ハラレの市場をぶらり、ルサカへ
08/09/09(火) 晴れ 日中20℃台後半
[Harare:Zimbabwe→Lusaka:Zambia]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記。)
闇:1米ドル=350新Zドル
銀行:1米ドル=45新Zドル
朝は昨日と同じく涼しかった。半袖でちょうどいいくらい。蚊がいないのも助かる。
起床後しばらく日記書き。
チェックアウト時間の9時半前に荷物を整理して、受付にリュックなどを持っていき、夕方まで預かってもらうよう頼む。
それから町中のムバレバスターミナルに向かうバスが出ている乗り場に向かう。ムバレバスターミナルは、ガイドブックによれば中心部から歩いて1時間以上かかる郊外にある。そこからジンバブエ国内各地へのバスが出ており、またターミナル周辺には市場があるとのことだった。目的はその市場を見ること。
トヨタのハイエースなどを改造した大型ワゴンのミニバスを探す。道を歩いていると車の中から「ムバレ、ムバレ」と叫ぶ声がする。ここのミニバスも運転手と客引き兼集金係の2人体制のよう。あるバスに乗る。例のごとく、客席が埋まるまで発車しようとしない。9割方は埋まっているから出てもいいようなものなのだが、運転手よりも客引き係のにいちゃんが車を出させない。
やっと走り出したかと思えば、また止まり後ろから同じようなバスに次々と追い越される。席は1人ぶんくらいしか空いていないし、歩道にバス待ちをしている人もいない。
あまりに進まないのに怒った客が2~3人文句を言いながら降りようと腰を上げる。が、客引きはそれを制止して車を発車させる。しばらく車内で口喧嘩。まぁ、当たり前だ。他に選べる車はいくらでもある。車の持ち主の勝手につきあう必要はない。
線路の下をくぐって向こう側へ出る。しばらくすると左手にでかい空き地が見え、そこを横切って歩く人たちがいた。どうもまちなかからターミナルへと歩いている人たちのよう。空き地の奥には古いコンクリート造りのアパート街が見える。中心部と違って、ごみがあちこちに落ちている。
そこから5分ほどで目的地のムバレバスターミナルに到着。意外に早かった。
運賃は200新ジンバブエドル(約70円)。一緒の車に乗っていた女性2人組は、二人ぶんの運賃を30枚くらいのお札と50枚はありそうなコインで払おうとして拒否されていた。大きい金額の新札で払えと車の人は言っているようだが、彼女らが持っていた新札は1ジンバブエドルの束。帯がされているから銀行ででもおろしたのだろう。1束おそらく100ジンバブエドルの束を3つ持っていたが、それじゃ足りない。最後までやりとりを見ていなかったので、どうなったかはわからない。なおコインはほとんど見ないので、すでに価値がほとんどなくなったのだろう。
ムバレバスターミナルは屋外型のターミナルで、広い駐車場にそれぞれ行き先の買いた看板が立てられているだけだった。物売りの人たちがバスの周りに集まり商売している。ここならまちなかよりもちょっとは飲み物が安いかと思って、300mlのコーラなどを売っている女性に値段を聞いたところ答えは600新ジンバブエドル(約180円)。まちなかと変わらない。高い!
ターミナル横にはジンバブエでよく見るOKスーパーがあった。ここも他の店舗と同じく物がほとんどない。ただムタレでは店頭で見ることがなかった砂糖が売られていた。2kg700ジンバブエドル(約200円)。ちなみに塩はその半額程度。
スーパー以外にもまわりには商店があったので、安い水を探してまわってみる。個人商店にはそこそこ物はあるが、やっぱり高い。750mlの水が700ジンバブエドル(約200円)で売っていたので、思い切って買う。まちなかでは900くらいしたので、ちょっとは安い。
それから近くの市場に行く。コンクリートブロックの塀に囲われた市場は碁盤上に店が並んでいた。どの店も木材で簡単に作っただけのところが多い。買い物客と野菜などを搬入する人でごったがえしている。50m×50mほどの敷地の中に野菜や果物屋、洋服屋、食器屋などが集まっていて、物は十分にある。おそらく平常時と変わらないくらい。
野菜で言うと大きなキャベツがあふれており、トラックの荷台からどんどん店に運ばれてる。トマト、オレンジ、グリーンピース、ジャガイモ、バナナもふんだんにある。ぐるっと一回りして、レモンが安かった店でレモンを買う。6個入りで100ジンバブエドル。まちなかでは1個50ジンバブエドルだったので格安。これでまたレモンジュースを作って飲むのである。
食堂も数軒あって、やはりまちなかよりも安い。サザ&シチューという具に肉が入っているものはまちなかでは700ジンバブエドル以上したが、ここでは400ジンバブエドルで食べられるところがあった。ただ今夜は長距離バスなので食事はせず。
市場のまわりの路上も物売りの人が並び、ビニール袋や砂糖などを売っている。
市場の近くにあったゴミ捨て場には、まだ食べられそうな野菜のかけらを探して、ゴミを漁っている人が2~3人ほどいた。
1時間ほどぶらついて後に歩いてまちなかに戻ることにする。街までの道にもバナナ売りや食器売り、ドーナツ売りの人たちがいる。その中にアイス売りの人もいたので買ってみる。棒アイスではなく、コーンに1リットルサイズのでかいアイスからスプーンで盛るスタイル。意外に買っている人は多い。道ばたで売っているので、冷凍庫や保冷庫を持っているわけではないから、アイスはだいぶとろとろに溶けている。
結局まちなかまでは1時間もかからず到着。ベンチがあって休めるイーストゲートのショッピングセンターに行って一時休憩。
途中、新聞を買おうかと思ったらこの間買ったときには250ジンバブエドルだった同じ新聞が500ジンバブエドルになっていた。週末版ということでこの間買ったのが安かったのか、それとも値上がりしたのかはわからない。ジンバブエドルが少なくなってきていたので、結局新聞は買わず。一面に南アフリカのムベキ大統領とムガベ大統領が話し合いを始めるというような記事があったので気になったのだが。
それから同じくここまでの途中で通ったスーパーにはビールを買う人でごったがえしていたスーパーがあった。瓶ビールを一人何本も持って買い占めている人が数十人。いくらするのかとスーパーをのぞいたがすでに商品はなかった。
それにしても新聞が500ジンバブエドル(約150円)、パンが500ジンバブエドルなんて高すぎる。みんなどうやって生活しているのか不思議だ。いくら金持ちの人でもこのハイパーインフレはここ数年続いているのだから超大金持ち(外貨持ち)でもなければ、そんなに余裕はないはず。もしかしてぼくの両替レートは外国人向けでジンバブエ人同士では1米ドル=500ジンバブエドルくらいでやりとりしているんじゃないかとも推測してしまう。
一方で市場にはきちんと商品がある。地方では飢餓に陥る危険性もあるという報道があったが、市場を見ただけではそんなことが起こっているとは思えないくらい野菜などは豊富だった。
14時前に宿に戻り、宿の庭のベンチでしばらくすごす。なんだか無性に喉が乾いてきて、手持ちの飲み物では足りなくなった。ジンバブエドルもあと少ししかなかったから我慢するつもりだったが、どうしても喉が乾くので近くのショッピングセンターに行く。スパーには瓶入りのサイダー水が売られていて、それは1リットル480ジンバブエドル(約180円)と安かった。炭酸嫌いだし、炭酸水はまずいから普段は飲まないのだが、この際、手持ちのジンバブエドルで買えるのはこれしかないので、炭酸水を購入。店の人に代わりの瓶を置いて行けと言われるが、すぐにペットボトルに入れ替えて持ってくると伝える。
店の近くで炭酸水を飲む。飲んだ後、瓶を見ると水の中にセロハンテープのかけらのようなものが入っていることに気づく。せっかくカネを出して買ったのに水の中にゴミみたいなのが浮いているなんて、ろくでもないな。取り替えようにも一度開けてしまったからどうせ無理だろう。まぁ、炭酸水だし、これで腹を壊すことはなかろうと飲む。
あっと言う間に半分以上飲み干すと、なんだか体が楽になったような感じがした。
残りはペットボトルに詰め替え、瓶を店に返し、宿に戻る。
暗くなる前にと16時過ぎに宿から荷物を受け取り、歩いてロードポートという国際バスのターミナルに向かう。宿から1本道を500mほど歩くだけ。以前は治安が悪かったというこの通りだが、警官や軍人がたまにいるので、少し安心。
無事、ロードポートに着き、あとはベンチに座って出発の時間を待つ。さすがに国際バスのターミナルということで立派な建物があってベンチも屋内。だが、建物の外にもいっぱい人がいた。
ケープタウンで同じ宿だった日本人と交換でもらった馳星周の『虚の王』を読む。現代の渋谷に生きる若者がテーマ。まぁまぁ。
ターミナル内には電光掲示板も案内放送もないので、自分で自分が乗るバスを確認しないといけない。乗り場は1カ所しかないので、確認は楽。19時半頃、そろそろバスの準備ができただろうと思い、乗り場に行ってバスを探すとあった。すでに乗り込んでいる客もいる。
さっそくぼくもリュックを背負って乗り込む。
20時出発予定だったが、20時半頃バスは発車。その後、途中で客を乗せながら行く。
室内の電気が消えるとすぐに眠くなり、眠る。隣には誰も座っていないが、リュックを中に持ち込むよう言われ、それを隣に置いてあるから横にはなれなかった。暖房もなにもついていないが、寒くはない。
Fin
2008年12月30日火曜日
[diary]ハラレのまちをぶらり
ハラレのまちをぶらり
08/09/08(月) 晴れ 日中20℃台後半
[Harare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=350新Zドル
銀行:1米ドル=45新Zドル
・宿替えならず
・闇両替
・ルサカ行きバスチケット購入
・ハラレ中心街
・水を探して
・銀行の行列
6時頃起床。小鳥の声が聞こえる。
扇風機も暖房もない部屋だったが、布団をかぶれば気温はちょうどよく、ゆっくり眠れる。
昨日1000ジンバブエドル(約350円)で買った2リットルのペットボトルの水を飲む。やっぱり黴(かび)臭い。高かったのにこれでは念のため買い換えないといけない。
9時くらいまで日記書きをしていて、思い立って宿の人にチェックアウトの時間を聞くと9時半というので、あわてて荷物をまとめチェックアウトする。この宿の左斜め前の宿が、今日はシングルが空くと言っていたからそちらに宿替えするのである。こことそちらとはシングルは同じ値段のため、より施設が整っているそちらの宿に移ろうと思ったのだ。
50mほど歩いてそちらの宿に行き、受付の人にシングルはあるかと聞くと、なんとfullだと言う。昨日は空いていたダブルも同じらしい。受付は昨日とは違う人。昨日シングルが空くと聞いたと伝えても事態が好転するわけがなく、とぼとぼと宿を出る。
しょうがないので、ガイドブックに載っている別の宿に行く。そこも10年前だと10米ドル程度のようだった。300mほど離れたその宿Sable Lodgeに行ってみると、豪邸を改造した宿で水は張られていないけどプール付き。なかなかきれい。受付の女性にシングルはいくらかと尋ねると”Thirty(30)"と言う。これがThirty trillion"なら昨晩泊まった宿と同じ値段。念のため確認してみると単位はなんと"US Dollar"。えっ?と思って再度確認するが、やっぱり30米ドルと言う。んなの泊まれるか!!というわけで、そこもだめ。
近くではもう1軒候補があった。PawPaw Lodgeという宿で一時はアフリカの三大日本人宿と知られ、多くの旅人を沈没させた宿だ。『旅行人』やネット上の情報によれば1泊3米ドル。しかし、ここは泥棒が多く、情報ノートなども昨晩泊まった宿の向かいにあるPalm Rock Villaという宿に移されていた。というわけでセキュリティに不安があるので、ここは直接行くことなく、却下。
結局、元の宿に戻る。受付に行ってもう一晩泊まると言うと"No problem"と言って今朝まで使っていた部屋に通してくれる。だが、この部屋はなんと窓に鍵がなく、鉄格子もないから簡単に侵入できる。今朝これに気づき、これが宿替えの一つの要因でもあったのだが、さすがに気づいてしまうと荷物を置いておくのは不安なので、部屋の変更をお願いする。
最初は、ここしかシングルはないと言っていたが、30秒ほどで33号室に行ってみてと言う。そちらは窓に鉄格子があり、鍵もちゃんとかかる。なので、こちらに荷物を置いてまちに出る。
昨日両替した20米ドルぶんのジンバブエドルは、宿代と水代、ご飯代ですでにほとんどなくなった。よって、両替しなければならない。まちをぶらぶら歩いていれば声をかけられるだろうと思い、とりあえず気になるところを歩いてまわることにする。
まずは宿から近いところにあるFive Ave Shopping Centerへ。ここにはSuperSparというムタレにもあった高級スーパー(カフェを併設)とOKという普通のスーパー、さらに個人商店の八百屋が2軒、酒屋が1軒、中華料理のテイクアウトの店が1軒、さらにブックカフェという文化系イベントをやっている店などがあった。
店のまわりの路上には食パンや生卵、バナナ、テレフォンカード、野菜・果物(トマト、青奈、レモン、リンゴなど)を売っている人たちがいる。
OKスーパーはムタレのそれと同じく、ほとんど商品はなかった。全部合わせても20点ほど。冷蔵庫や冷凍庫はほぼ空っぽ。棚も10本ほどあるうちの1本くらいしか使われていない。一方のSparは、ほとんどの棚に商品がある。これもムタレのそれと同じ。だが、とても買える値段ではない。ペットボトルの水は約4500ジンバブエドルと闇両替のレート(1米ドル=350ジンバブエドル)で換算しても1500円ほどする。アイス1リットルはその2倍ほどの値段。パンなどは500~1000ジンバブエドル。ジンバブエ産のワイン750mlは9万ジンバブエドル。バナナは800Zドル/kg。などなど。日本と同じか物によってははるかに高い。それでもそこそこ客は入っていて、高いペットボトルの水などを買っていく人もいる。が、どの人も買い物かごに入れる商品は10点以下。
個人商店の方が野菜や果物の種類や在庫が多く、値段もちょっと安い。食パン1斤が500ジンバブエドル(約170円)。だが、ペットボトル入りの水は500mlリットルが900ジンバブエドル(約300円)。2リットルは2500ジンバブエドル(約800円)など、飲み物は高い。1泊の宿代と水2リットルがほとんど同じ値段なのに驚く。
