2008.3.18(火)ー19(水)
6時頃おき、日記と荷物の整理。
8時半、郵便局に行く。宿を出ると昨日タクシーの約束をしたおじさんがすでに待っていた。
途中、メインストリートでパパイヤ4分の1カットを買う(15ドミニカペソ)。メインストリートは歩行者天国になっており、長いすなどが設置されている。その長椅子のところでは靴磨きの少年2人がすでに仕事を始めていて、若い20代くらいの男性やおじさんの靴を磨いている。郵便局に行き、葉書を出す。5枚で100ドミニカペソ(約400円)。
コロンブスの墓とコロンブス家の博物館に行こうと思ったが、遅れそうなのでやめる。結局、ここでは観光という観光はせず、ただ中学野球を見て、マーケットなどを歩いて、スーパーを見て、果物を食っただけになった。
銀行に行きカネをおろし、ユーロに両替する。手持ちのUSDはほぼなくなり、またハバナでのトランジット時にもしかして必要になるかもしれないとキューバでは有利なユーロにしたが、ドミニカペソからユーロはレートが結構悪い。ドルの方が良かったような。
道ばたを歩きながら蒸しパンらしきものを売っているおばさんがいたので、その人から買う(10ドミニカペソ)。食べてみるとトウモロコシの粉などを使って作ったプリンと蒸しパンの間のような食べ物。
宿に戻り、荷物を背負ってホテルを後にする。タクシーの運転手は外で待っていて、こっちを見て手を挙げる。よほど放したくない客らしい。後部座席にリュックをつみ、10時過ぎ発車。
しばらくして運転手が”テレフォン”と言って、ペンと紙を取り出す。自分のタクシーの名前らしく、ラファエロタクシーと言って、彼の携帯電話の番号を教えてくれる。また来たときにはそこに電話しろとのことらしい。たぶんもう二度と来ないんだよなぁ、と思いつつ、わかったわかったと彼に伝える。
コロンブスのどでかい墓のモニュメントの横を通り、海沿いの片側4車線の道路を走る。雲が多いものの、数日前と同じく海はコバルトブルー。すっかり凪いでいて、ときおりつりをしている人も見える。
30分ほど海を眺めながら走って、空港に到着。そこで700ドミニカペソ(約3000円)払う。30分走って、ドミニカでの外食7食分は高いのか安いのか。ガソリンスタンドを見ても単位がリッター当たりなのかガロンなのかわからないが、130ペソなどと書いてある。どちらにしても700ペソくらいじゃ、とても1ヶ月は食えそうにないことは明らかだろう。
とにかくここも含めカリブ諸国はタクシー代がバカみたいに高いのには閉口する。しかもここはタクシー以外の代替手段を用意していないし。
空港に入り、インフォメーションでクバーナ航空のチェックインカウンターを聞く。場所は教えてくれたが、何時からチェックインできるかわからないといったことを言う。えっ!と思い、電光掲示板を見たら、他の航空便はon timeとなっているのが、クバーナはno confirmとなっている。もしや飛ばないってことはないだろうなと、若干不安に思いながら30分ほど時間をつぶし、適当にチェックインするために列に並ぶ。
チャックインカウンターに入る前に、列を作っているところで女性がエアポートタックスとチケットのチェックをする。
ぼくのチケットを見て、キューバに入るにはビザ(ツーリストカード)が必要だから、それをチェックインカウンターで買えと言う。キューバには入国せずにトランジットで空港内のウェイティングルームにいるだけだと英語で伝えるが、彼女は解しない。それで用意していた簡単なスペイン語でキューバには入国したくないと言うと、ようやくわかったようで解放してくれる。
チェックインカウンターでは、荷物の個数を聞かれただけで、ツーリストカードについては何も聞かれず、すぐに手続きは終わり搭乗券をくれる。
それから出国審査。パスポートを渡すと、入国審査と同じくいっさい質問なしで、”タ ビエン”と言われて終わり。
次の手荷物検査では、靴まで脱がされ機械に通し、さらに身体検査。プラスぼくはカバンの中身のチェック。そのチェックが終わって、税関審査みたいなところがあり、2枚のカードに記入し提出しようとする。すると、ふらふらしていて職員に止められ、また荷物を検査される。カバンの中を開け、スペイン語でなんだかんだと聞かれるが、わからん。
その後は、特に何もなく通過。サントドミンゴのデューティーフリーショップはモンテゴベイ並みで、予想していたよりも店がある。
時間は12時。14時予定だが、何時になるかわからない飛行機を待合室で待つ。
飛行機は予定より約1時間遅れて15時に出発。ぼくは通路側の席だったため外を見ることができず、本を読む。
2時間半後の17時37分(ドミニカ時間)、ハバナに到着。着陸時には拍手がわく。この空港もこれで5回目だから見慣れてしまった。
さて、トランジットはどうするものかと飛行機を降りて様子を見る。通路には出国を待つ待合室につながるTransitと書かれたドアがあったのだが、そこの警備員はチケットを見せても入国審査の方に行けと言う。
それで入国審査の方に行き、審査の前に入国カードなどをチェックしていた職員に聞くと、一旦入国審査を通過しないといけないと言う。
しょうがないので、鬼門のキューバの入国審査なのだが、仕事が早そうな若い女性の審査官のブースに入る。が、これが失敗。
ツーリストカードについては問題なかったものの、パスポートの写真とぼくを見比べて首をひねる。それで他の職員に声をかけ、2~3人の職員にぼくは顔認証をされる。
その若い審査官は”You changed"とぼくを見ながら言う。まぁ、写真の自分は髪が短く髭もないけど、これまで他の国でも、またこの国でも他の審査官だったらなんの問題もなかったのに。まさかチケットなどのことではなく、こんなことで今回つかまるとは・・・。これだったら指紋認証の方が早いななどと思ったりする。
10分ほどそこでジロジロ見られたりして、なんとか通過する。
今度は手荷物の検査だったが、今度は行き先のことでおばさんの職員に問いただされる。どうもツーリストカードがないことを問題にしているようだったが、今し方入国審査を通ったばかりなのに、また聞くか!?
そのおばさんは5分ほで解放してくれる。時間は18時を回っていた。
明日の昼過ぎまで空港で待つことに。2階の出国ロビーに行き、ベンチで本を読んだり、ボーとしたり。
夜はベンチに横になって寝るが、結構冷えて長袖のシャツを着ていても目が覚める。
翌日19日、朝の5時過ぎには目が覚める。夜中の2時発の飛行機もあったので、夜中電気がついていて、人の出入りも多かった。この時間もメキシコシティかどこかに行く人たちがチェックインカウンターに列を作っている。
ぼくは朝飯代わりに空港内の売店でクラッカーを買う。本を読んだり、うとうとしたりして待つ。
11時。チェックイン。リュックをビニールでパッケージングして(クバーナの無料サービス)、今度は窓際をお願いする。トランジットだから不要な気もするが、払えというので出国税(Airport Tax)を25CUC払う。ハイチで手持ちのドルがほとんどなくなったので、昨日、こんなときのためにサントドミンゴでユーロに替えていた。それが役立つ。
さて、次はサントドミンゴに行くときにつかまった出国審査。前回は、最終的には問題はなかったものの、メキシコからのチケットは持っているのかとか、メキシコの次にどこに行くのかとか、いくらカネを持っているかなどを聞かれ、15分ほどひっかかってしまった。
今回はすんなりいくようにと、やや年輩の女性の審査官のところにいく(ちなみに審査官は女性ばかり)。すると今度はキングストンに行くときと同じく、無問答でかるくスルーする。すばらしい。
手荷物検査を受けて、それから搭乗ゲートの前で待つ。2時間ほどあったので、キューバ産のチョコレートを買って食う(0.3cuc:約40円)。他いくつか買い物。
今回は予定通りにフライトは飛ぶ。14時05分に出発し、メキシコ時間の14時30分頃到着。時差の関係でこうなるのがおもしろい。実際のフライトは1時間半ほど。今日は天気が良く、窓際だったこともあり、眼下の景色はなかなか良かった。相変わらずカンクンの海岸は波がきれい。
メキシコの入国もなんの質問もなく、逆にキューバはどうだったと聞かれただけ。すんなり入る。が、手荷物の検査に長蛇の列。1カ所でしかやっておらず、30分ほど待ってやっと通過する。
税関審査を出ると、左手にインフォメーションデスクが5つほど並んでいる。さすがリゾート地だ。
空港を出たらタクシー乗り場に出るが、宿の近くのバスターミナルまで行くADOという会社のエアポートバスに乗る(35メキシコペソ:約120円)。バス乗り場は入国用の出口から100mほど離れていて、出国用の出入り口を通り越した反対側にある。なんでこうわかりにくいところにあるのかと不思議。
バスの乗り口で料金を払って乗車。さすがメキシコ。バスは新品同様。車内のテレビでは動物園の飼育係のドキュメントのDVDが流れている。
30分ほどでバスターミナルに着き、その5分後くらいに宿に到着。前回泊まったときに忘れていったデジカメは、無事保護されていた。ありがたや。
2008年3月21日金曜日
サントドミンゴへ
2008.3.13(木)
朝、5時前にドアベルが鳴り、タクシーが来たことがわかる。それからすぐに部屋のドアが開き、宿主が起こしにくる。荷造りをして部屋を出る。
玄関の鍵を開けてもらい、グラシアスと言って宿を出る。監獄のような古びたエレベーターで10階から1階までおり、道路に出るとタクシーの運転手は運転席に座りスタンバイしていた。今度は、TAXIのマークが入った車。運転手は後部座席に荷物を入れるのを手伝ってくれる。今回は運転手一人だけで、髭をはやした50歳くらいの男の人。15CUCということだけ確認し、発車する。あたりはまだ真っ暗。
運転手は音楽をかけ、無言で車を走らせる。5時半には空港に着き、そこで15CUC払う。
空港には早朝のカンクン行きの飛行機に乗る人たちがいて、にぎやか。
チェックインし、エアポートタックスの25CUCを払う。出国審査のところに行き、さてどの人だったらすんなりいけそうかなと思い、左端にいたおばさんところに行く。ジャマイカに行くときは若い男の人を選んだら質問もなく、すんなりいけたのだが、今回の選択ははずれだった。
サントドミンゴに行って、トランジットでまたハバナによってカンクンに行くというチケットを見せるのに、何やら言って通してくれない。スペイン語しか解さない人のようで、ぼくも相手も何をお互いに言っているのかわからない。そもそもこっちは何が問題なのかがわかってないし。
それで、そのおばさんは別の年輩の男性の職員に相談する。するとその人は、ぼくにメキシコから日本に行くチケットを持っているかと聞いてきて、持っていないと言うと、いくらカネを持っているか聞いてくる。それで適当に現金とトラベラーズチェックの金額を言うと、そのおじさんはイミグレの事務室に行ってしまう。事務室に入るときに、こっちを見てノープロブレムと言うが、すでにプロブレムは起きてるじゃないかとつっこみたくなる。
しばらく待たされ、おじさんが出てきて、やっと解放してくれる。
ここの手荷物検査は相変わらずなんの問題もなく、通る。待機中なのかなんなのか男性職員2人は机に伏せて寝ている。
本屋などは開店の準備をすでに終わっていた。本屋で英語の本を買う(15CUC+10USD:CUCがなかったので)。内容はCIAなどアメリカがキューバに仕掛けたいろんなテロ攻撃について。アメリカに亡命したキューバ人が主犯だったりする。
腹が減っていたので、昨日まちで買ったしけたビスケットを食べる。閉じているはずの空港のベンチは、なぜかスズメかなにかの糞で汚れている。
予定通り8時半に搭乗開始。9時過ぎには離陸する。機内は寒く24℃。離陸すると例のように何十年前のものだというような救命用具の使い方の説明がある。
10時半。眼下に島が見え、ドミニカに入ったことがわかる。あとで確認したところ、ハイチ上空は飛ばずにドミニカの北の方から入ったよう。本で読んでいた通り、木が少ない。きれいな畑も見える。
10時50分着陸。入国審査はまったく一言の質問もなく、素通りのような形で通過。すばらしい。荷物をピックアップし、空港の外に出る。他のようにタクシーの客引きがいるかと思いきや、それはない。造りや雰囲気がロサンゼルスに似ている。
空港のインフォメーションで地図をもらう。そしてバスで町中までいけないか聞くが、タクシーしかないと言われる。値段を聞くと30~40ドルと恐るべき値段を言う。
念のためドミニカペソに両替。タクシー乗り場に行くと、おじさんが話しかけて来る。行き先を告げると40ドルと言って、料金表を見せてくれる。それにはホテル名がずらりと書いてあって、すべて40ドルとなっている。
他にタクシーもないので、そのおじさんに20ドルくらいでいけないかというと、25ドルにまでしてくれる。それで手をうち、タクシーに乗る。
タクシーの運転手は陽気な人で、窓の外に広がる海に手を広げながら、ハイテンションでスペイン語で何やら言う。これまでの空港からまちへの移動で言うと、一番景色が良い。
海はコバルトブルーで波もなく静か。車もジャマイカで乗ったほどきれいではないが、まぁまあ良い。道路は片道4車線で道路沿いには牛乳やなんだかんだの商業看板に加え、おっさんが写ったどでかい看板やポスターがこれでもかって言うくらい設置されている。"tu Presidente"などと書かれているので、大統領選のポスターのよう。
3人くらいの候補者の看板やポスターが、気持ち悪いくらい大量に設置されていて、すれ違う車の中には、それぞれの候補者の政党のシンボルカラーの旗を立てているものや、ステッカーをびっしりと貼っているのもある。ドミニカってこういう選挙をするところなのかと感心する。と同時にキューバと比較して、民主主義はこんなものにカネをかけなきゃいけない(政治家にとっては)のだなと思う。
車は30分ほどしてヨーロッパ調の街並みの中心部に着く。予定していたホテルに行くが、1泊40ドルと事前情報よりも高かったため却下。
どうしようかと思っていたら道ばたのおじさんが、安い30ドルのところがあると言ってついてこいと言う。最初はただの親切心で案内してくれているのかと思ったが、やたらとおじさんが話しかけてくるので、これは下心ありだと感じる。
荷物を持ちながらの移動も面倒なので、1泊くらいはいいかとその宿に行くと35ドルと言うので、却下して出ようとするとドミニカペソで1000ペソ(約30ドル)になる。それならいいかと部屋を案内してもらう。
いわゆる1DKの部屋でキッチン、テレビ、シャワー・トイレ付き、寝室にはベッドが2つあり、エアコンは故障しているようだが、天井に備え付けの扇風機は使える。自分にしてみれば、余計なものばかりで無駄に広いのだが、記念に泊まることにする。
一旦1階のフロントに戻り、用紙に記入し、鍵をもらって2階にあがる。荷ほどきをして、飛行機用に長袖を着ていたのを着替える。さて、あのおじさんをどうまこうかと考えるが、おじさんの方から部屋のドアを叩いて”アミーゴ”などと言ってくる。無視してしばらく部屋におり、その後、下に降りるとやはりおじさんはいた。
鍵は持ったまままちに出る。おじさんがついてきて、両替に行くのかとかあれこれ聞いてくるのを無視していると、親切にしてやったんだからカネをくれないかと言い出す。そういうのは親切心とは違うと思うのですが・・・と思いつつ、うっとうしいのでいくらか聞くと5USDと言う。ドルをやるのはもったいないので、ペソで聞くと150ドミニカペソと言う。多少いらつきながら、ハイよ、とカネを渡すとまっすぐ行けばどこに行くとか教えてくれるが、そんなの地図を見ればわかること。さっさと別れる。後で思えば、カネをやるぶん、もっとおじさんに案内してもらうなり身の上話を聞くなリすれば元が取れたような気もするが・・・。
この宿から中心のコロン広場までは歩いて5分もかからない。広場にはヨーロッパ系の観光客が目立つ。スペイン語を話しているので、スペイン人のよう。10歳くらいの少年5人くらいが、靴磨きの道具を持って観光客や道行く大人に、靴を磨かないか聞いている。子どもが単独でこうして働いている姿を見たのは久々。メキシコのサンクリストバルの少女たち以来か。
公園で売っていた移動式屋台のアイスを買う。20ドミニカペソ(約80円)。やっぱり物価は高い。
コロン広場から西にEl Condeというメインストリートが伸びており、そこは歩行者天国になっている。両脇に土産物屋やスーパーや、服屋、スポーツ用品店、ネイルアートの店やアイスクリーム屋、ケンタッキーやピザーラ、ゲームセンター、ネットカフェなど、いわゆる先進国と変わらない。
歩いている人は、少なく観光客と地元の人が半々。地元の人はムラートと呼ばれるアフリカ系とヨーロッパ系の人が多く、ジャマイカのキングストンよりもアフリカ度は低い。キューバと感じが似ているが、キューバよりもアフリカ度は高い。メジャーリーガーで言うと、アレックスロドリゲスなどの系統。
キングストンでは、女性のほとんどの人が縮毛を生かした多様な髪型をしていたが、ここはストレートヘアの人が多い。
道が交差しているところには、リヤカーなどに積んで椰子の実やマンゴー、パパイヤ、バナナを売っている人たちがいる。試しにバナナを一本買ってみると、1本で15ペソ(約50円)。ジャマイカと同じくらい。キューバと比較すると1本当たりで言えば、10倍以上高い。それから切って4当分になっていたパパイヤを買う。こちらは30ペソ(約110円)。
スポーツ用品店をのぞくと、野球の道具がグローブからバット、ユニフォームまで一式あったので、店内に入って見る。野球の道具の他、バスケットボールやサッカーボール・シューズ、フィットネスマシンなどもある。グローブの質は、日本のものと比べるとかなり安っぽいが、バットは変わりない。日本で数千円するものばかり。
記念にボールを買おうと思い、4種類ほどあった公式ボールを見比べる。officialとマークの入った公式ボールは150ペソ(約500円)ほどで、"MADE IN CHINA"の文字がデカデカと書いてある。これはちょっと興ざめなので、中古品のボールが85ペソ(約300円)だったので、こちらを購入。ボールには”Team Ball” "Official PROFESSIONAL LEAGUE"と文字が入っているので、たぶん試合か練習で使われたボールのよう。擦れていてはっきりとはわからないが、"ODSHIONEDOORK CENTER HAITI"の文字もある。
まちを歩きながら明日からの宿を探す。そのメインストリートに小さな看板が出ていたホテルで聞いてみると50USドルなのでダメ。メインストリートが終わった正面にはParque Independencia(パルケ インディペンデンシア)という円形の広場とその中に博物館みたいなのがあり、その広場の周りを囲んでいる壁には絵入りのパネルが360度貼られている。文字はスペイン語なので、よくわからないが、その絵からドミニカが独立するまでの過程を説明しているもののよう。
Independenciaと聞いて、メキシコかどっかの宿で、安宿があると書いていた情報を思い出し、探してみるとHotel Independenciaという路上に出ている看板を見つける。
フロントはおじいさんで、4泊泊まるというと1800ドミニカペソ(約7000円)という。部屋を見せてもらうとベッドが二つあり、シャワー・トイレ付きの部屋を見せてもらう。扇風機もある。今晩泊まるホテルに比べれば施設は使えないことはないが、ぼろぼろ。1泊20ドルを切っているが、メキシコの10ドルくらいの宿などと比べると、施設からすると3ドル程度。
他に宿を探すのも面倒なので、予約だけしてまたまちをうろつく。
海岸線沿いに出ると、どでかいコロンブスの像が見える。近くまで行くと、その像の下狭いスペースで20歳くらいの男3人がキャッチボールをしていた。公式ボールにグローブ。キューバではさんざん街角で野球をしているのを見たが、まもとなグローブできれいな硬式ボールを使ってやっているのはほとんど見なかった。キャッチボールの様子を見るだけでも、経済的にどれだけ豊かがわかる。
その東どなりには船体にPANAMAと書かれたでかい客船が停まっていた。乗るつもりはなかったが、船着き場の入り口の警備員にいくらか聞くと、相手は乗るものだと思って、往復200ドルくらいでパスポートが必要などとスペイン語で言う。パナマ行きかを訪ねるとプエルトリコ行きらしい。今日の20時に船は出るという。
話だけ聞いて、その船着き場の横の道路を歩いていると、こちらに船乗り場があった。3mくらいある鉄壁の向こうにフェリー乗り場と書かれた建物があり、入り口には人がごった返している。
中心街に戻ろうと、陸橋で道路の反対側に渡る。すると降りたところでおじさんに何時かと聞かれる。いかにもという怪しげなおじさん。体に合っていない服に、何年履いているのだろうかと思うような汚れた革靴。
時計を見せるとチノかコリアンかと聞いてくる。ハポネスと言うと、親しげに話しかけてくる。メレンゲ(ドミニカの音楽)がどうとかと言って、テンションが高いのが怪しい。どこに行くのかと言うのでホテルだと言うと、自分にコーラをおごらないかといったようなことを言い出す。ほらきた!と思い、さっきのおじさんのこともあり、いらついてきたので、少しイジメることにする。
まずは”Porque(ポルケ)?"とぼくがおじさんにおごる理由を聞く。するとおじさんは一瞬戸惑い、口ごもってから”友達だから(・・amigo・・)"みたいなことを言う。この間、話しかけてきてから3分ほど。ふ~ん、て感じでおじさんを見るとさっきまでのテンションの高さは消える。
ま、付き合ってみるかと、行こうという仕草をすると、あっちの方だと案内される。着いたのは街角の立ち飲み屋みたいな店。おじさんはさっそくカウンターにいたおじさんに注文する。何を注文するかと思いきやいきなり酒。ラムのようだった。値段を聞くと80ペソ(約300円)と言う。コーラだったらかわいいもんだから買ってやろうかと思ったが、結局、酒が飲みたいだけかと思い、高いと言っておじさんを置いて店を出る。
するとおじさんは早足でついてくる。コーラじゃなかったのかと言うと、わかったというような感じで、別の店に連れて行かれる。そこは酒を含めた各種飲み物とお菓子などを売っている店。だんだんカネを出す気がなくなってきたので、おじさんが店に入って店主に話しかけているのを見て、気づかれないように黙って外に出る。まったく性格が悪い。
するとおじさんはあわてた顔して走ってついてきて、50ペソでどうだと言う。しかも現金で。首を横に振り、30ペソまでならいいとおじさんに言うと、うなづいて別の店に案内される。こっちもさっきと同じような店。
おじさんはぼくにコーラなどをすすめてくるが、ぼくはいらないと言って、おじさんが選ぶのを待つ。おじさんは冷蔵庫から500mlの紙パックのジュースを手に持ったり、冷蔵庫に戻したりを2度ほど繰り返す。どれを買うか迷っているというよりも、これを買っても意味がないから、またぼくと交渉するかどうしようかと迷っている様子。その姿を見ていて、だんだんちょっとやりすぎた気がしてくる。
おじさんは結局、冷蔵庫から商品は持ってこないで40ペソを現金でくれと言い出す。さっさとおじさんを無視して別れる選択肢もあったのに、ここまで引っ張ってきて、何も得る物がなかったとなるとおじさんに悪いから、40ペソをコインで渡す。
何も買わずに店を出るのも悪いので、ちょうど必要だった水(500mlペットボトル)を買って(20ペソ?)その店をでる。
コロン広場を通って、宿に戻る。ドミニカにはメレンゲという音楽があるからハバナのように観光客が多い店では演奏でもしてるかと思ったが、音楽はどこからも聞こえてこない。
ドミニカのカネがなくなったので、両替しようとさっきのメインストリートに行ったが、両替屋は17時くらいで閉まるようで開いていない。しょうがないので、歩いて宿に戻る。
途中、立ち止まったときに後ろから肩を軽く叩かれる。振り返ると路上生活をしているらしきおにいさん。見た目はまだ20代っぽかった。にこっとして手のひらを上にして右手を差し出してくるので、ポケットにたまっていたコインをジャラジャラっと適当に渡す。にいさんはグラシアスと言って、メインストリートと交差している横道をコインを数えながら歩いて行った。
靴磨きをしていた少年たちは、もう客がつかないと判断したのか、それとも店じまいの時間なのか、道具を抱え3人くらい一緒になってメインストリートを郊外の方に向けて歩いている。
すっかり暗くなる。宿の入り口近くで6歳くらいの女の子を連れた女性が弁当を売っていたので、それを買う。ゆでたバナナにキャッサバ、豚肉、キャベツのサラダで50ペソ(約200円)。
宿でテレビのチャンネルを回しながら食べる。ケーブルテレビなので、CNNからBBC,Nationa Geographic,Discover、映画チャンネルなど30チャンネル以上ある。ドミニカの番組を見ようと思ったが、ニュースをやっているチャンネルが4つか5つほどあったが、キャスターがしゃべるか、討論するかというような内容で、映像があまりない。わからないので、BBCを流しっぱなしにする。中国の出稼ぎのことやインドの信仰についてのドキュメンタリーをやっていた。
ドミニカ(サントドミンゴ)の第1印象は、はっきり言ってこれまでのどのまちよりもインパクトがないということ。ヨーロッパ調の小さな街並みには、なんだかもう飽きてきたし、店で売ってる物はありきたりのものだし、道路はきれいだし、歩いている人は少ないし、アイスは日本並みにおいしいし、まぁ、過ごしやすいところではあろうが、とにかくインパクトがない。
自分のこれまでの日常とは違うものが見たいという、ある種傲慢な欲を原動力に動いている現状から言えば、そんなふうにサントドミンゴは感じたのであります。
おわり
2008.3.20 カンクンからアップ
朝、5時前にドアベルが鳴り、タクシーが来たことがわかる。それからすぐに部屋のドアが開き、宿主が起こしにくる。荷造りをして部屋を出る。
玄関の鍵を開けてもらい、グラシアスと言って宿を出る。監獄のような古びたエレベーターで10階から1階までおり、道路に出るとタクシーの運転手は運転席に座りスタンバイしていた。今度は、TAXIのマークが入った車。運転手は後部座席に荷物を入れるのを手伝ってくれる。今回は運転手一人だけで、髭をはやした50歳くらいの男の人。15CUCということだけ確認し、発車する。あたりはまだ真っ暗。
運転手は音楽をかけ、無言で車を走らせる。5時半には空港に着き、そこで15CUC払う。
空港には早朝のカンクン行きの飛行機に乗る人たちがいて、にぎやか。
チェックインし、エアポートタックスの25CUCを払う。出国審査のところに行き、さてどの人だったらすんなりいけそうかなと思い、左端にいたおばさんところに行く。ジャマイカに行くときは若い男の人を選んだら質問もなく、すんなりいけたのだが、今回の選択ははずれだった。
サントドミンゴに行って、トランジットでまたハバナによってカンクンに行くというチケットを見せるのに、何やら言って通してくれない。スペイン語しか解さない人のようで、ぼくも相手も何をお互いに言っているのかわからない。そもそもこっちは何が問題なのかがわかってないし。
それで、そのおばさんは別の年輩の男性の職員に相談する。するとその人は、ぼくにメキシコから日本に行くチケットを持っているかと聞いてきて、持っていないと言うと、いくらカネを持っているか聞いてくる。それで適当に現金とトラベラーズチェックの金額を言うと、そのおじさんはイミグレの事務室に行ってしまう。事務室に入るときに、こっちを見てノープロブレムと言うが、すでにプロブレムは起きてるじゃないかとつっこみたくなる。
しばらく待たされ、おじさんが出てきて、やっと解放してくれる。
ここの手荷物検査は相変わらずなんの問題もなく、通る。待機中なのかなんなのか男性職員2人は机に伏せて寝ている。
本屋などは開店の準備をすでに終わっていた。本屋で英語の本を買う(15CUC+10USD:CUCがなかったので)。内容はCIAなどアメリカがキューバに仕掛けたいろんなテロ攻撃について。アメリカに亡命したキューバ人が主犯だったりする。
腹が減っていたので、昨日まちで買ったしけたビスケットを食べる。閉じているはずの空港のベンチは、なぜかスズメかなにかの糞で汚れている。
予定通り8時半に搭乗開始。9時過ぎには離陸する。機内は寒く24℃。離陸すると例のように何十年前のものだというような救命用具の使い方の説明がある。
10時半。眼下に島が見え、ドミニカに入ったことがわかる。あとで確認したところ、ハイチ上空は飛ばずにドミニカの北の方から入ったよう。本で読んでいた通り、木が少ない。きれいな畑も見える。
10時50分着陸。入国審査はまったく一言の質問もなく、素通りのような形で通過。すばらしい。荷物をピックアップし、空港の外に出る。他のようにタクシーの客引きがいるかと思いきや、それはない。造りや雰囲気がロサンゼルスに似ている。
空港のインフォメーションで地図をもらう。そしてバスで町中までいけないか聞くが、タクシーしかないと言われる。値段を聞くと30~40ドルと恐るべき値段を言う。
念のためドミニカペソに両替。タクシー乗り場に行くと、おじさんが話しかけて来る。行き先を告げると40ドルと言って、料金表を見せてくれる。それにはホテル名がずらりと書いてあって、すべて40ドルとなっている。
他にタクシーもないので、そのおじさんに20ドルくらいでいけないかというと、25ドルにまでしてくれる。それで手をうち、タクシーに乗る。
タクシーの運転手は陽気な人で、窓の外に広がる海に手を広げながら、ハイテンションでスペイン語で何やら言う。これまでの空港からまちへの移動で言うと、一番景色が良い。
海はコバルトブルーで波もなく静か。車もジャマイカで乗ったほどきれいではないが、まぁまあ良い。道路は片道4車線で道路沿いには牛乳やなんだかんだの商業看板に加え、おっさんが写ったどでかい看板やポスターがこれでもかって言うくらい設置されている。"tu Presidente"などと書かれているので、大統領選のポスターのよう。
3人くらいの候補者の看板やポスターが、気持ち悪いくらい大量に設置されていて、すれ違う車の中には、それぞれの候補者の政党のシンボルカラーの旗を立てているものや、ステッカーをびっしりと貼っているのもある。ドミニカってこういう選挙をするところなのかと感心する。と同時にキューバと比較して、民主主義はこんなものにカネをかけなきゃいけない(政治家にとっては)のだなと思う。
車は30分ほどしてヨーロッパ調の街並みの中心部に着く。予定していたホテルに行くが、1泊40ドルと事前情報よりも高かったため却下。
どうしようかと思っていたら道ばたのおじさんが、安い30ドルのところがあると言ってついてこいと言う。最初はただの親切心で案内してくれているのかと思ったが、やたらとおじさんが話しかけてくるので、これは下心ありだと感じる。
荷物を持ちながらの移動も面倒なので、1泊くらいはいいかとその宿に行くと35ドルと言うので、却下して出ようとするとドミニカペソで1000ペソ(約30ドル)になる。それならいいかと部屋を案内してもらう。
いわゆる1DKの部屋でキッチン、テレビ、シャワー・トイレ付き、寝室にはベッドが2つあり、エアコンは故障しているようだが、天井に備え付けの扇風機は使える。自分にしてみれば、余計なものばかりで無駄に広いのだが、記念に泊まることにする。
一旦1階のフロントに戻り、用紙に記入し、鍵をもらって2階にあがる。荷ほどきをして、飛行機用に長袖を着ていたのを着替える。さて、あのおじさんをどうまこうかと考えるが、おじさんの方から部屋のドアを叩いて”アミーゴ”などと言ってくる。無視してしばらく部屋におり、その後、下に降りるとやはりおじさんはいた。
鍵は持ったまままちに出る。おじさんがついてきて、両替に行くのかとかあれこれ聞いてくるのを無視していると、親切にしてやったんだからカネをくれないかと言い出す。そういうのは親切心とは違うと思うのですが・・・と思いつつ、うっとうしいのでいくらか聞くと5USDと言う。ドルをやるのはもったいないので、ペソで聞くと150ドミニカペソと言う。多少いらつきながら、ハイよ、とカネを渡すとまっすぐ行けばどこに行くとか教えてくれるが、そんなの地図を見ればわかること。さっさと別れる。後で思えば、カネをやるぶん、もっとおじさんに案内してもらうなり身の上話を聞くなリすれば元が取れたような気もするが・・・。
この宿から中心のコロン広場までは歩いて5分もかからない。広場にはヨーロッパ系の観光客が目立つ。スペイン語を話しているので、スペイン人のよう。10歳くらいの少年5人くらいが、靴磨きの道具を持って観光客や道行く大人に、靴を磨かないか聞いている。子どもが単独でこうして働いている姿を見たのは久々。メキシコのサンクリストバルの少女たち以来か。
公園で売っていた移動式屋台のアイスを買う。20ドミニカペソ(約80円)。やっぱり物価は高い。
コロン広場から西にEl Condeというメインストリートが伸びており、そこは歩行者天国になっている。両脇に土産物屋やスーパーや、服屋、スポーツ用品店、ネイルアートの店やアイスクリーム屋、ケンタッキーやピザーラ、ゲームセンター、ネットカフェなど、いわゆる先進国と変わらない。
歩いている人は、少なく観光客と地元の人が半々。地元の人はムラートと呼ばれるアフリカ系とヨーロッパ系の人が多く、ジャマイカのキングストンよりもアフリカ度は低い。キューバと感じが似ているが、キューバよりもアフリカ度は高い。メジャーリーガーで言うと、アレックスロドリゲスなどの系統。
キングストンでは、女性のほとんどの人が縮毛を生かした多様な髪型をしていたが、ここはストレートヘアの人が多い。
道が交差しているところには、リヤカーなどに積んで椰子の実やマンゴー、パパイヤ、バナナを売っている人たちがいる。試しにバナナを一本買ってみると、1本で15ペソ(約50円)。ジャマイカと同じくらい。キューバと比較すると1本当たりで言えば、10倍以上高い。それから切って4当分になっていたパパイヤを買う。こちらは30ペソ(約110円)。
スポーツ用品店をのぞくと、野球の道具がグローブからバット、ユニフォームまで一式あったので、店内に入って見る。野球の道具の他、バスケットボールやサッカーボール・シューズ、フィットネスマシンなどもある。グローブの質は、日本のものと比べるとかなり安っぽいが、バットは変わりない。日本で数千円するものばかり。
記念にボールを買おうと思い、4種類ほどあった公式ボールを見比べる。officialとマークの入った公式ボールは150ペソ(約500円)ほどで、"MADE IN CHINA"の文字がデカデカと書いてある。これはちょっと興ざめなので、中古品のボールが85ペソ(約300円)だったので、こちらを購入。ボールには”Team Ball” "Official PROFESSIONAL LEAGUE"と文字が入っているので、たぶん試合か練習で使われたボールのよう。擦れていてはっきりとはわからないが、"ODSHIONEDOORK CENTER HAITI"の文字もある。
まちを歩きながら明日からの宿を探す。そのメインストリートに小さな看板が出ていたホテルで聞いてみると50USドルなのでダメ。メインストリートが終わった正面にはParque Independencia(パルケ インディペンデンシア)という円形の広場とその中に博物館みたいなのがあり、その広場の周りを囲んでいる壁には絵入りのパネルが360度貼られている。文字はスペイン語なので、よくわからないが、その絵からドミニカが独立するまでの過程を説明しているもののよう。
Independenciaと聞いて、メキシコかどっかの宿で、安宿があると書いていた情報を思い出し、探してみるとHotel Independenciaという路上に出ている看板を見つける。
フロントはおじいさんで、4泊泊まるというと1800ドミニカペソ(約7000円)という。部屋を見せてもらうとベッドが二つあり、シャワー・トイレ付きの部屋を見せてもらう。扇風機もある。今晩泊まるホテルに比べれば施設は使えないことはないが、ぼろぼろ。1泊20ドルを切っているが、メキシコの10ドルくらいの宿などと比べると、施設からすると3ドル程度。
他に宿を探すのも面倒なので、予約だけしてまたまちをうろつく。
海岸線沿いに出ると、どでかいコロンブスの像が見える。近くまで行くと、その像の下狭いスペースで20歳くらいの男3人がキャッチボールをしていた。公式ボールにグローブ。キューバではさんざん街角で野球をしているのを見たが、まもとなグローブできれいな硬式ボールを使ってやっているのはほとんど見なかった。キャッチボールの様子を見るだけでも、経済的にどれだけ豊かがわかる。
その東どなりには船体にPANAMAと書かれたでかい客船が停まっていた。乗るつもりはなかったが、船着き場の入り口の警備員にいくらか聞くと、相手は乗るものだと思って、往復200ドルくらいでパスポートが必要などとスペイン語で言う。パナマ行きかを訪ねるとプエルトリコ行きらしい。今日の20時に船は出るという。
話だけ聞いて、その船着き場の横の道路を歩いていると、こちらに船乗り場があった。3mくらいある鉄壁の向こうにフェリー乗り場と書かれた建物があり、入り口には人がごった返している。
中心街に戻ろうと、陸橋で道路の反対側に渡る。すると降りたところでおじさんに何時かと聞かれる。いかにもという怪しげなおじさん。体に合っていない服に、何年履いているのだろうかと思うような汚れた革靴。
時計を見せるとチノかコリアンかと聞いてくる。ハポネスと言うと、親しげに話しかけてくる。メレンゲ(ドミニカの音楽)がどうとかと言って、テンションが高いのが怪しい。どこに行くのかと言うのでホテルだと言うと、自分にコーラをおごらないかといったようなことを言い出す。ほらきた!と思い、さっきのおじさんのこともあり、いらついてきたので、少しイジメることにする。
まずは”Porque(ポルケ)?"とぼくがおじさんにおごる理由を聞く。するとおじさんは一瞬戸惑い、口ごもってから”友達だから(・・amigo・・)"みたいなことを言う。この間、話しかけてきてから3分ほど。ふ~ん、て感じでおじさんを見るとさっきまでのテンションの高さは消える。
ま、付き合ってみるかと、行こうという仕草をすると、あっちの方だと案内される。着いたのは街角の立ち飲み屋みたいな店。おじさんはさっそくカウンターにいたおじさんに注文する。何を注文するかと思いきやいきなり酒。ラムのようだった。値段を聞くと80ペソ(約300円)と言う。コーラだったらかわいいもんだから買ってやろうかと思ったが、結局、酒が飲みたいだけかと思い、高いと言っておじさんを置いて店を出る。
するとおじさんは早足でついてくる。コーラじゃなかったのかと言うと、わかったというような感じで、別の店に連れて行かれる。そこは酒を含めた各種飲み物とお菓子などを売っている店。だんだんカネを出す気がなくなってきたので、おじさんが店に入って店主に話しかけているのを見て、気づかれないように黙って外に出る。まったく性格が悪い。
するとおじさんはあわてた顔して走ってついてきて、50ペソでどうだと言う。しかも現金で。首を横に振り、30ペソまでならいいとおじさんに言うと、うなづいて別の店に案内される。こっちもさっきと同じような店。
おじさんはぼくにコーラなどをすすめてくるが、ぼくはいらないと言って、おじさんが選ぶのを待つ。おじさんは冷蔵庫から500mlの紙パックのジュースを手に持ったり、冷蔵庫に戻したりを2度ほど繰り返す。どれを買うか迷っているというよりも、これを買っても意味がないから、またぼくと交渉するかどうしようかと迷っている様子。その姿を見ていて、だんだんちょっとやりすぎた気がしてくる。
おじさんは結局、冷蔵庫から商品は持ってこないで40ペソを現金でくれと言い出す。さっさとおじさんを無視して別れる選択肢もあったのに、ここまで引っ張ってきて、何も得る物がなかったとなるとおじさんに悪いから、40ペソをコインで渡す。
何も買わずに店を出るのも悪いので、ちょうど必要だった水(500mlペットボトル)を買って(20ペソ?)その店をでる。
コロン広場を通って、宿に戻る。ドミニカにはメレンゲという音楽があるからハバナのように観光客が多い店では演奏でもしてるかと思ったが、音楽はどこからも聞こえてこない。
ドミニカのカネがなくなったので、両替しようとさっきのメインストリートに行ったが、両替屋は17時くらいで閉まるようで開いていない。しょうがないので、歩いて宿に戻る。
途中、立ち止まったときに後ろから肩を軽く叩かれる。振り返ると路上生活をしているらしきおにいさん。見た目はまだ20代っぽかった。にこっとして手のひらを上にして右手を差し出してくるので、ポケットにたまっていたコインをジャラジャラっと適当に渡す。にいさんはグラシアスと言って、メインストリートと交差している横道をコインを数えながら歩いて行った。
靴磨きをしていた少年たちは、もう客がつかないと判断したのか、それとも店じまいの時間なのか、道具を抱え3人くらい一緒になってメインストリートを郊外の方に向けて歩いている。
すっかり暗くなる。宿の入り口近くで6歳くらいの女の子を連れた女性が弁当を売っていたので、それを買う。ゆでたバナナにキャッサバ、豚肉、キャベツのサラダで50ペソ(約200円)。
宿でテレビのチャンネルを回しながら食べる。ケーブルテレビなので、CNNからBBC,Nationa Geographic,Discover、映画チャンネルなど30チャンネル以上ある。ドミニカの番組を見ようと思ったが、ニュースをやっているチャンネルが4つか5つほどあったが、キャスターがしゃべるか、討論するかというような内容で、映像があまりない。わからないので、BBCを流しっぱなしにする。中国の出稼ぎのことやインドの信仰についてのドキュメンタリーをやっていた。
ドミニカ(サントドミンゴ)の第1印象は、はっきり言ってこれまでのどのまちよりもインパクトがないということ。ヨーロッパ調の小さな街並みには、なんだかもう飽きてきたし、店で売ってる物はありきたりのものだし、道路はきれいだし、歩いている人は少ないし、アイスは日本並みにおいしいし、まぁ、過ごしやすいところではあろうが、とにかくインパクトがない。
自分のこれまでの日常とは違うものが見たいという、ある種傲慢な欲を原動力に動いている現状から言えば、そんなふうにサントドミンゴは感じたのであります。
おわり
2008.3.20 カンクンからアップ
2008年3月15日土曜日
「キューバにおける日本のプレゼンス 日本・キューバ交流開始100周年」より
在キューバ日本大使館でもらったパンフレット「キューバにおける日本のプレゼンス 日本・キューバ交流開始100周年」より
「1868年以降、日本国内の事情により、多くの日本人が国内で仕事を見つけることができず、よりよい暮らしと一攫千金を求めて移民の道を選んだ。彼らは、様々な理由、主に経済的竜から、故郷に錦を飾る事を夢見る出稼ぎ労働者として自国を離れていったのである。
出稼ぎ労働者たちの際しょん定住地は、ハワイや他のアジア諸国、アメリカ合衆国、カナダ等であったが、そのような定住地において成功の見込みがなかった日本人は、帰国する資金さえままならぬ状況であったために周辺諸国に移り住む他に方法がなかった。
主にアメリカ合衆国のタンパ、キーウェスト、ワシントンDC、メキシコのベラクルス及び米州地域の他の国々からキューバへ到着した人々が日本人として初めてキューバに移り住んだ人々である。
