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2008年5月26日月曜日

ティティカカ湖、水草の上に浮かぶ島

08/05/02

6時頃目が覚める。外はだいぶ明るい。部屋の寒さはクスコほどではない。

7時半前に宿を出て、船着き場に向かう。歩いていると山林自転車のおじさんがクラクションを鳴らしてくるので、値段を聞いて乗る。値段は3ソーレス(約180円)。これまで乗ったタクシーなどの代金とくらベると、距離の割には高い。たぶん現地の相場ではせいぜい1.5ソルくらいだと思うが、タクシーよりも運転手の身体への負担は大きいし、またエコロジカルでもあるので、言い値で乗る。

乗ってみると、これは身体への負担はかなり少ないと感じる。キューバで乗ったチャリタクシーよりもこちらの方が車輪の周り方がかなりスムーズだ。坂もないし、スピードもそこそこ出る。

湖沿いの道を走る。気温は15度くらいか。風にあたると寒い。10分程度で船着き場に到着。船着き場は観光客ばかり。

チャリのおじさんに20ソーレス札を渡すと釣りがないらしく、どこかに両替しにいく。待っている間に、別のおじさんが話しかけてきて島に行くのかと聞いてくる。そうだと伝えると舟代などを説明してくる。どこかの旅行会社の人かと思い、聞き流しつつ聞く。

おじさんが戻ってくる。足し算方式で、額面の違うコインをぼくに手渡しながら、これで15、17、20と言う。ぼくとしては慣れていないから足し算の方がわかりにくい。

船着き場の桟橋入り口にいくつかプレハブのような建物があって、声をかけてきたおじさんにその一つのところに案内される。ウロス島とタキーレ島の2つの島を回る往復チケットの値段は20ソーレス(約1500円)。

7時45分発の舟らしいが、すでに8時近くになっている。桟橋には似たような舟がいくつも接岸しているので、どの舟に乗ったらいいか迷ったが、チケットを持って歩いていたら手招きするおじさんがいたので、そちらに行き、乗り込む。

島に帰るらしい人たちが20人ほど乗っていて、床はその人たちの荷物でいっぱい。その他に外国人観光客が10人ほど。ドイツ語を話す4人組(男1人、女3人)とフランス語を話す女2人組、オランダ人カップル1組、ぼく以外の日本人が1人(30代後半男)など。

船は中型のモーターボートで屋根の上と、屋根のある室内と、後部甲板(?)に座席がある。乗員可能人数は40人くらいか。

ぼくが乗り込むと外国人を優先的に屋根のある室内に座らせようと、数人の地元の人が船長に言われ、船の後部、簡単に言えば外に出る。

ぼくは風にあたっている方が気分がいいので、外でいいと言うが、中に入れと言われる。

ぼくは島への定期船に乗ったつもりでいたのだが、船が発車すると、乗組員の一人の人が英語とスペイン語で挨拶を始める。そして、英語はうまくできないからスペイン語で話をさせてくれと言って、これから船が向かう島について、ティティカカ湖について話をする。

ティティカカ湖の島に住む人々は、地域によってケチュア語とアイマラ語を話す。いろいろ説明をしてくれている男性はタキーレ島の出身らしく、自分のFirst language(母語)は、ケチュア語だと言っていた。彼は20代半ばくらいで、中学の時にか試合をした相手のチームにいた奴に似ている。話し方も客と目を合わせることはあまりなく、視線は上に行ったり下に行ったりと、人前で話すことに慣れていない日本人と似ている。

乗組員らしき人は操縦士も含め、全部で6人ほどいてすべて男。そのうち60代に見える(実際は50代かもしれない)しわの多い細身の人が船長で、他に30~40代の操縦士と20代くらいの人が2人乗っていた。どの人も島のいわゆる民族服と帽子をつけている。

15分ほどすると、船は水草の生えている一帯に入る。この水草はトトラ(実際に聞くとトゥルトゥーラと聞こえる)と呼ばれる草で背丈は2m近くある。日本で言えば葦のようなもので、この湖に住む人たちは、これを建築資材として使って家や船を作ったり、島を作ったりしている。また、これらがティティカカ湖の観光のメインともなっている。

そのトトラの群生の間にできた水路を船はゆき、しばらくすると、日本人の感覚で言えば、全面藁でできた家がいくつも並ぶ島が現れる。ここがいわゆるウロス島という名で知られているところらしい。

稲藁色の色が立ち並ぶ様は確かに美しい。思っていたよりも島はたくさんあり、一つ一つは小さい。そのうちの一つの島に船は接岸する。島もトトラで作られたものなので、島に一歩踏み入れると5cmくらい足下が沈む。

その島には5軒ほどの家があり、どれも10畳ほどと小さい。その島では、この島がどのようにできているのかという説明や何を生業にしているのかといった説明がある。この島はトトラの群生の上に、刈り取ったトトラを束ねて乗せて作った島らしい。今が流されないように湖底に杭を打っているとも言っていた。説明中、どこからかトトラを刈り取ってきて、実際に見せてくれた。手に持って見てみると肌合いが成長途中の長ネギによく似ている。湖面に出ている部分は緑色だが、根本は白く、しかもこれは食べられると言って説明していた人は皮を剥き、食べて見せた。

その人に促されみな食べてみる。ぼくも食べてみたが、やや歯ごたえのあるスポンジを食っている感じで、味は何もしない。ただ水分を大量に含んでいて、噛んだ端から水が滴り落ちる。2口ほど食ってみたが、それ以上食べる気にならず、床に放置する。

ここ草でできた浮き島だから当然土はない。なので、農業はできない。島の人たちは主に湖の魚を取って、それを陸地のまちに持っていき、そこでトウキビやキヌア、各野菜などと交換して食料を得ているらしい。

説明が終わると買い物タイムみたいになり、さっきまでは布をかぶせていた土産物品がお披露目になり、女性が観光客に声をかける。床?の上に敷物を敷き、陳列された土産物品は、刺繍入りの幅色の布地やトトラで作られた船や家のミニチュア、あとアクセサリーが多い。柄は違うのだろうが、あまり個人の旅行客が買いそうなものではない。案の定、誰一人土産物には手をつけなかった。

一人ぐらい何か買わないとと、半ば義務感のようなもので、インカ時代の刺繍を入った小さな壁掛けを買う。値段は20ソーレス(約900円)。不覚にもソルがすでになくなっていたので、残っていた10ソーレスと5ドル札で買う。

着いてから30分ほどすると、船長が"Vamos(バーモス:行きましょう"と言って、観光客に船に乗るように言う。ここではっきりとこれはただの定期船などではなく、観光客を主体にしたツアー船でもあることに気づく。

ガイドブックのロンプラによれば、ツアー会社を使うよりも自力で行った方が、地元の人への貢献は大きい(つまり、より地元にカネが落ちる)とあった。そういうこともあり、また何より安いからこうして来たのだが、この船はツアー会社のではないものの、島の人がツアー会社に対抗してやっている船のようだった。

実際、湖を走る船の多くは観光客だけを乗せた船が多い。中には日本人が7人くらい乗っているだけで走っている船もある。そういう面から言えば、確かにこの船は地元の人の足ではあるのだが、それと同時に島の人が観光客から直接、いわば外貨を得るための船でもあるようなのだ。だから、乗組員の人は民族服を来ているのではないかとも思う。

小さな浮島をでた後、近くの別の大きな島に行く。そこでは15分ほど滞在時間があった。その島には土産物の露店の他に、立派なレストランやジュースやお菓子を売っている雑貨店があり、また見物用なのか、それとも実際に泊まれるのか、内部を見ることができるトルトラでできた家が10棟ほどあった。ただ、その家の中にはただベッドがあるだけで、他は何もない。

時間になると船長等が、"Vamos"と言って出発を告げる。この間も船に乗っていた島の人は、観光客が見て回るのを船の中で待っていた。

また船に乗る。一帯には40近い小さな浮島があり、それぞれに観光船が停まっていたりする。それを見て、もしかしたらこれらの浮島の中には、観光客をより多く受け入れるために作られたものもあるのではないか、という疑念が浮かぶ。

また、これだけの観光客が押し寄せていれば、当然、売り上げの分配問題があるはずだ。おそらくそれぞれの島へは同じだけ観光船がやってくるように調整されているだろうが、ツアー客を受け入れるのと、ぼくらのような個人客を受け入れるのでは売り上げはだいぶ違うだろう。

また、お金が入ってくれば、トルトラで作った家よりも、一時期日本で流行った言葉で言えば、”文化的な”家で暮らしたいと思う人も大勢出てくるだろう。実際に浮島がある一帯には、トルトラの家だけでなく、トタンで作られた家も相当数あった。

例えば10年後や20年後にまたここに来て、どうなっているのかを見るのも面白そうだ。その頃にはもしかするとプーノのまちにみな住んで、朝早くトルトラの島に出勤するといったスタイルになっているかもしれないし、あるいは変わらず同じような暮らしをしているかもしれない。

船はその大きな島を出ると、すぐにトルトラの群生も抜ける。真っ青な空に真っ青な湖。波もない。船はおそらく時速10kmくらいで進んでいる。右手には陸地が見え、左手前方にはボリビア領土にある雪をかぶった山々が見える。

途中、養殖のためらしい生け簀(?)の横を通り過ぎる。漁をしている舟はあまり見かけない。

1時間たっても船は次の島に着く気配はなく、乗客も多くが寝てしまっている。ただ、民族服をかぶったやはり60代くらいに見えるおじさんは、黙々と編み物をしている。首に網糸をかけ、金属製の網帽を忙しく動かす。隣にも同じように編み物をしているおじさんがいたが、そのおじさんの指はあまり動いていない。

ぼくもしばらくおネンネ。

それからさらに1時間ほどたったものの、まだ船は着かない。

結局、タキーレ島に着いたのは、12時すぎ。8時にプーノを出たから実に4時間近くかかっている。

ぼくは帰りは適当に船に乗って帰れるのだろうと思ったら、そうではなかった。帰りまで同じメンツで同じ船で帰るらしい。こうなるともう完全なツアーだ。

帰りの船は着いた場所からではなく、島の反対側の船着き場から出るらしい。島への入島料5ソーレスを払い、船の中でいろいろ説明していたガイド役のにいちゃんの後を着いて島に入る。

乗っけから坂道なので、あっと言う間に息が切れる。なんといっても、ティティカカ湖の標高は富士山並みの3700mなのだ。当然、息も切れる。

石造りの道を歩いていくと両脇には段々畑が現れる。トウキビや空豆、キヌアらしい植物、それにジャガイモなどが植わっている。

息を切らしながら15分ほど登ると島の中央広場に出る。ここには教会や小さな商店、レストラン、織物の共同売場などがあり、広場には観光客がいっぱい。圧倒的にヨーロピアン系の白人が多い。

そこでしばし自由行動。レストランの一つで食事をする。スープとメイン料理、飲み物がついて12ソーレス(約500円)。ペルーの普通のレストランは高くてもせいぜい一桁なので、かなり高い。昨日、食べた店ではスープにメインにマテ茶がついて2ソーレスだったから実に6倍の価格だ。

スープはキヌアのスープでキヌア以外にも野菜が入っている。さすがに観光客が多いからか、スープの量はペルーの普通の量の4分の1程度。つまりは日本では普通の量。

魚は2種類合ったが、ぼくはTrucha(トゥルーチャ)というのを頼む。ものの本によればマスらしい。湖の魚らしく、揚げてはあるが土くさい。他にパンと白米。飲み物はマテ茶。

食後、島をちょっとふらついてみるとレストランは他にもあり、全部で10軒はあるようだった。家は日干し煉瓦で作られているのが多い。道幅は狭く、登り下りの道が多い。

広場に戻ると、地元の女の人たちが、4人くらいで湯がいたチョクロッ(トウキビ)などを食べていた。そのうちの一つが、気になって何かと訪ねると、食べてみてと一つくれた。名前を忘れてしまったが、それは見た目も大きさも赤みを帯びたショウガのようなのだが、食べてみるとサツマイモと同じ味のものだった。市場ではジャガイモなどと並べて売られていたので、そういうわけでジャガイモと一緒に売られていたのかと気づく。

他にも彼女らはゆがいた空豆も食べていた。それも一つくれたので、いただく。どちらかというと編んだ物よりも、こういうものを売ってくれている方がぼくとしてはオカネの使い道があるのだが、彼女らにこれらは売っているか聞いてみたところ、ないとのことだった。

広場にいたら船で同じだった男の人に声をかけられる。食事も同じレストランでしたので、ちょっとだけしゃべったが、彼はリマから来たというペルー人だった。外見はヨーロピアンと変わらないのだが、携帯電話を盛んに使っていたし、CDプレイヤーで音楽を聴いていたので、もしやと思ったが案の上ペルーの人だった。

彼がプーノに戻るんじゃないかと言うので、そうだと言うと、帰りの船着き場に行こうと言われる。ふらふらしている間に、一緒に乗ってきた人はすでに広場から消えていて、もう船着き場に行ってしまったようだった。

広場に残っていたのは、ぼくの他に彼とフランス語を話す女二人組だけ。ガイドの人の案内で島の反対側の船着き場に行く。

途中、道に座り込んだおじさんが物乞いをしていた。3歳くらいの小さな男の子が、お菓子が欲しいのかやはり掌を上にして、何か言ってくる。また、ミサンガを売っている10歳くらいの女の子もいて、僕らを見ると寄ってきてそれらを差し出し買わないかと言ってくる。

船着き場への道も石造り。最後は急傾斜の斜面に作られた階段を降りる。傾斜と階段となっている石が不揃いであることから、年輩のおばさんや体格のいいおばさんは、なかなか足が進まない。

帰りは地元の人がいなくなった分、船は空いていた。他にもプーノに戻る船はあり、観光客だけではまだまだ空いていたのだが、それぞれ乗せてきた来た客を乗せて、14時半頃船は出る。

帰りは屋根の上の席に座る。スピードが遅いから寒くもないし、髪もなびかない。だが、屋根のあるところにいるよりも景色がいいぶん、なんだか速く感じる。

正面右からの太陽の光がなかなか強烈。

しばらくすると、船長が紙を持ってくる。それはスペイン語表記のアンケートで、タキーラ島に来た理由や船の乗り心地やガイド、食事などに対する5段階評価とその理由を書く欄がもうけられていた。

まさかこういうものがあるとは思っていなかったので、ちょっとびっくり。観光客のニーズを把握しようというものだろうが、これが逆にありきたりな観光地になっていくきっかけになってしまうのではないかとも思う。

ぼくはスペイン語では(英語でも)文章はかけないので、5段階評価の部分だけチェックを入れて返す。

船着き場に着く直前に船長は、屋根に乗っていたぼくらに下に降りるよう言い、さらに警察がいるからと救命用具を身につけるよう言う。

3時間の航海(航湖?)の後、プーノに到着。時間は夕方の5時をすぎていた。辺りはすでに暗くなり始めていて、朝には船着き場にいたお菓子売りの人たちもいなくなっていた。

ぼくは歩いてプーノの町中を見に行く。

500mほど歩くと大きいとおりに出る。その通りは露店市場となっており、右も左もずっと露店が並んでいるのだった。

通りの名はAvenida El Sol(太陽通り?)。直線距離にすれば1km以上も露店が並んでいる。ぼくが最初についたところは服屋と靴屋ばかりだったが、歩いていくとお祭りなのか羊や鶏、クイの炭火焼きを売っている屋台があった。

羊はここでは初めてなので、それを食べる。適当に切ってもられた肉は骨も付いているが500gくらいある。付け合わせはジャガイモをゆがいたものとレタスとトマトのサラダ。こえれで12ソーレス。普通の料理からすればかなり高い。

その後、ふらついているとジャガイモと牛の腸のようなもの炒めた料理を売っている人がいたので、そこでまた食事。隣ではほとんど揚げ物のような卵焼きを売っていたので、それもいただく。食べていたら卵焼きのお店の子どもが、生卵を手に持っていじっていたらしく、割れた生卵を持って調理していたお母さんのところに寄ってきた。手は卵でべしょべしょ。それを見た母親はその子をしかり、調理で使った卵の
殻をその子に投げつける。