それからつらつらと道を歩き、中心部に向かう。車道の両脇に植えられている木々は、わさわさと生い茂っていて、陽にあたると緑がなかなか美しい。あと紫色の花を咲かせている木もあって、これもなかなか美しい。
さすがに首都だけあって、スーツ姿の人が男女とも多い。
一昨日買った新聞にハラレで国際映画祭が開催されているとあったので、その詳しい情報をもらいにインフォメーションに行ってみるが、窓口の人は知らず。
のどが渇いてきたので、町中を歩きながら安い水を探すが、どこも値段はさっきと同じようなもの。水よりもオレンジジュースの方が若干安く2リットルで1700ジンバブエドルというところがあった。
歩いていても場所が悪いのか、両替屋の声がかからないので、これでは宿で両替してもらった方が早いなと思い宿に戻る。途中、昨日水を買ったガソリンスタンド併設の店に行くと、昨日は10本ほどあった2リットルの水はきれいになくなっていた。売れたのかそれとも廃棄されたのか。
その店を出たときにガソリンスタンドのスタッフの男が、両替をもちかけてくる。レートを聞くと1米ドル=250ジンバブエドル。話にならないので断る。
宿に戻って受付で両替をお願いする。昨日と同じように窓口の女性は1人のおじさんを呼び、その人に両替を頼む。今日も昨日と同じように"How much your rate?"と聞かれる。昨日は1米ドル=300ジンバブエドルだったのだが、ムタレの宿の人の話では月曜になるとレートが上がると言っていた。しかも今回は50米ドルぶん両替するので、400と行きたかったがさすがにそれは無理そうだったので350でお願いする。おじさんはすぐ戻ってくるからと宿を出ていく。
宿の前で瓶入りのジュース300mlを売っていたので買う。1本600ジンバブエドルのところを500ジンバブエドルにしてもらう。それでも200円近く。ガーナでは同じ物が30円くらいだったのに。
20分ほどでおじさんが戻ってくる。受付のおばさんにおじさんはお金を渡し、受付のおばさんが確認した後にぼくに回ってくる。札を数えてみると言い値で両替できていた。
やっとお金が手元に入ったので、まずはバスのチケットを買いに行く。宿の横のFifth streetをまっすぐ歩いてRoad portという国際バスの発着ターミナルに行く。この周りで数人両替を誘って来る人あり。しかし、警官も数人あり。
ザンビアの首都ルサカに行くバスのチケットを買う。昨日、聞いたときは午後2時発で5000ジンバブエドルと言っていたのに、今日聞くと夜の8時発で8000ジンバブエドルという。おかしいなと思いつつも見る限り、ルサカに行くバスを出しているのは1社しかないので、8000ジンバブエドル(約2300円)を払う。このとき最初に明日ルサカに行くと言っているのに、今日の乗客名簿にぼくの名前を書くので、わざわざそれを指摘し、明日の名簿を新しく用意してもらい、そこに書き込むのを確認。今日でも空きがあったようなので、宿代を払う前だったら今日出発でも良かったのだが、タイミングが悪かった。
それからまた市街地に行く。さすがに一時はその経済的な成功がアフリカの模範とされた国の首都だけあって、市街地はよく整備されている。内戦があったとはいえモザンビークとは比較にならないくらい。ガーナのアクラよりも都市的。
East Gateという珍しい様式のごついショッピングセンターがあり、その中のファストフード店にはそこそこ客が入っている。一番安くてサザ料理が1500ジンバブエドルほど。
また高層ビルが10棟以上立ち並び、ヨーロッパ風の古い建築もきれいに残され、現在も使われている。
通りにはスーパーが何軒もあり、ファストフード店も目に付く。First Streetは歩行者天国になっており、そこに化粧品店や洋服屋、デパートなどが集まっている。ファーストストリートを中心に半径200~300mほどが中心市街で、そこにギュッと店が集まっている。
スーパーはいわゆるチェーン店には物がない。が、個人商店にはそこそこある。ケンタッキーもあったが、中は厨房もふくめがらがら。ほとんど開店休業状態。食事ができる露店はない。道を歩きながら物を売っている人は多い。売っているのは飴玉、ジュース、新聞、バナナなど。
銀行のATMには行列ができており、ところによっては100人以上が並んでいるところもある。
ストリートチルドレンが10人ほど、ホームレスの男性が3~5人。経済危機下の首都としては少ないように感じる。
絵はがきを探してまわるが、7軒ほどの本屋をまわってあったのが2軒だけでどちらもあまりよくないものばかり。が、選択肢がないので適当に購入。1枚100ジンバブエドル(約30円)。郵便局で買った日本までの切手はなんとはがき代の7倍の700ジンバブエドル(約200円)だった。銀行のレートで言えば1500円ほどもする。
飲み物を探して歩くがなかなか昨日の水のように2リットル1000ジンバブエドルというのがない。すでに3時間ほど歩いていたので、オレンジジュース2リットル1500ジンバブエドル(約450円)を見つけたときにそれを購入。
また、昼も過ぎたので朝飯と兼ねて食事をする。いわゆるファストフード店では1000ジンバブエドルを下ることはないが、個人商店的ファストフード店だとサザ料理が500~800ジンバブエドルほどだった。具によって値段が違っており、肉が入るのはたいて700ジンバブエドル以上。サザ&ビーンズやサザ&ベジタブルが500ジンバブエドル程度。
ぼくは500ジンバブエドルのサザ&ビーンズを食べる。例のごとくみな手づかみで食べるのだが、これまた例のごとくサザは手でつかむには熱すぎる。みな平気な顔をして手でつかんでいるのだが、ぼくにはとても握れない。店の人にフォークを頼むが、ないと一掃され、しょうがないので冷ましながら手づかみで食べることに。
前の人がちょっとだけ食べ残したのを発見したストリートチルドレンの男の子が店の中に入ってきて、その残りを手でつかみ、口に放り込む。レジの女性がオッォオーと注意するが、あまり咎めるような口調ではない。その男の子は数分後、水をもらいに店に来て、水を飲んで行ったからすでになじみの"客”なのだろう。
食事後、またぶらぶら見て回る。首都だけあって人通りは多く、みなの服装もきれい。白人やアジア系、アラブ系の人は道を歩く人の中にはほとんどみない。アラブ系やインド系の人は商店を持っていて、そこに行くといたりする。
中国系の人がけっこう住んでいると聞いていたのだが、中国語の看板は見なかった。
ネット屋は10分150ジンバブエドルというところが多い。20分で100円なんて日本並だ。しかし、不思議なことにこれがけっこう繁盛していて、席はだいたい埋まっている。
16時近くまで歩き、その後、宿に戻る。もう一度ファイブアヴェニューのショッピングセンターに行き、水の値段を確認。やっぱり買える値段ではなかった。道ばたで野菜を売っていたおばちゃんからレモンを買う。レモンが1個50ジンバブエドル(約15円)。トマトを売っていたので、それを買おうかとも迷ったが、ちょっと熟しすぎているようだったので敬遠した。
宿に戻って買ってきたレモン4個を絞ってレモンジュースを作る。これに蜂蜜があれば完璧なのだけどなぁ、と昨日ハラレに来る途中の道で売っていた蜂蜜を思い出す。
新しく移った部屋は黴臭くもなくてなかなかいいのだが、なんとコンセントがあるのに使えなかった。がっくり。廊下でしばらく充電。
その後、部屋で今後のルートについて考える。ザンビアから鉄道に乗って一気にタンザニアに行くか、ザンビアからクロコダイルのステーキやカバを食べにマラウイに行ってからタンザニアに行くか迷う。マラウイはビザ代がかからないのが魅力なのだが、『ロンプラ』を見ていると国境越えがけっこう乗り継ぎをしないとだめでめんどくさそう。そのぶんカネもかかりそう。迷う。
明日は長距離夜行バスに乗ることもあり、夜食はなし。
寝る。
Fin
08/09/08(月) 晴れ 日中20℃台後半
[Harare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=350新Zドル
銀行:1米ドル=45新Zドル
・宿替えならず
・闇両替
・ルサカ行きバスチケット購入
・ハラレ中心街
・水を探して
・銀行の行列
6時頃起床。小鳥の声が聞こえる。
扇風機も暖房もない部屋だったが、布団をかぶれば気温はちょうどよく、ゆっくり眠れる。
昨日1000ジンバブエドル(約350円)で買った2リットルのペットボトルの水を飲む。やっぱり黴(かび)臭い。高かったのにこれでは念のため買い換えないといけない。
9時くらいまで日記書きをしていて、思い立って宿の人にチェックアウトの時間を聞くと9時半というので、あわてて荷物をまとめチェックアウトする。この宿の左斜め前の宿が、今日はシングルが空くと言っていたからそちらに宿替えするのである。こことそちらとはシングルは同じ値段のため、より施設が整っているそちらの宿に移ろうと思ったのだ。
50mほど歩いてそちらの宿に行き、受付の人にシングルはあるかと聞くと、なんとfullだと言う。昨日は空いていたダブルも同じらしい。受付は昨日とは違う人。昨日シングルが空くと聞いたと伝えても事態が好転するわけがなく、とぼとぼと宿を出る。
しょうがないので、ガイドブックに載っている別の宿に行く。そこも10年前だと10米ドル程度のようだった。300mほど離れたその宿Sable Lodgeに行ってみると、豪邸を改造した宿で水は張られていないけどプール付き。なかなかきれい。受付の女性にシングルはいくらかと尋ねると”Thirty(30)"と言う。これがThirty trillion"なら昨晩泊まった宿と同じ値段。念のため確認してみると単位はなんと"US Dollar"。えっ?と思って再度確認するが、やっぱり30米ドルと言う。んなの泊まれるか!!というわけで、そこもだめ。
近くではもう1軒候補があった。PawPaw Lodgeという宿で一時はアフリカの三大日本人宿と知られ、多くの旅人を沈没させた宿だ。『旅行人』やネット上の情報によれば1泊3米ドル。しかし、ここは泥棒が多く、情報ノートなども昨晩泊まった宿の向かいにあるPalm Rock Villaという宿に移されていた。というわけでセキュリティに不安があるので、ここは直接行くことなく、却下。
結局、元の宿に戻る。受付に行ってもう一晩泊まると言うと"No problem"と言って今朝まで使っていた部屋に通してくれる。だが、この部屋はなんと窓に鍵がなく、鉄格子もないから簡単に侵入できる。今朝これに気づき、これが宿替えの一つの要因でもあったのだが、さすがに気づいてしまうと荷物を置いておくのは不安なので、部屋の変更をお願いする。
最初は、ここしかシングルはないと言っていたが、30秒ほどで33号室に行ってみてと言う。そちらは窓に鉄格子があり、鍵もちゃんとかかる。なので、こちらに荷物を置いてまちに出る。
昨日両替した20米ドルぶんのジンバブエドルは、宿代と水代、ご飯代ですでにほとんどなくなった。よって、両替しなければならない。まちをぶらぶら歩いていれば声をかけられるだろうと思い、とりあえず気になるところを歩いてまわることにする。
まずは宿から近いところにあるFive Ave Shopping Centerへ。ここにはSuperSparというムタレにもあった高級スーパー(カフェを併設)とOKという普通のスーパー、さらに個人商店の八百屋が2軒、酒屋が1軒、中華料理のテイクアウトの店が1軒、さらにブックカフェという文化系イベントをやっている店などがあった。
店のまわりの路上には食パンや生卵、バナナ、テレフォンカード、野菜・果物(トマト、青奈、レモン、リンゴなど)を売っている人たちがいる。
OKスーパーはムタレのそれと同じく、ほとんど商品はなかった。全部合わせても20点ほど。冷蔵庫や冷凍庫はほぼ空っぽ。棚も10本ほどあるうちの1本くらいしか使われていない。一方のSparは、ほとんどの棚に商品がある。これもムタレのそれと同じ。だが、とても買える値段ではない。ペットボトルの水は約4500ジンバブエドルと闇両替のレート(1米ドル=350ジンバブエドル)で換算しても1500円ほどする。アイス1リットルはその2倍ほどの値段。パンなどは500~1000ジンバブエドル。ジンバブエ産のワイン750mlは9万ジンバブエドル。バナナは800Zドル/kg。などなど。日本と同じか物によってははるかに高い。それでもそこそこ客は入っていて、高いペットボトルの水などを買っていく人もいる。が、どの人も買い物かごに入れる商品は10点以下。
個人商店の方が野菜や果物の種類や在庫が多く、値段もちょっと安い。食パン1斤が500ジンバブエドル(約170円)。だが、ペットボトル入りの水は500mlリットルが900ジンバブエドル(約300円)。2リットルは2500ジンバブエドル(約800円)など、飲み物は高い。1泊の宿代と水2リットルがほとんど同じ値段なのに驚く。
それからつらつらと道を歩き、中心部に向かう。車道の両脇に植えられている木々は、わさわさと生い茂っていて、陽にあたると緑がなかなか美しい。あと紫色の花を咲かせている木もあって、これもなかなか美しい。
さすがに首都だけあって、スーツ姿の人が男女とも多い。
一昨日買った新聞にハラレで国際映画祭が開催されているとあったので、その詳しい情報をもらいにインフォメーションに行ってみるが、窓口の人は知らず。
のどが渇いてきたので、町中を歩きながら安い水を探すが、どこも値段はさっきと同じようなもの。水よりもオレンジジュースの方が若干安く2リットルで1700ジンバブエドルというところがあった。
歩いていても場所が悪いのか、両替屋の声がかからないので、これでは宿で両替してもらった方が早いなと思い宿に戻る。途中、昨日水を買ったガソリンスタンド併設の店に行くと、昨日は10本ほどあった2リットルの水はきれいになくなっていた。売れたのかそれとも廃棄されたのか。
その店を出たときにガソリンスタンドのスタッフの男が、両替をもちかけてくる。レートを聞くと1米ドル=250ジンバブエドル。話にならないので断る。
宿に戻って受付で両替をお願いする。昨日と同じように窓口の女性は1人のおじさんを呼び、その人に両替を頼む。今日も昨日と同じように"How much your rate?"と聞かれる。昨日は1米ドル=300ジンバブエドルだったのだが、ムタレの宿の人の話では月曜になるとレートが上がると言っていた。しかも今回は50米ドルぶん両替するので、400と行きたかったがさすがにそれは無理そうだったので350でお願いする。おじさんはすぐ戻ってくるからと宿を出ていく。