1914年、藤代という日本人移民がキューバへ着いたがその時すでにキューバには60名程度の日本人がいた。数ヶ月後彼は67名の日本人を連れてきたが、一団はサンタ・クララ、トリニダなど中部に定住した。その地で彼らは、既に入植の始まっていたシエンフエゴス県のカンポ・デ・カルメリナとして知られる場所での経験を生かし入植を続けた。なおカンポ・デ・カルメリナには翌年、最初の日本生産者組合が設立されることになる。
20年代は日本人移民がキューバへ大挙して押し寄せてきた時期であり、国内各地の移民グループの間では、国内の協力を推進するため新しい組織を構成することと、彼らの活動の財源を獲得するために、政府に対し公的地位を得る必要性が高まった。
こうして1927年には加藤英二氏が代表する”キューバ日本教会”、1933年には吉沢正氏が代表する”松島農業組合”が結成され、その他、松島の小林トメハチ氏が代表する組合やハバナ市内レイリー通りにある大平氏が代表する組合など、政府非公認の組織も結成された。
キューバへの日本人移民は大まかに幾つかの時期に分類されることができる。第1期は移民を開始した19世紀末から1914年、第2期は1915年から1923年、第3期は1924年から1926年。特にこの第3期は日本船籍の船が計382名の日本人を乗せてキューバに到着するなど、移民数から見て非常に重要な時期であった。この時期にやってきた日本人の90%が男性であったが、多くは金を稼いだ後に日本に戻るか、日本から連れてきた女性と結婚したため、ごく少数の者しかキューバ人と結婚しなかった。
1943年から1946年が第4期で、第二次世界大戦で18歳以上の日本人がほとんど松島の刑務所に収容された。最終期は1948年から現在に至る。
キューバへの移民の場合、日本人は特定の場所にとどまることなく、当時の6県46カ所と松島等、島全体に広がって定住し、農業、鉱業、砂糖業、漁業、園芸業、機械工、電気工や様々なサービス業に就いた。
キューバにやってきた日本人移民の数はそれほど多くなかったものの、彼らは非常に規律正しく、献身的で勤勉な美徳を有しており、また日本各地の独自の伝統と習慣等をもたらしたのみならず、彼等の子孫にまでそれらが受け継がれたため、質という面では大いなる足跡を残した。
移民としてキューバに渡った日本人の数は、2000年までに約170名にのぼるが、そのほとんどが第二次世界大戦前に渡ってきた者である。戦時中には
345名の男性と68名の女性が残留したが、この時以来20世紀末までキューバにやってきた日本人は20名にも満たない数であった。
1898年から1943年にかけてキューバに到着した日本人移民の中には、原田モサク、竹内賢治、大家サムロ、内藤ゴロウ、加藤英二等名声ある者がいたが、2000年に生存している者はわずか10名(女性6名、男性4名)に過ぎなかった。
紛れもなく、日本人移民及びキューバ生まれのその子孫達は、過去及び現在において、他国からの移民と同様、キューバの国民性とアイデンティティを豊かにしている。」
「1868年以降、日本国内の事情により、多くの日本人が国内で仕事を見つけることができず、よりよい暮らしと一攫千金を求めて移民の道を選んだ。彼らは、様々な理由、主に経済的竜から、故郷に錦を飾る事を夢見る出稼ぎ労働者として自国を離れていったのである。
出稼ぎ労働者たちの際しょん定住地は、ハワイや他のアジア諸国、アメリカ合衆国、カナダ等であったが、そのような定住地において成功の見込みがなかった日本人は、帰国する資金さえままならぬ状況であったために周辺諸国に移り住む他に方法がなかった。
主にアメリカ合衆国のタンパ、キーウェスト、ワシントンDC、メキシコのベラクルス及び米州地域の他の国々からキューバへ到着した人々が日本人として初めてキューバに移り住んだ人々である。
1914年、藤代という日本人移民がキューバへ着いたがその時すでにキューバには60名程度の日本人がいた。数ヶ月後彼は67名の日本人を連れてきたが、一団はサンタ・クララ、トリニダなど中部に定住した。その地で彼らは、既に入植の始まっていたシエンフエゴス県のカンポ・デ・カルメリナとして知られる場所での経験を生かし入植を続けた。なおカンポ・デ・カルメリナには翌年、最初の日本生産者組合が設立されることになる。
20年代は日本人移民がキューバへ大挙して押し寄せてきた時期であり、国内各地の移民グループの間では、国内の協力を推進するため新しい組織を構成することと、彼らの活動の財源を獲得するために、政府に対し公的地位を得る必要性が高まった。
こうして1927年には加藤英二氏が代表する”キューバ日本教会”、1933年には吉沢正氏が代表する”松島農業組合”が結成され、その他、松島の小林トメハチ氏が代表する組合やハバナ市内レイリー通りにある大平氏が代表する組合など、政府非公認の組織も結成された。
キューバへの日本人移民は大まかに幾つかの時期に分類されることができる。第1期は移民を開始した19世紀末から1914年、第2期は1915年から1923年、第3期は1924年から1926年。特にこの第3期は日本船籍の船が計382名の日本人を乗せてキューバに到着するなど、移民数から見て非常に重要な時期であった。この時期にやってきた日本人の90%が男性であったが、多くは金を稼いだ後に日本に戻るか、日本から連れてきた女性と結婚したため、ごく少数の者しかキューバ人と結婚しなかった。
1943年から1946年が第4期で、第二次世界大戦で18歳以上の日本人がほとんど松島の刑務所に収容された。最終期は1948年から現在に至る。
キューバへの移民の場合、日本人は特定の場所にとどまることなく、当時の6県46カ所と松島等、島全体に広がって定住し、農業、鉱業、砂糖業、漁業、園芸業、機械工、電気工や様々なサービス業に就いた。
キューバにやってきた日本人移民の数はそれほど多くなかったものの、彼らは非常に規律正しく、献身的で勤勉な美徳を有しており、また日本各地の独自の伝統と習慣等をもたらしたのみならず、彼等の子孫にまでそれらが受け継がれたため、質という面では大いなる足跡を残した。
移民としてキューバに渡った日本人の数は、2000年までに約170名にのぼるが、そのほとんどが第二次世界大戦前に渡ってきた者である。戦時中には
345名の男性と68名の女性が残留したが、この時以来20世紀末までキューバにやってきた日本人は20名にも満たない数であった。
1898年から1943年にかけてキューバに到着した日本人移民の中には、原田モサク、竹内賢治、大家サムロ、内藤ゴロウ、加藤英二等名声ある者がいたが、2000年に生存している者はわずか10名(女性6名、男性4名)に過ぎなかった。
紛れもなく、日本人移民及びキューバ生まれのその子孫達は、過去及び現在において、他国からの移民と同様、キューバの国民性とアイデンティティを豊かにしている。」
ハバナでひきこもり+キューバ最終日
2008.3.11(火)ー12(水)
11日は激しい腹痛にさいなまれ一日ひきこもり。この旅で1日宿にいたのはメキシコのグアダラハラ以来1ヶ月ぶりくらいだが、そのときも腹痛だった。ただ、そのときはたいしてひどくなく、本を読んだりする気力もあったが、この日はひどくずっと寝てる。たまにラスタに関する本を読んだりもするが。ベッドから見える空は、天気がいいこともあってなかなかよろし。
寝ていたら宿主の人が自家製のポカリスウェットのような飲み物(水に塩と何かを入れているよう。味は甘くないポカリスウェット)を作ってくれて、飲む。
昼と夜は、バナナとキャッサバを摺りおろしてお湯で溶かしたどろどろの食事を作ってくれる。味は里芋と小豆を混ぜたような味。キューバ式の病時食(?)を経験できるとは。ありがたや。
翌日(3/12)、全快とはいかないまでもほぼ回復。ただ、日中はほとんど、たまっていたジャマイカでの日記などを整理。夜は同部屋の学生3人とハバナビエハのレストランに飲みに行く。ビールのみ少し飲むが、日本のビールよりも炭酸がきつくなくてよろしい。
彼等とはこの日以外にもキューバの印象について話したり
したが、その際出てきたのは、ぼくの印象も含めて書くと、次のようなこと。
・給料が安く(平均15CUC)生活が大変(物があっても買えない)。
・物がない(絶対的に足りないものもありそう)。
・共産主義の理想を実践しようとしているのは政府関係者のみではないか。
・CASAをやっている人はけっこうな金持ちだから、それ以外のキューバ人がどのような生活をしているかがよくわからない(見えない)。
・本(吉田太郎著)には、キューバの医療についてきれいに書いてあるが、ちょっときれいすぎるのでは。
この日はキューバ最終日だったが、とりあえず今回の旅(通算16日間)は十分という感じ。
おわり。
2008.3.14(金)
サント・ドミンゴよりアップ
11日は激しい腹痛にさいなまれ一日ひきこもり。この旅で1日宿にいたのはメキシコのグアダラハラ以来1ヶ月ぶりくらいだが、そのときも腹痛だった。ただ、そのときはたいしてひどくなく、本を読んだりする気力もあったが、この日はひどくずっと寝てる。たまにラスタに関する本を読んだりもするが。ベッドから見える空は、天気がいいこともあってなかなかよろし。
寝ていたら宿主の人が自家製のポカリスウェットのような飲み物(水に塩と何かを入れているよう。味は甘くないポカリスウェット)を作ってくれて、飲む。
昼と夜は、バナナとキャッサバを摺りおろしてお湯で溶かしたどろどろの食事を作ってくれる。味は里芋と小豆を混ぜたような味。キューバ式の病時食(?)を経験できるとは。ありがたや。
翌日(3/12)、全快とはいかないまでもほぼ回復。ただ、日中はほとんど、たまっていたジャマイカでの日記などを整理。夜は同部屋の学生3人とハバナビエハのレストランに飲みに行く。ビールのみ少し飲むが、日本のビールよりも炭酸がきつくなくてよろしい。
彼等とはこの日以外にもキューバの印象について話したり
したが、その際出てきたのは、ぼくの印象も含めて書くと、次のようなこと。
・給料が安く(平均15CUC)生活が大変(物があっても買えない)。
・物がない(絶対的に足りないものもありそう)。
・共産主義の理想を実践しようとしているのは政府関係者のみではないか。
・CASAをやっている人はけっこうな金持ちだから、それ以外のキューバ人がどのような生活をしているかがよくわからない(見えない)。
・本(吉田太郎著)には、キューバの医療についてきれいに書いてあるが、ちょっときれいすぎるのでは。
この日はキューバ最終日だったが、とりあえず今回の旅(通算16日間)は十分という感じ。
おわり。
2008.3.14(金)
サント・ドミンゴよりアップ
ハバナの高級住宅街、宿でのごちゃごちゃ
080310(月)
昨日はハバナはずいぶん寒かったが、今日はだいぶ天気がいい。
午前中は日本大使館に訪ねごとをするために行く。P1のバスに乗って大使館のあるMiramarという地区に行く。この地区は高級住宅街だそうで、たしかに豪華な一軒家やマンションが目に付く。ホテルがまた豪華で、ハバナにこんなホテルがあったのかと驚く。
メキシコシティと違って、日本大使館が入っているビルには日の丸がぶらさげられており、これでここにあるのだということがわかる。ビルに向かっているときにパスポートをもってこなかったことに気づく。メキシコシティではビルの1階の入り口でIDを求められたので、それと同じだと入れないなと思いながら、とりあえず行く。
ビルに入ると普通のビルのように受付はあったが、検問はない。素通りできそうだったが、受付の人がこっちを見ていたので、念のため日本大使館に行きたいと伝えると”five"と5階にあることを教えてくれる。
エレベーターに乗り、5階へ。エレベーターを降りるとさすがに警備員がいる。けっこう年がいってそうな年輩のおじさんで、一応銃は持っているが弱そう。「こんにちは」と日本語で話しかけてきて、誰に会いたいかと聞いてくる。誰にと言われても誰でもいいので、ツーリストカードについて聞きに来たと日本語で伝えるが、どうもわかっていないよう。
片言スペイン語まじりで伝えるが、やっぱり伝わってなさそう。ここで、やっぱりパスポートの提示を求められたが、持っていないというと、大使館の閉まっているドアの横にあるドアフォン(?)で大使館の職員にスペイン語でそれも含め来客を告げている。
すぐに職員が出てきて用件を聞かれる。用件を伝えると中に入れてくれる。
重たいドアを入るとロビーになっていて、机の上には日本の主要4紙の新聞が積まれている。本棚には日本語の雑誌もある。雑誌は数年前のものばかりで古い。
ツーリストカードについて聞く。ドミニカからカンクンに戻るときにハバナでトランジットで24時間ほど空港内で待とうと思ってるのだが、ツーリストカードはそうした滞在でも必要なのかが知りたかった。事前の情報では24時間以内の滞在ならツーリストカードはいらないというような話もあったが、定かでなかったため。
キューバの入国審査はこれまで2回ともひっかかっているし(最終的に問題はなかったが)、ツーリストカード代も25CUC(約3000円)するし、さらにいったん入国したら今度は出国税としてプラス25CUCがかかるので、できればドミニカからの帰りはキューバには入国せずに済ませたいのだ。
職員は一旦事務室に行き、別の職員に確認してくる。それによるとツーリストカードは入国時に必要なものなので、入国しなければ(入国審査を通らないなら)必要ないとのことだった。
ただ、これまではカンクンでもキングストンでも空港でのチェックイン時にツーリストカードの提示を求められたので、その点について聞くと、説明すれば大丈夫だろうが、厳しいところではその場で買わされるかもしれないとのことだった。
対応は丁寧で、一通り知りたいことを教えてもらう。それでありがとうござましたと伝えると、”新聞などもあるので良かったら読んでいってください”と言われる。
その親切な対応にのっかって、ロビーの壁に貼られていたパンフレットの残部があればもらえないか訪ねる。職員はたぶん大丈夫と事務室に戻り、そのパンフを取ってきてくれ、ありがたくいただいて帰る。
パンフレットは「キューバにおける日本のプレゼンス 日本・キューバ交流開始100周年」というタイトルで、キューバへの日本人移民のことなどを紹介している。
しばらく高級住宅街を徘徊。小さなショッピングモールにはベネトンやアルマーニの店もあるが、ほかと同様店内は暗い。
バスに乗ってホテルハバナリブレの近くにあるクバーナ航空に行く。20分ほど待ってリコンファーム完了。対応は相変わらずそっけない。
それから革命広場にある内務省の壁に描かれている(正確には電飾されているものなので描かれてはいないが)下バラを見に行く。
革命広場に行く道すがら病院の前の路上で古本を売っているおじさんがいた。日本にいる間にみたカストロへのインタビュー番組の本があったので、しばし迷うがその値段にまけ買う。値段は40ペソ(約200円)。スペイン語だからたぶん読むことはなさそうだが、記念に購入。
革命広場には、観光バスが5台ほど停まっており、ヨーロッパ系の観光客がわさわさ歩き、ゲバラの前で写真を撮っている。
さっきの本を買ったことでペソがなくなったので、アストロのバスターミナルに行く。そこで3CUCをペソに両替。今日もレートは1CUC=24ペソだった。
ターミナルはこの間、来たときと同様バスを待っている人がいっぱい。ターミナルの中にある本屋にさっき買った本がいくらで売っているか見に行くが店内にはなし。
歩いて宿に戻る。途中、のどが乾いたので道ばたの店で2ペソのタマリンドのコップジュース1杯、バディード(シェイク)1杯、1ペソのサトウキビコップジュースを飲みながら帰る。キングストンではありえない安さ。経済面だけで言えばジャマイカよりもキューバの方が圧倒的に”発展途上”だなと感じる。
歩いていたらたまたますれ違った日本人に話しかけられる。大きな荷物を持っており、聞くとサンティアゴ・デ・キューバなどに行って戻ってきたところらしい。安い宿を探しているようで、それを知っていれば教えてくれないかという。
ぼくが泊まっている宿は、宿主と仲介者間の取り決めで、メールでの予約なしの人間は泊められないが、宿の近くのCASAマークが出ているところを案内することはできると言うと、それでもいいというので、バスに乗ってカピトリオまで行き、宿の近くのCASAマークがあるところを案内する。
泊まっているすぐ近くのCASAマークを出している建物の人に一泊いくらか聞くと食事なしで25cuc(約3000円)と言う。その人は予算の上限が20CUCだそうで、そこまで値下げできないか聞く。話していた女の人はちょっと待ってと電話する。
電話が終わったので、また安くできないか聞くが、スペイン語なのでなんと行っているのかわからない。ただ、仕草から泊まる部屋はマークを出している建物ではなく、ぼくが泊まっている宿(10階)が入っているビルの9階だというようなことがわかる。
そして、そこのおばさんがここに迎えに来るという。しばらくしてやってきたおばさん(というよりもおばあさんに近い)は、エレベーターで見たことのあるおばさん。”Vamos(バーモ)"
というので、着いていくがなんか嫌な予感。
入り口で宿主のおばさんとすれ違う。ああ、こりゃまずいなと思うが、どうしようもない。
9階の部屋に案内され、その日本人の人はもう一度価格交渉をするが、20cucから下には下がらない。とりあえずそれで数泊することにするが、もっと安い方がいいというので、もしもの可能性を考えてぼくが泊まっている宿にも連れていく。
ちょうど宿を仲介している日本人女性(見た目40代後半:以下、仲介者)が宿にいたので、泊まることはできるか聞くが、やはりメールでの予約なしでは泊まれないと言う。
普通の宿なら部屋が空いている限り大丈夫だから、なぜだめなのか聞くと、その仲介者が言うに、以前は予約なしで受け入れていたときもあったが、家族の方が事前連絡もなしに次から次に来る客にストレスを感じて嫌になったからだという。それで客をコントロールするためにメールでの事前予約のみにしたらしい。
仲介者はひととおり説明した後、彼にどこに泊まっているか聞く。9階だと言うと、う~ん、それはそれでけっこうまずいかも、と仲介者は言う。
なぜか聞くと、ここの宿主と9階のおばさんは以前、客を巡って大喧嘩したらしい。具体的には、当時10階は1泊15CUC(食事つき)でやっており、9階は1部屋20CUC(食事なし)でやっていた。最初に日本人の客がついたのは10階の方だが、9階のおばさんはエレベーターで乗り合わせた日本人に自分の宿の名刺を渡したりして宣伝したら、2人連れの旅行者を中心に9階に客が流れたらしい。キューバでの5CUCはでかいので、無理もない。
それに怒った10階の宿主は、仲介者にメキシコの宿にある情報ノート(旅人が各地の旅行情報を書き込んでいるノート)に書かれている9階の宿の宣伝記事や名刺を消してきてくれと頼んだりし、また仲介者も実際にそれをして、もう9階には日本人が行かないと安心していたところだったらしい。
そこへ意図せざる結果とは言え、結果的にぼくが9階に客を紹介した形になったため、その仲介者は”まずい”と思ったよう。
仲介者は宿主に相談してくると言って宿主のところへ。面倒なことになったと2人で話ながら、仲介者を待つ。最終的には10階の宿主と9階の宿主が話をして、その日本人も2泊目以降は10階の宿泊者と同じく食事つきで15CUCに。この結果もよくわからない。
ぼくが最初にハバナに来たときはスウェーデン人の家族が10階と9階に別れて泊まっていたので、大喧嘩以降、10階と9階の間でなんらかの約束ごとができているのだろう。
その後は、宿にいる。ハバナは通算1週間ほどだが、さすがに飽きてきた。スペイン語がわかればもっと違うだろうが、歩ける範囲は歩き、だいたいの雰囲気はわかった気になってしまった。それからキューバでの予算はほぼ消化してしまったので、博物館などに行くのもちとつらい状態。
明日明後日と西のタバコ生産地などに行くつもりだったが、バス代が厳しいこともあり、ドミニカに行くまでハバナにいることにする。
おわり
2008.3.14(金)
サント•ドミンゴよりアップ
昨日はハバナはずいぶん寒かったが、今日はだいぶ天気がいい。
午前中は日本大使館に訪ねごとをするために行く。P1のバスに乗って大使館のあるMiramarという地区に行く。この地区は高級住宅街だそうで、たしかに豪華な一軒家やマンションが目に付く。ホテルがまた豪華で、ハバナにこんなホテルがあったのかと驚く。
メキシコシティと違って、日本大使館が入っているビルには日の丸がぶらさげられており、これでここにあるのだということがわかる。ビルに向かっているときにパスポートをもってこなかったことに気づく。メキシコシティではビルの1階の入り口でIDを求められたので、それと同じだと入れないなと思いながら、とりあえず行く。
ビルに入ると普通のビルのように受付はあったが、検問はない。素通りできそうだったが、受付の人がこっちを見ていたので、念のため日本大使館に行きたいと伝えると”five"と5階にあることを教えてくれる。
エレベーターに乗り、5階へ。エレベーターを降りるとさすがに警備員がいる。けっこう年がいってそうな年輩のおじさんで、一応銃は持っているが弱そう。「こんにちは」と日本語で話しかけてきて、誰に会いたいかと聞いてくる。誰にと言われても誰でもいいので、ツーリストカードについて聞きに来たと日本語で伝えるが、どうもわかっていないよう。
片言スペイン語まじりで伝えるが、やっぱり伝わってなさそう。ここで、やっぱりパスポートの提示を求められたが、持っていないというと、大使館の閉まっているドアの横にあるドアフォン(?)で大使館の職員にスペイン語でそれも含め来客を告げている。
すぐに職員が出てきて用件を聞かれる。用件を伝えると中に入れてくれる。
重たいドアを入るとロビーになっていて、机の上には日本の主要4紙の新聞が積まれている。本棚には日本語の雑誌もある。雑誌は数年前のものばかりで古い。
ツーリストカードについて聞く。ドミニカからカンクンに戻るときにハバナでトランジットで24時間ほど空港内で待とうと思ってるのだが、ツーリストカードはそうした滞在でも必要なのかが知りたかった。事前の情報では24時間以内の滞在ならツーリストカードはいらないというような話もあったが、定かでなかったため。
キューバの入国審査はこれまで2回ともひっかかっているし(最終的に問題はなかったが)、ツーリストカード代も25CUC(約3000円)するし、さらにいったん入国したら今度は出国税としてプラス25CUCがかかるので、できればドミニカからの帰りはキューバには入国せずに済ませたいのだ。
職員は一旦事務室に行き、別の職員に確認してくる。それによるとツーリストカードは入国時に必要なものなので、入国しなければ(入国審査を通らないなら)必要ないとのことだった。
ただ、これまではカンクンでもキングストンでも空港でのチェックイン時にツーリストカードの提示を求められたので、その点について聞くと、説明すれば大丈夫だろうが、厳しいところではその場で買わされるかもしれないとのことだった。
対応は丁寧で、一通り知りたいことを教えてもらう。それでありがとうござましたと伝えると、”新聞などもあるので良かったら読んでいってください”と言われる。
その親切な対応にのっかって、ロビーの壁に貼られていたパンフレットの残部があればもらえないか訪ねる。職員はたぶん大丈夫と事務室に戻り、そのパンフを取ってきてくれ、ありがたくいただいて帰る。
パンフレットは「キューバにおける日本のプレゼンス 日本・キューバ交流開始100周年」というタイトルで、キューバへの日本人移民のことなどを紹介している。
しばらく高級住宅街を徘徊。小さなショッピングモールにはベネトンやアルマーニの店もあるが、ほかと同様店内は暗い。
バスに乗ってホテルハバナリブレの近くにあるクバーナ航空に行く。20分ほど待ってリコンファーム完了。対応は相変わらずそっけない。
それから革命広場にある内務省の壁に描かれている(正確には電飾されているものなので描かれてはいないが)下バラを見に行く。
革命広場に行く道すがら病院の前の路上で古本を売っているおじさんがいた。日本にいる間にみたカストロへのインタビュー番組の本があったので、しばし迷うがその値段にまけ買う。値段は40ペソ(約200円)。スペイン語だからたぶん読むことはなさそうだが、記念に購入。
革命広場には、観光バスが5台ほど停まっており、ヨーロッパ系の観光客がわさわさ歩き、ゲバラの前で写真を撮っている。
さっきの本を買ったことでペソがなくなったので、アストロのバスターミナルに行く。そこで3CUCをペソに両替。今日もレートは1CUC=24ペソだった。
ターミナルはこの間、来たときと同様バスを待っている人がいっぱい。ターミナルの中にある本屋にさっき買った本がいくらで売っているか見に行くが店内にはなし。
歩いて宿に戻る。途中、のどが乾いたので道ばたの店で2ペソのタマリンドのコップジュース1杯、バディード(シェイク)1杯、1ペソのサトウキビコップジュースを飲みながら帰る。キングストンではありえない安さ。経済面だけで言えばジャマイカよりもキューバの方が圧倒的に”発展途上”だなと感じる。
歩いていたらたまたますれ違った日本人に話しかけられる。大きな荷物を持っており、聞くとサンティアゴ・デ・キューバなどに行って戻ってきたところらしい。安い宿を探しているようで、それを知っていれば教えてくれないかという。
ぼくが泊まっている宿は、宿主と仲介者間の取り決めで、メールでの予約なしの人間は泊められないが、宿の近くのCASAマークが出ているところを案内することはできると言うと、それでもいいというので、バスに乗ってカピトリオまで行き、宿の近くのCASAマークがあるところを案内する。
泊まっているすぐ近くのCASAマークを出している建物の人に一泊いくらか聞くと食事なしで25cuc(約3000円)と言う。その人は予算の上限が20CUCだそうで、そこまで値下げできないか聞く。話していた女の人はちょっと待ってと電話する。
電話が終わったので、また安くできないか聞くが、スペイン語なのでなんと行っているのかわからない。ただ、仕草から泊まる部屋はマークを出している建物ではなく、ぼくが泊まっている宿(10階)が入っているビルの9階だというようなことがわかる。
そして、そこのおばさんがここに迎えに来るという。しばらくしてやってきたおばさん(というよりもおばあさんに近い)は、エレベーターで見たことのあるおばさん。”Vamos(バーモ)"
というので、着いていくがなんか嫌な予感。
入り口で宿主のおばさんとすれ違う。ああ、こりゃまずいなと思うが、どうしようもない。
9階の部屋に案内され、その日本人の人はもう一度価格交渉をするが、20cucから下には下がらない。とりあえずそれで数泊することにするが、もっと安い方がいいというので、もしもの可能性を考えてぼくが泊まっている宿にも連れていく。
ちょうど宿を仲介している日本人女性(見た目40代後半:以下、仲介者)が宿にいたので、泊まることはできるか聞くが、やはりメールでの予約なしでは泊まれないと言う。
普通の宿なら部屋が空いている限り大丈夫だから、なぜだめなのか聞くと、その仲介者が言うに、以前は予約なしで受け入れていたときもあったが、家族の方が事前連絡もなしに次から次に来る客にストレスを感じて嫌になったからだという。それで客をコントロールするためにメールでの事前予約のみにしたらしい。
仲介者はひととおり説明した後、彼にどこに泊まっているか聞く。9階だと言うと、う~ん、それはそれでけっこうまずいかも、と仲介者は言う。
なぜか聞くと、ここの宿主と9階のおばさんは以前、客を巡って大喧嘩したらしい。具体的には、当時10階は1泊15CUC(食事つき)でやっており、9階は1部屋20CUC(食事なし)でやっていた。最初に日本人の客がついたのは10階の方だが、9階のおばさんはエレベーターで乗り合わせた日本人に自分の宿の名刺を渡したりして宣伝したら、2人連れの旅行者を中心に9階に客が流れたらしい。キューバでの5CUCはでかいので、無理もない。
それに怒った10階の宿主は、仲介者にメキシコの宿にある情報ノート(旅人が各地の旅行情報を書き込んでいるノート)に書かれている9階の宿の宣伝記事や名刺を消してきてくれと頼んだりし、また仲介者も実際にそれをして、もう9階には日本人が行かないと安心していたところだったらしい。
そこへ意図せざる結果とは言え、結果的にぼくが9階に客を紹介した形になったため、その仲介者は”まずい”と思ったよう。
仲介者は宿主に相談してくると言って宿主のところへ。面倒なことになったと2人で話ながら、仲介者を待つ。最終的には10階の宿主と9階の宿主が話をして、その日本人も2泊目以降は10階の宿泊者と同じく食事つきで15CUCに。この結果もよくわからない。
ぼくが最初にハバナに来たときはスウェーデン人の家族が10階と9階に別れて泊まっていたので、大喧嘩以降、10階と9階の間でなんらかの約束ごとができているのだろう。
その後は、宿にいる。ハバナは通算1週間ほどだが、さすがに飽きてきた。スペイン語がわかればもっと違うだろうが、歩ける範囲は歩き、だいたいの雰囲気はわかった気になってしまった。それからキューバでの予算はほぼ消化してしまったので、博物館などに行くのもちとつらい状態。
明日明後日と西のタバコ生産地などに行くつもりだったが、バス代が厳しいこともあり、ドミニカに行くまでハバナにいることにする。
おわり
2008.3.14(金)
サント•ドミンゴよりアップ
2008年3月5日水曜日
久しぶりのハバナ
2008.3.2(水)
サンティアゴ·デ·キューバを出てから約15時間。朝の6時半過ぎにハバナのターミナルに着く。バスの中が寒いので、外の空気が生ぬるく、ちょうどいい。
ターミナルの外にはすでにタクシーが客を待ちかまえていたが、1人だけに声をかけられただけで、あまりしつこくなく避けて通ることができる。歩いていつもの宿まで行くと1時間近くかかるが、途中でバスに乗ることができればと思い、宿のある旧市街の方角に向けて歩き出す。
まだ薄明るくなったばかり。人通りはすくない。10分ほど歩くと大きな通り沿いにバス停を発見。5人くらいがバスを待っている。どこに行くバスかわからなかったが、そこでバスを待つ。
10分ほど待ってバスが来たので、それに乗る。さすがに日曜の朝早くということで、がらがら。1ペソ。
バスは時速30kmくらいでのろのろ走る。中国製のバスでけっこう新しく、いつもならもっとスピードを出しているのに、客が少ない時間帯だからかなんなのか、運転がぬるい。
海の方向に向かってバスは進む。これまた10分ほどしたら終点のようで、そこで降ろされる。工場のような建物が散見できる場所で、まだ一度も来たことのないところだった。
しょがないので、また歩く。海沿いに行けばもっとはっきり位置がわかるだろうと思い、北を目指す。
すると2分もしないうちに大きな通りに出る。見覚えのある通りで100mほど先にバス停が見える。ヒッチハイクをしている地元のおじさんがいるが、うまく車が捕まらないよう。
バス停では3人位の人がバスまち。ぼくも一緒に待つ。すぐにバスは来る。しかもよく使っていたバスで旧市街にいくバス。これで楽して宿に行けると安心。1ペソ。
こちらのバスも運転がぬるい。時速30km。車内はがらがら。道にも人はほとんどいない。何度かとおった通りを通って、宿近くまで来る。だが、まだ7時半と早いので、終点まで行ってみることにする。
バスはプンタ要塞のそばを通り、江戸時代に伊達藩の遣欧使節団としてキューバにも来た支倉常長(はせくらつねなが)の像のそばを通り、ハバナ湾沿いを通る。さらにハバナ駅前をとおり、ラム酒博物館前を通る。
バス待ちの人もいないところで、バスが停まり、運転手はキーのロックをかけ、外に出る。なので、ここが終点かと思い、他の乗客の様子も見たが、他の人は座ったまま。
なんだ?と思っていたら、道沿いのコーヒーを売っているスタンドみたいなところで、運転手はコーヒーを飲んでいる。50mlくらいの小さなカップで一口でコーヒーを飲み干し、運転手はまた運転席に戻ってきて、そのまま何もなかったかのように運転を再開する。
そこから5分もしないうちに本当にバスは終点のようで、運転手にそれらしきことを言われる。宿にも近いところだったので、また歩いて宿に向かう。依然として人通りは少ない。
8時すぎに宿に到着。宿では日本人2人が朝食中だった。うち1人はメキシコの宿で一緒だった人。だが、お互いにどっかで会ったことがあるという程度でしかわからず、後に正確にわかる。
宿に戻ってシャワーを浴びて、しばらくこの宿を仲介している日本人の人が、ちょうど今、ここに泊まっていたので、その人にキューバの話を聞く。
内容は割愛。
cucが少なくなっていたので、両替所(CADECA:カデカ)に行く。だんだん日本円のレートが良くなってきている。最初よりも5円ほどいい。
両替が済んでから道ばたで新聞を売っているおじいさんから”Granma International"という英字紙を買う。1cuc。どうもこれも外貨獲得の一環のよう。値段の表示が1cucだ。
新聞は全部で16面あり、1面の次から7ページぶんが国内のニュース。そのうちの1ページ(3面)は、"Reflections of Fidel"というページで、フィデル·カストロのサイン入りの記事が2本載っている。タイトルだけ抜粋すると一本は”What I wrote on Thuesday the 19th"でもう一本は"Who wants to be in the garbage dump?"。
真ん中の見開きの2面(8~9面)が特集記事で、次の見開きが文化欄。12面はGeneral newsという欄で、国内のブックフェアに関する記事やイギリスがキューバとの関係を浴し湯としていると言う記事などが載っている。
13面は国際面で2本の記事があり、コソボのことがほぼ丸ごと使われている。もう一本は、小さな記事でロシアとセルビアの話が載っている。14面と15面は”Our America"のページでドミニカ共和国の選挙の話やボリビアの話などが載っている。
最後の16面は、この日はUSAの対キューバ策に関する記事で"Bush's Justice and Anti-Cuban Terrorism"と題されている。
ネットでも毎日記事は更新されているみたい。
昼前ということで、気になっていた店を探してまちを歩く。この間、ビシタクシー(三輪自転車)に乗ったときにOKINAWAという店名が書かれた小さな店があったので、そこに行ってみたかった。
10分ほどで見つかる。入り口ではハンバーガーを売っている。どうもバーのようで、入り口のメニュー表にはラムとかビールとかしか書いていない。せっかくのキューバなのでラムを頼む。35mlで3ペソ。
ぼくが店内に入っても何も反応がない。店の人もアフリカ系の人なので、オキナワというのはただ適当に付けただけのよう。言葉がわからないので由来を聞けず。
通りで売っているArroz Flito(キューバ式チャーハン)を買って宿で食べる。
宿では3週間ほどここに泊まっていたスウェーデンの家族が帰国の準備をしている。その家族は両親と子ども4人で1年間世界各国を旅行している家族。資金は住んでいた家も売り払ってつくったらしい。両親は作家で父親は小説を少しとあとはいろんな記事を書き、母親は子育てに関する本を書いているという。
4人きょうだいは上から男、男、女、女で、3番目の女の子(18歳:には見えないが)が日本好きで、日本語を話す。ここには日本人ばかり泊まるので、よくぼくらの部屋に来て誰か彼かと話していた。
飯を食い終わって、ネットでジャマイカの宿の住所などをメモする。それから、そのスウェーデンの子が、今日は最後だからコッペリアにでも行かないというので、同宿の日本人男3人と彼女で行くことに。
コッペリアはキューバで超人気があるアイス屋。歩いて30分ほどかけていくと、今日も長蛇の列。軽く100人は並んでいる。
ただ、ここも外国人と地元の人とは分けられていて、外国人用のところは客が少ないので、待たずに食える。敷地内に行くと、係員がいて僕らを見ると、あちらへと外国人用の方を案内する。
アイスはだいたい1玉(?)120円くらい。ぼくらはパフェみたいなものを頼む。2玉ついて400円くらい。
話題は彼女が好きな日本のマンガやビジュアル系のバンドの話やスウェーデンの話。
夕方まで話してから、夕食の時間に合わせて帰る。
スウェーデン人家族は夜中1時くらいのフライトらしく22時前に宿を出ていく。それを見送ってのち、同宿の日本人男3人はジャズバーに音楽を聞きに行った。その店の演奏は23時くらいから始まって2時くらいまでやっているという。昨日の土曜日はブエナビスタソシアルクラブが演奏していたらしく、昨日も行ったという人は、すげぇかっこよかったと言っていた。
ぼくともう1人、明日キューバを出国する人は宿で荷仕度。ぼくの方が飛行機の便は早いが、彼もタクシー代を浮かせたいとのことだったので、明日は一緒にタクシーで空港に行くことになった。
今度は2人で15cuc。それの半額だから、行きの約30cucと比べれば安い。
おわり
2008.3.4(火)
キングストンよりアップ
サンティアゴ·デ·キューバを出てから約15時間。朝の6時半過ぎにハバナのターミナルに着く。バスの中が寒いので、外の空気が生ぬるく、ちょうどいい。
ターミナルの外にはすでにタクシーが客を待ちかまえていたが、1人だけに声をかけられただけで、あまりしつこくなく避けて通ることができる。歩いていつもの宿まで行くと1時間近くかかるが、途中でバスに乗ることができればと思い、宿のある旧市街の方角に向けて歩き出す。
まだ薄明るくなったばかり。人通りはすくない。10分ほど歩くと大きな通り沿いにバス停を発見。5人くらいがバスを待っている。どこに行くバスかわからなかったが、そこでバスを待つ。
10分ほど待ってバスが来たので、それに乗る。さすがに日曜の朝早くということで、がらがら。1ペソ。
バスは時速30kmくらいでのろのろ走る。中国製のバスでけっこう新しく、いつもならもっとスピードを出しているのに、客が少ない時間帯だからかなんなのか、運転がぬるい。
海の方向に向かってバスは進む。これまた10分ほどしたら終点のようで、そこで降ろされる。工場のような建物が散見できる場所で、まだ一度も来たことのないところだった。
しょがないので、また歩く。海沿いに行けばもっとはっきり位置がわかるだろうと思い、北を目指す。
すると2分もしないうちに大きな通りに出る。見覚えのある通りで100mほど先にバス停が見える。ヒッチハイクをしている地元のおじさんがいるが、うまく車が捕まらないよう。
バス停では3人位の人がバスまち。ぼくも一緒に待つ。すぐにバスは来る。しかもよく使っていたバスで旧市街にいくバス。これで楽して宿に行けると安心。1ペソ。
こちらのバスも運転がぬるい。時速30km。車内はがらがら。道にも人はほとんどいない。何度かとおった通りを通って、宿近くまで来る。だが、まだ7時半と早いので、終点まで行ってみることにする。
バスはプンタ要塞のそばを通り、江戸時代に伊達藩の遣欧使節団としてキューバにも来た支倉常長(はせくらつねなが)の像のそばを通り、ハバナ湾沿いを通る。さらにハバナ駅前をとおり、ラム酒博物館前を通る。
バス待ちの人もいないところで、バスが停まり、運転手はキーのロックをかけ、外に出る。なので、ここが終点かと思い、他の乗客の様子も見たが、他の人は座ったまま。
なんだ?と思っていたら、道沿いのコーヒーを売っているスタンドみたいなところで、運転手はコーヒーを飲んでいる。50mlくらいの小さなカップで一口でコーヒーを飲み干し、運転手はまた運転席に戻ってきて、そのまま何もなかったかのように運転を再開する。
そこから5分もしないうちに本当にバスは終点のようで、運転手にそれらしきことを言われる。宿にも近いところだったので、また歩いて宿に向かう。依然として人通りは少ない。
8時すぎに宿に到着。宿では日本人2人が朝食中だった。うち1人はメキシコの宿で一緒だった人。だが、お互いにどっかで会ったことがあるという程度でしかわからず、後に正確にわかる。
宿に戻ってシャワーを浴びて、しばらくこの宿を仲介している日本人の人が、ちょうど今、ここに泊まっていたので、その人にキューバの話を聞く。
内容は割愛。
cucが少なくなっていたので、両替所(CADECA:カデカ)に行く。だんだん日本円のレートが良くなってきている。最初よりも5円ほどいい。
両替が済んでから道ばたで新聞を売っているおじいさんから”Granma International"という英字紙を買う。1cuc。どうもこれも外貨獲得の一環のよう。値段の表示が1cucだ。
新聞は全部で16面あり、1面の次から7ページぶんが国内のニュース。そのうちの1ページ(3面)は、"Reflections of Fidel"というページで、フィデル·カストロのサイン入りの記事が2本載っている。タイトルだけ抜粋すると一本は”What I wrote on Thuesday the 19th"でもう一本は"Who wants to be in the garbage dump?"。
真ん中の見開きの2面(8~9面)が特集記事で、次の見開きが文化欄。12面はGeneral newsという欄で、国内のブックフェアに関する記事やイギリスがキューバとの関係を浴し湯としていると言う記事などが載っている。
13面は国際面で2本の記事があり、コソボのことがほぼ丸ごと使われている。もう一本は、小さな記事でロシアとセルビアの話が載っている。14面と15面は”Our America"のページでドミニカ共和国の選挙の話やボリビアの話などが載っている。
最後の16面は、この日はUSAの対キューバ策に関する記事で"Bush's Justice and Anti-Cuban Terrorism"と題されている。
ネットでも毎日記事は更新されているみたい。
昼前ということで、気になっていた店を探してまちを歩く。この間、ビシタクシー(三輪自転車)に乗ったときにOKINAWAという店名が書かれた小さな店があったので、そこに行ってみたかった。
10分ほどで見つかる。入り口ではハンバーガーを売っている。どうもバーのようで、入り口のメニュー表にはラムとかビールとかしか書いていない。せっかくのキューバなのでラムを頼む。35mlで3ペソ。
ぼくが店内に入っても何も反応がない。店の人もアフリカ系の人なので、オキナワというのはただ適当に付けただけのよう。言葉がわからないので由来を聞けず。
通りで売っているArroz Flito(キューバ式チャーハン)を買って宿で食べる。
宿では3週間ほどここに泊まっていたスウェーデンの家族が帰国の準備をしている。その家族は両親と子ども4人で1年間世界各国を旅行している家族。資金は住んでいた家も売り払ってつくったらしい。両親は作家で父親は小説を少しとあとはいろんな記事を書き、母親は子育てに関する本を書いているという。
4人きょうだいは上から男、男、女、女で、3番目の女の子(18歳:には見えないが)が日本好きで、日本語を話す。ここには日本人ばかり泊まるので、よくぼくらの部屋に来て誰か彼かと話していた。
飯を食い終わって、ネットでジャマイカの宿の住所などをメモする。それから、そのスウェーデンの子が、今日は最後だからコッペリアにでも行かないというので、同宿の日本人男3人と彼女で行くことに。
コッペリアはキューバで超人気があるアイス屋。歩いて30分ほどかけていくと、今日も長蛇の列。軽く100人は並んでいる。
ただ、ここも外国人と地元の人とは分けられていて、外国人用のところは客が少ないので、待たずに食える。敷地内に行くと、係員がいて僕らを見ると、あちらへと外国人用の方を案内する。
