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2008年3月27日木曜日

カンクンからベリーズへ

08/03/23 
目が覚めたのは朝の5時半。部屋に差し込んできた薄い光と近くのダンスホールかなにかから聞こえてくるダンスミュージックが二度寝を妨げる。同じ宿に泊まってる人は、音楽がうるさくて、昨日の晩はずっと起きていたと言っていた。やかましい音楽は、ここでは毎晩のことだし、僕の感覚ではそこまでひどくないが、気になる人にとってはつらいだろう。

ちなみに、だいたいそういうところ(観光地で夜中までやっているやかましい店)で踊っているのは、アメリカ人やヨーロピアンというのが、日本人旅行者の間での定説になっているよう。ある日本人旅行者は、別の国を旅行していたとき、夜に歯を磨いているときにヨーロピアンにこれから踊りに行かないかと誘われたらし。こっちは寝る準備をしてるっちゅうに、とはいわなかっただろうが、そんな感じで断ったらしい。

結局、カンクンには2泊の予定が、キューバで買ったものなどを日本に送ろうとあれこれしていたら、4泊に伸びてしまった。予想していなかった21日(金)の祝日と昨日土曜日の郵便局の閉店。そして、キューバのもの(コーヒー)は、どうもアメリカを経由するため送れないらしいこと。

それから値段。昨日DHLに持っていったら5kgで1万3000円ほどだった。そのときも閉じてあった段ボールを開けられ、中のものを一つ一つチェックされた。やれやれ。

明日には郵便局が開くもののもう1泊する気にはなれず、今日、ベリーズに向かうことにした。決めたのは昨日の夜。目が覚めたら出ようと。

5時半に目が覚めたので、昨日決めたことに従って、荷物を整理し、宿を出る。

宿からバスターミナルまでは、歩いて3分ほど。宿に7冊(『コロンブス航海記』、『敗れざる者たち』、『ボブ・マーリー語録集』、『ボーン・フィ・デッド』、『ラスタファリアンズ』、『コロンブスからカストロまで』ⅠとⅡ)を置いていき、キューバで会った学生に1冊(吉田太郎本)あげたので、そのぶん荷物は軽くなったが、まだまだ重い。

バスターミナルのチケット売場で、Chetumal(チェトゥマル)行きのチケットを買う。バスもいろんなグレードがあるので、”エコノミコ ポルファボール”と言って安いバスにしてもらう。

バスは7時発で料金は177ペソ(約2000円)。窓際の席を頼んだが、座席指定はしていないらしい。

まだ時間は6時15分。しばらく時間はある。バスターミナルにはすでにバスを待っている人が100人以上はいて、売店も開いている。

荷物を送る代金としておろしたメキシコペソが大量に余っていて、どうしたものかと困る。もしかしたらATMで預けられるかもしれないと、根拠のない期待をして適当にボタンを押してみたらさらにカネが出てきてしまった。ATMも便利だが、現地通貨で出てくるのが困りもの。英語がちゃんとわかればこんなことはないのだろうが、銀行用語などを理解していないからこうなる。ため息。

これから行く国々で両替するしかないなと諦め、ベンチで本を読みながら待つ。出発30分前をすぎたので、Baggage check inと書いてあるところにリュックを持っていく。そこの係員にチケットを見せると、あっちの方だと言われる。

係員に言われたとおりに30mほど離れているところに行き、また係員らしき人にチケットを見せるとそこで待てと言われる。そこにも待合室があり、地元の人たちがたくさんバスを待っていた。どうもぼくが待っていたところは1等などのバスを使う人たち用の待合室で、こっちが安いバス用の待合室のよう。

アナウンスが流れるが、よくわからないし、7時が近づいても人の動きがないので、職員にチケットを見せると、あのバスと言って教えてくれる。すでにバスに乗り込もうとしている人がいた。

バスの腹部分にある荷台にリュックを乗せ、バスに乗り込む。乗り込んで5分程度、7時ちょうどに発車した。乗客は10人ほど。これまでの長距離バスの中では一番少ない。

バスはところどころで客を乗せたりしながら走る。道路は広く、よく整備されている。まわりの景色は雑草地や3~4mの薄い雑木林ばかりで、椰子の木もバナナも見ない。つまらないので寝てしまう。

8時半、バスターミナルに到着。ホテルなどがまわりにあったので、これまた観光地のよう。数人の客が降りる。

10分ほどで発車。景色は相変わらず退屈。

11時、Felipe Arrillo Puertoと書かれているバスターミナルに到着。バスの乗降車口には乗客をあてにした人たちがタコスや揚げ物を売りに来ている。昼も近かったので、茹でたか焼いた鶏肉を裂いたものとキャベツなどが乗っているタコスを1つと、揚げ物を2枚買う。それぞれ6ペソ(約70円)。揚げ物の方は、1枚はチーズを練り込んでいる生地で、もう一方は何もしていないもの。冷えていることもあり、そんなにうまくない。

10分ほどで発車。

しばらく走ると片道3車線で中央分離帯がある広い幹線道路に出る。12時40分、チェトゥマルまで46kmとある標識を通り過ぎる。

途中では7割くらい埋まっていたのに、気がつくと客はほとんど降りてしまっており、あと8人くらいになっている。運転手は、ときおり携帯でメールをしながら運転する。

13時5分、チェトゥマルまであと19km。

道路は相変わらず片道3車線の大きな道路。国境に近づくにつれ、道路脇に店がポツポツと出てくる。ぼくは国境に近くなればなるほど、道は狭くなり、人気もなくなるだろうと思っていたが、ここは逆だった。

13時20分、日本でもそれなりの人口があるところでしか見られないような巨大ショッピングセンターが左手に見える。もちろんマクドナルドも入っている。その近くで1人乗客が降り、それからちょっと行ったところでさらにもう一人が降り、客はぼく一人になる。

ショッピングセンターを見て、チェトゥマルの市内に入ったのかと思ったら、案の定、バスは幹線道路から左に入り、バスターミナルに到着。13時半。カンクンを出てから6時間半後だった。

ターミナルは大型バスが4台ほど停まっているが、人気はなく閑散としている。バスから降り、リュックを背負い、さて国境行きのバスはと思っていると、アフリカ系の人が話しかけてきて、ベリーズに行くと言うと、停まっていたバスのうち、一番古めかしいバスを指さし、あれに乗れと言う。値段を聞くと100ペソ(約1200円)とのこと。

バスのフロントガラスのところにはBelizeという札があったので、それを信じ、リュックを荷台に乗せる。バックパックがたくさん積まれていたので、他にも旅行者がいるもよう。

バスに乗り込むと座席はほぼ埋まっており、しかも乗っている人はアフリカ系の人ばかり。さっきまで乗っていたマヤ系の人もいない。よく見るとアメリカ、ヨーロッパからの旅行者らしき人が6人ほどいる。アジア系はゼロ。

イギリスがベリーズを植民地にしているときに、労働力としてジャマイカからアフリカ系の人びとが連れてこられたというのは、ガイドブックにもあったが、車内でこんな割合で会うとは予想外だった。

唯一、便所の前の座席が2席空いていたので、そこに座る。便所のにおいがたまらん。

バスは47人乗り。前に座っているのはドイツからの旅行者のようで、ドイツ語の新聞を広げ、読んでいる。左の座席に二人ならんでいる金髪の若い男性等は英語の本を読んでいるので、アメリカ人のよう。

乗り込むと10分もしないうちにバスは発車する。乗り継ぎがロスなくできたことに安心する。というのも、国境でビザを発給しているイミグレは16時までとガイドブックにあったからだ。今、13時40分だから何かあったとしても16時には国境に着けそう。

車内では音楽が流れる。低音量でレゲエ系の音楽。これで大音量だったらジャマイカにいたときと同じ感じなのだが、音量が小さいのが決定的に違う。

ターミナルを出てから20分後、メキシコの出国ゲートに到着。こんなに早く着くとは思ってなかった。

みなバスを降り、ゲート前のイミグレに並ぶ。国境を行き来する車も人も少ない。左手にATMあり。

列に並んでいるときバスの運転手が、旅行者らしき人たちに、メキシコに戻ってくるか英語で聞きまわる。もし、メキシコに戻ってくるなら、再入国時の税金などを払わなくて済むよう処理してくれるとどっかで読んだので、それらしい。

パスポートと出国カード、100ペソを出す。質問などはなく、あっと言う間に手続きは終わる。イミグレの前でマヤ系のおばちゃんがマンゴーを売っていたので買って食べる(15ペソ:約180円)。うまい。

