ラベル モロッコ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル モロッコ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2008年9月22日月曜日

[diary]ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ

ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ

08/07/18(金)
[Dahkla:Morocco→Nouadhibou:Mauritania]

・モーリタニア行きトラックゲット
・ハエ
・サハラ砂漠の端、ラクダ
・長い国境
・使えないタクシー

7時過ぎに起床。外はだいぶ明るい。昨晩洗った洗濯物は乾いていなかった。夜はけっこう涼しかったし、海に近いから湿気がけっこうあるのだろう。窓からホテルの前の路上を見ると、道ばたに止まっている車の窓が水滴で曇っていて、路面もうっすらと塗れている。

荷支度をして、1階のフロントに降りる。昨日の夜の若い男の子が受付にはいた。

彼は、ぼくを見るとタクシーを呼ぶからしばらく待ってとソファを指さしたりして教えてくれる。タクシーなんて表で待てばいくらでも捕まえられるのにと思いつつ、彼に言われたとおり待つことにする。

フロント横の待合いスペースにはロイヤルモロッコ航空のハンコが押された5月の『TIME』や『NEWSWEEK』(いずれも英語版)がアラビア語やフランス語の雑誌とともにガラステーブルの上に置かれていた。テレビもあり、映画をやっていたのだが、画面に目をやったら寺尾聰が出ていた。唐沢俊明(だったっけ?)が赤いマントを着ていて、ゲームに出てくるキャラに出てくるようなメイクをしていた。人間界とは違う世界を描いた映画のようだが、みなアラビア語を話しているからまったく内容がわからない。

そんなことしているうちに30分たつ。フロントの彼が表に出ていったので、ぼくも一緒に出ていくと、ホテルの前で待てと言う。そこへホテル隣のカフェから年輩の男性が出てきて、彼になにやら注意みたいなことをしている。見ていると、10mほど先で交差しているより交通量の多い通りでタクシーなんかすぐに捕まるというようなことを言っているようだった。

彼はそちらの通りにぼくを呼び寄せ、タクシーを呼び止め行き先を運転手に説明してくれる。ぼくには事前に20ディラム(約300円)で行けるからとも説明してくれていた。なかなか親切で丁寧な子だ。

無事タクシーに乗り込む。ここでは相乗りが普通のようで、後部座席にはすでに2人男性が乗っていた。ぼくは助手席に座る。9時前のまちは人通りは少ない。

後ろの客をそれぞれの目的地で降ろした後に、町外れのPoste de Policeに向かう。

ホテルを出てから15分ほどでPoste de Policeに到着。昨日、ここを通るときにバスで一緒だったRabab(人名)が、ここに止まっていた車を指さし”モーリタニア”と言って教えてくれたのだが、そのときはぼくが座っている席(右端)とは反対側で、そちら側の窓のカーテンがけっこう閉まっていたためちらっとしか見えなかった。今日、改めてきてみると昨日ちらっと見えたときとあまり景色が変わっていないように思える。

Poste de Policeは北から来る一本道でダクラに入る人たちをチェックするところ。いわば検問所だ。昨日、ここをバスで通るときそのバスもここで止められ、乗客の身分証明書のチェックがあり、ぼくは一人降ろされ、道路脇にある警察の四角い白い建てものに連れて行かれ、そこで職業などを聞かれた。

検問所を境にしてダクラ側の道ばたが、モーリタニアに行く車が客待ちしている場所になっており、ここでモーリタニアに行く車を待たねばならない。

ぼくがそこに着いたとき、その道ばたにあったのは乗用車が4台と荷詰めをしている大型のバン(ワゴン車)が2台。それからバンの荷詰めをしている男の人(推定年齢40~50代)が4~5人。それから乗用車にもたれている白いムスリムの服を着たおじさんが1人。

ぼくがタクシーから降りると、バンの荷詰めをしていた一人の人が手招きをした。そちらに行くとフランス語でなにやら聞かれる。よくわからないので、モーリタニアに行きたいと言ったら、乗用車が止まっている方を指さし、あっちで待てというようなことを言う。

なので、白い服を着たおじさんのところへ行く。そのおじさんにモーリタニアのヌアディブに行きたいと言うと、手でここで待つよう合図する。おじさんはフランス語で何やら話しかけてくるが、ぼくはフランス語がわからない。おじさんが運転手だと思って話しかけたのだが、おじさんがもたれている乗用車のフロントのとこには大きなボストンバッグがあった。どうもおじさんのものらしい。

つまり、おじさんもここで運転手を待っているようだった。おじさんがもたれていた乗用車は古いメルセデス。これで行くのかなと思い、車の周りをぐるっと1周して見てみると、左後ろのタイヤがパンクしていた。

待つしかないのでしばらくあたりぶらぶらして待つ。

9時前にここに着いてから30分ほどたった頃、タクシーに乗ってもう一人40代くらいの男の人がやってきた。その人も旅行用のバッグを持っている。パンクした乗用車のまわりで3人で車を待つ。気温は30度近くまであがっているようだが、海から吹く風が強いから、とても涼しく待っていてもたいして疲れることはない。

1時間ほどたった10時頃、バンで荷詰めをしていた人がこちらに向けて大きく手を上下させて、こっちに来るよう合図してくる。

そちらに行ってみると、サッカーのロベルトバッジオの肌をやや黒くしたようなおじさんが英語でヌアディブに行くことを確認してくる。そして、400ディラム(約4000円)で乗せてくれると言う。300ディラムくらいで行けると聞いていたので、300ディラムじゃないのかと聞いたが400は譲らず。他にモーリタニアに行く車もないし、一応予算の範囲内なのでこれに乗ることにする。

リュックを乗用車のところに置いていたので、それを取りに戻り、そこで待っていた他の二人に仕草でこの件を伝える。リュックを背負って二人とともにバンのところまで行く。二人はアラビア語でさっきぼくに話を持ってきた人となにやら交渉している。

バンの近くで待っていたら続々とタクシーに乗って人がやってきた。どうもみんな何時頃に出るか事前に知っていたよう。あるいは適当に来たのか?

バンのまわりに荷物を持った人が10人ほど。バンの荷詰めは最終段階。鶏や段ボールなどの荷物を屋根にこれでもかと乗せ、網をかけ、ロープで固定している。

バンは運転席と助手席に座席があるだけで後部は何もない荷台と化している。しかし、床には絨毯や毛布が敷かれているので、どうもぼくらはそこに座るらしかった。

屋根で一人のおじさんがロープかけをしている一方でバッジオ似のおじさんらはバンの車内でガスバーナーに火をつけ、お湯を沸かしお茶のみを始めた。

ロープかけも終え、お茶飲みも終わった頃に、軽トラが一台到着。荷台に積んできたガソリンが入っているらしいタンクやすいか、ぶどうなどを詰めた木箱をバンの車内後部に積む。そして、最後に客が持ってきた荷物を同じ車内後部に乗せて、やっと人間が乗り込む。

乗った人間は合計12人。運転手1人に助手席に男女1人ずつの2人が座り、後部の座席のない車内に男7人、女2人が車座になる。そこまで窮屈ではない。

こうして11時頃に車は発車。乗ったはいいものの床に座っているから視線が窓よりも低いため外の景色が見えない。しょうがないのでしばらく昼寝。

昨日のバスと同じように何度か検問で車は止まるが、昨日ほどのチェックはなかった。もっともぼくは運転席の後ろの窓のすぐ下にいたので、その窓から中を覗く警官には顔が見えなかったのも、ひっかからなかった一つの要因だったかもしれない。