宿の前で瓶入りのジュース300mlを売っていたので買う。1本600ジンバブエドルのところを500ジンバブエドルにしてもらう。それでも200円近く。ガーナでは同じ物が30円くらいだったのに。
20分ほどでおじさんが戻ってくる。受付のおばさんにおじさんはお金を渡し、受付のおばさんが確認した後にぼくに回ってくる。札を数えてみると言い値で両替できていた。
やっとお金が手元に入ったので、まずはバスのチケットを買いに行く。宿の横のFifth streetをまっすぐ歩いてRoad portという国際バスの発着ターミナルに行く。この周りで数人両替を誘って来る人あり。しかし、警官も数人あり。
ザンビアの首都ルサカに行くバスのチケットを買う。昨日、聞いたときは午後2時発で5000ジンバブエドルと言っていたのに、今日聞くと夜の8時発で8000ジンバブエドルという。おかしいなと思いつつも見る限り、ルサカに行くバスを出しているのは1社しかないので、8000ジンバブエドル(約2300円)を払う。このとき最初に明日ルサカに行くと言っているのに、今日の乗客名簿にぼくの名前を書くので、わざわざそれを指摘し、明日の名簿を新しく用意してもらい、そこに書き込むのを確認。今日でも空きがあったようなので、宿代を払う前だったら今日出発でも良かったのだが、タイミングが悪かった。
それからまた市街地に行く。さすがに一時はその経済的な成功がアフリカの模範とされた国の首都だけあって、市街地はよく整備されている。内戦があったとはいえモザンビークとは比較にならないくらい。ガーナのアクラよりも都市的。
East Gateという珍しい様式のごついショッピングセンターがあり、その中のファストフード店にはそこそこ客が入っている。一番安くてサザ料理が1500ジンバブエドルほど。
また高層ビルが10棟以上立ち並び、ヨーロッパ風の古い建築もきれいに残され、現在も使われている。
通りにはスーパーが何軒もあり、ファストフード店も目に付く。First Streetは歩行者天国になっており、そこに化粧品店や洋服屋、デパートなどが集まっている。ファーストストリートを中心に半径200~300mほどが中心市街で、そこにギュッと店が集まっている。
スーパーはいわゆるチェーン店には物がない。が、個人商店にはそこそこある。ケンタッキーもあったが、中は厨房もふくめがらがら。ほとんど開店休業状態。食事ができる露店はない。道を歩きながら物を売っている人は多い。売っているのは飴玉、ジュース、新聞、バナナなど。
銀行のATMには行列ができており、ところによっては100人以上が並んでいるところもある。
ストリートチルドレンが10人ほど、ホームレスの男性が3~5人。経済危機下の首都としては少ないように感じる。
絵はがきを探してまわるが、7軒ほどの本屋をまわってあったのが2軒だけでどちらもあまりよくないものばかり。が、選択肢がないので適当に購入。1枚100ジンバブエドル(約30円)。郵便局で買った日本までの切手はなんとはがき代の7倍の700ジンバブエドル(約200円)だった。銀行のレートで言えば1500円ほどもする。
飲み物を探して歩くがなかなか昨日の水のように2リットル1000ジンバブエドルというのがない。すでに3時間ほど歩いていたので、オレンジジュース2リットル1500ジンバブエドル(約450円)を見つけたときにそれを購入。
また、昼も過ぎたので朝飯と兼ねて食事をする。いわゆるファストフード店では1000ジンバブエドルを下ることはないが、個人商店的ファストフード店だとサザ料理が500~800ジンバブエドルほどだった。具によって値段が違っており、肉が入るのはたいて700ジンバブエドル以上。サザ&ビーンズやサザ&ベジタブルが500ジンバブエドル程度。
ぼくは500ジンバブエドルのサザ&ビーンズを食べる。例のごとくみな手づかみで食べるのだが、これまた例のごとくサザは手でつかむには熱すぎる。みな平気な顔をして手でつかんでいるのだが、ぼくにはとても握れない。店の人にフォークを頼むが、ないと一掃され、しょうがないので冷ましながら手づかみで食べることに。
前の人がちょっとだけ食べ残したのを発見したストリートチルドレンの男の子が店の中に入ってきて、その残りを手でつかみ、口に放り込む。レジの女性がオッォオーと注意するが、あまり咎めるような口調ではない。その男の子は数分後、水をもらいに店に来て、水を飲んで行ったからすでになじみの"客”なのだろう。
食事後、またぶらぶら見て回る。首都だけあって人通りは多く、みなの服装もきれい。白人やアジア系、アラブ系の人は道を歩く人の中にはほとんどみない。アラブ系やインド系の人は商店を持っていて、そこに行くといたりする。
中国系の人がけっこう住んでいると聞いていたのだが、中国語の看板は見なかった。
ネット屋は10分150ジンバブエドルというところが多い。20分で100円なんて日本並だ。しかし、不思議なことにこれがけっこう繁盛していて、席はだいたい埋まっている。
16時近くまで歩き、その後、宿に戻る。もう一度ファイブアヴェニューのショッピングセンターに行き、水の値段を確認。やっぱり買える値段ではなかった。道ばたで野菜を売っていたおばちゃんからレモンを買う。レモンが1個50ジンバブエドル(約15円)。トマトを売っていたので、それを買おうかとも迷ったが、ちょっと熟しすぎているようだったので敬遠した。
宿に戻って買ってきたレモン4個を絞ってレモンジュースを作る。これに蜂蜜があれば完璧なのだけどなぁ、と昨日ハラレに来る途中の道で売っていた蜂蜜を思い出す。
新しく移った部屋は黴臭くもなくてなかなかいいのだが、なんとコンセントがあるのに使えなかった。がっくり。廊下でしばらく充電。
その後、部屋で今後のルートについて考える。ザンビアから鉄道に乗って一気にタンザニアに行くか、ザンビアからクロコダイルのステーキやカバを食べにマラウイに行ってからタンザニアに行くか迷う。マラウイはビザ代がかからないのが魅力なのだが、『ロンプラ』を見ていると国境越えがけっこう乗り継ぎをしないとだめでめんどくさそう。そのぶんカネもかかりそう。迷う。
明日は長距離夜行バスに乗ることもあり、夜食はなし。
寝る。
Fin
[diary]ムタレからハラレへ移動
ムタレからハラレへ移動
08/09/07(日) 晴れ:日中20℃台後半
[Mutare→Harare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=230新Zドル(旧では2.3trillion)
銀行:1米ドル=42.7新Zドル
・同室のおじさんのはなし
・ハラレへ行くバスの中で
・ハラレ着
6時過ぎに起床。7時前には同じ部屋の他の2人も目を覚ます。
荷造りしているときにもう一人の日本人とジンバブエ人とがしゃべっていたのは、ジンバブエ人の身の上話。彼はハラレに近いあるまちで生まれ育ち、彼の両親は今でもそこに住んでいるという。しかし、年を取ったために何もできず、彼がいろいろと面倒を見ているらしい。しかし、その彼は目の病気を患っているらしく、医者には治療せずにこのまま放置していれば失明するだろうと言われているという。経済危機以前は国から治療費が支給されていたが、その治療費は国際赤十字など外国からの支援でまかなわれていたため、ムガベ大統領が他国からの支援を断って以後、今も治療費はもらっていないらしい。民間の医者にかかって治療する手もあるが、治療に使う道具(特殊な眼球用のガラスなど)を買うためには相当な米ドルが必要らしく、とても払えないとのことだった。いつもはハッピーなのだが、ふと目のことを考えると落ち込むのだと彼は言う。そして、この経済危機はProblemだと言う。
日本人の彼が、経済危機だと言うけれど、まちなかのファストフード店にはけっこう人が入っていた。とても高い(500円以上する)のに、なぜ買えるのだ? と聞いたところ、彼はあれはジンバブエ人じゃなく、ナイジェリアやコンゴ、モザンビークから来た人たちで、それもこの近くにあるダイアモンド鉱山で働いている人たちだからカネを持っているのだと説明する。また中国人もこの辺りには住んでいて、彼らもしばしばファストフード店を使っているという。
宿代をエマに払う。1泊5米ドルを2泊分。
7時半に宿をでる。歩いてバス乗り場まで行く。20分ほどで到着。朝だからということなのか、昨日闇で買った物と同じ砂糖を道ばたで売っている人を何人か見る。
バス乗り場に行くと何台かマイクロバスが止まっていた。歩いていくと運転手らしき人が声をかけてきて、どこに行くのだと聞いてくる。ハラレに行くと伝えると、バスを案内してくれる。日産のマイクロバスで見た目はわりと新しい。
大きな荷物を持っている人はあまり乗せないのか、屋根の上などに荷台はない。リュックはどこに置くのだろうと思っていたら、助手席を案内され、そこに荷物と一緒に座るように言われる。
荷物を置いた後、車外でしばらく待つ。バス乗り場には物売りの人がいたので、朝飯代わりにパンを買う。300ジンバブエドル(約120円)。
パンをかじりながら外で待っていたら若い細身の男がぼくを見つけ、珍しいものに巡り会って嬉しいというような笑顔で寄ってくる。どこから来たのかというので、日本からと言うと中国人より日本人の方が好きだというようなことを言う。理由はよくわからないが、ムガベ政府を中国が支援しているからかもしれない。
パンをかじりながら彼と話していたのだが、彼がそのパンはいくらしたのかと聞いてくる。300ジンバブエドルと言うと、ふ~んという反応。パンをかけらあげる。
するとそれに味を占めたのかタバコを1本買ってくれと言い出す。試しに買ってやるとタバコ1本(1箱ではない)が20ジンバブエドルだった。
1時間近く待ったところでバスが発車しそうだったので、バスに乗り込む。だが、この移動は乗り場内での位置を変えるだけのものだった。20mくらいずれたところでまた止まる。
結局バスが出たのは10時半前。何も早く宿を出てくる必要はなかった。例のごとくまずガソリンスタンドに行き、給油する。それから本格的に走り出す。
登りの坂道は時速10km程度。やっぱり馬力がない。30分ほど走ったら警察の検問があり、10分ほど停車。モザンビークのように乗客が特に調べられるということはなかった。検問のところには、止められる車を狙ってオレンジやバナナを売る人たちが2~3人いた。少年からオレンジを1個買う。20ジンバブエドル(約10円)。
山がちな道をバスは走る。道は舗装された道。曲がりくねりも少ない。こちらも冬枯れ(乾季枯れ)の景色で、山の木々はほとんどが葉を落としている。予想していたよりも沿道に集落は少なく、ほんのたまにしか人が集まって住んでいるところは見ない。広大な畑も見ることがない。乾季で作物を作っていないのか、それとも例の土地改革の影響で放置されたままになっているため草原になってしまったのか?
焼き畑のためか斜面が焼かれて黒くなっているところはしばしば見る。実際に火がもうもうと燃え上がっているところもあった。
たまに見る民家は円形の土壁と藁葺き屋根のものが多い。トタン屋根などはあまり見ない。そうした集落前を通るときには炭を売っているのをしばしば見る。その他、交差点やその地域のバス乗り場になっているところでは野菜や果物を売っているのをしばしば見る。果物ではりんごをよく売っているのだが、りんごがジンバブエで取れるとは思えない。たぶん南アフリカからの輸入品だろう。沿道で見たのは他にじゃがいも、蜂蜜。
警察による検問は多かった。ハラレまで5~6回はあった。
ぼくの右となりに座った男は、このバスの持ち主らしく運転手や客引き担当の男にたまにあれこれと指示をしている。彼はぼくにどこから来たのだと聞いてくる。日本からだというと、このバスは日本の中古車だと教えてくれる。いくらしたのかと聞いたところ10000米ドルもしたという。ぼくは10万円(1000米ドル)くらいかと予想していたので、けっこう高いのには驚いた。また、彼がそれだけのカネを調達できたということにも驚く。
空は晴れているが、それほど暑くはない。
ハラレまでは4時間程度と聞いていたが、4時間たってもハラレは見えてこない。モザンビークではわりとよく見た主要なまちまでの距離を書いた看板もほとんど見ないので、あとどれくらいかかるのかもわからない。
2カ所ほどで大規模なビニールハウス施設を見る。中で何を作っているかは見えず。
また、ハラレに近いあるまちには沿道にゴルフ場があり、そこでゴルフをしている男たちを見る。
結局、ハラレには3時半ごろ到着。ムタレから5時間ほどかかった。バスの運転手に言ってロードポートという国際バスのターミナル近くで降ろしてもらう。
降ろしてもらったところはロードポートがある通りの1本南の通りで人気がなかったのだが、歩いていた男の人にロードポートの場所を聞くと、同じ方向だからと案内してくれた。
ロードポートのまわりには人がぎょうさんいた。敷地を囲っている柵の外側に座り込んでいる人も多く、何をしているのかと不思議に思う。タクシーも20台くらいあたりに止まっていて、さっそく声をかけてくる。
まずはロードポートでザンビアのルサカ行きのバスをチェック。バスは毎日あるという。運賃を尋ねると手持ちのジンバブエドルでは足りなかったので、明日にでもまた来ることにして宿探しに移る。
予定していた宿までは地図を見る限りでは、1本道を歩いていけば着くところにあり、距離も1kmもないくらいだった。だが、その1本道では過去しばしば日本人旅行者が物盗りに遭っているらしいことをネットで調べて知っていた。選挙が終わったとは言え、いまいちハラレの状況がわからないので、逡巡したあげく、タクシーを使うことにする。
運賃は1000ジンバブエドル(約400円)。めちゃくちゃ高いのだが、宿探しで歩いているうちに日が暮れると面倒だし、タクシーも仕事がなかろうと思い、気のよさそうな運転手を選び乗る。
乗ってからその運転手にハラレは危険だと聞いたが本当かと尋ねてみると、今はそうでもないとのこと。選挙が終わったので一時よりは落ち着いているし、ヴァイオレンスは郊外で起こっており、まちなかではあまりないとのこと。
宿には10分くらいで着いたが、おじさんは着いてからもジンバブエの現状をずっとしゃべっていた。
さて、日本人がしばしば泊まるという予定していた宿に行ってみるとまったく予定外のことが起こっていた。外国人が一律米ドル払いになっているのは許せるとしても、その値段が一番安くて15米ドルになっているのには驚く。ムタレの宿は5米ドルだったのに。