まだ2歳くらいの子だが、殻を投げつけられて、うっうっと泣き始める。母親は変わらずに調理を続ける。子どもは本泣きするまではいたらず、またケロッとして辺りをうろちょろし出す。

その後、灯りがついているところをとにかくふらふら歩く。肉やチーズ、果物などを路上で売っている人たちがまだいて、ぼくはみかんとポン菓子、ヨーグルトを買う。

ぼくが通った通りではなぜか羊肉を売っているおばさんが多かった。毛のふさふさついた羊の頭も売られている。

暗くもなったので、また三輪自転車に乗って帰る。10代後半くらいのにいちゃんの運転で宿まで行く。料金は1.5ソル。

宿にもどってからいったんネット屋さんに写真のデータのバックアップ等をしにいき、あとは宿にもどって寝る。

Fin

クスコ警察にお世話になる。+プーノへ移動。

08/05/01

・早朝の路上市
・クスコ警察に拉致られる
・ターミナルの変なねえちゃん
・リャマ、アルパカ、流れ星

ケツが痛くて、何度も目が覚める。車内は暖房も冷房もついていないが、それほど寒くない。だが、みんな用意していた毛布をかぶって寝ている。

4時25分、クスコのキヤバンバ行きターミナルに到着。当然、外はまだ暗い。ぞろぞろとバスから降りる人がいる一方で、バスの中に残っている人もいる。ぼくはバスを降り、運転手にここがクスコであることを確認。

ターミナルにはタクシーが待機していて運転手が降りてきた乗客に”Taxi amigo?"と聞いて回る。気温は低く、吐く息が白い。

いったん外で明るくなるのを待とうとバスを降りたが、乗ってきたバスの中でずっと寝ている人がいるので、またバスに戻る。乗るときに聞いたら6時に別のところに行くらしい。そっちに行く人が乗りっぱなしになっているよう。ならばと6時までバスの車内にいることにする。宿に帰るには早すぎるし、だいたいコレクティボ(乗り合いワゴンルートタクシー)もまだ走っていない。

バスの車内で横になって寝る。

明るくなった6時前、バスを降り、幹線道路沿いに出てコレクティボを拾う。それに乗って中心部に向かう。0.6ソル(約30円)。

中心部で降り、朝の市場の様子を見ようと思い、そちらに向け歩く。時間は6時半頃、Mercado Centralは、まだ開いていない。が、周りにはジャガイモとゆで卵のセットを売る人たちやマテ茶を売る人がすでにいる。

ここから近いもう一つのメルカド(市場)に行く。こちらもまだ建物の門が開いていない。が、その周りの道ばたには、ずらっと野菜を持った人たちが並んでいる。インゲンやカボチャ、人参、キャベツ、凍っているらしいじゃがいもなどなど。

野菜を入れた袋や皮を剥いだ羊らしい肉の塊を背に乗せてそれぞれの店まで運んでいる人もいる。野菜の袋は麻袋だったりビニール製の麻袋(?)だったりするのだが、背負っている量はどれも100kgを越えているんじゃないかと思える量。口を縛った袋の真ん中当たりに強靱な紐をかけて、袋を背に乗せ、体の前でその紐を結ぶ。袋の背丈は運んでいる人の背では間に合わないくらい高く、よってみな前傾姿勢になっている。それも上半身が地面と平行になるくらい体を前に屈め、歩いている。

とにかくみんな背に何かを乗せている。男の人は、野菜や肉を背に背負って運び、女の人も同様にいろ鮮やかな風呂敷に葉物の野菜を入れていたり、子どもを背負ってたりする。

一帯を一回りし、さらにもう1回同じところを通ってみると、さっき葉物を売っている人で一杯だった路上から人がいなくなっている。もう商売を終えたのかと思っていたら、なんてことはないその通りの端まで行くと黒に近いネズミ色の制服を着た警官たちが、路上から立ち退くようせっついているところだった。それで、どうもこの朝市は違法らしいということに気づく。

警官の一団の脇をすり抜け、朝飯に何か食える物を探していたら、道ばたでチューニョというインカ時代から食べられている乾燥じゃがいもをゆでたものと魚のフライを売っている人がいた。

道ばたに立って、おばちゃんが"Hay chunyo,pescado"と言っている。だが、その人の足下には風呂敷に包まれた何かがあるだけで中は見ることができない。ただ、その人の周りで皿に盛られたじゃがいもなどを食べている人がいたので、ここですぐ食べられるものを売っているのだとわかった次第。

一皿頼み、食べる。チューニョは相変わらず味のないジャガイモって感じだ。魚のフライは塩気がきいていてちょうどいい。それにレタスとトマトのさらだもついている。フォークなどはないので手で食べる。料金は1ソル(約50円)。

もうすぐ食べ終わろうかという頃に、警官の一団がここにもやってきた。それをちょっと早くに察知していたらしいご飯売りのおばちゃんは、風呂敷で中身が見えないよう、つまりこれは売り物ではなく、ただの荷物だというふうに隠してはいるが、周りでぼくのように皿を抱えて食べている人がいるからすぐにわかってしまう。おばさんも皿を返してもらわずにはすぐには移動できないから、そこから動けない。

なので、警察はそれが売り物だと用意に気づき、持っていくぞって感じで風呂敷をつかまれ、持っていかれそうになったりしている。警察の態度はそれほど強権的ではないが、早く退かせようという意志ははっきりしている。ある警官は、笛をぴっぴと鳴らし、路上の物売りの人にセニョーラ、セニョールと声をかけ、退くように言っている。

ぼくは魚を口に含んだままカメラを取り出し、その様子をパチリと撮る。

食べ終え、警官にせっつかれているおばちゃんに皿を返し、さぁて、もうちょっと見て回るかと思って歩きだそうとしたら、警官に呼び止められる。

そして、警官二人が乗っていたトラックの荷台に乗るように言われる。そのトラックは牛を運ぶときに使われていそうなトラックで、この人等(警官の一団)はこれに乗って移動しているよう。

深刻そうな顔をして乗るように言うので、さっき写真を撮っているところを見られたのかと思う。国によっては警官などを撮ると写真を没収されるところがあるので、もしやそれかもしれないとやや不安になる。

しかし、逃げるようなことはできないので、言われたとおりにトラックの荷台に乗る。路上の物売りに対する”
指導”を終えた警官たちが次々と乗ってきて、年輩の警官がスペイン語でここは危険だと言う。他にも何か言ったがよくわからない。別の女性の警官がそれを訳してか、補足してか、英語でここには”Bad man”がたくさんいると言う。

それから宿はどこかと聞いてくるので、アルマス広場の近くだと言うと、そこまで乗せて行くからというようなことを言う。どうもぼくは危険地帯で保護された外国人という立場になっているよう。

揺られながら荷台に乗っている間も、カメラやリュックなど持ち物にはよく気をつけるように言われる。案じていた写真の没収などはなし。

広場近くの交差点まで行ったら、そこで降ろされRV系のパトカーに乗せられる。早く解放してほしいなと思いつつ、言われたとおりに乗り換える。するとパトカーは宿の方には向かわずに、さっきトラックに乗せられたところにいく。そして、助手席に座っていた年輩の警官はぼくにどこから乗せられたのかというようなことを聞く。その他、どこから来たのか、これからどこに行くのか、ペルーの滞在日数はどれくらいなのかを聞かれる。

広場まで乗せてもらい、そこで降ろされる。そして、その年輩の警官は、十分注意するよう言い、何かあったらこうやって、と空手のマネをする。あまり様(さま)になっていないが、まぁ、いい。

ぼくはとりあえず礼を言い、さてどうしたものかと思う。まだ時間は7時前。これでまた市場に行ってまた警官に見つかったら変なことになるかなとも思い、それは辞め、宿の裏手の高台に行く。

そこからは朝日に照らされた街が一望できる。坂を登っていくと、なぜかこれまでのようには息が切れない。歩くスピードが遅いだけか、それともこの1~2日で体がなれたのか。

8度まで下がっていた気温も徐々に上がりはじめ、気持ちよい冷たさになっている。高台には教会があり、その前は小さな広場になっている。広場まで登ると太極拳をしているヨーロッパ系のおばさんが一人。初心者なのか、姿勢がなっていない。体も固いのか動き全体に柔らかさがなく、キリッとした動きになっていない。

なんて、勝手に評価しながら、ぼくは広場にあった石のベンチにごろりとなる。しばらくボーとする。

広場には観光客らしいヨーロピアンが数人登ってくる。地元の人らしいおじさんがランニングをしたりしている。若い子も景色を見ながらおしゃべりに興じている。

8時前になって宿に戻る。宿の人に今日、出ることを伝え、預けていた荷物を受け取る。出発前に顔なじみになった同じ宿泊客とちょっとおしゃべりし、情報ノートにマチュピチュへの行き方を書く。

そして10時前に1泊7米ドル(または20ソーレス)の代金を払い、宿をチェックアウト。

アルマス広場で声をかけられたタクシーに乗って、バスターミナルへ。運賃は3ソーレス(約140円)。来るときは7ソーレス払ったから、実に倍の運賃を払っていたのだと気づく。

運転手は気のいいおじさんでいろいろ話しかけてくる。どこから来たのか、ペルーにはどのくらいいるのか、ペルーは他にどこに行ったのか、フジモーリを知っているか、サッカーは好きか、サワという日系人らしいサッカー選手を知っているか、日本でもクイ(大型ネズミ)を食べるかなどなど、乗ってから着くまでしゃべりっぱなし。

15分ほどでターミナルに着き、さてどの会社のバスに乗ろうかと各会社の窓口を見回す。入ってきた入り口近くにあった窓口の若い女性が、声をかけてきて半ば強引にチケットを買わせようとする。値段を聞くと15ソーレス(約500円)というので、それならいいかと乗客名簿に名前を書こうとする。

するとそのとき彼女は、運賃は20ソーレスと言い出す。今、15ソーレスと言ったばかりなのにと思い、聞き直すと15ソーレスと言い直す。意図的に20と言ったのか、間違えてそう言ったのかはよくわからない。

彼女は、チケットに行き先や発車時刻、ぼくの名前などを書く。ぼくは12時か13時発のに乗りたかったのだが、発車時刻は11時半となっている。もっと遅いのがないか聞くとないという。どうしようかと迷っていたら、それを見ていた彼女はキャンセルされるかもと思ったのか、チケットの発車時刻を書き換える。書き換えられた時刻を見ると11時45分。これって、11時半のバスの実際の発車時刻ってことじゃないのか、と思うが、まぁ、いいかと妥協。

荷物を窓口に預けて、いったん街に戻る。街に戻るときはターミナル近くの道を走っているコレクティボ(乗り合いワゴンルートタクシー)に乗る。運賃0.6ソル。

今朝、USBメモリースティックがないことに気づき、一昨日行ったネットカフェに行ってみる。万が一の奇跡を期待したが、やはりそこにはなかった。それからソルが少なくなっていたので、路上の両替のおばさんに声をかけ両替。レートは1米ドル=2.82だった。まぁ、悪くはない。

それでまたタクシーを捕まえ、ターミナルに行く。

窓口でリュックを受け取り、乗車場に入る。ここでも入場料のようなものが必要で、そのシールを売っている窓口で1ソル(約50円)を払ってチケットにシールを貼ってもらい、入り口の係員にそのチケットを見せて乗車場に入る。

バスは2階建てのバス。例のごとく、フロントガラスには1~2本縦にひびが入っている。

リュックを預け、バスに乗り込む。乗客は地元の人がほとんどで観光客はぼくの他に5人ほど。エアコンもないし、テレビもあるけど壊れているっぽい。座席の革張りはすれて一部破れているところもある。

窓際の座席を確保できたので、窓を開け、出発を待つ。さっき話しかけてきたおじさんは、今日は”Mucho Carol(とても暑い)”と言うが、気温は23度。暑くはない。

バスは予定通り?11時45分過ぎに発車。南に走る。

ぼくはしばし昼寝。2日連続のバス泊だったが、それほど眠気もなく、疲れもない。昼寝も1時間程度で目が覚める。

バスはまだTiponのあたりだった。一昨日通ったTiponの通り沿いのクイ屋(Quyeria?)さんには、今日は祝日なのか、ずいぶんなお客さんが入っている。

日干し煉瓦を作っている人たちやトウモロコシの収穫をしている人たち、鍬で畑を耕している人たちが車窓から見える。トウモロコシを収穫した跡の畑には牛や馬などが放牧されているから、それで地力を保っているよう。

相変わらず山には木はなく、てっぺんまで牧草地のような様相をしている。

バスは山に挟まれた畑の中の1本道を走る。プーノまで続いている線路が脇を走り、豊かな水量の川も蛇行しながら傍らを流れている。

集落が現れては、また一面畑になりという景色の繰り返し。見える家家は煉瓦造りの赤の強いオレンジ色をしているものが多い。

時折、乗客を降ろしたり乗せたりするために止まるまちでは、バスが止まった途端に窓の下からおばさんたちの声が聞こえてくる。ペットボトルに入ったジュースを売る人やトウキビの粒を売る人、ゼリーを売る人やパンを売る人がバスの周りに来て、それぞれ声を出して買い手を探している。

バスは2階建てのため、2階席に座っている人はおばちゃんたちとは手が届かない。そのため、買うときにはおばちゃんに下から放ってもらい、代金は上からポトンと落とす。

15時頃、ようやく道ばたの看板にPunoの文字が出る。Punoまであと208km。

この辺りになると羊の群れをよく見るようになる。ただ、そこに羊の群れがいるとは、ずっと窓から外を見ていてもすぐにはわからない。というのも、羊の体の白に近い薄い灰色が放牧されている大地の枯れ草(のように見える)の薄い稲藁色と混じって判別がつきにくいのだ。

牛や羊の放牧はしばしば見るが、リャマやアルパカの放牧はこれまでほとんど見ることはなかった。この日も、ずっと窓を開けて外を見ていたが、なかなか現れない。

やっと15時半頃になって、リャマの群れを見るようになる。アルパカはあまりいないが、時より塀の中で飼われているのは見た。ナスカで見たアルパカよりも、なんだかすすけて見える。

それからまたまちにバスは止まる。例のごとく物売りのおばちゃんたちが集まってくる。カップ入りのアイス売りのおばちゃんがいて、ぼくの4つほど前の席の人が一つ頼んだ。代金は50センターボ(0.5ドル)。おばさんは右手にアイスを持ち、下から上へアイスを放り投げる。うまく客のところまで届いたが、ここでバスが動き出した。おばさんは代金を受け取るために、バスと一緒に走り出す。だが、その客は1ソルのコインしか持っていないと言って、代金を払わない。おそらく今、おばさんに1ソルのコインを落としてもお釣りがもらえないと判断したのだろう。それにしても、えーっ!だ。

おばさんは50mほどバスと併走したが、バスのスピードが上がったところで諦めてしまった。代わりにぼくが払って後からその客から徴収する手もあったなと思う頃には、すでにおばさんは遠くなっていた。

17時をすぎると日が傾いてきて、半頃には進行方向右の空が赤くなり始める。そして山の向こうへ沈んでいった。

ちょうどその頃、これまでの中では大きなまちに入る。そこで何人か客を降ろす。そこで久々に見たのが、人を運ぶ3輪自転車。前が2輪で後ろが1輪。前に客を乗せるタイプで、バスはそれらを追い越しながら走る。これだけ普通に走っているのを見たのは、エルサルバドルとニカラグアの国境などの特殊地域を除けば、キューバ以来じゃないかと思う。少なくとも南米に入ってからは見ていない。

3輪のバイクタクシーもたくさん走っているが、これはペルーに入って以後、小さなまちではよく見るものだ。

日が落ちると、外の空気が冷たくなり、風にあたり続けるのがややつらくなる。

18時にはすっかり暗くなり、空に星が見え出す。アンデスでは他で見るよりも星の位置が低いように感じる。上を向いて眺めなくても横を見ると星が輝いている。オリオン座が右手に見え、それをずっと眺めていたとき、突然強い光を持ったものがオリオン座を斜めに横切って消えた。

これまで流れ星は、なんとか流星群が見えるときに数度見たことがあったが、そのとき見た流れ星は本当にほんの一瞬だった。だが、今、見えた流れ星は1~2秒ほども間左上から右下へと流れ、消えた。こんなに長く見えるものもあるのか?

