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2008年7月7日月曜日

サンタクルスからカンポグランデへ その1

08/06/14(金)

天気が悪いこともあってさすがに一晩では乾かなかった。紙の類は乾いたが、シャツや靴、上着はまだ湿ったまま。

幸い宿のチェックアウト時間が14時だからそれまでは干すことができる。でかける気にもならなかったので、昼過ぎまで宿で読み物と書き物をする。

2時ちょっと前にチェックアウト。靴は濡れたままだが、他はほぼ乾いた。

宿の前の通りの屋台でパンなどを買おうかと思っていたのだが、昼休みなのか、夕方や朝方に立ち並んでいる屋台はきれいになかった。

しょうがないので何も買わずにターミナルに行く。客引きの声を無視しながら、待合いのスペースにある椅子に座り、天井からぶら下がっているテレビを見る。ワールドカップの予選でもやっているのか、ひたすらサッカーのニュースを流している。

3時過ぎにバス会社の窓口に行く。相変わらず窓口の人らはおしゃべりにインターネットに夢中。

どこからバスが出るのか聞いたら迎えに来るからここで待てと言う。当てにならないが待つしかない。

そろそろ屋台が出る頃だろうと荷物をおいたまま宿の前の通りにいく。予想通りバン屋の屋台が出ていた。五種類くらいあるバンを一個ずつ買う。トウキビの粉で作ったパンやユカ(キャッサバ)を練り込んだパン、クッキーのようなパンなど、それぞれ1ボリビアーノ(約20円)。

それから通りを歩きながら売り歩いているおじさんからピーナッツとポテトチップを買う。30gくらいずつで各1ボリビアーノ。あと別のおじさんからチュロスも買う。これは1.5ボリビアーノ。

4時前になってやっと声がかかる。女の人が乗り場に案内するという。客はぼくの他におじさん一人。しかもそのおじさんは毛布を持参している。豪華なバスのはずなんだが・・・

乗り場に行く前にターミナルの使用料を払う場に連れて行かれ、そこで3ボリビアーノ(約50円)も払う。入り口で入場チケットを見せ、乗り場に入る。

そして女の人があのバスと言って指さした方にあったバスを見て我が目を疑った。近くに行き、ため息をひとつ。乗り込んでまたため息をひとつ。

バスのフロントにはブラジルの地名ではなく、国境のボリビアのまちの名があるだけ。車内の後部五列ほどは荷物置き場になっており、便所もない。当然テレビもないし、窓は開くが開けるための取手のようなものもない。

これが10ドルなら、はいはい、そうでしょうよ、で済むのだが、その十倍払っているのだからだんだん頭にくる。クソ、あのオヤジ、嘘ばっかりだと、ぶつくさ言いながら車内で待つ。

そして今頃になって女の人が終点のまちに着いたらこの会社のオフィスに行くようにと会社の名前を書いた封筒をくれる。こっちはてっきり直通で行くと思っていたのに、これだ。

だいたい他の国でも国際バスは直通だし、乗り換えがあるなら発券時に二枚なりのチケットをくれる。それがボリビアに限ってはペルーからの入国のときもなぜか国境でボロいバスに乗り換えだった。一方、パラグアイからのバスは直通だった。まったくわけがわからんし、サービス業としてまったくなっとらん。グアテマラのあのバスといい勝負だ。

さらにわけがわからんのが、次々と待合室では見かけもしなかった人たちが乗り込んで来ること。多分、国境のまちまで行くバスを出している別の会社の窓口でチケットを買った人たちなのだろう。こうしてあちこちから人が乗り込んでくるのを見ていると、ぼくがチケットを買った業者はエージェントのようなただのピンハネ業者でバスを所有している会社ではないらしいように思える。

チケットには4時発とあったが当然それはなんの意味もな
く、5時前になってようやくバスは動き出した。ターミナルを出る際、バスにはターミナルの使用料を払ったかチェックそてまわる係員が乗り込んできて、払ってない人からは3ボリビアーノを徴収していく。ここでこうしてチェックするということは、入場する際のチェックでは不充分ということなのだから、最初からここで徴収することにすれば全乗客を確実にチェックできるのだから、使用料を払う窓口や入口に立っている人には他のことをさせて、ここだけに集中すればいいのに。しかも売り子の人らは、ターミナル内でも、チェックをしている今でもばんばん車内に乗り込んで来ているのだから、防犯もくそもない。

ボリビアのバスのシステムは、他の国と比べてもわけのわからんことが多い。

やっと出発したかと思ったら、バスは1時間も走らないうちに前の車に続いて停まってしまった。そして、エンジンまで切られる。

昨日のような道路封鎖をしているらしい。路上には待ちぼうけをしている人たちを狙って、弁当や飲み物、みかんを売り歩く女性らがちらほら現れる。

乗客の男たちはバスから降り、道ばたで立ち小便を始める。すっかり日は落ちて、辺りには民家と車の明かりが見えるだけ。

30分たっても何も変わらず。乗客らは静かに待っている。乗り合いタクシーやバイクタクシーが路肩を通って先頭の方に行き、しばらくして客を乗せて返ってくる。

やれやれいつ出発するのやら。これだったらパラグアイからブラジルにさっさと行くんだったなぁ、などと今頃思う。

反対車線から大型トラックが来るのが見え、ようやく動き出しそうな気配。外に出てぷらぶらしていたが、車内に戻る。それからしばらくあって、ようやくバスのエンジンがかかる。停車してから1時間近く立とうとしていた。だが、予想よりも早く動き出した。

動き出しても進行速度は時速20km程度。ちょろちょろ走って見えてきたのは簡易な作りの雑貨店や食堂が集まっている地帯。30軒くらいの店が両脇に並んでいる。

後部の席に座っているおじさんが、窓から顔を出し、手にお札をひらひらさせて、店の人に向かって”セニョーラ”と声をかけている。何か買いたいらしい。店からバスまでは20mほど。店の人はその声に気づいたが、椅子に座ったまま動かない。2軒の店から無視された後、3軒目にして店のおねえちゃんがコーラの2リットルペットボトルを抱えて走ってきた。

さてさて、どこが道路封鎖の前線なのだろうと窓から顔を出して前方を見ていたのだが、それらしいところが出てこない。そのうち制服を着た警官が見えたので、警察の検問かとも思ったが、そういうこともなく通り過ぎる。

そうした後、やっと渋滞の犯人が出てきた。なんてことはない、犯人は橋だった。数十メートルの川幅がある川には自動車用の橋がかかっておらず、鉄道の鉄橋に板を敷いて、それが橋になっていた。ちょうどコスタリカとパナマの国境のときと同じかたち。当然、2車線ぶんも幅がないから橋を渡るのは交互通行になっていた。

鉄橋を渡り終えると反対車線には車がずらりと並んでいる。100台以上はある。そして道路沿いには川向こうと同じように雑貨屋と食堂が並んでいた。

進行方向右側には橋を架けている工事現場があったので、2年後くらいには鉄橋を使わずに通れるようになるのだろう。そのときには今通ってきた道路脇の商店なども場所を変えるかしないとやっていけなくなるだろうな、などと思いながら外を眺める。

ずっと舗装された道を通ってきたのに、突然未舗装の道路に入る。

8時を過ぎても、車内では当然晩飯のバの気配もない。隣に座る人がいなかったので、座席に横になる。

縦に横に揺れるから肘掛けに頭を乗せているとその衝動がもろに響く。やれやれ。さすがに南米最貧国というだけあって隣の国とをつなぐ道路も不十分な状態だ。もっともこの道路の整備は今現在進められているらしく、バスが走っている隣には整地された道が見えた。

ちと不安だった夜の寒気はたいしたことはなく、日中の格好で充分しのげた。

Fin

最悪の一日 --道路封鎖、そして雨

08/06/13(木)