受付の人に安いところはないかと聞くと、隣に行って見ろと言われる。隣の宿に行き、受付に張られていた料金表を見るとシングルが1泊3000ジンバブエドルだった。ここはジンバブエドル払い。まだ新しい宿で台所もトイレもきれい。だが、そのシングルは満室。3500ジンバブエドルのダブルしかないという。ちょっとでも安く済ませたかったので、またこの宿の人に安いところはないかと聞くと、斜め向かいのところに行って見ろと言われる。
言われた宿に行ってみるとシングルが1泊3000ジンバブエドルでしかも空きがあった。ここに決める。ジンバブエドルがもうなくなっていたので明日両替して払うと受付の女性に言ったところ、両替してあげるからいくら両替したいのだと聞いてくる。なので20米ドル札を出して両替を頼む。彼女はホテルの玄関の方にいた男性を呼び、20米ドル札を彼に渡して両替してくるよう頼む。彼はぼくにあなたのレートはいくらかと尋ねてくる。タクシーの運転手に聞いたとき今は1米ドルが300ジンバブエドルと言っていたので、ちょっとかまをかけて1米ドル=400ジンバブエドルと言う。すると顔をしかめ、今は300ジンバブエドルだというので、それで損はないかと思い、頼む。
彼はそこで待っておけと言ってからホテルを出ていった。10分くらいで戻ってくるかと思っていたのだが、結局30分以上待つことになった。戻ってきた彼からカネを受け取ると確かに1米ドル=300ジンバブエドルで両替されている。ムタレでは1米ドル=230ジンバブエドルだったからだいぶ良い。
部屋に荷物を置いた後で、腹が減ったので飯を食いにいく。ムタレ同様、屋台などはまったくないので、適当にふらつきながら探す。宿近くの道ばたでオレンジを売っている女性がいたので、その人に飯が食えるところはないか尋ねるとそこの角にあるからと教えてくれる。
その店にはテレビでサッカーを観戦している客が多数いた。店の人に何か食べたいのだがと言うと、魚などがついた定食のようなものが1000ジンバブエドル(約330円)だと言われる。高いけど首都だし、レストランだからしょうがないかと思い、それを頼む。
すぐに料理は出てくる。魚を一匹あげたものとトマト味のスープ、サラダと白米。米はタイ米のよう。魚は泥臭い。スープの味はいい。米も炊き加減はちょうどいいし、量も多い。
腹が膨れたところで飲み物がほしくなったので、飲み物を探しに歩く。まちの中心部に行けばスーパーでもあるかと思ったが、日曜ということでか店はほとんど開いていない。加えて歩いている人もほとんどいない。ファストフード店は開いていたが、水はなかった。
それからガソリンスタンドに併設されていたコンビニに行く。そこで2リットルの水を発見。値段は1000ジンバブエドル(約330円)。他の国なら100~200円で買えるのでやっぱり高い。が、ジュースはもっと高いし、他に選択肢はないのでそれで手を打つ。
道路を挟んでガソリンスタンドの向かいにはHoliday Innという豪華なホテルがあり、その前の通りにはきれい整備された芝生があった。そこに一人の男の子がいて、通りがかりの若い女性2人に唾を垂らそうとしたりして嫌がらせをしている。服は伸びきってぼろぼろ、靴もスリッパも履いていない。格好からストリートチルドレンであろう事がわかる。
暗くなってきたので宿に戻る。歩いていたら向かいから来た女性が"Hello"と挨拶をしてくる。彼女の背にはまだ1歳くらいの子どもがいた。Helloと応えると、彼女は続けてか細い声でなにやら言う。声が小さかったのでなんと言ったのかわからず、聞き返すと彼女は”Help me・・・”と言う。語尾は弱々しくて聞き取れず。
身なりはわりときれいだったので、そんなことを言うとは思わずちょっと驚く。財布から買い物ではほとんど使えない少額のお札を取り出し彼女に渡すと、丁寧に受け取り礼を言った。
宿に戻ってからは部屋で過ごす。暑くもなく寒くもなく、蚊もいない。シャワーを浴びようと思ったら、ポトポトとしか水が出ないので諦める。便所はうまく流れていない。
Fin
08/09/07(日) 晴れ:日中20℃台後半
[Mutare→Harare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=230新Zドル(旧では2.3trillion)
銀行:1米ドル=42.7新Zドル
・同室のおじさんのはなし
・ハラレへ行くバスの中で
・ハラレ着
6時過ぎに起床。7時前には同じ部屋の他の2人も目を覚ます。
荷造りしているときにもう一人の日本人とジンバブエ人とがしゃべっていたのは、ジンバブエ人の身の上話。彼はハラレに近いあるまちで生まれ育ち、彼の両親は今でもそこに住んでいるという。しかし、年を取ったために何もできず、彼がいろいろと面倒を見ているらしい。しかし、その彼は目の病気を患っているらしく、医者には治療せずにこのまま放置していれば失明するだろうと言われているという。経済危機以前は国から治療費が支給されていたが、その治療費は国際赤十字など外国からの支援でまかなわれていたため、ムガベ大統領が他国からの支援を断って以後、今も治療費はもらっていないらしい。民間の医者にかかって治療する手もあるが、治療に使う道具(特殊な眼球用のガラスなど)を買うためには相当な米ドルが必要らしく、とても払えないとのことだった。いつもはハッピーなのだが、ふと目のことを考えると落ち込むのだと彼は言う。そして、この経済危機はProblemだと言う。
日本人の彼が、経済危機だと言うけれど、まちなかのファストフード店にはけっこう人が入っていた。とても高い(500円以上する)のに、なぜ買えるのだ? と聞いたところ、彼はあれはジンバブエ人じゃなく、ナイジェリアやコンゴ、モザンビークから来た人たちで、それもこの近くにあるダイアモンド鉱山で働いている人たちだからカネを持っているのだと説明する。また中国人もこの辺りには住んでいて、彼らもしばしばファストフード店を使っているという。
宿代をエマに払う。1泊5米ドルを2泊分。
7時半に宿をでる。歩いてバス乗り場まで行く。20分ほどで到着。朝だからということなのか、昨日闇で買った物と同じ砂糖を道ばたで売っている人を何人か見る。
バス乗り場に行くと何台かマイクロバスが止まっていた。歩いていくと運転手らしき人が声をかけてきて、どこに行くのだと聞いてくる。ハラレに行くと伝えると、バスを案内してくれる。日産のマイクロバスで見た目はわりと新しい。
大きな荷物を持っている人はあまり乗せないのか、屋根の上などに荷台はない。リュックはどこに置くのだろうと思っていたら、助手席を案内され、そこに荷物と一緒に座るように言われる。
荷物を置いた後、車外でしばらく待つ。バス乗り場には物売りの人がいたので、朝飯代わりにパンを買う。300ジンバブエドル(約120円)。
パンをかじりながら外で待っていたら若い細身の男がぼくを見つけ、珍しいものに巡り会って嬉しいというような笑顔で寄ってくる。どこから来たのかというので、日本からと言うと中国人より日本人の方が好きだというようなことを言う。理由はよくわからないが、ムガベ政府を中国が支援しているからかもしれない。
パンをかじりながら彼と話していたのだが、彼がそのパンはいくらしたのかと聞いてくる。300ジンバブエドルと言うと、ふ~んという反応。パンをかけらあげる。
するとそれに味を占めたのかタバコを1本買ってくれと言い出す。試しに買ってやるとタバコ1本(1箱ではない)が20ジンバブエドルだった。
1時間近く待ったところでバスが発車しそうだったので、バスに乗り込む。だが、この移動は乗り場内での位置を変えるだけのものだった。20mくらいずれたところでまた止まる。
結局バスが出たのは10時半前。何も早く宿を出てくる必要はなかった。例のごとくまずガソリンスタンドに行き、給油する。それから本格的に走り出す。
登りの坂道は時速10km程度。やっぱり馬力がない。30分ほど走ったら警察の検問があり、10分ほど停車。モザンビークのように乗客が特に調べられるということはなかった。検問のところには、止められる車を狙ってオレンジやバナナを売る人たちが2~3人いた。少年からオレンジを1個買う。20ジンバブエドル(約10円)。
山がちな道をバスは走る。道は舗装された道。曲がりくねりも少ない。こちらも冬枯れ(乾季枯れ)の景色で、山の木々はほとんどが葉を落としている。予想していたよりも沿道に集落は少なく、ほんのたまにしか人が集まって住んでいるところは見ない。広大な畑も見ることがない。乾季で作物を作っていないのか、それとも例の土地改革の影響で放置されたままになっているため草原になってしまったのか?
焼き畑のためか斜面が焼かれて黒くなっているところはしばしば見る。実際に火がもうもうと燃え上がっているところもあった。
たまに見る民家は円形の土壁と藁葺き屋根のものが多い。トタン屋根などはあまり見ない。そうした集落前を通るときには炭を売っているのをしばしば見る。その他、交差点やその地域のバス乗り場になっているところでは野菜や果物を売っているのをしばしば見る。果物ではりんごをよく売っているのだが、りんごがジンバブエで取れるとは思えない。たぶん南アフリカからの輸入品だろう。沿道で見たのは他にじゃがいも、蜂蜜。
警察による検問は多かった。ハラレまで5~6回はあった。
ぼくの右となりに座った男は、このバスの持ち主らしく運転手や客引き担当の男にたまにあれこれと指示をしている。彼はぼくにどこから来たのだと聞いてくる。日本からだというと、このバスは日本の中古車だと教えてくれる。いくらしたのかと聞いたところ10000米ドルもしたという。ぼくは10万円(1000米ドル)くらいかと予想していたので、けっこう高いのには驚いた。また、彼がそれだけのカネを調達できたということにも驚く。
空は晴れているが、それほど暑くはない。
ハラレまでは4時間程度と聞いていたが、4時間たってもハラレは見えてこない。モザンビークではわりとよく見た主要なまちまでの距離を書いた看板もほとんど見ないので、あとどれくらいかかるのかもわからない。
2カ所ほどで大規模なビニールハウス施設を見る。中で何を作っているかは見えず。
また、ハラレに近いあるまちには沿道にゴルフ場があり、そこでゴルフをしている男たちを見る。
結局、ハラレには3時半ごろ到着。ムタレから5時間ほどかかった。バスの運転手に言ってロードポートという国際バスのターミナル近くで降ろしてもらう。
降ろしてもらったところはロードポートがある通りの1本南の通りで人気がなかったのだが、歩いていた男の人にロードポートの場所を聞くと、同じ方向だからと案内してくれた。
ロードポートのまわりには人がぎょうさんいた。敷地を囲っている柵の外側に座り込んでいる人も多く、何をしているのかと不思議に思う。タクシーも20台くらいあたりに止まっていて、さっそく声をかけてくる。
まずはロードポートでザンビアのルサカ行きのバスをチェック。バスは毎日あるという。運賃を尋ねると手持ちのジンバブエドルでは足りなかったので、明日にでもまた来ることにして宿探しに移る。
予定していた宿までは地図を見る限りでは、1本道を歩いていけば着くところにあり、距離も1kmもないくらいだった。だが、その1本道では過去しばしば日本人旅行者が物盗りに遭っているらしいことをネットで調べて知っていた。選挙が終わったとは言え、いまいちハラレの状況がわからないので、逡巡したあげく、タクシーを使うことにする。
運賃は1000ジンバブエドル(約400円)。めちゃくちゃ高いのだが、宿探しで歩いているうちに日が暮れると面倒だし、タクシーも仕事がなかろうと思い、気のよさそうな運転手を選び乗る。
乗ってからその運転手にハラレは危険だと聞いたが本当かと尋ねてみると、今はそうでもないとのこと。選挙が終わったので一時よりは落ち着いているし、ヴァイオレンスは郊外で起こっており、まちなかではあまりないとのこと。
宿には10分くらいで着いたが、おじさんは着いてからもジンバブエの現状をずっとしゃべっていた。
さて、日本人がしばしば泊まるという予定していた宿に行ってみるとまったく予定外のことが起こっていた。外国人が一律米ドル払いになっているのは許せるとしても、その値段が一番安くて15米ドルになっているのには驚く。ムタレの宿は5米ドルだったのに。
受付の人に安いところはないかと聞くと、隣に行って見ろと言われる。隣の宿に行き、受付に張られていた料金表を見るとシングルが1泊3000ジンバブエドルだった。ここはジンバブエドル払い。まだ新しい宿で台所もトイレもきれい。だが、そのシングルは満室。3500ジンバブエドルのダブルしかないという。ちょっとでも安く済ませたかったので、またこの宿の人に安いところはないかと聞くと、斜め向かいのところに行って見ろと言われる。
言われた宿に行ってみるとシングルが1泊3000ジンバブエドルでしかも空きがあった。ここに決める。ジンバブエドルがもうなくなっていたので明日両替して払うと受付の女性に言ったところ、両替してあげるからいくら両替したいのだと聞いてくる。なので20米ドル札を出して両替を頼む。彼女はホテルの玄関の方にいた男性を呼び、20米ドル札を彼に渡して両替してくるよう頼む。彼はぼくにあなたのレートはいくらかと尋ねてくる。タクシーの運転手に聞いたとき今は1米ドルが300ジンバブエドルと言っていたので、ちょっとかまをかけて1米ドル=400ジンバブエドルと言う。すると顔をしかめ、今は300ジンバブエドルだというので、それで損はないかと思い、頼む。
彼はそこで待っておけと言ってからホテルを出ていった。10分くらいで戻ってくるかと思っていたのだが、結局30分以上待つことになった。戻ってきた彼からカネを受け取ると確かに1米ドル=300ジンバブエドルで両替されている。ムタレでは1米ドル=230ジンバブエドルだったからだいぶ良い。
部屋に荷物を置いた後で、腹が減ったので飯を食いにいく。ムタレ同様、屋台などはまったくないので、適当にふらつきながら探す。宿近くの道ばたでオレンジを売っている女性がいたので、その人に飯が食えるところはないか尋ねるとそこの角にあるからと教えてくれる。
その店にはテレビでサッカーを観戦している客が多数いた。店の人に何か食べたいのだがと言うと、魚などがついた定食のようなものが1000ジンバブエドル(約330円)だと言われる。高いけど首都だし、レストランだからしょうがないかと思い、それを頼む。
すぐに料理は出てくる。魚を一匹あげたものとトマト味のスープ、サラダと白米。米はタイ米のよう。魚は泥臭い。スープの味はいい。米も炊き加減はちょうどいいし、量も多い。
腹が膨れたところで飲み物がほしくなったので、飲み物を探しに歩く。まちの中心部に行けばスーパーでもあるかと思ったが、日曜ということでか店はほとんど開いていない。加えて歩いている人もほとんどいない。ファストフード店は開いていたが、水はなかった。