外が暗くなり、風が冷たくもあるので、窓を閉める。バスは盛んに小さく揺れながら走る。舗装はされているものの路面はがたがたのよう。

やがて丘のようなところを登り、下り坂に入ると、突然眼下にたくさんのオレンジ色の光が見える。やっとPunoに着いたよう。沿道にはInternetと書いた看板が10ほど次々と見える。

坂を下り、いくつかの角を曲がり、バスはターミナルに到着。ここもクスコと同じく1カ所に各社合同のバスターミナルを持っているよう。

バスを降りて、リュックを受け取る。ターミナル内にはこれから移動するのか観光客の姿がちらほら見える。すぐに女性が寄ってきてホテルを探しているのかと聞いてくる。値段を聞いてみると20ソーレス(約900円)。その値段では泊まらないと断ると15ソーレス(約700円)の部屋もあると言う。だが、予算は10ソーレスだし、言ってきた宿はどれも市街地なので、断る。

どうせすぐに移動するので宿はターミナル近くがいい。タクシー代もかからないし、一般に宿代も安い。

ターミナル内のバス会社の窓口でボリビアのラパス行きのバスを調べる。運賃はだいたい20ソーレスらしい。

それからターミナルを出て歩いて宿を探す。だが、探すまでもなく、"Hospedaje"という宿の文字を書いた看板がすぐに3つほど見える。そのうちの1軒に行くと、ドアを開けたフロントらしきところには10歳前後の女の子が3人いて、そのうちの一番大きな子がにこっとして"Passe,passe"と中に入るよう言う。

中にはいると母親らしい女の人が外から戻ってくる。一泊の宿代を聞くと10ソーレスと言うので、即決。そのおばさんは、女の子に鍵を持ってくるよう言って、それから302に案内するように言われる。

女の子の後をついて奥の階段を上がる。302号室には2段ベッドが1つと普通のベッドが1つあり、合計3人が泊まれる部屋だった。トイレとシャワーは廊下にある。最近新しくしたのか、とてもきれい。

ぼくは晩飯を食いに外に出る。女の子に近くにレストランがあるか聞き、教えてもらった方に行く。ターミナルの灯りがあるから、だいぶ明るく感じるが、道を一本隔てるとけっこう暗い。

宿の周りで開いている店は10軒ほどで1軒はじゃがいもと鶏の唐揚げを売っている屋台のようなところで、2軒は食料雑貨店兼飲み屋。あとはレストランが4軒ほどとネット屋。

水を買おうかと一軒の食料雑貨店兼飲み屋に行くと、おじさんたちが4人ほどでビールを飲んでいた。店主はどっかに行ってるようでいない。飲み屋と行っても6畳ほどある店舗内の右半分に1つテーブルがあるだけ。

もう1軒もおなじ作りのようだったが、そこにはあふれんばかりに人が集まっていた。といっっても15人くらいだが。

ぼくはドアも何もない開けっぴろげなレストランに入る。メニューは1つしかないようで、入り口付近にいた女性が”Cena(セナ)?"というので、なんだかわからないがうなづいてそれをもらう。

まずはスープが出てくる。米粒の入ったスープでジャガイモを縦に切ったかけらやセロリやカボチャの小さなかけらも入っている。次に出てきたのが、部類で言えばカレーみたいなもので皿の半分に白米が盛られ、半分に小さく切ったジャガイモや人参、それから牛か何かの内臓の一部などを炒めて煮たような汁がかかっている。味はカレー味ではない。塩味が基本で、塩気もちょうどいい。これでお代は1.5ソル(約70円)。安いなぁ。店内には10人ほど客がいて、テレビではドラマをやっていた。

それからネット屋に行く。珍しくおじさんが経営している店で、1時間1ソル(約60円)。パソコン本体は持ち出されないよう、木枠の中に入れられている。日本語を読むことができ、速い。隣では10代くらいの男の子がゲームに興じていた。

21時頃宿に戻る。シャワーを浴びようと思ったが、お湯を使うには3ソーレス払わないといけないらしく、諦める。顔を洗い、タオルで拭くとタオルに黒い跡がつく。マチュピチュに行ったときに乗った砂埃を巻き上げながら走る車の中で窓を開けていたから、そのときにかぶった砂埃などのせいだろう。

部屋にはエアコンも何もない。毛布をかぶっていないとやや寒い。12時前には寝てしまう。

Fin

2008年5月8日木曜日

クスコ到着

08/04/26(土)

•石造りのまち
•観光客の多さに驚く
•ケチュア語を話す人々
•あめ玉を売る少女
•息も絶え絶え

夜中、2時頃、どこかのまちに泊まり、隣の人が降りる。ぼくは窓側に移動。一人で二人ぶんの席を占領できるかと持ったものの入れ替わりに別の人が乗ってくる。

隣に座るなり、にこやかに自己紹介してくるので、怪しいなと思ったが、結局、何もなかった。

外は曇っているようで、星は見えなくなっていた。乗客は寝込んでおり、どこかからいびきも聞こえる。空気が薄くなったせいか、それとも車酔いのせいか、ちょっと気分が悪くなっていることを自覚する。

5時、わりと大きなまちに止まる(たぶんAbancay)。ここで10人くらい客が降りる。そして、また客が乗ってくる。

6時をすぎると当たりは明るくなってくる。7時過ぎ、クスコ県(?)に入る。どうもこの県境(?)には料金所があるのが普通のようで、バスはいったん料金所で止まり、また走り出す。料金所にあった看板には3610mと書いている。富士山より150mほど低いだけだ。

まだまだ曲がりくねりが続くとちょっときついなぁと思っていたが、登りの道もどうもヤマは越したようで、曲がりくねりが少なくなってくる。

やがて山に挟まれた平たく、まっすぐな道に出る。赤茶色の煉瓦造りの家々が沿道に見える。エクアドルのアンデスのように、雲の中なのか朝靄なのかはよくわからないが、真っ白。しかし、すでに人々の一日は始まっているようで、道路の端を牛や馬を数頭連れて歩く人(子どもも含む)や野菜などを運ぶ人、畑に出ている人などが見える。

車内ではトイレに行く人が増える。このトイレのドアがまたなかなか開かないポンコツもので、女の人はまず開けられない。そのたびに、トイレの前の席に座っている男性が気合いを入れてこじ開ける。

しかもちゃんと閉めるにもけっこう力を入れないといけない。たまにちゃんと閉まっていないことがあり、バスがカーブを曲がった拍子にドアが開くということもあった。中にいたおばちゃんは慌てた声で何やら言う。かく言う私も用を足して始末をしているときにカーブにふられ、壁にもたれ掛かったところドアが開いて閉まった。鍵を閉めたつもりでいたが、閉まっていなかったよう。やれやれ。

曲がりくねった道がなくなったことで、気分の悪化は防げたものの、完全に酔った状態にあった。しかも便所のすぐ近くということでくさい。この臭いを嗅いでいると気分が悪くなるので、ぼくは窓を開け、外の空気を求める。

こちらの人は寒がりだから、こういうとき窓が開けられるのは、後ろに人がいない席のみ。つまり、一番後ろの席。それを狙って今回も一番後ろを選んだのだが、これが良かった。外の空気は冷たく、無臭でさわやか。すばらしい。

けれど、冷たさがけっこうきつく、長い間風を浴びていると手などがかじかんでくるから、間をおきながら新鮮な空気を体に取り込む。窓辺に温度計をおいて計ると10度以下になる。雪山も見えているところなので、やはりけっこう寒いよう。

やがて平坦な道から下りに入る。すると眼下にオレンジ色の盆地が見える。キトと同じように取り囲まれている山は木々が少なく、その斜面にまで家が立ち並んでいる。

急に沿道を歩く人たちの数が増える。車が増え、広告看板も増える。

そして、8時半前、クスコのバスターミナルに到着。クスコは一カ所に各社合同のターミナルがあるようで、バスから降り、ターミナルの建物に入るとペルー国内やボリビアに行くバスを走らせているバス会社の窓口がずらりと並んでいた。たぶん20社くらいある。

バスを降りたところからターミナルの建物に入るところにツーリストインフォメーションがあり、感じのいいおにいさんが英語で話しかけてくる。そこでクスコの地図と予定している宿までのタクシー代を聞く。

ターミナル内にはタクシーの客引きが2人いる。行きたいところを告げ、値段を聞くと10ソーレス(約400円)と言う。インフォメーションの人は5ソーレスと言っていたので、断るが近くの広場までで5ソーレスでどうだと言うので、それでOKする。

タクシーに荷物を載せ、走り出す。走り出してすぐに運転手は宿の前までで7ソーレスでどうだと言い出す。こうした後出しじゃんけんはよくあるパターン。が、2ソーレスは100円程度だし、ちゃんと宿の位置も知っているというので、それでOKする。

タクシーはマチュピチュやプーノなどを結んでいる線路をわたり、すぐに石畳のまちなかに入っていく。そして、15分ほどしてなかなかきつい坂を登り、宿前に到着。降りたところには大量の糞がキキキ。足下注意。くさい。

7ソーレス払って、宿に行く。

午前中は、しばらく宿でのんびりする。

午後はまちを見てまわる。う~ん、観光客がめちゃくちゃ多い。基本的にヨーロピアンらしき人ばかり。年輩者も若い人も多い。それからカメラ屋、写真屋が多い。20軒くらいは前を通った気がする。日本と同じようにメモリーカードを持っていけばそこで現像できる機械がある。

道ばたではマテ茶を売っているおばちゃんやパンを売っている人がいる。特に市場周辺は、ゆでたうずらの卵、じゃがいもとゆで卵のセットもの、マテ茶などを売っている人たちが多くいる。

言葉を聞いているとスペイン語で話している人もいるが、明からにスペイン語ではない言葉で話している人もいる。これがどうもケチュア語らしい。

市場はトタン屋根の1階建て。サッカー場くらいの広さがあり、食堂や八百屋、民芸品屋などがある。食堂は20軒ほどあり、肉料理を出す店はえらく繁盛している。その成果なのだろう、店の上には写真入りでメニューと値段を書いた段幕が掲げられてる。値段はどれも5ソーレス以上だから、安くはない。が、食べている人を見ると、なんだこりゃ、というくらいの大盛り。羊か何かの頭がどかんとスープに入っていたり、日本の感覚で言うと三人前くらいある。

ぼくはもっと安そうなセビチェ(魚のマリネ屋)で食事。唐辛子がきいていて痛い。こんなに唐辛子をきかせている店は初めてだ。横では学校帰りなのか、制服を着た男の子がスープを飲んでいる。また、食堂界隈には餌を求めて野良犬がうろうろしている。

腹が一杯になったところで、宿に戻る。

途中、レストランをまわって余りものの食べ物を求めている民族服を着たおじいさんを見る。小さい女の子を抱えて歩道に座り込んでいる女性も2人ほど。

教会の前の歩道を歩いていると路上に小さいものを広げて、座り込んでいる女の子がいた。民族服を着て、顔や手、足は黒くすすけている。アクセサリーか何かを売っているのかと思ったら飴玉だった。いくらか聞くと、弱々しい声で0.1ソルという。3個手に取り、0.5ソルを渡す。

ちょろっと中心街を歩いて見ただけでも路上で物乞いしている人は10人ほどいる。年寄りが多い。おばあさんもいる。

宿までは登り坂。これがなかなか肺に効く。10歩も歩けば、息づかいが早くなり、宿までの200mくらいの坂道を歩き抜いた頃には、息が完全にあがっている。加えて宿に曲がる角には糞が多い。

あとは宿でのんびり。だんだん冷えてくる。

Fin

リマからナスカへ

08/04/24(木)

•進まないバス
•やっぱり砂漠ときどきまち
•ナスカで”トモダーチ”
•ガン ジャ de ナスカ

朝目覚めたのは5時過ぎ。同室の人が目を覚まさないように静かに荷支度をして、フロントに行く。

2泊分の宿代26ソーレス(約1100円)を払う。ターミナルまで歩いていくかバスで行くか、タクシーで行くかまだ迷っていたが、フロントの人がタクシーが必要なら外で待っているのに乗れという。値段を聞くと8ソーレス(約400円)ということで、またこの宿と関係ができているタクシーなら信用できるだろうとタクシーで行くことにする。

結果的にタクシーに乗ったのは正解だった。というのも、まず7時前だというのに、人通りがほとんどない。さらに日中はあふれんばかりに走っているバスやコレクティボがまったくいない。リマの朝が遅いのか、たまたま中心部だからこうなのかよくわからないが、とにかく幹線道路沿いにも人気がほとんどなかった。

朝早くから活動している強盗はあまりいないと思うが、人気のないところを歩いていくのは首締め強盗に会う危険性にさらされるから、タクシーでよかった。ちなみにこの首締め強盗は、数人で後ろから来て、柔道用語で言う「落とす」らしい。例えば、1人が首を絞め、残りの2人が片方ずつの足を持って引っ張る。そうすると”うまい”強盗に会うと一瞬で意識をなくすらしい。そして、気がついたら身につけてた貴重品はすべてなくなっている。外務省の安全情報にもそういう被害があったとあった。

信じられないほど空いている道をタクシーはスイスイ走り、アッという間にターミナルに着く。バスは1日数本あったが、8時のバスに乗ることにした。

ターミナルの入り口には、湯気を立てている飲み物屋やハンバーガー屋などの屋台が10軒近くあって、すでに商売を始めている。ターミナル内には、特別に許可を取っているのか、1軒だけ飲み物屋の屋台があった。

窓口に行ってまずチケットを買う。30ソーレス(約1500円)。これは昨日聞いて回った中では安い方だった。座席を窓際にしてもらう。

8時までは時間があるので、屋台で朝食。ハンバーガーは10種類ほど種類があるが、いずれも挟まれているのは単品だけ。例えば、焼いた肉ならそれが一枚、アボガドが一枚といった感じ。値段は屋台によって若干違うが、0.7ソル~1ソル。

それから湯気を立てている飲み物屋があってそこもけっこう客が入っていた。そのうちの一軒では、店のあんちゃん(まだ20代くらい)が、幅の広いとげとげのついたサボテンの葉のようなものを片手に持ち、その葉の表皮を剥ぐ。そこには薄く白い透明のプルプルしたゼリー状のものがあって、それを、あんちゃんは手に持ったスプーンでかき回し、スプーンを高く上にあげて伸ばす。どこかで見たことのある植物なんだがと目の前の植物の名がなんだったか頭の中をかき回す。

数秒たって、思い出した。これはアロエだ。バスに乗っていたとき、畑にこれと同じ葉を見たので、もしかしたらあれらはアロエ畑だったのかもしれないと、今頃思う。

女の人が注文していたその飲み物をぼくも注文する。値段は1ソル。あんちゃんは、またアロエの葉を取り出し、表皮を剥き、果肉(?)をスプーンでかき回し、伸ばす。そうしてある程度とろとろになると、まずはコップ(瓶製)に屋台の真ん中にあった寸胴に入っている液体を入れ、それをまず飲むよう勧める。受け取って飲んでみると、これが苦い。ウコン茶にドクダミを加えたような味で、クイっとは飲めずちびちびやっとこさ飲み干す。

