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2008年10月20日月曜日

[diary]コトヌーからロメ(トーゴ)へ

コトヌーからロメ(トーゴ)へ

08/08/10(日)
[コトヌー→ロメ]

・乗り合いタクシー
・国境でビザをゲット
・海鮮麺を食べる

(未完)

[diary]コトヌーで休息

コトヌーで休息

[Cotonou:Benin]

08/08/09(土) 晴れ

・両替
・港
・魚の薫製

7時前に起床。

ふとCFAが足りないことに気づく。明日トーゴの国境で取る予定のビザはたぶん10000CFA(約2500円)代が手元のCFAでは足りないことに気づき、両替に行くことにする。しかし、今日は土曜日。とりあえずホテルのフロントのおじさんに英語で聞くと、「市場にあるブラックマーケット」に行くしかないと言われる。もちろん、レートは悪いと。

昨日、両替しておけば良かったと思いつつ、ただ昨日は帰りが遅かったから無理立ったなと思い直し、だったら一昨日両替しておけば良かったなと反省。

ただ両替ができないことはないようなので、念のため両替屋の店舗が集まっていた通りを経由してから市場に行くことにする。

宿から東に数本行った広い通りBlvd Steinmetzにまずは向かう。するとWestern Unionの看板を出している銀行(?)のようなところが開店していたので、そこに入る。表の看板を見ると土曜は8時から14時まで営業しているとあった。中に入って窓口の人にフランス語で両替できるか聞くと、できないと言われる。Western Unionの看板を出していて両替できないというところはけっこうあるので、ここもその1つのよう。

窓口の人は親切にも両替屋があそこにあるから、そこで両替するよう教えてくれる。

言われた店に行く。入り口は開店扉。警備員が入り口付近にいる。中に入って窓口に50ユーロ札を出し、両替したい旨伝えると、すんなり両替できた。ベナンでは初の両替だったが、マリに比べるとレートがいい。

とりあえず今日やらねばならないことはこれで終わり。せっかっくなので市場近くを回って、明日乗る予定の乗り合いタクシー乗り場を確認することにする。

道を歩いていたらまた別の両替屋があった。その前を通り過ぎてから、今度はさっき両替したぶんだけだと明後日申請予定のガーナのビザ代ぶんが足りなくなるかもしれないと思い、また両替する。窓口の女性はフレンドリーな人で、英語で対応しながら、ユーロを持っているならここで全部両替したら?といったことをにこにこしながら言う。

これで当面のお金の問題は解決。

道ばたでパイナップルを売っているおばさんがいたので、朝飯代わりにパイナップルを1個食べることにする。例のごとく、包丁で皮を剥いて、黒いビニール袋に果肉だけ入れてくれる。

それを頬張りながら市場方面に向かう。土曜日だが、今日も人出は多い。

タクシー乗り場を確認。

それから予定を変更し、標識にPortとあったのでそちらに行くことにする。

ずずずっと歩いていくと港湾沿いには立派な政府の施設が建っていた。周りの建物とは比較にならないほど立派。けっこうカネがあるんだなと思ってしまう。


海岸沿いの道を歩いて宿の方面に向かっていると、右手(海の方)に畑が現れた。1ヘクタールほどの敷地でレタス、キャベツ、タマネギ、トマトなどを栽培している。土質は一見した感じでは砂浜のようなさらさらした砂地。スプリンクラーがまわり、20人くらいの人がそれぞれの野菜の区画で草取りのような作業をしている。

記念に畑の写真を撮っていたら、農場の若い男がきて、中に来るように言う。一瞬躊躇してから、行ってみることにする。彼に案内されてタマネギ畑の間の道を歩き、敷地の中央あたりにある椰子の葉葺きの休憩小屋のところまで行く。そこには5人ほど集まっていて、真ん中にふとっちょのおじさんが地面にどでんと座っていた。若い男がいうにはこの畑のボスらしい。

ボスはぼくを見て、片言英語で話しかけてくる。ぼくが写真を撮っていたのを見ていたようで「Photo no good」と言う。それからそのカメラを見せろと言うので、彼に渡すと「Expensive?」と聞いてくる。その後すぐにおじさんはかかってきた携帯電話に出ておしゃべりを始めたので、終わるのをまち、さっさと畑を後にする。

適当に歩いていたのだが、予想通りに郵便局近くの通りに出た。郵便局のあたりには旅行用のローラー付きのバッグを売っている露店や交差点でDVDプレイヤーを売る人、果物、野菜を売る人などわりと賑やかな地帯になっている。ぼくは一度ここで買った魚の薫製が気になっていたので、薫製を売っている人を捜す。

するとちょうど正面から15歳前後の少女2人が頭の上に魚をそのまま並べた箕あるいは大きな笊(ざる)を乗せて歩いてきた。呼び止めて値段を聞くと800CFA(約200円)。けっこう高いなと思ったが、それをもらうことに。少女は黒いビニール袋に手づかみで魚を入れる。魚は頭を落とした残りをしっぽと腹に2等分されている。その切り身が4つ入っている。たぶん2匹分の薫製だから約200円だったら安いか。
これをどうやって作っているかが気になる。

それからホテルに帰る。結局、両替のために宿を出てから3~4時間ほどふらついていた。

宿でさっき買った魚を食す。皮の油がすごい。見た目は醤油で似たようになっているのだが、食べてみるとやはり薫製。味は付いていないから、あまりバクバクと食べる気にはならず。半分は明日の朝にとっておくことにする。

その後は宿でゴロゴロ。特にでかけることなく終わる。

Fin

[diary]アボメーへおでかけ

アボメーへおでかけ

08/08/08(金) 曇り、アボメーは雨
[Cotonou,Abomey:Benin]

夜明けよりやや早く起床。6時半過ぎに夜が明ける。

8時過ぎに宿を出て、アボメーに向かう。まずは宿の近くからバイクタクシーに乗り(300CFA:約75円)、ちょっと離れた乗り合いタクシーの乗り場まで行く。

タクシーはあったものの乗客が1人もいないため、しばらく発車しそうにない。なので、すぐ近くにあった屋台で朝食。ごま豆腐のようなフーフー2個と揚げ魚の半身にツルムラサキのような葉を炒めたカレー汁をかけたもの。これも300CFA(約75円)。量が少なかったので、目の前を通りがかったパン売りの少女からクロワッサンを買う。意外に高く200CFA。丁寧にビニール袋に入れてくれようとするが、断り勝手によさそうなやつを手でつかみ、むしゃむしゃ食う。見た目はクロワッサンだが、サクサクとした歯ごたえではなく、しなっとしている。

クロワッサンを食べているとタクシーの運転手が呼びに来た。予想よりも早い。1時間は待つかもしれないと思っていたのだが、もう客が集まったらしい。

例のごとく乗り合いタクシーの中はすし詰め状態。助手席に男2人座り、後部には成人男性2人に、おばちゃん2人。ぼくは後部座席だったのだが、おばちゃん二人で座席の約6割の幅を占めているから窮屈でかなわない。すぐに圧迫されている左の脚の方がしびれてくる。バスの方が良かったなと後悔。

昨日も通った道をタクシーは走る。ガンビエの入り口の通りを抜けると、舗装されてはいるものの穴がボコボコ空いた道に出る。穴を避けながらタクシーは走るのだが、運転手がまたへたくそなヤツで、急ハンドルで急停車を繰り返す。さらに事故なのか、渋滞で前に進まなくなる。窮屈な姿勢のままいつ走り出すかわからないのを待つのはつらい。

