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2008年5月5日月曜日

マチャラからピウラ、リマへ その1

08/04/21

・チケットを売らないチケット売場
・エクアドル出国
・ペルーでパスポートチェック三連発
・草のない山
・海水浴場
・田んぼ、田んぼ、田んぼ
・ピウラで乗り換え
・豪華なバスー指紋採取、ビデオ撮影、アナウンス、夜食

夜中、暑さと虫が這っているような感覚があって何度か起きる。温度計を見ると夜中なのに気温は32度、湿度75%。ベッドから起き、開けていた窓から手を出してみると明らかに外の方が涼しい。

6時頃には起きる。あたりで鶏の鳴く声が聞こえる。

バスは11時発だったが、9時にはターミナルに行く。宿から歩いて10分ほどだが、暑さもありかなり汗をかく。

ターミナルは昨日と同じようにバスがひっきりなしに入ってきては出ていく。ターミナル前の歩道ではココナッツジュースを売っているアフリカ系のおにいちゃんがいて、次々と人がよって来て買って行く。

ターミナルのチケット売場に行ってチケットを買おうとすると11時がどうのと言って、売る気配がない。発車時間近くになったら売るのかなと思い、しばらく待合室で本を読みながら待つ。日が入ってくるので、本を読んでいてもうっすらと汗をかく。

10時過ぎにまたチケット売場に行くと、またなんだかんだと言って売ってくれない。言葉もわからないので、今度はバスの整理をしていたおじさんに聞いてみると11時に来るからと言われただけ。

国際バスだから事前にチケットを買っとかないといけないのだろうなと思っていたが、どうもよくわからない。

11時前、バスがターミナル内に入ってくる。ぼくはバスの近くにいたおじさんにペルーに行きたいと伝え、荷物を預け、バスに乗り込む。

バスは11時過ぎに発車。テコンドーの道具を持っている一団がいて、車内でこちらに話しかけてくる。彼らはペルーに帰るところらしい。車内はほぼ満席。

昨日も通ったバナナ農園に挟まれた片道2車線の幹線道路をバスは走る。

バスに乗ってから料金の徴収がある。代金は6ドル。

バスはバナナ農園や湿地帯の中を走る道路をがんがんとばす。窓が開けられるので風が気持ちいい。

出発してから1時間後の12時過ぎ、検問があり、それからすぐに国境の町Huaquillasに着く。そこでバスの人に降りるよう言われ、テコンドーの一団とともに道の脇にあったイミグレーションに行く。

バスを降りるとバスは発車。どこかへ行ってしまう。荷物を預けているのにどういうことだ、と思ったが、テコンドーの一団(5人ほど)もほとんど手ぶらでバスを降りていたので、バスは先の方で待っているのだろうとも思い、まずは出国手続きをする。

出国手続きは特に質問もなく10秒ほどで終了。入国カードの半券をもらい、バスがどこ行ったかなと道ばたに出て眺める。すると、テコンドー一団のボスらしい男の人が、ここで待っていればいいというようなことを言う。

イミグレの隣には小さな食堂兼カフェみたいなのがあって、テコンドー一団はそこの日陰でバスを待っていた。ぼくは立ったまま、バスが去った方を見つめ、待つ。立っているとタクシーの運転手がどこに行くのだと話しかけてくる。

バスは20分ほどして戻ってくる。バスの中はほとんど空っぽになっている。どうもさっき降りなかった人たちはここよりさらにペルーに近いエクアドルのまちに行く人だったみたい。

バスに乗り込む。もう車内はガラガラなので、二人分の席をぜいたくに使う。

バスは舗装された通りを走る。沿道には立派なサッカー場があり、民家や商店が建ち並んでいる。10分経ってもペルー側に着かないので、もしやさっきのところにペルーの入国手続きをするところがあったのかと思うが、他の人も出国手続きをしただけなので、そうではなさそう。

これまでの国境越えでは、出国と入国の間はせいぜい5分くらいで、しかもその間にはまちというまちはなかった。なので、今回もそんなもんだろうと思っていたのに、サッカー場はあるし、家は多いし、市場みたいなところもあるし、でこれまでの前例が覆されてしまった。

出国手続きから、一つのまちを抜けて走ること30分ほど、13時10分にようやくペルー側に入り、入国審査をするイミグレーション前でバスは止まる。

乗客は皆降り、左側にあったイミグレで入国手続きをする。これも質問もなく、すぐに終わる。

またバスに乗り込み、バスはすぐに走り出す。

ペルーに入って景色は一変。エクアドル側のまちは物があふれていたのに、こちらは堀立て小屋の家が荒涼とした大地に規則正しく並んでいる。難民キャンプかとも思えるような光景。

しばらく行くと両側にコンクリート造りの建物が見え始め、街に入ったことがわかる。Tumbesというまちでここで何人か客が降りる。このまちには三輪バイクタクシーが盛んに走っていた。そう言えば、エクアドルでは見なかったなと気づく。

10分ほど休憩した後、バスは発車。

まちを抜けると見えてきたのは田んぼだった。まだ青々している田んぼもあれば、黄金色になって稲穂が垂れている田んぼもある。道路の両脇が一面田んぼ。なかなかの壮観。

やがてバスは海沿いに道に出る。太平洋を右に見ながら舗装された道路をビンビンとばす。この辺りは海水浴場のメッカなのか、次々と海水浴場が現れる。

ペルーに入ってから1時間後の14時20分、海沿いのまちでバスは止まる。何かと思い、外に乗り出してみると警官がいた。

バスの添乗員のおじさんが何やら警察と話し、荷物入れのドアを開けて中を見せている。窓からその様子を見ていたら、まだ20代前半にもなっていないのではと思われる若い警官と目が合う。アッと思ったら案の定、その若い警官は年輩の警官に何やら耳打ちし、その警官がこちらを見て、そしてバスに乗り込んでくる。

その警官は一直線にぼくのところに来る。あのガキいらんこと言いよってと思いながら、待つ。そして、ぼくのところに来て、パスポートチェック。スタンプを確認するとすぐに返してくれた。

荷物のチェックの方では、何かの苗がひっかかった。持ち主の男性はバスを降り、警官に何やら抗議をしている。20分ほどバスはそこで停車。

再度発車したときには、苗の持ち主の男性はいなかった。どうも面倒なことになったよう。

右手に海を見ながらバスは走る。左手の陸地は草もない茶色の低い山や丘が続く。ときおり橋を渡るが、水はない。

1時間ほど走ったら、またバスは止まる。今度は立派な検査用の建物の前で停まる。

乗客はみな自分の手荷物を持って降ろされる。荷台のドアを開け、警官が客の荷物をチェックする。建物の中で、手荷物のチェックもあったが、ぼくはどこから来たかと聞かれ、Japon(ハポン)と答えたら中身のチェックはなかった。

トイレ休憩と軽食を売っていたので、そこで菓子パンと水を買う。これまでと変わったのが、この水。水の味とかではなく、サイズがペルーは違う。買ったペットボトルの水は625mlだった。

15分ほどそこでチェックがある。入国の時には荷物のチェックはしないのに、なんでこんなところでやるのかが謎だ。

またバスに乗り込み、再発車。が、1時間もたたないうちにまたバスは止まる。窓から前の方を見ていて、警察がいるとわかったので、ぼくはカーテンを閉め、外から見られないようにする。これですんなり通ってくれればと思ったが、警官はバスが停車したら即乗り込んできた。

そしてぼくを見るとつかつかと近くまで来て、パスポートを見せろと言う。他の客はそんなチェックをしているふうじゃないのに、なぜぼくだけと思いつつ、パスポートを見せる。そしたら、なぜか外に出ろというようなことを言う。

それで手荷物を持ってバスを降りようとしたら、運転手がどこに行くんだと聞いてくる。いや、どこにと言われてもと思いながら、わからないと答える。

バスを降りると別の警官がぼくを見て、パスポートを見せろと言ってくる。ぼくのパスポートはさっきの年輩の警官が持ったまま。それを仕草で伝えると、今度は荷物の中身を見せろと言って、ごそごそ調べる。

年輩の警官がバスから降りてきて何やら言うがよくわからない。バスの添乗員のおじさんがいろいろ説明らしきことをする。どうも年輩の警官は、パスポートに入国スタンプがないと思ったらしく、聞かれてぼくがそのページを開いて見せると、それで事は済んだ。

まったくちゃんと見ろよな。それに入国審査の人ももっと分かりやすいところにスタンプ押せよなと思いながらバスに乗り込む。ペルーの入国スタンプは、それまで使っていたページから数ページとばしたところに押されていた。前のページから順に押してくれれば、こんなことなかったろうに、まったく。

ぼくが乗り込むとバスはすぐに発車。これまでの遅れを取り戻すかのように、がんがんとばす。

やがて道は海から離れる。ミニグランドキャニオンのようなところも通る。

17時半、内陸の方へ向かう道が右と左とに分かれるポイントに来る。バスは左にルートを取り、しばらくすると田んぼやバナナ農園が広がる地域に入る。

田んぼの畦には椰子が植えられており、夕日に映えるそれらの姿がなかなかよろしい。

日が暮れた18時過ぎ、車が増え、沿道にコンクリートの建物が多くなる。どうもピウラに入ったよう。

街に入ると渋滞のためスピードが落ちる。一方通行の道をぐるぐる回って18時30分過ぎにCIFAのターミナルに到着。ここは会社ごとにターミナルが別れているから、すぐに次に乗り換えることができない。

ここで一泊することも考えていたが、リマでブラジルのビザを取るためにも早くリマに行きたかった。しかし、外は暗くなっていて、時間も19時に近い。歩いてターミナルを探しても、バス自体があるかどうかがわからない。

どうしたものかと思いながらバスから降り、リュックを背負う。するとターミナル内にいた30代後半くらいの男がタクシーが必要かと話しかけてくる。首からは身分証明証をぶら下げている。

ぼくはリマに行きたいんだけどと言うと、19時半発のバスがあるからそこまで乗せていくという。値段を聞くと5米ドル。地図を見る限りではどの会社のターミナルもそう遠くはない。だから5ドルはしないだろうと思い、3米ドルでと言うと、渋そうにOKと言う。

タクシーに乗ると、ペルーの通貨であるソルを持っているかと聞かれる。エクアドル・ペルーの国境では両替商の人がいなかったから、まだソルは持っていなかった。でも、米ドルでなんとかなるだろうと思っていた。

持っていないと答えると運転手は、バス会社はソルしか受け取らないと言う。そして、両替所に寄るから両替しろと言う。確かにペルーではそういうことがあるような話は聞いたが、レートは悪くなるだろうが、米ドル押し切れないことはないだろうと思った。なので、両替所に行く必要はないと言うが、身分証をつかんでこちらに見せながら自分は嘘を言っていないというようなことを言う。

この調子では断っても無駄だなと思い、両替所に行くことを了承する。タクシーは両替所が並ぶ通りに入り、そこに車を止める。ぼくはタクシーが勝手にどっか行かないか気にしながら両替をする。レートは1ドル=2.75ソーレス。後にそれほど悪くないレートだったことを知る。

両替をしてすぐにタクシーに戻る。

そして、18時45分ほどにバスターミナルに着く。レートからすれば3ドルは10ソーレスでもお釣りが出るくらいなので、10ソーレスでいいかと運転手に聞くと5米ドルだと言い出す。またもや出ました、タクシー運転手お得意のあと出しジャンケン。3米ドルだろと確認するが、運転手は両替所に寄ったから5米ドルという。そんなの関係ないだろうとぼくは思うも、ハイハイ5ドルほしいのね、と5米ドル渡す。

荷物をとって、ターミナルの窓口に行く。窓口の女性にリマに行きたいと言うと、いつと聞かれる。今からと言うと、パスポートを求められ、そのコピーを見せるとパソコンで名前などを入力し、チケットを発券してくれる。運賃は60ソーレス(約3000円)。エクアドルと比べると倍近くあがったような気がする。リマまでは14時間くらいだからエクアドルであれば20ドルしないはずだ。

まあ、それでもうまく乗り継ぎができたので、安心する。バスは19時発。あと15分ほどある。

ターミナルの前にはバナナチップを売っているおばさんなどがいた。今日はまともに飯を食っていないので、バナナチップでも買うかと思ったが、袋があまりにでかい(日本のポテトチップのでかいサイズの2倍くらいある)のでやめる。

ターミナル周辺に屋台はないかをちょろっと歩くとハンバーガー屋があったので、そこのを買うことにする。値段を聞くと1個1ソーレス(約40円)と言うので、2個買う。

ターミナルに戻ると乗車が始まっていた。つかつかとバスの方に向かっていると、脇で何やら並んでいた列で待つように言われる。

何をしているのかと思ったら、そこで乗客名簿とチケットの突き合わせをし、さらに指にインクを付けて、乗客一覧の自分の名前の上に押印(?)していた。

その横ではおじさんが、セニョーラとか言いながらビデオカメラを回している。団体客の人かと思っていたが、ぼくの時もセニョールと声をかけてきてカメラを見るように言う。そのおじさんはビデオを持ったまま、バスに乗ることはなく、指紋のチェックなどをしていたターミナルの女性とバスを見送っていたので、どうもバス会社の人だったらしい。ここまでするとは、ペルーはどんなところなんだ。

バスが発車すると制服を着た添乗員の若い女性が、マイクを持って乗客に何やらアナウンスをする。スペイン語なので何を言っているのかわからないが、そもそもこんなことがあること自体に驚く。相当いいバスに乗った模様。

ぼくはハンバーガーをアッという間に平らげる。車内の電気は落とされているので、その暗さもあり早々に寝てしまう。

かなり寝入っていたのだが、バスのスピードが落ち、何かアナウンスが流れているのを感じ、目が覚める。

バスは門をくぐり、建物の横で停車。そこで乗客は続々と降りていく。ぼくもそれに合わせて降りる。

時計を見ると22時20分。こんな時間にトイレ休憩かよと思いながら、みなが入っていく建物に入る。するとそこにはホテルの食堂のようになっていて、そこで乗客の人たちが座って同じ物を食べている。

こんな時間にみんな食欲あるなと思いながら、空いていた席に座る。テレビではサッカーの試合のニュースが流れている。

席に座ってしばらくするとかしこまったウェイターが注文もしていないのにお茶を運んでくる。おお、これはサービスかと思い飲んでると、今度は同じテーブルのおばさんが食っていたものと同じ料理が運ばれてきた。

ウェイターに食べていいのかと仕草で確認するとうなづく。なので頂く。鶏肉のカレーのような料理でうまい。う~ん、まさか夜食がついているとはまったく予想していなかった。窓口の女の人もそんなこと一言も言ってなかったし。ハンバーガーは買わなくて良かったなと今頃思う。それにどうせなら、もうちょっと早い時間にしてくれた方がいいなとも。

30分ほどここで休憩し、またバスは走り出す。飯を食った建物はいったい何だったのかと後方を見ると、やはりホテルの一角で、ぼくらが使った入り口は日本で言うと従業員用の裏門みたいなところだったよう。

バスに乗ると満腹になったこともあり、さっさと寝てしまう。

Fin

machala-lima

2008年5月3日土曜日

クエンカからマチャラへ

2008.4.19(土)

・太平洋側へ
・バナナのまち

今日も5時台に目が覚める。廊下に出てみると宿の表口は完全に閉まったまま。

6時頃になると通路の方から音がしたので、リュックを背負ってチェックアウト。外は曇っている。気温はそれほど低くなく、涼しい程度。

宿の目の前のバスターミナルに行き、マチャラ行きのバスを出しているバス会社のオフィスに行く。ちょうど6時15分発のバスがあった。運賃4.5米ドルを窓口で払い、チケットをもらう。そして、入場料みたいなものを0.1米ドル払って乗り場に入る。

バスは大型の普通の長距離バス。メキシコのように特にきれいでもないし、汚くもない。

バスは6時18分に発車。時間どおり。しばらくすると車内にはサルサが流れ出す。

バスは幹線道路に出て、昨日も通った道を走る。途中、反対車線から来た黄色いタクシーがUターンするのか、こちらの車線に入る格好で車線をまたいで停まって、盛んにクラクションをならす。

バスはそのタクシーの前を通り過ぎるが、すぐにタクシーはバスの左横に来て、追い越しバスの前に車線変更をして、停まる。それに合わせてバスも止まる。何やってんのかなと思っていたら、タクシーから降りてきた女の人がバスに乗り込んできた。どうもこのバスに乗るためにタクシーで追っかけて来たよう。車内はほぼ満席状態。

Terminal Surの前でバスはまた停まり、客を乗せる。ターミナルの周りにはすでに屋台が出ており、そこで飲んだり食べたりしている人が見える。屋台にはあの白い飲み物"Morocho"の文字も見える。

バスの中には宗教関係なのか、薄っぺらの雑誌を持った年輩の女性と男性が乗り込んできて、なにやらスペイン語で乗客に話しかけ、その雑誌を配ってまわる。ぼくにも差し出されたが、スペイン語はわからないからと受け取らなかった。他の人は概ね受け取っていたようだった。

バスはまちを外れると坂道を上り始める。この辺りも畑や牧場が多い。そして水路が美しい。

2時間もすると雲はない青空になる。バスが走る道は山道。左手に見える山には緑がない。人が住んでいる気配もない。

しばらくして、山に緑が見え始めると、畑や民家なども見え始める。ときおり見えるトウキビ畑のトウキビは、軸が紫ではなく緑。あの紫色の軸のトウキビは高地でしか育たないのだろうか。

沿道にはたまに集落が現れる。バスは下り坂に入り、高度が下がるほどに徐々に気温が上がり始める。向かう方面の空の色もアンデスの空の色とは違って、より明るく見える。

バナナ畑も見え始め、家々の庭先や道に面した小屋には、バナナの房がひもなどでつるされているのが見える。バナナは赤茶けたものから緑、黄色いものまでいろいろ。

ときおり土砂崩れの跡もあり、道に流れ出た土砂をどかしたばかりというようなところもあった。

朝のままの格好ではだんだん暑くなる。沿道に見える人たちもみな半袖姿。温度計を見ると28度くらいまで上がっている。集落を通る度に乗客の乗り降りがある。

9時過ぎ、太平洋側に出るための最後の坂を登ったらしく、一瞬、遠くに海が見えた気がした。空の色との境がはっきりしなかったから、しっかりとは見えなかったが、たぶん海だった。

バスは下ると、すぐに平地に出る。また一段と暑い。気温は30度になっていた。

だんだんとコンクリートの建物が増え、まちに入ったことがわかる。Pasajeというまちのよう。途中の集落から乗ってきた人たちが、ごそっとここで降りる。

通りには、カカオの仲買らしい店が目立つ。シャッターは閉まっているが、Cacaoの文字とその絵がかかれてあり、さらにスペイン語で”買う”という言葉が書かれている。

そのまちを抜けると、両脇にはバナナ農園が現れる。奥行きがどれくらいあるかわからないが、サッカー場ならかるく20面はとれそうな広さ。時間を計ってみたらバスは10分近くバナナ畑の脇を走っていたので、一片が数kmはある。道路の路肩からジャンプすればバナナに手が届くほど、近くまで植えられており、大きく実(?)がついている房には青色の薄手の袋がかけられている。

途中、バナナ農園が途切れたところには、高級マンションらしい地区があって、入り口にはゲートがあり、警備員もいた。そのすぐ近くにはこれもできたばかりらしいきれいなショッピングモールがあった。朝が早いからか、客はほとんどいない。

バスは、さっきのまちを出てから20分もしないうちにマチャラに入る。まちの入り口となるロータリーには、グアテマラのバナナ港プエルトバリオスにあったものと同じような、右肩にバナナの房をかかたバナナ労働者の像が立っていた。

すぐにバスはまちの中に入っていく。道幅は広いが、人通りがあまりないので、閑散としたイメージを受ける。

バスは10時前に、この会社のターミナルに到着。タクシーの客引きとかはほとんどいなかったので、荷物を受け取り、ロンプラの地図で位置を確認。幸いバカでかい看板を揚げているホテルが近くにあり、それが目印となったのですぐに現在地がわかる。

ロンプラ南米版には、ここの情報はあまりなく宿も10米ドル以上のしか載っていなかった。なので、ちこっと歩いて宿を探す。だいたい市場近くにも安い宿があることがわかってきたので、市場の方に向かう。

ここも路上に露店があふれるように並んでおり、そちらの方に歩いていって最初に見つけたHostalにまずは入ろうとした。が、看板はあるのだが、入り口が開かない。受付は2階らしく、1階の歩道に面した鉄格子の扉をガタガタやるが開きそうにない。なんだかなぁ、と思っていたら、近くで見ていたおじさんが、あっちあっちと通りを挟んで向かい側を指す。

看板が高い位置にあって気づかなかったが、そちらにもHostalはあった。どうも、今、ガタガタしたところは閉館したよう。

そちらの宿に行く。やはり2階が受付になっているようで、階段をあがる。上がっていくと電話ボックスのような窓口が開るが、誰もいない。

左手には扉の開いた部屋があり、その中にいるおじさんと一瞬目があった。おじさんは起き出してきて、何やら火の名前を呼ぶ。

すると若いにいちゃんが階段をかけ上がってきた。停まりたい旨を伝え、代金を聞くと3米ドルと言う。う~ん、素晴らしい!