そしてそのコップをあんちゃんに返すと、そこに溶いたアロエと何が入っているのかわからない瓶から数敵なにかのエキスを入れ、別の寸胴から熱い液体を入れ、飲み物を作る。

それはさっきのとは違って甘みのある飲み物だった。すいすいと飲み、最後にこれは何だというと、屋台に書かれていた文字を指す。ちゃんと見ていなかったが、屋台には”Mediccina Natural"とあり、スペイン語でアロエは何に効くといったことが書かれていた。

もう1軒、繁盛している飲み物屋があったので、そこも行ってみる。そこもコップ1杯1ソル。だが、飲み物の中身はさっきのようなものではなかった。店の人にこれはなにかと言うと、”??de Quinua(キヌア)”といったこと言い、付け加えて"Desayuno(デサユーノ:朝食)と言う。なので、こちらはこちらの人が朝飯として食するものらしい。飲み物は白く濁ったもので、確かにキヌアが入っていた。日本でも一部の店でキヌアという穀物は売られているから、見たことがあったし、食べたこともあった。

その店では例の質素なハンバーガーも売っていたので、ハンバーガーとそのキヌアのスープ(スープというには動物系の出汁の味はいない。どちらかというと粥を飲んでいる感じ)を食べる。

時間までは、持ってきた本を読む。

8時前女の人からA5版よりも小さなチラシをもらう。その人はターミナル内にいる客にそのチラシを配ってまわっていた。チラシを見ると、ターミナル2階にあるレストランの宣伝で、どういうメニューがあるかなどが書かれていた。ターミナル内にはお菓子などを売る売店もあったが、まだ開いていない。全体的に暗いので、レストランがあるとは思っていなかった。こうして宣伝しないと客が入らないのか、それともこうすることが客の増加につながると知ってやっているのか。

こうしたチラシ配りというのも、一つの社会を見るときの目印になる。キューバではもちろんこんなチラシを配っている人はいなかった。グアテマラでも本屋でポストカードを買ったときにチラシがついてきたが、まちで配ってるようなことはなかった。コスタリカのサンホセの歩行者天国で、こうした宣伝チラシ(ぼくが受け取ったのは家庭教師のチラシだった)を配っていたのは印象に残っているが、その他の国ではそういうことはなかった。チラシがこれだから、もちろんティッシュなど配っているわけがない。

出発時間が近づいてきたので、荷物預け場に行き、荷物を預ける。荷物の識別カードをもらい、乗車場に行く。ここでは入場料などはない。この会社だけのターミナルだからだろう。

8時過ぎにバスへの乗車が始まる。10分ほど出発予定時刻を遅れてバスは発車。

バスに乗ると添乗員らしいおじさんが前にたってしゃべり始めた。会社の制服は着ていないし、こんな安いバスでこうしたアナウンスみたいなのがあるのは珍しいなと思っていたら、そのうち数字とソルという言葉が出てくる。窓の外を見ていたぼくはそれを聞いておじさんを見ると、おじさんは手に本みたい名なんかよくわからないものを持っていた。どうもこのおじさんも物売りのためにさっきからしゃべっているようだった。なかなかよくしゃべるおじさんで、発車してから40分くらいずっとしゃべり続けていた。

バスはとにかくトロトロ走る。なんでこんなに遅いんだと思っていたら、走り出して1時間もしない8時50分にバスは道ばたに停まってしまう。なんだなんだと思うも、乗客もあまりバタバタしていないから、そのうち走り出すだろうと待つ。

バスは10分たっても20分経っても発車しない。30分以上経過した9時35分、バスはようやく走り出すが、この会社の郊外にある事務所の前でまた停まる。

新しい客を乗せるだけかと思ったら、またずっと停まっている。えらく長い間停まっているなと思ったら、乗客がみな降り出す。なんだなんだとぼくも手荷物を持って降りる。バスを降りて乗ってたバスのフロントを見ると、出発時には1本しかひびが入ってフロントガラスが、石でもあたったようにある1点を中心に放射線状にひびが入っていた。停車の理由はどうもこれらしい。

バスから降りると、後ろから同じ会社のバスがやってくる。が、グレードは低い。どうもこれに乗り換えらしい。

バスを乗り換える。さっきと同じ窓際の席に座ると、なぜか新しく乗ってきた客にそこは自分の席だと言われる。おかしいなと思って、窓の上の座席の番号を見ると、窓際だったぼくの番号は通路側になっている。バスを乗り換えたことで、座席番号の配列が変わったらしい。

これではターミナルに早く行って窓際をとった意味がない。なので、ぼくは座席番号を無視し、どうせ人は乗ってこないだろうと一番後ろの窓際の座席に座る。これはこれでだ丈夫だった。それにしてもバスのグレードが下がってもいいからせめて同じ配列のバスをよこせよなと強く思う。

結局、バスが走り出したのは10時20分。実にリマで2時間も時間をつぶしたことになる。

乗り換えたバスはおんぼろだけど、きちんと走る。1時間もしないうちに太平洋が見える。

12時過ぎ頃にはPisco(ピスコ)というまちを通過する。この町中を通過するときには、ワインの瓶を店頭に並べている店を多く見た。そして、まちをすぎるとブドウ畑がずらり。ときおり日本で一般的な棚を作ってそこに蔓をはわす栽培方法をとっている畑もあったが、基本はヨーロッパのワイン産地のような縦に張った紐などに蔓をはわす方法が採られていた。

ぶどう畑の他に目に付いたのが、綿花らしい畑。白い綿状のものがそばのような植物の先っぽについていた。

この辺りになると、リマでは見なかった三輪バイクがよく走っている。通り過ぎる家家は日干し煉瓦でできているものが多いが、どこかの遺跡のように最初は角張っていただろうところが風化したように丸みを帯びている。中には人が住んでいるかどうかわからないようなぼろぼろの家もある。砂漠が近いこともあるのだろう、全体的に埃っぽい。

13時35分、Ica(イカ)という地域(県)に入る。14時半前、バスは昼食休憩のためレストランの駐車場に入る。駐車場には2m以上ある鉄の門があり、バスが入るとその門は閉じられた。レストランに行ってみると高かった。どれも10ソーレス(約400円)以上する。

外に出れば安い屋台があるだろうと思って、門のところまで行ったが、完全に閉まっていてでれない。同じ事を考えていたらしい、一緒のバスに乗ってきたおじさん、おばさんがぼくが開けようとしているのを見て、開くか?と聞いてくる。

開かないと答えたが、彼らは自分で試し、やはり開かないことを確認する。なので、休憩が終わるまで駐車場内で待つ。

たいていの客が昼食を終え、バスの周りに集まってきた。しかし、運転手はまだ来ない。数分してバスのドアが開く。席に座り、発車を待つが、なかなか発車しない。

もう一台、バスが駐車場に入ってくる。さっきちょっと話したおばちゃんたちは、こちらのバスから荷物を取り出している。どうもここで乗り換えのよう。

なかなか発車しないバスにいらだった一人の乗客が、大声で"Vamos(行こう:発車しろ)"と叫ぶ。それに促されてか、別の客が早く出ろと口笛をピーッ鳴らし、さらに別の客が床をどんどん蹴って大きな声で"Vamos(行こう:発車しろ)"と言う。みんなのんびりした人たちなのかと思っていたが、そうではなかったらしい。だいたい2時間は確実に遅れているから、みんなもさらに遅れることは嫌なよう。

運転手はなにやら言い返しているが、湯時が終わったところでやっと出発。

砂漠ときどきまちを繰り返し、ナスカには16時45分に到着。ここで降りたのはぼくだけだった。バスの周りにはジュースやハンバーガーを売りに来た子どもやおばちゃんたちが10人ほど群がり、それぞれ声をあげる。客がのっている席は2階席くらい高いところなので、手渡しでは届かない。そのため、ジュース売りの子らは長い木の枝の先に、器になるような形でペットボトルを半分にきったものをくくり付け、その器代わりのペットボトルの器に商品を入れ、窓際まで上げている。

バスを降り、リュックを背負い歩き出す。幹線道路沿いで降ろされたので、宿があるまちなかまでは少し歩かなければならない。

歩いているとおばさんが話かけてきて宿を探しているのかと聞いてくる。手には宿のチラシを持っていた。そのうちの1軒に泊まる予定だったので、そのチラシをもらいおばさんとは別れる。

ちょっと歩くとまた別のおばさんが話しかけてきて宿について聞く。適当にあしらっているとそのうちどっかに行ってしまう。中心街に向かう通りにはバス会社が4つほどあったので、そこで明日乗るクスコ行きのバスの発車時刻と値段を聞いて回る。

それから宿に向けて歩く。その通りには地上絵を見るための飛行機ツアーを扱うエージェントの店がずらずら並んでいて、表にいくらか書いてある。

そのうちの一軒の前を通ると、表に出ていたその店のおじさんが、”トモダーチ、ココ ニホンノガイドブックニノッテル”などと言って、店内に引き込もうとする。うっとうしいし、何より”トモダーチ”という言い方に違和感を感じたので、さっさと無視して通過。

”トモダーチ”ってあんた使い方がおかしいやろ、と思っていたら、続けざまにすれ違う人や道ばたでアクセサリーを売っていたラスタの格好をしているにいちゃん、さらには車で通りすがりの人に”トモダーチ”と言われる。やれやれ、面倒なところに来てしまった。

宿を探して歩いていたら、向かいから来た車が横で止まり、やはり"トモダーチ”とこっちに呼びかける。そして、宿はあっちだからと教えてくれる。その人はアメリカの青春ドラマに出てきそうなヨーロッパ系のにいちゃんでたぶん20代前半。なんで宿のことを知っているんかなと思っていたら、関係者だったようで、宿にチェックインした後、ロビーに彼がいた。

1泊10ソーレス(約400円)のドミトリー(6人部屋)に泊まることにする。ドミトリーは2階の屋上に取って付けたプレハブのような建物だった。2人部屋などは埋まっているようだったが、こちらのドミトリーにはぼくの他に一人しかいなかった。部屋には鍵もないし、貴重品を入れるためのロッカーもない。多少不安はあるが、1泊だけだからと運を天にまかせる。

それからさっき通ってきた通りに戻り、明日の飛行機の手配をする。3軒ほどまわったところ料金は40~45米ドル。いずれも7時過ぎにオフィスに行き、そこから飛行場まで送迎があるとのこと。代金は送迎代も含んでいる。

ぼくはあまり客引きをしていない感じのよさそうなエージェントで手続きをする。英語とスペイン語混じりで窓口の若いあんちゃんとやりとりする。朝は宿まで迎えに来てくれるという。

その後、晩飯を食べにまちを徘徊。もうすぐ日が暮れるということもあってか、店じまいを始めているところが多い。エージェントなどがある道から1本南の通りに屋台などが出ている。鉄板で肉を焼いているところで、まず食べる。焼かれている肉はどれも内臓で、それにじゃがいもなどが付けられる。

量は少なめだったので、もう1軒食堂に行き、適当に料理を頼むと、出てきたのは、卵焼きに白米、ゆでたばななという炭水化物系だけと言ってもいい料理だった。しかも飯の量が多い。

もう少し歩いてみるとえらく繁盛しているパパスフリート(フライドポテト)兼鶏の唐揚げ屋や、スープなどを出している屋台もある。屋台の料理は炭水化物系と肉が多い。魚はまったくない。

中心の広場には人がベンチに座っておしゃべりしている。夜でも外を出歩いている人はけっこう多い。

宿に戻って、自分のベッドでのんびりしようかと思っていたら、さっきのトモダーチのにいちゃんがやってきて、やはりトモダーチと声をかけてきて、こっちに来ないかと言う。

屋上にはドミトリーの堀立小屋の他にベンチや椅子、テーブルなどがおかれており、そこで10人くらい集まってわいわいすることはできる。

ちなみに道路を挟んで向かい側のビルの2階にはトレーニングジムがあって、窓が開いているから中でフンフンと頑張っている人の姿が見える。

そのテーブルなどがあるところに行くと、彼の他にイングランドから来たというやはり20代前半くらいの金髪青眼の男二人組がいた。一人の方はかなりスペイン語ができるようで、ぺらぺらとスペイン語でしゃべっている。下からもう一人女の子(20代前半くらい)が上がってきてテーブルに加わる。

で、何をするかと思ったらポーカーかなんかのトランプゲームだった。それもカネをかけて。5ソーレスや10ソーレスだったが、たまに20ソーレス(約1000円)をかけたりしている。一緒にやるかと言われたが、やったことないゲームだったし、カネがもったいないので、ぼくは脇でずっと見ていた。

そのうちトモダーチのにいちゃんが、乾燥した草と薄い紙を取り出し、草をもみ崩し、たばこのように紙に巻く。イングランド人も同じようにする。吸い出したのはガンじゃ(つまりはマリファナ)で聞くとペルー産のものらしい。イングランド人にどこで吸い方を覚えたのかと聞いたら、イングランドと言う。

スペイン語でしゃべっていたので、詳しくはわからなかったが、このトモダーチのにいちゃんはマリファナの売人をしているか、そういう世界のことをよく知っているようで、リマでマリファナ何kgがいくらだというような話をしていた。

下にいたスタッフらしき人等も上がってきて輪に加わる。賭事用のカネがなくなったところで、イングランド人は抜け、あとは地元の者ばかりでゲームを続けていた。

その間、上がってきたスタッフらしき若い男のうち一人にフジモリ元大統領のことをどう思うかと英語で聞かれる。ぼくはほとんどフジモリについては知らないので、そのように伝えると、彼はフジモリはマフィアだと言った。

ぼくは22時過ぎまで端でつきあい、人数が膨れたので適当にベッドに行った。

Fin

lima-nazca

地上絵を見る、クスコへ

08/04/25(金)

・お迎えされて飛行場へ
・酔いながら地上絵を見る
・バスの遅延のおかげ
・子どもたちに囲まれる

6時すぎ、目覚める。気温は20度ちょっとくらいだろうか。気持ちよい温度だ。あちこち隙間がある部屋だが、蚊もいなかった。

あちこちから鶏の声が聞こえてくる。住宅街なのにみんなどこで鶏を飼っているのだろう。

8時過ぎには飛行機のお迎えが来るので、たまっていた日記書きをちょっとして充電が切れたところでやめる。部屋にはコンセントがないから充電できない。なので、荷造りをする。

7時半過ぎに荷物を持ってフロントに行き、リュックなどを預かってもらうよう頼む。

時間通りに迎えが来るかやや疑っていたのだが、8時5分頃に、迎えの車が宿の前に停まった。9人ほど乗れるワゴン車。だいぶ長く乗っているのか、塗装も剥げ気味で、中もだいぶすれている。

客はぼく一人のようで、運転手のおじさんはぼくだけをまちから乗せて、車を走らす。

幹線道路に出て、南(?)に向かって走る。天気は快晴。暑くもなく、ちょうどいい小春日和。天気もひとつの心配要素だったが、この様子だときれいに絵を見ることができそう。

10分ほどで飛行場に到着。車が止まると車道にいた飛行場の人に案内され、中に入る。Aero Nascaと書かれたオフィスで昨日代金を払ったときにもらったバウチャーの紙を渡す。

しばらく待っててくださいと窓口の女性に英語で言われ、ベンチでしばらく待つ。オフィスの壁にはナスカの地上絵のポスターがあり、英語で解説が書かれてある。

それを見たりしながら待っていたところ、白髪頭の年輩の日本人夫婦が来て”あれ、みんなどこにいるんだろう?”と言ってからどこかに去る。

どうもぼくの他に日本人ツアー客がいて、その人たちと同じになったようだ。

15分ほど待ったころに、オフィスの男性がぼくの名前を呼び、"Let's go!"と言って乗り場の方に案内される。すぐに乗り込むのかと思ったら、さっきオフィスの方に迷い込んだ日本人のおじさんたちがいる待合所で、また待たされる。

日本人旅行者は10人ほどいて、2人の30代くらいのカップルを除いて、あとはみな退職後しばらくたったようなご年輩の方々ばかり。久々に日本語を聞く。

日本から同行しているっぽいツアーコンダクターの女性とペルーの旅行会社に勤めているっぽい日本人女性もいる。ちょっと話しかけてみようかと思ったが、あえて黙ってみんなの様子を見ていることにする。

10分ほどすると、その御一行の仲間で先に飛行機に乗ったグループが帰ってくる。待合い所にいた人たちは”お出迎え、お出迎え”と言って手を振る。そして、どうだったか訪ねる。70歳に近いのではないかと思われる男性は、”いやぁ、すばらしかったですよ。”と上機嫌。”(飛行機は)揺れなかったですか?”という質問にも”ぜんぜん揺れない。上手なもんだよ。グッと飛行機を横に倒したりしてくれてね。”とかなりの高評価だった。

御一行の中の次のグループが呼ばれて飛行機に乗り込んでいく。残ったのは、御一行の中の若いカップルとぼく、あとツアーの添乗員の2人の女性だけ。

ペルーの旅行会社に勤めているらしい女性は、残っているカップルに話しかける。”今日は涼しくていいですよ。暑い日は、ものすごいんですよ。まわりは砂漠だし、山にも木がないでしょ。だから熱がこもって、もう・・・”。

地上絵の話になり、彼女は面白いことを言う。”(地上絵は)右脳で見るものなんです。ほら、左脳と右脳ってあるでしょ。それでたまに(上空から)見てもわからないという人がいるんです。この仕事をしていて10数年になりますけど、一人だけですかね、そういう人がいました。戻ってきて、どうでしたかって聞いたら、見えませんでした、って言うから、エーッと思って。”

カップルの男性は”あ~、うまく焦点を合わすことができないと、浮き上がってこないってやつですか”と相づちを入れる。

彼女はうんうんとうなづきながら話を続ける。”それで、その彼女はね、泣きましたよ。悔しいって言って。まだ30代くらいの人だったんですけどね。そういう方もいるんです。”

”それは泣きますよね。ここまで来て見えなかったとなると。”と男性は応える。

そんなことがあるのかとぼくは興味深く、ちょっと離れたところで聞いていた。

そんなことをしているうちに順番がまわってきたようで、カップルの二人の名前が呼ばれる。そして、彼らと同乗するらしく、ぼくの名前も飛行場の人から呼ばれる。

ぼくの名前が呼ばれた瞬間、前にいたカップルは同時に振り向き、ぼくに向かって驚いたように一言いう。”日本人の方なんですか?”