バスに乗り込み、今度はベリーズの入国ゲートへ移動。この間には、casinoと表に書いてある立派な建物があった。

入国ゲート前に着き、みんな自分のリュックなどを背負って、入国審査等がある建物の中に入っていく。

まずは入国審査があり、そこでパスポートを審査官に見せる。審査官はマヤ系の女性とアフリカ系の男性の二人。基本は英語のようだが、スペイン語もOK。

空港でのそれとは違い、審査官はベリーズ国籍であろうアフリカ系の人たちのときは、ポンポンスタンプを押すだけで、顔を確認することもしていない。旅行者になるとさすがにいくつか質問をしてから通す。それもけっこうフレンドリーで、さっきのドイツ人の女性には、男性の審査官はドイツ語で"Auf Wiedersehen(さようなら)"と声をかけてたりしている。

最後に並んでいたぼくはビザが必要なので、パスポートを見せると、どれくらいベリーズにいるのか、ベリーズのどこに行くのか、ベリーズの後はどこに行くのかなどを聞かれ、それからビザ申請のための記入用紙を渡される。

英語の用紙でところどころわからないところがあるが、あまり重要そうでもないので、飛ばして記入。記入後、その用紙とパスポート、それから日本から用意してきた証明写真を1枚、それにビザ代600ペソ(約6500円)を付けて、審査官に出す。

ビザは基本的にUSドル払いで50ドルのようだが、大量にペソがあったので、ペソで払うことにした。レートから言うとUSドルで払った方が数ドル安い(1ドル=10.5~10.8ペソなので)が、ペソから各国のお金に両替するときのことを考えれば同じようなものだろうとそうすることに。

審査官は、ちょっと待っていてと言い、事務室の方にそれらを持っていく。一旦、彼は出てきて仕事を再開。5~10分ほど待って、事務室からぼくのパスポートを持った職員が出てきて、それを女性の審査官に渡す。

女性の審査官は丁寧にも、こっちが入国スタンプで、こっちがビザと教えてくれる。これで入国審査はパス。キューバに比べればラクチンだ。

それから税関審査。すばらしい体格の女性審査官の前に背負っていたリュックなど、荷物を置くと、”何か申告するものは?”と聞かれ、”ない”と言うと、荷物をチェックすることもなく、入っていいとの合図。そんななら、リュックを背負ったままでいれば良かった(重くて背負うのがけっこう大変なんです)と思うほど、早かった。時間にすれば30秒ほどか。

結局、並んでいる時間も含め、30分ほどで入国審査を通過。他の旅行者の話ではビザ申請で時間がかかるので、バスに置いていかれることもあると聞いていたが、幸いなことにバスの運転手はぼくが申請している間、横にいてぼくを待っていてくれた。

バスに戻る。すると、乗客が増えていた。さっきまで座っていたところに人が座っている。ドイツ人の女性の横は荷物があったものの空いているようだったので、そこに座る。

14時40分、バスは発車。意外だったのは、国境に両替屋がいなかったこと。メキシコペソを国境で両替しようと思っていたのに、あてが外れた。

国境を越えたところでバス料金を集めにくる。ぼくはメキシコペソで100ペソ(約1200円)払うとベリーズドルで4ドルぶんのコインのお釣りが来た。米ドルとベリーズドルのレートは1米ドル=2ベリーズドルのようなので、結局バス代は米ドルで8ドルほどだったよう。

隣のドイツ人は、すでに払っていると回収に来たお兄さんに言う。するとチケットを見せてと言われ、それを見せると料金の回収はなし。どうもこの人はバスターミナルでチケットをすでに買っていたようだった。

10分ほどで、ベリーズ側の国境の町Colozalに到着。何人か客を降ろす。

そしてすぐに出発。ベリーズ側はメキシコ側と違って、ショッピングセンターなどない。道路は舗装されているものの片側1車線で、車線も消えている(のか最初からないのか)。

まちとまち、あるいは村と村の間は、林か畑かしかない。目に付くのはサトウキビ畑で、キューバの規模に比べれば小さいものだが、それでも数ヘクタールはある。家の敷地にバナナや椰子が植わっているのも見る。

建物はコンクリートやブロックで造られたものが半数以上だが、木造の家もそれなりにある。今回の旅で初めて見たのが、高床式の家。インドネシアなどではよく見たが、こちらでは初めて。

数こそせいぜい1割程度だが、1mほど床を地面から離している。

それから目に付いたのが、旗。国旗ではないようなのだが、やたらと国旗等と同じサイズの旗が家いえにたてられている。フランスの国旗のような赤、青、白の3色の旗など3種類ほどある。

インゲンと思われる畑やトウモロコシ畑、牛や馬の放牧地も見えるが、農作業をしている人の姿は不思議と見ない。

15時40分、オレンジウォークタウンというまちに到着。ヨーロッパ系の旅行者など数人が降りる。バスが止まった周辺はコンクリートの建物が建ち並んでいるが、店は空いていない。屋台がなんぼかあるだけ。

ここには15分ほど停車したが、その間、車内にはお菓子売りのにいさんやミニサイズのトウモロコシやタマーレ(トウモロコシの粉で作ったチマキみたいなもの)を持った6~7歳くらいの男の子が乗り込んできて商売をする。男の子が持ってきた5袋(1袋に2本)くらいのトウモロコシはすぐに売り切れる。ぼくも買おうかと思ったが、あいにくベリーズドルの手持ちがない。

バスはまた走り出す。外を眺めているとYourth Centerと名前が入った建物が見える。また、商店か何かの入り口には”Let's talk Chinese”と書かれた紙が貼られている。ベリーズではここのところ中国系の移民が増えているとどこかに書いてあったが、中国語講座を開くくらいに受け入れられているのだろうか。

町を抜けるとバスは低木の雑木林の中を走る。

17時前、きれいに舗装された道が何本も交差しているところに出て、流量豊かな川が見える。それから、そこそこ大きなスーパーらしき建物が見える。

17時10分、ベリーズシティのバスターミナルに到着。カンクンを出てから約10時間後だった。

バスを降りて、まず位置をガイドブックの地図を見て確認。元首都のバスターミナルだからツーリストインフォメーションがあるかと期待していたが、ターミナル内にはなかった。

タクシーの客引きはおじいさんに近いおじさん一人だけ。サントドミンゴのこともあったので、今回は声をかけてくる人は片っ端から無視することにし、歩く。

地図に乗っていたターミナルの位置に着いていれば、歩いている方向は正しいと思うが、ハイチのこともあって、そもそも地図上のバスターミナルに着いたかどうかも確信が持てない。

道を歩いている人に聞こうとも思うが、こちらの偏見で人を選んでいるとなかなか聞けない。途中、中国系の5~6歳の女の子3人が遊んでいるのを見る。そういえば、これまで中国系の人がいるところにも行ったが、こうして小さな子が遊んでいるのを見るのは初めて。

通り過ぎる家のなかには大音量で音楽をかけている家もある。車の通りがある道を目指し、適当に歩いていると、ベリーズバンクのある交差路に出る。これで間違っていなかったことを確信。

日曜ということでか店は1軒も空いていない。その交差路には弁当を売っている露店とホットドッグを売っている露店が2店あったが、それ以外はまったく店らしきところがない。

事前に調べたガイドブックに乗っているゲストハウスに向け歩く。20分ほどしか歩いていないが、肩がつらい。途中、ホテルを探しているのかと聞いてくるおじさんがいる。見ると、おじさんがいる後ろにホテルがあったので、そこの客引きかと判断し、無視。そしたら、それに怒ったのか、通り過ぎるた後ろから、ジャッキーチェンとかジャッキーリーとか言い出す。中国系の人もいっぱい住んでいるのに、なんなんだこのおじさんは。

予定していた8ドルのゲストハウスは移転したのか見つからず。その近くのゲストハウスに行ったが、ガイドブックには12米ドルとあったのが15米ドルというので、却下。

来た道を戻り、別の宿を探す。途中、中国語で書かれたゲストハウスを発見。泊まってみると面白いかもと値段を聞くと、対応してくれた女の子が30米ドルというので、やはり却下。そんなに高いとは。

それでガイドブックに載っている10ドルの宿に行く。途中、サッカーをしている若者たちを見る。目的の宿に着くと入り口に"Sorry, No Vacancy”の文字が・・・。空いてないってマジで、と思い、入り口にいたおじいさんに聞くと、やっぱり空いていないが、ちょっと考えると行って奥に消える。

