2008.4.5(土)
・スクールバスとタクシーで国境へ
・わけのわからないニカラグアの出国手続き
・緑のコスタリカ
・サンホセフライヤー
・消えた屋台、それから武装警官
1米ドル=18コルドバ(ニカラグア)
1米ドル=490コロン(コスタリカ)
蒸し暑さもあり、5時半頃目が覚める。
荷物を整理し、出発の準備。
国際バスのTICA社のバスを使おうかぎりぎりまで考えていたが、ちょっとでも安い方がいいかと思い、一般のバスを使ってコスタリカに行くことにする。
6時に宿を出て、市場の裏にあるRivas行きのバスターミナルに行く。市場とその周辺の路上ではすでに野菜などを売る準備が始まっており、一部の人はすでに準備を完了して売り始めている。だが、昼と比べれば開店率は1割程度。
宿からそのターミナルまでは、歩いて10分程度。ターミナルはここもただの駐車場という感じ。路面はもちろん舗装されていない。
正面に行き先が書いている。ターミナルの入り口では、それぞれのバスの運転手が自分の行き先を大きな声で言いながら、客を集めている。ぼくにも行き先を聞いてきて、リバスに行くと言ったら、あれに乗れと指さす。
バスはアメリカのスクールバスのお下がり。荷物は屋根に次々と乗せられる。
バスに乗り込んで10数分後、ほぼ席が埋まった頃にバスは発車。時刻は6時半過ぎだった。
今日は曇り。車窓から空を見ていて気づいたが、けっこうやばそうな雲が見える。もしかしたら途中、雨に振られるかも、と悪い予感がする。
バスは乗客を乗せながらのびのび走る。しばらく行くと観光客向けの看板が見え、火山の河口の入口がそこであることを知らせている。
沿道に見える家は、板を張り合わせた家やコンクリート造りの家などが多い。薪を備えている家も多く、燃料は木に頼っているよう。また、渡る橋から見える川には水が流れていないことが多い。乾期だからこうなのか、それとも水量が減っているのか、気になるところ。
そのうちバスの客引き兼集金が係りのにいちゃんが運賃を集めに来る。代金は24コルドバ(約180円)。
しばらくすると、車内の前方からマラカスのリズムに乗って歌声が聞こえてくる。バスの後部左側に座っていたぼくの位置からは通路に立っている乗客が壁になり、誰が歌っているかわからなかったが、声からするとやや年輩の男性のよ。マラカスのリズムは小気味良い。
一部の若い乗客は、その歌を聴きながら、囃子を入れたりして盛り上がっている。ぼくの右となりにすわっているおばさんも、時折笑っているが、大笑いというよりも笑うのをこらえているようなので、何か意味深な歌詞のようだ。
時間にすれば10~15分くらいだろうか、聞こえていたおじさんの歌が止む。そして、どうやらお金を集めて通路を歩いているようだった。おじさんが歩くのをまわりの人が手伝っていることから、おじさんは目が見えないのだということがわかる。ぼくがポケットにあった幾ばくかのコインをおじさんの手の近くに出したのに、それを受け取ろうとするといった反応がなかったので、それではっきりと目が見えないのだとわかった。
目が見えない人が歌を歌って稼いでいるのは、メキシコシティでも見た。メキシコシティの地下鉄に乗っているとき、同じように目が見えないおじさんやおばさんが歌を歌って、それで小銭を集めてまわっているのを見た。その他にもメキシコシティの地下鉄では、やはり目が見えない人がCDを抱えて売り歩いたりしているのも見た。
おじさんは一通り客の間を歩き終わると、バスから降りていった。バスを降りる時は、入り口近くにいる人が手を引いて降りるのを手伝っていた。
グラナダを出てから1時間半後、バスはRivasに到着。予想外に早く着いたので多少あわてる。幸いなことに雨に降られることなく、ここまで来た。
そこから国境までは乗り合いタクシーで行く。バスターミナルにはバス客を狙ったタクシーの運転手が来ており、それぞれ行き先を言いながら客を集めている。
ぼくがリュックを背負おうとしていたときに、ひとりのおじさんが声をかけてきて、国境まで50コルドバ(約300円)と言う。
すぐにOKして、タクシーに荷物を載せる。ぼくが乗ってからもおじさんは客集め。”フロンテーラ、フロンテーラ(Frontela,frontela)と行き交う人たちに声をかけ、乗客を集める。すぐにもう一人は決まる。2人乗ったところで運転手は車を発車させるが、それからまたバスターミナル内を客集めに1周する。
結局ターミナル付近では客をゲットできず、車は走り出す。しかし、走る幹線道路沿いで客をゲット。後ろに3人乗り、助手席に僕がすわる。
舗装されたきれいな道を車は飛ばす。しばらくすると右側には牧場、左側にはニカラグア湖が見える。
車はまた道端の人の前で車を止める。後ろもいっぱいだし、どうやって乗せるのかと思っていたら、助手席にその人を二人で座ってくれというようなことを言われる。少し行った先で後ろの人が降りるからということもあり、数分間助手席に大の大人男性が密着した状態で座る。ぼくは運転席側だったが、ぼくの太股のすぐ裏にギアがあるような状態だった。
1時間たらずでコスタリカとの国境地帯に到着。一帯には露店が並んでいる。タクシーを降りると、入国カードの用紙を持った人たちがたくさんいて、それをいらないかと聞いてくる。そんなもの買うものじゃないだろ、と無視。
出国審査がある建物の敷地と露店が並んでいるところは国境のようにコンクリートブロックの壁で区切られていた。人が一人通れるだけの入り口があり、そこを通ろうとすると止められ、20コルドバか1ドル払えと言う。なんだこのおっさんと思って、無視して入ろうとしたら、どうも国境の職員だったようで、名札を見せられ、コスタリカに行くならこれを払わないといけないと領収書の用紙を見せながら言う。
しょうがないので20コルドバ払う。
それから出国審査場へ。こちら側にも出国兼入国カードの束を持っている人が10人ほどいて、すぐに寄ってきて売ろうとする。なんで公的な手続きに必要な書類、それも普通は無料で配布しているものを買わなければいけないんだと無視していたが、名札をぶら下げた職員らしき人が、その人等からもらい、それに記入しないといけないなどというので、しょうがなく側に来ていたにいちゃんから紙をもらう。
10代くらいのそのにいちゃんは、僕を出国手続きの窓口に案内する。そこには長蛇の列ができていて、30分はかか理そうな気配。並んでいる間にその紙に記入。記入が終わって知らん顔をしていると、その兄ちゃんは自分にいくらか払わないかというようなことを言う。いくらかと聞くと10か20コルドバと言う。
安いもんだし、もうコインもいらなかったので、適当にポケットにあったコインを渡すとにいちゃんは去っていった。周りを見ると、10歳くらいの男の子が同じようなことをしており、その子は代筆している。声をかけた人からパスポートを見せてもらい、それを見ながら必要事項をそのカードに記入していく。
そして、記入が終わるとお金をもらい、また別の人の所に行く。子どもばかりでなく、大人の男性も女性もそれをやっている。文字が書けない人のためのサービスかと思ったが、けっこう金持ちそうな人もいるので、そうでもなさそう。
だいたいこの人らはこの記入用紙をどうやって入手しているのか。よくわからん。こんな国境は初めて。
待っている間にはそれほど汚くはない格好をした10歳くらいの女の子がカネをくれと行ってくるし、足に障害のある男の子(15歳くらい)もカネをくれと人々の間をまわっている。
出国審査は特に質問もなく、何かの税金か何かで40コルドバ(2米ドル)払わされて、それでおしまい。
近くに銀行があったので、そこでコスタリカの通貨コロンに両替をする。
それから歩いてコスタリカ側へ行く。トラックがたくさん止まっている間を100mほど行くと警官がいて、パスポートを見せてと言われる。その警官は他の人としゃべりながら出国スタンプを確認するとすぐにパスポートを返してくれる。
そこを過ぎると左手にコンクリート造りの建物が見え、右手に首都サンホセ行きのバスのチケット売場の小屋がある。
バスのチケットを買いに、その小屋に行く。値段は3225コロン(約700円)。意外と高い。窓口に貼られていた時刻表を見ると30分後の10時半に出るバスがあったので、そのチケットを頼むとそれはすでに満席で、次は12時だと言われる。1時間半待ち。
向かいの建物にはレストランがあり、朝から何も食べていないこともあり、そこで食事をすることにする。
それにしても、安くすませようと思って一般の交通機関を使ったのに、どうもその効果はなかったよう。国際バスではマナグアからサンホセまで15ドルくらいで行け、国境もスムーズだと聞いていた。ここまでのバス代とタクシー代、サンホセまでのバス代は合計すれば約10ドル。それに昼飯代だから、ほとんど変わらない。しかも国際バスは同じ時間に出て3時に着くとあった。ここからサンホセまでは約5時間半。12時に出れば薄暗くなった頃の到着になる。
これだったら国際バスで行った方が、金銭的にも時間的もお得だったようなと今更おもう。
レストランのテーブル席に荷物を降ろして一服していると向かいの事務所のようなところに人が大勢並んでいるのが見えた。
何をしているのかと見ると、入国・出国審査をしているのだった。これまで中米ではほとんど入国・出国審査はなく通過していたので、うっかり忘れていたがコスタリカの入国審査を受けていなかった。
だいたいこの建物も悪い。表にはレストランとデカデカと書いているくせにこの事務所がイミグレだとかは目立つようには書かれていない。てっきりここはレストランだけかと思っていた。
長蛇の列ができていたので、あわてて荷物を持ってその事務所に行き並ぶ。30分ほど待って、入国スタンプをゲット。質問等はなかった。
それからレストランで食事。ショーケースに並んでいる料理を指さして頼む。ご飯と鳥の唐揚げ(というか丸揚げ)、2種類の野菜の炒め物に水をかって2500コロン(約700円)。ニカラグアと比べると単位が100倍、物価も約2倍になった。コスタリカもグアテマラなどと同じように、日本の3分の2程度の物価水準のよう。
飯を食ったりしてバスの発車時間を待つ。
12時前、手荷物検査を受けてからバスに乗車。50人乗り程度の大型バスは満席。
さすがエコツーリズムの国ということか、バスは冷房はつけない。走り出せばなんてことないが、停車している間は無風状態で、気温が30度以上あるので蒸し暑い。
バスは予定通りに発車。コスタリカ側に入る。これまで中米で見た国境地帯はどこも牧畜地帯で山の斜面などは軒並み牧場になっていたが、コスタリカはちょっと違った。沿道にはたくさんの葉を付けた木々が立ち並び、ちょうど緑のトンネルのようになっている。
その向こうにはとりおり牧場が見えるが、他と比べれば規模は小さい。見える山も緑が多い。
国境を出て3時間後、軽食屋の前にバスは止まり、休憩。運転手は乗客にトイレに行くことを奨める。その奨めに従って、みなバスをおり用を足し、アイスを食ったりなんたりしている。
暑かったこともあり、アイスでぼくも一休み。シングルが500コロン(約130円)。
20分ほど休憩して、バスは発車。バスの中で気温を計ると36度ある。暑いわけだ。
しばらくすると突然雨におそわれる。大型バスは荷物が濡れる心配をしなくていいから、らくちんだ。
途中うとうとしているうちにだんだんと車線の多い地域に入っていく。沿道には小規模のコーヒー農園も見える。
大型スーパーやショッピングモールも見え、終点が近いことがわかる。
そして、国境を出てから5時間半後の17時半にサンホセのこの会社のターミナルに到着。天気が悪く路面が濡れている。車や人通りは多い。地図で確認すると、地図にあったターミナルにちゃんと着いているよう。