それからガソリンスタンドに併設されていたコンビニに行く。そこで2リットルの水を発見。値段は1000ジンバブエドル(約330円)。他の国なら100~200円で買えるのでやっぱり高い。が、ジュースはもっと高いし、他に選択肢はないのでそれで手を打つ。
道路を挟んでガソリンスタンドの向かいにはHoliday Innという豪華なホテルがあり、その前の通りにはきれい整備された芝生があった。そこに一人の男の子がいて、通りがかりの若い女性2人に唾を垂らそうとしたりして嫌がらせをしている。服は伸びきってぼろぼろ、靴もスリッパも履いていない。格好からストリートチルドレンであろう事がわかる。
暗くなってきたので宿に戻る。歩いていたら向かいから来た女性が"Hello"と挨拶をしてくる。彼女の背にはまだ1歳くらいの子どもがいた。Helloと応えると、彼女は続けてか細い声でなにやら言う。声が小さかったのでなんと言ったのかわからず、聞き返すと彼女は”Help me・・・”と言う。語尾は弱々しくて聞き取れず。
身なりはわりときれいだったので、そんなことを言うとは思わずちょっと驚く。財布から買い物ではほとんど使えない少額のお札を取り出し彼女に渡すと、丁寧に受け取り礼を言った。
宿に戻ってからは部屋で過ごす。暑くもなく寒くもなく、蚊もいない。シャワーを浴びようと思ったら、ポトポトとしか水が出ないので諦める。便所はうまく流れていない。
Fin
[diary]ムタレでのんびり
ムタレでのんびり
08/09/06(土) 晴れ
[Mutare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=230新Zドル
銀行:1米ドル=42.7新Zドル
・砂糖を買いに
今日は休息日。当初の予定ではムタレに1泊だけしてハラレに向かう予定だったが、宿代が5米ドルと安かったので今日も泊まることにした。
11時頃まで部屋で過ごし、朝食も兼ねた昼飯を食いに外に出る。宿を出る前に宿主のエマに昨日なくなったと言っていた砂糖をまだ買っていないのか尋ねると、まだ買っていなかったようなので、砂糖をプレゼントすることにする。ついでにパンもないというので、パンも買うことにする。どこで買ったらいいかと尋ねると道ばたのブラックマーケットでと言われる。
今日もなかなかさわやかな天気。
今日もトヨタムタレのショールーム前には隣の銀行からカネを降ろそうとする人が長蛇の列を作っている。
土曜日ということで昨日よりも閉店している店が多い。
道ばたで飯を食える露店がないので、昨日も行った食堂まで行く。その食堂近くにもう1軒、おおぜい人が入っている食堂があったので、今回はそっちで食事。サザ&ビーフを頼む。500ジンバブエドル。みな手づかみで食べているのだが、熱くてとても握れず。店の人に頼みフォークをもらう。口の中で何度もハフハフさせながら食べないといけないくらい熱いのに、周りの人を見ているとあまり熱がっているふうはない。食べ終わる頃には汗がじっとりと出る。
それからハラレ行きのバスを確認しに、バスターミナルに行く。ここのバスターミナルもちょっとしたロータリーがあるだけの小さな駐車場。そこには物売りの人たちもいて、パンなどを売っていた少年からパンを1斤買う。500ジンバブエドル。
スーパーなどのパンコーナーにはやはりパンを求めて人々が行列を作っている。スーパーで売っている砂糖の値段がどの程度なのか見たかったのだが、砂糖を売っていない。お茶のティーバッグなどはなるのだが、砂糖がない。
道ばたで野菜を売っている人たちをまわっても砂糖を持っている人がいないので、野菜を売っているおばちゃんにどこで砂糖が買えるか英語で聞くと、ここと同じような小さな野菜のマーケットがこの先にあるからそこで聞いてみろと言われる。
なのでてくてく歩き、昨日野菜を買った小さな路上マーケットで砂糖がほしいのだがと言うと、その野菜屋の女性は大きな声で誰かの名前を呼ぶ。するとマーケットの端の方でおしゃべりしていたいい体格をした女性がやってくる。彼女に砂糖がほしいのだがというと何袋いるのかと聞かれる。1袋と言うと、道の端の布の下から砂糖を取り出してくる。が、それは袋の一部が破れもれており、おばさんは自ら別の袋を取りに車が止まっている駐車場の方に駆けていった。
すぐにおばさんは戻ってきて砂糖を1袋ぼくに手渡す。袋を見ると2kgとある。値段を聞くと700ジンバブエドル(約300円)。確かに高い。モザンビーク産なのかと尋ねるとジンバブエ産だという。高いからまけてもらえないか聞くと650ジンバブエドルにまけてくれる。それで手打ち。
砂糖とパンを持って宿に戻る。宿では女の子たちが洗濯をしていた。
砂糖とパンを宿主に渡すと"Thank you very much"と言って笑顔で受け取る。
それからエマにどこで両替できるかと聞くと、両替が必要なら息子のタイロン(息子の名前)に頼んでしてもらうがどうだと尋ねてくる。両替しているのを警察に見つかると面倒らしいので、エマの提案に乗る。タイロンに20米ドルの札を渡し、レートを聞くと1米ドル=230ジンバブエドルだと言う。
彼は家を出て、どこかに両替しに行く。20分ほどしてから戻ってくる。手数料は取られず。
1米ドル=230ジンバブエドルということがわかり、あれこれの実際の物価がどの程度かがだいたいわかった。新聞が100円ちょっと。パンが1斤200円以上。バナナが10本で200円近く。砂糖が2kg300円ほど。食堂のサザ料理が200円程度。
闇レートで言えば、日本と同じ程度の物価だろう。しかし、給料は日本並ではないからこれはけっこうつらい。だいたいパンが1斤100円以上もする国などそうはない。南アフリカよりも高い。バナナもモザンビークでは10本程度なら50円以下で買えた。これは相当だ。
エマに聞くと以前はパン1斤が25ジンバブエドルだったらしい。『旅行人ノート② アフリカ 改訂版』は1999年の情報だが、それによると1999年11月のレートが1米ドル=約37ジンバブエドル。彼女の話が10年前とすれば確かに当時は1ドル以下でパンが買えたことになる。それが今や2倍近くになっているからこれはなかなか大変だ。給料が10年で2倍になれば問題ないだろうが、そんなことはありえない。
リビングの机で今後のルートを考えるべくガイドブックを見ていると娘の●●(名前を忘れた)が、さっきプレゼントしたパンを切ってバターを塗ったのを持ってきてくれる。腹はけっこうふくれていたのだが、ありがたくいただく。
その後、部屋で休息。
うとうとしていると、ドアをノックする音が聞こえ、出てみると新たな日本人客がエマと一緒にいた。彼もこの部屋に泊まることになる。
聞くと彼は中国から途中パキスタン、イランは飛んでほぼ陸路でここまで来たらしい。アフリカはエジプトからスーダン(ビザ代100米ドル!)を通ってエチオピア、その後ずっと南下し、今日はモザンビークのシモイオから来たと言う。シモイオではぼくと同じくピンクパパイヤに泊まったらしく、そこの宿泊者名簿を見て、ぼくにここで会うかもしれないと思っていたらしい。
しばらく彼と話す。彼の話ではジンバブエ側でモザンビークの通貨メディカシュを両替したところ、ドルよりも良かったとのこと。ぼくはピンクパパイヤのスタッフに言われたとおりモザンビーク側で両替してしまったのだが、それだとジンバブエ側の半額くらいだった。具体的には100メディカシュ(約4米ドル)ぶんが1200ジンバブエドル(この日の闇レートで約5.5米ドル)程度になったらしい。ぼくの場合は250メディカシュ(約10米ドル)が1000ジンバブエドルだったから大幅に損している。やれやれ。
夕方、お湯をもらいに台所に行ったところ、エマがサザをご馳走してくれるというのでいただく。まぁ、砂糖とパンと野菜とを差し入れしたようなもんだからいいだろう。
今晩の食事は豪勢で、サザに豆の煮込んだものと青葉の炒め物、それにソーセージが一本添えられていた。家族や他の宿泊客もそれを食べる。テーブルに一同に会して食べるという形式ではなく、みんなバラバラ。台所で立ち食いしている人もいれば庭の椅子に座って、あるいはテレビの部屋でという具合。豆はやはり塩気が濃い。遠慮してサザは少なくしてもらったが、豆の塩気がきつくこれではとても足りなかった。
その後は宿にいる。部屋で彼と旅話など。うまかったものの話を聞くとバングラディシュのなんとか市場で食べるなんとかというデザートが抜群にうまかったらしい。日本で言うと高級レアチーズのような味のもので、毎日食べていたという。あと悪名高いエチオピアの主食インジェラも彼は好きだという。
同じ部屋にもう一人客が増える。ジンバブエ人の男性で30代くらい? 地方を回ってジャガイモを買い集め、それを売る仕事をしているらしい。
他にも客は白人夫婦とジンバブエ人らしき女性がいて、けっこう繁盛している。この間みた宿泊客名簿はやっぱり適当なのかもしれない。
Fin
08/09/06(土) 晴れ
[Mutare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=230新Zドル
銀行:1米ドル=42.7新Zドル
・砂糖を買いに
今日は休息日。当初の予定ではムタレに1泊だけしてハラレに向かう予定だったが、宿代が5米ドルと安かったので今日も泊まることにした。
11時頃まで部屋で過ごし、朝食も兼ねた昼飯を食いに外に出る。宿を出る前に宿主のエマに昨日なくなったと言っていた砂糖をまだ買っていないのか尋ねると、まだ買っていなかったようなので、砂糖をプレゼントすることにする。ついでにパンもないというので、パンも買うことにする。どこで買ったらいいかと尋ねると道ばたのブラックマーケットでと言われる。
今日もなかなかさわやかな天気。
今日もトヨタムタレのショールーム前には隣の銀行からカネを降ろそうとする人が長蛇の列を作っている。
土曜日ということで昨日よりも閉店している店が多い。
道ばたで飯を食える露店がないので、昨日も行った食堂まで行く。その食堂近くにもう1軒、おおぜい人が入っている食堂があったので、今回はそっちで食事。サザ&ビーフを頼む。500ジンバブエドル。みな手づかみで食べているのだが、熱くてとても握れず。店の人に頼みフォークをもらう。口の中で何度もハフハフさせながら食べないといけないくらい熱いのに、周りの人を見ているとあまり熱がっているふうはない。食べ終わる頃には汗がじっとりと出る。
それからハラレ行きのバスを確認しに、バスターミナルに行く。ここのバスターミナルもちょっとしたロータリーがあるだけの小さな駐車場。そこには物売りの人たちもいて、パンなどを売っていた少年からパンを1斤買う。500ジンバブエドル。
スーパーなどのパンコーナーにはやはりパンを求めて人々が行列を作っている。スーパーで売っている砂糖の値段がどの程度なのか見たかったのだが、砂糖を売っていない。お茶のティーバッグなどはなるのだが、砂糖がない。
道ばたで野菜を売っている人たちをまわっても砂糖を持っている人がいないので、野菜を売っているおばちゃんにどこで砂糖が買えるか英語で聞くと、ここと同じような小さな野菜のマーケットがこの先にあるからそこで聞いてみろと言われる。
なのでてくてく歩き、昨日野菜を買った小さな路上マーケットで砂糖がほしいのだがと言うと、その野菜屋の女性は大きな声で誰かの名前を呼ぶ。するとマーケットの端の方でおしゃべりしていたいい体格をした女性がやってくる。彼女に砂糖がほしいのだがというと何袋いるのかと聞かれる。1袋と言うと、道の端の布の下から砂糖を取り出してくる。が、それは袋の一部が破れもれており、おばさんは自ら別の袋を取りに車が止まっている駐車場の方に駆けていった。
すぐにおばさんは戻ってきて砂糖を1袋ぼくに手渡す。袋を見ると2kgとある。値段を聞くと700ジンバブエドル(約300円)。確かに高い。モザンビーク産なのかと尋ねるとジンバブエ産だという。高いからまけてもらえないか聞くと650ジンバブエドルにまけてくれる。それで手打ち。
砂糖とパンを持って宿に戻る。宿では女の子たちが洗濯をしていた。
砂糖とパンを宿主に渡すと"Thank you very much"と言って笑顔で受け取る。
それからエマにどこで両替できるかと聞くと、両替が必要なら息子のタイロン(息子の名前)に頼んでしてもらうがどうだと尋ねてくる。両替しているのを警察に見つかると面倒らしいので、エマの提案に乗る。タイロンに20米ドルの札を渡し、レートを聞くと1米ドル=230ジンバブエドルだと言う。
彼は家を出て、どこかに両替しに行く。20分ほどしてから戻ってくる。手数料は取られず。
1米ドル=230ジンバブエドルということがわかり、あれこれの実際の物価がどの程度かがだいたいわかった。新聞が100円ちょっと。パンが1斤200円以上。バナナが10本で200円近く。砂糖が2kg300円ほど。食堂のサザ料理が200円程度。
闇レートで言えば、日本と同じ程度の物価だろう。しかし、給料は日本並ではないからこれはけっこうつらい。だいたいパンが1斤100円以上もする国などそうはない。南アフリカよりも高い。バナナもモザンビークでは10本程度なら50円以下で買えた。これは相当だ。
エマに聞くと以前はパン1斤が25ジンバブエドルだったらしい。『旅行人ノート② アフリカ 改訂版』は1999年の情報だが、それによると1999年11月のレートが1米ドル=約37ジンバブエドル。彼女の話が10年前とすれば確かに当時は1ドル以下でパンが買えたことになる。それが今や2倍近くになっているからこれはなかなか大変だ。給料が10年で2倍になれば問題ないだろうが、そんなことはありえない。
リビングの机で今後のルートを考えるべくガイドブックを見ていると娘の●●(名前を忘れた)が、さっきプレゼントしたパンを切ってバターを塗ったのを持ってきてくれる。腹はけっこうふくれていたのだが、ありがたくいただく。
その後、部屋で休息。
うとうとしていると、ドアをノックする音が聞こえ、出てみると新たな日本人客がエマと一緒にいた。彼もこの部屋に泊まることになる。
聞くと彼は中国から途中パキスタン、イランは飛んでほぼ陸路でここまで来たらしい。アフリカはエジプトからスーダン(ビザ代100米ドル!)を通ってエチオピア、その後ずっと南下し、今日はモザンビークのシモイオから来たと言う。シモイオではぼくと同じくピンクパパイヤに泊まったらしく、そこの宿泊者名簿を見て、ぼくにここで会うかもしれないと思っていたらしい。