・サンファンへ
・無駄な乗り換え
・道路封鎖
・雨に濡れて

曇り。雨は降っていなかった。9時過ぎに宿をチェックアウトし、リュックを背負い向かいのターミナルに行く。

ターミナルの入り口付近には各会社の客引きがいて、”アスンシン、コチャバンバ、スークレ”などと声をかけてくる。一人の若い男の客引きがどこにいくのかと聞いてくるので、サンファンだと言うと、こっちに来いと自分の会社の窓口に連れて行く。そして、壁に貼られている南米の地図を使って、ここだろとアルゼンチンのメンドーサを指さす。メンドーサにサンファンという地域があるらしく、彼はそこだと思ったらしい。危ない危ない。ボリビアのサンファンだと言うと、な~んだ、という顔をする。さっきまでの愛想のいい顔は一気に消えてしまった。

とにかく中南米は同じ名前の都市や地域が多いからこういうことになる。同じ国内でも同じ名前の地区や道路があるから始末が悪い。こうして移動していると、ちっとは他の名前を考えろよなと思ってしまう。

ターミナルの裏側の乗り合いタクシーの乗り場に行くと、そこにも客を待っている運転手がいた。声をかけてきたので、行きたい場所を言うと、このタクシーでも行けるというので、当初の予定とは違う行き先のタクシーだったが、乗ってみる。

運転手の男は30代くらいの人で、日系人に知り合いがいるらしく、Okinawaにいる知っている人の名前をいくつか挙げる。そしてサンファンにも日本人がいっぱいいるというようなことを言う。

乗客がこの間と同じようにぼく一人だったため、また乗り換えかと思っていたら、そのとおりだった。オデッセイタイプの乗用車でリュックが荷台に積めず、屋根にくくられる。乗ってきた車の運転手が、新しい車の運転手にこちらを見ながらいろいろ話していたので、ぼくの行き先を伝えているものと思っていたのだが、のちにこの運転手がモンテーロに就いてから、ぼくにどこに行きたいのかと聞いてきたことで、まったく引き継ぎされていなかったことを知る。よくあることだが、なぜこうしたことが慣習になっているのかが不思議だ。

運転手に改めて行きたいところを告げると、その先にTrufi(乗り合いタクシー)の乗り場があるからと教えてくれる。そこに行くと、若い女性がいて、今は車がないからそこで待っててと言われる。

どうせ何10分も待たされるだろうからと思い、近くに面白そうなところがないか歩いてみる。車が通ってきたところは、工具や携帯電話、薬を売る店が並んでいるだけ。昼も近かったから飯でも食おうかと思ったが、適当な店もない。

他に行く方法がないかとバス停らしきところで、聞くとmototaxi(バイクタクシー)で近くの乗り場に行って、そこから目的地に行く車に乗る方法はあると言う。が、でかいリュックと小さいリュックとウエストバックを抱えてバイクの後ろに乗るのはちと怖い。

別のところでやはり行き方を聞くと、さっき立ち寄ったところから車に乗る方法を教えてくれただけだった。

しょうがないのでぶらぶらして、さっきのTrufi乗り場にいったら、ちょうど車が来ていて客も数人乗り込んでいた。なので、ぼくもそれに乗り込む。運賃5ボリビアーノ(約80円)。

車は快調に舗装された幹線道路を走る。サトウキビを山ほど積んだ大型トラックを追い抜く。サトウキビの山は直方体のように積み上げられており、目測で縦が3m、横が2mちょっと、そして長さが10数mほど。とにかくでかい。

20分ほど走り、左手にガソリンスタンドがある地点で車は止まる。そこから先は一本道になっているのだが、その入り口には10トン級のトラックなどが数台、交互に道路を横切るように止まっていて、車が先に行けないようになっていた。

運転手はハッハと笑いながら、ここでおしまいと客を降ろす。どうやってこの先に行くのだと聞くと、モトタクシー(バイクタクシー)と客まちしているバイクを指さす。バイクの運転手らは15ペソ(たまにボリビアーノではなく、古い通貨名のペソを使う人がいる)などと言ってくる。

とりあえず目の前のトラックの向こうに行こうとリュックを背負って、路肩を歩く。

トラックの向こうにはやはりバイクタクシーが待っていた。見える限り道路が続く先は両脇に畑があるだけ。まだ集落らしきものが見えない。なので、バイクタクシーのおじさんにサンファンに行きたいと伝え、運賃を聞くと10ボリビアーノと言うのでそれに乗ることにした。

バイクは125ccくらいのバイク。リュックを運転手と自分の間に挟み、多少はみ出しつつも乗る。5分ほど走ると路肩に馬の死骸があった。

さらに行くと、道ばたに大型トラックがずらりと停まっている。工場かなんかからの搬出待ちかと思っていたら、その先にまたトラックで封鎖されている箇所が現れた。運転手と思われる男たちが検問をしており、1ボリビアーノを払えなどと言っている。数人は角材を手に持っている。

ただ、雰囲気は別に険悪ではなく、すんなりと通る。しかし、それからが大変だった。もう1カ所検問があり、そこも運転手がカネを払ってすんなり通ることができたが、その後はトラックに邪魔されて道路上にまったく通る隙もない箇所が10カ所近くあり、そういうときにはバイクから降りて、リュックを持って路肩の草地の斜面を歩き、バイクもそこを注意深く通って、また道路に戻ってしばらく走り、そしてまた路肩の下を通りというのを繰り返すのだった。

あまりに封鎖されている箇所が多いので、これは引き返した方がいいかもと思い、運転手に声をかけるがもうすぐそこだからと言うので、そのまま難儀しながら進む。

そこへ最悪なことに雨が降り出す。慌ててリュックカバーを取り出し、でかいリュックにかけるものの、残りの小さいリュックなどにかけるものがない。自分もかぶる雨具がない。

しかし、もうすぐだという運転手の言葉を信じて、乗り降りを繰り返しながら進む。途中、糞尿のにおいがするなと思ったら、牛が10頭ほど荷台に積まれたままのトラックが数台あった。

そしてようやく抜けたと思ったところで、バイクは角材を持った男につつかれて停まる。男の人はどうも活動家らしい。同じようにポンチョタイプの合羽を着て角材を持った中年男が3人ほど見張るように立っている。

たどり着いたところは三叉路になっていて右脇にはBienvenidos Santa Rosaと書かれた看板があり、サンファンではないことは明らかだった。角々に家が数軒あり、多くの人がそうした家や木の下で雨宿りをしていた。三方向からの道路それぞれの路面には廃材などが敷かれ、車が通れないようになっている。どうもここがバイクのおじさんが考えていた終点らしいし、この先も周りを見渡した限りでは行けそうもない。

ぼくは荷物を抱えて雨宿りしている人たちの中に入り込む。そこに立っている人たちは、早くこっちに来いというような雰囲気で迎えてくれる。見張りをしている人にたまに声をかけていたが、そのやりとりを見ている限りでは、活動家の人たちとは一線を画しているしている人たちで、ぼくと同じように先に行けずに待ちぼうけをしているだけのようだった。

ここについたのが13時過ぎ。モンテーロからの車を降りたのが12時過ぎだったから、バイクで1時間近く来たことになる。

雨宿りしている人たちが話しかけて来て、どこから来たのか、どこに行くのかというようなことを聞かれる。サンファンまでここからどれくらいかかるか聞いたら、2時間くらいかかるという。それを聞いて、サンファン行きは諦める。

雨は徐々に強くなる。そのうち落ちてくる滴が頻繁になったので、ほとんどの人が近くの家に移動した。ぼくは木の下で待つ。

1時間待ったものの、雨は弱まる様子はないし、道路封鎖の方は、新たにトラックで廃材が運ばれてきてより強化されている。バイクタクシーに乗ろうかと思ったが、ぼくがここに来てから以後、ぱったりとバイクが来なくなった。

ジャンパーもすっかり濡れ、やや寒くなってきたので戻ることを決める。何台か停まっているバイクがあったから、そこまで行って運転手を捜すがいない。

そのため歩くことにする。が、来たときの感じでは1kmや2kmの距離ではない。歩いていくとなると2~3時間はかかるなと思いつつ、でもほかに歩いている人もいるからと思い、歩き出す。