しばらくして出てきて、やはり入り口にいたオランダ人の女性に部屋をシェアするのでもいいかと聞いている。ありがたいことに、彼女は問題ないと言ってくれ、同じ部屋に泊まることに。

おじいさんに部屋に案内される。6畳くらいのスペースに2段ベッドが一つとベッドが1つ。3人寝れるようになっている。値段を聞くと20ベリーズドル(10米ドル)。安く済んで良かった。

荷物を部屋に置いて、外に出る。すでに18時をまわり、外は薄暗くなり始めていた。さっき通った唯一開いてていた食料雑貨店で水を買う(約150円)。今朝、カンクンで1.5リットルを買って、まだ半分以上残っていたのに、乗ってきたバスに忘れてきてしまった。ああ。

水代は米ドルで払い、お釣りをベリーズドルでもらう。それからさっきの露店に行き、ミートボールの弁当を買う(7ベリーズドル=約400円)。意外と高い。

宿に戻り、食事。ミートボールはスパイスが利いていてなかなかうまい。ご飯はキューバやジャマイカと同じ、黒豆入りのご飯。わりともちもちしていてうまい。あと黒豆の煮豆とポテトサラダ。いずれもまずまず。

飯を食った後、シャワーを浴びる。サントドミンゴのシャワーもけっこうぼろかったが、ここはけた違いに施設が古い。足下には水が徐々にたまる。お湯は出ず。それそれで気持ちいい。

あとトイレには電気がない。これで10ドルは、とメキシコと比べてつい思ってしまう。

その後は、部屋で本読み等。で寝る。扇風機が着いているが、2段ベッドの上に寝た僕にはいっこうに風が来ないためむし暑くて、夜中目覚める。やれやれ。蚊がいないのがせめてもの救いだ。

belize

2008年3月22日土曜日

カンクンで一休み

2008.3/20-21

今日、21日はメキシコも春分の日ということで祝日。郵便局も宿の近くの文具屋もお休み。さすがに観光地なので、観光客相手の店は開いているが、今日、日本に小包を送ろうと思っていたので、予定が崩れる。昨日のうちに出すべきだった。

昨日、今日と中米に向けての情報集めと荷物の整理、一休み。幸いなことにカンクンはまちを歩いても面白くないまちだから宿にいて、もろもろの作業をしていてももったいない気がない。そういう意味で、ちょっと落ち着くにはいいところもかもしれない。

明日(3/22)は、郵便局が開いているというので、朝市で小包を出したらバスで南隣の国ベリーズに行く予定。メキシコ側の国境のまちチェトゥマルまではバスで6時間。郵便物がうまく片付いて早く出ることができれば夜にはベリーズシティに着く予定だが、どうなることやら。そもそもビザを国境で取るつもりだが、明日は土曜なのでやっているのかどうかが気になるところ。週末に移動するというのは、ハイチでもそうだったが両替その他不便なことが多いからなぁ。

カンクンでiPod探し+野球観戦

2008.3.19(水)

宿に着いて荷ほどきをして、またすぐに宿を出る。近くの広場にある屋台でモーレ料理を昼飯に食う(35ペソ:約400円)。

それからiPodを探して、カンクンの商業施設をまわる。カメラのデータを移すハードディスクなどを持ってきていなかったので、途中で会った旅行者何人かが写真などのデータの保存に使っていたiPod classicを買ってみることにした。

Plaza Americanという世界的に有名なメーカーやブランドのショップが入っているショッピングモールに行くと、コニカの店で扱っていた。USドルで80GBが約330ドル、160GBが約530ドル。値段はまあまぁ。

それからWal martにも安く売っていないか見に行ったが、ここにはなかった。

iPod探しはこれで終了。当初の予定では夜は宿でゆっくりするつもりが、Wal martの近くに野球場を発見してしまった。しかもこれから試合があるらしくライトが点いている。前回もこの辺を通ったのに気づかなかった。球場の入り口まで行くとすでに客が並んでいるが、試合自体は20時からのよう。

カメラの電池が切れていたので、一度宿に帰り、電池を交換し、また球場に行く。19時を少し過ぎたくらいだったが、すでに入場は始まっていた。入り口は人だかりで牛歩並みのスピードでしか進んでいない。

ぼくは入り口右手のチケット販売所にチケットを買いに行ったが、もう閉まっている。張り紙を見ると18時で販売は終了したよう。ありゃりゃと思っていたら、若い兄ちゃんが"Ticket?”と声をかけてくる。日本で言えばダフ屋のようで、130ペソ(約1500円)のバックネット裏のチケットを150ペソで売ると言う。

えらく高いなと思ったが、チケット売場に貼られている値段表を見ても一番やすいのが25ペソ(約300円:外野席)で、次が90ペソ(約1000円)、その次が130ペソ。でも、130は高いと思い、断り別のダフ屋を探す。

見ると10人近くいて、そのうち30代位の人に声をかけるとその人は90ペソのを90ペソで売るという。予定していたよりも高い値段に躊躇したが、もう2度と見ることはないかもしれないとそれを買う。

ここのチームはTigersというようで、Tigersのオフィシャルグッズも売っていた。ユニフォームを着ている客も多い。場内で売られているファースとフードはやっぱりタコス。

座席は三塁側の内野スタンド。すでにほぼ満員状態で、わずかに空いていたところに座る。日本人が見に来るのは珍しいのか、多くの人がこちらを見る。

20時前、チアリーダーが出てきて、ホームベース付近で音楽に合わせてダンス。それからみんな起立して音楽がかかる。3曲流れ、最後が国歌だったよう。

さて、試合が始まるかと思いきやこれからが長かった。チームのマスコットが車に乗って出てきて、ダンスをしたりして盛り上げる。それから、ライトが落とされ真っ暗な中、鼓笛隊が演奏しながら出てくる。その音楽に合わせて、火のついたバトンのような物(遠くからでよく確認できず)を持った女性が5人ほど出てきて、やはり鼓笛隊の演奏に合わせて踊る。みんなは静かに見ている。

早く終われよな、と思って待つ。10分ほどそれが続き、今度は花火。グランドにロケット花火が用意されており、それが10発ほど上がった後に、でかい打ち上げ花火が20発ほど。

それが終わってようやくライトがつく。そんなことしているから当然後始末が必要で、球場の係員が花火の後始末をしている。選手は芝生のところでアップを始め、ピッチャーはピッチングを開始。

それから、一旦選手がベンチに引き上げ、今度は選手の紹介。やっと審判が出てきて、両チームの監督がホームベースのところで握手。

で、やっと8時40分頃試合が始まった。

スタンドではビールやジュース、ピザや果物(マンゴー、きゅうりなど)、綿菓子、バナナチップ、ナッツ類を売る売り子が休みなく動いている。10代くらいに見える男の子も多い。みんなよく飲み、よく食べる。

カンクンのチームのピッチャーは140km台の球をバンバン投げる。が、3回につかまり4失点。その後、カンクンも2点を返すが、5回表を終わって22時半近くなっていたし、どんなもんかわかったので、帰る。

印象としてはぼくの見たキューバの試合よりもレベルが高い。それはモチベーションの違いなのか、たまたまそういうチームだったのかはわからない。

メキシコのは完全にメジャーリーグ式で、日本のような応援団はない。が、試合の合間合間に音楽がかかり、それに合わせて客が手拍子をしたりする。

メキシコもドミニカも野球は盛んだが、キューバのように街中で野球をしている姿はほとんど見なかった。日本でそうだったらしいように、現在のように経済的に発展する前は、それぞれの国もキューバのように街角で野球をやっていたのだろうか。

2008.3.21 カンクンからアップ

ドミニカ出国→ハバナトランジット→カンクン

2008.3.18(火)ー19(水)

6時頃おき、日記と荷物の整理。

8時半、郵便局に行く。宿を出ると昨日タクシーの約束をしたおじさんがすでに待っていた。

途中、メインストリートでパパイヤ4分の1カットを買う(15ドミニカペソ)。メインストリートは歩行者天国になっており、長いすなどが設置されている。その長椅子のところでは靴磨きの少年2人がすでに仕事を始めていて、若い20代くらいの男性やおじさんの靴を磨いている。郵便局に行き、葉書を出す。5枚で100ドミニカペソ(約400円)。