車内ではアラビア語が飛び交っていた。よくしゃべる。2時間もすると尻が痛くなり、あぐらをかいていた足も若干しびれてくる。尻が痛くなるのは皆同じようで、ゴソゴソとそれぞれが動いているうちに、より広い空間ができ、足を組み替えたりするのも楽になる。

ぼくはときおり中座になり、窓から外を眺める。砂漠というより土漠という感じで、しっかりした地面の上に石がごろごろ、草がポツポツという景色が延々と続く。ダクラがある半島を出て、南に下るようになるとたまに右手に大西洋が見える。

道路は完全に舗装された片道1車線の道路で、快適そのもの。ボリビアのサンタクルスからブラジルとの国境までの道とは比べものにならないくらい。

ときおり乗用車やランドクルーザータイプの車に追い抜かれ、たまにトラックなどの対向車とすれ違う。

また、野生なのか、ラクダの群も3度ほど見る。ここのラクダは一瘤(ひとこぶ)ラクダでポツポツと生えている草を食べていた。それから1度だけ沿道で羊を放牧しているのを見る。羊飼いらしいイスラム風の服を着て、ターバンを頭に巻いたおじさんが一人沿道を歩いていた。あたりには集落らしきものは見えなかったので、どこから連れてきたのか不思議に思う。

さらに西サハラの難民なのか、海沿いを走っていたときにテントやコンクリートブロックで簡単に作った家を見る。人は見なかったので、住んでいるかどうかはわからなかったが。

車内の気温は25~30℃程度。窓から風が入るから涼しく汗をかくこともない。空は晴れているのだが、砂漠の奥の方は白くかすんでいるため、地平線はあまりはっきり見えない。

ぼくは座り方を変え、窓の方を向いて正座して外を眺めて過ごす。

道ばたには地名とそこまでの距離を書いた小さなポールがときどき現れる。

15時半、目的地のヌアディブまで160kmと書かれたポールを見る。この調子であればあと3時間くらいで着くな、などとポールを見て思う。

ヌアディブまであと140km程度になった15時50分。沿道に突然、建物が現れる。

右手にガソリンスタンドが見え、その向こうにはたくさんの一軒家が見えた。バンはガソリンスタンドに入り、停車。給油をするとともに休憩。運転手はぼくにフランス語で”20分”と言う。ちなみにこの運転手はタレントの大泉洋に似ている。

ガソリンスタンドにはレストランと売店も併設されていて、レストランには20~30人ほど客がいた。こんなことなら昨日、水やビスケットなどを買い込む必要はなかったなと思いつつ、それらを詰めたバックを持って車を降りる。

車を降りて改めてバンを見てみると、車体が左に傾いていた。走っているときに左右に揺れることがあったのでおかしいなと思っていたが、どうもこれが一因のよう。これから先には未舗装の道もあるというのに、これで大丈夫なのか。

レストランの建物の外側にある椅子に腰掛け、昨日買い込んだパンを食べる。そして水を飲む。

車に乗ってからはトイレのことを考え、ずっと飲まず食わずだったが、もう目的地が近いのでその禁を解く。

16時15分頃、車は再出発。建物群は3分ほどで見えなくなる。道ばたのポールにはヌアディブまで60kmと出る。

これなら遅くても19時くらいには着く。その時間であれば明るいから宿探しも苦労しない。なかなか調子いいぞ、などと予想外の順調さを喜ぶ。

ガソリンスタンドを出て、1時間ちょっと走ったところでバンは停車。やっとモロッコ側の国境に着いた。ここまで約400kmの間はずっと舗装道路だった。

国境には10台ほど車が止まっていて、ヨーロピアンらしき人等も見える。バンを降りると入国カードを配りに来て、それを2枚渡される。同じバンに乗っていた人が、これを2枚書くようフランス語で教えてくれる。最初は1枚だけ書けばいいのだろうと1枚書いて待っていたら、その男の人が終わったかと聞いてきたので、その1枚を見せるともう1枚も記入するように言う。その際、やはり同じバンに乗っていた別の若い男の人を連れてきて、その人にフランス語で話しかけ、それを英語に通訳して伝えるよう頼む。

入国カードは、フランス語と英語が併記されてあったので、基本的なことはわかったのだが、事前の情報でこのカードに乗ってきた車のナンバーを書かないといけないとあった。それを書く欄がわからなかったのだが、親切な男の人が英語を話す彼のカードとぼくのを付け合わせ、車のナンバーを書く場所を教えてくれた。ありがたい。

そうして記入したカード2枚とパスポートを提出する。その親切な人に教えられた場所に行くと、入り口にぴちぴちの白いTシャツにジーパン、サンダル、それにサングラスという出で立ちの男の人が立っていて、中に入れない。なんだこいつは、邪魔な奴だと思っていたら、彼が係官だった。

彼はぼくのパスポートを受け取り、しばらく待つように言う。

同じバンに乗ってきた人たちは、警察の建物に背をもたれ、地面に座り込んでのんびりしている。出国手続きだからさっさと終わるのだろうと思っていたら、これが長かった。

※つづく※

[diary]ダクラに到着

ダクラに到着

08/07/17(木)

・検問に次ぐ検問
・ダクラのまち
[Dahkla:Morocco]

※未完※

[diary]アガディールをぶらり、ダクラへ

[diary]アガディールをぶらり、ダクラへ

08/07/16(水)
[Agadir→Dahkla:Morocco]

・活気のない市場
・賑やかなビーチ
・ダクラ行きのバスで

※未完※

[diary]カサブランカからアガディールへ

[diary]カサブランカからアガディールへ

08/07/15(火)
[Casablanca→Agadir:Morocco]

・マラケシュで変心
・アガディール泊

カサブランカ3泊目。
7時過ぎに起床。昨日まで泊まっていた宿と違って窓があるから朝日が入ってきて、気持ちよく起きられる。

7時半過ぎに宿をチェックアウト。歩いてCTM(国営バス)のバスターミナルに行く。メディナの中はまだ目覚めていない。わずかに掃除をしている人が数人。カフェなどもまだ空いていない。

メディナを出たら、それなりに人通りがあった。すでに開いているカフェでは一服しているおじさま方がいる。この人たちはいったい何をして食っているのだろうかと気になる。だいたい一服しているのは日本で言えば60歳以上の年齢に見える人が多い。

ターミナルでマラケシュ行きのチケットを買う。ちょうど8時半発のがあった。料金85ディラム(約1200円)。別途荷物代が5ディラム(約70円)。

腹の調子はまだ戻らないが、腹が減ったので朝飯代わりにクッキーを買う。パンを買おうかと思ったが、店のカウンターに袋にも入れられず、ケースに入れられることもなく、他の商品と並んでそのまま置かれていているので、今の腹の状態では衛生的によろしくないと思い、お菓子の方にしてみる。バナナ味のクッキーは10ディラム(約150円)。高い! この間買ったものは半額くらいだったのに、とパッケージの製造元をよく見てみると、Made in Brazilとあった。輸入品じゃ、高いのも当たり前か。

バスは予想通り出発予定時刻から20分ほど遅れて出発。さっきまで寝ていたのに、バスに乗ると眠たくなり、寝てしまう。これはいったいどうしたものか。

目が覚めると地平線が広がる中を走っていた。舗装された片道1車線の道。舗装状態はよい。両脇に見える大地は畑なのか、それともただの荒野なのか判別がつかず。何も植わっていないのだが、機械か何かで耕した跡のようなものも見える。人はいない。

そういった緑のない土地がしばらく続くと、たまに緑が出現する。また、土で造られているしい家々もたまに見える。それから羊を30頭くらい連れている人の姿もときおり見ることがあった。