30分ほどかけて渋滞を抜ける。沿道には集落が見える。家は四角で赤茶色の土壁で藁葺きと思われる屋根。マリやブルキナファソで見たような円形の建物は見ない。パイナップルの季節らしく、山積みにされたパイナップルが沿道で売られている。パパイヤやみかん畑も見える。煮炊き用なのか木の枝などを頭に乗せて運んでいる人もときどき見かける。

途中、荷崩れしたらしいトラックが道路脇にいた。積んでいるのは大量の炭で、路肩の方に袋に詰められた炭がごろごろと転がっている。

Bohiconという道の分かれ目にあるまちで3人が下車。これでだいぶラクになる。Bohiconには鉄道の駅があり、そのまわりは露店市のようになっていて、人がおおぜい通りに出ている。売られているのは、トマトや唐辛子、キャベツ、人参、小さな大根など野菜や果物、輸入品らしいお菓子、服、箒などなど。

そこから9kmほどで目的地のアボメー。雨がポツポツと降り出す。アボメーではだいぶ雨が降ったようで、道の脇には水たまりができている。未舗装の通りは抜かるんでぐちゃぐちゃ。運賃2000CFA(約500円)を払っておりる。

アボメーの地図はなかったものの、途中、見た標識が指していた方向に向かって歩く。目的は歴史博物館。ダホメー王国時代の中心地であったここアボメーにはその当時の宮殿が残っており、それが今博物館になっている。ユネスコの文化遺産にもなっているらしく、博物館入り口近くの看板にはユネスコのマークも出ていた。

レンガ色の土壁に囲まれた敷地内は、壁が4mほどあるため外から中を伺い知ることはできない。入り口付近は未舗装のため、ぬるぬる、どろどろで靴が濡れてしまう。

チケットを買う。2500CFA(約600円)。一般的には入場料は1000CFAなのに、高い。ユネスコに指定されているなら英語も併記されているかと思いきやそれもなし。すべてフランス語。しかもガイドについて回らないといけないと言われ、わからないフランス語を延々聞かされても時間の無駄なので、さっさと出る。

展示品は何のためなのかわからない作りものや、当時着られていた服、奴隷貿易で入手したらしい鉄砲など。宮殿といっても壁に囲まれた中に長方形の平屋の建物が何棟かあるだけで、敷地内はほとんどが庭というか草も生えていない更地。通路用の飛び石のようなものもないので、これまたドロドロになる。

客はフランス人らしい人らが4人ほどと、ベニンあるいは近隣の国の人が5人ほど。中学生くらいの少女はメモをとりながら話を聞いていた。

なお、敷地内にある建物壁には彫り物の絵が描かれていて、見た印象だと奴隷狩りを表したような絵だった。

奴隷貿易はヨーロッパが主導したことには間違いないのだろうが、こうしてアフリカ内部にも協力者(共犯者?)がいたことは大きかっただろう。メキシコのアステカやマヤにしても、それらをよく思っていなかった周辺の国(日本で言えば藩?)や民族が、ヨーロッパ勢力に協力しなければ、あのように滅ぼすことはできなかったと言うし、要はどこも同じような手法でヨーロッパにやられているのが、今から見ればなんとも惜しい。また、それだけ現地の事情は複雑だったということは考慮に入れる必要はある。

一方で、たとえばベナン人でこの国に以前奴隷貿易で儲けた王国があったなんて知っている人はどれくらいいるものか、と思う。どこかで見た話では、義務教育の就学率は5割を切っていたように思う。学校で教えられなければ、そういうことを知る機会はないのではないか。

アフリカから南北アメリカやカリブ海に、またアラビア半島などに人々が連れて行かれたということは、親や音楽から知ることはあろうが、ちょっと細かな話になるとなかなか活字やテレビなど教育媒体を通してでないと難しいように思える。

まぁ、しかしそういうことを知っていることが生活上で何か役に立つかというとたいして役に立つようには思えないし、日本でだって学校でならってもたいてい忘れ去られているから、そうした歴史を記憶することと教育環境が充実しているかどうかというのは、あまり関係がないかもしれない。

それにしてもユネスコに指定されているくらいなんだから、英語で書いた説明文(紙)を貸し出すくらいのことはしろよな、と思う。フランス語がわかる人間なんて、たいしていないだろうが。まったく。

いらいらしながら歩いていると、ニーハオだのジャッキーシェンだのとといった言葉が飛んでくる。まったくうっとうしい。東アジア人はみんな中国語をしゃべると思ってるんじゃないか。暇なんだからちっとは勉強しろ。

雨がだんだん強くなってきたので、雨宿りがてらネット屋にはいる。1時間500CFA(約120円)。なかなか早い。ガーナから南アフリカに行くチケットをまたチェック。1000米ドル代ばかりで安いのが見あたらない。腹がへったので、ここで売っていた見た目小さなマドレーヌのような菓子を買う。100CFA(約25円)。甘さが足りない。

雨があがったところで帰りのタクシーを探しつつ、まちを散策。メインの通りは舗装されているものの、ほとんどが未舗装。今し方降った雨のため、あちこちに水たまり及び小さな川ができている。

客の入っている食堂があったので、そこで昼飯。鍋の中を見せてもらい、4種類ほどあった料理の中から選び、トータル400CFA(約100円)でとお願いする。主食はキャッサバをふかしてぺったんぺったんとついたらしいもの。名前はわからない。色は白く、歯ごたえはそばがきに近い。それ自体にはあまり味はないがさっぱりとしていてうまい。

店内の白黒テレビ(というかカラーなんだけど、色が出ていない)は、北京オリンピックの入場式の様子を映している。アフリカの国々の代表選手の数は少ない。ベナンなどでもサッカー以外ではいわゆるスポーツをしたことがある人なんて少数だろう。

食事をしていたらちょうど店の前で細長い臼を使って、女の子二人が今食べていたものをついていた。店のおばちゃんが、臼に入っているもののかけらをくれたので、食べてみるとさっき食べたものと同じ。

もうしばらくぶらぶらしようと思っていたら、食堂の前の通りを挟んで向こう側にたむろしていた若い男たちがプシューとかいう音を立てて、こちらを呼ぶ。そして、そのうち一人がニーハオ、ニーハオと連発しながら手招きする。こういうヤツに禄なヤツはいないからそいつは無視。手招きするくらいなら自分から来いや、ボケ、と内心つぶやく。

別の男が呼ぶので行くと思った通りタクシー屋だった。コトヌーまで行くというので、ちょっと早いかと思ったが、車に乗り込んで車内で待つ。しばし昼寝。

1時間ほど待って、タクシーは発車。自然とシャコタンになっているこの車は、ちょっとしたでこぼこがあると車の腹をガリガリと削りながら走る。窓を開けるためのノブはついていない。

客は助手席におばさんとおじさんの2人、後部座席にぼくと若めの男2人と2人の子連れの母親1人。子どもは1歳に満たないくらいの子と3歳くらいの子。なので、運転手を入れれば、普通の乗用車に9人乗っていることになる。当然、坂道になると20kmくらいしか出ない。ただ、行きのようにはきつくなかったのが良かった。

帰りも途中、事故で渋滞したり、道の脇を葬儀の人たちが歩いていたりで、かなり時間がかかる。

途中、休憩がてら休んだポイントでは、ネズミのような格好をした丸焼きの肉を売っていた。固そうなので買わず。

後部座席に乗っている女性はときおり授乳している。道ばたで立ち小便をしていた小さな男の子は、ぼくを見つけると、小便している格好のままニョボ(白人という意味らしい)と言いながらこちらを指さす。