コロンブスの墓とコロンブス家の博物館に行こうと思ったが、遅れそうなのでやめる。結局、ここでは観光という観光はせず、ただ中学野球を見て、マーケットなどを歩いて、スーパーを見て、果物を食っただけになった。

銀行に行きカネをおろし、ユーロに両替する。手持ちのUSDはほぼなくなり、またハバナでのトランジット時にもしかして必要になるかもしれないとキューバでは有利なユーロにしたが、ドミニカペソからユーロはレートが結構悪い。ドルの方が良かったような。

道ばたを歩きながら蒸しパンらしきものを売っているおばさんがいたので、その人から買う(10ドミニカペソ)。食べてみるとトウモロコシの粉などを使って作ったプリンと蒸しパンの間のような食べ物。

宿に戻り、荷物を背負ってホテルを後にする。タクシーの運転手は外で待っていて、こっちを見て手を挙げる。よほど放したくない客らしい。後部座席にリュックをつみ、10時過ぎ発車。

しばらくして運転手が”テレフォン”と言って、ペンと紙を取り出す。自分のタクシーの名前らしく、ラファエロタクシーと言って、彼の携帯電話の番号を教えてくれる。また来たときにはそこに電話しろとのことらしい。たぶんもう二度と来ないんだよなぁ、と思いつつ、わかったわかったと彼に伝える。

コロンブスのどでかい墓のモニュメントの横を通り、海沿いの片側4車線の道路を走る。雲が多いものの、数日前と同じく海はコバルトブルー。すっかり凪いでいて、ときおりつりをしている人も見える。

30分ほど海を眺めながら走って、空港に到着。そこで700ドミニカペソ(約3000円)払う。30分走って、ドミニカでの外食7食分は高いのか安いのか。ガソリンスタンドを見ても単位がリッター当たりなのかガロンなのかわからないが、130ペソなどと書いてある。どちらにしても700ペソくらいじゃ、とても1ヶ月は食えそうにないことは明らかだろう。

とにかくここも含めカリブ諸国はタクシー代がバカみたいに高いのには閉口する。しかもここはタクシー以外の代替手段を用意していないし。

空港に入り、インフォメーションでクバーナ航空のチェックインカウンターを聞く。場所は教えてくれたが、何時からチェックインできるかわからないといったことを言う。えっ!と思い、電光掲示板を見たら、他の航空便はon timeとなっているのが、クバーナはno confirmとなっている。もしや飛ばないってことはないだろうなと、若干不安に思いながら30分ほど時間をつぶし、適当にチェックインするために列に並ぶ。

チャックインカウンターに入る前に、列を作っているところで女性がエアポートタックスとチケットのチェックをする。

ぼくのチケットを見て、キューバに入るにはビザ(ツーリストカード)が必要だから、それをチェックインカウンターで買えと言う。キューバには入国せずにトランジットで空港内のウェイティングルームにいるだけだと英語で伝えるが、彼女は解しない。それで用意していた簡単なスペイン語でキューバには入国したくないと言うと、ようやくわかったようで解放してくれる。

チェックインカウンターでは、荷物の個数を聞かれただけで、ツーリストカードについては何も聞かれず、すぐに手続きは終わり搭乗券をくれる。

それから出国審査。パスポートを渡すと、入国審査と同じくいっさい質問なしで、”タ ビエン”と言われて終わり。

次の手荷物検査では、靴まで脱がされ機械に通し、さらに身体検査。プラスぼくはカバンの中身のチェック。そのチェックが終わって、税関審査みたいなところがあり、2枚のカードに記入し提出しようとする。すると、ふらふらしていて職員に止められ、また荷物を検査される。カバンの中を開け、スペイン語でなんだかんだと聞かれるが、わからん。

その後は、特に何もなく通過。サントドミンゴのデューティーフリーショップはモンテゴベイ並みで、予想していたよりも店がある。

時間は12時。14時予定だが、何時になるかわからない飛行機を待合室で待つ。

飛行機は予定より約1時間遅れて15時に出発。ぼくは通路側の席だったため外を見ることができず、本を読む。

2時間半後の17時37分(ドミニカ時間)、ハバナに到着。着陸時には拍手がわく。この空港もこれで5回目だから見慣れてしまった。

さて、トランジットはどうするものかと飛行機を降りて様子を見る。通路には出国を待つ待合室につながるTransitと書かれたドアがあったのだが、そこの警備員はチケットを見せても入国審査の方に行けと言う。

それで入国審査の方に行き、審査の前に入国カードなどをチェックしていた職員に聞くと、一旦入国審査を通過しないといけないと言う。

しょうがないので、鬼門のキューバの入国審査なのだが、仕事が早そうな若い女性の審査官のブースに入る。が、これが失敗。

ツーリストカードについては問題なかったものの、パスポートの写真とぼくを見比べて首をひねる。それで他の職員に声をかけ、2~3人の職員にぼくは顔認証をされる。

その若い審査官は”You changed"とぼくを見ながら言う。まぁ、写真の自分は髪が短く髭もないけど、これまで他の国でも、またこの国でも他の審査官だったらなんの問題もなかったのに。まさかチケットなどのことではなく、こんなことで今回つかまるとは・・・。これだったら指紋認証の方が早いななどと思ったりする。

10分ほどそこでジロジロ見られたりして、なんとか通過する。

今度は手荷物の検査だったが、今度は行き先のことでおばさんの職員に問いただされる。どうもツーリストカードがないことを問題にしているようだったが、今し方入国審査を通ったばかりなのに、また聞くか!?

そのおばさんは5分ほで解放してくれる。時間は18時を回っていた。

明日の昼過ぎまで空港で待つことに。2階の出国ロビーに行き、ベンチで本を読んだり、ボーとしたり。

夜はベンチに横になって寝るが、結構冷えて長袖のシャツを着ていても目が覚める。

翌日19日、朝の5時過ぎには目が覚める。夜中の2時発の飛行機もあったので、夜中電気がついていて、人の出入りも多かった。この時間もメキシコシティかどこかに行く人たちがチェックインカウンターに列を作っている。

ぼくは朝飯代わりに空港内の売店でクラッカーを買う。本を読んだり、うとうとしたりして待つ。

11時。チェックイン。リュックをビニールでパッケージングして(クバーナの無料サービス)、今度は窓際をお願いする。トランジットだから不要な気もするが、払えというので出国税(Airport Tax)を25CUC払う。ハイチで手持ちのドルがほとんどなくなったので、昨日、こんなときのためにサントドミンゴでユーロに替えていた。それが役立つ。

さて、次はサントドミンゴに行くときにつかまった出国審査。前回は、最終的には問題はなかったものの、メキシコからのチケットは持っているのかとか、メキシコの次にどこに行くのかとか、いくらカネを持っているかなどを聞かれ、15分ほどひっかかってしまった。

今回はすんなりいくようにと、やや年輩の女性の審査官のところにいく(ちなみに審査官は女性ばかり)。すると今度はキングストンに行くときと同じく、無問答でかるくスルーする。すばらしい。

手荷物検査を受けて、それから搭乗ゲートの前で待つ。2時間ほどあったので、キューバ産のチョコレートを買って食う(0.3cuc:約40円)。他いくつか買い物。

今回は予定通りにフライトは飛ぶ。14時05分に出発し、メキシコ時間の14時30分頃到着。時差の関係でこうなるのがおもしろい。実際のフライトは1時間半ほど。今日は天気が良く、窓際だったこともあり、眼下の景色はなかなか良かった。相変わらずカンクンの海岸は波がきれい。

メキシコの入国もなんの質問もなく、逆にキューバはどうだったと聞かれただけ。すんなり入る。が、手荷物の検査に長蛇の列。1カ所でしかやっておらず、30分ほど待ってやっと通過する。

税関審査を出ると、左手にインフォメーションデスクが5つほど並んでいる。さすがリゾート地だ。

空港を出たらタクシー乗り場に出るが、宿の近くのバスターミナルまで行くADOという会社のエアポートバスに乗る(35メキシコペソ:約120円)。バス乗り場は入国用の出口から100mほど離れていて、出国用の出入り口を通り越した反対側にある。なんでこうわかりにくいところにあるのかと不思議。

