いざ南アフリカへ
08/08/20(水) 晴れ 24-30℃
[Accra:Ghana]
・日記書き
・空港で半日
・中国人との会話
・賄賂とくされ審査官
この日も夜中にオリンピックを見る。
7時頃に起きる。シャワールームで水が出るか蛇口をひねるとやっと水が出た。室内に干していた靴は、まだ完全には乾いていない。幸い昨日の天気予報ははずれて外ははれているから、廊下の壁の上に干す場所を変える。
それからシャワーを浴びる。
そんで日記書き。テレビをつけっぱなしにしていたのだが、この時間3つのうちの1つのチャンネルはCNNのニュースが流れている。ロシアのグルジア侵攻のニュースなどが流れる。ほかのチャンネルはガーナの討論番組のようなものをやっていて、学者か何かが2人ほど司会にふられるとしゃべっていた。
11時までそんなことをして、それから荷支度。すぐにチェックアウトできる状態にしてから、11時半に朝飯も兼ねた昼飯を食いに行く。店は宿の右向かいにある店。ここはいつも客が多い。例のごとく1セディ(約100円)ぶん頼む。ご飯はいっぱいだが、例のカレー汁はほんのちょっと。肉がひとかけとキャベツ、人参のマヨネーズ系ドレッシングがかかったサラダが一枚の皿に盛られる。
食べていると珍しいことに若い中国人2人が、入ってきて食事。商店以外では中国人をあまり見ないから新鮮だった。
宿に戻ってチェックアウトタイムの12時にチェックアウト。
空港行きのバスに乗るために、歩いてエンクルマサークル(エンクルマ交差点)まで行く。
途中、交差点でチョコ菓子(キットカットのようなもの)を売っている女性から菓子を買う。1袋(1本)0.1セディ。日の当たる中売り歩いているから当たり前なんだけど、あとで食べてみるとチョコレートはけっこう溶けてどろどろになっていた。原産地を見るとなんとスリランカだった。
宿から歩いていくと交差点の右側が広場のようになっていて、そこを横切る方がバス乗り場が近い。よって、横切って歩いていたら、5歳くらいの中東系の男の子が食べる仕草をして何かくれとせがんでくる。ちょうどいらなくなったレモン味のあめ玉1袋があったので、それをあげる。その子はそれを持ってぼくから離れていったのだが、どこに行くのか見ていると母親らしい女性たちが3~4人で木の下に座り込んでいる場所に向かっていた。
そこへやはり同じくらいの年の別の男の子2人が寄ってきて、腕をつかみ、何かくれとせがむ。ぼくはさっきの子にあげた飴をもらってと仕草で伝えようとするが、うまくは伝わらず。しかし、さっきの子が歩いていった先にいた母親らしい女性が何やら言い、その言葉を聞いて彼らはぼくから離れる。ぼくがあげた飴玉の袋を頭上にあげて何か言っているから、想像するに、これをもらったからこっちに戻っておいで、とでも言ったのだろう。
バス乗り場に行くと3台のバスが止まっていて、チケットを売っている人に聞いて空港行きのバスに乗り込む。バス代自体は0.2セディ(約20円)だが、荷物代として0.4セディとられる。しかし、タクシーに乗れば5セディ(約500円)はかかる距離だから、それを考えると10分の1で済んでいるので気分がいい。
このバスのチケットを売っている女性はお腹の大きな妊婦さん。バスの入り口には「ピュアウォーター」と言ってビニール袋(約200ml程度)入りの水を売り歩いている10歳くらいの少年が1人、立ったままずっと中をのぞいている。
20分ほどバス中で待ったあと、発車。20分ほどで空港の最寄りのバス停につく。バスから降り、空港方面に向けて歩く。ただ、その前に飛行機が出る夜までの腹の足しにするために交差点で物を売っている人からバナナチップを買う。一袋0.5セディ(約50円)を2袋。たぶんそれぞれ40g程度。
それから並木道の歩道でパパイヤを売ってる女性から小型パパイヤを1個買い、皮もむいてもらう。さらに空港よりの歩道でドーナツのようなものを売っている女性から0.5セディ(約50円)のドーナツを2個。
そんなこんなで15分ほど歩いて空港へ。空港の入り口付近には社会科見学らしい小学生から中学生くらいまでの子どもたちが50人くらいいて、その中のガキンチョがなんとかとわからない言葉で、呼びかけてくる。見ると手を振っているのでにこやかにこちらも手を振る。
この間空港に来たときは入り口で止められたが、リュックを持っているだけでノーチェックで空港内に入れる。
ガーナの国際空港ということでけっこう大きいのかと思っていたが、たいしたことはなかった。最近改装したのか屋内はきれい。インターネットカフェが2階にあったが1時間3セディ(約300円)と高い。市内の6倍くらい。
時間は13時すぎ。飛行機の出発予定時刻は23時。チェックインの時間は6時半ごろからなので、ずいぶん時間はある。
ベンチを探し、ベンチで本を読んだり、備え付けられているテレビでやっていたオリンピックを見たりしながら待つ。
『Fate of Africa』というロサンゼルスで買った本を辞書をひきひき読む。日本語で読んだ本の知識があるからある程度まではわかるが、細かなところはよくわからず。それでも、ブエノスで見たドキュメンタリー(キューバのアンゴラ支援に関するもの)の理解を深くする文章もあり、新しく知ることも多かった。が、やはり疲れる。日本語の本の20倍は疲れるなぁ。
うとうとと昼寝をしているうちに18時をすぎる。各フライトの状況を知らせる電光掲示板というかテレビにはほとんどのフライトがチェックインまたはボーディングとなっていた。しかし、ぼくが乗るフライトはまだ何も動きがない。
隣の席が開いたところへ中国人のおじさんが座る。40代くらいっぽい。英語でコリアンかと聞かれたのをきっかけにちょっとだけ英語で話す。そのおじさんは仕事でガーナに北らしくこれからケニアのナイロビに戻り、そこで用事を済ませたら中国に帰ると言う。何時のフライトかと聞くと、午前10時と言っていたのに、まだいつ出るかわからない状態だという。なかなか大変だ。
オリンピックの話題をふると、中国は前回大会を上回るメダルを獲得するだろうとのこと。
19時になってようやくチェックインのサインが出たので、チェックインカウンターに行く。電光掲示板で指定されていたチェックインカウンターに行ったのだが、カウンターの上の電光掲示板にはドイツの航空会社の名前が書かれてある。列を誘導している人にチケットを見せたら、ここに並べと言うのだが、South African Airwaysと電光掲示板に出ていないので不思議に思う。しかし、ここはアフリカ。看板に偽りありの国だ。間違ってドイツに荷物を送られないよな、と疑念を抱えつつ、チェックインカウンターに行くとちゃんとSouth African Airwaysのボーディングパス(チケット)をくれた。
なおリュックの重さは25kg。
2階のパスポートコントロールに移動する。出国カードとパスポートを審査官に渡すと、なにやら文句を付けられる。何かと思ったら超過滞在だという言う。2週間のビザを持っているというのだが、入国スタンプのところに書かれた7という数字を指さし、ぼくの滞在が7日間を越えているという。7という数字は入国審査時に、アクラにどれくらいいるのかと聞かれて1週間くらいと答えたところ審査官に書き込まれた数字。しかし、7日間有効などとは書かれていないし、そもそもその数字を書いたときにそれが何を意味するのか説明はなかった。ビザは15日間あるのに、なんでそんなことを書くのかと不思議に思ったのだが、適当に流したところ、こんな始末。
罰金で2セディ払え言うのだが、セディはすべて両替して手持ちがない。だいたい国際空港のくせに出国審査後のスペースには免税店はあっても両替屋ないというアホなつくりになっているから出国審査前に両替しないと、両替できなくなる。南アフリカでガーナのカネを両替はできないし。
そんで何を持っているかというのでドルだと言うと、仕草でそれを出せと言う。なので2セディ相当である2米ドルを出すと突き返される。2セディじゃないのかと聞くと、首を振る。
まぁ、2セディは罰金にしては軽いから20セディかと思い、20セディ渡すとそれでも足りないと言う。いくらだと言うと40米ドルと言うので、アホかと思いつつそんなの持っていないと言うと、手に持っていた1ドル紙幣を指さし、それを渡せと仕草をする。さっき35セディを両替して30米ドルになり、それをポケットに突っ込んでいて、丸々見られたのがまずかった。それで1ドル札を10枚渡すと、出国スタンプを押し、パスポートを返してくれた。
最初に2セディと聞こえたのは間違いないはずなのだが、尋ねる度に金額が上がるし、まわりの人に聞いてもグルになってかさ上げされるかもしれないので、言われるままにカネを渡したが、どう考えても高すぎる。そもそも、ビザよりも入国審査官が手書きで書いた数字の方が強いってのがおかしい。それだったら入国審査官は日数をえさをいくらでも外国人にたかることができる。入国時にはたかられなかったけども、そういう可能性のある制度はやめるべきだろう。こんなの初めて。
最後の最後でこんなことがあり、あまりよくない西アフリカの印象がさらに悪くなる。まぁ、こちらの常識で物事を考えずに徹底してあらゆることを疑い確認するようにすれば、こういうことは防げるのだろうが。
飛行機の方は22時頃から搭乗が始まり、予定の時刻には離陸する。
南アフリカ航空はすばらしく、機内はとてもきれいで、加えて全席に靴下と目隠し(寝るときに付けるヤツ)、歯ブラシが入ったポシェットが配布されている。航空会社からのプレゼントらしい。
離陸して30分ほどすると飲み物が運ばれてくる。これまた太っ腹なことに200mlほどのペットボトルの水は漏れなく全員に配られ、他に何を飲むかと聞かれ、自分の乗みたい物を注文するスタイル。こんなのも初めて。トマトジュースやフルーツジュースとともにワインもあったので、ぼくは白ワインをもらう。南アフリカと言えばワインの産地。おそらく現地では買うことがないので、ここで味見をしておこうというわけだ。
ワインは200mlほどの小さなボトル。驚いたことにボトルは瓶。
その後、ちょっとして食事が運ばれてくる。メインの肉料理(ぼくはよく聞き取れず適当に頼んだらチキンライスみたいなものだった。肉はチキンではなく、ラムかなにか)にパンを好きなだけ、あと生野菜のサラダとあまりおいしくないチョコレートケーキとチーズとクラッカー。
腹が膨れたところで時間も遅いので寝ようかと思うが、ワインのせいで脈があがり、なかなか眠れない。そのうち船酔いに近いような感じにもなり、あらためて酒は飲むもんじゃないと反省。ちなみに白ワインはちょっとふぬけた味だった。ぶどうジュースの方が断然おいしい。
んで、数時間眠れずに起きていて、その後やっと眠れる。やれやれ。
Fin
2008年10月20日月曜日
[diary]クマシからアクラへ
クマシからアクラへ
08/08/17(日) くもり、雨、くもり
[Kumasi→Accra:Ghana]
・クマシからアクラへ移動
・横転しているトラックたち
8時前に起床。水が滴る音が聞こえる。雨が夜中降っていたらしい。
テレビを付けてみると3つのチャンネルすべてで説教をしている。キリスト教らしく、英語でずっと「Bible says・・・」などと一人の人間がしゃべり続けている。3つしか映らないチャンネルのすべてが、同じような説教をしていることには驚く。
そのうち近くの教会からミサらしい歌が聞こえてくる。厳かな賛美歌ではなく、ドラムなどを使った歌って踊れる明るい歌、アフリカンゴスペラ(?)。
当初の予定では、ここからさらに北に行き、出国する前日に北のまちからアクラに行こうかと思っていたが、昨日のニュースでどっかの道路が雨で寸断したとかやっていたし、車の故障で出発に遅れるのも嫌だし、安宿はまた埋まってそうだし、何より腹の調子がまたおかしくなってきたので、アクラに戻ることにする。
11時ごろまで日記書きをした後、チェックアウト。外に出てみるとどの店も完全に閉まっていた。やっているのは露店と市場のみ。
アクラ行きの車が出ている乗り場に行く。スピーカーから「アクラ、アクラ・・・」とがなりたてる声がずっと響いている。
6セディ(約600円)のチケットを買い、車の座席を確保。車は日産のマイクロバスで新品ぽい。外観も車内もきれい。モロッコ以後に乗った車(バスを含む)の中では一番きれいな車かもしれない。
待っていると車の人が、荷物代と言って2セディ(約200円)渡せと言ってくる。たいてい荷物代は1セディなので、1セディじゃないのかと聞くが、2セディと言う。なのでチケットを取り出し、乗る車を変えるから払い戻ししろと頼むと1セディでいいからと相手が折れる。
車に乗り込み、出発を待つ。車のすぐそばでクッキーを売っていたおばさんからクッキーを一袋買う。2セディ(約200円)。高い。安いのもあるが、今回は高いのを買ってみた。さっそく開けて食べてみると湿気ている。やっぱり回転の速い安いものを買うべきだったと反省。
車は1時間ほど待った後に発車。1つの座席に1人なのでわりと快適。今日も雨が降ったりやんだりの不安定な天気。