そこで宿は即決。3階の部屋を案内される。3階の屋上に出る手前の部屋で10畳ほどあり、ベッドが一つに扇風機が付いている。テレビなどはない。室内にシャワーとトイレもあり、タオル、せっけん付き。すばらしい。

荷物を起き、半袖に着替えてまちに出る。

まずは明日乗るバスのターミナル探し。その前にのどが渇いたので路上の屋台で売っていたAgua de coco(椰子の水)を飲む。ジャマイカのように椰子の実1個単位で売っているのかと思ったら、屋台のおじさんはプラスチックの1リットルくらいの計量カップを取り出し、そこにすでにためていた椰子の水をプラスチックのコップに入れて渡す。

だから180ccくらいか。これで0.5米ドル。ジャマイカでは々くらいの値段で実1個だったのに、量を比較すればこちらの方は4分の1程度しかない。なんてお上品なんだと思いながら、あっと言う間に飲み干し、お金を払う。そして、ついでにバス乗り場も聞く。

”シーファー”というところがペルー行きのバスを出しているというので、道順を教えてもらい、そこに行く。きれいに歩道が整備された通りにCIFAのターミナルはあり、盛んにバスが出入りしていた。チケット売場でペルー行きのバスの発車時刻と料金を聞く。対応はそっっけない。

バスは朝の11時発というので、今日はゆっくりまちを見てまわることにする。

ターミナルからの戻り、来た道とは違う道を歩くと広場に出た。広場の周辺には立派な建物が多いが、週末ということでか開いている店はほとんどない。ロンプラによればここはエクアドル第4の都市らしく、確かに広場付近は立派だ。

面白いのが、地元の銀行のマークで、このマークもバナナの房をかたどったものになっている。この地の経済のよほどの部分をバナナが占めているようだ。

また広場には気温と日時を電光表示する看板があって、それを見たら気温は36度だった。暑いわけだ。だが、蒸し暑くはない。

朝も昼もまだ食べていなかったので、市場界隈に行く。市場の建物は今日はやっていないようで、入り口の扉は閉ざされていた。が、その周りの路上に軒を連ねた露店がなかなかいい。クエンカの路上市は、整然としていたが、ここは雑然としている。道の両脇に露店が並び、真ん中の通りも屋台をひいてジュースを売る人や荷台にパイナップルを乗せて売り歩く車などが通る。だから、まっすぐさっさとは歩けない。こちらはまた一段とハイチっぽい。

人通りは多く、マシンガンを持った警官がバイクに二人乗りしてパトロールしている姿も見える。アフリカ系の人もクエンカやキトよりも目に付く。

肉や魚、貝、チーズ、あらゆる野菜や果物が売られており、あちこちから値段などを言って客を呼び止めようとするう声が聞こえ、活気がある。

食事ができる屋台は少なく、見たところ10軒ほどしかなかった。そのうちの一軒で食事。キャッサバなどが入ったスープを食べる。0.5米ドル。

それからもう1軒食堂に入る。ここではスープとジャガイモのペーストで作った白いソースに豚肉(?)のソテー、ジュースがついて2.25米ドル。腹一杯。じゃがいもで作った白いペースト状のソースがなかなか良かった。

この路上市場以外には店はほとんど相手おらず、また人気もなかったので、バスに乗ってぶらぶらすることにする。

さっきも通った広場に戻り、その脇を通るバスに乗る。フロントガラスに書かれた行き先がPto.Bolivarとあったので、これは港の方に行くバスだと思い、乗り込む。ここも運賃は0.25米ドル。

バスの中にはアイス売りの少年やおじさんが乗り込んできて、乗客にアイスをすすめる。5~6人がアイスを買い求める。

バスは中心部から離れ太平洋側に向かって走る。道路は片道2車線の広い道路。もちろん舗装されている。

10分も走った頃、右手に警備のいかめしい一帯が見える。看板などの文字を見ると、どうもここが貿易港の入り口のよう。

それから5分ほどすると、右から交差する道路の奥に海が見える。そして、正面にはBienvenido a Puert Bolivarという文字の入った市場の建物が見える。市場は閉まっている。

バスはそこを右に曲がり、海辺の道に出る。ぼくはそこでバスを降りる。

ここは地元の観光地のようで、海沿いの通りには20軒くらいレストランが並び、さかんに客引きをしている。遊びに来ている人もそこそこいて、繁盛している店はそうした客でいっぱいになっている。

ぼくは水分補給代わりにスイカの切り身を買う。0.3米ドル。

岸壁の向こうの海はきれいではなかった。あまり見ない形をした船が2隻海に浮いている。その向こうにはマングローブの林が見える。

桟橋が見えたのでそちらの方に歩いていく。この通りにはフライドポテトやフライドチキン、違法コピーであろうCD/DVDなどの露店が並ぶ。

桟橋のまわりも物売りの人が多い。ある人はビニール製の凧を売っており、また別の露店は浮き輪など海などで遊ぶ時に使うおもちゃなどを売っている。

桟橋の上には、木製の馬がおかれており、それに子どもを乗せて写真を撮らないかと通りゆく人に声をかけているおじさんが2人いた。おじさんはカメラを首から下げており、サンプルの写真を店ながら、客を捕まえようとしている。

桟橋の先に、20~30人ほど人がたまっていたので、何かと思い行ってみると、そこからボートが出ているようだった。ボート乗り場の手前にチケットを売る小屋があり、そこの張り紙に往復2.4ドルと書かれていた。

どこに行くかよくわからないが、本数も多いようだし、せっかくなので乗ってみることにする。チケットを買ったらすぐに乗船が始まる。なんともタイミングがいい。

シティボーイっぽい4人組の格好付けたあんちゃんたちや小さな子ども連れの親子、カップルなど20人ほどがボートに乗り込む。

いっぱいになったところでボートは出発。エンジンが1つしかないので、グアテマラなどで乗ったボートと比べると圧倒的に遅い。

のんびりと波のない海をマングローブの林の方に向かってボートは進む。途中、漁をしている小さな舟の近くを通る。まだ小学生か中学生くらいの男の子が2人と父親らしき年輩の男の人3人で網をかきあげている。

舟はマングローブの間の自然の水路に入る。両脇にマングローブがあり、ときどきマングローブを守ろうとスペイン語で書いた看板が海上に立っている。

右手に見えていたのは、どうやら島のようで家などがときおり見える。その水路に入ってしばらくすると、エンジンの音が乱れ、プスンプスンと音を立て、止まる。

あれぇー、と思っていたら、どうもガソリンが入っていたポリタンクが空になったようで、運転しておじさんは急いで、別のポリタンクに細いチューブをつっこむ。このチューブがエンジンにガソリンを送り込んでいるようで、別のポリタンクにチューブを移して、再度ひもを引っ張りエンジンをかけるとまたさっきのように動き出した。

それから5分もしないうちにボートがたまっている桟橋に到着。ここが終点のよう。桟橋にいた少年が舟の屋根をつかみ桟橋に引き寄せる。

舟から降り、島に入ろうとすると0.5米ドルを桟橋のところで徴収される。入場料か何かのよう。

桟橋からまっすぐに砂の道が伸びており、水着を着た人たちがうろうろ歩いている。道をまっすぐ歩いていくと、眼前にビーチが現れ、波と遊ぶ人たちが見える。どうもここは海水浴場らしい。

砂浜にはビーチパラソルではなく、キャンプ用の三角テントが立ち並んでおり、外国人の観光客もちらほら見える。波はそれなりに大きいが、水の色は茶色。あまり入りたくない色だ。

それでもキャーキャーと歓声は聞こえ、みんな楽しんでいる。

30分ほどあたりをうろついて、島を離れる。また舟に乗り、戻る。

帰りのボートから見て気づいたが、でかいコンテナ船が泊まっている近くの道路には、倉庫らしき建物があり、そのシャッターにはDoleと大きく書かれていた。

Puerto Bolivarからバスに乗り、マチャラに戻る。

宿に戻る途中、ある家の入り口のところにホセ・マルティやカストロ、ゲバラの写真が入ったポスターがあった。なんだか久しぶりだなとそのポスターを眺める。読むとキューバのドキュメンタリー映画の連続上映に関するポスターだった。

日付を見ると、すでに終わっているよう。そこを離れようとしたら、その家のおじさんらしき人が怪しそうにこちらを見て、ポケットに突っ込んでいた手を見せろと言う。物盗りと思われたらしい。手を見せるとうなづいて、それでおわり。

ポスターについて、これは終わったのかと聞いてみたが、伝わらず、そのかわり?おじさんは勘違いしたようで、ポスターをはがし、持って行けという仕草をしながらくれた。

なかなかうれしいんですけど、これは持ち歩くのはちょっとなぁと思いつつ、受け取り宿に戻る。

宿に戻って洗濯。これだけの暑さなら洗濯物を干すには完璧だ。

そんでさっさと寝る。

Fin

クエンカで一日

2008.4.18(金)

・キトかクエンカか
・これぞ市場
・フイをゲット

昨日までの予定では、今日、ロハに移動しようかと思ってたのだが、せっかくここに来たし、一日は見てみるかと思い、もう1泊することにする。

6時過ぎには目が覚める。テレビは付けてもどのチャンネルも画像が荒れていて、何も見えない。

念のため、もっとやすい宿が近くにないか探す。バスターミナルの正面入り口に面した幹線道路沿いに3軒ほどホテルの看板があったので、そこをまわる。一軒だけ6米ドルという宿があったが、他は10米ドル以上。6米ドルの宿に移る手もあったが、たいして費用の削減にはならないし、小雨がパラツきだしたこともあり昨晩と同じ宿に泊まることにする。

それからバスターミナルに行く。ターミナルには靴磨きのどうぐを持った10歳くらいの男の子ややはり10代半ばと思われる男の子らがすでに客を求めて歩き回っている。

ロハに行くつもりだったが、ロハ経由でもペルー入りするには、ロハで一泊しないと行けないようだったので、それならと太平洋側に行きたくなったので、そちらに行くことにする。目的のまちはMachala(マチャラ)。ガイドブックによれば、世界最大のバナナの輸送基地となっているまちらしい。

エクアドル産のバナナは日本でも頻繁に見るので、どんなところか見たくなり、行ってみることにした。

マチャラ行きのバスを出している会社は少ないようで、ターミナル内の客引きの人に聞いたらある一社の名前を教えてくれる。

その会社の窓口に行くと壁に出発時刻の一覧が書かれていた。それを見ると1時間に1本はあり、時間帯によっては数10分に1本は出ていた。窓口のおばさんに料金と移動時間を聞き、行くことを完全に決める。

それから一旦宿に戻って、宿の人に今晩も泊まることを告げる。それから雨対策のためにポンチョを手提げ鞄に入れ、またターミナルに行く。

ターミナルの正面入り口のところからは町の中心部に行くバスが出ており、そこからバスに乗る。料金はキトと変わらず0.25米ドル。

バスはターミナル前を出て10分程度で石畳の道路に入る。両サイドには一段高い歩道があり、少ないながらも人が歩いている。一方通行の道をバスはガタガタと揺れながら走る。町並みは完全にヨーロッパ調で、同じ色彩で同じ高さの建物が続いている。

適当なところで降り、適当に歩く。歩いていると、教会の建物やイスタンブールのアヤソフィアのように、頭のところに丸い作りものがついた大聖堂が見える。交差点に突き当たる度に、それぞれの道の奥の方を眺めてみると右も左も数100mは石畳の道が続いている。それを見て、想像以上に市街地が広いことを知る。

ともかくも各通りを歩き尽くそうと、できるだけ一筆書きで回れそうなルートを考え、ぷらぷら歩く。時間は9時過ぎだったが、繁華街から離れているのか人影はまばら。

歩いていたら、Igrecia de San Franciscoという教会前の広場に出る。教会の建物はぼろぼろで地震にでもやられたのかと思ってしまうくらい亀裂がひどい。その広場はSan Francisco Marketと呼ばれている小さな市場になっていて、主に民芸品(毛のポンチョやパーカー、布地など)や服、靴屋が並んでいる。

服や靴屋はトタンの屋根をくっつけて正方形状に一つの建物のような形で並んでいる。ここにはそこそこ人がいて、立ち話をしている人や靴を選びに来ている人、民芸品を品定めしているヨーロッパ系の観光客などがいる。

その一角で気になったのが、やはり食い物の屋台。スープ専門の店のようで、その屋台の周りにはスープをすすっている人が10人ほどいて、並んでいる客もいる。こんなに人気がある店が出しているスープとはどんなもんかとちらっとのぞいてみたら、貝や蟹らしき足などが豪勢に突っ込まれた魚介類のスープだった。鶏のスープ屋はいくらでもあるが、こうした魚介類のスープ屋は珍しい。

それを見て、しばらく腹と相談。食器をバケツに溜めた水で洗っているのを見て、腹は無理だと判断する。ベトナムのホーチミンの屋台でも同じようにバケツに溜めた水で食器を洗っていたが、ここでもやはり考えることは同じよう。これまでもそういうところで食べたりしていたので、普通の状態であれば迷わず屋台に入るのだが、今の状態ではちょっと無理、とのことらしい。

あふれていた唾を飲み込み、また歩き出す。

キトと比べるとこじんまりとしていて、そのぶん、なんだか歩きやすい。起伏もほとんどない。ぼくの感覚からすると、キトの方が観光地として洗練されているように思える。ここクエンカの方は、キトほどには洗練されておらず、生活感がまだあるような感じがする。街角で見る警官の数もキトと比べれば圧倒的に少ない。

キトはあまりにきれいすぎて、まるでどこかのテーマパークのようだったが、こちらの方があの角を曲がると何かあるかもしれないという期待を抱かせてくれるように思う。

それから市場を探す。バスが通るGran Colpmbiaという通りは、排気ガスの臭いがひどい。ただ、その道沿いは店も多く、人通りも他より多い。

何人かの人に聞きながら、市場を探す。教えてもらった方向へ行くと、大規模な工事をしているところに出る。中に入れぬよう、まわりにはシートかけられていた。地図を見る限りでは、この工事をしているところが市場のようなのだが、こうことになっているので、それらしきものはない。ただ、反対側に行くための小さな通路が臨時的にできており、そこを通る人が大勢いたので、これは反対側に何かあるかもしれないと思い、人並みに乗ってその通路に入る。

通路では10歳くらいの女の子がゆでた豆を売っていたり、時計などをシートに広げ売っている人たちがいた。

50mほど歩いて、その小さな通路を抜けると、そこに市場はあった。ただこの市場はキトなどのように、建物の中にあるのではなく、通りに沿ってずらっと露店が並ぶスタイル。ちハイチのポルトープランスのスタイルに似ている。

例えていうと、片道1車線の通りの一方の斜線を露店が占拠しているようなかたちになっており、露店の横をバスや車がひっきりなしに走っている。

露店は背中合わせに2列に並んでおり、端から端までは500mはありそう。基本的に野菜と果物を売っている店ばかり。バナナの種類が多い。小さくて長丸いバナナはここで初めて見る。例の柿っぽいトマトや数種類のじゃがいもなど、品ぞろえは豊富。

露店の列は交差点にかかっているところで一部切れており、その切れているところでは小さなお椀に白っぽい汁物を出す店があった。そこの周りには人だかりができており、みんなその汁物を飲んでいる。

ぼくもその人だかりに混じり、何を食っているのか眺める。見ていたら店のおじさんが、チーノと言って、食わないかと料金を言いながら勧めてくる。料金は0.5ドル。また腹と相談するが、これだけ地元の人に人気があるものを食わずして、ここを離れることができるかと半ば強引に食べることにする。

学校給食で言えば、フルーツなどが入れられているような小さなお椀型のカップにそれは盛られる。寸胴の鍋からお玉で一杯そのお椀に入れられ、その上からあのカサカサしたトウキビの粒(日本では見たことがないもので、乾燥されてあるのか煎ってあるのか、水分がなくパサパサしている)がふりかけられる。

汁は濁っていて、中に魚の小さな切り身が入っている。鯖や味のように白い。やや酸味があり、なかなかおいしい。ぼくの隣で食べていた7歳くらいの男の子はお代わりをしていた。他の人も1杯で終わるのではなく、何杯か食べ、最後に代金を払うような習慣になっているよう。

ぼくが食べ終わるとおじさんは、"Mas(マス:もっと)"と言って、頼んでいないのにお代わりをついでくれる。この食べ物の名前を聞くと、隣で食べていたおばちゃんは”Ceviche"と言う。Ceviche(セビチェ)は、メキシコなどほかの国にもあり、固有名と言うよりも酢の物とか炒め物といったような言葉で、生に近い魚の酢の物の料理のことを言う。

これまで何度か食べたが、どれも酢の物という感じで皿に盛りつけられて出てきた。ガイドブックにもそのように紹介されているので、スープ式のCeviche(セビチェ)があるとは知らなかった。

結局、2杯目はおごりだったようで、代金は請求されず、上機嫌で店を後にする。カメラのバッテリーがなくなってきたこともあり、一旦宿に帰る。

腹の様子をみるのも兼ねて昼寝。

2時過ぎにまたバスに乗ってまちなかに向かう。中心部に着く頃になると、小雨だった雨が土砂降りになる。あいにく傘も合羽も持ってきてなかったので、止むまでバスに乗り続けることにする。

地元の人も傘はもって出てなかった人が多かったようで、みんな雨に濡れている。そして、バスに次々と乗り込んでくる。あっと言う間にバスは満員に。

バスは市街地を縦断し、幹線道路に出る。幹線道路沿いにも店や家は切れ目なくある。市街地を出てから10分ほどするとTerminal Surという南のバスターミナルが右手に見える。その周辺は露店も多く、人通りも多い。

そこからさらにバスは南に行く。市街地から離れるほどに幹線道路と交差している道は、だんだんと舗装されていない道になる。窓から見える家家は、連街路の屋根をした立派な一軒家が多く、畑の中にぽつぽつと建っているものもある。

バスはバーニョというところに行く道を通っているらしく、それらしい看板をときおり見る。

市街地を離れて20~30分した頃、バスは坂道の途中で停車。みなここで降りる。

あたりには民家とトウキビなどの畑ばかり。少し歩くと沿道に豚を丸焼きにして売っている露店がある。豚は内臓以外は頭も足も何かも付いており、腹ばいの状態で鞍のような形をした鉄柵に乗せられている。そして、表面から徐々に切り取られていった跡がある。

ぼくはトウキビの畑を見るためにあたりをぶらぶら。ここらのトウキビは軸が紫色。背丈は2~3mあり、高い。トウキビは日本で一般的に見るようなものよりも横幅があり、やや誇張して言えば小さなラグビーボールのような形をしている。粒も一つ一つが大きく、その大きさはおそらく日本のトウキビよりも3倍は大きい。そのぶん粒の数は少ない。

トウキビの写真をパチパチ撮る。ちょうど雨はほとんど止んでしまったので、ぶらぶらするのには問題なかった。

30分ほどふらついて、またバスに乗り、中心部に向かう。途中、ドルをおろせるところでドルをおろしておこうとATMがありそうなショッピングセンターで降りる。

客は非常に多く、入り口から混雑している。荷物を預け、番号札を受け取り、回転バーを押して店内に入る。中は3階建てで、とにかく何でもある。イメージとしてはデパートとホームセンターが合体した感じ。1階に食料品売場ともろもろの工具や土木仕事に使いそうなものが売られており、2~3階は服や靴、子ども向けのおもちゃ、電化製品などがごちゃごちゃと売られている。

ちょうど南京錠がほしかったので、持っていたものよりも一回り大きいものをここで買う。1.54ドル。

レジを通って店を出ようとしたとき、店の人らしいおじさんに声をかけられる。そして、スペイン語でぼくのズボンのポケットを指さしながら、中のものを見せろというようなことを言う。

入口付近にいた人たちの視線が集まる。ポケットには手帳だのボールペンだの、会話帳だのを突っ込んでいたので、それが怪しまれたよう。それらを見せると、ありがとうと言われて、おしまい。

肝心のATMはあったものの、人通りの多い入り口にあり、かつ子どもがまわりで遊んでいたので、ここではパス。

バスに乗る。0.25米ドル。

中心街で降り、また露店が並ぶ市場にいく。

途中、広場に面したところにNice Creamというアイス屋があったので、アイスを食って腹を元に戻そうと店に入る。メニューを見ると一番やすくて0.9米ドル。他は2米ドル以上と高い。

ぼくはメニューの写真を見て、チョコナイスというチョコのソフトクリームを頼む。ここはキングストンと同じシステムで、さきにレジでカネを払い、もらったレシートを持ってガラスケースの方に行き、そこで店員にレシートを渡す。すると注文を確認され、アイスを装ってくれる。

ぼくのレシートを見た店員は、内容を確認し、コーンを取り出す。そして、機械に向かいアイスを盛るのだが、そのアイスはチョコではなくバニラだった。なので、注文と違うと文句を言おうとしたとき、彼女は巻き上げたソフトをガラスケースの中のチョコレートの固まりの中に2~3秒突っ込み取り出した。