トラックの下で雨宿りをしている人が数人。トラックの運転手らは車の中でのんびりしている。

降りつける雨の中歩いていると、バイクの音がしてすれ違う。よりよって歩き始めてからバイクが来るとは・・・ああ。

向かいからきた同じように歩いているおじさんから、まだ続いているかと聞かれる。

20分ほど歩いた頃、後ろから来たバイクタクシーの運転手が次の封鎖地点まで行けばバイクタクシーがあるというようなことを追い越しざまに教えてくれる。

それで少し気分的になる。

確かに次の封鎖しているトラックの向こうに行くとバイクタクシーが5台ほど停まっていた。こんなところで待っていずに、向こうまで来いよな、と思いつつ、一台のバイクに乗る。今度のバイクはロープを持っていたので、リュックを最後尾に横にしてくくりつけ、ぼくは運転手の後ろに座る。

やっぱりバイクは早い。ここまで来てやっと雨が弱まる。路肩したのどろどろの斜面を数度通り、検問地点を2つ通過し、やっと入り口の封鎖地点に戻る。

歩いて30分、バイクで30分だった。バイクの代金13ボリビアーノ(約200円)。これだけあれば2食食えるのに、と思いつつ支払う。

入り口地点では、サンタクルスやモンテーロに行く乗合タクシーの運転手がそれぞれ行き先を叫びながら客引きしていた。

サンタクルスまで15ボリビアーノ(約230円)と言われ、高いと思いつつもしょうがないので乗り込む。そして大きくため息を1つつく。

同じように雨に濡れた夫婦が乗り込んでくる。子ども3人、大人4人を乗せ、車は発車。

サンタクルスと言ってもまたこの間のように、わけのわからないところに着くんだろうなと思っていたら、そのとおりだった。しかも途中で降りた夫婦が液体状の食い物をぼくのリュックの上にぶっかけたまま出ていく。

運転手にターミナルまでいくらか聞くが、行く気がないらしく降りるよう言う。

なので、リュックをおろし、別のタクシーをつかまえる。今度の運転手にいくらか聞くと15ボリビアーノなどと言ってくる。あんた1時間以上離れたところから15ボリビアーノで来たのに、15分もかからないところまで行くのにいくらタクシーとは言え、そんなかからないだろと思い、10ボリビアーノにしてと言うと、ちょっと考えてからそれでOKしてくれた。

運転手は幸い気のいい人でいくつか話しかけてくる。ターミナル前の宿に来たが、ここもけっこうな雨が降ったらしく、道路の一部が水没している。

濡れないところで降ろしてもらい、また同じホテルにチェックイン。もう顔なじみになったフロントのにいちゃんは、おおっと笑っていた。

新たな部屋に行き、荷物をベッドや机の上に広げる。ロープを張って、シャツなどを干す。

幸いでかいリュックの中の本は無事。ただ小さい方のリュックに入れていた本が数冊濡れていた。ああ。

夕方屋台で鶏の首とどろどろになった米が入っているスープを食べる。3ボリビアーノ(約50円)。その他、きりたんぽそっくりの焼き方をしていたキャッサバのちくわ的なものを食べる。食感はやわく、味はチーズ味だった。

夜は早々に寝てしまう。

Fin

ブラジルビザ受領、バスのキャンセルできず

08/06/11(水)

・ビザ受領
・バスのキャンセル

涼しい朝。外は雨が降っていた。9時前まで日記書きなど。

9時前に宿をでる。宿の前の露店地帯では、朝飯をそれらの露店で食っている人たちが20~30人ほど。仲間に入ろうかと一瞬考えるが、ビザを取るのが先だと、小走りでバス乗り場に行き、中心部行きのバスに乗る。1.5ボリビアーノ。

中心部は相変わらずの渋滞。30分近くかかって、ブラジル大使館近くの道に出る。

領事部の窓口に行き、申請時にもらった受け取り用の紙を出すと、窓口の女性は後ろに並べられていたパスポートなどの中からぼくのものを取り出し、無言でパチンと置く。

提出していたパスポートと黄熱病の証明書を受け取り、ビザを確認。2002年にとったグルジアのビザには劣るが、ブラジルのビザもなかなかかっこいい。

中心部まで歩く。昨日、移民関係の情報をネットで見ていたら、サンタクルスにOkinawaの共同組合がやっているスーパーがあるというので、それを探して歩く。ホームページに載っていた住所とインフォメーションでもらった地図を頼りに歩く。

それほど迷うことなく到着。表に駐車場があるため、通りの角からは直接見えないが、正面まで行けばでかでかと看板があり、日本語が見えた。隣には”納豆あります”などと日本語で書かれた看板を出している三浦商店がある。

スーパーは予想していたよりも大きかった。売り場面積はイグアスの農協スーパーと同じくらいか。

中にはいると6つほどの店に分かれていて、そのうちの1つは沖縄食堂で、ソーキソバなどが食べれるようだった。ある店に入ると入り口正面にどどんとお茶漬けが売っていて、中に入ってみると日本で売られているお菓子や食材、しょうゆなどの調味料、箸などがあった。箸がほしい気もしていたのだが、300円近くすることもあり、断念。

朝飯代わりにソーキソバを食べようと、店にいた年輩の女性に日本語で声をかけると、まだ準備ができていないとのことで、出直すことにした。

隣の三浦商店に行くと、日本のテレビ番組のDVDや雑誌が売られていた。ジャンプやサンデー、マガジンもあり、しばらく口が開いたままになる。

その近くには韓国人がやっている店があり、こちらには韓国のりからコチュジャンから、また魅力的な商品が並んでいる。

近くが昨日も来た市場になっており、ソーキソバの準備ができるまでその辺りをふらつく。降っていた雨は小雨になっていた。

合羽を買おうかとある店で値段を尋ねると50ボリビアーノ(約700円)。わりとしっかりしているものだったので、どうしようか迷うが、とりあえずパス。

昨日は終わっていた生鮮市場の建物の中に入る。隣の服屋ばかりの建物は見たが、こちらはまだだった。中に入ると生肉のにおいがし、ぶら下げられた豚らしき肉の塊や洗面器のようなプラスチックの桶に山盛りにされた鶏の各部位がずらずらと見える。

売られている鶏を見ていると、売っていないのは鶏冠(とさか)と毛くらい。目をつむった鶏の頭部ばかりを集めた桶もあるし、心臓だけ集めた桶もある。

奥に行くと今度は牛。店の屋根代わりのパイプに釣り針のような形をした大きなひっかけ鉤(固有名がわからない)がかけられており、そこに大きな心臓が4~5つぶら下げられている。心臓から伸びている太い血管にその鉤をひっかけており、血管の強靱さに驚く。

肉屋が集まっている一帯の隣は食堂街。だが、まだ準備中のところばかり。見てまわっていると、東洋系のおばさんがやっている店があり、そのおばさんがスペイン語で話しかけてくる。日本人かと聞いてくるので、そうだというと、サンタクルスに住んでいるのか、それともサンファンか、それとも旅行者かと聞いてくる。おばさんにどこの人か聞くと、”Chino,Taipei"と答える。

何か食べるかというので、せっかくなので食べることに。鶏のスープやワンタンスープもあると言うが、フライパンに焼きそばのようなものがあったので、それを指さすと”ラーメン?”と言う。焼きそばをラーメンと台湾では言うのか、と不思議に思いながらそれを注文する。注文すると”con Arroz? ゴハン(ご飯という日本語を知っていた)?”とゴハンを付けるか聞いてくる。それは断る。

しばらくして平皿に見た目は完全な焼きそばが出てきた。それも箸付き。味付けも日本の中華料理屋で食べる味と変わらない。ただ、麺がこちらの一般的なスパゲッティのようにふにゃふにゃ。これにはなかなか馴染めない。