バスを降りるとおばさんとおじさんが話しかけてきて、自分とこのホテルに泊まらないかと言ってくる。値段を聞くと10米ドル。グラナダの宿にあったサンホセのユースホステルのチラシではやっぱりそれらも10米ドルだったので、その程度かとも思うが、ネットがないとのことなので却下。
歩いてみると周辺にはホテルがたくさんあり、適当に1軒よって値段を聞くと、空いている部屋はないとのこと。
別の所を探して歩いていると雨がぽつぽつやってくる。これはやばいとあたりを見渡すと歩き方にも乗っているホステルを発見。ここは10米ドル以下だったと思ったので、そこに入る。
値段を聞くと5000コロンか10米ドルとことだった。値上げしたらしい。銀行のレートが1米ドル=490コロンだったので、米ドルで払った方が得だと、米ドルで支払う。
部屋は反省部屋のようにベッドと机があるだけ。小さな半径20cmほどの使えそうにない扇風機が壁に備え付けられている。コンセントもない。
とりあえず部屋に荷物を置いて、まちに出る。幸い雨は降っていなかった。宿から1区画移動すると歩行者天国になっており、その通りには多くの人が歩いている。
さすが中米の観光大国。これまでの中米の国と比べてまったく観光客への配慮が違う。通りには細かいまちの地図があり、さらに3ヶ月程度のイベントスケジュールも張り出されている。宿にはサンホセフライヤーという観光客向けのパンフがあり、片面にはサンホセの地図、もう片面には安宿も含めた宿情報やレストラン情報が載っている。
何よりこのフライヤーがいいのは、市内に点在しているバス30くらいあるバス乗り場を網羅していること。それからデザインもよく、日本でもこれほどの無料のパンフを配布しているところはそうないと思う。
それからこれまでどこにでもいた武装警官は消え、日本と同じような軽装の警官が基本になっている。店にもマシンガンを持った警備員はいない。なにより決定的に違うのが、アートがまちに散りばめられていること。どうも今は牛をテーマにしたアートフェアが行われているようで、ほぼ等身大の牛の作り物が、見る限りでは半径100m以内に30頭ほど置かれている。
それぞれの作り物はある感覚を置いて設置されており、それぞれにテーマと作者の名前が書かれたプレートが貼られてある。ある牛はコーヒーの収穫から飲みまでの過程をイメージしたデザインとなっていたり、ある牛は内部が機械でできている牛だったり、ピンクなどの奇抜な色をした牛もいたり、セクシーさを売りにした牛もあったり、多種多様。
歩いている人たちは、それらを楽しみながら歩いている。子どもは牛の作り物を見て、不思議そうな顔をしたり、面白いデザインを牛を見つけると互いに教えあったりしている。
こういうことがいつも行われているかどうかはわからないが、暗くなってからも多くの人が通りを歩いていることだけでも、この中米では珍しいことだろう(他では夜は出歩いていないので、はっきりとはわからないが)。
これまで行った感覚だとドミニカのサントドミンゴに雰囲気が似ている。
また、これまでの行った都市とちょっと違うのが、髪型。長髪の若い男性やモヒカン刈のような奇抜な髪型をしている若者がぽつぽつ見られる。また、女性の髪型も日本ではよく見るが、こちらに来てからはあまり見たことがなかった髪型(各髪型の固有名を知らないため具体的には書けないが)をしている女性もいる。
グアテマラやエルサルバドルを経由した後に、こうして夜に出歩いている人たちを見ていると、経済にとっても平和であることが、より好ましいように思う。一方で、戦争で儲ける経済もあるが(日本の経済復興もその面を持っていた)、より多くの人が十分で安定した暮らしを築くことができる環境をつくるための一つの鍵になるのが、治安の安定であるように思う。
ただ、外務省の安全情報によればコスタリカも特に都市部などでは近年治安が悪くなっているという。その一端を担っているのが、若者の麻薬売買などに絡んでいるグループで、また学校からの中退者などが犯罪に手を染める傾向も出てきているらしい。
あちこちで少しずつ情報をかじっただけでも、中米・カリブ海の国々はどこでも麻薬の密輸・流通をどうするかという問題を持っており、その購入者はアメリカやヨーロッパの人等であるという構造ができあがっていることがわかる。そして、その麻薬の流通の末端にいるのは往々にして、貧しい地区の出身者だったりする。
貧しさを背景にした犯罪というのは、実際にもドラマなどでもしばしば結びつけて説明され、ジャマイカのギャングを扱った本『ボーン フィ デッド』でも、ギャングとして生きるしかなかった人が”豊かな人間が人の物を盗ったり、人殺しをしたりするか”というようなことを言っていたように思う。
そういう点で言うと、日本はこれらの国々とはまた違う次元にあるのだろう。違う次元というのは、犯罪が少ないとかそういうことではなく、貧しさと犯罪がこれらの国々のようには結びついておらず、しかし、逆にこれらの国々では、少なくとも現時点では、起こり得ないであろう犯罪が起こっているということ。
まぁ、こんなことは社会が違うから当たり前だし、教科書でもそのへんの本でも読めばわかることでもあるが、こうしてあちこちをふらついていると、実感としてわかった気になる。
ところでコスタリカが軍隊を持たない国であるということは、2004年頃だったであろうか、日本でもニュースやコスタリカのドキュメンタリー映画を通して紹介されたことがある。
ぼくはそのときにコスタリカが自ら軍隊を放棄し、積極的に中米の中立国としてふるまうようにしていることを知った。キューバで会った日本人旅行者の中には、そうした関心からコスタリカに行ってみたという人もいた。
その人は、そういう日本と共通の背景があるから、コスタリカの人の感覚がなんとなくわかる、というようなことを言っていた。
これについては自衛隊の問題があるので、そうことは簡単ではない。自分にしてもコスタリカのことをあまり知りもしないので、簡単には言えないが、経過からするとコスタリカの方がよほど思い切ったように思う。もちろん、その判断の背後には、自国と周辺国、そしてアメリカとの外交関係についてかなり研究したらしい。
いずれにしても軍隊を持たずにやっている国が中米にはあるというのは事実。キューバ革命が中南米諸国に多大な影響を与えたように、コスタリカのこの取り組みが今後、治安が安定したときに中南米諸国の目標になりえるかはわからない。おそらく難しいようには思う。
ともかくも、世界にこんな国があるということは、興味深いことだし、いろいろ考える材料を提供してくれるという点でだけをとっても良いことのように思える。
ここではひさしぶりに日本人を発見。やはりコスタリカの自然を見にきているのであろうか。
ただ歩行者天国のメイストリートには屋台はまったくなく、あるのは靴屋と服屋とチェーン展開しているようなファストフード店ばかり。よって、店を選ぶのに苦労する。屋台があれば一発なんだけどな。
屋台がないというのも、メキシコやグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアと比較すると不思議なところ。もともとないのか、それとも経済発展にともなって消えていった(排除された)のか、気になるところだ。
結局、食事は観光客もけっこう入っている店でする。600円ほどのSopa de Mariscos(シーフードスープ)を食べる。なんだか適当に作ったような感じで期待はずれ。やれやれ。
チュロスも売っていて、ひとつ試したがメキシコのグアナファトの路上でおじさんが売っていた物の方が、ぼくとしてはうまい。こちらのはでかくて味も大ざっぱ。でも、けっこう人気はあるようで買っていく客は多い。
エコという面では、中心街はごみもほとんどなくきれいだが、ぼくが泊まっている地域は市場があるということもあってか、生ゴミからプラスックゴミまでけっこうボトボト落ちている。どうも道路の端に落っことしたゴミを回収車が集めていくようだが、ちょっとね、見た目にも多少ある臭いもよろしくない。
宿に帰ってシャワーを浴びる。ここも水シャワーだが、グラナダと違って気温が低いせいか水が冷たい。
夜は静かだった。
久しぶりに寝苦しくない夜を過ごすことができる。
2008年4月12日土曜日
隙間だらけの首都マナグア
2008.4.4(金)
明日はコスタリカに移動するので、今日がニカラグア最終日。この日も朝は蒸し暑かった。やっぱり5時半前には目覚め、ハンモックでゆらりゆらり。
ここに来てからは日課の写真のアップとデータ転送を7時頃からまたやる。XDカードからパソコンに移して、そこから自前のハードディスクに移しているのだが、カードからパソコンに転送するのがえらく時間がかかる。
9時前に宿を出て、市場でパパイヤとパイナップルを朝飯代わりに食い、マナグア行きのバスターミナルに行く。この時間帯は混んでいるかと思いきや、すっからかんの空き状態。これじゃあ、人が集まるまでにけっこう待つなと覚悟する。
しかし、一応定期的に出発しているようで、9時過ぎにはバスは出る。一度来た道を通って、マナグアへ。今日や曇り空で日差しがないぶんやや涼しい。さっそくうとうとする。なんだか乗り物に乗ると必ず寝るようなクセがついてきている。
バスは1時間ほどでマナグア入り。メトロセントロ(ショッピングセンター)が角にある交差点では、車いすに乗った人が、それを押す人と一緒に赤信号で止まる車を回り、カネを乞う。バスに乗ったまますれ違うとき、車いすに乗ったおじさんは、すれ違いざまにこちらを見て、チノと言う。
メトロセントロの交差点を左に曲がると、右手に農業系らしい大学の入り口があり、農産物売場が隣に見える。また、その入り口手前にはゲバラの模様が入ったオブジェがある。ゲバラは久々。たぶんキューバ以来だ。
バスはUCAの前のターミナルに到着。皆降りる。ぼくはさっきの農産物売場とゲバラのオブジェの写真を撮りに来た道を戻る。
農産物売場と思って入った店には、農産物は少ししかなく、しかもだいぶ日がたって悪くなっているように見える物ばかりだった。オーガニックで作っているというコーヒーのコーナーがあったのが目に付いたくらいで、あとはまちの商店とあまり変わらない。時間帯と立地の問題もあるのだろうが、客は誰もいない。
そこから歩いて、マナグア湖近くにある博物館を目指す。途中、まわりは道路とそれに沿って設置されている看板ばかりで建物はほとんどない。歩道を歩いている人もいない。
少しして左手に見えた広場では、野球をしていた。中米ではサッカーよりも野球が人気があるんのはニカラグアとパナマらしい。その片鱗は一昨日野球場に集まる人にも見て取れたが、実際に野球をしているのを見るのははじめて。でも、じっくりとは見ずに素通りする。
坂道を上ると湖が見えた。ため池かと思ったが、ガイドブックによるとティスカナ湖という湖らしい。けっこう大きい。
湖にぶつかって左に曲がり、また歩道を歩く。
5分ほど歩くと右へ曲がる。すると正面奥にマナグア湖が見えた。歩いている通りは幹線道路のようで、車がバンバン行き交う。歩道を歩く人も増える。なんで急に歩道を歩く人が増えたかと不思議に思っていたが、すぐに右手に病院が見えてきた。病院の入り口には屋台や果物売りの人たちが5軒ほどたっている。
その前を通り、ボリバール通りを一路マナグア湖の方へ向かう。人は閑散とし、だだっ広い空間だけが広がる。右手には植物園らしき建物。
それを過ぎた交差点の壁には面白い壁画があった。横幅10mはあろうかという壁画で、バナナから銃が作られ、その銃で人々が争いあっているというような絵が描かれている。写真を撮っていたら、通りすがりのおじさんが、声をかけてきて、こっちの角度から撮るのもいいというようなことを言う。