カサブランカを出て約4時間後の12時半頃、それまでの閑散とした景色が急に変わり、煉瓦色の建物が建ち並ぶ通りに入る。ショッピングモールらしいところも発見。どうやらマラケシュにはいったよう。これまでほとんど見なかったスーパーマーケット形式の店も1軒発見。マンションらしき建築中の建物があちこちにある。電車の駅も新装中のよう。

バスはCTM専用のターミナルに着く。予想では、ガイドブックの地図にあるメディナ近くのメインバスターミナルに着くと思っていたのだが違った。ついたのは電車の駅の近く。ここから安宿があるメディナまでは数kmはありそう。

とりあえず到着した場所の周辺に宿がないか探して歩く。歩いた範囲では宿は三ツ星のホテルが1軒あるのみ。やはり移動しないと行けないよう。駅の前を通る大きな通りを市内バスが走っていたからそれにでも乗れば、メディナに行けそうだったが、なんだか宿を探すのが面倒になる。

よって予定を変更。またCTMのターミナルに戻り、移動することにする。Agadirというさらに南の大西洋沿いのまちには一日8本ほどバスがあるとガイドブックにあったので、とりあえず南下することにする。

チケットの窓口でアガディール行きのチケットを頼むと17時15分発のチケットでいいかと聞かれる。3時間近く待たねばならないようだが、荷物を預けてその間ぶらぶらしようと、それでOKするが、チケットを買った後に、荷物を預けるのは出発30分前からと言われる。しかも、ターミナル内には別に荷物を預けられる場所はない。

なぜ中南米では普通にある荷物預かりのサービスがここにないのか? 荷物代と称して荷物を載せるのにはカネを取る仕組みを持っているくせに、客がバスを待つ間に荷物を預かる仕組みを持たないのが不思議だ。思いつかないのか、ニーズがないのか、あったものがなくなったのか・・・。コインロッカーくらい置いとけと思うが、このコインロッカーもすぐれて”先進国”的なもののようで、スペイン以外ではほとんど見なかったようにも思う。

荷物を抱えて38度ほどある外を歩く気にはなれず、結局待つことにする。そう言えば、さっき周りを歩いたときに郵便局があったと思い、行ってみるが閉まっていた。

しょうがないので、またターミナルに戻り、待合室でブラジルで買ってもらった数独をしながら待つ。待合室に無料で飲める水が置かれているのが、目新しい。

待っている間、アガディール行きのバスは何本もあった。聞いたらどれも満席だと言う。ちなみにやりとりは英語。なお、お店で買い物する際にフランス語を使ってみたところ返事は英語という場合が多々あり、フランス語にそんな言葉があったかと首をひねってしまうこともあり。できるならばアラビア語がベストなんだけどな。

出発30分前になったので、荷物を預ける。何も食わないのも悪いかと思い、ターミナル前に並んでいる雑貨店に行き、そこで鉄板で焼いていた長方形の薄いパン(インドのナンに似ている)を買う。5ディラム(約70円)。焼いているおばさんにフランス語で値段を聞いたが、フランス語を解さないのか、店にいる若い男の子を呼び、その子にぼくの相手をするように言う。彼は多少英語を解した。多少なりとも英語を解する人がいる割合は、中南米とは比べものにならないくらい多いように思う。

それから1.5リットルの水を買う。この水の値段がどこで買っても6ディラム(約80円)。他の国では店によってちょっとずつ違ったのに、これは意外だった。統一価格で売られているのか?

予想通りバスは予定通りには出発せず、約1時間遅れの18時前に発車。満席。運賃は100ディラム(約1500円)プラス荷物代5ディラム(約70円)。

マラケシュのまちを抜けると、道路の両脇には畑が広がっていた。ぶどうやオリーブなどが見える。ビニールマルチを使っている畑もあり。

青々としている畑の隣がまったくの土漠のような空き地だったりする。畑はずっと同じところで造られているのか、それともこうした空き地のようなところも時期がくれば使っているのか? よくもこれだけの耕地で食えるものだと思う。モロッコの食料自給率はどれくらいなのか?

19時半前に夕食休憩。立派な建物の前でバスは止まる。食事代わりにここでビスケットをまた買う。2種類で7ディラム(約90円)。アラビア文字が袋に書かれているものはモロッコ産のようで、わりと安い。

同じバスに乗っている若い(おそらく10代後半)の男二人組は盛んにデジカメで写真をとりあっている。バスの車内では携帯電話で動画(映画のようだった)を見たりしていたから、けっこうな金持ちの息子らなのかもしれない。ちなみに一人が持っているデジカメは、えー!と驚いてしまうくらい分厚いソニー製のカメラ。ちょっと気になる。

30分ほど休憩した後、再出発。外は気温も25度くらいで、風が吹いていて心地よかったのだが、バスの中はちとくさい。冷房は効いているが、窓は開けられないスタイルになっているからか、微妙に空気がくさい。

21時前に日没。途中、乗客を降ろすために停まった小さなまちでは、道ばたに人々が出ていて、それぞれ何をするともなく、座り込みおしゃべりなどに興じていた。子どもたちも外に出てきていて、走り回って遊んだり、何人かでおしゃべりしたりして過ごしている。バスが止まると子どもたちが寄ってきて、中にはバスの中をしげしげと見つめる子もあり。

バスは山がちな地帯を走る。ただ、山はどれも低く、道も曲がりくねっているというわけではなく、多少起伏があるだけでこれまでと道の状態は変わらない。

暗くなると外を眺めていてもあまり変化がないので、うとうと。

そうしているうちにバスはアガディールに到着。22時半頃だった。ここでもまた予想していたところに着かず。バスの運転手に聞いても近くに宿はなく、タクシーで行かないと行けないらしい。また、面倒なところに来たなと思い、バスがあればさらに南下しようとまた予定を変更。

ここは共同のバスターミナルのようで、ターミナル内には10近いバス会社があった。そのうち6割くらいはアラビア文字のみで行き先を書いているので、まったく読めず。ふらついているとどこに行きたいのかと英語で聞かれるので、南のまちのTantanだと言うとCTMの窓口を指す。

この時間でもバスはあるらしい。なお、カサブランカなどには夜行バスがあって、それにこれから乗ろうと言う人たちがターミナル内には数十人いた。

CTMの窓口には誰もいない。なので、ちょっとターミナルの外に出てみる。確かにホテルらしき建物はない。ホテルどころか店さえも4軒ほどがあるのみ。ぶらぶらしているとタクシーの運転手が声をかけてくる。英語ができるかとまず聞いてきて、どこに行きたいのかと聞いてくる。中心部までいくらか聞くとフィフティと言う。15なのか50なのか確認するため持参している電卓で確認。すると50ディラム(約700円)の方だった。運転手は中心部まで5kmほどという。5kmで50ディラムなんて高すぎる。1泊分の宿代に近い。おっさんは英語を話す=怪しいので無視してまたターミナルに戻る。戻る際、おっさんが引き留めようと声をかけてくるが、無視。

CTMの窓口の前で待っている人がいたので、一緒に待っていると20分ほどして職員が3人やってくる。発車するバスの乗客チェックなどをしていたよう。それにしても一人くらい窓口に置いとけよな。

タンタン行きのチケットが欲しいというと、なんと満席。まったくついていない。

しょうがないので、ここで宿をとることにする。再びターミナルの外に出てタクシーを探す。客待ちしているタクシーが10台ほど。さっきとは違う人が声をかけてくる。値段を聞いてもなかなか言わないので、何度も聞いて25ディラムというのを聞きだし、それでOKする。さっきのおっさん半分。だいたい外食1食分。