ガラスケースの中のそのチョコはチーズフォンデュのように温められて液体状になっていたようで、取り出したソフトは見事にチョコレート色になっていた。

こうなると確かにメニューで見たものと同じ。まさかこんなアイスがあるとは、とやや驚く。

ちなみにここは高級アイス屋らしく、店の入り口には散弾銃のような銃を持ったアフリカ系の警備員がいた。ちなみに、ここではアフリカ系の人は数えるほどしか見ない。

オランダ系らしいアイス屋が別にあり、そこもはしごするが、いずれもキングストンには遠く及ばず。その2軒目にアイス屋にいたら7~8歳くらいの男の子が、気づかぬうちに横に来ていて、カネがほしいと右手を出す。それを見て店員の女性は、強い口調で彼に店から出るようしかりつける。少年は、こちらを見ながらとぼとぼと店を出る。

ぼくがその店を出ると、彼は別の店から出てきたところだった。どうも同じように他の店もまわっているよう。ぼくを見ると近づいてきて、さっきと同じように手を出してくる。ぼくは小さな小銭をジャラジャラと渡す。

彼はそれを受け取ると何も言わずに去る。振り向いて彼の方を見ると、仲間がもう一人いたらしく、彼よりも背が高いその子と別の店の前で合流し、歩きながらコインを数えているようだった。

全体的には物乞いの人はほとんどいないという印象だったのだが、もしかすると彼のような子どもが見えないところにもっといるのかもしれない。

市場に向かう。

さっきは一部を見ただけだったので、今度は端から端まで見てまわる。

すると、西の方の端で何やら小さな獣を焼いている屋台を発見。これはもしやと思って近づいていったら、あのインディヘナの人たちが飼っているという大型のネズミだった。これは大のご馳走らしく、一度Mitad del Mundで食べようと思って忘れたものだった。

その露店は一人のおじさんと二人のおばさんの合計3人で、文字通り切り盛りされていた。ドラム缶を半分に切って作った炭火用のコンロ(?)には串刺しにされたネズミが火にかけられていて、赤茶にてかっている。表面にタレを塗っては火にかけるというのを繰り返し、ある程度焼けたものは、火から外され横に立てかけられている。

そのコンロの横には机があり、そこに巨大なボールがある。布をかけられていたので、最初はそれがなんだかわからなかったが、布地がとられたときに見ると、まだ焼かれていないネズミが、大量に重ねていれらていた。

肌は白っぽく、串を通された口からは小さなギザギザの歯が見える。腹は開かれ、そこから取り出された贓物は、トウキビの皮に似た紐で腹の部分にくくり付けられている。

腹の調子はいまいちだったが、これは食べないと罰が当たると思い、店のおばさんに声をかける。名前を聞くと"フイ(と聞こえた)”と言い、”Muy rico(ムイ リコ:すごくおいしい)”とにこにこしながら言う。

しゃべっている間もおばさんの手は、串を持ち、焼き加減を見ながらくるくるまわしている。

値段を聞くと7米ドルという。これは尋常なく高い。一般に食堂で飯を食べると2~3米ドルなので、およそ3食分にあたる。う~ん、ちと高いなと思いつつ、今後、食べる機会がなかったら後悔するだろうからな、と重い、思い切って1匹注文。

おばさんは横に立てていた串を火にかける。すでに赤茶色に焼けているから、温めるのと最後の仕上げのために、再度焼くよう。写真を撮っていいかと聞くと、何の問題もないというふうにどうぞと手を広げたので、ぼくは焼けるまで写真撮影。

10分ほど待って、おばさんからオッケーの声がかかる。ここで食べるというと、おばさんは串に刺さったままのフイをナイフでバシバシと叩いて6分割程度にしてくれる。そしてそれを皿に盛りつける。

さらに盛りつけてからトウキビも一緒に食べるかというので、うなづくと近くでトウキビを売っていたおばさんに声をかけ、ぼくに1袋やるようなことを言う。

ぼくはそのおばさんのところに行き、トウキビを受け取る。小さなビニール袋に蒸かしたトウキビの粒がぎっちりと詰め込まれている。見た感じだと2本ぶんくらい詰められている感じ。とても食べ切れそうにない量だが、値段は0.5米ドル。やすいなぁ。

ぼくは店の端っこにあったブロックの上に座り、食べる。幸いスプーンを持ち歩いていたので、スプーンでトウキビをビニールからすくってたべ、肉は手で食らう。

タレがきいておりけっこう塩辛い。肉が一番ついてそうなモモ周りから食べるが、たいして肉はなかった。ただ皮はパリパリでなかなか歯ごたえよく、うまい。ぼくは北京ダックは食べたことないが、たぶんあれと同じような感じなのではと思う。

内臓を取られた胴体はほとんど皮と骨だけという感じ。それでも塩辛さが食欲を減退させ、1匹食べきるのはけっこうつらいなと途中で思い始める。幸いさっきトウキビを買ったおばさんの子どもらしい男の子が近くに来て、じっと見つめるので、彼に右足の方の部分をあげる。

これで多少負担は減った。食べている間も何人かの人がフイを買っていった。みんな家で食べるのか、焼いたフイを黒のビニール袋に入れ、持ち帰っていた。

食べているとさっきの子が、肉のお礼らしくゆで卵を一個持ってきた。スペイン語で何やら言って渡してくるので、おばさんの方を見るとこっちを向いて食べてというような仕草をする。ありがたや。ちょうど塩気を薄めたかったので、さっそくゆで卵を頬張り、口の中の塩分濃度を中和する。

ちなみに肉は、鶏肉とほとんど変わらない味。どこかで食べたカエルもこんな味だったように思う。さっぱりしていて、臭みはない。

案の定トウキビまでは胃袋がまわらず、これは持ち帰る。満腹になって7米ドル払い、店を後にする。まぁ、これだけでも1泊延ばした甲斐はあった。

それからぐるりと市場を見てまわる。露店の品ぞろえはどこも充実していて、どこも同じものを売っている。露店を持たない(持てない)人は、通路のところに座り込んで売っている。そういう人たちは、たいていじゃがもだけ、豆だけといった単品の商売。

歩いていたら、ぼくにも声をかえてくる。長期滞在するなら買ってみたいものだが、なかなかそうもいかない。

ここもジャガイモや豆類、トウキビの種類が豊富。ジャガイモは見た目の違いでも10種類近く、豆も大豆のような豆から、空豆、黒豆、赤い豆など数種類あり、トウキビも3種類くらいある。あとバナナも5種類ほどある。

ぼくは明日の朝用にバナナを買う。小さい種類のバナナを指さし、いくらか聞くと1米ドルという。房には 10本ほどついており、これまでの経験からすると、ちょっと高めだなと思ったが、それをもらうことにする。おばさんは黒のビニール袋にその房を入れ、さらにその下にあった房も入れようとする。ぼくはてっきり上に見えてたものだけと思ったが、そうではなかった。

2房はちょっと食べきれないので1房でいいと伝えると、2~3本追加しようとしていた房からもぎ取ろうとする。ぼくはそれもいらないと伝えるが、これで0.5米ドルになるからというようなことを言う。つまり、おばさんはぼくが買おうとしていた量では0.5米ドルにもならないからと、量を増やしているのだった。

ぼくは1米ドル払うつもりだったので、そこまで気にしなくても思うが、無碍にもできずおばさんがもぎ取るのを待って、0.5米ドル払う。

それにしても、と思う。民芸品を売っている人やタクシーなんかは平気でいくらでもふっかけてくるのに、なぜ野菜や果物を売っている人たちは、こんなにも自分の基準に正直なのだろう。たいていが計り売りなのだが、その値段は明示されていない。外国人なら、1~2ドルくらいふっかけたって買うだろうに。

もしかしたら、いくらかふっかけているつもりなのかもしれないが、そう思えないほど安いように思える。地元の人にとって、それが安いのかはわからないが、でも、このバナナだって1人であれば1ドルぶんで毎日3本食べても1週間近く食える。

そんなことを考えながら宿に向かう。時間は4時すぎだが、市場の露店は店じまいを始めている。見ていると、陳列している野菜などに上からシートをかけているだけで、どこかに移動させるような準備はしていない。

店じまいの様子を最後まで見ていないので、はっきりとは言えないが、グアテマラシティの露店と違ってここでは、道ばたに店をおいたままにするようだった。

宿に戻って明日の出発の準備。明日も目覚めたらすぐ出るので、荷造りをして寝る。

2008年4月27日日曜日

プーヨからクエンカへ(今日は交通事故)

2008.4.17(木)

・交通事故
・雲海
・レインボー

鶏の声がしたので、5時頃だろうと起きる。外はまだ暗い。時計を確認すると、5時過ぎ。夜中、眠りを邪魔するくらいの音をたてて降っていた雨はやんでいる。腹はまだ全快には至っていない模様。

荷造りをして、6時前に部屋を出る。廊下の電灯は自動式。歩いていると廊下に階段にと明かりが点く。宿の人はすでに起きていたので、鍵とテレビのリモコンを渡してチェックアウト完了。

外はそこそこ涼しいが、キトほどではない。25度くらいだろうか。

ターミナルはすぐそこ。1分もかからずに着く。すでに売店の準備も始まっていて、バス乗り場のところではゆがいたうずらの卵を売っているおじさんがいる。

アマゾン川を北上するつもりだったが、どうもずっとは道がつながってはおらず、またバスも少ないようだったので、またアンデスの道に戻ることにした。まずはAmbato(アンバート)というところへ。

ここに行くバスは1時間に数本あったので、早く出るバス会社のバスに乗ることにする。幸い6時発があったので、そのチケットを買う。2.5米ドル。

エクアドルの長距離バスは、結果的にか、だいたい1時間1ドルという料金体系になっている。この体系からするとプーヨからアンバートまではだいたい2時間半というわけだ。

バスはほぼ予定通りに発車する。乗客はそこそこ多く7~8割の席が埋まっている。空は曇り空で道沿いを流れる川も霞がかかって川面が見えない。

そこへ流れ込む小さな川は、茶色く濁っていて、昨日見たよりも勢いがいい。

工事現場で働く人なのか、長靴を履いたおじさんや若いにいちゃんたちが、ところどころで降りていく。制服を着た子どもが数人乗ってきたりもする。このバスは長距離バスとしてだけではなく、隣のまちやむらをつなぐ路線バスのような役割も果たしているらしい。

川沿いの片側一車線、ときおり未舗装、たまに小さな土砂崩れの曲がりくねった道をバスは走っていく。1時間もするとそれまでの緑の濃い山の風景が一転。てっぺんまで耕し尽くされていている風景になる。

ぼくはしばらく睡眠タイム。目が覚めてみると、眼下に広がる盆地にビニールハウスがあちこちにあるのが見える。沿道には苗屋らしき家があり、そこには何かの作物の苗がポット苗のように、小さなビニール袋に入れてずらっと並べてある。

オタバロに行く途中の花屋と言い、ここといい、ビニールハウスがこんな密度であるなんていうのは想像していなかった。

アンバートには9時に到着。ターミナルではなく、ターミナル前の道路で降ろされる。荷物を背負って、ターミナルに行く。ここも複数のバス会社が窓口を持っていて、窓口の人は行き先を連呼している。声をかけてきた人に、Cuenca(クエンカ)かLoja(ロハ)に行きたいというと、バス会社を教えてくれる。

そこに行き、同じ事を言うと、ロハ行きのバスは午後になるから、クエンカに行ってそこで乗り換えた方がいいと言われる。それならとクエンカ行きのチケットを買う。8米ドル。

出発時間は40分後の9時45分。ターミナルに連れていくからと言われ、バスが並んでいる乗り場にスタスタと向かっていたら、そのおじさんにチーノと呼び止められ、こっちだと合図される。

どうもこの会社のバス乗り場は、このターミナル内にはなく、自前で持っているよう。おじさんは歩きながら、コリアンかと聞いてくる。その他、エクアドルは好きか、ペルーにも行くのかと聞かれる。

この会社のバス乗り場はターミナル正面が面している大通りを渡って、狭い路地に入ったところで、直接ここを探そうとしたら目立たないため、かなりわかりにくいところにあった。

ベンチがあり、そこで待っておけというので、しばしベンチでボーとする。やがてバスが入ってくる。今度のバスはメルセデスベンチ、じゃなくて、メルセデスベンツだ。

さっきチケットを買うときに、おじさんの机の上に時刻表らしきものがあって、行き先とバスの車体のメーカー名を書いた一覧があった。それを見たら、この会社のバスの1割くらいがジャガーかなにかで、残りをメルセデスベンツと日野自動車が占めていた。キトでもそうだったが、エクアドルに来てからは日野のバスが目立つ。

ここの社員らしきおじさんは、入ってきたバスの右後部に移動式の階段を付けて、屋根に登り、ビニールカバーを準備している。まさかこんな大型バスなのに屋根に荷物を乗せるなんてことはないよな、と思ったら、そのまさかだった。

ただ、荷物と言ってもリュックなどではなく、花。両手で抱えてさらに足りないくらいの束の花などが、乗り場に持ち込まれ、それが屋根に乗せられ、最後にビニールシートをかぶせられる。

ぼくはリュックを預け、適当に座る。車内にはみかんとブドウを持ったおばちゃんが入ってきて、”タマリンド”などと言いながら、席をまわって売り歩く。それに続いて、白い髭を生やしたおじさんが、ジュースと銀色の小さなビニール袋に入ったスナックを手に乗り込んでくる。物売りの人にしてはえらく身なりがサラリーマンくさいなと思っていたら、そのおじさんはバス会社の人で、手に持っていたジュースと小袋は、乗客へのサービス品だった。

まさかこんなサービスがあるとは思っていなかったので、驚く。今日は、腹のことを考えて、断食の予定だったが、これでは予定を変更せざるをえない。銀の袋を開けるとバナナチップス。これは塩味だった。発車する前になくなる。ナランハ&リモンジュースも同様。

バスはやや遅れて10時前に発車。アンバートのまちを抜け、また山岳地帯というか、牧畜・農村地帯に入る。昨日も見たような風景が続く。山に挟まれたあらゆる土地は耕されたり、放牧場になっている。牛や羊、リャマなどが草を食んでいて、畑では桑を使って耕している人や何かを収穫しているような人がいる。

女性の多くがいわゆる民族服をきて、仕事をしている。牧草地にゴールを立てただけのように見えるサッカー場では、中学生くらいの子たちの試合が行われていて、そこだけ人口密度が異常に高い。

目を奪われたのは水路の美しさ。もちろんU字溝などは入っていない水路で、50cmほどの幅の水路が畑の間を流れている。50年も前の日本の水路もこんなふうにきれいだったのだろうなと思いながら、眺める。

バスは坂道を力を入れて走りあがる。徐々に高度が上がってきたようで、谷間には雲が見える。13時過ぎには雲の中に突入。

雲の中に突入してしばらくするとバスは止まってしまう。これは事故か何かかと窓から顔を出し、前の方を見るがよく見えない。救急車の車体が見えるので、どうも事故っぽい。

窓から顔を出した状態のまま、前を眺めていたら、物売りの声がして、下を見るとバナナチップとピーナッツを持った男の人が売りまわっている。こんなところで商売をするなんて、なんという嗅覚だとたまげる。バスに乗っていた中学生らや子連れの家族が50センターボのそれらのお菓子を買っていく。それにつられて、ぼくもバナナチップを買う。今度のは甘い。甘いバナナを揚げたよう。

バナナチップを食べながら、窓から顔を出し、前の様子を伺う。対向車線は動き出したようで、同じような大型バスとすれ違う。手を伸ばせば届くくらいの距離ですれ違ったのだが、その際、なぜか向かいのバスに乗っている人たちがぼくを見てにこやかに笑っている。前の方から後ろの方へ情報が伝わり、次々とこちらを見る。バナナチップを加えた東洋人が珍しいのか、なんなのか。軽く会釈をすると手を振ってくれたので、バカにして笑っているわけではなさそう。

その渋滞を通り抜け、バスは救急車の後を追うように雲の中を走る。雲のおかげで見通しが悪いうえに、曲がりくねった道。せいぜい30kmくらいしか出ていないだろう。

バナナチップを食べて満足したのか、ちょっと眠くなりうとうとしだす。ちょうど窓の外は白いばかりでほとんど何も見えない。

14時、お昼の休憩のようで、30分ほどまちのレストラン前でバスは停車。降りたらまたその辺のものを食いたくなると思い、車内にいて我慢する。

いつの間にか寝ていて、目が覚めかけたとき急ブレーキを感じ、パッと目を開ける。おっと、どうしたのかなと思った瞬間、グァシャンという音がして女の人の軽い悲鳴を聞くと同時に、前の座席につんのめる。膝を前の座席の下の方に強(したた)かにぶつける。イッテー。

今の衝撃だと完全に何かにぶつかったよう。窓を開け、前を見る。進行方向左側の後ろから2番目に座っていたぼくの場所から見えたのは、対向車線の路肩に斜めになって止まっているこのバスの車体だけ。運転手がドアを開け、降りるのが見える。どうもぶつけたのは、こちら側ではないらし。

右側の窓からは他の乗客が乗り出して外を見ており、騒然している。ぼくも席をたって、右側の窓から前を見る。中型のトラックがこちらを向いて止まっており、その荷台の右側とこのバスの右正面が接触しているのが見える。

右側通行でお互い右側をぶつけるという、どういうふうにぶつかったのかよくわからない状況。

乗っていた中学生くらいの子たちは、これはしばらく動かないと見たのか、次々とバスの窓から飛び降りていく。また、運転席から降りていく者もいる。ぼくはしばらく車内にいて、窓から様子を見る。なんともすばやいことに10分もしないうちに警察が一人来る。そして、路上に集まっている人たちに端に寄ってというようなことを言っている。

また、バスの脇ではトラックの運転手らしい男の人とバスの運転手が口論している。そこへ警察が割り込む。

みな降りていくのでぼくも降りるかと荷物を持って、運転席の方へ向かう。後ろに座っていた男の子が、ぼくと同じように前の方に移動してきて、ぼくに何やら不安そうに言ってくるのだが、何を言っているのかわからない。

見ると車内に残っていた赤子を抱いた女性は、額を切り、その部分を拭ったようで、顔中が血で赤くなっている。持っていたバンドエイドを出し、なんと言って渡せばいいのかわからなかったので、額に張ってという仕草をするが断られる。

バスの乗車口まで来て、どのようになっているのかがわかった。バスの右正面は完全につぶれており、フロントガラスも割れ、乗車口のドアも原型を留めていない。乗車口の部分がトラックと接触していて、ここからは降りるこはできない状況。左側の運転席の方は、それほど損傷はないようで、きれいな状態だった。

この状態ではちょっと再び走り出すのは無理だなと思いながら、乗車口の方から運転席の方へ移動しようとしたとき、トラックのエンジン音が聞こえ、バリバリっという音とともに動き出す。

その音を聞いてさっき話しかけてきた12~13歳くらいの男の子がパニックになり、”Policia!(ポリシア)”と外にいる警察に向かって、ほとんど泣きかけの声で叫ぶ。取り残されると思ったのか、自分をバスから降ろしてというようなことを言っているよう。

そんなに興奮しなくても大丈夫なのに、と思いながら、ぼくはその子の肩をつかみ、こっちと運転席に連れ行く。その子の声を聞いたのか、運転席の外におじさんがやってきて、”Baja,baja(バッハ、バッハ:降りろ、降りろ)”とその子を促す。その子に続いてぼくも降りる。おじさんはまだ中にいるかと聞いてくる。

外に出てみると、想像以上に霧が濃いというか、雲が濃いというか、見通しが悪かった。10m先も見えないほどで、車のライトが見えたと思ったら、すぐそこまで来ている。

応援の警官が車でかけつけ、交通整理をしながら、状況の確認などをしている。

バスが走ってきた方から車が走ってきて、乗客の一人のおじさんが口笛を吹き、ゆっくりゆっくりというような仕草をする。そして、その車が止まった瞬間、急ブレーキの音が聞こえ、後ろから来た車が左に切りながら、その止まった車に衝突する。

ちょうど多くの乗客がたまっていたいた方向にハンドルをきる形で、後続車は来たため、立っていた乗客はそれに驚き、一斉によけようとする。ある女の人は悲鳴を上げながら、路肩の方に足がもつれたように座り込む。その人の両腕の中にはまだ1歳くらいの子どもがいて、女の人はほとんど泣きかけている。

幸か不幸か後続車は、前の車にぶつかったため、こちらまで来ることなく、止まる。右の前輪は完全にパンクして、右側のフロントも深くつぶれている。

乗っていた人は無事のようで、中から同じ服を着た男の人が4人ほど出てくる。肩の文字を見ると、どうもこの事故のことを聞いてかけつけた車の整備士か何かのよう。

すぐに自分たちの車の修理を始める。バスも運転手らが何やら修理のようなことをしている。バスの前に行ってみると、そこにはコンクリートの材料になるような砂がもられていて、それを地元の人らしい山高帽をかぶったおじさんが二人、スコップで路肩の端の方に寄せている。