そうしてコトヌーに着いたのは日暮れ後だった。帰り道、水、フランスパンのサンド(アボカドペースト)やドラム缶で焼いている肉などを買って、部屋で夜食。

割れていた時計のガラスの破片が中に落ち込み、時計の針が動くのを邪魔するので、すっかり時計が狂ってしまう。また修理しなければならない。

Fin

[diary]パスポートの受け取り、ガンビエへおでかけ

パスポートの受け取り、ガンビエへおでかけ

08/08/07(木) 曇り、ときどき雨
[Cotonou,Ganvie:Benin]

今日も夜明けとほぼ同時に起きる。6時半過ぎ。ベランダに出てみるとやはり曇っている。朝はいつもこんな調子だ。

10時まで部屋で日記書き。

それから宿を出て、郵便局を経由して、イミグレに向かう。これでコトヌーに来て3度目のイミグレ。10時40分ごろにイミグレ近くまで来たので、近くの屋台で朝飯。ぶっかけご飯。白飯にカレー汁。だんだんとわかってきたが、ここの屋台料理は種類が少ない。どこに行っても同じ味付け、同じ具(というか具はほとんどない)。おそらく3~5種類しかないのでは。

その後、イミグレに行く。窓口にビザ代支払い済みを照明する紙を出す。対応してくれた人は昨日と同じ女性。国籍を聞かれ、ジャポンと答えるとあっさりとパスポートが出てきた。昨日はなんだったんだ!

パスポートの受け取りが予想外に早く終わり、予定通り今日はガンビエに向かう。イミグレ前からバイクタクシーに乗り、ガンビエ方面に行くタクシー乗り場に連れていってもらう。

つづく(未完)

[diary]パスポートの受け取り延期、ウィダへおでかけ

パスポートの受け取り延期、ウィダへおでかけ

08/08/05(水) 朝は曇り、昼は晴れ
[Cotonou,Ouida:Benin]

・もらえなかったパスポート
・奴隷貿易の拠点ウィダへ

7時前に起床。しばらく日記書き。腹の調子は回復した模様。やはり食って治すというやり方の方がいいらしい。

しばらく日記書き。

10時過ぎ、イミグレへパスポートを取りに行くため、宿を出る。宿の周りの裁縫屋ではすでにミシンが動いている。

途中、屋台で朝飯兼昼飯。まわりの人が食べているものを適当に頼む。出てきたのは、黒豆のようなものと一緒に炊いたべちょべちょのご飯と少量のパスタの麺、揚げた魚の半身にカレーのような汁をかけたもの。ご飯の量はやたらと多いが、汁の量が少ない。500CFA(約120円)。

ご飯を写真に撮ると、その様子を見ていたわかいにいちゃんが、声をかけてきて一緒に写真に写ることはできないかというようなことを言う。フランス語でもないし、英語でもないから言葉はよくわからないのだが、どうも写真を撮ってもらいたい様子。リクエストに応えて、写真を撮る。というか、彼の友達がぼくのカメラを使ってぼくらを撮る。デジカメは見たことないようで、ぼくのカメラを渡すと彼はレンズがある方を自分の方に向けて構えていた。

近くの家の2歳くらいの男の子はさっきからぼくの方を見て、家の中に隠れたり、また見に来て、また隠れたりということを繰り返す。

ご飯も歯ごたえがないから噛む必要があまりなく、そのため早々に食べ終わる。

それからイミグレへ。着いたのは10時半前。一昨日、ビザの延長を申請したときには今日11時に来るように言われていたのだが、どうせアフリカのことだから多少はやく行っても大丈夫だろうと見込み、窓口に言うが、11時まで待つように言われる。

しょうがないので11時までベンチに座って待つ。ビザの申請窓口には30代後半から40代くらいの中国人男性が3人とインド系の男性が2人、ヨーロピアンが4人ほど。

11時前になって窓口に再度並ぶが、受け取りよりも申請者を先に通すため、なかなか受け取れない。列に並んで待つこと30分。そして、自分の順番になると裏から建物の中に入れと言う。だったら最初からそう言えよ、と思うのだが・・・。

建物の中に入り、さっきの窓口の人とは違う係官に申請したときにもらった紙を見せる。それを元に男の係官は、パスポートの束の中から探そうとするのだが、それぞれのパスポートの色を一見しただけで、ぼくのはないとわかる。しかし、ここにはないとフランス語でどう言うかわからなかったため、待つ。イミグレの職員のくせに英語を解さないから、面倒くさい。

係官は、他の職員とおしゃべりしながら、また途中親しい人が来ると手を止め、しばらくおしゃべりをするなど、マイペース。こんなペースで仕事ができて給料がもらえるなんて、天国だろうな、とつい思う。

結局、彼はぼくのパスポートを見つけることができず、明日また来いと言い出す。今日、取りに来いと言うから来たのにまた明日来いなんてバカじゃねぇかと思いつつも、どうせ待っていても時間の無駄だと思い、憮然としながらさっさと出る。

結局11時前に来て、12時過ぎまでかかってしまった。まったくビザは面倒だ。国境で出せばいいのに、国境ではトランジットしか出さず、みなここに来て延長手続きをするようなシステムになっているから、職員がさばけず、あるいは見落としたりしてこんなことになる。

予定では、このあとパスポートを持ってガーナ大使館に行って、ガーナのビザを申請し、明日は午前中から遠出しようと思っていたのに、それがパー。特にガーナのビザは中1日はかかるから今日申請しないと、土日が来るから受け取りが来週になってしまう。また、日程を考え直さないといけなくなり、いらいら。

イミグレの前からバイクタクシーに乗り、ウィダ行きの乗り合いタクシーが出ているところまで行く。

排気ガスで白く煙る広い通りを10分ほど走って、乗り合いタクシー乗り場に到着。ちょうど客がもう少しでいっぱいになるというタクシーがあったので運賃を聞いてから乗り込む。セネガルを出てからは大型バスで長距離は移動していたため、移動中きつい(狭い)思いをすることはあまりなかったのだが、さすがに乗り合いタクシーということで、助手席をあてがわれたものの、もう一人おじさんが乗ってくる。おじさんは、あまりこっちのことは考えずに幅を取るから、ぼくは助手席と運転席の間のわずかなスペースにまではみ出して座る。左太股のところにギアがあるので、運転手がギアを変えるときにはいちいち足をややずらさなければならない。

コトヌーを出ても、沿道には店がちょこちょこ並び、2カ所ほど大きなマーケットを見る。トウキビ畑やパパイヤがぶら下がっている木を見る。瓶にガソリンを詰めて、小売りしている人多数。

ウィダには1時間ほどで到着。運賃600CFA(約150円)を払う。

降りたところには広場があって、ポツポツと屋台や物売りの人がいた。のどが乾いたので、パイナップルを売っている若い女性からパイナップルを1玉(?)買う。ベニンでうれしいのは小型のパイナップルが50円程度で買え、しかもその場で皮を剥いてくれること。これはすばらしい商売だ。今回のお値段は175CFA(約40円)。

パイナップルを頬張りながら博物館を探して歩く。歩いているとやはりみんなの視線を感じる。小さい子どもの中には、異星人が来たかのような顔をして、親の陰に隠れながらこちらを見る子もいる。

ここはコトヌーと違ってバイクも少ないから、落ち着いていて日本で言えばさながら日曜日の雰囲気。なんだかいい。

広場から東へ200mほど歩くと、左手にわりとでかい教会が現れる。あとで聞いたところによるとベニン最初の教会らしい。その向かいにはちょっとした広場を挟んでブードゥー教の建物らしきものがある。ブードゥーでは蛇が神聖視されているらしく、その蛇を首からかけた女の人の像も建てられていた。

ロンプラの地図を見ながら、教会を右に曲がって歩くと、ブードゥーの建物の裏の広場で10歳前後の男の子たちがサッカーをしていた。だいたいみんな裸足。元気がいい。ぼくを見つけたある男の子が寄ってきて写真を撮ってというので、写真撮影。一枚撮るとすぐにサッカーに戻っていった。