運転手に行きたいホテル名を伝える。10分もかからずに到着。目的の宿がある一帯には6軒ほど宿が集まっていた。最初に行った宿は満室で泊まれず。次に行った宿も、その次に行った宿も、さらにその次、またのその次も満室。ようやく空きがあった宿も最後の1室で、値段は180ディラム(約2000円)。3泊分の宿代なのだが、他に選択肢がないのでここに泊まることにする。

さすがに高いだけあって部屋はすばらしい。ダブルベッドが1つとシングルベッドが1つあり、シャワールームと洋式便所が部屋内にあり、バスタオル、トイレットペーパー付き。これで石鹸もあればベストだったが、これはなかった。テレビもあったので、久々(ブエノス以来)にテレビを見る。アラビア語のニュース番組やドラマ、フランス語の映画、BBCなどが見れた。BBCを見ていたら日本で漁師たちが燃料代高騰に対するデモをやったとのニュースが流れる。

これまた久しぶりにシャワーを浴び、洗濯をして就寝。

Fin

[diary]ラバトをぶらり

ラバトをぶらり

08/07/14(月)
[Casablanca←→Rabat:Morocco]

・宿変え
・電車でラバトへ
・博物館
・クスクス
・English Bookshop

朝、7頃起床。どこからか低い声でコーランでも読んでいるような声が聞こえる。荷物を整理し、部屋を出る。鍵を返そうと受付をのぞくと、受付のおじさんがコーランらしき呪文を唱えていた。おじさんはぼくを見ても、顔をこちらに向けるだけで、お唱えは止めない。鍵を見せると目でそこに置いていけと合図をするので、机に鍵を置いてチェックアウト。

歩いて5歩ほどの隣の宿に行くと、昨日もいた白いベールをかぶったおばあちゃんが受付にいた。このおばあちゃんはフランス語を解さないが、笑顔で迎えてくれる。受付裏に向けて何やら言うと、奥から起きたばかりらしい40代くらいの女の人が出てきた。この人はフランス語を解す。

ここの受付の机には、1910年頃のメディナ白黒写真のコピー(新聞か何かの切り抜きの拡大)があって、聞くとここの表の写真だと言う。コピーには現在と当時の両方の写真があったが、やはり相当雰囲気が違っている。そもそも写っている人の服装が違う。

部屋の鍵をもらい。3階まで上る。3階には6部屋ほどあり、真ん中は吹き抜け=屋根がない。部屋には窓があるから、空気もよろし。部屋は昨日まで泊まっていた宿と基本的に変わりない。4畳半ほどのスペースにベッドが一つと机と椅子が一つずつ。壁に鏡と服などをかけるためのフックがあるのは進歩している。これで50ディラム(約700円)。トイレは和式と似たモロッコ式。

荷物を置いたらさっそく宿を出て、ラバトに向かう。宿から港の方へ歩いて10分もしないところに鉄道駅があるので、電車で行くことにする。

電車の駅のまわりはこれから再開発されるようで、完成予想図を書いた看板が立てられ、その裏は工事中。駅舎はとてもシンプルな四角い建物で、中にはチケット窓口とキオスク、カフェがあった。チケット窓口には30人ほど並んでおり、カフェで一服やっている人たちも多い。電光掲示板にはこれから発車する電車の発車時刻や行き先などがアラビア語とフランス語で表示されている。

窓口でラバトまでのチケットを購入。運賃32ディラム(約480円)。乗車時間は1時間ほど。バスでは35ディラム(約500円)だったから、荷物代を考えると200円近く安い。

電車は頻繁に出ていて、ラバト行きも15分に1本は出ているようだった。予想以上に乗客が多いのには驚く。新聞を持ったスーツ姿のおじさま方からいかにもキャリアウーマンですというパンツスタイルの女性、モロッコ洋式の服を着た人など乗り込む人はさまざま。

車両は2階立てと1階との混合。よく掃除されていて床も座席もきれい。発車時刻も予定通り。すばらしい。

電車は海岸から1kmほどのところを走る。途中、バラック街らしき地区も見かける。ぶどうの棚を作っているらしい人たちも見る。

4つほどの駅を経由して、約1時間後にラバトの駅に到着。さすがに首都だけあって、なかなか立派。ホームから駅舎にあがる際には動いているエスカレーターもある。ここの駅舎も改装中のようで、臨時通路を通って外にでる。

きれいに舗装された道路に10階立てほどの高層?ビルが立ち並ぶ。首都の雰囲気が漂っている。

地図を見てメディナの方に向かう。歩いて5分ちょっと。メディナの一大商業地帯はまだ準備中だった。時間は9時過ぎ。パン屋は開店していて、大勢の客が行列を作っている店もあり。また、コーヒーを煎っている店もあり、その香りがまたよろし。

海岸近くにある博物館に先に行くことにする。メディナの周りを取り囲むように建てられている煉瓦色の外壁沿いに歩く。歩いていたらにこにこと笑顔の警官が近づいてくる。なんだこいつと思ったら、握手を求めてきてスポーツは何をしているのか、柔道をやっているのかと聞いてくる。どうもこの人は柔道をやっている(いた?)よう。そのうちモネ(硬貨)がどうのと言い出したので、笑顔でお別れ。フランス語だったのではっきりとはわからなかったが、結局、カネが欲しかったよう。

Kasbah des Oudaiasというメディナよりも海側の地区に博物館はあった。博物館には金やエメラルドで作られた装飾品や古い旧式の銃などが展示されていた。展示の説明はアラビア語とフランス語、スペイン語。

博物館のまわりにある家は白色が基本で、狭い通路に面した壁には地面から1mほどのところまで明るい水色で塗られている。地面は石畳。海よりのところにはちょっとした広場があって、そこから海岸を眺めることができる。

すぐ眼下の浜には海水浴を楽しんでいる人でいっぱい。いい波が寄せており、子どもたちが波に向かって走っていく様子がよく見える。海に入っている女の人は少ない。入っている人も水着ではなく普通の服らしい格好のまま膝くらいまで浸かっているというのが多いよう。子どもは男も女も関係なく、入っている。浜辺ではサッカーをしている子が多い。一つのボールで7~8人が遊んでいる。

この他にも見える範囲で3つ、砂浜があり、それぞれ海水浴客が来ていた。

10時をすぎたのでメディナの中に入る。絨毯や銀(スズ?鉄?)細工、水タバコの道具、服、革靴、革製スリッパ、などの店が多い。ある一角は電気屋街になっていて、パソコンやテレビ、オーディオ機器などが売られていた。ただ洗濯機などの大型家電は見かけず。

料理屋はどこも20ディラム(300円)以上するところがほとんど。腹の調子はよくなかったが、せっかくだからと食堂に入り、クスクスを注文。

クスクスは名前だけ知っていたが、食べるのは初めて。粟らしい穀物だけのご飯の上に野菜などが入ったスープがかけられたものとそのスープだけが入ったお椀が出てきた。ご飯の色は黄色。インドのサフランライスに似ている。粟粒は小さいから噛んでも歯ごたえがない。書けられているスープは薄い塩味。カボチャとキャベツ、ピーマン、それから肉が入っている。食えないことはないが、また食いたいと思える味ではないが、たぶん飽きはしない味。

食っている途中、さすがに腹の調子がおかしくなり、スープを残して店を出る。食事代は23ディラム(約330円)。

ガイドブックにラバトにはアメリカンブックショップという店があるとあったので、英語ーアラビア語の会話帳を買いに行く。地図を頼りに行ったのだが、これが見あたらない。ガイドブックにある住所の近くまで来ているはずが、それらしき建物がない。

