとかホテルに到着。ホテルは10階建てくらいで薄い落ち着いたベージュ色をしている。敷地の入り口には警備員の詰め所があって、その前を高級車っぽい車が颯爽と入っていく。中を見学させてもらおうかとも思ったが、今日はまだ行きたいところがあったので、外観を眺めるだけでここを離れる。
ホテルの前を離れて歩いていたら道端で雑誌を売っているおじさんがいた。見ると英語の雑誌も売っていたので値段を聞くと4000ルワンダフラン(約700円)などと言う。高すぎる。なので無視して去ろうかとしたらいくらだと食いついてくるので、1500ルワンダフラン(約300円)とふっかけると安すぎると言ってひかない。何度か繰り返して結局2500ルワンダフラン(約500円)で買うことにする。どうせどこかで拾って来たものなのだろうが、まぁおじさんの生活の足しになればと思い妥協する。
その近くでバイクタクシーをつかまえ、キガリにある虐殺記念館に連れて行ってくれるよう頼む。そこまでいくらかかるか尋ねると400ルワンダフラン(約80円)というので後ろにまたがる。キガリの虐殺記念館(Kigali Memorial Centre)は中心部から東(たぶん)のほうに外れたちょっと小高いところにあった。ここはそのために建てられたらしいきれいで立派な建物だった。外見は瀟洒な豪邸という感じ。
記念館の敷地の入り口前でバイクから降り、運賃を支払う。その入り口には警官らしい制服を着た男が2人ほどいて検問をしていた。ここで荷物のチェックがあり、たまたま持っていたアーミーナイフを預けることになる。
記念館の入場料は無料。中に入ると昨日行った記念館とはまったく違っていて、内装もレイアウトも凝っている。大虐殺までの歴史的流れから当時の様子、生き残った人たちへのインタビュー、あるいはツチ族をかばったフツ族の人の話などを文章と写真、映像などで紹介し、さらに虐殺後発掘された白骨遺体の頭部や殺された人々の所持品なども展示している。さらに世界各地で起きた虐殺のコーナーもあった。そこではナチス支配下でのユダヤ人虐殺やオスマントルコ帝国下でのアルメニア人大虐殺、カンボジアのポルポト政権下での大虐殺などなどについての簡単な展示がなされていた。
この大虐殺が起こったのは1994年。当時、ぼくは高校生で新聞はスポーツ欄しか見ないという人間だったから新聞などで詳しく追っかけるようなことはしなかったが、それでもなんだかすごい虐殺が起きているというようなニュースは入ってきていたように思う。ツチ族とフツ族という名前はそのときに聞いて覚えたように思う。
ルワンダの大虐殺を改めて知ることになったのは、映画「ホテルルワンダ」の日本での上映運動だった。時は2005年だったか、たまたま家でラジオを聞いていたら運動を立ち上げた人が招かれて話をしていた。同世代の人が運動をやっていたということもあるが、他の国々ではすでに上映されているのに日本では映画界の判断で上映される予定がまったくないという話に引かれ、上映運動について調べてみることにした。結局、ぼくがしたのは署名だけだったけど、この後、日本でも上映が決まり、各地で上映されることになる。上映運動が映画界の見込みを覆したのは、なかなか良かった。が、ぼく自身はどういう事情だったか映画館で見ることなく、この旅行の前にレンタルDVDで見たところだった。
こうして展示を見ていたら、新たに知ることも多い。説明文はフランス語と英語と地元語なので、読んでいると疲れるのだけれど、たとえばツチとフツという分け方自体が、ベルギーが侵出して来る前にこの地に侵出したドイツ人が適当にやった名残でたいしてはっきりとした根拠があるものではなかったという事実は、この虐殺の悲惨さをより強く感じさせる。すらすらと説明文を読めるわけではないので、本当なら1日くらいかけてゆっくり見たいのだが、高い宿に泊まり続ける気にならないので、2時間ほど見て記念館を出る。入場料無料なので、寄付を少々。
Kigali Genocide Memorial Centre
http://www.kigalimemorialcentre.org/old/genocide/index.html
記念館に隣り合って売店があったので、そこで冊子を購入。これがまた高い。20 米ドル(約2200)もした。買うかどうか迷ったが奮発する。
バイクタクシーに乗って宿に戻り、荷物を整理してチェックアウトする。
宿前からまたバイクタクシーに乗ってバスターミナルへ。
バスターミナルをふらつき、ウガンダとの国境に行くバスを探す。当然ながら車が多すぎてどれかわからないので、適当に人に聞いて教えてもらう。
そんなに手間取ることなく目当てのバスを発見。昼飯を食っていなかったので出発を待っている間にビスケットを買う。ダンボールやお盆にそうしたお菓子を載せて売って回っているおばさんから買う。買ったビスケットはビスコサイズで、なぜか袋には貴乃花が写っている。
バスにはいろんな物売りの人がやってくる。シャツを買わないかとかジャンパーを買わないかとか靴を買わないかとか、なかなか対応も忙しい。
結局、出発まで1時間ほど待ち、バスは14時ごろ発車。国境まででバス代は2000ルワンダフラン(約400円)。
しばらく走っていたらぽつぽつと雨が降り始め、そのうち土砂降りのようになる。例のごとく山あり谷ありの曲がりくねった道。道がそういう状態だから当然見通しもきかない。それに加えて車のワイパーは片方しか動いていないからさらに見通しが悪い。それでも順調に走っていたのだが、右に曲がるカーブに差し掛かったとき、前方で一人の男が道路を横断する。雨にできるだけ濡れまいと首をすくめて駆け抜ける。“おいおい、あぶねぇなぁ”と思っていたら、彼に続いてまた別の男が路上に走り出してくる。しかも彼は車の往来をまったく確認せずにいきなり飛び出してきた。一応、彼は駆け足だが、目に入った瞬間“ぶつかるんじゃん?”というタイミングだった。運転手も驚いてブレーキをかける。だけど、ブレーキを踏んでいないのじゃないかと思うくらい車はたいしてスピードを落とすことなくスルスルと走っていく。おいおい、と思わずぼくは運転手を見る。でも、顔は驚いているから止めようとしている様子。でも、実際にはブレーキがきいていない。“アァ、こりゃぶつかるよ”と思っていたら、フロントガラスに走っていた男がぶつかる。カエルが仰向けになったような感じで、腕は万歳状態で、足はパーって状態でフロントガラスに一瞬張り付く。車は男の後ろからぶつかったので、男はフロントガラスに張り付いた後、道路にうつ伏せになって倒れる。その瞬間、沿道で雨宿りしていた彼の友人らしき男たちが、ワーッと騒ぎ出す。運転手は目を見開いてフーフーと激しく呼吸をしている。
“あいや~”と思いながら、男を見たら彼はうつ伏せになって倒れた次の瞬間、スタッと立ち上がり、道路の端の方へまた走っていく。そして、道路の脇の安全なところまで行って驚いて興奮した様子でこちらを見ている。幸いなことに血は流れていない。もっともくねくね道で上り坂だからたいしてスピードは出ていなかったんだけど、でも打ち所が悪くなくてよかった。
沿道にいた男たちからワーワーと何か言われるが、運転手はなんとかと言い返し、またアクセルを踏んで車を先へと進める。これで一件落着(?)。死ななかったから良かったけど、しかしあの人はあとであちこちが痛むだろうなぁ。
それから1時間足らずでウガンダ国境に到着。タクシーはここでおしまい。リュックをかつぎ、運賃を払う。
あいにく雨は降り続いていた。でも、かなり小降りになっていたのでラッキーだった。またリュックにカバーをして、イミグレに向かう。ルワンダの出国手続きはすんなり終わり、そこからちょっと歩いてウガンダ側に移動。ウガンダ側のイミグレでビザの申請書と入国カードを書いて提出。ビザ代は50米ドル。高いなぁ。でも問題なく、入国できる。入国後、国境の両替屋で両替。1米ドルは1500ウガンダシリング。
さて入国はしたものの、この先がどうなるのかよくわからない。あちこちにタクシーがあるだけでまちらしき雰囲気はない。適当にまわりにいるタクシーの運転手ではない人に、首都のカンパラに行きたいんだけどどうすればいいと尋ね、行き方を教えてもらう。それによるとカバレという町までタクシーで行けば、そこからカンパラ行きのバスに乗れるとのことだった。入国してくる人たちもタクシーに乗って移動していたので、ぼくも乗り合いタクシーに乗ることにする。タクシー代は3000ウガンダシリング(約200円)。
カバレのまちには30分ほどで到着。
しかし、運転手は不親切なことにバスターミナルではなく、適当な道端でぼくをおろす。余計にカネを取られるのも嫌だからしょうがなくそこで降り、タクシー代を払う。そして、バスターミナルはどこか教えてもらい、そちらに向けて歩き始める。
カバレの町は商店や露店も多く、意外ににぎやかだった。バスターミナルに着くまで何人かに確認し、ようやくターミナル到着。サーカー場の半分くらいの敷地を取り囲むように商店やバス会社の事務所があり、真ん中は駐車場になっていた。
バスの絵が表に書かれてあるところを探し、バス会社の事務所に行く。ドアのないフルオープンの事務所だった。そこでカンパラに行きたいんだがと言うと、今日はもうカンパラ行きのバスはないと言う。ぼくの皮算用では夕方発の夜行バスに乗って、明日の朝にはカンパラに着くというものだったが、それがあえなく壊れる。他にバス会社がないか探すがない。
しょうがないので今日バスに乗ることはあきらめる。それで明日は何時発なのかと尋ねると朝の3時だとか言う。バス会社の人はホテルを紹介するからそこに今晩は泊まって明日の朝ホテルの前までバスが行くからそこで乗ればいいというようなことを言うが、3時だったら眠らずに起きておかないと逃す可能性がある。だいたい口で何時だと言っても容易には信じがたい。できるだけ早くバスに乗り込み、自分の席を確保しなければ椅子に座れない可能性もある。そんなふうに考えていたら当然ホテルに泊まるなんてもったいないので、タンザニアであったようにバスの中で寝られないかと尋ねる。が、これを許してくれない。
夜中までは時間があるので、ここからカンパラに少しでも近い町まで行って、そこでバスを乗り換えるという方法で行こうかとも思うが、だいたいこうした乗り継ぎ法を採用すると結局高くつくことが多いので悩む。
しばらくの間、あれはどうだ、これはどうだとあれこれ考える。そして、結局はここで夜中まで待つということにする。夜中にバスがあるならここも人がいなくなるということはないだろう。バスのチケットは買って、それで持ってバス会社の事務所が開いている間はずっと事務所にいて、追い出されたらその辺でバスを待とう。そういうふうにすることにした。バス代はカンパラまでが18000ウガンダシリング(約1200円)。
雨はあがり、外はまだ明るい。町を見て回りたい気分なのだが、なんせ荷物が多い。リュックを背負い、小型リュックを片手に持ってぶらぶら歩きにはなれない。というわけで、事務所の入り口の段差のところに座って、メモ書きをしたり、本を読んだりして時間を潰すことにする。今日はビスケットしか食べていないし、新しい国に入ったから何か食いたいところだが、バスにはトイレがついていないだろうし、実際のところカンパラまでどれくらいかかるかわからないので我慢する。
暗くなったらぽちぽち電気がついたが、本を読むには厳しかった。なので、あたりを眺めたり、蚊と格闘したりしながら何をするでもなく時間が過ぎるのを待つ。
こうして夜は更けていったのであった。
FIN
2009年7月1日水曜日
[diary]ムワンザからルワンダ、雨のキガリへ
ムワンザからルワンダ、雨のキガリへ
08/09/23(火) 晴れのち曇り、雨
[Mwanza:Tanzania→Kigali:Rwanda]
※レート:1米ドル=1150タンザニアシリング
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン
・明朝に出発
・ビクトリア湖を越えて
・窮屈なバス
・ルワンダ入国
・懐かしい風景、千の丘の国
・雨のキガリ、宿探し
ルワンダ国境方面行きのバスは朝が早いからと前日からバスに乗り込み、バスの中で夜を明かす。車内はたいして暑くはなかったのだが、蚊がうるさく、何度か目を覚ます。刺されもした。
まだ日が昇っていない5時ごろ、まわりがバタバタとうるさくなる。座席に横たえていた体を起こし、状況確認。どうやら客がどんどん乗り込んできているようだった。座席はすでに取っているから座れない心配はないんだけど、リュックも持ち込んでいたからそれが邪魔だった。なので運転手らしき男に声をかけ、荷物はどうしたらいいか聞くとそのまま持っていろと言う。ぼくのリュックは小学3年生くらいの子と同じくらいの丈と重さがあるからそれを置いているだけで1人分の座席を占領してしまうことになる。網棚にでも上げることができればいいのだが、あいにく幅がありすぎて網棚に乗らない。車内がガラガラならば隣の座席においていてもいいのだろうが、次から次へと人が大きな荷物とともに乗り込んでくるからそうするわけにもいかない。しょうがないから前に抱えて座ってみたが、これは脚に負担がかかっていまいち。なのでリュックを背負ったままのスタイルで座席に座ってみると、こちらのほうが楽。だが当然リュックが座席の面積のほとんどを占めてしまうので、尻を乗せられるのは前部の10cmほどしかないためバランスが悪い。幸いなことにとでも言うのだろうか、このバスの座席の間隔は狭く、リュックを背負った状態で椅子に座ると膝小僧が前の座席の背中にあたってしまう。おかげで前にズルズルずれるのを膝で止めることができる。傍(はた)から見れば前の座席にピタッとくっついているように見えるだろうが、リュックに背中を押されながら膝で後方へと押し返すことでバランスが取れるというような状態で座ることができた。
バスは客を満載したところで発車。外はまだ暗い。どうもバスの荷台は使えないようで乗客はみな荷物を車内に持ち込んでいる。当然大きな荷物は置くところがないから通路にあふれ、さらに人も座席以上に乗せるから荷物同様通路にあふれ、荷物の上に座ることになる。
バスは舗装された道を走る。そのうちだんだんと外が明るくなる。
1時間ほど走ったところでバスはスピードを落とす。休憩かと思って前方を見たらフロントガラスの向こうには湖。道は途切れている。その代わりフェリーが泊まっていて、どうもそれに乗り込むらしい。アルゼンチンのマゼラン海峡のようにバスごと乗り込むのではなく、人はひとまずバスから降りるが同じフェリーに人もバスも乗って湖を渡るという手順になっていた。湖手前で乗客はみなバスから降りて、歩いてフェリーに乗り込む。時刻は6時半過ぎ。乗船が完了すると船は離岸。客のほとんどは船前方の甲板にあるベンチに腰をかけて外を眺めたり、ビスケットなどをつまんだり、おしゃべりしたりしている。ちょうど湖面から陽が昇ったばかりで朝の日を浴びるのが心地よかった。
この湖は広い。端がどこなのか見えない。湖には丸木舟で移動している人や網を使って魚を取っている人たちを少しだが見る。30分ほど船でのゆったりした移動を楽しむ。
着岸してバスに乗り込むと窮屈な時間が再び始まる。けっこうきつい体勢で座っているにもかかわらず、眠ることはできてときどきうとうとと眠くなり、寝込んでしまう。今回は舗装された道ばかりを走っているからこの間みたいに砂が車内に舞い込んでくるということがない。
バスは休憩なしでがんがん走る。昼を過ぎるとお客が降りることがときどきあり、そのときは集落のバスターミナルなどで止まる。
そろそろルワンダ国境に近いんじゃないかと思いながらもどこで降りればいいかは自分で判断つかない。あたりは林や畑ばかり。
14時半ごろ、沿道に平屋の商店などが10軒ほど並んでいるところに差しかかる。同じバスに乗っていた白人カップルが降りる準備を始めたからもしかしたらここがルワンダ国境に近い村かと思い、周りの人に尋ねる。すると隣のおばちゃんがここだと教えてくれる。通路も荷物や人でいっぱいだからバスから降りるのに一苦労。なんとか降りるとすぐにタクシーが待ち構えていて、国境に行くのかと尋ねてくる。ちょうどバスから降りた人が数人おり、その人たちも国境に向かうふうだったのでその人らと一緒にタクシーに乗る。運賃は事前に尋ねたところ3000シリング(約300円)。けっこう高いけど、まぁいいかと思い乗り込む。
タクシーは舗装されている道をかっとばす。あたりはこんもりとした山と林。
国境までは30分ほどかかった。予想よりも遠かったので3000シリングもありかと考え直す。国境についてタクシーを降りたところで支払いをし、国境のイミグレに向かう。あたりは山ばかり。人気のあまりない国境で今一緒に乗ってきた人以外でこの国境を通っている人はいない。車やトラックも見ない。
まずはタンザニアの出国手続き。出国カードを書き込んでパスポートと一緒に提出。数分で終わる。
そこから大きくカーブしている道を歩き、ルワンダ側のイミグレに向かう。途中、短い橋があり、左手奥には幅はないが水量たっぷりの迫力ある滝があった。滝の底は水しぶきに煙って見えない。
カーブを左に曲がって上り坂を歩いていくと上りきったところにルワンダのイミグレがあった。ルワンダもビザが必要なので、ここでビザを買う。ビザ代がなかなか高く60米ドル(約6000円)もする。ちなみに米ドル払い。6日間の宿代相当だから旅行者によってはビザ代を理由にルワンダを避けたという人もいた。ビザを取得するための用紙を記入し、入国カードも書いてパスポートと一緒に提出。こちらもすんなりと手続きは済む。ここから首都のキガリに行くバスはないかと係官に聞いたら、その先でバスに乗れると教えてくれる。
係官が言ったとおりイミグレの建物から50mほど向こうに歩いたところに大型ワゴンのバスが止まっていた。運賃を聞くとキガリまで2000ルワンダフラン(約400円)と言う。バスを降りてから国境まで300円もしたのに、こっちはずいぶん安い。それに車体も車内もきれいで乗り心地が良さそう。ルワンダフランは持っていなかったので、とりあえず座席だけ確保して、出発までにはまだ間があるというので両替しに行く。国境の両替屋でタンザニアシリングを両替。両替したお金で運賃を払う。こちらは前払い。
ルワンダフランも手に入ったし、朝から何も食べていないので何か食い物がないかと辺りを見渡すが、物売りが一人もいない。珍しい。まぁ、移動の途中でどっかに止まればそのときに物売りの人が来て何か買えるだろうと思い、とりあえず辛抱する。
16時前にバスは出発。どれくらい標高があるのかわからないが、窓からの景色はなかなかいい。千の丘の国とルワンダは呼ばれたりするようだが、まったくその通りでこんもり低い山や丘がいくつも連なっている。さらに目を引いたのが、それぞれの丘にきれいに畑が作られていること。どの畑も一枚一枚の面積は小さい。しかし、よく手入れされている。日本の山間部の景色によく似ているのに驚く。
車は快調に舗装道を走る。沿道には土壁にトタン屋根の家やコンクリート壁にトタン屋根、レンガ壁にトタン屋根の家などが見える。また一部ではテントを見る。難民か何かなのだろうか?
途中、乗客を乗せたり下ろしたりするためにいくつかのまちでバスは止まったのだが、不思議なことにバスの乗客を狙った物売りがいない。おかげでこちらは食べ物を何か買いたかったのだが買えず。
地図で見る限りではこの国はとても小さい国だから国境からキガリまでもそうたいして時間はかからないだろうと見ていた。明るいうちにキガリに着けるのではと期待していたのだが、18時を過ぎても着く気配がない。車は何度も上り下りを繰り返す。
淡い期待もむなしく日は暮れてしまい、しばらくすると前方にビルなどが建て込み明かりがついている地帯が見えてくる。フロントガラスには雨粒が落ちてくるようになり、そのうち強い雨になる。
坂を下ったらキガリの中心部だった。近代的なビルがちょこちょこ見える。雨合羽を着たバイクタクシーがバンバン走り、道を走る乗用車の数も格段に増える。
バスは中心部に入り、また坂道を登って縦横に走っている道をちょこまかと走り、終点のバスターミナルにようやく着く。移動日に雨なんて最悪だと思いながら、リュックに雨よけカバーをかけ、とりあえず辺りをふらつく。どこに着いたのかよくわからないので、バスが通ってきた道と人の流れを見ながら商店が集まっている中心部にいく。もう20時近くだから中心部の店は閉まっているのではないかと思っていたが、意外にどの店も開いていて買い物客も多い。ルワンダには安宿はないと聞いていて、実際ガイドブックに載っているのものも1500円以上するところばかり。地元の人は安いところを知っているかもしれないと適当に店で聞いたりするが、意外とみな知らない。しょうがないのでタクシーに聞いてみると安いところはあるという。なので乗せていってもらったら20米ドル以上もしたので却下。時間も時間だし、雨も降っているので安宿探しはあきらめガイドブックに載っている中で一番安い宿に向かう。
中心部からタクシーで5分ほど。あたりにはあまり店がない。ホテルのフロントを見る限りではちょっと高級そうだったが、とりあえず1泊だけでもと思い、ここに宿を取ることにする。タクシーから荷物をおろし、タクシー代を払う。タクシー代は2箇所回ったからと3500ルワンダフラン(約700円)もとられる。
フロントで一番安い部屋に泊まりたいというと、別館に連れて行かれる。別館は本館から30mほど離れていてまったく別のところにあった。こちらはモーテルのような作りの宿で、駐車場に面して部屋が数部屋あるだけ。部屋の内部は10畳ほどあり、けっこう広い。トイレ・シャワーつき。だが建物自体はちょっと古くなっていて、フロントも何もないのでセキュリティ面ではちょっと不安な点あり。
部屋に荷物を置いて、まずは食料を買いに行く。近くには安食堂がなかったので、食料品店でパンや牛乳などを買って部屋で食べる。買い物に行った店の店主は中国人で、どこから来たのかなどと英語で尋ねてきた。さびしい夕食をとった後、シャワーを浴び、濡れたカバーや靴などを早く乾くように部屋の中に干してから就寝。静かな夜だった。
FIN
08/09/23(火) 晴れのち曇り、雨
[Mwanza:Tanzania→Kigali:Rwanda]
※レート:1米ドル=1150タンザニアシリング
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン
・明朝に出発
・ビクトリア湖を越えて
・窮屈なバス
・ルワンダ入国
・懐かしい風景、千の丘の国
・雨のキガリ、宿探し
ルワンダ国境方面行きのバスは朝が早いからと前日からバスに乗り込み、バスの中で夜を明かす。車内はたいして暑くはなかったのだが、蚊がうるさく、何度か目を覚ます。刺されもした。
まだ日が昇っていない5時ごろ、まわりがバタバタとうるさくなる。座席に横たえていた体を起こし、状況確認。どうやら客がどんどん乗り込んできているようだった。座席はすでに取っているから座れない心配はないんだけど、リュックも持ち込んでいたからそれが邪魔だった。なので運転手らしき男に声をかけ、荷物はどうしたらいいか聞くとそのまま持っていろと言う。ぼくのリュックは小学3年生くらいの子と同じくらいの丈と重さがあるからそれを置いているだけで1人分の座席を占領してしまうことになる。網棚にでも上げることができればいいのだが、あいにく幅がありすぎて網棚に乗らない。車内がガラガラならば隣の座席においていてもいいのだろうが、次から次へと人が大きな荷物とともに乗り込んでくるからそうするわけにもいかない。しょうがないから前に抱えて座ってみたが、これは脚に負担がかかっていまいち。なのでリュックを背負ったままのスタイルで座席に座ってみると、こちらのほうが楽。だが当然リュックが座席の面積のほとんどを占めてしまうので、尻を乗せられるのは前部の10cmほどしかないためバランスが悪い。幸いなことにとでも言うのだろうか、このバスの座席の間隔は狭く、リュックを背負った状態で椅子に座ると膝小僧が前の座席の背中にあたってしまう。おかげで前にズルズルずれるのを膝で止めることができる。傍(はた)から見れば前の座席にピタッとくっついているように見えるだろうが、リュックに背中を押されながら膝で後方へと押し返すことでバランスが取れるというような状態で座ることができた。
バスは客を満載したところで発車。外はまだ暗い。どうもバスの荷台は使えないようで乗客はみな荷物を車内に持ち込んでいる。当然大きな荷物は置くところがないから通路にあふれ、さらに人も座席以上に乗せるから荷物同様通路にあふれ、荷物の上に座ることになる。
バスは舗装された道を走る。そのうちだんだんと外が明るくなる。
1時間ほど走ったところでバスはスピードを落とす。休憩かと思って前方を見たらフロントガラスの向こうには湖。道は途切れている。その代わりフェリーが泊まっていて、どうもそれに乗り込むらしい。アルゼンチンのマゼラン海峡のようにバスごと乗り込むのではなく、人はひとまずバスから降りるが同じフェリーに人もバスも乗って湖を渡るという手順になっていた。湖手前で乗客はみなバスから降りて、歩いてフェリーに乗り込む。時刻は6時半過ぎ。乗船が完了すると船は離岸。客のほとんどは船前方の甲板にあるベンチに腰をかけて外を眺めたり、ビスケットなどをつまんだり、おしゃべりしたりしている。ちょうど湖面から陽が昇ったばかりで朝の日を浴びるのが心地よかった。
この湖は広い。端がどこなのか見えない。湖には丸木舟で移動している人や網を使って魚を取っている人たちを少しだが見る。30分ほど船でのゆったりした移動を楽しむ。
着岸してバスに乗り込むと窮屈な時間が再び始まる。けっこうきつい体勢で座っているにもかかわらず、眠ることはできてときどきうとうとと眠くなり、寝込んでしまう。今回は舗装された道ばかりを走っているからこの間みたいに砂が車内に舞い込んでくるということがない。
バスは休憩なしでがんがん走る。昼を過ぎるとお客が降りることがときどきあり、そのときは集落のバスターミナルなどで止まる。
そろそろルワンダ国境に近いんじゃないかと思いながらもどこで降りればいいかは自分で判断つかない。あたりは林や畑ばかり。
14時半ごろ、沿道に平屋の商店などが10軒ほど並んでいるところに差しかかる。同じバスに乗っていた白人カップルが降りる準備を始めたからもしかしたらここがルワンダ国境に近い村かと思い、周りの人に尋ねる。すると隣のおばちゃんがここだと教えてくれる。通路も荷物や人でいっぱいだからバスから降りるのに一苦労。なんとか降りるとすぐにタクシーが待ち構えていて、国境に行くのかと尋ねてくる。ちょうどバスから降りた人が数人おり、その人たちも国境に向かうふうだったのでその人らと一緒にタクシーに乗る。運賃は事前に尋ねたところ3000シリング(約300円)。けっこう高いけど、まぁいいかと思い乗り込む。
タクシーは舗装されている道をかっとばす。あたりはこんもりとした山と林。
国境までは30分ほどかかった。予想よりも遠かったので3000シリングもありかと考え直す。国境についてタクシーを降りたところで支払いをし、国境のイミグレに向かう。あたりは山ばかり。人気のあまりない国境で今一緒に乗ってきた人以外でこの国境を通っている人はいない。車やトラックも見ない。
まずはタンザニアの出国手続き。出国カードを書き込んでパスポートと一緒に提出。数分で終わる。
そこから大きくカーブしている道を歩き、ルワンダ側のイミグレに向かう。途中、短い橋があり、左手奥には幅はないが水量たっぷりの迫力ある滝があった。滝の底は水しぶきに煙って見えない。
カーブを左に曲がって上り坂を歩いていくと上りきったところにルワンダのイミグレがあった。ルワンダもビザが必要なので、ここでビザを買う。ビザ代がなかなか高く60米ドル(約6000円)もする。ちなみに米ドル払い。6日間の宿代相当だから旅行者によってはビザ代を理由にルワンダを避けたという人もいた。ビザを取得するための用紙を記入し、入国カードも書いてパスポートと一緒に提出。こちらもすんなりと手続きは済む。ここから首都のキガリに行くバスはないかと係官に聞いたら、その先でバスに乗れると教えてくれる。
係官が言ったとおりイミグレの建物から50mほど向こうに歩いたところに大型ワゴンのバスが止まっていた。運賃を聞くとキガリまで2000ルワンダフラン(約400円)と言う。バスを降りてから国境まで300円もしたのに、こっちはずいぶん安い。それに車体も車内もきれいで乗り心地が良さそう。ルワンダフランは持っていなかったので、とりあえず座席だけ確保して、出発までにはまだ間があるというので両替しに行く。国境の両替屋でタンザニアシリングを両替。両替したお金で運賃を払う。こちらは前払い。
ルワンダフランも手に入ったし、朝から何も食べていないので何か食い物がないかと辺りを見渡すが、物売りが一人もいない。珍しい。まぁ、移動の途中でどっかに止まればそのときに物売りの人が来て何か買えるだろうと思い、とりあえず辛抱する。
16時前にバスは出発。どれくらい標高があるのかわからないが、窓からの景色はなかなかいい。千の丘の国とルワンダは呼ばれたりするようだが、まったくその通りでこんもり低い山や丘がいくつも連なっている。さらに目を引いたのが、それぞれの丘にきれいに畑が作られていること。どの畑も一枚一枚の面積は小さい。しかし、よく手入れされている。日本の山間部の景色によく似ているのに驚く。
車は快調に舗装道を走る。沿道には土壁にトタン屋根の家やコンクリート壁にトタン屋根、レンガ壁にトタン屋根の家などが見える。また一部ではテントを見る。難民か何かなのだろうか?