アイスはだいたい1玉(?)120円くらい。ぼくらはパフェみたいなものを頼む。2玉ついて400円くらい。
話題は彼女が好きな日本のマンガやビジュアル系のバンドの話やスウェーデンの話。
夕方まで話してから、夕食の時間に合わせて帰る。
スウェーデン人家族は夜中1時くらいのフライトらしく22時前に宿を出ていく。それを見送ってのち、同宿の日本人男3人はジャズバーに音楽を聞きに行った。その店の演奏は23時くらいから始まって2時くらいまでやっているという。昨日の土曜日はブエナビスタソシアルクラブが演奏していたらしく、昨日も行ったという人は、すげぇかっこよかったと言っていた。
ぼくともう1人、明日キューバを出国する人は宿で荷仕度。ぼくの方が飛行機の便は早いが、彼もタクシー代を浮かせたいとのことだったので、明日は一緒にタクシーで空港に行くことになった。
今度は2人で15cuc。それの半額だから、行きの約30cucと比べれば安い。
おわり
2008.3.4(火)
キングストンよりアップ
グアンタナモからサンティアゴ、そしてハバナへ
2008.3.1(土)
朝は6時半頃に目覚める。朝食は7時半に頼んでいたので、それまで身辺整理。
7時頃、ブザーの音が鳴る。雇われている人が来たよう。7時半過ぎに中庭に出ていくと朝飯の準備ができていた。ベーコンエッグのようなものと果物(みかん、バナナ、グァバ)、オレンジジュース、コーヒー、パン。
8時半頃、宿代15cuc(約1800円)と朝食代3cuc(約360円)を払い、宿を出る。昨日はターミナルまで馬車で行ったが、今日は荷物があるのでビシタクシー(三輪自転車)で行くことにする。
ちょうど通りがかったビシタクシーのおじさんに声をかけ、ターミナルに行きたい旨を伝え、いくらか聞く。するとおじさんは、にこっとして人差し指を1本立てる。
”1cuc?”と聞くと、うなづく。距離としては昨日の陽気なおじさんに乗せてもらった距離と変わらないはずだが、やはりそうきたか。昨日のおじさんは本当に古き良きキューバ人だったのではないかと、改めて強く思う。
ターミナルに行くには、坂道もあるので、1cucでOKし、荷物ともども乗り込む。やはり坂はつらそう。かつチェーンが緩んでいるようで、途中でチェーンが外れる。歩道を歩いているおじさんよりも遅いので、チェーンが外れたのをいい機会だと思い、ここで降りると伝えると、聞こえているのかいなかったのか、いいや大丈夫、というような仕草をする。
なので、最後まで乗る。10mほど前を歩いていたおじさんには結局追いつくことなく、ターミナルもどきがある幹線道路沿いに出る。
1cucを払いトラックバスが停まっているところに向けて歩き始めたとき、横から30代くらいのにいちゃんたちが”サンチアーゴ”と言いながら寄ってくる。"Si"と言うと、腕をにぎって自分の乗り合いタクシーの方に連れていこうとする。
それで、ノーと言って、あっちのバスに乗ると言っても、聞かない。彼らのタクシーの値段を聞くと20cuc(約2400円)とのたまう。外国人用のバスでさえ15cucもしないのに、何を言うかと、ノーと言うと、すぐに10cucまで落ちる。
それでも高いので、NOと言うと6cucという中途半端な数字を言う。おそらくこの辺が彼らの下限なのだろう。それでもNOというと5cucになるので、まぁ、それくらいならとOKする。
この車はバンのような形(正式には呼び方が違うだろうが)をしていて、後部には向かい合って8人が座って乗れるようになっている。その8人+助手席に2人。助手席はそれだけの余裕があるので、2人座ってもきつくはない。
その乗り合いタクシーのおじさんに促されるままに車まで行く。荷物をかせというので、渡したら屋根の荷台に放り投げる。つい、”あっ、このバカ”とつぶやく。放り投げるなんてなんてことを。
一応、荷物はロープで縛ってくれたが、どうも心配なので、ちゃんと固定されているか、中身をいじっていないか何度か確認する。
トラックバスの方は、サンティアゴ行きが乗り場にやってきて、待っていた乗客が乗るとすぐに出ていく。客が集まりやすいぶん、やっぱりバスの方が早かったかな、とやや後悔。
乗り合いタクシーの方は、運転手等が声を張り上げ、客引きを行うがなかなか座席が埋まらない。まだ発車する準備もできていないのに、集金に来る。ポケットのお札を出して、5cucだけ渡すとぼくが持っていた別の1cuc札を奪って、"6cuc"と言い出す。はあ?と思い、5と言ったじゃないかと言っても、横に首をふるだけ。
なんだかこういう強欲な奴は相手にするだけ無駄と最近、思い始めたので、はいはい恵んであげますよ、って感じでそのままにする。
なんでこう交通機関の仕事をしている人は、強欲な人が多いのだろうと思ってしまう。観光客に接触しやすく、商売上の裁量が自分に比較的あるからか。あるいは主導権を握っている(自分が運転しないと客は移動できない)と思うからか。簡単に一般化はできないだろうが、経験上ではどうもそのような傾向があるように思えてならない。
やっぱりバスにすれば良かったなと思いつつ、今更乗り換えるのも面倒なので、出発を待つ。20分ほどしてようやく後部に8人の客が確保でき、出発。他の客はどうも30ペソくらい払っているよう。だからバスの3倍くらいか。
エンジンがかかっているのに、運転席にある速度メーターも燃料メーターもゼロのまま動いていない。壊れているよう。どうやって燃料の状況を把握しているのだろう。
車は体感で言うと、時速60~80kmくらいでどんどん飛ばす。30分ほどすると前に出たバスを追い抜く。やはりこちらの方が圧倒的に早い。途中、警察のチェックを受けているトラックバスを見る。どうも人間の過剰積載を発見されたよう。
こちらの車は警察が近くにいる場合以外は、バンバンとばす。
当初、トラックバスで3時間くらい(ビアスールのバスが2時間)を覚悟していたが、タクシーは速かった。1時間15分ほどでサンティアゴに到着。9時20分頃。
3日ぶりのサンティアゴは空気が悪かった。ポンコツ車が黒煙を吹き出しながら走っているから、その排気ガスのにおいがまず鼻をつく。
歩いて中心部に向かう。ジャマイカの宿からのメールを見ないといけないので、電話局に行き、メールをチェック。無事、初日の宿は決まり。
それから歩いてまたバスターミナルに向かう。歩いていたらカーサがどうのと言いながら60歳位に見えるおじさんが話しかけてくる。
いろいろ話しかけてくるのだが、そもそもかすれ声なのでスペイン語以前に単語すら聞き取れない。わけがわからないので、適当にほっておくがずっと付いてくる。
道ばたでおばあちゃんが売っていたお菓子が気になったのでかって食べる。まずまずうまい。それから豆菓子のようなものも売っていたので、そのひっついきているおじさんにあれ何?と聞くが、ココ(=ココナッツ)なんとかとしかわからず。
それで買おうと思い、並ぶとそのくっついてきているおじさんが1枚2ペソというので、2ペソを出していると、もう2ペソという。そして、自分が売っている人に頼んでやるからというような仕草をするので、計4ペソぶんのおカネをおじさんに渡す。
お菓子は2種類あったので、2種類買ってくれるのかと思いきや同じ物を2枚買い、当然のごとく1枚を自分でかじる。そして、これはビエン(うまい)なお菓子だとか言う。
おカネを4ペソぶん渡した時点でうすうす予想はしていたが、やはりそうきたか。いつか読んだ本に、キューバではおカネを持っている人がおごるのが当たり前で、おごられた方はお礼も言わないのが当然とあった。だから、そう来るかもなとは少しは想定していたけど、ほんとにそのとおりになるとは、おもしろい。
もちろんおじさんは、そのお菓子を食べるときに、日本人であればするような”いただきます”というような仕草もありがとうの言葉も言わない。当然のように食う。そして、ぼくが持っている水もくれと言う。
どうもこのおじさんは、バスターミナルまで付いてくるような様子。まぁ、このまま行ったらどうなるか観察するためにも放っておく。歩きながらいろいろにこにこしながら話してくるのだが、前述のようなしゃべり方なので、単語の1つすら聞き取れない。
ときおり、悪い奴が来たらやっつけてやる、とでも言うかのように、カンフーのような手まね、足まねをするのだが、いやいやおじさん、あなたはきっと普通のキューバ人男性が相手だったら軽くふっとばされますよ、と言いたくなるくらい、そのおじさんは細い。
飲み水がなくなってきたので、途中のコンビニのような店で水を買う。するとここでもおじさんがしゃしゃり出て、いらないものまで注文する。それでいらないものは返し、水だけ買う。そのときもおじさんは手助けしているつもりで、自分におカネを渡せというような仕草をする。
水は1.5リットルで0.7cuc。おじさんに渡したのは1cuc。おじさんは1cucを店員に渡し、店員はおじさんにお釣りを渡す。おお、これは知らないふりして自分のものにするぞ、と思いながらおじさんを見ていたら、案の定、手に持ったお釣りのコインをそしらぬ素振りで自分のポケットにしまう。
まったく予想通りのおじさんの行動に、はい、ビンゴ!とうれしくなる。ぼくがおじさんのその行動を見て、ほくそ笑んでいたのをおじさんは気づいていないようだった。
ガイド料代わりに0.3cuc(40円くらい)くらいはいいやと、おじさんには何も言わず、放っておく。
こうして30分ほど歩いてバスターミナルに到着。ぼくはすでに予約しており、おカネを払えばいい状態なので、そのおじさんの手助けはまったくいらないのだが、おじさんはターミナルの建物に入っていき、チケットを販売している窓口のおばちゃんに金額などを聞いて、ぼくに教える。
が、この外国人用のバスターミナルは、チケットの窓口がある建物内にさえキューバ人は入れない。だから、窓口のおばちゃんに、外に出てとすぐに言われてしまう。
ぼくは窓口で予約している旨を伝え、おカネを払い、チケットを買う。そして、そのおじさんにじゃあと言って建物の奥にある待合室に行こうとするが、おじさんがちょっと来いというような仕草をする。顔が少し厳しい顔になっている。
チケットの窓口のおばちゃんは、関わるなとばかりに、ぼくに向かって”セニョール”と言って、奥に行きなというようなことを身振りを交えて言う。
まぁ、そんな大事(おおごと)にはならないだろうとぼくは建物の外に出る。ガイド料の要求だろうなと思っていたら、またもやビンゴ!スペイン語でおカネがどうのと言っている。ぼくはここぞとばかりにスペイン語がわからないふりをする。
それを横で見ていたバスターミナルの職員のおばちゃんは、おじさんにぼくが何を言われているか理解できていないよと言っている。それを聞いて、おじさんは親指と人差し指をすり合わせながら、”カネだよ”みたいな仕草をする。
ぼくはそれでもわからないふりをすると、ターミナルの職員のおばちゃんが、おカネをくれって言ってるのよ、と言ってくるので、そこでああとわかったふりをして、でも、すでに0.3cucを持っているだろ、とおじさんに言う。
そしたらおじさんは、そんなの知らないというようなことを言い、ズボンの右側のポケットに手を突っ込み、コインを取り出し、ほらと見せる。いやいや、あなたが入れたのは左側ですからと思うが、ここでこのおじさんを見限ってしまった。
もし、おじさんが正直に0.3cucを出せばおじさんが要求するガイド料の金額を聞いてもいいかと思っていたが、こうして嘘をつかれた瞬間に、ちょっとあきれてしまい、問答無用で待合室に移動した。
待合室は空っぽで客はぼくだけ。まだ入り口の方で、職員のおばさんの声がするので、なにやらおじさんと言い合いをしているよう。
やれやれと思っていたら、そこへその職員のおばさんが来て、スペイン語で一気にまくしたて、2cucを出せと言ってくる。”2cuc?”と聞き返すと、”1cucはあのおじさんに、そして1cucは私に”(これは聞き取れた)と言う。
どうもなんぼ言ってもおじさんが立ち去らないので、カネで解決しようと思ったらしい。それでポケットから折り畳んでいたお札をポケットから取り出すと、職員のおばさんに手渡そうする前に、おばさんの方からむしり取られる。
たしか、3cucぶんを折り畳んでいたように思ったので、おばさんに”3cuc”と言うと、相手はこっちの言いたいことがわからなかったようで、"2cuc"と言い返し、さっさと入り口の方に行ってしまう。
ちょっと様子を見てみようと、ぼくも入り口が見えるところへ移動する。すると、すでにおじさんはいない。おばさんもきょろきょろ辺りを見ているが、見えないよう。
さぁ、今度はこのおばさんがどう行動するか、が見物と思い、おばさんを観察。そしたら、予想通り、なぁ~んだ、いなくなったみたいというような素振りで待合室の方に戻ってきて、そのままトイレ掃除をしだす。
つまり、ぼくが渡したおカネを返すことなく、そのまま自分の懐に入れてしまう。そうくるとは思ったが、もしや掃除が終わった頃に、そうそうこれを返さなきゃと、返してくれる可能性もゼロではないかもしれないと思い、何も言わず放っておく。
そしたら、さっきまでのプンプン怒り口調だったおばさんは、ハバナに行くの?とやさしい声で聞いてくる。"Si"と応えるとうんうん、とうなづいてそのまま去る。臨時収入が入って機嫌が良くなったのか?
結局、おばさんに渡した3cucは返ってくることはなかった。
おじさんにさっさと払った方が安くついたのかもしれないが、まぁ、いろいろ面白い行動を観察したので、それでよしとする。
そんなこんなで待つこと2時間ほど。ハバナ行きのバスが入ってくる。予定通り15時20分にバスは発車。乗客はスペイン人らしきおばさま方3人組とドイツ語をしゃべるおじさん2人組とぼくだけ。
ドイツ人のおじさんはサンティアゴで地元の女の人とできてしまったのか、車内でキューバ人らしき女性と抱き合っている。おいおい、おっさんと思っていたら、バスが発車。
おじさんはあわててバスの運転手に、彼女は降りる、みたいなことをドイツ語とスペイン語混じりでいう。
明るいうちにバスに乗れば景色を楽しめるかと思ってこの時間にしてみたが、これは当たり。サンティアゴに来るときは夜だったためまわりの様子がわからなかったところがだいたいわかる。
それにしても車内は寒い。気温計を取り出すと18℃。外は30℃くらいだったから一気に10度も下がる。みんな上着を取り出し着込んでいる。なんでこうなるんだとキューバのバスにはあきれる。この点は、トラックバスの方がまともだ。
やれやれ。
夜になると冷房も弱まり、まだましになるが、それでも寒い。この辺がわからないバスの運転手の感覚がわからない。もしかしたらキューバ人の肌感覚で温度調節しているのかも。でも、キューバ人にしても寒いと思うのだが。
19時には車内の電気は消える。寝る。
2008.3.4(火)
キングストンよりアップ
朝は6時半頃に目覚める。朝食は7時半に頼んでいたので、それまで身辺整理。
7時頃、ブザーの音が鳴る。雇われている人が来たよう。7時半過ぎに中庭に出ていくと朝飯の準備ができていた。ベーコンエッグのようなものと果物(みかん、バナナ、グァバ)、オレンジジュース、コーヒー、パン。
8時半頃、宿代15cuc(約1800円)と朝食代3cuc(約360円)を払い、宿を出る。昨日はターミナルまで馬車で行ったが、今日は荷物があるのでビシタクシー(三輪自転車)で行くことにする。
ちょうど通りがかったビシタクシーのおじさんに声をかけ、ターミナルに行きたい旨を伝え、いくらか聞く。するとおじさんは、にこっとして人差し指を1本立てる。
”1cuc?”と聞くと、うなづく。距離としては昨日の陽気なおじさんに乗せてもらった距離と変わらないはずだが、やはりそうきたか。昨日のおじさんは本当に古き良きキューバ人だったのではないかと、改めて強く思う。
ターミナルに行くには、坂道もあるので、1cucでOKし、荷物ともども乗り込む。やはり坂はつらそう。かつチェーンが緩んでいるようで、途中でチェーンが外れる。歩道を歩いているおじさんよりも遅いので、チェーンが外れたのをいい機会だと思い、ここで降りると伝えると、聞こえているのかいなかったのか、いいや大丈夫、というような仕草をする。
なので、最後まで乗る。10mほど前を歩いていたおじさんには結局追いつくことなく、ターミナルもどきがある幹線道路沿いに出る。
1cucを払いトラックバスが停まっているところに向けて歩き始めたとき、横から30代くらいのにいちゃんたちが”サンチアーゴ”と言いながら寄ってくる。"Si"と言うと、腕をにぎって自分の乗り合いタクシーの方に連れていこうとする。
それで、ノーと言って、あっちのバスに乗ると言っても、聞かない。彼らのタクシーの値段を聞くと20cuc(約2400円)とのたまう。外国人用のバスでさえ15cucもしないのに、何を言うかと、ノーと言うと、すぐに10cucまで落ちる。
それでも高いので、NOと言うと6cucという中途半端な数字を言う。おそらくこの辺が彼らの下限なのだろう。それでもNOというと5cucになるので、まぁ、それくらいならとOKする。
この車はバンのような形(正式には呼び方が違うだろうが)をしていて、後部には向かい合って8人が座って乗れるようになっている。その8人+助手席に2人。助手席はそれだけの余裕があるので、2人座ってもきつくはない。
その乗り合いタクシーのおじさんに促されるままに車まで行く。荷物をかせというので、渡したら屋根の荷台に放り投げる。つい、”あっ、このバカ”とつぶやく。放り投げるなんてなんてことを。
一応、荷物はロープで縛ってくれたが、どうも心配なので、ちゃんと固定されているか、中身をいじっていないか何度か確認する。
トラックバスの方は、サンティアゴ行きが乗り場にやってきて、待っていた乗客が乗るとすぐに出ていく。客が集まりやすいぶん、やっぱりバスの方が早かったかな、とやや後悔。
乗り合いタクシーの方は、運転手等が声を張り上げ、客引きを行うがなかなか座席が埋まらない。まだ発車する準備もできていないのに、集金に来る。ポケットのお札を出して、5cucだけ渡すとぼくが持っていた別の1cuc札を奪って、"6cuc"と言い出す。はあ?と思い、5と言ったじゃないかと言っても、横に首をふるだけ。
なんだかこういう強欲な奴は相手にするだけ無駄と最近、思い始めたので、はいはい恵んであげますよ、って感じでそのままにする。
なんでこう交通機関の仕事をしている人は、強欲な人が多いのだろうと思ってしまう。観光客に接触しやすく、商売上の裁量が自分に比較的あるからか。あるいは主導権を握っている(自分が運転しないと客は移動できない)と思うからか。簡単に一般化はできないだろうが、経験上ではどうもそのような傾向があるように思えてならない。
やっぱりバスにすれば良かったなと思いつつ、今更乗り換えるのも面倒なので、出発を待つ。20分ほどしてようやく後部に8人の客が確保でき、出発。他の客はどうも30ペソくらい払っているよう。だからバスの3倍くらいか。
エンジンがかかっているのに、運転席にある速度メーターも燃料メーターもゼロのまま動いていない。壊れているよう。どうやって燃料の状況を把握しているのだろう。
車は体感で言うと、時速60~80kmくらいでどんどん飛ばす。30分ほどすると前に出たバスを追い抜く。やはりこちらの方が圧倒的に早い。途中、警察のチェックを受けているトラックバスを見る。どうも人間の過剰積載を発見されたよう。
こちらの車は警察が近くにいる場合以外は、バンバンとばす。
当初、トラックバスで3時間くらい(ビアスールのバスが2時間)を覚悟していたが、タクシーは速かった。1時間15分ほどでサンティアゴに到着。9時20分頃。
3日ぶりのサンティアゴは空気が悪かった。ポンコツ車が黒煙を吹き出しながら走っているから、その排気ガスのにおいがまず鼻をつく。
歩いて中心部に向かう。ジャマイカの宿からのメールを見ないといけないので、電話局に行き、メールをチェック。無事、初日の宿は決まり。
それから歩いてまたバスターミナルに向かう。歩いていたらカーサがどうのと言いながら60歳位に見えるおじさんが話しかけてくる。
いろいろ話しかけてくるのだが、そもそもかすれ声なのでスペイン語以前に単語すら聞き取れない。わけがわからないので、適当にほっておくがずっと付いてくる。
道ばたでおばあちゃんが売っていたお菓子が気になったのでかって食べる。まずまずうまい。それから豆菓子のようなものも売っていたので、そのひっついきているおじさんにあれ何?と聞くが、ココ(=ココナッツ)なんとかとしかわからず。
それで買おうと思い、並ぶとそのくっついてきているおじさんが1枚2ペソというので、2ペソを出していると、もう2ペソという。そして、自分が売っている人に頼んでやるからというような仕草をするので、計4ペソぶんのおカネをおじさんに渡す。
お菓子は2種類あったので、2種類買ってくれるのかと思いきや同じ物を2枚買い、当然のごとく1枚を自分でかじる。そして、これはビエン(うまい)なお菓子だとか言う。
おカネを4ペソぶん渡した時点でうすうす予想はしていたが、やはりそうきたか。いつか読んだ本に、キューバではおカネを持っている人がおごるのが当たり前で、おごられた方はお礼も言わないのが当然とあった。だから、そう来るかもなとは少しは想定していたけど、ほんとにそのとおりになるとは、おもしろい。
もちろんおじさんは、そのお菓子を食べるときに、日本人であればするような”いただきます”というような仕草もありがとうの言葉も言わない。当然のように食う。そして、ぼくが持っている水もくれと言う。
どうもこのおじさんは、バスターミナルまで付いてくるような様子。まぁ、このまま行ったらどうなるか観察するためにも放っておく。歩きながらいろいろにこにこしながら話してくるのだが、前述のようなしゃべり方なので、単語の1つすら聞き取れない。
ときおり、悪い奴が来たらやっつけてやる、とでも言うかのように、カンフーのような手まね、足まねをするのだが、いやいやおじさん、あなたはきっと普通のキューバ人男性が相手だったら軽くふっとばされますよ、と言いたくなるくらい、そのおじさんは細い。
飲み水がなくなってきたので、途中のコンビニのような店で水を買う。するとここでもおじさんがしゃしゃり出て、いらないものまで注文する。それでいらないものは返し、水だけ買う。そのときもおじさんは手助けしているつもりで、自分におカネを渡せというような仕草をする。
水は1.5リットルで0.7cuc。おじさんに渡したのは1cuc。おじさんは1cucを店員に渡し、店員はおじさんにお釣りを渡す。おお、これは知らないふりして自分のものにするぞ、と思いながらおじさんを見ていたら、案の定、手に持ったお釣りのコインをそしらぬ素振りで自分のポケットにしまう。
まったく予想通りのおじさんの行動に、はい、ビンゴ!とうれしくなる。ぼくがおじさんのその行動を見て、ほくそ笑んでいたのをおじさんは気づいていないようだった。
ガイド料代わりに0.3cuc(40円くらい)くらいはいいやと、おじさんには何も言わず、放っておく。
こうして30分ほど歩いてバスターミナルに到着。ぼくはすでに予約しており、おカネを払えばいい状態なので、そのおじさんの手助けはまったくいらないのだが、おじさんはターミナルの建物に入っていき、チケットを販売している窓口のおばちゃんに金額などを聞いて、ぼくに教える。
が、この外国人用のバスターミナルは、チケットの窓口がある建物内にさえキューバ人は入れない。だから、窓口のおばちゃんに、外に出てとすぐに言われてしまう。
ぼくは窓口で予約している旨を伝え、おカネを払い、チケットを買う。そして、そのおじさんにじゃあと言って建物の奥にある待合室に行こうとするが、おじさんがちょっと来いというような仕草をする。顔が少し厳しい顔になっている。
チケットの窓口のおばちゃんは、関わるなとばかりに、ぼくに向かって”セニョール”と言って、奥に行きなというようなことを身振りを交えて言う。
まぁ、そんな大事(おおごと)にはならないだろうとぼくは建物の外に出る。ガイド料の要求だろうなと思っていたら、またもやビンゴ!スペイン語でおカネがどうのと言っている。ぼくはここぞとばかりにスペイン語がわからないふりをする。
それを横で見ていたバスターミナルの職員のおばちゃんは、おじさんにぼくが何を言われているか理解できていないよと言っている。それを聞いて、おじさんは親指と人差し指をすり合わせながら、”カネだよ”みたいな仕草をする。
ぼくはそれでもわからないふりをすると、ターミナルの職員のおばちゃんが、おカネをくれって言ってるのよ、と言ってくるので、そこでああとわかったふりをして、でも、すでに0.3cucを持っているだろ、とおじさんに言う。
そしたらおじさんは、そんなの知らないというようなことを言い、ズボンの右側のポケットに手を突っ込み、コインを取り出し、ほらと見せる。いやいや、あなたが入れたのは左側ですからと思うが、ここでこのおじさんを見限ってしまった。
もし、おじさんが正直に0.3cucを出せばおじさんが要求するガイド料の金額を聞いてもいいかと思っていたが、こうして嘘をつかれた瞬間に、ちょっとあきれてしまい、問答無用で待合室に移動した。
待合室は空っぽで客はぼくだけ。まだ入り口の方で、職員のおばさんの声がするので、なにやらおじさんと言い合いをしているよう。
やれやれと思っていたら、そこへその職員のおばさんが来て、スペイン語で一気にまくしたて、2cucを出せと言ってくる。”2cuc?”と聞き返すと、”1cucはあのおじさんに、そして1cucは私に”(これは聞き取れた)と言う。
どうもなんぼ言ってもおじさんが立ち去らないので、カネで解決しようと思ったらしい。それでポケットから折り畳んでいたお札をポケットから取り出すと、職員のおばさんに手渡そうする前に、おばさんの方からむしり取られる。
たしか、3cucぶんを折り畳んでいたように思ったので、おばさんに”3cuc”と言うと、相手はこっちの言いたいことがわからなかったようで、"2cuc"と言い返し、さっさと入り口の方に行ってしまう。
ちょっと様子を見てみようと、ぼくも入り口が見えるところへ移動する。すると、すでにおじさんはいない。おばさんもきょろきょろ辺りを見ているが、見えないよう。
さぁ、今度はこのおばさんがどう行動するか、が見物と思い、おばさんを観察。そしたら、予想通り、なぁ~んだ、いなくなったみたいというような素振りで待合室の方に戻ってきて、そのままトイレ掃除をしだす。
つまり、ぼくが渡したおカネを返すことなく、そのまま自分の懐に入れてしまう。そうくるとは思ったが、もしや掃除が終わった頃に、そうそうこれを返さなきゃと、返してくれる可能性もゼロではないかもしれないと思い、何も言わず放っておく。
そしたら、さっきまでのプンプン怒り口調だったおばさんは、ハバナに行くの?とやさしい声で聞いてくる。"Si"と応えるとうんうん、とうなづいてそのまま去る。臨時収入が入って機嫌が良くなったのか?
結局、おばさんに渡した3cucは返ってくることはなかった。
おじさんにさっさと払った方が安くついたのかもしれないが、まぁ、いろいろ面白い行動を観察したので、それでよしとする。
そんなこんなで待つこと2時間ほど。ハバナ行きのバスが入ってくる。予定通り15時20分にバスは発車。乗客はスペイン人らしきおばさま方3人組とドイツ語をしゃべるおじさん2人組とぼくだけ。
ドイツ人のおじさんはサンティアゴで地元の女の人とできてしまったのか、車内でキューバ人らしき女性と抱き合っている。おいおい、おっさんと思っていたら、バスが発車。
おじさんはあわててバスの運転手に、彼女は降りる、みたいなことをドイツ語とスペイン語混じりでいう。
明るいうちにバスに乗れば景色を楽しめるかと思ってこの時間にしてみたが、これは当たり。サンティアゴに来るときは夜だったためまわりの様子がわからなかったところがだいたいわかる。
それにしても車内は寒い。気温計を取り出すと18℃。外は30℃くらいだったから一気に10度も下がる。みんな上着を取り出し着込んでいる。なんでこうなるんだとキューバのバスにはあきれる。この点は、トラックバスの方がまともだ。
やれやれ。
夜になると冷房も弱まり、まだましになるが、それでも寒い。この辺がわからないバスの運転手の感覚がわからない。もしかしたらキューバ人の肌感覚で温度調節しているのかも。でも、キューバ人にしても寒いと思うのだが。
19時には車内の電気は消える。寝る。
2008.3.4(火)
キングストンよりアップ
バラコアからグアンタナモへ つづき
2008.2.29(金)
くもり時々晴れ
集落を通る度に少しずつ乗客が減り、椅子にも余裕ができてきたが、比較的大きなまちに着くとそこでまたどかどかと人が乗ってきて、またもやすし詰め状態になる。ざっと数えたところ80人くらい乗っている。乗車率で言えば150%くらいか。
エンジン音などがやかましいこともあってか、おしゃべりしている人は少ない。どこどこと走っているとき、ピィーと口笛が後ろの方からする。音がした方を無垢と、乗客を整理し、カネを集金している車主が、スペイン語でなにやらいいながら腕を上下させて”しゃがめ”という合図をする。
前方で窓から顔を出してた人に向かっているようで、顔を出していた人たちがしゃがむ。そして、しばらくしたら元の状態に戻る。どうも警察か何かがいたようで、それに見つからないようにするためのようだ。その後ももう一度、同じようなことがある。
出発してから4時間。グアンタナモに到着。ターミナルに着くかと思っていたが、公園の横に止まり、降りろと言われる。すぐ近くが馬車のターミナルのようになっていて、馬車の運転手のおじさんが”ターミナル!”と声を上げて、客を呼んでいる。
ロンリープラネットのキューバ版を持ってくれば、それに市内の地図が載っていたのだが、あいにくないので、適当に中心部を目指して歩く。バラコアに行くときにバスが少しだけグアンタナモのまちを通ったので、そのときに中心部にホセマルティ広場があることはわかっていた。
歩いて10分ほどで中心部に出る。ネットができる電話局があったので、そこでメールを確認。ジャマイカの宿から返事が来ていたが、ここの3台のパソコンをすべて試してみたが、すべて日本語が読めず。日本語が読めないのはバラコアについで2カ所目。
それから今夜泊まるカーサパティキュラー(政府公認の民宿)を探す。他のまちなら30分も歩けば10カ所はかるく見つけられたが、ここはさすがに観光地でないだけあって、見つかったのは 4カ所程度。一番、バスターミナルの近くだと思われる場所にある宿に泊まることにし、ドアをノックする。
若い女の人が出てきて、中に入れてくれる。中心街に近い家だからまた金持ちなんだろうなと思っていたら、案の定中庭があり、リビングと思われるところにはサムソンのコンポ、テレビがあり、部屋は見渡すだけでも5部屋ある。
案内してくれたその女の人は、雇われている人のようで、家主のおばあさんをまず紹介してくれる。おばあさんはにこやかに迎えてくれて、すぐに部屋を2種類、見せてくれる。いずれも広い部屋でパッと見た感じは文句なし(実際に使ったら違ったが)。
ただ、これだけの部屋だと30cuc位するだろうなと思い、値段を聞くと22cucと言う。予算は15cuc(食事なし)の予定だから、予算オーバー。それで、案内してくれている女の人に15cucで泊まれないかと聞くと、家主に聞いてと言われる。
家主のおばあさんに10cucか15cucで泊まれないかと聞くと、10はノーとすぐに言われ、15cucで話がつく。よかった。それで部屋に荷物を置いて、パスポートを渡しにおばあさんの部屋に行く。おばあさんは、パソコンでなにやら文書を作っていたよう。見た目70歳くらいだから、そのくらいの年齢でパソコン使うなんてインテリかコンピューターおばあちゃんなんかな。
宿帳にサインをして、手続きは終了。今晩の食事と明日の朝の食事、明日何時に出るかを聞かれ、今晩の食事はなしで、朝食はお願いする。
まちに出て、まずは明日サンティアゴに行くためのバスターミナルを探す。さっき着いた広場で聞いたら、やはりここは後者専用あるいはバラコア行き専用なのか、ここではないと言われる。
そのターミナルにはどうやったら行けるか聞くと、馬車に乗って行けと言うので、馬車の運転手(?)にターミナルに行きたいというと乗れと言われるしない。今回は地元客がすでに乗っている馬車だったので、代金は地元客と同じ1ペソで済む。
”ハジョー”と言いながら運転手が馬の右の後ろ足の太股部分をぶつ。鞭(むち)は、皮ではなくてビニール製の飛び縄のようなものでできていて、持つ部分は木製。ぶたれる度に馬は早足になる。痛そう。
それにしてもきちんと右側通行を守って、止まるところでは止まるなんて、どうやって馬をしつけたのだろう。馬車屋さんの一連の仕事を調べてみると面白そう。
20分ほど乗ったところで、バスターミナルの近くに着いた。一緒に乗っていたおばちゃんがここだと合図してくれる。そして、あっちをこう行くとバスターミナルがあると教えてくれる。
言われた方へ行くと、幹線道路があり、サンティアゴ行きの車などがそこを走っている。歩道にはバスを捕まえようとしている人や乗り合いタクシーを捕まえようとしている人もいる。幹線道路から一段低い広場みたいなところには今日乗ってきたようなトラックバスが停まっているのが見える。が、ターミナルというよりも公園の駐車場。もっともそこは舗装もされていないので、日本の感覚で言うと、誰かが勝手に車をおいているだけの場所という感じだ。
念のためトラックの近くまで行き確認する。サンティアゴで事前に見たトラックバスと同じように行き先が書いてあったので、これで間違いなさそう。
一応、明日の準備はできたので、ここのメインのグアンタナモ米軍基地に行くことにする。これまた観光地でないせいか、他のまちでは歩いていたらそこらでぶらぶらしているタクシーの運転手が声をかけてきたのに、ここはそれがない。
バスターミナルまで行けばタクシーも声をかけてくるだろうと思ったが、ここでもそれがない。それで見渡すと250ccくらいのバイクの横で三輪自転車のにいちゃんとおしゃべりしていたおじさんがいたので、もしやと思い、バイクタクシーかと聞くと、"Si"と応える。
それでメモしてきた手帳を見ながら米軍の基地に行きたいんだけどと言うと、そのおじさんは"No se puede(できない=行けない)"と言う。そこへ40代くらいの別のバイクタクシーの人が来て、どこに行くんだというので、同じ所を言うと、その人もダメだという。
事前情報では米軍基地の入り口まで行けるとあったのだが、何か状況が変わったのだろうか。
ロンリープラネットの古いのがハバナの宿にあったので、それを持ってくればもっと情報がわかるのだが、あいにくコピーなどを持ってきていない。
しかも時間も16時をまわっている。基地までは40kmくらいと聞いていたので、おそらくタクシーで行っても1時間くらいかかる。明るいうちには着きそうだが、タクシーを新たに探す気にならず、また往復で80kmくらいとすれば持ちカネではきっと運賃が出ないだろうなと思い、早々に断念する。
例のごとくぶらぶら歩きながら帰る。さすがにグアンタナモ州の州都だけあって、舗装されている地域が広い。途中、道ばたでマメイという果物を買う。見た目はなんだかわからないが、灰色でラグビーボールのような形をしている。1個3ペソというので、10ペソ渡すとゲバラコインの3ペソコインとお札混じりでお釣りをくれた。ラッキー。
マメイはふかした甘いサツマイモに近い味がする。皮を手で向いて食べる。
途中、学校らしき敷地の中にバスケットのコートがあり、そこで遊んでいる10代後半くらいの男の子たちを見る。ダンクを何度もしたのか、傾いたリングにめがけてシュートをするのだが、わりとイージーな距離からでも外すのであまりうまくはなさそう。
この時点で距離としてはすでに馬車に乗っていた距離を歩いているのだが、いまいち帰り道がわからなくなる。それで通りがかりの三輪自転車のおじさんを捕まえる。
宿の近くにあるホセマルティ広場に行きたいと言うと、にこにこして乗れという仕草をする。乗り込む前に料金を聞くと10ペソと言う。確認するが10cucではなく、10ペソ。こういう個人営業の乗り物に乗るときにペソの金額を言われた=地元の人と同じであろう金額を言われたのは初めて。
そのおじさんは一般に言われている陽気なキューバ人を体言しているようなおじさんで、行き交う人に声をかけ、スカートのお尻のチャックがちゃんとしまってないおねっちゃんにそのことを伝え(ているように思った。)、怪訝な顔をされてもにこにこして、また別の人に声をかける。
こっちにもいろいろ言ってくるのだが、例のごとくよくわからない。無事目的地に10分足らずで到着。広場の周囲をぐるっと見てまわるかというような仕草をするが、すでに見ているのでそれは断る。そして代金10ペソを払うと、またなというような身振りをして去っていった。
ハバナやサンティアゴであれば確実に5cucくらいはまずふっかけられたであろう距離だったが、最初から10ペソのみ。きっとこのおじさんは古き良きキューバ人と言える人だったのではないかと、後にサンティアゴなどに戻ってから思った。
そう思った背景には、指さし会話帳の著者が書いていたことがある。その著者は91年に初めてキューバに来てその後留学もするなどどっぷりキューバにはまってしまったらしい。しかも、ちょうどキューバがソ連崩壊後の経済危機から現在のような二重経済に移行するまでを間近に見てきたという。
その著者が、最近(2001年時点の記述)、ハバナのホテルでベッドメイキングをする人にチップとして枕元におカネを置いて外へでかけ、戻ってみたらそのベッドメイキングをしているおばさんが、おカネが落ちていたよと教えてくれたらしい。そのことに、著者はまだこんなキューバ人がいたのかと感動したと書いていた。
これが約7年前の話だから、おそらく今の方が、外国人を見てcuc=カネの稼ぐ絶好のチャンスと考える人が多くなっているだろう。そんな中で、観光地ではないということもあるかもしれないが、地元の人と同じ金額を言うとは、すばらしい! このおじさんにこそもっと払っても良かったが、それはプライドを傷つけるかもしれないと思いやめる。しかもちょうどいいおカネもなかったし。
マルティ広場で三輪自転車をおり、晩飯を食べるレストランを探す。例のごとくあまりよさそうなところがない。1カ所、ベジタリアンと表に書かれたレストランがあったので、そこに入る。が、これが失敗。
メニューを見ると肉も魚もある。加えて、メニューの中でも今日できるものは半分程度のもの。それでよくわからないが、適当に2皿頼み、あとグアバジュースを頼む。客は他に2人客のみ。
水が出てきたので飲むともろにカビ臭い。きちんと冷やされてはいるが、20年前くらいに東京で飲んだまずい水と同じような味。よって、自分で持ち歩いていた水を飲む。
出てきた料理は直径20cmくらいの皿にインゲンと何かを炒めたようなものとシーチキンみたいな物を炒めたもの。どちらも同じ味。まずくはないけど、なんともさびしい。5分ほどで完食。物足りない。
お代はこれだけで5.8cuc(700円くらい)。まったくがっくりですよ。それでもう一軒行くことに。マルティ広場のまわりの店を見渡すと、行列ができている店がある。20~30人は並んでいる。
グアンタナモで行列ができる店ってどんなところだと思い、その列に並ぶ。看板にはPIZZERIAとあったので、どうもピザ屋のよう。ほんとにキューバ人はピザが好きだ。
行列は外にできており、空席ができると店の人が外の客を呼びに来る。
列に並んで20分ほどして、ぼくよりも前に並んでいた人が、ぼくに1人か? と聞いてきたので、そうだというと、先に行ってと言われる。
1人用の席が先に空いたからなのかなと思いながら店内に入ると、今しがた一緒に店に入った女の子3人組と同じテーブルに座るよう言われる。
店内を見渡すと1人席などはなく、ほぼすべて4人席で、他にも相席をしてるらしき人がいる。
女の子たちが先にメニューを見て、その後、手渡される。値段がほとんど1桁だったので、ここもcuc払いかと思っているところへ、店員が女の子たちのオーダーを聞きに来たので、女の子たちのオーダーを聞いてぼくも女の子たちが頼んでいたピザとマンゴージュースを頼む。
しばらくして水とジュースが来る。水はさっきの店と同じようにまずい。ジュースもなんか偽物っぽい。
それから5分ほどで女の子たちが頼んでいたスパゲッティが
3皿来る。あれ、ピザも頼んでいたのに、スパゲッティも3皿?と思うが、女の子たちはせっせと平らげる。
そう言えば、ぼくがオーダーしたときにピザを注文した後、店員がスパゲッティは?と聞いてきたので、どうもここでは両方を食べるのが当たり前のよう。
まわりの席を見ても、確かにみんな両方を食べている。
ちなみにこの女の子たちは見た目10歳くらいで小学校高学年くらいの感じ。そんな女の子が3人でこんなところにくるなんて金持ちなんだなと、勝手に邪推する。
彼女らがスパゲッティを食べ終わってから待つこと20分ほど、店員が片方の手に10枚くらい皿を乗せて来る。日本ではせいぜい片方の手に3枚が限度だし、うまく皿の縁に余裕があればもっと重ねることもできるが、それにしてもここの店員が持っている枚数は多すぎる。
どうやって持っているんだろうとよく見てみると、なんてことはない、ピザの上にも皿を乗せている。もちろん縁の方が交互に重なるようにしてはいるので、ピザの真ん中は大丈夫なのだが、縁のチーズなどがあまり乗っていない部分は、完全に上の皿の下敷きになっている。
実際、同じテーブルの女の子に配られたピザは、縁の部分がへこんでいた。女の子は別に気にする風もなく、すぐに食べ始める。おもしろい。
ぼくはチーズとソーセージを細かく切ったようなピザが出てくる。道ばたで売っているのと同じように直径20cmくらいあり生地が分厚い。
スパゲッティにこのピザなんて、大人でもけっこうな量になるのにと思っていたが、1人の女の子はぺろり。残りの2人は最後、けっこうきつそうだったが、やはり完食。ピザは4枚胆でおり、それもみんなで分けて食べるのかと思ったが、さすがにこれはお土産のようで、適当にピザを折り曲げ、持ってたビニール袋に入れた。
そして彼女らは代金を払う準備をし出す。お札が20枚倉見えたので、やっぱり金持ちなんだなと思っていたら、よく見るとそのお札はペソクバーノだった。えっ、なんだぁ! と、ここで、ようやく本当の事態がわかる。
なんてことはない、ここは安くピザとスパゲッティが食べられるところだったのだ。
そうとわかったからには方針変更。最初はおカネを気にして店員の薦めでも断ったスパゲッティを食べてみることにする。みんながこんなにも食べているものはどんなもんか、無性に気になる。ついでに周りの人が頼んでいたデザートも。
メニューをもらおうと店員に向かって手を挙げると、店員は会計かと思って、金額を知らせに来た。メニューをくださいというと、一瞬、エッと言う感じで聞き返してくる。
メニューを無事もらい、スパゲッティと適当にデザートの欄にあったものを頼む。店員は怪訝そうに注文したオーダーを繰り返す。注文したときと同じ店員だったので、店員からすればあのとき断ったのになんで今頃?、とでも思ったのであろう。
スパゲッティは5分ほどで出てくる。麺はぶつぶつ切れて短く、かかっているソースもなんだかトマトソースとウスターソースを混ぜて水で薄めたような味で、はっきり言ってうまくはない。塩気もない。ふ~ん、こんなもの食ってるんだと感心。それとも自分のだけ、こんななのだろうか。
デザートはシフォン生地にプリンが乗っているようなもので、これはそれなりにうまい。
それにしてもスパゲッティはショック。サンタクララで食べたスパゲッティはもっとまともだったのに、なぜ?