その先を左に曲がってまた200mほど行った右手に目的の博物館はあった。ウィダ歴史博物館は、奴隷貿易が盛んだった時代に奴隷の収容施設のような形で使われていた建物を使っているらしい。入場料1000CFA(約200円)。

博物館の入り口の門をくぐると右手の建物に行くように言われ、階段を上って2階に行くと、なんと日本人が10にんほどいた。ツアー客のよう。ちょうどこれから解説員について展示を見て回るところだったらしく、ぼくも一緒に回ることになる。ツアーの添乗員が解説員の英語を日本語に訳してくれるのでラク。

展示されているのは、ダホメー王国最後の王の写真や対フランス戦争時の絵、奴隷貿易で稼いだヨーロッパ人の肖像画、壷のような形をしている楽器というか音を出す道具(法螺貝や鐘のような役割をしていたらしい)、アフリカで最初の貨幣(=貝殻)、ポルトガルから入ってきたパイプ、ブードゥー教に関する写真や楽器などなど。

興味深かったのが、ブードゥーがブラジルやキューバ、ハイチに根付いていて、そのハイチから持ってきたという太鼓があったこと。また奴隷貿易が廃止された後、ブラジルから帰ってきた人の料理がこちらでも一部取り入れられていることなど。

ブラジルやキューバ、ハイチで会った人の中に、もしかしたら先祖がここから連れて行かれた人たちがいたのかと思うと、なんだか不思議な感じだ。

展示品がある建物を出て、同じ敷地内の別のところに案内される。そこはスレイブパークとかなんとかと呼ばれていたところで、そこで奴隷は船に乗るまで拘束されていたらしい。そこには平屋の建物があるものの、それらは兵士用の部屋だったようで、奴隷は屋外で拘束されていた模様(はっきりとはわからない)。また、この敷地の外側には堀が掘られ、そこにクロコダイルがいたため、逃げようと思っても基本的に逃げられないような作りになっていたという。

ガイドのペースで進むので、あまりゆっくりできず、1時間ほどで出る。

日本人を案内しているこっちのエージェントのおじさんが、カーサ・ド・ブラジルという建物があるというので、そこに行ってみることにする。博物館を出ると待ってましたとばかりに一台のバイクタクシーが寄ってくる。若いあんちゃんが運転手で、カーサ・ド・ブラジルに行きたいというと、わかったようなわからないような様子だったが、とりあえず乗る。

ロンプラにはBrazilian Auberge de la Diasporaというのが載っていたので、そこだろうと思っていたのだが、バイクは途中で地図に書かれている方向とは反対に行こうとするので、運転手の背中を叩いてあっちと方向を示す。

運転手は、民族系の装飾がほどこされたバーのようなところまで行って停まり、そこの店の人に場所を聞いている。わかったようではあったが、こいつは当てにならんと確信。もしや本人はここまでのつもりで追加料金を取るつもりではないかと感じ、聞くと2000CFAがどうのという。言葉がわからないので、それが運賃なのかどうかははっきりとはわからなかったが、文脈からそうであろうと思えたので、バイクから勝手におり、ここまでの運賃500CFAを払ってバイクを追い払う。

ロンプラの地図ではまちから4kmとあったので、歩くと30分ちょいくらいかと思いながら歩き始める。道は砂浜のような砂地で、足をとられ歩きにくい。

集落と集落の間は、草ぼうぼう。15分ほど歩くと、左手に奴隷で連れて行かれた人たちを弔うための墓地のような施設があった。そこの前を通りさらに歩いていくと、前方に橋が見え、両脇には湖のような池のような、川のような水辺が広がっていた。水中にはマングローブのような木があったので汽水域(漢字が違うような・・・)になっているよう。

橋の袂から丸木舟が出ており、水上に作られているっぽい集落まで人を乗せていっている。

橋を渡って10分ほど行くと、海辺に到着。砂浜に奴隷が連れてた。

その近くには海の家のようなレストランがあり、道を挟んで向かいでは椰子の実を売っていた。のどが乾いていたため、椰子を1個注文。

180cmほどの身長の店のおにいさんは山刀(?)のようなナイフでサクサクっと飲み口を作ってくれる。一口飲んだところ、セネガルで買ったマンゴーのように、一瞬口の中がしびれるような感覚を覚える。発酵が始まっているためなのか? セボン(うまい)?とおにいさんが聞いてくるので、ダメと言いたかったが、そのフランス語がわからず、とりあえずウィと答える。まぁ、体に悪いものではないだろうとすべて飲み干す。量は400mlほどか?

飲み終わった椰子の実を渡すと、またザクザクと半分に切ってくれ、中の果肉をはぎ、食べやすいようにしてくれる。この椰子はだいぶ年をくっているのか、果肉が固い。これまで食べた物はどれもぷるぷるしていたのだが、今回のは薄く切った生の大根をかじっているような食感がする。あまりうまくない。

それでもほぼ完食して、捜し物を再開。海岸沿いを適当にふらついて歩くが、それらしきものは見つからず。その代わりでもないが、別の博物館を発見。2mほどの壁で仕切られているその博物館は、これまた不思議な作りをしていた。入り口の扉を入ると中はサッカー場ほどの広さがあって、右手すぐに人間を形どったモニュメントがあり、その後ろにはブランコや滑り台などの遊具が4点ほど。

30mほど行った左手に展示品をおさめている博物館があり、他はただの空き地というか広場というか・・・。まわりはぐるりと壁で覆われているから遊具で遊ぶ子どももいない。

係員のおばちゃんに案内されて、博物館の中に入るとまず奴隷貿易に関する展示があり、その奥には黒人解放運動の歴史に残る人々の紹介など。展示されているものは英語の本の見開き1ページだったり、ユネスコが2004年に作った奴隷貿易に関するパンフレットだったり、どれも英語のものばかり。さっき行った博物館はフランス語だけだったので、なんでここは英語なのかと不思議に思う。ちなみに係りのおばちゃんは英語がほとんどできない。

黒人解放運動で活躍したキング牧師やマーカスガーベイ、フレデリックダグラス、マルコムX、メアリー??のほか、アメリカ大リーグにおける黒人選手第1号のジャッキー・ロビンソンや、陸上100mのアメリカ代表だったジェシー・オーウェンスなども紹介されているから、もしやアメリカ人がお金を出して作った施設なのかとも思うが、言葉が通じないので聞くことができない。なお、南アフリカのマンデラ元大統領やツツ大司教の紹介もあった。

係りのおばちゃんがせかすので30分ほどでそこを出る。奴隷貿易に関する英語のパンフを1冊買う。2500CFA。

ここはそのおばちゃんが一人で管理しているので、そのおばちゃんに入場料の1000CFAとパンフ代2500CFAを払うため、5000CFA札を渡すと、釣りが1200CFAぶんしかないと言い、300CFAを私にといった仕草をする。しょうがないので300CFAはおばちゃんにプレゼントし、そこを後にする。

元来た道を戻る。途中、さっきとは違う人がやっている椰子屋で椰子の実をまた買う。ここも1玉100CFA(約25円)。さっきの椰子はかなりでかかったが、今回はちょっとこぶり。例のごとく飲み口を作ってくれる。飲んでみると今回はしびれるような感覚はなく、ぐいっと行ける。果肉もプルプルしていて良し。