遅れて小皿に鶏の唐揚げが満載されて出てくる。これもセットらしい。またこの唐揚げの揚げ具合が中華的で、パリパリ。中米でもさんざん鶏の揚げ物を食ったが、そうしたものとは全然違う。あとで揚げている様子を見たが、中華鍋に油を入れてすごい勢いの火にかけて揚げていた。やっぱりこれでなくちゃ、と思ってしまう。

10時半を過ぎたので、さっきのスーパーOkinawaに戻り、ソーキソバを食う。20ボリビアーノ(約300円)は、ボリビアにしてはちょっと高いけど、日本の沖縄で食べるより安いのが不思議だ。味はこれまで食べたことのある味とはちょっと違ってスープの油っぽさが少なかった。天ぷらがのっていたのも初めて。客は他に日系らしい老年の夫婦がいるのみ。

食後、ブラジル行きのチケットをキャンセルしようとバスターミナルに行く。100米ドルはやはり高いし、ビザも取れたので、バスはキャンセルして鉄道で行くことを思いついた。料金は国境まで安い席が10ドル足らず。

ターミナルのバス会社に行ってキャンセルしたい旨を伝えると、そこにいる人は対応してくれずちょっと待ってと言われる。20分ほど待ったらおじさんが来て、対応してくれるが、今は返金できないから16時また来いと言う。

午後はサンファン移住地に行く予定をしていたのに、これでパー。まったくどういう組織になってるんじゃ。

16時になり、その窓口に行くと、また対応してくれる人がいない。そこにいた女の人は、パソコンでディズニーアニメを見て笑っているし、他にいる3人の中年の男女も椅子に座っておしゃべりしているだけ。いらいら。

30分ほどして昼間いたおじさんがやってきて、電話しても売った人につながらないから明日来いなどと言い出す。さらにチケットはキャンセルとすると30%減額になる。つまり返金額は70%になるという。おじさんはチケットにかかれてあるNotoという部分を指さし、ここにそう書いてあるという。

3割もとるなんて、アホか。だいたいあんたらパソコンも使っていないんだから、キャンセルの手続きなんて紙に書いたぼくの名前を消すだけだろうが、といらいら。会社の組織としてはグチャグチャ(のように感じる)のくせに、こういうところだけはちゃっかりしている。

念のためにとおじさんが携帯電話で担当だった人に電話すると、つながった。そして、ここに来いというようなことを言う。しばらくしてぼくがチケットを買ったときに応対したおじさんが来る。

ぼくがキャンセルしたいというと、理由を聞き、そして、キャンセル料が30%かかる、このバスであれば国境もすぐに通れるといったことなどいくつか言う。スペイン語だから当然、言っていることのすべてがわかるわけではない。

たぶん、電車とバスを乗り継いでいけば、半額くらいで済んだのだが、キャンセル料で30米ドルも取られるのはしゃくだし、どうも一番高級な部類のバスということがわかり、結局日付を前倒しにしてもらうだけにした。しかし、ボリビアで高級と言っても、チリやメキシコ、アルゼンチンの2等にも届かないことは容易に想像される。まぁ、当日のお楽しみだ。

というわけで、この日は予定が大いに狂う。やれやれ。同じ宿にもう1泊。

夜になると宿の前の通りには屋台が出て、肉を焼くにおいが漂う。

Fin

コロニアオキナワからサンタクルスへ

08/06/10

・資料館
・スナックタカラ

朝起きてみると2カ所ほどやられているのだった。今でこれだから、移住してきた当初は相当なもんだったろう。ボリビアやペルーではアンデスの高地に多くの人が暮らしているが、蚊だけを考えてもそちらの方がずっと暮らしやすい環境なのではと思う。

8時頃、宿の人が来て宿を出るように言われる。えっ? と思い、12時までいたいんだけどと言うと、しぶしぶOKしてくれる。やはりここは宿ではないらしい。昨日チェックインしたときも宿帳に名前を書いたりしなかったから、こうしてたまに来る人を受け入れているだけのよう。

9時頃、宿を出る。宿は入り口が閉まっていたため、宿の人に言って開けてもらう。

昨日は汗が出るくらい暑かったのに、今日は涼しい。気温は20度前後くらいだろうが風があるから半袖では寒い。曇り。

日本人学校の隣の敷地にある資料館に行く。そこには文化センターと資料館と慰霊碑が建てられていて、文化センターも資料館も想像以上に立派な建物だった。

資料館に行ったものの入り口が開いていない。開館時間などを書いた張り紙を見ると、この時間は開いているはずなのだが、中を覗いても誰もいない。

なので、文化センターに行き、その事務室にいる人に訪ねる。文化センターには日系の人らしい女性が3人ほどいた。窓口に行って資料館を見たいんですが、と言うと、ちょっと待っててくださいと年輩の女性が若い女性に目配せして、その女性が鍵を持って出てきた。

無言で資料館までの30mほどの道を歩き、無言でドアの鍵を開けてくれる。そして、見終わったらまた知らせてくださいと言って文化センターに戻っていった。ちなみに言葉は沖縄のイントネーションだった。

入り口を入ると、正面に移住地の模型と沖縄からの航路を描いた地図があり、脇の柱には当時の沖縄の新聞記事のコピーが貼られていた。

また数年前に入植50周年を迎えたそうで、そのときの記念式典の様子を写した写真などの特別展示もされていた。

展示物は入植当時の写真や日本から持ち込まれた数々の道具などがメイン。

壁には入植当時からの出来事を書いた数メートルにわたるお手製の年表が貼られている。

写真は沖縄からの船上の様子(甲板で赤道祭りなどをしていたよう)を写したものから、ブラジルのサントス港について、サンタクルスまでの汽車での移動の様子、そして開墾の様子など移住のはじまりからの様子がわかるものがあった。きちんと写真が残っていることに驚く。特にサントス港からの汽車での移動の様子は、当時の汽車が薪を燃料としていたため、その薪を乗客も一緒に途中で補給しながら走ったらしい。また途中では脱線もするなど、なかなか大変だった様子。なお、ブラジル沿線ではブラジル移民の人等から熱烈な歓迎を受けたらしい。

その他現物展示については、移住当初大活躍した測量機械や大きなノコギリ、医療道具をはじめ、沖縄から持ち込まれた馬車用の荷車、手巻き式の蓄音機(?)、尾崎きよひこや藤圭子らのレコード、サンシン、重箱などさまざまあり、興味深い。

中でも印象的だったのが、米軍の爆弾の空薬莢(?)を使った味噌入れなど、米軍由来のものがいくつかあったこと。

そもそもこの入植自体が戦争でボロボロになった沖縄の人の力になろうと、すでにボリビアに移民していた沖縄出身者が駆け回って実現したものだった。また当時、沖縄はアメリカの統治下にあったため、移民の手続きはアメリカ政府とボリビア政府が行っており、入植後も重機の提供などはアメリカ政府の支援だったという。

また、南米に移住した元炭鉱労働者のこと書いた上野英信の『出ニッポン記』には、ボリビアに早くに移住していた沖縄出身者は、当時のボリビアよりも沖縄の方がずっと厳しい状況にあることを知って驚いた、という話があった。

そうしたアメリカが絡んだ物などを見ていると、米軍の沖縄上陸がなければ、おそらくここに移住してくる必要はなかった人たちだったのではと思えてくる。

資料館の隣に立つ慰霊碑には、ここで亡くなった数百の人たちの名前と年齢が刻まれている。さすがに沖縄らしく、90歳や100歳まで生きた人がちょこちょこいる。一方で、1歳や3歳、16歳や20歳など若く(幼く)して亡くなった人も相当数いた。

沖縄から来たという来館者の感想には、展示品を見ていて涙が出てきたというものもあった。

一通り展示物を見て、文化センターに戻り、見終わった旨を伝える。それから文化センター内にある図書室を見学。1千冊はあるだろうか、文庫本や単行本などが並んでいる。タイトルを見ているとだいたい10~20年前の本が多い。ビデオの貸し出しもしているらしく、日本の番組のビデオも並んでいた。