そんでお会計はと言うと、スパゲッティが3.6ペソ、ピザが3.9ペソ、ジュースが0.6ペソ、デザートが2ペソくらい。よって合計10ペソ(50円)もかからず。なんということだ!道ばたのピザ(だいたい5~10ペソ)よりも安い。行列の意味がようやくわかったのでした。
満腹になったので、宿に帰る。
部屋の横にあるシャワー室にシャワーを浴びに行く。水量は弱い。お湯もいまいちお湯にならない。しかも足下のタイルには糸ミミズみたいなものが数匹うようよしている。
見た目は良かったが実体はなんとも厳しい宿だ。15cucに値切って正解だった。ベッドはダブルベッドだから広い。扇風機も冷蔵庫(電気は入っていない)もエアコンもある。しかし、サンタクララと同じように冷蔵庫は過剰投資だろう。
寝る。
2008.3.4(火)
キングストンよりアップ
くもり時々晴れ
集落を通る度に少しずつ乗客が減り、椅子にも余裕ができてきたが、比較的大きなまちに着くとそこでまたどかどかと人が乗ってきて、またもやすし詰め状態になる。ざっと数えたところ80人くらい乗っている。乗車率で言えば150%くらいか。
エンジン音などがやかましいこともあってか、おしゃべりしている人は少ない。どこどこと走っているとき、ピィーと口笛が後ろの方からする。音がした方を無垢と、乗客を整理し、カネを集金している車主が、スペイン語でなにやらいいながら腕を上下させて”しゃがめ”という合図をする。
前方で窓から顔を出してた人に向かっているようで、顔を出していた人たちがしゃがむ。そして、しばらくしたら元の状態に戻る。どうも警察か何かがいたようで、それに見つからないようにするためのようだ。その後ももう一度、同じようなことがある。
出発してから4時間。グアンタナモに到着。ターミナルに着くかと思っていたが、公園の横に止まり、降りろと言われる。すぐ近くが馬車のターミナルのようになっていて、馬車の運転手のおじさんが”ターミナル!”と声を上げて、客を呼んでいる。
ロンリープラネットのキューバ版を持ってくれば、それに市内の地図が載っていたのだが、あいにくないので、適当に中心部を目指して歩く。バラコアに行くときにバスが少しだけグアンタナモのまちを通ったので、そのときに中心部にホセマルティ広場があることはわかっていた。
歩いて10分ほどで中心部に出る。ネットができる電話局があったので、そこでメールを確認。ジャマイカの宿から返事が来ていたが、ここの3台のパソコンをすべて試してみたが、すべて日本語が読めず。日本語が読めないのはバラコアについで2カ所目。
それから今夜泊まるカーサパティキュラー(政府公認の民宿)を探す。他のまちなら30分も歩けば10カ所はかるく見つけられたが、ここはさすがに観光地でないだけあって、見つかったのは 4カ所程度。一番、バスターミナルの近くだと思われる場所にある宿に泊まることにし、ドアをノックする。
若い女の人が出てきて、中に入れてくれる。中心街に近い家だからまた金持ちなんだろうなと思っていたら、案の定中庭があり、リビングと思われるところにはサムソンのコンポ、テレビがあり、部屋は見渡すだけでも5部屋ある。
案内してくれたその女の人は、雇われている人のようで、家主のおばあさんをまず紹介してくれる。おばあさんはにこやかに迎えてくれて、すぐに部屋を2種類、見せてくれる。いずれも広い部屋でパッと見た感じは文句なし(実際に使ったら違ったが)。
ただ、これだけの部屋だと30cuc位するだろうなと思い、値段を聞くと22cucと言う。予算は15cuc(食事なし)の予定だから、予算オーバー。それで、案内してくれている女の人に15cucで泊まれないかと聞くと、家主に聞いてと言われる。
家主のおばあさんに10cucか15cucで泊まれないかと聞くと、10はノーとすぐに言われ、15cucで話がつく。よかった。それで部屋に荷物を置いて、パスポートを渡しにおばあさんの部屋に行く。おばあさんは、パソコンでなにやら文書を作っていたよう。見た目70歳くらいだから、そのくらいの年齢でパソコン使うなんてインテリかコンピューターおばあちゃんなんかな。
宿帳にサインをして、手続きは終了。今晩の食事と明日の朝の食事、明日何時に出るかを聞かれ、今晩の食事はなしで、朝食はお願いする。
まちに出て、まずは明日サンティアゴに行くためのバスターミナルを探す。さっき着いた広場で聞いたら、やはりここは後者専用あるいはバラコア行き専用なのか、ここではないと言われる。
そのターミナルにはどうやったら行けるか聞くと、馬車に乗って行けと言うので、馬車の運転手(?)にターミナルに行きたいというと乗れと言われるしない。今回は地元客がすでに乗っている馬車だったので、代金は地元客と同じ1ペソで済む。
”ハジョー”と言いながら運転手が馬の右の後ろ足の太股部分をぶつ。鞭(むち)は、皮ではなくてビニール製の飛び縄のようなものでできていて、持つ部分は木製。ぶたれる度に馬は早足になる。痛そう。
それにしてもきちんと右側通行を守って、止まるところでは止まるなんて、どうやって馬をしつけたのだろう。馬車屋さんの一連の仕事を調べてみると面白そう。
20分ほど乗ったところで、バスターミナルの近くに着いた。一緒に乗っていたおばちゃんがここだと合図してくれる。そして、あっちをこう行くとバスターミナルがあると教えてくれる。
言われた方へ行くと、幹線道路があり、サンティアゴ行きの車などがそこを走っている。歩道にはバスを捕まえようとしている人や乗り合いタクシーを捕まえようとしている人もいる。幹線道路から一段低い広場みたいなところには今日乗ってきたようなトラックバスが停まっているのが見える。が、ターミナルというよりも公園の駐車場。もっともそこは舗装もされていないので、日本の感覚で言うと、誰かが勝手に車をおいているだけの場所という感じだ。
念のためトラックの近くまで行き確認する。サンティアゴで事前に見たトラックバスと同じように行き先が書いてあったので、これで間違いなさそう。
一応、明日の準備はできたので、ここのメインのグアンタナモ米軍基地に行くことにする。これまた観光地でないせいか、他のまちでは歩いていたらそこらでぶらぶらしているタクシーの運転手が声をかけてきたのに、ここはそれがない。
バスターミナルまで行けばタクシーも声をかけてくるだろうと思ったが、ここでもそれがない。それで見渡すと250ccくらいのバイクの横で三輪自転車のにいちゃんとおしゃべりしていたおじさんがいたので、もしやと思い、バイクタクシーかと聞くと、"Si"と応える。
それでメモしてきた手帳を見ながら米軍の基地に行きたいんだけどと言うと、そのおじさんは"No se puede(できない=行けない)"と言う。そこへ40代くらいの別のバイクタクシーの人が来て、どこに行くんだというので、同じ所を言うと、その人もダメだという。
事前情報では米軍基地の入り口まで行けるとあったのだが、何か状況が変わったのだろうか。
ロンリープラネットの古いのがハバナの宿にあったので、それを持ってくればもっと情報がわかるのだが、あいにくコピーなどを持ってきていない。
しかも時間も16時をまわっている。基地までは40kmくらいと聞いていたので、おそらくタクシーで行っても1時間くらいかかる。明るいうちには着きそうだが、タクシーを新たに探す気にならず、また往復で80kmくらいとすれば持ちカネではきっと運賃が出ないだろうなと思い、早々に断念する。
例のごとくぶらぶら歩きながら帰る。さすがにグアンタナモ州の州都だけあって、舗装されている地域が広い。途中、道ばたでマメイという果物を買う。見た目はなんだかわからないが、灰色でラグビーボールのような形をしている。1個3ペソというので、10ペソ渡すとゲバラコインの3ペソコインとお札混じりでお釣りをくれた。ラッキー。
マメイはふかした甘いサツマイモに近い味がする。皮を手で向いて食べる。
途中、学校らしき敷地の中にバスケットのコートがあり、そこで遊んでいる10代後半くらいの男の子たちを見る。ダンクを何度もしたのか、傾いたリングにめがけてシュートをするのだが、わりとイージーな距離からでも外すのであまりうまくはなさそう。
この時点で距離としてはすでに馬車に乗っていた距離を歩いているのだが、いまいち帰り道がわからなくなる。それで通りがかりの三輪自転車のおじさんを捕まえる。
宿の近くにあるホセマルティ広場に行きたいと言うと、にこにこして乗れという仕草をする。乗り込む前に料金を聞くと10ペソと言う。確認するが10cucではなく、10ペソ。こういう個人営業の乗り物に乗るときにペソの金額を言われた=地元の人と同じであろう金額を言われたのは初めて。
そのおじさんは一般に言われている陽気なキューバ人を体言しているようなおじさんで、行き交う人に声をかけ、スカートのお尻のチャックがちゃんとしまってないおねっちゃんにそのことを伝え(ているように思った。)、怪訝な顔をされてもにこにこして、また別の人に声をかける。
こっちにもいろいろ言ってくるのだが、例のごとくよくわからない。無事目的地に10分足らずで到着。広場の周囲をぐるっと見てまわるかというような仕草をするが、すでに見ているのでそれは断る。そして代金10ペソを払うと、またなというような身振りをして去っていった。
ハバナやサンティアゴであれば確実に5cucくらいはまずふっかけられたであろう距離だったが、最初から10ペソのみ。きっとこのおじさんは古き良きキューバ人と言える人だったのではないかと、後にサンティアゴなどに戻ってから思った。
そう思った背景には、指さし会話帳の著者が書いていたことがある。その著者は91年に初めてキューバに来てその後留学もするなどどっぷりキューバにはまってしまったらしい。しかも、ちょうどキューバがソ連崩壊後の経済危機から現在のような二重経済に移行するまでを間近に見てきたという。
その著者が、最近(2001年時点の記述)、ハバナのホテルでベッドメイキングをする人にチップとして枕元におカネを置いて外へでかけ、戻ってみたらそのベッドメイキングをしているおばさんが、おカネが落ちていたよと教えてくれたらしい。そのことに、著者はまだこんなキューバ人がいたのかと感動したと書いていた。
これが約7年前の話だから、おそらく今の方が、外国人を見てcuc=カネの稼ぐ絶好のチャンスと考える人が多くなっているだろう。そんな中で、観光地ではないということもあるかもしれないが、地元の人と同じ金額を言うとは、すばらしい! このおじさんにこそもっと払っても良かったが、それはプライドを傷つけるかもしれないと思いやめる。しかもちょうどいいおカネもなかったし。
マルティ広場で三輪自転車をおり、晩飯を食べるレストランを探す。例のごとくあまりよさそうなところがない。1カ所、ベジタリアンと表に書かれたレストランがあったので、そこに入る。が、これが失敗。
メニューを見ると肉も魚もある。加えて、メニューの中でも今日できるものは半分程度のもの。それでよくわからないが、適当に2皿頼み、あとグアバジュースを頼む。客は他に2人客のみ。
水が出てきたので飲むともろにカビ臭い。きちんと冷やされてはいるが、20年前くらいに東京で飲んだまずい水と同じような味。よって、自分で持ち歩いていた水を飲む。
出てきた料理は直径20cmくらいの皿にインゲンと何かを炒めたようなものとシーチキンみたいな物を炒めたもの。どちらも同じ味。まずくはないけど、なんともさびしい。5分ほどで完食。物足りない。
お代はこれだけで5.8cuc(700円くらい)。まったくがっくりですよ。それでもう一軒行くことに。マルティ広場のまわりの店を見渡すと、行列ができている店がある。20~30人は並んでいる。
グアンタナモで行列ができる店ってどんなところだと思い、その列に並ぶ。看板にはPIZZERIAとあったので、どうもピザ屋のよう。ほんとにキューバ人はピザが好きだ。
行列は外にできており、空席ができると店の人が外の客を呼びに来る。
列に並んで20分ほどして、ぼくよりも前に並んでいた人が、ぼくに1人か? と聞いてきたので、そうだというと、先に行ってと言われる。
1人用の席が先に空いたからなのかなと思いながら店内に入ると、今しがた一緒に店に入った女の子3人組と同じテーブルに座るよう言われる。
店内を見渡すと1人席などはなく、ほぼすべて4人席で、他にも相席をしてるらしき人がいる。
女の子たちが先にメニューを見て、その後、手渡される。値段がほとんど1桁だったので、ここもcuc払いかと思っているところへ、店員が女の子たちのオーダーを聞きに来たので、女の子たちのオーダーを聞いてぼくも女の子たちが頼んでいたピザとマンゴージュースを頼む。
しばらくして水とジュースが来る。水はさっきの店と同じようにまずい。ジュースもなんか偽物っぽい。
それから5分ほどで女の子たちが頼んでいたスパゲッティが
3皿来る。あれ、ピザも頼んでいたのに、スパゲッティも3皿?と思うが、女の子たちはせっせと平らげる。
そう言えば、ぼくがオーダーしたときにピザを注文した後、店員がスパゲッティは?と聞いてきたので、どうもここでは両方を食べるのが当たり前のよう。
まわりの席を見ても、確かにみんな両方を食べている。
ちなみにこの女の子たちは見た目10歳くらいで小学校高学年くらいの感じ。そんな女の子が3人でこんなところにくるなんて金持ちなんだなと、勝手に邪推する。
彼女らがスパゲッティを食べ終わってから待つこと20分ほど、店員が片方の手に10枚くらい皿を乗せて来る。日本ではせいぜい片方の手に3枚が限度だし、うまく皿の縁に余裕があればもっと重ねることもできるが、それにしてもここの店員が持っている枚数は多すぎる。
どうやって持っているんだろうとよく見てみると、なんてことはない、ピザの上にも皿を乗せている。もちろん縁の方が交互に重なるようにしてはいるので、ピザの真ん中は大丈夫なのだが、縁のチーズなどがあまり乗っていない部分は、完全に上の皿の下敷きになっている。
実際、同じテーブルの女の子に配られたピザは、縁の部分がへこんでいた。女の子は別に気にする風もなく、すぐに食べ始める。おもしろい。
ぼくはチーズとソーセージを細かく切ったようなピザが出てくる。道ばたで売っているのと同じように直径20cmくらいあり生地が分厚い。
スパゲッティにこのピザなんて、大人でもけっこうな量になるのにと思っていたが、1人の女の子はぺろり。残りの2人は最後、けっこうきつそうだったが、やはり完食。ピザは4枚胆でおり、それもみんなで分けて食べるのかと思ったが、さすがにこれはお土産のようで、適当にピザを折り曲げ、持ってたビニール袋に入れた。
そして彼女らは代金を払う準備をし出す。お札が20枚倉見えたので、やっぱり金持ちなんだなと思っていたら、よく見るとそのお札はペソクバーノだった。えっ、なんだぁ! と、ここで、ようやく本当の事態がわかる。
なんてことはない、ここは安くピザとスパゲッティが食べられるところだったのだ。
そうとわかったからには方針変更。最初はおカネを気にして店員の薦めでも断ったスパゲッティを食べてみることにする。みんながこんなにも食べているものはどんなもんか、無性に気になる。ついでに周りの人が頼んでいたデザートも。
メニューをもらおうと店員に向かって手を挙げると、店員は会計かと思って、金額を知らせに来た。メニューをくださいというと、一瞬、エッと言う感じで聞き返してくる。
メニューを無事もらい、スパゲッティと適当にデザートの欄にあったものを頼む。店員は怪訝そうに注文したオーダーを繰り返す。注文したときと同じ店員だったので、店員からすればあのとき断ったのになんで今頃?、とでも思ったのであろう。
スパゲッティは5分ほどで出てくる。麺はぶつぶつ切れて短く、かかっているソースもなんだかトマトソースとウスターソースを混ぜて水で薄めたような味で、はっきり言ってうまくはない。塩気もない。ふ~ん、こんなもの食ってるんだと感心。それとも自分のだけ、こんななのだろうか。
デザートはシフォン生地にプリンが乗っているようなもので、これはそれなりにうまい。
それにしてもスパゲッティはショック。サンタクララで食べたスパゲッティはもっとまともだったのに、なぜ?
そんでお会計はと言うと、スパゲッティが3.6ペソ、ピザが3.9ペソ、ジュースが0.6ペソ、デザートが2ペソくらい。よって合計10ペソ(50円)もかからず。なんということだ!道ばたのピザ(だいたい5~10ペソ)よりも安い。行列の意味がようやくわかったのでした。
満腹になったので、宿に帰る。
部屋の横にあるシャワー室にシャワーを浴びに行く。水量は弱い。お湯もいまいちお湯にならない。しかも足下のタイルには糸ミミズみたいなものが数匹うようよしている。
見た目は良かったが実体はなんとも厳しい宿だ。15cucに値切って正解だった。ベッドはダブルベッドだから広い。扇風機も冷蔵庫(電気は入っていない)もエアコンもある。しかし、サンタクララと同じように冷蔵庫は過剰投資だろう。
寝る。
2008.3.4(火)
キングストンよりアップ
2008年3月2日日曜日
バラコアからグアンタナモへ
2008.2.29(金)
くもり時々晴れ
鶏の鳴き声で目覚める。
期せずして閏年に旅行することになったことに気がつき、1日ぶん得した気分になる。
今日はグアンタナモに移動。昨日、ここに着いたときに宿の人には2泊して明後日(3/1)サンティアゴ・デ・キューバに移動すればいいじゃないと言われたのだが、今日、移動することにする。
昨日、午後だけだがまちをふらついた感じではもう1泊してもよかったが、明後日事前に予約していたサンティアゴ・デ・キューバ(以下、サンティアゴと略)からハバナに行くバスは16時前のバス。ここを出る外国人用のバス(Viazul社)は14時過ぎ発なので間に合わない。
ハバナ行きは夕方発のもあるので、昨日、このまちにある旅行社(Cubatur)に予約の変更ができるか聞いたが、向こう3日ほどは予約がいっぱいで、乗りたいなら今朝したような感じで、直接サンティアゴのバスターミナルに行ってという。
しかし、乗れなかった場合、ジャマイカに行く飛行機に乗れなくなるため安全を見て、今日、グアンタナモに行くことにした。グアンタナモはサンティアゴから2時間とかからないところで、地元の人用のバス(トラックの荷台を改造したもの。以下、便宜的にトラックバスと呼ぶ)がけっこう走っていることはサンティアゴにいるときに確認済み。
なので、今日、グアンタナモまで行って、明日午前中にグアンタナモからサンティアゴに行くことにしたのだ。ただ今日のバラコアからグアンタナモに行く外国人用のバスも14時過ぎで、予約でいっぱい。
そこで地元の人用のトラックバスで行ってみることにした。このトラックバスと外国人用のバスなどいわゆるバス(長距離)が出るターミナルは別々にあり、昨日、トラックバスのターミナルを見つけ、グアンタナモ行きがあることも確認してた。
8時半頃、朝食。昨晩と比べて非常に簡単。スライスしたフランスパンが6枚ほどと目玉焼き2個。フルーツやサラダはなし。パイナップルジュースとコーヒーは出る。あとパンにつけるものとして蜂蜜が出る。キューバで蜂蜜は初めて。目玉焼きは塩気きつすぎ。塩を食っているみたい。でも、味からするといわゆる純化した塩化ナトリウムではなく、自然塩のよう。
9時頃、宿を出て葉書を出しがてら、しばらくまちをぶらぶら。今朝は快晴とはいかないが青空も見えている。やはり空が青いと海も青い。海の色が昨日とは全然違う。波が高く、道路にいてもしぶきのかけらがかかる。
トラックバスのターミナルに行き、グアンタナモ行きが何時にでるか聞くが、なんだかいろいろ言われてわからない。仕草からすると時間は決まっておらず、向こうからこちらにトラックが到着する時間次第のよう。
帰り道、一段高いところに造られているホテルまであがる。ここからはまちが一望できる。雲が出て少し陰っていたので、絶景ではなかったが、なかなかの眺め。海と山に挟まれ、景観も豊かだ。
宿に戻り、荷物の支度をする。宿代15cucと夕食代6cuc、朝食代3cucのしめて24cucを払って宿を出る。今までの所、この宿がキューバではベストだった。宿主も明るくて気持ちいい。
バスターミナルに行くとみんなの視線を感じる。やはり外国人が乗るのは珍しそう。チケット売場みたいなのはあるが、チケットは売っておらず、各トラックに乗り込んでから払うよう。
ターミナルに着いたのは10時過ぎ。グアンタナモ行きのトラックバスはターミナル内にはない。待合室には50人ほどの人が待っている。なんだか蒸し暑い。持ち歩いている温度計は32度をさし、湿度も70%を越えている。
10分ほど待ったところでトラックが入ってくる。トラック主らしき人が出てきて"A Guantanamo(ア グアンタナモ=グアンタナモ行き)"と大声で言う。
待ってましたとばかりに一斉に荷物を持った人がトラックに駆け寄る。我先にと乗り込む。ぼくは最後に並んでいたら、トラック主がぼくを見つけ、どこに行くのかと聞いてくる。グアンタナモと言うと、ちょっと待てと言われる。
みんなが乗り込んだ後で、2人で話をする。なにやらワーと言われる。CUCという言葉だけは聞き取れたので、値段の話をしているよう。こちらからいくらか聞くと10cucと言う。んな、アホな。外国人用のバスでサンティアゴから15cucだったのに。それで高すぎるというと、一気に5cucまで落ちる。おいおい、ふっかけすぎだ。
それで3cucにしてと頼むが、首を横に振り、5だと言って聞かない。これにしても相当高い。ただ、公的に二重経済をしき、外国人は基本的にcucを使うことになっているので、地元の人と同じ値段というのも難しい。この辺はおそらく人によるのだろう。昔のキューバ人ならみな平等と言って、地元の人と同じ値段しか請求しなかったに違いない。
このトラックバスに乗ってみたかったし、まぁ、通常よりは安くなったので、5cucでOKする。トラックに乗り込むとその人が荷物を渡せと言って、前の方の荷物置き場まで運んでくれる。それで、すぐにここでおカネを払えと言うので5cucを渡す。
そしたら、その様子を見ていた他の客がぼくが払った代金を巡っておしゃべりを始める。まず、一番近くでぼくが払うのを見ていた若い女の子に、その隣に座っていたおばさんがいくら払っていたと聞き、5cucと聞いて口を開けて高いと言う。
それを見て、ぼくがその女の子にこのバスはいくらなのか聞くと10ペソという。1cuc=24ペソなので、ぼくは12人ぶんくらいの代金を払ったわけだ。
おばさんはあきれたわ、みたいな仕草をする。そこから後は何を話しているかわからなかったが10人くらいで15分くらいその料金について話していた。年輩のおじさんも加わっていろいろしゃべっている。いくつか聞き取れた単語から推測するに、高すぎるわと言っている人がいる一方で、外国人はcucで払うことになっているというようなことを言っているよう(90%は推測だが)。
乗り合いタクシーのごとく、席が埋まるまで待っているよう。トラック内で20分ほど待つ。蒸し暑い。トラック内は左右の壁側に高さ60cmくらいのところに幅20cmくらいの板が固定されており、それが椅子代わりになる。真ん中にも背中合わせになるようなかたちで前から後ろに同じように板(座席)が固定されている。なので、都合4列椅子がある。
それぞれだいたい12人くらい座れるからこれだけで50人近く乗れる。椅子に座ると向かい合った人の膝がほぼつくくらいだから狭い。でも、席がいっぱいになっても、わずかな隙間を見つけて人を詰め込む。
ぼくは真ん中の列の右側の板に座る。なので進行方向右手をみる形で座る。子ども連れの人たちも乗っている。
10時40分頃、車は発車。工事中かというような轟音をたててトラックは走る。後部のきっちりしまらないドアや天窓の鉄板が細かな音を立てる。走り出せば風が入るので涼しい。
それにしても尻が痛い。席の区切りが2人ぶんくらいになっているのだが、明らかにその区切りがキューバ人のサイズにはなっていない。つまり、キューバ人のおばさんクラスになると2人座るには横幅がきつすぎるのだ。板は細く痛いのと横からの圧力とがあるから、とても居眠りはできない。
加えて足下も混雑しているので、トラックが曲がるときにふんばるのに都合のいい足場を確保できない。だから常に足に力が入っている状態で座っているので、ときおり停まって人を降ろすときに立ち上がると、脚がけっこう緊張していたことに気づく。
それでもなかなかこのトラックもいい。風が入るし、便所臭くないし、クーラーで寒いこともない。立ち上がって外の景色をみることもできる。
昨日乗っていたバスは通路側でなかなか外が思うように見れなかったが、この日は満喫できた。2時間もすればみんなも疲れてきたのか居眠りをしている人もいる。いかにもおしゃれしていますという若い女の人は、車酔いしたのか、突如窓から顔を出して、戻しているよう。たしかに揺れがひどいから車酔いしやすい人はきつそうだ。
つづく
くもり時々晴れ
鶏の鳴き声で目覚める。
期せずして閏年に旅行することになったことに気がつき、1日ぶん得した気分になる。
今日はグアンタナモに移動。昨日、ここに着いたときに宿の人には2泊して明後日(3/1)サンティアゴ・デ・キューバに移動すればいいじゃないと言われたのだが、今日、移動することにする。
昨日、午後だけだがまちをふらついた感じではもう1泊してもよかったが、明後日事前に予約していたサンティアゴ・デ・キューバ(以下、サンティアゴと略)からハバナに行くバスは16時前のバス。ここを出る外国人用のバス(Viazul社)は14時過ぎ発なので間に合わない。
ハバナ行きは夕方発のもあるので、昨日、このまちにある旅行社(Cubatur)に予約の変更ができるか聞いたが、向こう3日ほどは予約がいっぱいで、乗りたいなら今朝したような感じで、直接サンティアゴのバスターミナルに行ってという。
しかし、乗れなかった場合、ジャマイカに行く飛行機に乗れなくなるため安全を見て、今日、グアンタナモに行くことにした。グアンタナモはサンティアゴから2時間とかからないところで、地元の人用のバス(トラックの荷台を改造したもの。以下、便宜的にトラックバスと呼ぶ)がけっこう走っていることはサンティアゴにいるときに確認済み。
なので、今日、グアンタナモまで行って、明日午前中にグアンタナモからサンティアゴに行くことにしたのだ。ただ今日のバラコアからグアンタナモに行く外国人用のバスも14時過ぎで、予約でいっぱい。
そこで地元の人用のトラックバスで行ってみることにした。このトラックバスと外国人用のバスなどいわゆるバス(長距離)が出るターミナルは別々にあり、昨日、トラックバスのターミナルを見つけ、グアンタナモ行きがあることも確認してた。
8時半頃、朝食。昨晩と比べて非常に簡単。スライスしたフランスパンが6枚ほどと目玉焼き2個。フルーツやサラダはなし。パイナップルジュースとコーヒーは出る。あとパンにつけるものとして蜂蜜が出る。キューバで蜂蜜は初めて。目玉焼きは塩気きつすぎ。塩を食っているみたい。でも、味からするといわゆる純化した塩化ナトリウムではなく、自然塩のよう。
9時頃、宿を出て葉書を出しがてら、しばらくまちをぶらぶら。今朝は快晴とはいかないが青空も見えている。やはり空が青いと海も青い。海の色が昨日とは全然違う。波が高く、道路にいてもしぶきのかけらがかかる。
トラックバスのターミナルに行き、グアンタナモ行きが何時にでるか聞くが、なんだかいろいろ言われてわからない。仕草からすると時間は決まっておらず、向こうからこちらにトラックが到着する時間次第のよう。
帰り道、一段高いところに造られているホテルまであがる。ここからはまちが一望できる。雲が出て少し陰っていたので、絶景ではなかったが、なかなかの眺め。海と山に挟まれ、景観も豊かだ。
宿に戻り、荷物の支度をする。宿代15cucと夕食代6cuc、朝食代3cucのしめて24cucを払って宿を出る。今までの所、この宿がキューバではベストだった。宿主も明るくて気持ちいい。
バスターミナルに行くとみんなの視線を感じる。やはり外国人が乗るのは珍しそう。チケット売場みたいなのはあるが、チケットは売っておらず、各トラックに乗り込んでから払うよう。
ターミナルに着いたのは10時過ぎ。グアンタナモ行きのトラックバスはターミナル内にはない。待合室には50人ほどの人が待っている。なんだか蒸し暑い。持ち歩いている温度計は32度をさし、湿度も70%を越えている。
10分ほど待ったところでトラックが入ってくる。トラック主らしき人が出てきて"A Guantanamo(ア グアンタナモ=グアンタナモ行き)"と大声で言う。
待ってましたとばかりに一斉に荷物を持った人がトラックに駆け寄る。我先にと乗り込む。ぼくは最後に並んでいたら、トラック主がぼくを見つけ、どこに行くのかと聞いてくる。グアンタナモと言うと、ちょっと待てと言われる。
みんなが乗り込んだ後で、2人で話をする。なにやらワーと言われる。CUCという言葉だけは聞き取れたので、値段の話をしているよう。こちらからいくらか聞くと10cucと言う。んな、アホな。外国人用のバスでサンティアゴから15cucだったのに。それで高すぎるというと、一気に5cucまで落ちる。おいおい、ふっかけすぎだ。
それで3cucにしてと頼むが、首を横に振り、5だと言って聞かない。これにしても相当高い。ただ、公的に二重経済をしき、外国人は基本的にcucを使うことになっているので、地元の人と同じ値段というのも難しい。この辺はおそらく人によるのだろう。昔のキューバ人ならみな平等と言って、地元の人と同じ値段しか請求しなかったに違いない。
このトラックバスに乗ってみたかったし、まぁ、通常よりは安くなったので、5cucでOKする。トラックに乗り込むとその人が荷物を渡せと言って、前の方の荷物置き場まで運んでくれる。それで、すぐにここでおカネを払えと言うので5cucを渡す。
そしたら、その様子を見ていた他の客がぼくが払った代金を巡っておしゃべりを始める。まず、一番近くでぼくが払うのを見ていた若い女の子に、その隣に座っていたおばさんがいくら払っていたと聞き、5cucと聞いて口を開けて高いと言う。
それを見て、ぼくがその女の子にこのバスはいくらなのか聞くと10ペソという。1cuc=24ペソなので、ぼくは12人ぶんくらいの代金を払ったわけだ。
おばさんはあきれたわ、みたいな仕草をする。そこから後は何を話しているかわからなかったが10人くらいで15分くらいその料金について話していた。年輩のおじさんも加わっていろいろしゃべっている。いくつか聞き取れた単語から推測するに、高すぎるわと言っている人がいる一方で、外国人はcucで払うことになっているというようなことを言っているよう(90%は推測だが)。
乗り合いタクシーのごとく、席が埋まるまで待っているよう。トラック内で20分ほど待つ。蒸し暑い。トラック内は左右の壁側に高さ60cmくらいのところに幅20cmくらいの板が固定されており、それが椅子代わりになる。真ん中にも背中合わせになるようなかたちで前から後ろに同じように板(座席)が固定されている。なので、都合4列椅子がある。
それぞれだいたい12人くらい座れるからこれだけで50人近く乗れる。椅子に座ると向かい合った人の膝がほぼつくくらいだから狭い。でも、席がいっぱいになっても、わずかな隙間を見つけて人を詰め込む。
ぼくは真ん中の列の右側の板に座る。なので進行方向右手をみる形で座る。子ども連れの人たちも乗っている。
10時40分頃、車は発車。工事中かというような轟音をたててトラックは走る。後部のきっちりしまらないドアや天窓の鉄板が細かな音を立てる。走り出せば風が入るので涼しい。
それにしても尻が痛い。席の区切りが2人ぶんくらいになっているのだが、明らかにその区切りがキューバ人のサイズにはなっていない。つまり、キューバ人のおばさんクラスになると2人座るには横幅がきつすぎるのだ。板は細く痛いのと横からの圧力とがあるから、とても居眠りはできない。
加えて足下も混雑しているので、トラックが曲がるときにふんばるのに都合のいい足場を確保できない。だから常に足に力が入っている状態で座っているので、ときおり停まって人を降ろすときに立ち上がると、脚がけっこう緊張していたことに気づく。
それでもなかなかこのトラックもいい。風が入るし、便所臭くないし、クーラーで寒いこともない。立ち上がって外の景色をみることもできる。
昨日乗っていたバスは通路側でなかなか外が思うように見れなかったが、この日は満喫できた。2時間もすればみんなも疲れてきたのか居眠りをしている人もいる。いかにもおしゃれしていますという若い女の人は、車酔いしたのか、突如窓から顔を出して、戻しているよう。たしかに揺れがひどいから車酔いしやすい人はきつそうだ。
つづく
サンティアゴ・デ・キューバからバラコア(Baracoa)へ
2008.2.28(木)
目覚めたのは夜中の2時。腹に刺すような痛みを感じる。この1か月、衛生的にはやばそうな物を食いつつも、まずまず体調は順調だったのに、やはり来たか。病いは気から、頑張れ体内の微生物(腸内細菌)たちよと言い聞かせながら、しばらく格闘。Let it be.