横にいた添乗員の女性も、小さな声でぼそっと”日本人だったんだ”と言う。

いやいや、二人同時に振り向かなくてもいいし、そんな驚く事じゃないと思うのですが。というより、二人の反応にぼくが驚いたわ!、と思いつつ、”そうですけど、何人(なにじん)だと思いました?”と聞く。その質問には答えず、バックパッカーでまわっているのですか、何か危険なこととかなかったですか、と再び質問がある。

ぺちゃくちゃしゃべりながら、飛行機に行く。小さなプロペラ機で操縦士も含め4人乗り。ぼくは操縦士の右横の席に座り、カップルは後ろに二人並んで座る。

シートベルトをしたところで、白髪交じりの操縦士のおじさんが”コニチワ”と言いながら乗り込んでくる。そして、ナスカの地上絵が書かれた一枚のパンフをそれぞれに配る。

操縦席の正面には紙が貼られ、チップを歓迎しますとヨーロッパ諸語で書かれている。一番下に日本語でも書かれているが、そのひらがなは最初の3文字くらいは読めるものの、残りは判読不能な象形文字になっている。

操縦席のドアが閉まり、パイロットがヘッドホンをつけ、口元のマイクに向かって何やら通信を始める。

9時に飛行機は動きだし、飛行場の端の方へ移動する。そして滑走路に入り、操縦士はあちこちをいじって飛ぶ準備を始める。

やがてOKが出たようで、プロペラ機はプロペラ音とエンジン音をうならせながら走り出す。離陸はスムース。

離陸すると操縦士のおじさんが、それぞれにヘッドホンを渡す。頭に装着すると、エンジン音が小さくなり、操縦士のおじさんの声が聞こえてくる。

おじさんはさっき配ったパンフを指さしながら、これからどの絵を見に行くかを説明する。

一つ目の絵は鯨。おじさんが右手で指さしながら英語で”Whale(ホエール)、Look,look"と言う。窓から探すがどこだかわからない。

地上には無数の水が流れた跡があり、それに加えて車が通ったのかまっすぐな線も無数にある。さっきの旅行会社の人の話もわかるなと思いながら探す。

やがて飛行機は旋回し、おじさんがまたルックルックと言う。

やっと飛行機の羽の下に鯨を発見。予想していたよりもずっと小さい。こりゃ見落とすかもしれんと思っているうちに、次のがくる。

次のはTrapezoidsというもの。これもわかりにくく、なんとかそれらしいものが見えるが、あまり感動はない。

その後、Astronaut, Monkey,Dog,Condorと見てまわる。この辺はわりとわかりやすい。一度どの程度のサイズがわかれば探しだしやすいが、それでも操縦士のガイドがなければ、ほとんど見落とすだろう。

操縦士は右の窓からも左の窓からも見えるよう、絵の上を旋回する。大きな揺れはないものの波に揺れられているような小さな揺れがあり、ぼくはそれにだんだんやられ、気持ちが悪くなり始める。

操縦士は”ハチドリ”と言って、しばしばナスカの地上絵として紹介される大きな絵を指さす。これもオッケー。

結局、全部で12の地上絵を見たのだが、後半はぼくはほとんど乗り物酔いの状態で静かにゲップを連発。いやいやまいった。

飛行機からは絵の他にも周囲の様子がよく見える。一本だけ走るアスファルトの道沿いにはところどころ緑があり、きれいな畑が広がっている。しかし、そのすぐ外側は急に砂漠というか土漠になり、緑の一片もない土地が広がる。

山々もまったくのベージュ色で、緑は一点もない。中には完全に砂漠化している山もあり、その山は周りと比べると一段と白い。

その土漠にはどこにも水の流れた跡があり、これがどうしてできたのかが気になる。どうせこうした飛行サービスがあるなら、この水跡についても説明があるとより満足するんだけどな。

絵は、まぁまぁ、こんなもんでしょという感じであまり感動はないが、それよりも上空から見たまちや畑の様子の方が印象的だった。緑とベージュ色の境がはっきりしていること、無数の水の流れた跡があること。これらを見ることができたことも含めれば、40米ドルはまぁ、適当かな。もっとも今はオフシーズンでピーク時より10数ドル安くなっていることもあるけど。

飛行機から降りた後は、酔ってむかむかしてあまり気分はよろしくない。同乗した人が降りた後、操縦士のおじさんも含め記念写真を撮るというので、ぼくも写る。きっとこの人たちは日本に帰ったら、この写真を使ってクイズをするんだろうなぁ、この人は何人(なにじん)でしょうか、なんて言って。

オフィスに行き、まちまでの帰り方を聞く。迎えの車が来るから、それまで道を挟んで向かいにあるホテルで休んでいてとのこと。

昨日、飛行機のチケットを買うときに、このホテルのことを言われ、待ち時間にこのホテルのプールとかインターネットとかを無料で使えると言われていたが、その待ち時間が、終わった後の待ち時間とは思っていなかった。

ホテルの方に行くと、さっきの日本人旅行者を乗せた豪華なバスがちょうどこれから出ようとしているところだった。カップルの男性に聞いたところツアーは10日間とのこと。飛行機に乗っている時間を考えれば実質1週間もないツアーだろう。う~ん、なんとも忙しい。

そのホテルには20mほどのプールの他、数台だがトレーニングマシンを置いた部屋もあり、なぜかネットが使えるパソコンもそこにあった。ぼくは今晩向かうクスコの宿をネットで調べる。幸い日本語が読めるので助かる。

30分ほどして表に出ると、朝の車のおじさんが来ていた。車に行くと、10分待ってと言われ、加えてあそこにアルパカとリャマがいるから、写真を撮ったらと言われる。

これも観光用なのだろう、ホテルの敷地内の端っこにアルパカとリャマが1頭ずつ飼われていた。思ってたよりもでかいし、横幅がある。暑そうな毛を全身にまとっている。

近くには子ども用のシーソー(だったっけ?)と人力飛行大会に出てきそうな飛行機のモデルが置かれてある。

アルパカ等を眺めていると、クラクションが鳴り迎えが来る。

車に乗って市街地に戻る。

各バス会社のターミナルが集まっているロータリーのところで降ろしてもらい、クスコ行きのバスの運賃を調べる。一番やすいのが70ソル(約3000円)で、高いのは130ソル(5000円)。時間はいずれも夜発で20時発や21時発が多い。どれにしようか迷う。高いバスは朝食付きらしい。朝食と言ってもな、タマーレとかゆでトウキビ、うずらの卵とかじゃがいもが出るわけじゃなくて、どうせサンドイッチとか気取ったものだろうからな。悩む。

それからまちの近辺をぷらぷら。ロータリーのちょっと南に行った右側には、3m四方くらいの簡単な作りの家がぼこぼこ固まって建っている。洗濯物が見えるから誰か住んでいるのだろうが、台風がくれば(来ないだろうけど)簡単に吹っ飛ぶような粗末な家。どういう人が住んでいるのか気になるが、外を歩いている人は見えない。

それから、ロータリー近くの道ばたで料理を出しているところでブランチ。適当にうんうんうなづいて料理を出してもらうと出てきたものは、チキンライスみたいなものにトマトソースのスパゲッティ。炭水化物ばかり。期待外れだが、味はまずまず。客はぼくの他にいなく、ここの店の女の子と小さい子どもを抱えたお母さんがいるだけ。

店のおばさんは仕事をしながら、こちらに質問をしてくる。カスティーリャ語を話せるのか、どこから来たのか、恋人はいるのか、ペルー人の女性はきれいだろ、などなど。スペイン語のことをカスティーリャ語と言うのは、直接には初めて聞いた気がする。他の国ではエスパニョールはしゃべれるかと聞かれていたのだが。

なぜペルーの人は、スペイン語と言わず、カスティーリャ語と呼び続けるのか。そういう言い方をする習慣が残っているというだけかもしれないが、もしそうだとしたら、逆にスペイン語と呼んでいる国々ではいつ、どういうきっかけでカスティーリャ語ではなく、スペイン語と呼ぶようになったのか。

カスティーリャ語は、クリストバル・コロン(ラテン語ではコロンブス)がジパング発見のための航海をするために支援を求めたカスティリャ王国で話されていた言葉。カスティリャ王国は、現在のスペインにあった一王国で、そこのイザベル嬢王がコロンの航海を支援したことが、いわゆる”新大陸の発見”につながることになった。コロンはカスティリャ王国に相談する以前に、ヨーロッパの他の王国などに支援を求めていたが、相手にされず、やっと話に乗ってくれたのがカスティリャ王国だった。

そのため、新大陸へのヨーロッパからの移民もまずはカスティリャ王国に住んでいた人間から始まった。

よって、カスティーリャ語は、当時の侵略してきた人々が話していた言葉を指すものだが、それが500年たった今でも、また国名がスペインになった今でも、使われているというのが、なんとも興味深い。しかも、インカ帝国の中心地だったペルーでのみ(かどうかははっきりとは言えないが)使われているのが、面白い。

これは確認してみないと何とも言えないが、おそらく学校で歴史を教えるときや政府が自国の公用語を言うときには、エスパニョール(スペイン語)と呼んでいるだろうから、もしそうだとすれば、カスティーリャ語はそういうものとは切れた普通の人々の間で使われ続けてきた単語であると言えるかもしれない。

あるいは、近年まで政府もカスティーリャ語と呼び続けてきたのかもしれない。もし、そうだとしても政府がそのように呼び続けてきたこともまた興味深いことだ。

その後、切手を売っている土産物屋で切手を買い、ハガキを投函。ペルーは切手代が高い。1枚当たり5ソーレス(約250円)もする。ハガキは1ソル(約40円)くらいなのに。

それからちょっとまちをぶらぶら。小さいまちだから昨日の夕方の1時間で中心街はたいてい見たが、明るい時間帯のまちを見てまわることに。

広場があるところは一部工事中なのか、コンクリートの破片などが積まれてあって、四方の一片に庁舎がある。日本の感覚からすれば小さい。2階建てではあるが、公民館程度だ。

昨日の夕方開いていた鶏の唐揚げ屋などは閉まっていて、他にも夜は出ていた屋台などは見えない。広場にはぶらぶらしながら”ヤ(ジャ/リャ)ーマダス”と声を出しながら、テレホンカードを手に売り歩いている女の人たちがいる。

広場から一本南に行ったリマという名の通りには、服屋や食堂、銀行、電化製品店が並んでおり、路上にはぶどうやりんご、アボカドを売っている人やパンなどを売っている人がいる。

昨日来たときはは閉まりかけていたメルカド(市場)は開いていて、野菜、果物、肉、魚が売られている。面積は小さくバレーコート程度。店も20店舗ほどあるだけ。客はそれほど多くはない。

もう一軒、食堂に行き、タンパク質などを補給。ここもスープがまず出て、それからメイン、ジュースが出る。ご飯の量が多い。値段は4ソーレス(約200円)。

することもなく、プラプラする。ちょうど小学校などは午前の部が終わったようで、学校前には迎えに来ている親や帰りの子どもを狙ったアイス屋さん、それから家まで子どもを乗せていくタクシーなどが校門前にずらりと並んでいる。

帰る子どもたちと入れ替わりに、午後の部の子どもたちが通学してくる。

タクシーには子どもが我先に乗り込む。タクシーはミニの軽自動車。助手席に2~3人、後部座席に4~5人、後部座席の後ろのわずかな荷台スペースに3人、計10人ほど乗せているタクシーもある。もっとも乗っている子どもたちも低学年の6歳くらいの子たちばかりだから、これだけ乗っていても多少は隙間はある。が、なかなかすごい。

ちょっと中心街から外れたところを歩いていると、学校からの帰りだろう、自転車のハンドル(ハンドルに乗せる!)に子どもを乗せたおじさんが正面からやってくる。そして、目が合うと”トモダーチ”と言ってくる。ぼくはハハッと苦笑いしながら、手を振る。

朝はわりかし涼しかったものの、日中になるとだんだん暑くなってくる。ただ、乾燥しているからかそれほど嫌にはならない暑さ。気温計を見ると温度は32度だった。

ぼくはPlaza Bolognesiという広場のベンチでしばらくお休み。横になり、昼寝。

時間は4時過ぎになり、もう一度バスのターミナルをふらつく。1社だけ直接確認していなかった会社があったので、そこに行き、バスの時間と値段を聞く。値段を聞くと60ソーレス(約2500円)。これまで聞いた中では最安値だった。バスの発車時間を聞くと4時半と言う。

夜までバスを待っているよりも早く出て、車窓から見える眺めを楽しんだほうが得だな、と思い、このバスに乗りたいと思ったものの、4時半まであと15分しかない。

宿に荷物を預けたままだから、一度取りに行かないといけないのだが、往復すると20分はかかる。それで、う~ん、と決めかねていたら、窓口の女性は携帯を取り出し、電話を始める。聞き取れた単語から、乗ろうとしているバスが、何時にここを出るか確認しているようだった。

電話が終わって彼女は、バスは17時発になるようだから、荷物を取ってきたらというようなことを言う。それで急いで宿に戻り、預けていたリュックなどを背負ってターミナルに戻る。ちなみにこの宿では3ソーレス(約150円)で荷物を預かってくれた。

ターミナルに着いたのがちょうど16時半。もちろん、バスはまだ来ていない。チケットを買い、しばらくオフィスの椅子に座って待つ。

ここのオフィスには対応してくれている女性が一人とその人の子どもらしいまだ1歳にも満たないような子が、床に敷物を敷いて寝ているだけ。壁に設置されているテレビではポケットポンスターをやっていた。

17時ちょっと前にバスはターミナルに入ってくる。ここから乗る客はぼくだけのよう。リュックを預け、一番奥の席に座る。乗っている人の中に観光客らしき人はいない。

バスは砂漠の中を走り、30分もしないうちに山岳地帯に入る。緑のない山の一本道をバスはくねくね走る。時折向かいからトレーラーやトラックが来るが、片道1車線は確保されているので、止まることもなく走る。

ひたすらバスは登り続け、出発から2時間たった6時過ぎにはだんだんと暗くなり始める。夕日がみれるかと思ったが、曇っており、あまりきれいに見ることはできず。

暗くなってもひたすらバスは登り続ける。

外が暗くなり、車内も真っ暗なため、いつの間にか寝てしまう。目が覚めるとバスは下りに入っていて、眼下にオレンジの灯りが碁盤状に並んでいるのが見える。どこかのまちに着いたようだ。

バスはそのまちのターミナルらしきところに止まる。ぼくはどうせすぐに発車するだろうと車内にいたが、バスが止まったところには食堂があり、客の何人かがそこで食事を始めたのを見て、夕食休みだということに気づく。

それならとぼくは手荷物を持って、バスを降りる。しかし、バスの乗車口が開かない。どうも安全のために鍵がかけられているらしい。ドアの外にいるおじさんがスペイン語で閉まっていると教えてくれる。

しょうがないので、運転席の方から出る。こちらは内側からは開き、無事外に出ることができた。外は寒い。20度は確実に切っている。

かなり熟睡していたので、てっきり夜中かと思っていたが、時間はまだ20時をすぎたばかりだった。昼飯が多かったため腹は減っていないが、ノリでパパスフリート(フライドポテト)を買って食べる。

バスの乗客を目当てに物売りの子どもやおばちゃん、おばあちゃんがあたりに押し掛けていて、あれはいらないかこれはいらないかと勧めてくる。

売っているのは、Choclo con quezo(チョクロコンケーソ:チョクロは粒の大きいトウキビ、ケーソはチーズ)とQuezo(チーズ)とマテ茶!