アパート街の中をふらついていると10代くらいの男の子が英語で話しかけてくる。それで探している場所を伝えると、一緒に探してくれるらしくついてきてというような仕草をする。聞くと彼は高校生とのこと。彼が道行く人や近所のオフィスで5~6人の人に尋ねるが、なかなかわからず。やっと確実な情報が入り、そこに行ってみるとAmerican Language Centerという看板が入り口にあった。中の建物の2階から男の人が顔出したので、彼がアラビア語でなにやら聞く。結局、ここが探していた場所らしいのだが、本屋は閉鎖したとのこと。よって、目的は達成できず。シュクラン(アラビア語でありがとう)と彼に言って、別れる。

腹の調子も悪いので、カサブランカに帰ることにする。また駅に行き、チケットを買う。ちょうど30分後くらいに電車があったので、それに乗って帰る。電車はまったく快適だ。

カサブランカの駅に降り立つと魚の生臭いにおいがした。さすがに港まち。

ちょっとまちをぶらつく。ちょうど薬局が見つかったので、マラリアの予防薬を買うことにする。出発前にアフリカ経験者にも聞いていたのだが、ネット等で調べたところSavarineというのが最近はいいらしいとのことでこれがあるか訪ねる。薬局の白髪交じりのおじさんは英語を解す人で、丁寧に対応してくれる。1箱28錠入り(一日一錠のため28日分)が168ディラム(約2500円)。

28錠が何日分なのか最初わからなかったため、聞こうとしたがおじさんに変わって対応してくれたおばさんはフランス語しか解さない。ぼくはフランス語でなんというのかわからず、適当に”日”といった言葉を並べるが伝わらない。しかし、彼女は箱の中から取扱説明書(?)を取り出して見せてくれる。説明書は英語とフランス語だったので、ようやく使い方などがわかる。

2ヶ月くらいはアフリカのマラリア地帯にいそうなので、2箱頼むと1箱しか今ないけど、ちょっと待っててと言われ、椅子に腰掛けて待つ。そうして1時間後、おじさんが、まだ座っているぼくを見て、指さし女性のスタッフに何やら強い口調で言う。そしたらその女性は裏手に行って1箱持って出てきて、それをさっきの1箱と同じ袋に入れて手渡してくれる。どうもおじさんの指示は女の人に伝わっていなかったらしい。

待っている間、ぼくはガイドブックを見ながら今後のルートなどを考えていたから、特にせっつかなかったのだが、あのままおじさんが気づかなければぼくはまだ1時間くらい待つ羽目になったのかもしれない。

それから薬局の近くにあった小さな本屋に行く。本はアラビア語とフランス語の比率は半々くらい。パソコン関係の本などもある。ロンリープラネット(英語)のモロッコ版(ぼくが持っているのはアフリカ全土版)があったので、立ち読み。

宿に戻って日本から持ってきた英和・和英辞書を片手に説明書を再度読む。さすがに専門用語が多いが、ポケット版の辞書でもかなりカバーできているのには感激。

それからネット屋に行って、さっき立ち読みしたロンプラに載っていた有用なサイトというのを見る。モロッコとモーリタニアの間は領土が確定していない西サハラの問題があり、公共交通機関がない。しかし、ヒッチハイクができるという情報やタクシーや、モーリタニア人の商売人のトラックに乗せてもらえるなどという情報あり。問題は時期なのだが、この時期の情報があまりない。『旅行人』には3月までが限界などとあったので気になっているのだが、ネットで探した限りでは大丈夫そう。行ってみるしかない。

そんなこんなで夜になる。コンセントがないため日記書きができないのがいたい。西アフリカのルートがまだ定まらないためルートを考えたり、カネの残りを計算したりして就寝。

Fin

[Casablanca;Morocco]カサブランカの日曜日

08/07/13(日)
[Casablanca;Morocco]

11時頃外出
・市
・桃、メロン、すいか、魚
・モスク
・海岸
・まちをぶらり、ビルの谷間、建て詰まったビル
・腹の調子が悪い
・昼寝
・ネット、写真アップ

※未完※

[Fez→Casablanca;Morocco]フェズからカサブランカへ

08/07/12(土)
[Fez→Casablanca;Morocco]

・バス停へバスで移動
・バス待ち、サラダ、炒め物
・夕方着
・ユースホステルの看板、日本人常駐
・メディナへ、貝、洋服、魚の揚げ物
・水くみ場

※未完※

[Fez;Morocco]フェズのメディナ

08/07/11(金)
[Fez;Morocco]

・メロンの朝飯
・腹の調子わるい
・11時過ぎから出歩く
・ネット
・閉店中
・モスク
・なめし工場

※未完※

[Tangier→Fez:Morocco]タンジールからフェズへ

08/07/10
[Tangier→Fez:Morocco]

・タンジールからバスでフェズへ
・フェズのメディナ
・なめし革

モロッコ1泊目。タンジール。7時頃に起床。やはり朝方は涼しい。扇風機も何もない部屋だったが、それなりに眠ることができる。蚊がいないのもすばらしい。

一口、水を飲み、荷造りをする。予定ではここに2泊位しようと思っていたが、宿代が高いからさっさと移動することにする。

8時頃チェックアウトしようと1階に降りると、受付のおじさんは廊下のソファーで睡眠中だった。先に宿を出た人たちは受付の台に鍵を置いていってたので、それに倣っておじさんを起こすことなく、静かにチェックアウトする。

昨晩ほどではないが、すでにレストランなどは開いていた。この時間からカフェで一服している人もいる。

すぐ近くの国営のバス会社CTMのオフィスに行って、フェズとだけ伝えると、チケットを発券してくれる。運賃は115ディラム(約1700円)。運賃を払うとバガージと行って、リュックを荷物預けに持っていくように言われる。そこにはおじさんが一人いて、リュックを渡すと大きな計りで計量し、重さをさっきもらったチケットの裏にボールペンで記入する。そして、これをまたさっきの窓口に持って行けとジェスチュアで言う。

23kgと書かれたチケットを持ってまた窓口に行くと、さらに7ディラム(約100円)請求された。これが荷物代らしい。こちらでは乗り物に乗るときに重さに合わせて荷物代を取られると聞いていたが、モロッコでもそうだとは知らなかった。

バスは約40分後の9時15分発。オフィスのベンチで待つ。9時前にオフィスの前にバスが止まったので、見に行く。フロントにはローマ字で"Fez"とあった。自分のリュックが積み込まれるのを確認して、バスに乗り込む。

バスは9時半頃出発。道路はよく整備されており、バスは快調に走る。天気もよく、窓際に座っているとぽかぽかと暖かくなって寝てしまう。が、そのうちじっとりと汗をかき始め、その不快さに目が覚める。

意外と森が多い。マドリッド・セビージャ間よりも緑が多い印象を受ける。しかし、木を見ていると樹種は少ないよう。みかんやオリーブ、すいか、メロン畑に加え、落花生らしき畑も見える。どの畑も大きい。スプリンクラーで水がまかれ、一部ではビニールハウスも使われていた。だいぶビニールが痛んでいるようだったが。農業機械の類は見ることはなかった。草取りや鍬で畑を耕している人の姿はちらほら見る。

12時過ぎにレストランなどがあるパーキングエリアのようなところで休憩。売店で昼飯代わりにウエハースとクッキーを買う。合わせて7ディラム(約100円)。お菓子を隣の席に座っていた子どもにあげようと思っていたのだが、ぼくの前に座っている女の人が先にあげようとして母親に断られていたため断念。

その母親はイスラム式の格好をしているが、子どもたち3人は洋服。東洋人は珍しいのか、しばしばらこちらを眺めていた。

いくつかのまちで停車後、16時半頃、フェズに到着。まだまだ日は高い。地図で現在地を確認するもロンプラの地図の範囲外にいるようで、まったく現在地がわからない。ただ地図の端に矢印でCTMのターミナルとあったのを頼りに適当に歩いていく。困るのが通りの名前が書かれていないこと。もしかしたら書かれているのかもしれないが、アラビア文字のためそれかどうかもわからず。