その先に行くと左手には広い広場が見え、そこに黒いテントが居並んでいるのが見える。それぞれのテントには旗が立てられており何かの略称なのだろうか、三文字のアルファベットが入っている。
テントが家なのか、それとも抗議や何かのためのものかはわからないが、それぞれのテントに人影が見られたことから、たぶん家ではないかというように思う。近寄りがたい雰囲気だったので、片道二車線の大通りを挟んで反対側の歩道から眺めただけだったが、これはなんなのか気になる。もし、これが路上生活者が集まって暮らしている場所とすればかなりの人数がいることになる。そもそも広場自体がサッカー場の反面くらいの広さで、そこに遠くから見るとびっしりとテントが並んでいる。表に出ている人は数人で、あまり人は見えないが、1つ1つのテントに誰か住んでいるとなれば、100や200じゃ済まないくらいの数だ。
通りをさらに湖に向かって歩く。まずは郵便局で切手を買う。ニカラグアは切手に力を入れているのか、サンディーノなどニカラグアの英雄のみならず、ニカラグアとは関係ないように思えるノーベル賞受賞者やスポーツ選手、レーニンの切手もある。
郵便局内は電気はほとんど点いておらず薄暗い。しかも窓口が切手を買うところと、ハガキを出すところといろいろ分かれていて、最初はどこで買えばいいのかわからず。
それから道路を挟んで向かいの国立宮殿に行く。国立宮殿は共和国広場の1画にあり、その広場には水があれば流れているのであろう、噴水のオブジェなどがある。飲み物を売っている屋台がいくつかあるが、広場にも人は少なく数えられるほど。
広場を横切って国立宮殿まで行くと、宮殿の横にはカテドラルが見える。カテドラルは、一言で言うとボロボロ。建物のてっぺんから下まであちこちに亀裂が入り、もう10年も持たないのではというような外観をしている。これらの亀裂は、1972年の地震の時のものらしく、その後、修復することなく、そのままになっているらしい。崩壊の危険性があるため、入り口は封鎖されており、中には入れないようになっている。
国立宮殿はサンディニスタ革命(ニカラグア革命)の舞台ともなったところで、入り口左手にはサンディーノの写真が乗ったどでかい垂れ幕が貼られていた。
中の1階は博物館となっており、そこを見学する。入り口で入場料を払い中を見る。観覧者はほかになし。面白いのがその展示の構成。遺跡の発掘物からニカラグア国内で発掘された恐竜の骨、具体的な物はないが中米の食文化などを紹介した展示、あとは小学生ぐらいの子が作ったのではないかという人形みたいな物もある一室では展示されていた。いろんなものがごっちゃでその方針がよくわからない。
中米の食文化などを紹介したコーナーは写真と文章だけの展示だったが、写真を見るだけでも面白い。展示の説明はもちろんスペイン語だけなので、ほとんどわからない。
1時間もかからず見終わり、マナグア湖の近くまで行き、それからバスに乗ってロベルトフエンベス市場に行く。
首都ではあるものの湖よりの地域はほとんど人気がなく、宮殿からそれほど離れていない場所にほったて小屋のような家が集まって建っている。
どこに人がいるんだろうと思っていたら、市場だった。ここの市場も建物の中と外回りとに店が立ち並んでいる。服屋や靴屋、果物屋や野菜屋がごちゃごちゃと並んでいて、雑然としている。たいていの市場では、服屋なら服屋ばかりが1画に集まっていたりするのだが、ここは本当にごちゃごちゃ。
細い通路が縦横に走っており、一旦中に入って適当に角を曲がったりしていると次第に元来た方向がどこなのかがわからなくなる。
昼の時間でもあったので、食堂を探して5分ほどさまよい、食堂街を発見。ここの食堂街の特徴はどの店もスープがメインであること。通路に向かって料理を鍋に入れたまま並べている店が多いので、歩いているとどの店がどんな料理を出しているかがわかる。
ぼくは適当に声をかけられた店に入る。適当に鍋をさしてスープを出してもらう。スープは特盛りラーメンに使う器よりもさらに一回り大きな器に入って出てくる。スープだけでも1リットル近くあるんじゃないかと思えるほど。牛か豚かの内臓を使ったスープで、味はベトナム料理などで出る辛くない澄んだスープに似ている。まったく辛くないし、大量に飲んでもあまり飽きない。
内臓部分は20cm四方くらいに大ざっぱに切られただけで入っているので、非常に食べにくい。ホルモンのようにちぎれにくい部分なので、なおさら。具は他にキャッサバと人参、キャベツと緑の葉っぱものが少し。
汗を垂らしながら完食。水分だけで腹一杯になった感じだ。
食べた後、他の店も見て回るとどこもどでかい器でスープを出しており、ある店では日本で言うと子ども用の直径30cm程度のプラスチックの洗面器にスープが入っている。それを大人も子どもも食べている。洗面器で食うのはなかなか豪快というか、ちょっとひいてしまう。こちらでは洗面器としてではなく、食器として売られているのか、ただその店がちょうどいいと食器として使っているだけなのか。
この市場も物は豊富で、電化製品も含めすべての日常生活に必要な物はそろいそうなくらい。こちらは人通りも多く、活気がある。
バスに乗って、グラナダ行きのバスターミナル近くに移動。参考までにメトロセントロ(ショッピングセンター)をのぞく。規模はサンサルバドルよりも小さいが、それでも2階立てでサッカー場くらいの面積はある。サンサルバドルのメトロセントロは平日の昼過ぎでも買い物客でにぎわっていたが、ここは閑散としていて、客はあまりいない。簡単に数えられるくらい。入っている店は他と同じように、電気屋、スポーツ用品店、服屋、本屋、携帯電話屋などなど。
1巡してターミナルに向かわず、メトロセントロ前のバス乗り場からバスに乗ることにする。
バス乗り場に着くとすぐにワゴン型の乗り合いバスが来たのでそれに乗る。後部座席が3列ある15人乗りのワゴン。エアコンがきいており、乗っている人もビジネスマンふうの人が多い。
最初、ぼくの座る座席はなく、助手席の裏に背中合わせになるような形で座らされる。すぐ右手には別の客がいて、すぐ左前には客寄せのにいちゃんがおり、お互い顔が近くちょっと落ち着かない。
そのうち一人の人が降りたので、無事座席に座ることができる。前を見ると助手席に座っていた女の人の頭には、ボールペンが刺さっていた。正確には、かんざしのように、ボールペンが後ろで結んだ髪のところに刺されてある。流行りなのか、それとも仕事などに都合がいいのか。おもしろい。
1時間ほどでグラナダには到着。宿に戻ってからは定例の写真データの整理。まったく時間がかかる。
明日はコスタリカに移動するので、今日がニカラグア最終日。この日も朝は蒸し暑かった。やっぱり5時半前には目覚め、ハンモックでゆらりゆらり。
ここに来てからは日課の写真のアップとデータ転送を7時頃からまたやる。XDカードからパソコンに移して、そこから自前のハードディスクに移しているのだが、カードからパソコンに転送するのがえらく時間がかかる。
9時前に宿を出て、市場でパパイヤとパイナップルを朝飯代わりに食い、マナグア行きのバスターミナルに行く。この時間帯は混んでいるかと思いきや、すっからかんの空き状態。これじゃあ、人が集まるまでにけっこう待つなと覚悟する。
しかし、一応定期的に出発しているようで、9時過ぎにはバスは出る。一度来た道を通って、マナグアへ。今日や曇り空で日差しがないぶんやや涼しい。さっそくうとうとする。なんだか乗り物に乗ると必ず寝るようなクセがついてきている。
バスは1時間ほどでマナグア入り。メトロセントロ(ショッピングセンター)が角にある交差点では、車いすに乗った人が、それを押す人と一緒に赤信号で止まる車を回り、カネを乞う。バスに乗ったまますれ違うとき、車いすに乗ったおじさんは、すれ違いざまにこちらを見て、チノと言う。
メトロセントロの交差点を左に曲がると、右手に農業系らしい大学の入り口があり、農産物売場が隣に見える。また、その入り口手前にはゲバラの模様が入ったオブジェがある。ゲバラは久々。たぶんキューバ以来だ。
バスはUCAの前のターミナルに到着。皆降りる。ぼくはさっきの農産物売場とゲバラのオブジェの写真を撮りに来た道を戻る。
農産物売場と思って入った店には、農産物は少ししかなく、しかもだいぶ日がたって悪くなっているように見える物ばかりだった。オーガニックで作っているというコーヒーのコーナーがあったのが目に付いたくらいで、あとはまちの商店とあまり変わらない。時間帯と立地の問題もあるのだろうが、客は誰もいない。
そこから歩いて、マナグア湖近くにある博物館を目指す。途中、まわりは道路とそれに沿って設置されている看板ばかりで建物はほとんどない。歩道を歩いている人もいない。
少しして左手に見えた広場では、野球をしていた。中米ではサッカーよりも野球が人気があるんのはニカラグアとパナマらしい。その片鱗は一昨日野球場に集まる人にも見て取れたが、実際に野球をしているのを見るのははじめて。でも、じっくりとは見ずに素通りする。
坂道を上ると湖が見えた。ため池かと思ったが、ガイドブックによるとティスカナ湖という湖らしい。けっこう大きい。
湖にぶつかって左に曲がり、また歩道を歩く。
5分ほど歩くと右へ曲がる。すると正面奥にマナグア湖が見えた。歩いている通りは幹線道路のようで、車がバンバン行き交う。歩道を歩く人も増える。なんで急に歩道を歩く人が増えたかと不思議に思っていたが、すぐに右手に病院が見えてきた。病院の入り口には屋台や果物売りの人たちが5軒ほどたっている。
その前を通り、ボリバール通りを一路マナグア湖の方へ向かう。人は閑散とし、だだっ広い空間だけが広がる。右手には植物園らしき建物。
それを過ぎた交差点の壁には面白い壁画があった。横幅10mはあろうかという壁画で、バナナから銃が作られ、その銃で人々が争いあっているというような絵が描かれている。写真を撮っていたら、通りすがりのおじさんが、声をかけてきて、こっちの角度から撮るのもいいというようなことを言う。
その先に行くと左手には広い広場が見え、そこに黒いテントが居並んでいるのが見える。それぞれのテントには旗が立てられており何かの略称なのだろうか、三文字のアルファベットが入っている。
テントが家なのか、それとも抗議や何かのためのものかはわからないが、それぞれのテントに人影が見られたことから、たぶん家ではないかというように思う。近寄りがたい雰囲気だったので、片道二車線の大通りを挟んで反対側の歩道から眺めただけだったが、これはなんなのか気になる。もし、これが路上生活者が集まって暮らしている場所とすればかなりの人数がいることになる。そもそも広場自体がサッカー場の反面くらいの広さで、そこに遠くから見るとびっしりとテントが並んでいる。表に出ている人は数人で、あまり人は見えないが、1つ1つのテントに誰か住んでいるとなれば、100や200じゃ済まないくらいの数だ。
通りをさらに湖に向かって歩く。まずは郵便局で切手を買う。ニカラグアは切手に力を入れているのか、サンディーノなどニカラグアの英雄のみならず、ニカラグアとは関係ないように思えるノーベル賞受賞者やスポーツ選手、レーニンの切手もある。
郵便局内は電気はほとんど点いておらず薄暗い。しかも窓口が切手を買うところと、ハガキを出すところといろいろ分かれていて、最初はどこで買えばいいのかわからず。
それから道路を挟んで向かいの国立宮殿に行く。国立宮殿は共和国広場の1画にあり、その広場には水があれば流れているのであろう、噴水のオブジェなどがある。飲み物を売っている屋台がいくつかあるが、広場にも人は少なく数えられるほど。