また、琉球新報や朝日新聞、サンファン移住地の日本語の広報のようなものもあった。

そんなことをしているうちに12時近くになったため、宿に戻り、荷造りをして出る。大荷物を持って移住地を歩く気力はなかったため、車を拾ってサンタクルスに戻る。結局、ここでも地元の人とは話はせず。

モンテーロまで行き、そこでTrufi(乗り合いタクシー)を乗り換えるために降りる。カネを払うのを忘れたが、車はさっさと行ってしまった。

サンタクルス行きのTrufi乗り場のチケット売場には行列ができていた。ボリビアーノが少なくなっていたこともあったので、近くにあった銀行に両替に行く。

窓口のにいちゃんに20米ドル札を出し、両替を頼むとどこに住んでいるのかとスペイン語で聞かれる。自分としてはサンタクルスのホテルと答えたつもりだったのだが、どうも伝わらず。そのやりとりを見ていた店の若い女性がやってきて、”ニホンジンデスカ?”と聞いてくる。そうです、と答えると、”イエハドコ?”と聞いてくる。なので、サンタクルスのホテルと言うと、彼女はそれを聞いて窓口のにいちゃんにスペイン語でベラベラと伝える。

彼女は外見は日系ではなかったので、日本語を勉強しているのかと日本語で聞くと、”ウン、少しわかる。ここは日本人が多いから”と言う。

銀行に来る前にSnack Takaraという看板を出している食堂があったので、もしかしてあれも日本人がやっている店かと彼女に聞くと”ウン、そう”と答える。”はい”ではなく、”ウン”と言うところが、なんだかいい。

時間も12時だったので、Snack Takaraに行ってみる。店には客が6割方くらい入っていて、なかなか盛況。ぼくが入ると、店のおばさんが”こんにちは”と声をかけてくれる。一発で日本人とわかったらしい。

席に座るとそのおばさんが”何にしますか”と聞いてくる。ありがたいことに壁には料理の写真があったし、他の人が食べているのも見えたので、適当に指さして魚のスープを注文する。料理は日本食ではなく、地元風のものばかり。

料理を待っていると、小学生くらいの女の子が”ただいま”と言って入ってきた。娘さんらしい。見た目はボリビア人とのハーフっぽいが確認はせず。

スープに入っていた魚は身は鯖に似ていたが、川のにおいがした。海のない国だから川か湖のものだろう。

食べ終わってレジに行くと、おばさんが”旅の途中?”と聞いてくる。さっき帰ってきた女の子が横に来て、にこにことこちらを見る。ぼくのリュックを見て”でっかい荷物やなぁ”というので、おばさんに出身を聞くと沖縄と言った。沖縄は沖縄でもボリビアのOkinawaらしい。

宮崎出身の人はいないか聞くが、直接は知らないらしい。サンファン移住地にはいろんなところから来ているから、もしかしたらそこにはいるかもしれないと言う。

ちなみに女の子は、小さい頃は大阪にいたらしい。詳しくは聞かなかったが、大阪にはたくさんの沖縄出身者が住んでいるからその辺りに親戚でもいるのだろう。

この後のことを聞かれたので、”これからブラジルに行くんです”、と言うと、”ブラジルは物価高いよー”とおばさんは言う。

いろいろ聞いてみたいことがあったが、お昼時で忙しそうだったため、20分ほどで辞去する。

乗り合いタクシーに乗る。舗装された広いとおりを走り、1時間ほどでサンタクルスに入る。が、問題発生。この車はサンタクルスには行くが、サンタクルスのバスターミナルには行かないらしい。しょうがないので追加料金を払って、ターミナルまで連れていってもらう。モンテーロからサンタクルスまでの1時間近くが7ボリビアーノ(約120円)なのに、サンタクルス市内の15分ほどの移動で5ボリビアーノも取られる。くそおやじめ、と思いながらも、まぁ、100円くらいだからいいかと払う。

この間泊まった宿に行く。部屋は開いているかと聞くと、15時半になれば開くという。まだ1時間ほどあったが、フロントのソファで本でも読みながら待つことにする。昨晩眠れなかったこともあり、うたた寝。

16時になったが、ホテルの人は何も言ってこない。だいたいこちらの人は待っておけと言いながら、その後のフォローがない。まったく!と思いながら、フロントに行き、部屋のことを聞くと、すぐに"Vamos(バーモス:行こう)"と言って部屋を案内してくれる。親切なことにぼくのリュックを背負ってくれたが、その重さには驚いていた。

今度は3階の部屋。部屋に入ると、まだ前の人が出てから片づけがなされていない。荷物をおくと、ちょっと待っててとすぐにベッドのシートなどを変えてくれる。

16時を過ぎていたが、サンタクルスのマチナカに行ってみる。この間はビザの申請のためにバタバタと通り過ぎただけだったので、少しのんびり見てみる。

中心の広場から見て北北東にあるQuijaroという通り沿いに市場があった。見事な露店街で、それらのお陰で歩道で通れる幅も元の半分くらいになっている。パン(フランスパン、丸形のパンなど10種類くらい)、携帯電話機、時計、服、バナナ、みかん、牛か何かの内臓とジャガイモの炒め物、果汁を絞ったジュースなどごちゃごちゃ。露店と屋台で日常必要なものはなんでもそろい、三食違ったものを食えるくらい。

店舗の方は肉屋がずらっと並んでいたり、工具屋がずらっと並んでいたりと専門店街ができている。市場の建物もあり、3階建てくらいの建物の方には服屋がびっちりと入っている。

30cmくらいのフランスパン1個(1ボリビアーノ=約20円)を買って、かじりながらまちを歩く。

17時過ぎには暗くなってきたので、バス(大型のバン)に乗る。運転手にターミナル行きかを確認したのだが、ぼくが行きたかったターミナルとは違うターミナルのところで降ろされる。雨が強くなり始める。

そこでまたバスを探すが、目の前をいくつも通り過ぎるが乗りたいバスがなかなか来ない。

ようやっと乗ったバスも満席で立たざるを得ず、そうなると外の様子がわからないため(頭は天井につくくらいなので立っていると見えるのは道路の表面だけになる)、いつの間にか降りる場所を逃す。

どうせならこのたくさんの乗客がどこで降りるか見ようと思い、そのままのり続ける。乗客の入れ替わりはあったものの満員のまま1時間過ぎる。運賃の1.5ボリビアーノ(約30円)を考えるとやはり安い。これが日本のようにちょっとした距離でボンボン運賃が上がる仕組みだったら、こうしたこともできないだろう。

バスは舗装された幹線道路をずっと走っていたが、途中、未舗装のでこぼこ道を通る。その辺りが住宅地になっていて、一旦、そうした地帯を抜け、舗装された道路に戻ったものの、また縦に横に揺れる道を走る。そうした未舗装の道を行った先にちょっとした集落があり、バスが通る道沿いには3軒ほどの商店と同数くらいの食堂、屋台、それから1軒のゲームセンターがあった。

時間はすでに20時を過ぎていたが、店も開いていて、食堂で食事をしている人も多い。

予定では終点まで乗ったまま行き、そこでバスは引きかえすだろうから、そのまま乗り続ける形で帰ろうと思っていたのだが、終点らしきところまで来たとき、運転手が降りるように言う。

乗客はぼくの他にもう一人小さい子を抱えた女性がいたので、まだ終点ではないと思っていたのだが、どうもその女性らは運転手の家族だったよう。

運転手ターミナルまで行きたいと答えると、ちょっと座っておけと言って、バスをUターンさせ、さっき通り過ぎた店などがあつまっている通りまで乗せてくれ、そこで降ろされる。そして、別のバスがターミナルに行くからそれを待つように言われる。

そして、バスは家族3人を乗せて走り去ってしまった。

水たまりをよけながら土の道を歩き、道ばたの店を見学。1軒の店に入り、500mlのペットボトルの水を買うが、ペットボトルに商品名などが書いたシールなどが貼られていなかったので、どうも中の水をつめなおしたものらしい。