言葉がわからないので、推測でしかないが、どうも反対車線から来たトラックはこの砂をよけようと左にハンドルを切ったところ、そこにバスが来てぶかったようだ。砂は反対車線の路肩から真ん中近くまで広く盛られており、よけるには対向車線に一旦でるしかない。なんでこんなふうに車が通る部分に砂を盛っていたのかはよくわからない。

それにしても運転手はよくぞ左にハンドルを切ったものだ。右に切れば谷の方にバスは転げ落ちていただろう。谷側には有刺鉄線が張られているもののガードレールのようなものはない。谷の方からは牛の鳴き声がするので、牧場か何かになっているようだが、ここらの牧場の傾斜は尋常でない。

時計を見ると15時過ぎ。雲の中にいるため、みなの髪の毛には水滴がつき、背負っているリュックなども徐々に湿ってくる。キトで3ドルちょっとで買ったポンチョ型の合羽を取り出し、かぶる。

う~ん、これはどうなるんだろうと思っていると、乗客の人たちが集まってなにやら警察の話を聞いている。まったく状況がわからん。でも、みんなの様子を見ていると、なんとかなりそうなので、ぶらぶらと様子を見ながら待つ。

大型バスや乗用車が通り過ぎていく。

しばらくして、空っぽの黄緑色の車体のバスが到着。どうもこれが代わりのバスのよう。みんな押し合いへし合い乗り込んでいく。そんなに慌てなくてもいいだろうにと思いながら、つぶれたバスの修理をしている運転手に荷物を出してもらうよう頼み、預けていたリュックを取り出し、新しいバスに移る。

車内に入ると全席埋まっていて、ぼくが座る席はなかった。みんなが慌てていた理由はこれか、と今頃になって気づく。しょうがないので後ろの方に立つ。どうせ隣のまちまでという人がいるだろうからすぐに座れるだろう。

そう思っていたら座っていた人が突然たち、バスから出ていった。それを見て、その後ろに座っていたおばさんが、ここに座りなと合図してくれる。ありがたや、ありがたや。

出発前につぶれた方のバスの運転手が、なぜかチケットの回収をする。それから新しい運転手が客のチェックをする。ぼくの前の方に座っていたおばさんは、ぼくの方を指さしながら運転手に、”・・・mienbro(ミエンブロ)・・・”と伝えている。どうもその音から英語のmemberと言っているよう。つまり、アンバートから一緒に乗ってきたと伝えてくれているようだった。

何が起こっているのかわからないぼくは、どうもどうも、と繰り返すだけ。

やがてバスは発車。時刻は16時で、予想したよりも対応はずっと早かった。

バスが走り出すとともに、通路を挟んでぼくの右側に座っていた若い男の人と、その前に座っていたおばさんは、十字をきる。

1分も走ると両脇にコンクリート製の家や店が立ち並んでいるのが見える。事故現場はこの集落のほんの手前だったよう。そういえば、さっき窓から降りていった中学生たちがバスには乗っていないので、もしかしたらこの集落の子たちだったのかもしれない。警察署もあって、最初にかけつけた警察はここから来たようだった。

20分も走ると雲から逃れ、あたりがよく見える標高まで下がる。車内ではゴキゲンなメキシコ系の音楽がかかっているが、これを気持ちよく聞いていた人は、おそらく乗客の中にはいなかっただろう。

目的地に迎えが待っているのか、通路を挟んで右側の一つ手前の席に座っているおばさんは、頻繁に携帯で連絡をとっている。ふと声が涙声になり、しゃくりあげる音も聞こえる。親しい人の声を聞いて、さっきまでの緊張が切れたのだろうか。話しながら泣いている。

ぼくの左前に座っていた若い女の人も携帯で、なにやらメールをしている。そして、ふいにぼくの方を向いて、"Por donde estamos(ポル ドンデ エスタモス:どこら辺に私達はいるの)?"と聞いてくる。ぼくに聞かれてもここは初めてですから・・・と思いつつ、わからないと答える。

ふ~ん、という感じで、今度は前の席のおばさんに聞くが、手でわからないという返事。そして、今度はさっき泣いていたおばさんに聞き、そのおばさんはぼくの右となりに座っている若い男の人に聞き、彼はまたその後ろのおじさんに聞き、ようやくわかる。おじさんが言うには、今走っているところはタンボ(El Tambo)というところだった。

すぐに沿道に看板が見え、そこには終点のクエンカまで68kmとあった。もうだいぶ近づいている。あと2時間くらいか。20時前には着きそうだ。

ここらも山のてっぺんまで畑と牧草地。民族服を来たおばあちゃんが、体積はその体の3倍近くはあろうという草(収穫した何かかもしれない)を小さな背に抱え、家に続く斜面を登っている。

谷間にはきれいに雲がかかっているが、その他はきれいな青空。ここらでは雲海なんて日常なんだろうな、と思う。ここらでは雲は見上げるものではない。いつもそばにあり、もしかしたらここらの作物にとっては、貴重な水分を運んできてくれるものかもしれない。

車は一旦下ってまちの中を通った後、また上り坂を走る。左手を見ていると空と谷との間に虹がかかっていた。

また雲の中にバスは入る。ぶつかる前まではうとうとしていたが、あれ以後はまったく眠気はこない。みんなきっとそうなのだろうなと思っていたら、隣の女の人は寝ていた。

雲から抜け、6時頃になるとだんだんあたりが暗くなってくる。やがて、車道が片道3車線になり、中央分離帯には街灯が点っている。沿道には取ってきたまちや村ではあまり見なかったオレンジ色の瓦屋根の立派な家が見え、クエンカにもう入りつつあるのだなということがわかる。

今日、泊まることになるクエンカは人口41万7000人で、南部の中心都市。ガイドブックによれば、議論はあるもののエクアドルで一番きれいなまちとも言われているらしい。

沿道にKIAや三菱ふそう、ホンダなど自動車屋が見え、やがてターミナルらしき大きな建物が左手に見える。バスは左に曲がってターミナルに入っていくと思いきや、ターミナル側の道端に停車。ここでみんな降りる。そこにバス会社の事務所があるわけでもないのに、なんでここで降ろされるのかがよくわからない。

とにかくバスを降りてリュックを背負う。時刻は19時ちょっと前。予想よりも早く着いた。周りを見渡すと2軒、ホテルが見えたので、2軒まわる。一つの宿は1人ものは泊まれないらしく、もう1軒の宿に決める。トイレ・シャワー共同で値段は7.65ドル。目の前がバスターミナルで、とてもきれいなので、探せばもっと安いところがありそうだし、ガイドブックには町中に行けば5ドルくらいの宿がけっこうあるようだったが、この時間だし、町中までは2kmくらいあるというので、この宿にする。

部屋は6畳ほどの縦長でベッドが一つと昔、学校で使われていたような机と椅子のセットが一つ、それからテレビがついている。

キトと同じく涼しいので冷房の類は必要ない。

荷物を置いて、バスターミナルに行き、Loja行きのバスを確認。1時間に1本程度出ているよう。それにしてもこのバスターミナルの立派さには驚いた。さすがエクアドル有数のまち。ターミナル内には食堂やレストランが20軒ほどあり、キオスクも同程度の数がある。CD屋や土産物屋もあって、つくりも整然としている。

警官が巡回しているのも、それだけの都市なんだなと感じる。昨日は静かなところだったのが、一転、暴走族並にエンジンを吹かして走る車がいる。

今日はできるだけ何も食わないようにするという朝の誓いはまたもや崩れ、鶏の串焼きのにおい誘われ、一本買う。そういえば、串焼きというスタイルは珍しい。中米などでは唐揚げはしょっちゅう見たが、串焼きはなかなかなかった。

ここの串焼きは肉の他にてっぺんにゴルフボールくらいのジャガイモが一つ刺さっている。これも南米ならでは? 料金は0.65米ドル。そんなに安いものじゃない。

それから近くにあったネット屋さんで写真のデータのバックアップをとる。1時間0.8米ドル。

宿の周りには20軒近く食堂があり、写真で料理を紹介している店も多い。それを見ると、まだ食べたことのないものがけっこうあったので、強く誘惑されるが、串焼きも食ったから、今日はもう終わりと自分にむち打ち、宿に帰る。

宿に戻ってエクアドル以後のルートを考える。寝る。

Fin

キトからプーヨへ(今日も盗難?)

2008.4.17(木)

・また盗まれそうになる
・トンネルをくぐるとアーマーゾーン
・ツーリスティックなまち プーヨ

6時起床。熱はひいたが、腹の調子はいまいち。

荷仕度をして、フロントで宿代を払う。何泊とまったのか自分では数えていなかったが、結局、5泊もしていた。しかし、宿泊代は5泊で15ドル。ありがたいことだ。

6時40分頃宿を出る。今日も晴天のようで、空は青く晴れ渡っている。空気はほどよく冷たい。通勤・通学の人たちがすでに通りを歩いていて、人通りは多い。

今回はトローリーバスに乗ることなく、バスターミナルに行く。7時頃にバスターミナル着。

オタバロに行ったときとおなじように、チケット売場に行くと、各窓口の人が行き先を連呼している。窓口の上に書かれたバスの行き先を見ながらPuyo(プーヨ)行きのバスを出している会社を探す。

ふらふらしていると、どこかの客引きのおじさんが声をかけてくる。"A donde va(ア ドンデバ:どこの行くのだ)?と聞いてきたので、プーヨと伝えると、そこへ行くバス会社の窓口を指さし教えてくれる。

教えてくれた会社の窓口に行くと、窓口の女性が"8(オチョ)"と言うのが聞こえた。後から考えると"
A las 8(ア ラス オチョ:8時)"と言ったのかもしれないが、ぼくは8しか聞き取れなかったので、8ドルかと思い、高いなと思いつつ、まぁ、しょうがないかぁと思って、出発時刻を聞いた。するとまた女性は”オチョ”と言うので、さっきから出発時刻のことを言っているのだということがわかる。

それで8時かぁ、まだ1時間近くあるなぁと思い、どうしようかと思っていたら、横で見ていた男の人が、7時半発のどこどこ会社のバスがあると教えてくれる。その男の人は、そのバス会社の人ではなく、別のバス会社の人のようだった。教えてもらった会社の窓口に行くと、確かに7時半のバスがあった。運賃は5米ドル。

20米ドル札を渡すと、窓口のおばちゃんは釣り銭がないととりあえず5ドルぶんだけつりをくれる。そして、とにかく乗車場に入れと言う。例のごとく、乗車場に入るには、入場料のようなものを取られる。0.3米ドル。入り口の人に50センターボのコインを渡すと細かいコインに両替してくれるので、その中から30センタターボ(0.3米ドル)ぶん取り出し、コイン投入口に入れる。回転バーを押して中に入る。

さっきの窓口の裏手に行き、おばちゃんにここでいいかと仕草をする。すると、そこにバスが入ってくるからとバスが停車するところを指さす。日本でも駐車場内の各枠に番号があるように、ここでバスが入ってくるところに番号札が立てられていて、その番号がバス乗り場の番号になる。

24番の番号がついた駐車枠の前にあるベンチでしばらく待つ。まだバスは入ってこない。予定時刻の10分前をすぎた頃にバスが入ってくる。なかなか豪華なバスだ。

まだつりをもらっていなかったので、さっきの窓口の裏手に行き、中にいるおばさんを見ると、ちょうど目が合い、今、思い出したとばかりに、にこにこしながら釣り銭の残りの10米ドルを持って出てくる。

10分くらいしかたってないのに、忘れるなよな、と思いつつ、笑顔で受け取る。

バスの停車場の前には小さな屋台的キオスクがあって、そこのおばあちゃんがりんごだのを進めてくる。ぼくは朝飯代わりにパンだという茶色い紙袋に入ったものを購入。1米ドル。

それらを持ってバスに乗り込む。

バスに乗り込むと、おじさんが中にいて、ここに座れとすすめる。そして、ぼくの荷物を手に取り、網棚の上に乗せる。上に置くのはちょっとよろしくないんだけどなぁ、と思いつつ、おじさんが親切にそうするので、それに任せる。

てっきりバスの添乗員かと思っていたが、おじさんはなぜかぼくの後ろに座る。なんかおかしい。

まぁ、何か用事があってそうしているのだろうと、ぼくはさっき買ったパンを食べ始める。食べてみるとパンには違いないが、揚げたのかバリバリのスカスカのパンであまりうまくない。くそぉ、失敗したなと思いながら、それでも頬張る。

しばらくして巡回しているらしい警官が二人バスの中に入ってくる。そして車内をじろじろ見て歩く。若い方の警官が何か後ろのおじさんに質問していて、年輩の警官が、その若い警官を警棒でこづき、連れていけとあごで指示する。

おじさんは、とりたてて抵抗もせずに、警官二人に挟まれてバスを降りていった。う~ん、これはおかしい。バスの添乗員ならこんなことはありえないし、乗客でチケットを買っているなら、降りるわけがない。

これは何かある。素直に降りていくという事は、すでに降ろされても良い状態にあるということで、つまりはすでに目的を達しているということだろう。だとすれば、その目的は盗みしかない。

と、例のごとくあれこれ考えて、パンを加えたまま網棚(実際は網ではないが)に置いてたリュックの中を見る。すると、ない!このリュックの中に入れていた外付けの折り畳み式キーボードやカメラの充電器などがごっそりなくなっている。

あのおやじ!と思って、動きだそうとしていたバスを止める。パンを加えたまま運転手に”Un momento, un momento"と連呼する。バスは停まるが、ぼくはなんと言って説明すればいいかわからず、ただスペイン語で自分の荷物と言って、乗車場を警官二人に挟まれて歩いていたおじさんを指さす。運転手は何が言いたいのかわからぬようで、眉をしかめて何か言う。

が、ぼくにはそれがまたわからないので、とにかく”Un momento, un momento"を連発し、バスを飛び降りる。

そんで警官のところに走っていき、またスペイン語で”自分の荷物”と繰り返しながらおじさんを指さす。年輩の方の警官は、それを聞いておじさんの方を見る。
するとおじさんは、あっさりと自分のリュックを開け、中を見せる。

するとそこには、ぼくの荷物がどっさり入っていた。そして、なぜか一番そこには中学校などで使う体育館シューズ(と言っても各学校で違うだろうが)のような靴が2足ある。わりと新しいので、これも盗んだものかもしれない。おじさんはどちらかというと、見た目には金持ちそうではないし、どちらかと言えばカネに困ってそうな感じだ。でも、同じような様相の人はそこら中にいるので、とりたてて貧相というわけではない。

ぼくはリュックに入っていた物を自分の手で取りだし、警官に再度、それらを見せながら、自分の荷物だと言う。

年輩の警官は"Su maleta(あなたの荷物)?"と聞いてくるので、"Si"と言いながら、充電地の箱を見せながらこれは日本語だと伝える。

それで警官の方も確信したらしく、おじさんの方を見て、次の瞬間警棒でぶっ叩く。

ってことになるかと思いきや、年輩の警官はおじさんを、こやつめ、って感じで苦笑いしながら見ただけ。いやいや、もうちょっと厳しくしましょうよ、せめて時代劇で大岡越前が”ひったてぃ!”と言って小役人が悪人を連れていくように、おじさんの首根っこでもつかんで、ほら!、と心の中では思うも、それを言葉にすることができない。

バスの添乗員も降りてきていて、早く乗って、みたいなことを言うので、盗られていたものを持ってバスにそそくさと戻る。

バスの席に座ると、年輩の方の警官も乗り込んで来て、ぼくの横に来て"Todo bien(トドビエン:全部大丈夫か)?”と聞いてくる。"Si,si"と答えると、警官は通路の前方に行き、乗客に荷物を網棚の上に置かないようになどと身振り・手振りを交えながら話をする。乗客は4人ほど。みんな窓の外を見ていてあまり聞いてはいない。

バスがターミナルを出たところで、警官は降りていく。

ぼくは、どうしてこうなんでもかんでも盗むかなぁ、もう少し盗むものを選べばいいのに、なんてことを考える。充電式の電池とその充電器は売れるとしても、カメラ用の充電器なんて、そもそもそれらが使えるカメラも出回っていないのだから、そんなに売れないだろうに。

もしかしたらおじさんのような盗人は、盗るものの価値も知らずに盗んでいるのかもしれない。まんまと盗んだものの売れもせず、まして自分で使うこともできずに、放ってあるというものがけっこうあったりするのかもしれない。

あるいはとにかく出せば売れるという裏市場があって、そこでバンバン売り買いされているのかも。

しかし、それにしてもおじさんは、盗んだものにどう値段を付けるのだろうか。観光客から盗んだ物の中には、どう使えばいいのかわからないものとか、そもそもこの国ではそのままでは使えない(コンセントの規格などが違うなど)物もあるだろう。

どこかであった日本人旅行者に聞いた話で次のような話があった。彼はアフリカを旅行していたという別の日本人旅行者から聞いたらしいのだが、その人がアフリカで強盗に遭ったときに、カネなどは盗られたがiPodは盗られなかったらしく、あいつらはiPodの価値がわかってない、とその盗まれた日本人は言っていたらしい。

ショッピングセンターに行けば、いわゆる先進国で売られている物はたいていあるから、そこで値段を知ることはできるだろうが、結局、買い手に買い叩かれていたりするのではないだろうか。

海外ドキュメンタリーを作るならこれをテーマにすると面白そう。外国で盗難に遭っている人は、そこそこいるだろうし、海外旅行経験者や希望者にもウケるかもしれない。ちょっとちゃちぃテーマなのが、難だけど。

ぼくは腹の調子がよろしくないのに、気分を落ち着かせるためにあまりうまくもないパンをパクつく。

バスは渋滞に巻き込まれながら、なんとかキトの待ちを出て、広い幹線道路を走る。しばらくすると、雪をかぶった山が正面に見える。地図で確認するとどうもCotopaxi(コトパクシィ?)という山のよう。標高は5897m。エクアドルにはVolcan Chimborazoという標高6310mの火山があるようだが、そちらはここから見えるには遠すぎるように思える。

周りの景色は、昨日、オタバーロに行くときに見えた景色と似たような感じ。てっぺんまで耕された、あるいは牧場になっている山々の間をバスは走る。トウキビ畑などが見え、牛や馬が草を食んでいるのが見える。

こうした風景は、”のんびりとした”という形容詞を付けられてしばしば言われたりするのだが、それは見ている人の都合でそう言ってるだけで、そこにいる人が本当にのんびりしているわけではない。そう思う。

日本でも”田舎はのんびりしていい”なんて言われたりするが、田舎の都市部は一部そうかもしれないが、田舎の田舎にいる人は、けっこうやることが多くて、休みという休みはなかったりする。

都会暮らしとは、ほとんどの人にとっては雇われ暮らしであり、雇われている以上は、自分の意思に関係なくやらなければならないことが次々と発生し、それをこなさなければ暮らしていけない(もっともこなし続けたことで逆に体を壊し、最悪の事態では死に追いやられることもあるが)。

そういう人にとっては、田舎の風景は、のんびりとして見えるだろう。ただ、実体はのんびりとしているわけではない。ただ、同じ商売をしていても自営業だったり、自作農であれば、より自律している面はあるだろう。そして、そのぶん-自分であれこれ決めることができる=誰かに決められるわけではないぶん、のんびりしているように見えるかもしれない。

つまり、ある人たちにとって、のんびりした風景とは、より自律した風景であるにすぎず、それ自体がのんびりしているわけではない。ただ、いずれにしても比較の問題だから、そうとも簡単には言えないかもしれないが、それを詰め出すときりがないので思考を停止する。

ある畑では、小さい子どもやおばあちゃん、おじいちゃんまで、要は家族総出で何かの収穫作業をしている。

LantacungaやSalcedoといった比較的大きなまち以外にも、いくつもの集落や村々を通り、10時半アマゾンへの分かれ道となるAmbato(アンバート)に到着。何人かの乗客を乗せ、すぐにバスは発車。

バスはこれまでの広いとおりから、谷がちでより狭い道路に入る。ぼくはうとうと居眠り。なんだかだんだんと暑くなって来たのを感じ、目が覚めるとBanos(バーニョ:正確にはnの上に波線が付く)に着いていた。時刻は11時半。

ここでしばらく休憩。バスの周りには飲み物やバナナチップなどのお菓子などを売りに来ている人がいる。

ここでいくらか客が入れ替わる。バスは再度発車。狭い渓谷の間に集落ができていて、ときおり広い農地が見える。沿道には苗屋さんをしばしば見る。

30分ほど走り、トンネルをくぐると景色は一変した。それまでは、山々は緑が薄く、頂上までなんらかの形で人に使われている様子だったが、トンネルのこちら側はとても人が入って行くには森が深すぎるように見える。

Rio Negroという地名を知らせる看板が見える。Rioとは川の意味であり、Negroとは黒色を意味する。谷間を流れている川は、黒とはさすがに言えないが、茶色い濁流で、アマゾンという言葉のイメージになかなかフィットする様相をしている。