例の捜し物のブラジリアンオーベルジュは結局、宿の名前だったようで、それがわかったところで海岸を後にする。帰りはラクしてバイクに乗る。500CFA。

ウィダの市場までバイクで行き、市場をぐるっと見る。野菜は小さなキャベツ、人参、ピーマンを小さくしたような唐辛子、赤とうがらし、トウモロコシ、米、レタス、つるむらさきのような葉ものなど。わりと種類は少ない。魚の薫製や小魚を揚げた物もあり。それから猿と思われる獣の頭やその他の獣の皮、角などを売っている人もいた。

その後、最初に着いた広場まで歩いていき、またパイナップルを買う。皮を剥いてもらっているときに、それらしいタクシーが通り、確認するとコトヌー行きだったので、パイナップルを受け取ってから乗り込む。

1時間ほどでコトヌーに到着。宿からだいぶ離れたところで降ろされたが、節約のためバイクは使わず歩いて帰る。歩いているとやけにビールの看板が目に付く。

宿近くまで来てキットカットのようなお菓子を売り歩いている少年から菓子を買う。ばら売りしており、1個50CFA(約10円)。この子は、5000CFA(約1200円)=100本ぶんのお菓子を売るのにどれだけ歩くのだろうかとふと思う。

宿近くの屋台で夕食。今回はこれもベニンの名物らしいウォという食べ物がお目当て。店のおばさんにウォ、ウォと5回ほど言ってやっと通じる。アクセントか発音が違ったよう。

ウォはタピオカ(キャッサバ)のでんぷんか何かを使って作った練り物状の主食で、見た目は湯がいたサツマイモをつぶしたような感じ。色は白っぽい。これに揚げた魚の半身がつき、カレーのような汁がかかる。あとオクラのソース(というか、オクラだけでかき混ぜてネバネバさせたようなもの)もついた。

カレー汁の味はなかなかいいのだが、予想外だったのが、目当てのウォの味。一口食べて”えっ?”と思う。なんと酸っぱいのだ。これは腐る過程で発生する酸味なのか、そもそも酸っぱいのかと考えるが、マリで会った旅行者がたしかこっちの方で酸っぱい食べ物があると言っていたから、このことかもしれないと思い、そのまま食べ続ける。やはり酸っぱさの原因がわからないとなんだか不安だし、実際にはあまりおいしいと思えない。酸っぱい物は主食ではなく、付け足しくらいがちょうどいいのかも。

腹が膨れたところで宿に帰る。宿の周りの裁縫屋さんは暗くなっても電気をつけて縫い物を続けている。なかなかよく働く。

Fin

[diary]たけし日本語学校、フェビを食す

たけし日本語学校、フェビを食す

08/08/05(火)
[Cotonou:Benin]

・たけし日本語学校
・キャッサバ揚げ
・フェビを食す

7時前に起床。扇風機のおかげで夜は涼しかった。ベランダに出てみると外はややひんやりしていて、室内よりも涼しい。

気が付くと右腕に蚊に刺されたらしい後が2カ所。昨日、部屋中見て回っても蚊は見あたらなかったし、蚊帳も念のため張って寝たから刺されることはないだろうと思っていたのに。もしかしたらダニか何かかもしれないが、腫れ方が蚊に似ているのが気になる。

午前中はのんびりたまった日記書き。丸1日バスで移動したりするとすぐに日記がたまる。

昼前、調べものがあって近くのネット屋に行く。1時間300CFA(約70円)。

それからバイクタクシーをつかまえ、たけし日本語学校に向かう。建物の名前はジャパンハウスらしいが、2人の運転手に聞いたところ二人とも知らず。ただ、うち一人が地区名を言ったらわかるというようなそぶりだったので、その人のケツに乗る。バイクの数はバマコよりも多く感じる。バマコではスクータータイプのバイクが多かったが、ここではまたがるタイプの、つまりは仮面ライダーなどが乗るようなタイプのバイクが多い。

ぶつかるんじゃないかと思ってしまうほどのバイクの荒波の中をすり抜けながら走ること15分ほど、通りにJapan Houseと書いた看板を発見。左に曲がり未舗装の砂地でぼこぼこしている道を100mほど行くと左手に目的の建物があった。入り口の扉に小さくカタカナと漢字で「ゾマホン」「象真翻」とある。

呼びベルを鳴らしても誰も出てこない。待っていると隣の家の3歳くらいの男の子が”コンニチハ”と声をかけてくる。そこへちょうど中に入ろうという人が来たので、その人と一緒に入る。日本語で見学したいというと、まだ初級者らしかったが、ぼくの意図はわかったようで、奥に先生がいますと日本語で教えてくれる。

その奥に行くと壁のない教室で、ちょうど日本語の授業をしていた。日本人の先生と目が合い、ちょっと待っててと合図される。

入り口付近にある椅子に座ってちょっと一服。教室の手前にあった建物ものぞいてみようと中をのぞくと、中にベニン人の女性が3人ほど、日本人の女性が1人いた。日本人の女性に声をかけると対応してくれ、訪問者ノートに名前を書くよう言われる。それからさっきのぞいた教室を案内してくれ、見学するなら後ろの椅子に座って見学できるがどうかと言われる。

せっかくなので授業を見学。教室は床がコンクリートの打ちっ放しで、屋根と左側の壁はあるものの右側の壁はない。後方と左手の壁にはいろんなものが張られている。たとえば生徒が書いた書道の文字や、ここで日本語を学び、現在日本に留学しているベニン人からの手紙、ビートたけしの写真、ゾマホンと国のお偉いさんかだれかが一緒に写っている写真など。

授業は黒板とチョークを使ってなされており、正面に先生が一人、向かい合って若い男ばかりの生徒が14人ほど。机は日本の学校のように前を向いて整然と並んではいない。生徒の机には基本的にノートと筆記用具があるだけ。中には50音表を広げている人もいるが、教科書らしきものは見えない。

このクラスは3ヶ月前に日本語の学習を始めたらしく、平仮名は読めるらしい。今日は自己紹介などがテーマのようで、「あなたは○○人ですか?」と聞かれたときの対応の仕方などを学んでいる。

授業はすべて日本語。先生である日本人はフランス語を解さない。生徒からの質問も基本的に日本語のみ。だから、生徒が質問しても、質問を的確な日本語で表現できないため、質問の意図がわからないことが多い。ぼくが聞いていても何を聞きたいのかわからなかったし、ある質問においては、ぼくと先生とでは質問の意図を違うふうに理解したりすることもあり。

なるほどそう理解するのかと興味深かったのが、「いいです」と「そうです」の使い分けについて。先生が「あなたはベニン人ですか?」とある生徒に聞くと、彼は「はい、いいです」と答えた。

先生はそれを訂正するのだが、その訂正の仕方が、”「いいです」はダメです、「そうです」はいいです”、といった具合。なぜダメなのかという点には触れない。ぼくはそこが気になるが、生徒の日本語の語彙が十分でないときに、言語論的に細かな説明をしても生徒にしてみればわからないことが余計に増えるだけで、あまり意味がないのかもしれない。だいたい日本人にとっても「そうです」と「いいです」の使い分けがどういう基準によってなされているのかについて、説明するのはけっこう難しいだろう。

この日の授業でやったのは、「あなたは○○ですか?」「はい、そうです」「いいえ、○○です」というやりとりと「この人、その人、あの人、この方、その方、あの方」、「あの人は誰ですか?」、「すみませんお名前は?」といった表現。

授業中何度も繰り返されたのが、普通の言い方と敬語の使い分けについて。たとえば「名前は?」ではなく、「お名前は?」、「ゾマホン」ではなく、「ゾマホンさん」など。先生は、先生から生徒に向かって「名前は?」と言うのはいいが、生徒から先生に向かってそういうのはダメだというふうに、先生と生徒との上下関係(?権力関係?)を使って説明する。ぼくはベニンでも先生と生徒の関係が日本と同じようであれば、その説明でわかるだろうが、もし日本とは違ってより友達感覚に近かったりしたら、この説明の仕方では理解されないのではと思ったりする。