バスの乗り口で料金を払って乗車。さすがメキシコ。バスは新品同様。車内のテレビでは動物園の飼育係のドキュメントのDVDが流れている。

30分ほどでバスターミナルに着き、その5分後くらいに宿に到着。前回泊まったときに忘れていったデジカメは、無事保護されていた。ありがたや。

2008年3月20日木曜日

カンクン到着

現在、3月19日夕方6時44分、メキシコのカンクンです。

無事、大陸に戻ってきました。
メキシコはやはり大国です。ここがリゾート地ということもありますが、経済的な環境は日本とほとんど変わりませんね。

ここに2泊した後、陸路でベリーズに向かいます。その後、また海路と陸路でグアテマラを目指します。

この間の出来事は明日にでもまとめてアップする予定です。

では。

2008年2月20日水曜日

キューバへの準備の日

2008.2.19(火)
カンクン2日目

昨夜は夜中まで日記を書いていたのに、朝は7時前には目覚めた–やっぱり蒸し暑くぜんぜんさわやかじゃない。

外に干していた洗濯物を見に行く。これまでのまちだったらだいたい一晩で乾いていたが、こっちではかなり湿っている。

1階に降りていくと何人か既に起きていて、これから行く場所の下調べをしている。ある人はイスラ・ムヘーレスというドルフィン’アーやシュノーケリングで有名な所に行くという。

彼はここに泊まっていった旅行者が書き残していった旅の情報ノートから使えるものを自分の手帳にメモしている。

彼が見おわったところで、ぼくはそのノートを借り、キューバ情報などをメモする。めちゃくちゃまめに書いている人もいて、自作の地図状に宿の位置やおいしい料理屋の位置など、事細かに書かれているページもある。

そのノートを見た後、本棚にあったカリブ海関係のガイドブックを見る。自分の不要な部分のみこの宿に残していったようで、どのガイドブックもキューバのページは抜かれていて、日本語での情報収集は困難。けっこう当てにしていたのだが。

9時をまわったところで外出する準備をして、外に出る。まずはカネをATMでおろし、ベリーズの大使館でビザを取ろうと思い、ロンリープラネットの地図にあった辺りをうろつくがなかなか見あたらず。

4人ほど聞いて、ここらのビルかと思い、入るとあたり。ベリーズの国旗が窓に貼られている。入口には開館時間は9時から15時とあるのにドアは開かないし、人がいる気配もない。

また後で来ることにして、先にキューバなどに行くための航空券の発券をしてもらいに旅行会社に行く。メキシコシティでチケットを買った会社の支店がこちらにもあるので、こちらで発見してもらう予定をしていたのだ。

ビルの外に出ると、昨日同—暑い。昨日よりも雲が多いので、若干日差しは弱いい気がするが、歩いてると額から汗がしたたり落ちてくる。ズボンを厚手のジーパンしか持ってきていないので、そのせいもあるだろうが。

歩道を歩いている人は少ない。ふらふらと15分ほど歩いて旅行会社に到着。チケットを発券してもらう。

それから一旦ベリーズ大使館に戻る。やはり人がいる気配はない。隣の事務所の人に、ここが大使館か確認すると、そうだという。

ドアの前でどうするかなと思っていたところへ、その事務所の人が出てきて、あっちにこのビルの管理人がいるから、そこで聞けばいつ開くか教えてくれるだろう、というようなことをスペイン語と英語を交ぜながら教えてくれる。

その教えに従って、管理人に聞くといつ開くかはわからないという。それでなんで大使館を探しているんだ、というようなことを言われたので、ビザがほしいというと、ここでは入手できない、といったことを言われる。

ベリーズ(これは国名ですよ)のビザはメキシコとの国境でも取れるが、キューバからの帰りの時にメキシコ以外の国に出るチケットを求められたときには、そのビザを代わりに見せてみようという魂胆だったのだが、どうもそれはできないようだ。ビザを事前に入手しすることによって、メキシコ以外の国に出ますという意志を示す証拠にしようと思っていたのだが。

まぁ、しょうがないので、これでベリーズビザの入手はあきらめ、しばしまちの探検。屋台や市場で食い物を買ったときに使うための自分用のスプーンとフォークが欲しかったので、それも探す。

中心部からバスで5分ほど南に行ったところにはプラザアメリカというショッピングセンターがある。まずはそこに行ってみたら、いわゆるブランドショップばかりで、スプーンやフォークは見あたらない。一角に巨大なワンフロアのみのスーパーがあり、そこにはあったが、フォークだけ4本とかという売り方しかしていないので、ここで買うことはやめる。

それにしてもメキシコの金持ち向けのショッピングセンターなのだろうが、見たことがある有名店ばかりで、結局、カネがあると同じようなものを買いたくなるのかと不思議に思う。もちろん、ものがいいというのもあるかもしれないが。

ちなみにそこにはニンテンドーDSやWiiも売ってました。客はいなかったけど。

そこを後にして、今度は地図に載ってたウォルマートに行く。アメリカでは典型的な大型スーパーに行くことができなかったので、フォークのこともあるし、行ってみることにしたのだ。

カバンを持ったまま入ろうとすると、入り口にいた係員の人に英語で止められる。そして、持っていた口が開いているカバンの口を、何やら赤字で書かれた用紙と一緒にホッチキスで留められる。おいおい、直接カバンの口をホッチキスで留めるかよ!

さらにウエストバックはチャックもプラスチックの留め道具で開かないように、留められる。やれやれ。小さいスーパーだったらカバンを預けておしまいなのに、こっちの方がカネがかからないということなのか? 

ウォルマートは想像していたよりもはるかに雑な店だった。倉庫のように商品が積み上げられ、店のレイアウトもくそもなく、まるで卸売り市場に来たような感じ。ここにはスプーンなどは見あたらず、ま、あってもかばんにそんなことするような店では買いたくないから、店内を一回りして出る。

店内には寿司をのコーナーもあり、メキシコ人らしい人が何人か寿司を注文していた。どこかの宿で一緒になった人が、アメリカにいたときに自分は太巻きを作り、アメリカ人がカリフォルニアロールを作ったところ、太巻きばかりが残ったという。太巻きが残った理由を彼は、外に海苔が付いていると、その海苔がのどにひっかかりアメリカ人にとっては飲み込むのが大変だから、と説明していたが、たしかに太巻きのようなものは売られていなかった。でも、海苔がのどにひっかかるって、ただ単にちゃんと噛んでいないか、口に入れすぎているだけだと私は思うのですが・・・。

ウォルマートを後にして、すぐ向かいにあるPlaza China Townに行く。ここならスプーンはおろか箸が売っている“ろうと思っていっ”ら、な”てことない中華料理の店と土産品みたいなものが売っているだけで、日用品はなかった。あわよくば箸を’ットし—う—思って“たのだ“、この•点で完全にあきらめる。

それから地元のスーパーに行く。そこにばら売りのスプーンとフォークがあったので、そこで買うことに。まぁ、これからどれだけ使うかわからないけど。ちなみにお値段は1本90円ほどで‚Made in Brazil。

そのスーパーの近くにはアメリカンエクスプレスの店があったので、ドミニカのためにトラベラーズチェックを現金に換える。アメリカと違ってサインとパスポートを見せるだけでOK。ぼくはドルでもらいたかったのだが、ペソで換算してそれから再度ドルに両替する仕組みのようで、その為替差額ぶんで14ドルぶんが消える。ああ、一泊分の宿代が・・

その後、郵便局で切手を買い、例の観光地—されている市場に行き、早い夕食をして夕方前には宿に帰る。

腕や首周りが赤く火焼けており、日差しの強さを改めて感じる。

夜はキューバ行きの荷物の用意。ここの宿は無料で荷物を預かってくれるので、キューバなどには持っていかない本を一つの袋にまとめる。

宿には新たな宿泊者が何人か登場。アラスカから自転車で南下しているという人や南米からチャリで北上してきてベネズエラから飛行機でカンクンに入ってきたという人、キューバに2~3日ちょっと行ってきたという人等々。

というわけで、明日(2月20日)はキューバへ移動です。

カンクン到着とその 第1印象

2008.2.18(月) カンクン1日目

けつが痛くなる度に目が覚めた。幸いなことに、通路を挟んだ反対側の椅子が空いたからそっちに移り、2席分座っていたが、夜中隣に乗ってきた。でも、最初のおじさんよりかはまし。車内ではだれかいびきが聞こえる。

夜が明けてきた頃、目が覚める。
すっかり低地に下りてきたようで、景色が平べったい。

中央分離帯には実をつけた椰子の木が立ち並んでいる。ときおり、観光用かと思える椰子の葉で屋根を葺いた建物が見える。建物の中を見ると、レストランだったり、表にホテルの名前が書いてあったりする。

いよいよリゾート地に入るんだな、と思ってたら、車内に案内が流れ、Tulumというバスターミナルに着くという。ガイドブックを見ると、カンクンとは違って静かにのんびりしたい人に最近人気が出ている地域で、ここの海も絶品らしい。

それから3時間。道ばたの標識にCancunの文字が見え始め、10時半にはカンクンのバスターミナルに着く。ここもメキシコシティ並みに大きいのかと思っていたが、たいしたことはなく10台ほどしか一緒には入れないくらいのターミナルだった。

バスから降りると、これまでになかったムンとした熱気に包み込まれる。暑い!