再び寝る。
6時半前に、部屋に差し込んできた薄明かりで目覚める。6時50分にタクシーを頼んでいたから荷物の整理をする。時間になって玄関に行くと、宿主が起きてきて外にタクシーが来てるか確認してくれる。どうもまだ来ていないようで"Cinco minutos(シンコ ミヌートス=5分待って)"と言う。
奥さんが温かいお茶を出してくれる。痛んでいた腹にお茶が染み渡る。雨はやんだが、曇り空。またすぐにでも降ってきそうな色をしている。
7時前にタクシー到着。こちらに来たときと同じ20代の若い男性が運転手。助手席に乗ると、運転席には朝飯なのかハムを挟んだハンバーガー1個と炭酸のオレンジジュースが1缶あった。
10分もかからずバスターミナルに到着。晴れていれば簡単に歩ける距離だが、この天気なのでタクシーにした。しかし、往復20分程度で10cuc(1200円)は高い。が、同世代だし、まぁ、これで少しでも生活が楽になればと思い、言い値を払う。
今日は、島の北側のバラコア(Baracoa)に移動。行こうと決めたのは昨日の晩。コロンブスの航海日誌にも出てくる土地なので、行ってみることに。『ロンリープラネット』によれば、自然が豊かな地域でハイキングや海水浴に向いており、のんびりできるところらしい。
昨日の夜に決めたので、バスのチケットは取っていない。バスターミナルのチケット売場に行くとぼくの他にもキャンセル待ちをしている人が5人ほど既にいた。みなヨーロッパ系の人。
ぼくもしばらく待つ。その間、ロンリープラネットの英語版を持ったキューバ人のおじさんが話しかけてくる。自分の弟がやっているカーサがバラコアにあって、そこがロンリープラネットにも紹介されていると言う。それでこれからバラコアに行くならそこにぼくの名前で予約をするがいいか、と聞いてくる。値段を聞くと20cucというから予算オーバー。高いとぼくが言うと、バラコアはだいたい20~25cucすると言う。が、そんなことはないことは事前に情報を入手済み。10cucくらいあるとどっかに書いてあった。数度断るとさすがにおじさんも諦めた。
それにしてもどこでロンリープラネットを入手したのだろうか。キューバでは英語の本はカストロやゲバラの本など革命に関する本以外見ないし、そもそも旅行ガイド自体政府が作っている物以外に売っていない。表紙がだいぶ擦れていたので、旅行者がその人にプレゼントでもしたのだろうと考えるのが妥当だろうが、こんなふうに声をかけられたのは初めてだった。
バラコア行きのバスは7時45分発。30分頃から乗車が始まる。35分頃になって、キャンセルを確認できたようで、キャンセル待ちをしていた全員が乗れることに。ラッキー。
隣に座ったのはフランス語を話すおじさま。前の席にはインド系イギリス人。メキシコ人のグループも見える。アジア系はぼくのみ。ハバナでは日本人も多少は見たが、こっちに来るとまったく見ない。それにこちらではまずコリアと聞かれるから、韓国人はそれなりに来ているようだ。そもそもまちを走っているバスが韓国のお下がりのようなので、そういう関係もあるのかもしれない。
車窓からは広大なサトウキビ畑とバナナ畑が見える。あとビニールハウスもまとまったのが2カ所ほど。なにやら葉物を栽培しているようだった。また、ときおりアグロフォレストリーを実践していると思われる畑も見える。林の中にバナナやその他の作物を植えている。
時折見える山々はほぼ禿げ山になっているものもあるが、20mくらいはありそうな椰子やバナナが目立つ鬱蒼とした熱帯特有の山も見える。
約1時間半後の9時15分頃、グアンタナモに到着。5分停車。ここのターミナルはだいぶまち外れにあるようだった。ここで降りたのは2人ほど。
道路はそれなりに整備されていて、揺れもひどくない。だんだんと山の中にバスは入っていく。時折椰子の葉で屋根を葺いている家が見える。が、 かなり稀で、たいていがトタン屋根かコンクリートや煉瓦で造ったの四角い家になっている。また木造の堀建て小屋のような家もある。さすがにぼくが泊まっているような豪勢な家は見ない。家ひとつとっても、キューバ内でかなりの差がある。
電気はどこも通っているようで、電線は張られているし、たいてい屋根にアンテナがついているのでテレビもありそう。
しばし寝る。
起きたら進行方向右手に海が見える。あいにくの曇りだからいまいち海に輝きがない。海辺に出ては内陸に入り、また海辺に出て、今度はくねくね曲がる山道に入る。
どんどん標高が上がっていき、より低い山や川を見下ろせるくらいになる。椰子やバナナ、松の木など樹種は豊富そう。窓からの景色からすると標高は数百mくらいか。
途中見た川では網を張って漁をしている人たちが4人ほどいた。キューバで、というか、メキシコを含めても川で魚を捕っている人を見るのは初めて。ここの川は流量は少なくどこでも川底が見えている。見た目は水はきれい。川幅は見た中で一番大きくても10mくらい。
ツアーなのかなんなのか、チャリ(マウンテンバイク)でこの山道を登っている人たちを見る。10人くらいいたので、何かのグループのよう。20代くらいの人もいるが50代くらいに見える人もいる。みなヨーロッパから来た観光客のよう。バスの中では窓も開かないし、あいにくぼくが座ったところはトイレの最寄りの席のため便所臭い。外の空気を吸いながらチャリを漕ぐのは気持ちよかろう。
12時、山道の途中で休憩。民家のトイレが休憩場所になっているよう。バスを降りるとチョコレートと名前不明のものをその家の人らしき人が売りに来る。
チョコレートも名前不明のも3つで1cuc。なんでいきなりチョコなのかと思ったが、どうもこの州ではカカオの生産が盛んでチョコも作っているよう。
両方とも買う。名前不明のはまだ腹に不安があったので後回し。チョコは食ってみるが、ぼくの好みの味じゃない。味からするとカカオの比率は40%くらいで、味はアメリカのハーシーに似ている。なんか余計なものが入りすぎているようで、ぼくの基準からすると2度は買う必要はない程度の味だった。
名前不明のものは椰子の葉らしきものを逆三角垂状に巻いた中に甘く煮込んだココナツの繊維が入っていた。色は濃い飴色。ちょっと甘過ぎて、とても3つも食べられない。のちにこの日、泊まった宿の人に2つあげたが、これはとてもおいしいのよと言って、すぐに食べはじめた。だから、この辺ではわりと一般的なお菓子のよう。
10分間、そこには停車。くねくね道をまた走り、13時20分バラコアに到着。
みんな宿を予約していたようで、名前を書いた紙を持って待っている人が5~6人いる。ぼくも客引きにきたおばさんに声をかけられる。おばさんと言ってもけっこう若い。30代後半くらいか。
値段を聞くとタクシー代込みで15cucと言われる。まぁ、それならとOKする。宿までは三輪自転車のビシタクシー。15分ほどで宿に到着。中心街に近い。
家に入るとすぐにリビングありSUMSUNGのコンポから音楽が流れている。右手の部屋がぼくの部屋。中に入ると6畳くらいの部屋の中にダブルベッドが一つにシングルベッドが1つ。鏡台があり、部屋の入って左側にシャワーとトイレがある。床はむき出しのコンクリート。
窓は道路に面していて開けられるようになっており、扇風機もエアコンもある。エアコンは他の家と同様、相当型が古い。エアコン本体の厚さが50cm近くあり、あまり掃除してそうでもないので、かけると余計空気が悪くなりそう。もっとも朝晩は20度台前半になるので、いらないけど。
シャワーの使い方などを一通り教えてもらい、例のごとくパスポートを渡す。そしてサインをする。早速、ジュースが出る。パイナップルの味がしっかりするジュースでうまい。
宿を出てまちを散策。5万人に満たないまちということで、中心市街地の店舗数も少ない。サンティアゴやハバナにあったようなアディダスのようなブランドの店はないし、本屋も1~2店舗くらいしか見ない。観光地ということで、カフェは10カ所近くある。
インターネットができる電話局もあるが、6台中試した5台はすべて日本語が読めない。これまでは少なくとも半分は日本語が読めるパソコンがあったのに。ヨーロッパ系の人はメール書いたりできていてうらやましい。ジャマイカの宿から返事が来ているようなのに「□」になっていて読めない。
市街地から50mほどのところが海岸。ここでも馬車や三輪自転車が人々の足になっている。馬車はたいていがい満席。こうした乗り物もいつか自転車が安くなって、みんなが個々に移動できるようになったら消えるのだろうか。
小さなまちだからか、これまで行ったまちよりも人々の話し声や笑い声がよく聞こえる。雰囲気としては一番おっとりしている。砂浜では何かのスポーツチームなのか、10人くらいの女の子がコーチらしき男の人の指示で腕立て伏せをやっている。
すぐ近くにあるスタジアムでは草野球をやっている。キューバの草野球はとにかく打つのを楽しむようなやり方をしている。具体的にはピッチャーは早い球を投げたりせずに、小学生並みの緩いボールばかり投げている。
そもそもキャッチャーをつけられるほど道具がないというのが、その理由かもしれないし、そうではないかもしれない。ここの野球もキャッチャーなしで、ピッチャーもグローブなしで裸足。レフトの後ろでは20~30人がサッカーの練習をやっていたが、やはりこの中にも裸足の人がいた。
ここはスペイン人が最初にまちを作った場所らしいが、そのときの名残か非常にまちの作りがまとまっている。また、あちこちに畑があったりバナナの木があったりして、緑が多く、警官も豊か。曇天もようだったため海はたいして印象に残らなかったが、晴れていればおそらくかなりきれいなブルーじゃないかと思わせるような海水ではある。
ここでもたまにチーノと言われたり、ジェッキーチャン(ジャッキーチェンと言っているつもりのよう)と言われたりするが、これまでのまちに比べると少ない。それとは反対に高校生くらいの女の子が、にこにこしながらチャーオと言って手を振ってくる(2人だけだけど)。これは初めて。やっぱそうこなくちゃ。
観光地ということでか、市内の簡単な地図も手に入る。1.4cuc。自転車のレンタルもしているようだったが、パス。
カカオが特産ということで、1店舗だけチョコレート専門の店があった。ドイツ人らしきカップルが入ろうとしたが入り口で、服装を理由に断られる。確かにラフだが、別にたいしたことではない格好のようだったのに。なぜダメなのかよくわからない。ぼくはなぜかOK。Tシャツにジーパンにランニングシューズなのに。
ここで3種類のチョコ料理を注文。ひとつはホットチョコレート(いわゆるココア)で、もう一つはNotillo de chocolateというもの、それからチョコのアイス。
ココアは日本で普通飲まれているものよりももったりしていいてスプーンで混ぜると葛湯のような感じ。味はそう変わらない。もう一つのNotilloは、チョコのペーストが丸いカップに入った形で出てくる。どうもパンか何かに付けて食べるためのもののよう。でも、パンは頼んでないので、それだけ食べる。味はチョコというよりも小豆の水ようかんみたいな味がする。なぜこんな味がするのか不思議。どうやって作っているのか? チョコアイスはバスに乗っている時に買ったチョコと同じ味。ぼくとしては2度は食べなくていい味。あまりうまくない。
ここは海辺のまちと言うことで魚市場みたいなところを期待したのだが、見あたらず。小さな野菜売場くらいしかない。
空は相変わらずの曇り空。暗くなってきた6時過ぎに宿に戻る。シャワーを浴びてからご飯。
ご飯は別料金で6cucと言われ、高いと思い躊躇したが、宿主のお母さんが作ると聞いて、これは試さないとと思い頼んでいた。料理は豆ご飯と焼いた白身魚にトマトペーストがかかっているもの、キュウリ・トマトのサラダとピーマン、インゲンの炒め物、それにバナナチップスとパイナップルジュース。トマトソースはニンニク(スペイン語でアホ)が効いていてうまい。
サンティアゴでは、宿が飯なしで25cucで高かったし、安そうなレストランを見つけられなかったので、ピザとパンしか食っていなかった。なので、まともな食事は久しぶり。今日の宿はあたりだ。
夜は本を読んだり、寝たり。家の人はテレビを見ているようだったが、22時くらいには音がしなくなったので、これくらいの時間には寝てしまっているよう。
おわり。
目覚めたのは夜中の2時。腹に刺すような痛みを感じる。この1か月、衛生的にはやばそうな物を食いつつも、まずまず体調は順調だったのに、やはり来たか。病いは気から、頑張れ体内の微生物(腸内細菌)たちよと言い聞かせながら、しばらく格闘。Let it be.
再び寝る。
6時半前に、部屋に差し込んできた薄明かりで目覚める。6時50分にタクシーを頼んでいたから荷物の整理をする。時間になって玄関に行くと、宿主が起きてきて外にタクシーが来てるか確認してくれる。どうもまだ来ていないようで"Cinco minutos(シンコ ミヌートス=5分待って)"と言う。
奥さんが温かいお茶を出してくれる。痛んでいた腹にお茶が染み渡る。雨はやんだが、曇り空。またすぐにでも降ってきそうな色をしている。
7時前にタクシー到着。こちらに来たときと同じ20代の若い男性が運転手。助手席に乗ると、運転席には朝飯なのかハムを挟んだハンバーガー1個と炭酸のオレンジジュースが1缶あった。
10分もかからずバスターミナルに到着。晴れていれば簡単に歩ける距離だが、この天気なのでタクシーにした。しかし、往復20分程度で10cuc(1200円)は高い。が、同世代だし、まぁ、これで少しでも生活が楽になればと思い、言い値を払う。
今日は、島の北側のバラコア(Baracoa)に移動。行こうと決めたのは昨日の晩。コロンブスの航海日誌にも出てくる土地なので、行ってみることに。『ロンリープラネット』によれば、自然が豊かな地域でハイキングや海水浴に向いており、のんびりできるところらしい。
昨日の夜に決めたので、バスのチケットは取っていない。バスターミナルのチケット売場に行くとぼくの他にもキャンセル待ちをしている人が5人ほど既にいた。みなヨーロッパ系の人。
ぼくもしばらく待つ。その間、ロンリープラネットの英語版を持ったキューバ人のおじさんが話しかけてくる。自分の弟がやっているカーサがバラコアにあって、そこがロンリープラネットにも紹介されていると言う。それでこれからバラコアに行くならそこにぼくの名前で予約をするがいいか、と聞いてくる。値段を聞くと20cucというから予算オーバー。高いとぼくが言うと、バラコアはだいたい20~25cucすると言う。が、そんなことはないことは事前に情報を入手済み。10cucくらいあるとどっかに書いてあった。数度断るとさすがにおじさんも諦めた。
それにしてもどこでロンリープラネットを入手したのだろうか。キューバでは英語の本はカストロやゲバラの本など革命に関する本以外見ないし、そもそも旅行ガイド自体政府が作っている物以外に売っていない。表紙がだいぶ擦れていたので、旅行者がその人にプレゼントでもしたのだろうと考えるのが妥当だろうが、こんなふうに声をかけられたのは初めてだった。
バラコア行きのバスは7時45分発。30分頃から乗車が始まる。35分頃になって、キャンセルを確認できたようで、キャンセル待ちをしていた全員が乗れることに。ラッキー。
隣に座ったのはフランス語を話すおじさま。前の席にはインド系イギリス人。メキシコ人のグループも見える。アジア系はぼくのみ。ハバナでは日本人も多少は見たが、こっちに来るとまったく見ない。それにこちらではまずコリアと聞かれるから、韓国人はそれなりに来ているようだ。そもそもまちを走っているバスが韓国のお下がりのようなので、そういう関係もあるのかもしれない。
車窓からは広大なサトウキビ畑とバナナ畑が見える。あとビニールハウスもまとまったのが2カ所ほど。なにやら葉物を栽培しているようだった。また、ときおりアグロフォレストリーを実践していると思われる畑も見える。林の中にバナナやその他の作物を植えている。
時折見える山々はほぼ禿げ山になっているものもあるが、20mくらいはありそうな椰子やバナナが目立つ鬱蒼とした熱帯特有の山も見える。
約1時間半後の9時15分頃、グアンタナモに到着。5分停車。ここのターミナルはだいぶまち外れにあるようだった。ここで降りたのは2人ほど。
道路はそれなりに整備されていて、揺れもひどくない。だんだんと山の中にバスは入っていく。時折椰子の葉で屋根を葺いている家が見える。が、 かなり稀で、たいていがトタン屋根かコンクリートや煉瓦で造ったの四角い家になっている。また木造の堀建て小屋のような家もある。さすがにぼくが泊まっているような豪勢な家は見ない。家ひとつとっても、キューバ内でかなりの差がある。
電気はどこも通っているようで、電線は張られているし、たいてい屋根にアンテナがついているのでテレビもありそう。
しばし寝る。
起きたら進行方向右手に海が見える。あいにくの曇りだからいまいち海に輝きがない。海辺に出ては内陸に入り、また海辺に出て、今度はくねくね曲がる山道に入る。
どんどん標高が上がっていき、より低い山や川を見下ろせるくらいになる。椰子やバナナ、松の木など樹種は豊富そう。窓からの景色からすると標高は数百mくらいか。
途中見た川では網を張って漁をしている人たちが4人ほどいた。キューバで、というか、メキシコを含めても川で魚を捕っている人を見るのは初めて。ここの川は流量は少なくどこでも川底が見えている。見た目は水はきれい。川幅は見た中で一番大きくても10mくらい。
ツアーなのかなんなのか、チャリ(マウンテンバイク)でこの山道を登っている人たちを見る。10人くらいいたので、何かのグループのよう。20代くらいの人もいるが50代くらいに見える人もいる。みなヨーロッパから来た観光客のよう。バスの中では窓も開かないし、あいにくぼくが座ったところはトイレの最寄りの席のため便所臭い。外の空気を吸いながらチャリを漕ぐのは気持ちよかろう。
12時、山道の途中で休憩。民家のトイレが休憩場所になっているよう。バスを降りるとチョコレートと名前不明のものをその家の人らしき人が売りに来る。
チョコレートも名前不明のも3つで1cuc。なんでいきなりチョコなのかと思ったが、どうもこの州ではカカオの生産が盛んでチョコも作っているよう。
両方とも買う。名前不明のはまだ腹に不安があったので後回し。チョコは食ってみるが、ぼくの好みの味じゃない。味からするとカカオの比率は40%くらいで、味はアメリカのハーシーに似ている。なんか余計なものが入りすぎているようで、ぼくの基準からすると2度は買う必要はない程度の味だった。
名前不明のものは椰子の葉らしきものを逆三角垂状に巻いた中に甘く煮込んだココナツの繊維が入っていた。色は濃い飴色。ちょっと甘過ぎて、とても3つも食べられない。のちにこの日、泊まった宿の人に2つあげたが、これはとてもおいしいのよと言って、すぐに食べはじめた。だから、この辺ではわりと一般的なお菓子のよう。
10分間、そこには停車。くねくね道をまた走り、13時20分バラコアに到着。
みんな宿を予約していたようで、名前を書いた紙を持って待っている人が5~6人いる。ぼくも客引きにきたおばさんに声をかけられる。おばさんと言ってもけっこう若い。30代後半くらいか。
値段を聞くとタクシー代込みで15cucと言われる。まぁ、それならとOKする。宿までは三輪自転車のビシタクシー。15分ほどで宿に到着。中心街に近い。
家に入るとすぐにリビングありSUMSUNGのコンポから音楽が流れている。右手の部屋がぼくの部屋。中に入ると6畳くらいの部屋の中にダブルベッドが一つにシングルベッドが1つ。鏡台があり、部屋の入って左側にシャワーとトイレがある。床はむき出しのコンクリート。
窓は道路に面していて開けられるようになっており、扇風機もエアコンもある。エアコンは他の家と同様、相当型が古い。エアコン本体の厚さが50cm近くあり、あまり掃除してそうでもないので、かけると余計空気が悪くなりそう。もっとも朝晩は20度台前半になるので、いらないけど。
シャワーの使い方などを一通り教えてもらい、例のごとくパスポートを渡す。そしてサインをする。早速、ジュースが出る。パイナップルの味がしっかりするジュースでうまい。
宿を出てまちを散策。5万人に満たないまちということで、中心市街地の店舗数も少ない。サンティアゴやハバナにあったようなアディダスのようなブランドの店はないし、本屋も1~2店舗くらいしか見ない。観光地ということで、カフェは10カ所近くある。
インターネットができる電話局もあるが、6台中試した5台はすべて日本語が読めない。これまでは少なくとも半分は日本語が読めるパソコンがあったのに。ヨーロッパ系の人はメール書いたりできていてうらやましい。ジャマイカの宿から返事が来ているようなのに「□」になっていて読めない。
市街地から50mほどのところが海岸。ここでも馬車や三輪自転車が人々の足になっている。馬車はたいていがい満席。こうした乗り物もいつか自転車が安くなって、みんなが個々に移動できるようになったら消えるのだろうか。
小さなまちだからか、これまで行ったまちよりも人々の話し声や笑い声がよく聞こえる。雰囲気としては一番おっとりしている。砂浜では何かのスポーツチームなのか、10人くらいの女の子がコーチらしき男の人の指示で腕立て伏せをやっている。
すぐ近くにあるスタジアムでは草野球をやっている。キューバの草野球はとにかく打つのを楽しむようなやり方をしている。具体的にはピッチャーは早い球を投げたりせずに、小学生並みの緩いボールばかり投げている。
そもそもキャッチャーをつけられるほど道具がないというのが、その理由かもしれないし、そうではないかもしれない。ここの野球もキャッチャーなしで、ピッチャーもグローブなしで裸足。レフトの後ろでは20~30人がサッカーの練習をやっていたが、やはりこの中にも裸足の人がいた。
ここはスペイン人が最初にまちを作った場所らしいが、そのときの名残か非常にまちの作りがまとまっている。また、あちこちに畑があったりバナナの木があったりして、緑が多く、警官も豊か。曇天もようだったため海はたいして印象に残らなかったが、晴れていればおそらくかなりきれいなブルーじゃないかと思わせるような海水ではある。
ここでもたまにチーノと言われたり、ジェッキーチャン(ジャッキーチェンと言っているつもりのよう)と言われたりするが、これまでのまちに比べると少ない。それとは反対に高校生くらいの女の子が、にこにこしながらチャーオと言って手を振ってくる(2人だけだけど)。これは初めて。やっぱそうこなくちゃ。
観光地ということでか、市内の簡単な地図も手に入る。1.4cuc。自転車のレンタルもしているようだったが、パス。
カカオが特産ということで、1店舗だけチョコレート専門の店があった。ドイツ人らしきカップルが入ろうとしたが入り口で、服装を理由に断られる。確かにラフだが、別にたいしたことではない格好のようだったのに。なぜダメなのかよくわからない。ぼくはなぜかOK。Tシャツにジーパンにランニングシューズなのに。
ここで3種類のチョコ料理を注文。ひとつはホットチョコレート(いわゆるココア)で、もう一つはNotillo de chocolateというもの、それからチョコのアイス。
ココアは日本で普通飲まれているものよりももったりしていいてスプーンで混ぜると葛湯のような感じ。味はそう変わらない。もう一つのNotilloは、チョコのペーストが丸いカップに入った形で出てくる。どうもパンか何かに付けて食べるためのもののよう。でも、パンは頼んでないので、それだけ食べる。味はチョコというよりも小豆の水ようかんみたいな味がする。なぜこんな味がするのか不思議。どうやって作っているのか? チョコアイスはバスに乗っている時に買ったチョコと同じ味。ぼくとしては2度は食べなくていい味。あまりうまくない。
ここは海辺のまちと言うことで魚市場みたいなところを期待したのだが、見あたらず。小さな野菜売場くらいしかない。
空は相変わらずの曇り空。暗くなってきた6時過ぎに宿に戻る。シャワーを浴びてからご飯。
ご飯は別料金で6cucと言われ、高いと思い躊躇したが、宿主のお母さんが作ると聞いて、これは試さないとと思い頼んでいた。料理は豆ご飯と焼いた白身魚にトマトペーストがかかっているもの、キュウリ・トマトのサラダとピーマン、インゲンの炒め物、それにバナナチップスとパイナップルジュース。トマトソースはニンニク(スペイン語でアホ)が効いていてうまい。
サンティアゴでは、宿が飯なしで25cucで高かったし、安そうなレストランを見つけられなかったので、ピザとパンしか食っていなかった。なので、まともな食事は久しぶり。今日の宿はあたりだ。
夜は本を読んだり、寝たり。家の人はテレビを見ているようだったが、22時くらいには音がしなくなったので、これくらいの時間には寝てしまっているよう。
おわり。
初めての雨、停電
サンティアゴ・デ・キューバ2日目
2008.2.27(水)
夜明けとともに起きる。時間は6時半くらい。半袖でちょうどいいくらいの気温。
見たかったものは昨日、見てしまったので朝は日記の整理などをする。
11時頃、宿を出てバスターミナルを目指す。。明日、乗るバスの乗り場までの予行演習だ。
昨日は通らなかった道には野菜を売っている人たちが10人ほどいる。トマトやきゅうり、みかん、バナナなどが多い。
途中でbatido(バティード)という果物と氷のシェイクを飲む。2ペソ。キューバで氷入りの飲み物は何度も飲んでいるが腹に問題ない。
読んだ本によれば水道施設はよく整備されており、ここサンティアゴ・デ・キューバでは塩素消毒もされているらしい。基本的には緩速濾過をしているらしいが、この辺りは水が少なくタンクに溜めてから使うため、念のため塩素消毒をしているらしい。ぼくの腹に問題がないのも、こうした水道整備のおかげのよう。
歩いていたら飛ぶように売れているピザの屋台があったので、朝飯がわりに食べる。具はチーズだけ。例によって生地はパンだから腹が膨れる。5ペソ(25円)。
バスターミナルまでの道順を確認し、せっかくなので、適当に路線バスに乗る。1ペソ。最初に乗ったバスは韓国で使われていたバスのおさがりのようで、車体にも車内にもハングルが書かれてある。
バスに乗ると運転手がそれらのハングルを指さし、わかるかと聞いてくるので、わからないと言うと、周りの人もわからないんだぁ、って感じの反応をする。
乗ったはいいが、すぐに終点のターミナルだった。賞味200mくらいしか移動していない。ターミナルの隣の広場には、昨日は見なかった野菜市場があったので、そこを見学。売られている野菜は変わらないが、サトウキビジュースを売っているのは初めてみた。
人力の圧搾機を使ってサトウキビからジュースを絞り出している。飲みたかったが、明日が移動日であることが頭をよぎり、ここはやめる。その代わり、batido(バティード)をまた飲む。2ペソ。
それからもう1度バスに乗り、終点まで行く。まちの様子を見るために乗ったのに、またもや寝る。キューバはどうも寝心地がいいようだ。
気づいたら終点。また折り返し乗る。乗車賃を払おうとしたが、運転手がいらないという仕草をする。どうもバス代は1ペソよりももっと安いよう。
ここの終点付近は団地になっていて、4階建てくらいのアパートが見える範囲でも10棟くらい建っている。それほどぼろくはなさそうだが、それにしても古そうではある。
バスはそうしたアパート街を走り、10分ほどで中心市街地に着く。そこで降りて、また電話局にネットをしに行く。4台のパソコンは埋まっていてしばらく待つ。
外はさっきからぽつぽつ降っていた雨が本降りになり、どしゃ降りの様相を呈している。雨宿りするために何人かが店内に入ってくる。
これだけ本格的な雨はこの旅では初めて。なんて思っていると、次の瞬間ストンと電気が消えた。パソコンも画面が消え、メールを書いていたフランス人らしきおじさんは、クソッみたいなことを両手を天に向けて言う。
10分ほどして電気は復旧したが、それから20分した頃、再び停電。またおじさんはクソッみたいなことを言う。
今度は20分ほどして復旧。外は大雨。
メールをチェックしたところ、予定していたジャマイカの宿からは空き室がないとの返事。別の宿にまた予約のメールを送る。
雨があがったのを見て宿に戻る。空にはまだ黒い雲がただよっているので、今日はもう宿にいることにする。
宿で持ってきた吉田太郎著『スローライフ大国キューバ・リポート 1000万人が反グローバリズムで自給・自立できるわけ』を読む。
興味深い話がいっぱい。キューバに来てみたいと思ったのも2000年に国を挙げて有機農業に取り組んでいるという話を聞いたことがきっかけだった。しかもその話を聞いたのは、この本の著者が恩師と呼んでいる人と同じ人から。
君子による独裁か、半分以上が投票にも行かない、利益団体に左右される空洞化した民主主義か。政策転換の早さで言えば、圧倒的にキューバの方が日本やアメリカより早いのではないか(特に産業面で規制が必要な時などの場合)。
いろいろ失敗しつつも、時代や世界、地球環境の現状をみながら、よりよい世界になるようにさまざまな取り組みをしているキューバ(政府)はなかなかすごい。
まちに物はたいしてないし、車も建物もおんぼろだけど、自分の国のみならず世界の状況を見渡した上で、どんな世界にしたいかを明示し、そのために政策をうつ。こうした政治が実際に行われていること自体が、日本の現状から見ると驚きだ。
確かに日本の政治は国民の生活をある面では豊かにしただろうが、はたしてカストロが言っているような世界観を持って世界と接してきたのかは、大いに疑問。
ときおり引用されているカストロの演説を読むと、日本の政治家とのスケールの違いを知らされる。そりゃ、カストロは革命家だからそこらへんの政治屋さんとは比べ物にならないだろうけど。
こんな人が独裁(といってもけっこう分権はされているようだが)するなら世襲が幅を利かせているどこぞの民主主義よりもよほどましだろうなと思ったりもする。
ただ、カストロ1人がすごくても国を治めることはできないだろうから、政府内部がどのように動いているのかが気になるところ。
19日にカストロが引退を表明したが、この後も安定した政情のまま、理想を変えずにどう資本主義化やアメリカの言うような民主化の圧力とつきあっていくのかが、今後の問題だろう。
宿では2度ほど停電がある。いずれも10分ほどで復旧するが小型ライトが役立つ。
2008.2.27(水)
夜明けとともに起きる。時間は6時半くらい。半袖でちょうどいいくらいの気温。
見たかったものは昨日、見てしまったので朝は日記の整理などをする。
11時頃、宿を出てバスターミナルを目指す。。明日、乗るバスの乗り場までの予行演習だ。
昨日は通らなかった道には野菜を売っている人たちが10人ほどいる。トマトやきゅうり、みかん、バナナなどが多い。
途中でbatido(バティード)という果物と氷のシェイクを飲む。2ペソ。キューバで氷入りの飲み物は何度も飲んでいるが腹に問題ない。
読んだ本によれば水道施設はよく整備されており、ここサンティアゴ・デ・キューバでは塩素消毒もされているらしい。基本的には緩速濾過をしているらしいが、この辺りは水が少なくタンクに溜めてから使うため、念のため塩素消毒をしているらしい。ぼくの腹に問題がないのも、こうした水道整備のおかげのよう。
歩いていたら飛ぶように売れているピザの屋台があったので、朝飯がわりに食べる。具はチーズだけ。例によって生地はパンだから腹が膨れる。5ペソ(25円)。
バスターミナルまでの道順を確認し、せっかくなので、適当に路線バスに乗る。1ペソ。最初に乗ったバスは韓国で使われていたバスのおさがりのようで、車体にも車内にもハングルが書かれてある。
バスに乗ると運転手がそれらのハングルを指さし、わかるかと聞いてくるので、わからないと言うと、周りの人もわからないんだぁ、って感じの反応をする。
乗ったはいいが、すぐに終点のターミナルだった。賞味200mくらいしか移動していない。ターミナルの隣の広場には、昨日は見なかった野菜市場があったので、そこを見学。売られている野菜は変わらないが、サトウキビジュースを売っているのは初めてみた。
人力の圧搾機を使ってサトウキビからジュースを絞り出している。飲みたかったが、明日が移動日であることが頭をよぎり、ここはやめる。その代わり、batido(バティード)をまた飲む。2ペソ。
それからもう1度バスに乗り、終点まで行く。まちの様子を見るために乗ったのに、またもや寝る。キューバはどうも寝心地がいいようだ。
気づいたら終点。また折り返し乗る。乗車賃を払おうとしたが、運転手がいらないという仕草をする。どうもバス代は1ペソよりももっと安いよう。
ここの終点付近は団地になっていて、4階建てくらいのアパートが見える範囲でも10棟くらい建っている。それほどぼろくはなさそうだが、それにしても古そうではある。
バスはそうしたアパート街を走り、10分ほどで中心市街地に着く。そこで降りて、また電話局にネットをしに行く。4台のパソコンは埋まっていてしばらく待つ。
外はさっきからぽつぽつ降っていた雨が本降りになり、どしゃ降りの様相を呈している。雨宿りするために何人かが店内に入ってくる。
これだけ本格的な雨はこの旅では初めて。なんて思っていると、次の瞬間ストンと電気が消えた。パソコンも画面が消え、メールを書いていたフランス人らしきおじさんは、クソッみたいなことを両手を天に向けて言う。
10分ほどして電気は復旧したが、それから20分した頃、再び停電。またおじさんはクソッみたいなことを言う。
今度は20分ほどして復旧。外は大雨。
メールをチェックしたところ、予定していたジャマイカの宿からは空き室がないとの返事。別の宿にまた予約のメールを送る。
雨があがったのを見て宿に戻る。空にはまだ黒い雲がただよっているので、今日はもう宿にいることにする。
宿で持ってきた吉田太郎著『スローライフ大国キューバ・リポート 1000万人が反グローバリズムで自給・自立できるわけ』を読む。
興味深い話がいっぱい。キューバに来てみたいと思ったのも2000年に国を挙げて有機農業に取り組んでいるという話を聞いたことがきっかけだった。しかもその話を聞いたのは、この本の著者が恩師と呼んでいる人と同じ人から。
君子による独裁か、半分以上が投票にも行かない、利益団体に左右される空洞化した民主主義か。政策転換の早さで言えば、圧倒的にキューバの方が日本やアメリカより早いのではないか(特に産業面で規制が必要な時などの場合)。
いろいろ失敗しつつも、時代や世界、地球環境の現状をみながら、よりよい世界になるようにさまざまな取り組みをしているキューバ(政府)はなかなかすごい。
まちに物はたいしてないし、車も建物もおんぼろだけど、自分の国のみならず世界の状況を見渡した上で、どんな世界にしたいかを明示し、そのために政策をうつ。こうした政治が実際に行われていること自体が、日本の現状から見ると驚きだ。
確かに日本の政治は国民の生活をある面では豊かにしただろうが、はたしてカストロが言っているような世界観を持って世界と接してきたのかは、大いに疑問。
ときおり引用されているカストロの演説を読むと、日本の政治家とのスケールの違いを知らされる。そりゃ、カストロは革命家だからそこらへんの政治屋さんとは比べ物にならないだろうけど。
こんな人が独裁(といってもけっこう分権はされているようだが)するなら世襲が幅を利かせているどこぞの民主主義よりもよほどましだろうなと思ったりもする。
ただ、カストロ1人がすごくても国を治めることはできないだろうから、政府内部がどのように動いているのかが気になるところ。
19日にカストロが引退を表明したが、この後も安定した政情のまま、理想を変えずにどう資本主義化やアメリカの言うような民主化の圧力とつきあっていくのかが、今後の問題だろう。
宿では2度ほど停電がある。いずれも10分ほどで復旧するが小型ライトが役立つ。
2008年2月28日木曜日
サンティアゴ・デ・キューバ到着
2008.2.26(火)
夜が明けはじめた6時過ぎ、目が覚める。
道ばたの看板にSantiago de Cubaという文字が見え、すでにSantiago de Cuba州に入ったことがわかる。
それから15分ほどして、右手にどでかいモニュメントが見える。道行くトラックバス(荷台に幌をかけてバス代わりにしている)は、通勤のためか満員状態。聞いてはいたが、確かにアフリカ系が多い。ぱっと見た感じで7:3くらい。
バスターミナルに着いたのが6時45分。手荷物を持って降りると、すぐに待合室の方にと案内される。リュックはいつピックアップするのかと思ったら、待合室にピックアップする場所があり、そこで係員のおじさんに荷物の半券を渡し、リュックをもらう。
待合室を出ると、チケットの販売所があり、そこでハバナに戻るバスを予約する。スペイン人とおぼしき観光客が数組いる。
15分ほど待ち、ようやく自分の晩が来て予約が済む
。その際、ぼくの前で予約していたスペイン人と思われるおばさんがスペイン語から英語に通訳してくれる。
チケット売場を出ると、例のごとく外国人観光客を狙った客引きがいる。CASA(カーサ)とタクシー、それぞれいる。
ぼくは昨日、泊まった宿の人が友人のCASAを紹介してくれ、そこの人が迎えに来てくれていたので、客引き攻めは避けることができた。
迎えに来てくれていたのは、20代くらいのアフリカ系の男性。赤いFordのアメ車に乗り込み、カーサに向かう。ここでも馬車が走っており、市民の足になっているよう。
10分ほどして到着。きれいに外壁が塗られている。ブザーを押すと中から上半身裸のアフリカ系のおじさんが出てくる。名前を呼ばれ、そうだというと中に通される。おじさんは英語を解すようで、英語は分かるかと聞かれる。
車のにいちゃんは、ここまでの移動のために雇われていたようで、ぼくに5cucを請求してくる。移動距離はサンタクララと同じくらいだからせいぜい3cucくらいだろうが、朝が早かったし、まぁいいかと20cuc札を取り出すが、お釣りがないという。
そこで、宿主の人に両替してもらおうとするが、その場では両替ができないようで、あとで払えばいいから大丈夫というようなことを言われ、そのタクシーのあんちゃんは帰された。
今回のカーサはなかなかの豪邸。中庭は小さいけれども手入れされた植物があふれ、カフェでも使われているような机や椅子がある。別の部屋にはパソコンもコンポもある。
奥から出てきたこの家の奥さんと思われる人は、髪の毛を赤に染めており、なかなか立派な体格をしている。
部屋を案内される。ダブルベッドに小さな子ども用くらいのベッドが一つある。鏡台に観音扉式の洋服ダンスもある。昨日の宿にあった冷蔵庫や扇風機はない。窓が中庭に向いてあるので、空気はいい。カビ臭くはない。シャワーやトイレは宿泊者専用のようで、プライベートシャワーなんて言って案内される。風呂桶らしきつくりになっており、なかなか豪勢。そうとうな金持ちのよう。
荷物を置くと、宿泊の手続きを中庭のテーブルでする。宿の奥さんは宿帳のようなものを持ってきて、そこにいろいろ書き込む。パスポートを見せ、ぼく自身のサインもする。値段を聞くと食事なしで25cuc(3000円)。
事前の情報では15cucからあるということだったし、ロンリープラネットに紹介されているカーサでも20cucだったので、予定外の出費だ。昨日の宿の2倍だし。が、今更出ていくわけにもいかないので、それで我慢する。お値段は2泊するので50cuc。アメリカを入れてもこの旅の宿泊費の最高値だ。
宿帳を見たらぼくの前の人たちからは30cucとっているようなので、多少は安くしたようだが、日本でも今やネットカフェであれば2000円もあればゆったり泊まれるので高いという印象は免れない。
手続きをするときに、手元に指さし会話帳を持っていたので、それを見せると"Que bien(いいね)""Que bonito(なんてかわいらしい:直訳)”と奥さんは絶賛し、近くで植物に水やりをしていた旦那に、イントロダクションの部分(スペイン語)を読んで聞かせる。
ぼくは中庭でしばらくここの地図を眺め、今日のルートづくり。そこへお茶を出してくれる。果物とかはいらないかと聞かれるが、あとでおカネを請求されても懐が厳しいので断る。お茶はジャスミン茶のようだったが、久しぶりにお茶を飲んだ。たぶんロス行きの飛行機の中で緑茶を飲んで以来。
8時過ぎに宿を出て中心部に向かう。地図状では中心部まで200mくらい。ハバナに比べると一本一本の
路地が狭く、車一台と人が2~3人横になるといっぱいというくらい(3~4m程度)。
路面には軌道が残っており、以前には路面電車が走っていたようだ。湾に面したまちということで坂道が多い。
セスペデス広場がまちの中心になっており、その広場を囲む形で銀行や電話局、高級ホテル、大聖堂が建っている。
ジャマイカの宿の予約の返事が気になったので、ネットをやろうと、その1画にあるHotel Casa Grandeの警備の人にここでネットができるか聞いたら、ダメだと言われる。どこでできるか聞いたらあっちの方というので、そっちに行くとサンタクララでネットをしたのと電話局の店舗があったので、そこに行く。
が、閉まっている。入り口のドアに書いてある開店時間を見ると8時半となってり、時計を見るとすでに数分は過ぎている。あとから来た男性もドアが開かないのに舌打ちをする。あっと言う間に列ができ、ぼくは2番目で中に入る。ネット用のカード(1時間ぶん6cuc=720円)を書おうと20cuc札を出すが、またもや釣りがないからそこの銀行で両替してきてくれと言われる。
やれやれと思いながら、銀行に行き、”マシ ペケーニョ ポルファボール”と頼む。するとすべて5cuc札に替えてくれた。
それを持ってまた電話局の店舗に行き、カードを買う。パソコンは4台あり、ぼくのほかは誰も使っていない。カードの裏面を削ってログイン番号と暗証番号を確認し、ネット開始。日本語を読むこともできる台だったようで、ラッキー。ジャマイカの宿からはまだ返事が来ていない。
その後、海が見えていたので、そちらの方に向かって歩く。するとレタスをぶら下げて歩いている人とすれ違ったので、その人が歩いてきたと思われる方へ行く。
角を曲がると一輪車にレタスをいっぱいのっけて売っている人がおり、その近くには子豚が何やら道ばたに落ちている物をついばんでいる。
左手には青いバナナを大量に乗せた大型トラックやハンバーガーの屋台が2台見える。食らい建物の中から人が出てきているので、そこに入ってみるとそこが市場になっていた。
一見してハバナよりも種類が多いことがわかる。トマトやカボチャ、ピーマン、バナナ、マンゴー、キャベツなどハバナにあったものの他に、オクラなどもある。
野菜や果物はぜんぶで20店舗(区画)くらいあったが、肉売場はさびしく3店舗ほどしかない。例のごとく豚の頭部がぶらさがっていた。
バナナを買う。5ペソ。10本以上ついている房で、重さは2kgくらいありそう。それから声かけられた店でマンゴーを1個買う。3ペソ。やっぱり食料品は安い。
それから外の屋台で豚のハンバーガーを買う。5ペソ。皮や脂身が入っており、ちょっとしつこい。
バナナを食べながら海に向かう。歩いて5分ほどで海岸通に出る。ここは湾になっており、公園も整備されていた。そこでは小学生が10人ほどで演劇の台詞合わせのようなことをしていた。ベンチではホームレスと思われるおじさんが2人、しゃべっている。また、トランペットの練習をしている若い男性もいる。湾内には工業用らしき船が何隻か見え、その奥にはカストロたちが革命の初期に拠点としていたシエラマエストラと呼ばれる山々が見える。山々は緑がうすい。
ベンチで一休みして、適当に歩き始める。しばらくあるくと、人が多く集まっている所に出た。散髪屋や商店があり、その先には椰子の葉で屋根を葺いた店々が並ぶ、これまた市場みたいなところが見えた。
店は10店舗ほどしかないが、量が豊富だ。店の人からチーノと声をかけられ、買わないかと言われるが、料理ができる宿でもないので断り、ぶらぶら見て後にする。
来た道とは違うルートで中心部に戻る。カーサのマークを出している家が何軒もあったので、紹介してもらわずに自分で探せば良かったなどと思う。
多くの家がドアを開けはなっているので、中をちらっと見るとだいたい年寄りが椅子に腰掛け、テレビを見ている。そうでなければ、外を眺めている。
朝方は、気温が20度ちょっとと涼しかったが、だんだんと暑くなってきた。のどが乾いたので、ペットボトルの水を探すが、ガス入りばかりでガスが入っていない物が見あたらない。また、朝飯もハンバーガーとバナナだったので、何か他の物を思ったが、街角で売っているのはハンバーガーばかり(挟んでいるものは多少違うが肉ばかり)。メキシコが恋しくなる。
道には人があふれ、小さな広場のベンチもおしゃべりする人でいっぱい。専業主婦とは思えないが、生活用品(洗剤など)の店には行列ができている。
列ができていた道ばたのマンゴーのソフトクリーム屋でソフトを買う。1ペソ。これは、まずまずいい。これまでいくつか食べてきたが、どれもうまいとは思えないものばかりだったが、今回はあたり。
ぶらぶら歩きながらモンカダ兵営の博物館を目指す。途中にあったコッペリアというキューバで人気のアイスクリーム専門の喫茶店(屋外だけど)にはハバナと同じように行列ができていた。制服を着た子たちもいたが、平日の昼前に、こうしてアイスを食べられるなんて、どういう人たちなのだろうと不思議に思う。
30分ほど歩いて目的地に到着。モンカダ兵営は外壁がマンゴー色にきれいに塗られていたが、カストロたちが襲撃した時の銃弾跡は残っていた。ここは今、一部が博物館となり、その他は学校として使われているようだった。
カストロたちは100数十人でここを襲撃して、革命ののろしを上げた。展示物もそうした襲撃するまでの説明や襲撃の際に政府に捕まって拷問を受けた人の写真、当時使っていた銃や剣などが展示されている。がここは説明文がすべてスペイン語。1cucという値段なので、しょうがないか?