緑豊かな地帯を走る。今回の運転手もかなり飛ばす。道路脇の標識には50km/hとあるのだが、流れる景色のスピードと窓から入る風圧からすると100km近く出ている。
アクラに着くまでの間、横転しているトレーラーを4台ほど、故障で立ち止まっている車を5台ほど見る。幸いぼくの乗ったマイクロバスは故障も事故もなく、走る。
ケープコーストからクマシに行く道と違って、こちらは警察のチェックポイントが少なかった。路面の舗装具合もいい。
ある集落を通ったときには道路沿いに陶器のような器を陳列して販売していた。また、大人の拳よりもさらに大きな巨大なタニシのような、カタツムリのような生き物もあちこちで売られていた。
道はアクラに入って急に悪くなる。アクラ郊外の道は現在工事中のようで、道の端の舗装されていないがたがたの即席道路を車は通る。渋滞もあり、アクラ郊外から中心部の舗装された道に入るのに1時間近くかかる。
カネシという地区にあるターミナルに着いたのは16時半ごろ。
そこからタクシーに乗って宿に行こうとしたところ、5セディとぼってくるので無視。歩いていくことにする。安ければ乗ってやろうかと思ったのに、がめついタクシー運転手め。
地図で見た感覚よりも宿までは近かった。途中、椰子の実で喉を潤す。0.5セディ(約50円)。
30分ほど歩いて宿に到着。前に泊まった安いシングルの部屋を頼むとまたもや満室。しょうがないので高いダブルの部屋に1泊だけし、明日シングルに変えてもらうことにする。ダブルは1泊16.1セディ(約1600円)。ただこちらはテレビ、トイレ、シャワー、天井設置型扇風機、ブランケット付き。水もちゃんと出るし、水洗トイレもきちんと機能している。クマシの宿に比べれば値段相応だ。
宿に荷物を置いて、水とアイスを買いに近くのTotal石油のスタンドのコンビニに行く。
宿に戻ってから、せっかくシャワー付きの部屋に泊まることになったので、それを活用し、洗濯をする。ズボンを洗うのはブエノスアイレス以来。サハラの砂なども流れ出てくるのか、なかなかすごい。
部屋にロープを張り、扇風機を回す。
テレビを付けるとサッカーのイングランドリーグの試合をしていた。それを見ているうちに寝る。
ブランケットをかぶっていたものの、夜中、寒くて目が覚める。扇風機を止めたいところだが、それでは洗濯物が乾かないので、ブランケットをかぶり直し、また寝るのだった。
Fin
08/08/17(日) くもり、雨、くもり
[Kumasi→Accra:Ghana]
・クマシからアクラへ移動
・横転しているトラックたち
8時前に起床。水が滴る音が聞こえる。雨が夜中降っていたらしい。
テレビを付けてみると3つのチャンネルすべてで説教をしている。キリスト教らしく、英語でずっと「Bible says・・・」などと一人の人間がしゃべり続けている。3つしか映らないチャンネルのすべてが、同じような説教をしていることには驚く。
そのうち近くの教会からミサらしい歌が聞こえてくる。厳かな賛美歌ではなく、ドラムなどを使った歌って踊れる明るい歌、アフリカンゴスペラ(?)。
当初の予定では、ここからさらに北に行き、出国する前日に北のまちからアクラに行こうかと思っていたが、昨日のニュースでどっかの道路が雨で寸断したとかやっていたし、車の故障で出発に遅れるのも嫌だし、安宿はまた埋まってそうだし、何より腹の調子がまたおかしくなってきたので、アクラに戻ることにする。
11時ごろまで日記書きをした後、チェックアウト。外に出てみるとどの店も完全に閉まっていた。やっているのは露店と市場のみ。
アクラ行きの車が出ている乗り場に行く。スピーカーから「アクラ、アクラ・・・」とがなりたてる声がずっと響いている。
6セディ(約600円)のチケットを買い、車の座席を確保。車は日産のマイクロバスで新品ぽい。外観も車内もきれい。モロッコ以後に乗った車(バスを含む)の中では一番きれいな車かもしれない。
待っていると車の人が、荷物代と言って2セディ(約200円)渡せと言ってくる。たいてい荷物代は1セディなので、1セディじゃないのかと聞くが、2セディと言う。なのでチケットを取り出し、乗る車を変えるから払い戻ししろと頼むと1セディでいいからと相手が折れる。
車に乗り込み、出発を待つ。車のすぐそばでクッキーを売っていたおばさんからクッキーを一袋買う。2セディ(約200円)。高い。安いのもあるが、今回は高いのを買ってみた。さっそく開けて食べてみると湿気ている。やっぱり回転の速い安いものを買うべきだったと反省。
車は1時間ほど待った後に発車。1つの座席に1人なのでわりと快適。今日も雨が降ったりやんだりの不安定な天気。
緑豊かな地帯を走る。今回の運転手もかなり飛ばす。道路脇の標識には50km/hとあるのだが、流れる景色のスピードと窓から入る風圧からすると100km近く出ている。
アクラに着くまでの間、横転しているトレーラーを4台ほど、故障で立ち止まっている車を5台ほど見る。幸いぼくの乗ったマイクロバスは故障も事故もなく、走る。
ケープコーストからクマシに行く道と違って、こちらは警察のチェックポイントが少なかった。路面の舗装具合もいい。
ある集落を通ったときには道路沿いに陶器のような器を陳列して販売していた。また、大人の拳よりもさらに大きな巨大なタニシのような、カタツムリのような生き物もあちこちで売られていた。
道はアクラに入って急に悪くなる。アクラ郊外の道は現在工事中のようで、道の端の舗装されていないがたがたの即席道路を車は通る。渋滞もあり、アクラ郊外から中心部の舗装された道に入るのに1時間近くかかる。
カネシという地区にあるターミナルに着いたのは16時半ごろ。
そこからタクシーに乗って宿に行こうとしたところ、5セディとぼってくるので無視。歩いていくことにする。安ければ乗ってやろうかと思ったのに、がめついタクシー運転手め。
地図で見た感覚よりも宿までは近かった。途中、椰子の実で喉を潤す。0.5セディ(約50円)。
30分ほど歩いて宿に到着。前に泊まった安いシングルの部屋を頼むとまたもや満室。しょうがないので高いダブルの部屋に1泊だけし、明日シングルに変えてもらうことにする。ダブルは1泊16.1セディ(約1600円)。ただこちらはテレビ、トイレ、シャワー、天井設置型扇風機、ブランケット付き。水もちゃんと出るし、水洗トイレもきちんと機能している。クマシの宿に比べれば値段相応だ。
宿に荷物を置いて、水とアイスを買いに近くのTotal石油のスタンドのコンビニに行く。
宿に戻ってから、せっかくシャワー付きの部屋に泊まることになったので、それを活用し、洗濯をする。ズボンを洗うのはブエノスアイレス以来。サハラの砂なども流れ出てくるのか、なかなかすごい。
部屋にロープを張り、扇風機を回す。
テレビを付けるとサッカーのイングランドリーグの試合をしていた。それを見ているうちに寝る。
ブランケットをかぶっていたものの、夜中、寒くて目が覚める。扇風機を止めたいところだが、それでは洗濯物が乾かないので、ブランケットをかぶり直し、また寝るのだった。
Fin
[diary]ケープコーストからクマシへ
ケープコーストからクマシへ
08/08/16(土) くもり、雨、くもり
[Cape Coast→Kumasi:Ghana]
夜が明けようとしている頃、鶏がギャーギャー鳴く声で目覚める。
手のひらがかゆい。また蚊にやられたよう。ベッドから起きると足下を飛んでいる蚊がいたので、踏みつける。殺した蚊の体積にしては大量の血が床につく。
荷造りをして宿を出る。7時半。
昨日確認したKumasi行きのトロトロが出るターミナルに歩いていく。途中、タクシーの運転手から声がかかるが、無視。ケープコーストの城前の通りを歩いていく。道ばたでは素っ裸になって体を洗っている少年が1人。露店はすでに出ていて、そこで朝食を取っている人もいる。
30分ほど歩いてターミナルに到着。敷地奥のチケット売場の建物でチケットを買う。4.5セディ(約450円)。ちょうどあと一人で出発という車が駐車場に待機していたので、それに乗ろうかと車まで行くが、荷物を屋根上に載せるというので、それに乗るのはやめ、次の車で行くことにする。屋根上には他にも荷物が載せられ、一応ビニールシートがかけられているのだが、すっぽり覆うようにはなっていない。空は今は晴れているが、ころころ変わるから雨に降られるとあとで後悔することになる。
リュックに腰掛け次の車を待っていると、さっき乗ろうとしていた車の男が、ぼくのところにいてチケットを次の車に変更するからぼくのチケットをくれという。ここのチケットには時刻や車の指定などは書かれていないから、おかしいなと思いつつ、チケットを渡すと彼はチケット売場の窓口の方に向かっていった。
それから10分ほどしても彼がチケットを渡しに来ないので、チケット売場に行くと、窓口のおじさんたちはなんとかと言い合った後で、新しいチケットをくれた。結局、あの男は再び現れることはなかった。これだから交通機関に関わっている男は信用できん。
次の車がやってきたので、荷物を積み込み、座席を確保する。車はメルセデスベンツの大型ワゴン。後部は4人掛け5列あり、運転手も入れれば23人乗り。客はすぐに7人ほど集まったが、満席になるには2時間半ほど必要だった。
車の中で発車を待っている間、車の周りにはパンや魚の薫製、水、クッキーなどを頭に乗せた物売りの人(子ども)がやってくる。ぼくは朝飯代わりにゆで卵売りの母親から2個の卵を買う。1個0.2セディ(約20円)。頼むと殻を剥いてくれ、さらに「ぺぺ?」と聞かれ、うなづくとゆで卵にナイフを入れ、そこにトマトと唐辛子とタマネギで作ったチリソースを入れ込んでくれる。ちょうどサンドイッチのようなかたちになる。
待っている間、女の人と男の人が別々に車の入り口にやってきて何やら宗教的な説教を始める。格好は洋服。だから取り立てて神父やなんかには見えないのだが、「Bible says・・・」と言って地元の言葉でしゃべり続け、ときどき歌を挟み、最後に「エイメン(アーメン)」と言って去って言った。様子を見ている限りでは、みなわりとそれらの話を聞いている。最後の「エイメン」には多くの人が唱和していた。
10時半ごろ、ようやく発車。空は予想通り曇ってきた。
ケープコーストのまちをすぐに抜け、木々が茂る間の道を走る。起伏は少ない。
走り出して10分ほどした頃、ぼくの右前に座っていた三田頃20代後半くらいの男がおもむろに立ち上がり、突然説教を始める。例のごとく「Bible says・・・」などと言っている。彼は英語で言っているようだが、ぼくのプアイングリンシュでは理解できず。車のエンジン音に負けないように大声で怒鳴るように説教するから、彼の前の列にいた赤ん坊が泣き始める。そんなことは気にするふうもなく、説教を続ける彼。ぼくにして見れば声がでかいだけにやかましいだけなのだが、誰も彼を止めない。だが、一番前に座っていた年輩の男性は、眉をひそめた顔で彼を一瞥した。
中南米でも思ったが、自分たちを”文明化”しようとし、植民地化の先兵ともなったキリスト教をなぜ彼/彼女らは信じるのか? まったく不思議な限りだ。聖書自体に非はないと言えばそうなのだろうが。
走り出して30分ほどした頃、坂道をなんとか上りきったところで車が止まる。同時に彼の長い長い説教も終わる。彼の額には汗。
車の方はエンジントラブルらしい。運転手が車を降りてフロントの蓋を開け、エンジンを眺めている。が、何がどうなっているのかわからないよう。なんの処置もできないようで、彼は携帯電話でどこかに電話をし、何やら話をしている。携帯電話がなかった頃、こういう事態になったときはどうしていたのだろうとふと思う。
停まってから10分ほどは車内にいたが、座席が狭く体勢がきつかったため外に出る。ほとんどの客はすでに外に出て小便するなり、道路脇に座り込むなりしていた。
牛を20頭ほど連れたおじさんが、通り過ぎる。
修理もせずに何を待っているのだろうかと思いつつ、しばらく待っていたら雨が強く降り出した。いっせいに車に戻る。その後10分ほどで別の車がやってきた。どうもその車に乗り換えるらしい。
ぼくはリュックを取り出し、車を乗り換える。運転手たちは屋根上の荷物を車から車へと移し変える。そうした作業が終わった後、運転手たちは客を待たせたまましばらくカネのやりとり。様子を見ていたら、どうも車が変わることで運転手も変わるらしく、それに伴いカネも最初に乗った車の運転手の手から新しい車の運転手の手へと移るよう。おんぼろな車を持っている人はこういうリスクもあるからなかなか不利だなと思う。それにしても事前にこういう場合の利益配分を決めてはいないのかと思う。最初から決めていれば、こんなに客を待たせることもないだろうに。
結局1時間ほど、停車し、ようやく新たな車で再発車。今度の運転手はなかなか飛ばす。
景色は両サイドともに緑の平原で、ときおり集落が現れる。集落の家々は土壁にトタン屋根やコンクリート壁に椰子葺き屋根など。マリなどでよく見たまったくの土づくりの家は見ない。