また、日本語を日本人のように話すことの大変さ(これはどんな言語でもそうだろうが)について思う。また、それが本当に必要なのかとも。日本人のように話すためには、まず相手と自分の間の上下関係を知らねばならないし、日本人的な人との距離間のはかり方を知らねばならない。とりあえず敬語さえ覚えておけば、人の気を害するようなことはないだろうから、それを先に覚えるのがてっとり早いようにも思うが、そうなると敬語を使わない会話が理解できないということにもなるから、結局は両方ということになるのか・・・。

また、外国人が敬語を知らなくても外国人だからということで大目に見られることもあるだろうし、ある程度まではそれでもかまわないように思うのだが、”外国人だから”と見られることが嫌な人にとってみれば、そうもいかないかもしれない。

授業時間は90分。最後は、ぼくを使って一人一人自己紹介の練習をして終わる。

授業後、壁に貼られていた山形大学に留学しているというベニン人の手紙を読む。その中に、日本は技術的な面やいろんな面で進んだ国だから、発展途上の私たちの国が日本からいろんなことを学べばもっと国が発展する。そのための言語として日本語は重要な言語だというようなことが書かれていた。

生徒はだいたい仕事の合間などに来ている人が多いようで、授業が終わると早々にみな帰っていった。

授業後、ここで日本語教師をしている人としばらくおしゃべり。その人はアフリカは初めてらしいが、気候について言えば今のところ日本よりもしのぎやすいし、治安もいいからわりと暮らしやすいように感じている模様。

テレビではNHKが流れていて東京の集中豪雨や北京オリンピックまであと3日といった話題を取り上げている。

16時前に学校を後にし、歩いて宿に戻る。途中、キャッサバを道ばたで揚げて売っているおばさんがいたので、100CFA(約30円)ぶん購入。5切れほど。さつまいものような味がしてうまい。こうした揚げ物売りのおばちゃんは道ばたでしばしば見る。さっき食べたのがうまかったので、違うところでまた100CFAぶん買う。

こちらでは屋台で食事をするときも、いくらかと訪ねると、いくらぶん欲しいんだと聞かれる。つまり、買う方が値段を指定して買うスタイルになっている。200CFAぶんくれというと、それだけのぶん盛ってくれる。量はごまかされる可能性はあるが、値段がごまかされないからこのスタイルはなかなかいい。

バイクの排気ガスで白く煙る通りを30分ほど歩いて宿に戻り、一服して晩飯を食いに出る。18時くらいになると日がだいぶ傾いて、ずいぶん涼しくなる。

近くの端の袂にある市場はトタン張りの小さな商店と露店がひしめき合う一大商業地になっている。そこに安い飯屋があるとガイドブックにあったので探す。が、もう少し遅くなってからでないと始まらないのか、あるいは今日の営業は終わったのか、営業していない飯屋も多々あり。

たまたま客が入っていた飯屋を発見し、そこでフェビという料理を食べる。フェビとはオクラのことらしいが、それが料理名になっているよう。ここでも値段を言って盛ってもらう。2個のフーフーと揚げた魚の上にオクラ入りのスープをかけた食べ物。正確にはスープと言うよりは、オクラの粘りで中華料理のあんかけの”あん”のようになっている。スープの具はオクラと何かの葉物だけ。

これを手で食べるのだが、フーフーはすぐ崩れてしまうし、オクラのスープは粘っていてつかめるものじゃないから、うまく食えない。結局、フーフーの固まりをスプーン代わりにして、さらに口をつけ、流し込むようにして食べる。向かいで似たようなものを食べてたおじさんは、指先をすっかりスープにつけて食べていたが、ぼくは腹に自信がないので、そのようにはできず。

味は基本的にカレー味で、ピリッとした辛さがなかなかいい。味はいい。が、手で食べるには食べにくい。

テーブルにはカップに水がくまれ、それを使って最後に手を洗う。別に受け皿用のボールが用意されているので、ボールの上で食べ物を掴んだ右手に水をかけ、手を洗う。

腹が膨れたところで宿に戻る。シャワーを浴びてあとはのんびり。

Fin

[diary]コトヌーに到着、ビザ延長、ぶらぶら

コトヌーに到着、ビザ延長、ぶらぶら

08/08/04(月)
[Cotonou:Benin]
・故障
・4時に到着
・ビザ延長手続き
・フーフー
・縫い物工場

コトヌー行きのバスの中。昨日2度ほど聞いたガラガラと歯車が噛み合わないような音がして目が覚める。そしてバスが停まる。客の数人はアー!とあからさまに残念そうな声をあげる。

しばらく修理のため停車。ぼくはまた寝る。

バスはまた走り出す。ぼくは寝たまま。

バスがまた止まり、エンジンが止まるのを聞いてまた起きる。今度は終点のコトヌーに着いたのが理由だった。

寝ぼけた状態のままバスを降り、リュックを受け取る。いつものように到着時間は朝の4時。ワガドゥグを朝早くに出て、こんな時間に着くなら、向こうを昼に出れば昼前に着くだろうに、なんでこんな時間割で走るのか謎だ。

今回もまた朝までターミナルで待つ。幸いベンチの上が開いていたので、ベンチで寝る。

明るくなった頃に目覚める。時計は5時半をさしている。気が付くと右手の中指2カ所を蚊にやられていた。

ちょっと早いけどと思いつつ、ターミナルを出て宿に向かう。今回は『旅行人』に載っていた宿を目指す。ターミナルの前にはタクシーはなく、バイクタクシーばかり。黄色のビブス(って言ったけ、ゼッケンみたいなの。ところでゼッケンの語源は何だろう?)を着けたバイクがぎょうさん走っている。

自動車のタクシーをつかまえようと車道のわきで待っていたのだが、これが来ない。バイクタクシーもたいてい客が乗っていて空きがない。ターミナルの入り口で声をかけてきたときに無視したドライバーがまた寄ってきて、どこに行くのかというのでホテルの名前を言うと、それは友達のホテルだから大丈夫という。

運賃を聞くと1000CFA(約300円)。バイクだからもっと安いだろうと思ったが、許容範囲なので言い値で了解する。125ccクラスのバイクの後ろにリュックを背負ったまままたがる。

バイクは橋をわたり向こう側へ。橋からの風景は予想外のもので、川辺にびっしりとトタンを張り合わせたような家が並んでいた。中には水上に張り出している家もある。

道路上は四方八方がバイク。もうバイクだらけ。当然、排気ガスがすごい。朝靄のように白い煙が漂っている。

橋を渡ると銀行や両替屋が両脇に固まって通りに出て、その先ちょっと行ったところでバイクは左に曲がり、さらに3つ目の角でまた左に曲がる。他のまちと同様、舗装道路を1本入ると未舗装の通りで、ここの場合は砂浜のような砂地だった。バイクが走るには走りにくい。

目的の宿にはちゃんと着く。無事チェックイン。4階の部屋の鍵をもらい、階段を上る。

部屋はコンクリート打ちっ放しの床に水色に塗られた壁。広さは9畳ほどあり広い。ベッドもそこそこ大きいが蚊帳はない。部屋に入って右奥の角に壁で隔てられただけのシャワールームがある。その脇のドアを開けるとベランダがあり、あたりを一望できる。トイレットペーパー1ロールと石鹸もついて4000CFA(約1000円)は、西アフリカにしてはすばらしい。なお、中南米だったら半額だろう。

なにより気に入ったのが、ベッドの上に電気のボタンがあること。入り口とベッドの上にあるから、寝るときにいちいち入り口まで行って消す必要がない。こんな宿は初めてだ。

シャワーを浴びてしばし休憩。シャワーはもちろん水のみ。

イミグレにビザの延長に行かないといけないので、その位置をガイドブックで確認しようとしたところ、ロンプラがない!