広場を横切って国立宮殿まで行くと、宮殿の横にはカテドラルが見える。カテドラルは、一言で言うとボロボロ。建物のてっぺんから下まであちこちに亀裂が入り、もう10年も持たないのではというような外観をしている。これらの亀裂は、1972年の地震の時のものらしく、その後、修復することなく、そのままになっているらしい。崩壊の危険性があるため、入り口は封鎖されており、中には入れないようになっている。
国立宮殿はサンディニスタ革命(ニカラグア革命)の舞台ともなったところで、入り口左手にはサンディーノの写真が乗ったどでかい垂れ幕が貼られていた。
中の1階は博物館となっており、そこを見学する。入り口で入場料を払い中を見る。観覧者はほかになし。面白いのがその展示の構成。遺跡の発掘物からニカラグア国内で発掘された恐竜の骨、具体的な物はないが中米の食文化などを紹介した展示、あとは小学生ぐらいの子が作ったのではないかという人形みたいな物もある一室では展示されていた。いろんなものがごっちゃでその方針がよくわからない。
中米の食文化などを紹介したコーナーは写真と文章だけの展示だったが、写真を見るだけでも面白い。展示の説明はもちろんスペイン語だけなので、ほとんどわからない。
1時間もかからず見終わり、マナグア湖の近くまで行き、それからバスに乗ってロベルトフエンベス市場に行く。
首都ではあるものの湖よりの地域はほとんど人気がなく、宮殿からそれほど離れていない場所にほったて小屋のような家が集まって建っている。
どこに人がいるんだろうと思っていたら、市場だった。ここの市場も建物の中と外回りとに店が立ち並んでいる。服屋や靴屋、果物屋や野菜屋がごちゃごちゃと並んでいて、雑然としている。たいていの市場では、服屋なら服屋ばかりが1画に集まっていたりするのだが、ここは本当にごちゃごちゃ。
細い通路が縦横に走っており、一旦中に入って適当に角を曲がったりしていると次第に元来た方向がどこなのかがわからなくなる。
昼の時間でもあったので、食堂を探して5分ほどさまよい、食堂街を発見。ここの食堂街の特徴はどの店もスープがメインであること。通路に向かって料理を鍋に入れたまま並べている店が多いので、歩いているとどの店がどんな料理を出しているかがわかる。
ぼくは適当に声をかけられた店に入る。適当に鍋をさしてスープを出してもらう。スープは特盛りラーメンに使う器よりもさらに一回り大きな器に入って出てくる。スープだけでも1リットル近くあるんじゃないかと思えるほど。牛か豚かの内臓を使ったスープで、味はベトナム料理などで出る辛くない澄んだスープに似ている。まったく辛くないし、大量に飲んでもあまり飽きない。
内臓部分は20cm四方くらいに大ざっぱに切られただけで入っているので、非常に食べにくい。ホルモンのようにちぎれにくい部分なので、なおさら。具は他にキャッサバと人参、キャベツと緑の葉っぱものが少し。
汗を垂らしながら完食。水分だけで腹一杯になった感じだ。
食べた後、他の店も見て回るとどこもどでかい器でスープを出しており、ある店では日本で言うと子ども用の直径30cm程度のプラスチックの洗面器にスープが入っている。それを大人も子どもも食べている。洗面器で食うのはなかなか豪快というか、ちょっとひいてしまう。こちらでは洗面器としてではなく、食器として売られているのか、ただその店がちょうどいいと食器として使っているだけなのか。
この市場も物は豊富で、電化製品も含めすべての日常生活に必要な物はそろいそうなくらい。こちらは人通りも多く、活気がある。
バスに乗って、グラナダ行きのバスターミナル近くに移動。参考までにメトロセントロ(ショッピングセンター)をのぞく。規模はサンサルバドルよりも小さいが、それでも2階立てでサッカー場くらいの面積はある。サンサルバドルのメトロセントロは平日の昼過ぎでも買い物客でにぎわっていたが、ここは閑散としていて、客はあまりいない。簡単に数えられるくらい。入っている店は他と同じように、電気屋、スポーツ用品店、服屋、本屋、携帯電話屋などなど。
1巡してターミナルに向かわず、メトロセントロ前のバス乗り場からバスに乗ることにする。
バス乗り場に着くとすぐにワゴン型の乗り合いバスが来たのでそれに乗る。後部座席が3列ある15人乗りのワゴン。エアコンがきいており、乗っている人もビジネスマンふうの人が多い。
最初、ぼくの座る座席はなく、助手席の裏に背中合わせになるような形で座らされる。すぐ右手には別の客がいて、すぐ左前には客寄せのにいちゃんがおり、お互い顔が近くちょっと落ち着かない。
そのうち一人の人が降りたので、無事座席に座ることができる。前を見ると助手席に座っていた女の人の頭には、ボールペンが刺さっていた。正確には、かんざしのように、ボールペンが後ろで結んだ髪のところに刺されてある。流行りなのか、それとも仕事などに都合がいいのか。おもしろい。
1時間ほどでグラナダには到着。宿に戻ってからは定例の写真データの整理。まったく時間がかかる。
2008年4月11日金曜日
グラナダ、マサヤを徘徊
2008.4.3(木)
朝の日差しで目覚める。時計は6時前。暑い。度身とリーの部屋から出て、吹き抜けの中庭に面している通路にあるハンモックでゆれる。部屋よりも外の方が気持ちいい。
朝食はついていないが、コーヒーとお茶は自由に飲めるので、朝の一杯をすする。お茶はリプトンの紅茶とどっかのカモミール。お茶なんて久方ぶりだ。
7時前にパソコンがセットされ、使えるようになる。みんなが起きてこないうちに、写真のアップと転送の続きをする。
9時頃、宿を出て近くにある中央市場に行く。市場は一見教会のような建物。その建物の周りの道には露店が建ち並んでいる。
適当に宿から行ったら市場の東側(湖側)に着いた。そこは3m幅くらいの路上に露店が凝縮して並んでいた。無計画に建て増ししていったのではないかと思われるような並び方で、木製の柱にトタンの屋根は皆共通だが、形はそれぞれゆがんでおり、整然とはしていない。
露店は道に向かい合って2列(つまり真ん中は背中合わせ)にならんでいる。向かい同士の屋根はほとんどくっついている。だから、通路もせまくすれ違うには半身にならないといけない。
野菜や果物、チーズ屋、食堂などがこの通りはメイン。食堂で食事している人がいたので、ぼくも朝飯がてらここで食事。黒豆ゴハンに鶏肉。
食事後、一通り市場を見て回る。感じたのは、チーズ屋が多いこと。正確に数えたわけではないが30軒くらいある。みんな机にどかっと50cm四方くらいの白い色のチーズを置いて、量り売りで売っている。種類は1種類か2種類かという程度のよう。
どんな味がするのか気になって、1軒のチーズ屋さんでチーズを購入。車も通る道端に机を出して売っていた店で、アフリカ系の女性が一人でやっていた。100gくださいと言ったところ、どうも秤の最小の印が200gらしく計ることができないというようなことを言う(身振りより)。それから続けて、ホニャララと通常売っている量か何かでいいかと聞いてくる。よくわからないが、それでいいと伝える。
そしたらおばさんはチーズを切り始め、これと指さす。20センチ四方近くあるでかい固まりだったので、これはちょっとなんぼ頑張っても食えないと思い、さらに小さくしてくれるように頼む。おばさんは切ってくれ、ぼくがちょうどいいかなと思った大きさを指さし、これをくれというと、こんな小さいの!とちょっと予想外だというような表情をする。
料金は5コルドバ。さっそく味見してみると、パラパラと
崩れそうな堅さで、味は日本の一般的なチーズと比べると酸味が強くてさっぱりしている。
市場をひととおり見てから、ニカラグア湖の船着き場に行く。中心の広場からまっすぐな道が湖に向けて延びており、これを10分ほど歩くと船着き場に着く。
船着き場は完全に人の出入りをコントロールしたいらしく、チケットの窓口がある以外は、2mほどの壁に遮られ、舟の近くまで行くことすらできない。
チケットの窓口にはすでに何人かの人が並んでいて、チケットを買っている。旅行者らしいヨーロッパ系の人も並んでいる。そのチケット売場の前には小さなブヨ(?)みたいな虫が集団で飛んでいて、近寄りがたい。が、自分の番になるとそこに飛び込まなければならない。
自分の番になり、窓口の女性にコスタリカの国境に近いサンカルロスに行きたいと言うと、今日かと聞かれ、今日ではないというと、次は月曜日だと言われる。
ガイドブックの情報でもサンカルロスまでは週に2回、月曜と木曜にだけ船が出ているとあったが、それは変わっていないらしい。うんよく明後日の土曜あたりに変更になっていればと都合のいい期待をしていたが、見事に外れた。
ここに4泊もして月曜を待つ気はないので、結局ニカラグア北部を通って船でコスタリカとの国境を越える予定は変更。グラナダから直接サンホセまでバスで行くことにする。
船着き場を見た後、グラナダのまちを徘徊。店などが集まっている地域は非常に小さく。2時間もあれば細かく見て回れるくらい。店は電化製品店やカジノ、レストランなどが目に付く。
歩道にはカタいマンゴーの切り身を売っている人や宝くじらしいカードを売っている人、飲み物やお菓子を売っている人など、いろいろいる。
また、路上生活をしてるらしい人もよく見かける。すれ違っただけでも10人はいる。
こうしてまちを歩いていて気づくのは、グアテマラはおろかエルサルバドルと比較してもアフリカ系の人の割合が多いということ。見てきた中で言うと、メキシコシティとドミニカの間くらい。つまり、大ざっぱにわけて、白人系のメスティソとマヤ系の人、ムラートの人、アフリカ系の人がいて、ムラートの人とメスティソが同じくらいの割合でいるように思える。
ちなみにジャマイカのようにドレッドヘアにしている人はほとんど見かけない。
おそらくバナナプランテーションの関係で、こういうふうになったのであろうが、中米と言っても、それぞれの地域で人種構成がさまざまであることが感じられる。
カンクンで会った日本人旅行者は、中米はどこも同じだと聞いたから、中米はグアテマラだけ行って、グアテマラからコロンビアに行くと言っていたが、”どこも同じ”とはまったく思えない。
確かにまちのつくりや規模などは似通っているが、やはりそれぞれで違うという印象が強い。
まちについては、1周するともういいかな、と思えるくらいあまり引かれるものがなく、午前中には飽きてしまう。さらに暑さもここはなかなか強烈で、計っていないがたぶん30度台半ばはある。さらに湿度がやや高く、光が強い。なので、歩いているだけでけっこう体力を消耗する。
グラナダに飽きたこともあり、首都マナグアとの間にあるマサヤというまちに行ってみることにする。ここの市場は面白いらしい。
バスに乗って30分ほど。バスはマサヤのターミナルに到着。ここのターミナルは運動場みたいなターミナルでだだっ広いところに次々とバスが適当に(としか見えない)止まる。バスが通る度に砂埃が舞う。
バスターミナルとつながるような形で、ここの市場は作られており、ここもグラナダ同様、市場の建物の周りにぐちゃぐちゃっと露店が並んでいる。
グラナダと違うのは、まず靴屋がたくさんいること。たぶん数えれば30軒ほどだが、自前で靴職人が革靴を作ったり、修理したりしている。みんな手は真っ黒。ぶっとい針を使い、各パーツを縫い合わせている。
あとは土産物用なのかハンモックを売っている店が多少多い。服屋は服がくさるんじゃないかと思うくらいたくさんある。
暑さもあり、ここも1時間ほどで切り上げる。またバスに乗ってグラナダに戻り、あとは飯を食いに昨日の屋台に行っただけで、宿で写真のデータの整理。
暑さのせいか、どうもこの日は足が重かった。
朝の日差しで目覚める。時計は6時前。暑い。度身とリーの部屋から出て、吹き抜けの中庭に面している通路にあるハンモックでゆれる。部屋よりも外の方が気持ちいい。