しばらく彼と話す。彼の話ではジンバブエ側でモザンビークの通貨メディカシュを両替したところ、ドルよりも良かったとのこと。ぼくはピンクパパイヤのスタッフに言われたとおりモザンビーク側で両替してしまったのだが、それだとジンバブエ側の半額くらいだった。具体的には100メディカシュ(約4米ドル)ぶんが1200ジンバブエドル(この日の闇レートで約5.5米ドル)程度になったらしい。ぼくの場合は250メディカシュ(約10米ドル)が1000ジンバブエドルだったから大幅に損している。やれやれ。
夕方、お湯をもらいに台所に行ったところ、エマがサザをご馳走してくれるというのでいただく。まぁ、砂糖とパンと野菜とを差し入れしたようなもんだからいいだろう。
今晩の食事は豪勢で、サザに豆の煮込んだものと青葉の炒め物、それにソーセージが一本添えられていた。家族や他の宿泊客もそれを食べる。テーブルに一同に会して食べるという形式ではなく、みんなバラバラ。台所で立ち食いしている人もいれば庭の椅子に座って、あるいはテレビの部屋でという具合。豆はやはり塩気が濃い。遠慮してサザは少なくしてもらったが、豆の塩気がきつくこれではとても足りなかった。
その後は宿にいる。部屋で彼と旅話など。うまかったものの話を聞くとバングラディシュのなんとか市場で食べるなんとかというデザートが抜群にうまかったらしい。日本で言うと高級レアチーズのような味のもので、毎日食べていたという。あと悪名高いエチオピアの主食インジェラも彼は好きだという。
同じ部屋にもう一人客が増える。ジンバブエ人の男性で30代くらい? 地方を回ってジャガイモを買い集め、それを売る仕事をしているらしい。
他にも客は白人夫婦とジンバブエ人らしき女性がいて、けっこう繁盛している。この間みた宿泊客名簿はやっぱり適当なのかもしれない。
Fin
[diary]ジンバブエ入国、ムタレのまち
ジンバブエ入国、ムタレのまち
08/09/05(金) 晴 日中28℃くらい
[Chimoio:Mozambique→Mutare:Zimbabwe]
・ジンバブエ入国
・ジンバブエの物価
シモイオの宿Pink Papaya。
日が昇ってから目が覚める。時間は6時過ぎ。夜は布団をかぶっていないと寒かったが、朝は半袖でも大丈夫。ベッドを覆っている蚊帳をくぐって、ベッドから出る。2段ベッドが3つあるこの部屋には、今朝はぼく一人。宿泊客自体は他にイングランド人カップルがいるだけ。
台所に行って電気ポットのスイッチを入れる。アフリカやアメリカ大陸で使われている電気ポットは日本で一般的なものとは違って、蜷局(とぐろ)を巻いた金属の棒がポットの水を溜める空洞の中心あたりに固定されており、それを電気で加熱することで棒の周りの水を沸かす仕組みになっている。効率が悪そうなのだが、これが意外と早く沸く。
無料のティーバッグを一つ、コップの中に入れ、朝の一杯。
さて、ジンバブエ行きの準備をしないといけない。部屋の中は暗いので、バルコニーのテーブルを使って宿においてあったガイドブックから今日行くムタレの市内地図を書き写す。その地図に宿をいくつか書き込み、またこの宿にあった情報ノート(英語・ドイツ語)から宿情報をもらう。宿主の話ではジンバブエの宿はこの経済危機で観光客が減り、閉鎖している宿も多いとのことだった。情報ノートにあったのは今年5月時点での宿情報だから使える。ただ、その宿は正式な宿ではなく、無認可の宿とあるのが、気になるところ。
それから荷造りをする。
8時になって、ここで雇われている若い男性が出勤。彼が国境の情報などを持っているというので、待っていた。彼に聞くとここから国境までは、鉄道駅前のバス乗り場からバスに乗れ、運賃は65メティで、所要時間は最大2時間。ジンバブエの通貨への両替は国境でできるが、モザンビーク側でやるべき。ジンバブエ側は銀行で両替できるがレートが非常に悪い。モザンビーク側に闇両替(と言ってもみんな札束を握ってあからさまにやっているが)があるからそこで両替すると良いとのことだった。
宿の2泊ぶんの代金540メティ(1泊270メティ=約1200円:ドミ)を払い、ドイツはフライブルク出身の宿主と彼にさよならを告げ、宿を出る。
昨日は朝から雨だったが、今日はうって変わっての快晴。荷物を背負ってなければ涼しいくらいなのだが、歩いているとすぐに汗が出ている。まぁ、冬用の長袖シャツを上に着ていることもあるけど。
8時半頃。
10分程度歩いてバス乗り場に到着。バス乗り場と言っても車道の脇とか小さなロータリーのまわりにバス(大型ワゴンとマイクロバス)が停まっているだけで、どれがどこ行きのバスかはよくわからない。歩いていると声をかけられたので、彼に国境のマチパンダに行きたいとポルトガル語で言ったらバスを案内してくれた。
すでに半分以上座席が埋まっていたので出発は早そう。リュックは屋根の上にあげてもらう。
ジンバブエでは食糧難も起きつつあるとニュースで見たので、待っている間にバナナを2kgぶんほどとペットボトルの水500mlを買う。バナナも水もそれぞれ15メティ(約70円)。水は5リットルの大きいのを買おうかとも考えたのだが、宿探しの時邪魔になりそうなので、当面必要なぶんだけ購入。
9時前。
座席が埋まったところでバスは発車。マイクロバスだからワゴンのように窮屈ではない。快適だ。日本語の文字は書かれていないが、これもおそらく日本からの中古車。
バスは運転手と客ひき&集金担当の二人体制。
中心部を出ると軍の施設があって、塀際には独立戦争時にでも使ったのか、本物の古い戦車が置かれていた。
看板には国境のマチパンダまで83kmとある。
バスは途中で乗客を降ろしながら、乗せながら走る。道路は舗装された片道1車線の道。沿道には集落が並ぶ。
集落の家々は、基本的に土壁あるいはコンクリート壁に藁葺き屋根。トタンはあまり普及していない。感覚的には1割程度。ある集落では、家の敷地の周りに背丈の低い樹木を植え、生け垣を作っていた。
左にも右にも山並みが見える。標高は1000m程度だろうか。景色を見ていてなんだかしっくりくるのは日本と同じように山が近いからかもしれない。ただ、山も平原の草木も冬枯れ(乾季枯れ?)していて、葉を落としているのがほとんど。日本でいえば冬景色のよう。
走り出して30分ほどすると警察の検問。警官が一人乗り込んできて乗客に身分証明書の提示を求めてくる。パスポートを出すと中は確認せず、持っているのを確認したのみ。この後、国境まで同じような検問が3度ほどある。
走り出してから客ひき&集金担当の男性が運賃を集め始める。ここで65メティ払う。集金は男性が車内を移動しながら行うのではなく、客の手渡しで彼に届けるスタイル。アフリカではこのスタイルが多い。
燃料として使うのだろう、2mくらいある木々(直径15cmくらいの丸太含む)を頭に乗せて歩く女性たちを見る。たいていどこでもそうだが、この薪運びは女性や少女、子どもたちがやっている。中南米ではロバや馬による馬車が荷運びに使われていたが、そうしたものを見る機会がアフリカでは非常に少ない。国境までの2時間で見た荷運びの道具は、牛車が2台ほどとトラクター2台のみ。馬車はない。人力車も見ない。自転車は少ないけれど使われているから車輪は手に入ると思うのだが、荷車を使う文化がないのか、車輪自体を買うのが大変なのか、荷車をあまり見ない。例えば集落や近所の数軒で1台でも2台でも荷車を所有すれば、水運びや薪運びはずいぶん楽になると思うのだが。ただここは急ではないけど起伏がそれなりにあるから、その点は大量に運ぼうとすれば頭で運ぶより面倒になるかもしれない。
沿道には植林されているところもあり、木を切り倒した後なのだろう、切り株の周りで一休みしている男たちを見る。
いくつか市が出ていてにぎやかな集落の前を通り、1時間半ほどでManicaというまちに着く。ここは国境へ行く道とモザンビークの北部に行く道が交差する場所。そのためかシモイオよりも活気がある。道ばたに露店が並び大勢の人が売り買いしている。
バスがその露店街というかただの道ばたのバス乗り場に停車すると、客のほとんどが降りてしまう。バスには札束を持った男たちが数人近寄ってきて、ジンバブエのお金に両替しないかと声をかけてくる。
ぼくの左隣に座っていた男性が一人の両替商の男性に英語でレートを聞くが、両替はせず。彼に今のジンバブエドルのレートを聞いてみると、彼は今のレートはわからないという。とりあえず国境で両替するというので、ぼくもここで両替はせずに国境まで待つことにする。
国境ももうすぐという頃になって、なぜか集金担当の男性が声をかけてきて、屋根の上を指さし、荷物代を請求してくる。運賃を回収したときにその請求がなかったから、てっきりないものだと思っていたのだが、今頃やってきた。荷物代は20メティ(約80円)。
そこからさらに30分ほど、客を乗せたり降ろしたりしながらバスは走る。徐々に平野が少なくなり、山がより近くなる。
マチパンダに入る。道路がやや高いところにあるから、周りを見渡すことができるのだが、見渡したところ家が200~300軒ある。予想していたよりもここらに暮らしている人は多そう。
11時頃。
やがて前方にトラックの行列が見え、国境がすぐそこだとわかる。
バスは道路脇の駐車場に停まる。バスを降りるとさっそく両替商のおじさんが寄ってくる。それからムタレまでタクシーで行かないかと言ってくるおじさんもあり。
リュックを受け取ってから、そこで両替する。まずは10米ドルぶんの250メティを両替すると1000ジンバブエドルになる。2日前にネットでレートを調べたときは1米ドル=42.72ジンバブエドルだった。だから500ジンバブエドルもらえればいいかと予想していたが、どうもネットに載っていたのは公定レートだったよう。ただ、このレートがいいのか悪いのかはわからない。ただ、このおじさんは両替商に多い偉そうな態度でもなかったので、ここでモザンビークのお金はすべて両替することにする。
さらに600メティほど両替して3000ちょっとのジンバブエドルになる。
両脇に停まっているトラックの行列の間を歩き、国境まで行く。警備はわりとゆるい。
まずはモザンビーク側で出国手続き。建物内のイミグレの窓口でパスポートを出すと質問も何もなく、出国スタンプを押してくれる。建物を出た後にもう一度チェックがあり、若い男性の係官にパスポートを見せる。すると彼は、「ジャポン」と言って出国スタンプを確認。それから日本は英語なのかと同僚の男性に尋ね、彼が日本語だと答えると、ぼくに人差し指を立てて見せ、これは日本語で何というのだと英語で聞いてくる。1(いち)と言うか、指と言うか迷うが、指だと教える。それを聞くと彼は「ユビ?」と聞き返し、今度は自分の頭を指さしヘッドはなんと言うのかと聞いてくるので「あたま」と教える。彼は同僚らに「ムイト ディファレンテ(ポルトガル語・英語とぜんぜん違う)」と笑顔で言う。
それでチェックは終了。手を振って彼とお別れ。
それから小さな橋を渡り200mほど歩くとジンバブエ側の入国手続きをする建物がある。ジンバブエに入る人、ジンバブエから出る人は多いが、白人、アジア人は見ない。
イミグレの入っている建物内に入ると壁に通貨レートを示す電光掲示板があった。1米ドルは42.7ジンバブエドル。
窓口でビザの申請書をもらい、それを記入する。記入しているとおじさんが寄ってきて手伝おうかと申し出てくれる。2カ所ほど尋ねる。彼は未記入の部分を代筆してくれようとするが、その中には持ち金の申告部分もあったので、それは断りおじさんが去ってから自分で書き込む。
パスポートと申請書を持って窓口に提出。するとビザ代を請求されるが、このときThirty米ドルをTwenty米ドルと聞き間違える。財布に30米ドルちょうどの札はあったのだが、50米ドル札を崩したかったので50米ドル札を出すと窓口の女性は渋い顔をして、引き出しを探した後、周り人に小さな米ドル札がないか聞いてまわる。結局、釣りがないと言われ、外に銀行があるからそこで両替するように言われる。
それで銀行の窓口に言ったものの小さいのはないと言われる。
しょうがないので虎の子の20米ドル札と10米ドル札を使うことにする。さっきは窓口に並んでいる人は少なかったのだが、いつの間にか10人近く並んでいた。さっきの女性がいないため彼女が現れるのを待つ。
隣の窓口で男性が入国手続きをしているのだが、割り込みする男多し。女性はけっこう並んで自分の順番を待っているのだが、並んでいる横から窓口の男性にパスポートを差し出す者がいて、また窓口の人もそれを受け取るから不思議なものだ。並んでいる人からすればいらいらする。実際、文句を言っている女性もいた。ここで白人の5~6人のグループが来る。先頭の女性は15人ぶんくらいのパスポートを持っている。何かのツアーなのだろう。
やっとさっきの女性が窓口に戻ってくる。それで30米ドルを渡すと処理に入る。ビザシールが最後の1枚だったのはラッキー。これでビザシールが切れていたらまた時間がかかるところだった。
特に質問もなく、パスポートを受け取って入国手続きは終了。大きな荷物を持っている人は税関審査を受けていたが、ぼくはそれを横目に颯爽と国境を抜けようとしたところ、服が砂で汚れたおじさんが荷物のチェックを受けないといけないと言ってくる。
それで小さな紙はあるかと言うので、なんのためなのかわからなかったが、さっきパスポートを受け取ったときに挟まれていた紙を見せると、Customとある部分に判子をもらわないといけないと言って、それを渡せば自分がもらってきてやると言う。信頼できるのかわからなかったので、その申し出は断り、自分で荷物のチェックをしている制服を来ている係官にどこでスタンプをもらえるか聞くと、彼は何も言わずにポンとスタンプを押す。
これで抜けられるかと思ったら、さっきのおじさんがやってきて、今度はこれをあそこにいる係官に見せなければならないと言う。それでその係官に見せるとさらさらっとサインをしてくれる。これでやっと抜けられるらしい。
ゲートのところで徒歩入国の人たちをチェックしている女性にこの紙を見せると、紙は回収され、通してくれる。なんとも面倒な仕組みだ。ビザの申請から数えると最低4人からチェックを受けることになる。
ゲートを出るとすぐにタクシーの運転手が寄ってくる。ムタレまでいくらかと聞くと500ジンバブエドルと言う。さっきの計算だと5米ドルぶんになる。それはちと高いと思い、一人目はパス。
次によってきたおじさんは、あと一人で出ると言う。値段を聞くと「フォーティ」と言う。さっきのおじさんより1桁安いから、ガーナのように下数桁を略した古い言い方ではあるまいなと思ったので、念のため乗っている客に運賃を聞き、fortyだよねと確認するとその女性は首を振り「Four Trillion」と言う。えっ?