途中、乗客を乗せたり下ろしたりするためにいくつかのまちでバスは止まったのだが、不思議なことにバスの乗客を狙った物売りがいない。おかげでこちらは食べ物を何か買いたかったのだが買えず。
地図で見る限りではこの国はとても小さい国だから国境からキガリまでもそうたいして時間はかからないだろうと見ていた。明るいうちにキガリに着けるのではと期待していたのだが、18時を過ぎても着く気配がない。車は何度も上り下りを繰り返す。
淡い期待もむなしく日は暮れてしまい、しばらくすると前方にビルなどが建て込み明かりがついている地帯が見えてくる。フロントガラスには雨粒が落ちてくるようになり、そのうち強い雨になる。
坂を下ったらキガリの中心部だった。近代的なビルがちょこちょこ見える。雨合羽を着たバイクタクシーがバンバン走り、道を走る乗用車の数も格段に増える。
バスは中心部に入り、また坂道を登って縦横に走っている道をちょこまかと走り、終点のバスターミナルにようやく着く。移動日に雨なんて最悪だと思いながら、リュックに雨よけカバーをかけ、とりあえず辺りをふらつく。どこに着いたのかよくわからないので、バスが通ってきた道と人の流れを見ながら商店が集まっている中心部にいく。もう20時近くだから中心部の店は閉まっているのではないかと思っていたが、意外にどの店も開いていて買い物客も多い。ルワンダには安宿はないと聞いていて、実際ガイドブックに載っているのものも1500円以上するところばかり。地元の人は安いところを知っているかもしれないと適当に店で聞いたりするが、意外とみな知らない。しょうがないのでタクシーに聞いてみると安いところはあるという。なので乗せていってもらったら20米ドル以上もしたので却下。時間も時間だし、雨も降っているので安宿探しはあきらめガイドブックに載っている中で一番安い宿に向かう。
中心部からタクシーで5分ほど。あたりにはあまり店がない。ホテルのフロントを見る限りではちょっと高級そうだったが、とりあえず1泊だけでもと思い、ここに宿を取ることにする。タクシーから荷物をおろし、タクシー代を払う。タクシー代は2箇所回ったからと3500ルワンダフラン(約700円)もとられる。
フロントで一番安い部屋に泊まりたいというと、別館に連れて行かれる。別館は本館から30mほど離れていてまったく別のところにあった。こちらはモーテルのような作りの宿で、駐車場に面して部屋が数部屋あるだけ。部屋の内部は10畳ほどあり、けっこう広い。トイレ・シャワーつき。だが建物自体はちょっと古くなっていて、フロントも何もないのでセキュリティ面ではちょっと不安な点あり。
部屋に荷物を置いて、まずは食料を買いに行く。近くには安食堂がなかったので、食料品店でパンや牛乳などを買って部屋で食べる。買い物に行った店の店主は中国人で、どこから来たのかなどと英語で尋ねてきた。さびしい夕食をとった後、シャワーを浴び、濡れたカバーや靴などを早く乾くように部屋の中に干してから就寝。静かな夜だった。
FIN
2008年10月20日月曜日
[diary]ワガドゥグからコトヌーへ
ワガドゥグからコトヌーへ
08/08/03(日)
[Oagadougou:Burkina Faso→Cotonou:Benin]
・明朝のチェックアウト、満席
・雨の国境越え
・故障、また故障
夜は仮眠状態のような感じでしか眠れず。何度も目が覚める。4時に起き、荷造りをして宿を出る。
フロントの入り口で寝ていたホテルの人を起こし、チェックアウト。外は外灯の光があるから、道を歩くには不便はない。客は入っていないが、この時間でも開いている小さなレストランを見る。また、道ばたや店の軒先で寝ている人も10人ほど見る。
昨日、下見に行ったバス会社のターミナルまでは宿から歩いて20分ほど。2度曲がったあとはまっすぐの道を歩いていけばたどり着く。しかし、時間が時間ということで、物取りが現れないかやや緊張しつつ歩く。
無事、バスターミナルに到着。人と荷物でごったがえしている。窓口に行くと窓口が開いていない。しょうがないので、窓口の部屋に出入りしている人に聞くが、返事がフランス語なのでよくわからない。担当らしい女性に2度聞き、2度目に英語でフルだから乗れないと言われ、ガビーンと衝撃を受ける。
昨日、チケットを買っておけば良かったと思っても後の祭りなので、ターミナル前にいたタクシーの運転手にベニンの国境に行くミニバスが出ているターミナルに連れていくよう頼む。場所はよくわからないので、困ったときのタクシー頼み。運賃は1000CFA(約250円)。
運転手はぼくのリクエストを理解したようで、すぐに発射してくれる。時計をさして急ぐようなそぶりをするが、なぜそのような素振りをしたのかそのときはわからず。
タクシーは舗装された道を通った後、なぜか住宅地の未舗装のがたがたの道に入る。なんでこんなところを通るのかと不審に思っていたのだが、その先に別のバス会社のターミナルがあった。その前で降りると、ターミナルから若い男が出てきて、ぼくの荷物を持ってチケット売場まで案内してくれる。チケット売場の窓口の上の方には時刻表と値段が書いてあって、乗りたいコトヌー行きは4時半発で17000CFA(約4000円)だった。時計を見ると5時前。あれ、もう出たんじゃないかと思い、窓口のおじさんに聞くと、目の前に停まっているバスがそうだという。時間通りに発車しないという習慣は、こういうときに大いに助かる。
さっきのバス会社は14000CFAでバスもこっちとは比較にならないほど良かったから、やはり昨日チケットを買っておけば良かったと改めて思うが、まぁ、これから出るバスにありつけたということで良しとする。
チケットは容易に購入できた。木製のベンチに座って出発を待つ。
1時間ほど待ってようやくバスに荷物が積み込まれる。出発は結局6時半。西アフリカでは早起きの苦労が見事に水の泡となるという話はよく聞く話だが、こういう会社につきあわされている人々は実際にどう思っているのか、気になる。
走り出すとすぐに左斜めの向かいにあったガソリンスタンドに入って給油。
バスはボボデュラソからワガドゥグまでの間で乗ったバスと同じスタイル。通路はさんで左が三列シートで右が2列。珍しいことに座席番号が決められていた。
前の方で女の人が大きな声をあげて、隣の女性客を怒鳴り始める。言葉がわからないからなぜ怒っているのか不明。その声を聞いて、後ろに座っている客も立ち上がり、ぼくの隣に座っていたでかいおじさんは前まで歩いていって、けっこう強い口調で間に入り、調停している。
そういえば今日も出発前、荷物のことでバス側と客がもめていた。
ぼくの座席は後方左の窓際。窓は開くので風を浴びながら外を眺めたり、眠ったり。
景色はマリ以降とほとんど変わらない。平坦な景色。土壁の家やトウキビ畑など。
13時30分頃、ブルキナファソの国境に到着。ここにも物乞いをしている子どもが10人ほどいた。また小さい黄色い皮のメロンも売っている。すばらしいことにその場で皮を向いてくれるのだが、ぼくは腹のことが気になるので買わず。ちなみにメロン売りは10歳前後の女の子が多く4人ほど、母親くらいの女性が1人。皮の剥き方を見ていると、日本でいうりんごの皮むきのような剥き方ではなく、鉛筆削りと同じように外側に刃を向けてシャッシャッ向いていた。メロンは片手で持てるくらい小さいから女の子たちでも素早く上手に剥ける。
あと魚の素揚げを売っているおばちゃんもおり、数人の客が買って食べていた。これにも惹かれたのだが、とりあえず我慢。
今回も国境は雨だったが、荷物チェックはなかったため雨による被害はなし。
ベニンの国境前になるとバスの添乗員が乗客のパスポートとカネを集めて回る。パスポートは渡したが、カネはよくわからないので渡さず。また請求もされず。
ベニンの国境では乗客は警官に促され、入国審査所の建物から10mほど離れたところで固まって待たされる。ぼくはビザが気になったので、その固まりから抜け、審査所に行き、自分のパスポートを探し出し、係りの人にビザが必要だと伝える。すると係りの人は入国スタンプを押してくれ、コトヌーについたらイミグレに行くよう言う。
他の客のパスポートは全部手続きが終わったところで、警官から名前を呼ばれ、一人ずつ返してもらっていた。
ガイドブックに寄れば、ここの国境でトランジットビザをもらい、コトヌーで延長するとあったのだが、トランジットビザらしきものはパスポートに張られず。またビザ代も払わなかった。どういうことだろうと思いつつも、もしかしたらトランジットビザ代が浮くかもしれないと都合良く考え、そのままバスに乗り込む。
ベニンに入ると景色が変わった。これまでは平たい大地に草と木々が広がる景色ばかりだったが、ベニンにはいると山が見えた。思えばアフリカに入って以降、起伏のある道を通ったことがなかった。それがベニンに入ると前方に1000mもない低い山脈(または丘?)が横切るように走っており、一つを超えるとまた別の山が現れるという感じで、たいしたことはないが、それなりに起伏がある道を走る。
道路はずっと舗装されているので、全く快適。つらいのは3列シートが狭いのと、背もたれが倒れないことくらい。
国境などで食い物を買う機会はあったものの、まとまった食事休憩はなかった。17時ごろ、バスは沿道に商店がちょろちょろと並ぶまちで停車。そこで食事休憩となる。バスが停車する直前、車体裏でギアの歯車が噛み合っていないような音がする。バリバリバリと大きな音がしたところでバスは停車。やはり故障のようで休憩中、車体の下にもぐって修理していた。
1時間ほど修理、休憩。ぼくは腹が減ったので、丸い形のドーナツのような菓子と中国製の薄いクッキーを買って食べる。歩いているとジャッキーシャンとかシヌワーとかと声がかかる。
再び走り出したバスだったが、1時間もしないうちにさっきと同じ音がして停車。また修理。再度走り出すが、走り出した途端に乗客が騒ぎだす。なんだなんだと思ったら、客の何人かがどっか行って帰ってきていないよう。停車したところからちょっと先にあった商店などが集まっている地点までトロトロと客を捜しながらバスは走る。
そうして乗客が戻ったところでエンジン全開。
そうこうしているうちに日が暮れる。どうも今回も目的地には夜中に着くようだった。
Fin
08/08/03(日)
[Oagadougou:Burkina Faso→Cotonou:Benin]
・明朝のチェックアウト、満席
・雨の国境越え
・故障、また故障
夜は仮眠状態のような感じでしか眠れず。何度も目が覚める。4時に起き、荷造りをして宿を出る。
フロントの入り口で寝ていたホテルの人を起こし、チェックアウト。外は外灯の光があるから、道を歩くには不便はない。客は入っていないが、この時間でも開いている小さなレストランを見る。また、道ばたや店の軒先で寝ている人も10人ほど見る。
昨日、下見に行ったバス会社のターミナルまでは宿から歩いて20分ほど。2度曲がったあとはまっすぐの道を歩いていけばたどり着く。しかし、時間が時間ということで、物取りが現れないかやや緊張しつつ歩く。
無事、バスターミナルに到着。人と荷物でごったがえしている。窓口に行くと窓口が開いていない。しょうがないので、窓口の部屋に出入りしている人に聞くが、返事がフランス語なのでよくわからない。担当らしい女性に2度聞き、2度目に英語でフルだから乗れないと言われ、ガビーンと衝撃を受ける。
昨日、チケットを買っておけば良かったと思っても後の祭りなので、ターミナル前にいたタクシーの運転手にベニンの国境に行くミニバスが出ているターミナルに連れていくよう頼む。場所はよくわからないので、困ったときのタクシー頼み。運賃は1000CFA(約250円)。
運転手はぼくのリクエストを理解したようで、すぐに発射してくれる。時計をさして急ぐようなそぶりをするが、なぜそのような素振りをしたのかそのときはわからず。
タクシーは舗装された道を通った後、なぜか住宅地の未舗装のがたがたの道に入る。なんでこんなところを通るのかと不審に思っていたのだが、その先に別のバス会社のターミナルがあった。その前で降りると、ターミナルから若い男が出てきて、ぼくの荷物を持ってチケット売場まで案内してくれる。チケット売場の窓口の上の方には時刻表と値段が書いてあって、乗りたいコトヌー行きは4時半発で17000CFA(約4000円)だった。時計を見ると5時前。あれ、もう出たんじゃないかと思い、窓口のおじさんに聞くと、目の前に停まっているバスがそうだという。時間通りに発車しないという習慣は、こういうときに大いに助かる。
さっきのバス会社は14000CFAでバスもこっちとは比較にならないほど良かったから、やはり昨日チケットを買っておけば良かったと改めて思うが、まぁ、これから出るバスにありつけたということで良しとする。
チケットは容易に購入できた。木製のベンチに座って出発を待つ。
1時間ほど待ってようやくバスに荷物が積み込まれる。出発は結局6時半。西アフリカでは早起きの苦労が見事に水の泡となるという話はよく聞く話だが、こういう会社につきあわされている人々は実際にどう思っているのか、気になる。
走り出すとすぐに左斜めの向かいにあったガソリンスタンドに入って給油。
バスはボボデュラソからワガドゥグまでの間で乗ったバスと同じスタイル。通路はさんで左が三列シートで右が2列。珍しいことに座席番号が決められていた。
前の方で女の人が大きな声をあげて、隣の女性客を怒鳴り始める。言葉がわからないからなぜ怒っているのか不明。その声を聞いて、後ろに座っている客も立ち上がり、ぼくの隣に座っていたでかいおじさんは前まで歩いていって、けっこう強い口調で間に入り、調停している。
そういえば今日も出発前、荷物のことでバス側と客がもめていた。
ぼくの座席は後方左の窓際。窓は開くので風を浴びながら外を眺めたり、眠ったり。
景色はマリ以降とほとんど変わらない。平坦な景色。土壁の家やトウキビ畑など。
13時30分頃、ブルキナファソの国境に到着。ここにも物乞いをしている子どもが10人ほどいた。また小さい黄色い皮のメロンも売っている。すばらしいことにその場で皮を向いてくれるのだが、ぼくは腹のことが気になるので買わず。ちなみにメロン売りは10歳前後の女の子が多く4人ほど、母親くらいの女性が1人。皮の剥き方を見ていると、日本でいうりんごの皮むきのような剥き方ではなく、鉛筆削りと同じように外側に刃を向けてシャッシャッ向いていた。メロンは片手で持てるくらい小さいから女の子たちでも素早く上手に剥ける。
あと魚の素揚げを売っているおばちゃんもおり、数人の客が買って食べていた。これにも惹かれたのだが、とりあえず我慢。
今回も国境は雨だったが、荷物チェックはなかったため雨による被害はなし。
ベニンの国境前になるとバスの添乗員が乗客のパスポートとカネを集めて回る。パスポートは渡したが、カネはよくわからないので渡さず。また請求もされず。
ベニンの国境では乗客は警官に促され、入国審査所の建物から10mほど離れたところで固まって待たされる。ぼくはビザが気になったので、その固まりから抜け、審査所に行き、自分のパスポートを探し出し、係りの人にビザが必要だと伝える。すると係りの人は入国スタンプを押してくれ、コトヌーについたらイミグレに行くよう言う。
他の客のパスポートは全部手続きが終わったところで、警官から名前を呼ばれ、一人ずつ返してもらっていた。
ガイドブックに寄れば、ここの国境でトランジットビザをもらい、コトヌーで延長するとあったのだが、トランジットビザらしきものはパスポートに張られず。またビザ代も払わなかった。どういうことだろうと思いつつも、もしかしたらトランジットビザ代が浮くかもしれないと都合良く考え、そのままバスに乗り込む。
ベニンに入ると景色が変わった。これまでは平たい大地に草と木々が広がる景色ばかりだったが、ベニンにはいると山が見えた。思えばアフリカに入って以降、起伏のある道を通ったことがなかった。それがベニンに入ると前方に1000mもない低い山脈(または丘?)が横切るように走っており、一つを超えるとまた別の山が現れるという感じで、たいしたことはないが、それなりに起伏がある道を走る。
道路はずっと舗装されているので、全く快適。つらいのは3列シートが狭いのと、背もたれが倒れないことくらい。
国境などで食い物を買う機会はあったものの、まとまった食事休憩はなかった。17時ごろ、バスは沿道に商店がちょろちょろと並ぶまちで停車。そこで食事休憩となる。バスが停車する直前、車体裏でギアの歯車が噛み合っていないような音がする。バリバリバリと大きな音がしたところでバスは停車。やはり故障のようで休憩中、車体の下にもぐって修理していた。
1時間ほど修理、休憩。ぼくは腹が減ったので、丸い形のドーナツのような菓子と中国製の薄いクッキーを買って食べる。歩いているとジャッキーシャンとかシヌワーとかと声がかかる。
再び走り出したバスだったが、1時間もしないうちにさっきと同じ音がして停車。また修理。再度走り出すが、走り出した途端に乗客が騒ぎだす。なんだなんだと思ったら、客の何人かがどっか行って帰ってきていないよう。停車したところからちょっと先にあった商店などが集まっている地点までトロトロと客を捜しながらバスは走る。
そうして乗客が戻ったところでエンジン全開。
そうこうしているうちに日が暮れる。どうも今回も目的地には夜中に着くようだった。
Fin
[diary]セグーからワガドゥグへ
セグーからワガドゥグへ
08/08/01 曇り、雨
[Segou:Mali→Oagadougou:Burkina Faso]
昨晩のことが引き金になり、加えてフランス人旅行者が多いから、この後に行こうと思っていた観光地のジェンネでも安い宿がとれず、さらには不快な奴らも多かろうと思い(実際に多いという情報多数)、マリを出ることにする。
結局、夜は暑さと、夜中の3時頃に入り口の鉄の扉を開けて入ってくる音などで目覚めたりしたおかげで、ほとんど眠れなかった。
とにかく早くでようと夜が明けた6時頃、荷物を背負って部屋を出る。部屋のドアを開けると、そこに人が寝ていた。敷地の入り口のドアから部屋の入り口のドアまでの4畳半ほどの屋根のない踊り場のようなスペースに若い男が2人寝ている。ドアの前で寝ている人がどかないとドアが十分に開かず出られないので、邪魔だなと思いながら、その人を起こし、外に出る。
表の通りには柄のない箒で、家の前を掃いている女性や女の子が数人。
近くの舗装されている道路まで歩いていき、そこでタクシーをつかまえようかと思っていたが、タクシーが走っていなかった。しょうがないので、交通量がより多い交差点まで歩いていき、そこでタクシーを捕まえる。先客2人が乗っていたタクシーに乗り込む。運賃を聞くと500CFA。昨日のタクシーよりも安い。おそらくこっちがローカルプライスなのだろう。
バスターミナルで降ろしてもらう。ターミナルには20人ほどしか人がいなかった。それもみなターミナルで商売をしている人ばかりで、乗客はいない。タクシーは丁寧にもブルキナファソに行くバスを出している会社の前で降ろしてくれる。
タクシーを降りるとすぐにバス会社の人が寄ってきて、どこに行きたいのか聞いてくる。ワガドゥグというとチケットを発券してくれる。運賃は14000CFA(約3000円)。
しばらくベンチで待てというので、ベンチに行く。ベンチがある待合いスペースには落花生の殻やビニールゴミが散乱していて、ハエがぶんぶん飛び回っている。なので足でゴミをどかしていると、バス会社のおじさんが柄のないほうきを持ってきて掃除をはじめる。
ベンチで本を読んだり、横になってボケーとしたりして待っていたがなかなかバスがこない。2時間ほど待った8時過ぎに、バス会社のおじさんに聞くと10時15分頃、バスが来るという。まだ2時間ある。
ターミナルでは、フランスパンに肉などをはさんだサンドイッチやお粥のような食べ物を売っているおばちゃんたちがいて、次々と客がそれを求めて食べている。
ぼくは腹の心配があったのでフランスパンのみ食べる。ただこのフランスパンもかごにそのまま入れられ、カバーもされていないからハエがたかっていて、あまりよろしくない。
空はやや曇っていて、風が吹いてくるから日陰にいると涼しい。
バス会社の人が言ってた時間をあまり当てにはしていなかったのだが、驚いたことに本当に10時過ぎにバスが入ってきた。それなりに立派なバスなのだが、あいにくまた窓が開かないタイプ。
荷物代として1000CFAとられ、リュックが積み込まれるのを確認するため、それを待っていたのだが、バス会社の人とバスの運転手か何かが口論を始める。総勢5人ぐらいで大声で、また腕を大きく動かしたりしてしばらく口論。言葉がわからないのではっきりとはわからなかったが、どうも荷物代のことでもめているらしく、ぼくの荷物がそのきっかけだったよう。まったくよくわからん。
モーリタニア以後、長距離移動の際に、客とバス会社などが乗車前にもめる確率は40%程度。きっかけはどれも荷物のよう。
とにかく無事、ぼくのリュックが積まれたことを確認してバスに乗る。案の定、車内はくそ暑い。このバスも中古なのだろうが、どうせなら窓が開くタイプのバスを買えよな、と思う。だいたいこっちは暑いんだし、エアコンも使わない/使えないんだから。
走り出せば天窓から入ってくる風で、だいぶ涼しくなるが、停車したときにはどっと汗が出る。他の人はぼくほど汗はかいていなかったが、それでも停車した際には汗を拭う人多数だった。
バスはセネガル以降、見慣れた風景の中を走る。低い草が生い茂る中に木々がポツポツはえ、ときおり集落が現れる。その近くには畑が広がり、トウモロコシや豆類が植わっているのが見える。パンジーににたオクラの花も咲いているのが見えた。
集落内の家々は、土壁が多い。一つの敷地内には、たいてい直方体型の母屋(と思われる)の他に円柱型で屋根を藁か何かで葺いた小さな建物がある。この円柱型の建物は、人が住むには小さそうなので、倉庫か何かかもしれない。
そうした集落にいる子どもたちの衣服は、たいていボロボロで上半身は裸という子も多い。また裸足も一般的。
大人の格好は、まちの人とあまり変わらない。
こうして見る限りでは家もあり、農地もあり、十分豊かな生活ができそうに見えるのだが、実際のところはどうなのだろうか、と思う。
13時頃、どこかのまちのターミナルに到着。ここで昼飯休憩。ぼくはヤギと思われる肉を片手の手のひらいっぱい分(約120円)とフランスパン、ゴマを砂糖で煮て固めた菓子とゆで卵を食べる。
セネガルに入って以降、特にマリから顕著なのだが、こうしてバスが止まるところには必ず、物乞いしている子どもたちが10人ほどいる。ここでもそう。業務用の調味料が入ってたような空き缶を持って、大人たちをまわる。どの子も来ているTシャツはよれて破れており、黒ずんでいる。たいてい裸足。この子等はいわゆるストリートチルドレンなのか、それとも親に言われてやっているのか、外見からはよくわからない。なぜならこうした格好をした子は、まちを離れればけっこういるし、こんな都市でもないところにストリートチルドレンがいるとは信じがたい。
大人たちの中には、いくらかコインを渡している人もいる。もしこの子等がストリートチルドレンであるのなら、都市部でなくても、一部の人にとっては子どもを育てていくのは厳しいということか。
1時間ほど、そこで休憩し、バスは発車。
ブルキナファソに近づくに連れ、空が暗くなり、やがて雨が降り出す。
マリの国境には15時半頃、到着。一見するとただの検問のようだったが、みなが降りていくので同乗者の人に国境かどうかを確認してから降りる。
マリに入国したときと同様、外は雨。
進行方向左手にあった小さなコンクリートづくりの建物に行き、そこで出国スタンプを押してもらう。質問は職業とかなど簡単なことだけ。
それから国境間をしばらく走り、16時頃、ブルキナファソの国境に到着。バスを降りる。
バスの運転手(の控えの人)が、ビザを取る建物を教えてくれ、そこでビザの手続き。例のごとく申請書はフランス語オンリー。たまたまぼくの横で申請していた女性がアフリカ系アメリカ人で、親切にも自ら英語でどこに何を書くかを教えてくれる。これは無償。