ときどり燃料用なのだろう、木々の枝や細い幹を頭に乗せて歩く人々とすれ違う。
また、警察のチェックポイントがたびたびあって、そのたびに車は止まり、物売りが車の窓にワッと寄ってくる。ぼくはあるところで焼きバナナを購入。0.2セディ(約20円)。焼き上がったばかりで熱くてほくほくしていてなかなかうまい。
雨は時折ふったり、またあがったりを繰り返す。リュックは自分の座席の下にあるから安心。
道路は基本的に舗装されているのだが、ときどき舗装がはがれているところがある。
目的地のクマシには夕方4時過ぎに到着。さすがに国内第二の都市、またアシャンティ王国時代の中心地ということで、それなりに大きい。
車が止まった通りのすぐ下は巨大なトロトロターミナル。サッカーグランドが丸々収まるくらいの大きさ。これには目を見張る。車と人と物売りとでごったがえしている。
ガイドブックを見てもどこに着いたかがわからず。しかし、タクシーに乗ると損する事が多いので、とりあえず歩き出す。ちょっと歩くとお菓子の問屋街がある。きょろきょろしながら歩いていたらトラックの運転手がどこに行くのかと聞いてきたので、ホテルを探しているというと、1本向こうの通りに安い宿があるからそこに行けばいいと教えてくれる。
お菓子の問屋街を視線を感じながら通りすぎると右手に泊まる予定をしていた宿の名前が見えた。ラッキーと思いながらそのホテルの受付に行ってみると、「フル」と言われる。シングル6.5セディ(約650円)と安いからぜひここに思っていたのに・・・。受付の人に聞いて別の宿を教えてもらう。
教えてもらった方向へ行くがこれが見つからない。別のホテルを見つけたが、シングル15.5セディ(約1600円)と高い。やっと1軒教えてもらった宿を発見したが、これも満室。車を降りてから、すでに1時間近くふらついていたの
で、安宿はあきらめさっきの高めの宿に泊まることにする。探している間は、例のごとく若い男等がチャイナだチュンチョンチャンだのとあれこれと声をかけてくる。まったくうっとうしい。どこに行っても中国人をまちで見かけることがないのは、こういううっとうしい奴らに絡まれないためじゃないかとさえ思う。
宿の近くに行くと数人でおしゃべりしていた男のひとりが「コンニハ」と声をかけてくる。
宿は高いだけあって部屋は広く、テレビ付き。だが、トイレは共同だし、水道からは水がでない。扇風機は他の宿と同じように5段階になっているものの調節できず、最強かゼロかでしか使えない。セネガルのダカールの宿といい、ここといい中途半端に高い宿ほどひどい。
荷物を置いてからまちを見に行く。その前に宿の前の路上の店で腹ごしらえ。白米に例のごとくのカレー汁、肉のかけらとスパゲッティの麺、それに少量の生野菜、1セディ(約100円)ぶん。ほんとにどこに行っても屋台料理は同じメニューだ。
まずは車を降りたところまで戻り、ターミナルの写真を撮る。途中、通った通りは電気屋街のようになっていて、携帯電話をはじめパソコンや大型家電の店がずらずら並んでいる。デジカメやiPodを売る店もあり。
それからターミナルまで階段で降りる。ターミナルは建物などはなく、バス停のように行き先ごとに屋根付きの乗り場がずらずらと並んでいるだけ。行き先の名前を書いた標識があるので、それを信じるならばあまり迷わずに目的の車にたどり着けるようになっている。路面にはビニールゴミが散乱している。
行こうかと思っていた北のまちの名前を探すが、見あたらない。
ターミナルは半分マーケットのようになっていて実際、並んでいる店を伝っていくと市場まで連なっている。
人とモノでごったがえす市場の道は、二人がすれ違うのもやっとというくらい。他と同じようにパッケージに漢字が書かれた商品が目に付く。服や文具、アイス、ジュース、野菜(キャベツ、人参、米ナス、ヤム芋、ヤマト芋、トマト、唐辛子などなど)、魚(薫製、生)、肉、椰子、パパイヤ、マンゴー、数種類のバナナ、みかん(夏みかん系)、穀類など日常生活に必要なものは一通りそろう。
使われていない線路内にも露店が立ち並ぶ。
適当にふらついて宿に戻る。
さっき通ったときは店が開いていて賑やかだった通りが、もう一度通ってみるとことごとく閉まっていた。時計を見ると18時前。19時まで開いていると看板にあったネットカフェに入ると、入り口近くの受付にいた若い女性は「close」と一言。やはり看板は当てにならない。ネット屋は他に3軒ほど見かけたが、17時を過ぎたからか他の店とともに一斉に閉まってしまったようだった。
しょうがないので宿に戻る。宿の前の露店でバナナを買う。買っていると若い男が近づいてきて、ジャパニーズかと聞いた後でちょっと来いというようなことを言うので、どうせまた何かを売りつけようというのだろうと思い、無視。
宿に戻ったモノの、なんだか空腹感があるので、晩飯を食いに外にでる。適当な道ばたにあった露店で食事。ここも同じ白米にカレー汁、肉の唐揚げ、スパゲッティの麺。米は炊き方がよく、ベナンやトーゴよりもうまい。香りはタイ米の香り。
暗くなって後は宿にいる。シャワーを浴びようと思ったが、水がでない。でかいポリバケツに水が蓄えられていたが、汚れてはいなかったもののいつ汲んだものかわからないので使う気になれず。
夜中、テレビでオリンピックのサッカーの試合をしていたので見る。ブラジル対カメルーン。カメルーンの選手はとにかく動きが早い。両方とも得点が取れないまま延長戦に突入し、延長戦の前半にブラジルが2得点して勝った。自分が行ったことのある国が増えたので、オリンピックもこれまでとはちょっと違って見える。ジャマイカンの100mの強さはずば抜けている(ジャマイカ航空の機内誌によると16歳だったかの10代最速男の記録は10秒2ほどだった)。水泳競技に出ている選手には黒人は少ない。出場国でいえば、アフリカは元イギリス植民地の国は多いが、フランス植民地だった国は少ない。また赤道直下のアジア、中南米の国もまた少ない。
陸上長距離ではケニヤ、エチオピアの選手が速い。選手を育成するシステムが整っているのか?
それにしてもやり投げや円盤投げなんていう世界中でやったことがある人はそれぞれ1万人もいないだろう(想像だけど)という競技がオリンピック競技になっているのが不思議だ。
Fin
08/08/16(土) くもり、雨、くもり
[Cape Coast→Kumasi:Ghana]
夜が明けようとしている頃、鶏がギャーギャー鳴く声で目覚める。
手のひらがかゆい。また蚊にやられたよう。ベッドから起きると足下を飛んでいる蚊がいたので、踏みつける。殺した蚊の体積にしては大量の血が床につく。
荷造りをして宿を出る。7時半。
昨日確認したKumasi行きのトロトロが出るターミナルに歩いていく。途中、タクシーの運転手から声がかかるが、無視。ケープコーストの城前の通りを歩いていく。道ばたでは素っ裸になって体を洗っている少年が1人。露店はすでに出ていて、そこで朝食を取っている人もいる。
30分ほど歩いてターミナルに到着。敷地奥のチケット売場の建物でチケットを買う。4.5セディ(約450円)。ちょうどあと一人で出発という車が駐車場に待機していたので、それに乗ろうかと車まで行くが、荷物を屋根上に載せるというので、それに乗るのはやめ、次の車で行くことにする。屋根上には他にも荷物が載せられ、一応ビニールシートがかけられているのだが、すっぽり覆うようにはなっていない。空は今は晴れているが、ころころ変わるから雨に降られるとあとで後悔することになる。
リュックに腰掛け次の車を待っていると、さっき乗ろうとしていた車の男が、ぼくのところにいてチケットを次の車に変更するからぼくのチケットをくれという。ここのチケットには時刻や車の指定などは書かれていないから、おかしいなと思いつつ、チケットを渡すと彼はチケット売場の窓口の方に向かっていった。
それから10分ほどしても彼がチケットを渡しに来ないので、チケット売場に行くと、窓口のおじさんたちはなんとかと言い合った後で、新しいチケットをくれた。結局、あの男は再び現れることはなかった。これだから交通機関に関わっている男は信用できん。
次の車がやってきたので、荷物を積み込み、座席を確保する。車はメルセデスベンツの大型ワゴン。後部は4人掛け5列あり、運転手も入れれば23人乗り。客はすぐに7人ほど集まったが、満席になるには2時間半ほど必要だった。
車の中で発車を待っている間、車の周りにはパンや魚の薫製、水、クッキーなどを頭に乗せた物売りの人(子ども)がやってくる。ぼくは朝飯代わりにゆで卵売りの母親から2個の卵を買う。1個0.2セディ(約20円)。頼むと殻を剥いてくれ、さらに「ぺぺ?」と聞かれ、うなづくとゆで卵にナイフを入れ、そこにトマトと唐辛子とタマネギで作ったチリソースを入れ込んでくれる。ちょうどサンドイッチのようなかたちになる。
待っている間、女の人と男の人が別々に車の入り口にやってきて何やら宗教的な説教を始める。格好は洋服。だから取り立てて神父やなんかには見えないのだが、「Bible says・・・」と言って地元の言葉でしゃべり続け、ときどき歌を挟み、最後に「エイメン(アーメン)」と言って去って言った。様子を見ている限りでは、みなわりとそれらの話を聞いている。最後の「エイメン」には多くの人が唱和していた。
10時半ごろ、ようやく発車。空は予想通り曇ってきた。
ケープコーストのまちをすぐに抜け、木々が茂る間の道を走る。起伏は少ない。
走り出して10分ほどした頃、ぼくの右前に座っていた三田頃20代後半くらいの男がおもむろに立ち上がり、突然説教を始める。例のごとく「Bible says・・・」などと言っている。彼は英語で言っているようだが、ぼくのプアイングリンシュでは理解できず。車のエンジン音に負けないように大声で怒鳴るように説教するから、彼の前の列にいた赤ん坊が泣き始める。そんなことは気にするふうもなく、説教を続ける彼。ぼくにして見れば声がでかいだけにやかましいだけなのだが、誰も彼を止めない。だが、一番前に座っていた年輩の男性は、眉をひそめた顔で彼を一瞥した。
中南米でも思ったが、自分たちを”文明化”しようとし、植民地化の先兵ともなったキリスト教をなぜ彼/彼女らは信じるのか? まったく不思議な限りだ。聖書自体に非はないと言えばそうなのだろうが。
走り出して30分ほどした頃、坂道をなんとか上りきったところで車が止まる。同時に彼の長い長い説教も終わる。彼の額には汗。
車の方はエンジントラブルらしい。運転手が車を降りてフロントの蓋を開け、エンジンを眺めている。が、何がどうなっているのかわからないよう。なんの処置もできないようで、彼は携帯電話でどこかに電話をし、何やら話をしている。携帯電話がなかった頃、こういう事態になったときはどうしていたのだろうとふと思う。
停まってから10分ほどは車内にいたが、座席が狭く体勢がきつかったため外に出る。ほとんどの客はすでに外に出て小便するなり、道路脇に座り込むなりしていた。
牛を20頭ほど連れたおじさんが、通り過ぎる。
修理もせずに何を待っているのだろうかと思いつつ、しばらく待っていたら雨が強く降り出した。いっせいに車に戻る。その後10分ほどで別の車がやってきた。どうもその車に乗り換えるらしい。
ぼくはリュックを取り出し、車を乗り換える。運転手たちは屋根上の荷物を車から車へと移し変える。そうした作業が終わった後、運転手たちは客を待たせたまましばらくカネのやりとり。様子を見ていたら、どうも車が変わることで運転手も変わるらしく、それに伴いカネも最初に乗った車の運転手の手から新しい車の運転手の手へと移るよう。おんぼろな車を持っている人はこういうリスクもあるからなかなか不利だなと思う。それにしても事前にこういう場合の利益配分を決めてはいないのかと思う。最初から決めていれば、こんなに客を待たせることもないだろうに。
結局1時間ほど、停車し、ようやく新たな車で再発車。今度の運転手はなかなか飛ばす。
景色は両サイドともに緑の平原で、ときおり集落が現れる。集落の家々は土壁にトタン屋根やコンクリート壁に椰子葺き屋根など。マリなどでよく見たまったくの土づくりの家は見ない。
ときどり燃料用なのだろう、木々の枝や細い幹を頭に乗せて歩く人々とすれ違う。
また、警察のチェックポイントがたびたびあって、そのたびに車は止まり、物売りが車の窓にワッと寄ってくる。ぼくはあるところで焼きバナナを購入。0.2セディ(約20円)。焼き上がったばかりで熱くてほくほくしていてなかなかうまい。
雨は時折ふったり、またあがったりを繰り返す。リュックは自分の座席の下にあるから安心。
道路は基本的に舗装されているのだが、ときどき舗装がはがれているところがある。
目的地のクマシには夕方4時過ぎに到着。さすがに国内第二の都市、またアシャンティ王国時代の中心地ということで、それなりに大きい。
車が止まった通りのすぐ下は巨大なトロトロターミナル。サッカーグランドが丸々収まるくらいの大きさ。これには目を見張る。車と人と物売りとでごったがえしている。