チョクロは例の干したか煎ったかしたもので、あまり消化に良くなさそう。一度、10歳くらいの男の子に買わないかと言われるが、断る。

そこに別のバスが同じように入ってくる。乗客が降りてきて、あたりはけっこうな人口密度になる。

そちらのバスに乗っていた40代くらいの夫婦が話しかけてくる。やはりカスティーリャ語はわかるかとか、どこから来たのかとか、ペルーのどこに行くのか、なぜペルーに来たのかと言ったことを聞かれる。

話していると物売りのおばさん、子どもも気になるらしく、ぼくのまわりに数人集まってくる。

話している間もペットボトルに入ったマテ茶を買わないかとおばさんが勧めてくる。ぼくは断ろうとするが、話して夫婦が"Es rico(おいしいよ)"と言うので、1本買う。

これまでバスの停車場でペットボトル(たいてい500ml)の水やジュースを売っているのはいくらでも見てきたが、マテ茶は初めて。

ペットボトルを再利用しているらしく、ボトルと蓋の色が不釣り合いなのもある。最初、バスから降りたときに見たときは紅茶かと思ったのだが、売っている人が”マーテー、マテ、マテ~”と言っているので、マテ茶らしいと気づいた。売っている人はたいてい数本しか持っておらず、しかも冷えないように懐の中に入れて客を探している。

ぼくは買うことにして、おばさんに一本くださいと言う。ぼくに差し出されたペットボトルは、ラベルも何もなく、紅茶の色に似た色の液体の中に、バニラに似た草が茎ごと入っている。受け取るとペットボトルは温かく、空気が膨張しているためだろう蓋がなかなか開かない。値段は1ソル(約60円)。

ぼくはここがどこだか知りたかったので、すぐ近くで話を聞いていた子どもにスペイン語でどこかと聞く。すると、なんとかという地名を言うので、南米の地図を取り出し、指さしてもらう。

地図を取り出そうとすると子どもたちが我先にとよっかかってくる。聞くとここはPuquio(プキーオ)というところだった。女の子がどこに行くのかと聞いてくるので、クスコだと言うと、ここからは11時間かかるという。

何人かと聞くので、ハポネスと答えると、チーノ、チーノと言って、ぼくの目の前にいた子をおばあさんも一緒に指さす。その男の子に聞くと、父親が中国人らしい。彼は旨に手を当てて、自分の名前を名乗る。一回言われただけでは正確に覚えられなかったが、確かに中国式の名前だった。聞き返すと”ジンジャン”と自分の名を言う。

覚えといてと言うような口振りなので、手帳を取り出しカタカナでメモする。するとジンジャンは自分の手のひらにその文字を写し書こうとする。周りにいた男の子や女の子も、文字に興味を持ったらしく、口々に自分の名前を言う。

それで、エリックやイェーニ、アウグスティンといった各人の名前をカタカナで書き、書いた一枚の紙を渡す。それを受け取った子は、自分のところだけ破りとろうとするが、スペースを空けて書いてなかったので苦戦する。もっとスペースを空けて書き直そうかと思ったところで、バスへの乗車が始まり、ジンジャンが急いでと言うようにバスを指さすので、バスに乗り込む。

ここはバスの経由地にはなっているようだが、子どもたちの反応を見るとあまり外国人、特に日本人は来ていないような感じがする。もっとも一番安いバスだからここに止まるのであって、外国人が一般に乗る値段の高いバスは夜食付きやもっと遅い出発だから、あまり外国人を見ないのではないか。

余裕があるなら、そのままこのまちに泊まってみるのも面白そうだったが、この時間でも開いている店は一軒しかなく、ホテルらしき建物は見えなかった。

バスはまた高度を上げながら走る。空には星が満天に輝いている。

バスの中では映画が始まる。またも派手な銃撃戦などがあるハリウッド系の映画。バスの中はだんだんと冷えてきて、みな用意していた毛布を取り出し、かぶっている。しかし、ぼくにすれば毛布をかぶるほどではない。たぶんまだ20度はある感じだったので、長袖シャツにジャンバーで十分だった。

Fin

nasca-cusco

リマで一日

08/04/23(水)

・リマのタマーレ
•ブラジル大使館でビザ申請
•旧市街をぶらぶら
•メルカドセントラル

6時頃起きる。部屋はちょうどいい具合の温度。

昨日の感じからすると、1時間あればブラジル大使館に着くだろうと、8時前に宿を出る。そして、昨日と同じバス乗り場でミラフローレスに行くバスを探す。

バス乗り場付近にはマテ茶や新聞売りに混じってタマーレ(トウキビの粉をトウキビの葉で包んで蒸したもの)を売っているおばさんがいた。

タマーレはメキシコやグアテマラ、それからキューバにもあった。行くとこ行くとこで買って食べ比べている。なので、ここでもおばちゃんから1つ買う。形は長方体の両端を閉じたような格好。要はあくまきの形と一緒。だが、大きさは10cm×3cm×1cm程度と小さい。

食べてみて驚いたのだが、ここのタマーレはかなりパンに近かった。つまり、トウキビよりも小麦の方が勝っている。トウキビの味はほとんどしない。その代わりというか、パウンドケーキのようなうっすらとした甘さがある。昔からこうして作るのか、それとも最近、こうした作り方が開発されたのか。

ちなみにこれまで食べたタマーレでもっともトウキビの味がしたのは、ハバナで食べたものだった。本当にトウキビの粒を食べているような味がした。一方、メキシコのサンクリストバルで食べたタマーレはトウキビだけで作っていることは、その見た目からわかったが、トウキビの味はほとんどしなかった。トウキビの種類が違うのかなんなのか、その理由はよくわからない。一つの想像としては、サンクリストバルで食べたものは、もしかするとアメリカから輸入したトウキビ粉かもしれないということだ。

そのように想像するのは、トルティージャの味が変わってしまったと一部のメキシコ人が嘆いている、というようなことを書いた記事を読んだから。それによれば、アメリカからの安い輸入トウキビが増えたことで、トルティージャを作る業者がそちらを使うようになり、その味が変わってしまったということが書かれてあった。

ただ、市場のおばちゃんから買ったものなので、わざわざ輸入トウキビを買うか、という疑問もある。

ともかくリマで買ったタマーレはほとんどパンであった。そのおばさんは殻を剥いたゆで卵も売っていたから、それも買う。

バスは昨日同様なかなか現れない。20分ほどバスを探して、ようやく乗り込む。料金1ソル。車内は、それほど混んでいない。が、道は大混雑。進み方はいらいらするほど遅い。

昨日と同じルートを走るバスかと思っていたら、途中でいらぬ方向に曲がってしまった。しかし、それでも大使館がある方角からはそれほど外れていないので、もう少し乗ったままでいる。

しばらくして、これはだいぶ外れるなと思ったところでバスを降りる。代わりのバスを探すが見あたらない。歩いてみるが、またもや自分の位置がよくわからない。30分ほどふらついて、見つからないのでタクシーを拾う。良心的な値段で、きっちりブラジル大使館前に付けてくれた。

大使館にはいるときにパスポートチェックなどがあるかと思ったが、そういうものはほとんどなく、するっと中に入れた。中では同じようにビザの取得に来たらしい観光客が二人ほど。

領事部の窓口で対応してくれた人は、昨日話した人とは違う人だった。昨日の人は往復チケットがないとダメと言ったが、もしかしたらこの人だと大丈夫と言ってくれるかも、などという甘い期待を持っていたのだが、あえなく破れる。他の必要なものはそろえていると現物を見せたのだが、往復のチケットがないとダメと言い、翻ることはなかった。

予想していたとおりの展開。出入国の手続きなどは担当者によって対応が変わることがあるので昨日のことがあったものの試してみたが、結果的には時間を無駄にする形になってしまった。

旧市街でまだ見ていないところがあるので、旧市街に戻ることにする。昨日は帰りのバスを捕まえるのにさんざん苦労したおかげで、帰りのバスやコレクティボの乗り場がだいたいわかった。おかげで、今回はスムーズに帰りの車に乗ることができる。

リマのコレクティボ(乗り合いワゴンルートタクシー)も運転手と客引き&料金徴収係の2人体制。ワゴンは4列ある15人乗り。だが、立ち客も乗せるので20人くらい乗せたりする。料金はバスと変わらず1ソル一律。

Plaza San Martinに近いCamanaという通りで降りる。コレクティボから降りて辺りを見回すと車が向かっている方向の先には赤茶色の山肌の小山が見える。中心街に泊まり、建物の多いところばかりを動いていて忘れてしまっていたが、リマは中心部から少し出れば水気のない土漠•砂漠だ。

通りを歩いていると排気ガスの臭いにたまらなくなる。煙ってはいないが、バスなどが発進する度に黒煙を上げるから車の多い通りを歩いていると、すぐに喉が痛くなる。

Plaza San Martinまで歩き、そこから左に曲がり、歩行者天国となっているJiron de la Union通りを歩く。平日の昼の時間だが、人通りは多い。観光客も多い。規制されているのか、この通りには屋台の類はほとんどなく、ときおり交差点付近で菓子などを売っている人がいるだけ。

並んでいる店はファーストフード店、洋服店、スポーツ店、カメラ屋など。基本的にはヨーロッパ調になっているのだが、看板などはあまり規制がかかっていないのか、自己主張が強い印象を受ける。ほとんど素通りするような感じで通りを通過し、一番のメイン広場であるPlaza de Armasに出る。

ここには宮殿などの建物があるが、あまりしげしげと見るような気にはならず、さっさと宿の近くのMercado Central(中央市場)に向かう。

こちら側の通りは立ち売りの人、小さな屋台のようなものを出している人が路上にあふれている。Avancayという大通りをわたって市場までは100mほどだが、その間は10mと開けず立ち売りの人が歩道にいる。

両手に革靴を持って売っている人、一輪車にぶどうを積んで売っている人、ゆがいたうずらの卵売り(これがリマには多い)、アイス売り、菓子•飲み物売りなどなど。食べ物を売っている人はともかく、靴なんか買う人がいるとかねと思うが、こうして商売をしている人がいるということは、そこそこはそれでも売れるのだろう。

市場の建物はなかなかでかかった。入り口には市場の内覧図(?)があり、各区画に番号が振られている。一番大きい番号は360番台だったから、それだけの店がこの1画に集中していることになる。

市場は野菜や肉、魚など食料品の他に服やかばん屋、ペットフードや日用品の店などもある。さすがに海に近いこともあって、魚コーナーが広い。食堂も40軒ほどあって、昼過ぎのこの時間でもにぎわっている。

セビチェという魚の酢の物(マリネ)専門の店で昼飯にする。スープ付きで5ソーレス。ご飯の代わりゆでたトウキビが一本つく。

もう1軒はしごして、宿に戻る。休憩。

それから、今度は明日乗るバスの下調べに行く。バス会社が集まっている通りがあり、そこまでコレクティボで行き、各バス会社をまわってナスカ行きのバスの料金と出発時間を聞く。

帰りは歩いて帰る。宿までは寄り道せずにまっすぐ歩けば30分ほど。ずっとお店が続いているから人と通りも多い。途中、散髪屋•美容室が固まっているところがあった。どこも店のドアなどはない。客がいない店は入り口付近にスタッフが座っていて、店の前を通る人を文字通り手招きする。散髪屋兼お菓子などの雑貨屋兼鍵屋など、一つの店舗の中に複数の業種が混ざっているような店もある。こうした店はどうなっているのか気になる。つまり、一人の店主が3つとも仕切っているのか、それとも場所を貸しているだけで、それぞれ別の経営者がいるのか。

店造りも日本とはだいぶ違うから見ていて面白い。

あと明らかにいわゆるおかま(ニューハーフ)という人がやっている散髪屋もあって、入り口にそういう人が立って客引きしていた。

手元にあるロンプラには"GAY&LESBIAN LIMA"という囲み記事がある。オカマとゲイは違うものだが、セクシュアルマイノリティーということでつなげてみる。その記事によれば、リマにはゲイの人がやっているトラベルエージェントもあるらしい。また、そういう人のためのホームページも4つほど紹介されている。こうした情報は、日本のガイドブックではまったく見られないことだ。

宿に着くまでの間、人通りが切れるようなところはなく、車の通行量も多いので、これだったら明日バスターミナルまで歩いても行けるかと考えたりする。

帰り道宿からやや離れているが、それほど遠くない中華街に行ってみるかとも思ったが、宿に着く頃には日が暮れ始めたので、そのまま夜は宿で過ごす。

リマには博物館や教会なども多いが、そういったものには結局一つも行かなかった。

Fin

マチャラからピウラ、リマへ その2

08/04/22

・月の砂漠
・砂漠ときどきまち

バスでの移動だったが、すっかり熟睡。目が覚めたが、外も車内も暗い。バスは明るいうちには冷房をつけていたのだが、深夜走っている間はつけてなかったようで、今は寒くもなく暑くもなくちょうどいい。

窓に顔を近づけ外の様子を伺うが、沿道には外灯がないため何も見えない。見えるのはまん丸な月とそのわずかな光に照らされ浮き上がっている山の形だけ。山と言うには小さいから丘と言った方が適当かもしれない。

その外形は昨日見たような草も生えていない山々と比べるとやわらかく丸みを帯びている。昨日とはまた違う地形のところを走っているのかもしれないと思いながら、また少し眠ることにする。

30分もすると外が白み始めた。さっき気になった外の様子を見てみようと、窓を覗くとそこは一面の砂漠だった。左手の窓から見ても同じ景色。バスは砂漠の中に敷かれた一本のアスファルトの道を走っているのだった。

月がだんだん光度を失い白くなっていく。太陽が徐々に昇ってきているのはわかるが、朝靄(もや)のおかげで、なかなか視界は拓けない。アンデスの上、雲の中を走っているのと同じように。

30分ほどしてバスは左に曲がる。すると突然に緑が現れ、民家が見えてくる。

あまりに突然人が住んでる地帯に入ったので、ほぉー、と感心してしまう。やがてサトウキビらしい畑が見え、バナナや椰子も見えてくる。カボチャやトウモロコシの畑も見える。家はどれもコンクリートの四角い家。

集落を抜けるとまたバスは砂漠の中を走る。

7時過ぎ、わりと大きなまちに入る。沿道に市場があり、すでに開店の準備が始まっている。屋台ではハンバーガーらしきものを売っていて、それを食べている人も。制服をきた子どもたちも見える。

8時、添乗員のアナウンスが流れ、ブランケットが回収される。夜中は切られていた冷房がまたつけられたようで、冷えてくる。それから飲み物が配られる。発泡スチロールのカップに飲み物を入れて添乗員が前から順に客に配って歩く。カフェ オ テと聞かれ、反射的にテを頼む。色からして紅茶かと思ったが、違った。あまり飲んだことのない味。これがマテ茶か?