1週間有効のビザ代10000CFA(約2000円)。
ビザをとって、バスのおじさんに促されるまま、ぐちゃぐちゃになっている道を歩き、入国検査。と言っても、傘を差して立っていた警官にパスポートを見せるだけ。
それからバスに乗って、ちょっと先に進んで、今度は荷物の検査。相変わらず雨は降り続いている。
バスの荷台からそれぞれの荷物を取り出し、コンクリートづくりのわりと立派な建物の前に1列に並ぶ。木製の台の上に荷物を載せ、チャックを開けて待つのだが、それを雨に濡れながらやっている。コンクリートづくりの建物には軒先があり、その下には幅2mほどの通路があるから、そこでやれば濡れないのに、なぜか外でやる。チェックする警官は傘をさしているが、たいていの客は何も持っていないし、荷物は当然濡れる。加えて木製の台には何カ所がくぼんでおり、水がたまっているから、そこに乗せるだけでかなり濡れる。
なんであの通路を使わないかなぁ、と思いつつ、みんなに並んでリュックを濡らし、チェックを受ける。ただ、最後だったからか、チェックらしきこともせず、通れと合図されただけだったが。
ブルキナファソに入ると、マリよりも水が豊かだった。水田があり、細い川もある。まとまったバナナの畑を見るのも久しぶり。牛を積んだトラックが走る。道の脇に横転した10トンはありそうなトラックを見る。
まだ明るい18時半前に、ボボデュラソというブルキナファソでも大きいまちに到着。ここでバスを降ろされる。てっきりワガドゥグまで、このバスで行くと思っていたのだが違うよう。
リュックを受け取り、他の3人ほどの客とバスの運転手に案内され、30mほど離れた別のターミナルに移動する。そこでチケットを交換し、ここボボからワガドゥグまで行くバスのチケットを入手する。この際の手続きは運転手がすべてしてくれ、もちろん追加料金はなし。この辺はボリビアよりしっかりしている。
日が暮れる。ターミナル前でトウキビを焼いて売っていたので、それを買う。マリでも焼きトウキビはあちこちで売っていた。西アフリカ式の七輪(金属製で網は使わない。形は日本のものと似ているが、こちらのほうは四角が基本)で炭の上にトウキビを直接乗せて焼いている。堅いが味はまあまぁいい。
待つこと3時間。21時過ぎにようやくバスが入ってくる。レトロなつくりのバスで通路を挟んで左に3席、右に2席。背もたれは一切倒れない。座席も固い。窓は開く。
21時半頃、バスは発車。今回もまた夜中に目的地に着くようだ。
Fin
08/08/01 曇り、雨
[Segou:Mali→Oagadougou:Burkina Faso]
昨晩のことが引き金になり、加えてフランス人旅行者が多いから、この後に行こうと思っていた観光地のジェンネでも安い宿がとれず、さらには不快な奴らも多かろうと思い(実際に多いという情報多数)、マリを出ることにする。
結局、夜は暑さと、夜中の3時頃に入り口の鉄の扉を開けて入ってくる音などで目覚めたりしたおかげで、ほとんど眠れなかった。
とにかく早くでようと夜が明けた6時頃、荷物を背負って部屋を出る。部屋のドアを開けると、そこに人が寝ていた。敷地の入り口のドアから部屋の入り口のドアまでの4畳半ほどの屋根のない踊り場のようなスペースに若い男が2人寝ている。ドアの前で寝ている人がどかないとドアが十分に開かず出られないので、邪魔だなと思いながら、その人を起こし、外に出る。
表の通りには柄のない箒で、家の前を掃いている女性や女の子が数人。
近くの舗装されている道路まで歩いていき、そこでタクシーをつかまえようかと思っていたが、タクシーが走っていなかった。しょうがないので、交通量がより多い交差点まで歩いていき、そこでタクシーを捕まえる。先客2人が乗っていたタクシーに乗り込む。運賃を聞くと500CFA。昨日のタクシーよりも安い。おそらくこっちがローカルプライスなのだろう。
バスターミナルで降ろしてもらう。ターミナルには20人ほどしか人がいなかった。それもみなターミナルで商売をしている人ばかりで、乗客はいない。タクシーは丁寧にもブルキナファソに行くバスを出している会社の前で降ろしてくれる。
タクシーを降りるとすぐにバス会社の人が寄ってきて、どこに行きたいのか聞いてくる。ワガドゥグというとチケットを発券してくれる。運賃は14000CFA(約3000円)。
しばらくベンチで待てというので、ベンチに行く。ベンチがある待合いスペースには落花生の殻やビニールゴミが散乱していて、ハエがぶんぶん飛び回っている。なので足でゴミをどかしていると、バス会社のおじさんが柄のないほうきを持ってきて掃除をはじめる。
ベンチで本を読んだり、横になってボケーとしたりして待っていたがなかなかバスがこない。2時間ほど待った8時過ぎに、バス会社のおじさんに聞くと10時15分頃、バスが来るという。まだ2時間ある。
ターミナルでは、フランスパンに肉などをはさんだサンドイッチやお粥のような食べ物を売っているおばちゃんたちがいて、次々と客がそれを求めて食べている。
ぼくは腹の心配があったのでフランスパンのみ食べる。ただこのフランスパンもかごにそのまま入れられ、カバーもされていないからハエがたかっていて、あまりよろしくない。
空はやや曇っていて、風が吹いてくるから日陰にいると涼しい。
バス会社の人が言ってた時間をあまり当てにはしていなかったのだが、驚いたことに本当に10時過ぎにバスが入ってきた。それなりに立派なバスなのだが、あいにくまた窓が開かないタイプ。
荷物代として1000CFAとられ、リュックが積み込まれるのを確認するため、それを待っていたのだが、バス会社の人とバスの運転手か何かが口論を始める。総勢5人ぐらいで大声で、また腕を大きく動かしたりしてしばらく口論。言葉がわからないのではっきりとはわからなかったが、どうも荷物代のことでもめているらしく、ぼくの荷物がそのきっかけだったよう。まったくよくわからん。
モーリタニア以後、長距離移動の際に、客とバス会社などが乗車前にもめる確率は40%程度。きっかけはどれも荷物のよう。
とにかく無事、ぼくのリュックが積まれたことを確認してバスに乗る。案の定、車内はくそ暑い。このバスも中古なのだろうが、どうせなら窓が開くタイプのバスを買えよな、と思う。だいたいこっちは暑いんだし、エアコンも使わない/使えないんだから。
走り出せば天窓から入ってくる風で、だいぶ涼しくなるが、停車したときにはどっと汗が出る。他の人はぼくほど汗はかいていなかったが、それでも停車した際には汗を拭う人多数だった。
バスはセネガル以降、見慣れた風景の中を走る。低い草が生い茂る中に木々がポツポツはえ、ときおり集落が現れる。その近くには畑が広がり、トウモロコシや豆類が植わっているのが見える。パンジーににたオクラの花も咲いているのが見えた。
集落内の家々は、土壁が多い。一つの敷地内には、たいてい直方体型の母屋(と思われる)の他に円柱型で屋根を藁か何かで葺いた小さな建物がある。この円柱型の建物は、人が住むには小さそうなので、倉庫か何かかもしれない。
そうした集落にいる子どもたちの衣服は、たいていボロボロで上半身は裸という子も多い。また裸足も一般的。
大人の格好は、まちの人とあまり変わらない。
こうして見る限りでは家もあり、農地もあり、十分豊かな生活ができそうに見えるのだが、実際のところはどうなのだろうか、と思う。
13時頃、どこかのまちのターミナルに到着。ここで昼飯休憩。ぼくはヤギと思われる肉を片手の手のひらいっぱい分(約120円)とフランスパン、ゴマを砂糖で煮て固めた菓子とゆで卵を食べる。
セネガルに入って以降、特にマリから顕著なのだが、こうしてバスが止まるところには必ず、物乞いしている子どもたちが10人ほどいる。ここでもそう。業務用の調味料が入ってたような空き缶を持って、大人たちをまわる。どの子も来ているTシャツはよれて破れており、黒ずんでいる。たいてい裸足。この子等はいわゆるストリートチルドレンなのか、それとも親に言われてやっているのか、外見からはよくわからない。なぜならこうした格好をした子は、まちを離れればけっこういるし、こんな都市でもないところにストリートチルドレンがいるとは信じがたい。
大人たちの中には、いくらかコインを渡している人もいる。もしこの子等がストリートチルドレンであるのなら、都市部でなくても、一部の人にとっては子どもを育てていくのは厳しいということか。
1時間ほど、そこで休憩し、バスは発車。
ブルキナファソに近づくに連れ、空が暗くなり、やがて雨が降り出す。
マリの国境には15時半頃、到着。一見するとただの検問のようだったが、みなが降りていくので同乗者の人に国境かどうかを確認してから降りる。
マリに入国したときと同様、外は雨。
進行方向左手にあった小さなコンクリートづくりの建物に行き、そこで出国スタンプを押してもらう。質問は職業とかなど簡単なことだけ。
それから国境間をしばらく走り、16時頃、ブルキナファソの国境に到着。バスを降りる。
バスの運転手(の控えの人)が、ビザを取る建物を教えてくれ、そこでビザの手続き。例のごとく申請書はフランス語オンリー。たまたまぼくの横で申請していた女性がアフリカ系アメリカ人で、親切にも自ら英語でどこに何を書くかを教えてくれる。これは無償。
1週間有効のビザ代10000CFA(約2000円)。
ビザをとって、バスのおじさんに促されるまま、ぐちゃぐちゃになっている道を歩き、入国検査。と言っても、傘を差して立っていた警官にパスポートを見せるだけ。
それからバスに乗って、ちょっと先に進んで、今度は荷物の検査。相変わらず雨は降り続いている。
バスの荷台からそれぞれの荷物を取り出し、コンクリートづくりのわりと立派な建物の前に1列に並ぶ。木製の台の上に荷物を載せ、チャックを開けて待つのだが、それを雨に濡れながらやっている。コンクリートづくりの建物には軒先があり、その下には幅2mほどの通路があるから、そこでやれば濡れないのに、なぜか外でやる。チェックする警官は傘をさしているが、たいていの客は何も持っていないし、荷物は当然濡れる。加えて木製の台には何カ所がくぼんでおり、水がたまっているから、そこに乗せるだけでかなり濡れる。
なんであの通路を使わないかなぁ、と思いつつ、みんなに並んでリュックを濡らし、チェックを受ける。ただ、最後だったからか、チェックらしきこともせず、通れと合図されただけだったが。
ブルキナファソに入ると、マリよりも水が豊かだった。水田があり、細い川もある。まとまったバナナの畑を見るのも久しぶり。牛を積んだトラックが走る。道の脇に横転した10トンはありそうなトラックを見る。
まだ明るい18時半前に、ボボデュラソというブルキナファソでも大きいまちに到着。ここでバスを降ろされる。てっきりワガドゥグまで、このバスで行くと思っていたのだが違うよう。
リュックを受け取り、他の3人ほどの客とバスの運転手に案内され、30mほど離れた別のターミナルに移動する。そこでチケットを交換し、ここボボからワガドゥグまで行くバスのチケットを入手する。この際の手続きは運転手がすべてしてくれ、もちろん追加料金はなし。この辺はボリビアよりしっかりしている。
日が暮れる。ターミナル前でトウキビを焼いて売っていたので、それを買う。マリでも焼きトウキビはあちこちで売っていた。西アフリカ式の七輪(金属製で網は使わない。形は日本のものと似ているが、こちらのほうは四角が基本)で炭の上にトウキビを直接乗せて焼いている。堅いが味はまあまぁいい。
待つこと3時間。21時過ぎにようやくバスが入ってくる。レトロなつくりのバスで通路を挟んで左に3席、右に2席。背もたれは一切倒れない。座席も固い。窓は開く。
21時半頃、バスは発車。今回もまた夜中に目的地に着くようだ。
Fin
[diary]ダカール:セネガルからバマコ:マリへ(2日目)
08/07/26(土)
[Tambacounda:Senegal→Mali]
・真夜中の乗り換え
・雨のマリ国境
・久々の大型バス
・お祈りタイム
※レート
1ユーロ=655CFA
尻の痛みでときどき目覚めつつも、けっこう眠り込んでいた。
車が止まり、エンジンが切られる。みなが車から降りていく。どうも終点のTambacoundaに着いたらしい。ぼくもやや寝ぼけた状態でよろよろしながら車を降りる。
外は真っ暗。夜明けはまだずいぶん先っぽい。時計を見ると3時。はぁ~、とため息が出る。ダカールで4時間近く待たされた結果がこれ。これじゃあ、宿に泊まるにも入り口が閉まっていて泊まれない。
なんでこうなるのかがよくわからない。3時に着くってあんた・・・。せめてダカールを昼の12時に出れば夜中の12時前に着くのに。なぜ時間を指定して、その時間までに客を集めないのか? みんな時計を見ながら動く習慣がないからか? 車の主はいい気分だろう。運転は下っ端に任せているから、自分が眠気と闘いながら運転する必要はないし、車には乗れるだけの客を乗せて走るからそのぶん実入りもいい。出発予定時刻という時間に拘束されず、車に乗れるだけの客が集まるまで待つ/待たせるのだから、毎日の収入は最大限が約束されている。
もっとも毎日、自分の車が走れるかどうかというのはわからない。想像でしかないが、見ている限りではどの長距離バスもカルテルのように、すでに既得権益を持っている人々がグループを作り、それぞれ利益を得られるようにあれこれ調整しているよう。だから、もしかしたら、車を出せるのは2日に1回とか、3日に1回とかかもしれない。誰かここのバス業界の仕組みを調べた人はいないのか?
こんな時間に着きやがって、まったく、バカじゃねぇか、と思いながら、リュックを受け取る。
バスが着いた場所には外灯があって、客待ちしているタクシーが数台あった。木製のベンチにはヨーロピアンらしき若い男性が2人、明かりの下で日記を書いたりしている。おそらく彼らも夜中に着いたために、明け方までここで待つのだろう。
ぼくも朝までここで待つしかないかな、と思っていたら、若い男がマリ?と聞いてきた。ウィ(やっとSiのクセが抜けた)と答えると、マリに行くバス乗り場はここではなく、別の離れた場所にあるからタクシーに乗れと言う。
なんで同じ場所にまとめないかな、と思いつつ、どうするか思案する。当初の予定ではここに泊まって明日か明後日にマリに向かおうかと思っていたのだが、朝までここで待って、明日改めてバスを探すとなるとまた3時間待ち4時間待ちが待っている。そう思うと、当初の予定は面倒に思えてきて、ここは一気に移動した方がストレスが少なくていいかもしれないと思う。
この男が言うようにバス乗り場が別にあるのかということはわからなかったが、ぼくの他におばさんが乗っていたので、この人も一緒なら嘘ではないかもしれないと、あまり深く詮索せずにタクシーに乗ることにする。料金を聞くと500と言った後にバガージュが500CFAと言ってくる。トータルいくらだと言ったら1000CFAと言う。どうせ荷物代はぼったくり分だろうと思い、すでにタクシーに乗っていたおばさんに運賃を訪ねると500CFAと言った。車の荷台にはおばさんの荷物もあった。
ほんとにモロッコに入って以降、タクシーの運転手は外国人と見ればカネづるとしか思っていない。もちろん中南米でもどこでもタクシーの運転手はそういう奴が多いが、それでもここまでの割合でぼったくってくる国は少ないように思う。エクアドルやペルーでもタクシーに乗ったが、感覚としてはだいたい半々。つまり5割はぼったくってくるが、5割はローカルプライスだったように思う。まぁ、これも今から思えばという感覚なので当てにならないが、少なくともここでは今のところほぼ100%の確率でぼってくる。
モロッコ以降、たちが悪いのが長距離バスがぼってくることだ。これは中南米ではボリビアをのぞき、なかった。どこもほとんど料金が決まっていて、みな同じ値段。まぁ、それはどこも会社という組織で動かしているから、そのようになっているのだろうから、そもそも会社になっていないこちらとは比べられないのかもしれない。
そんなことを眠い頭で思いつつ、タクシーに乗る。10分もせずにもう1つのバス乗り場に到着。ここもターミナルというかただの駐車場という感じで、確かにダカールから乗ってきたものと同じようなミニバス(ぼろぼろの大型ワゴン)がたくさん駐車している。ただ人気はなし。
タクシーはその駐車場で停車。停車したところには男が2人おり、照明があるものの薄暗い中、おしゃべりしていた。
タクシーを降りるとその男たちが声をかけてきてこっちに来いという。男たちは椅子に座っていたものの、その隣には30人くらいは座れる広いゴザを敷いていた。そこに座るよう促され、どこに行くのかと聞いてくる。国境の方だと言うと、ここで待つように言う。
ゴザに横になる。蚊が心配だったのでリュックの中から蚊取り線香を取り出し火をつける。思ったほど蚊はいない。寝ころんでいると男が話しかけてきて、14000CFA(約3000円)で今すぐ車に乗せて国境まで連れていくがどうだと聞いてくる。高いので却下。
寝たら蚊に刺されそうなので、目は開けたまま仰向けになって待つ。空は曇っていて星は少ない。
1時間ほどたった4時頃、夜明けまであと3時間かぁ・・・、などと思っていたところへ1台のミニバスが駐車場に入ってくる。すると椅子に座った男が、声をかけてきてあれだと言ってくる。あわてて線香の火を消し、荷物を持って車の方に行く。
値段を聞くと5000CFA(約800円)。地図で見た距離からするとそんなもんだろう。
助手席に座らされる。助手席は後ろの座席と違ってゆったりしているから楽だ。
車はすぐに走り出す。真っ暗な外灯もない道をひたすら走る。道は舗装されているからまったく快適。うつらうつらしながら到着を待つ。
夜が明けてから1時間ほどたった7時半頃、マリ側の国境近くに到着。てっきり国境まで行ってくれると思っていたのに、バスは道ばたの空き地のような駐車場に止まる。そこで雨が降り出す。
慌てて近くにあった軒下に行き、そこでリュックカバーなどをかけ、雨対策をする。
駐車場にはミニバスの客を狙ったタクシーが来ていて、ぼくにも声をかけてくる。国境まで行くというので、それに乗る。運賃1000CFA(約200円)。
雨は土砂降りの一歩手前くらい。けっこう強い。バスを降りたところから15分ほどでセネガルの国境に着く。タクシーの運転手が指さし、仕草でスタンプをあそこでもらうよう言う。
タクシーを降りて警察の建物に行く。特に質問もなく、けっこうすんなり終わる。
またタクシーに乗って10分ほど行くと、左手に注射している大型バスが見えた。タクシーはそこで止まる。これがマリのバマコに行くバスらしい。
バスが止まっている奥にはぼろぼろの蔵のような建物があり、そこにたくさんの旅行用バックがあった。またその建物の中にはマットレスをしいて寝ている人も。
その建物の表でバスのチケットの販売をしているのだが、屋根のトタンはあちこちに穴が空いていて、足下にもどんどん水たまりができている。
バマコまで行きたいというとチケットを切ってくれる。値段は12500CFA(約3000円)。けっこう高い。
ここまで来たはいいもののまだ入国手続きをしていない。雨があがったところでちょっとあたりをふらふらしてみる。バマコへ続く一本道を挟むようにいくつかの商店が並んでおり、その裏側には住宅が建ち並んでいた。
商店で水を買ったついでに警察がどこにあるのか聞く。1kmくらい離れていると言われたが、とりあえず教えてもらった方向に行ってみる。が、それらしき建物は見えない。他に国境を渡って来た人たちもいるだろうから、バスが警察前に止まるかと思い、バスの所に戻り、チケット売りのおじさんに片言フランス語で警察に行くか聞くと行くという。
タクシーでここに着いてから2時間たった10時頃、バスのエンジンがかかる。リュックを持って荷台のところに行くが、ここからが長かった。
バス会社のスタッフが客の荷物に白いテープを貼って、それぞれのチケットの番号などをそのテープにマジックで書いていくのだが、それをこれから乗るというときになって始めたものだから、なかなか終わらない。この2時間の間に、というか、チケットを売った直後にその作業をしていれば、すぐに発車できたろうに、なんでこう要領が悪いのかとやや遠目に見ながら思う。
結局、乗客全員の荷物をさばくのに1時間かかり、発車したのは11時過ぎ。その間、ずっとエンジンはつけっぱなし。
走り出して15分ほどでバスは停車。荷物のチェックをする警察の前で止まる。そこからちょっとだけ移動し、今度が入国手続き。なぜかみな1000CFAを審査官に払っているので、賄賂の請求でもあるのかと思っていたら、そういうことはなく、質問も仕事と行き先を聞かれただけで無事入国できた。
マリに入ってもセネガル同様緑が多い。土で塗られた家家がなかなかきれい。
それにしても大型バスは楽だ。ただ、ぼくの座席は背もたれが壊れていて、勝手に後ろに倒れる。後ろのおばちゃんはなかなかの体格で、かつ前の座席との間は狭いから、背もたれに背を預けていると後ろから突き上げるようなことをする。そんなことされても壊れているからしょうがない。それに長距離バスで背もたれを使わずにいるなんて至難の業だし、金払った意味がない。目が冴えているときはおばさんに気を使って背もたれは使わずにいたが、眠くなるとそんなことお構いなく寝る。
マリ側に入ると頻繁にバスは止まる。警察のチェックが3度ほどあり。そのチェックポイントには露店が出ているから、そこで食い物などは買える。炭火で羊か何かの肉を豪快に焼いている屋台もあり、うまそうだったが、まだ先は長いので我慢。
14時くらいにも道ばたにバスが止まる。乗客の7割くらいが降り、なかにはmyゴザor my絨毯を持って出ていった人が居たので何かと見ていたら、みな適当に道の脇の草むらに場所をとり、お祈りを始めた。今回の停車はそのためだけの停車だったよう。
17時頃、また警察チェックで停車。そこでこらえきれず、肉を食う。牛なのか、羊なのか、ヤギなのかわからなかったが、500CFA(約120円)ぶん頼むと300g程度の肉を30kgの米袋の茶色い紙のような紙に包んでくれる。塩気もちょうどよくうまい。2軒の店でそれぞれ500CFAずつ買ってしまった。
夜はぼつぼつ寝る。セネガルの車が狭苦しかったから、今日はけっこうゆっくり眠れる。
Fin
[Tambacounda:Senegal→Mali]
・真夜中の乗り換え
・雨のマリ国境
・久々の大型バス
・お祈りタイム
※レート
1ユーロ=655CFA
尻の痛みでときどき目覚めつつも、けっこう眠り込んでいた。
車が止まり、エンジンが切られる。みなが車から降りていく。どうも終点のTambacoundaに着いたらしい。ぼくもやや寝ぼけた状態でよろよろしながら車を降りる。
外は真っ暗。夜明けはまだずいぶん先っぽい。時計を見ると3時。はぁ~、とため息が出る。ダカールで4時間近く待たされた結果がこれ。これじゃあ、宿に泊まるにも入り口が閉まっていて泊まれない。
なんでこうなるのかがよくわからない。3時に着くってあんた・・・。せめてダカールを昼の12時に出れば夜中の12時前に着くのに。なぜ時間を指定して、その時間までに客を集めないのか? みんな時計を見ながら動く習慣がないからか? 車の主はいい気分だろう。運転は下っ端に任せているから、自分が眠気と闘いながら運転する必要はないし、車には乗れるだけの客を乗せて走るからそのぶん実入りもいい。出発予定時刻という時間に拘束されず、車に乗れるだけの客が集まるまで待つ/待たせるのだから、毎日の収入は最大限が約束されている。
もっとも毎日、自分の車が走れるかどうかというのはわからない。想像でしかないが、見ている限りではどの長距離バスもカルテルのように、すでに既得権益を持っている人々がグループを作り、それぞれ利益を得られるようにあれこれ調整しているよう。だから、もしかしたら、車を出せるのは2日に1回とか、3日に1回とかかもしれない。誰かここのバス業界の仕組みを調べた人はいないのか?