その店では、10歳前後の男の子が何を探しているのかとすぐに応対してくれる。その子の親らしい人も店内にはいたが、子どもに一部は任せているよう。

他に遊びに来ているのかやはり10歳前後の女の子が2~3人いて、何か話ながらこちらをじろじろと見ていた。

買い物をしていたら、バスが来たので急いで道路に出て、バスを止め、乗り込む。さすがにこれから中心部に向かう人は少ないようで、5人ほどしか乗っていない。

運転手はでこぼこした道を果敢に攻める。ハンドル裁きを見ていたが、右に左に小刻みに動かし、それほどスピードを落とさずに走り抜ける。運転はなかなかうまいが、それでも上下左右の揺れは大きく、時折座席から尻が浮く。

乗客は20分もすると、ぜんぶ降りてしまった。残ったのはぼくと、運転席の横に座っている若い女性だけ。彼女は運転手の恋人らしく、客がいなくなると二人で親しげにおしゃべりを始める。おしゃべりするのはかまわないのだが、さっき攻めていた道よりも走りやすい道に出ているのに、運転手はなぜか車のスピードを落とす。

おそらく時速20km程度。トロトロと運転しながらひたすらしゃべっている。やれやれ。

黙ってみていたら、とりあえず話したいことは話し終えたのか、しばらくして音楽のボリュームを上げ、またスピードを上げて走り出す。幹線道路に出たあとは、まわりのスピードに合わせることもあるからだろう、再び遅くなることはなかった。

おしゃべりを終えた運転手が"Amigo,para donde(どこまで)?"と聞いてくる。ターミナルまでと伝えると、近くに着いたときに教えてくれ、そこで降ろしてくれた。

宿に着いたのは22時頃。だが、露店などは遅くまで開いているから、パラグアイのアスンシオンと違って人気がなくて怖いということはない。

こちらの宿には蚊はいないので、昨晩のような闘いは不要。ゆっくり眠ることができる。

Fin

ブラジルビザ申請、コロニアオキナワへ

08/06/09

・面倒なビザ申請
・コロニアオキナワへ

7時前に起床。蒸し暑くて眠れないかもという予感はどこへやら。けっこうきちんと眠ることができた。干していた洗濯物も一晩で乾いてくれたし。

しばし日記書きと『逝きし世の面影』。

10時前にチェックアウトの時間を確認してから、ブラジル大使館に向かう。チェックアウトは14時。それまでにビザの申請を終わらせなければならない。

宿の前の、つまりはターミナル前の道路で中心街に向かうバスを探す。74番などさまざまな番号を付けているバスが走っていて、どれがどこに行くのかまったくわからない。フロントガラスに行き先を書いているものもあるが、それがどこなのかがわからないから、ぼくにとっては意味をなさない。それにそれさえも書いていないバスもある。

バスと言っても車体はミニバンで10数人が乗れるだけ。ときおり、自動扉とドアに書いたバスが走っているから、ポトシと同じように日本からの輸入ものがけっこうあるようだ。ただ、車体はたいてい改めて塗装がされてあるので、ポトシに比べれば車体に日本語を書いたまま走っているバスは圧倒的に少ない。

同じくバス待ちしているおばさんにどのバスが中心部に行くか訪ね、教えてもらったバスに乗る。運賃は1.5ボリビアーノ(約30円)。パラグアイではバス代は日本でだいたい60円くらいだったから、ボリビアはその半分。改めて安いと感じる。

地図を見ながらバスの走っているルートを追っかけるが、ターミナル周辺の道路が載っていなかったこともあり、どこを走っているのかしばらくわからず。15分ほどして、道ばたの道路名を書いた標識から現在地がわかる。

中心部に入るとバスは渋滞に巻き込まれ、のろのろ運転になる。歩いた方が絶対早い。

ブラジル大使館に近いところで降り、歩いて大使館に向かう。

道すがら朝飯代わりにサルディーニャともちもちしたパンを買う。サルディーニャはカレースープのパイ包みみたいなもので、これがなかなかうまい。4.5ボリビアーノ(約70円)。パンは小さめのものを買い、1ボリビアーノ(約15円)。

チリやアルゼンチン、またパラグアイと比べても、ボリビアは道ばたで買える食べ物が豊富で、かつ安いからカネのない者にとっては非常に助かる。

ブラジルの国旗がはためいていたので、大使館の位置はすぐにわかる。大使館の領事部はドアがあけはなたれていた。中に入るとアフリカ系の若い男性が1人と中国系の夫婦らしいのが1組、あとヨーロッパ系の人が2人ほどいる。

窓口でビザがほしい旨を伝えると、申請用紙をくれ、黄熱病の予防接種証明書やチケットをもっているか聞かれる。やはりチケットはないとだめらしい。ただしバスのチケットでいいよう。それからビザの発給料金の50米ドルをBanco do Brazilで払ってくるよう言われる。窓口のガラス窓にはその住所が書かれている。ここの通り名とは違うので、どこか別の場所にあるらしい。

まずはバスのチケットを買わなければと思い、その前に銀行に行き、60米ドルぶん両替をする。レートは1米ドル=7.1ボリビアーノ。

それからツーリストインフォメーションに行って、Banco do Brazilのある通りを教えてもらう。その際、まちの地図をもらい、そこに書き込んでくれる。これがなかなかの地図で通り名がしっかりと書き込まれ、また広い範囲をカバーしているのでガイドブックのものよりよほど使いやすい。

それからバスターミナルに戻る。どの通りをバスターミナル行きのバスが走っているかわからないため、適当に見当をつけて歩く。途中、道ばたで寝ている人が4人。うち二人は親子のよう。あるとおりの壁にはスプレーでEvo(現在の大統領のこと)がどうのと落書きがされていた。たぶん悪口なのだろう。

何台かのバスに行き先を訪ね、ようやくターミナル行きに乗ることができる。

バスターミナルに行き、ブラジル行きのバスを探す。2社くらいしかないようで、そのうち1社でチケットを買う。ブラジルのカンポグランデまでの料金は100米ドルと言う。距離からすると60米ドルくらいだろうと思っていたのだが、やはりブラジルだからか、高すぎる。しかし、ビザを取らないと行けないので、その場で購入。しかも米ドル払いでもよかったため、さっきの両替の時間が無駄になる。

また、バスに乗って中心部に向かう。今度はBanco do Brazilへ。これはブラジル大使館のまだ向こうだったので、またブラジル大使館近くでバスを降り、歩いて探す。

これがけっこうな距離で、ブラジル大使館からは歩いて20分ほどかかる。この辺りは高級住宅街なのか、豪邸がちらほら。また、Collegeo Aleman=Deutche Shule(ドイツ人学校:スペル要確認)がある。建物だけ見たときは高級なアパート群かと思ったが、それが校舎のようだった。3階建てくらいでよく手入れのされた建物が数棟並んでおり、ボリビア的な雰囲気からはみ出している。

住所はわかっていたものの、それがどこにあるかはわかっていなかった。大使館で教えられた住所はサンマルティン通り1700番地だったが、サンマルティン通りを歩いていたら途中で道路名が変わる。地図を見てもまだサンマルティン通りにいるはずなのだが、標識に書かれてある道路名は別のものになっている。なんなんだ、と思い近くにいた警備員に聞くと、確かにここはサンマルティン通りだと言う。どうも同じ通りに2つ名前があるらしい。

そうして12時過ぎに目的のビルに到着。12時から昼休みに入るのではないかと心配していたのだが、しっかり開いていた。

近代的なビルの1階では大使館と違って身分証明書の提示を求められる。エレベーターで4階に行くと、小さなオフィスがそれだった。中にはブラジリアンらしき人等が10名ちょっと。窓口は一つしかないため、しばらく待つ。その間、備え付けられていたミネラルウォーターで喉をうるおす。

40分ほど待って、やっと順番がまわってくる。片言スペイン語でビザ代を払いたい旨を伝えると、いくら?と聞かれる。ビザ代など相手も知っているだろうと思っていたので、ちとビビる。50米ドルを払うと、領収書を出してくれる。これに自分のサインをし、1枚は銀行の控えになり、1枚が大使館に出すものとなる。