ガイドブックを見てもどこに着いたかがわからず。しかし、タクシーに乗ると損する事が多いので、とりあえず歩き出す。ちょっと歩くとお菓子の問屋街がある。きょろきょろしながら歩いていたらトラックの運転手がどこに行くのかと聞いてきたので、ホテルを探しているというと、1本向こうの通りに安い宿があるからそこに行けばいいと教えてくれる。
お菓子の問屋街を視線を感じながら通りすぎると右手に泊まる予定をしていた宿の名前が見えた。ラッキーと思いながらそのホテルの受付に行ってみると、「フル」と言われる。シングル6.5セディ(約650円)と安いからぜひここに思っていたのに・・・。受付の人に聞いて別の宿を教えてもらう。
教えてもらった方向へ行くがこれが見つからない。別のホテルを見つけたが、シングル15.5セディ(約1600円)と高い。やっと1軒教えてもらった宿を発見したが、これも満室。車を降りてから、すでに1時間近くふらついていたの
で、安宿はあきらめさっきの高めの宿に泊まることにする。探している間は、例のごとく若い男等がチャイナだチュンチョンチャンだのとあれこれと声をかけてくる。まったくうっとうしい。どこに行っても中国人をまちで見かけることがないのは、こういううっとうしい奴らに絡まれないためじゃないかとさえ思う。
宿の近くに行くと数人でおしゃべりしていた男のひとりが「コンニハ」と声をかけてくる。
宿は高いだけあって部屋は広く、テレビ付き。だが、トイレは共同だし、水道からは水がでない。扇風機は他の宿と同じように5段階になっているものの調節できず、最強かゼロかでしか使えない。セネガルのダカールの宿といい、ここといい中途半端に高い宿ほどひどい。
荷物を置いてからまちを見に行く。その前に宿の前の路上の店で腹ごしらえ。白米に例のごとくのカレー汁、肉のかけらとスパゲッティの麺、それに少量の生野菜、1セディ(約100円)ぶん。ほんとにどこに行っても屋台料理は同じメニューだ。
まずは車を降りたところまで戻り、ターミナルの写真を撮る。途中、通った通りは電気屋街のようになっていて、携帯電話をはじめパソコンや大型家電の店がずらずら並んでいる。デジカメやiPodを売る店もあり。
それからターミナルまで階段で降りる。ターミナルは建物などはなく、バス停のように行き先ごとに屋根付きの乗り場がずらずらと並んでいるだけ。行き先の名前を書いた標識があるので、それを信じるならばあまり迷わずに目的の車にたどり着けるようになっている。路面にはビニールゴミが散乱している。
行こうかと思っていた北のまちの名前を探すが、見あたらない。
ターミナルは半分マーケットのようになっていて実際、並んでいる店を伝っていくと市場まで連なっている。
人とモノでごったがえす市場の道は、二人がすれ違うのもやっとというくらい。他と同じようにパッケージに漢字が書かれた商品が目に付く。服や文具、アイス、ジュース、野菜(キャベツ、人参、米ナス、ヤム芋、ヤマト芋、トマト、唐辛子などなど)、魚(薫製、生)、肉、椰子、パパイヤ、マンゴー、数種類のバナナ、みかん(夏みかん系)、穀類など日常生活に必要なものは一通りそろう。
使われていない線路内にも露店が立ち並ぶ。
適当にふらついて宿に戻る。
さっき通ったときは店が開いていて賑やかだった通りが、もう一度通ってみるとことごとく閉まっていた。時計を見ると18時前。19時まで開いていると看板にあったネットカフェに入ると、入り口近くの受付にいた若い女性は「close」と一言。やはり看板は当てにならない。ネット屋は他に3軒ほど見かけたが、17時を過ぎたからか他の店とともに一斉に閉まってしまったようだった。
しょうがないので宿に戻る。宿の前の露店でバナナを買う。買っていると若い男が近づいてきて、ジャパニーズかと聞いた後でちょっと来いというようなことを言うので、どうせまた何かを売りつけようというのだろうと思い、無視。
宿に戻ったモノの、なんだか空腹感があるので、晩飯を食いに外にでる。適当な道ばたにあった露店で食事。ここも同じ白米にカレー汁、肉の唐揚げ、スパゲッティの麺。米は炊き方がよく、ベナンやトーゴよりもうまい。香りはタイ米の香り。
暗くなって後は宿にいる。シャワーを浴びようと思ったが、水がでない。でかいポリバケツに水が蓄えられていたが、汚れてはいなかったもののいつ汲んだものかわからないので使う気になれず。
夜中、テレビでオリンピックのサッカーの試合をしていたので見る。ブラジル対カメルーン。カメルーンの選手はとにかく動きが早い。両方とも得点が取れないまま延長戦に突入し、延長戦の前半にブラジルが2得点して勝った。自分が行ったことのある国が増えたので、オリンピックもこれまでとはちょっと違って見える。ジャマイカンの100mの強さはずば抜けている(ジャマイカ航空の機内誌によると16歳だったかの10代最速男の記録は10秒2ほどだった)。水泳競技に出ている選手には黒人は少ない。出場国でいえば、アフリカは元イギリス植民地の国は多いが、フランス植民地だった国は少ない。また赤道直下のアジア、中南米の国もまた少ない。
陸上長距離ではケニヤ、エチオピアの選手が速い。選手を育成するシステムが整っているのか?
それにしてもやり投げや円盤投げなんていう世界中でやったことがある人はそれぞれ1万人もいないだろう(想像だけど)という競技がオリンピック競技になっているのが不思議だ。
Fin
[diary]エルミナへおでかけ
エルミナへおでかけ
08/08/15(金)
[Cape Coast,Elmna:Ghana]
夜中、雨の降る音がする。
長袖を着て寝ていたのに、蚊に刺される。起床後、この蚊を成敗。
空は薄暗い曇り空。雨が降りそうな天気だ。今日はここからタクシーで30分ほど行ったエルミナに行こうと思っていたのだが、デジカメの電池が切れていることに気づく。部屋にはコンセントがあるのだが、持参している各国対応のプラグをもってしても型が合わず夜の間に充電できなかった。
なので、フロントに降り、1時間ほど充電。その間、『豊かさの誕生』を再読。
9時過ぎに宿を出て、コトクラバという市場がある地帯に行く。その近くに乗合タクシー乗り場があり、そこからエルミナ行きに乗れるとのことだった。
歩いて15分ほど。途中あった学校のグランドではサッカーの試合が行われていた。10代半ばくらいの男子。小学生くらいの子らも観戦に集まっている。小さい子らの中の一人がぼくを見つけ、「チャイナ」と指さしてくる。それをきっかけにいろんな顔がこちらに向けられる。完全に見せ物状態。
やれやれと思いつつ、さっさと通り過ぎる。
ワガドゥグで買った4色ボールペンを昨日どこかで落としたようで、なくなっていた。そのため沿道にある小さな文具屋で4色を探すが、2色までしかなくここで買うのはパス。
文具屋の近くに屋台があったので、そこで朝食。授乳しながら店番をしていた女性は、ぼくが近づくと子どもを引き離して商売モードになる。例のごとくいくらぶん欲しいのかと聞かれたので1セディ(約90円)と答え盛りつけられるのを待つ。
今日の朝食は、白米に例のカレー汁と揚げ魚、それに珍しいことに生野菜(キャベツ、人参etc)のサラダ付き。大盛りのご飯に比べやはり汁の量は少ないが、何とかご飯全部に行き渡る程度の量はある。白米は炊いたご飯を冷凍して、解凍して、また冷凍して解凍したときのようにボロボロポロポロで歯ごたえがない。
ご飯の場合はフーフーなどと違ってスプーンで食べる。
腹が膨れたところでタクシー乗り場に行く。乗り場には行き先と次発車する車がわかるように、「Elmina Ready Car」と書かれた三角柱を横にしたものがその次でる車の屋根に置かれている。
ちょうど客が乗り込んでいた車があったので、ぼくが乗り込んだらすぐに出発できた。ベナンなどと違って、助手席には1人、後部座席には3人と正しい乗り方をしている。
まちを出ると、道の両サイドに椰子が立ち並ぶ通りに出る。左手には波立つ海が見え、右手には椰子の葉葺きの家々が見える。雨がぱらぱらと降ってはあがる。
エルミナには30分ちょっとで到着。海沿いの通りからはエルミナ城が見えた。
車はだんだん町中に入っていく。両脇に商店が並び、車の行き来が多くなる。
ツーリストインフォメーション近くで適当に降り、城に向かう。タクシーから降りた途端に30代くらいの男の物乞いが寄ってきて、カネをくれとつきまとう。10ペソのコインをプレゼント。
歩いていると視線がぼくに集まる。チャイナだのジャッキーだの、チンチョンチャンだのという声が聞こえる。まったくアフリカというところは、どこ行ってもこれだ。
ある穀物を売っている店の前で立ち止まる。売っている米はmade in Thailandばかり。隣の店が文具店だったのでのぞくと無くしたものと同じ4色ボールペンを売っていたので、ここで購入。お値段0.2セディ(約20円)。
片道1車線の狭い通りを城の方面に向かって歩く。両脇にはイギリス植民地時代に建てられたらしいレンガづくりの建物が目立つ。どれもぼろぼろ。廃墟のようになっているところもある。城の手前には橋があり、橋の付近から奥地に入っていく川のような水路沿いが一大マーケットになっている。水路にはセネガルのサンルイの海辺のように大量の舟が並べられていて、赤や青などでデザインされた舟の一群はなかなかの壮観。
橋の手前でスイカの切り身を売っていたので購入。0.2セディ(約20円)。やはり切り売りだとしおれている感じになっていてうまくない。歩いている間中、こちらに視線が集まり、じろじろ、なかにはにやにやしている輩もいる。
城がある敷地の入り口を入り、城につながる橋がある右手の少し高くなっている駐車場への坂を上る。駐車場でビニール袋入りの水を売っている少年(7歳)くらいが、「チャイナ」と言う。振り向くと水を買わないかというような仕草をする。一方でその坂道に彫り物のような土産物を並べ売っていた男性(20代?)が、おかしな日本語で「コンニチハ」と声をかけてくる。これも適当に答えて相手にはせず。
城へは堀を渡す橋を渡って入る。中に入ると左手に受付があり、そこで入場料7セディ(約700円)を払う。受付の女性は年輩の男性を呼び、ぼくを案内するように言う。その男性は、ぼくに一人で回るかガイドが必要かと聞いてくるので、一人で回ると答え、すらすらと中を見て回る。
規模はこちらの方が大きいが、中にある見所は基本的にはケープコーストにある城と同じ。奴隷が入れられていた部屋やcellと書かれた監獄、取引用の部屋など。展示物はほとんどなく、それぞれの部屋に説明板も何もないから、ガイドなしではそれぞれが本当になんなのかはよくわからない。しかし、ガイドと一緒にまわると時間がかかるし、だいたい人によって英語の発音が違うし、ぼくの英語もダメだから聞いてもほとんどわからない。
実際、どこかのグループなのか学生なのか同じシャツを着た20人くらいのグループや昨日ケープコーストで見たイギリス人団体客らしい一団がいたので、ちらっと混ざってみたりしたのだが、それが英語なのかいっとき聞かないとわからなかったりした。
ここでも地元の絵描きらしい人が書いた絵やその人がデザインしたTシャツが売られていた。
また、このエルミナ城はぼろぼろになっていたものをオランダだかイギリスの支援を受けて、ここまできれいにしたらしい。そのプロジェクトに関するパネルが20ほどあって、修繕前と修繕後の写真やプロジェクトの目標年である2015年までのプロジェクトの概要などが書かれてあった。プロジェクトの名前はElmina Heritage Projectというらしい。200万ユーロだかのお金をかけて取り組んでいるらしい。
ここでも思うが、ガイドはいらないから解説板を付けるか解説した冊子を配布なりしてほしいものだ。
城を出てからマーケットになっている一帯を見に行く。城を出ればすぐそこからマーケットになっている。まずは椰子で喉を潤し(0.5セディ:約50円)、それから見て回る。
魚はさばやあじのような魚から、赤鯛が小さくなったようなもの、太刀魚やヒラメのようなものもある。見て回っている中にどでかいアワビのようなものがあったので、その露店の女の子にこれは何かと聞くとSea snakeだという。海蛇? 形からすると貝類のように見えるのだが・・・。
市場は舗装されている道路と水路の間のスペースにあったのだが、とりあえず舗装された道路沿いを西にふらふら歩く。通り沿いにはポツポツと雑貨屋があり、しばらく歩くと船を造っている一帯が現れ、その隣に魚の薫製を作っている一帯が現れた。
薫製は土で作った窯と金属製の網(枠は木製)を使って作られていた。釜は巨大な四角い七輪のようなもので、土壁(レンガ色)で一片が1.2mほど、高さ80cmほどの四角い枠を作り、その上に網を乗せ、その網の上に魚を並べる。また網は幾重かになっている。土台となっている土づくりの釜には通気口があるので、そこから炭をくべたり、火の調整をしているようだった。
もくもくと白い煙をあげている釜もあれば、ちょうど魚を並べている釜もある。作業をしているのは女性ばかり。中には10代をちょっと過ぎたくらいの女の子もいた。