こんな時間に着きやがって、まったく、バカじゃねぇか、と思いながら、リュックを受け取る。
バスが着いた場所には外灯があって、客待ちしているタクシーが数台あった。木製のベンチにはヨーロピアンらしき若い男性が2人、明かりの下で日記を書いたりしている。おそらく彼らも夜中に着いたために、明け方までここで待つのだろう。
ぼくも朝までここで待つしかないかな、と思っていたら、若い男がマリ?と聞いてきた。ウィ(やっとSiのクセが抜けた)と答えると、マリに行くバス乗り場はここではなく、別の離れた場所にあるからタクシーに乗れと言う。
なんで同じ場所にまとめないかな、と思いつつ、どうするか思案する。当初の予定ではここに泊まって明日か明後日にマリに向かおうかと思っていたのだが、朝までここで待って、明日改めてバスを探すとなるとまた3時間待ち4時間待ちが待っている。そう思うと、当初の予定は面倒に思えてきて、ここは一気に移動した方がストレスが少なくていいかもしれないと思う。
この男が言うようにバス乗り場が別にあるのかということはわからなかったが、ぼくの他におばさんが乗っていたので、この人も一緒なら嘘ではないかもしれないと、あまり深く詮索せずにタクシーに乗ることにする。料金を聞くと500と言った後にバガージュが500CFAと言ってくる。トータルいくらだと言ったら1000CFAと言う。どうせ荷物代はぼったくり分だろうと思い、すでにタクシーに乗っていたおばさんに運賃を訪ねると500CFAと言った。車の荷台にはおばさんの荷物もあった。
ほんとにモロッコに入って以降、タクシーの運転手は外国人と見ればカネづるとしか思っていない。もちろん中南米でもどこでもタクシーの運転手はそういう奴が多いが、それでもここまでの割合でぼったくってくる国は少ないように思う。エクアドルやペルーでもタクシーに乗ったが、感覚としてはだいたい半々。つまり5割はぼったくってくるが、5割はローカルプライスだったように思う。まぁ、これも今から思えばという感覚なので当てにならないが、少なくともここでは今のところほぼ100%の確率でぼってくる。
モロッコ以降、たちが悪いのが長距離バスがぼってくることだ。これは中南米ではボリビアをのぞき、なかった。どこもほとんど料金が決まっていて、みな同じ値段。まぁ、それはどこも会社という組織で動かしているから、そのようになっているのだろうから、そもそも会社になっていないこちらとは比べられないのかもしれない。
そんなことを眠い頭で思いつつ、タクシーに乗る。10分もせずにもう1つのバス乗り場に到着。ここもターミナルというかただの駐車場という感じで、確かにダカールから乗ってきたものと同じようなミニバス(ぼろぼろの大型ワゴン)がたくさん駐車している。ただ人気はなし。
タクシーはその駐車場で停車。停車したところには男が2人おり、照明があるものの薄暗い中、おしゃべりしていた。
タクシーを降りるとその男たちが声をかけてきてこっちに来いという。男たちは椅子に座っていたものの、その隣には30人くらいは座れる広いゴザを敷いていた。そこに座るよう促され、どこに行くのかと聞いてくる。国境の方だと言うと、ここで待つように言う。
ゴザに横になる。蚊が心配だったのでリュックの中から蚊取り線香を取り出し火をつける。思ったほど蚊はいない。寝ころんでいると男が話しかけてきて、14000CFA(約3000円)で今すぐ車に乗せて国境まで連れていくがどうだと聞いてくる。高いので却下。
寝たら蚊に刺されそうなので、目は開けたまま仰向けになって待つ。空は曇っていて星は少ない。
1時間ほどたった4時頃、夜明けまであと3時間かぁ・・・、などと思っていたところへ1台のミニバスが駐車場に入ってくる。すると椅子に座った男が、声をかけてきてあれだと言ってくる。あわてて線香の火を消し、荷物を持って車の方に行く。
値段を聞くと5000CFA(約800円)。地図で見た距離からするとそんなもんだろう。
助手席に座らされる。助手席は後ろの座席と違ってゆったりしているから楽だ。
車はすぐに走り出す。真っ暗な外灯もない道をひたすら走る。道は舗装されているからまったく快適。うつらうつらしながら到着を待つ。
夜が明けてから1時間ほどたった7時半頃、マリ側の国境近くに到着。てっきり国境まで行ってくれると思っていたのに、バスは道ばたの空き地のような駐車場に止まる。そこで雨が降り出す。
慌てて近くにあった軒下に行き、そこでリュックカバーなどをかけ、雨対策をする。
駐車場にはミニバスの客を狙ったタクシーが来ていて、ぼくにも声をかけてくる。国境まで行くというので、それに乗る。運賃1000CFA(約200円)。
雨は土砂降りの一歩手前くらい。けっこう強い。バスを降りたところから15分ほどでセネガルの国境に着く。タクシーの運転手が指さし、仕草でスタンプをあそこでもらうよう言う。
タクシーを降りて警察の建物に行く。特に質問もなく、けっこうすんなり終わる。
またタクシーに乗って10分ほど行くと、左手に注射している大型バスが見えた。タクシーはそこで止まる。これがマリのバマコに行くバスらしい。
バスが止まっている奥にはぼろぼろの蔵のような建物があり、そこにたくさんの旅行用バックがあった。またその建物の中にはマットレスをしいて寝ている人も。
その建物の表でバスのチケットの販売をしているのだが、屋根のトタンはあちこちに穴が空いていて、足下にもどんどん水たまりができている。
バマコまで行きたいというとチケットを切ってくれる。値段は12500CFA(約3000円)。けっこう高い。
ここまで来たはいいもののまだ入国手続きをしていない。雨があがったところでちょっとあたりをふらふらしてみる。バマコへ続く一本道を挟むようにいくつかの商店が並んでおり、その裏側には住宅が建ち並んでいた。
商店で水を買ったついでに警察がどこにあるのか聞く。1kmくらい離れていると言われたが、とりあえず教えてもらった方向に行ってみる。が、それらしき建物は見えない。他に国境を渡って来た人たちもいるだろうから、バスが警察前に止まるかと思い、バスの所に戻り、チケット売りのおじさんに片言フランス語で警察に行くか聞くと行くという。
タクシーでここに着いてから2時間たった10時頃、バスのエンジンがかかる。リュックを持って荷台のところに行くが、ここからが長かった。
バス会社のスタッフが客の荷物に白いテープを貼って、それぞれのチケットの番号などをそのテープにマジックで書いていくのだが、それをこれから乗るというときになって始めたものだから、なかなか終わらない。この2時間の間に、というか、チケットを売った直後にその作業をしていれば、すぐに発車できたろうに、なんでこう要領が悪いのかとやや遠目に見ながら思う。
結局、乗客全員の荷物をさばくのに1時間かかり、発車したのは11時過ぎ。その間、ずっとエンジンはつけっぱなし。
走り出して15分ほどでバスは停車。荷物のチェックをする警察の前で止まる。そこからちょっとだけ移動し、今度が入国手続き。なぜかみな1000CFAを審査官に払っているので、賄賂の請求でもあるのかと思っていたら、そういうことはなく、質問も仕事と行き先を聞かれただけで無事入国できた。
マリに入ってもセネガル同様緑が多い。土で塗られた家家がなかなかきれい。
それにしても大型バスは楽だ。ただ、ぼくの座席は背もたれが壊れていて、勝手に後ろに倒れる。後ろのおばちゃんはなかなかの体格で、かつ前の座席との間は狭いから、背もたれに背を預けていると後ろから突き上げるようなことをする。そんなことされても壊れているからしょうがない。それに長距離バスで背もたれを使わずにいるなんて至難の業だし、金払った意味がない。目が冴えているときはおばさんに気を使って背もたれは使わずにいたが、眠くなるとそんなことお構いなく寝る。
マリ側に入ると頻繁にバスは止まる。警察のチェックが3度ほどあり。そのチェックポイントには露店が出ているから、そこで食い物などは買える。炭火で羊か何かの肉を豪快に焼いている屋台もあり、うまそうだったが、まだ先は長いので我慢。
14時くらいにも道ばたにバスが止まる。乗客の7割くらいが降り、なかにはmyゴザor my絨毯を持って出ていった人が居たので何かと見ていたら、みな適当に道の脇の草むらに場所をとり、お祈りを始めた。今回の停車はそのためだけの停車だったよう。
17時頃、また警察チェックで停車。そこでこらえきれず、肉を食う。牛なのか、羊なのか、ヤギなのかわからなかったが、500CFA(約120円)ぶん頼むと300g程度の肉を30kgの米袋の茶色い紙のような紙に包んでくれる。塩気もちょうどよくうまい。2軒の店でそれぞれ500CFAずつ買ってしまった。
夜はぼつぼつ寝る。セネガルの車が狭苦しかったから、今日はけっこうゆっくり眠れる。
Fin
2008年9月22日月曜日
[diary]ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ
ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ
08/07/18(金)
[Dahkla:Morocco→Nouadhibou:Mauritania]
・モーリタニア行きトラックゲット
・ハエ
・サハラ砂漠の端、ラクダ
・長い国境
・使えないタクシー
7時過ぎに起床。外はだいぶ明るい。昨晩洗った洗濯物は乾いていなかった。夜はけっこう涼しかったし、海に近いから湿気がけっこうあるのだろう。窓からホテルの前の路上を見ると、道ばたに止まっている車の窓が水滴で曇っていて、路面もうっすらと塗れている。
荷支度をして、1階のフロントに降りる。昨日の夜の若い男の子が受付にはいた。
彼は、ぼくを見るとタクシーを呼ぶからしばらく待ってとソファを指さしたりして教えてくれる。タクシーなんて表で待てばいくらでも捕まえられるのにと思いつつ、彼に言われたとおり待つことにする。
フロント横の待合いスペースにはロイヤルモロッコ航空のハンコが押された5月の『TIME』や『NEWSWEEK』(いずれも英語版)がアラビア語やフランス語の雑誌とともにガラステーブルの上に置かれていた。テレビもあり、映画をやっていたのだが、画面に目をやったら寺尾聰が出ていた。唐沢俊明(だったっけ?)が赤いマントを着ていて、ゲームに出てくるキャラに出てくるようなメイクをしていた。人間界とは違う世界を描いた映画のようだが、みなアラビア語を話しているからまったく内容がわからない。
そんなことしているうちに30分たつ。フロントの彼が表に出ていったので、ぼくも一緒に出ていくと、ホテルの前で待てと言う。そこへホテル隣のカフェから年輩の男性が出てきて、彼になにやら注意みたいなことをしている。見ていると、10mほど先で交差しているより交通量の多い通りでタクシーなんかすぐに捕まるというようなことを言っているようだった。
彼はそちらの通りにぼくを呼び寄せ、タクシーを呼び止め行き先を運転手に説明してくれる。ぼくには事前に20ディラム(約300円)で行けるからとも説明してくれていた。なかなか親切で丁寧な子だ。
無事タクシーに乗り込む。ここでは相乗りが普通のようで、後部座席にはすでに2人男性が乗っていた。ぼくは助手席に座る。9時前のまちは人通りは少ない。
後ろの客をそれぞれの目的地で降ろした後に、町外れのPoste de Policeに向かう。
ホテルを出てから15分ほどでPoste de Policeに到着。昨日、ここを通るときにバスで一緒だったRabab(人名)が、ここに止まっていた車を指さし”モーリタニア”と言って教えてくれたのだが、そのときはぼくが座っている席(右端)とは反対側で、そちら側の窓のカーテンがけっこう閉まっていたためちらっとしか見えなかった。今日、改めてきてみると昨日ちらっと見えたときとあまり景色が変わっていないように思える。
Poste de Policeは北から来る一本道でダクラに入る人たちをチェックするところ。いわば検問所だ。昨日、ここをバスで通るときそのバスもここで止められ、乗客の身分証明書のチェックがあり、ぼくは一人降ろされ、道路脇にある警察の四角い白い建てものに連れて行かれ、そこで職業などを聞かれた。
検問所を境にしてダクラ側の道ばたが、モーリタニアに行く車が客待ちしている場所になっており、ここでモーリタニアに行く車を待たねばならない。
ぼくがそこに着いたとき、その道ばたにあったのは乗用車が4台と荷詰めをしている大型のバン(ワゴン車)が2台。それからバンの荷詰めをしている男の人(推定年齢40~50代)が4~5人。それから乗用車にもたれている白いムスリムの服を着たおじさんが1人。
ぼくがタクシーから降りると、バンの荷詰めをしていた一人の人が手招きをした。そちらに行くとフランス語でなにやら聞かれる。よくわからないので、モーリタニアに行きたいと言ったら、乗用車が止まっている方を指さし、あっちで待てというようなことを言う。
なので、白い服を着たおじさんのところへ行く。そのおじさんにモーリタニアのヌアディブに行きたいと言うと、手でここで待つよう合図する。おじさんはフランス語で何やら話しかけてくるが、ぼくはフランス語がわからない。おじさんが運転手だと思って話しかけたのだが、おじさんがもたれている乗用車のフロントのとこには大きなボストンバッグがあった。どうもおじさんのものらしい。
つまり、おじさんもここで運転手を待っているようだった。おじさんがもたれていた乗用車は古いメルセデス。これで行くのかなと思い、車の周りをぐるっと1周して見てみると、左後ろのタイヤがパンクしていた。
待つしかないのでしばらくあたりぶらぶらして待つ。
9時前にここに着いてから30分ほどたった頃、タクシーに乗ってもう一人40代くらいの男の人がやってきた。その人も旅行用のバッグを持っている。パンクした乗用車のまわりで3人で車を待つ。気温は30度近くまであがっているようだが、海から吹く風が強いから、とても涼しく待っていてもたいして疲れることはない。
1時間ほどたった10時頃、バンで荷詰めをしていた人がこちらに向けて大きく手を上下させて、こっちに来るよう合図してくる。
そちらに行ってみると、サッカーのロベルトバッジオの肌をやや黒くしたようなおじさんが英語でヌアディブに行くことを確認してくる。そして、400ディラム(約4000円)で乗せてくれると言う。300ディラムくらいで行けると聞いていたので、300ディラムじゃないのかと聞いたが400は譲らず。他にモーリタニアに行く車もないし、一応予算の範囲内なのでこれに乗ることにする。
リュックを乗用車のところに置いていたので、それを取りに戻り、そこで待っていた他の二人に仕草でこの件を伝える。リュックを背負って二人とともにバンのところまで行く。二人はアラビア語でさっきぼくに話を持ってきた人となにやら交渉している。
バンの近くで待っていたら続々とタクシーに乗って人がやってきた。どうもみんな何時頃に出るか事前に知っていたよう。あるいは適当に来たのか?
バンのまわりに荷物を持った人が10人ほど。バンの荷詰めは最終段階。鶏や段ボールなどの荷物を屋根にこれでもかと乗せ、網をかけ、ロープで固定している。
バンは運転席と助手席に座席があるだけで後部は何もない荷台と化している。しかし、床には絨毯や毛布が敷かれているので、どうもぼくらはそこに座るらしかった。
屋根で一人のおじさんがロープかけをしている一方でバッジオ似のおじさんらはバンの車内でガスバーナーに火をつけ、お湯を沸かしお茶のみを始めた。
ロープかけも終え、お茶飲みも終わった頃に、軽トラが一台到着。荷台に積んできたガソリンが入っているらしいタンクやすいか、ぶどうなどを詰めた木箱をバンの車内後部に積む。そして、最後に客が持ってきた荷物を同じ車内後部に乗せて、やっと人間が乗り込む。
乗った人間は合計12人。運転手1人に助手席に男女1人ずつの2人が座り、後部の座席のない車内に男7人、女2人が車座になる。そこまで窮屈ではない。
こうして11時頃に車は発車。乗ったはいいものの床に座っているから視線が窓よりも低いため外の景色が見えない。しょうがないのでしばらく昼寝。
昨日のバスと同じように何度か検問で車は止まるが、昨日ほどのチェックはなかった。もっともぼくは運転席の後ろの窓のすぐ下にいたので、その窓から中を覗く警官には顔が見えなかったのも、ひっかからなかった一つの要因だったかもしれない。
車内ではアラビア語が飛び交っていた。よくしゃべる。2時間もすると尻が痛くなり、あぐらをかいていた足も若干しびれてくる。尻が痛くなるのは皆同じようで、ゴソゴソとそれぞれが動いているうちに、より広い空間ができ、足を組み替えたりするのも楽になる。
ぼくはときおり中座になり、窓から外を眺める。砂漠というより土漠という感じで、しっかりした地面の上に石がごろごろ、草がポツポツという景色が延々と続く。ダクラがある半島を出て、南に下るようになるとたまに右手に大西洋が見える。
道路は完全に舗装された片道1車線の道路で、快適そのもの。ボリビアのサンタクルスからブラジルとの国境までの道とは比べものにならないくらい。
ときおり乗用車やランドクルーザータイプの車に追い抜かれ、たまにトラックなどの対向車とすれ違う。
また、野生なのか、ラクダの群も3度ほど見る。ここのラクダは一瘤(ひとこぶ)ラクダでポツポツと生えている草を食べていた。それから1度だけ沿道で羊を放牧しているのを見る。羊飼いらしいイスラム風の服を着て、ターバンを頭に巻いたおじさんが一人沿道を歩いていた。あたりには集落らしきものは見えなかったので、どこから連れてきたのか不思議に思う。
さらに西サハラの難民なのか、海沿いを走っていたときにテントやコンクリートブロックで簡単に作った家を見る。人は見なかったので、住んでいるかどうかはわからなかったが。
車内の気温は25~30℃程度。窓から風が入るから涼しく汗をかくこともない。空は晴れているのだが、砂漠の奥の方は白くかすんでいるため、地平線はあまりはっきり見えない。
ぼくは座り方を変え、窓の方を向いて正座して外を眺めて過ごす。
道ばたには地名とそこまでの距離を書いた小さなポールがときどき現れる。
15時半、目的地のヌアディブまで160kmと書かれたポールを見る。この調子であればあと3時間くらいで着くな、などとポールを見て思う。
ヌアディブまであと140km程度になった15時50分。沿道に突然、建物が現れる。
右手にガソリンスタンドが見え、その向こうにはたくさんの一軒家が見えた。バンはガソリンスタンドに入り、停車。給油をするとともに休憩。運転手はぼくにフランス語で”20分”と言う。ちなみにこの運転手はタレントの大泉洋に似ている。
ガソリンスタンドにはレストランと売店も併設されていて、レストランには20~30人ほど客がいた。こんなことなら昨日、水やビスケットなどを買い込む必要はなかったなと思いつつ、それらを詰めたバックを持って車を降りる。
車を降りて改めてバンを見てみると、車体が左に傾いていた。走っているときに左右に揺れることがあったのでおかしいなと思っていたが、どうもこれが一因のよう。これから先には未舗装の道もあるというのに、これで大丈夫なのか。
レストランの建物の外側にある椅子に腰掛け、昨日買い込んだパンを食べる。そして水を飲む。
車に乗ってからはトイレのことを考え、ずっと飲まず食わずだったが、もう目的地が近いのでその禁を解く。
16時15分頃、車は再出発。建物群は3分ほどで見えなくなる。道ばたのポールにはヌアディブまで60kmと出る。
これなら遅くても19時くらいには着く。その時間であれば明るいから宿探しも苦労しない。なかなか調子いいぞ、などと予想外の順調さを喜ぶ。
ガソリンスタンドを出て、1時間ちょっと走ったところでバンは停車。やっとモロッコ側の国境に着いた。ここまで約400kmの間はずっと舗装道路だった。
国境には10台ほど車が止まっていて、ヨーロピアンらしき人等も見える。バンを降りると入国カードを配りに来て、それを2枚渡される。同じバンに乗っていた人が、これを2枚書くようフランス語で教えてくれる。最初は1枚だけ書けばいいのだろうと1枚書いて待っていたら、その男の人が終わったかと聞いてきたので、その1枚を見せるともう1枚も記入するように言う。その際、やはり同じバンに乗っていた別の若い男の人を連れてきて、その人にフランス語で話しかけ、それを英語に通訳して伝えるよう頼む。
入国カードは、フランス語と英語が併記されてあったので、基本的なことはわかったのだが、事前の情報でこのカードに乗ってきた車のナンバーを書かないといけないとあった。それを書く欄がわからなかったのだが、親切な男の人が英語を話す彼のカードとぼくのを付け合わせ、車のナンバーを書く場所を教えてくれた。ありがたい。
そうして記入したカード2枚とパスポートを提出する。その親切な人に教えられた場所に行くと、入り口にぴちぴちの白いTシャツにジーパン、サンダル、それにサングラスという出で立ちの男の人が立っていて、中に入れない。なんだこいつは、邪魔な奴だと思っていたら、彼が係官だった。
彼はぼくのパスポートを受け取り、しばらく待つように言う。
同じバンに乗ってきた人たちは、警察の建物に背をもたれ、地面に座り込んでのんびりしている。出国手続きだからさっさと終わるのだろうと思っていたら、これが長かった。
※つづく※
08/07/18(金)
[Dahkla:Morocco→Nouadhibou:Mauritania]
・モーリタニア行きトラックゲット
・ハエ
・サハラ砂漠の端、ラクダ
・長い国境
・使えないタクシー
7時過ぎに起床。外はだいぶ明るい。昨晩洗った洗濯物は乾いていなかった。夜はけっこう涼しかったし、海に近いから湿気がけっこうあるのだろう。窓からホテルの前の路上を見ると、道ばたに止まっている車の窓が水滴で曇っていて、路面もうっすらと塗れている。
荷支度をして、1階のフロントに降りる。昨日の夜の若い男の子が受付にはいた。
彼は、ぼくを見るとタクシーを呼ぶからしばらく待ってとソファを指さしたりして教えてくれる。タクシーなんて表で待てばいくらでも捕まえられるのにと思いつつ、彼に言われたとおり待つことにする。
フロント横の待合いスペースにはロイヤルモロッコ航空のハンコが押された5月の『TIME』や『NEWSWEEK』(いずれも英語版)がアラビア語やフランス語の雑誌とともにガラステーブルの上に置かれていた。テレビもあり、映画をやっていたのだが、画面に目をやったら寺尾聰が出ていた。唐沢俊明(だったっけ?)が赤いマントを着ていて、ゲームに出てくるキャラに出てくるようなメイクをしていた。人間界とは違う世界を描いた映画のようだが、みなアラビア語を話しているからまったく内容がわからない。
そんなことしているうちに30分たつ。フロントの彼が表に出ていったので、ぼくも一緒に出ていくと、ホテルの前で待てと言う。そこへホテル隣のカフェから年輩の男性が出てきて、彼になにやら注意みたいなことをしている。見ていると、10mほど先で交差しているより交通量の多い通りでタクシーなんかすぐに捕まるというようなことを言っているようだった。
彼はそちらの通りにぼくを呼び寄せ、タクシーを呼び止め行き先を運転手に説明してくれる。ぼくには事前に20ディラム(約300円)で行けるからとも説明してくれていた。なかなか親切で丁寧な子だ。
無事タクシーに乗り込む。ここでは相乗りが普通のようで、後部座席にはすでに2人男性が乗っていた。ぼくは助手席に座る。9時前のまちは人通りは少ない。
後ろの客をそれぞれの目的地で降ろした後に、町外れのPoste de Policeに向かう。
ホテルを出てから15分ほどでPoste de Policeに到着。昨日、ここを通るときにバスで一緒だったRabab(人名)が、ここに止まっていた車を指さし”モーリタニア”と言って教えてくれたのだが、そのときはぼくが座っている席(右端)とは反対側で、そちら側の窓のカーテンがけっこう閉まっていたためちらっとしか見えなかった。今日、改めてきてみると昨日ちらっと見えたときとあまり景色が変わっていないように思える。
Poste de Policeは北から来る一本道でダクラに入る人たちをチェックするところ。いわば検問所だ。昨日、ここをバスで通るときそのバスもここで止められ、乗客の身分証明書のチェックがあり、ぼくは一人降ろされ、道路脇にある警察の四角い白い建てものに連れて行かれ、そこで職業などを聞かれた。
検問所を境にしてダクラ側の道ばたが、モーリタニアに行く車が客待ちしている場所になっており、ここでモーリタニアに行く車を待たねばならない。
ぼくがそこに着いたとき、その道ばたにあったのは乗用車が4台と荷詰めをしている大型のバン(ワゴン車)が2台。それからバンの荷詰めをしている男の人(推定年齢40~50代)が4~5人。それから乗用車にもたれている白いムスリムの服を着たおじさんが1人。
ぼくがタクシーから降りると、バンの荷詰めをしていた一人の人が手招きをした。そちらに行くとフランス語でなにやら聞かれる。よくわからないので、モーリタニアに行きたいと言ったら、乗用車が止まっている方を指さし、あっちで待てというようなことを言う。
なので、白い服を着たおじさんのところへ行く。そのおじさんにモーリタニアのヌアディブに行きたいと言うと、手でここで待つよう合図する。おじさんはフランス語で何やら話しかけてくるが、ぼくはフランス語がわからない。おじさんが運転手だと思って話しかけたのだが、おじさんがもたれている乗用車のフロントのとこには大きなボストンバッグがあった。どうもおじさんのものらしい。
つまり、おじさんもここで運転手を待っているようだった。おじさんがもたれていた乗用車は古いメルセデス。これで行くのかなと思い、車の周りをぐるっと1周して見てみると、左後ろのタイヤがパンクしていた。
待つしかないのでしばらくあたりぶらぶらして待つ。
9時前にここに着いてから30分ほどたった頃、タクシーに乗ってもう一人40代くらいの男の人がやってきた。その人も旅行用のバッグを持っている。パンクした乗用車のまわりで3人で車を待つ。気温は30度近くまであがっているようだが、海から吹く風が強いから、とても涼しく待っていてもたいして疲れることはない。
1時間ほどたった10時頃、バンで荷詰めをしていた人がこちらに向けて大きく手を上下させて、こっちに来るよう合図してくる。
そちらに行ってみると、サッカーのロベルトバッジオの肌をやや黒くしたようなおじさんが英語でヌアディブに行くことを確認してくる。そして、400ディラム(約4000円)で乗せてくれると言う。300ディラムくらいで行けると聞いていたので、300ディラムじゃないのかと聞いたが400は譲らず。他にモーリタニアに行く車もないし、一応予算の範囲内なのでこれに乗ることにする。
リュックを乗用車のところに置いていたので、それを取りに戻り、そこで待っていた他の二人に仕草でこの件を伝える。リュックを背負って二人とともにバンのところまで行く。二人はアラビア語でさっきぼくに話を持ってきた人となにやら交渉している。
バンの近くで待っていたら続々とタクシーに乗って人がやってきた。どうもみんな何時頃に出るか事前に知っていたよう。あるいは適当に来たのか?