空港方面を示す看板はあったのでそれらから方向を判断して、歩く。その判断は間違っていなかったらしく、だんだん地図上の道路の姿と目の前に見えている景色が一致してくる。

日本語にすれば新市街とでもいうべきこの一帯は、まったく近代的なつくりのまちで10階建てくらいのぼろいコンクリートづくりの建物が並び、1階部分が店だったりオフィスだったりする。地図を頼りに行くと無事宿の近くまでたどり着き、その宿の前で商売している人が、ぼくを見てここだと指さして教えてくれる。

その宿の前に行くと確かにユースホステルのマークが出ていた。頑丈な木製の扉が閉まっており、中はうかがえない。呼び出しベルを鳴らすと、中から年輩の女性が出てきた。頭の中で言葉を準備していなかったため、スペイン語と英語とフランス語がごっちゃになり、部屋が空いているかと簡単なことを聞くのに言葉に詰まる。

ただ、聞きたいことは伝わったらしく、英語で返答あり。それによると満室とのこと。タンジェといい、フェズといいユースとは縁がないらしい。がっくり。

女性はメディナに行くよう言う。メディナのBab Bou Jeloudに行けば安い宿がいくつかあると教えてくれる。地図を見せてその位置を教えてもらい、そこまでの行き方も教えてもらう。一本向こうの通りからタクシーに乗るように言われたが、カネがもったいないので近くでバス待ちしているらしい人たちの中で待つ。

すぐにバスはくる。入り口付近にいたおじさんが英語でどこに行きたいのか聞いてくるので、さっき教えてもらった名前を伝えると乗るように言われる。料金は3ディラム(約40円)。前払い。

乗客はそこそこ多かったが、たいして混雑はしていなかったためあまり気を使う必要はなかった。バスに乗り込んでから10分ほどで、みなバスから降り始める。てっきり目的地であるメディナの入り口まで行くものと思っていたのに、ここで降りるよう言われる。しかも、乗るときに声をかけてくれたおじさんはどっかに行ってしまってすでにいなかった。

着いたところは袋小路のようなところで、周りの建物もそこそこ高いためどっちに行けばどこに出るのかまったく検討がつかない。さてどうしたものかときょろきょろしていたら、若い男性が英語で話しかけてくる。Bab Bou Jeloudに行きたいというと、案内してくれるというような仕草をするので信じてついて行ってみる。

服装などからすると学生か勤め人っぽかったが、どうせ最後にはカネを要求してくるのだろうと思いながら一緒に歩く。途中、どこから来たのか、フランス語はしゃべれるのかといったことを聞かれる。

歩いて10分ほどでメディナの入り口に到着。ここがBab Bou Jeloudだと彼は言う。そして、"Welcome”と握手を求めてきたので握手をすると、そのままメディナの中に消えていった。カネは要求されず。良い人だ。

辺りにはいくつかホテルの看板があり、ヨーロピアンらしい旅行者の集団もいくつか見える。とりあえず看板が出ているところに行って宿代を聞いて回ろうと歩き出すと、10代くらいの男の子が寄ってきて、英語でチープホテルがあるといって案内を始める。適当に無視しながら、近くの宿に寄り、値段を聞く。1軒目は80ディラム(約1200円)。ちと高い。2軒目は案内された宿に行ったが部屋は満室。屋上で雑魚寝もできると行って案内してくれたが、屋上はヨーロピアンでいっぱい。却下。次に同じ男が、メディナの中に70ディラムほどの宿があると言って案内してくれるが、これも一足先にいっぱいになっていた。

なのでメディナの入り口に戻り、ホテルと看板が出ていたところに行ってみる。喫茶店の上にある宿で入り口にいた細身のおじさんに聞くと1泊70ディラム(約1000円)。というので、ここにすることにする。パスポートを見せてチェックイン。

部屋は3階の表通りに面した部屋で、昨日の宿と同じようにベッドと机と洗面所があるだけ。

荷物を置いてさっそくメディナの中を散策。城壁のようなもので囲まれたメディナの中はよく形容されるように迷路のように道がくねくねと曲がっている。アーケード街のように狭い通路の両脇に店が並び、野菜や果物、肉、革製品、銀のようなブリキのような金属製品、服、生地屋などが売られている。店舗を持っていない人も通路で座り込んで売っていたりする。中には羊の頭を売っている人もあり。

これまで中南米で回ってきたまちとは全然違うつくりになっているから、なかなかおもしろい。

その場で絞ってくれるジュース屋があったのでコップ一杯のジュースを頼む。4ディラム(約50円)。チーズやヨーグルトを売っている店もあったので、そこで甘くないヨーグルトを食。ヨーグルトはコップに詰められており、店の前で食べることができる。塩気もすっぱみものない水気の多い豆腐のようなヨーグルトだった。ヨーグルトまたはチーズの上澄み液だけでも売っており、それを飲んでいる人もいる。2ディラム(約25円)。

夕飯代わりにパンに肉などを挟んだサンドを買う。名前はわからない。肉屋の店先で売られていて、他の人が買っていたのを指さして同じものを注文する。注文すると鉄板の上にレバーやもも肉、ソーセージなどとタマネギ、トマトなどを盛り、へらのようなものを使って炒める。そして、それを縁から切り込みを入れてポケットのようにした丸く平べったいパンに詰める。値段は10ディラム(約150円)。パン自体が直径20cmほどあり、その中にぎっしり肉などが詰まっているので、1つ食べると腹いっぱいになる。味も香辛料が効いていて、なかなかおいしい。

メディナを歩いていて辟易するのは、とにかく日本語で話しかけられること。コンニチハ、サヨナラ、ジャッキーチェン、ナメシガワ、テヌリ、ハッパ、クサ(どうもマリファナも簡単に手にはいるよう)などなど。3時間ほど歩いただけでおそらく20人以上に声をかけられた。特に皮をなめしている工場(こうば:あるいは工房)はここの観光スポットになっているため、近くを通ると子どもまでが寄ってきて見ていかないかと言ってくる。中には”Give me money."と言ってくる7~10歳くらいの女の子もあり(ストリートチルドレンではない)。とりあえず今日はパス。

一通りメディナの中を歩く。地図と歩いた感覚とが一致しないのが不思議。宿近くの広場は、道路からメディナ側の部分は洋服の青空市場になっていて、おそらく中古品なのだろう、シャツやズボンが山のように積まれ、それを品定めする人たちであふれていた。

道路を挟んで反対側の広場にはいくつか屋台があり、また猿回しをしているおじさんもいた。そうした芸をやっている周りには人だかりができているのだが、よく見ると集まっているのは男の人ばかり。女の人もふつうに出歩いてはいるし、広場にすわっておしゃべりしていたりするのだが、こういう場には混ざらないことになっている模様。

宿近くのカフェを眺めてみても、カフェでのんびりしているのは男ばかり。女性がいても明らかに旅行者とわかるような人ばかりだった。

20時半ごろ宿に戻る。水シャワーを浴びて休息。外はまだ明るく、あたりからはおしゃべりする声が聞こえてくる。これくらいになると涼しくなるから、こうした時間帯に出かける人が多いようだった。

Fin

2008年8月25日月曜日

[Sevila:Spain→Tanger:Morrco]セビージャからタンジールへ

08/07/09(水)
[Sevila:Spain→Tanger:Morrco]