道幅は大型バスがすれ違うことができる程度はあり、また路面も舗装されていて、問題はない。ここも観光地化が進んでいるようで、ときおり、エコツーリズムと書いた看板なども見える。また、途中にはバンジージャンプができるところもあり、ヘルメットなどをかぶって、これから飛ぼうという少年が、おそるおそるはるか川底を覗いているのも見えた。

2~3カ所ほど、滝となって水が豪快に落ちてくる場所もあった。

やがてShellというまちに入り、沿道に家や店が立ち並んでいるのを見る。また、小さな飛行場もあった。

一旦、家並みが切れ、くねくねとした道に入るも、30分ほどで広い通りに出る。そして、左手に見えてきたバスターミナルに、バスは入る。

ガイドブックではターミナルから1kmほど離れたまちなかのホテルしか紹介されていなかったので、移動が面倒だなと思っていたが、ターミナル周辺にはホテルが10軒近くあり、ネット屋もレストランもあった。

バスから降り、ターミナルから50mほどしか離れていないホテルにまずは行ってみる。宿泊料を聞くと1泊6米ドルというので、そこで決定。ターミナルに近く、建物もコンクリート造りで比較的新しい。この宿で6米ドルなら4ドル位のところもあるかと思ったが、あまり費用の削減効果はないし、明日また朝が早いので、ここに即決する。

パスポートを見せてチェックインし、部屋の鍵をもらう。部屋は10畳ほどもあって、ダブルベッドでシャワールーム、トイレ、トイレットペーパー、石鹸、タオル、テレビ付き。加えてベッドの横にはベビーベッドまである。そのきれいさは日本のしょぼいビジネスホテルよりもずっと上だ。

あまりの豪勢さ(?)にぼくは感じ入り、しばしベッドでごろり。

それからネット屋でちょっとネットをする。1時間0.8米ドル。キトと比べるとちょっと高いが、早さは十分。パソコンは10台ほどあり、客はぼくの他に中学生くらいの男の子が一人。店主はおばあちゃんとおじいちゃん。

それから歩いて中心部に向かう。 ネット屋のおばちゃんに聞いたら通りをまっすぐ行って左に行けば行けると言うことだったので、その通りに行ってみる。通りを歩いていると、左の方からバスが来てこちらに向かって曲がって来た。フロントガラスにcentro(セントロ)とあったので、このバスが出てきた方向に向かって歩く。

左に曲がってみると、道は舗装されていないし、民家もあまりないし、人通りもほとんどない。幹線道路とまちの中心部とを結ぶ道路が未舗装というのはあまりないので、歩きながらこの道でいいか不安になるが、聞く人もあたりにいないのでとにかく歩く。

10分ほど未舗装の道を歩き、交差している通りを右左と見てみると、右の方に舗装されている道路や店が多かったので、そちらに向かう。そちらに行くとレストランやアマゾナスと書いたトラベルエージェンシーの店、中国語で書かれた中華料理屋の看板も見える。

適当に歩いていると三叉路に行き着く。そこには2体の銅像が立っていて、互いに握手している。1体は上半身裸に日本で言うとふんどしのインディヘナで、もう1体は白人系の人をイメージしたもの。どうもこれらの像は両者の友好を表しているよう。

ガイドブックによればミュージアムがあるというので、そこに行ってみる。広場に面した3階建ての建物の3階にそのミュージアムはあった。2階には行政の事務所か何かがあるようで、書類を持った人たちがずいぶん並んでいた。

その建物の手前、広場の端では男の子が3人、ビー玉で遊んでいる。あまりはっきりとはわからなかったが、ある地点からビー玉をはじいて、あらかじめ掘った穴にどっちが1発で入れるかを競っているようだった。

彼らが遊んでいるところへ別の子がやってきた。その子が歩いてきた方向には家などないように見えたので、どこから出てきたか確認すると、その子が出てきたのはコミュニティレストランと書かれた白い四角いコンクリート造りの建物だった。そのレストランは、底所得者のために普通よりも安い値段で料理を出している店のようで、表にはその日のメニューが0.5米ドルと書かれていた。

そこで飯を食ってみようかと思って、やや遠くから中を覗いたところ、もうほとんど昼の時間は終わったようで、片づけらしきことをしていた。

腹の調子も良くないので、そこでの食事はやめ、ミュージアムに行く。ミュージアムはビルの一室にあって、入場料は無料だっった。

中に女性の職員がいて、先客の男性2人にあれこれ説明をしていた。展示物は、アマゾンに住む人たちの家を復元したものや狩猟・採集、料理などに使う道具、アマゾンの生き物の剥製、多種の蜘蛛や蝶の標本など。解説文はほとんどない。

アマゾンでもいろんな部族のものを集めたようで、復元されていてる家も違う物が6種類ほどある。そのうちの一つはMitad del Mundのミュージアムにもあった家と同じタイプの家で、獣の進入から逃げるために、入り口が二つあるという家だった。

それからまちをふらふらする。人口が少ないからか、人通りは少なく、閑散としている印象を受ける。お店はそれなりに服屋からパソコンを売っている電器屋までそろっているが、客はあまり入っていない。ネットカフェも10軒以上はある。

歩いていたらツーリストインフォメーションを見つけたので、そこで地図とバスの情報をもらうことにする。対応は丁寧で早かった。市内の地図をプリントアウトしてくれて、市場の位置を聞くと、そこにマーカーを付けてくれる。バスについても相談に乗ってくれ、どういうルートで行けるかを教えてくれる。

さらに3種類ほどのカラーのパンフをくれて、極めつけにはそれらを特注の紙袋に入れてくれる。カラーのパンフのうち一枚はMAPA DE LA REGION AMAZONIAとタイトルが打たれたもので、エクアドルのアマゾニアと呼ばれている地域全体の地図が載っている。アマゾニアでもいくつかの地域に別れており、それぞれの地域名と主要都市名、アマゾンの旅のルート例、それからそれらの旅をサポートするエイジェントの名前と電話番号の一覧が載っている。

プーヨはPastaza(パスタサ)という地域の中心都市ではあるが、ここまでツーリストインフォメーションの対応がいいとは想像していなかった。エクアドルがどれだけ観光に力を入れているかが、こういうところでもわかる。

またここまでされると、エクアドルのアマゾンの中にもっと入ってみたいものだとも思ったのだが、あいにく腹の調子が悪く、明日もこの調子が続きそうなので、やめる。

目的の市場はここと同じ角にあった。外見からはそれとわからず、ぼくは近くの通りを何度も歩いて別のところを探していたりしたのだが、気づくと10m程度しか離れていなかった。

市場はコンクリートの3階建ての建物の中にあり、真ん中が四角く吹き抜けになっている。天窓からの光だけなので、中は薄暗い。

入ると4歳くらいの男の子がぼくを見て、”チーノ”という。ぼくがにこりともせずに、そちらを見ると、隣にいたその子のおにいさんらしき子は、その子に二度目を言わせないように制している。エクアドルに来てからは、チーノなどとは言われたことはなかったので、久しぶりだ。

中は20m四方程度の広さしかなく、店数も客も少ない。歩いていると、みんなの視線がこちらに集まる。1階は野菜や果物を売っている店が多く、2階には食堂が数軒と服屋さんが多い。野菜や果物の品ぞろえはキトと代わり映えしない。一回りして出る。

地図を見ると、まちの近くに大きな川が流れているようだったので、そちらの方に行くが、河原はジャングルさながらに草が生い茂っていて入れない。別のルートをとぼとぼ歩いていたが、とても川に出そうになかったのでやめる。

まだ明るかったが、さっさと宿に帰ることにする。

宿やバスターミナルが面している幹線道路に出て、歩いていたら焼きバナナを売っている屋台があったので、腹に何か入れとかないといけないなと思い、そこで焼きバナナを買う。キトで買ったときはバナナをただ焼いただけのものだったが、ここのは違った。

1本頼むと、店の女性はバナナを乗せる皿やきれいな紙がないと断った上で、バナナの皮を取り出し、そこに網から焦げ目がついたバナナを乗せ、ナイフで縦に切れ目を入れる。そこにふわふわしている(ぼろぼろとした感じ)チーズを入れ込み、最後にぼくに"Aji(アヒ)?"と確認した上で、緑色のサルサソースをかける。この緑はアボカドの緑のよう。料金は0.3米ドル。ここまで手をかけるならもうちょっと取ってもいい気がするが、まあいい。

食べてみるとなんとも不思議な感じだ。バナナの甘さにチーズの塩気に、サルサのピリッとした辛み。これは調和していると言っていいのかどうか、判断が難しい。これもまた誰かがただのバナナに飽きて、こうしたものを発明したのだろう。

宿に帰ってからシャワーを浴びる。シャワールームには、水用とお湯用と思われる2つのあの捻る取っ手(?固有名が出てこない)があるので、お湯用と思われる方を捻ってお湯が出るのを待っていたのだが、なかなか出ない。けっこう待ったのに出ないので、これはお湯はでないのだなと意を決して冷たい水の中に入る。なんとか水になれてきた頃、だんだんと水の温度が上がってきてお湯になり、今度は熱すぎるくらいの温度になる。慌てて水の方を出し、熱さを調整する。

時間はまだ17時前だったが、さっさとベッドに入る。

それにしても今回の腹の不調は長い。腹の不調の原因はいくらでも思い当たるので、どれがまずかったのかがわからない。もしかしたらそれぞれの要因が合わさって、これだけ長引いているのかもしれない。

キトでは毎日、道ばたで売られていたゆで豆やトウキビを食っていたから、それが消化に悪かったのかもしれないし(豆は歯ごたえがある程度に硬かった)、氷の入ったジュースも飲んでいる。また、食堂や道ばたで食い物を買ったときには、店の人は盛りつけるときに素手も使っていたから、そこからなんらかのばい菌が入ったのかもしれない。

とにかく自分の腸内細菌の力を信じ、寝ることにする。病は気から、信じる者は救われる?

2008年4月24日木曜日

なんとなくキト

2008.4.16(水)

・国立博物館
・学生証をつくりに
・焼きバナナ

どのようにここから移動してまわるかのルートが決まらず、またMuseo del Banco Centralという博物館も気になっていたので、結局、この日もキトに泊まることにする。

午前中は昼前まで宿にいる。道ばたで食べたゆで豆や空豆、乾燥させたようなトウキビの実がうまく消化できていないのか、腹の調子がいまいち。

まずは博物館に行く。トロリーバスで近くまで行こうと思ったが、学校帰りらしい子どもたちがいっぱいでかなり混雑していたので、一旦カネを払って乗り場まで入ったのに、乗るのはやめて歩いていく。歩いても20分ほどでそこに着く。

博物館の展示は、アジアから祖先は渡ってきたという話から始まり、今のペルーにあったインカ帝国による侵略に関わる話や、当時の装飾品や発掘された人骨などが展示されている。金の装飾品が数多く展示されているのが、これまで見てきた博物館とは違うところ。

2階にはスペインが入って来て以後の展示になっているが、展示物はキリスト像だとかマリア像ばかり。合わせて50体くらいある。

展示の説明は英語も併記されているが、専門用語が多く、よくわからん。

博物館の後、大学近くのビルで国際学生証が作れると聞いたので、試しに作りに行ってみる。事前の情報では写真2枚と10米ドルで作れたとあったのだが、行ってみると、学生であることを証明する文書か何かを持っていないと作れないと、至極あたり前のことを言われ、断念。ぼくより年上の人が写真2枚で作れたらしいのに、なぜ?とも思いながら、ビルを後にする。

ガラパゴスに行きたい人は国際学生証があると飛行機代の割引が受けられるので、こうしたところで学生証を作って
割引料金で飛行機に乗るようなことをしているよう。

ぼくの場合は、あまり学生割引が使えそうなところには行かないから作らなくてもいいかなと思っていたが、サンホセで見た飛行機の学割価格が衝撃的だったので、もしやアフリカ行くときになんかに使えるかもしれないと皮算用をし
て行ってみたのだが・・・。

中心街に戻る。シモン・ボリバールのモニュメントがある広場を歩いていると、焼き芋に似たにおいがしてきたので、その匂いの方へ行ってみると、焼かれていたのはバナナだった。焼き芋ならぬ焼きバナナ。しっかり焦げ目がついている。

試しに1本買う。0.3米ドル。紙ナプキンにのっけられて渡される。熱い。味は確かにバナナ。ただちょっとすっぱみがある甘い焼き芋だと言われて食べたら、たぶん芋と間違えるくらい味も少し似ている。

バナナを揚げているのなら見たことはあったが、焼きバナナは初めてだ。

それからバスターミナルに明日乗るバスの下見。その途中、道ばたの食堂で湯気が立っている白い飲み物が売っていたので、もしやこれはグアテマラにもあったArroz con leche(米粒入りの甘いホットミルク)かと思い、飲んでみると味はほとんど同じだが、入っている粒々の歯ごたえが米にしては硬い。トウキビのような気もするが、確信が持てない。

店のおばさんにこの粒を指さしながら、お米かどうか聞いたが、おばさんは、"Morocho(モロチョ)”と、この飲み物の名前を言うばかりで、ぼくが聞きたいことを悟ってくれない。名前が違うから中身も違うと考えてもいいが、何がどう違うのかが気になる。

それからバスターミナルにバスのスケジュールを調べに行く。

ぼくは、まだエクアドル内をどう移動するか決めかねていた。当初、マングローブ地帯に作られたエビの養殖場を見に、キトから北西にある太平洋側の村に行ってみようかと思ったが、スペイン語ができない旅行者が一人で行くには、交通の便や宿泊の面でなかなか難しいらしいことがわかり、それはやめにした。

それでも太平洋側に行ってみたかったので、Manta(マンタ)というまちに行こうかと思い、バスターミナルでマンタ行きのバスの時間を聞くと、今晩10時半発で明日の朝8時半頃着くバスがあるらしい。聞くと、明日はそのバスはないと言うので、今晩出るか思いながら宿に帰る。

しかし、夕方過ぎからなんだか熱っぽくなってきたため、宿でしばらく様子をみることにする。一眠りしても、まだ熱がとれない。結局、マンタ行きも変更し、バスの本数も多い、アマゾン側に行くことにする。

夜はひたすら寝る。

北半球・南半球行ったりきたり

2008.4.15(火)

・甘いバナナチップ
・木のない山
・雲の中で農業
・大ハウス地帯
・オタバロで買い物
・地球の半分でぷぷっと笑う
・地球の半分で”おおっ”と叫ぶ

昨晩、今日はOtavaloというところに行くことを決め、ちょっと早くに動き出す。

6時前に起き、6時半前に外に出る。今日も曇り。外は15度くらいで、みんなコートを着たりジャンバーを着たりしている。すでに歩いている人は多い。

宿からバスターミナルは地図で見るとけっこう近い。歩いて15分ほどくらい。宿のある広場からずっと下っていたPlaza Santo Domingoというところからトローリーバスで1駅のところにある。

駆け降りるように坂を下り、ちょうどトローリーバスが来たので乗る。窓は人の熱気で曇っている。すでにほぼ満員状態。昨日乗った乗り物とはまた違う乗り物のようで、この乗り物には、横に細長い電光掲示板があり、次に止まる駅の名前が右から左へと流れながら表示される。また、社内放送も電子声だがあって、次に止まる駅のアナウンスがある。

ほー、なかなかすごいなと感心したり、考えごとをしていたら、いつの間にか乗り過ごしていて、慌てて降りる。通ってきた道を戻る。車内では曇っていて見えなかったが、あたりは斜面に囲まれていて、細い道路が一本走っているのみ。車は渋滞し動かない。よけないとすれ違えない狭い歩道を歩き、また駆け足で戻る。

ちょっとしか乗り過ごしていないと思ったが、けっこう乗り過ごしていた。こんな坂あったっけという、上り坂をトレーニングがてら駆け上がろうとするが、途中で呼吸がきつなり素直に歩く。

15分ほどあるいてようやくバスターミナルに到着。

ターミナルは思いの外でかかった。中は電気があまり点いていないので、薄暗い。食堂やツーリストインフォメーション、ATMも併設されている。1階のチケット売場に降りると、20社かあるいはそれ以上の会社の窓口が向かい合って並んでおり、それぞれの窓口からは行き先を連呼する声が聞こえてくる。

例えば”リオバンバ、リオバンバ、リオバンバ、リオバンバ、リオバンバ、リオバンバー”というふうに10回近く連呼する。日本語の感覚からすると、面白い音の地名もあるので、連呼される声を聞いているとなかなか楽しい。

窓口には行き先と時刻表が基本的に書かれており、行き先が同じ会社も多々ある。客引きをしている人から"A donde va(どこに行くのだ)?”と聞かれ、オタバーロと言うとあっちの会社だと窓口を教えてくれる。

そこの窓口でチケットを買う。3ドル。

バスは7時40分にターミナルを発車。客はまたもやぼくしかない。と思ってたら、ターミナルの出口のところで何人か乗客を乗せる。ターミナルでチケットを買って乗るときには、バス乗り場に入るときに使用料みたいな代金0.3ドルを徴収される。たぶんそれを逃れるために、そこから乗るのだろう。

バスの車内ではテレビがつけられ、ニュースが流れる。走るごとに客が増えていく。通りは渋滞で、なかなかバスはすんなりとは走らない。

沿道には店と家が延々続く。見える斜面も家だらけ。さすがに140万人都市だけある。

途中の停車場でバスの中に物売りの人が入ってくる。”パピータ・・・”などと言いながら通路を飽きながら買い手を探す。朝飯代わりにバナナチップを買う
0.5ドル。てっきりいつもの塩味のバナナチップかと思って食べたら、甘い。甘いバナナチップは、今回の旅では初めてのような気がする。

1時間もするとようやく都市の混雑を抜ける。料金所を通り、今度は山岳地帯の曲がりくねった道をくねくねと走る。あたりには民家や畑、牧場が広がる。山には木はほとんど生えてなくてっぺんまで草地だったり畑だったりする。

畑にはトウモロコシやキャベツなどが見え、たまにジャガイモ畑も見える。

車内のテレビではギャング対一人のヒーローが対決するみたいなよくあるパターンの映画のDVDが上映されていて、銃声などがかしましい。外の雰囲気とまったく合っていない。趣なきこと甚だしい。

それからホテルなどもあるまちをいくつか抜け、10時頃、目的地のOtavalo(オタバロ)に到着。オタバロは人口3万1000人のまちで、標高はやや下がって2550m。ここは土曜日に大きな民芸品の市があることで有名なまち。

パンアメリカ大通り(正式には同訳されてるか知らない)で降ろされたぼくは、適当にまちの中心部であろうと思われる方向に向かって歩く。

石畳に狭い歩道。沿道には店があることはあるが、家と混在していて、また客も少ない。そもそも歩いている人がほとんどいない。

地図もちょっと見ながら歩いていると広場に出た。Plaza Bolivarという名前の広場で市庁舎と教会が広場に面して建っている。目に付くのが民族服を来た人たち。女の人では若い人からおばあちゃんまで、男の人では基本的におじいちゃんに近い年齢の人が着ている。女の人だけに限れば、たぶん洋服を着ている人との割合は、ぼくが歩いた範囲では半々に近い印象だった。

何をするともなく、その広場のベンチに座っているおじさんも多い。

教会を正面に見て、右脇の通りには野菜や果物、服などの屋台が並んでおり、その先に100mくらい行くと左手にメルカド(市場)の建物が表れる。

建物周辺の路上も市場と化しており、路上で売られているものは食べ物が多い。じゃがいも、豆、トウモロコシの種類が多い。ジャガイモは見た目の色や大きさ、形から判断できる範囲ででも5種類(赤いものや黄色みが強いものなど)ほどあり、豆もひよこ豆やインゲン豆、大豆、黒豆など多種類、トウモロコシも白いものから黄色いものまで複数ある。

つらつらっと見てまわり、路上版市場の切れ目のところで果物屋さんの屋台で売っていたスイカを買う。0.3米ドル。味は中の下くらい。

それから適当に歩いていると広場に出る。そこでは露店の骨組みを組んで、商品を陳列する作業があちこちで進められていた。30m四方程度の広場は、そうした露店がところ狭しと立っており、売っているものはインディヘナ系のデザインの布地やマント、ポンチョ、セーターなどの服や、インディヘナの人たちがかぶっているがっちりした帽子などなど。

50店近くが密集していて、1店1店見ていたらキリがないくらい。似たようなものが多いが、それゆえに他とは違うものを探そうとすると、時間がかかるというパターンに陥りやすい感じかな。

メキシコのグアダラハラで厚手のポンチョを買ったものの、一度も着ることなく、どこかのバスの中に忘れ、さらに日本で買ったレインコートもキューバのサンタクララあたりに忘れたため、これから寒いところに行くため防寒用に一枚布地を買うことにした。

値段はポンチョやセーターなどは15ドルで、50cm幅くらいの大きめのマフラーみたいな布地は8ドルといった具合。ぼくは薄手の毛布としても使えるよう、180cm×1mくらいの何かの毛の布地を購入。15ドルを14ドルにまけてもらう。