バンのまわりに荷物を持った人が10人ほど。バンの荷詰めは最終段階。鶏や段ボールなどの荷物を屋根にこれでもかと乗せ、網をかけ、ロープで固定している。
バンは運転席と助手席に座席があるだけで後部は何もない荷台と化している。しかし、床には絨毯や毛布が敷かれているので、どうもぼくらはそこに座るらしかった。
屋根で一人のおじさんがロープかけをしている一方でバッジオ似のおじさんらはバンの車内でガスバーナーに火をつけ、お湯を沸かしお茶のみを始めた。
ロープかけも終え、お茶飲みも終わった頃に、軽トラが一台到着。荷台に積んできたガソリンが入っているらしいタンクやすいか、ぶどうなどを詰めた木箱をバンの車内後部に積む。そして、最後に客が持ってきた荷物を同じ車内後部に乗せて、やっと人間が乗り込む。
乗った人間は合計12人。運転手1人に助手席に男女1人ずつの2人が座り、後部の座席のない車内に男7人、女2人が車座になる。そこまで窮屈ではない。
こうして11時頃に車は発車。乗ったはいいものの床に座っているから視線が窓よりも低いため外の景色が見えない。しょうがないのでしばらく昼寝。
昨日のバスと同じように何度か検問で車は止まるが、昨日ほどのチェックはなかった。もっともぼくは運転席の後ろの窓のすぐ下にいたので、その窓から中を覗く警官には顔が見えなかったのも、ひっかからなかった一つの要因だったかもしれない。
車内ではアラビア語が飛び交っていた。よくしゃべる。2時間もすると尻が痛くなり、あぐらをかいていた足も若干しびれてくる。尻が痛くなるのは皆同じようで、ゴソゴソとそれぞれが動いているうちに、より広い空間ができ、足を組み替えたりするのも楽になる。
ぼくはときおり中座になり、窓から外を眺める。砂漠というより土漠という感じで、しっかりした地面の上に石がごろごろ、草がポツポツという景色が延々と続く。ダクラがある半島を出て、南に下るようになるとたまに右手に大西洋が見える。
道路は完全に舗装された片道1車線の道路で、快適そのもの。ボリビアのサンタクルスからブラジルとの国境までの道とは比べものにならないくらい。
ときおり乗用車やランドクルーザータイプの車に追い抜かれ、たまにトラックなどの対向車とすれ違う。
また、野生なのか、ラクダの群も3度ほど見る。ここのラクダは一瘤(ひとこぶ)ラクダでポツポツと生えている草を食べていた。それから1度だけ沿道で羊を放牧しているのを見る。羊飼いらしいイスラム風の服を着て、ターバンを頭に巻いたおじさんが一人沿道を歩いていた。あたりには集落らしきものは見えなかったので、どこから連れてきたのか不思議に思う。
さらに西サハラの難民なのか、海沿いを走っていたときにテントやコンクリートブロックで簡単に作った家を見る。人は見なかったので、住んでいるかどうかはわからなかったが。
車内の気温は25~30℃程度。窓から風が入るから涼しく汗をかくこともない。空は晴れているのだが、砂漠の奥の方は白くかすんでいるため、地平線はあまりはっきり見えない。
ぼくは座り方を変え、窓の方を向いて正座して外を眺めて過ごす。
道ばたには地名とそこまでの距離を書いた小さなポールがときどき現れる。
15時半、目的地のヌアディブまで160kmと書かれたポールを見る。この調子であればあと3時間くらいで着くな、などとポールを見て思う。
ヌアディブまであと140km程度になった15時50分。沿道に突然、建物が現れる。
右手にガソリンスタンドが見え、その向こうにはたくさんの一軒家が見えた。バンはガソリンスタンドに入り、停車。給油をするとともに休憩。運転手はぼくにフランス語で”20分”と言う。ちなみにこの運転手はタレントの大泉洋に似ている。
ガソリンスタンドにはレストランと売店も併設されていて、レストランには20~30人ほど客がいた。こんなことなら昨日、水やビスケットなどを買い込む必要はなかったなと思いつつ、それらを詰めたバックを持って車を降りる。
車を降りて改めてバンを見てみると、車体が左に傾いていた。走っているときに左右に揺れることがあったのでおかしいなと思っていたが、どうもこれが一因のよう。これから先には未舗装の道もあるというのに、これで大丈夫なのか。
レストランの建物の外側にある椅子に腰掛け、昨日買い込んだパンを食べる。そして水を飲む。
車に乗ってからはトイレのことを考え、ずっと飲まず食わずだったが、もう目的地が近いのでその禁を解く。
16時15分頃、車は再出発。建物群は3分ほどで見えなくなる。道ばたのポールにはヌアディブまで60kmと出る。
これなら遅くても19時くらいには着く。その時間であれば明るいから宿探しも苦労しない。なかなか調子いいぞ、などと予想外の順調さを喜ぶ。
ガソリンスタンドを出て、1時間ちょっと走ったところでバンは停車。やっとモロッコ側の国境に着いた。ここまで約400kmの間はずっと舗装道路だった。
国境には10台ほど車が止まっていて、ヨーロピアンらしき人等も見える。バンを降りると入国カードを配りに来て、それを2枚渡される。同じバンに乗っていた人が、これを2枚書くようフランス語で教えてくれる。最初は1枚だけ書けばいいのだろうと1枚書いて待っていたら、その男の人が終わったかと聞いてきたので、その1枚を見せるともう1枚も記入するように言う。その際、やはり同じバンに乗っていた別の若い男の人を連れてきて、その人にフランス語で話しかけ、それを英語に通訳して伝えるよう頼む。
入国カードは、フランス語と英語が併記されてあったので、基本的なことはわかったのだが、事前の情報でこのカードに乗ってきた車のナンバーを書かないといけないとあった。それを書く欄がわからなかったのだが、親切な男の人が英語を話す彼のカードとぼくのを付け合わせ、車のナンバーを書く場所を教えてくれた。ありがたい。
そうして記入したカード2枚とパスポートを提出する。その親切な人に教えられた場所に行くと、入り口にぴちぴちの白いTシャツにジーパン、サンダル、それにサングラスという出で立ちの男の人が立っていて、中に入れない。なんだこいつは、邪魔な奴だと思っていたら、彼が係官だった。
彼はぼくのパスポートを受け取り、しばらく待つように言う。
同じバンに乗ってきた人たちは、警察の建物に背をもたれ、地面に座り込んでのんびりしている。出国手続きだからさっさと終わるのだろうと思っていたら、これが長かった。
※つづく※
2008年8月25日月曜日
[Sevila:Spain→Tanger:Morrco]セビージャからタンジールへ
08/07/09(水)
[Sevila:Spain→Tanger:Morrco]
・セビージャからバスでアルへシラスへ
・船でモロッコ入国
7時頃起床。すっかり外は明るくなっていて、空も昨日に引き続き真っ青だった。
昨日まではグラナダに行こうかと考えていたのだが、予算のことなどを思い、結局、今日モロッコに入ることにする。
8時に朝食だったので1階のレストランに行くと長蛇の列。学生らしい若い男女らが100人近くいた。どんな朝食か楽しみにしていたのに、カウンターに置かれているものを見てがっくり。メニューはコッペパンのようなパンとチョコレートのかかったドーナツ、2種類のコーフレークのみ。あと飲み物として紅茶のティーバッグと牛乳、オレンジジュースが用意されている。
救われたのはパンなどはいくら食っても良かったこと。なので1日ぶん食いだめしようと頑張る。みんなの食べ方を見ていると、コッペパンは半分に切って開いた形にして備え付けられているトースターで焼き、いい具合に焦げ目がついたら取り出し、オリーブオイルやトマトを細かく刻んでドレッシングのようにしたものをかけて食べている。特にトマトの細かく刻んだものがうまい。トマトの品種が違うのだろうが、甘いトマトではなく、塩気が含まれていてこれがパンに合う。
結局、ドーナツを2個とパンを5個、コーンフレークを2杯食す。パンをいくつかもらっていこうかと思ったが、コッペパン自体に塩気があり、あまり好みではなかったのでやめる。
膨れた腹をかかえて部屋に戻り、しばし休憩。それから、いったん宿をでて、近くのATMでアフリカで使うためのユーロをおろす。セネガルなどではATMが使えるらしいのだが、もしものことを考えると現金で持っておくのが安心。大量の現金を持ち歩くのは危険という話もあるが、結局は運次第。南米ではカードで降ろすよう脅迫されたという話もあったし、結局は持ち歩いていようとなかろうと、悪い奴に出くわしてしまえば同じことだ。
お金の準備ができたところでチェックアウト。昨日歩いたところでは、バスターミナルまでは歩けない距離でないことが判明したので歩いていくことに。
途中の交差点で信号待ちをしている車の窓拭きをして稼いでいる女性が3人ほど。中南米ではどこの首都でも見た光景だったが、まさかスペインでも見るとはと驚く。なお、ホームレスらしき人は見ることなし。
10時過ぎの時点で街角の温度計は30度を示していた。川沿いの道をひたすら歩く。途中、1度休憩して40分かけてバスターミナルに到着。そして颯爽とチケットを買いに行ったら、なんとここからジブラルタルに行くバスは出ていなかった。もう一つのサンセバスチャンという広場にあるターミナルから出ていると言う。位置を教えてもらうと、なんと宿から歩いて15分ほどのところだった。
この暑い中歩いたのにとショックで、また30分近く歩く気力はわかず、バスに乗る。幸いなことにここの前からもう一方のターミナル前まで行くバスがあった。
C4番のバスに乗る。てっきりサンセバスチャンというバス停があるものだと思っていたが、それらしきところには停まらず1周して元のターミナルに戻ってきてしまう。所要時間50分ほど。途中、バスターミナルを示す看板が見えたから、どうもそこで降りないといけなかったよう。
バスは循環バスだったので2周目だからと改めてお金を払う必要はなかったのが幸いだった。今度はきちんとターミナル近くで降りることができる。
ターミナルに着いたのは12時。けっこう頻繁にバスは出ているだろうと思っていたら、ジブラルタル(のLa Linea)に行くバスは次は14時だった。しょうがないので、それを買って待つことにする。運賃20.2ユーロ(約3200円)。マドリッドからのバスと比較すると高い。
ベンチであれこれと考えていたら、どうも予定通りにジブラルタルに行ったりしていたら今日中にモロッコに入れないような気がしてきた。バス会社のおじさんに何時にジブラルタルに着くか聞くと6時だという。ジブラルタルからタンジールに行く船は、確かネットで調べたときは17時台はあったが、18時台は見なかった。イギリス領土のジブラルタルを経由してモロッコに行くつもりだったのだが、もし船がないとなるとジブラルタルで一泊しなければならなくなる。そうするとなんぼ安くても20ユーロは吹っ飛ぶので、そうなると予算的にイタい。
そんなわけで行き先を変更し、Algeciras(アルヘシラス)というスペインの端っこに行くことにする。ガイドブックのロンリープラネットによれば、アルヘシラスからは毎時間船があるとあった。もう一つ手前のTarifa(タリファ)からだと35分ほどでアルヘシラスよりも安く行けるとあったが、こちらは日に5本ほどとあったので、安全をみてアルヘシラスに行くことにする。
アルヘシラス行きのバスは別の会社も出しており、そっちは13時発だった。なので、キャンセルしようかとチケットを買ったバス会社の窓口に行くとキャンセルできないと言われる。ケチくさい。クソッと思いつつ、しょうがないので待つことにする。
バスは14時ちょっと前に入ってきた。例のごとく自分でリュックを荷台に積み込む。
バスはすぐに発車。市街地を抜けると塩を作っているらしい塩田を発見。マドリッドからセビージャまでの道とは違って、けっこうくねくね曲がる。例のごとくしばし休眠。
起きるとバスは放牧地のようなところを走っていた。起伏がわりと大きい地帯で、車窓から見える牛はがっちりとしている。
そのうち風車が現れる。道路の両脇に広がるひまわり畑や放牧場の中に風車が100基ほど。どれも勢いよく回っている。牛は風車の傍らでのんびりしている。風車の音で牛がビビらないのかと思ったが、バスの窓は開けられないため風車の音を聞くことはできず。
この辺りは一大風力発電地帯になっているようで、新たに見えてきた山の際にも風車がドドドンと建てられていた。おそらくこの1帯だけで300基はあるんじゃないか? ひまわりもバイオ燃料対策なのか?
そのうち前方に海が見えてきて、白い砂浜の向こうでウィンドサーフィンをしている人たちがぎょうさん見える。そしてTarifaに到着。意外にもタリファは海岸リゾート地のようなところで、しゃれたホテルがいくつかあり、現在建設中のホテルも数軒あった。ここで何人か客が降りる。
バス停から船乗り場が近いならここで降りて船を確認し、もしなければまたアルヘシラスに行く方法も考えていたのだが、船乗り場は近くに見あたらなかったためおとなしくアルヘシラスまで行くことにする。
タリファから峰を越える。峰にかかると右手に地中海が見え、海上を進むフェリーや貨物船の姿が見えた。アフリカ大陸も見えるのかと期待していたのだが、空は晴れているものの、海上は白く煙っているためまったく見えず。
17時半前、ようやくアルヘシラスに到着。ターミナルを急いで出て、海の方に向かう。緩い下り坂を歩いていくと、船乗り場を示す看板がいくつもあり、それに従っていくと無事船のチケットを売っているオフィスに着いた。しかし、そのオフィスに入ろうとしてみると、なんと閉まっていた。そこへここの社員らしき男性が来て"It's close."と言う。えーっ!と思ったら続けて”You have to go behind the park."とあっちを指さしながら言う。そのオフィスを出てみると、オフィスの裏手(海側)には駐車場があり、その向こうには白い建物が建っていた。どうもそこでチケットは買えるらしい。
早足でそちらの建物に向かう。”チケット売場”とスペイン語と英語で書かれているマークを頼りに歩いていくと、無事、チケット売場を発見。5社ほど船会社の窓口があり、その中から次の便が早い時間にあり、少しでも安いところを選び、チケットを買う。
窓口の女の人にTangerまでのチケットを頼むとパスポートの提示を求められ、それを元に彼女はパソコンに情報を打ち込み、チケットを発券してくれる。料金は44ユーロ(約7000円)。高いなぁ、もう。談合していそうな値段だ。
出発は1時間後の18時半。1時間近く時間がある。船乗り場の場所を聞き、そちらへ向かう。途中の通路にはトラベルエージェントのオフィスがいくつかあった。両替商もあり。
船の搭乗口は通路でつながっている別の建物の2階だった。1階にネット屋があったので、そこでネットを少々。30分1ユーロ。
18時前に搭乗待合室に移動。チェックインするための窓口があり、そこでさっき買ったチケットを見せると、飛行機と同じように搭乗券をくれる。それを持って待合い所のベンチで待つ。
待合い所には50人以上の人が船を待っており、女性の中にはベールをかぶっている人も多い。聞こえてくる言葉はアラビア語。子ども連れの人も多く、きゃっきゃと遊んでいる子たちの声が聞こえてくる。
18時半になって入り口が開き、まずはスペインの出国手続き。モロッコのパスポートを持っている人は、簡単に通っていた。ぼくの番が来て、係官にパスポートを見せると、”Japan!"と言って、スペイン入国のスタンプを確認した後に出国スタンプを押してくれる。そして”アリガトウ”とぎこちない日本語を言いながら手渡してくれる。
そこから通路を歩いて船へ。船の入り口でチケットのチェックあり。船の中はなかなか豪華で、ソファで囲まれた机がいくつもあり、免税品店もある。船に入るとすぐの売店のカウンターのようなところに入国カードが置かれていて、みなそれを取っていたので、ぼくもそれを1枚とる。アラビア語と英語の併記。
ぼくはデッキにあがろうと船内をふらつく。そしたら、なんだか入国手続きをしているらしい部屋を発見。あわててそちらに行き、列に並ぶ。
2001年に富山からウラジオストクに行ったときも船に乗るときにそれらしき手続きをしたことを思い出す。が、そのときは旅行会社の人が一緒だったからそんなことがあったこともすっかり忘れていた。
30分ほど待って、ようやく入国審査終了。特に質問もなく、すんなり終わった。
そうしてからデッキに出て、出発を待つ。しかし、これがまったく出ない。
1時間過ぎても出ないので、デッキのベンチに横になって待つことにする。すると気が付いたときには、いつの間にか船は出ていて、港はだいぶ遠くなっていた。
岸から見たときと同じように海上はあまり見通しは良くない。風にあたっているとだんだん冷えて来たので、正面左のデッキから後部のデッキに移動する。
後部のデッキには30人くらいの客がいて、めいめいのんびりしていた。
右手には太陽。離岸から1時間。ガイドブックによれば1時間ほどでモロッコに着くはずなのだが、岸はまだ見えない。太陽はいよいよ傾いてきて、しばらくすると海の向こうに沈んでしまった。
予定では18時半に出れば20時頃にはモロッコに着き、そうすれば明るいうちに宿を探せると見ていたのだが、完全に予定が狂ってしまった。出発に2時間もかからなければ、ほぼ予定通りだったはずなのだが。
結局船が着いたのは暗くなってしまった後、22時過ぎだった。船がアルヘシラスを出たのは20時半頃だったから1時間半ほどかかってのモロッコ入りだった。
モロッコに着いたもののまた降りるのに30分ほど待たされる。入国手続きは終わっているから何か手続きがあったわけではないのに。
船を下りたところから無料バスが出ていて、船のターミナルまで連れていってくれた。ターミナルでは荷物のチェックがあるが、機械を通すだけで質問も何もなし。
歩いていたら15歳くらい子が”ニーハオ、コンニチハ”と声をかけてくる。そして、”ビューティフル”とここと下を指さしながら言う。一緒にいた姉らしい女の子はぼくに”トウキョウ ビューティフル?”と聞いてくるから、”ノー”と答えると”モロッコ、ビューティフル”と言う。きっとそうなのだろう。
ターミナルの建物から出ると、ぼくを見たタクシーのおやじが遠くから手招きしながら寄ってくるので、無視して逃げる。両替所がタクシー乗り場の裏にあったので、そこで両替。こんなに遅くまで開いているなんてすばらしい。1ユーロ=約11ディラン。
そこで20ユーロほど両替する。さて、次は宿。ロンプラを見る限りでは歩いてでも行ける距離なのだが、まちの雰囲気がどうなのかがわからない。危ないのか危なくないのか。いろいろ考えて、念のためタクシーで行くことにする。若いあんちゃんに声をかけ、宿の住所を見せると5ユーロと言う。日本にしたって相当高いが、いちいちごねるのも面倒だし、小さなユーロがなかったので、それでオッケーする。
走り出してすぐに別の客2人を乗せる。港の入り口を出たら、すぐそこが繁華街でレストランなどはまだ開いていた。人通りも多く、雰囲気もよし。宿がある通りまでは10分足らずで到着。運転手はここだと言うが、泊まる予定のユースホステルのマークがない。しかし、住所ではここだというので、タクシーを降り、その住所の宿に行き、受付のおじさんにスペイン語で聞くと英語でユースホステルは移転したと言う。場所を聞くが、ここにはないと言う。
あいや、と思い、ここの宿の値段を聞くとさっき両替した20ユーロぶん以上の金額だったため却下。別を探す。
歩いていたらすれ違いざまにおっさんが、ホテルを探しているのかと聞いてくる。他にも安いホテルがあるといって言い寄って来る人が数人。面倒くさい。頼んでもないのに、ぼくの前を歩き、こっちこっちと案内するあんちゃんが登場したので、適当に見つけた宿に入って値段を聞く。最初はディランで言われたためなんぼかなと考えていると15ユーロ程度と言うので、予定よりも10ユーロばかし多い出費だが、夜も遅いのでここにする(後に3倍ほどぼられているであろうことに気づく)。
2階の部屋を案内される。ベッドが一つと机、あと洗面所が着いた9畳ほどの部屋。ヨーロッパと比べては悪いが、値段の割にぼろい。中南米で言えば5ドルくらいのところだ。
宿代150ディランを払うと手持ちのディランがなくなったため両替しにまた港に行く。歩いて15分ほど。港までは繁華街だから23時をすぎたこの時間に歩いていても寂しくない。
両替所はまだ開いていたので50ユーロぶん両替する。戻ってきて、広場に出ていた屋台をのぞく。何を食べているのかと思ったら小さな巻き貝だった。小鉢に20個ほどの貝が盛られている。うまそうだったので1つ頼む。レモンに刺されていた安全ピンを右手に持ち、それで中のものをひっかきながら食べる。貝の身自体は小さくなんだかヌルッとしたなめくじのようなものだったが、スープが絶品だった!正直、驚く。香辛料がきいたぴりっとした透明に近いスープで、後味もさっぱりしていてキレが良い。なかにはスープだけを飲んでいく人もいる。値段は3ディラン(約50円)。これはお得だ!
それから雑貨店でバナナと1.5リットルの水を買う。合わせて10ディラン(約150円)。スペインに入って以降、水はすでに3日足らずで4リットル近く飲み干している。
レストランもまだ開いていて、料金を見てもだいたい400円くらいで食えるようだったが、明日の移動に備え、飯は食わず。揚げた魚などがあったから食べてみたかったけれども、また海辺のまちに行くので、それまでお預け。
明日の朝飯のつもりで買ったバナナだったが、腹が減ったので宿で食ってしまう。
そして2時頃就寝。
Fin
[Sevila:Spain→Tanger:Morrco]
・セビージャからバスでアルへシラスへ
・船でモロッコ入国
7時頃起床。すっかり外は明るくなっていて、空も昨日に引き続き真っ青だった。
昨日まではグラナダに行こうかと考えていたのだが、予算のことなどを思い、結局、今日モロッコに入ることにする。
8時に朝食だったので1階のレストランに行くと長蛇の列。学生らしい若い男女らが100人近くいた。どんな朝食か楽しみにしていたのに、カウンターに置かれているものを見てがっくり。メニューはコッペパンのようなパンとチョコレートのかかったドーナツ、2種類のコーフレークのみ。あと飲み物として紅茶のティーバッグと牛乳、オレンジジュースが用意されている。
救われたのはパンなどはいくら食っても良かったこと。なので1日ぶん食いだめしようと頑張る。みんなの食べ方を見ていると、コッペパンは半分に切って開いた形にして備え付けられているトースターで焼き、いい具合に焦げ目がついたら取り出し、オリーブオイルやトマトを細かく刻んでドレッシングのようにしたものをかけて食べている。特にトマトの細かく刻んだものがうまい。トマトの品種が違うのだろうが、甘いトマトではなく、塩気が含まれていてこれがパンに合う。
結局、ドーナツを2個とパンを5個、コーンフレークを2杯食す。パンをいくつかもらっていこうかと思ったが、コッペパン自体に塩気があり、あまり好みではなかったのでやめる。
膨れた腹をかかえて部屋に戻り、しばし休憩。それから、いったん宿をでて、近くのATMでアフリカで使うためのユーロをおろす。セネガルなどではATMが使えるらしいのだが、もしものことを考えると現金で持っておくのが安心。大量の現金を持ち歩くのは危険という話もあるが、結局は運次第。南米ではカードで降ろすよう脅迫されたという話もあったし、結局は持ち歩いていようとなかろうと、悪い奴に出くわしてしまえば同じことだ。
お金の準備ができたところでチェックアウト。昨日歩いたところでは、バスターミナルまでは歩けない距離でないことが判明したので歩いていくことに。
途中の交差点で信号待ちをしている車の窓拭きをして稼いでいる女性が3人ほど。中南米ではどこの首都でも見た光景だったが、まさかスペインでも見るとはと驚く。なお、ホームレスらしき人は見ることなし。
10時過ぎの時点で街角の温度計は30度を示していた。川沿いの道をひたすら歩く。途中、1度休憩して40分かけてバスターミナルに到着。そして颯爽とチケットを買いに行ったら、なんとここからジブラルタルに行くバスは出ていなかった。もう一つのサンセバスチャンという広場にあるターミナルから出ていると言う。位置を教えてもらうと、なんと宿から歩いて15分ほどのところだった。
この暑い中歩いたのにとショックで、また30分近く歩く気力はわかず、バスに乗る。幸いなことにここの前からもう一方のターミナル前まで行くバスがあった。
C4番のバスに乗る。てっきりサンセバスチャンというバス停があるものだと思っていたが、それらしきところには停まらず1周して元のターミナルに戻ってきてしまう。所要時間50分ほど。途中、バスターミナルを示す看板が見えたから、どうもそこで降りないといけなかったよう。
バスは循環バスだったので2周目だからと改めてお金を払う必要はなかったのが幸いだった。今度はきちんとターミナル近くで降りることができる。
ターミナルに着いたのは12時。けっこう頻繁にバスは出ているだろうと思っていたら、ジブラルタル(のLa Linea)に行くバスは次は14時だった。しょうがないので、それを買って待つことにする。運賃20.2ユーロ(約3200円)。マドリッドからのバスと比較すると高い。
ベンチであれこれと考えていたら、どうも予定通りにジブラルタルに行ったりしていたら今日中にモロッコに入れないような気がしてきた。バス会社のおじさんに何時にジブラルタルに着くか聞くと6時だという。ジブラルタルからタンジールに行く船は、確かネットで調べたときは17時台はあったが、18時台は見なかった。イギリス領土のジブラルタルを経由してモロッコに行くつもりだったのだが、もし船がないとなるとジブラルタルで一泊しなければならなくなる。そうするとなんぼ安くても20ユーロは吹っ飛ぶので、そうなると予算的にイタい。
そんなわけで行き先を変更し、Algeciras(アルヘシラス)というスペインの端っこに行くことにする。ガイドブックのロンリープラネットによれば、アルヘシラスからは毎時間船があるとあった。もう一つ手前のTarifa(タリファ)からだと35分ほどでアルヘシラスよりも安く行けるとあったが、こちらは日に5本ほどとあったので、安全をみてアルヘシラスに行くことにする。
アルヘシラス行きのバスは別の会社も出しており、そっちは13時発だった。なので、キャンセルしようかとチケットを買ったバス会社の窓口に行くとキャンセルできないと言われる。ケチくさい。クソッと思いつつ、しょうがないので待つことにする。
バスは14時ちょっと前に入ってきた。例のごとく自分でリュックを荷台に積み込む。
バスはすぐに発車。市街地を抜けると塩を作っているらしい塩田を発見。マドリッドからセビージャまでの道とは違って、けっこうくねくね曲がる。例のごとくしばし休眠。
起きるとバスは放牧地のようなところを走っていた。起伏がわりと大きい地帯で、車窓から見える牛はがっちりとしている。
そのうち風車が現れる。道路の両脇に広がるひまわり畑や放牧場の中に風車が100基ほど。どれも勢いよく回っている。牛は風車の傍らでのんびりしている。風車の音で牛がビビらないのかと思ったが、バスの窓は開けられないため風車の音を聞くことはできず。
この辺りは一大風力発電地帯になっているようで、新たに見えてきた山の際にも風車がドドドンと建てられていた。おそらくこの1帯だけで300基はあるんじゃないか? ひまわりもバイオ燃料対策なのか?