Trillionなんて実際に聞くのは初めてだぞと思いながら、頭の中で計算を始める。この8月に100億分の1にデノミをしたというから4trillionは400新ジンバブエドル。ってことは最初のおじさんより100安いだけ。でも、安い方がいい。
ただ問題はどう見てもタクシーである乗用車の座席はすべて埋まっているということ。加えておじさんはぼくの荷物を屋根に乗せただけで、固定もせずにこれでオッケーとか言っているので、いやいや落ちるじゃろとは言わずに、It's not safeとぼくは言って自分でリュックを降ろす。するとおじさんは後部のドアを開け、後ろのトランクに入れる。最初からそうしろよな。
それから運転手のおじさんは助手席のドアを開け、すでに乗っていた女性に奥に詰めるように言う。彼女はぼくを見て「Do you sit here?」と聞いてくる。顔は笑っていたので、拒否されているわけではなさそうなので、プリーズと言って彼女の横に乗り込む。
車の内装ははがれ、ドアの内側ボードもなく、フロントガラスには大きなひび割れがある。エンジンはなかなかかからない。おじさんはいったん外に出て、ちょっと車を前に押す。下り坂だからすぐにゆったりと前方に進み出し、その力を利用してエンジンをかける。
山道を車は走る。坂道になると時速15kmほどまで落ちる。隣の女性はこれからハラレまで行くという。彼女はぼくにどこから来たのかと尋ねてくる。
その後、彼女は運転手のおじさんとおしゃべり。使っている言葉は英語ではない。ショナ語か何かの言葉のよう。
二人のおしゃべりが終わらないうちにタクシーはムタレの中心部に入る。広い通りを横切ったところで停まる。国境からは30分もかかっていない。
タクシーを降りて運賃を払う。降りたところは長距離のバス乗り場にもなっており、おんぼろな大型バスが数台停まっている。周りに3人ほど、バスの客引きが集まってくる。今日はここに泊まると言うと、どこに行くのだというので宿のある4th streetに行きたいと言うと道をおおざっぱに教えてくれる。
メインストリートであるとおりには通り名を書いた看板があったので、自分がHerbert Chieepo通り沿いにいることはわかったのだが、交差している小さい道の名前がわからないために全体のどのあたりかがわからない。道路名を示す看板はモザンビークの方がよく整備されている。とりあえず教えてもらった方向に歩く。
Herbert Chieepo通りには商店が並び、銀行が並んでいる。トヨタのショールームもあり。歩いている人たちも多い。歩道では新聞を売る人、飴玉を売る人、パンを売り歩いている人などがいる。野菜の小さな市場も見える。歩道の整備具合も店舗の状態もモザンビークよりずっといい。
どの銀行にも長蛇の列ができている。数軒ある大型スーパーには1軒をのぞきほとんど品物がない。服屋や薬屋などには商品はそこそこある。物のなさはキューバ並というところ。
目安にしていた宿近くの通りまで来て、もう一度人に尋ねる。それから教会の前を歩いていると、教会の中から声をかけてきて、わざわざ中から出てきて「助けが必要そうだったから」と言って何か手伝うことはないかと尋ねてくる。それで宿の住所を見せ道順を聞くと、その男性は道を歩いていた人に尋ねる。連れていこうかと言ってくれる。人気があまりない地帯に来ていたので、やや治安の心配があったがここからそんなに遠くないというので、自分で行くことにする。
そこからさらに100m歩いたところで宿を発見。閉鎖していなければいいがと思いつつ、呼び出しベルをならす。10代後半くらいの男性が出てきたので、部屋はあるかと聞くとあるという。ほっと安心。
今回の宿も大きな家の何部屋かを客室として使っているいわば民宿タイプの宿。ヨハネスやシモイオで泊まった宿も同じタイプの宿だったが、どちらも宿主はヨーロッパ人だった。一方、ここは地元の家族がやっているようで、彼は部屋を案内した後、ママだと言って宿主の女性を紹介してくれる。彼女のそばには2歳くらいのかわいい女の子がいた。
宿帳に記入し、荷物を部屋に置く。宿代は1泊5米ドル。久々の5ドルの宿。ボリビア以来か? 部屋も台所もトイレもシャワー室もきれいなので5米ドルじゃ安いくらい。
宿帳を見ると旅行客が急減していることが一目瞭然。宿帳には2007年と2008年ぶんの旅行客の名前があったのだが、2007年は1年間で約100人の客がいて、毎月数人ずついたのに2008年に入って以降ぼくを含め客は18人。この調子で行けば去年の半分以下は決定的だ。ちなみに旅行客はアメリカ、イギリス、オーストラリアからが目立つ。韓国人、日本人も数名あり。
まちに出る。飴玉をなめながら下校している制服を着た女の子とすれ違う。
さっきも通ってきた道を中心に見て回る。絵はがきを探したが、白黒や画質の悪いものしかなかった。
「The Herald」という新聞を買う。250ジンバブエドル。公定レートだと1米ドルが約42ジンバブエドルなので、新聞が6米ドルという計算になる。国境の両替で行っても円で言うと250円相当になる。国境では最初に10米ドルぶん両替して確かに1000ジンバブエドルになったのだが、記憶違いかなどとあまりの新聞の高さにだんだん混乱してくる。
闇両替のレートを知りたいところだが、取り締まりが厳しいと聞いていたとおり、歩いていて両替をしないかと声をかけてくる人はいない。
スーパーに行ってみるとあるスーパーは14本ほどある棚のうち商品が並んでいるのは12本だけ。肉も売っていたが600gくらいが1500ジンバブエドルとぼくにとっても高いくらい。
パンやファストフード店などを見て回っても食べ物の基本的な売価の単位は300ジンバブエドル以上。
昼飯を食いに食堂に入る。450ジンバブエドルのSadza&Vegetableを頼む。サザはトウモロコシの粉を練って突いて作ったそばがきみたいなもの。ジンバブエの主食だ。ベジタブルはいろんな野菜がでてくるかと思ったら、ブロッコリーの葉の炒め物だけ。ちとがっかり。サザは盛りだくさん。トウキビの味がしてなかなかうまい。
それから帰り道に野菜を売っている小さな市に立ち寄る。以下を購入。
じゃがいも2kg(7~10個)ほどが200ジンバブエドル。
人参1kgほどが150ジンバブエドル。人参はせいぜい人の指ほどの大きさしかないほど小さい。
レンズ豆(?)500gが300ジンバブエドル、
バナナ2kg(10本)ほどが400ジンバブエドル、
タマネギ2kg(10玉)ほどが300ジンバブエドル。
宿のママが食料が高くて買えないと言っていたが、ぼくも公定レートで両替していれば、とても買える値段ではない。野菜の類はけっこうあるじゃんと思うくらいそれなりにあるが、人口規模を考えれば少ないだ老。輸入されているだろうりんごもあった。
他売られていた野菜・果物はブロッコリー、キャベツ(これはでかい)、リンゴ、パパイヤ、洋なし、柑橘類3種ほど、レモン、キャッサバ、インゲン、グリーンピースなど。
ネット屋を探すが、最初にまわった2軒はダウンしてるということで使えず。立派なホテルのHoliday Innにはあるかと思っていくがここにはなく、ただフロントのおじさんが2軒場所を教えてくれる。1軒は見つけられず、もう1軒は発見し使える。10分80ジンバブエドル。
スピードも速く写真のアップロードができたので、ここでアップする。しめて670ジンバブエドル。高い!
17時半頃、明るいうちに宿に帰る。
宿には昼間いなかったこの家の子どもたちが帰ってきていた。結局ここには男の子1人と女の子3人がいるよう。女の子の一人は16歳と言っていて、もう一人も同じくらい。
テレビの部屋で新聞を見ていたら、テレビを見るかと女の子が聞いてくるのでニュースにチャンネルを合わせてもらうが、ジンバブエのニュースはこの時間はやっていなかった。ちょっと席を離れた間にチャンネルは変えられていて、スパイダーマンになっていた。ママと女の子3人と一緒に見る。一番ちっちゃいこはみんなに合わせてケラケラわらったり、声を上げたりする。
その後、買ってきた野菜でスープを作る。この家の食事も同じ台所で作っていて、女の子の一人が調理をしていた。サザと豆を塩辛く煮たもの、それからブロッコリーの葉の炒め物が今日のメニューらしい。
シャワーはお湯がでた。
夜はけっこう冷えるので布団をきちんとかぶって寝るのであった。
Fin
08/09/05(金) 晴 日中28℃くらい
[Chimoio:Mozambique→Mutare:Zimbabwe]
・ジンバブエ入国
・ジンバブエの物価
シモイオの宿Pink Papaya。
日が昇ってから目が覚める。時間は6時過ぎ。夜は布団をかぶっていないと寒かったが、朝は半袖でも大丈夫。ベッドを覆っている蚊帳をくぐって、ベッドから出る。2段ベッドが3つあるこの部屋には、今朝はぼく一人。宿泊客自体は他にイングランド人カップルがいるだけ。
台所に行って電気ポットのスイッチを入れる。アフリカやアメリカ大陸で使われている電気ポットは日本で一般的なものとは違って、蜷局(とぐろ)を巻いた金属の棒がポットの水を溜める空洞の中心あたりに固定されており、それを電気で加熱することで棒の周りの水を沸かす仕組みになっている。効率が悪そうなのだが、これが意外と早く沸く。
無料のティーバッグを一つ、コップの中に入れ、朝の一杯。
さて、ジンバブエ行きの準備をしないといけない。部屋の中は暗いので、バルコニーのテーブルを使って宿においてあったガイドブックから今日行くムタレの市内地図を書き写す。その地図に宿をいくつか書き込み、またこの宿にあった情報ノート(英語・ドイツ語)から宿情報をもらう。宿主の話ではジンバブエの宿はこの経済危機で観光客が減り、閉鎖している宿も多いとのことだった。情報ノートにあったのは今年5月時点での宿情報だから使える。ただ、その宿は正式な宿ではなく、無認可の宿とあるのが、気になるところ。
それから荷造りをする。
8時になって、ここで雇われている若い男性が出勤。彼が国境の情報などを持っているというので、待っていた。彼に聞くとここから国境までは、鉄道駅前のバス乗り場からバスに乗れ、運賃は65メティで、所要時間は最大2時間。ジンバブエの通貨への両替は国境でできるが、モザンビーク側でやるべき。ジンバブエ側は銀行で両替できるがレートが非常に悪い。モザンビーク側に闇両替(と言ってもみんな札束を握ってあからさまにやっているが)があるからそこで両替すると良いとのことだった。
宿の2泊ぶんの代金540メティ(1泊270メティ=約1200円:ドミ)を払い、ドイツはフライブルク出身の宿主と彼にさよならを告げ、宿を出る。
昨日は朝から雨だったが、今日はうって変わっての快晴。荷物を背負ってなければ涼しいくらいなのだが、歩いているとすぐに汗が出ている。まぁ、冬用の長袖シャツを上に着ていることもあるけど。
8時半頃。
10分程度歩いてバス乗り場に到着。バス乗り場と言っても車道の脇とか小さなロータリーのまわりにバス(大型ワゴンとマイクロバス)が停まっているだけで、どれがどこ行きのバスかはよくわからない。歩いていると声をかけられたので、彼に国境のマチパンダに行きたいとポルトガル語で言ったらバスを案内してくれた。
すでに半分以上座席が埋まっていたので出発は早そう。リュックは屋根の上にあげてもらう。
ジンバブエでは食糧難も起きつつあるとニュースで見たので、待っている間にバナナを2kgぶんほどとペットボトルの水500mlを買う。バナナも水もそれぞれ15メティ(約70円)。水は5リットルの大きいのを買おうかとも考えたのだが、宿探しの時邪魔になりそうなので、当面必要なぶんだけ購入。
9時前。
座席が埋まったところでバスは発車。マイクロバスだからワゴンのように窮屈ではない。快適だ。日本語の文字は書かれていないが、これもおそらく日本からの中古車。
バスは運転手と客ひき&集金担当の二人体制。
中心部を出ると軍の施設があって、塀際には独立戦争時にでも使ったのか、本物の古い戦車が置かれていた。
看板には国境のマチパンダまで83kmとある。
バスは途中で乗客を降ろしながら、乗せながら走る。道路は舗装された片道1車線の道。沿道には集落が並ぶ。
集落の家々は、基本的に土壁あるいはコンクリート壁に藁葺き屋根。トタンはあまり普及していない。感覚的には1割程度。ある集落では、家の敷地の周りに背丈の低い樹木を植え、生け垣を作っていた。
左にも右にも山並みが見える。標高は1000m程度だろうか。景色を見ていてなんだかしっくりくるのは日本と同じように山が近いからかもしれない。ただ、山も平原の草木も冬枯れ(乾季枯れ?)していて、葉を落としているのがほとんど。日本でいえば冬景色のよう。
走り出して30分ほどすると警察の検問。警官が一人乗り込んできて乗客に身分証明書の提示を求めてくる。パスポートを出すと中は確認せず、持っているのを確認したのみ。この後、国境まで同じような検問が3度ほどある。
走り出してから客ひき&集金担当の男性が運賃を集め始める。ここで65メティ払う。集金は男性が車内を移動しながら行うのではなく、客の手渡しで彼に届けるスタイル。アフリカではこのスタイルが多い。
燃料として使うのだろう、2mくらいある木々(直径15cmくらいの丸太含む)を頭に乗せて歩く女性たちを見る。たいていどこでもそうだが、この薪運びは女性や少女、子どもたちがやっている。中南米ではロバや馬による馬車が荷運びに使われていたが、そうしたものを見る機会がアフリカでは非常に少ない。国境までの2時間で見た荷運びの道具は、牛車が2台ほどとトラクター2台のみ。馬車はない。人力車も見ない。自転車は少ないけれど使われているから車輪は手に入ると思うのだが、荷車を使う文化がないのか、車輪自体を買うのが大変なのか、荷車をあまり見ない。例えば集落や近所の数軒で1台でも2台でも荷車を所有すれば、水運びや薪運びはずいぶん楽になると思うのだが。ただここは急ではないけど起伏がそれなりにあるから、その点は大量に運ぼうとすれば頭で運ぶより面倒になるかもしれない。
沿道には植林されているところもあり、木を切り倒した後なのだろう、切り株の周りで一休みしている男たちを見る。
いくつか市が出ていてにぎやかな集落の前を通り、1時間半ほどでManicaというまちに着く。ここは国境へ行く道とモザンビークの北部に行く道が交差する場所。そのためかシモイオよりも活気がある。道ばたに露店が並び大勢の人が売り買いしている。
バスがその露店街というかただの道ばたのバス乗り場に停車すると、客のほとんどが降りてしまう。バスには札束を持った男たちが数人近寄ってきて、ジンバブエのお金に両替しないかと声をかけてくる。
ぼくの左隣に座っていた男性が一人の両替商の男性に英語でレートを聞くが、両替はせず。彼に今のジンバブエドルのレートを聞いてみると、彼は今のレートはわからないという。とりあえず国境で両替するというので、ぼくもここで両替はせずに国境まで待つことにする。
国境ももうすぐという頃になって、なぜか集金担当の男性が声をかけてきて、屋根の上を指さし、荷物代を請求してくる。運賃を回収したときにその請求がなかったから、てっきりないものだと思っていたのだが、今頃やってきた。荷物代は20メティ(約80円)。
そこからさらに30分ほど、客を乗せたり降ろしたりしながらバスは走る。徐々に平野が少なくなり、山がより近くなる。
マチパンダに入る。道路がやや高いところにあるから、周りを見渡すことができるのだが、見渡したところ家が200~300軒ある。予想していたよりもここらに暮らしている人は多そう。
11時頃。
やがて前方にトラックの行列が見え、国境がすぐそこだとわかる。
バスは道路脇の駐車場に停まる。バスを降りるとさっそく両替商のおじさんが寄ってくる。それからムタレまでタクシーで行かないかと言ってくるおじさんもあり。
リュックを受け取ってから、そこで両替する。まずは10米ドルぶんの250メティを両替すると1000ジンバブエドルになる。2日前にネットでレートを調べたときは1米ドル=42.72ジンバブエドルだった。だから500ジンバブエドルもらえればいいかと予想していたが、どうもネットに載っていたのは公定レートだったよう。ただ、このレートがいいのか悪いのかはわからない。ただ、このおじさんは両替商に多い偉そうな態度でもなかったので、ここでモザンビークのお金はすべて両替することにする。
さらに600メティほど両替して3000ちょっとのジンバブエドルになる。
両脇に停まっているトラックの行列の間を歩き、国境まで行く。警備はわりとゆるい。
まずはモザンビーク側で出国手続き。建物内のイミグレの窓口でパスポートを出すと質問も何もなく、出国スタンプを押してくれる。建物を出た後にもう一度チェックがあり、若い男性の係官にパスポートを見せる。すると彼は、「ジャポン」と言って出国スタンプを確認。それから日本は英語なのかと同僚の男性に尋ね、彼が日本語だと答えると、ぼくに人差し指を立てて見せ、これは日本語で何というのだと英語で聞いてくる。1(いち)と言うか、指と言うか迷うが、指だと教える。それを聞くと彼は「ユビ?」と聞き返し、今度は自分の頭を指さしヘッドはなんと言うのかと聞いてくるので「あたま」と教える。彼は同僚らに「ムイト ディファレンテ(ポルトガル語・英語とぜんぜん違う)」と笑顔で言う。
それでチェックは終了。手を振って彼とお別れ。
それから小さな橋を渡り200mほど歩くとジンバブエ側の入国手続きをする建物がある。ジンバブエに入る人、ジンバブエから出る人は多いが、白人、アジア人は見ない。
イミグレの入っている建物内に入ると壁に通貨レートを示す電光掲示板があった。1米ドルは42.7ジンバブエドル。
窓口でビザの申請書をもらい、それを記入する。記入しているとおじさんが寄ってきて手伝おうかと申し出てくれる。2カ所ほど尋ねる。彼は未記入の部分を代筆してくれようとするが、その中には持ち金の申告部分もあったので、それは断りおじさんが去ってから自分で書き込む。
パスポートと申請書を持って窓口に提出。するとビザ代を請求されるが、このときThirty米ドルをTwenty米ドルと聞き間違える。財布に30米ドルちょうどの札はあったのだが、50米ドル札を崩したかったので50米ドル札を出すと窓口の女性は渋い顔をして、引き出しを探した後、周り人に小さな米ドル札がないか聞いてまわる。結局、釣りがないと言われ、外に銀行があるからそこで両替するように言われる。
それで銀行の窓口に言ったものの小さいのはないと言われる。
しょうがないので虎の子の20米ドル札と10米ドル札を使うことにする。さっきは窓口に並んでいる人は少なかったのだが、いつの間にか10人近く並んでいた。さっきの女性がいないため彼女が現れるのを待つ。
隣の窓口で男性が入国手続きをしているのだが、割り込みする男多し。女性はけっこう並んで自分の順番を待っているのだが、並んでいる横から窓口の男性にパスポートを差し出す者がいて、また窓口の人もそれを受け取るから不思議なものだ。並んでいる人からすればいらいらする。実際、文句を言っている女性もいた。ここで白人の5~6人のグループが来る。先頭の女性は15人ぶんくらいのパスポートを持っている。何かのツアーなのだろう。
やっとさっきの女性が窓口に戻ってくる。それで30米ドルを渡すと処理に入る。ビザシールが最後の1枚だったのはラッキー。これでビザシールが切れていたらまた時間がかかるところだった。
特に質問もなく、パスポートを受け取って入国手続きは終了。大きな荷物を持っている人は税関審査を受けていたが、ぼくはそれを横目に颯爽と国境を抜けようとしたところ、服が砂で汚れたおじさんが荷物のチェックを受けないといけないと言ってくる。
それで小さな紙はあるかと言うので、なんのためなのかわからなかったが、さっきパスポートを受け取ったときに挟まれていた紙を見せると、Customとある部分に判子をもらわないといけないと言って、それを渡せば自分がもらってきてやると言う。信頼できるのかわからなかったので、その申し出は断り、自分で荷物のチェックをしている制服を来ている係官にどこでスタンプをもらえるか聞くと、彼は何も言わずにポンとスタンプを押す。
これで抜けられるかと思ったら、さっきのおじさんがやってきて、今度はこれをあそこにいる係官に見せなければならないと言う。それでその係官に見せるとさらさらっとサインをしてくれる。これでやっと抜けられるらしい。
ゲートのところで徒歩入国の人たちをチェックしている女性にこの紙を見せると、紙は回収され、通してくれる。なんとも面倒な仕組みだ。ビザの申請から数えると最低4人からチェックを受けることになる。
ゲートを出るとすぐにタクシーの運転手が寄ってくる。ムタレまでいくらかと聞くと500ジンバブエドルと言う。さっきの計算だと5米ドルぶんになる。それはちと高いと思い、一人目はパス。
次によってきたおじさんは、あと一人で出ると言う。値段を聞くと「フォーティ」と言う。さっきのおじさんより1桁安いから、ガーナのように下数桁を略した古い言い方ではあるまいなと思ったので、念のため乗っている客に運賃を聞き、fortyだよねと確認するとその女性は首を振り「Four Trillion」と言う。えっ?