母親が仕事をしている傍らで遊んでいる3歳前後の子どもたちは、ぼくを見ると地元の言葉で何やら言いながら手を振る。ここでは英語ではないなんとかという言葉が一般に話されているので、子どもらがなんと言っているかは不明だが、ベナンと同じように白人を意味するようなことを言っているのだろう。
店が途切れるところもまで行って、引き返す。
途中、水路沿いの市場を見るために舟を作っている一帯を通り抜ける。舟はみなお手製で、釘やとんかち、カンナのような道具を使って組み立てている。舟の型自体は素人目からするとどこにでもある一般的な舟のように見える。
水路沿いに出ると人でごったがえしていた。魚を売る人の間にできた通路は、よけながらでしか歩けないほど狭く、しばしば何かにぶつかる。ここで驚いたのは、売られている魚はすべて冷凍されたものだったことといろんな魚がごっちゃにされていたこと。長方形の箱にでも入れて冷凍していたらしく、いろんな魚がごちゃごちゃにひっついて凍っていて全体では直方体の形をしている。そして、その直方体の個体を売り買いしていた。ちなみに直方体はだいたい縦30cm、横100cm、高さ10cmほど。両手でかかえないともてない。もっともこちらの人は頭に乗せているけど。
買い付けに来ている人は、その凍っている直方体を何体も買い、ライトバンの荷台にそのまま積み込んでいたりしていた。
そこからさらに橋(城)寄りでは今日あがったばかりらしい生の魚が売られていた。小さな子どもが水浴びできるくらいの盥(たらい)に鰺(あじ)のような魚が山盛りにされている。さっきも売っているのを見た細長い魚や平べったい魚もある。
そこへ海から舟が一双水路に帰ってきた。水路はすねくらいまでしかなく浅いのだが、数人がそこに入り、バケツを舟の人に渡し、魚を入れるよう頼んでいる。舟の人と陸の人の間で魚がどのように売り買いされているのかは、よくわからない。陸の方には同じようにバケツを持って準備している魚売りのおばさんあり。
たいして動きがなかったので、舟から目を離し、魚を売っているところをうろうろしていると、背後から怒号が聞こえる。振り向くと小さな鯖のような魚を一尾持った男を怒りでパンパンになった形相で追いかけている男が二人。魚を持っている男を捕まえると腕をはたき、魚を取り返す。どうも勝手に男が魚を持っていこうとしたらしい。しばらくあたりは騒然。周りにいた人が集まってきて、ああだこうだと怒鳴り声をあげ、言い合いをしている。
こうしたちょっとした喧嘩はアフリカに入って以降、しばしば見る。どの国に行っても乗合タクシーやバス乗り場、市場など人が多いところに行けば、怒鳴り合いの喧嘩は漏れなく見れる。
ぼくは最後までまで見届けることなく、市場を出る。途中、沖縄のサータアンダギーに似たボール型のドーナツを1個購入(0.2セディ:約20円)。これがなかなかうまいんだな。
ツーリストインフォメーションに行き、郵便局の位置を教えてもらう。スタッフの女性がその道をまっすぐと教えてくれる。で、その道を歩いていたのだが5分ほど歩いても見あたらないので、本屋の女の子に道を尋ねる。すると彼女は来た方向を指さし、ずっとまっすぐと言う。おかしいなと思いつつ、来た方向にはなかったからと、一本だけ右に入る大きな道があったので、そこを曲がる。
しかし、見えるのは民家のような建物ばかり。適当なところ
まで歩くと、パイナップル屋があったので、そこで丸ごと1個のパインを剥いてもらう(0.5セディ:約50円)。そして、郵便局の場所を教えてもらう。
そこから歩くこと20分ほどで郵便局に到着。結局、インフォメーションの人が教えてくれたのが正しく、本屋の女の子が教えてくれたのはまったく反対方向だった。
郵便局で城で買った葉書を買く。また郵便局のベンチでちょっと昼寝。寝ていたらおかしな英語が聞こえてくるので目を開けると中国人らしいおじさんがいた。ぼくがこれまで聞いた範囲で言うと中国人の英語は中国語なまりで音程があるから、すぐに中国人らしいということがわかる。反対にぼくの英語も中国人等には日本語なまりと聞こえているのだろうか。
郵便局から幹線道路まではすぐだったので、歩いて幹線道路まで行く。途中、道ばたでまた椰子を買う。ガーナに入って以降、椰子を買うときに「hard or soft?」と聞かれるようになった。果肉の厚さの違いを言っているものらしい。このときはソフトを頼む。すっきりしていてなかなかよろし。果肉は少ないけどプルプルしていてまたよろし。
幹線道路沿いで乗合タクシーを捕まえ、ケープコーストに帰る。朝からずっと曇っていたのに今頃晴れてきた。
ケープコーストに戻ってからSTCという会社のバスターミナルに行く。明日のバスの時間を調べようと思って行ったのだが、明日のバスは満席で、次は日曜と言われる。がーん! 窓口の人に他にバスはないか聞くと、近くの信号がある交差点に大型のバン(他でミニバスと呼ばれていたよな車)のバス乗り場があるからそこに行けばと言われる。
STCのターミナルにも乗客を当てにして物売りの人がちょろちょろいた。そこで発見したのが鮹(たこ)。揚げたものらしい。売っているおばさんに確認したところ確かにオクトパスと答える。
1セディ(約100円)ぶん頼むと手のひら位の大きさの切れ端をくれた。鮹なんて久しぶり。日本出国以後では初めてかもしれない。チリなどで売っているのは見たけども、こうして露店で売られているのは初めてだった。食べてみると確かに鮹。ただ油が悪いのかちょっとバターのような甘さがある。
歩いて教えてもらったミニバス(ガーナではトロトロと言う)乗り場に行くと、確かに看板には明日行く予定のKumasiという地名があったのだが、そこにいた人に聞くとここからは車は出ていないと言う。このように、とくにアフリカでは看板はまったく当てにならない。
なので、また乗合タクシーを拾い、ケープコーストの町中に向かう。コトクラバという市場があるところから出ているとさっき教えてもらったので、運転手にその旨伝えると、コトクラバからちょっと離れた乗り場まで連れていってくれた。
そこで聞いたところ、ようやくKumasi行きのトロトロを確認。運賃4.5セディ(約450円)。
客が集まったら発車するというスタイルなので、発車時刻は決まっていないとのこと。ここの乗り場でも鮹を売っていたのでまた鮹をちびちびやりながら、宿に向かう。
初めて通る道だったこともあるのか、やはり視線を感じる。ミシンで服を縫っている女性が「カム」と呼ぶので行ってみると、どこから来たのかなどと聞かれ、例のごとく「Do you like me?」などと聞いてくる。若い女の人(女の子)で声をかけてくるのはこの手が多い。そしていわゆる下ネタを展開する。さらにぼくの髪を触りながら「I like your hair」と言う。
横で一緒にあれこれと話しかけてくる女性は、今日はどこに行ったのかと聞いてきて、エルミナだと言うと、自分はまだ行ったことがないから連れていって、と言う。タクシー代は高くないだろ(0.6セディ:約60円、乗合タクシーの場合)、と言うが、そのお金もないという見え透いた嘘を言う。そして、明日ここに来いというようなことを言うので、明日はよそにでかけるなどと、15分ほどおしゃべりをしてバイバイと解放してくれる。
宿に戻ってから近くのネット屋に行くが、日本語が読めない上、回線が遅い最悪のパターン。1時間1セディ(約100円)。
それからアクラ行きのトロトロが出ている乗り場にある食堂でフーフー&カレースープを食べる。スプーンがなかったので、手で食う。やっぱりあまり気が進まない。途中から中に入っていた羊肉の骨を使って食う。スープにはやはり具は肉のみで何も入っていない。辛さは食べた後もちょっとひりひりするくらい。
宿に戻るとアクラの宿で一緒だったカップルがちょうど着いたところだった。男はヨーロッパ系なのだが、女の方が日本人系。そのためかアクラで合ったときは、彼女の方からHi!と声をかけられた。が、特に会話はしなかったので、日系なのかどうかはわからず。
18時過ぎには暗くなり、あとは宿で過ごす。
Fin
08/08/15(金)
[Cape Coast,Elmna:Ghana]
夜中、雨の降る音がする。
長袖を着て寝ていたのに、蚊に刺される。起床後、この蚊を成敗。
空は薄暗い曇り空。雨が降りそうな天気だ。今日はここからタクシーで30分ほど行ったエルミナに行こうと思っていたのだが、デジカメの電池が切れていることに気づく。部屋にはコンセントがあるのだが、持参している各国対応のプラグをもってしても型が合わず夜の間に充電できなかった。
なので、フロントに降り、1時間ほど充電。その間、『豊かさの誕生』を再読。
9時過ぎに宿を出て、コトクラバという市場がある地帯に行く。その近くに乗合タクシー乗り場があり、そこからエルミナ行きに乗れるとのことだった。
歩いて15分ほど。途中あった学校のグランドではサッカーの試合が行われていた。10代半ばくらいの男子。小学生くらいの子らも観戦に集まっている。小さい子らの中の一人がぼくを見つけ、「チャイナ」と指さしてくる。それをきっかけにいろんな顔がこちらに向けられる。完全に見せ物状態。
やれやれと思いつつ、さっさと通り過ぎる。
ワガドゥグで買った4色ボールペンを昨日どこかで落としたようで、なくなっていた。そのため沿道にある小さな文具屋で4色を探すが、2色までしかなくここで買うのはパス。
文具屋の近くに屋台があったので、そこで朝食。授乳しながら店番をしていた女性は、ぼくが近づくと子どもを引き離して商売モードになる。例のごとくいくらぶん欲しいのかと聞かれたので1セディ(約90円)と答え盛りつけられるのを待つ。
今日の朝食は、白米に例のカレー汁と揚げ魚、それに珍しいことに生野菜(キャベツ、人参etc)のサラダ付き。大盛りのご飯に比べやはり汁の量は少ないが、何とかご飯全部に行き渡る程度の量はある。白米は炊いたご飯を冷凍して、解凍して、また冷凍して解凍したときのようにボロボロポロポロで歯ごたえがない。
ご飯の場合はフーフーなどと違ってスプーンで食べる。
腹が膨れたところでタクシー乗り場に行く。乗り場には行き先と次発車する車がわかるように、「Elmina Ready Car」と書かれた三角柱を横にしたものがその次でる車の屋根に置かれている。
ちょうど客が乗り込んでいた車があったので、ぼくが乗り込んだらすぐに出発できた。ベナンなどと違って、助手席には1人、後部座席には3人と正しい乗り方をしている。
まちを出ると、道の両サイドに椰子が立ち並ぶ通りに出る。左手には波立つ海が見え、右手には椰子の葉葺きの家々が見える。雨がぱらぱらと降ってはあがる。
エルミナには30分ちょっとで到着。海沿いの通りからはエルミナ城が見えた。
車はだんだん町中に入っていく。両脇に商店が並び、車の行き来が多くなる。
ツーリストインフォメーション近くで適当に降り、城に向かう。タクシーから降りた途端に30代くらいの男の物乞いが寄ってきて、カネをくれとつきまとう。10ペソのコインをプレゼント。
歩いていると視線がぼくに集まる。チャイナだのジャッキーだの、チンチョンチャンだのという声が聞こえる。まったくアフリカというところは、どこ行ってもこれだ。
ある穀物を売っている店の前で立ち止まる。売っている米はmade in Thailandばかり。隣の店が文具店だったのでのぞくと無くしたものと同じ4色ボールペンを売っていたので、ここで購入。お値段0.2セディ(約20円)。
片道1車線の狭い通りを城の方面に向かって歩く。両脇にはイギリス植民地時代に建てられたらしいレンガづくりの建物が目立つ。どれもぼろぼろ。廃墟のようになっているところもある。城の手前には橋があり、橋の付近から奥地に入っていく川のような水路沿いが一大マーケットになっている。水路にはセネガルのサンルイの海辺のように大量の舟が並べられていて、赤や青などでデザインされた舟の一群はなかなかの壮観。
橋の手前でスイカの切り身を売っていたので購入。0.2セディ(約20円)。やはり切り売りだとしおれている感じになっていてうまくない。歩いている間中、こちらに視線が集まり、じろじろ、なかにはにやにやしている輩もいる。
城がある敷地の入り口を入り、城につながる橋がある右手の少し高くなっている駐車場への坂を上る。駐車場でビニール袋入りの水を売っている少年(7歳)くらいが、「チャイナ」と言う。振り向くと水を買わないかというような仕草をする。一方でその坂道に彫り物のような土産物を並べ売っていた男性(20代?)が、おかしな日本語で「コンニチハ」と声をかけてくる。これも適当に答えて相手にはせず。
城へは堀を渡す橋を渡って入る。中に入ると左手に受付があり、そこで入場料7セディ(約700円)を払う。受付の女性は年輩の男性を呼び、ぼくを案内するように言う。その男性は、ぼくに一人で回るかガイドが必要かと聞いてくるので、一人で回ると答え、すらすらと中を見て回る。