13時前に終えたが、次の心配はブラジル大使館が何時まで申請を受け付けているかだった。不覚にもさっき確認するのを忘れた。多いのは9時から14時だが、場所によっては違ったりする。

早足でブラジル大使館に向かう。無事、まだ開いていた。

まずは記入用紙を英語のものに取り替えてもらう。さっきもらったのはスペイン語とポルトガル語の併記で、しかも辞書を持参していなかったため、さっきの待ち時間で書こうかと思ったら単語がわからず書けずじまいだった。

自分のボールペンで記入用紙を埋める。立ち止まった途端に汗が噴き出してくる。

今回の旅でビザを取るのは中米のベリーズに次いで2度目。あそこもビザ代が60米ドルと高かった。ただ、国境ですんなりとれたので手間はかからなかった。一方のブラジルはこの始末。面倒くさい。記入用紙も両親の名前や国籍、勤め人ならその勤め先名と住所、電話番号まで書く欄がある。

申請用紙を埋めて、パスポートと3cm×4cmの写真1枚、黄熱病の証明書、バスのチケットを添えて窓口に出す。すると、これだけではダメだといい、クレジットカードはないのかと聞かれる。クレジットカードはないがキャッシュカードはあったので、それを渡す。

するとカードとバスのチケットはコピーをとって返してくれる。そして、6月11日に取りに来るよう書いた紙をくれる。

これでようやっとビザの手続きは終わり。次は宿のチェックアウト。14時のチェックアウト時間まであと20分しかない。

またバスを探してターミナルに向かう。さっきのバス代でボリビアーノがすっかりなくなってしまったので、バスターミナルの両替所で両替。

それから宿に戻り、荷造りをする。荷造りをしている途中、泊まっていた部屋の廊下から見える屋根に50ドル札が引っかかっているのが見える。おおっ!と思い、手元にたぐり寄せる。50米ドル札が全部で4枚!ラッキーなんて思う前に、すぐに偽札だとわかる。インクが薄く、紙の質も悪い。どうせ作るならもっと精巧なやつを作れよな、と思いながらゴミ箱に捨てる。

2時半くらいにフロントに行く。すると、もう1泊ぶんの請求はなかった。1泊ぶんの25ボリビアーノ(約400円)を払って、またバスターミナルに行く。

ターミナル内の地下道を通って反対側に乗り合いタクシーの乗り場はあった。まずはMontero行きに乗る。運転手に運賃を聞くと7ボリビアーノ(約120円)だと言う。それを聞いて乗り込むと、他に乗客を乗せることなく、発車する。普通なら満席になるまで待つはずなのだが、おかしい。

走り出してから運転手が、一人で行く場合には35ボリビアーノ(つまり5人ぶん)だと言う。35ボリビアーノも持っていないと言うと、いくら持っているのかと聞かれる。それは無視。すると、運転手はとにかく乗り場に行こうと言う。その言葉の意味がわからなかったが、しばらくして別の場所で車は止まった。

どうもここがその乗り場らしい。他にもタクシーが止まって客引きをしている。運転手は急がないことをぼくに確認し、じゃあ、ここでしばらく待てと、彼は車を降りて、モンテーロ、モンテーロと声を出し、客集めを始める。

15分ほどで客は集まる。普通の乗用車なのだが、後部座席に3人、助手席に2人乗ってやっと出発。

車は舗装された道路を走る。ぼくは寝る。

気がつくと別のまちに入っていた。他の客がところどころで降りていく。モンテーロのまちもなかなかのもんで500mくらいの中心商店街には空きなく店が並んでいて、人通りも多く活気があった。

その通りでぼくは降ろされる。降ろされたところがOkinawa行きの乗り合いタクシーTrufiの乗り場だった。すぐに車を乗り換える。

車はまた他に客を乗せることなく走り出す。が、200mほど行ったところで停まる。運転手が降りてきて、こっちの車がオキナワに行くからと乗り換えるように言う。

乗り換えた車は新車っぽいランドクルーザータイプの車。窓にはタクシーの番号とOKINAWAと書いたシールが貼られていた。

すでに4人の客が乗っていて、ぼくが乗るとすぐに発車する。

車は途中、自動車部品屋でバンパーらしきものを積み込み、また給油をしながらオキナワに向かう。

オキナワに向かう道は一本道。両脇には広大なサトウキビ畑が見える。収穫が終わったあとの畑には牛が放たれていて、また一部の畑は焼かれていた。対向車線から10トンはあろうかというどでかいトラックがサトウキビを満載にして走っていく。

モンテーロを出てから約1時間ほどたった頃、目の前に”めんそーれ オキナワへ”(だったか?)と日本語で書いた看板が見える。

しかし、辺りは畑ばかりでたまに家がポツポツと現れるだけ。椰子葺き屋根の家が多く、中には壁も板を横に並べただけの簡素な家もある。屋外に水道施設があるようで、洗濯や炊事をしている姿が見られる。

5分ほどしてまとまった集落に入る。左手に巨大な工場が見え、日本語もちらほら見える。

道路沿いには不揃いの店構えをした商店が見える。

乗り合いタクシーのターミナルで降ろしてもらう。さて、宿探し。

ターミナル隣にPension Ryukyuと書いたところがあったので、そこに行き泊まれるかとスペイン語で聞くが、何がほしいのかと話が合わない。それでここはホテルじゃないのかと聞いたら違うと言われ思い出した。
ボリビアではPensionと言うと食堂のことで、宿泊施設ではない。

それでどこに宿があるか聞くと向こうにあるというので、そちらに行く。看板も何も見えないので、雑貨店に入り、”Hola(こんにちは)"と店の人に声をかけると、”はい、こんにちは”と日本語で返ってきた。

宿はどこですか、と店の女性に聞くと、その女性は旦那らしい男の人に、どこにするかね?と聞く。男の人は”2軒向こうにあるよ”と教えてくれる。

2軒向こうに行く。看板も何もないが、建物の入り口にいた女性に部屋があるか聞く。すると面倒そうに案内してくれた。案内された部屋は4畳半ほどの広さにベッドがあるだけ。ちとカビ臭い。鍵はない。シャワーとトイレは共同。1泊25ボリビアーノ(約400円)。

荷物をおいて外にでる。すでに日は傾いていた。とりあえず幹線道路沿いを歩く。途中、日本人学校の前に行くと、掲示板に運動会の案内が書かれていた。敷地内を除くとダンスか何かの練習をしている子たちがいる。

ここ第1移住地に加え、さらに第2と第3があるというから、パラグアイのイグアスよりもずっと大きい。歩いてまわるのは数日の滞在じゃほとんど無理。

また、予想以上に日本人比率は低い。歩いていて見かけるのはいわゆるインディヘナ系のボリビア人ばかりだ。この後、ネットで見てわかったが、ここオキナワはボリビアでも模範農村として知られ、ここに仕事を求めて多くの人が流入したらしい。

幹線道路から一本奥に入れば、未舗装の道路。椰子葺きの家がちょこちょこある。道と家の間には底の浅い堀が掘られているが、そこには汚れた水がたまって黒白くなっており、どぶになっている。蚊の絶好の生息地になっていそう。

電気はどの家にもひかれているようだが、排水施設が不十分なように見える。道ばたでは自転車に乗ったり、飛び跳ねたりして子どもたちが遊んでいる。こうして子どもが数人の集団で道ばたで遊んでいる姿は久しぶりに見たような気がする。子どもたちを見る限りでは、ここはけっこう豊かな地域に思える。

その裏通りにネット屋があったので、そこでネットをする。日本語が読める。8歳前後くらいの男のたちが5~6人パソコンでサッカーのゲームをしたりして遊んでいる。ぼくがネットをしていると4~5歳くらいの男の子が横に来てにこにこしながらこっちを見ている。そのこの方を向くとスペイン語でなにやら言うがその仕草で、ぼくの髭を面白がっているようだった。