そのうち前方に海が見えてきて、白い砂浜の向こうでウィンドサーフィンをしている人たちがぎょうさん見える。そしてTarifaに到着。意外にもタリファは海岸リゾート地のようなところで、しゃれたホテルがいくつかあり、現在建設中のホテルも数軒あった。ここで何人か客が降りる。
バス停から船乗り場が近いならここで降りて船を確認し、もしなければまたアルヘシラスに行く方法も考えていたのだが、船乗り場は近くに見あたらなかったためおとなしくアルヘシラスまで行くことにする。
タリファから峰を越える。峰にかかると右手に地中海が見え、海上を進むフェリーや貨物船の姿が見えた。アフリカ大陸も見えるのかと期待していたのだが、空は晴れているものの、海上は白く煙っているためまったく見えず。
17時半前、ようやくアルヘシラスに到着。ターミナルを急いで出て、海の方に向かう。緩い下り坂を歩いていくと、船乗り場を示す看板がいくつもあり、それに従っていくと無事船のチケットを売っているオフィスに着いた。しかし、そのオフィスに入ろうとしてみると、なんと閉まっていた。そこへここの社員らしき男性が来て"It's close."と言う。えーっ!と思ったら続けて”You have to go behind the park."とあっちを指さしながら言う。そのオフィスを出てみると、オフィスの裏手(海側)には駐車場があり、その向こうには白い建物が建っていた。どうもそこでチケットは買えるらしい。
早足でそちらの建物に向かう。”チケット売場”とスペイン語と英語で書かれているマークを頼りに歩いていくと、無事、チケット売場を発見。5社ほど船会社の窓口があり、その中から次の便が早い時間にあり、少しでも安いところを選び、チケットを買う。
窓口の女の人にTangerまでのチケットを頼むとパスポートの提示を求められ、それを元に彼女はパソコンに情報を打ち込み、チケットを発券してくれる。料金は44ユーロ(約7000円)。高いなぁ、もう。談合していそうな値段だ。
出発は1時間後の18時半。1時間近く時間がある。船乗り場の場所を聞き、そちらへ向かう。途中の通路にはトラベルエージェントのオフィスがいくつかあった。両替商もあり。
船の搭乗口は通路でつながっている別の建物の2階だった。1階にネット屋があったので、そこでネットを少々。30分1ユーロ。
18時前に搭乗待合室に移動。チェックインするための窓口があり、そこでさっき買ったチケットを見せると、飛行機と同じように搭乗券をくれる。それを持って待合い所のベンチで待つ。
待合い所には50人以上の人が船を待っており、女性の中にはベールをかぶっている人も多い。聞こえてくる言葉はアラビア語。子ども連れの人も多く、きゃっきゃと遊んでいる子たちの声が聞こえてくる。
18時半になって入り口が開き、まずはスペインの出国手続き。モロッコのパスポートを持っている人は、簡単に通っていた。ぼくの番が来て、係官にパスポートを見せると、”Japan!"と言って、スペイン入国のスタンプを確認した後に出国スタンプを押してくれる。そして”アリガトウ”とぎこちない日本語を言いながら手渡してくれる。
そこから通路を歩いて船へ。船の入り口でチケットのチェックあり。船の中はなかなか豪華で、ソファで囲まれた机がいくつもあり、免税品店もある。船に入るとすぐの売店のカウンターのようなところに入国カードが置かれていて、みなそれを取っていたので、ぼくもそれを1枚とる。アラビア語と英語の併記。
ぼくはデッキにあがろうと船内をふらつく。そしたら、なんだか入国手続きをしているらしい部屋を発見。あわててそちらに行き、列に並ぶ。
2001年に富山からウラジオストクに行ったときも船に乗るときにそれらしき手続きをしたことを思い出す。が、そのときは旅行会社の人が一緒だったからそんなことがあったこともすっかり忘れていた。
30分ほど待って、ようやく入国審査終了。特に質問もなく、すんなり終わった。
そうしてからデッキに出て、出発を待つ。しかし、これがまったく出ない。
1時間過ぎても出ないので、デッキのベンチに横になって待つことにする。すると気が付いたときには、いつの間にか船は出ていて、港はだいぶ遠くなっていた。
岸から見たときと同じように海上はあまり見通しは良くない。風にあたっているとだんだん冷えて来たので、正面左のデッキから後部のデッキに移動する。
後部のデッキには30人くらいの客がいて、めいめいのんびりしていた。
右手には太陽。離岸から1時間。ガイドブックによれば1時間ほどでモロッコに着くはずなのだが、岸はまだ見えない。太陽はいよいよ傾いてきて、しばらくすると海の向こうに沈んでしまった。
予定では18時半に出れば20時頃にはモロッコに着き、そうすれば明るいうちに宿を探せると見ていたのだが、完全に予定が狂ってしまった。出発に2時間もかからなければ、ほぼ予定通りだったはずなのだが。
結局船が着いたのは暗くなってしまった後、22時過ぎだった。船がアルヘシラスを出たのは20時半頃だったから1時間半ほどかかってのモロッコ入りだった。
モロッコに着いたもののまた降りるのに30分ほど待たされる。入国手続きは終わっているから何か手続きがあったわけではないのに。
船を下りたところから無料バスが出ていて、船のターミナルまで連れていってくれた。ターミナルでは荷物のチェックがあるが、機械を通すだけで質問も何もなし。
歩いていたら15歳くらい子が”ニーハオ、コンニチハ”と声をかけてくる。そして、”ビューティフル”とここと下を指さしながら言う。一緒にいた姉らしい女の子はぼくに”トウキョウ ビューティフル?”と聞いてくるから、”ノー”と答えると”モロッコ、ビューティフル”と言う。きっとそうなのだろう。
ターミナルの建物から出ると、ぼくを見たタクシーのおやじが遠くから手招きしながら寄ってくるので、無視して逃げる。両替所がタクシー乗り場の裏にあったので、そこで両替。こんなに遅くまで開いているなんてすばらしい。1ユーロ=約11ディラン。
そこで20ユーロほど両替する。さて、次は宿。ロンプラを見る限りでは歩いてでも行ける距離なのだが、まちの雰囲気がどうなのかがわからない。危ないのか危なくないのか。いろいろ考えて、念のためタクシーで行くことにする。若いあんちゃんに声をかけ、宿の住所を見せると5ユーロと言う。日本にしたって相当高いが、いちいちごねるのも面倒だし、小さなユーロがなかったので、それでオッケーする。
走り出してすぐに別の客2人を乗せる。港の入り口を出たら、すぐそこが繁華街でレストランなどはまだ開いていた。人通りも多く、雰囲気もよし。宿がある通りまでは10分足らずで到着。運転手はここだと言うが、泊まる予定のユースホステルのマークがない。しかし、住所ではここだというので、タクシーを降り、その住所の宿に行き、受付のおじさんにスペイン語で聞くと英語でユースホステルは移転したと言う。場所を聞くが、ここにはないと言う。
あいや、と思い、ここの宿の値段を聞くとさっき両替した20ユーロぶん以上の金額だったため却下。別を探す。
歩いていたらすれ違いざまにおっさんが、ホテルを探しているのかと聞いてくる。他にも安いホテルがあるといって言い寄って来る人が数人。面倒くさい。頼んでもないのに、ぼくの前を歩き、こっちこっちと案内するあんちゃんが登場したので、適当に見つけた宿に入って値段を聞く。最初はディランで言われたためなんぼかなと考えていると15ユーロ程度と言うので、予定よりも10ユーロばかし多い出費だが、夜も遅いのでここにする(後に3倍ほどぼられているであろうことに気づく)。
2階の部屋を案内される。ベッドが一つと机、あと洗面所が着いた9畳ほどの部屋。ヨーロッパと比べては悪いが、値段の割にぼろい。中南米で言えば5ドルくらいのところだ。
宿代150ディランを払うと手持ちのディランがなくなったため両替しにまた港に行く。歩いて15分ほど。港までは繁華街だから23時をすぎたこの時間に歩いていても寂しくない。
両替所はまだ開いていたので50ユーロぶん両替する。戻ってきて、広場に出ていた屋台をのぞく。何を食べているのかと思ったら小さな巻き貝だった。小鉢に20個ほどの貝が盛られている。うまそうだったので1つ頼む。レモンに刺されていた安全ピンを右手に持ち、それで中のものをひっかきながら食べる。貝の身自体は小さくなんだかヌルッとしたなめくじのようなものだったが、スープが絶品だった!正直、驚く。香辛料がきいたぴりっとした透明に近いスープで、後味もさっぱりしていてキレが良い。なかにはスープだけを飲んでいく人もいる。値段は3ディラン(約50円)。これはお得だ!
それから雑貨店でバナナと1.5リットルの水を買う。合わせて10ディラン(約150円)。スペインに入って以降、水はすでに3日足らずで4リットル近く飲み干している。
レストランもまだ開いていて、料金を見てもだいたい400円くらいで食えるようだったが、明日の移動に備え、飯は食わず。揚げた魚などがあったから食べてみたかったけれども、また海辺のまちに行くので、それまでお預け。
明日の朝飯のつもりで買ったバナナだったが、腹が減ったので宿で食ってしまう。
そして2時頃就寝。
Fin
2008年5月5日月曜日
マチャラからピウラ、リマへ その1
08/04/21
・チケットを売らないチケット売場
・エクアドル出国
・ペルーでパスポートチェック三連発
・草のない山
・海水浴場
・田んぼ、田んぼ、田んぼ
・ピウラで乗り換え
・豪華なバスー指紋採取、ビデオ撮影、アナウンス、夜食
夜中、暑さと虫が這っているような感覚があって何度か起きる。温度計を見ると夜中なのに気温は32度、湿度75%。ベッドから起き、開けていた窓から手を出してみると明らかに外の方が涼しい。
6時頃には起きる。あたりで鶏の鳴く声が聞こえる。
バスは11時発だったが、9時にはターミナルに行く。宿から歩いて10分ほどだが、暑さもありかなり汗をかく。
ターミナルは昨日と同じようにバスがひっきりなしに入ってきては出ていく。ターミナル前の歩道ではココナッツジュースを売っているアフリカ系のおにいちゃんがいて、次々と人がよって来て買って行く。
ターミナルのチケット売場に行ってチケットを買おうとすると11時がどうのと言って、売る気配がない。発車時間近くになったら売るのかなと思い、しばらく待合室で本を読みながら待つ。日が入ってくるので、本を読んでいてもうっすらと汗をかく。
10時過ぎにまたチケット売場に行くと、またなんだかんだと言って売ってくれない。言葉もわからないので、今度はバスの整理をしていたおじさんに聞いてみると11時に来るからと言われただけ。
国際バスだから事前にチケットを買っとかないといけないのだろうなと思っていたが、どうもよくわからない。
11時前、バスがターミナル内に入ってくる。ぼくはバスの近くにいたおじさんにペルーに行きたいと伝え、荷物を預け、バスに乗り込む。
バスは11時過ぎに発車。テコンドーの道具を持っている一団がいて、車内でこちらに話しかけてくる。彼らはペルーに帰るところらしい。車内はほぼ満席。
昨日も通ったバナナ農園に挟まれた片道2車線の幹線道路をバスは走る。
バスに乗ってから料金の徴収がある。代金は6ドル。
バスはバナナ農園や湿地帯の中を走る道路をがんがんとばす。窓が開けられるので風が気持ちいい。
出発してから1時間後の12時過ぎ、検問があり、それからすぐに国境の町Huaquillasに着く。そこでバスの人に降りるよう言われ、テコンドーの一団とともに道の脇にあったイミグレーションに行く。
バスを降りるとバスは発車。どこかへ行ってしまう。荷物を預けているのにどういうことだ、と思ったが、テコンドーの一団(5人ほど)もほとんど手ぶらでバスを降りていたので、バスは先の方で待っているのだろうとも思い、まずは出国手続きをする。
出国手続きは特に質問もなく10秒ほどで終了。入国カードの半券をもらい、バスがどこ行ったかなと道ばたに出て眺める。すると、テコンドー一団のボスらしい男の人が、ここで待っていればいいというようなことを言う。
イミグレの隣には小さな食堂兼カフェみたいなのがあって、テコンドー一団はそこの日陰でバスを待っていた。ぼくは立ったまま、バスが去った方を見つめ、待つ。立っているとタクシーの運転手がどこに行くのだと話しかけてくる。
バスは20分ほどして戻ってくる。バスの中はほとんど空っぽになっている。どうもさっき降りなかった人たちはここよりさらにペルーに近いエクアドルのまちに行く人だったみたい。
バスに乗り込む。もう車内はガラガラなので、二人分の席をぜいたくに使う。
バスは舗装された通りを走る。沿道には立派なサッカー場があり、民家や商店が建ち並んでいる。10分経ってもペルー側に着かないので、もしやさっきのところにペルーの入国手続きをするところがあったのかと思うが、他の人も出国手続きをしただけなので、そうではなさそう。
これまでの国境越えでは、出国と入国の間はせいぜい5分くらいで、しかもその間にはまちというまちはなかった。なので、今回もそんなもんだろうと思っていたのに、サッカー場はあるし、家は多いし、市場みたいなところもあるし、でこれまでの前例が覆されてしまった。
出国手続きから、一つのまちを抜けて走ること30分ほど、13時10分にようやくペルー側に入り、入国審査をするイミグレーション前でバスは止まる。
乗客は皆降り、左側にあったイミグレで入国手続きをする。これも質問もなく、すぐに終わる。
またバスに乗り込み、バスはすぐに走り出す。
ペルーに入って景色は一変。エクアドル側のまちは物があふれていたのに、こちらは堀立て小屋の家が荒涼とした大地に規則正しく並んでいる。難民キャンプかとも思えるような光景。
しばらく行くと両側にコンクリート造りの建物が見え始め、街に入ったことがわかる。Tumbesというまちでここで何人か客が降りる。このまちには三輪バイクタクシーが盛んに走っていた。そう言えば、エクアドルでは見なかったなと気づく。
10分ほど休憩した後、バスは発車。
まちを抜けると見えてきたのは田んぼだった。まだ青々している田んぼもあれば、黄金色になって稲穂が垂れている田んぼもある。道路の両脇が一面田んぼ。なかなかの壮観。
やがてバスは海沿いに道に出る。太平洋を右に見ながら舗装された道路をビンビンとばす。この辺りは海水浴場のメッカなのか、次々と海水浴場が現れる。
ペルーに入ってから1時間後の14時20分、海沿いのまちでバスは止まる。何かと思い、外に乗り出してみると警官がいた。
バスの添乗員のおじさんが何やら警察と話し、荷物入れのドアを開けて中を見せている。窓からその様子を見ていたら、まだ20代前半にもなっていないのではと思われる若い警官と目が合う。アッと思ったら案の定、その若い警官は年輩の警官に何やら耳打ちし、その警官がこちらを見て、そしてバスに乗り込んでくる。
その警官は一直線にぼくのところに来る。あのガキいらんこと言いよってと思いながら、待つ。そして、ぼくのところに来て、パスポートチェック。スタンプを確認するとすぐに返してくれた。
荷物のチェックの方では、何かの苗がひっかかった。持ち主の男性はバスを降り、警官に何やら抗議をしている。20分ほどバスはそこで停車。
再度発車したときには、苗の持ち主の男性はいなかった。どうも面倒なことになったよう。
右手に海を見ながらバスは走る。左手の陸地は草もない茶色の低い山や丘が続く。ときおり橋を渡るが、水はない。
1時間ほど走ったら、またバスは止まる。今度は立派な検査用の建物の前で停まる。
乗客はみな自分の手荷物を持って降ろされる。荷台のドアを開け、警官が客の荷物をチェックする。建物の中で、手荷物のチェックもあったが、ぼくはどこから来たかと聞かれ、Japon(ハポン)と答えたら中身のチェックはなかった。
トイレ休憩と軽食を売っていたので、そこで菓子パンと水を買う。これまでと変わったのが、この水。水の味とかではなく、サイズがペルーは違う。買ったペットボトルの水は625mlだった。
15分ほどそこでチェックがある。入国の時には荷物のチェックはしないのに、なんでこんなところでやるのかが謎だ。
またバスに乗り込み、再発車。が、1時間もたたないうちにまたバスは止まる。窓から前の方を見ていて、警察がいるとわかったので、ぼくはカーテンを閉め、外から見られないようにする。これですんなり通ってくれればと思ったが、警官はバスが停車したら即乗り込んできた。
そしてぼくを見るとつかつかと近くまで来て、パスポートを見せろと言う。他の客はそんなチェックをしているふうじゃないのに、なぜぼくだけと思いつつ、パスポートを見せる。そしたら、なぜか外に出ろというようなことを言う。
それで手荷物を持ってバスを降りようとしたら、運転手がどこに行くんだと聞いてくる。いや、どこにと言われてもと思いながら、わからないと答える。
バスを降りると別の警官がぼくを見て、パスポートを見せろと言ってくる。ぼくのパスポートはさっきの年輩の警官が持ったまま。それを仕草で伝えると、今度は荷物の中身を見せろと言って、ごそごそ調べる。
年輩の警官がバスから降りてきて何やら言うがよくわからない。バスの添乗員のおじさんがいろいろ説明らしきことをする。どうも年輩の警官は、パスポートに入国スタンプがないと思ったらしく、聞かれてぼくがそのページを開いて見せると、それで事は済んだ。
まったくちゃんと見ろよな。それに入国審査の人ももっと分かりやすいところにスタンプ押せよなと思いながらバスに乗り込む。ペルーの入国スタンプは、それまで使っていたページから数ページとばしたところに押されていた。前のページから順に押してくれれば、こんなことなかったろうに、まったく。
ぼくが乗り込むとバスはすぐに発車。これまでの遅れを取り戻すかのように、がんがんとばす。
やがて道は海から離れる。ミニグランドキャニオンのようなところも通る。
17時半、内陸の方へ向かう道が右と左とに分かれるポイントに来る。バスは左にルートを取り、しばらくすると田んぼやバナナ農園が広がる地域に入る。
田んぼの畦には椰子が植えられており、夕日に映えるそれらの姿がなかなかよろしい。
日が暮れた18時過ぎ、車が増え、沿道にコンクリートの建物が多くなる。どうもピウラに入ったよう。
街に入ると渋滞のためスピードが落ちる。一方通行の道をぐるぐる回って18時30分過ぎにCIFAのターミナルに到着。ここは会社ごとにターミナルが別れているから、すぐに次に乗り換えることができない。
ここで一泊することも考えていたが、リマでブラジルのビザを取るためにも早くリマに行きたかった。しかし、外は暗くなっていて、時間も19時に近い。歩いてターミナルを探しても、バス自体があるかどうかがわからない。
どうしたものかと思いながらバスから降り、リュックを背負う。するとターミナル内にいた30代後半くらいの男がタクシーが必要かと話しかけてくる。首からは身分証明証をぶら下げている。
ぼくはリマに行きたいんだけどと言うと、19時半発のバスがあるからそこまで乗せていくという。値段を聞くと5米ドル。地図を見る限りではどの会社のターミナルもそう遠くはない。だから5ドルはしないだろうと思い、3米ドルでと言うと、渋そうにOKと言う。
タクシーに乗ると、ペルーの通貨であるソルを持っているかと聞かれる。エクアドル・ペルーの国境では両替商の人がいなかったから、まだソルは持っていなかった。でも、米ドルでなんとかなるだろうと思っていた。
持っていないと答えると運転手は、バス会社はソルしか受け取らないと言う。そして、両替所に寄るから両替しろと言う。確かにペルーではそういうことがあるような話は聞いたが、レートは悪くなるだろうが、米ドル押し切れないことはないだろうと思った。なので、両替所に行く必要はないと言うが、身分証をつかんでこちらに見せながら自分は嘘を言っていないというようなことを言う。
この調子では断っても無駄だなと思い、両替所に行くことを了承する。タクシーは両替所が並ぶ通りに入り、そこに車を止める。ぼくはタクシーが勝手にどっか行かないか気にしながら両替をする。レートは1ドル=2.75ソーレス。後にそれほど悪くないレートだったことを知る。
両替をしてすぐにタクシーに戻る。
そして、18時45分ほどにバスターミナルに着く。レートからすれば3ドルは10ソーレスでもお釣りが出るくらいなので、10ソーレスでいいかと運転手に聞くと5米ドルだと言い出す。またもや出ました、タクシー運転手お得意のあと出しジャンケン。3米ドルだろと確認するが、運転手は両替所に寄ったから5米ドルという。そんなの関係ないだろうとぼくは思うも、ハイハイ5ドルほしいのね、と5米ドル渡す。
荷物をとって、ターミナルの窓口に行く。窓口の女性にリマに行きたいと言うと、いつと聞かれる。今からと言うと、パスポートを求められ、そのコピーを見せるとパソコンで名前などを入力し、チケットを発券してくれる。運賃は60ソーレス(約3000円)。エクアドルと比べると倍近くあがったような気がする。リマまでは14時間くらいだからエクアドルであれば20ドルしないはずだ。
まあ、それでもうまく乗り継ぎができたので、安心する。バスは19時発。あと15分ほどある。
ターミナルの前にはバナナチップを売っているおばさんなどがいた。今日はまともに飯を食っていないので、バナナチップでも買うかと思ったが、袋があまりにでかい(日本のポテトチップのでかいサイズの2倍くらいある)のでやめる。
ターミナル周辺に屋台はないかをちょろっと歩くとハンバーガー屋があったので、そこのを買うことにする。値段を聞くと1個1ソーレス(約40円)と言うので、2個買う。
ターミナルに戻ると乗車が始まっていた。つかつかとバスの方に向かっていると、脇で何やら並んでいた列で待つように言われる。
何をしているのかと思ったら、そこで乗客名簿とチケットの突き合わせをし、さらに指にインクを付けて、乗客一覧の自分の名前の上に押印(?)していた。
その横ではおじさんが、セニョーラとか言いながらビデオカメラを回している。団体客の人かと思っていたが、ぼくの時もセニョールと声をかけてきてカメラを見るように言う。そのおじさんはビデオを持ったまま、バスに乗ることはなく、指紋のチェックなどをしていたターミナルの女性とバスを見送っていたので、どうもバス会社の人だったらしい。ここまでするとは、ペルーはどんなところなんだ。
バスが発車すると制服を着た添乗員の若い女性が、マイクを持って乗客に何やらアナウンスをする。スペイン語なので何を言っているのかわからないが、そもそもこんなことがあること自体に驚く。相当いいバスに乗った模様。
ぼくはハンバーガーをアッという間に平らげる。車内の電気は落とされているので、その暗さもあり早々に寝てしまう。
かなり寝入っていたのだが、バスのスピードが落ち、何かアナウンスが流れているのを感じ、目が覚める。
バスは門をくぐり、建物の横で停車。そこで乗客は続々と降りていく。ぼくもそれに合わせて降りる。
時計を見ると22時20分。こんな時間にトイレ休憩かよと思いながら、みなが入っていく建物に入る。するとそこにはホテルの食堂のようになっていて、そこで乗客の人たちが座って同じ物を食べている。
こんな時間にみんな食欲あるなと思いながら、空いていた席に座る。テレビではサッカーの試合のニュースが流れている。
席に座ってしばらくするとかしこまったウェイターが注文もしていないのにお茶を運んでくる。おお、これはサービスかと思い飲んでると、今度は同じテーブルのおばさんが食っていたものと同じ料理が運ばれてきた。
ウェイターに食べていいのかと仕草で確認するとうなづく。なので頂く。鶏肉のカレーのような料理でうまい。う~ん、まさか夜食がついているとはまったく予想していなかった。窓口の女の人もそんなこと一言も言ってなかったし。ハンバーガーは買わなくて良かったなと今頃思う。それにどうせなら、もうちょっと早い時間にしてくれた方がいいなとも。
30分ほどここで休憩し、またバスは走り出す。飯を食った建物はいったい何だったのかと後方を見ると、やはりホテルの一角で、ぼくらが使った入り口は日本で言うと従業員用の裏門みたいなところだったよう。
バスに乗ると満腹になったこともあり、さっさと寝てしまう。
Fin
・チケットを売らないチケット売場
・エクアドル出国
・ペルーでパスポートチェック三連発
・草のない山
・海水浴場
・田んぼ、田んぼ、田んぼ
・ピウラで乗り換え
・豪華なバスー指紋採取、ビデオ撮影、アナウンス、夜食
夜中、暑さと虫が這っているような感覚があって何度か起きる。温度計を見ると夜中なのに気温は32度、湿度75%。ベッドから起き、開けていた窓から手を出してみると明らかに外の方が涼しい。
6時頃には起きる。あたりで鶏の鳴く声が聞こえる。
バスは11時発だったが、9時にはターミナルに行く。宿から歩いて10分ほどだが、暑さもありかなり汗をかく。
ターミナルは昨日と同じようにバスがひっきりなしに入ってきては出ていく。ターミナル前の歩道ではココナッツジュースを売っているアフリカ系のおにいちゃんがいて、次々と人がよって来て買って行く。
ターミナルのチケット売場に行ってチケットを買おうとすると11時がどうのと言って、売る気配がない。発車時間近くになったら売るのかなと思い、しばらく待合室で本を読みながら待つ。日が入ってくるので、本を読んでいてもうっすらと汗をかく。
10時過ぎにまたチケット売場に行くと、またなんだかんだと言って売ってくれない。言葉もわからないので、今度はバスの整理をしていたおじさんに聞いてみると11時に来るからと言われただけ。
国際バスだから事前にチケットを買っとかないといけないのだろうなと思っていたが、どうもよくわからない。
11時前、バスがターミナル内に入ってくる。ぼくはバスの近くにいたおじさんにペルーに行きたいと伝え、荷物を預け、バスに乗り込む。
バスは11時過ぎに発車。テコンドーの道具を持っている一団がいて、車内でこちらに話しかけてくる。彼らはペルーに帰るところらしい。車内はほぼ満席。
昨日も通ったバナナ農園に挟まれた片道2車線の幹線道路をバスは走る。
バスに乗ってから料金の徴収がある。代金は6ドル。
バスはバナナ農園や湿地帯の中を走る道路をがんがんとばす。窓が開けられるので風が気持ちいい。
出発してから1時間後の12時過ぎ、検問があり、それからすぐに国境の町Huaquillasに着く。そこでバスの人に降りるよう言われ、テコンドーの一団とともに道の脇にあったイミグレーションに行く。
バスを降りるとバスは発車。どこかへ行ってしまう。荷物を預けているのにどういうことだ、と思ったが、テコンドーの一団(5人ほど)もほとんど手ぶらでバスを降りていたので、バスは先の方で待っているのだろうとも思い、まずは出国手続きをする。
出国手続きは特に質問もなく10秒ほどで終了。入国カードの半券をもらい、バスがどこ行ったかなと道ばたに出て眺める。すると、テコンドー一団のボスらしい男の人が、ここで待っていればいいというようなことを言う。
イミグレの隣には小さな食堂兼カフェみたいなのがあって、テコンドー一団はそこの日陰でバスを待っていた。ぼくは立ったまま、バスが去った方を見つめ、待つ。立っているとタクシーの運転手がどこに行くのだと話しかけてくる。
バスは20分ほどして戻ってくる。バスの中はほとんど空っぽになっている。どうもさっき降りなかった人たちはここよりさらにペルーに近いエクアドルのまちに行く人だったみたい。
バスに乗り込む。もう車内はガラガラなので、二人分の席をぜいたくに使う。
バスは舗装された通りを走る。沿道には立派なサッカー場があり、民家や商店が建ち並んでいる。10分経ってもペルー側に着かないので、もしやさっきのところにペルーの入国手続きをするところがあったのかと思うが、他の人も出国手続きをしただけなので、そうではなさそう。
これまでの国境越えでは、出国と入国の間はせいぜい5分くらいで、しかもその間にはまちというまちはなかった。なので、今回もそんなもんだろうと思っていたのに、サッカー場はあるし、家は多いし、市場みたいなところもあるし、でこれまでの前例が覆されてしまった。
出国手続きから、一つのまちを抜けて走ること30分ほど、13時10分にようやくペルー側に入り、入国審査をするイミグレーション前でバスは止まる。