規模はこちらの方が大きいが、中にある見所は基本的にはケープコーストにある城と同じ。奴隷が入れられていた部屋やcellと書かれた監獄、取引用の部屋など。展示物はほとんどなく、それぞれの部屋に説明板も何もないから、ガイドなしではそれぞれが本当になんなのかはよくわからない。しかし、ガイドと一緒にまわると時間がかかるし、だいたい人によって英語の発音が違うし、ぼくの英語もダメだから聞いてもほとんどわからない。
実際、どこかのグループなのか学生なのか同じシャツを着た20人くらいのグループや昨日ケープコーストで見たイギリス人団体客らしい一団がいたので、ちらっと混ざってみたりしたのだが、それが英語なのかいっとき聞かないとわからなかったりした。
ここでも地元の絵描きらしい人が書いた絵やその人がデザインしたTシャツが売られていた。
また、このエルミナ城はぼろぼろになっていたものをオランダだかイギリスの支援を受けて、ここまできれいにしたらしい。そのプロジェクトに関するパネルが20ほどあって、修繕前と修繕後の写真やプロジェクトの目標年である2015年までのプロジェクトの概要などが書かれてあった。プロジェクトの名前はElmina Heritage Projectというらしい。200万ユーロだかのお金をかけて取り組んでいるらしい。
ここでも思うが、ガイドはいらないから解説板を付けるか解説した冊子を配布なりしてほしいものだ。
城を出てからマーケットになっている一帯を見に行く。城を出ればすぐそこからマーケットになっている。まずは椰子で喉を潤し(0.5セディ:約50円)、それから見て回る。
魚はさばやあじのような魚から、赤鯛が小さくなったようなもの、太刀魚やヒラメのようなものもある。見て回っている中にどでかいアワビのようなものがあったので、その露店の女の子にこれは何かと聞くとSea snakeだという。海蛇? 形からすると貝類のように見えるのだが・・・。
市場は舗装されている道路と水路の間のスペースにあったのだが、とりあえず舗装された道路沿いを西にふらふら歩く。通り沿いにはポツポツと雑貨屋があり、しばらく歩くと船を造っている一帯が現れ、その隣に魚の薫製を作っている一帯が現れた。
薫製は土で作った窯と金属製の網(枠は木製)を使って作られていた。釜は巨大な四角い七輪のようなもので、土壁(レンガ色)で一片が1.2mほど、高さ80cmほどの四角い枠を作り、その上に網を乗せ、その網の上に魚を並べる。また網は幾重かになっている。土台となっている土づくりの釜には通気口があるので、そこから炭をくべたり、火の調整をしているようだった。
もくもくと白い煙をあげている釜もあれば、ちょうど魚を並べている釜もある。作業をしているのは女性ばかり。中には10代をちょっと過ぎたくらいの女の子もいた。
母親が仕事をしている傍らで遊んでいる3歳前後の子どもたちは、ぼくを見ると地元の言葉で何やら言いながら手を振る。ここでは英語ではないなんとかという言葉が一般に話されているので、子どもらがなんと言っているかは不明だが、ベナンと同じように白人を意味するようなことを言っているのだろう。
店が途切れるところもまで行って、引き返す。
途中、水路沿いの市場を見るために舟を作っている一帯を通り抜ける。舟はみなお手製で、釘やとんかち、カンナのような道具を使って組み立てている。舟の型自体は素人目からするとどこにでもある一般的な舟のように見える。
水路沿いに出ると人でごったがえしていた。魚を売る人の間にできた通路は、よけながらでしか歩けないほど狭く、しばしば何かにぶつかる。ここで驚いたのは、売られている魚はすべて冷凍されたものだったことといろんな魚がごっちゃにされていたこと。長方形の箱にでも入れて冷凍していたらしく、いろんな魚がごちゃごちゃにひっついて凍っていて全体では直方体の形をしている。そして、その直方体の個体を売り買いしていた。ちなみに直方体はだいたい縦30cm、横100cm、高さ10cmほど。両手でかかえないともてない。もっともこちらの人は頭に乗せているけど。
買い付けに来ている人は、その凍っている直方体を何体も買い、ライトバンの荷台にそのまま積み込んでいたりしていた。
そこからさらに橋(城)寄りでは今日あがったばかりらしい生の魚が売られていた。小さな子どもが水浴びできるくらいの盥(たらい)に鰺(あじ)のような魚が山盛りにされている。さっきも売っているのを見た細長い魚や平べったい魚もある。
そこへ海から舟が一双水路に帰ってきた。水路はすねくらいまでしかなく浅いのだが、数人がそこに入り、バケツを舟の人に渡し、魚を入れるよう頼んでいる。舟の人と陸の人の間で魚がどのように売り買いされているのかは、よくわからない。陸の方には同じようにバケツを持って準備している魚売りのおばさんあり。
たいして動きがなかったので、舟から目を離し、魚を売っているところをうろうろしていると、背後から怒号が聞こえる。振り向くと小さな鯖のような魚を一尾持った男を怒りでパンパンになった形相で追いかけている男が二人。魚を持っている男を捕まえると腕をはたき、魚を取り返す。どうも勝手に男が魚を持っていこうとしたらしい。しばらくあたりは騒然。周りにいた人が集まってきて、ああだこうだと怒鳴り声をあげ、言い合いをしている。
こうしたちょっとした喧嘩はアフリカに入って以降、しばしば見る。どの国に行っても乗合タクシーやバス乗り場、市場など人が多いところに行けば、怒鳴り合いの喧嘩は漏れなく見れる。
ぼくは最後までまで見届けることなく、市場を出る。途中、沖縄のサータアンダギーに似たボール型のドーナツを1個購入(0.2セディ:約20円)。これがなかなかうまいんだな。
ツーリストインフォメーションに行き、郵便局の位置を教えてもらう。スタッフの女性がその道をまっすぐと教えてくれる。で、その道を歩いていたのだが5分ほど歩いても見あたらないので、本屋の女の子に道を尋ねる。すると彼女は来た方向を指さし、ずっとまっすぐと言う。おかしいなと思いつつ、来た方向にはなかったからと、一本だけ右に入る大きな道があったので、そこを曲がる。
しかし、見えるのは民家のような建物ばかり。適当なところ
まで歩くと、パイナップル屋があったので、そこで丸ごと1個のパインを剥いてもらう(0.5セディ:約50円)。そして、郵便局の場所を教えてもらう。
そこから歩くこと20分ほどで郵便局に到着。結局、インフォメーションの人が教えてくれたのが正しく、本屋の女の子が教えてくれたのはまったく反対方向だった。
郵便局で城で買った葉書を買く。また郵便局のベンチでちょっと昼寝。寝ていたらおかしな英語が聞こえてくるので目を開けると中国人らしいおじさんがいた。ぼくがこれまで聞いた範囲で言うと中国人の英語は中国語なまりで音程があるから、すぐに中国人らしいということがわかる。反対にぼくの英語も中国人等には日本語なまりと聞こえているのだろうか。
郵便局から幹線道路まではすぐだったので、歩いて幹線道路まで行く。途中、道ばたでまた椰子を買う。ガーナに入って以降、椰子を買うときに「hard or soft?」と聞かれるようになった。果肉の厚さの違いを言っているものらしい。このときはソフトを頼む。すっきりしていてなかなかよろし。果肉は少ないけどプルプルしていてまたよろし。
幹線道路沿いで乗合タクシーを捕まえ、ケープコーストに帰る。朝からずっと曇っていたのに今頃晴れてきた。
ケープコーストに戻ってからSTCという会社のバスターミナルに行く。明日のバスの時間を調べようと思って行ったのだが、明日のバスは満席で、次は日曜と言われる。がーん! 窓口の人に他にバスはないか聞くと、近くの信号がある交差点に大型のバン(他でミニバスと呼ばれていたよな車)のバス乗り場があるからそこに行けばと言われる。
STCのターミナルにも乗客を当てにして物売りの人がちょろちょろいた。そこで発見したのが鮹(たこ)。揚げたものらしい。売っているおばさんに確認したところ確かにオクトパスと答える。
1セディ(約100円)ぶん頼むと手のひら位の大きさの切れ端をくれた。鮹なんて久しぶり。日本出国以後では初めてかもしれない。チリなどで売っているのは見たけども、こうして露店で売られているのは初めてだった。食べてみると確かに鮹。ただ油が悪いのかちょっとバターのような甘さがある。
歩いて教えてもらったミニバス(ガーナではトロトロと言う)乗り場に行くと、確かに看板には明日行く予定のKumasiという地名があったのだが、そこにいた人に聞くとここからは車は出ていないと言う。このように、とくにアフリカでは看板はまったく当てにならない。
なので、また乗合タクシーを拾い、ケープコーストの町中に向かう。コトクラバという市場があるところから出ているとさっき教えてもらったので、運転手にその旨伝えると、コトクラバからちょっと離れた乗り場まで連れていってくれた。
そこで聞いたところ、ようやくKumasi行きのトロトロを確認。運賃4.5セディ(約450円)。
客が集まったら発車するというスタイルなので、発車時刻は決まっていないとのこと。ここの乗り場でも鮹を売っていたのでまた鮹をちびちびやりながら、宿に向かう。
初めて通る道だったこともあるのか、やはり視線を感じる。ミシンで服を縫っている女性が「カム」と呼ぶので行ってみると、どこから来たのかなどと聞かれ、例のごとく「Do you like me?」などと聞いてくる。若い女の人(女の子)で声をかけてくるのはこの手が多い。そしていわゆる下ネタを展開する。さらにぼくの髪を触りながら「I like your hair」と言う。
横で一緒にあれこれと話しかけてくる女性は、今日はどこに行ったのかと聞いてきて、エルミナだと言うと、自分はまだ行ったことがないから連れていって、と言う。タクシー代は高くないだろ(0.6セディ:約60円、乗合タクシーの場合)、と言うが、そのお金もないという見え透いた嘘を言う。そして、明日ここに来いというようなことを言うので、明日はよそにでかけるなどと、15分ほどおしゃべりをしてバイバイと解放してくれる。
宿に戻ってから近くのネット屋に行くが、日本語が読めない上、回線が遅い最悪のパターン。1時間1セディ(約100円)。
それからアクラ行きのトロトロが出ている乗り場にある食堂でフーフー&カレースープを食べる。スプーンがなかったので、手で食う。やっぱりあまり気が進まない。途中から中に入っていた羊肉の骨を使って食う。スープにはやはり具は肉のみで何も入っていない。辛さは食べた後もちょっとひりひりするくらい。
宿に戻るとアクラの宿で一緒だったカップルがちょうど着いたところだった。男はヨーロッパ系なのだが、女の方が日本人系。そのためかアクラで合ったときは、彼女の方からHi!と声をかけられた。が、特に会話はしなかったので、日系なのかどうかはわからず。
18時過ぎには暗くなり、あとは宿で過ごす。
Fin
[diary]南アフリカへの飛行機のチケットを買いに
チケットを買いに
08/08/13(水)
[Accra:Ghana]
1米ドル=1.01セディ、1ユーロ=1.6セディ
・ATM
・チケット購入
4時頃、目が覚める。ロメの宿とは違ってきちんと回る扇風機のおかげで寝苦しくなく。外は部屋よりも涼しい。
昨日の何かが悪かったのか、腹の調子がおかしい。10日ぶりほど。
9時前に宿を出て、ガイドブックを参考にツーリストインフォメーションとATM、トラベルエージェントを探しに行く。
宿からすぐのKojo Thomson Roadを北に行き、Ring road Centralを右に曲がる。
Ring road Centralは片道2車線の幹線道路で、交通量が多い。通り沿いには銀行や飛行機会社、レストランなどが細々と並んでいる。最初に見つけた銀行でカードを試すが、だめ。また通り沿いに歩き、別の銀行を探す。
歩いていると左手にBusy Internetと書いたちょっとしたオフィスビルのようなところがあった。『ロンプラ』にもネット屋ということで紹介されていたところだったので、そこでアクラのATMについて調べてみようと入る。
入ると右手に100台ほどのパソコンが並んでいた。内装も日本のきれいなオフィスと同じ感じ。こんなきれいなネット屋はこの旅行では初めて。
画面は液晶。本体には触れられないようになっているからUSBは使えない。受付でカネを払って暗証番号をもらい、適当にパソコンを選んで使うような仕組みになっている。さすがというか、値段は普通の2倍ほどで30分で0.9セディ(約90円)、1時間が1.8セディ。(約180円)。
回線も早く日本語も読める。入力はダメ。ネットで調べたところぼくが持っているカードもアクラにあるATMで使えるとの情報をゲット。
30分で店を出て、また銀行を探す。途中、ツーリストインフォメーションのオフィスを発見。地図とはちょっと位置関係が違うように思ったのだが、まあいい。地図をもらえないかと思い、パソコンでゲーム(フリーセル)をしていた受付の女性に聞くと、有料だと言われる。とりあえず見せてもらう。折り畳み式の道路地図ほどの大きさで、アクラの地図は細かく道路名もしっかり書いてあって広い地域をカバーしていたので買おうかと思ったが、値段が7セディ(約700円)もするというのでやめる。なんでそんな高いんだ?