Trillionなんて実際に聞くのは初めてだぞと思いながら、頭の中で計算を始める。この8月に100億分の1にデノミをしたというから4trillionは400新ジンバブエドル。ってことは最初のおじさんより100安いだけ。でも、安い方がいい。
ただ問題はどう見てもタクシーである乗用車の座席はすべて埋まっているということ。加えておじさんはぼくの荷物を屋根に乗せただけで、固定もせずにこれでオッケーとか言っているので、いやいや落ちるじゃろとは言わずに、It's not safeとぼくは言って自分でリュックを降ろす。するとおじさんは後部のドアを開け、後ろのトランクに入れる。最初からそうしろよな。
それから運転手のおじさんは助手席のドアを開け、すでに乗っていた女性に奥に詰めるように言う。彼女はぼくを見て「Do you sit here?」と聞いてくる。顔は笑っていたので、拒否されているわけではなさそうなので、プリーズと言って彼女の横に乗り込む。
車の内装ははがれ、ドアの内側ボードもなく、フロントガラスには大きなひび割れがある。エンジンはなかなかかからない。おじさんはいったん外に出て、ちょっと車を前に押す。下り坂だからすぐにゆったりと前方に進み出し、その力を利用してエンジンをかける。
山道を車は走る。坂道になると時速15kmほどまで落ちる。隣の女性はこれからハラレまで行くという。彼女はぼくにどこから来たのかと尋ねてくる。
その後、彼女は運転手のおじさんとおしゃべり。使っている言葉は英語ではない。ショナ語か何かの言葉のよう。
二人のおしゃべりが終わらないうちにタクシーはムタレの中心部に入る。広い通りを横切ったところで停まる。国境からは30分もかかっていない。
タクシーを降りて運賃を払う。降りたところは長距離のバス乗り場にもなっており、おんぼろな大型バスが数台停まっている。周りに3人ほど、バスの客引きが集まってくる。今日はここに泊まると言うと、どこに行くのだというので宿のある4th streetに行きたいと言うと道をおおざっぱに教えてくれる。
メインストリートであるとおりには通り名を書いた看板があったので、自分がHerbert Chieepo通り沿いにいることはわかったのだが、交差している小さい道の名前がわからないために全体のどのあたりかがわからない。道路名を示す看板はモザンビークの方がよく整備されている。とりあえず教えてもらった方向に歩く。
Herbert Chieepo通りには商店が並び、銀行が並んでいる。トヨタのショールームもあり。歩いている人たちも多い。歩道では新聞を売る人、飴玉を売る人、パンを売り歩いている人などがいる。野菜の小さな市場も見える。歩道の整備具合も店舗の状態もモザンビークよりずっといい。
どの銀行にも長蛇の列ができている。数軒ある大型スーパーには1軒をのぞきほとんど品物がない。服屋や薬屋などには商品はそこそこある。物のなさはキューバ並というところ。
目安にしていた宿近くの通りまで来て、もう一度人に尋ねる。それから教会の前を歩いていると、教会の中から声をかけてきて、わざわざ中から出てきて「助けが必要そうだったから」と言って何か手伝うことはないかと尋ねてくる。それで宿の住所を見せ道順を聞くと、その男性は道を歩いていた人に尋ねる。連れていこうかと言ってくれる。人気があまりない地帯に来ていたので、やや治安の心配があったがここからそんなに遠くないというので、自分で行くことにする。
そこからさらに100m歩いたところで宿を発見。閉鎖していなければいいがと思いつつ、呼び出しベルをならす。10代後半くらいの男性が出てきたので、部屋はあるかと聞くとあるという。ほっと安心。
今回の宿も大きな家の何部屋かを客室として使っているいわば民宿タイプの宿。ヨハネスやシモイオで泊まった宿も同じタイプの宿だったが、どちらも宿主はヨーロッパ人だった。一方、ここは地元の家族がやっているようで、彼は部屋を案内した後、ママだと言って宿主の女性を紹介してくれる。彼女のそばには2歳くらいのかわいい女の子がいた。
宿帳に記入し、荷物を部屋に置く。宿代は1泊5米ドル。久々の5ドルの宿。ボリビア以来か? 部屋も台所もトイレもシャワー室もきれいなので5米ドルじゃ安いくらい。
宿帳を見ると旅行客が急減していることが一目瞭然。宿帳には2007年と2008年ぶんの旅行客の名前があったのだが、2007年は1年間で約100人の客がいて、毎月数人ずついたのに2008年に入って以降ぼくを含め客は18人。この調子で行けば去年の半分以下は決定的だ。ちなみに旅行客はアメリカ、イギリス、オーストラリアからが目立つ。韓国人、日本人も数名あり。
まちに出る。飴玉をなめながら下校している制服を着た女の子とすれ違う。
さっきも通ってきた道を中心に見て回る。絵はがきを探したが、白黒や画質の悪いものしかなかった。
「The Herald」という新聞を買う。250ジンバブエドル。公定レートだと1米ドルが約42ジンバブエドルなので、新聞が6米ドルという計算になる。国境の両替で行っても円で言うと250円相当になる。国境では最初に10米ドルぶん両替して確かに1000ジンバブエドルになったのだが、記憶違いかなどとあまりの新聞の高さにだんだん混乱してくる。
闇両替のレートを知りたいところだが、取り締まりが厳しいと聞いていたとおり、歩いていて両替をしないかと声をかけてくる人はいない。
スーパーに行ってみるとあるスーパーは14本ほどある棚のうち商品が並んでいるのは12本だけ。肉も売っていたが600gくらいが1500ジンバブエドルとぼくにとっても高いくらい。
パンやファストフード店などを見て回っても食べ物の基本的な売価の単位は300ジンバブエドル以上。
昼飯を食いに食堂に入る。450ジンバブエドルのSadza&Vegetableを頼む。サザはトウモロコシの粉を練って突いて作ったそばがきみたいなもの。ジンバブエの主食だ。ベジタブルはいろんな野菜がでてくるかと思ったら、ブロッコリーの葉の炒め物だけ。ちとがっかり。サザは盛りだくさん。トウキビの味がしてなかなかうまい。
それから帰り道に野菜を売っている小さな市に立ち寄る。以下を購入。
じゃがいも2kg(7~10個)ほどが200ジンバブエドル。
人参1kgほどが150ジンバブエドル。人参はせいぜい人の指ほどの大きさしかないほど小さい。
レンズ豆(?)500gが300ジンバブエドル、
バナナ2kg(10本)ほどが400ジンバブエドル、
タマネギ2kg(10玉)ほどが300ジンバブエドル。
宿のママが食料が高くて買えないと言っていたが、ぼくも公定レートで両替していれば、とても買える値段ではない。野菜の類はけっこうあるじゃんと思うくらいそれなりにあるが、人口規模を考えれば少ないだ老。輸入されているだろうりんごもあった。
他売られていた野菜・果物はブロッコリー、キャベツ(これはでかい)、リンゴ、パパイヤ、洋なし、柑橘類3種ほど、レモン、キャッサバ、インゲン、グリーンピースなど。
ネット屋を探すが、最初にまわった2軒はダウンしてるということで使えず。立派なホテルのHoliday Innにはあるかと思っていくがここにはなく、ただフロントのおじさんが2軒場所を教えてくれる。1軒は見つけられず、もう1軒は発見し使える。10分80ジンバブエドル。
スピードも速く写真のアップロードができたので、ここでアップする。しめて670ジンバブエドル。高い!
17時半頃、明るいうちに宿に帰る。
宿には昼間いなかったこの家の子どもたちが帰ってきていた。結局ここには男の子1人と女の子3人がいるよう。女の子の一人は16歳と言っていて、もう一人も同じくらい。
テレビの部屋で新聞を見ていたら、テレビを見るかと女の子が聞いてくるのでニュースにチャンネルを合わせてもらうが、ジンバブエのニュースはこの時間はやっていなかった。ちょっと席を離れた間にチャンネルは変えられていて、スパイダーマンになっていた。ママと女の子3人と一緒に見る。一番ちっちゃいこはみんなに合わせてケラケラわらったり、声を上げたりする。
その後、買ってきた野菜でスープを作る。この家の食事も同じ台所で作っていて、女の子の一人が調理をしていた。サザと豆を塩辛く煮たもの、それからブロッコリーの葉の炒め物が今日のメニューらしい。
シャワーはお湯がでた。
夜はけっこう冷えるので布団をきちんとかぶって寝るのであった。
Fin
2008年9月5日金曜日
[速報]ムタレ(ジンバブエ)いり
今日(9/5)の昼にモザンビークから国境をこえてジンバブエに入りました。
今いるまちのムタレはジンバブエで3番目くらいに大きな街ですが、予想していたよりもずっと落ち着いた雰囲気で心地いいです。大統領の強引な政治とそれに伴う深刻なインフレ=経済危機で旅行者ががた減りしているジンバブエですが、今のところ雰囲気はヨハネスよりもいいです。モザンビークではマシンガンを持った警官がまちをうろうろしていましたが、そういう姿はここにはないですし、まちを歩いていれば笑い声などもよく聞こえます。宿を探して歩いている時も親切に教えてくれたし、また歩いていたらよくHelloとかHow are you?って声をかけられます。
インフレで通貨の単位が膨れ上がっていましたが、この8月のあたまにデノミをして100億分の1にきりさげられました。ただ、未だにみんな古い単位で呼んでいて,買い物で使う単位はもっぱらトリリョン(trillion).たしかこれは日本の単位では兆だったと思いますので、4兆ドルなどと言っているわけです。また、古いお札もまだ使われていて、0が12個あったりしてなかなかすごいですね。
ここで泊まる宿が1泊5USドルとこれまで泊まってきたアフリカの宿の平均の半額なので、2泊ほどしたのちに首都のハラレに行きます。
では。
2008.9.5 16;31
Mutare,Zimbabwe
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今いるまちのムタレはジンバブエで3番目くらいに大きな街ですが、予想していたよりもずっと落ち着いた雰囲気で心地いいです。大統領の強引な政治とそれに伴う深刻なインフレ=経済危機で旅行者ががた減りしているジンバブエですが、今のところ雰囲気はヨハネスよりもいいです。モザンビークではマシンガンを持った警官がまちをうろうろしていましたが、そういう姿はここにはないですし、まちを歩いていれば笑い声などもよく聞こえます。宿を探して歩いている時も親切に教えてくれたし、また歩いていたらよくHelloとかHow are you?って声をかけられます。
インフレで通貨の単位が膨れ上がっていましたが、この8月のあたまにデノミをして100億分の1にきりさげられました。ただ、未だにみんな古い単位で呼んでいて,買い物で使う単位はもっぱらトリリョン(trillion).たしかこれは日本の単位では兆だったと思いますので、4兆ドルなどと言っているわけです。また、古いお札もまだ使われていて、0が12個あったりしてなかなかすごいですね。
ここで泊まる宿が1泊5USドルとこれまで泊まってきたアフリカの宿の平均の半額なので、2泊ほどしたのちに首都のハラレに行きます。
では。
2008.9.5 16;31
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