朝食はついていないが、コーヒーとお茶は自由に飲めるので、朝の一杯をすする。お茶はリプトンの紅茶とどっかのカモミール。お茶なんて久方ぶりだ。
7時前にパソコンがセットされ、使えるようになる。みんなが起きてこないうちに、写真のアップと転送の続きをする。
9時頃、宿を出て近くにある中央市場に行く。市場は一見教会のような建物。その建物の周りの道には露店が建ち並んでいる。
適当に宿から行ったら市場の東側(湖側)に着いた。そこは3m幅くらいの路上に露店が凝縮して並んでいた。無計画に建て増ししていったのではないかと思われるような並び方で、木製の柱にトタンの屋根は皆共通だが、形はそれぞれゆがんでおり、整然とはしていない。
露店は道に向かい合って2列(つまり真ん中は背中合わせ)にならんでいる。向かい同士の屋根はほとんどくっついている。だから、通路もせまくすれ違うには半身にならないといけない。
野菜や果物、チーズ屋、食堂などがこの通りはメイン。食堂で食事している人がいたので、ぼくも朝飯がてらここで食事。黒豆ゴハンに鶏肉。
食事後、一通り市場を見て回る。感じたのは、チーズ屋が多いこと。正確に数えたわけではないが30軒くらいある。みんな机にどかっと50cm四方くらいの白い色のチーズを置いて、量り売りで売っている。種類は1種類か2種類かという程度のよう。
どんな味がするのか気になって、1軒のチーズ屋さんでチーズを購入。車も通る道端に机を出して売っていた店で、アフリカ系の女性が一人でやっていた。100gくださいと言ったところ、どうも秤の最小の印が200gらしく計ることができないというようなことを言う(身振りより)。それから続けて、ホニャララと通常売っている量か何かでいいかと聞いてくる。よくわからないが、それでいいと伝える。
そしたらおばさんはチーズを切り始め、これと指さす。20センチ四方近くあるでかい固まりだったので、これはちょっとなんぼ頑張っても食えないと思い、さらに小さくしてくれるように頼む。おばさんは切ってくれ、ぼくがちょうどいいかなと思った大きさを指さし、これをくれというと、こんな小さいの!とちょっと予想外だというような表情をする。
料金は5コルドバ。さっそく味見してみると、パラパラと
崩れそうな堅さで、味は日本の一般的なチーズと比べると酸味が強くてさっぱりしている。
市場をひととおり見てから、ニカラグア湖の船着き場に行く。中心の広場からまっすぐな道が湖に向けて延びており、これを10分ほど歩くと船着き場に着く。
船着き場は完全に人の出入りをコントロールしたいらしく、チケットの窓口がある以外は、2mほどの壁に遮られ、舟の近くまで行くことすらできない。
チケットの窓口にはすでに何人かの人が並んでいて、チケットを買っている。旅行者らしいヨーロッパ系の人も並んでいる。そのチケット売場の前には小さなブヨ(?)みたいな虫が集団で飛んでいて、近寄りがたい。が、自分の番になるとそこに飛び込まなければならない。
自分の番になり、窓口の女性にコスタリカの国境に近いサンカルロスに行きたいと言うと、今日かと聞かれ、今日ではないというと、次は月曜日だと言われる。
ガイドブックの情報でもサンカルロスまでは週に2回、月曜と木曜にだけ船が出ているとあったが、それは変わっていないらしい。うんよく明後日の土曜あたりに変更になっていればと都合のいい期待をしていたが、見事に外れた。
ここに4泊もして月曜を待つ気はないので、結局ニカラグア北部を通って船でコスタリカとの国境を越える予定は変更。グラナダから直接サンホセまでバスで行くことにする。
船着き場を見た後、グラナダのまちを徘徊。店などが集まっている地域は非常に小さく。2時間もあれば細かく見て回れるくらい。店は電化製品店やカジノ、レストランなどが目に付く。
歩道にはカタいマンゴーの切り身を売っている人や宝くじらしいカードを売っている人、飲み物やお菓子を売っている人など、いろいろいる。
また、路上生活をしてるらしい人もよく見かける。すれ違っただけでも10人はいる。
こうしてまちを歩いていて気づくのは、グアテマラはおろかエルサルバドルと比較してもアフリカ系の人の割合が多いということ。見てきた中で言うと、メキシコシティとドミニカの間くらい。つまり、大ざっぱにわけて、白人系のメスティソとマヤ系の人、ムラートの人、アフリカ系の人がいて、ムラートの人とメスティソが同じくらいの割合でいるように思える。
ちなみにジャマイカのようにドレッドヘアにしている人はほとんど見かけない。
おそらくバナナプランテーションの関係で、こういうふうになったのであろうが、中米と言っても、それぞれの地域で人種構成がさまざまであることが感じられる。
カンクンで会った日本人旅行者は、中米はどこも同じだと聞いたから、中米はグアテマラだけ行って、グアテマラからコロンビアに行くと言っていたが、”どこも同じ”とはまったく思えない。
確かにまちのつくりや規模などは似通っているが、やはりそれぞれで違うという印象が強い。
まちについては、1周するともういいかな、と思えるくらいあまり引かれるものがなく、午前中には飽きてしまう。さらに暑さもここはなかなか強烈で、計っていないがたぶん30度台半ばはある。さらに湿度がやや高く、光が強い。なので、歩いているだけでけっこう体力を消耗する。
グラナダに飽きたこともあり、首都マナグアとの間にあるマサヤというまちに行ってみることにする。ここの市場は面白いらしい。
バスに乗って30分ほど。バスはマサヤのターミナルに到着。ここのターミナルは運動場みたいなターミナルでだだっ広いところに次々とバスが適当に(としか見えない)止まる。バスが通る度に砂埃が舞う。
バスターミナルとつながるような形で、ここの市場は作られており、ここもグラナダ同様、市場の建物の周りにぐちゃぐちゃっと露店が並んでいる。
グラナダと違うのは、まず靴屋がたくさんいること。たぶん数えれば30軒ほどだが、自前で靴職人が革靴を作ったり、修理したりしている。みんな手は真っ黒。ぶっとい針を使い、各パーツを縫い合わせている。
あとは土産物用なのかハンモックを売っている店が多少多い。服屋は服がくさるんじゃないかと思うくらいたくさんある。
暑さもあり、ここも1時間ほどで切り上げる。またバスに乗ってグラナダに戻り、あとは飯を食いに昨日の屋台に行っただけで、宿で写真のデータの整理。
暑さのせいか、どうもこの日は足が重かった。
2008年4月7日月曜日
サンサルバドル(エルサルバドル)からグラナダ(ニカラグア)へ
2008.4.2.( )
アラームをかけていた携帯が信用できず、夜中何度も目が覚める。
3時。突然の豪雨の音で目が覚める。リュックのカバーはあるものの、合羽がない。1時間後も降っていたらこれはずぶぬれになるなぁ、と悲観しながら、また眠りにつく。
次に目覚めたのが4時。やはり携帯は鳴らなかった。どうすればなるのかよくわからない。とにかく荷造りをする。幸いなことに、外から雨音は聞こえてこない。ドアを開けて確認。よかった。
4時半に部屋を出る。宿の中は真っ暗。懐中電灯を取り出し、フロントへ。呼びベルを4回鳴らす。昨日、朝4時半に出ると伝えていたのに、やっぱり今日の夜番の人に情報が伝わっていないよう。スタッフのフロントの右奥がフロントの人が寝ているところのようで、ドアが少し開いていたので、そこからライトで中を照らす。5回目のベルとその光でようやくすたっふのおにいさんが起きてくる。
愛想はよく、寝てたカッコウのまま(上半身裸のまま)、すぐに入り口を開けてくれる。まずは内側の鉄格子のドアを開け、それから外側の木製のドアの鍵を開けてくれる。
表は街灯のあかりでホテル内よりも明るい。目の前をトラックが一台通り過ぎる。バス乗り場までは100mくらいなので、すぐなのだが、運悪く麻薬の取引現場などにかち合わせなければいいがなどと、過剰に神経をとがらせながら歩く。
5分もかからず、無事にバスターミナルに着く。ターミナルの入り口では、昨日と同じ警備員が散弾銃のような銃を持って警備している。すでに何人かお客が待合室にはいた。車で送られてくる人もいる。
4時45分にターミナルの待合室に着いていたのだが、実際の乗車の手続きは5時からするという。それまでしばらくぼーっと待つ。枕を持って待合室に入ってくるおばさんもいる。
5時を過ぎて、受付窓口で手続き。昨日、買ったチケットとパスポートを見せると、バスの座席番号などを書いた乗車券とニカラグアの入国カードを渡される。受付横の荷物預け場でリュックを預ける。測りの上に乗せたら68kgもあった。どうりで重いわけだ。リュック自体が65~70リットルで、それがパンパンになっていて、かつ中身は紙の類が多いからそれもそうかと今頃気づく。
荷物の半券を受け取り、金属反応を調べる機械の中を通る。銃を持っている人が、ここでチケットのチェック。行き先を聞かれ、マナグアと言うと、チケットを確認し、乗り場SALE1に行くよう言われる。乗り場は1階下。階段を下りていく。
バスがまだ乗り場に入っていなかったので、待合室でニカラグアの入国カードを記入。親切なことに、スペイン語と英語の双方が併記されている。英語でわからない単語があるものの、勘で記入。
5時半前にバスが入る。黒塗りのいかにも豪華そうなメルセデスベンツのバス。バスは立派だが、肝心の客は予感していたとおり少なかった。ぼくを入れて総勢8人。こんなに客が少なければ、値段も高くなるわけだ。
バスはほぼ予定通り5時40分に発車。サンサルバドルの幹線道路を走る。ようやくまちは薄明るくなりはじめていた。予想外だったのが、すでに多くの人が動き出していたこと。車窓から外を眺めていると、路線バスとひっきりなしにすれ違う。どのバスにも乗客は7割は乗っていて、多いバスになると立っているお客もいる。また、バス停がある付近の屋台もすでに開店している屋台があり、ぶら下がっている白熱灯のオレンジ色の光の下、ププスやパンなどを売っている。昨日の夕方、日が暮れようとしている頃に、これらの屋台の前を歩いたが、そのときもやっていたから、もし、一人の人がずっと店に立っているとすれば12時間以上屋台で仕事をしていることになる。
10分も走った頃、左手にはトタンを張り合わせて作った家々が集まっている地帯が見える。5m幅くらいの未舗装の道路を挟んで、せいぜい12畳ぐらいしかない家(バラック)が、パッと見た感じで100世帯分以上並んでいる。昨日、見たショッピングセンターで買い物をして、遊園地で遊んでいる人達と交差点でジャグリングをして稼ぐにいちゃん、あるいは交差点で止まった車を回ってカネを乞う10歳くらいの男の子のことが思い浮かぶ。
バスの車内は予想通り冷える。20度を下回る冷風が頭の上から吹き付ける。今日は用意していた上着を取り出し着る。
いつの間にか寝ていて、気づいたらホンジュラスの国境だった。
グアテマラからエルサルバドルへの国境でもそうだったように、国境越えを実感させるようないかめしい門などはない。バスが停車するとまずはエルサルバドルの係官の女性が車内に乗り込んできて、パスポートをチェックする。特に質問もなく、終了。その後、今度はホンジュラスの白髪交じりの男性の係官が車内に乗り込んできて、同じようにパスポートをチェック。グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアなどは各国合計で80日間までなら滞在できるという制度をとっており、どこかの国で入国のスタンプを押してもらっていれば、その他の国では入国のスタンプを押されることはない。