それから、この後に行くグアンタナモ行きのバスが出ているターミナルを探して歩く。これまた20分ほどかかったが、朝、バスが停まったターミナルと同じだった。意外と近い。
外国人は基本的にViazul(ビアスール)という会社のバスを使うことになっているが、これとは別に地元の人たちが使っている交通機関がある。グアンタナモ行きのビアスールのバスは1日に1本、朝7時45分発のみだが、トラックバスだと何本もあるようだった。
歩いていたら道ばたで弁当を売っていたので、それを買う。15ペソ(約60円)。炒めた白いご飯に蒸した豚肉のスライスがどばっと乗っていて、野菜はトマトが2切れだけ。
座る場所をきょろきょろ探すと、自転車タクシーのおじさんがここに座れとタクシーの座席を貸してくれた。
飯を食って、近くに見えていたスタジアムを見に行く。何かやっているかと期待して行ったが、さすがに平日の昼間は何もやっていなかった。
帰り別の自転車タクシーのおじさんがセントロ(中心街)まで連れていくと執拗に売り込んでくる。値段を聞くと3cuc。歩けない距離ではないので、数度断るが根負け。2cucにしてもらって乗る。
途中、おじさんは建物を指さし、あそこがビール工場だとかここがなんとか通りだとガイドしてくれる。
セントロに行くには坂を上らないといけないのだが、おじさんはギアを替え(ギアが付いているとは知らなかった!)立ちこぎで昇る。なんだか悪い気がしてきたんで、かなり近くまで来たところで降り、3cuc渡す。するとおじさんは”グラシアス セニョール”と言って去っていった。
セントロに戻る途中の店でやっとガス抜きの水を発見。1.5リットルを0.7cucで買う。
セントロの広場で一休みし、雲行きが怪しくなってきたので宿に帰る。雨がぽつぽつきた。が、宿の場所がいまいちわからない。近くまで来ているが、街路の番号の振られ方がわからず。どこに行こうとしているのかおばさんに聞かれたので、宿の住所を見せると、もう1本向こうの道だと教えてくれる。
そして、無事到着。着いたら雨が強くなった。
夜は本を読んだり、寝たり。飯はついていないから、夕食はなし。
結局、この日食べたのは、豚のハンバーガー1個とマンゴー1個、バナナ8本くらいと豚肉とご飯の弁当1個、それにソフトクリーム2個だった。
レストランもあるが、観光客向けで高いのでやめた。地元の人向けのレストランを探すが見あたらないのがつらいとこ。まぁ、聞けばいいんだけど、聞いてもたいていが観光客用の10ドルくらいのところを紹介されるのが、またつらい。日本でも滅多に10ドルなんて使いませんから。
おわり
夜が明けはじめた6時過ぎ、目が覚める。
道ばたの看板にSantiago de Cubaという文字が見え、すでにSantiago de Cuba州に入ったことがわかる。
それから15分ほどして、右手にどでかいモニュメントが見える。道行くトラックバス(荷台に幌をかけてバス代わりにしている)は、通勤のためか満員状態。聞いてはいたが、確かにアフリカ系が多い。ぱっと見た感じで7:3くらい。
バスターミナルに着いたのが6時45分。手荷物を持って降りると、すぐに待合室の方にと案内される。リュックはいつピックアップするのかと思ったら、待合室にピックアップする場所があり、そこで係員のおじさんに荷物の半券を渡し、リュックをもらう。
待合室を出ると、チケットの販売所があり、そこでハバナに戻るバスを予約する。スペイン人とおぼしき観光客が数組いる。
15分ほど待ち、ようやく自分の晩が来て予約が済む
。その際、ぼくの前で予約していたスペイン人と思われるおばさんがスペイン語から英語に通訳してくれる。
チケット売場を出ると、例のごとく外国人観光客を狙った客引きがいる。CASA(カーサ)とタクシー、それぞれいる。
ぼくは昨日、泊まった宿の人が友人のCASAを紹介してくれ、そこの人が迎えに来てくれていたので、客引き攻めは避けることができた。
迎えに来てくれていたのは、20代くらいのアフリカ系の男性。赤いFordのアメ車に乗り込み、カーサに向かう。ここでも馬車が走っており、市民の足になっているよう。
10分ほどして到着。きれいに外壁が塗られている。ブザーを押すと中から上半身裸のアフリカ系のおじさんが出てくる。名前を呼ばれ、そうだというと中に通される。おじさんは英語を解すようで、英語は分かるかと聞かれる。
車のにいちゃんは、ここまでの移動のために雇われていたようで、ぼくに5cucを請求してくる。移動距離はサンタクララと同じくらいだからせいぜい3cucくらいだろうが、朝が早かったし、まぁいいかと20cuc札を取り出すが、お釣りがないという。
そこで、宿主の人に両替してもらおうとするが、その場では両替ができないようで、あとで払えばいいから大丈夫というようなことを言われ、そのタクシーのあんちゃんは帰された。
今回のカーサはなかなかの豪邸。中庭は小さいけれども手入れされた植物があふれ、カフェでも使われているような机や椅子がある。別の部屋にはパソコンもコンポもある。
奥から出てきたこの家の奥さんと思われる人は、髪の毛を赤に染めており、なかなか立派な体格をしている。
部屋を案内される。ダブルベッドに小さな子ども用くらいのベッドが一つある。鏡台に観音扉式の洋服ダンスもある。昨日の宿にあった冷蔵庫や扇風機はない。窓が中庭に向いてあるので、空気はいい。カビ臭くはない。シャワーやトイレは宿泊者専用のようで、プライベートシャワーなんて言って案内される。風呂桶らしきつくりになっており、なかなか豪勢。そうとうな金持ちのよう。
荷物を置くと、宿泊の手続きを中庭のテーブルでする。宿の奥さんは宿帳のようなものを持ってきて、そこにいろいろ書き込む。パスポートを見せ、ぼく自身のサインもする。値段を聞くと食事なしで25cuc(3000円)。
事前の情報では15cucからあるということだったし、ロンリープラネットに紹介されているカーサでも20cucだったので、予定外の出費だ。昨日の宿の2倍だし。が、今更出ていくわけにもいかないので、それで我慢する。お値段は2泊するので50cuc。アメリカを入れてもこの旅の宿泊費の最高値だ。
宿帳を見たらぼくの前の人たちからは30cucとっているようなので、多少は安くしたようだが、日本でも今やネットカフェであれば2000円もあればゆったり泊まれるので高いという印象は免れない。
手続きをするときに、手元に指さし会話帳を持っていたので、それを見せると"Que bien(いいね)""Que bonito(なんてかわいらしい:直訳)”と奥さんは絶賛し、近くで植物に水やりをしていた旦那に、イントロダクションの部分(スペイン語)を読んで聞かせる。
ぼくは中庭でしばらくここの地図を眺め、今日のルートづくり。そこへお茶を出してくれる。果物とかはいらないかと聞かれるが、あとでおカネを請求されても懐が厳しいので断る。お茶はジャスミン茶のようだったが、久しぶりにお茶を飲んだ。たぶんロス行きの飛行機の中で緑茶を飲んで以来。
8時過ぎに宿を出て中心部に向かう。地図状では中心部まで200mくらい。ハバナに比べると一本一本の
路地が狭く、車一台と人が2~3人横になるといっぱいというくらい(3~4m程度)。
路面には軌道が残っており、以前には路面電車が走っていたようだ。湾に面したまちということで坂道が多い。
セスペデス広場がまちの中心になっており、その広場を囲む形で銀行や電話局、高級ホテル、大聖堂が建っている。
ジャマイカの宿の予約の返事が気になったので、ネットをやろうと、その1画にあるHotel Casa Grandeの警備の人にここでネットができるか聞いたら、ダメだと言われる。どこでできるか聞いたらあっちの方というので、そっちに行くとサンタクララでネットをしたのと電話局の店舗があったので、そこに行く。
が、閉まっている。入り口のドアに書いてある開店時間を見ると8時半となってり、時計を見るとすでに数分は過ぎている。あとから来た男性もドアが開かないのに舌打ちをする。あっと言う間に列ができ、ぼくは2番目で中に入る。ネット用のカード(1時間ぶん6cuc=720円)を書おうと20cuc札を出すが、またもや釣りがないからそこの銀行で両替してきてくれと言われる。
やれやれと思いながら、銀行に行き、”マシ ペケーニョ ポルファボール”と頼む。するとすべて5cuc札に替えてくれた。
それを持ってまた電話局の店舗に行き、カードを買う。パソコンは4台あり、ぼくのほかは誰も使っていない。カードの裏面を削ってログイン番号と暗証番号を確認し、ネット開始。日本語を読むこともできる台だったようで、ラッキー。ジャマイカの宿からはまだ返事が来ていない。
その後、海が見えていたので、そちらの方に向かって歩く。するとレタスをぶら下げて歩いている人とすれ違ったので、その人が歩いてきたと思われる方へ行く。
角を曲がると一輪車にレタスをいっぱいのっけて売っている人がおり、その近くには子豚が何やら道ばたに落ちている物をついばんでいる。
左手には青いバナナを大量に乗せた大型トラックやハンバーガーの屋台が2台見える。食らい建物の中から人が出てきているので、そこに入ってみるとそこが市場になっていた。
一見してハバナよりも種類が多いことがわかる。トマトやカボチャ、ピーマン、バナナ、マンゴー、キャベツなどハバナにあったものの他に、オクラなどもある。
野菜や果物はぜんぶで20店舗(区画)くらいあったが、肉売場はさびしく3店舗ほどしかない。例のごとく豚の頭部がぶらさがっていた。
バナナを買う。5ペソ。10本以上ついている房で、重さは2kgくらいありそう。それから声かけられた店でマンゴーを1個買う。3ペソ。やっぱり食料品は安い。
それから外の屋台で豚のハンバーガーを買う。5ペソ。皮や脂身が入っており、ちょっとしつこい。
バナナを食べながら海に向かう。歩いて5分ほどで海岸通に出る。ここは湾になっており、公園も整備されていた。そこでは小学生が10人ほどで演劇の台詞合わせのようなことをしていた。ベンチではホームレスと思われるおじさんが2人、しゃべっている。また、トランペットの練習をしている若い男性もいる。湾内には工業用らしき船が何隻か見え、その奥にはカストロたちが革命の初期に拠点としていたシエラマエストラと呼ばれる山々が見える。山々は緑がうすい。
ベンチで一休みして、適当に歩き始める。しばらくあるくと、人が多く集まっている所に出た。散髪屋や商店があり、その先には椰子の葉で屋根を葺いた店々が並ぶ、これまた市場みたいなところが見えた。
店は10店舗ほどしかないが、量が豊富だ。店の人からチーノと声をかけられ、買わないかと言われるが、料理ができる宿でもないので断り、ぶらぶら見て後にする。
来た道とは違うルートで中心部に戻る。カーサのマークを出している家が何軒もあったので、紹介してもらわずに自分で探せば良かったなどと思う。
多くの家がドアを開けはなっているので、中をちらっと見るとだいたい年寄りが椅子に腰掛け、テレビを見ている。そうでなければ、外を眺めている。
朝方は、気温が20度ちょっとと涼しかったが、だんだんと暑くなってきた。のどが乾いたので、ペットボトルの水を探すが、ガス入りばかりでガスが入っていない物が見あたらない。また、朝飯もハンバーガーとバナナだったので、何か他の物を思ったが、街角で売っているのはハンバーガーばかり(挟んでいるものは多少違うが肉ばかり)。メキシコが恋しくなる。
道には人があふれ、小さな広場のベンチもおしゃべりする人でいっぱい。専業主婦とは思えないが、生活用品(洗剤など)の店には行列ができている。
列ができていた道ばたのマンゴーのソフトクリーム屋でソフトを買う。1ペソ。これは、まずまずいい。これまでいくつか食べてきたが、どれもうまいとは思えないものばかりだったが、今回はあたり。
ぶらぶら歩きながらモンカダ兵営の博物館を目指す。途中にあったコッペリアというキューバで人気のアイスクリーム専門の喫茶店(屋外だけど)にはハバナと同じように行列ができていた。制服を着た子たちもいたが、平日の昼前に、こうしてアイスを食べられるなんて、どういう人たちなのだろうと不思議に思う。
30分ほど歩いて目的地に到着。モンカダ兵営は外壁がマンゴー色にきれいに塗られていたが、カストロたちが襲撃した時の銃弾跡は残っていた。ここは今、一部が博物館となり、その他は学校として使われているようだった。
カストロたちは100数十人でここを襲撃して、革命ののろしを上げた。展示物もそうした襲撃するまでの説明や襲撃の際に政府に捕まって拷問を受けた人の写真、当時使っていた銃や剣などが展示されている。がここは説明文がすべてスペイン語。1cucという値段なので、しょうがないか?
それから、この後に行くグアンタナモ行きのバスが出ているターミナルを探して歩く。これまた20分ほどかかったが、朝、バスが停まったターミナルと同じだった。意外と近い。
外国人は基本的にViazul(ビアスール)という会社のバスを使うことになっているが、これとは別に地元の人たちが使っている交通機関がある。グアンタナモ行きのビアスールのバスは1日に1本、朝7時45分発のみだが、トラックバスだと何本もあるようだった。
歩いていたら道ばたで弁当を売っていたので、それを買う。15ペソ(約60円)。炒めた白いご飯に蒸した豚肉のスライスがどばっと乗っていて、野菜はトマトが2切れだけ。
座る場所をきょろきょろ探すと、自転車タクシーのおじさんがここに座れとタクシーの座席を貸してくれた。
飯を食って、近くに見えていたスタジアムを見に行く。何かやっているかと期待して行ったが、さすがに平日の昼間は何もやっていなかった。
帰り別の自転車タクシーのおじさんがセントロ(中心街)まで連れていくと執拗に売り込んでくる。値段を聞くと3cuc。歩けない距離ではないので、数度断るが根負け。2cucにしてもらって乗る。
途中、おじさんは建物を指さし、あそこがビール工場だとかここがなんとか通りだとガイドしてくれる。
セントロに行くには坂を上らないといけないのだが、おじさんはギアを替え(ギアが付いているとは知らなかった!)立ちこぎで昇る。なんだか悪い気がしてきたんで、かなり近くまで来たところで降り、3cuc渡す。するとおじさんは”グラシアス セニョール”と言って去っていった。
セントロに戻る途中の店でやっとガス抜きの水を発見。1.5リットルを0.7cucで買う。
セントロの広場で一休みし、雲行きが怪しくなってきたので宿に帰る。雨がぽつぽつきた。が、宿の場所がいまいちわからない。近くまで来ているが、街路の番号の振られ方がわからず。どこに行こうとしているのかおばさんに聞かれたので、宿の住所を見せると、もう1本向こうの道だと教えてくれる。
そして、無事到着。着いたら雨が強くなった。
夜は本を読んだり、寝たり。飯はついていないから、夕食はなし。
結局、この日食べたのは、豚のハンバーガー1個とマンゴー1個、バナナ8本くらいと豚肉とご飯の弁当1個、それにソフトクリーム2個だった。
レストランもあるが、観光客向けで高いのでやめた。地元の人向けのレストランを探すが見あたらないのがつらいとこ。まぁ、聞けばいいんだけど、聞いてもたいていが観光客用の10ドルくらいのところを紹介されるのが、またつらい。日本でも滅多に10ドルなんて使いませんから。
おわり
ハバナからサンタクララへ
2008.2.24(日)
サンタクララ1日目
朝は7時前に起きて、荷物を整理する。延泊1日ぶん代15cuc(1800円)とネット計2時間ぶん代8cuc(960円)を払う。
7時半前に宿を出て、広場でタクシーを探す。歩いていた歩道の反対側では、ホームレスと思われるおじさんと若い警官がなにやら言い合いをしており、そのうち警官が殴り、顔に右のハイキックをいれたりする。おじさんの方も最初はやり返そうとしていたが、そのうち無抵抗に。そんな状態になっても警官は攻撃の手を休めない。
そこへ通りがかった若い男性が仲裁にわりこみ、同じく通りがかった軍人のおじさんが、ヘイヘイと止めに入る。なんとか収まってきているのに、別の所から若い警官が2人走ってきて、1人はいきなりそのおじさん左頬のあたりをぶったたく。
広場にいた別の人らは、警官に向かってなにやら言っている。おそらくそこまでしなくてもということなのだろう。ぼくが見ても明らかにやりすぎだ。特に後から駆けつけた警官がいきなりぶっ叩いていたのには、目をむいた。それだけ警官の力が強いのか、それとも・・・。
通りがかりのタクシーを手を挙げてひろう。料金を聞いたら4cucという。OKして乗り込む。10分ほどでViazul(ビアスール)のターミナルに着く。非常に小さく最初はどっかの事務所かと思ったほど。
昨日、行ったのはAstroというキューバ人用のバスターミナルだったが、こちらは外国人用。
昨日、Cubaturで予約していた紙がてっきりチケットかと思っていたが、どうも違っていたよう。待合室に入ろうとすると、入り口にいた荷物預けの人に止められ、それを見せるとそこの窓口でチケットに替えるよう言われる。
その窓口で予約の時の紙を渡すと、レシートのような紙(日本で言うと路線バスの整理券に近い)を渡される。どうもこれがチケットのよう。印字された文字も薄く、すぐになくしてしまいそう。
それを持って、荷物を預け、待合室に入ると今度はOK。
待合室には50人ほどぶんの椅子があり、売店ではゲバラなどの絵はがきや本、英語の本も売っている。2階はカフェになっていたが、選択肢は少ない。
バスの発車予定は8時40分。しばらく待つ。いつもどおり8時40分になっても案内はない。40分過ぎになにやら案内があり、人が並んでいたのでぼくもそれに並んだが、これは違うバスだとチケットをチェックしていた人に言われる。
結局、バスは予定時刻の1時間後に乗車が始まり、発車。
車窓からは平原が見える。一面サトウキビ畑。景色を眺めていたかったが、無性に眠く熟睡。
乗車から約3時間後、目的地のサンタクララに到着した。バスターミナルの周りは何軒かの店舗が見えるが、それ以外は住宅ばかり。
待合室は白いタイル張りできれい。待合室の中にチケット売場があり、人が並んでいるところにぼくも並ぶと、ここじゃないと言われ、別のボックスのところを案内される。そこで、明日サンティアゴに向かうバスの予約をする。
出入り口付近には、このバスの客を狙って待っていたカーサやタクシーの客引きが20人ほど。まっさきにアフリカ系の体格のいいおばさんがきらきらした目で、売り込みに来る。値段を聞くと10cucというので、それで決める。
しわくちゃのおじいさんが運転手のようで、そのおじいさんの車に案内され、荷物を乗せ、いざカーサへ。
車道には車と並んで馬車がひっきりなしに走っている。どれも10人乗ればいっぱいくらいだが、だいたい席は埋まっている。
車で3分もすると、右手にチェ・ゲバラの巨大な像が見える。ここがゲバラの霊廟のよう。
それから5分ほどでカーサに到着。タクシー代は別料金のようで2cuc請求され、払う。
鉄格子のドアと木製のドアを開けるとリビングだった。入って右側に20インチくらい(?)のサンヨーのテレビがあり、その周りに黒のソファーがある。
キッチンとテーブルを抜けて奥にある部屋に案内される。そこが部屋のよう。部屋のドアを開けると大きなダブルベッドがあり、冷蔵庫、扇風機もある。さらにエアコンもあり、電源を入れてくれる。
ただ、開けられる窓がなく(あったのは道路に面している)、しかも部屋がカビ臭い。
自分たちようの冷蔵庫はきっちんにあったので、宿泊客用に冷蔵庫を用意しているよう。さっそくぼくが持っていたペットボトルの水を中に入れてくれるが、ぼくは水は冷えてなくてもかまわないので、宿主が部屋を出たところで電源を切る。あとエアコンのも。
それからリビングにある食卓で手続き。ハバナの宿では宿帳に自分で名前とパスポートナンバーを書くだけだったが、ここでは専用の記入帳(市販されている)に宿主のおばさんが記入する。パスポート見せ、最後にぼくのサインをして、領収書のようなものをもらう。
それが終わって外に出ようとすると、今、おカネを払ってもらえないかと言われるが、まだ完全には信用できないので、両替して来るという理由を付けて明日払うと伝え、ふらつく。
ぼくがもっているガイドブックにはサンタクララの地図がなかったため、適当に道を聞きながらふらつく。
まずはゲバラの霊廟に。宿から歩いて15分くらいでモニュメントが見える。そのモニュメントの下にゲバラの博物館と霊廟がある。そのまま入ろうとすると警官に止められ、荷物を預けるよう言われる。売店と思っていたところが荷物を預けるところだった。
博物館も霊廟も見学は無料。博物館の方は、ゲバラの幼い頃の写真から日本に来たときに耕運機を押している姿の写真もある。その他、着ていたものや身につけていたものが展示されているが、説明はすべてスペイン語。
館内には他にドイツ語をしゃべっている観光客が4~5人ほど。
霊廟は、ゲバラのみならず同じくゲリラ戦で命を落とした38人ぶんのレリーフもある。この辺りは旧ソ連と違ってキューバらしいように感じる。
霊廟を見て、中心部に行こうと思っていると、馬車づかいのおじいさんが売り込みに来る。道がいまいちわからなかったので、馬車もいいかと思い、いくらか聞くと2cucという。タクシー代並みなので、高いのでそんなのないと言い、20ペソ札だけ見せると、じゃあそれでと言うので、馬車に乗る。
一般に馬車は1ペソという話なので、1人で20人ぶんの稼ぎだ。案の定、途中で乗る合図をしている人たちは無視して、ぼく以外は乗せずに走る。パッカパッカと心地いい馬の蹄の音を聞きながら5分ほどで中心部に到着。20ペソ払う。
ジャマイカの宿をまだ予約していなかったので、サンタクララリブレという一番高そうなホテルにインターネットをしに行く。しかし、ここではできないいわれる。どこでできるか聞くと道を教えてくれる。
が、その近くに着たはずなのにわからない。3人くらいに聞いてやっと電話局にたどり着いた。これまではカーサでネットをやっていたので、外でやるのは初めて。ネットをやりたいというと、時間を聞かれたので1時間というと、6cuc請求され、テレフォンカードのようなものを渡される。
パソコンは4台あり、適当に座る。カードをつっこんで使うのかと思ったが、それらしきところもない。画面を動かしてみるとログイン番号とパスワードを記入する画面になったので、やっと要領がわかる。カードの裏面にある番号を見て、それを入力すると画面が代わり、右下に残り時間が表示される。
ネットのスピードはそこそこ。ダイアルアップよりは早いがADSLよりやや遅いくらい。ジャマイカの宿を探し、予約のメールを送る。ジャマイカも安い宿が少ないので、早めに予約しておこうと思ってのこと。
それからまちをふらつく。休日なのに昨日のハバナと違って人通りは少ない。メインストリートと思われるところもカフェが2軒開いているだけ。
そのカフェで売っているピザに行列ができていたので、そこでぼくもピザを買う。10ペソ。めちゃくちゃ熱く、口の中をやけどする。
ハバナでもそうだったが、ほんとにキューバ人はピザが好きなよう。ここのピザはけっこう分厚いパン生地で、それにチーズが乗っていたりハムが乗っていたりする。直径が20センチくらいあるので、生地が厚いこともあり、けっこう腹が膨れる。
このまちの地図がないか、ホテルや売店をまわるがない。しょうがないので、ぶらぶらと適当にあるく。ここも中心部は石畳の道路に石造りの家とヨーロッパ調の街並みが残っている。建物はハバナよりも状態はよさそう。家の窓やドアを開けはなっているところが多く、歩道を歩いていると中が見える。
中を見るとたいてい年寄りが1人、あるいは2人で椅子に腰掛けテレビを見ていたり、外を眺めていたりする。ほとんどの人が見た目70歳以上。
また、ここのまちはヨーロッパ系が多い印象を受ける。ここだと7:3でヨーロッパ系が多いと言われてもうなづける。
町外れに行くと、幹線道路以外は舗装されていない。小道を入ると、金網で家同士の敷地が区切られ、敷地内には鶏や豚がいたりする。なかにはきれいに畑を作っている家もあり、トマトやレタスなどが植わっている。
路上やちょっとした空き地では男の子たちが野球をしている。
歩いていると小学生くらいの子から白髪のおばあちゃんにまでチーノと声をかけられる。人数で言えば10人くらいか。
ハポネと言われて、珍しいなと思って振り向くと、家の前でしゃべっていた見た目70歳前くらいのおじさんが自分を指さしながらフィリピーノという。
フィリピン人には見えなかったので、首を傾げると横にいた別の人が、この人の父親の父親がフィリピン人だったというようなことを身振りを交えながら教えてくれる。水を飲まないかといわれるが、あいにく持っていたので、断りまたぶらぶら。
夕方頃、中心街に戻り、晩飯を食える場所を探すが、地元の人が使っているような食堂が見あたらない。しょうがないので、cuc払いで地元の人(ちょっとした金持ち?)が並んでるファーストフードのようなレストランに行く。
メニューはピザやスパゲッティなど、どれも5cuc以下。定食のようなものはないようなので、試しにスパゲッティを注文する。お値段は2.2cucくらい。味はレトルトのスパゲッティのようだが、量が多い。
それで宿に帰る。満腹だったので、部屋にもどって寝ていたらドアを叩く音がして、食事だという。
着いたときには晩飯はお願いしなかったつもりだったが、ちゃんと伝わっていなかったよう。だが、料理に興味があるので、いただく。
そーめんみたいなものが入ったスープがまず出てくる。味はコンソメ? まずまずうまい。それから鶏のもも肉と白米。キャベツの千切りとトマトのスライスが出てくる。キャベツが塩気が強かったので、ご飯と混ぜて食べる。これで5cucとのこと。
この旅、初めての1人部屋。カビ臭いのが難だが、ゆっくり眠ることができた。
おわり
サンタクララ1日目
朝は7時前に起きて、荷物を整理する。延泊1日ぶん代15cuc(1800円)とネット計2時間ぶん代8cuc(960円)を払う。
7時半前に宿を出て、広場でタクシーを探す。歩いていた歩道の反対側では、ホームレスと思われるおじさんと若い警官がなにやら言い合いをしており、そのうち警官が殴り、顔に右のハイキックをいれたりする。おじさんの方も最初はやり返そうとしていたが、そのうち無抵抗に。そんな状態になっても警官は攻撃の手を休めない。
そこへ通りがかった若い男性が仲裁にわりこみ、同じく通りがかった軍人のおじさんが、ヘイヘイと止めに入る。なんとか収まってきているのに、別の所から若い警官が2人走ってきて、1人はいきなりそのおじさん左頬のあたりをぶったたく。
広場にいた別の人らは、警官に向かってなにやら言っている。おそらくそこまでしなくてもということなのだろう。ぼくが見ても明らかにやりすぎだ。特に後から駆けつけた警官がいきなりぶっ叩いていたのには、目をむいた。それだけ警官の力が強いのか、それとも・・・。
通りがかりのタクシーを手を挙げてひろう。料金を聞いたら4cucという。OKして乗り込む。10分ほどでViazul(ビアスール)のターミナルに着く。非常に小さく最初はどっかの事務所かと思ったほど。
昨日、行ったのはAstroというキューバ人用のバスターミナルだったが、こちらは外国人用。
昨日、Cubaturで予約していた紙がてっきりチケットかと思っていたが、どうも違っていたよう。待合室に入ろうとすると、入り口にいた荷物預けの人に止められ、それを見せるとそこの窓口でチケットに替えるよう言われる。
その窓口で予約の時の紙を渡すと、レシートのような紙(日本で言うと路線バスの整理券に近い)を渡される。どうもこれがチケットのよう。印字された文字も薄く、すぐになくしてしまいそう。
それを持って、荷物を預け、待合室に入ると今度はOK。
待合室には50人ほどぶんの椅子があり、売店ではゲバラなどの絵はがきや本、英語の本も売っている。2階はカフェになっていたが、選択肢は少ない。
バスの発車予定は8時40分。しばらく待つ。いつもどおり8時40分になっても案内はない。40分過ぎになにやら案内があり、人が並んでいたのでぼくもそれに並んだが、これは違うバスだとチケットをチェックしていた人に言われる。
結局、バスは予定時刻の1時間後に乗車が始まり、発車。
車窓からは平原が見える。一面サトウキビ畑。景色を眺めていたかったが、無性に眠く熟睡。
乗車から約3時間後、目的地のサンタクララに到着した。バスターミナルの周りは何軒かの店舗が見えるが、それ以外は住宅ばかり。
待合室は白いタイル張りできれい。待合室の中にチケット売場があり、人が並んでいるところにぼくも並ぶと、ここじゃないと言われ、別のボックスのところを案内される。そこで、明日サンティアゴに向かうバスの予約をする。
出入り口付近には、このバスの客を狙って待っていたカーサやタクシーの客引きが20人ほど。まっさきにアフリカ系の体格のいいおばさんがきらきらした目で、売り込みに来る。値段を聞くと10cucというので、それで決める。
しわくちゃのおじいさんが運転手のようで、そのおじいさんの車に案内され、荷物を乗せ、いざカーサへ。
車道には車と並んで馬車がひっきりなしに走っている。どれも10人乗ればいっぱいくらいだが、だいたい席は埋まっている。
車で3分もすると、右手にチェ・ゲバラの巨大な像が見える。ここがゲバラの霊廟のよう。
それから5分ほどでカーサに到着。タクシー代は別料金のようで2cuc請求され、払う。
鉄格子のドアと木製のドアを開けるとリビングだった。入って右側に20インチくらい(?)のサンヨーのテレビがあり、その周りに黒のソファーがある。
キッチンとテーブルを抜けて奥にある部屋に案内される。そこが部屋のよう。部屋のドアを開けると大きなダブルベッドがあり、冷蔵庫、扇風機もある。さらにエアコンもあり、電源を入れてくれる。
ただ、開けられる窓がなく(あったのは道路に面している)、しかも部屋がカビ臭い。
自分たちようの冷蔵庫はきっちんにあったので、宿泊客用に冷蔵庫を用意しているよう。さっそくぼくが持っていたペットボトルの水を中に入れてくれるが、ぼくは水は冷えてなくてもかまわないので、宿主が部屋を出たところで電源を切る。あとエアコンのも。
それからリビングにある食卓で手続き。ハバナの宿では宿帳に自分で名前とパスポートナンバーを書くだけだったが、ここでは専用の記入帳(市販されている)に宿主のおばさんが記入する。パスポート見せ、最後にぼくのサインをして、領収書のようなものをもらう。
それが終わって外に出ようとすると、今、おカネを払ってもらえないかと言われるが、まだ完全には信用できないので、両替して来るという理由を付けて明日払うと伝え、ふらつく。
ぼくがもっているガイドブックにはサンタクララの地図がなかったため、適当に道を聞きながらふらつく。
まずはゲバラの霊廟に。宿から歩いて15分くらいでモニュメントが見える。そのモニュメントの下にゲバラの博物館と霊廟がある。そのまま入ろうとすると警官に止められ、荷物を預けるよう言われる。売店と思っていたところが荷物を預けるところだった。
博物館も霊廟も見学は無料。博物館の方は、ゲバラの幼い頃の写真から日本に来たときに耕運機を押している姿の写真もある。その他、着ていたものや身につけていたものが展示されているが、説明はすべてスペイン語。
館内には他にドイツ語をしゃべっている観光客が4~5人ほど。
霊廟は、ゲバラのみならず同じくゲリラ戦で命を落とした38人ぶんのレリーフもある。この辺りは旧ソ連と違ってキューバらしいように感じる。
霊廟を見て、中心部に行こうと思っていると、馬車づかいのおじいさんが売り込みに来る。道がいまいちわからなかったので、馬車もいいかと思い、いくらか聞くと2cucという。タクシー代並みなので、高いのでそんなのないと言い、20ペソ札だけ見せると、じゃあそれでと言うので、馬車に乗る。
一般に馬車は1ペソという話なので、1人で20人ぶんの稼ぎだ。案の定、途中で乗る合図をしている人たちは無視して、ぼく以外は乗せずに走る。パッカパッカと心地いい馬の蹄の音を聞きながら5分ほどで中心部に到着。20ペソ払う。
ジャマイカの宿をまだ予約していなかったので、サンタクララリブレという一番高そうなホテルにインターネットをしに行く。しかし、ここではできないいわれる。どこでできるか聞くと道を教えてくれる。
が、その近くに着たはずなのにわからない。3人くらいに聞いてやっと電話局にたどり着いた。これまではカーサでネットをやっていたので、外でやるのは初めて。ネットをやりたいというと、時間を聞かれたので1時間というと、6cuc請求され、テレフォンカードのようなものを渡される。
パソコンは4台あり、適当に座る。カードをつっこんで使うのかと思ったが、それらしきところもない。画面を動かしてみるとログイン番号とパスワードを記入する画面になったので、やっと要領がわかる。カードの裏面にある番号を見て、それを入力すると画面が代わり、右下に残り時間が表示される。
ネットのスピードはそこそこ。ダイアルアップよりは早いがADSLよりやや遅いくらい。ジャマイカの宿を探し、予約のメールを送る。ジャマイカも安い宿が少ないので、早めに予約しておこうと思ってのこと。
それからまちをふらつく。休日なのに昨日のハバナと違って人通りは少ない。メインストリートと思われるところもカフェが2軒開いているだけ。
そのカフェで売っているピザに行列ができていたので、そこでぼくもピザを買う。10ペソ。めちゃくちゃ熱く、口の中をやけどする。
ハバナでもそうだったが、ほんとにキューバ人はピザが好きなよう。ここのピザはけっこう分厚いパン生地で、それにチーズが乗っていたりハムが乗っていたりする。直径が20センチくらいあるので、生地が厚いこともあり、けっこう腹が膨れる。
このまちの地図がないか、ホテルや売店をまわるがない。しょうがないので、ぶらぶらと適当にあるく。ここも中心部は石畳の道路に石造りの家とヨーロッパ調の街並みが残っている。建物はハバナよりも状態はよさそう。家の窓やドアを開けはなっているところが多く、歩道を歩いていると中が見える。
中を見るとたいてい年寄りが1人、あるいは2人で椅子に腰掛けテレビを見ていたり、外を眺めていたりする。ほとんどの人が見た目70歳以上。
また、ここのまちはヨーロッパ系が多い印象を受ける。ここだと7:3でヨーロッパ系が多いと言われてもうなづける。
町外れに行くと、幹線道路以外は舗装されていない。小道を入ると、金網で家同士の敷地が区切られ、敷地内には鶏や豚がいたりする。なかにはきれいに畑を作っている家もあり、トマトやレタスなどが植わっている。
路上やちょっとした空き地では男の子たちが野球をしている。
歩いていると小学生くらいの子から白髪のおばあちゃんにまでチーノと声をかけられる。人数で言えば10人くらいか。
ハポネと言われて、珍しいなと思って振り向くと、家の前でしゃべっていた見た目70歳前くらいのおじさんが自分を指さしながらフィリピーノという。
フィリピン人には見えなかったので、首を傾げると横にいた別の人が、この人の父親の父親がフィリピン人だったというようなことを身振りを交えながら教えてくれる。水を飲まないかといわれるが、あいにく持っていたので、断りまたぶらぶら。
夕方頃、中心街に戻り、晩飯を食える場所を探すが、地元の人が使っているような食堂が見あたらない。しょうがないので、cuc払いで地元の人(ちょっとした金持ち?)が並んでるファーストフードのようなレストランに行く。
メニューはピザやスパゲッティなど、どれも5cuc以下。定食のようなものはないようなので、試しにスパゲッティを注文する。お値段は2.2cucくらい。味はレトルトのスパゲッティのようだが、量が多い。
それで宿に帰る。満腹だったので、部屋にもどって寝ていたらドアを叩く音がして、食事だという。
着いたときには晩飯はお願いしなかったつもりだったが、ちゃんと伝わっていなかったよう。だが、料理に興味があるので、いただく。
そーめんみたいなものが入ったスープがまず出てくる。味はコンソメ? まずまずうまい。それから鶏のもも肉と白米。キャベツの千切りとトマトのスライスが出てくる。キャベツが塩気が強かったので、ご飯と混ぜて食べる。これで5cucとのこと。
この旅、初めての1人部屋。カビ臭いのが難だが、ゆっくり眠ることができた。
おわり
もろもろの手続きで1日つぶれて。
2008.2.23(土)
ハバナ4日目
予定では、今日、ハバナを東に向かうつもりだったが、ジャマイカ行きのチケットを買っていなかったので、そのためにもう1泊することにした。3泊一緒だった日本人はみな今日出ていく。
9時頃宿を出て、クバーナ航空に向かう。ハバナでは毎日クバーナ航空に行っている。やっとバスのルートがいくつかわかったので、バスで近くまで行く。1ペソ。安いし、早い!。
バス停からクバーナ航空に行く途中に国際線のチケットを扱っている旅行社があったので、もしやそっちの方がもっといいチケットがあるかもしれないと思い、そこに立ち寄る。しかし、国際線のチケット担当の人が1人しかおらず、何かしていて30分待ってもダメなんで、出る。
エアジャマイカに行って、クバーナ航空とは違う便がないか調べてもらおうと思ったが、あいにく今日は土曜ということで安み。
キングストンからハバナに戻る便が朝7時発とあまりに早いので、エアジャマイカでいい便があればと思っていたが。しょうがないので、先ほどの旅行社に戻り、チケットを聞く。エアジャマイカのチケットの情報が知りたいと言っているのに(英語は通じる)、出してきたのはクバーナ航空ですでに予約しているものと同じ。
これで予約するかと聞くので、エアジャマイカのを知りたいと再度言うが、こっちの方が安いなどという。そんなことならと断り、店を出る。
それで諦めてクバーナ航空に行く。土曜は12時まで。11時に店に入ったから大丈夫かと思いきや、あとから来た人がぼくが売場のカウンターに入ろうとした瞬間、先に割り込み。
まぁ、まだ時間があるから大丈夫だろうと待っていたら、その人の手続きが終わった11時半前になって、今日はこれで終わりなんてことを言われる。おいおい!来週は東の方に行くので、ここに来ることはできない。
それで、各窓口の人の所に行ってみると、アフリカ系のやさしい顔をしたおばさんが、そこに座ってと受け付けてくれた。そこへ、もう終わりと言ったヨーロッパ系のおばさんが、その人に向かってなにやら文句らしきことを強い口調で言っている。
どうなるんかと思ったが、無事受け付けてくれる。ただ、この人は昨日、一昨日と対応してくれた人と違って英語がほとんどわからないよう。加えてぼくは予約したときにもらった紙を忘れてきたので、片言スペイン語で既に予約はしており、おカネを払いに来た旨を伝える。
が、予約をとるような手続きをしているので、"No"と言い、予約はしていると伝える。そして、パスポートを見せるとそれを見て、パソコンでぼくの名前を検索しはじめる。
心配なので画面を見ているとsatoと入力するところをsantoと入力している。当然、関係ない人の名前が出てきているのだが、自分では間違って入力したことにしばらく気づかず2~3分パスポートと画面を交互に眺める。
Santo domingoなどSantoはスペイン語ではよく使う言葉なので、その習慣なのだろう。
やっと気づいて名前を修正。ぼくの予約状況が画面に出て、ことの次第がわかったよう。値段を言われ、紙幣を用意する。すると窓口の人は席を立ってしばらく帰ってこない。
5分ほどまっただろうか、その人はチケットを持って出てきた。おカネを払い、やっとチケットの支払い終了。時間は12時を過ぎていた。
クバーナ航空の後、Cubatur(クーバツール)という国内専門の旅行社で明日のサンティアゴ・デ・キューバに行くバスのチケットを手配する。
ここも英語が通じる。前日の予約で大丈夫だろうと思っていたが、サンティアゴ行きは満席でとれないという。週明けの月曜はあるというが、それまで待ってられないので、急遽行き先を変更し、サンタクララにする。こっちは一発でok。
代金は18cuc。
その後、ジャマイカとドミニカに行く前日に泊まるホテルを手配する。この旅行社はホテルも紹介しているので、ここで予約できるだろうと思ったが、紹介しているのは観光スポットである旧市街ばかりの宿だけのようで、ぼくが予定していたホテルはリストにないと言われる。
そのリストを見ると28ドルくらいの宿もあったが、空港から遠いので却下。自分でホテルに向かうことに。予定していたホテルはバスターミナル近くの宿。歩いて30分ほどで着いたが、改装中でやっていないとのこと。がっくり。
近くまで来たのでバスターミナルを見学。こちらはキューバ人が基本的に使う長距離バスの発着ターミナルで、メキシコにはかなわないが、それなりに大きい。食堂も本屋もある。
本屋に行くと、すべてペソ払いの本で、カストロが載った絵入りの子ども向けの本があったので買う。5ペソ(約20円)。安い。
第1候補だったホテルがダメだったので、第2候補のホテルに行く。今、泊まっている宿でもいいのだが、朝が6時発など早いので、気を使ってホテルに泊まることにした。
第2候補のホテルに着いて受付の人に予約したい旨を告げると、担当を呼ぶので待ってと言われる。ロビーはクーラーがきいており涼しい。居眠りをする。
その担当の人に起こされて予約を頼む。値段を聞くとハイシーズンということで1泊46cucだという。高い!でも、しょうがないと思い、予約番号をもらい、宿に戻る。これでもろもろの準備ができた。
バスに乗って宿がある中心部に戻る。試しにバスの終点近くまで乗ってみると、ハバナの鉄道駅近くに来たので、そこで降りて鉄道駅を見学。ものすごいひとだかりだった。構内にはゲーム機があり、子どもがこれで遊んでいる。機械にはSEGAの文字が。
その後、駅のすぐ隣にあるホセ・マルティの家に行く。2階建ての小さな家だが、きれい。本棚などがなかったのが、残念。
歩いて宿に戻ると、また新たな日本人客が入っていた。男1人に女2人の3人連れ。やはりこの春大学を卒業する人たちらしい。キューバにはメキシコシティに2泊した後、来たらしい。
終わり。
ハバナ4日目
予定では、今日、ハバナを東に向かうつもりだったが、ジャマイカ行きのチケットを買っていなかったので、そのためにもう1泊することにした。3泊一緒だった日本人はみな今日出ていく。
9時頃宿を出て、クバーナ航空に向かう。ハバナでは毎日クバーナ航空に行っている。やっとバスのルートがいくつかわかったので、バスで近くまで行く。1ペソ。安いし、早い!。
バス停からクバーナ航空に行く途中に国際線のチケットを扱っている旅行社があったので、もしやそっちの方がもっといいチケットがあるかもしれないと思い、そこに立ち寄る。しかし、国際線のチケット担当の人が1人しかおらず、何かしていて30分待ってもダメなんで、出る。
エアジャマイカに行って、クバーナ航空とは違う便がないか調べてもらおうと思ったが、あいにく今日は土曜ということで安み。
キングストンからハバナに戻る便が朝7時発とあまりに早いので、エアジャマイカでいい便があればと思っていたが。しょうがないので、先ほどの旅行社に戻り、チケットを聞く。エアジャマイカのチケットの情報が知りたいと言っているのに(英語は通じる)、出してきたのはクバーナ航空ですでに予約しているものと同じ。
これで予約するかと聞くので、エアジャマイカのを知りたいと再度言うが、こっちの方が安いなどという。そんなことならと断り、店を出る。
それで諦めてクバーナ航空に行く。土曜は12時まで。11時に店に入ったから大丈夫かと思いきや、あとから来た人がぼくが売場のカウンターに入ろうとした瞬間、先に割り込み。
まぁ、まだ時間があるから大丈夫だろうと待っていたら、その人の手続きが終わった11時半前になって、今日はこれで終わりなんてことを言われる。おいおい!来週は東の方に行くので、ここに来ることはできない。
それで、各窓口の人の所に行ってみると、アフリカ系のやさしい顔をしたおばさんが、そこに座ってと受け付けてくれた。そこへ、もう終わりと言ったヨーロッパ系のおばさんが、その人に向かってなにやら文句らしきことを強い口調で言っている。
どうなるんかと思ったが、無事受け付けてくれる。ただ、この人は昨日、一昨日と対応してくれた人と違って英語がほとんどわからないよう。加えてぼくは予約したときにもらった紙を忘れてきたので、片言スペイン語で既に予約はしており、おカネを払いに来た旨を伝える。