それからハムを挟んだ小さなハンバーガーが配られ、その後発泡スチロールのトレイに紙パックのオレンジジュースとあめ玉2個、ケーキ菓子一個がパックされたものが配られる。昨晩のご飯もアリ、豪華な朝飯を期待したが、外れだった。

バスは坂道を登り始めたところで止まる。あたりはまたもや靄がかかっていて先が見えない。しばらくして動き出す。バスは反対車線に何かを避けるようにはいる。脇を通りすぎるときに、窓から見ると警察がいてその横には横転したトレーラーがあった。片道一車線の道だから狭くはないが、曲がりくねっており、この靄だから見通しは極めて悪い。ちょうどカーブのところに倒れているので、急ハンドルか何かで倒れたのだろうか。

バスはゆっくりと高度を上げていく。路肩にはガードレールはあるものの、そのすぐ外は砂の断崖絶壁。覗き込んでみると、絶壁に平行するように、あたりよりもっと白いくねくねしたラインが見える。何かと思ってよく見てみると、打ち寄せる波だった。どうもこの下は海らしい。それにしても砂壁に打ち寄せる波とは。そんなものがペルーで見られるとは思ってなかった。

これから何年も波に砂がさらわれていったら、数年後、この道はあるのだろうか、などと思う。

相変わらずあたりは真っ白で100mほどしか先が見えない。雲の中にいるわけでもないのに、どういうことだ?

9時過ぎ、家が立ち並び、沿道に様々な店が並ぶまち出る。どの建物も簡素でぼろい。たまにきれいな建物があるとそれはだいたいホテルだったりする。

みんな半袖だから外は暑いのだろう。車内はいよいよ冷房がきつくなり、上着を着ずには寒いくらいになる。

さっきまでよりも見通しは良くなったものの奥の方はまだまだ霞んでいて見えない。

道路は片道三車線になり、バスは客を乗せた三輪バイクや乗り合いタクシーを追い抜いていく。草も生えていない山の斜面にも家は張り付いている。ゴミが切れることなく落ちていて黒いビニール袋に犬が鼻を寄せ臭いを嗅いでいる。

砂埃にすすけたような雰囲気の大通りをバスは走る。
通りの向こうは木も草も生えてない黄土色の小山が並ぶ。

やがてコレクティボ(乗り合いワゴンバス)など車の量が増え、街角に立つ人の数も増える。そして建物の背が高くなる。

どうやらリマに入ったらしい。道路名が書かれてある看板を探し、手元の地図で現在地を探す。工場らしき建物などの横を通り、しばらくしてヨーロッパ調の街並みの中に入る。宮殿や教会のような建物が並び、路上にはキオスクが立っている。屋台はほとんどない。

道路は渋滞していて、バスも止まっては走り出し、また停まっては走り出しを繰り返す。

バスはのろのろとヨーロッパ調の建築が並ぶ通りを抜け、また広い幹線道路に出る。そして、左に右に曲がってバスターミナルに着く。

時刻は10時40分。昨晩19時にピウラを出てから約16時間の移動だった。

バスターミナルの建物は立派だった。例のごとく、この会社だけのターミナル。バスから降りる。荷物は会社の人がバスから降ろし、到着場で荷物の認識番号が書かれてある半券を確認しながら客に戻す。

到着場にはピウラと同じように首から身分証をぶら下げたタクシーの運転手が数人いて、客引きをしている。そのうちの一人が話しかけてくる。ホテルの名前を告げると場所を知っていると言い、値段を聞くと10ソーレス(約400円)だと言う。中心部まではタクシーでも20分以上かかるから、けっこう安い。昨日のピウラのタクシーのにいちゃんとは大違いだ。

その程度の金額ならとタクシーに乗る。運転手のおじさんはあれこれ話しかけてくる。ペルーは初めてか、どれくらいいるつもりだ、ペルーではどこに行くのだ、など。

走り出して5分ほどすると車の部品街のようなところに入る。TOYOTAやHONDA,MITSUBISHIなど自動車メーカーの名前やマークがずらりと書かれていて、道路脇で修理らしきことをしている人もいる。

その通りに来たときに運転手のおじさんが、ぼくに前に抱えていたウエストバッグを足下に置くように言う。そして、この辺りは"Zona peligrosa(危険な地帯)"だと言う。ぼくが足下にバッグをおくと”Mejor(メホール:better 良い)"と言ってうなづく。そして、リマの中心部ではよく気を付けるように言う。

中心部に近づくほどに渋滞が激しくなる。危険だと言いながら車の窓は開いたまま。窓を閉めると暑いからだろうが、ちょっとちぐはぐ。まぁ、その程度の危険ということなのだろう。

交差点で停まったときに、右横に停まったタクシーの運転手がこちらの運転手に大声で道を聞いてくる。運転手のおじさんはすらすらと答える。

宿はヨーロッパ調の街並みが残るセントロ(旧市街)にある。一方通行の石畳の道に入ると宿はすぐだった。

宿に着いたのは11時過ぎ。でかい気の扉を入ると、そこにガラスのドアがあり、張り紙がしてあった。張り紙には英語でここに荷物を置くと表から取られる場合があるから置かないようにと書いている。

ガラスのドアを入ると右手が受け付け。13ソーレス(約500円)のドミトリーを頼む。安宿ではあるが、建物はすごい。すべて石造りで3階くらいまで吹き抜けになっており、廊下にはミケランジェロの石膏が何体かある。さらに壁には数十年前のリマのまちの写真がかけられてる。

ドミトリーは4人部屋。2段ベッドではなく、普通のベッドが4隅にそれぞれ置かれている。部屋はぼくの他にヨーロピアンらしい若い男が一人。

部屋にロッカーがないのがよろしくないが、しょうがない。部屋の扉には鍵があるものの、壊れていてあまり使いものにならない。鍵がちゃんとしている別の部屋に移りたいと言うと、鍵を直すように言うからと受付の人は言う。が、当然(?)、滞在中に修理などはされなかった。

荷物を置き、まずは両替をするため辺りに銀行を探す。銀行の近くには10人くらい両替商の人がいて、札束と計算機代わりの携帯電話を持って立っている。そして、ぼくのような人間が通ると"Dollares(ドーラレス:米ドルのこと)"と言って両替しないか声をかけてくる。

偽札の問題があるので、銀行で両替をする。レートは1米ドル=2.75。

それから宿の近くの6畳もない小さな食堂で食事。スープやジュースがついたセットが6ソーレス(約300円)だった。食堂の前では焼き豚のハンバーガーが売られていた。売り方はハバナなどと同じく豚の巨大な肉の塊がどかんと置かれていて、そこからスライスした肉をパンに挟む。肉の他にレタスやトマトも入り、最後に塩や好みでアヒ(サルサソース)がかけられる。これは1ソル。

それからミラフローレス地区にあるブラジル大使館を探しに行く。宿の近くのAvancay通りのバス乗り場でミラフローレス行きを探すが、バスはいくらでも通るもののなかなか乗りたいバスがこない。

バス乗り場には各バスの到着時間が何かをチェックしている人がいて、その人にミラフローレス行きのバスを聞くと、9番のバスだという。

それで9番のバスを探すのだが、これがまたわかりにくい。バスのフロントには、そのバスが通る通り名と番号が書かれてあるのだが、番号は左端や右端など3カ所くらいに書かれており、そのうちのどの番号を見ればいいのかがわからない。

しょうがないので、9が見えたバスの客引きの人にいちいち聞くが、違うという。結局50台近く見送っただろうか、30分ほど待ってやっと乗るべきバスに乗れた。

料金は客引きの人が徴収に来るようで、乗るときには払う必要はなかった。そのうち客引き担当の人が回ってきて料金を徴収し、その代わりに切符みたいなものをくれる。運賃は一律1ソル。

バスは渋滞+客を乗せるために頻繁に停まる。自転車があれば5分もかからないところを20分くらいかけて走る。車道ではバス同士が道の取り合いをする。プップーと盛んにクラクションがなり、車線の変更時などは無理だろうというような隙間でも強引に入り込む。しかし、ぶつかることはない。

彼らの運転(女性の運転手は一人も見なかった)は、言ってしまえば間を詰め合う喧嘩のようなもので、一瞬でも隙ができれば、相手の顔色など気にせず突っ込んでいく。客引き担当の人が、ドアから身を乗り出し、そこに入りたいからちょっと待ってくれと大きな身振りで相手方の車に知らせるが、半分くらいは無視されているよう。

とにかく進むのが遅い。考えごとをしていたら目安にしていた2 de Mayo通りの看板が見えた。慌てて降りる。

地図を見ながらブラジル大使館を探すが、ない。それに2 de Mayo通りの隣の通りの名前が地図と違う。交通整理をしていた警官に聞くと、あっちだというようなことを言う。それでそっちの方に行くがそれらしきものがない。一帯は高級住宅街のようで、立派な家が立ち並び、警備員までいるところもある。

警備員の人に聞くと、自信満々にあっちだと言う。が、やはり見あたらない。

さまよいながらだんだんとわかってきた。どうも2 de Mayo通りが2つあるようだ。

ここらの住人らしいヨーロッパ系のおじさんに聞くと、ここからはだいぶ遠いから、コレクティボに乗って行った方がいいと言われる。それでさっきバスを降りたところに戻る。地図で確認するとやはり2 de Mayo通りが2つあった。どちらも同じ方向に走っているので完全に間違えたようだ。

ブラジル大使館近くの2 de Mayo通りはまだまだ先にあった。それならそうとあの警官も教えてくれればいいのに、自信ありげにあっちだなんて言うから、1時間もさまよってしまった。

再度、バスに乗りミラフローレスに向かう。ここは富裕層向けの店が立ち並ぶ地区で大使館なども多い。行ってみるとまるでセントロと雰囲気が違う。

バスを降りたところからしばらく歩いてやっと大使館に到着。表の窓口でビザのことを聞くと英語で書かれた一枚の紙をくれた。そこには次のように書かれていた。

---
EMBASSY OF BRAZIL IN LIMA
Consular Section

Requirements to obtain a tourist visa(ツーリストビザを受給するには以下のものが必要):
1.Passport,valid for a minimum of six months from the date of intended arrival in Brazil(ブラジル入国時に有効期間が最低6ヶ月あるパスポート);
2.One visa application form(provided by this Consulate) for each applicant, duly filled out and signed by the passport holder(ここの領事館で受け取ったビザの申請書1枚。申請書はパスポートの所持者によって正確に記入され、また本人のサインがあること);
3.One passport size photograph (3×4) recently taken, in color or black and white(最近撮ったパスポートサイズの写真1枚。写真はカラーか白黒);
4.Round-trip ticket(ブラジル往復チケット);
5.International Certificate of vaccination against yellow fever(黄熱病の予防接種証明書:通称イエローカード).
6.Credit cards,traveler's checks or other proof of financial capability(クレジットカードやトラベラーズチェック、その他所持金(預金)額を証明するもの:銀行の残高証明書など);
7.If student, certificate of enrolment in a regular high-level or techinical course(学生であれば在学証明書):
8.Other documents, as demanded by Consular Officer(その他、領事館の職員に求められた書類).

The process takes between two and five business days(ビザの発給には開館日換算:つまりは土日は計算に入れずに2~5日かかる)
--------
いずれも事前に聞いていたものばかり。一番のネックは4番目の往復チケット。飛行機で行くつもりはないから、ない。チケットがないとダメかと聞くと、首を横に振りながらダメだと言う。

今日はもうビザの申請時間は終わっていたので、これだけで大使館を後にする。予想通りの展開。ボリビアでとるしかないかと考えながら、ぶらぶら歩く。

ミラフローレスの中心部には、マクドナルドはもちろんのこと、セントロでは見なかったスターバックスコーヒーなど、まぁどこにでもあるつまらない店がたくさんある。民族服を来ている人などは、まず見あたらない。そして、観光客が多い。

中央公園では屋外写真展をやっていた。どれも上空から撮った写真らしい。アマゾンの森林破壊の現場や遺跡、大都市、自然の写真など世界各地の写真が公園内の歩道に展示されていた。

ぷらぷら歩く。セントロに近いところでバスに乗ろうと歩いてると、市場を発見。夕方ということでもう店じまいをしているところが多かったが、エクアドルでは見なかった果物等を見る。

市場近くの客が多く入っている店で食事をして宿に帰る。

帰るときもバスに乗るのに一苦労。行きたい方面に行くバスの乗り場がわからず、聞いてはそこに行き、違っていてはまた別のところに行きとやはり1時間近くさまよいようやくバスをゲット。

辺りは薄暗くなりはじめていた。来たときとはまったく違うルートのバスだったようで、見た覚えの景色の通りを通る。バスの中はすし詰め状態で、ほとんど隙間がない。只でさえスリに合わないか気を使うのに、バスは急ブレーキ急発進で大揺れ。やれやれ。

渋滞の中を40分ほどかけて宿の近くの通りに戻る。そこでは降りる人が他にいなかったため、”Permiso(ペルミソ:すいません)"と言いながら、人をかきわけかきわけ、やっとのことで降りる。

暗くはなっているものの通りには人が多い。トウキビやアイスの物売りの人たちもまだがんばっている。

ぼくは寄り道せずに宿に戻る。夜は外にでることなく、宿で過ごす。

朝、部屋にいた男は去って、別のおじさんとアメリカ人の女の子2人組と同室になる。会話はない。

宿に併設されているネット屋でネットを見る。ここのはかなり遅かった。

Fin

2008年5月5日月曜日

マチャラからピウラ、リマへ その1

08/04/21

・チケットを売らないチケット売場
・エクアドル出国
・ペルーでパスポートチェック三連発
・草のない山
・海水浴場
・田んぼ、田んぼ、田んぼ
・ピウラで乗り換え
・豪華なバスー指紋採取、ビデオ撮影、アナウンス、夜食

夜中、暑さと虫が這っているような感覚があって何度か起きる。温度計を見ると夜中なのに気温は32度、湿度75%。ベッドから起き、開けていた窓から手を出してみると明らかに外の方が涼しい。

6時頃には起きる。あたりで鶏の鳴く声が聞こえる。

バスは11時発だったが、9時にはターミナルに行く。宿から歩いて10分ほどだが、暑さもありかなり汗をかく。

ターミナルは昨日と同じようにバスがひっきりなしに入ってきては出ていく。ターミナル前の歩道ではココナッツジュースを売っているアフリカ系のおにいちゃんがいて、次々と人がよって来て買って行く。

ターミナルのチケット売場に行ってチケットを買おうとすると11時がどうのと言って、売る気配がない。発車時間近くになったら売るのかなと思い、しばらく待合室で本を読みながら待つ。日が入ってくるので、本を読んでいてもうっすらと汗をかく。

10時過ぎにまたチケット売場に行くと、またなんだかんだと言って売ってくれない。言葉もわからないので、今度はバスの整理をしていたおじさんに聞いてみると11時に来るからと言われただけ。