雨がぽつぽつ降り出す。

あとでロンプラの地図を見たらこの広場はPlaza de Ponchos(プラサ デ ポンチョス=ポンチョの複数形)という
名前だった。ほんとにそのままだ。

このポンチョ広場と最初に通った教会などが面しているボリバール広場(Plaza Bolivar)をつなぐ通りはきれいに整備されており、それもちょっと微妙にあか抜けた感じで、なんだかまちの雰囲気と合っていない。その通りに入ったとき、日本のどこかのまちの再整備された一角かと思ったくらい。基本はヨーロッパ調なのだが、何かがずれている感じがするんだな。勝手な偏見かもしれないのだが。


その通りには、外国人受けしそうな雰囲気のカフェやレストラン、トラベルエージェンシー、ホテル、土産物屋さんなど小さな店がびっしりと並んでいて、その中にコーヒーとチョコレートの店があった。

日本では、コロンビアもそうだが、エクアドルのチョコもあまり手にする機会がないので、ここでお試しに買う。チョコは数種類あり、中にはジャングルチョコという名前のチョコもある。それはエクアドルのアマゾン地帯で育てたカカオを使ったチョコレートで、その箱にはフェアトレード商品であることを示すマークが付いていた。

その他の商品も商品説明のステッカーにいろいろと英語で商品の背景などかかれてある。たぶん2度と買うことはないだろうという6ドルのチョコを購入。味はなかなかのもの。

さっいは市場の建物の中は見てなかったので、建物の中を見に行く。中はもっぱら食堂で、昼時と言うこともあり地元客らしい人たちが、めいめい食堂で食事している。

食堂は、どの店も日本で言うと屋台くらいの広さしかない。客は10人座れる店はでかい方で、どこも5~6人が限界。通路沿いに料理の入った鍋を火にかけたまま見せている店もあるし、外観からは何を出すかよくわからない店もある。

食べている人を見ているとけっこうスープものを食べている人が多い。

どの店も人が多いので、空いていた店で食べる。出てきたのは、湯がいたトウキビの実の部分とその上にタマネギなどのサラダがかかったもの。トルティージャのような形式ではないが、エクアドルの人もよくトウキビを食べる。

その後、別の店でスープを食べる。鶏のスープでなかなかうまい。店のおばさんがジュースか何か飲まないかというので、ジュースは何があるか聞くと、ナランハかトマトならあると言われる。ナランハのジュースはだいぶ飲んでいるので新しくない。トマトジュースは新しいが、なんか味がわかりそうな気がする。それにスープだからこれ以上水分はいらないかなと思って、飲み物は断ろうかと思い、おばさんの方を見たとき、おばさんはトマーテ(トマト)と言って、左手に現物を持って、こちらに見せる。

トマトジュースは基本的に好んでは飲まないし、上のようなことでジュース自体を頼むつもりもなかったのだが、トマトの現物を見て、即座に心変わりをしてしまう。そのトマトは、日本で一般にトマトと言って売っているものとは、色の具合や形などが違っていて、言われなければ、別の果物と思うような様相をしていた。

実際、さっき市場を見たときに、おばさんが言うトマトが山積みにされて売られていて、それを見たときは別の果物かと思っていた。葉の様子や皮の質感から言うと、日本にあるもので近いのは柿だが、色が柿のようなオレンジではない。色は、日本で一般的なトマトのような赤ではなく、クランベリーのような暗めの赤といった感じ。


『世界を変えた野菜』という面白い本によると、スペイン人が中南米に来たときに、インディヘナの言葉では品種によって何種類もあったトマトの呼び名を、スペイン人はすべてトマトという一つの名前でのみ記録・記憶したらしい。

おそらくこのトマトもその名残だろう。ほんとは別の名前があったのが、今ではトマトとして呼ばれるのみ。

おばさんはそのトマトの皮を剥き、ジューサーに氷などとともに入れて、シェイクする。そうして出てきたジュースの味は、イチゴに似ていた。そのトマトを直接食べていないし、ジューサーの中におばさんがあれこれ味付けするためのものを入れている可能性もある(ずっとは見てなかったので)のだが、いわゆるトマトジュースの味ではまったくない。

食事後、中心部からやや離れた高台の方を散歩。線路が通っており、地図を見ると駅もあるようだが、とても使われてるとは思えないくらい整備がなされていない。

その後、バスを降りた幹線道路まで戻り、そこでキト行きのバスに乗る。

Royal Flowerと看板に書かれたビニールハウス地帯をまた通ってキトに戻る。

2時間ほどして、キトの郊外に戻ってくる。この後は、Mitad del Mundという北・南緯ゼロ度=まさしく赤道直下を材料に観光開発されたところに行こうと思っていたので、キトの中心部に戻る手前でバスを乗り換える。

反対車線からフロントガラスのところに大きくMitad del Mundと書かれたバスが何本も来ていたので、それに乗る。

さすが観光大国とも言うべきか。Mitad del Mundに向かう途中にはある間隔おきにMitad del Mundの方角を指し示す小さな看板が道ばたに設置されている。どうせならそこまでの距離も書いていてほしいものだが、基本的には方向のみ示している。

バスは緑が薄い山を右手に見ながら走る。バスを乗り換えてから30分ほどした頃、バスが左に曲がると正面奥にそれらしきモニュメントが見える。長方形の台座に地球をかたどったモニュメントが乗っかっている。

300mほど手前でぼくはバスを降り、歩いてモニュメントの方に向かう。正面から太陽が照りつけ、まぶしい。

近づくに連れ、なるほどでかいものだということがよりよくわかってくる。これじゃあ、作り直しなんてなかなかできるものじゃないな、とも。

モニュメントまで100mくらいのところまで来ると、そこから先はテーマパークみたいな敷地になっていて、駐車場があり、仕切がある。適当に歩いて入れたので、すたすたと入る。後に施設を出るときに入場料が必要だったようだと気づいたが、すでに時遅し。

敷地内にはフランスのジオグラフィック館みたいなものやプラネタリウムの他、さっきまで行ってたオタバロのポンチョ広場に売ってたようなセーターやパーカーなどを売っている土産物屋、食堂などがある。

平日ともあってか観光客はほとんどいないため、閑散としている。

モニュメントのしたまで来て、縦長の長方形の台座が東西南北を示していることがわかる。各面に方角を示す文字が書かれていて、東と西の面を下から見上げていくとてっぺんにある地球儀の赤道に部分につながるようになっている。地面には赤ではなく黄色で、ここが赤道(?)とわかるようにラインがひかれており、これをまたいで行ったり来たりすることで、北半球と南半球を何回も往復した気分になれるはずだった。

”はずだった”、と書いたのは、実はここは赤道ではないから。『ロンリープラネット』によるとGPSの機械で調べたところ、本物の赤道より240m南にずれていることがわかったらしい。まぁ、それでも宇宙から見ればほとんど違わないでしょうが。

ここで久しぶりに出会ったのが、ホセ・マルティの像。中米・カリブ海の国ではたいていの国にホセ・マルティの名を冠した広場や通りなどがあったが、南米に来てからは初。パナマでは見なかったような。

モニュメントは見てもたいして面白くなかったが、この後、行った本物の赤道直下にあるミュージアムはなかなか面白かった。

そのミュージアムはモニュメントがある敷地の北側の外壁に接してあって、こちらは建物やモニュメントを見せる施設ではなく、一見は植物園的な様相をしている。

モニュメントがある敷地を出て、幹線道路沿いを北に少し歩くと左手に手作りの看板があり、その看板の指示に従って細い土の道を歩き、小さな木製の吊り橋を渡るとそこが博物館になっている。

サボテンなどの熱帯性の植物がところ狭しと植えられていて、椰子の葉葺きの民家みたいなものも見える。入場料は2米ドル。

吊り橋を渡ったら若いスタッフの人が声をかけてきて、案内するからちょっと待っててと言われる。ヨーロピアンらしき若い旅行客6人組くらいがすでに来ていて、本物の赤道直下で記念写真を撮ったりしてはしゃいでいる。

あたりを見回していると、ハチドリのような嘴の長い鳥やその他の小鳥があちこち飛んでいるのが見える。

若い女性のスタッフが、名前を告げ、ガイドをするがスペイン語がいいか、英語がいいか聞かれる。英語でお願いし、まずはこっちにと、本物の赤道直下のところに連れて行かれる。そこには石でできた作りものがあって、これはインディヘナの人たちが使っていた日時計だと言う。この石に映る影の出来具合で、時(とき)を知ることができるらしい。

その説明のあと、赤道のラインが地面に書かれているところに少し移動してそこである実験を見せてくれるという。そこには持ち歩けるステンレス製のシンク(台所の水受け?)があって、まずはそれを赤道上に置き、流し口に栓をし、バケツに入れてあった水を流し込み、シンクに大量の水がたまっている状態をつくる。それからシンクの下に出てきた水をためるため、そのバケツを置き、栓を抜く。

当然、水は流し口の穴から下へ流れ落ちるのだが、その際の様子が普通と違う。普通であれば渦ができ、ぐるぐるまわるように穴に吸い込まれていくのに、それがない。

それを見た後、同じ事を北半球と南半球で、それぞれやる。すると北半球では半時計まわり(だったような)に、南半球では時計回り(だったような)に渦ができる。地球の自転の影響でこうなるらしいが、こうやった実験ができるのも赤道直下ならでは。おもしろい。

それから赤道直下では卵を縦に立てやすくなると言って、下向きに打ち込まれている釘の皿の部分(小槌などでうちつける平たい部分)に卵を立てる実験をやらせてくれる。

ぼくの前にやっていた人は、なかなか立てることができないようで、ぼくが後ろで待っていると諦めてゆずってくれた。釘と卵との接触点を確認しながら、卵の重心がまっすぐになるよう調整しながら置くとすんなり卵が、釘のあの平たい部分に縦に立った。時間にすれば1分ほど。ガイドのお姉さんは、”おおっ、グレイト”とほめてくれる。まぁ、こんなもん、たいしたことはないですよ、と思いながら、ぼくの前に試行錯誤していた彼をちらりと見る。

それから場所を移動して、インディヘナの人たちが実際に住んでいたという移築した民家を見せてくれる。壁は土壁で彼女はストローと言っていたが、藁のようなものが混ぜこまれている。

中ではフイという大型のネズミが飼われていて、これをインディヘナの人たちは食べるらしい。彼女に食べたことがあるか聞いたところ、"Yes,it's nice."とのこと。キトで食べられるか聞いたら、キトではあまりポピュラーではないらしい。ただ、この辺の食堂に行けば食べられるという。

その後、エクアドルのアマゾンに住む人の住居を復元したものや木製の機織り機で織物を作っている様子などを見せてくれる。またアマゾンの人たちが使っていた(いる?)吹き矢も実際に使わせてくれる。

最後には卵を立てることができたからと、それを記念する証書みたいなのをくれた。

聞くとここは民間団体がやっているミュージアムだという。モニュメントよりもこちらの方が断然おもしろい。

夕方になったのでバスに乗って帰る。バスに乗ってから、あっ、フイ(ネズミ)を食べるのを忘れたとふいに思い出す。

来た道をバスは戻り、1時間ほどたった頃、大聖堂などが見えてきてキトが近くなっていることがわかる。

てっきりぼくはバスターミナルに止まるのだろうと思っていたら、いつのまに大聖堂などキトの町並みが見えなくなり、Mitad del Mundに行くときに通った道をバスは走っている。

どうも、さっき乗客がごそごそ降りたところで、降りる必要があったよう。トロリーバスの乗り場のようなものが見えたから、そこで市街地に入るバスに乗り換えるべきだったようだ。

バスはすでにキトをUターンして、Mitad del Mundにまた向かっているようだったので、また、適当にバスを降り、反対車線を走ってきたキトのバスターミナルに行くバスに乗り換える。

日はもうだいぶ傾いていて、しばらくすると完全に日が落ちる。相変わらずキトの町中に近いところは渋滞していて、なかなかバスは進まない。車内のブラウン管のテレビでは、ハリウッド映画のDVDなのだろう、派手な銃撃戦や爆発シーンが多用されたやかましいアクション映画を上映している。

外を見ると、街灯や家々の明かりがともり、キトの夜景が見える。

結局、19時半頃ターミナルに着く。歩いて宿に帰り、おしまい。

2008年4月21日月曜日

マチャラいり

エクアドルの太平洋側も見たくて、クエンカに2泊ご、今朝、太平洋側のまチャラに移動してきました。

いま、午前11時半です。ぷよよりも暑いです。
気温36度しつど70% ってところです。

明日午前11時発のバスでペルーのピウラ(Piura)に向かいます。約6時間のたびの予定です。

では。


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2008.4.20
Machala,Equador

2008年4月20日日曜日

キトの平日、旧市街と新市街を少し

2008.4.14(月)

・アビアンカでチケットキャンセル
・ネットのマンダリン
・交差点でジャグリング(再)
・きれいな中央市場

昨日は週末のキトをちらりと見たので、今日は平日のキトを見てみることにする。

なので、朝はのんびり。と言っても、やはりやや冷えたこともあり、6時過ぎに起きる。外は曇り空。今日も雨が降りそう。

10時頃まで宿にいて、外に出る。まずはアビアンカ航空にパナマへの戻りのチケットのキャンセルをしに行く。往復チケットで買ったので、あまり期待できないが、もしかしたらたまたま勘違いで払い戻しもあるかもしれないとわずかな希望を抱いて。

アビアンカ航空のオフィスの場所がわからなかったので、まずは宿が面している広場近くにあるツーリストインフォメーションで聞く。スペイン語で聞いたらスペイン語であれこれと言われ、わからずにいると、英語に切り替え説明してくれる。

どうもはっきりと住所を知っているわけではなく、新市街のトラベルエージェントが集まっているある通りに行けば見つかるだろうということだった。それを信じ、適当にその通りに行きそうなバスに乗る。

通りすぎる通りの名前を確認しながら、コロン(コロンブス)通りに来たところで降りる。目的の通りはAv. Amazonas。つまりアマゾン通り。バスから降りて10分ほどでその通りに入る。確かにトラベルエージェントがたくさんある。エクアドルのアマゾンに行く人はここらでツアーを申し込んでいくよう。

通りを歩いてもそれらしきオフィスが見あたらない。しょうがないので、トラベルエージェントの人に聞く。親切にも電話帳で調べてくれ、もっと向こうの方だと教えてくれる。

教えてもらった方向に歩いていく。途中、病院の前を通る。病院の周りには、例のゆでた豆やトウキビなど売っている人たちがいる。

さっき教えてもらった通りにぶつかる。右に行こうか左に行こうか迷い、まずは右に行く。だが、それらしき建物はない。歩道で話し込んでいた警官に聞いても、ここらにはないという。

来た道を戻って、さっきの交差点を今度は左に行く。探すよりも聞いた方が早いかと思い、国内線のオフィスがあったので、そこで聞く。するともっと先を左だという。たぶんのその人は丁寧に教えてくれているのだが、こちらのスペイン語が不十分なので、全体のたぶん2割くらいの情報しかつかめていない。

なので、また迷うことになる。左というのは聞き取れたから、ここを左かと思って曲がってみるが見つからない。そこでまた警官がいたので、その人に聞くと、さっき歩いていた通りを横断して向こうだと言っているよう。

また、来た道に戻り、警官が指さしていた方向に大通りを渡り、細い道に入って左手にあったブティックショップの人に聞く。店の入り口横のガラスを拭いていたおばさんは、よくわからないと言って、あっちのセニョーラは何でも知ってるから、あの人に聞いてと、路上で路駐の整理をしていたおばさんを指さす。

そのおばさんの方に言って聞くと、ちょうどコーヒータイムをしていたようで、紙コップでコーヒーをすすりながら、あの建物とすぐ正面に見えていたガラスばり20階建てほどビルを指さす。

なんか住所の通りと違うんだけどなぁ、と思いつつ、あのビルなら入ってそうだしと思い、ビルに続く坂道を上る。50mほど歩いたところで、何度も後ろからピーっという口笛が聞こえてくるので、振り返る。すると、さっきのおばさんがこっちを向いて、こっちに来いと手招きする。

何だろうと思って駆け降りていくと、あそこはなんとかだったと言って、こっちと言ってさっき歩いていた大通り沿いに出る。どうもおばさんは勘違いしていたようだ。大通りに出て、先の方を指さす。ぼくにはアビアンカの目印である赤い看板が見えないが、おばさんはあそこにある、わかるでしょ、って感じでさかんに言う。

方向はわかったので、とりあえず指さしてた方向に歩く。しかし、看板が見えないので、今度はクリーニング屋のおばさんに聞く。パンを食べているところ悪いなと思いつつ聞くと、さっきぼくが左に曲がったところを曲がらずにまっすぐ行くように言われる。

そうしてやっとこさアビアンカを発見。大通りに面してちゃんと赤い看板にAviancaとあった。オフィスに入り、開いていた右端の窓口でキャンセルの旨を伝える。最初はスペイン語で、それから英語で。相手は乗る日を変えるのだと思ったようで、50ドルの手数料がかかるがいいかと聞いてくる。違う違う、ちがう、そうじゃないと言って、乗らないのだと伝えると、何度も確認され、ようやくキャンセルの手続きをしてくれる。

窓口の女性は手続きをして、これで終わりと言うのだが、狙っていた返金がない。念のため、返金はないのかと聞くと、苦笑いしながらないと言われる。

100ドルでも返ってきたらという甘い期待は、予想通り裏切られ、オフィスを出た後、道端でさっき交差点で車相手にお菓子を売っていた人から買った洋菓子を食べながら、しばらく黄昏る。

それから旧市街に戻るかと歩き出す。ここでも交差点は商売の場となっていて、赤信号で止まった車を物売りの人たちが歩いてまわる。これまでもこうした光景は幾度となく見てきたが、ここで初めて目にした売り物があった。

それはネットに入ったみかん。これまで柑橘類というと夏みかんのように大きいものか、小さいものでもポンカンのようなものばかりだった。だが、ここの路上で売っていたのは、日本でよく売られているようにあのオレンジ色のネットに縦にきれいに詰められて売っている。大きさも日本でいっぱんにみかんと呼んでいるものとほぼ同じかやや小さい。

民族服を着たおじさんが交差点で売っていたので、声をかける。”マンダリン”と言って、ネットに入ったみかんを見せてくれる。買ってみたところ、10個(玉?)入って1米ドル。安くはない。ついでに別の民族服を着たおばちゃんからも1袋(網?)買う。こちらも1米ドル。それを見て、若いにいちゃんが袋に5個入りのリンゴを売りに来たが、リンゴはパス。

近くにトロリーバスの乗り場があったので、それに乗って旧市街に戻ることにする。トロリーバスの乗り場は路面電車の駅のように通りの真ん中にあって、さらに入り口と出口があり、どこからでも入れるという構造にはなっていない。

ぼくは近かったこともあり、バー式の回転扉のところから入ろうとする。普通に歩くスピードのままでその回転扉を押して入ろうとしたら、扉が動かずくちゃっとなる。あれっと思ったら反対側からこの扉に入ろうとしていたおじさんが、ここは出口だと教えてくれる。

どうも片一方からしか入れない構造になっていたようで、しょうがないのでわざわざ反対側まで歩く。まったく面倒くさい。そちらの入り口には係員がいて、1米ドル出すと両替してくれて、25センターボを機械に入れると回転バーがまわるようになっていた。これは効率がいいのか悪いのか。

バスはずっと満員状態。鮨詰め状態まではいかないが、一目見ただけでは乗る隙間がないというくらい。乗って外を
見ていたら、ある交差点で止まったとき、隣の車線で止まっている車の前で、さっき買ったようなみかんを3つ使ってジャグリングしている男の子がいる。見たところ体格からすると12歳前後。

その後ろでは別の少年が、左手に水(もしかしたら洗剤も)が入ったボトル、右手にお手製のワイパーのような道具を持って、止まっている車のフロントガラスを掃除している。交差点で信号待ちをしている車のフロントガラスを掃除する人はメキシコで初めて見て以降、エルサルバドルなどところどころの国でも見た。それぞれの国で誰かが思いついてこの商売を始めたのか、それともそういうことをしている人がいるということを聞いて始めたのか、国を隔てて同じ路上の仕事をしている人がいるというのも興味深い。

旧市街に戻り、お昼を過ぎていたので、メルカド(市場)に行くことにする。バスを降りたところで、博物館のような建物の警備をしていた人に行き方を教えてもらう。

メルカドの入り口ではマンゴーや豆などを売ってる人が5人ほどいた。

建物は一見立体駐車場かと思えるようなコンクリートの四角い建物で、わりと新しく見える。中に入ると3~4人は並んで歩けるような広い通路があり、整然と各店がしきりに隔てられて並んでいる。通路が広い点と建物が2階立てになっている点は、コスタリカのサンホセと違うが、そのきれいさと整然としている様は同じ感じだ。

野菜屋や肉屋の数よりも食堂の方が多い。野菜などの買い物客はほとんどいないが、食堂では多くの人が食事をしている。座席は各店共用のようで、ショッピングセンターのフードコーナーのように、店は調理場のみで、客は適当に空いている席に座って食べている。