すぐに別の銀行が見つかる。これまでの国では基本的に使えるカードのマークがATM機に書かれてあったのだが、ここにはない。が、試しに使ってみるとちゃんとカネが出てきた。ただ、10セディ札のためかさむ。上限額が400セディでこれではチケットを買うには足りないので、銀行を変えてもう一度おろす。最初にカネを入手した銀行から100mほどで別の銀行が見つかる。こちらにはちゃんとマークが入っていた。
ATMの機械はどこも店舗の外壁(屋外)に設置されていて、誰が並んでいるか通りから丸見え。これがちょっといただけない。オープンなぶん誰からも見えやすくて安全とも言えるが、ただでさえ髪質と肌色が違うということで目立つのに、こんなおおっぴらなところでカネをおろしているのを悪いヤツに見られれば、つけ回される可能性も大いにある。あまり安全ではない。中南米ではショッピングセンター内のAtMは丸見えだったが、銀行のは屋内にあった。
今度の銀行のATMには数人が機械の前に並んでいたので、時間つぶしに隣にあったトラベルエージェントに行く。ここもきれいなオフィスでヨーロッパスタイル。
南アフリカのヨハネスブルグ行きの航空券について聞くと、パソコンで調べてくれ、663米ドルだと教えてくれた。これは昨日まわったエージェントを含めて最安(2ドルぶんだけど)。銀行も近いからここでチケットを買おうかと思い、いったんオフィスを出て、隣の銀行でカネをおろしてからまた来る。
20分ほど待って、ぼくの順番が来る。さっき対応してくれた人とは別の人。ブエノスアイレスでチケットを買ったときは、同じエージェントでも担当者によってチケットの値段が違ったので、今回も同じようにさっきより安いチケットが出てこないか期待するが見事にはずれる。チケット代は663米ドルと同じだったが、それに手数料か何かが加わって結局約690米ドル請求される。てっきりトータル金額が663米ドルと思ったので、キャンセル。昨日行ったエージェントの中にトータル675米ドルというのがあったからそっちの方が20米ドルも安い。
エージェントのオフィスを出て、駐車場を歩いていると日本人かと聞いてくる人がいた。ガーナ人らしい若い男で、彼の横には年輩の白人が一人、ガーナ人女性が一人いた。
日本人だと英語で答えると「コンニチハ」と言ってくる。それからまた英語で日本のどこから来たのかと聞かれたので、東京の近くと言うと、彼は自分は埼玉の飯能の会社で4年働いていたと言う。飯能は森がいっぱいでしょうというと、そうそうと言って、ぼくが知らない固有名詞を出して隣の二人に何か面白いことをしたらしいときの話を披露し、盛り上がる。
これからどこに行くのかというので、別のエージェントだと答え、悪いヤツではなさそうなので、どこか安いエージェントはないかと聞いてみる。するとエミレーツ航空とエジプト航空、ケニア航空がときに安かったりするので、そこをチェックしてはと言われる。エミレーツ航空は道路を挟んで向かいにあったので、早速行ってみると言い、分かれる。
エミレーツ航空のオフィスもまたきれいだった。入って番号札を取る。ゆったりと座れる椅子に腰をかけ、順番を待つ。待っていると”70番の方、3番デスクにどうぞ”といった具合の館内放送が英語で流れる。
20分ほど待った後、自分の番号が呼ばれ、窓口に行き、南アフリカ行きのチケットの値段を知りたいと言うと、当社には南アフリカ行きの飛行機はないから南アフリカ航空に行くように言われる。さっき聞いた航空会社はどれもネットでの検索ではひっかかってこなかった航空会社なので、これは堀出し物に巡り会えるかとちょっと期待したのだが、やはり当てにならなかった。
場所がわかる『ロンプラ』に載っているエージェントにもういくつか行ってみようと宿方面に戻る。
途中、食堂で昼飯。Banku with Okura soupというのを食べる。Bankuはここのローカルフードらしいので何かわからず頼んでみたのだが、見慣れたこねて団子上になったものが出てきた。食べてみると酸っぱい。ベナンやトーゴの屋台で食べたあの正体不明の酸っぱい主食がBANKUだった。
オクラスープはオクラでドロッとしたカレー味のスープで、これも今まで食べてきたものと変わらない。店内の人は手でつかんで食べていたが、ぼくは腹の具合もあるし、手を突っ込む気にもならなかったのでスプーンをもらい食べる。
ガーナに来て変わったのは、テーブルの上に食後の手荒い用の石鹸(固形や液体)が置かれていること。そんなもん使うならスプーンで食べた方が、手も汚れず余計な物を消費せずに済むのになぜ手で食べるかと不思議に思う。やはりそちらの方が食べやすいのだろうか?
食事後、またエージェントを探して歩く。適当に歩いていたのだが、エージェントはそこそこあって、途中4軒ほど見かける。うち2軒で聞いたらどちらも660米ドル代。うち1軒はトータルで663米ドルとのことだった。ここが今のところの最安値。
そこの人がそのチケットの航空会社は南アフリカ航空だと教えてくれたので、もしや南アフリカ航空に行けばエージェントがとる手数料ぶんの10~20ドルほど安く買えるかもしれないと思い、『ロンプラ』を見て南アフリカ航空のオフィスに向かう。地図によるとOSUという外国料理のレストランや高いホテルが集まっている地区にあるようだったので、そこに向かう。
歩くと1時間くらいかかりそうなところだったため、また腹の雲行きが怪しくなったため乗り合いタクシーに乗る。途中、どでかい政府関係の建物の近くやこアフリカで見た中では一番立派なサッカースタディアムの前を通っていくこと15分ほどで、OSU地区に到着。運賃0.5セディ(約50円)。安い!あとは歩いて探す。
『旅行人』にはこの地区は東京で言えば六本木なんて書かれてあったが、町並み自体はどこか町外れのような感じで統一観もないし、建物の高さも千差万別。高層ビルはない。意味のわからない漢字を彫った人が載っている入れ墨屋の看板やアクセサリー屋、ファーストフード店風のカフェなどがごたごたと並んでいる。
さて、目的の南アフリカ航空だが、これが見つからなかった。がっかり。エージェントがここにもいくつかあったので、ここで安ければここで買おうと3軒ほど回るとどこも760米ドル前後という。しかも同じ南アフリカ航空で。なんじゃこれはと思い、もしやこの1時間ほどで値上がりしたのかと不安になる。ブエノスアイレスでチケットを買ったときはチケットの値段を聞いてから4時間ほど後に、チケットを買いに行ったら燃料税がこの数時間の間に上がったと40米ドルほども最初に聞いていた値段から上がっていたことがあった。
ただ、それにしても100米ドルも上がるというのは考えにくく、金持ちが多そうな地区だから手数料をかなり取っていることも推測される。しかし、いくらかでも値段があがることはあり得るので、さっきの最安値だったエージェントに急いで戻ることにする。
乗り合いタクシーはルートが決まっているようなのだが、どの車にも行き先が書かれていないからどれに載っていいかわからない。さっき乗った乗り合いタクシーは運転手が「OSU、OSU、OSU」と大声で行き先を告げながら走ってきたのでわかったのだが、こうして待っているとそういう人はいない。
しょうがないので適当にタクシーを止める。2人客が乗っていたのだが、しばらくして2人とも降りる。運賃を聞くと40という。1セディ=100ペソ(名前未確認)だったかだったので、てっきりさっきと同じように0.4セディかと思う。
運転手は地図を見せても現在地と目的地の位置関係がわからないようで、途中、違う方向に行こうとするので、右だ左だとぼくが指示する。
無事、目的地に着き、1セディ札を出すと4セディだと言い出す。あんた40と言っただろうがと文句言うが、40000(forty thousand=4セディ)だと言う。そして、だから客を2人降ろし、その後誰も乗せなかったと言う。そんなこと頼んでもないし、だいたい外国人相手にデノミ前の単位を使うなボケとつっぱねようかと思うが、400円のために言い合いしている間に航空運賃が上がるのも嫌だったためさっさと4セディ払う。まったく!
エージェントのオフィスに入り、さっき対応してくれた女性にチケットを買う旨伝える。すると彼女は、ゲームでもしていたのだろうパソコンのマウスから手を離し、準備を領収書などの手続きを始める。オフィスのテレビではアメリカのドラマ「ホワイトハウス」が流れていた。
ぼくはATMでおろした札を数える。すべて10セディ札で800枚あるから数えるのも一苦労。100セディ札があるんだからATMに入れとけよな。
そんで彼女にカネを渡すと、彼女はバッグを用意して、戻ってくるから待っていてと行って、オフィスを出ていった。
喉が乾いていたので、オフィスに備え付けられていた冷水機(20リットルほどのでかく分厚いペットボトルがひっくり返って付けられているタイプ。外国ではよく見る)でコップ2杯の水を飲む。
オフィスには2人の女性スタッフがそれぞれの机に座り、パソコンの画面を眺めている。客は一人も入ってこない。きっと毎日こうなのだろう。これで給料がもらえるなら、なんともラクな仕事だ。
40分ほどして彼女が戻ってきた。そして買ってきたらしいチケットをぼくに見せ、名前と日付を確認する。チケットを見るとチケット代そのものは片道225米ドル(セディで払ったが、すべて米ドル表記)で往復450米ドルしかしない。なのに各種税金で200米ドル以上も上がり、結局663米ドルになっている。
とりあえずは、アクラでの一大事が終わり、宿に戻る。
宿でパイナップルを1個頬張り、それから今後のスケジュールについて考える。するとまたセディが足りなくなりそうだったため近くの銀行に行くことにする。バークレイという銀行で試したが、やはりこの近辺のATMではおろせず。
銀行の向かいの中学校のグランドでは、若い男たちがサッカーの試合をしており、それを見にやはり男たちがグランドの周りに集まっている。グランドはぼこぼこ、サッカーボールも皮ではなくゴムのように見えた。ゴールも木材で四角くかたどってあるだけ。端から端までは100mもないので試合展開が早い。一本蹴りあげればゴール前になる。南米ではこうしたサッカーの風景は見なかったが、アフリカではあちこちで見る。観客も熱心に見ている。
サッカーをちらりと見て、ほかに銀行がないか探すが見あたらず。結局、この日はあきらめることにする。
宿に戻る途中、ガソリンスタンドに併設されている店でガーナ産のチョコレートを買う。普通の80g程度のサイズのものと30g程度のサイズのものとがあり、赤いパッケージと青のパッケージの2種類があった。パッケージにはちゃんとmade in Ghanaとある。
ガーナのチョコレートはおいしくないと『旅行人』にあったので、用心して小さい方のを2種類買う。早速食べてみると、両方とも日本の普通のチョコレートとは違う味(でも、他国ではたまにある味)で、青のパッケージの方がまずい。もう1度食べたいとは思えない味。赤はまだ食べられるが、なんか余計なモノが混ざっている感じがして、甘さが口に合わない。
宿に戻ると、OSU地区に行ったときに飲んだビニール袋入りのカカオ飲料のせいか腹の調子がおかしくなる。あのとき飲んだカカオ飲料(つまりはココア)は、明らかに水がおかしいだろ!というような味だった。
よって、この日は晩飯を食えず。その後は宿で過ごす。
Fin
08/08/13(水)
[Accra:Ghana]
1米ドル=1.01セディ、1ユーロ=1.6セディ
・ATM
・チケット購入
4時頃、目が覚める。ロメの宿とは違ってきちんと回る扇風機のおかげで寝苦しくなく。外は部屋よりも涼しい。
昨日の何かが悪かったのか、腹の調子がおかしい。10日ぶりほど。
9時前に宿を出て、ガイドブックを参考にツーリストインフォメーションとATM、トラベルエージェントを探しに行く。
宿からすぐのKojo Thomson Roadを北に行き、Ring road Centralを右に曲がる。
Ring road Centralは片道2車線の幹線道路で、交通量が多い。通り沿いには銀行や飛行機会社、レストランなどが細々と並んでいる。最初に見つけた銀行でカードを試すが、だめ。また通り沿いに歩き、別の銀行を探す。
歩いていると左手にBusy Internetと書いたちょっとしたオフィスビルのようなところがあった。『ロンプラ』にもネット屋ということで紹介されていたところだったので、そこでアクラのATMについて調べてみようと入る。
入ると右手に100台ほどのパソコンが並んでいた。内装も日本のきれいなオフィスと同じ感じ。こんなきれいなネット屋はこの旅行では初めて。
画面は液晶。本体には触れられないようになっているからUSBは使えない。受付でカネを払って暗証番号をもらい、適当にパソコンを選んで使うような仕組みになっている。さすがというか、値段は普通の2倍ほどで30分で0.9セディ(約90円)、1時間が1.8セディ。(約180円)。
回線も早く日本語も読める。入力はダメ。ネットで調べたところぼくが持っているカードもアクラにあるATMで使えるとの情報をゲット。
30分で店を出て、また銀行を探す。途中、ツーリストインフォメーションのオフィスを発見。地図とはちょっと位置関係が違うように思ったのだが、まあいい。地図をもらえないかと思い、パソコンでゲーム(フリーセル)をしていた受付の女性に聞くと、有料だと言われる。とりあえず見せてもらう。折り畳み式の道路地図ほどの大きさで、アクラの地図は細かく道路名もしっかり書いてあって広い地域をカバーしていたので買おうかと思ったが、値段が7セディ(約700円)もするというのでやめる。なんでそんな高いんだ?