が、予約をとるような手続きをしているので、"No"と言い、予約はしていると伝える。そして、パスポートを見せるとそれを見て、パソコンでぼくの名前を検索しはじめる。
心配なので画面を見ているとsatoと入力するところをsantoと入力している。当然、関係ない人の名前が出てきているのだが、自分では間違って入力したことにしばらく気づかず2~3分パスポートと画面を交互に眺める。
Santo domingoなどSantoはスペイン語ではよく使う言葉なので、その習慣なのだろう。
やっと気づいて名前を修正。ぼくの予約状況が画面に出て、ことの次第がわかったよう。値段を言われ、紙幣を用意する。すると窓口の人は席を立ってしばらく帰ってこない。
5分ほどまっただろうか、その人はチケットを持って出てきた。おカネを払い、やっとチケットの支払い終了。時間は12時を過ぎていた。
クバーナ航空の後、Cubatur(クーバツール)という国内専門の旅行社で明日のサンティアゴ・デ・キューバに行くバスのチケットを手配する。
ここも英語が通じる。前日の予約で大丈夫だろうと思っていたが、サンティアゴ行きは満席でとれないという。週明けの月曜はあるというが、それまで待ってられないので、急遽行き先を変更し、サンタクララにする。こっちは一発でok。
代金は18cuc。
その後、ジャマイカとドミニカに行く前日に泊まるホテルを手配する。この旅行社はホテルも紹介しているので、ここで予約できるだろうと思ったが、紹介しているのは観光スポットである旧市街ばかりの宿だけのようで、ぼくが予定していたホテルはリストにないと言われる。
そのリストを見ると28ドルくらいの宿もあったが、空港から遠いので却下。自分でホテルに向かうことに。予定していたホテルはバスターミナル近くの宿。歩いて30分ほどで着いたが、改装中でやっていないとのこと。がっくり。
近くまで来たのでバスターミナルを見学。こちらはキューバ人が基本的に使う長距離バスの発着ターミナルで、メキシコにはかなわないが、それなりに大きい。食堂も本屋もある。
本屋に行くと、すべてペソ払いの本で、カストロが載った絵入りの子ども向けの本があったので買う。5ペソ(約20円)。安い。
第1候補だったホテルがダメだったので、第2候補のホテルに行く。今、泊まっている宿でもいいのだが、朝が6時発など早いので、気を使ってホテルに泊まることにした。
第2候補のホテルに着いて受付の人に予約したい旨を告げると、担当を呼ぶので待ってと言われる。ロビーはクーラーがきいており涼しい。居眠りをする。
その担当の人に起こされて予約を頼む。値段を聞くとハイシーズンということで1泊46cucだという。高い!でも、しょうがないと思い、予約番号をもらい、宿に戻る。これでもろもろの準備ができた。
バスに乗って宿がある中心部に戻る。試しにバスの終点近くまで乗ってみると、ハバナの鉄道駅近くに来たので、そこで降りて鉄道駅を見学。ものすごいひとだかりだった。構内にはゲーム機があり、子どもがこれで遊んでいる。機械にはSEGAの文字が。
その後、駅のすぐ隣にあるホセ・マルティの家に行く。2階建ての小さな家だが、きれい。本棚などがなかったのが、残念。
歩いて宿に戻ると、また新たな日本人客が入っていた。男1人に女2人の3人連れ。やはりこの春大学を卒業する人たちらしい。キューバにはメキシコシティに2泊した後、来たらしい。
終わり。
2008年2月26日火曜日
ラム工場、街角の音楽、ジャマイカのチケット
2008.2.22(金)快晴
ハバナ3日目
午前中はネット、日記の整理。ジャマイカ行きの件と予算の調整。
昼前、11時頃に宿を出る。ジャマイカ行きのチケットを買うために両替をしに行く。途中、地元の人が使っている食堂があったので、先にそこで食事。アフリカ系の女性が、壁に掛けてあるメニューを指さし、どれがいいか聞いてくる。するとそこへ、やはりアフリカ系の白髪交じりのおじさんが、早口で何やら言ってきて、ちょっとこっちに来いと合図する。
案内されたのは厨房で、鍋に入った黄色いスープとフライパンみたいな鍋に入っていた炒め料理を見せてくれる。これとこれと指さすと、わかったというようにうなづく。
テーブルに座る。蠅が気になる。メキシコでは蠅が気になることはまったくなかったが、キューバに来てからは野菜売場やこうした簡易食堂などでは、気になるほど蠅が多い。
食堂の内部は工事中なのか、ただの物置として使われているのか、50cm四方程度のコンクリートのタイルが店内の奥の方に何十枚も立てかけられている。
まずジュースが出てくる。オレンジジュースのような味がするが、薄めてあるのかあまりうまくはない。
料理を待っていると、隣のテーブルに座ったアフリカ系のグループの中の一人の女の人が声をかけてくる。そして、写真を撮ってくれというので、写真を撮る。写したのを見せてというので、見せると、写真を撮らせてあげたんだけど、いくらくれるの、というようなことを言う(単語と口振りから)。
同じグループの人はそれを聞きながら笑っているので、冗談のようだったから、わからないふりで首をかしげたりする。すると、店のおばさんがその人たちに何やら言って、気にするなというようにこっちを見て、首を横に振る。
そんなことをしているうちに、料理は出てくる。料理は二皿さっきの黄色いスープと大盛りの白飯にフライパンに入っていた炒め物が出てくる。
スープは塩加減も良くうまい。ひよこ豆に鶏肉などが入っている。炒め物の方は塩気がきつく、食べた感じはシーチキンのような感じ。塩辛いのでご飯と混ぜて食べる。
食事後、代金を支払う。CUC払いで2CUC(240円)。ご飯の量が多いので満腹になる。
それから、Havana Vieja(ハバナビエハ)地区にあるラム酒の博物館(Museo de Ron=ムゼオ・デ・ロン)に行く。ちなみにキューバではラム酒のことをロンと呼ぶ。
工場に着こうかというところで、道ばたで遊んでいるふうの女の子が声をかけてきて、写真を撮ってくれというようなことを言う。言いよ、と言うと、一緒にいた10歳くらいの女の子と2人で写真に収まる。そしたら、その小さい子が「Un peso(1ペソちょうだい)」と言い出したので、おいおい、そういうことかよ、と思いながらも博物館のすぐ入り口まで来ていたので、無視して博物館に入る。
入場料は6cuc(720円)。高い。受付でスペイン語と英語とどちらのガイドがいいかと言われたので、英語でお願いする。
博物館を入るとすぐに喫茶コーナーがあり、そこで試しにラム酒のオレンジジュース割を飲む。2cuc(240円)。やっぱりラムはきつい。
10分ほど待っていたら館の人が呼びに来てくれ、ガイドの人を紹介してくれる。ぼくの他にイギリス人夫婦も一緒だった。
イギリス人夫婦は60代にはなっているだろうという年輩の夫婦。どこから来たのかとか、ラムはよく飲むかなど、何度か話しかけてくる。イギリス英語は聞きやすいので、大変よろしい。
ラムの説明は、まずコロンブスと奴隷貿易の話から始まった。展示物にもコロンブスの肖像画とアフリカ奴隷の様子を描いた絵がある。
ラムの原料であるサトウキビは、コロンブスがカリブ海にもってきた。そして、大規模プランテーションが作られ、キューバでは一大産業となる。
スペインを中心としたヨーロッパからの入植者(侵略者)は、カリブ海の島々に住んでいた先住民をほぼ絶滅させたため、労働力を確保するためにアフリカから奴隷を連れてきた。
こうして連れてこられた人の子孫が、現在、カリブ海に暮らすアフリカ系の人々だ。キューバ音楽をはじめ、カリブ海の音楽にアフリカの影響が色濃くあるのは、そうした背景があってのことだ。
博物館には18世紀くらいの工場のモデルや使われていた道具などが展示されている。作り方は、だいたい他の酒と一緒のよう。圧搾から発酵、寝かせるまでの説明を聞く。そして、最後は試飲をして終わり。もちろん売店もあり、安いのでは8cuc(960円)程度から高くても3000円くらいでハバナクラブのラムが買える。もちろん、ぼくは素通りしたが。
博物館を出て、両替所に行き、両替。チケットを買いにクバーナ航空に行きたいが、ここからオフィスまでは歩くと40分くらいかかるので、何かの交通機関を使うことを考える。
バスがけっこう走っているのだが、どれがどこに向けて走っているのかがわからない。それでどうしようかと思っていたときに人力三輪自転車タクシー(bicitaxi=ビシタクシィ)のお兄さんが声をかけて来たので、値段を聞いてから乗り込む。
値段は6 cuc(720円)。日本の感覚からしても高いが、けっこう遠いのと、途中、坂もあるので言い値でOKする。
車体は見るからにボロく、チェーンもちょっとゆるい感じ。お兄さんは最短距離を走るが、幹線道路じゃないので道が悪い。穴ぽこをよけながら、坂では体を左右に揺らしながら、汗をふきふき走る。
ハバナには路線バスやタクシー、乗り合いタクシーのほか、球形のココタクシー(cocotaxi)、馬車など細かく分ければ10種類くらいの交通機関がある。
そんななかで、三輪自転車がやっていけてるというのが不思議だ。地元の人がどれくらい払っているかわからないが、バスよりも高く(バスは1ペソ)、どれよりも遅いだろうに。おそらくタクシーよりも安く、目的地ぴったりには行けるので、そうした場合に使っているのだろうが。
20分ほどでクバーナ航空のオフィス前に到着。するとお兄さんは、10cucだと言い出す。そんなの日本でも高すぎるわ。それで、あなたは6cucと言いましたと言って拒否し続けると7cucに落ちる。じゃあ、おまけということで7cucに。たぶん、タクシーを使えば半額で済んだところだが、肉体労働なので、まぁ、いいかと。一度、乗ってみたかったし。
クバーナ航空でジャマイカのチケットを買う。そしたらパスポートが必要とのこと。コピーを持っていたが、それではダメというので、予約だけして帰る。
来週、ジャマイカに行こうかと思っていたが、来週の便はすでに埋まっているとのことで、さらに3月にずらす。ジャマイカはキングストンを往復する飛行機は毎日飛んでいないので、航空便の都合上1週間いることになった。
一応、今日、やらなければいけないことは終わったので、まだ歩いていないところをふらつく。海岸通沿いを歩くと、広場で子どもたちが野球の練習をしていたので、しばらく観戦。試合形式でやっていたが、バックネットがないのでキャッチャーが後ろにそらすボールが道路に転がっていってしまう。ボールは2個用意されているようで、そうして転がっていくともう1つのボールで再開し、指導者らしき大人の男性が転がっていったボールを取りに行く。バックネットをプレゼントするとけっこう喜んでもらえるんじゃないか。
それからしばらく歩く。今日は配給の日のようで、道すがら配給所らしき店を見る。中に入ってみると、みんな配給手帳のようなものを係りの人に見せて、持参した袋にあれこれ詰め込んでいる。
そうしてぶらぶらして、帰る。適当にバスに乗る。すると、途中、小さな広場でミニコンサートをしていたので、そこで降りる。スピーカーのボリュームが大きすぎて、少し音がわれているような感じがあったが、複雑なリズムでいかにもキューバという音楽。地元の人や通りがかりの人も50人くらい聞いている。立ったまま聞いている人の中には、踊っている人も。2曲ほど聞いたら、どうもそれが最後だったようで、コンサートは終わってしまった。公園にはドンキホーテらしき作りものがあった。
よくキューバの旅行案内に、街角から音楽が聞こえると描かれてあるのを見るが、基本的にあれは観光地にある店から聞こえてくるもので、そうでないところを歩いているときにはまず音楽を聴くことはない、というのが昨日、今日感じたこと。
聞くことがあるとすれば、CDかラジオを大音量でかけているとき。メキシコでは楽器を持って流しで歌って稼いでいる人もいたが、ここではそういう人は見ない。
宿に帰り、食事。夜はジャマイカ行きに合わせてキューバ国内での旅程の再設計。だが、異常に眠く、いつのまにか寝る。
ハバナ3日目
午前中はネット、日記の整理。ジャマイカ行きの件と予算の調整。
昼前、11時頃に宿を出る。ジャマイカ行きのチケットを買うために両替をしに行く。途中、地元の人が使っている食堂があったので、先にそこで食事。アフリカ系の女性が、壁に掛けてあるメニューを指さし、どれがいいか聞いてくる。するとそこへ、やはりアフリカ系の白髪交じりのおじさんが、早口で何やら言ってきて、ちょっとこっちに来いと合図する。
案内されたのは厨房で、鍋に入った黄色いスープとフライパンみたいな鍋に入っていた炒め料理を見せてくれる。これとこれと指さすと、わかったというようにうなづく。
テーブルに座る。蠅が気になる。メキシコでは蠅が気になることはまったくなかったが、キューバに来てからは野菜売場やこうした簡易食堂などでは、気になるほど蠅が多い。
食堂の内部は工事中なのか、ただの物置として使われているのか、50cm四方程度のコンクリートのタイルが店内の奥の方に何十枚も立てかけられている。
まずジュースが出てくる。オレンジジュースのような味がするが、薄めてあるのかあまりうまくはない。
料理を待っていると、隣のテーブルに座ったアフリカ系のグループの中の一人の女の人が声をかけてくる。そして、写真を撮ってくれというので、写真を撮る。写したのを見せてというので、見せると、写真を撮らせてあげたんだけど、いくらくれるの、というようなことを言う(単語と口振りから)。
同じグループの人はそれを聞きながら笑っているので、冗談のようだったから、わからないふりで首をかしげたりする。すると、店のおばさんがその人たちに何やら言って、気にするなというようにこっちを見て、首を横に振る。
そんなことをしているうちに、料理は出てくる。料理は二皿さっきの黄色いスープと大盛りの白飯にフライパンに入っていた炒め物が出てくる。
スープは塩加減も良くうまい。ひよこ豆に鶏肉などが入っている。炒め物の方は塩気がきつく、食べた感じはシーチキンのような感じ。塩辛いのでご飯と混ぜて食べる。
食事後、代金を支払う。CUC払いで2CUC(240円)。ご飯の量が多いので満腹になる。
それから、Havana Vieja(ハバナビエハ)地区にあるラム酒の博物館(Museo de Ron=ムゼオ・デ・ロン)に行く。ちなみにキューバではラム酒のことをロンと呼ぶ。
工場に着こうかというところで、道ばたで遊んでいるふうの女の子が声をかけてきて、写真を撮ってくれというようなことを言う。言いよ、と言うと、一緒にいた10歳くらいの女の子と2人で写真に収まる。そしたら、その小さい子が「Un peso(1ペソちょうだい)」と言い出したので、おいおい、そういうことかよ、と思いながらも博物館のすぐ入り口まで来ていたので、無視して博物館に入る。
入場料は6cuc(720円)。高い。受付でスペイン語と英語とどちらのガイドがいいかと言われたので、英語でお願いする。
博物館を入るとすぐに喫茶コーナーがあり、そこで試しにラム酒のオレンジジュース割を飲む。2cuc(240円)。やっぱりラムはきつい。
10分ほど待っていたら館の人が呼びに来てくれ、ガイドの人を紹介してくれる。ぼくの他にイギリス人夫婦も一緒だった。
イギリス人夫婦は60代にはなっているだろうという年輩の夫婦。どこから来たのかとか、ラムはよく飲むかなど、何度か話しかけてくる。イギリス英語は聞きやすいので、大変よろしい。
ラムの説明は、まずコロンブスと奴隷貿易の話から始まった。展示物にもコロンブスの肖像画とアフリカ奴隷の様子を描いた絵がある。
ラムの原料であるサトウキビは、コロンブスがカリブ海にもってきた。そして、大規模プランテーションが作られ、キューバでは一大産業となる。
スペインを中心としたヨーロッパからの入植者(侵略者)は、カリブ海の島々に住んでいた先住民をほぼ絶滅させたため、労働力を確保するためにアフリカから奴隷を連れてきた。
こうして連れてこられた人の子孫が、現在、カリブ海に暮らすアフリカ系の人々だ。キューバ音楽をはじめ、カリブ海の音楽にアフリカの影響が色濃くあるのは、そうした背景があってのことだ。
博物館には18世紀くらいの工場のモデルや使われていた道具などが展示されている。作り方は、だいたい他の酒と一緒のよう。圧搾から発酵、寝かせるまでの説明を聞く。そして、最後は試飲をして終わり。もちろん売店もあり、安いのでは8cuc(960円)程度から高くても3000円くらいでハバナクラブのラムが買える。もちろん、ぼくは素通りしたが。
博物館を出て、両替所に行き、両替。チケットを買いにクバーナ航空に行きたいが、ここからオフィスまでは歩くと40分くらいかかるので、何かの交通機関を使うことを考える。
バスがけっこう走っているのだが、どれがどこに向けて走っているのかがわからない。それでどうしようかと思っていたときに人力三輪自転車タクシー(bicitaxi=ビシタクシィ)のお兄さんが声をかけて来たので、値段を聞いてから乗り込む。
値段は6 cuc(720円)。日本の感覚からしても高いが、けっこう遠いのと、途中、坂もあるので言い値でOKする。
車体は見るからにボロく、チェーンもちょっとゆるい感じ。お兄さんは最短距離を走るが、幹線道路じゃないので道が悪い。穴ぽこをよけながら、坂では体を左右に揺らしながら、汗をふきふき走る。
ハバナには路線バスやタクシー、乗り合いタクシーのほか、球形のココタクシー(cocotaxi)、馬車など細かく分ければ10種類くらいの交通機関がある。
そんななかで、三輪自転車がやっていけてるというのが不思議だ。地元の人がどれくらい払っているかわからないが、バスよりも高く(バスは1ペソ)、どれよりも遅いだろうに。おそらくタクシーよりも安く、目的地ぴったりには行けるので、そうした場合に使っているのだろうが。
20分ほどでクバーナ航空のオフィス前に到着。するとお兄さんは、10cucだと言い出す。そんなの日本でも高すぎるわ。それで、あなたは6cucと言いましたと言って拒否し続けると7cucに落ちる。じゃあ、おまけということで7cucに。たぶん、タクシーを使えば半額で済んだところだが、肉体労働なので、まぁ、いいかと。一度、乗ってみたかったし。
クバーナ航空でジャマイカのチケットを買う。そしたらパスポートが必要とのこと。コピーを持っていたが、それではダメというので、予約だけして帰る。
来週、ジャマイカに行こうかと思っていたが、来週の便はすでに埋まっているとのことで、さらに3月にずらす。ジャマイカはキングストンを往復する飛行機は毎日飛んでいないので、航空便の都合上1週間いることになった。
一応、今日、やらなければいけないことは終わったので、まだ歩いていないところをふらつく。海岸通沿いを歩くと、広場で子どもたちが野球の練習をしていたので、しばらく観戦。試合形式でやっていたが、バックネットがないのでキャッチャーが後ろにそらすボールが道路に転がっていってしまう。ボールは2個用意されているようで、そうして転がっていくともう1つのボールで再開し、指導者らしき大人の男性が転がっていったボールを取りに行く。バックネットをプレゼントするとけっこう喜んでもらえるんじゃないか。
それからしばらく歩く。今日は配給の日のようで、道すがら配給所らしき店を見る。中に入ってみると、みんな配給手帳のようなものを係りの人に見せて、持参した袋にあれこれ詰め込んでいる。
そうしてぶらぶらして、帰る。適当にバスに乗る。すると、途中、小さな広場でミニコンサートをしていたので、そこで降りる。スピーカーのボリュームが大きすぎて、少し音がわれているような感じがあったが、複雑なリズムでいかにもキューバという音楽。地元の人や通りがかりの人も50人くらい聞いている。立ったまま聞いている人の中には、踊っている人も。2曲ほど聞いたら、どうもそれが最後だったようで、コンサートは終わってしまった。公園にはドンキホーテらしき作りものがあった。
よくキューバの旅行案内に、街角から音楽が聞こえると描かれてあるのを見るが、基本的にあれは観光地にある店から聞こえてくるもので、そうでないところを歩いているときにはまず音楽を聴くことはない、というのが昨日、今日感じたこと。
聞くことがあるとすれば、CDかラジオを大音量でかけているとき。メキシコでは楽器を持って流しで歌って稼いでいる人もいたが、ここではそういう人は見ない。
宿に帰り、食事。夜はジャマイカ行きに合わせてキューバ国内での旅程の再設計。だが、異常に眠く、いつのまにか寝る。
革命のまち、野球のまち
2008.2.21(木)快晴
ハバナ2日目
朝は6時半に目が覚める。夜は明け、トラックの走る音が聞こえる。昨日は夜景しか見ることができなかったが、こうして明るくなって窓からまちを見ると、想像以上に建物のボロさが目立つ。ほとんど壊れかけと言っていいような建物があちこちにある。地震がないからもっているのだろうが、これは地震があれば全壊だろう。
7時半頃、宿の人がドアをノックし、朝ご飯と教えてくれる。朝ご飯も簡単なものだ。
9時すぎに宿を出て、まずオビスポ通りというメインストリートにある両替所に行く。そこで日本円を両替。1cucが約120円。ドルは1cuc=0.8ドルくらい。
ペソクバーナでアイスを買う。1ぺソクバーナ(以下、ペソと省略)。安い。外国人が一般に使うcucとのレートは1cuc=24ペソ=120円だから、1ペソだと5円。
ペソクバーナは基本的に外国人は使えず、両替所でも観光客が多い地域にあるところでは両替してもらえない。メキシコのカンクンで、キューバに行った人の話では空港で替えられると言っていたが、昨日、空港の両替所で聞いたら断れ、入手できなかった。
しかし、同宿の人で両替した人がいたので、宿で替えてもらった。その人の話では、空港の2階にある両替所では両替できるらしい。
さて、両替も済んだところで早速、革命博物館に行く。宮殿みたいな建物で入場料は5cuc。
入り口を入ってすぐ右には売店があり、先にそちらを見る。ゲバラやカストロに関する本が20種類ほどあり、しかも英語版もあった。どれか買おうかと値段を聞くがどれも15cuc(1800円)以上。キューバでの予算はけっこうぎりぎりで予定しているので、キューバ最後の日にカネがあれば買うことにする。
本の中にはCIAがキューバに仕掛けたもろもろの工作に関する本もあり、中を見ると一部黒塗りにされている。店の人に聞くと(店の人は英語ができる)、たぶん秘密にしたい情報が載っているところだろうという。
さすがに観光に力に入れているだけあって、メキシコと違って、展示物には英語での説明が逐一ついている。
1959年のカストロたちによる革命だけでなく、それ以前の独立のための運動やホセ・マルティらの運動も紹介されている。展示物は写真や当時使われていた物、新聞記事など。
建物の中には、重要人物の彫像もあり、シモン・ボリバール、ホセ・マルティなどと並んで、なぜかアメリカのリンカーンの彫像もあった。
外国からの観光客もパラパラいて、新入りの警官なのか、あるいは徴兵訓練中の人なのか、白い制服を着た若い男性グループ(30人ほど)が解説を聞きながら展示物に見入っている姿もある。
1時間ほど見てから海岸沿いに出る。クバーナ航空を目指して歩く。メキシコのカンクンでは1日あれば簡単に日焼けをするくらいの日差しだったが、ここはそんなに強くない。
海岸沿いは幹線道路になっており、防波堤ではカップルが座っておしゃべりしていたり、釣りをしてる人の姿もある。
40分ほど歩いてクバーナ航空に到着。セキュリティの人がドアを開けてくれる。クバーナ航空のオフィスがある一角にはすべての航空会社が入っていて、メキシカン航空やエアジャマイカなどもここのビルに入っている。
しばらく待って券売窓口に行く。どうもここは先に座った者勝ちのようで、何人かぼくより後に来た人に先を越された。
この女性(40歳くらいでヨーロッパ系)は、英語を解す。まずキューバからカンクンに戻るチケットの変更を頼む。当初、ドミニカからジャマイカに行こうと思っていたが、ドミニカからジャマイカにはどうも飛行機がないようだし、チケット代も高くなると聞いたので変更することにしたのだ。
変更手数料は25cuc。なかなか高い。1泊ぶんだ。それからジャマイカ行きのチケットについて聞く。値段は360cucくらい(約4万5千円)。値段だけ聞いて帰る。
それからまた歩いて宿に戻る。途中、行列ができている店があり、除くとジュースを売っていたので、そこで買う。ハバナにはコップでジュースで売っている店が多々ある。牛乳スタンドのように、その場で飲んでコップは店に返す。たいていのコップは、1センチ近くあるガラスでできておりしかも飲み口はスパッと切ってあるだけで、普通のコップのように加工されていない。だから、下手したら唇を切るんじゃないかと思うようなコップもある。
ただ、そうしたジュースは安く、1杯150ccくらいで1ペソ。10杯飲んでも10ペソなので、1cuc=24ペソするペットボトルの水を買うより安上がりだ。
ただ氷が入っているので、それが気になったのだが、その後、何もなく終わっているので、どうも安全な氷のよう。もっともこれは人によるだろうが。
適当に歩いていたら野菜の販売所を見つけた。ハバナにはメキシコにあったような巨大な市場はないようで、街角に小さな店があるのしか見ない。
野菜や果物の種類も少なく、人参、米、なす、トマト、キャッサバ、パパイヤ、みかん、バナナなどせいぜい10数種類しかない。また、メキシコでは欠かせいトウモロコシをほとんど見ない。魚も売られているのを見ることはなく、豚や鶏肉を見るのみ。
道ばたにはいろんな物売りの人もいるが、持っているのがライター10本とか、ボールペン4本とか、ピーナッツが入った小さな紙筒20本とか、新聞とか物量としてはほんとに少量。針を1本ずつ売ってたり、糸一巻ずつ売ってたりする。
また、車椅子に乗っている人が、CDやDVDを売っているのも見た。政府からの証明書みたいなものを首から下げているので、障害者にはそういう仕事があてがわれているのかもしれない。ちなみに値段は35ペソと45ペソと書かれている。多分、前者がCDの値段で後者がDVDだろう。
野菜売場でバナナを買ったところ1kgが5ペソだったので、CDが一枚売れれば、3日ぶんくらいの野菜は買えそう。
その他、片足のない人が物乞いをしていたり、服の汚れ具合や様相からホームレスと思われる人もいる。見た範囲ではそういう人はたいてい年輩の男性。ただ、メキシコで見たように家族で路上にいるような人たちは見ない。
国の理想としては、そういう人がいないような国を目指しているのだろうが、ソ連崩壊後の90年代の厳しい時代の遺産なのか、やはり路上で生活をしている人はいるようだ(夜に確認していないのではっきりとは言えないが)。
ただ、ハバナが200万人都市ということを考えれば、非常に少ないことは確かだろう。
電化製品や服屋など、店もあるが、店内は薄暗く、外から見ると開いているのかどうかもわからないくらい。また、店内に入っても、物は少ない。選択肢も限られているが、陳列されている物自体が少ない。
店のガラスや建物の外壁にはときおり革命に関するポスターや絵が張られたり、描かれたりしていて、大きな通り沿いにはやはり革命に関する言葉が書かれたどでかい看板などがある。これは社会主義の国ならでは。ベトナムにもあったし、ロシアにもあった。その代わり、日本であふれてるような商業系の看板はまず見ない。
まちを歩いていて印象に残ったのが、とにかく年寄りが多いこと。道ばたで物売りをしている人の中にも白髪のおじいさんと見える人もいる。メキシコではとにかく子どもが多くて、若い人が多いという印象だったが、ハバナでは年寄りの方が目に付く。
杖をつきながら歩いているおばあちゃんもいるし、家の入り口で椅子に座って外をを眺めているおじいさんもいる。キューバでは医療制度が非常に整備されていることは、マイケルムーアが作ったシッコという映画でも取り上げられていたし、日本でもキューバの医療制度を取り上げた本が出版されている。
キューバでは医療費は基本的に無料で、まちの各地区に薬屋があり、かかりつけ医の普及しているらしい。その結果か、平均寿命も70歳を越えているとどっかで読んだことがある。
こうしてまちを歩いて年寄りが目に付くのも、その結果なのかもしれない。
一度、宿に戻り、変更した航空券を置き、また夜に行く野球場の道順を確認する。
ちょうど今、キューバでは野球シーズンで毎日試合はやっているらしい。試合開始は20時半からだが、早く行けば練習も見れるだろうと思い、18時前に宿を出る。
歩いて球場までは30~40分ほど。幹線道路を歩いていくと、右手に球場が見え、路地を入ると目の前にスタジアムが見えた。
球場の外にある練習場みたいなところでは大人たちが草野球をしている。
早速、チケットを買う。外国人専用の切符売り場があり、そこで買う。選択肢は1cucと3cucのふたつ。高い方がバックネット席で、安い方は内野席。迷わずバックネット席を買う。
入り口でチケットを見せると、警備官から金属反応をみる棒(?)で簡単な身体検査があった。中にはいると、見た目70歳くらいのおじいさんが、にこにこしながらスペイン語で解説してくれる。その仕草からどうもぼくの席はあの階段を昇って左の方の座席のよう。
階段を昇ると一気に視界が開け、球場全体が見渡せる。バックスクリーンには今日のチーム名が入っており、一塁側ではすでに選手が練習を始めている。
左のバックネット側に行くと係りの人にここだと言われる。真後ろではなかったので、向こうの席がいいと言うと、ダメだと言われ、その1画に座ることになる。ほかは柵などないのに、ここだけはあるので、どうも外国人専用の席のよう。後から来たカナダ人のグループも同じ1画に座っていた。
日が暮れようとしていた19時頃、パッと球場のライトがつく。さすがに国技だけあってここの電気はケチっていないよう。明るさは日本の球場と変わらない。
20時20分に試合開始。先発は両チームとも左。黄色いユニフォームの方は、左のサイドスロー。珍しい。さすがに肩は強く、送球も早い。あと打球も日本のプロ並みに早い。ただ、ピッチャーの球の速さはだいたい130km台くらいで、球種も3種類くらいしかないよう。
試合はピッチャーがあまり安定せず、遅いペースで進む。2回を終わった時点で時間は21時半を過ぎる。押し出しやホームランなどがあり、22時半の時点で4回まで終わって7対6。さすがにあまり遅くまではいられないなと思い、試合と中だったが帰る。帰りは適当にバスに乗って帰る。宿の近くの道には行きそうになかったので、適当に降りて歩いて宿に帰る。帰り着いたのは23時半頃だった。
同じ宿の人たちは、バーに酒を飲みに行っていて、そこでぼくが見ていた野球の中継もやっていたらしい。次の日、聞いたら夜中12時を過ぎてもテレビ中継をやっていたらしいから、最後まで見たら帰りは1時くらいになっていたようだ。
おわり
ハバナ2日目
朝は6時半に目が覚める。夜は明け、トラックの走る音が聞こえる。昨日は夜景しか見ることができなかったが、こうして明るくなって窓からまちを見ると、想像以上に建物のボロさが目立つ。ほとんど壊れかけと言っていいような建物があちこちにある。地震がないからもっているのだろうが、これは地震があれば全壊だろう。
7時半頃、宿の人がドアをノックし、朝ご飯と教えてくれる。朝ご飯も簡単なものだ。
9時すぎに宿を出て、まずオビスポ通りというメインストリートにある両替所に行く。そこで日本円を両替。1cucが約120円。ドルは1cuc=0.8ドルくらい。
ペソクバーナでアイスを買う。1ぺソクバーナ(以下、ペソと省略)。安い。外国人が一般に使うcucとのレートは1cuc=24ペソ=120円だから、1ペソだと5円。
ペソクバーナは基本的に外国人は使えず、両替所でも観光客が多い地域にあるところでは両替してもらえない。メキシコのカンクンで、キューバに行った人の話では空港で替えられると言っていたが、昨日、空港の両替所で聞いたら断れ、入手できなかった。
しかし、同宿の人で両替した人がいたので、宿で替えてもらった。その人の話では、空港の2階にある両替所では両替できるらしい。
さて、両替も済んだところで早速、革命博物館に行く。宮殿みたいな建物で入場料は5cuc。
入り口を入ってすぐ右には売店があり、先にそちらを見る。ゲバラやカストロに関する本が20種類ほどあり、しかも英語版もあった。どれか買おうかと値段を聞くがどれも15cuc(1800円)以上。キューバでの予算はけっこうぎりぎりで予定しているので、キューバ最後の日にカネがあれば買うことにする。
本の中にはCIAがキューバに仕掛けたもろもろの工作に関する本もあり、中を見ると一部黒塗りにされている。店の人に聞くと(店の人は英語ができる)、たぶん秘密にしたい情報が載っているところだろうという。
さすがに観光に力に入れているだけあって、メキシコと違って、展示物には英語での説明が逐一ついている。
1959年のカストロたちによる革命だけでなく、それ以前の独立のための運動やホセ・マルティらの運動も紹介されている。展示物は写真や当時使われていた物、新聞記事など。
建物の中には、重要人物の彫像もあり、シモン・ボリバール、ホセ・マルティなどと並んで、なぜかアメリカのリンカーンの彫像もあった。
外国からの観光客もパラパラいて、新入りの警官なのか、あるいは徴兵訓練中の人なのか、白い制服を着た若い男性グループ(30人ほど)が解説を聞きながら展示物に見入っている姿もある。
1時間ほど見てから海岸沿いに出る。クバーナ航空を目指して歩く。メキシコのカンクンでは1日あれば簡単に日焼けをするくらいの日差しだったが、ここはそんなに強くない。
海岸沿いは幹線道路になっており、防波堤ではカップルが座っておしゃべりしていたり、釣りをしてる人の姿もある。
40分ほど歩いてクバーナ航空に到着。セキュリティの人がドアを開けてくれる。クバーナ航空のオフィスがある一角にはすべての航空会社が入っていて、メキシカン航空やエアジャマイカなどもここのビルに入っている。
しばらく待って券売窓口に行く。どうもここは先に座った者勝ちのようで、何人かぼくより後に来た人に先を越された。
この女性(40歳くらいでヨーロッパ系)は、英語を解す。まずキューバからカンクンに戻るチケットの変更を頼む。当初、ドミニカからジャマイカに行こうと思っていたが、ドミニカからジャマイカにはどうも飛行機がないようだし、チケット代も高くなると聞いたので変更することにしたのだ。
変更手数料は25cuc。なかなか高い。1泊ぶんだ。それからジャマイカ行きのチケットについて聞く。値段は360cucくらい(約4万5千円)。値段だけ聞いて帰る。
それからまた歩いて宿に戻る。途中、行列ができている店があり、除くとジュースを売っていたので、そこで買う。ハバナにはコップでジュースで売っている店が多々ある。牛乳スタンドのように、その場で飲んでコップは店に返す。たいていのコップは、1センチ近くあるガラスでできておりしかも飲み口はスパッと切ってあるだけで、普通のコップのように加工されていない。だから、下手したら唇を切るんじゃないかと思うようなコップもある。
ただ、そうしたジュースは安く、1杯150ccくらいで1ペソ。10杯飲んでも10ペソなので、1cuc=24ペソするペットボトルの水を買うより安上がりだ。
ただ氷が入っているので、それが気になったのだが、その後、何もなく終わっているので、どうも安全な氷のよう。もっともこれは人によるだろうが。
適当に歩いていたら野菜の販売所を見つけた。ハバナにはメキシコにあったような巨大な市場はないようで、街角に小さな店があるのしか見ない。
野菜や果物の種類も少なく、人参、米、なす、トマト、キャッサバ、パパイヤ、みかん、バナナなどせいぜい10数種類しかない。また、メキシコでは欠かせいトウモロコシをほとんど見ない。魚も売られているのを見ることはなく、豚や鶏肉を見るのみ。
道ばたにはいろんな物売りの人もいるが、持っているのがライター10本とか、ボールペン4本とか、ピーナッツが入った小さな紙筒20本とか、新聞とか物量としてはほんとに少量。針を1本ずつ売ってたり、糸一巻ずつ売ってたりする。
また、車椅子に乗っている人が、CDやDVDを売っているのも見た。政府からの証明書みたいなものを首から下げているので、障害者にはそういう仕事があてがわれているのかもしれない。ちなみに値段は35ペソと45ペソと書かれている。多分、前者がCDの値段で後者がDVDだろう。
野菜売場でバナナを買ったところ1kgが5ペソだったので、CDが一枚売れれば、3日ぶんくらいの野菜は買えそう。
その他、片足のない人が物乞いをしていたり、服の汚れ具合や様相からホームレスと思われる人もいる。見た範囲ではそういう人はたいてい年輩の男性。ただ、メキシコで見たように家族で路上にいるような人たちは見ない。
国の理想としては、そういう人がいないような国を目指しているのだろうが、ソ連崩壊後の90年代の厳しい時代の遺産なのか、やはり路上で生活をしている人はいるようだ(夜に確認していないのではっきりとは言えないが)。
ただ、ハバナが200万人都市ということを考えれば、非常に少ないことは確かだろう。
電化製品や服屋など、店もあるが、店内は薄暗く、外から見ると開いているのかどうかもわからないくらい。また、店内に入っても、物は少ない。選択肢も限られているが、陳列されている物自体が少ない。
店のガラスや建物の外壁にはときおり革命に関するポスターや絵が張られたり、描かれたりしていて、大きな通り沿いにはやはり革命に関する言葉が書かれたどでかい看板などがある。これは社会主義の国ならでは。ベトナムにもあったし、ロシアにもあった。その代わり、日本であふれてるような商業系の看板はまず見ない。
まちを歩いていて印象に残ったのが、とにかく年寄りが多いこと。道ばたで物売りをしている人の中にも白髪のおじいさんと見える人もいる。メキシコではとにかく子どもが多くて、若い人が多いという印象だったが、ハバナでは年寄りの方が目に付く。
杖をつきながら歩いているおばあちゃんもいるし、家の入り口で椅子に座って外をを眺めているおじいさんもいる。キューバでは医療制度が非常に整備されていることは、マイケルムーアが作ったシッコという映画でも取り上げられていたし、日本でもキューバの医療制度を取り上げた本が出版されている。
キューバでは医療費は基本的に無料で、まちの各地区に薬屋があり、かかりつけ医の普及しているらしい。その結果か、平均寿命も70歳を越えているとどっかで読んだことがある。
こうしてまちを歩いて年寄りが目に付くのも、その結果なのかもしれない。
一度、宿に戻り、変更した航空券を置き、また夜に行く野球場の道順を確認する。
ちょうど今、キューバでは野球シーズンで毎日試合はやっているらしい。試合開始は20時半からだが、早く行けば練習も見れるだろうと思い、18時前に宿を出る。
歩いて球場までは30~40分ほど。幹線道路を歩いていくと、右手に球場が見え、路地を入ると目の前にスタジアムが見えた。
球場の外にある練習場みたいなところでは大人たちが草野球をしている。
早速、チケットを買う。外国人専用の切符売り場があり、そこで買う。選択肢は1cucと3cucのふたつ。高い方がバックネット席で、安い方は内野席。迷わずバックネット席を買う。
入り口でチケットを見せると、警備官から金属反応をみる棒(?)で簡単な身体検査があった。中にはいると、見た目70歳くらいのおじいさんが、にこにこしながらスペイン語で解説してくれる。その仕草からどうもぼくの席はあの階段を昇って左の方の座席のよう。
階段を昇ると一気に視界が開け、球場全体が見渡せる。バックスクリーンには今日のチーム名が入っており、一塁側ではすでに選手が練習を始めている。
左のバックネット側に行くと係りの人にここだと言われる。真後ろではなかったので、向こうの席がいいと言うと、ダメだと言われ、その1画に座ることになる。ほかは柵などないのに、ここだけはあるので、どうも外国人専用の席のよう。後から来たカナダ人のグループも同じ1画に座っていた。
日が暮れようとしていた19時頃、パッと球場のライトがつく。さすがに国技だけあってここの電気はケチっていないよう。明るさは日本の球場と変わらない。
20時20分に試合開始。先発は両チームとも左。黄色いユニフォームの方は、左のサイドスロー。珍しい。さすがに肩は強く、送球も早い。あと打球も日本のプロ並みに早い。ただ、ピッチャーの球の速さはだいたい130km台くらいで、球種も3種類くらいしかないよう。
試合はピッチャーがあまり安定せず、遅いペースで進む。2回を終わった時点で時間は21時半を過ぎる。押し出しやホームランなどがあり、22時半の時点で4回まで終わって7対6。さすがにあまり遅くまではいられないなと思い、試合と中だったが帰る。帰りは適当にバスに乗って帰る。宿の近くの道には行きそうになかったので、適当に降りて歩いて宿に帰る。帰り着いたのは23時半頃だった。
同じ宿の人たちは、バーに酒を飲みに行っていて、そこでぼくが見ていた野球の中継もやっていたらしい。次の日、聞いたら夜中12時を過ぎてもテレビ中継をやっていたらしいから、最後まで見たら帰りは1時くらいになっていたようだ。
おわり
2008年2月23日土曜日
メキシコ出国とキューバ入国
2008.2.20(水)
キューバ1日目
目が覚めたのは5時半頃。さすがにこれくらいの時間だと少しは涼しいが、徐々に蒸し暑くなってくる。
8時くらいになると、じっとり汗がでてくるくらい蒸し暑い。葉書を出しに外に行き、戻ってきて荷物の準備。ここの宿はただで荷物を預かってくれるというので、キューバなどに行っている間には必要なさそうな本を別途かばんに整理する。
それからメキシコにいるときはバスの車中などで役立った冬用の上着も置いていくことにする。
9時になってから近くの銀行に行き、あまりそうなメキシコペソをユーロに両替。キューバではユーロが断然に両替率がいいらしい。ただ、日本円があれば、日本円でもいいらしい。日本円からユーロにする手数料を考えると、あまり変わらないらしいから。
10時前に宿をチェックアウトする。持ってきた本のうち20~30冊ほどを宿に預けたので、荷物が軽く、気分がいい。
空港までは、宿のすぐ近くのバスターミナルからシャトルバスが出ているが、空港行きと書いてある路線バスを昨日見たので、それに乗ることにする。そっちの方が圧倒的にやすいから。
が、バス乗り場と思われるところで待っててもなかなか来ない。乗り場が違うのかと思い、昨日、そのバスを見かけた道路沿いまで歩いて行き、待つがやはり来ない。
きちんとは確認していなかったのが、まずかったかな。
バスターミナルからは15分や30分に1本の割合で、空港へのシャトルバスが出ているから、そこに戻る手もあったが、戻るにはちょっと面倒なくらい離れてしまったので、タクシーで行くことに方針を変更。
道ばたにあるタクシー乗り場に行って、空港に行きたい旨を伝えると、運転手のおじさんは15ドルと言い出す。おいおい、出たよ、15ドルってどんだけとるんじゃと思い、No、と言う。タクシーだと早くつけるなんて言うが、無視。
別のタクシーに聞こうかと向きを変えると、別のおじさんが40ペソと言う。いきなり4分の1になった。まぁ、それならとそのおじさんの車に行く。
すると、助手席の所では空港のマークが胸に入っている女の人が、携帯でなにやら話しており、後部の座席にはジャケットはないがスーツ姿の男の人が、1人すでに座っている。安くなったのは、これが乗り合いタクシーだからだった。
例のごとく乗客が4人集まるまで発車しないから、当然、予定は立たない。ただ幸いなことにあと1人だから、そんなに待つこともないだろう。そんなことを思いながら、5分ほど待つ。
空港には出発の3時間前にチェックインするよう言われていた。空港まではバスで30分と聞いていたので、順調にバスに乗れれば4時間前くらいに着くように宿を出た。具体的には飛行機の時間が14時半なので、10時に宿を出ていた。
しかし、すでに宿を出てから30分が過ぎている。もしあと1人が、あと15分たっても来ないようであれば、自分が2人分払うから車を出してくれと頼もうか。そんなことを考えはじめたときに、30代くらいの男性が登場!