ホンジュラスの係官は、グアテマラで押された入国スタンプを確認した後、「3dollares(トレス ドラレス=3米ドル)」と言って入国税を請求してくる。入国税が必要だとは事前に知らなかったため、一瞬戸惑うが3米ドル払うとちゃんと領収書をくれた。そして、すべての乗客のチェックが終わり、バスから降りるときには、ぼくの脇を通るときに振り返り「Buen Viaje(ブエン ビアッヘ)」とにっこりと笑って言った。いいおじさんだ。そういえば、スペイン語の旅行会話集には必ず載っているこの言葉、今回の旅行では初めて言われた気がする。
しばらくこの国境地帯で休憩。運転手が交代する。イミグレの施設のまわりには商店や露店が出ており、ぼくは商店で500mlのペットボトルの水を購入(0.5米ドル)。ここでは国境の間(数百メートルある)だけを走る三輪自転車があって、国境を渡る人達を乗せてきーこきーこ走っている。客を乗せて走る三輪自転車を見るのは久しぶり(屋台系の三輪車はあった)。キューバで三輪自転車と言えば、運転手が前で乗客を後ろに乗せて走っていたが、ここでは前に乗客(大人2人まで乗れる)を乗せ、運転席は後ろ。なので、車輪も前が2輪で後ろが1輪。
20分近く、国境で休憩して、ホンジュラス側に入る。沿道から見える山は相変わらず赤茶けている。これは乾季だからこうなのか。すぐに眠ってしまい、気がついたら、こんどはホンジュラスとニカラグアの国境だった。
バスの運転手が何やら言っている声に目が覚める。スペイン語のみで話しているのではっきとはわからないが、イミグラシオンがなんとかと言っていて、他の客は自分のパスポートを取り出そうとしている。外を見てもまだ国境の施設は見えず、ただの平原が見えるだけ。ここで準備していこうという運転手の考えのようで、前から順に乗客のパスポートと入国カードを集めていく。前の客からはとっていないようだったのだが、ぼくには「8dollares(オチョ ドラレス=8米ドル)と言ってくる。これまた予想外だったのだが、しょうがないので20米ドル札を渡す。
乗客全員のパスポートを集めた上で、バスは発車。20分もしないうちに国境に着く。
国境では、運転手が乗客のパスポートなどをまとめてイミグレに持って行き、乗客は何をすることもなく待つだけ。
ここの国境にも露店などが出ており、そこを見に行くと、近くにいた両替商のおじさんが両替しないか声をかけてくる。いくらか聞くと1米ドル=18コルドバ。
運転手に預けていた入国税のお釣り12米ドルが戻ってきてから、5米ドルぶんだけ両替。90コルドバをゲットし、それで露店のおばちゃんが売っていたクッキーのようなものを買う。ビニール袋にいれらられているクッキーの袋を1つつかんでいくらか聞くと、おばさんはもう一つ袋を持ち上げ、2つで20コルドバというようなことを言う。2袋もいらなかったので、1つでいいと言って20コルドバ札を渡す。そしたら、なんか言って20コルドバ札を返してくれる。お釣りがないからかと思いながら、タダでもらえるなんて不思議なことがあるもんだとバスに戻る。
席に座ってさて味見しようかとしたところ、窓の下でさっきクッキーをくれたおばさんが手招きしている。どうやら自分の勘違いに気づいたよう。あのとき別の客から受け取った20コルドバ札を片方の手に握っていたから、全部で40コルドバをぼくから受け取ったと思っていたようだ。
バスののり口に行くと、おばさんが笑いながら何か言って20コルドバ札を振る。なので、お札を取り出し渡すとこれでオッケーというような仕草をする。ぼくとしては1袋しか買わなかったのだから10コルドバお釣りが来るかと思ったのだが、ないよう。まぁ、いいや。
そうしてニカラグア側へ入る。
入ってしばらくすると、きれいに作物が植えられた青々した(緑々した)畑が道路の両脇に広がる。こんなに緑がきれいな畑は久しぶりに見たなと思い、なんの作物だろうか凝視すると、どうもタバコに似ている。日本で見たことのあるタバコよりも葉が小さく、全体の格好もやや細かったので確信が持てずに写真をパシャパシャ撮っていたが、そのうちタバコという文字とタバコのケースを描いた看板が道端に立てられているのを見る。それで確信した。面積は10ヘクタールはかたい。
またしばらくすると、今度は突然、一面水田らしき土地が見える。水がはられた土地に細い緑色の草が整然と植えられている。これまで旅行中には水田を見ることがなかったので、これも確信が持てずに入ると、しばらくいくと黄金色になっている土地が見え、草の先のほうを見ると確かに頭を垂れた稲穂だった。さらに藁を積んだトラックをバスが追い抜き、加えてコンクリートの敷地内で籾が広げられ乾燥されている光景を見る。極め付けには道路の上をまたいで設置されている看板に日の丸を見る。日本が寄付したとスペイン語で書かれたトラックも前を走っており、どうもJICAかODAかが絡んでいる事業がここで行われている(行われていた)よう。
わずかだが、カカオの木も見る。それから牛の放牧地は相変わらず多い。
道行く人で民族服を着ている人は一切いない。
グアテマラではあれだけいたのに。それだけ先住民系の人がここにはいないということなのか、それとももっと別の理由があるのか。
しばし睡眠。
サンサルバドルを出て10時間が過ぎた頃、片道1車線だった車線が増え、沿道に立派な建物が増えだす。走る車も格段に増え、交差点には物売りの人達の姿が見える。これまで見てきた範囲でいうと、交差点の物売りは男性中心だったが、ここでは女性の姿も多い。女性は主に皮を剥いた果物(マンゴーなど)や自分で作ったらしいお菓子を売っている。中央分離帯の間に椅子と机を出し、そこでマンゴーの皮を剥いている人、赤信号で止まった車のフロントガラスを拭いて稼ぐ中学生くらいの男の子、窓に張り付きおカネを乞う小さな男の子などなど。
左手にはニカラグアの国際空港が見えてきて、それを過ぎてしばらくすると右手奥にマナグア湖がちらっと見える。
さらに行くと、やはり右手にカテドラルが見えてきて、もうすぐ終着点につくことがわかる。
サンサルバドルを出て約11時間後の16時半すぎ、バスはKing Quolity社のターミナルに到着。バスを降りて、荷物の半券をスタッフに渡し、リュックを受け取る。
小さなターミナル内には人はほとんどいず、表にもタクシーの運ちゃんがひしめいていることもない。マナグアは治安が悪いらしいし、いずれ移動するグラナダからも1時間で来れるから宿はグラナダにしようとさっき決めた。
入り口にいた銃を持った警備員の人にグラナダに行きたいんだけど、グラナダ行きのバスが出ているターミナルに行くバスにはどこから乗れるか聞いたが、よくわからないといいタクシーで行ったらとすすめられる。出口のところにはタクシーが待っていて、その運転手を呼ぶ。いくらか聞くと米ドルでは3ドルと言うので、それくらいの値段ならとタクシーに乗り込む。
運転手のおじさんは気さくな人だった。まずはぼくに「フィリピーナ?」と聞いて来る。フィリピン人かと聞かれたのは、キューバのサンタクララ以来2回目。日本人だと言うと、日本のどこに住んでいるかと聞いてくる。さいたまだと答えると、東京の近くか聞いてくるので、そうだと言うと、東京からどれくらいの距離かと聞かれる。
それに答えると、今度は東京には何人住んでいるかと聞かれる。
タクシーで10分ほどでUCA(ウカと言っていた。正式名称はUniversity of Central America)という大学のとおりを挟んで向かいにあるミニバス乗り場に到着。
3米ドル運転手に払う。タクシーが着くなり、ミニバスの客引きをしているあんちゃん(10代後半くらい)が荷台を開けてぼくのリュックを運ぼうとしている。
ちょっとその細い体では気合を入れないと、うちのリュックは持てないぞと思っていたら、やっぱり落っことした。ほら、言わんこっちゃない。って、何も言ってないけど。
落っことした彼は、一瞬、おーっ、と驚いた顔をして、再度気合を入れ直して持ち上げる。そして、グラナダに行く小型の乗合バス(マイクロバス)の後部の荷台に乗せる。
バスの車内に乗り込むと、ちょうど座席はほぼ埋まっており、出発が近いことが分かる。空いてる席を探して、一番後ろの進行方向右の席に座る。このターミナルの正面が大学ということもあり、乗っている人は若い人が多い。
バスは満席になったところで発車。このとき16時30分。順調だ。まだまだ明るい。このマイクロバスも運転手とカネを集めたり、客引きをする人の2人体制。中米やカリブ海(キューバを除く)ではどこも同じようなスタイルだ。客引きをする人の方は、バスの入り口のステップに立って、道端でバス待ちをしている様子の人に"グラナーダ、グラナーダ"とバスの行き先を大声で言いながら、乗らないか確認している。
バスはサンサルバドルにもあったメトロセントロ(ショッピングモール)、カジノなどが沿道にある片道2車線の幹線道路をを走る。20分もするとまちから抜け、客引きも一段落つく。すると、狭い車内を客引きの彼がカネを集めて回る。みんな20コルドバ(約140円)しか払っていないのに、なぜかぼくは40コルドバを要求される。乗車前に確認した時に、そう言われてそんなもんかと思い、オッケーしたがどうも普通料金は違うよう。みんなたいした荷物を持っていないから、たぶんぼくのは荷物代が入っているのだろう。まぁ、それでもたいした額じゃないのでいいんだけど。
バスは快調にとばす。まちを抜けると沿道には民家が見える。コンクリートづくりにトタン屋根の家や壁も屋根もトタンはりという家も多い。
1時間がたつ頃、左手に野球場が見える。客がどんどん集まってきている。宿から近かったら行ってみようかと思ったが、そこから中心部まではバスでさらに10分バほどかかったので、のちに断念する。
野球場をすぎてしばらくするとバスは幹線道路から外れ、右に曲がる。崩れかかっている教会のような建物が右に見え、少しするとクリーム色で統一されたヨーロッパ調の建物が並ぶ地域に入っていく。車も人も多くなり、乗客が次々と降りていく。
客引き兼集金のにいちゃんに、市場近くで降りたいと言うと、わかったと首を何度か小さくたてに降り、まだ先だとあごで先を示す。
車と人のごちゃごちゃでバスはだんだん進まなくなるが、ほどなくターミナルについた。ここもターミナルとは言っても、マイクロバスが5台ほど止められるだけの駐車場のようなもの。ただ、客用なのか運転手用なのか屋根付の待ち合いスペースはあった。
そこでバスをおり、宿を探して歩く。今回もガイドブックに載っている安宿。他でもそうだったが、ここも多少値上がりしていた。ユースホステルのような宿で1泊8ドル。ティーバックの紅茶、コーヒーはいつでも飲めて、10mほどのプールも中庭にある。さらに太い柱と柱の間にはハンモックがかけられていて、客がそこでごろごろ、というか、ゆさゆさしている。さらに無料でネットを支えるパソコンが8台ほどある。
部屋はドミトリーだが、この値段でこの施設は、この旅では一番。ドミトリーの部屋もこれまでは8人とか6人が多かったが、ここは大部屋に8台木製の2段ベッドがあるので、16人が同じ部屋に寝起きしている。最初その部屋に入った時には、中にいたのが女の人だけだったので、部屋を間違ったかと思ったが、あとから男の人も入ってきて男女混用であることがわかった。
チェックインすると、ベッドの横にある木製のセキュリティボックスのカギをもらう。大型のコインロッカーよりもさらにサイズが大きく、ぼくの70リットルのリュックも易易と入る。すばらしい。
見たところ客はぼく以外みんなアメリカ、ヨーロッパ系の人。ドイツ語を話している人が多い。あと英語と仏語が少々。
さっそく街に出る。ここは国内でも有数の観光地ということで、まちの雰囲気はいい。中心にはカテドラルと広場があり、その広場には菓子や飲み物などを売っている露店や、揚げ物を売っている露店がある。観光客用の馬車もある。