あれっと思い、入れてたはずのカバンの中を探すが見あたらず。これはバスの中に忘れたなと思い、宿を出てバイクタクシーをつかまえるが、こいつが行きたいバス会社のターミナルがわからなそうだった。ただ乗れというから、乗ってからぼくがさっき通ってきた道を思い出し、方向を指示する。

バスターミナルに着き、乗ってきたバスの中に上がり込み、座っていたあたりを見ると、座っていた座席の前の座席の下に落ちていた。バスのドアには鍵がかかっていないから、こういうときに助かる。

無事、本を取り戻し、またバイクに乗って宿に戻る。フロントの前を通ったとき、時計に目をやると7時をまわっている。自分の時計はまだ6時台。そう言えば、ここは1時間早くなるのかと思い、宿の時計もあまり当てにならないのでガイドブックで時差を確認する。

もうすぐ8時になることがわかったので、ビザを延長するためにイミグレへ向かう。宿近くの通りに止まっていたバイクタクシーにイミグレに行きたいというと3人続けてわからないと言われ、4人目でわかる人をゲット。運賃を聞くと300CFAと言う。やっぱりターミナルから乗ったバイクは3倍くらいぼっていた。

イミグレに到着。8時には開くはずなのだが、まだ開いていない。8時半になってようやく開く。

"Visa"と書かれた窓口でビザ、ビザと言っていると申請用紙をくれる。ここの申請用紙はマリと違って英語とフランス語併記。だから、英語での記入でオッケー何だろうと思って記入したところ、あとでフランス語で書くよう訂正される。宿の住所や電話番号を書くように言われたが、覚えていなかったので、手元にあったガイドブックから適当に見繕って書く。親の名前や、もし仕事をしているのであれば、会社の住所なども書かないといけない様式になっていた。アフリカに入って以降は学生で通しているが、こういうときもやっぱり学生がラクだ。

なんとか記入が終わり提出する。この周辺の5カ国共通のビザがここで取れるとロンプラにあったので、ここで取れればニジェールにも行こうかと思っていたが、窓口の女性は取れないという。ベニンのビザのみらしい。一番短いものが1ヶ月だったので、それでお願いする。そのやりとりの際には、同じくビザを申請しに来ていた若いフランス人が、窓口の人のフランス語を英語に訳してくれる。ありがたや。

結局、ここでトランジットビザ代10000CFA(約2500円)も取られ、1ヶ月ビザの12000CFA(約3200円)とあわせ、約6000円の出費。

しかも今日発行してくれると思いこんでいたのに、明後日取りに来いといわれる。今日、取れればこのままガーナのビザも取りに行こうと思っていたのに、がっかりだ。

歩いて宿に向かう。途中、パパイヤをカットしてビニール袋に入れて売っていたので久々のパパイヤだと思い、とびつく。が、これがあまり熟れていないパパイヤで大根のようだった。それから椰子の実を売っていたので、それで喉を潤す。100CFA(約50円)。果肉がうまい。

それから露店で軽食。ここの名物のフーフーを食べている人がいたので、それに釣られてぼくも食べることにする。フーフーはトウモロコシの粉(だったと思う)をどうにかして、寒天のように固めたもので、ここ主食の1つ。

フーフーは水筒の蓋のようなプラスチックの容器に入れられて固められていて、それ1つが50CFA(約25円)のようだった。なのでフーフーを2つ頼み、それに汁をかけてもらう。汁はカレー汁。インドカレーのように水状でピリッと辛いのがうまい。フーフーの歯ごたえは胡麻豆腐に近い。一般的な豆腐よりも固く、しっかりしている。それ自体にはほとんど味はないので、カレー汁に浸けて食べる。カレー汁には具が入っていないので、ちと物足りないのだが、フーフーを食べられた感激でいっぱいになる、と書いてみる。計300CFA(約80円)。

また歩いて宿を目指す。途中、ホテル併設のネット屋があったので、そこでネット。スピードはまぁまぁだが、ブルキナ、マリと比べると遅い。1時間300CFA(約80円)。

宿に戻って休息。昼寝。

2時頃、また外に出る。一時期奴隷海岸と呼ばれていたこの地域の海辺に向かって歩く。

海近くには郵便局やオフィスビルのようなものもあり、ちょっとハイカラ。定食が1500CFA(約300円)ほどするレストランが10軒ほど並び、屋台や露店も多い。肩からベルトやジーパンを下げて売り歩いている人たちも多い。

露店の中にどうも燻したらしい魚を売っている店があったので、試しに魚を買う。歩きながら食べてみると、薫製の味。あまり塩気がないのでちょっと絞まらないが、まぁ、いける。小魚を揚げた物を売っている露店もあったので、そこでも100CFA(約20円)ぶん買う。こちらはチリソースがかかる。またこのチリソースが辛くてうまい。

郵便局前には手帳などの文具を売る露店が5店舗ほど並び、絵はがきも売っていたので久々に購入。マリ、ブルキナファソと絵はがきを見なかったので、しばらくぶりだ。郵便局では切手も購入。

海まで行って、ちらっと海を眺める。砂浜がずっと続いていたが、波は緑色に濁っていてあまり美しくない。暑さのせいか寝不足のせいか、腹の不調のせいか、なんだか足取りが重い。しかし、来た道を戻るのは面白くないので、別の道を通って宿に帰る。

途中、道ばたの果物屋で小玉スイカ1玉と夏みかんのような大きな柑橘を買う。スイカは500CFA(約120円)。みかんの方は10個ほど入って1000CFA(約240円)。ぜんぶで5kgほどの重さになり、どうせなら宿の近くで買うべきだったと後悔する。

宿に戻って、宿でペットボトルの水1.5リットル500CFA(約120円)を買い、部屋に戻ってベランダで外を眺めながらスイカを食べる。

旅の前に友達にもらったアーミーナイフで半分に切り、メキシコで買ったスプーンでくり貫きながら食べる。そこそこ甘いが、とびきりうまいってほどではない。ふと、こちらの人は冷たいスイカを食べたことがあるのだろうかと思う。北の山間部であれば、川にでも浸しておけば冷たくなりそうだが、その川の水も想像の範囲では冷たそうにない。こっちの海側になると切り身にして冷蔵庫に入れるしかないだろう。山形にいた頃なんか、山に近い田畑を耕していたから、脇を流れる水路にキュウリなどを浸けて、冷やして食べていたもんだったが、こちらではそういうのも難しいかもしれない。

小玉と言えど、水を飲んだ後に1玉完食するのは厳しかった。が、食いかけのまま置いておくわけにも行かないので、気合いを入れて完食する。その後、ベッドで休憩。

案の定というか、夜、やや腹の調子が悪くなる。まったくダメな腹だ。

夜は扇風機をつけて寝る。掛け布団のようなものが、シーツの一枚もないので、夜中、ちと寒くなり目が覚めるが、暑いよりいい。

Fin

[diary]ワガドゥグからコトヌーへ

ワガドゥグからコトヌーへ

08/08/03(日)
[Oagadougou:Burkina Faso→Cotonou:Benin]

・明朝のチェックアウト、満席
・雨の国境越え
・故障、また故障

夜は仮眠状態のような感じでしか眠れず。何度も目が覚める。4時に起き、荷造りをして宿を出る。

フロントの入り口で寝ていたホテルの人を起こし、チェックアウト。外は外灯の光があるから、道を歩くには不便はない。客は入っていないが、この時間でも開いている小さなレストランを見る。また、道ばたや店の軒先で寝ている人も10人ほど見る。