肉を使った料理屋が多い中で、魚料理屋があったので、そこのを食べることにする。Cevicheという生のエビや貝などを使った酢の物(マリネ)を頼む。カマロン(エビ)か??(何かわからず)にするか聞かれ、わからない方を頼む。

テーブルに座ってまず出てきたのは、バナナチップとポップコーンが入った小さなカップだった。メキシコのトルティージャののような位置づけのよう。

15分も待たずにCeviche登場。何やら茶色い。中にはシジミのような貝が入っている。なぜ茶色いのか原因不明。海草のようにも見えるが、そうでないようにも見える。その後、すぐに白米が皿に盛られて出てきたので、それと一緒に食べる。塩気と酸っぱみは、まさしく酢の物という感じだが、醤油は使ってないだろうから、どういうふうに味付けをしているのか気になるところだ。

周りの人は、スープを飲んでいる人や焼いた鶏肉のプレートなどを食べている人が多い。

2階に上がると、穀類屋さんがあって、ショーケースには白いトウキビや黄色いトウキビ、マカロニなどが入っている。果物屋もあり、細長いスイカやマンゴー、メロン、クランベリー、ぶどう、青・赤りんご、パパイヤなどが売られている。目に付いたのはライチのような外見がトゲトゲしたものを売っていたこと。中身は未確認なので、何かはわからない。

2階にも食堂があり、初めて見る料理があったので、さっき食べたばかりなのに、その料理を頼む。料理の名前はPapas con Cuero。そのまま日本語にすると”ジャガイモと皮”という料理だ。出てきたのはシチューのような感じのもので、4つ切りの大きなジャガイモの上にゼラチン状のものが2枚とその上にマヨネーズのような色をしたタレがかけられている。

辛くはなく、味はやっぱりシチューに似ている。ゼラチン状のものは豚か何かの皮のようで、トロトロしていて、最初は珍しくて食えるが、後半はその感触がだんだんどぎつく感じるようになり、きびしくなる。

食べていると後ろにジュース屋があることに気づく。そちらを見ると、店の女の子が来て、何か飲むかと聞いてくる。何があるか聞くと、ナランハ(でかいみかん)とか聞いたことのある名前の中にMora(モーラ)という名前を言う。なんかすごそうな名前だなと思い、それを頼む。

すると、また何か聞いてくるが、何を聞かれているのかわからない。女の子はもう~っと言った感じで、何かを連呼する。その中で”バッソ”というのは聞き覚えがあったので、なんだっけと思いだし、コップであることを思い出す。

"Si, Vaso"と伝える。コップと何て言ってんだろうと首をかしげつつ、食事の続き。出てきたのは300mlは入りそうなコップに赤白い飲み物。Batido(シェイク)のようで、牛乳と混ぜられているよう。飲んでみるとなんか飲んだことあるような味。あとでわかったが、モーラはブラックベリーだった。

それからバッソと何かと言っていたのもわかった。どうも300mlほどのコップ入りと、花瓶のようなコップ(もはやコップではないが)入りの2種類があるようで、小さいコップは0.5ドルで、でかい方は1ドルとのことだった。周りを見ると、そのジョッキのような形をしているわけでもない花瓶のようなコップからストローで飲んでいる人もいるし、家族で分けて飲んでいる人もいた。見たところ1リットル近く入っている。なかなかやるなぁ。

腹も膨れたので、ぼつぼつ歩きながら帰る。平日とあって、昨日は閉まっていた店がことごとく開いている。居並ぶ店を見ていると、まさしくここはこの国の大都会で大商業地なのだなと実感する。面白い店と言えば、宿が面している広場の角にはペット屋のような店があって、そこではひよこが売られていた。将来の食用なのかどうかはわからない。

宿に戻り、終わっていない日記等の整理。

Fin

2008年4月18日金曜日

ぷよぷよ

ちょっと予定以上に長居したキトを出て、アマゾン川のまちプヨに来ました。キトからバスで5時間ちょっと。

暑いです。緑もいっぱい。

明日はまた北に向かって移動です。
では。


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2008.4.17
Puyo,Equador

2008年4月17日木曜日

キトでお休み+詐欺師登場

2008.4.13(日)

・豆、とうきび、じゃがいも
・ゲバラのための歌
・詐欺にあってみる

暑さで寝苦しくはなかったものの、寒くて朝目覚める。6時。外は静かだ。

あいにく空は曇り空。

違うまちに来て、初日ということで出歩きたい気もするが、日記がたまっていたため、今日はそれに当てることにする。

朝起きて、トイレに行こうと部屋を出る。部屋の鍵はそれぞれ旅行者が持参した自分の南京錠でかけることになっている。わずかの時間だが、もしもがあるからと、一旦部屋を出ていたが、南京錠を取りに戻り、鍵を閉めてからトイレに行く。

トイレから戻ってきて部屋のドアでハタと気づく。閉めるための鍵は持って出て、しっかり鍵をしたが、開けるための鍵を持って出なかった。これグアテマラシティの宿のように、ネジを抜けば扉を開けることができるドアだったら良かったのだが、幸か不幸かここの度は鉄板でできており、南京錠をかけている鉄の輪は溶接でドアと完全に一体化している。

窓から入ろうかと思うが、ベランダもなかったし、それにそのためには隣の人を起こさないといけない。

とりあえずはフロントに行く。フロントの人は基本的にスペイン語オンリー。最初、ぼくが言っていることがよくわからないようだったが(単語を並べただけだから当然)、やがて気づき、おおっ、困った顔をする。

そして、フロントの台の引き出しを開け、たくさんの鍵が付いたわっかを取り出し、部屋に行こうと言う。何かと思ったら、100はありそうな大量の鍵の中から、ぼくの南京錠に会う鍵を探し出し、それで開けようというのだ。

ぼくは、おーっと、これは旧ソ連的だと、大学の時ロシアの授業で見せられた旧ソ連時代の映画を思い出す。

その映画は非常に風刺に富んだ映画で、主人公の男がモスクワでさんざんウォッカを飲んでべろんべろんに飲んだ後、タクシーか何かで帰ることになった。しかし、どういう理由だったか忘れたが、言葉が似ているか何かで飛行機に乗ってしまい、違うまちに着く。主人公は酔っぱらったままで、自分がどこをどう移動しているか、つまり飛行機に乗ったことも気づかない。

それで飛行場からタクシーに乗って、運転手に自分の住んでいるアパートの通りと名前を告げる。運転手は言われたとおりにその通りのそのアパートに連れていく。主人公はタクシーを降り、自分の部屋まで上がり、自分の部屋番号の書かれてあるドアに家の鍵を差し込む。

かギはすんなり開いて、主人公は次の日の朝までそこで寝る。次の日、そこの本当の宿主が帰ってきて、顔を合わせた主人公と宿主はお互いにお前は誰だと言い合う。住所を確認しても部屋番号を確認しても、鍵も同じ。

最終的には、部屋の中身かなんかで主人公がおかしいと気づき、帰るのだが、旧ソ連下ではどこのまちにも、例えばレーニン通りがあり、建っているアパートもどこも同じ格好で同じ高さに見えるのが多かった。アパートの鍵も同じ棟の別々の部屋が実は同じ鍵だったということもあったらしく、そのようなことがこの風刺映画の背景になっていた(映画の細かいところは間違っていると思うが)。

その映画とはまったくシチュエーションは違うけれども、同じ鍵を探すなんて発想はなかった。というより、そんなものを宿の人が持っていると思わなかった。

一つ目、宿主のおじさんは鍵穴と同じくらいのサイズの鍵を取り出し、差し込み回す。簡単にまわらず、おじさんは何度も気合いを入れて鍵穴を回そうとする。いやいや、力を入れないと開かない鍵ってあまりないでしょ、と思いながら、いやここは外国だからそういう鍵が普通なのかもしれないと思い直す。

しかし、結局、開かず。これは捜し当てるまでにそうとう時間がかかるし、この中になかったら本当にどうするかなと思っていたところへの、二本目。スパッと鍵穴が動き、南京錠が外れる。すばらしい。

宿主のおじさんは、”Si"とにこっとして去っていく。まるで何事もなかったかのように。

やれやれ、まだまだパナマからの悪いこと(単なる不注意だが)が続いている。

9時、息抜きに外に出る。朝飯を食う場所を探すが、さらっと歩いたところ、きれいな店ばかりであまり面白そうな店がない。

しょうがないので広場に面した客がけっこう入っている店に入る。キトも鶏肉を扱っている店が多い。ここの店頭には鳥が丸ごと串刺しにされて炭火がたかれているオーブンの中をぐるぐるまわっている。

料理は平均すると3ドル程度ものが多い。値段は料理名とともに壁に貼られていて、その中から1.6米ドルのスープを頼む。

ちなみにエクアドルもパナマと同じく紙幣はすべて米ドル。硬貨は米ドルとエクアドル独自のものがごっちゃになっている。だから、日曜に来ても両替する必要がないので楽だ。

出てきたスープは澄んだ色をしてて、その中に鶏の足が入っていた。モモではないあの黄色い鱗模様の足だ。爪はさすがにない。他に入っているのが砂肝とどこかよくわからない部分。

つまり丸焼きにするときに除かれた部分を使ってスープとして出しているようだった。ジャガイモなども入っており、味もあっさりとしていてうまい。足は皮しか食べるところがないので、皮をかじる。

あとあまり肉のついていない、どこかの部分をかじっていたら、黒い縁にゼラチン状の薄い膜のものが、スープの上に落ちた。一瞬何かと思ったが、すぐに目であることがわかる。どうもかじっていたのは頭のよう。皮も何もついてなかたのでよくわからなかったが、改めてみると頭蓋骨のような形をしている。魚の目は食べるけど、鶏のはなぁ、と勝手なことを思いながら、別の皿に取り出す。それにしてもここまで徹底して使っているとは天晴れだ。

ちょっと歩いてみると、日曜と言うことでか、人通りは多い。しかし、店は軒並み休み。食堂くらいしか開いていない。

途中、大きなかごを持ったおばさんから何か買っている人を見る。気になるので寄っていって見ると、おばさんはふかしたジャガイモ売っていた。通りにはトルコのタコスのような屋台は一切なく、物売りしている人も少ない。他のように道端で食事はしないのか、と思っていたが、こうしてかごに入れて売っているよう。おばさんは歩きながら売っており、上には布がかかっているからすぐにはわからない。

一旦宿に戻る。宿の入り口まで来たとき、手前の通りの車の陰にかごをもったおばさんとおばあちゃんを発見。おばあちゃんが持っているものを買う。ゴルフボールくらいの蒸かしたジャガイモと湯がいた大豆、それに豚の皮らしいものを持っていて一つ頼むとはがきサイズくらいのビニール袋にそれぞれを入れ、「Aji(アヒ:唐辛子)?」とぼくに聞いた上で、チリソースを上からかけ、渡される。スペイン語でそれぞれの名前を聞くが、50センターボ(0.5米ドル)と言うだけで伝わっていないよう。

もう一人、小さい3歳くらいの女の子を連れたおばさんは、似ているがまたちょっと違うものを売っていたのでそれを買う。こちらは揚げたバナナチップにトウキビの実と大豆、それにトマトや香菜などで作ったサラダ。おばあさんと同じように小さなビニール袋にそれらを詰め、50センターボ。

それを持って部屋に帰る。部屋に帰って上から売れているかなと、おばあさんの様子を見るとおばさんは車の横で広場の方を見ながらかがんでいる。何をしているのだろうと思っていたら、おばあさんの視線の先には車でパトロールしている警察がいた。

おばあさんたちが、かごを持って立っていたところは、通りの入り口から車が邪魔になって見えにくく、なんでこんな一目の付かないところで商売しているのだろうと思っていたが、どうやらそれは警察の目から逃れるためだったようだ。警察の動きを見ながら、車の陰に隠れようとするおばあさんを上から見ていると、本人には悪いけどなんだか微笑ましい。

また、飽きた頃に外に出てうろうろする。たまたま入ったところは外から見たときはわからなかったが、狭いアーケード街に靴屋と服屋がびっしりと詰まっている通りだった。これこそ他で言う市場の雰囲気。サンフランシスコ広場のすぐ近くで、こんなところがあるとはと驚く。その狭いところを抜けるとショッピングセンターがあった。が、中の店は休み。ここも人があふれ賑わっている。

適当に歩いていたら音楽が聞こえてきたので、音のする方へ行く。聞こえてくる歌は聞き覚えがある歌。なんだっけな、と思っていたら、サビの部分にかかったところでビリージョエルの(たぶん)ピアノマンという歌であることがわかる。スペイン語で歌っており、曲も少しアレンジされているが、サビの部分はあまり変わりない。

昨日、お菓子を買った広場にはテントが張られ、その前で白い衣装を着た8人構成(だったか)のグループが演奏している。年齢層は高い。一言で言えばおじさん。

広場に面してある大聖堂(カテドラル)の階段が、即席の客席になっており、そこに200人くらい座っており、周りを含めるとけっこうな人だかりができている。幸い、みんなそんなに背が高くないので、ぼくの身長でも歌っている人の顔が見える。

アンデス系の人。ギターやドラムの他にマラカス、ケーナを持った人がいる。メキシコのグアダラハラに行ったときにも着いたその日にコンサートが行われており、しかもそのグループはメキシコで超人気グループだった。

ここでももしや同じことが合ってるのかもしれないと思い、しばし聞く。「コンドルは飛んでいく」のようにゆったりとしたメロディではなく、どちらかと言えば早いリズムの曲が多い。歌がなく、楽器の演奏だけという曲も。

聞き初めて3曲目だっただろうか、今度はゆっくりしたメロディの歌だった。有名な歌らしく口ずさんでいる人もけっこういる。段々曲が盛り上がってきて最後のサビの部分、聞こえてきた言葉は、「コーマンダンテ、チェ ゲバ~ラ」だった。
ゲバラに捧げる歌があることは知っていたが、実際に聞いたのは初めて。一緒に歌っているしわしわのおじいさんやおばさんを見て、ゲバラがそうとう根付いているのだな、と改めて感じる。

その次の歌がラストの予定だったらしく、曲の最後にメインボーカルの人はいろいろ礼らしきことを行った後、最後に”Viva Latin America"と言って締めくくる。

が、「オートラ、オートラ(もう1曲:言葉の意味としては別の、他の”という意味)」とう観客のアンコールに応えて2曲続けてアンコール演奏。どれもみな知っている歌らしく口ずさんでいる人が多い。また、演奏者の前にできているスペースではおばさんや小さな女の子が出てきて踊り出す。腰の曲がったがりがりのおじいさんも出てきて踊りだし、それを見て、ぼくの後ろにいたおばさんは一緒に来ていた人と微笑み合う。

ステージはなく、テントの前の路上での演奏だったこともあってか、終わってから演奏者に握手を求めている人もいる。ぼくは司会をしていた女性にグループの名前を聞く。グループの名前はHUIPALA(ウイパラ)と言うらしい。

ぼくはいやいや良かったと”コーマンダンテ チェ ゲバ~ラ”
のフレーズを口ずさみながら宿に戻る。

宿に帰ってもぞもぞしていると、ドアを叩く音がする。何かと思い、出ると髭ずらのヨーロッパ系の男の人が立っている。そして、ぼくの隣の人を訪ねて来たんだが、いなくて困っているという。彼が言うには荷物を全部盗まれて、これから空港から変えるのだが、エアポートタックスの料金40米ドルが足りず、それを借りに隣の人のところに来たらしい。

隣の部屋の人は彼の友達で、その友達が書いたらしい宿の住所と部屋番号、名前を書いたメモを見せる。それから、ぼくに彼から返してもらうように言うから、今、40ドルを貸してくれないかと言う。

はい、きたー、これが噂の盗難されました詐欺か。と、思い、そんなカネはないと断る。ちなみにやりとりは英語。しかし、断ってしまっては、この人が本当に詐欺かどうかはわからない。どんな展開になるか一度経験するのも面白いなと思い直す。

断ると、彼はプリーズなどと懇願してくる。そして、紙に隣の人へのメッセージを書くから、これを渡してと筆記体の英語でさらさらと隣の日本人に40ドル借りたから返しておいてくれと書き、最後に自分のサインをする。

ぼくは隣の人の名前を知らなかったので、フロントに行って彼が言っている人の名前があっているか確認する。宿帳に書かれた文字は彼が持っているメモの字と同じ。どうやら知り合いということは間違いないらしい。

しかし、怪しいのはカネの貸し借りができるほどの友人と同じ宿に泊まっていないことだ。旅行者が、カネの貸し借りができる友人というなら、同国人の古い友人しかありえない。旅先で会った人にカネを借りることもありえるが、その場合は貸す側からすれば基本的に返ってこないことを想定しなければいけない。

それにもし借りに隣の人が友人だとしても、その隣の人がそんな人知らないと言ってしまえば、ぼくにカネは戻ってこないことになる。

しかし、どうなるか気になるので、返ってこないだろうなと思いながら30ドル渡す。20ドルは完全に捨て金で10ドルはもしかしたら戻ってくるかもという希望的観測によるカネだった。

彼は空港から宿に電話するからと言って、階段を下りていく。彼を見送った後で、どうせならパスポートを見せてもらい、かつデジカメでビデオメッセージを撮っておけば良かったと思うが、時すでに遅し。

夜、隣のドアが開く音を聞いて、訪ねる。隣は初めて顔を合わせたが、ヨーロッパ系の若い男の人だった。彼のメモを見せると、Thank youと言って、なんだかスムーズにいく。おお、これは詐欺じゃなかったんだと思ったのも束の間、彼はそのメモをじっくり読むと、どういうことかよくわからないと言い出す。

それで事の次第を話すと、"Oh,God"と両手を頭にやって”I can't believe this.”と言う。友達じゃないのかと聞くと、広場に面したネットカフェで会ったことがあるだけだという。そして、ちょっと彼とのことをぼくに話さないといけないと言って語り出す。

彼の話では、ネットカフェでそいつに会ったとき、そいつはコロンビアで荷物を盗られ、週末をしのぐカネががないから20ドル貸してくれと言ってきたらしい。そして、月曜日になればカードでカネがおろせるからと。それで、そのとき彼はそいつに20米ドル渡した。月曜日の夕方16時にこの宿にカネを返しに来るよう言っていた。しかし、彼はその日、この宿には現れなかったと言う。そのときはオーストラリア人を名乗っていたらしい。ちなみに、今回はドイツ人。

これで完全に詐欺師だということが判明。彼はメモに書かれていた詐欺師のメールアドレスに、自分が怒っている旨などを書いて送ると言う。でも、おそらくこのメールアドレスは存在しないだろうとも。

彼は宿のパソコンでメールを送った後、こんなことで時間とカネをロスして本当に頭にくる、と言う。そして、これはお互いにとって人を信じるための人生のレッスンだとも。

まぁ、予想はしていたとは言え、やっぱり10米ドルにしておけば良かったとちょっと後悔。でも、まぁ、おもしろい。

この構造が面白いのは、詐欺師は金持ち旅行者ではなく、カネをあまり持っていないバックパッカーを狙っているということ。どうせなら金持ち旅行者を狙えばいいのに、少しのカネで好奇心と人によっては何らかの問題意識を持って旅行しているバックパッカーを狙う。カネがない人の方が、人が良かったりするから、彼のように困っている人がいれば手を差し伸べることを厭わない人がはまると易々とカネを手中にすることができる。

まぁ、もっとも、ネットカフェで話しかけて話に乗るのは、そもそも若いバックパッカーくらいしかいないかもしれないけれども。

朝の鍵の件といい、今回の詐欺といい、まだまだだな。

2008.4.16
キトよりアップ

パナマシティ→ボゴタ→キトへ

2008.4.12(土)

・リュックの重さを勘違いしていたカラクリ
・ボゴタでチョコ
・予想外にでかかったキト

今日はキトへ移動日。安いということでコロンビアのボゴタ経由の飛行機にした。ボゴタ行きの飛行機は12時発予定。3時間前に空港に行ってと言われていたため9時には着かないといけない。

今朝も寝苦しいのは変わらず。6時頃おきる。荷造りをする。昨日、ぼくの上のベッドに入った人の荷物が邪魔で持ち出すのに苦労する。

空港まではタクシーで1時間もかからないから朝飯を食ってからという手もあったが、早く空港に行ってのんびりすることにする。

7時前にチェックアウトする。ホテルの前のVia Arsentina通りにはタクシーの運転手が3人でおしゃべりをしていて、ぼくに気づくと”タクシー?”と声をかけてくる。

いくらか聞くと20米ドルと言う。この間、別の運転手に聞いたときは16~20ドルという話だったので、20米ドルは拒否して15米ドルでどうかと聞く。すると、”ベインテ(20)”と譲ろうとしない。じゃあ、別のタクシーにしようと思い、歩き始めると3人のうちの一人の人が、15でいいと言い出した。なので、15でお願いする。