乗客は皆降り、左側にあったイミグレで入国手続きをする。これも質問もなく、すぐに終わる。
またバスに乗り込み、バスはすぐに走り出す。
ペルーに入って景色は一変。エクアドル側のまちは物があふれていたのに、こちらは堀立て小屋の家が荒涼とした大地に規則正しく並んでいる。難民キャンプかとも思えるような光景。
しばらく行くと両側にコンクリート造りの建物が見え始め、街に入ったことがわかる。Tumbesというまちでここで何人か客が降りる。このまちには三輪バイクタクシーが盛んに走っていた。そう言えば、エクアドルでは見なかったなと気づく。
10分ほど休憩した後、バスは発車。
まちを抜けると見えてきたのは田んぼだった。まだ青々している田んぼもあれば、黄金色になって稲穂が垂れている田んぼもある。道路の両脇が一面田んぼ。なかなかの壮観。
やがてバスは海沿いに道に出る。太平洋を右に見ながら舗装された道路をビンビンとばす。この辺りは海水浴場のメッカなのか、次々と海水浴場が現れる。
ペルーに入ってから1時間後の14時20分、海沿いのまちでバスは止まる。何かと思い、外に乗り出してみると警官がいた。
バスの添乗員のおじさんが何やら警察と話し、荷物入れのドアを開けて中を見せている。窓からその様子を見ていたら、まだ20代前半にもなっていないのではと思われる若い警官と目が合う。アッと思ったら案の定、その若い警官は年輩の警官に何やら耳打ちし、その警官がこちらを見て、そしてバスに乗り込んでくる。
その警官は一直線にぼくのところに来る。あのガキいらんこと言いよってと思いながら、待つ。そして、ぼくのところに来て、パスポートチェック。スタンプを確認するとすぐに返してくれた。
荷物のチェックの方では、何かの苗がひっかかった。持ち主の男性はバスを降り、警官に何やら抗議をしている。20分ほどバスはそこで停車。
再度発車したときには、苗の持ち主の男性はいなかった。どうも面倒なことになったよう。
右手に海を見ながらバスは走る。左手の陸地は草もない茶色の低い山や丘が続く。ときおり橋を渡るが、水はない。
1時間ほど走ったら、またバスは止まる。今度は立派な検査用の建物の前で停まる。
乗客はみな自分の手荷物を持って降ろされる。荷台のドアを開け、警官が客の荷物をチェックする。建物の中で、手荷物のチェックもあったが、ぼくはどこから来たかと聞かれ、Japon(ハポン)と答えたら中身のチェックはなかった。
トイレ休憩と軽食を売っていたので、そこで菓子パンと水を買う。これまでと変わったのが、この水。水の味とかではなく、サイズがペルーは違う。買ったペットボトルの水は625mlだった。
15分ほどそこでチェックがある。入国の時には荷物のチェックはしないのに、なんでこんなところでやるのかが謎だ。
またバスに乗り込み、再発車。が、1時間もたたないうちにまたバスは止まる。窓から前の方を見ていて、警察がいるとわかったので、ぼくはカーテンを閉め、外から見られないようにする。これですんなり通ってくれればと思ったが、警官はバスが停車したら即乗り込んできた。
そしてぼくを見るとつかつかと近くまで来て、パスポートを見せろと言う。他の客はそんなチェックをしているふうじゃないのに、なぜぼくだけと思いつつ、パスポートを見せる。そしたら、なぜか外に出ろというようなことを言う。
それで手荷物を持ってバスを降りようとしたら、運転手がどこに行くんだと聞いてくる。いや、どこにと言われてもと思いながら、わからないと答える。
バスを降りると別の警官がぼくを見て、パスポートを見せろと言ってくる。ぼくのパスポートはさっきの年輩の警官が持ったまま。それを仕草で伝えると、今度は荷物の中身を見せろと言って、ごそごそ調べる。
年輩の警官がバスから降りてきて何やら言うがよくわからない。バスの添乗員のおじさんがいろいろ説明らしきことをする。どうも年輩の警官は、パスポートに入国スタンプがないと思ったらしく、聞かれてぼくがそのページを開いて見せると、それで事は済んだ。
まったくちゃんと見ろよな。それに入国審査の人ももっと分かりやすいところにスタンプ押せよなと思いながらバスに乗り込む。ペルーの入国スタンプは、それまで使っていたページから数ページとばしたところに押されていた。前のページから順に押してくれれば、こんなことなかったろうに、まったく。
ぼくが乗り込むとバスはすぐに発車。これまでの遅れを取り戻すかのように、がんがんとばす。
やがて道は海から離れる。ミニグランドキャニオンのようなところも通る。
17時半、内陸の方へ向かう道が右と左とに分かれるポイントに来る。バスは左にルートを取り、しばらくすると田んぼやバナナ農園が広がる地域に入る。
田んぼの畦には椰子が植えられており、夕日に映えるそれらの姿がなかなかよろしい。
日が暮れた18時過ぎ、車が増え、沿道にコンクリートの建物が多くなる。どうもピウラに入ったよう。
街に入ると渋滞のためスピードが落ちる。一方通行の道をぐるぐる回って18時30分過ぎにCIFAのターミナルに到着。ここは会社ごとにターミナルが別れているから、すぐに次に乗り換えることができない。
ここで一泊することも考えていたが、リマでブラジルのビザを取るためにも早くリマに行きたかった。しかし、外は暗くなっていて、時間も19時に近い。歩いてターミナルを探しても、バス自体があるかどうかがわからない。
どうしたものかと思いながらバスから降り、リュックを背負う。するとターミナル内にいた30代後半くらいの男がタクシーが必要かと話しかけてくる。首からは身分証明証をぶら下げている。
ぼくはリマに行きたいんだけどと言うと、19時半発のバスがあるからそこまで乗せていくという。値段を聞くと5米ドル。地図を見る限りではどの会社のターミナルもそう遠くはない。だから5ドルはしないだろうと思い、3米ドルでと言うと、渋そうにOKと言う。
タクシーに乗ると、ペルーの通貨であるソルを持っているかと聞かれる。エクアドル・ペルーの国境では両替商の人がいなかったから、まだソルは持っていなかった。でも、米ドルでなんとかなるだろうと思っていた。
持っていないと答えると運転手は、バス会社はソルしか受け取らないと言う。そして、両替所に寄るから両替しろと言う。確かにペルーではそういうことがあるような話は聞いたが、レートは悪くなるだろうが、米ドル押し切れないことはないだろうと思った。なので、両替所に行く必要はないと言うが、身分証をつかんでこちらに見せながら自分は嘘を言っていないというようなことを言う。
この調子では断っても無駄だなと思い、両替所に行くことを了承する。タクシーは両替所が並ぶ通りに入り、そこに車を止める。ぼくはタクシーが勝手にどっか行かないか気にしながら両替をする。レートは1ドル=2.75ソーレス。後にそれほど悪くないレートだったことを知る。
両替をしてすぐにタクシーに戻る。
そして、18時45分ほどにバスターミナルに着く。レートからすれば3ドルは10ソーレスでもお釣りが出るくらいなので、10ソーレスでいいかと運転手に聞くと5米ドルだと言い出す。またもや出ました、タクシー運転手お得意のあと出しジャンケン。3米ドルだろと確認するが、運転手は両替所に寄ったから5米ドルという。そんなの関係ないだろうとぼくは思うも、ハイハイ5ドルほしいのね、と5米ドル渡す。
荷物をとって、ターミナルの窓口に行く。窓口の女性にリマに行きたいと言うと、いつと聞かれる。今からと言うと、パスポートを求められ、そのコピーを見せるとパソコンで名前などを入力し、チケットを発券してくれる。運賃は60ソーレス(約3000円)。エクアドルと比べると倍近くあがったような気がする。リマまでは14時間くらいだからエクアドルであれば20ドルしないはずだ。
まあ、それでもうまく乗り継ぎができたので、安心する。バスは19時発。あと15分ほどある。
ターミナルの前にはバナナチップを売っているおばさんなどがいた。今日はまともに飯を食っていないので、バナナチップでも買うかと思ったが、袋があまりにでかい(日本のポテトチップのでかいサイズの2倍くらいある)のでやめる。
ターミナル周辺に屋台はないかをちょろっと歩くとハンバーガー屋があったので、そこのを買うことにする。値段を聞くと1個1ソーレス(約40円)と言うので、2個買う。
ターミナルに戻ると乗車が始まっていた。つかつかとバスの方に向かっていると、脇で何やら並んでいた列で待つように言われる。
何をしているのかと思ったら、そこで乗客名簿とチケットの突き合わせをし、さらに指にインクを付けて、乗客一覧の自分の名前の上に押印(?)していた。
その横ではおじさんが、セニョーラとか言いながらビデオカメラを回している。団体客の人かと思っていたが、ぼくの時もセニョールと声をかけてきてカメラを見るように言う。そのおじさんはビデオを持ったまま、バスに乗ることはなく、指紋のチェックなどをしていたターミナルの女性とバスを見送っていたので、どうもバス会社の人だったらしい。ここまでするとは、ペルーはどんなところなんだ。
バスが発車すると制服を着た添乗員の若い女性が、マイクを持って乗客に何やらアナウンスをする。スペイン語なので何を言っているのかわからないが、そもそもこんなことがあること自体に驚く。相当いいバスに乗った模様。
ぼくはハンバーガーをアッという間に平らげる。車内の電気は落とされているので、その暗さもあり早々に寝てしまう。
かなり寝入っていたのだが、バスのスピードが落ち、何かアナウンスが流れているのを感じ、目が覚める。
バスは門をくぐり、建物の横で停車。そこで乗客は続々と降りていく。ぼくもそれに合わせて降りる。
時計を見ると22時20分。こんな時間にトイレ休憩かよと思いながら、みなが入っていく建物に入る。するとそこにはホテルの食堂のようになっていて、そこで乗客の人たちが座って同じ物を食べている。
こんな時間にみんな食欲あるなと思いながら、空いていた席に座る。テレビではサッカーの試合のニュースが流れている。
席に座ってしばらくするとかしこまったウェイターが注文もしていないのにお茶を運んでくる。おお、これはサービスかと思い飲んでると、今度は同じテーブルのおばさんが食っていたものと同じ料理が運ばれてきた。
ウェイターに食べていいのかと仕草で確認するとうなづく。なので頂く。鶏肉のカレーのような料理でうまい。う~ん、まさか夜食がついているとはまったく予想していなかった。窓口の女の人もそんなこと一言も言ってなかったし。ハンバーガーは買わなくて良かったなと今頃思う。それにどうせなら、もうちょっと早い時間にしてくれた方がいいなとも。
30分ほどここで休憩し、またバスは走り出す。飯を食った建物はいったい何だったのかと後方を見ると、やはりホテルの一角で、ぼくらが使った入り口は日本で言うと従業員用の裏門みたいなところだったよう。
バスに乗ると満腹になったこともあり、さっさと寝てしまう。
Fin
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2008年4月17日木曜日
パナマシティ→ボゴタ→キトへ
2008.4.12(土)
・リュックの重さを勘違いしていたカラクリ
・ボゴタでチョコ
・予想外にでかかったキト
今日はキトへ移動日。安いということでコロンビアのボゴタ経由の飛行機にした。ボゴタ行きの飛行機は12時発予定。3時間前に空港に行ってと言われていたため9時には着かないといけない。
今朝も寝苦しいのは変わらず。6時頃おきる。荷造りをする。昨日、ぼくの上のベッドに入った人の荷物が邪魔で持ち出すのに苦労する。
空港まではタクシーで1時間もかからないから朝飯を食ってからという手もあったが、早く空港に行ってのんびりすることにする。
7時前にチェックアウトする。ホテルの前のVia Arsentina通りにはタクシーの運転手が3人でおしゃべりをしていて、ぼくに気づくと”タクシー?”と声をかけてくる。
いくらか聞くと20米ドルと言う。この間、別の運転手に聞いたときは16~20ドルという話だったので、20米ドルは拒否して15米ドルでどうかと聞く。すると、”ベインテ(20)”と譲ろうとしない。じゃあ、別のタクシーにしようと思い、歩き始めると3人のうちの一人の人が、15でいいと言い出した。なので、15でお願いする。
空港まではバスもあるので、昨日もバスで行くか迷っていたのだが、しばしば満員であることと、バスの通路がせまいことと、渋滞や客を乗せるためにしばしば止まるので遅いという3つのことがあり、やめた。バスだったら0.25ドルで行けるのだが、運が悪いと2時間もかかるというので、ちょっと高いがタクシーにした。一人だとこういうのにカネがかかる。
タクシーは快調にとばす。案の定、土曜日の早朝にも関わらず、空港行きのバスは満員。タクシーはバスを4~5台追い抜いていく。ちょうど正面に太陽が昇ったばかりでまぶしい。
30分足らずで空港に到着。7時30分にもなっていないから、さすがにまだチェックインできない。
2階の食堂でパンを一つ買い(0.65)、昨日買った水とで朝食。9時までそこで過ごす。
9時になったので、1階の出発ロビーに降り、チェックイン準備。すでにカウンター前には客が20人ほど並んでいる。チェックインの列に並ぶ前に、荷物のチェックがある。リュックを手荷物用の小型リュックを開けて見せる。検査官の男性は、小型リュックを持ち上げて重すぎる(重量オーバー)というようなことを言うが、こっちはわからないふりをする。そこで、預ける荷物用のタグをもらい、並んでいる間にそのタグに名前などを書く。
さて、心配は荷物の重さ。チケットを買ったとき、窓口の女性は預ける荷物の上限は30kg、手荷物は10kgと言っていた。そして、それを越えるとペナルティがあるとも。
ただ、これまではそんなことは一度もなかった。しかも、どこのチェックインターの秤も30kg以下を示していた。だから、ぼくは自分の荷物は30kg程度と思っていたのだが、30kgにしては重すぎると思っていた。実際の重さがわかったのは、サンサルバドルのバスターミナルで計ったときのこと。68kgと出て、やっと感覚と数字が一致した。
さっきアメリカン航空だったかのチェックインカウンター近くを歩いたときにはも50kg以上だと50ドルくらいの追加料金が発生するという立て看板があった。だから、それくらいかかるかもしれないとは予想できた。
それでも、手荷物についてはこれまで重さを測ったことはないから大丈夫だろうと、手荷物のリュックに本をだいぶ移し、大きなリュックを軽くしていたのだが、さっきの検査官は重いなんて言う。だから、もしや検査があるかもしれないと思い、10kg以内くらいになるよう、再度本をでかいリュックに移す。
前に並んでいる人たちを見ると、たいていの人がボストンバックを持っていて、確実に30kg越えしていると思える人たちばかり。なので、その人たちをまずは観察。見ていると、チェックインカウンター横の秤に荷物を乗せ、30kgを越えるとやっぱりお金を払ったりしている。
いやいやこれは参った。ぼくのリュックはおそらく上限の重さのダブルスコアだから、けっこうカネをとられるかもしれない。そうなったら本をここで捨てるのかなとも考えた。
自分の番になり、チェックインカウンターの職員にチケットとパスポートを渡す。職員は秤に預ける荷物を載せるよう言う。その声に促され、リュックを乗せようと持ち上げたとき、わかった。なぜぼくの荷物がこれまで30kg以下と表示されていたのかということが。
原因は秤の枠だった。チェックインターの秤は一般的な体重計とは違って、固定された四角い枠に囲まれている。たいていの荷物(キャスターが付いたバッグやスーツケース)は立てた状態で秤に乗せるから荷物は枠にかからない。
それがリュックの場合、そもそも寝転がってしまう構造になっているから寝かした状態で秤に載ることになる。小さいリュックであれば外枠にかかることはないが、幸いなことに、ぼくのリュックの場合、70リットルと大型のためリュックが秤の四角からはみ出て外枠にかかってしまう。
つまり、外枠にかかっている重さが減殺されて、30kg以下と表示されるわけだ。それに気づいたぼくは、できるだけ外枠にかかるように、荷物をおいた。その結果、ここでの表示は26kgだった。おかげで心配していたことは起こらず。
これには、チェックインカウンターの職員が自分で荷物を持つことがないということも一つの要因になっているだろう。たいてい、チェックインカウンターで対応をしているのは女性で、その人は電光掲示される数値をみるだけで、荷物をラインに乗せるのは別の男性職員だったりする。荷物をラインに乗せる人は表示された荷物の重さをいちいち確認することはない。
もし、チェックインカウンターの職員がベルトコンベアーのラインに乗せる体制になっていれば、毎日の仕事の中で、上限の重さの感覚を体で覚えてしまうだろう。そうなれば、表示された数値と自分が持ち上げたときの感覚とが違っているとわかるだろうが、実際はそれぞれがそれぞれの仕事をしているだけなので、それに気づかない。まぁ、ぼくにとってはありがたいばかりだけど。
そうして無事、チェックインを済まし、今度は手荷物検査と出国審査。手荷物検査を待つ列に並ぶ。自分の番がもうすぐまわってくるというときに、ペットボトルの水が残っていた事に気づく。後ろの人に順番を譲り、ぼくは列の脇で残っていた水を飲み干す。のどが渇いているわけでもないのに、500mlくらい残っていたから、ちと苦しくなる。
それから出国審査。たいした質問もなく、すんなり通過。
出発までの間にDuty free shopでカメラの買いもの。市内のショッピングモールには売っていなかったが、ここにはなくしたものと同じものが売っていたので、購入。日本で買った方がかなり安いが、致し方ない。だが、1年間の国際保証付きというのはこれからも旅が続くのでありがたい。
予定通りの時間に搭乗がはじまる。チケットを見るとぼくの座席は15A。Aということは窓際だ。ラッキーと思いながら乗り込むと、ちょうど緊急脱出用の扉のところの席だった。その席だけは他の席よりも前の席との感覚が広く、足をゆったりとのばすことができる。
これまたラッキーと思っていたら、添乗員の男性が、スペイン語で、スペイン語を完璧に話せるか、とぼくに聞いてきた。スペイン語を話せるかということなら、これまで何度も聞かれたし、普通の質問なので何とも思わないが、なぜか彼は”完璧に”という言葉を付けて聞いてきた。
なんでそんなことを聞くのだろうと不思議に思っていたら、何かまたスペイン語で言い出す。そして、後ろの列に座っていた人に、何か話しかけている。どうも、緊急避難口ということで、もしものときに添乗員とコミュニケーションがとれないといけないから、この席にはスペイン語ができる人しか座ってはいけないよう。
幸い席を替わると名乗り出た男性も窓際の席だったので、ぼくは窓際の席にありつける。
機内では軽食が出る。珍しかったのが、干しトマト。なかなか味があっていい。
窓際の席はとれたものの、眼下は雲ばかり。退屈なので本でも読む。
パナマを出てから1時間半足らずでボゴタに到着。コロンビアの空港内にはビールの看板が多かった。ここで1時間ちょっと乗り継ぎの待ち合わせ。
トランジットの人は係員に案内されて、Duty free shop
経由で再度手荷物検査を受けて、待合室に入る。
一度、手荷物検査を受けて待合室の方に行ったが、こちらには店も小さな売店のみでなにもない。せっかくコロンビアにきたのだからDuty free shopだけでも見ようと思い、係員の人に行って待合室から出る。
Duty free shopは、30軒ほどあって、うち2軒は喫茶店で、あとはコーヒーやお菓子を売っている店や布地や服屋、本屋、カメラ屋などがある。コーヒー屋にはコロンビア産のダークチョコレートが売っていたので、3.3ドルと高かったものの買ってみる。
パッケージにはSantanderという文字が筆記体で大きく書かれており、その下にはカカオを収穫する絵がある。そしてそれを縁取るようにCOLOMBIAN SINGLE ORIGINとある。一番下には「National de Chocolates」 「ESTABLISHED 1920」とある。
完全に輸出向け、あるいは観光客向けのようで、パッケージの裏側には英語でこのチョコレートの説明がある。
商品の名前であろうSantanderというのは、コロンビアの東側の地域の名前で、コロンビアでは一番カカオの栽培に適している地域と言われているらしい。その裏面の右上にはコロンビアの地形図があり、その位置もわかるようになっている。
説明は細かく、標高600~900mの地域で、気温は23~28度、平均湿度は75~80%、4~6月と9月~11月の2つの季節には1600~2500ミリの雨が降り、年間の平均日照時間は1600時間、そして微量要素の豊かな土に恵まれている、とある。
SantandarにあるSan Vicente deChucuri,El Carmen,Rionegro,Landazunといった町や村では、2世紀以上もカカオを栽培している。そして、その生産は12000家族以上の中規模または小規模の農家によって支えられているという。
その後、まだまだ説明は続く。チョコレートは、粉薬の包装として使われるような薄い紙で包まれている。アルミ箔が一般的な日本とは違う。このチョコだけなのかもしれないが。そう言えば、アルミホイルというものを旅行中、ほとんど見ていない気がする。一度、メキシコあたりの屋台で使われているのを見たが、それ以外は見ていない。
アルミを作るのには大量の電気が必要で、またその過程では有害な物質が大量に出るというような話を聞いたことがある。アルミホイルの使用量の国際比較などもあったような気がするが、不確か。
キトに向かう便の出発までまだ1時間あったので、珍しく喫茶店で一服する。コーヒーは2米ドル。酒も含めたいていが10ドル以下だった。
もう一度、手荷物検査を受けて、待合室に入る。さっきはほとんど素通りできたのに、今度は入念にかばんの中をチェックされる。チェックしている係員のおじさんは、日本語の本を見つけるとパラパラとめくり、その文字を見て驚いたようで小さく笑う。そして、同僚の人を呼んで、これを見て見ろと笑いながら見せる。
ハイチでハイチ人と話したときに思ったが、ひらがなやカタカナの50音表、それからあれば同じような漢字の表を持ってくれば良かった。それをこうしたおじさんに見せれば、少なくともひらがなとカタカナにどういった文字があるのかが、一目でわかる。それで例えばどの文字が格好良いかなどを聞いてまわるのも面白そう。外国語の会話帳にもそういうのを付ければいいのに、とも思う。
特に何もなく、検査を通過。16時前、搭乗が始まる。今度は通路側。また、機内食(パンとちょっとしたもの)が出る。機内食にはデザートがついていたのだが、これがけっこうきつかった。小さなカップ(50gくらいだったか)に入った固まっていないキャラメルで、完食するには甘すぎる。でも、完食したけど、量は半分でも十分すぎるくらい。
前の席が空いていたので、食事後、席を移動する。パナマからボゴタは、眼下は雲一色で地上が見えることがなかったが、今度は高度が低いこともあるのか、たまに雲の隙間や雲の向こうにうっすらと地上が見える。
曇っているおかげで地上か海かも判別できないような色。だがルートから考えて、また時折濃い緑または青色の間に白い道路と思われる線が見えることから地上だとわかる。
山に木々はあまりなく、頂上周辺まで耕されている。
ボゴタを出てから1時間30分程度で、機体は雲の中を抜け、キトに上陸。まちのすぐ上空を通って着陸したので、まちの作りや車、歩いている人まで見えた。
機体から降りるとひんやりとする。空港内は最近造られたのか、デザインも洗練されていて、ただの四角い箱という感じのハバナなどの空港とは違う。
驚いたのが、入国審査のシステム。入国審査の順番を待つ人は一つの列に並ぶのだが、そのラインの前には小さな電光掲示板があり、そこに審査が終わったボックスの番号が点灯する。それを見て、次の人はそのボックスに行く。
どこの空港もたいていは空いてそうなところを各々見つけ、並ぶというスタイルだが、こんなふうにしているのを見たのは初めて。もっともこんなことしなくても、係員が一言"Passe (パセ)" "Aderante(アデランテ:お入りください)"と声をかければそれで事足りるのですけどね。
審査官の女性は、スペイン語でよくある質問をする。どれくらい滞在するのかとか、この後、どこに戻るのかとか。帰りのチケットの提示はなし。こんなことなら30ドルくらい安かった片道チケットを買っておけばよかったなどと思うが、まぁ、それも時の運のようなものだろうからしょうがない。
一通り質問が終わった後、彼女はパスポートの写真と目の前に立っている人間の顔を照合する。そして、パスポートの写真は何歳のときのものかと聞いてくる。さすがにハバナのあの係官の女性のように、あなたは変わったとは言わなかったが、やっぱりなかなか一致しないよう。
しかし、総じてぼくにしてはスムーズに通る。審査の最後に彼女はにこっとして、”Bienvenido(ビエンベニード:ようこそ)"と言って通してくれた。
荷物をベルトコンベアからピックアップし、税関審査に行く。ここはたいした検査もなく通過。
ちょっとここで戻って税関審査場内にあったツーリストインフォメーションでキトの地図をもらう。パンフの類はたくさんあって、かなり観光に力を入れていることがわかる。また、市内までのタクシー料金とバスでの行き方を聞く。
外に出る。出たところには迎えの人がたくさん。”Bienvenido MARI”と書いた紙を持っている子どもたちもいた。"MARI”が日本人なのかどうかはわからないが、ぼくの他に東洋系の女性が一人いたので、その人もかもしれない。
空港を出るとすぐがタクシー乗り場。ただ、ごちゃごちゃと客引きがいるわけではなく、数人の人がタクシーが必要かと声をかけてくるだけ。Noと言えば、それでおしまい。
女性のタクシーの係りの人がぼくに声をかけてきたが、タクシーは断り、バス乗り場を聞く。すると嫌な顔もせず、駐車場を出た大きい通りを越えたところにあると教えてくれた。
教えてもらったとおりに大通りを渡り、歩道でバス乗り場を探す。ガイドブックを見ていなかったので驚いたが、大通りの真ん中を2車両つなげた大きなバスが走っている。真ん中は専用ラインのようで、これはメキシコシティにあったものと同じスタイル。
バスの乗り場がよくわからなかったので、通りすがりの女性二人に聞く。ものを訪ねるのは女性の方がいい。男は変なやつにあたるときが往々にしてある。
そこを通るからと言うので一緒に歩く。歩いて10mほどでParada(乗り場)と書いている看板下に到着。
5分も待たずに青色の車体のバスが入ってくる。パナマのような派手な小さなバスじゃない。日本で普通に走っているようなバス。車体はHINO自動車のもの。
ここのバスにも客引き担当の人が乗っており、乗車口に立って早口で行き先を叫ぶ。目的の宿がある広場まで生きたいのだがというと、客引きの少年は運転手のおじさんに確認し、乗せてくれる。
車内は満席。しかし、ありがたいことにこのバスは運転手の後ろに、エンジンの真上になるのか楕円形に突起したスペースがある。そこには座れるようにカバーがついており、縁に8人くらい座れるようになっている。つまり、日本のバスと比べると、運転手後ろの座席2列ぶんくらいがなく、前が広く空いているのだ。
車内を見渡したとき、一瞬どこに立とうかと思ったが、客引きの少年に促され、そこに座る。このバス、バックパッカーにとっては非常にありがたい。
外はすでに暗くなっている。沿道にはホテルやレストランが多い。走っている車も多く、しばしばクラクションの音を聞く。
地図で見た距離感とバスに乗っている時間とがだんだん合わないように思えてくる。もう20分は経過しているから到着してもいい頃なのだが、声はかからない。バスは幹線道路から一旦住宅街のような狭い路地に入り、また幹線道路に戻る。隣をトローリーバスが追い越していく。こんな標高の高いところに、電気を食うバスを走らせているなんて想像していなかったので、やや驚く。