昨日、下見に行ったバス会社のターミナルまでは宿から歩いて20分ほど。2度曲がったあとはまっすぐの道を歩いていけばたどり着く。しかし、時間が時間ということで、物取りが現れないかやや緊張しつつ歩く。

無事、バスターミナルに到着。人と荷物でごったがえしている。窓口に行くと窓口が開いていない。しょうがないので、窓口の部屋に出入りしている人に聞くが、返事がフランス語なのでよくわからない。担当らしい女性に2度聞き、2度目に英語でフルだから乗れないと言われ、ガビーンと衝撃を受ける。

昨日、チケットを買っておけば良かったと思っても後の祭りなので、ターミナル前にいたタクシーの運転手にベニンの国境に行くミニバスが出ているターミナルに連れていくよう頼む。場所はよくわからないので、困ったときのタクシー頼み。運賃は1000CFA(約250円)。

運転手はぼくのリクエストを理解したようで、すぐに発射してくれる。時計をさして急ぐようなそぶりをするが、なぜそのような素振りをしたのかそのときはわからず。

タクシーは舗装された道を通った後、なぜか住宅地の未舗装のがたがたの道に入る。なんでこんなところを通るのかと不審に思っていたのだが、その先に別のバス会社のターミナルがあった。その前で降りると、ターミナルから若い男が出てきて、ぼくの荷物を持ってチケット売場まで案内してくれる。チケット売場の窓口の上の方には時刻表と値段が書いてあって、乗りたいコトヌー行きは4時半発で17000CFA(約4000円)だった。時計を見ると5時前。あれ、もう出たんじゃないかと思い、窓口のおじさんに聞くと、目の前に停まっているバスがそうだという。時間通りに発車しないという習慣は、こういうときに大いに助かる。

さっきのバス会社は14000CFAでバスもこっちとは比較にならないほど良かったから、やはり昨日チケットを買っておけば良かったと改めて思うが、まぁ、これから出るバスにありつけたということで良しとする。

チケットは容易に購入できた。木製のベンチに座って出発を待つ。

1時間ほど待ってようやくバスに荷物が積み込まれる。出発は結局6時半。西アフリカでは早起きの苦労が見事に水の泡となるという話はよく聞く話だが、こういう会社につきあわされている人々は実際にどう思っているのか、気になる。

走り出すとすぐに左斜めの向かいにあったガソリンスタンドに入って給油。

バスはボボデュラソからワガドゥグまでの間で乗ったバスと同じスタイル。通路はさんで左が三列シートで右が2列。珍しいことに座席番号が決められていた。

前の方で女の人が大きな声をあげて、隣の女性客を怒鳴り始める。言葉がわからないからなぜ怒っているのか不明。その声を聞いて、後ろに座っている客も立ち上がり、ぼくの隣に座っていたでかいおじさんは前まで歩いていって、けっこう強い口調で間に入り、調停している。

そういえば今日も出発前、荷物のことでバス側と客がもめていた。

ぼくの座席は後方左の窓際。窓は開くので風を浴びながら外を眺めたり、眠ったり。

景色はマリ以降とほとんど変わらない。平坦な景色。土壁の家やトウキビ畑など。

13時30分頃、ブルキナファソの国境に到着。ここにも物乞いをしている子どもが10人ほどいた。また小さい黄色い皮のメロンも売っている。すばらしいことにその場で皮を向いてくれるのだが、ぼくは腹のことが気になるので買わず。ちなみにメロン売りは10歳前後の女の子が多く4人ほど、母親くらいの女性が1人。皮の剥き方を見ていると、日本でいうりんごの皮むきのような剥き方ではなく、鉛筆削りと同じように外側に刃を向けてシャッシャッ向いていた。メロンは片手で持てるくらい小さいから女の子たちでも素早く上手に剥ける。

あと魚の素揚げを売っているおばちゃんもおり、数人の客が買って食べていた。これにも惹かれたのだが、とりあえず我慢。

今回も国境は雨だったが、荷物チェックはなかったため雨による被害はなし。

ベニンの国境前になるとバスの添乗員が乗客のパスポートとカネを集めて回る。パスポートは渡したが、カネはよくわからないので渡さず。また請求もされず。

ベニンの国境では乗客は警官に促され、入国審査所の建物から10mほど離れたところで固まって待たされる。ぼくはビザが気になったので、その固まりから抜け、審査所に行き、自分のパスポートを探し出し、係りの人にビザが必要だと伝える。すると係りの人は入国スタンプを押してくれ、コトヌーについたらイミグレに行くよう言う。

他の客のパスポートは全部手続きが終わったところで、警官から名前を呼ばれ、一人ずつ返してもらっていた。

ガイドブックに寄れば、ここの国境でトランジットビザをもらい、コトヌーで延長するとあったのだが、トランジットビザらしきものはパスポートに張られず。またビザ代も払わなかった。どういうことだろうと思いつつも、もしかしたらトランジットビザ代が浮くかもしれないと都合良く考え、そのままバスに乗り込む。
 
ベニンに入ると景色が変わった。これまでは平たい大地に草と木々が広がる景色ばかりだったが、ベニンにはいると山が見えた。思えばアフリカに入って以降、起伏のある道を通ったことがなかった。それがベニンに入ると前方に1000mもない低い山脈(または丘?)が横切るように走っており、一つを超えるとまた別の山が現れるという感じで、たいしたことはないが、それなりに起伏がある道を走る。

道路はずっと舗装されているので、全く快適。つらいのは3列シートが狭いのと、背もたれが倒れないことくらい。

国境などで食い物を買う機会はあったものの、まとまった食事休憩はなかった。17時ごろ、バスは沿道に商店がちょろちょろと並ぶまちで停車。そこで食事休憩となる。バスが停車する直前、車体裏でギアの歯車が噛み合っていないような音がする。バリバリバリと大きな音がしたところでバスは停車。やはり故障のようで休憩中、車体の下にもぐって修理していた。

1時間ほど修理、休憩。ぼくは腹が減ったので、丸い形のドーナツのような菓子と中国製の薄いクッキーを買って食べる。歩いているとジャッキーシャンとかシヌワーとかと声がかかる。

再び走り出したバスだったが、1時間もしないうちにさっきと同じ音がして停車。また修理。再度走り出すが、走り出した途端に乗客が騒ぎだす。なんだなんだと思ったら、客の何人かがどっか行って帰ってきていないよう。停車したところからちょっと先にあった商店などが集まっている地点までトロトロと客を捜しながらバスは走る。

そうして乗客が戻ったところでエンジン全開。

そうこうしているうちに日が暮れる。どうも今回も目的地には夜中に着くようだった。

Fin

2008年8月4日月曜日

[速報]コトヌー(ベニンまたはベナン)いり

結局、昨日の朝ワガドゥグを出て、24時間の移動時間を経て、ベナンに来ました。ひさびさのうみです。

ここは以前ヨーロッパから奴隷海岸と呼ばれていたところで、当時この地に栄えたダホメー王国は大陸内部へ奴隷刈りに行き、それをヨーロッパ各国に売飛ばしてずいぶん儲けたようです。今回の西アフリカの旅のメインはこの海岸沿いなので、ここからガーナにかけてちょっとのんびり行こうかと思っています。

あとここにはたけし学校という日本語学校があります。一時期テレビに出ていたゾマホンというベナン出身者が作った学校です。そこにもちょっと見学しに行く予定です。

http://www.zomahoun.com/activities/japanese/

ではでは。

2008.8.4 10:35
Cotonou,Benin


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