ありがたいことに、ここのターミナルは町中にあり、宿までは歩いて数分で行ける。グアダラハラで一緒の宿だった人に教えてもらった安宿に向かう。
地図を見ながらうろちょろしていたら、突然、白人の男性が英語はできますかと話しかけてくる。何かと思ったら、ここを探しているんじゃないですか、とユースホステルのビラを見せてくる。

いやいや、行きたいところがあると、その宿の名前を言うと、「Oh,Japanese hostel」と言われ、これから向かおうとしている宿が日本人宿ということをはじめて知る。

バス停から10分足らず歩いたところで、宿発見。たしかに入り口に日の丸とカタカナでホステルと書いている。

予約なしでも空きがあり、無事チェックイン完了。
いつもなら早々に出ていくのだが、あまりに暑いので、睡眠不足もあってか体がだるい。

キューバの宿を予約したサイトからの返事がまだだったので、それを確認がてらネットをする。

その他、本棚にあった情報ノートなどを見る。

1時間ほどしてようやく出られそうになったので、外に出る。とりあえず海の方に行こうとバスに乗り、ホテルゾーンと呼ばれている地域に向かう。

次々と大型のホテルが現れ、その隙間から海が見える。

海の色はほんとにエメラルドグリーン(?)。今まで見た海の色とは違う。

それに比べてケバいのが、その街並み。ヒルトンなどの有名どころがぼかぼか巨大なホテルを建て、ゴルフ場もあるわ、ブランド品のショッピングセンターはあるわ。そんなもん自分の国で買えや、と言いたくなるような店ぞろい。

しかもバスで走っていて、建物が邪魔で海が見えない!

20分ほどしたら一般に解放しているらしいビーチが見えたので、そこで降りる。

いやいや海の色といい、波の具合といい、たしかにいいところですなあ。(リンク欄のfotosの写真参照)

浜辺をずっと歩いて戻ろうかと来た方向に歩いていくと、浜辺から海にかけてロープが張っているではないか。向こうにはヒルトンホテルの客らしき人々が、パラソルの下でのんびりしていらっしゃる。見張り役みたいな人もちゃんといて、こっちを見てるので、素直に引き返し、バスに乗って帰る。

あまりに暑く、のどが渇いたので、ショッピングモールで下車し、水を買う。

店を見て回るとドル表示が基本のよう。聞こえてくる言葉も英語ばかり。

手元の温度計を見ると気温は36度で、湿度が60%。これまでのまちは湿度が40%程度だったし、気温もせぜい28度くらいだったから過ごしやすかったのに、さすがにこれでは長袖ではきつい。

日差しも強い。真っ白な浜辺では目を開けるのにすら苦労するくらい。

水を飲んで、体を冷やす。

宿がある中心街に戻り、飯でも食おうかと思ったら、なんということか屋台がない。首都のメキシコシティでもあれだけ狭い歩道に所狭しと並んでいた屋台が、ここでは10人が横に並んで歩けるくらいの歩道にもない。

ちょっと歩いてもあるのは果物屋さんの屋台が2軒ほどでタコスなどまったくない!

これはどういうことだ? 観光客受けするようにアメリカの路上のようになるように、もともとはあった屋台を排除したのか。それとも、ここの人たちには屋台を使う習慣がなかったのか。それとも、別の地区には屋台がたくさんあるのか。これまで行ったまちはいずれも植民地時代に都市計画がなされ、ひとが まちを歩けるような設計がなされていたが、ここはそういうこともなく、車が優先。そもそも人があるいていないからそのようなことが起きているのか。

それから、ここでは屋台もさることながら、サンクリストバルにはうじゃうじゃいた犬もいない。

体がなんだか火照った感じになってきたので、適当な店で飯を食い、メルカドによる。

メルカド(市場)は、野菜などは売っておらず、完全に観光客向けの土産品ばかりと何軒かの食堂があるだけだった。よせばいいのに、ここでまた食事。

これで宿に帰る。

結局、カンクン1日目は、海以外はがっかりするばかりで、大変つまらないまちだなというのが、第1印象だったのでした。

サンクリストバル・デ・ラスカサスからカンクンへ(詳細)

2008.2.17(日)

昨晩の早寝のおかげか6時半には目覚める。外は半袖ではちと寒い。昨日までの宿と違って、犬の鳴き声もなく、外は静か。

昨日の無茶食いが聞いたのか、腹の調子が悪い。そういうわけで、バスは高いけど1等に決まり。

11時のチェックアウトまで日記の整理等。

11時前にチェックアウトする。ここも部屋に鍵がなかったので、グッバイするだけ。

思いザックを背負い、15分ほどおお汗を書いて、バスターミナルに到着。この時間になると、既に暑い。

12時半のバスに乗ろうと思っていたが、窓口(昨日と同じ女の人)で聞くと15時45分のバスが2席空いているだけだという。う~ん、と考えてしまうと、窓口の人はあっちを向いて、昨日と同じように、まったくこいつは、みたいな態度をする。

そこへ隣の窓口で対応していた男の人が、入ってきて英語で聞いてくる。それで、これしかないことを確認し、しょうがないので、それを頼むと760ペソ(約8000円)と言われる。予定していた金額(630ペソよりも高い。切符を見ると1等よりもさらに上のクラスだった。

グアダラハラーグアナファト間のように水500mlとお菓子とパンが付くならいいかと思っていたが、実際は水のみ。後部でいつでもお湯がとれるが、コーヒーの粉などは自分で用意していないとダメなよう。

15時45分まで4時間ほどあるので、中心部に戻る。中心部の広場の椅子に座っていたら、この間、断ったストラップなどを売っている女の子ふたりが近づいてくる。そして、ひたすら売り込まれる。2人なので、1本ずつでも試しに買うかと思っていたら、そこへやはり同じものを売っている別の女の子2人が様子見なのか寄ってくる。

さすがに4人からそれぞれ買うのはちょっとと思い、断ると、後から来た2人は早々に別のところへ消える。

いなくなったところで、最初の2人から1本ずつ買う。一本が20ペソ、もう一本が25ペソ。いらないと言っているうちは二本で30ペソと言っていたのが、最後はもっとということになった。あるいは最初にこれとこれで30と言っていたのを、指定したもの以外をぼくが選んだから、そうなったのか。とにかく言葉がわからないからようわからん。

選んでいる間も、2人でハポネス(日本人)は、なんとかと言っていたが、それがどんなことを言っているのかはわからなかった。

おカネを払ったら、くるっと向こうを向き、アディオスと一人の子が言って去っていった。

場所を変えて、その広場を別のところから見ていたら、やっぱりストラップを売っている別の女の子がこっちに寄ってきた。さっきの子らよりも小さいから7~8歳くらいだろうか。

さっき買ったのははちまきくらいの幅のある編み物だったが、今回は小さなストラップのみ。いくらか聞くと4本で10ペソと言う。そんなに安いのかと思い、4本、いいと思う柄のものを選び、10ペソコインを渡す。
にこりとすることもなく、彼女は方向を変え、また別のところへ行った。

ぼくはバスターミナルに戻り、1時間ちょっとの間待つ。

15時45分の発車時刻が来てもなんの案内もない。同じバスに乗るのであろう人たちが、係員に聞くと、もう少し待ってくれ、みたいなことを言われている。

遅れるなら遅れるって案内を出せばいいのにと思うのだが、それはメキシカンスタイルなのか?

そうして遅れること15分、無事乗車開始。
これまで乗ったバスとは乗っている人が違う。観光地に行くということで、年輩の白人の旅行者が5~6人ほどいる。

ぼくは便所の2つ手前の通路側の席。そこに行くと、でかいおじさんがすでに奥に座っていた。あいや!