もう日は傾いてきていて、薄暗くなっている。とりあえず晩飯に焼きトウモロコシを買う。値段は5コルドバ(約30円)。安い。ここもエルサルバドル同様物価が低いよう。
広場をフラフラしていると、炭火で肉を焼いているアフリカ系(ムラート)のおばさんがいて、そのまわりでご飯などを装った皿でなにやら食べている人たちがいた。レストランは高そうなので、ここでまとまったものを食べることにする。
適当に注文すると適当に了解してくれて、ここで食べるか聞くので、そうだと答えると用意されていたプラスチックのいすを勧められる。網の上では幅は3cmほどしかないが、長さは20センチほどある牛肉と鶏ももが丸ごと焼かれている。鶏ももはまだ焼き始めたばかりで、できあがるにはしばらく時間がかかりそう。
なので、メインをその牛肉にして、あれもいれるかこれもいれるかというおばさんの質問(なんて言っているかはに正確には分からない)にすべてオッケーを出し、何が出てくるか待つ。おばさんは、プラスチックの皿のうえにバナナのでかい葉を乗せ、その上に揚げたバナナを手づかみでドサッとよそう。ちょっとそれは多すぎるっちゃねぇ、というくらいバナナを乗せる。それから蒸したユカ(キャッサバ)を少々と焼き上がった肉を一片乗せ、最後にキャベツのせん切りなどのサラダを汁ごとかける。うーん、なかなか豪快でうまそう。
しかもバナナの葉を使っているのは、初めて見た。すばらしい。これまでと違ったのは、フォークなどもなかったこと。たいていプラスチックのフォークなどがどこでも出されたが、ここはない。まわりで食べているおじさんも手づかみ。今日はずっと手を洗ってないなと思いながら、まぁ、いいかとそれに倣って食べる。塩加減もよくなかなか上等。
隣で食ってた肌の白いおじさんは、少し料理を残した。食い切れないのかと思ったら、後ろに立っていた別のおじさんにその皿を渡す。皿を受け取ったおじさんは、それを立ったままガツガツと食い始めた。この後、フラフラしていて気付いたが、ここも路上生活をしているらしいおじさんが多い。広場から宿までは200m程度だが、その間、すれ違っただけでも10人はいる。
料理の代金は40コルドバ(約300円)。コルドバが手元にほとんどなかったので、2米ドル(1米ドル=18コルドバ)と4コルドバで払う。
まだ7時すぎだっただが、腹もいっぱいになったので、宿に帰ってシャワーを浴びる。シャワーは水のみだが、ほどよくぬるくそれほど冷たくない。ここはグアテマラシティなどと比べると蒸し暑いので、ちょうどいい。
小さな男の子をつれたフランス人の家族はプールで遊んでいる。
夜はパソコンを使って写真のデータのアップと移動。データの移動に時間がかかり3時間ほどパソコンの前にいる。どこでこの作業をやろうかと思っていたが、ここのパソコンはそこそこ早いし、なによりタダなので最適。すばらしい。
夜は寝苦しかった。汗をじっとりかいているのに気付き目が覚める。2段ベッドの下を選んだのも間違いだった。部屋には天井に大型の扇風機がついているが、上のベッドにさえぎられて、ぼくのところまでは風がこない。ベッドの端っこにいってようやくかする程度。まぁ、それでもまったく眠れないというほど蒸し暑くないので、やりすごす。
アラームをかけていた携帯が信用できず、夜中何度も目が覚める。
3時。突然の豪雨の音で目が覚める。リュックのカバーはあるものの、合羽がない。1時間後も降っていたらこれはずぶぬれになるなぁ、と悲観しながら、また眠りにつく。
次に目覚めたのが4時。やはり携帯は鳴らなかった。どうすればなるのかよくわからない。とにかく荷造りをする。幸いなことに、外から雨音は聞こえてこない。ドアを開けて確認。よかった。
4時半に部屋を出る。宿の中は真っ暗。懐中電灯を取り出し、フロントへ。呼びベルを4回鳴らす。昨日、朝4時半に出ると伝えていたのに、やっぱり今日の夜番の人に情報が伝わっていないよう。スタッフのフロントの右奥がフロントの人が寝ているところのようで、ドアが少し開いていたので、そこからライトで中を照らす。5回目のベルとその光でようやくすたっふのおにいさんが起きてくる。
愛想はよく、寝てたカッコウのまま(上半身裸のまま)、すぐに入り口を開けてくれる。まずは内側の鉄格子のドアを開け、それから外側の木製のドアの鍵を開けてくれる。
表は街灯のあかりでホテル内よりも明るい。目の前をトラックが一台通り過ぎる。バス乗り場までは100mくらいなので、すぐなのだが、運悪く麻薬の取引現場などにかち合わせなければいいがなどと、過剰に神経をとがらせながら歩く。
5分もかからず、無事にバスターミナルに着く。ターミナルの入り口では、昨日と同じ警備員が散弾銃のような銃を持って警備している。すでに何人かお客が待合室にはいた。車で送られてくる人もいる。
4時45分にターミナルの待合室に着いていたのだが、実際の乗車の手続きは5時からするという。それまでしばらくぼーっと待つ。枕を持って待合室に入ってくるおばさんもいる。
5時を過ぎて、受付窓口で手続き。昨日、買ったチケットとパスポートを見せると、バスの座席番号などを書いた乗車券とニカラグアの入国カードを渡される。受付横の荷物預け場でリュックを預ける。測りの上に乗せたら68kgもあった。どうりで重いわけだ。リュック自体が65~70リットルで、それがパンパンになっていて、かつ中身は紙の類が多いからそれもそうかと今頃気づく。
荷物の半券を受け取り、金属反応を調べる機械の中を通る。銃を持っている人が、ここでチケットのチェック。行き先を聞かれ、マナグアと言うと、チケットを確認し、乗り場SALE1に行くよう言われる。乗り場は1階下。階段を下りていく。
バスがまだ乗り場に入っていなかったので、待合室でニカラグアの入国カードを記入。親切なことに、スペイン語と英語の双方が併記されている。英語でわからない単語があるものの、勘で記入。
5時半前にバスが入る。黒塗りのいかにも豪華そうなメルセデスベンツのバス。バスは立派だが、肝心の客は予感していたとおり少なかった。ぼくを入れて総勢8人。こんなに客が少なければ、値段も高くなるわけだ。
バスはほぼ予定通り5時40分に発車。サンサルバドルの幹線道路を走る。ようやくまちは薄明るくなりはじめていた。予想外だったのが、すでに多くの人が動き出していたこと。車窓から外を眺めていると、路線バスとひっきりなしにすれ違う。どのバスにも乗客は7割は乗っていて、多いバスになると立っているお客もいる。また、バス停がある付近の屋台もすでに開店している屋台があり、ぶら下がっている白熱灯のオレンジ色の光の下、ププスやパンなどを売っている。昨日の夕方、日が暮れようとしている頃に、これらの屋台の前を歩いたが、そのときもやっていたから、もし、一人の人がずっと店に立っているとすれば12時間以上屋台で仕事をしていることになる。
10分も走った頃、左手にはトタンを張り合わせて作った家々が集まっている地帯が見える。5m幅くらいの未舗装の道路を挟んで、せいぜい12畳ぐらいしかない家(バラック)が、パッと見た感じで100世帯分以上並んでいる。昨日、見たショッピングセンターで買い物をして、遊園地で遊んでいる人達と交差点でジャグリングをして稼ぐにいちゃん、あるいは交差点で止まった車を回ってカネを乞う10歳くらいの男の子のことが思い浮かぶ。
バスの車内は予想通り冷える。20度を下回る冷風が頭の上から吹き付ける。今日は用意していた上着を取り出し着る。
いつの間にか寝ていて、気づいたらホンジュラスの国境だった。
グアテマラからエルサルバドルへの国境でもそうだったように、国境越えを実感させるようないかめしい門などはない。バスが停車するとまずはエルサルバドルの係官の女性が車内に乗り込んできて、パスポートをチェックする。特に質問もなく、終了。その後、今度はホンジュラスの白髪交じりの男性の係官が車内に乗り込んできて、同じようにパスポートをチェック。グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアなどは各国合計で80日間までなら滞在できるという制度をとっており、どこかの国で入国のスタンプを押してもらっていれば、その他の国では入国のスタンプを押されることはない。
ホンジュラスの係官は、グアテマラで押された入国スタンプを確認した後、「3dollares(トレス ドラレス=3米ドル)」と言って入国税を請求してくる。入国税が必要だとは事前に知らなかったため、一瞬戸惑うが3米ドル払うとちゃんと領収書をくれた。そして、すべての乗客のチェックが終わり、バスから降りるときには、ぼくの脇を通るときに振り返り「Buen Viaje(ブエン ビアッヘ)」とにっこりと笑って言った。いいおじさんだ。そういえば、スペイン語の旅行会話集には必ず載っているこの言葉、今回の旅行では初めて言われた気がする。
しばらくこの国境地帯で休憩。運転手が交代する。イミグレの施設のまわりには商店や露店が出ており、ぼくは商店で500mlのペットボトルの水を購入(0.5米ドル)。ここでは国境の間(数百メートルある)だけを走る三輪自転車があって、国境を渡る人達を乗せてきーこきーこ走っている。客を乗せて走る三輪自転車を見るのは久しぶり(屋台系の三輪車はあった)。キューバで三輪自転車と言えば、運転手が前で乗客を後ろに乗せて走っていたが、ここでは前に乗客(大人2人まで乗れる)を乗せ、運転席は後ろ。なので、車輪も前が2輪で後ろが1輪。
20分近く、国境で休憩して、ホンジュラス側に入る。沿道から見える山は相変わらず赤茶けている。これは乾季だからこうなのか。すぐに眠ってしまい、気がついたら、こんどはホンジュラスとニカラグアの国境だった。
バスの運転手が何やら言っている声に目が覚める。スペイン語のみで話しているのではっきとはわからないが、イミグラシオンがなんとかと言っていて、他の客は自分のパスポートを取り出そうとしている。外を見てもまだ国境の施設は見えず、ただの平原が見えるだけ。ここで準備していこうという運転手の考えのようで、前から順に乗客のパスポートと入国カードを集めていく。前の客からはとっていないようだったのだが、ぼくには「8dollares(オチョ ドラレス=8米ドル)と言ってくる。これまた予想外だったのだが、しょうがないので20米ドル札を渡す。
乗客全員のパスポートを集めた上で、バスは発車。20分もしないうちに国境に着く。
国境では、運転手が乗客のパスポートなどをまとめてイミグレに持って行き、乗客は何をすることもなく待つだけ。
ここの国境にも露店などが出ており、そこを見に行くと、近くにいた両替商のおじさんが両替しないか声をかけてくる。いくらか聞くと1米ドル=18コルドバ。
運転手に預けていた入国税のお釣り12米ドルが戻ってきてから、5米ドルぶんだけ両替。90コルドバをゲットし、それで露店のおばちゃんが売っていたクッキーのようなものを買う。ビニール袋にいれらられているクッキーの袋を1つつかんでいくらか聞くと、おばさんはもう一つ袋を持ち上げ、2つで20コルドバというようなことを言う。2袋もいらなかったので、1つでいいと言って20コルドバ札を渡す。そしたら、なんか言って20コルドバ札を返してくれる。お釣りがないからかと思いながら、タダでもらえるなんて不思議なことがあるもんだとバスに戻る。
席に座ってさて味見しようかとしたところ、窓の下でさっきクッキーをくれたおばさんが手招きしている。どうやら自分の勘違いに気づいたよう。あのとき別の客から受け取った20コルドバ札を片方の手に握っていたから、全部で40コルドバをぼくから受け取ったと思っていたようだ。