ネット屋を出たときには外は真っ暗になっていた。幸い外灯はあるから道を歩くのには困らない。

幹線道路に戻り、晩飯屋を探す。串焼きの屋台も含めれば10軒以上食べることができるところはあった。

雨がぱらつき始める。宿近くの店にはいる。メニューなどは書いていないので、何があるかと聞くが、答えを聞いてもよくわからない。適当に頼み、出てきたものを食べる。

出てきたものは平皿の半分に冷えたライス、半分にマカロニがあり、その上からカレーのような汁がかかっている。具は鶏のセセリ(首)とどっかの切れ端、ジャガイモ、ピーマンと人参のかけらが少し。ラパスでもよく見た炭水化物ばかりのボリビアらしい食い物だ。

8時を過ぎるとほとんどの店は閉まった。宿に戻るとNHKの日本語が聞こえてくる。

土まじりの汚い床のシャワールームでシャワーを浴びる。もちろん水シャワー。排水口が詰まっているらしく、足下に水がたまる。やれやれ。

店の女の子がNHKのおしゃれ工房(竹製品)を見ていたので、日本語ができるのか聞いたが、できないとのことだった。

部屋に戻ってからは『逝きし世の影』を読みながら蚊退治。2~3匹始末していなくなったかと思ったら、始末する度に別の蚊が現れる。だいたい部屋は廊下や隣の部屋と壁で隔てられていない(壁はあるが天井までは届いていない)から、壁の上を通ってだろう、蚊が次々と入ってくる。

20匹ほど始末して横になるが、すぐに別のが現れるので、羽音がするたび目が覚め、成敗する。

結局始末した蚊は30は越えただろう。

Fin

サンタクルスに到着

08/06/08

・真夜中の国境越え
・サバンナの風景
・にぎやかな路上

すっかり寝込んでいたのに添乗員の声で目が覚める。こんな夜中になんだなんだと思いながら、体を起こす。前の方に座っている客が座席を立ち、バスから降りようとしていた。座ったままの人が何人かいたので、トイレ休憩かと思い、ぼくはそのまま座っている。

しかし添乗員のにいちゃんが回ってきて、降りるようにいう。イミグレがどうのと言っているから、どうも国境に着いたよう。

時計を見るとちょうど2時。辺りに民家などは見えない。

乗客全員が、バスから降りてイミグレの小さなコンクリートづくりの建物の中に入る。質問もなく、出国手続きは終了。

またバスに乗る。ボリビアの入国手続きがまたすぐにあるだろうと思って起きていたのだが、30分たってもそれらしいところは見えてこない。他の客たちはまたすっかり寝込んでいるようなので、ぼくも寝ることにする。

道路は舗装されているようで揺れもなく、快調。横になっている姿勢が窮屈で何度か目が覚めるもののゆっくり眠ることができる。

次に起きたのは7時前だった。重い瞼を引き上げると、光が射し込んでくる。もう夜は明けたらしい。

日本の山の中ににた風景がしばらく続いた後、今度はパラパラと木々が見えるサバンナの風景になる。人が住んでいる集落は沿道には少なく、ほとんど見ることがない。

昼寝を何度かする。

サンタクルスに着いたのは夕方。まだ明るい。ターミナルはアスンシオンよりも大きい。

久しぶりのボリビア。ターミナルの敷地を出たところにある通りの向こうには屋台がいっぱい。う~ん、すばらしい! パラグアイのようなかごを持ったチーパ売りはいないが、移動式のガラスケースにパンを入れて売っている人がいる。こちらではトウキビの粉入りのパンも多い。

屋台が集まっているところにはホテルも集まっていたので、適当に何軒か料金を聞いて回る。そのうちの1軒に宿泊。1泊25ボリビアーノ(約400円)。

部屋はタイル張りの9畳ほどの広さがある部屋で、ベッドと小さな机、プラスチックの椅子があるだけ。でも、そこそこきれいでカビ臭さもなく、十分。

晩飯は屋台で食す。簡単なスープでちょっと冷め気味。でも値段は4ボリビアーノ(約60円)。安いなぁ。

夜は宿で。

Fin

2008年6月10日火曜日

沖縄いり

パラグアイをあとにして、昨日、再びボリビアに入りました。
昨晩はサンタクルスというまちに泊まり、今日の午前中はブラジルビザを取るためのもろもろの手続きをして、先程30分位前に沖縄に着きました。

参考
http://www.fenaboja.com/Okinawa/ok_tinku2005.html

サンタクルスの町から乗合タクシーで約2時間。予想していたよりもかなりでかい集落だったので驚いています。これもこの集落(というには大きすぎますが)にあるネット屋から書いています。1時間5ボリビアーノ(約90円)。早いです。子供たちが5人ほどいて、サッカーのゲームをしています。

明後日にはサンタクルスにビザを取りに行かないといけないので、ここには今晩だけ泊まり、明日はサンファンという移住地に行く予定です。

ではでは。

2008.6.9 17:55
Okinawa,Bolivia


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2008年5月10日土曜日

ウユニ入り

先程ウユニに入りました。この間、ツアー客を乗せた車が事故を起こしたところですが、客は今日もいっぱいのようです。

明日からツアーでウユニ塩湖を通って、3日後にチリにはいる予定です。普通のバスで横断できないかと思っていましたが、ツアー以外では湖の中には入れないとのことでこのようなことに。

ちなみにツアー代は2泊3日の宿代、チリまでの交通費、朝と晩だったかの食事付で80米ドルです。高いかどうかは終わってからの判断になりますね。

では

2008.5.9
Uyuni,Bolivia


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2008年5月8日木曜日

ポトシいり

3時間ほど前の朝5時半ころにポトシに着きました。今日は鉱山を見に行って、明日は午前中のバスでウユニに移動します。

予定していたアマゾンはあとまわしにして、ウユニからチリに抜け、そのままアルゼンチンの先っぽのウアシュアシュア(だったっけな)を目指す予定です。真冬にならないうちにパタゴニアに行こうかと。

では。

2008.5.8
Potosi,Bolivia

2008年5月4日日曜日

ラパス入り

現在、2008.5.3.午後6時20分です。
50分ほど前にボリビアをラパスに着きました。ラパスはキトなどと同じくでかいです。予想以上でしたね。

四方を山に囲まれており、一方には雪をかぶった山が見えます。確認はしていませんが、たぶん6000mくらいの山です。でも、ここが標高4000mあるので、あまり高い山という感じがしません。相変わらず高山病は問題ないのですが、標高が高いことによる胃の機能低下のせいか、ただの食べ過ぎか腹の調子が悪いですね。ガイドブックにも標高が高いところでは胃の機能が低下するので、ちょびちょび食べるようにというようなことが書かれていますが、地元の人と同じ量を食べると消化にかなりのエネルギーを要するようです。

ちなみにここのネット屋さんは1時間3ボリビアーノスです。1米ドル=7ボリビアーノスなので、ペルーよりちょっと安いくらいですね。店内にはゲームをしている男の子たちが3人ほど。いずれも10代半ばくらい。ぼくの右となりに入るやはり10代半ばくらいの女の子はぼくが入店した時からユーチューブで アニメ`
なると`のスペイン語字幕版をずっとみています。

今晩の宿は日本人が多い宿で1泊約4ドル。ロビーにはこそ泥と偽警官に気をつけるよう呼び掛ける紙が貼られています。クスコで聞いた話では、ペルーで治安対策が強化されたのをきっかけにクスコで活躍していた泥棒がラパスに流れたとか。

ボリビアは南米でも最貧国といわれており、物価も一番安いところです。ペルーと比べても安く、道ばたで売っているパンはせいぜい10円程度というところです。ですが、観光名所は豊富なので、ホテル街にはヨーロピアンや北アメリカからの観光客がごちゃごちゃいます。

ここには3泊ほどしてうまくブラジルのビザが取れれば、ブラジルにダメだったらポトシ銀山などに行く予定です。

では。

La Paz,Bolivia