椅子に座ると、やっぱりおじさん、はみ出している。肩をすぼめていないとおじさんに当たるので、非常に窮屈。デラックスだからどんなに乗り心地がいいかと思えば、結局、乗っている人間も体積がデラックスな人が多いから、運が悪いと逆に窮屈にな思いをすることになる。

しかも、みんなカーテンを閉めてしまっているので、外すら見えない。なんてこったい。これまでで最悪のバスの移動だ。

見たいものも見れないので、乗ってすぐに寝る。しばらくして、目が覚めると、そこは山の中だった。

山腹をバスが上っており、細い道路をくねくね走る。さっきまで閉まっていたカーテンが開いていて、外を見ると、山の斜面などにバナナを植え、家を建てて暮らしている人たちの集落が見える。山は樹種も多様。

日が昇っている間中、外を眺め、暗くなってきたらまた寝る。

バスが止まった感じを受け、目を開けると軍服を着た人が2人バスの中に乗り込んできていた。適当に乗客の荷物をチェックしている。こりゃなんか聞かれるだろうなと思っていたら案の定、ぼくの席のところで立ち止まり、低い小さな声で「Como se llama usted(コモ セ ジャマ ウステ=名前はなんですか?)」と聞いてくる。

名前を答えれば良かっただけなのかもしれないが、スペイン語であれこれ聞かれてもわからないので、パスポートを見せると、それをしばらく眺めた後、ぼくに戻し、足下にあったにカバンの中身を見せろというような仕草をする。

それでカバンのチャックを開け、中を見せるとゴソゴソと中をいじくりまわし、何もないとわかると元に戻し、グラシアス(ありがとう)と言って、バスから出ていった。

この後、23時半頃、今度は、前にもあった荷物検査所でバスが止まる。寝ていたぼくは何だと思い、座席で背伸びをしていたら、旅行者らしい若い男の人が、外に出ないといけないと英語で教えてくれる。

預けていた荷物が、すでに外に出されており、検査用の台に並べられている。検査員の一人の人が大きな声で「??ポルファボール(お願いします)」というと、他の人がカバンのチャックを開けだしたので、ぼくも倣ってチャックを開ける。

係員は、カバンの中に手を突っ込み、あれこれといじくりまわす。時間にすれば数十秒ほどいじくり回した後、ちゃんと係員が自分でチャックを閉める。

そのチェックで20分ほどかかり、またバスの荷物置き場に係員たちが荷物を戻し、バスは発車。

これでこの日は終わり。

ナチーグ+宿をかえる

2008.2.16(土) サンクリストバル・デ・ラスカサス3日目

今朝も犬たちのけたたましい吠え声で目覚める。外はまだ夜が明けきっていない。気温は16度くらい。

昨晩、サパティスタの自治区に行くか悩むも、やはり準備が足りないと思い、断念。同じ宿の学生は、自治区に行く予定をしており、昨日は1日中サパティスタの人に聞く質問を辞書をひきひきスペイン語で作っていた。英語は禁止とのことで、彼はスペイン語ができるわけでもないので、質問に対する答えを紙に書いてもらい、それを訳するつもりらしい。日本にいるときからいくつかの本も読んできたらしいので、まぁ、それくらい準備しているなら、その若さもあり、向こうは受け入れてくれるだろう。

ある本によれば、その自治区は今でも(その本が書かれた当時だが)政府の準軍事組織との低強度戦争を継続しているらしい。基本的に行っても問題はないと思うが(日本人のバックパッカーが観光気分で最近、行ったというブログをネットで見たことがある)、そういった先住民の権利等を獲得しようとする運動に共感を覚える身としては、そういう人たちのところに行くなら、こっちも本気で準備しないと失礼だろうということがあり、結局、今回はパスすることにした。

サパティスタURL
http://enlacezapatista.ezln.org.mx/

部屋を出て、日の光が入るリビングみたいなところで、メキシコ関係本を読む。

昨日、宿を変えたいと思ったので、部屋の人等が起きたところを見計らって、荷物をちょっと整理し、13時のチェックアウトまでに帰ってこれる程度の村に行くことにする。

壁にあった地図におすすめの市として紹介してあったNachig(ナチーグ)に行くことにする。

これまた4人ぐらいの人に聞いて、ようやく乗り合いタクシーのターミナルを発見。乗車してから20分。まだ乗客が集まらない。このまま待っていたらチェックアウトに間に合わなくなるなあ、と思っていたところで、やっと乗客が4人になり、発車。

ぼくは後部座席の左端。隣には先住民の服を着たおじいさんとおばあさん。みかんを食っている。

車は、人混みの中をゆるゆると進む。助手席の客と運転手は友達かのようにしゃべっている。みかんを食べていたおばあちゃんは、皮を開けた車の窓からほいと捨てる。

ぼくはまたもや陽光にやられ、寝てしまう。

30分ほどで、Nachigに着いた。幹線道路沿いに陶器の置物などを売っている露店が出ている。市もこの幹線道路沿いにあるちょっとしたスペースでやっていた。ここも売り子の人は先住民の服を着ている女性ばかり。店は30店ほどで規模は小さい。

売られているのは、鶏の丸焼き(半分に開かれているが)、牛の肉、みかん、すいか、いんげん、じゃがいもなどの野菜、タコス、毛糸のように見える様々な色の
糸、爪切りなどの日常雑貨などなど。

お客はほとんどいない。もう市のピークは終わったのかもしれない。宿の情報でも市はだいたい8時くらいがピークとあった。着いたのが10時過ぎだし、帰っている人たちもいるからそういうことなのだろう。

幹線道路から横に延びている道は、舗装はされていない。その道に沿って家々が立ち並んでいる。ぼくは少しだけ、その辺りをふらふら。

宿がある中心街ではどの家も3mはある壁で囲われていたが、ここはすっかりオープンだ。一応、金網はされているが、入り口は開いている。

ここでも庭先で編む道具を使って一枚の生地を織っている人がいる。舗装されていない道の中でも幹線になっているところだけ歩いたが、どこの家も鶏を飼っており、中には豚もいるところもいる。畑は枯れたトウキビが目立つ他はあまり作物らしきものは見あたらない。

しばらくふらついたら市に戻り、昼飯。タコスの露店で炒り卵などの3種類の具材でタコスを3つ食べる。値段は1つ2.5ペソ。

ただ、これだけでは腹はふくれず。鶏好きのぼくは鶏の丸焼きが気になる。一羽が半分に裂かれて炭火で焼かれており、ここに着いた瞬間から非常に気になっていた。

小さな子ども3人を連れ、売っていたお母さんに値段を聞くと40ペソと言う。値段を聞いた以上は買わなければいけないだろうと、半ば勝手に思い込み(ただ食べたかっただけだが)一羽ぶんを買う。

これを買いますと伝えると、きれいに焼けた鶏をまな板に乗せ、刃渡り10cmくらいありそうな出刃包丁で、モモやムネなどをぶつ切りにする。包丁の切れ味はよく、1発で骨まで断つ。6つほどの固まりに切り分けたものを厚手の灰色の紙(ざら紙と学校では読んでたような紙)に包み、ビニール袋に入れ、そこにサルサソースが入った小さい袋も入れられ、渡される。

この鶏、ここまで大きくなるのに1年近くはかかったろうに。こうして焼かれて40ペソ(約500円=通常の食堂で定食1人分くらい)って、安すぎるだろうに。確かに40ペソあれば、1週間ぶんのじゃがいもは買えそうなんだけど(1kg5ペソくらいなので)、どういうふうに値段を決めているか気になるなぁ。

宿で読んだ本には、アメリカから小麦で作ったトルティージャが入ってきて、地元のトウキビから作る本物のトルティージャは価格競争で苦戦しているという。都会ではスーパーも台頭しているからそことの競争関係の中で、こうした市でも値段を決めているのだろうか? それともご近所の経済状況を勘案して、だいたいみんなが変える値段にしているのだろうか?

ちなみにこの日も、この市にはぼくがいた時間は、外国人らしき人は一人もいなかった。

市をやっている広場の一角で鶏を食う。食い始めて、鶏を一羽ひとりで食べるなんてみんなするのかな、と思い、ちょっと躊躇するが、なかなかうまいので結局完食。少しだけ肉が付いた部分を残し、それは辺りをうろついていた犬にやる。

そこには1時間経らずほど滞在し、帰りのタクシーを拾う。ちょうどサンクリストバルの方に向かうタクシーが通ったので、手を挙げると乗せてくれる。すぐに発車したので、おお、これは珍しい、一人でも乗せていってくれるんだと感動したのも束の間。車は100mほど行ったところでUターンし、市をやっている広場に戻る。

そこでおじいさんくらいの人と窓越しに話し、その人を乗せて、サンクリストバルとは逆方向に車を出す。広場から200mほど行ったところでおじいさんはおカネm払わず降りていった。どうなってるんだろ?