空港を出て30分もしたころ、トローリーバスの乗り場もある広場で降りるように言われ、あっちに目的の広場があると少年が指さす。あとで確認したら降ろされたところはPaza la Marinというところだった。さっきまではほとんど路上を歩いている人は見かけなかったのに、ここらは多い。
バスを降りて客引きの少年が指さしていた方向を見ると、あいや、ものすごい坂。チャリでブレーキをかけずに降りてきたら時速50kmは出るだろうというくらい(わかりにくいたとえですね)の急勾配で、チャリはおろか重い荷物を持っていると歩いてでも登るのを一瞬ためらってしまうくらい。
通りはきれいにライトアップされており、正面からは人があるいて降りてくる。通りにはファストフード系の店がちょぼちょぼある。
キトが標高2850mというのは後で知ったが、坂を上り始めて50mもいかないうちに呼吸が乱れてくる。先は長い。
気温は低いものの上着を着ていたおかげで、だんだんと汗がにじみ出てくる。
歩いている人たちは、パナマよりもグアテマラのマヤ系の人々に似ている。そこまで寒いとは思わなかったが、みなコートやジャンバーを着て、手をポケットにつっこんで歩いている。
交差する通りを見てもヨーロッパ調の建物がずらっと並んでおり、ライトアップされた教会のような大きな建物が数棟ある。予想以上に旧市街の規模がでかい。
広場では小さな男の子や女の子が小さなお菓子を詰めた木製の箱を持って、歩いている人たちに買わないか声をかけている。靴磨きの道具を持って歩いている10歳くらいの男の子もみかける。
500mも歩いただろうか、でかい宮殿のような建物が左手に見え、そこに警官がいたので、目的の広場への行き方を聞く。2つ先の角を左に曲がったら着くという。
そこまで来るとほとんど平らになっていたので、呼吸はずいぶん楽になった。やがて広い広場が突然表れ、ここが目的地だとわかる。
正面向かって左の角に目的の宿Hostal Sucreはあった。建物の壁に黒い文字で書かれていたのでそれとわかる。入り口がわからず、一度人に聞いて、宿に入る。
階段を上ると吹き抜けのロビーに出る。建物は古い。若いスタッフが対応してくれる。部屋を準備するから待ってくれと言われ、しばらく待つ。日本人がちらほら。
2階の3号室に案内される。6畳ほどの部屋にベッドが一つ。机と台が1つずつ。椅子はない。窓からは広場が見え、その向こうには明かりの点いた旧市街が広がっているのが見える。
1泊3ドル。今回の旅では最安値だが、なかなかいい。ぼくが学生の時、山形にしばらくいたときに、世界を旅して回っている人に会った。その人は日本で例えば半年なり工場などで働き、カネがたまると旅行に出ているらしかった。
そのときに、その人からキトに数ヶ月滞在していたことがあると聞いたのだが、この宿がその人が滞在していた宿だった。パナマにいるときにキトの宿をネットで探していたところ、その情報を目にし、驚く。当時のぼくはこうした旅に出ることなど、まったくと言っていいほど考えていなかった。それが8年の時を経て、こうしてつながったことが面白い。
聞くとその人が滞在した2000年頃はここは1泊50円程度だったらしい。連れ込み宿の一番上の階を日本人に提供していたらしいが、今はそういう雰囲気もない。
部屋に荷物を置いて、ちょっと飯でも食いにと外に出る。が、さっきは開いていた店もことごとく閉まっていた。時間は20時過ぎ。
人通りもぐっと減って路上でバナナチップなどを売っていた人たちも後かたづけをはじめている。しょうがないので、ぼくは後片づけしているおばさんからポテトチップと水を買う。宿に戻る途中Plaza Grandeを通ると、通りから奥に入る通路があり、そこで食事をしている人たちが見えたので、そこに入ろうとする。
するとそこへ菓子売りの少女と少年が2人、何か買わないかと寄ってくる。女の子の方は小さいが10歳は越えているだろうか、男の子よりもしっかりしている雰囲気。
通路を少し入ったところで立ち止まり、一つずつ適当なものを買うかとものを見る。するとそこへ警備員のおじさんがやってきて、女の子の左肩をつかみながら、強い口調で何やら言い、そのまま寄り切るように通路の外までゆっくりと押し出す。
女の子はおじさんをにらみ、その手をはじく。そして、おじさんに向かって強く文句を言う。そんなことをしたらおじさんがキレて、持っている警棒で女の子を叩いたりするのでは、なんて一瞬思ったが、外まで押し出した後は、口げんかのみだった。女の子が自分の3倍近い体積のあるおじさんに猛然と文句を言っている姿は、強く美しかった、と小説家が書きそうな光景だった。
それぞれから50センターボ(0.5米ドル)のお菓子を買い、その通路を通って中に入る。建物は3階立てで、真ん中が四角く吹き抜けになっており、各階に店が入っている。レストランでは観光客らがにぎやかに酒を飲んでいる。
たいしたものがなかったので、さっさとそこを出て、宿に戻る。こんなに早くに人気がなくなるとは思っていなかったので、意外だった。もっとも宿の周りは治安が悪いとは聞いていたが。さっきまでいた警官も姿が見えなくなる。
オレンジ色の街灯がまちを照らしているが、そこには人が歩いていない。遠くから眺めるためだけの光という感じだ。
宿のベッドには薄い毛布が一枚。窓を閉め、それにくるまって寝るが、夜中ひんやりして目覚める。ここまで寒い夜もこの旅では初めて。
そういえば、これから南半球は冬だ。
・リュックの重さを勘違いしていたカラクリ
・ボゴタでチョコ
・予想外にでかかったキト
今日はキトへ移動日。安いということでコロンビアのボゴタ経由の飛行機にした。ボゴタ行きの飛行機は12時発予定。3時間前に空港に行ってと言われていたため9時には着かないといけない。
今朝も寝苦しいのは変わらず。6時頃おきる。荷造りをする。昨日、ぼくの上のベッドに入った人の荷物が邪魔で持ち出すのに苦労する。
空港まではタクシーで1時間もかからないから朝飯を食ってからという手もあったが、早く空港に行ってのんびりすることにする。
7時前にチェックアウトする。ホテルの前のVia Arsentina通りにはタクシーの運転手が3人でおしゃべりをしていて、ぼくに気づくと”タクシー?”と声をかけてくる。
いくらか聞くと20米ドルと言う。この間、別の運転手に聞いたときは16~20ドルという話だったので、20米ドルは拒否して15米ドルでどうかと聞く。すると、”ベインテ(20)”と譲ろうとしない。じゃあ、別のタクシーにしようと思い、歩き始めると3人のうちの一人の人が、15でいいと言い出した。なので、15でお願いする。
空港まではバスもあるので、昨日もバスで行くか迷っていたのだが、しばしば満員であることと、バスの通路がせまいことと、渋滞や客を乗せるためにしばしば止まるので遅いという3つのことがあり、やめた。バスだったら0.25ドルで行けるのだが、運が悪いと2時間もかかるというので、ちょっと高いがタクシーにした。一人だとこういうのにカネがかかる。
タクシーは快調にとばす。案の定、土曜日の早朝にも関わらず、空港行きのバスは満員。タクシーはバスを4~5台追い抜いていく。ちょうど正面に太陽が昇ったばかりでまぶしい。
30分足らずで空港に到着。7時30分にもなっていないから、さすがにまだチェックインできない。
2階の食堂でパンを一つ買い(0.65)、昨日買った水とで朝食。9時までそこで過ごす。
9時になったので、1階の出発ロビーに降り、チェックイン準備。すでにカウンター前には客が20人ほど並んでいる。チェックインの列に並ぶ前に、荷物のチェックがある。リュックを手荷物用の小型リュックを開けて見せる。検査官の男性は、小型リュックを持ち上げて重すぎる(重量オーバー)というようなことを言うが、こっちはわからないふりをする。そこで、預ける荷物用のタグをもらい、並んでいる間にそのタグに名前などを書く。
さて、心配は荷物の重さ。チケットを買ったとき、窓口の女性は預ける荷物の上限は30kg、手荷物は10kgと言っていた。そして、それを越えるとペナルティがあるとも。
ただ、これまではそんなことは一度もなかった。しかも、どこのチェックインターの秤も30kg以下を示していた。だから、ぼくは自分の荷物は30kg程度と思っていたのだが、30kgにしては重すぎると思っていた。実際の重さがわかったのは、サンサルバドルのバスターミナルで計ったときのこと。68kgと出て、やっと感覚と数字が一致した。
さっきアメリカン航空だったかのチェックインカウンター近くを歩いたときにはも50kg以上だと50ドルくらいの追加料金が発生するという立て看板があった。だから、それくらいかかるかもしれないとは予想できた。
それでも、手荷物についてはこれまで重さを測ったことはないから大丈夫だろうと、手荷物のリュックに本をだいぶ移し、大きなリュックを軽くしていたのだが、さっきの検査官は重いなんて言う。だから、もしや検査があるかもしれないと思い、10kg以内くらいになるよう、再度本をでかいリュックに移す。
前に並んでいる人たちを見ると、たいていの人がボストンバックを持っていて、確実に30kg越えしていると思える人たちばかり。なので、その人たちをまずは観察。見ていると、チェックインカウンター横の秤に荷物を乗せ、30kgを越えるとやっぱりお金を払ったりしている。
いやいやこれは参った。ぼくのリュックはおそらく上限の重さのダブルスコアだから、けっこうカネをとられるかもしれない。そうなったら本をここで捨てるのかなとも考えた。
自分の番になり、チェックインカウンターの職員にチケットとパスポートを渡す。職員は秤に預ける荷物を載せるよう言う。その声に促され、リュックを乗せようと持ち上げたとき、わかった。なぜぼくの荷物がこれまで30kg以下と表示されていたのかということが。
原因は秤の枠だった。チェックインターの秤は一般的な体重計とは違って、固定された四角い枠に囲まれている。たいていの荷物(キャスターが付いたバッグやスーツケース)は立てた状態で秤に乗せるから荷物は枠にかからない。
それがリュックの場合、そもそも寝転がってしまう構造になっているから寝かした状態で秤に載ることになる。小さいリュックであれば外枠にかかることはないが、幸いなことに、ぼくのリュックの場合、70リットルと大型のためリュックが秤の四角からはみ出て外枠にかかってしまう。
つまり、外枠にかかっている重さが減殺されて、30kg以下と表示されるわけだ。それに気づいたぼくは、できるだけ外枠にかかるように、荷物をおいた。その結果、ここでの表示は26kgだった。おかげで心配していたことは起こらず。
これには、チェックインカウンターの職員が自分で荷物を持つことがないということも一つの要因になっているだろう。たいてい、チェックインカウンターで対応をしているのは女性で、その人は電光掲示される数値をみるだけで、荷物をラインに乗せるのは別の男性職員だったりする。荷物をラインに乗せる人は表示された荷物の重さをいちいち確認することはない。
もし、チェックインカウンターの職員がベルトコンベアーのラインに乗せる体制になっていれば、毎日の仕事の中で、上限の重さの感覚を体で覚えてしまうだろう。そうなれば、表示された数値と自分が持ち上げたときの感覚とが違っているとわかるだろうが、実際はそれぞれがそれぞれの仕事をしているだけなので、それに気づかない。まぁ、ぼくにとってはありがたいばかりだけど。
そうして無事、チェックインを済まし、今度は手荷物検査と出国審査。手荷物検査を待つ列に並ぶ。自分の番がもうすぐまわってくるというときに、ペットボトルの水が残っていた事に気づく。後ろの人に順番を譲り、ぼくは列の脇で残っていた水を飲み干す。のどが渇いているわけでもないのに、500mlくらい残っていたから、ちと苦しくなる。
それから出国審査。たいした質問もなく、すんなり通過。
出発までの間にDuty free shopでカメラの買いもの。市内のショッピングモールには売っていなかったが、ここにはなくしたものと同じものが売っていたので、購入。日本で買った方がかなり安いが、致し方ない。だが、1年間の国際保証付きというのはこれからも旅が続くのでありがたい。
予定通りの時間に搭乗がはじまる。チケットを見るとぼくの座席は15A。Aということは窓際だ。ラッキーと思いながら乗り込むと、ちょうど緊急脱出用の扉のところの席だった。その席だけは他の席よりも前の席との感覚が広く、足をゆったりとのばすことができる。
これまたラッキーと思っていたら、添乗員の男性が、スペイン語で、スペイン語を完璧に話せるか、とぼくに聞いてきた。スペイン語を話せるかということなら、これまで何度も聞かれたし、普通の質問なので何とも思わないが、なぜか彼は”完璧に”という言葉を付けて聞いてきた。
なんでそんなことを聞くのだろうと不思議に思っていたら、何かまたスペイン語で言い出す。そして、後ろの列に座っていた人に、何か話しかけている。どうも、緊急避難口ということで、もしものときに添乗員とコミュニケーションがとれないといけないから、この席にはスペイン語ができる人しか座ってはいけないよう。
幸い席を替わると名乗り出た男性も窓際の席だったので、ぼくは窓際の席にありつける。
機内では軽食が出る。珍しかったのが、干しトマト。なかなか味があっていい。
窓際の席はとれたものの、眼下は雲ばかり。退屈なので本でも読む。
パナマを出てから1時間半足らずでボゴタに到着。コロンビアの空港内にはビールの看板が多かった。ここで1時間ちょっと乗り継ぎの待ち合わせ。
トランジットの人は係員に案内されて、Duty free shop
経由で再度手荷物検査を受けて、待合室に入る。
一度、手荷物検査を受けて待合室の方に行ったが、こちらには店も小さな売店のみでなにもない。せっかくコロンビアにきたのだからDuty free shopだけでも見ようと思い、係員の人に行って待合室から出る。
Duty free shopは、30軒ほどあって、うち2軒は喫茶店で、あとはコーヒーやお菓子を売っている店や布地や服屋、本屋、カメラ屋などがある。コーヒー屋にはコロンビア産のダークチョコレートが売っていたので、3.3ドルと高かったものの買ってみる。
パッケージにはSantanderという文字が筆記体で大きく書かれており、その下にはカカオを収穫する絵がある。そしてそれを縁取るようにCOLOMBIAN SINGLE ORIGINとある。一番下には「National de Chocolates」 「ESTABLISHED 1920」とある。
完全に輸出向け、あるいは観光客向けのようで、パッケージの裏側には英語でこのチョコレートの説明がある。
商品の名前であろうSantanderというのは、コロンビアの東側の地域の名前で、コロンビアでは一番カカオの栽培に適している地域と言われているらしい。その裏面の右上にはコロンビアの地形図があり、その位置もわかるようになっている。
説明は細かく、標高600~900mの地域で、気温は23~28度、平均湿度は75~80%、4~6月と9月~11月の2つの季節には1600~2500ミリの雨が降り、年間の平均日照時間は1600時間、そして微量要素の豊かな土に恵まれている、とある。
SantandarにあるSan Vicente deChucuri,El Carmen,Rionegro,Landazunといった町や村では、2世紀以上もカカオを栽培している。そして、その生産は12000家族以上の中規模または小規模の農家によって支えられているという。
その後、まだまだ説明は続く。チョコレートは、粉薬の包装として使われるような薄い紙で包まれている。アルミ箔が一般的な日本とは違う。このチョコだけなのかもしれないが。そう言えば、アルミホイルというものを旅行中、ほとんど見ていない気がする。一度、メキシコあたりの屋台で使われているのを見たが、それ以外は見ていない。
アルミを作るのには大量の電気が必要で、またその過程では有害な物質が大量に出るというような話を聞いたことがある。アルミホイルの使用量の国際比較などもあったような気がするが、不確か。
キトに向かう便の出発までまだ1時間あったので、珍しく喫茶店で一服する。コーヒーは2米ドル。酒も含めたいていが10ドル以下だった。
もう一度、手荷物検査を受けて、待合室に入る。さっきはほとんど素通りできたのに、今度は入念にかばんの中をチェックされる。チェックしている係員のおじさんは、日本語の本を見つけるとパラパラとめくり、その文字を見て驚いたようで小さく笑う。そして、同僚の人を呼んで、これを見て見ろと笑いながら見せる。
ハイチでハイチ人と話したときに思ったが、ひらがなやカタカナの50音表、それからあれば同じような漢字の表を持ってくれば良かった。それをこうしたおじさんに見せれば、少なくともひらがなとカタカナにどういった文字があるのかが、一目でわかる。それで例えばどの文字が格好良いかなどを聞いてまわるのも面白そう。外国語の会話帳にもそういうのを付ければいいのに、とも思う。
特に何もなく、検査を通過。16時前、搭乗が始まる。今度は通路側。また、機内食(パンとちょっとしたもの)が出る。機内食にはデザートがついていたのだが、これがけっこうきつかった。小さなカップ(50gくらいだったか)に入った固まっていないキャラメルで、完食するには甘すぎる。でも、完食したけど、量は半分でも十分すぎるくらい。
前の席が空いていたので、食事後、席を移動する。パナマからボゴタは、眼下は雲一色で地上が見えることがなかったが、今度は高度が低いこともあるのか、たまに雲の隙間や雲の向こうにうっすらと地上が見える。
曇っているおかげで地上か海かも判別できないような色。だがルートから考えて、また時折濃い緑または青色の間に白い道路と思われる線が見えることから地上だとわかる。
山に木々はあまりなく、頂上周辺まで耕されている。
ボゴタを出てから1時間30分程度で、機体は雲の中を抜け、キトに上陸。まちのすぐ上空を通って着陸したので、まちの作りや車、歩いている人まで見えた。
機体から降りるとひんやりとする。空港内は最近造られたのか、デザインも洗練されていて、ただの四角い箱という感じのハバナなどの空港とは違う。
驚いたのが、入国審査のシステム。入国審査の順番を待つ人は一つの列に並ぶのだが、そのラインの前には小さな電光掲示板があり、そこに審査が終わったボックスの番号が点灯する。それを見て、次の人はそのボックスに行く。
どこの空港もたいていは空いてそうなところを各々見つけ、並ぶというスタイルだが、こんなふうにしているのを見たのは初めて。もっともこんなことしなくても、係員が一言"Passe (パセ)" "Aderante(アデランテ:お入りください)"と声をかければそれで事足りるのですけどね。
審査官の女性は、スペイン語でよくある質問をする。どれくらい滞在するのかとか、この後、どこに戻るのかとか。帰りのチケットの提示はなし。こんなことなら30ドルくらい安かった片道チケットを買っておけばよかったなどと思うが、まぁ、それも時の運のようなものだろうからしょうがない。
一通り質問が終わった後、彼女はパスポートの写真と目の前に立っている人間の顔を照合する。そして、パスポートの写真は何歳のときのものかと聞いてくる。さすがにハバナのあの係官の女性のように、あなたは変わったとは言わなかったが、やっぱりなかなか一致しないよう。
しかし、総じてぼくにしてはスムーズに通る。審査の最後に彼女はにこっとして、”Bienvenido(ビエンベニード:ようこそ)"と言って通してくれた。
荷物をベルトコンベアからピックアップし、税関審査に行く。ここはたいした検査もなく通過。
ちょっとここで戻って税関審査場内にあったツーリストインフォメーションでキトの地図をもらう。パンフの類はたくさんあって、かなり観光に力を入れていることがわかる。また、市内までのタクシー料金とバスでの行き方を聞く。
外に出る。出たところには迎えの人がたくさん。”Bienvenido MARI”と書いた紙を持っている子どもたちもいた。"MARI”が日本人なのかどうかはわからないが、ぼくの他に東洋系の女性が一人いたので、その人もかもしれない。
空港を出るとすぐがタクシー乗り場。ただ、ごちゃごちゃと客引きがいるわけではなく、数人の人がタクシーが必要かと声をかけてくるだけ。Noと言えば、それでおしまい。
女性のタクシーの係りの人がぼくに声をかけてきたが、タクシーは断り、バス乗り場を聞く。すると嫌な顔もせず、駐車場を出た大きい通りを越えたところにあると教えてくれた。
教えてもらったとおりに大通りを渡り、歩道でバス乗り場を探す。ガイドブックを見ていなかったので驚いたが、大通りの真ん中を2車両つなげた大きなバスが走っている。真ん中は専用ラインのようで、これはメキシコシティにあったものと同じスタイル。
バスの乗り場がよくわからなかったので、通りすがりの女性二人に聞く。ものを訪ねるのは女性の方がいい。男は変なやつにあたるときが往々にしてある。
そこを通るからと言うので一緒に歩く。歩いて10mほどでParada(乗り場)と書いている看板下に到着。
5分も待たずに青色の車体のバスが入ってくる。パナマのような派手な小さなバスじゃない。日本で普通に走っているようなバス。車体はHINO自動車のもの。
ここのバスにも客引き担当の人が乗っており、乗車口に立って早口で行き先を叫ぶ。目的の宿がある広場まで生きたいのだがというと、客引きの少年は運転手のおじさんに確認し、乗せてくれる。
車内は満席。しかし、ありがたいことにこのバスは運転手の後ろに、エンジンの真上になるのか楕円形に突起したスペースがある。そこには座れるようにカバーがついており、縁に8人くらい座れるようになっている。つまり、日本のバスと比べると、運転手後ろの座席2列ぶんくらいがなく、前が広く空いているのだ。
車内を見渡したとき、一瞬どこに立とうかと思ったが、客引きの少年に促され、そこに座る。このバス、バックパッカーにとっては非常にありがたい。
外はすでに暗くなっている。沿道にはホテルやレストランが多い。走っている車も多く、しばしばクラクションの音を聞く。
地図で見た距離感とバスに乗っている時間とがだんだん合わないように思えてくる。もう20分は経過しているから到着してもいい頃なのだが、声はかからない。バスは幹線道路から一旦住宅街のような狭い路地に入り、また幹線道路に戻る。隣をトローリーバスが追い越していく。こんな標高の高いところに、電気を食うバスを走らせているなんて想像していなかったので、やや驚く。
空港を出て30分もしたころ、トローリーバスの乗り場もある広場で降りるように言われ、あっちに目的の広場があると少年が指さす。あとで確認したら降ろされたところはPaza la Marinというところだった。さっきまではほとんど路上を歩いている人は見かけなかったのに、ここらは多い。
バスを降りて客引きの少年が指さしていた方向を見ると、あいや、ものすごい坂。チャリでブレーキをかけずに降りてきたら時速50kmは出るだろうというくらい(わかりにくいたとえですね)の急勾配で、チャリはおろか重い荷物を持っていると歩いてでも登るのを一瞬ためらってしまうくらい。
通りはきれいにライトアップされており、正面からは人があるいて降りてくる。通りにはファストフード系の店がちょぼちょぼある。
キトが標高2850mというのは後で知ったが、坂を上り始めて50mもいかないうちに呼吸が乱れてくる。先は長い。
気温は低いものの上着を着ていたおかげで、だんだんと汗がにじみ出てくる。
歩いている人たちは、パナマよりもグアテマラのマヤ系の人々に似ている。そこまで寒いとは思わなかったが、みなコートやジャンバーを着て、手をポケットにつっこんで歩いている。
交差する通りを見てもヨーロッパ調の建物がずらっと並んでおり、ライトアップされた教会のような大きな建物が数棟ある。予想以上に旧市街の規模がでかい。
広場では小さな男の子や女の子が小さなお菓子を詰めた木製の箱を持って、歩いている人たちに買わないか声をかけている。靴磨きの道具を持って歩いている10歳くらいの男の子もみかける。
500mも歩いただろうか、でかい宮殿のような建物が左手に見え、そこに警官がいたので、目的の広場への行き方を聞く。2つ先の角を左に曲がったら着くという。
そこまで来るとほとんど平らになっていたので、呼吸はずいぶん楽になった。やがて広い広場が突然表れ、ここが目的地だとわかる。
正面向かって左の角に目的の宿Hostal Sucreはあった。建物の壁に黒い文字で書かれていたのでそれとわかる。入り口がわからず、一度人に聞いて、宿に入る。
階段を上ると吹き抜けのロビーに出る。建物は古い。若いスタッフが対応してくれる。部屋を準備するから待ってくれと言われ、しばらく待つ。日本人がちらほら。
2階の3号室に案内される。6畳ほどの部屋にベッドが一つ。机と台が1つずつ。椅子はない。窓からは広場が見え、その向こうには明かりの点いた旧市街が広がっているのが見える。
1泊3ドル。今回の旅では最安値だが、なかなかいい。ぼくが学生の時、山形にしばらくいたときに、世界を旅して回っている人に会った。その人は日本で例えば半年なり工場などで働き、カネがたまると旅行に出ているらしかった。
そのときに、その人からキトに数ヶ月滞在していたことがあると聞いたのだが、この宿がその人が滞在していた宿だった。パナマにいるときにキトの宿をネットで探していたところ、その情報を目にし、驚く。当時のぼくはこうした旅に出ることなど、まったくと言っていいほど考えていなかった。それが8年の時を経て、こうしてつながったことが面白い。
聞くとその人が滞在した2000年頃はここは1泊50円程度だったらしい。連れ込み宿の一番上の階を日本人に提供していたらしいが、今はそういう雰囲気もない。
部屋に荷物を置いて、ちょっと飯でも食いにと外に出る。が、さっきは開いていた店もことごとく閉まっていた。時間は20時過ぎ。
人通りもぐっと減って路上でバナナチップなどを売っていた人たちも後かたづけをはじめている。しょうがないので、ぼくは後片づけしているおばさんからポテトチップと水を買う。宿に戻る途中Plaza Grandeを通ると、通りから奥に入る通路があり、そこで食事をしている人たちが見えたので、そこに入ろうとする。
するとそこへ菓子売りの少女と少年が2人、何か買わないかと寄ってくる。女の子の方は小さいが10歳は越えているだろうか、男の子よりもしっかりしている雰囲気。
通路を少し入ったところで立ち止まり、一つずつ適当なものを買うかとものを見る。するとそこへ警備員のおじさんがやってきて、女の子の左肩をつかみながら、強い口調で何やら言い、そのまま寄り切るように通路の外までゆっくりと押し出す。
女の子はおじさんをにらみ、その手をはじく。そして、おじさんに向かって強く文句を言う。そんなことをしたらおじさんがキレて、持っている警棒で女の子を叩いたりするのでは、なんて一瞬思ったが、外まで押し出した後は、口げんかのみだった。女の子が自分の3倍近い体積のあるおじさんに猛然と文句を言っている姿は、強く美しかった、と小説家が書きそうな光景だった。
それぞれから50センターボ(0.5米ドル)のお菓子を買い、その通路を通って中に入る。建物は3階立てで、真ん中が四角く吹き抜けになっており、各階に店が入っている。レストランでは観光客らがにぎやかに酒を飲んでいる。
たいしたものがなかったので、さっさとそこを出て、宿に戻る。こんなに早くに人気がなくなるとは思っていなかったので、意外だった。もっとも宿の周りは治安が悪いとは聞いていたが。さっきまでいた警官も姿が見えなくなる。
オレンジ色の街灯がまちを照らしているが、そこには人が歩いていない。遠くから眺めるためだけの光という感じだ。
宿のベッドには薄い毛布が一枚。窓を閉め、それにくるまって寝るが、夜中ひんやりして目覚める。ここまで寒い夜もこの旅では初めて。
そういえば、これから南半球は冬だ。
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