バスののり口に行くと、おばさんが笑いながら何か言って20コルドバ札を振る。なので、お札を取り出し渡すとこれでオッケーというような仕草をする。ぼくとしては1袋しか買わなかったのだから10コルドバお釣りが来るかと思ったのだが、ないよう。まぁ、いいや。
そうしてニカラグア側へ入る。
入ってしばらくすると、きれいに作物が植えられた青々した(緑々した)畑が道路の両脇に広がる。こんなに緑がきれいな畑は久しぶりに見たなと思い、なんの作物だろうか凝視すると、どうもタバコに似ている。日本で見たことのあるタバコよりも葉が小さく、全体の格好もやや細かったので確信が持てずに写真をパシャパシャ撮っていたが、そのうちタバコという文字とタバコのケースを描いた看板が道端に立てられているのを見る。それで確信した。面積は10ヘクタールはかたい。
またしばらくすると、今度は突然、一面水田らしき土地が見える。水がはられた土地に細い緑色の草が整然と植えられている。これまで旅行中には水田を見ることがなかったので、これも確信が持てずに入ると、しばらくいくと黄金色になっている土地が見え、草の先のほうを見ると確かに頭を垂れた稲穂だった。さらに藁を積んだトラックをバスが追い抜き、加えてコンクリートの敷地内で籾が広げられ乾燥されている光景を見る。極め付けには道路の上をまたいで設置されている看板に日の丸を見る。日本が寄付したとスペイン語で書かれたトラックも前を走っており、どうもJICAかODAかが絡んでいる事業がここで行われている(行われていた)よう。
わずかだが、カカオの木も見る。それから牛の放牧地は相変わらず多い。
道行く人で民族服を着ている人は一切いない。
グアテマラではあれだけいたのに。それだけ先住民系の人がここにはいないということなのか、それとももっと別の理由があるのか。
しばし睡眠。
サンサルバドルを出て10時間が過ぎた頃、片道1車線だった車線が増え、沿道に立派な建物が増えだす。走る車も格段に増え、交差点には物売りの人達の姿が見える。これまで見てきた範囲でいうと、交差点の物売りは男性中心だったが、ここでは女性の姿も多い。女性は主に皮を剥いた果物(マンゴーなど)や自分で作ったらしいお菓子を売っている。中央分離帯の間に椅子と机を出し、そこでマンゴーの皮を剥いている人、赤信号で止まった車のフロントガラスを拭いて稼ぐ中学生くらいの男の子、窓に張り付きおカネを乞う小さな男の子などなど。
左手にはニカラグアの国際空港が見えてきて、それを過ぎてしばらくすると右手奥にマナグア湖がちらっと見える。
さらに行くと、やはり右手にカテドラルが見えてきて、もうすぐ終着点につくことがわかる。
サンサルバドルを出て約11時間後の16時半すぎ、バスはKing Quolity社のターミナルに到着。バスを降りて、荷物の半券をスタッフに渡し、リュックを受け取る。
小さなターミナル内には人はほとんどいず、表にもタクシーの運ちゃんがひしめいていることもない。マナグアは治安が悪いらしいし、いずれ移動するグラナダからも1時間で来れるから宿はグラナダにしようとさっき決めた。
入り口にいた銃を持った警備員の人にグラナダに行きたいんだけど、グラナダ行きのバスが出ているターミナルに行くバスにはどこから乗れるか聞いたが、よくわからないといいタクシーで行ったらとすすめられる。出口のところにはタクシーが待っていて、その運転手を呼ぶ。いくらか聞くと米ドルでは3ドルと言うので、それくらいの値段ならとタクシーに乗り込む。
運転手のおじさんは気さくな人だった。まずはぼくに「フィリピーナ?」と聞いて来る。フィリピン人かと聞かれたのは、キューバのサンタクララ以来2回目。日本人だと言うと、日本のどこに住んでいるかと聞いてくる。さいたまだと答えると、東京の近くか聞いてくるので、そうだと言うと、東京からどれくらいの距離かと聞かれる。
それに答えると、今度は東京には何人住んでいるかと聞かれる。
タクシーで10分ほどでUCA(ウカと言っていた。正式名称はUniversity of Central America)という大学のとおりを挟んで向かいにあるミニバス乗り場に到着。
3米ドル運転手に払う。タクシーが着くなり、ミニバスの客引きをしているあんちゃん(10代後半くらい)が荷台を開けてぼくのリュックを運ぼうとしている。
ちょっとその細い体では気合を入れないと、うちのリュックは持てないぞと思っていたら、やっぱり落っことした。ほら、言わんこっちゃない。って、何も言ってないけど。
落っことした彼は、一瞬、おーっ、と驚いた顔をして、再度気合を入れ直して持ち上げる。そして、グラナダに行く小型の乗合バス(マイクロバス)の後部の荷台に乗せる。
バスの車内に乗り込むと、ちょうど座席はほぼ埋まっており、出発が近いことが分かる。空いてる席を探して、一番後ろの進行方向右の席に座る。このターミナルの正面が大学ということもあり、乗っている人は若い人が多い。
バスは満席になったところで発車。このとき16時30分。順調だ。まだまだ明るい。このマイクロバスも運転手とカネを集めたり、客引きをする人の2人体制。中米やカリブ海(キューバを除く)ではどこも同じようなスタイルだ。客引きをする人の方は、バスの入り口のステップに立って、道端でバス待ちをしている様子の人に"グラナーダ、グラナーダ"とバスの行き先を大声で言いながら、乗らないか確認している。
バスはサンサルバドルにもあったメトロセントロ(ショッピングモール)、カジノなどが沿道にある片道2車線の幹線道路をを走る。20分もするとまちから抜け、客引きも一段落つく。すると、狭い車内を客引きの彼がカネを集めて回る。みんな20コルドバ(約140円)しか払っていないのに、なぜかぼくは40コルドバを要求される。乗車前に確認した時に、そう言われてそんなもんかと思い、オッケーしたがどうも普通料金は違うよう。みんなたいした荷物を持っていないから、たぶんぼくのは荷物代が入っているのだろう。まぁ、それでもたいした額じゃないのでいいんだけど。
バスは快調にとばす。まちを抜けると沿道には民家が見える。コンクリートづくりにトタン屋根の家や壁も屋根もトタンはりという家も多い。
1時間がたつ頃、左手に野球場が見える。客がどんどん集まってきている。宿から近かったら行ってみようかと思ったが、そこから中心部まではバスでさらに10分バほどかかったので、のちに断念する。
野球場をすぎてしばらくするとバスは幹線道路から外れ、右に曲がる。崩れかかっている教会のような建物が右に見え、少しするとクリーム色で統一されたヨーロッパ調の建物が並ぶ地域に入っていく。車も人も多くなり、乗客が次々と降りていく。
客引き兼集金のにいちゃんに、市場近くで降りたいと言うと、わかったと首を何度か小さくたてに降り、まだ先だとあごで先を示す。
車と人のごちゃごちゃでバスはだんだん進まなくなるが、ほどなくターミナルについた。ここもターミナルとは言っても、マイクロバスが5台ほど止められるだけの駐車場のようなもの。ただ、客用なのか運転手用なのか屋根付の待ち合いスペースはあった。
そこでバスをおり、宿を探して歩く。今回もガイドブックに載っている安宿。他でもそうだったが、ここも多少値上がりしていた。ユースホステルのような宿で1泊8ドル。ティーバックの紅茶、コーヒーはいつでも飲めて、10mほどのプールも中庭にある。さらに太い柱と柱の間にはハンモックがかけられていて、客がそこでごろごろ、というか、ゆさゆさしている。さらに無料でネットを支えるパソコンが8台ほどある。
部屋はドミトリーだが、この値段でこの施設は、この旅では一番。ドミトリーの部屋もこれまでは8人とか6人が多かったが、ここは大部屋に8台木製の2段ベッドがあるので、16人が同じ部屋に寝起きしている。最初その部屋に入った時には、中にいたのが女の人だけだったので、部屋を間違ったかと思ったが、あとから男の人も入ってきて男女混用であることがわかった。
チェックインすると、ベッドの横にある木製のセキュリティボックスのカギをもらう。大型のコインロッカーよりもさらにサイズが大きく、ぼくの70リットルのリュックも易易と入る。すばらしい。
見たところ客はぼく以外みんなアメリカ、ヨーロッパ系の人。ドイツ語を話している人が多い。あと英語と仏語が少々。
さっそく街に出る。ここは国内でも有数の観光地ということで、まちの雰囲気はいい。中心にはカテドラルと広場があり、その広場には菓子や飲み物などを売っている露店や、揚げ物を売っている露店がある。観光客用の馬車もある。
もう日は傾いてきていて、薄暗くなっている。とりあえず晩飯に焼きトウモロコシを買う。値段は5コルドバ(約30円)。安い。ここもエルサルバドル同様物価が低いよう。
広場をフラフラしていると、炭火で肉を焼いているアフリカ系(ムラート)のおばさんがいて、そのまわりでご飯などを装った皿でなにやら食べている人たちがいた。レストランは高そうなので、ここでまとまったものを食べることにする。
適当に注文すると適当に了解してくれて、ここで食べるか聞くので、そうだと答えると用意されていたプラスチックのいすを勧められる。網の上では幅は3cmほどしかないが、長さは20センチほどある牛肉と鶏ももが丸ごと焼かれている。鶏ももはまだ焼き始めたばかりで、できあがるにはしばらく時間がかかりそう。
なので、メインをその牛肉にして、あれもいれるかこれもいれるかというおばさんの質問(なんて言っているかはに正確には分からない)にすべてオッケーを出し、何が出てくるか待つ。おばさんは、プラスチックの皿のうえにバナナのでかい葉を乗せ、その上に揚げたバナナを手づかみでドサッとよそう。ちょっとそれは多すぎるっちゃねぇ、というくらいバナナを乗せる。それから蒸したユカ(キャッサバ)を少々と焼き上がった肉を一片乗せ、最後にキャベツのせん切りなどのサラダを汁ごとかける。うーん、なかなか豪快でうまそう。
しかもバナナの葉を使っているのは、初めて見た。すばらしい。これまでと違ったのは、フォークなどもなかったこと。たいていプラスチックのフォークなどがどこでも出されたが、ここはない。まわりで食べているおじさんも手づかみ。今日はずっと手を洗ってないなと思いながら、まぁ、いいかとそれに倣って食べる。塩加減もよくなかなか上等。
隣で食ってた肌の白いおじさんは、少し料理を残した。食い切れないのかと思ったら、後ろに立っていた別のおじさんにその皿を渡す。皿を受け取ったおじさんは、それを立ったままガツガツと食い始めた。この後、フラフラしていて気付いたが、ここも路上生活をしているらしいおじさんが多い。広場から宿までは200m程度だが、その間、すれ違っただけでも10人はいる。
料理の代金は40コルドバ(約300円)。コルドバが手元にほとんどなかったので、2米ドル(1米ドル=18コルドバ)と4コルドバで払う。
まだ7時すぎだっただが、腹もいっぱいになったので、宿に帰ってシャワーを浴びる。シャワーは水のみだが、ほどよくぬるくそれほど冷たくない。ここはグアテマラシティなどと比べると蒸し暑いので、ちょうどいい。
小さな男の子をつれたフランス人の家族はプールで遊んでいる。
夜はパソコンを使って写真のデータのアップと移動。データの移動に時間がかかり3時間ほどパソコンの前にいる。どこでこの作業をやろうかと思っていたが、ここのパソコンはそこそこ早いし、なによりタダなので最適。すばらしい。
夜は寝苦しかった。汗をじっとりかいているのに気付き目が覚める。2段ベッドの下を選んだのも間違いだった。部屋には天井に大型の扇風機がついているが、上のベッドにさえぎられて、ぼくのところまでは風がこない。ベッドの端っこにいってようやくかする程度。まぁ、それでもまったく眠れないというほど蒸し暑くないので、やりすごす。
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