これで4人そろい晴れて車は発車。ぼく以外の人は、車中で携帯でメールをしたりどこかと連絡取ったりしている。
車はときに80km/時までスピードを上げながら走る。一緒に乗っている人たちが空港の方面だけど、別のところで降りる予定をしており、車があちこち寄り道したらどうしよう、という若干の不安はあったもののそれは杞憂に終わった。
20分ほどで、寄り道することなく無事に空港に到着。
40ペソだったが、50ペソ札しかなかったので、それを渡し、「お釣りはとっていて」とスペイン語では言えないから、お釣りを探すおじさんにNoとだけ言って、去る。ちょっとかっこいい。
空港にはいると各航空会社ごとのチェックインカウンターが50mほどにわたって並んでいた。ぼくが乗るクバーナ航空の名前を探して歩くが、見あたらない。
なので、空港のインフォメーションで聞くと、3つ向こうにあるという。たしかにクバーナはあったが、そこはチケットを売る窓口だった。でも、同じ会社の人だからわかるかなと思って、どこでチェックインできるか聞くと、スペイン語でべらべらとなにやらいいながら、すぐそこを指さす。
そこには、20人くらい列ができているが、列の先頭が並んでいるチェックインカウンターには会社名の表示がない。他であれば会社名とそのマークが壁に貼られているのだが、そこは空白。
う~ん、ここでいいんだろうかと思いつつ、でも、キューバだからさもありなん、と思いながら列に並ぶと、すぐにぼくの後ろに並んだヘミングウェイみたいなじさんが、前に並んでいた人にこの列はハバナ行きかと聞いて、”Si”と答えていたので、ようやく確信できた。
ぼくの前に並んでいたのは、親子と思われる成人男性2人組で、どでかいボストンバック4つとさらにちいさなリュック2つを持っている。かぶっている帽子にはMiamiとあるから、キューバを脱出した親族なり知り合いなりがアメリカのマイアミにいるのかもしれない。まぁ、帽子だけでそんな判断はできないけど、何年構えからキューバ政府はそうしてキューバから出ていく人たちに対し、以前よりは慣用になったとどこかで聞いていたので、可能性としてはありえるだろう。
その前に並んでいる人たちも何キロあるんだろうというくらいの大荷物。ちなみにぼくの前に並んでいた人たちの荷物は計量しているところを見たら1つ22kgほどあった。だから計100kgはありそう。
列で待つこと30分。ようやくチェックインが始まった。電源が入っていなかったチェックインカウンター上部の電光掲示板にはちゃんとクバーナのハバナ行きと表示が出た。
チェックインカウンターの前には、日本でもある列の誘導ポールが蛇の目に張られているが、並んでいる人がポールポールの間を結ぶひもを勝手にいじって蛇の目を解除し、まっすぐにする。そして、こうしたらいいじゃん!、みたいなノリで盛り上がっている。
しばらくは、そのままでみんなまっすぐに並んでいたが、さすがに並ぶ人が増えたところで、係員が元に戻す。
チェックインカウンターでは、航空券とパスポート、メキシコの入国カードとキューバのツーリストカードを手渡す。対応していたおじさんの隣に断っていた若い男性社員の人がなぜかそのおじさんにちょっかいを出しており、おじさんの胸ポケットにあるボールペンをさっと抜き取ったりしている。
おじさんは真面目に接客しているだが、そんな男が横にいるから、ボールペンを取り返してはまた取られるということを2回ほど繰り返して、おじさんが少し強い口調で何やら言うと、やっとその若い男はそのじゃれあいを止めた。さすがキューバだ。
それ以外は手早く、さっさと手続きは終わる。パスポートとメキシコの入国カードが裏にホッチキスで止められた航空券、それからキューバのツーリストを渡され、それに加えて関税申告書とA4の紙を渡される。
A4の紙には、スペイン語でのみ注意事項が書かれており、英語と共通している単語を見る限りでは税関申告に関する注意事項のよう。
それらを持って、手荷物検査場へ。日本と同じように用意されているプラスチックのケースに手荷物と金属性のものを入れ、X線検査がある。
人間は問題なく通ったものの、ウェストバックがひっかかる。10代にも見える係員の女性が、中を開けろとうので、チャックを開けると、ぼくに手袋をしている手の甲と手のひらを見せ、何も持ってませんよと断った上で、中を調べ出す。
チャックが付いているものや袋に入っているものすべてをチェックして、もう1度機械を通す。そして、サンキューと言われ、終わり。
中に入ると税金無料の店や食事できるファーストフードコーナーがある。ファーストフードはメキシコ料理系とハンバーガー、ピザ屋、それからバーみたいなところがあった。
ちょうど時間は12時なので、飯を食うことにする。ファーストフードコーナーにあるメキシコ料理系の店には客がほとんどいない一方、バーガーキングには10人くらいの列ができている。しかも、次々に並ぶので列が消えることがない。バーガーキングが一人勝ちの状況。あちこちから英語が聞こえてくるので、バケイション帰りのアメリカ人なのだろう。
バーガーキングなどはドル表示だが、メキシコ系はペソ表示。バーガーキングは一番やすいのを見ても7ドル台と高いので、やめる。
メキシコ系のファーストフードにするが、やっぱりこっちも高かった。85ペソ(900円くらい)のパイみたいなののセットを頼む。パイの中身は黒豆とチーズ。ファーストフードなので、たいしてうまくはないが、ヘルシーなぶんだけよい、ということにする。
飯を食った後、搭乗口の待ち合い席で関税の申告書を記入。すべてスペイン語なので、辞書をひきひき、うとうと居眠りしながら記入。
そうこうしているうちに2時間経ち、搭乗が始まる。見たところ同じ飛行機に乗る日本人は8人。女性2人組が2組と、男性2人が1組、あとぼくと女1人旅風の人。いずれも20代と思われる人ばかり。
他の国の人で言うと、カナダやアルゼンチン、メキシコの人がいる。
バスに乗って飛行機へ。
機体の入り口にはロシア語でなにやら書いてある。機内にも案内板は英語とロシア語で書かれている。噂ではかなりひどいと聞いていたが、そこまではひどくない。新しくはないし、緊急時のパンフレットも席によって置いてあったりなかったりだし、テレビもないが、ひどくはない。
ただ、緊急脱出用の浮き道具はかなり古そうで、これは必要になったときにはちょっと怖そうなくらい。
14時半の予定が、空港が混んでいるのかなかなか離陸せず、結局離陸したのは15時15分。
機内では、カナダ産のスナック菓子とジュースなどの飲み物が出される。飲まなかったが、もちろんキューバを代表するラム酒であるハバナクラブも用意されていた。
離陸してから50分ほどして窓の外に陸が見えてくる。そして1時間後には着陸。無事着陸すると拍手がわいた。着陸時に拍手なんて、アルメニアに行った時以来。あのときもロシア製の飛行機だった。
飛行機を降り、入国審査に行く。キューバの入国審査では泊まる場所を聞かれるので、ホテル名と住所を控えて置いた方がいいと事前情報にあった。他にもあれこれ聞かれるのかなと思い、すんなり入れそうな人のよさそうな顔の人を捜す。が、わりと若い人ばかりで似たような感じ。空いたところに入る。
20代くらいの女性で、最初スペイン語で聞かれるが、スペイン語は話せないと断ると英語に切り替わる。
パスポートとツーリストカードを渡すと、どれくらい滞在するのか、目的は何かと聞かれる。ぼくは一度ドミニカに行って、また帰ってくるので、それを説明するとなんだか難しい顔をするので、飛行機の予定表を見せる。すると、、いくらおカネを持っているかと聞いてきて、ドルでは10万円相当と言うと、なんか疑うような顔をし、ちょっと待っててと待たされる。
その人は年輩の職員の人を呼んでなにやら相談している。こんなことになるならドミニカに行くなんて言わなければ良かったと思いながら待つこと5分ほど。
呼ばれてまた行くと、キューバは初めてと聞かれ、OK
となり、"Welcome to Cuba"と言われ、通される。なので、ドアの方を向いて、歩き出すとなぜか名前を聞かれ、答えると笑顔でうなづく。なぜ聞いてきたのか謎。もしやマークされたか?
さて、次は荷物。無事、届いておりピックアップ完了。空港から中心地までのタクシー代が3000円くらいするので、その辺にいた日本人に同じ方向か聞くが、違うところばかり。しょうがないので、一人で乗ることにする。
関税の申告コーナーはあったが、素通りできるような作りだったので、素通りし外にでる。よって、メキシコの空港での翻訳作業は不要だった。
外に出たら、まず両替。45ユーロぶん替える。それからインフォメーションで地図を書う。4.9cuc=550円くらい。
タクシーは客引きがいて、英語で話しかけてくる。聞くと30CUC(クック)と言う。事前情報では25CUCまで落ちるというので、高いというと25CUCまで落ちる。
タクシー代に3000円なんて日本でも使わないけど、しょうがない。
タクシーに乗ると客引きのにいちゃんが、自分にチップをくれという。1CUCのコインを渡そうとすると、No coinという。札は5CUCしかなく、チップで500円超なんて払うかいな、と思うも、このにいちゃんもこうして何も知らなそうな客につけ込んで、あの手この手で稼いでるんだろうなと思い、5CUCを渡す。笑顔でサンキューと言って、にいちゃんはまた次の客を探しに行く。結局、30CUC払ったわけだが、おカネに余裕がなければチップなんて断っても大丈夫だし、客引きを無視して、自分でタクシーと直接交渉することもできるだろう。
あと、実はバスで市内まで行けるという情報もあったが、バス停までけっこう歩かないといけないらしく、ちょうど雨が降っていたので、これはやめた。
こっちはCUCではなく、人民ペソと訳されているキューバ人が一般に使っている通貨で1ペソなので、格安。ちなみに1CUC=24ペソ。
どういうことかというと、キューバは今、二重通貨制をとっていて、観光客=外国人が使う通貨と一般のキューバ人が使う通貨を分けている。以前は、アメリカドルとの二重通貨制だったが、それを2004年から現在のかたちにした。
ちなみにペットボトルの水1.5リットルが1.5CUC、安いホテルでも50だが、ペソが使えるところだとソフトクリームやキューバ式ハンバーガーが1ペソなど。なので、観光客向けの店で買い物をするなら、日本と物価はほとんど変わらないが、ペソを入手して、キューバ人が通常使っている店で買い物をすれば、かなり安く済む。
タクシーの運転手は40歳くらいの気のよさそうなおじさん。車はわりと新しく、音も静か。外の気温は23度となっている。空港の周りはきれいに整備されており、ちょっと那覇空港に似ている感じがした。
先ほどまでの雨はあがった。
車窓から見ての第1印象は、とにかく木が多い。人はメキシコではまず見なかったアフリカ系の人が多く、あと白人系の人も多い。アジア系の人は見た範囲では皆無。メキシコでは宮崎の友達に似ているような人が時折いたが、ここでは見ない。
古いアメ車や壊れかけのバスが、黒い排気ガスを出しながら走る。30年くらい使っているんじゃないかというなチャリに乗っている。一方でメキシコの1等クラスのきれいなバスも走っており、これは意外だった。
道路もよく振動は少ない。運転手は一言も話さない。2人のバイクがちょっとふらふらして進行の邪魔になると、右手を挙げてなにやらぶつくさ文句を言う。
葉物が植わっている畑やぼろぼろのアパート見ながら走ること20分超。ホせ・マルティのモニュメントが見え、右手に古いヨーロッパ式の街並みが見え出す。
宿の住所を運転手に渡していたので、すんなり行くかと思っていたが、細かいところがわからなかったようで、近くまで来たときに何人かに道を聞く。同じ所を2回まわる。
建物の間の道では子どもたちが上半身はだかのまま野球をしている。道ばたで野球をしている国なんて、これまで10数か国まわった中で初めて。もちろん、バットは木切れのような棒で、ボールも手作りのようなボール。まさしく日本の昭和30年か?
どうもぼくが渡していた住所の道路名がちがっていたようで、迷った末に宿があるビルに着く。運転手に25CUCを払う。
さて。入り口のドアを押したり引いたりするが、開かない。そこへ10代後半くらいの男の子が来て、開けてくれる。そして、自分はCASAの人間だという。どうもこの人の家らしい。
エレベーターに案内される。日本と違って、エレベーターのドアは二重になっていて、エレベーターそのものに付いているドアと各階の入り口のドアとがある。見た目は倉庫の入り口のようで、一瞬ほんとに動いているのだろうか疑ったが、ちゃんと動いているようだった。
押しても反応しそうにないボタン。非常ベルもあるがいざというときに使えるのかかなり怪しい。
10階に付き、エレベーターを左に出て突き当たったところが、これから泊まる宿だった。ドアが開いて、男の子の母親と思われる人が中へと案内してくれる。
ここは日本人の人が仲介している宿ということで、食卓では3人の日本人が食事をしていた。春に卒業する大学生(女)2人組と休みをとって来たという31歳の男性。
荷物を置くと、宿帳に記入するように言われる。この家の人は日本語はまったくできない上、英語もほとんどわからないよう。宿帳には日本語で記載事項が書かれてあり、番号を見るとぼくは252番目のようだ。
想像していたよりも家はきれいで広く、ものがある。奥の部屋にはパソコンが見える。部屋に案内されるとそこは日本人ばかりが泊まる部屋のようで、普通のベッドが2つと二段ベッドが一つ。計4人が泊まれ、今日はすべて埋まっている。本棚にはキューバに関する本などが20冊ほどある。
荷物を置いたら食事。これまでメキシコで多様で豪勢なものばかり食べてきたから、その質素さには少し驚く。ご飯はメキシコと同じく粘りけはなく、パサパサしている。バナナチップはポテトチップと同じように塩味になってり、最初はポテトチップかと思って食べていたほど。
食事後、部屋に戻る。10階ということで、部屋の窓からはハバナのまちが見える。見える明かりはアパートの部屋の明かりとライトアップされた教会らしき建物など、200万都市の中心部ということを考えれば、食らい方だろう。
シャワーはユニットバスのようになっていて、風呂桶の中で浴びる。メキシコでも宿によってはお湯がにくかったが、ここはお湯らしいお湯がでない。はっきり言えばそんなに冷たくない水。水量もメキシコと比べると少なく、弱い。石鹸は付いていたので、それを使う。
時計を見ると、9時。今日、着いたばかりという男性は寝てしまう。
部屋にあった情報ノートを読むと、あるわあるわ被害事例。バスに乗ってたら、背中に背負ってたリュックのチャックを開けられて何かを取られたとか、親しげに話しかけてきたキューバ人に第3の通貨があって、それを使った方が得だと言われ、その言葉を信じて両替したらただの人民ペソで、それで5万くらい損したとか。やっぱり日本人はやらかしています。スリにやられるならともかく第三の通貨なんて・・・、相手方もよく考えましたなぁ。そんなことでだませると見切られているのが、なんとも悲しいところで。
ここの宿はこの家のパソコンを使ってネットができる。日本語の読み書きができる環境も整備済み。料金は1時間4CUCとメキシコの5倍。日本のネット喫茶よりも高い。スピードはダイアルアップで遅いと聞いていたが、そんなこともなくADSLよりちょっと遅いくらい。最初に使用時間を聞かれ、その時間に合わせて手動式のタイマーがまわされる。だから、ネットをしている間中、チッチッチと時を刻む音が聞こえてくる。そして、時間になったらジリリリンとなり、その音を聞いて宿主が止めに来る。代金は最後に払うようだ。
ネットをした後、本を読んだり、部屋の人としゃべってたりしたら夜中まで起きていていた。カンクンと違って、気温も26度ほどと眠りやすい。窓は全開だが、蚊もいないので、久しぶりに気持ちよく眠ることができたのでした。
キューバ1日目
目が覚めたのは5時半頃。さすがにこれくらいの時間だと少しは涼しいが、徐々に蒸し暑くなってくる。
8時くらいになると、じっとり汗がでてくるくらい蒸し暑い。葉書を出しに外に行き、戻ってきて荷物の準備。ここの宿はただで荷物を預かってくれるというので、キューバなどに行っている間には必要なさそうな本を別途かばんに整理する。
それからメキシコにいるときはバスの車中などで役立った冬用の上着も置いていくことにする。
9時になってから近くの銀行に行き、あまりそうなメキシコペソをユーロに両替。キューバではユーロが断然に両替率がいいらしい。ただ、日本円があれば、日本円でもいいらしい。日本円からユーロにする手数料を考えると、あまり変わらないらしいから。
10時前に宿をチェックアウトする。持ってきた本のうち20~30冊ほどを宿に預けたので、荷物が軽く、気分がいい。
空港までは、宿のすぐ近くのバスターミナルからシャトルバスが出ているが、空港行きと書いてある路線バスを昨日見たので、それに乗ることにする。そっちの方が圧倒的にやすいから。
が、バス乗り場と思われるところで待っててもなかなか来ない。乗り場が違うのかと思い、昨日、そのバスを見かけた道路沿いまで歩いて行き、待つがやはり来ない。
きちんとは確認していなかったのが、まずかったかな。
バスターミナルからは15分や30分に1本の割合で、空港へのシャトルバスが出ているから、そこに戻る手もあったが、戻るにはちょっと面倒なくらい離れてしまったので、タクシーで行くことに方針を変更。
道ばたにあるタクシー乗り場に行って、空港に行きたい旨を伝えると、運転手のおじさんは15ドルと言い出す。おいおい、出たよ、15ドルってどんだけとるんじゃと思い、No、と言う。タクシーだと早くつけるなんて言うが、無視。
別のタクシーに聞こうかと向きを変えると、別のおじさんが40ペソと言う。いきなり4分の1になった。まぁ、それならとそのおじさんの車に行く。
すると、助手席の所では空港のマークが胸に入っている女の人が、携帯でなにやら話しており、後部の座席にはジャケットはないがスーツ姿の男の人が、1人すでに座っている。安くなったのは、これが乗り合いタクシーだからだった。
例のごとく乗客が4人集まるまで発車しないから、当然、予定は立たない。ただ幸いなことにあと1人だから、そんなに待つこともないだろう。そんなことを思いながら、5分ほど待つ。
空港には出発の3時間前にチェックインするよう言われていた。空港まではバスで30分と聞いていたので、順調にバスに乗れれば4時間前くらいに着くように宿を出た。具体的には飛行機の時間が14時半なので、10時に宿を出ていた。
しかし、すでに宿を出てから30分が過ぎている。もしあと1人が、あと15分たっても来ないようであれば、自分が2人分払うから車を出してくれと頼もうか。そんなことを考えはじめたときに、30代くらいの男性が登場!
これで4人そろい晴れて車は発車。ぼく以外の人は、車中で携帯でメールをしたりどこかと連絡取ったりしている。
車はときに80km/時までスピードを上げながら走る。一緒に乗っている人たちが空港の方面だけど、別のところで降りる予定をしており、車があちこち寄り道したらどうしよう、という若干の不安はあったもののそれは杞憂に終わった。
20分ほどで、寄り道することなく無事に空港に到着。
40ペソだったが、50ペソ札しかなかったので、それを渡し、「お釣りはとっていて」とスペイン語では言えないから、お釣りを探すおじさんにNoとだけ言って、去る。ちょっとかっこいい。
空港にはいると各航空会社ごとのチェックインカウンターが50mほどにわたって並んでいた。ぼくが乗るクバーナ航空の名前を探して歩くが、見あたらない。
なので、空港のインフォメーションで聞くと、3つ向こうにあるという。たしかにクバーナはあったが、そこはチケットを売る窓口だった。でも、同じ会社の人だからわかるかなと思って、どこでチェックインできるか聞くと、スペイン語でべらべらとなにやらいいながら、すぐそこを指さす。
そこには、20人くらい列ができているが、列の先頭が並んでいるチェックインカウンターには会社名の表示がない。他であれば会社名とそのマークが壁に貼られているのだが、そこは空白。
う~ん、ここでいいんだろうかと思いつつ、でも、キューバだからさもありなん、と思いながら列に並ぶと、すぐにぼくの後ろに並んだヘミングウェイみたいなじさんが、前に並んでいた人にこの列はハバナ行きかと聞いて、”Si”と答えていたので、ようやく確信できた。
ぼくの前に並んでいたのは、親子と思われる成人男性2人組で、どでかいボストンバック4つとさらにちいさなリュック2つを持っている。かぶっている帽子にはMiamiとあるから、キューバを脱出した親族なり知り合いなりがアメリカのマイアミにいるのかもしれない。まぁ、帽子だけでそんな判断はできないけど、何年構えからキューバ政府はそうしてキューバから出ていく人たちに対し、以前よりは慣用になったとどこかで聞いていたので、可能性としてはありえるだろう。
その前に並んでいる人たちも何キロあるんだろうというくらいの大荷物。ちなみにぼくの前に並んでいた人たちの荷物は計量しているところを見たら1つ22kgほどあった。だから計100kgはありそう。
列で待つこと30分。ようやくチェックインが始まった。電源が入っていなかったチェックインカウンター上部の電光掲示板にはちゃんとクバーナのハバナ行きと表示が出た。
チェックインカウンターの前には、日本でもある列の誘導ポールが蛇の目に張られているが、並んでいる人がポールポールの間を結ぶひもを勝手にいじって蛇の目を解除し、まっすぐにする。そして、こうしたらいいじゃん!、みたいなノリで盛り上がっている。
しばらくは、そのままでみんなまっすぐに並んでいたが、さすがに並ぶ人が増えたところで、係員が元に戻す。
チェックインカウンターでは、航空券とパスポート、メキシコの入国カードとキューバのツーリストカードを手渡す。対応していたおじさんの隣に断っていた若い男性社員の人がなぜかそのおじさんにちょっかいを出しており、おじさんの胸ポケットにあるボールペンをさっと抜き取ったりしている。
おじさんは真面目に接客しているだが、そんな男が横にいるから、ボールペンを取り返してはまた取られるということを2回ほど繰り返して、おじさんが少し強い口調で何やら言うと、やっとその若い男はそのじゃれあいを止めた。さすがキューバだ。
それ以外は手早く、さっさと手続きは終わる。パスポートとメキシコの入国カードが裏にホッチキスで止められた航空券、それからキューバのツーリストを渡され、それに加えて関税申告書とA4の紙を渡される。
A4の紙には、スペイン語でのみ注意事項が書かれており、英語と共通している単語を見る限りでは税関申告に関する注意事項のよう。
それらを持って、手荷物検査場へ。日本と同じように用意されているプラスチックのケースに手荷物と金属性のものを入れ、X線検査がある。
人間は問題なく通ったものの、ウェストバックがひっかかる。10代にも見える係員の女性が、中を開けろとうので、チャックを開けると、ぼくに手袋をしている手の甲と手のひらを見せ、何も持ってませんよと断った上で、中を調べ出す。
チャックが付いているものや袋に入っているものすべてをチェックして、もう1度機械を通す。そして、サンキューと言われ、終わり。
中に入ると税金無料の店や食事できるファーストフードコーナーがある。ファーストフードはメキシコ料理系とハンバーガー、ピザ屋、それからバーみたいなところがあった。
ちょうど時間は12時なので、飯を食うことにする。ファーストフードコーナーにあるメキシコ料理系の店には客がほとんどいない一方、バーガーキングには10人くらいの列ができている。しかも、次々に並ぶので列が消えることがない。バーガーキングが一人勝ちの状況。あちこちから英語が聞こえてくるので、バケイション帰りのアメリカ人なのだろう。
バーガーキングなどはドル表示だが、メキシコ系はペソ表示。バーガーキングは一番やすいのを見ても7ドル台と高いので、やめる。
メキシコ系のファーストフードにするが、やっぱりこっちも高かった。85ペソ(900円くらい)のパイみたいなののセットを頼む。パイの中身は黒豆とチーズ。ファーストフードなので、たいしてうまくはないが、ヘルシーなぶんだけよい、ということにする。
飯を食った後、搭乗口の待ち合い席で関税の申告書を記入。すべてスペイン語なので、辞書をひきひき、うとうと居眠りしながら記入。
そうこうしているうちに2時間経ち、搭乗が始まる。見たところ同じ飛行機に乗る日本人は8人。女性2人組が2組と、男性2人が1組、あとぼくと女1人旅風の人。いずれも20代と思われる人ばかり。
他の国の人で言うと、カナダやアルゼンチン、メキシコの人がいる。
バスに乗って飛行機へ。
機体の入り口にはロシア語でなにやら書いてある。機内にも案内板は英語とロシア語で書かれている。噂ではかなりひどいと聞いていたが、そこまではひどくない。新しくはないし、緊急時のパンフレットも席によって置いてあったりなかったりだし、テレビもないが、ひどくはない。
ただ、緊急脱出用の浮き道具はかなり古そうで、これは必要になったときにはちょっと怖そうなくらい。
14時半の予定が、空港が混んでいるのかなかなか離陸せず、結局離陸したのは15時15分。
機内では、カナダ産のスナック菓子とジュースなどの飲み物が出される。飲まなかったが、もちろんキューバを代表するラム酒であるハバナクラブも用意されていた。
離陸してから50分ほどして窓の外に陸が見えてくる。そして1時間後には着陸。無事着陸すると拍手がわいた。着陸時に拍手なんて、アルメニアに行った時以来。あのときもロシア製の飛行機だった。
飛行機を降り、入国審査に行く。キューバの入国審査では泊まる場所を聞かれるので、ホテル名と住所を控えて置いた方がいいと事前情報にあった。他にもあれこれ聞かれるのかなと思い、すんなり入れそうな人のよさそうな顔の人を捜す。が、わりと若い人ばかりで似たような感じ。空いたところに入る。
20代くらいの女性で、最初スペイン語で聞かれるが、スペイン語は話せないと断ると英語に切り替わる。
パスポートとツーリストカードを渡すと、どれくらい滞在するのか、目的は何かと聞かれる。ぼくは一度ドミニカに行って、また帰ってくるので、それを説明するとなんだか難しい顔をするので、飛行機の予定表を見せる。すると、、いくらおカネを持っているかと聞いてきて、ドルでは10万円相当と言うと、なんか疑うような顔をし、ちょっと待っててと待たされる。
その人は年輩の職員の人を呼んでなにやら相談している。こんなことになるならドミニカに行くなんて言わなければ良かったと思いながら待つこと5分ほど。
呼ばれてまた行くと、キューバは初めてと聞かれ、OK
となり、"Welcome to Cuba"と言われ、通される。なので、ドアの方を向いて、歩き出すとなぜか名前を聞かれ、答えると笑顔でうなづく。なぜ聞いてきたのか謎。もしやマークされたか?
さて、次は荷物。無事、届いておりピックアップ完了。空港から中心地までのタクシー代が3000円くらいするので、その辺にいた日本人に同じ方向か聞くが、違うところばかり。しょうがないので、一人で乗ることにする。
関税の申告コーナーはあったが、素通りできるような作りだったので、素通りし外にでる。よって、メキシコの空港での翻訳作業は不要だった。
外に出たら、まず両替。45ユーロぶん替える。それからインフォメーションで地図を書う。4.9cuc=550円くらい。
タクシーは客引きがいて、英語で話しかけてくる。聞くと30CUC(クック)と言う。事前情報では25CUCまで落ちるというので、高いというと25CUCまで落ちる。
タクシー代に3000円なんて日本でも使わないけど、しょうがない。
タクシーに乗ると客引きのにいちゃんが、自分にチップをくれという。1CUCのコインを渡そうとすると、No coinという。札は5CUCしかなく、チップで500円超なんて払うかいな、と思うも、このにいちゃんもこうして何も知らなそうな客につけ込んで、あの手この手で稼いでるんだろうなと思い、5CUCを渡す。笑顔でサンキューと言って、にいちゃんはまた次の客を探しに行く。結局、30CUC払ったわけだが、おカネに余裕がなければチップなんて断っても大丈夫だし、客引きを無視して、自分でタクシーと直接交渉することもできるだろう。
あと、実はバスで市内まで行けるという情報もあったが、バス停までけっこう歩かないといけないらしく、ちょうど雨が降っていたので、これはやめた。
こっちはCUCではなく、人民ペソと訳されているキューバ人が一般に使っている通貨で1ペソなので、格安。ちなみに1CUC=24ペソ。
どういうことかというと、キューバは今、二重通貨制をとっていて、観光客=外国人が使う通貨と一般のキューバ人が使う通貨を分けている。以前は、アメリカドルとの二重通貨制だったが、それを2004年から現在のかたちにした。
ちなみにペットボトルの水1.5リットルが1.5CUC、安いホテルでも50だが、ペソが使えるところだとソフトクリームやキューバ式ハンバーガーが1ペソなど。なので、観光客向けの店で買い物をするなら、日本と物価はほとんど変わらないが、ペソを入手して、キューバ人が通常使っている店で買い物をすれば、かなり安く済む。
タクシーの運転手は40歳くらいの気のよさそうなおじさん。車はわりと新しく、音も静か。外の気温は23度となっている。空港の周りはきれいに整備されており、ちょっと那覇空港に似ている感じがした。
先ほどまでの雨はあがった。
車窓から見ての第1印象は、とにかく木が多い。人はメキシコではまず見なかったアフリカ系の人が多く、あと白人系の人も多い。アジア系の人は見た範囲では皆無。メキシコでは宮崎の友達に似ているような人が時折いたが、ここでは見ない。
古いアメ車や壊れかけのバスが、黒い排気ガスを出しながら走る。30年くらい使っているんじゃないかというなチャリに乗っている。一方でメキシコの1等クラスのきれいなバスも走っており、これは意外だった。
道路もよく振動は少ない。運転手は一言も話さない。2人のバイクがちょっとふらふらして進行の邪魔になると、右手を挙げてなにやらぶつくさ文句を言う。
葉物が植わっている畑やぼろぼろのアパート見ながら走ること20分超。ホせ・マルティのモニュメントが見え、右手に古いヨーロッパ式の街並みが見え出す。
宿の住所を運転手に渡していたので、すんなり行くかと思っていたが、細かいところがわからなかったようで、近くまで来たときに何人かに道を聞く。同じ所を2回まわる。
建物の間の道では子どもたちが上半身はだかのまま野球をしている。道ばたで野球をしている国なんて、これまで10数か国まわった中で初めて。もちろん、バットは木切れのような棒で、ボールも手作りのようなボール。まさしく日本の昭和30年か?
どうもぼくが渡していた住所の道路名がちがっていたようで、迷った末に宿があるビルに着く。運転手に25CUCを払う。
さて。入り口のドアを押したり引いたりするが、開かない。そこへ10代後半くらいの男の子が来て、開けてくれる。そして、自分はCASAの人間だという。どうもこの人の家らしい。
エレベーターに案内される。日本と違って、エレベーターのドアは二重になっていて、エレベーターそのものに付いているドアと各階の入り口のドアとがある。見た目は倉庫の入り口のようで、一瞬ほんとに動いているのだろうか疑ったが、ちゃんと動いているようだった。
押しても反応しそうにないボタン。非常ベルもあるがいざというときに使えるのかかなり怪しい。
10階に付き、エレベーターを左に出て突き当たったところが、これから泊まる宿だった。ドアが開いて、男の子の母親と思われる人が中へと案内してくれる。
ここは日本人の人が仲介している宿ということで、食卓では3人の日本人が食事をしていた。春に卒業する大学生(女)2人組と休みをとって来たという31歳の男性。
荷物を置くと、宿帳に記入するように言われる。この家の人は日本語はまったくできない上、英語もほとんどわからないよう。宿帳には日本語で記載事項が書かれてあり、番号を見るとぼくは252番目のようだ。
想像していたよりも家はきれいで広く、ものがある。奥の部屋にはパソコンが見える。部屋に案内されるとそこは日本人ばかりが泊まる部屋のようで、普通のベッドが2つと二段ベッドが一つ。計4人が泊まれ、今日はすべて埋まっている。本棚にはキューバに関する本などが20冊ほどある。
荷物を置いたら食事。これまでメキシコで多様で豪勢なものばかり食べてきたから、その質素さには少し驚く。ご飯はメキシコと同じく粘りけはなく、パサパサしている。バナナチップはポテトチップと同じように塩味になってり、最初はポテトチップかと思って食べていたほど。
食事後、部屋に戻る。10階ということで、部屋の窓からはハバナのまちが見える。見える明かりはアパートの部屋の明かりとライトアップされた教会らしき建物など、200万都市の中心部ということを考えれば、食らい方だろう。
シャワーはユニットバスのようになっていて、風呂桶の中で浴びる。メキシコでも宿によってはお湯がにくかったが、ここはお湯らしいお湯がでない。はっきり言えばそんなに冷たくない水。水量もメキシコと比べると少なく、弱い。石鹸は付いていたので、それを使う。
時計を見ると、9時。今日、着いたばかりという男性は寝てしまう。
部屋にあった情報ノートを読むと、あるわあるわ被害事例。バスに乗ってたら、背中に背負ってたリュックのチャックを開けられて何かを取られたとか、親しげに話しかけてきたキューバ人に第3の通貨があって、それを使った方が得だと言われ、その言葉を信じて両替したらただの人民ペソで、それで5万くらい損したとか。やっぱり日本人はやらかしています。スリにやられるならともかく第三の通貨なんて・・・、相手方もよく考えましたなぁ。そんなことでだませると見切られているのが、なんとも悲しいところで。
ここの宿はこの家のパソコンを使ってネットができる。日本語の読み書きができる環境も整備済み。料金は1時間4CUCとメキシコの5倍。日本のネット喫茶よりも高い。スピードはダイアルアップで遅いと聞いていたが、そんなこともなくADSLよりちょっと遅いくらい。最初に使用時間を聞かれ、その時間に合わせて手動式のタイマーがまわされる。だから、ネットをしている間中、チッチッチと時を刻む音が聞こえてくる。そして、時間になったらジリリリンとなり、その音を聞いて宿主が止めに来る。代金は最後に払うようだ。
ネットをした後、本を読んだり、部屋の人としゃべってたりしたら夜中まで起きていていた。カンクンと違って、気温も26度ほどと眠りやすい。窓は全開だが、蚊もいないので、久しぶりに気持ちよく眠ることができたのでした。
2008年2月21日木曜日
キューバ到着
どうも。
キューバはハバナの宿です。
詳細は別途書くとして、とりあえず到着のご報告です。
現在、ハバナは2月20日の夜8時20分。先ほど食事しましたが、
リビングのテレビではカストロの引退に関するテレビ討論みたいな
番組をしていました。
ちなみに、泊まっているのは政府公認の民宿でCASAと一般に呼ばれて
いるものです。
到着時、雨が降っていたこともあってカンクンよりもこちらのほうが
涼しいですね。タクシーの温度計は23度でした。
メキシコと違って、やはりアフリカ系の人が多く、キューバに来たって感じですね。
写真は乗った飛行機と空港から宿までのタクシーの中で撮ったものです。



着いたばかりの空港の景色


カストロのバッティングフォーム



今晩のご飯。
黒豆ご飯(塩味つき)、バナナフライ(ポテトチップとほぼ同じ味)、豚肉のソテー、ニンジン、サラダ
キューバはハバナの宿です。
詳細は別途書くとして、とりあえず到着のご報告です。
現在、ハバナは2月20日の夜8時20分。先ほど食事しましたが、
リビングのテレビではカストロの引退に関するテレビ討論みたいな
番組をしていました。
ちなみに、泊まっているのは政府公認の民宿でCASAと一般に呼ばれて
いるものです。
到着時、雨が降っていたこともあってカンクンよりもこちらのほうが
涼しいですね。タクシーの温度計は23度でした。
メキシコと違って、やはりアフリカ系の人が多く、キューバに来たって感じですね。
写真は乗った飛行機と空港から宿までのタクシーの中で撮ったものです。
着いたばかりの空港の景色
カストロのバッティングフォーム
今晩のご飯。
黒豆ご飯(塩味つき)、バナナフライ(ポテトチップとほぼ同じ味)、豚肉のソテー、ニンジン、サラダ
2008年2月20日水曜日
これからキューバへ
今、カンクンは2月20日の朝の8時です。
今日の14時半の飛行機で、キューバはハバナ行きます。
1時間30分ほどのフライトで、今日の夕方17時くらいにはハバナに着きます。
ところで昨日、カストロが政治的な地位から退位したというニュースがありましたが、
キューバから帰ってきた人の話では、キューバ人の何人かがカストロが死んだと言っていたそうです。
別のキューバ人はそんなこと知らないとも言っていたそうで、真偽は怪しいです。
一般に流れているニュースを見る限りではまだ死んだというニュースはないですよね?
2週間ほどキューバにいる予定なので、もしかしたら何かがあるかもしれませんね。
では。
今日の14時半の飛行機で、キューバはハバナ行きます。
1時間30分ほどのフライトで、今日の夕方17時くらいにはハバナに着きます。
ところで昨日、カストロが政治的な地位から退位したというニュースがありましたが、
キューバから帰ってきた人の話では、キューバ人の何人かがカストロが死んだと言っていたそうです。
別のキューバ人はそんなこと知らないとも言っていたそうで、真偽は怪しいです。
一般に流れているニュースを見る限りではまだ死んだというニュースはないですよね?
2週間ほどキューバにいる予定なので、もしかしたら何かがあるかもしれませんね。
では。
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