すぐに別の銀行が見つかる。これまでの国では基本的に使えるカードのマークがATM機に書かれてあったのだが、ここにはない。が、試しに使ってみるとちゃんとカネが出てきた。ただ、10セディ札のためかさむ。上限額が400セディでこれではチケットを買うには足りないので、銀行を変えてもう一度おろす。最初にカネを入手した銀行から100mほどで別の銀行が見つかる。こちらにはちゃんとマークが入っていた。
ATMの機械はどこも店舗の外壁(屋外)に設置されていて、誰が並んでいるか通りから丸見え。これがちょっといただけない。オープンなぶん誰からも見えやすくて安全とも言えるが、ただでさえ髪質と肌色が違うということで目立つのに、こんなおおっぴらなところでカネをおろしているのを悪いヤツに見られれば、つけ回される可能性も大いにある。あまり安全ではない。中南米ではショッピングセンター内のAtMは丸見えだったが、銀行のは屋内にあった。
今度の銀行のATMには数人が機械の前に並んでいたので、時間つぶしに隣にあったトラベルエージェントに行く。ここもきれいなオフィスでヨーロッパスタイル。
南アフリカのヨハネスブルグ行きの航空券について聞くと、パソコンで調べてくれ、663米ドルだと教えてくれた。これは昨日まわったエージェントを含めて最安(2ドルぶんだけど)。銀行も近いからここでチケットを買おうかと思い、いったんオフィスを出て、隣の銀行でカネをおろしてからまた来る。
20分ほど待って、ぼくの順番が来る。さっき対応してくれた人とは別の人。ブエノスアイレスでチケットを買ったときは、同じエージェントでも担当者によってチケットの値段が違ったので、今回も同じようにさっきより安いチケットが出てこないか期待するが見事にはずれる。チケット代は663米ドルと同じだったが、それに手数料か何かが加わって結局約690米ドル請求される。てっきりトータル金額が663米ドルと思ったので、キャンセル。昨日行ったエージェントの中にトータル675米ドルというのがあったからそっちの方が20米ドルも安い。
エージェントのオフィスを出て、駐車場を歩いていると日本人かと聞いてくる人がいた。ガーナ人らしい若い男で、彼の横には年輩の白人が一人、ガーナ人女性が一人いた。
日本人だと英語で答えると「コンニチハ」と言ってくる。それからまた英語で日本のどこから来たのかと聞かれたので、東京の近くと言うと、彼は自分は埼玉の飯能の会社で4年働いていたと言う。飯能は森がいっぱいでしょうというと、そうそうと言って、ぼくが知らない固有名詞を出して隣の二人に何か面白いことをしたらしいときの話を披露し、盛り上がる。
これからどこに行くのかというので、別のエージェントだと答え、悪いヤツではなさそうなので、どこか安いエージェントはないかと聞いてみる。するとエミレーツ航空とエジプト航空、ケニア航空がときに安かったりするので、そこをチェックしてはと言われる。エミレーツ航空は道路を挟んで向かいにあったので、早速行ってみると言い、分かれる。
エミレーツ航空のオフィスもまたきれいだった。入って番号札を取る。ゆったりと座れる椅子に腰をかけ、順番を待つ。待っていると”70番の方、3番デスクにどうぞ”といった具合の館内放送が英語で流れる。
20分ほど待った後、自分の番号が呼ばれ、窓口に行き、南アフリカ行きのチケットの値段を知りたいと言うと、当社には南アフリカ行きの飛行機はないから南アフリカ航空に行くように言われる。さっき聞いた航空会社はどれもネットでの検索ではひっかかってこなかった航空会社なので、これは堀出し物に巡り会えるかとちょっと期待したのだが、やはり当てにならなかった。
場所がわかる『ロンプラ』に載っているエージェントにもういくつか行ってみようと宿方面に戻る。
途中、食堂で昼飯。Banku with Okura soupというのを食べる。Bankuはここのローカルフードらしいので何かわからず頼んでみたのだが、見慣れたこねて団子上になったものが出てきた。食べてみると酸っぱい。ベナンやトーゴの屋台で食べたあの正体不明の酸っぱい主食がBANKUだった。
オクラスープはオクラでドロッとしたカレー味のスープで、これも今まで食べてきたものと変わらない。店内の人は手でつかんで食べていたが、ぼくは腹の具合もあるし、手を突っ込む気にもならなかったのでスプーンをもらい食べる。
ガーナに来て変わったのは、テーブルの上に食後の手荒い用の石鹸(固形や液体)が置かれていること。そんなもん使うならスプーンで食べた方が、手も汚れず余計な物を消費せずに済むのになぜ手で食べるかと不思議に思う。やはりそちらの方が食べやすいのだろうか?
食事後、またエージェントを探して歩く。適当に歩いていたのだが、エージェントはそこそこあって、途中4軒ほど見かける。うち2軒で聞いたらどちらも660米ドル代。うち1軒はトータルで663米ドルとのことだった。ここが今のところの最安値。
そこの人がそのチケットの航空会社は南アフリカ航空だと教えてくれたので、もしや南アフリカ航空に行けばエージェントがとる手数料ぶんの10~20ドルほど安く買えるかもしれないと思い、『ロンプラ』を見て南アフリカ航空のオフィスに向かう。地図によるとOSUという外国料理のレストランや高いホテルが集まっている地区にあるようだったので、そこに向かう。
歩くと1時間くらいかかりそうなところだったため、また腹の雲行きが怪しくなったため乗り合いタクシーに乗る。途中、どでかい政府関係の建物の近くやこアフリカで見た中では一番立派なサッカースタディアムの前を通っていくこと15分ほどで、OSU地区に到着。運賃0.5セディ(約50円)。安い!あとは歩いて探す。
『旅行人』にはこの地区は東京で言えば六本木なんて書かれてあったが、町並み自体はどこか町外れのような感じで統一観もないし、建物の高さも千差万別。高層ビルはない。意味のわからない漢字を彫った人が載っている入れ墨屋の看板やアクセサリー屋、ファーストフード店風のカフェなどがごたごたと並んでいる。
さて、目的の南アフリカ航空だが、これが見つからなかった。がっかり。エージェントがここにもいくつかあったので、ここで安ければここで買おうと3軒ほど回るとどこも760米ドル前後という。しかも同じ南アフリカ航空で。なんじゃこれはと思い、もしやこの1時間ほどで値上がりしたのかと不安になる。ブエノスアイレスでチケットを買ったときはチケットの値段を聞いてから4時間ほど後に、チケットを買いに行ったら燃料税がこの数時間の間に上がったと40米ドルほども最初に聞いていた値段から上がっていたことがあった。
ただ、それにしても100米ドルも上がるというのは考えにくく、金持ちが多そうな地区だから手数料をかなり取っていることも推測される。しかし、いくらかでも値段があがることはあり得るので、さっきの最安値だったエージェントに急いで戻ることにする。
乗り合いタクシーはルートが決まっているようなのだが、どの車にも行き先が書かれていないからどれに載っていいかわからない。さっき乗った乗り合いタクシーは運転手が「OSU、OSU、OSU」と大声で行き先を告げながら走ってきたのでわかったのだが、こうして待っているとそういう人はいない。
しょうがないので適当にタクシーを止める。2人客が乗っていたのだが、しばらくして2人とも降りる。運賃を聞くと40という。1セディ=100ペソ(名前未確認)だったかだったので、てっきりさっきと同じように0.4セディかと思う。
運転手は地図を見せても現在地と目的地の位置関係がわからないようで、途中、違う方向に行こうとするので、右だ左だとぼくが指示する。
無事、目的地に着き、1セディ札を出すと4セディだと言い出す。あんた40と言っただろうがと文句言うが、40000(forty thousand=4セディ)だと言う。そして、だから客を2人降ろし、その後誰も乗せなかったと言う。そんなこと頼んでもないし、だいたい外国人相手にデノミ前の単位を使うなボケとつっぱねようかと思うが、400円のために言い合いしている間に航空運賃が上がるのも嫌だったためさっさと4セディ払う。まったく!
エージェントのオフィスに入り、さっき対応してくれた女性にチケットを買う旨伝える。すると彼女は、ゲームでもしていたのだろうパソコンのマウスから手を離し、準備を領収書などの手続きを始める。オフィスのテレビではアメリカのドラマ「ホワイトハウス」が流れていた。
ぼくはATMでおろした札を数える。すべて10セディ札で800枚あるから数えるのも一苦労。100セディ札があるんだからATMに入れとけよな。
そんで彼女にカネを渡すと、彼女はバッグを用意して、戻ってくるから待っていてと行って、オフィスを出ていった。
喉が乾いていたので、オフィスに備え付けられていた冷水機(20リットルほどのでかく分厚いペットボトルがひっくり返って付けられているタイプ。外国ではよく見る)でコップ2杯の水を飲む。
オフィスには2人の女性スタッフがそれぞれの机に座り、パソコンの画面を眺めている。客は一人も入ってこない。きっと毎日こうなのだろう。これで給料がもらえるなら、なんともラクな仕事だ。
40分ほどして彼女が戻ってきた。そして買ってきたらしいチケットをぼくに見せ、名前と日付を確認する。チケットを見るとチケット代そのものは片道225米ドル(セディで払ったが、すべて米ドル表記)で往復450米ドルしかしない。なのに各種税金で200米ドル以上も上がり、結局663米ドルになっている。
とりあえずは、アクラでの一大事が終わり、宿に戻る。
宿でパイナップルを1個頬張り、それから今後のスケジュールについて考える。するとまたセディが足りなくなりそうだったため近くの銀行に行くことにする。バークレイという銀行で試したが、やはりこの近辺のATMではおろせず。
銀行の向かいの中学校のグランドでは、若い男たちがサッカーの試合をしており、それを見にやはり男たちがグランドの周りに集まっている。グランドはぼこぼこ、サッカーボールも皮ではなくゴムのように見えた。ゴールも木材で四角くかたどってあるだけ。端から端までは100mもないので試合展開が早い。一本蹴りあげればゴール前になる。南米ではこうしたサッカーの風景は見なかったが、アフリカではあちこちで見る。観客も熱心に見ている。
サッカーをちらりと見て、ほかに銀行がないか探すが見あたらず。結局、この日はあきらめることにする。
宿に戻る途中、ガソリンスタンドに併設されている店でガーナ産のチョコレートを買う。普通の80g程度のサイズのものと30g程度のサイズのものとがあり、赤いパッケージと青のパッケージの2種類があった。パッケージにはちゃんとmade in Ghanaとある。
ガーナのチョコレートはおいしくないと『旅行人』にあったので、用心して小さい方のを2種類買う。早速食べてみると、両方とも日本の普通のチョコレートとは違う味(でも、他国ではたまにある味)で、青のパッケージの方がまずい。もう1度食べたいとは思えない味。赤はまだ食べられるが、なんか余計なモノが混ざっている感じがして、甘さが口に合わない。
宿に戻ると、OSU地区に行ったときに飲んだビニール袋入りのカカオ飲料のせいか腹の調子がおかしくなる。あのとき飲んだカカオ飲料(つまりはココア)は、明らかに水がおかしいだろ!というような味だった。
よって、この日は晩飯を食えず。その後は宿で過ごす。
Fin
2008年8月13日水曜日
【速報】アクラ(ガーナ)入り
現在、ガーナの首都アクラにいます。今朝の9時にトーゴでガーナビザのはられたパスポートを受取り、それから移動してきました。国境から約5時間でここについたのですが、いやあ、驚きました。アフリカとは思えないくら道がきれい、つまりごみが落ちていないし(他が汚いのですが)、ジャンクションは立派だし、さすが西アフリカで一番に独立し、民主化もすすんでいる国ですね。
それから公用語が英語ということで、これまでのフランス語圏ではまったくわからなかった言葉が突然それなりにわかるようになり、不思議な感覚を覚えましたね。やはり言葉はわかるにこしたことはありません。結局フランス語は数字のほか4つほどのワードを覚えただけでまったく進歩せず。それでもここまでこれたのは、けっこう交通機関やホテル関係者に英語使いがいたからで、その点は中米や南米よりも上かもしれません。
ところで先程南アフリカに行くチケットを探して回ったのですが、予想したほどには高くなくてほっとしました。ここから往復のチケットが665ー680米$。明日は念願のATMを探しに行き、エージェントをもういくつか回って飛行機のチケットを買う予定です。
では
2008.8.12 19;02
Accra,Gahna
それから公用語が英語ということで、これまでのフランス語圏ではまったくわからなかった言葉が突然それなりにわかるようになり、不思議な感覚を覚えましたね。やはり言葉はわかるにこしたことはありません。結局フランス語は数字のほか4つほどのワードを覚えただけでまったく進歩せず。それでもここまでこれたのは、けっこう交通機関やホテル関係者に英語使いがいたからで、その点は中米や南米よりも上かもしれません。
ところで先程南アフリカに行くチケットを探して回ったのですが、予想したほどには高くなくてほっとしました。ここから往復のチケットが665ー680米$。明日は念願のATMを探しに行き、エージェントをもういくつか回って飛行機のチケットを買う予定です。
では
2008.8.12 19;02
Accra,Gahna
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