国際バスだから事前にチケットを買っとかないといけないのだろうなと思っていたが、どうもよくわからない。

11時前、バスがターミナル内に入ってくる。ぼくはバスの近くにいたおじさんにペルーに行きたいと伝え、荷物を預け、バスに乗り込む。

バスは11時過ぎに発車。テコンドーの道具を持っている一団がいて、車内でこちらに話しかけてくる。彼らはペルーに帰るところらしい。車内はほぼ満席。

昨日も通ったバナナ農園に挟まれた片道2車線の幹線道路をバスは走る。

バスに乗ってから料金の徴収がある。代金は6ドル。

バスはバナナ農園や湿地帯の中を走る道路をがんがんとばす。窓が開けられるので風が気持ちいい。

出発してから1時間後の12時過ぎ、検問があり、それからすぐに国境の町Huaquillasに着く。そこでバスの人に降りるよう言われ、テコンドーの一団とともに道の脇にあったイミグレーションに行く。

バスを降りるとバスは発車。どこかへ行ってしまう。荷物を預けているのにどういうことだ、と思ったが、テコンドーの一団(5人ほど)もほとんど手ぶらでバスを降りていたので、バスは先の方で待っているのだろうとも思い、まずは出国手続きをする。

出国手続きは特に質問もなく10秒ほどで終了。入国カードの半券をもらい、バスがどこ行ったかなと道ばたに出て眺める。すると、テコンドー一団のボスらしい男の人が、ここで待っていればいいというようなことを言う。

イミグレの隣には小さな食堂兼カフェみたいなのがあって、テコンドー一団はそこの日陰でバスを待っていた。ぼくは立ったまま、バスが去った方を見つめ、待つ。立っているとタクシーの運転手がどこに行くのだと話しかけてくる。

バスは20分ほどして戻ってくる。バスの中はほとんど空っぽになっている。どうもさっき降りなかった人たちはここよりさらにペルーに近いエクアドルのまちに行く人だったみたい。

バスに乗り込む。もう車内はガラガラなので、二人分の席をぜいたくに使う。

バスは舗装された通りを走る。沿道には立派なサッカー場があり、民家や商店が建ち並んでいる。10分経ってもペルー側に着かないので、もしやさっきのところにペルーの入国手続きをするところがあったのかと思うが、他の人も出国手続きをしただけなので、そうではなさそう。

これまでの国境越えでは、出国と入国の間はせいぜい5分くらいで、しかもその間にはまちというまちはなかった。なので、今回もそんなもんだろうと思っていたのに、サッカー場はあるし、家は多いし、市場みたいなところもあるし、でこれまでの前例が覆されてしまった。

出国手続きから、一つのまちを抜けて走ること30分ほど、13時10分にようやくペルー側に入り、入国審査をするイミグレーション前でバスは止まる。

乗客は皆降り、左側にあったイミグレで入国手続きをする。これも質問もなく、すぐに終わる。

またバスに乗り込み、バスはすぐに走り出す。

ペルーに入って景色は一変。エクアドル側のまちは物があふれていたのに、こちらは堀立て小屋の家が荒涼とした大地に規則正しく並んでいる。難民キャンプかとも思えるような光景。

しばらく行くと両側にコンクリート造りの建物が見え始め、街に入ったことがわかる。Tumbesというまちでここで何人か客が降りる。このまちには三輪バイクタクシーが盛んに走っていた。そう言えば、エクアドルでは見なかったなと気づく。

10分ほど休憩した後、バスは発車。

まちを抜けると見えてきたのは田んぼだった。まだ青々している田んぼもあれば、黄金色になって稲穂が垂れている田んぼもある。道路の両脇が一面田んぼ。なかなかの壮観。

やがてバスは海沿いに道に出る。太平洋を右に見ながら舗装された道路をビンビンとばす。この辺りは海水浴場のメッカなのか、次々と海水浴場が現れる。

ペルーに入ってから1時間後の14時20分、海沿いのまちでバスは止まる。何かと思い、外に乗り出してみると警官がいた。

バスの添乗員のおじさんが何やら警察と話し、荷物入れのドアを開けて中を見せている。窓からその様子を見ていたら、まだ20代前半にもなっていないのではと思われる若い警官と目が合う。アッと思ったら案の定、その若い警官は年輩の警官に何やら耳打ちし、その警官がこちらを見て、そしてバスに乗り込んでくる。

その警官は一直線にぼくのところに来る。あのガキいらんこと言いよってと思いながら、待つ。そして、ぼくのところに来て、パスポートチェック。スタンプを確認するとすぐに返してくれた。

荷物のチェックの方では、何かの苗がひっかかった。持ち主の男性はバスを降り、警官に何やら抗議をしている。20分ほどバスはそこで停車。

再度発車したときには、苗の持ち主の男性はいなかった。どうも面倒なことになったよう。

右手に海を見ながらバスは走る。左手の陸地は草もない茶色の低い山や丘が続く。ときおり橋を渡るが、水はない。

1時間ほど走ったら、またバスは止まる。今度は立派な検査用の建物の前で停まる。

乗客はみな自分の手荷物を持って降ろされる。荷台のドアを開け、警官が客の荷物をチェックする。建物の中で、手荷物のチェックもあったが、ぼくはどこから来たかと聞かれ、Japon(ハポン)と答えたら中身のチェックはなかった。

トイレ休憩と軽食を売っていたので、そこで菓子パンと水を買う。これまでと変わったのが、この水。水の味とかではなく、サイズがペルーは違う。買ったペットボトルの水は625mlだった。

15分ほどそこでチェックがある。入国の時には荷物のチェックはしないのに、なんでこんなところでやるのかが謎だ。

またバスに乗り込み、再発車。が、1時間もたたないうちにまたバスは止まる。窓から前の方を見ていて、警察がいるとわかったので、ぼくはカーテンを閉め、外から見られないようにする。これですんなり通ってくれればと思ったが、警官はバスが停車したら即乗り込んできた。

そしてぼくを見るとつかつかと近くまで来て、パスポートを見せろと言う。他の客はそんなチェックをしているふうじゃないのに、なぜぼくだけと思いつつ、パスポートを見せる。そしたら、なぜか外に出ろというようなことを言う。

それで手荷物を持ってバスを降りようとしたら、運転手がどこに行くんだと聞いてくる。いや、どこにと言われてもと思いながら、わからないと答える。

バスを降りると別の警官がぼくを見て、パスポートを見せろと言ってくる。ぼくのパスポートはさっきの年輩の警官が持ったまま。それを仕草で伝えると、今度は荷物の中身を見せろと言って、ごそごそ調べる。

年輩の警官がバスから降りてきて何やら言うがよくわからない。バスの添乗員のおじさんがいろいろ説明らしきことをする。どうも年輩の警官は、パスポートに入国スタンプがないと思ったらしく、聞かれてぼくがそのページを開いて見せると、それで事は済んだ。

まったくちゃんと見ろよな。それに入国審査の人ももっと分かりやすいところにスタンプ押せよなと思いながらバスに乗り込む。ペルーの入国スタンプは、それまで使っていたページから数ページとばしたところに押されていた。前のページから順に押してくれれば、こんなことなかったろうに、まったく。

ぼくが乗り込むとバスはすぐに発車。これまでの遅れを取り戻すかのように、がんがんとばす。

やがて道は海から離れる。ミニグランドキャニオンのようなところも通る。

17時半、内陸の方へ向かう道が右と左とに分かれるポイントに来る。バスは左にルートを取り、しばらくすると田んぼやバナナ農園が広がる地域に入る。

田んぼの畦には椰子が植えられており、夕日に映えるそれらの姿がなかなかよろしい。

日が暮れた18時過ぎ、車が増え、沿道にコンクリートの建物が多くなる。どうもピウラに入ったよう。

街に入ると渋滞のためスピードが落ちる。一方通行の道をぐるぐる回って18時30分過ぎにCIFAのターミナルに到着。ここは会社ごとにターミナルが別れているから、すぐに次に乗り換えることができない。

ここで一泊することも考えていたが、リマでブラジルのビザを取るためにも早くリマに行きたかった。しかし、外は暗くなっていて、時間も19時に近い。歩いてターミナルを探しても、バス自体があるかどうかがわからない。

どうしたものかと思いながらバスから降り、リュックを背負う。するとターミナル内にいた30代後半くらいの男がタクシーが必要かと話しかけてくる。首からは身分証明証をぶら下げている。

ぼくはリマに行きたいんだけどと言うと、19時半発のバスがあるからそこまで乗せていくという。値段を聞くと5米ドル。地図を見る限りではどの会社のターミナルもそう遠くはない。だから5ドルはしないだろうと思い、3米ドルでと言うと、渋そうにOKと言う。

タクシーに乗ると、ペルーの通貨であるソルを持っているかと聞かれる。エクアドル・ペルーの国境では両替商の人がいなかったから、まだソルは持っていなかった。でも、米ドルでなんとかなるだろうと思っていた。

持っていないと答えると運転手は、バス会社はソルしか受け取らないと言う。そして、両替所に寄るから両替しろと言う。確かにペルーではそういうことがあるような話は聞いたが、レートは悪くなるだろうが、米ドル押し切れないことはないだろうと思った。なので、両替所に行く必要はないと言うが、身分証をつかんでこちらに見せながら自分は嘘を言っていないというようなことを言う。

この調子では断っても無駄だなと思い、両替所に行くことを了承する。タクシーは両替所が並ぶ通りに入り、そこに車を止める。ぼくはタクシーが勝手にどっか行かないか気にしながら両替をする。レートは1ドル=2.75ソーレス。後にそれほど悪くないレートだったことを知る。

両替をしてすぐにタクシーに戻る。

そして、18時45分ほどにバスターミナルに着く。レートからすれば3ドルは10ソーレスでもお釣りが出るくらいなので、10ソーレスでいいかと運転手に聞くと5米ドルだと言い出す。またもや出ました、タクシー運転手お得意のあと出しジャンケン。3米ドルだろと確認するが、運転手は両替所に寄ったから5米ドルという。そんなの関係ないだろうとぼくは思うも、ハイハイ5ドルほしいのね、と5米ドル渡す。

荷物をとって、ターミナルの窓口に行く。窓口の女性にリマに行きたいと言うと、いつと聞かれる。今からと言うと、パスポートを求められ、そのコピーを見せるとパソコンで名前などを入力し、チケットを発券してくれる。運賃は60ソーレス(約3000円)。エクアドルと比べると倍近くあがったような気がする。リマまでは14時間くらいだからエクアドルであれば20ドルしないはずだ。

まあ、それでもうまく乗り継ぎができたので、安心する。バスは19時発。あと15分ほどある。

ターミナルの前にはバナナチップを売っているおばさんなどがいた。今日はまともに飯を食っていないので、バナナチップでも買うかと思ったが、袋があまりにでかい(日本のポテトチップのでかいサイズの2倍くらいある)のでやめる。

ターミナル周辺に屋台はないかをちょろっと歩くとハンバーガー屋があったので、そこのを買うことにする。値段を聞くと1個1ソーレス(約40円)と言うので、2個買う。

ターミナルに戻ると乗車が始まっていた。つかつかとバスの方に向かっていると、脇で何やら並んでいた列で待つように言われる。

何をしているのかと思ったら、そこで乗客名簿とチケットの突き合わせをし、さらに指にインクを付けて、乗客一覧の自分の名前の上に押印(?)していた。

その横ではおじさんが、セニョーラとか言いながらビデオカメラを回している。団体客の人かと思っていたが、ぼくの時もセニョールと声をかけてきてカメラを見るように言う。そのおじさんはビデオを持ったまま、バスに乗ることはなく、指紋のチェックなどをしていたターミナルの女性とバスを見送っていたので、どうもバス会社の人だったらしい。ここまでするとは、ペルーはどんなところなんだ。

バスが発車すると制服を着た添乗員の若い女性が、マイクを持って乗客に何やらアナウンスをする。スペイン語なので何を言っているのかわからないが、そもそもこんなことがあること自体に驚く。相当いいバスに乗った模様。

ぼくはハンバーガーをアッという間に平らげる。車内の電気は落とされているので、その暗さもあり早々に寝てしまう。

かなり寝入っていたのだが、バスのスピードが落ち、何かアナウンスが流れているのを感じ、目が覚める。

バスは門をくぐり、建物の横で停車。そこで乗客は続々と降りていく。ぼくもそれに合わせて降りる。

時計を見ると22時20分。こんな時間にトイレ休憩かよと思いながら、みなが入っていく建物に入る。するとそこにはホテルの食堂のようになっていて、そこで乗客の人たちが座って同じ物を食べている。

こんな時間にみんな食欲あるなと思いながら、空いていた席に座る。テレビではサッカーの試合のニュースが流れている。

席に座ってしばらくするとかしこまったウェイターが注文もしていないのにお茶を運んでくる。おお、これはサービスかと思い飲んでると、今度は同じテーブルのおばさんが食っていたものと同じ料理が運ばれてきた。

ウェイターに食べていいのかと仕草で確認するとうなづく。なので頂く。鶏肉のカレーのような料理でうまい。う~ん、まさか夜食がついているとはまったく予想していなかった。窓口の女の人もそんなこと一言も言ってなかったし。ハンバーガーは買わなくて良かったなと今頃思う。それにどうせなら、もうちょっと早い時間にしてくれた方がいいなとも。

30分ほどここで休憩し、またバスは走り出す。飯を食った建物はいったい何だったのかと後方を見ると、やはりホテルの一角で、ぼくらが使った入り口は日本で言うと従業員用の裏門みたいなところだったよう。

バスに乗ると満腹になったこともあり、さっさと寝てしまう。

Fin

machala-lima

2008年5月2日金曜日

プーノいり。

昨日、マチュピチュの入り口まで行き、今朝クスコに戻ってきて昼前のバスで移動。7時間ちょっとのり、先程プーノというチチカカ湖畔の町に着きました。移動の途中では、リャマやアルパカの放牧の様子や流れ星まで明見ることできました。

ちなみにここのネット代は1時間1ソル(約50円)。クスコよりも早く機能も良いですね。
また今晩の宿は10ソーレス(約400円)。バスターミナルのすぐ近くできれいでなかなかよろしいところです。

明日は湖に浮かぶ島を見に行き、明後日にはボリビア入りです。

2008.5.1 20:09
Puno,Peru

2008年4月26日土曜日

クスコ入り

現在、4/25 朝の9時15分です。

先ほどクスコに付きました。
ナスカを出てから約17時間。ひたすら山道で車酔いをしてしまった次第。

ここは標高3000mを越える地帯ですが、相変わらず高山病は全く問題なし。

午前中はちょっとのんびりして、午後からマチュピチュに行くための準備をしようかと
思っています。

ではでは。

Cusco,Peruにて

2008年4月25日金曜日

ナスカ入り

いま、ナスカです。
昨日の夕方につき、いま、地上絵を見てきました。飛行機の微細な動きのおかげで酔いましたね。

奇しくも
日本からのツアー客の人と同じ飛行機になりまして、久しぶりに日本語を聞いたところです。

今晩は、クスコに移動です。

では。

nazca


2008.4.25 10:07
Nazca,Peru

2008年4月24日木曜日

リマ入り

昨日、4/22の昼にペルーの首都リマに入りました。
げんざい、4/23のお昼前です。

エクアドルのマチャラからペルーのピウラ行きのバスに乗り、約7時間かけてピウラに着き、ピウラですぐにリマ行きのバス乗り、昨日の11時ころリマにつきました。

途中は、たんぼあり、砂漠ありでなかなか印象的な風景が多かったですね。

リマに急いだのは、ここでブラジルビザを取る予定をしていたからですが、大使館に行ったところ往復のチケットがないと発給できないといわれたため、ここでの取得はあきらめ、ボリビアで取ろうかと思っています。しかし、ボリビアでも取りにくいとの情報があるため、予定通りボリビアからブラジルのアマゾンに行けるかは未知数です。

リマは交通渋滞が激しく、まちもいまいち凝縮性がないので歩いて回るには不便ですね。

これから明日のバスの手配をして、明日はナスカに移動です。

では。

2008.4.23
de Lima