空港まではバスもあるので、昨日もバスで行くか迷っていたのだが、しばしば満員であることと、バスの通路がせまいことと、渋滞や客を乗せるためにしばしば止まるので遅いという3つのことがあり、やめた。バスだったら0.25ドルで行けるのだが、運が悪いと2時間もかかるというので、ちょっと高いがタクシーにした。一人だとこういうのにカネがかかる。

タクシーは快調にとばす。案の定、土曜日の早朝にも関わらず、空港行きのバスは満員。タクシーはバスを4~5台追い抜いていく。ちょうど正面に太陽が昇ったばかりでまぶしい。

30分足らずで空港に到着。7時30分にもなっていないから、さすがにまだチェックインできない。

2階の食堂でパンを一つ買い(0.65)、昨日買った水とで朝食。9時までそこで過ごす。

9時になったので、1階の出発ロビーに降り、チェックイン準備。すでにカウンター前には客が20人ほど並んでいる。チェックインの列に並ぶ前に、荷物のチェックがある。リュックを手荷物用の小型リュックを開けて見せる。検査官の男性は、小型リュックを持ち上げて重すぎる(重量オーバー)というようなことを言うが、こっちはわからないふりをする。そこで、預ける荷物用のタグをもらい、並んでいる間にそのタグに名前などを書く。

さて、心配は荷物の重さ。チケットを買ったとき、窓口の女性は預ける荷物の上限は30kg、手荷物は10kgと言っていた。そして、それを越えるとペナルティがあるとも。

ただ、これまではそんなことは一度もなかった。しかも、どこのチェックインターの秤も30kg以下を示していた。だから、ぼくは自分の荷物は30kg程度と思っていたのだが、30kgにしては重すぎると思っていた。実際の重さがわかったのは、サンサルバドルのバスターミナルで計ったときのこと。68kgと出て、やっと感覚と数字が一致した。

さっきアメリカン航空だったかのチェックインカウンター近くを歩いたときにはも50kg以上だと50ドルくらいの追加料金が発生するという立て看板があった。だから、それくらいかかるかもしれないとは予想できた。

それでも、手荷物についてはこれまで重さを測ったことはないから大丈夫だろうと、手荷物のリュックに本をだいぶ移し、大きなリュックを軽くしていたのだが、さっきの検査官は重いなんて言う。だから、もしや検査があるかもしれないと思い、10kg以内くらいになるよう、再度本をでかいリュックに移す。

前に並んでいる人たちを見ると、たいていの人がボストンバックを持っていて、確実に30kg越えしていると思える人たちばかり。なので、その人たちをまずは観察。見ていると、チェックインカウンター横の秤に荷物を乗せ、30kgを越えるとやっぱりお金を払ったりしている。

いやいやこれは参った。ぼくのリュックはおそらく上限の重さのダブルスコアだから、けっこうカネをとられるかもしれない。そうなったら本をここで捨てるのかなとも考えた。

自分の番になり、チェックインカウンターの職員にチケットとパスポートを渡す。職員は秤に預ける荷物を載せるよう言う。その声に促され、リュックを乗せようと持ち上げたとき、わかった。なぜぼくの荷物がこれまで30kg以下と表示されていたのかということが。

原因は秤の枠だった。チェックインターの秤は一般的な体重計とは違って、固定された四角い枠に囲まれている。たいていの荷物(キャスターが付いたバッグやスーツケース)は立てた状態で秤に乗せるから荷物は枠にかからない。

それがリュックの場合、そもそも寝転がってしまう構造になっているから寝かした状態で秤に載ることになる。小さいリュックであれば外枠にかかることはないが、幸いなことに、ぼくのリュックの場合、70リットルと大型のためリュックが秤の四角からはみ出て外枠にかかってしまう。

つまり、外枠にかかっている重さが減殺されて、30kg以下と表示されるわけだ。それに気づいたぼくは、できるだけ外枠にかかるように、荷物をおいた。その結果、ここでの表示は26kgだった。おかげで心配していたことは起こらず。

これには、チェックインカウンターの職員が自分で荷物を持つことがないということも一つの要因になっているだろう。たいてい、チェックインカウンターで対応をしているのは女性で、その人は電光掲示される数値をみるだけで、荷物をラインに乗せるのは別の男性職員だったりする。荷物をラインに乗せる人は表示された荷物の重さをいちいち確認することはない。

もし、チェックインカウンターの職員がベルトコンベアーのラインに乗せる体制になっていれば、毎日の仕事の中で、上限の重さの感覚を体で覚えてしまうだろう。そうなれば、表示された数値と自分が持ち上げたときの感覚とが違っているとわかるだろうが、実際はそれぞれがそれぞれの仕事をしているだけなので、それに気づかない。まぁ、ぼくにとってはありがたいばかりだけど。

そうして無事、チェックインを済まし、今度は手荷物検査と出国審査。手荷物検査を待つ列に並ぶ。自分の番がもうすぐまわってくるというときに、ペットボトルの水が残っていた事に気づく。後ろの人に順番を譲り、ぼくは列の脇で残っていた水を飲み干す。のどが渇いているわけでもないのに、500mlくらい残っていたから、ちと苦しくなる。

それから出国審査。たいした質問もなく、すんなり通過。

出発までの間にDuty free shopでカメラの買いもの。市内のショッピングモールには売っていなかったが、ここにはなくしたものと同じものが売っていたので、購入。日本で買った方がかなり安いが、致し方ない。だが、1年間の国際保証付きというのはこれからも旅が続くのでありがたい。

予定通りの時間に搭乗がはじまる。チケットを見るとぼくの座席は15A。Aということは窓際だ。ラッキーと思いながら乗り込むと、ちょうど緊急脱出用の扉のところの席だった。その席だけは他の席よりも前の席との感覚が広く、足をゆったりとのばすことができる。

これまたラッキーと思っていたら、添乗員の男性が、スペイン語で、スペイン語を完璧に話せるか、とぼくに聞いてきた。スペイン語を話せるかということなら、これまで何度も聞かれたし、普通の質問なので何とも思わないが、なぜか彼は”完璧に”という言葉を付けて聞いてきた。

なんでそんなことを聞くのだろうと不思議に思っていたら、何かまたスペイン語で言い出す。そして、後ろの列に座っていた人に、何か話しかけている。どうも、緊急避難口ということで、もしものときに添乗員とコミュニケーションがとれないといけないから、この席にはスペイン語ができる人しか座ってはいけないよう。

幸い席を替わると名乗り出た男性も窓際の席だったので、ぼくは窓際の席にありつける。

機内では軽食が出る。珍しかったのが、干しトマト。なかなか味があっていい。

窓際の席はとれたものの、眼下は雲ばかり。退屈なので本でも読む。

パナマを出てから1時間半足らずでボゴタに到着。コロンビアの空港内にはビールの看板が多かった。ここで1時間ちょっと乗り継ぎの待ち合わせ。

トランジットの人は係員に案内されて、Duty free shop
経由で再度手荷物検査を受けて、待合室に入る。

一度、手荷物検査を受けて待合室の方に行ったが、こちらには店も小さな売店のみでなにもない。せっかくコロンビアにきたのだからDuty free shopだけでも見ようと思い、係員の人に行って待合室から出る。

Duty free shopは、30軒ほどあって、うち2軒は喫茶店で、あとはコーヒーやお菓子を売っている店や布地や服屋、本屋、カメラ屋などがある。コーヒー屋にはコロンビア産のダークチョコレートが売っていたので、3.3ドルと高かったものの買ってみる。

パッケージにはSantanderという文字が筆記体で大きく書かれており、その下にはカカオを収穫する絵がある。そしてそれを縁取るようにCOLOMBIAN SINGLE ORIGINとある。一番下には「National de Chocolates」 「ESTABLISHED 1920」とある。

完全に輸出向け、あるいは観光客向けのようで、パッケージの裏側には英語でこのチョコレートの説明がある。

商品の名前であろうSantanderというのは、コロンビアの東側の地域の名前で、コロンビアでは一番カカオの栽培に適している地域と言われているらしい。その裏面の右上にはコロンビアの地形図があり、その位置もわかるようになっている。

説明は細かく、標高600~900mの地域で、気温は23~28度、平均湿度は75~80%、4~6月と9月~11月の2つの季節には1600~2500ミリの雨が降り、年間の平均日照時間は1600時間、そして微量要素の豊かな土に恵まれている、とある。

SantandarにあるSan Vicente deChucuri,El Carmen,Rionegro,Landazunといった町や村では、2世紀以上もカカオを栽培している。そして、その生産は12000家族以上の中規模または小規模の農家によって支えられているという。

その後、まだまだ説明は続く。チョコレートは、粉薬の包装として使われるような薄い紙で包まれている。アルミ箔が一般的な日本とは違う。このチョコだけなのかもしれないが。そう言えば、アルミホイルというものを旅行中、ほとんど見ていない気がする。一度、メキシコあたりの屋台で使われているのを見たが、それ以外は見ていない。

アルミを作るのには大量の電気が必要で、またその過程では有害な物質が大量に出るというような話を聞いたことがある。アルミホイルの使用量の国際比較などもあったような気がするが、不確か。

キトに向かう便の出発までまだ1時間あったので、珍しく喫茶店で一服する。コーヒーは2米ドル。酒も含めたいていが10ドル以下だった。

もう一度、手荷物検査を受けて、待合室に入る。さっきはほとんど素通りできたのに、今度は入念にかばんの中をチェックされる。チェックしている係員のおじさんは、日本語の本を見つけるとパラパラとめくり、その文字を見て驚いたようで小さく笑う。そして、同僚の人を呼んで、これを見て見ろと笑いながら見せる。

ハイチでハイチ人と話したときに思ったが、ひらがなやカタカナの50音表、それからあれば同じような漢字の表を持ってくれば良かった。それをこうしたおじさんに見せれば、少なくともひらがなとカタカナにどういった文字があるのかが、一目でわかる。それで例えばどの文字が格好良いかなどを聞いてまわるのも面白そう。外国語の会話帳にもそういうのを付ければいいのに、とも思う。

特に何もなく、検査を通過。16時前、搭乗が始まる。今度は通路側。また、機内食(パンとちょっとしたもの)が出る。機内食にはデザートがついていたのだが、これがけっこうきつかった。小さなカップ(50gくらいだったか)に入った固まっていないキャラメルで、完食するには甘すぎる。でも、完食したけど、量は半分でも十分すぎるくらい。

前の席が空いていたので、食事後、席を移動する。パナマからボゴタは、眼下は雲一色で地上が見えることがなかったが、今度は高度が低いこともあるのか、たまに雲の隙間や雲の向こうにうっすらと地上が見える。

曇っているおかげで地上か海かも判別できないような色。だがルートから考えて、また時折濃い緑または青色の間に白い道路と思われる線が見えることから地上だとわかる。
山に木々はあまりなく、頂上周辺まで耕されている。

ボゴタを出てから1時間30分程度で、機体は雲の中を抜け、キトに上陸。まちのすぐ上空を通って着陸したので、まちの作りや車、歩いている人まで見えた。

機体から降りるとひんやりとする。空港内は最近造られたのか、デザインも洗練されていて、ただの四角い箱という感じのハバナなどの空港とは違う。

驚いたのが、入国審査のシステム。入国審査の順番を待つ人は一つの列に並ぶのだが、そのラインの前には小さな電光掲示板があり、そこに審査が終わったボックスの番号が点灯する。それを見て、次の人はそのボックスに行く。

どこの空港もたいていは空いてそうなところを各々見つけ、並ぶというスタイルだが、こんなふうにしているのを見たのは初めて。もっともこんなことしなくても、係員が一言"Passe (パセ)" "Aderante(アデランテ:お入りください)"と声をかければそれで事足りるのですけどね。

審査官の女性は、スペイン語でよくある質問をする。どれくらい滞在するのかとか、この後、どこに戻るのかとか。帰りのチケットの提示はなし。こんなことなら30ドルくらい安かった片道チケットを買っておけばよかったなどと思うが、まぁ、それも時の運のようなものだろうからしょうがない。

一通り質問が終わった後、彼女はパスポートの写真と目の前に立っている人間の顔を照合する。そして、パスポートの写真は何歳のときのものかと聞いてくる。さすがにハバナのあの係官の女性のように、あなたは変わったとは言わなかったが、やっぱりなかなか一致しないよう。

しかし、総じてぼくにしてはスムーズに通る。審査の最後に彼女はにこっとして、”Bienvenido(ビエンベニード:ようこそ)"と言って通してくれた。

荷物をベルトコンベアからピックアップし、税関審査に行く。ここはたいした検査もなく通過。

ちょっとここで戻って税関審査場内にあったツーリストインフォメーションでキトの地図をもらう。パンフの類はたくさんあって、かなり観光に力を入れていることがわかる。また、市内までのタクシー料金とバスでの行き方を聞く。

外に出る。出たところには迎えの人がたくさん。”Bienvenido MARI”と書いた紙を持っている子どもたちもいた。"MARI”が日本人なのかどうかはわからないが、ぼくの他に東洋系の女性が一人いたので、その人もかもしれない。

空港を出るとすぐがタクシー乗り場。ただ、ごちゃごちゃと客引きがいるわけではなく、数人の人がタクシーが必要かと声をかけてくるだけ。Noと言えば、それでおしまい。

女性のタクシーの係りの人がぼくに声をかけてきたが、タクシーは断り、バス乗り場を聞く。すると嫌な顔もせず、駐車場を出た大きい通りを越えたところにあると教えてくれた。

教えてもらったとおりに大通りを渡り、歩道でバス乗り場を探す。ガイドブックを見ていなかったので驚いたが、大通りの真ん中を2車両つなげた大きなバスが走っている。真ん中は専用ラインのようで、これはメキシコシティにあったものと同じスタイル。

バスの乗り場がよくわからなかったので、通りすがりの女性二人に聞く。ものを訪ねるのは女性の方がいい。男は変なやつにあたるときが往々にしてある。

そこを通るからと言うので一緒に歩く。歩いて10mほどでParada(乗り場)と書いている看板下に到着。

5分も待たずに青色の車体のバスが入ってくる。パナマのような派手な小さなバスじゃない。日本で普通に走っているようなバス。車体はHINO自動車のもの。

ここのバスにも客引き担当の人が乗っており、乗車口に立って早口で行き先を叫ぶ。目的の宿がある広場まで生きたいのだがというと、客引きの少年は運転手のおじさんに確認し、乗せてくれる。

車内は満席。しかし、ありがたいことにこのバスは運転手の後ろに、エンジンの真上になるのか楕円形に突起したスペースがある。そこには座れるようにカバーがついており、縁に8人くらい座れるようになっている。つまり、日本のバスと比べると、運転手後ろの座席2列ぶんくらいがなく、前が広く空いているのだ。

車内を見渡したとき、一瞬どこに立とうかと思ったが、客引きの少年に促され、そこに座る。このバス、バックパッカーにとっては非常にありがたい。

外はすでに暗くなっている。沿道にはホテルやレストランが多い。走っている車も多く、しばしばクラクションの音を聞く。

地図で見た距離感とバスに乗っている時間とがだんだん合わないように思えてくる。もう20分は経過しているから到着してもいい頃なのだが、声はかからない。バスは幹線道路から一旦住宅街のような狭い路地に入り、また幹線道路に戻る。隣をトローリーバスが追い越していく。こんな標高の高いところに、電気を食うバスを走らせているなんて想像していなかったので、やや驚く。

空港を出て30分もしたころ、トローリーバスの乗り場もある広場で降りるように言われ、あっちに目的の広場があると少年が指さす。あとで確認したら降ろされたところはPaza la Marinというところだった。さっきまではほとんど路上を歩いている人は見かけなかったのに、ここらは多い。

バスを降りて客引きの少年が指さしていた方向を見ると、あいや、ものすごい坂。チャリでブレーキをかけずに降りてきたら時速50kmは出るだろうというくらい(わかりにくいたとえですね)の急勾配で、チャリはおろか重い荷物を持っていると歩いてでも登るのを一瞬ためらってしまうくらい。

通りはきれいにライトアップされており、正面からは人があるいて降りてくる。通りにはファストフード系の店がちょぼちょぼある。

キトが標高2850mというのは後で知ったが、坂を上り始めて50mもいかないうちに呼吸が乱れてくる。先は長い。

気温は低いものの上着を着ていたおかげで、だんだんと汗がにじみ出てくる。

歩いている人たちは、パナマよりもグアテマラのマヤ系の人々に似ている。そこまで寒いとは思わなかったが、みなコートやジャンバーを着て、手をポケットにつっこんで歩いている。

交差する通りを見てもヨーロッパ調の建物がずらっと並んでおり、ライトアップされた教会のような大きな建物が数棟ある。予想以上に旧市街の規模がでかい。

広場では小さな男の子や女の子が小さなお菓子を詰めた木製の箱を持って、歩いている人たちに買わないか声をかけている。靴磨きの道具を持って歩いている10歳くらいの男の子もみかける。

500mも歩いただろうか、でかい宮殿のような建物が左手に見え、そこに警官がいたので、目的の広場への行き方を聞く。2つ先の角を左に曲がったら着くという。

そこまで来るとほとんど平らになっていたので、呼吸はずいぶん楽になった。やがて広い広場が突然表れ、ここが目的地だとわかる。

正面向かって左の角に目的の宿Hostal Sucreはあった。建物の壁に黒い文字で書かれていたのでそれとわかる。入り口がわからず、一度人に聞いて、宿に入る。

階段を上ると吹き抜けのロビーに出る。建物は古い。若いスタッフが対応してくれる。部屋を準備するから待ってくれと言われ、しばらく待つ。日本人がちらほら。

2階の3号室に案内される。6畳ほどの部屋にベッドが一つ。机と台が1つずつ。椅子はない。窓からは広場が見え、その向こうには明かりの点いた旧市街が広がっているのが見える。

1泊3ドル。今回の旅では最安値だが、なかなかいい。ぼくが学生の時、山形にしばらくいたときに、世界を旅して回っている人に会った。その人は日本で例えば半年なり工場などで働き、カネがたまると旅行に出ているらしかった。

そのときに、その人からキトに数ヶ月滞在していたことがあると聞いたのだが、この宿がその人が滞在していた宿だった。パナマにいるときにキトの宿をネットで探していたところ、その情報を目にし、驚く。当時のぼくはこうした旅に出ることなど、まったくと言っていいほど考えていなかった。それが8年の時を経て、こうしてつながったことが面白い。

聞くとその人が滞在した2000年頃はここは1泊50円程度だったらしい。連れ込み宿の一番上の階を日本人に提供していたらしいが、今はそういう雰囲気もない。

部屋に荷物を置いて、ちょっと飯でも食いにと外に出る。が、さっきは開いていた店もことごとく閉まっていた。時間は20時過ぎ。

人通りもぐっと減って路上でバナナチップなどを売っていた人たちも後かたづけをはじめている。しょうがないので、ぼくは後片づけしているおばさんからポテトチップと水を買う。宿に戻る途中Plaza Grandeを通ると、通りから奥に入る通路があり、そこで食事をしている人たちが見えたので、そこに入ろうとする。

するとそこへ菓子売りの少女と少年が2人、何か買わないかと寄ってくる。女の子の方は小さいが10歳は越えているだろうか、男の子よりもしっかりしている雰囲気。

通路を少し入ったところで立ち止まり、一つずつ適当なものを買うかとものを見る。するとそこへ警備員のおじさんがやってきて、女の子の左肩をつかみながら、強い口調で何やら言い、そのまま寄り切るように通路の外までゆっくりと押し出す。

女の子はおじさんをにらみ、その手をはじく。そして、おじさんに向かって強く文句を言う。そんなことをしたらおじさんがキレて、持っている警棒で女の子を叩いたりするのでは、なんて一瞬思ったが、外まで押し出した後は、口げんかのみだった。女の子が自分の3倍近い体積のあるおじさんに猛然と文句を言っている姿は、強く美しかった、と小説家が書きそうな光景だった。

それぞれから50センターボ(0.5米ドル)のお菓子を買い、その通路を通って中に入る。建物は3階立てで、真ん中が四角く吹き抜けになっており、各階に店が入っている。レストランでは観光客らがにぎやかに酒を飲んでいる。

たいしたものがなかったので、さっさとそこを出て、宿に戻る。こんなに早くに人気がなくなるとは思っていなかったので、意外だった。もっとも宿の周りは治安が悪いとは聞いていたが。さっきまでいた警官も姿が見えなくなる。

オレンジ色の街灯がまちを照らしているが、そこには人が歩いていない。遠くから眺めるためだけの光という感じだ。

宿のベッドには薄い毛布が一枚。窓を閉め、それにくるまって寝るが、夜中ひんやりして目覚める。ここまで寒い夜もこの旅では初めて。

そういえば、これから南半球は冬だ。

2008年4月13日日曜日

エクアドル入り

現在、4月14日20時です。エクアドルの首都キトにいます。

キトの日本語訳は赤道。

緯度0度、赤道直下のまちですが、標高が2000m以上あるのですずしいです。
街を歩いている人はみんなコートやジャンバーを着ていました。

パナマでは夜も30度という超熱帯夜の日々だったので、久しぶりにぐっすり眠れそうな予感です。

そのた更新していない期間のことはまた。

では。