・セビージャからバスでアルへシラスへ
・船でモロッコ入国

7時頃起床。すっかり外は明るくなっていて、空も昨日に引き続き真っ青だった。

昨日まではグラナダに行こうかと考えていたのだが、予算のことなどを思い、結局、今日モロッコに入ることにする。

8時に朝食だったので1階のレストランに行くと長蛇の列。学生らしい若い男女らが100人近くいた。どんな朝食か楽しみにしていたのに、カウンターに置かれているものを見てがっくり。メニューはコッペパンのようなパンとチョコレートのかかったドーナツ、2種類のコーフレークのみ。あと飲み物として紅茶のティーバッグと牛乳、オレンジジュースが用意されている。

救われたのはパンなどはいくら食っても良かったこと。なので1日ぶん食いだめしようと頑張る。みんなの食べ方を見ていると、コッペパンは半分に切って開いた形にして備え付けられているトースターで焼き、いい具合に焦げ目がついたら取り出し、オリーブオイルやトマトを細かく刻んでドレッシングのようにしたものをかけて食べている。特にトマトの細かく刻んだものがうまい。トマトの品種が違うのだろうが、甘いトマトではなく、塩気が含まれていてこれがパンに合う。

結局、ドーナツを2個とパンを5個、コーンフレークを2杯食す。パンをいくつかもらっていこうかと思ったが、コッペパン自体に塩気があり、あまり好みではなかったのでやめる。

膨れた腹をかかえて部屋に戻り、しばし休憩。それから、いったん宿をでて、近くのATMでアフリカで使うためのユーロをおろす。セネガルなどではATMが使えるらしいのだが、もしものことを考えると現金で持っておくのが安心。大量の現金を持ち歩くのは危険という話もあるが、結局は運次第。南米ではカードで降ろすよう脅迫されたという話もあったし、結局は持ち歩いていようとなかろうと、悪い奴に出くわしてしまえば同じことだ。

お金の準備ができたところでチェックアウト。昨日歩いたところでは、バスターミナルまでは歩けない距離でないことが判明したので歩いていくことに。

途中の交差点で信号待ちをしている車の窓拭きをして稼いでいる女性が3人ほど。中南米ではどこの首都でも見た光景だったが、まさかスペインでも見るとはと驚く。なお、ホームレスらしき人は見ることなし。

10時過ぎの時点で街角の温度計は30度を示していた。川沿いの道をひたすら歩く。途中、1度休憩して40分かけてバスターミナルに到着。そして颯爽とチケットを買いに行ったら、なんとここからジブラルタルに行くバスは出ていなかった。もう一つのサンセバスチャンという広場にあるターミナルから出ていると言う。位置を教えてもらうと、なんと宿から歩いて15分ほどのところだった。

この暑い中歩いたのにとショックで、また30分近く歩く気力はわかず、バスに乗る。幸いなことにここの前からもう一方のターミナル前まで行くバスがあった。

C4番のバスに乗る。てっきりサンセバスチャンというバス停があるものだと思っていたが、それらしきところには停まらず1周して元のターミナルに戻ってきてしまう。所要時間50分ほど。途中、バスターミナルを示す看板が見えたから、どうもそこで降りないといけなかったよう。

バスは循環バスだったので2周目だからと改めてお金を払う必要はなかったのが幸いだった。今度はきちんとターミナル近くで降りることができる。

ターミナルに着いたのは12時。けっこう頻繁にバスは出ているだろうと思っていたら、ジブラルタル(のLa Linea)に行くバスは次は14時だった。しょうがないので、それを買って待つことにする。運賃20.2ユーロ(約3200円)。マドリッドからのバスと比較すると高い。

ベンチであれこれと考えていたら、どうも予定通りにジブラルタルに行ったりしていたら今日中にモロッコに入れないような気がしてきた。バス会社のおじさんに何時にジブラルタルに着くか聞くと6時だという。ジブラルタルからタンジールに行く船は、確かネットで調べたときは17時台はあったが、18時台は見なかった。イギリス領土のジブラルタルを経由してモロッコに行くつもりだったのだが、もし船がないとなるとジブラルタルで一泊しなければならなくなる。そうするとなんぼ安くても20ユーロは吹っ飛ぶので、そうなると予算的にイタい。

そんなわけで行き先を変更し、Algeciras(アルヘシラス)というスペインの端っこに行くことにする。ガイドブックのロンリープラネットによれば、アルヘシラスからは毎時間船があるとあった。もう一つ手前のTarifa(タリファ)からだと35分ほどでアルヘシラスよりも安く行けるとあったが、こちらは日に5本ほどとあったので、安全をみてアルヘシラスに行くことにする。

アルヘシラス行きのバスは別の会社も出しており、そっちは13時発だった。なので、キャンセルしようかとチケットを買ったバス会社の窓口に行くとキャンセルできないと言われる。ケチくさい。クソッと思いつつ、しょうがないので待つことにする。

バスは14時ちょっと前に入ってきた。例のごとく自分でリュックを荷台に積み込む。

バスはすぐに発車。市街地を抜けると塩を作っているらしい塩田を発見。マドリッドからセビージャまでの道とは違って、けっこうくねくね曲がる。例のごとくしばし休眠。

起きるとバスは放牧地のようなところを走っていた。起伏がわりと大きい地帯で、車窓から見える牛はがっちりとしている。

そのうち風車が現れる。道路の両脇に広がるひまわり畑や放牧場の中に風車が100基ほど。どれも勢いよく回っている。牛は風車の傍らでのんびりしている。風車の音で牛がビビらないのかと思ったが、バスの窓は開けられないため風車の音を聞くことはできず。

この辺りは一大風力発電地帯になっているようで、新たに見えてきた山の際にも風車がドドドンと建てられていた。おそらくこの1帯だけで300基はあるんじゃないか? ひまわりもバイオ燃料対策なのか?

そのうち前方に海が見えてきて、白い砂浜の向こうでウィンドサーフィンをしている人たちがぎょうさん見える。そしてTarifaに到着。意外にもタリファは海岸リゾート地のようなところで、しゃれたホテルがいくつかあり、現在建設中のホテルも数軒あった。ここで何人か客が降りる。

バス停から船乗り場が近いならここで降りて船を確認し、もしなければまたアルヘシラスに行く方法も考えていたのだが、船乗り場は近くに見あたらなかったためおとなしくアルヘシラスまで行くことにする。

タリファから峰を越える。峰にかかると右手に地中海が見え、海上を進むフェリーや貨物船の姿が見えた。アフリカ大陸も見えるのかと期待していたのだが、空は晴れているものの、海上は白く煙っているためまったく見えず。

17時半前、ようやくアルヘシラスに到着。ターミナルを急いで出て、海の方に向かう。緩い下り坂を歩いていくと、船乗り場を示す看板がいくつもあり、それに従っていくと無事船のチケットを売っているオフィスに着いた。しかし、そのオフィスに入ろうとしてみると、なんと閉まっていた。そこへここの社員らしき男性が来て"It's close."と言う。えーっ!と思ったら続けて”You have to go behind the park."とあっちを指さしながら言う。そのオフィスを出てみると、オフィスの裏手(海側)には駐車場があり、その向こうには白い建物が建っていた。どうもそこでチケットは買えるらしい。

早足でそちらの建物に向かう。”チケット売場”とスペイン語と英語で書かれているマークを頼りに歩いていくと、無事、チケット売場を発見。5社ほど船会社の窓口があり、その中から次の便が早い時間にあり、少しでも安いところを選び、チケットを買う。

窓口の女の人にTangerまでのチケットを頼むとパスポートの提示を求められ、それを元に彼女はパソコンに情報を打ち込み、チケットを発券してくれる。料金は44ユーロ(約7000円)。高いなぁ、もう。談合していそうな値段だ。

出発は1時間後の18時半。1時間近く時間がある。船乗り場の場所を聞き、そちらへ向かう。途中の通路にはトラベルエージェントのオフィスがいくつかあった。両替商もあり。

船の搭乗口は通路でつながっている別の建物の2階だった。1階にネット屋があったので、そこでネットを少々。30分1ユーロ。

18時前に搭乗待合室に移動。チェックインするための窓口があり、そこでさっき買ったチケットを見せると、飛行機と同じように搭乗券をくれる。それを持って待合い所のベンチで待つ。

待合い所には50人以上の人が船を待っており、女性の中にはベールをかぶっている人も多い。聞こえてくる言葉はアラビア語。子ども連れの人も多く、きゃっきゃと遊んでいる子たちの声が聞こえてくる。

18時半になって入り口が開き、まずはスペインの出国手続き。モロッコのパスポートを持っている人は、簡単に通っていた。ぼくの番が来て、係官にパスポートを見せると、”Japan!"と言って、スペイン入国のスタンプを確認した後に出国スタンプを押してくれる。そして”アリガトウ”とぎこちない日本語を言いながら手渡してくれる。

そこから通路を歩いて船へ。船の入り口でチケットのチェックあり。船の中はなかなか豪華で、ソファで囲まれた机がいくつもあり、免税品店もある。船に入るとすぐの売店のカウンターのようなところに入国カードが置かれていて、みなそれを取っていたので、ぼくもそれを1枚とる。アラビア語と英語の併記。

ぼくはデッキにあがろうと船内をふらつく。そしたら、なんだか入国手続きをしているらしい部屋を発見。あわててそちらに行き、列に並ぶ。

2001年に富山からウラジオストクに行ったときも船に乗るときにそれらしき手続きをしたことを思い出す。が、そのときは旅行会社の人が一緒だったからそんなことがあったこともすっかり忘れていた。

30分ほど待って、ようやく入国審査終了。特に質問もなく、すんなり終わった。

そうしてからデッキに出て、出発を待つ。しかし、これがまったく出ない。

1時間過ぎても出ないので、デッキのベンチに横になって待つことにする。すると気が付いたときには、いつの間にか船は出ていて、港はだいぶ遠くなっていた。

岸から見たときと同じように海上はあまり見通しは良くない。風にあたっているとだんだん冷えて来たので、正面左のデッキから後部のデッキに移動する。

後部のデッキには30人くらいの客がいて、めいめいのんびりしていた。

右手には太陽。離岸から1時間。ガイドブックによれば1時間ほどでモロッコに着くはずなのだが、岸はまだ見えない。太陽はいよいよ傾いてきて、しばらくすると海の向こうに沈んでしまった。

予定では18時半に出れば20時頃にはモロッコに着き、そうすれば明るいうちに宿を探せると見ていたのだが、完全に予定が狂ってしまった。出発に2時間もかからなければ、ほぼ予定通りだったはずなのだが。

結局船が着いたのは暗くなってしまった後、22時過ぎだった。船がアルヘシラスを出たのは20時半頃だったから1時間半ほどかかってのモロッコ入りだった。

モロッコに着いたもののまた降りるのに30分ほど待たされる。入国手続きは終わっているから何か手続きがあったわけではないのに。

船を下りたところから無料バスが出ていて、船のターミナルまで連れていってくれた。ターミナルでは荷物のチェックがあるが、機械を通すだけで質問も何もなし。

歩いていたら15歳くらい子が”ニーハオ、コンニチハ”と声をかけてくる。そして、”ビューティフル”とここと下を指さしながら言う。一緒にいた姉らしい女の子はぼくに”トウキョウ ビューティフル?”と聞いてくるから、”ノー”と答えると”モロッコ、ビューティフル”と言う。きっとそうなのだろう。

ターミナルの建物から出ると、ぼくを見たタクシーのおやじが遠くから手招きしながら寄ってくるので、無視して逃げる。両替所がタクシー乗り場の裏にあったので、そこで両替。こんなに遅くまで開いているなんてすばらしい。1ユーロ=約11ディラン。

そこで20ユーロほど両替する。さて、次は宿。ロンプラを見る限りでは歩いてでも行ける距離なのだが、まちの雰囲気がどうなのかがわからない。危ないのか危なくないのか。いろいろ考えて、念のためタクシーで行くことにする。若いあんちゃんに声をかけ、宿の住所を見せると5ユーロと言う。日本にしたって相当高いが、いちいちごねるのも面倒だし、小さなユーロがなかったので、それでオッケーする。

走り出してすぐに別の客2人を乗せる。港の入り口を出たら、すぐそこが繁華街でレストランなどはまだ開いていた。人通りも多く、雰囲気もよし。宿がある通りまでは10分足らずで到着。運転手はここだと言うが、泊まる予定のユースホステルのマークがない。しかし、住所ではここだというので、タクシーを降り、その住所の宿に行き、受付のおじさんにスペイン語で聞くと英語でユースホステルは移転したと言う。場所を聞くが、ここにはないと言う。

あいや、と思い、ここの宿の値段を聞くとさっき両替した20ユーロぶん以上の金額だったため却下。別を探す。

歩いていたらすれ違いざまにおっさんが、ホテルを探しているのかと聞いてくる。他にも安いホテルがあるといって言い寄って来る人が数人。面倒くさい。頼んでもないのに、ぼくの前を歩き、こっちこっちと案内するあんちゃんが登場したので、適当に見つけた宿に入って値段を聞く。最初はディランで言われたためなんぼかなと考えていると15ユーロ程度と言うので、予定よりも10ユーロばかし多い出費だが、夜も遅いのでここにする(後に3倍ほどぼられているであろうことに気づく)。

2階の部屋を案内される。ベッドが一つと机、あと洗面所が着いた9畳ほどの部屋。ヨーロッパと比べては悪いが、値段の割にぼろい。中南米で言えば5ドルくらいのところだ。

宿代150ディランを払うと手持ちのディランがなくなったため両替しにまた港に行く。歩いて15分ほど。港までは繁華街だから23時をすぎたこの時間に歩いていても寂しくない。

両替所はまだ開いていたので50ユーロぶん両替する。戻ってきて、広場に出ていた屋台をのぞく。何を食べているのかと思ったら小さな巻き貝だった。小鉢に20個ほどの貝が盛られている。うまそうだったので1つ頼む。レモンに刺されていた安全ピンを右手に持ち、それで中のものをひっかきながら食べる。貝の身自体は小さくなんだかヌルッとしたなめくじのようなものだったが、スープが絶品だった!正直、驚く。香辛料がきいたぴりっとした透明に近いスープで、後味もさっぱりしていてキレが良い。なかにはスープだけを飲んでいく人もいる。値段は3ディラン(約50円)。これはお得だ!

それから雑貨店でバナナと1.5リットルの水を買う。合わせて10ディラン(約150円)。スペインに入って以降、水はすでに3日足らずで4リットル近く飲み干している。

レストランもまだ開いていて、料金を見てもだいたい400円くらいで食えるようだったが、明日の移動に備え、飯は食わず。揚げた魚などがあったから食べてみたかったけれども、また海辺のまちに行くので、それまでお預け。

明日の朝飯のつもりで買ったバナナだったが、腹が減ったので宿で食ってしまう。

そして2時頃就寝。

Fin

2008年7月13日日曜日

カサブランカ入り

今日フェズから移動してカサブランカに来ました!

なかなか大きい街でフェズよりも近代的ですね!ヨーロピアンが夏休みに入ったせいか観光客がいっぱいで安い宿がことごとく埋まっているのがつらいところです! ここから首都のラバトまではバスで1時間半ほどと近いのでここにしばらく泊まってからマラケシュに移動する予定です!

ではでは、また

2008.7.12.20/10
Casablanca,Morocco