運転手は無線でなにやら話し、また市のある広場に戻る。そこでやっぱりぼくの他に3人拾い、ようやくサンクリストバルに向けて走り出す。

今度もぼくは後部座席の左側。隣には80kgはありそうなおばさんが乗る。このおばさん、完全に脱力していてカーブのときもぜんぜん踏ん張らない。おかげでこちらは鶏で膨れた腹に異常なGがかかり、うっぷ、とはいかなくても、つらい思いをする。もうちょっと踏ん張ろうよ、おばちゃん。

そんなこともあり、帰りは目がぱっちり。途中、花を栽培している畑があり、そこはビニールハウスになっていた。日本のような半円型ではないが、木材や金属性の棒を四角く組み立て、そこにビニールを貼っている。

右手にはキャベツの畑も見え、虫食いはあるものの、きれいに巻いている。

そんなこんなで30分ほどでサンクリストバルに着き、宿に急ぐ。

12時をやや過ぎており、あわててパッキング。
13時前には無事、チェックアウトし、明日乗る長距離バスのターミナルが近いユースホステルに移動。

ここがまたしゃれていて、ドミトリーの部屋に行くのに、中庭を通り、階段を下りしてようやくたどり着く。男女相部屋のようで、でかい白人の女の人ややはりでかい男の人がいる。

チェックイン後、明日のバスの下見。
ここでは1等のバスターミナルと2等のバスターミナルがすぐ近くではあるが違う場所にある。

まず1等のところに行って、窓口の若い女性に値段や乗車時間を聞く。この人はスペイン語がわからない人が嫌いなのか、対応がかなり雑だった。これまで気になる人はいなかったので、感じ悪いなと思ったのは今回が初めて。まぁ、向こうも同じように思っているのかもしれないけど。

それから2等のバスターミナルに行く。行ったらバスターミナルというかただの車庫みたいなところで、バスは道路に並んでいるだけ。誰に聞けばいいのか迷っていると、おじさんが話しかけてくれ、どこに行くのかと聞かれる。

カンクンと答えると明日、11時に出ると教えてくれる。値段は380ペソと1等の630ペソの半額。こっちの方がいいかなと気持ちが傾いたものの、トイレが付いているか聞いたら、ないという。

これはちょっとな、という気分になる。ちょうどさっきから腹の調子が思わしくなくなり、しかもこのバスの移動時間は18時間と言うから、トイレなしじゃちょっと厳しい。

明日の体調で決めることにして、バスの下見は切り上げ、まちの北にある薬草の博物館に行く。

ここはこの地域の先住民の人等がずっと使っていた薬草などを紹介する博物館で、館に入ると薬として使う草木の展示がされている。

その他にもお産の仕方などの展示やその様子を移したビデオの上映などが見ることができる。

お産の仕方が興味深く、女性は膝を床についた状態でする。格好は普段着のまま。そばには産婆に当たる人がいて、その人が取り上げ、洗ったりへその緒を切ったりする。その様子を移したビデオは残念ながらアメリカ英語だったので、ほとんど聞き取れず。しかも素人がナレーターをやっていたので聞き取りにくかったのです。

ただ、展示については別冊の説明用紙が手渡され、これは英語版もある。なので、それを読めばだいたいわかる。ここはローカルな小さな博物館だからスペイン語だけかと思っていたら違った。やっぱりアメリカやヨーロッパからの観光客が多いからか?

そんで、また市場にいきふらふら。歩きながらポップコーンを売っていたおばあちゃんからポップコーンを買う。2ペソ。

それで食堂を除いたらモーレ料理があったので、腹の調子はよくなかったものの、欲求に負けて食す。ここのも甘いようでピリッとからく、なかなか面白い味。

こうしてようやく宿に帰ったのでした。

宿は居心地はいいものの、これまでの宿にあったような共同のロビーみたいなものがなく、22時にはネットがただでできる部屋も消灯。

部屋に戻っても、みんな寝ており、自分のところに電灯があるわけでもないので、22時すぎには寝る。

これらを考えると、グアダラハラのユースホステルが一番よかった。

ちなみにこの日、この宿に泊まっていたアジア系はぼくだけ。中国系の女の人がいたが、英語で友達としゃべっていたので、アメリカ人かも。最近、韓国人旅行者とも会わない。

おわり

テネハパ

2008.2.15(金) サンクリストバル・デ・ラスカサス2日目

目が覚めたのは7時前。
けたたましい犬の声で目覚める。同時に何匹もが吠えており、やかましいわ、と言いたくなるほど。しかも、ずっと吠え続けている。

犬がいる敷地とは3mほどの壁で隔てられているので、何匹いるか確認できず。ちなみにその隔ててる壁の突端にはガラス瓶を割った破片が建築用の接着材のようなものを使って並べられている。もちろん鋭い方が上を向いている状態になっており、道路に面した壁にもこのような細工がされている。たぶん有刺鉄線よりも安いのだろう。

朝起きて、また昨日と同じスープを作る。ここは朝飯が出ないこともあり、また野菜を食ってしまわなければいけないこともあってね。

さすがに朝から1リットルも食べる気はせず、テーブルにいた男1名、女1名にお裾分け。いりこだしのスープは超久しぶりなんて言いながら食べてくれる。

男の人の方とはちょっとしゃべって、昨日、グアテマラから着いたらしい。見た目30は越えていそう。女の人とはあまりしゃべらずどんな旅をしているかわからず。一人で旅をしているのは確かのよう。見た目20代。

さて、今日も近辺の村に行こうと壁に貼られているサンクリストバル周辺の地図を見る。

土日には各村で市がたつようで、それがおすすめとあるが、残念ながら今日は金曜日。サパティスタの自治区に行くことも考えるが、あまりに事前学習が足りないのでパス。

とりあえず今日はテネハパというところに行くことにする。

またメルカドに行き、あたりでテネハパ行きの乗り場を探す。最初の人に教えられた場所にはタクシーしかなく、タクシーじゃ高いしなと思って、昨日と同じコレクティボを探すが、見あたらない。別の人にコレクティボで行きたいんだがと聞くと、タクシーコレクティボと行って、最初にきいた人と同じ場所をおしえてくれる。

それでしょうがないので、一度は素通りしたところに行く。さっきと同じように客待ちをしている運転手たちが「テネハパ?」と聞いてくる。「Si」と答えていくらか聞くと20ペソとのこと。そんなに安いんかと思い、タクシーに乗ると運転手は乗り込んでこない。

しばらくして、2人連れの人が乗り込んできて、これで座席が埋まったから発車するかと思いきや、まだ運転手は外で客を待っている。

やはり待つこと15分ほど。助手席に1人、後部座席に3人乗った状態で発車。ぼくは後部座席の左側に座る。

運転は荒くないが、カーブでもそんなにスピードを落とさないので、体が流される。日本でのくせで窓の上についている手すりをつかもうとすると、それがない。車内を見渡すと運転席にも助手席にも反対側のドアの方にも付いていなかった。

よって、足で踏ん張る。

ちなみにこうした乗り合いタクシーに使われている車は日産のものがほとんど(それ以外はここでは見ていない)。後部にNISSANとあり、車の名前が通常書かれている部分には"TSURU"とある。なんかアルファベットで"TSURU"と
書かれていると間が抜けているようで気持ち悪い。

このときも外からの暖かい日差しにやられ、寝てしまう。

1時間とちょっとで目的地のテネハパに到着。やはりここにも教会があり、その前は広場になっている。その広場には民族衣装を着た人たちがずらっと10mほど列をなしておいた。

何事かと思い、あとから列の先頭にあった建物を見たら病院(というか日本で言うと診療所程度)だった。

ここの広場は昨日行ったララインサールよりも広い。ララインサールの方は15mラ15mほどだったが、ここは30mラ30mくらいはありそう。教会の建物もでかい。

またふらふらと歩く。

ここも山に囲まれた村だが、中心部は3本ほど平行に道路が整備されており、そのうちの1本が市場と化していた。

先にあたりをふらつく。奥の方は山の間を道路が通ってるだけで一見した限りでは人家は見あたらない。

10分ほどその道路沿いを歩いてまた広場に戻る。
途中、すれ違った男の人に「ケチュン(と聞こえた)」と挨拶される。

ここチアパス州には5つ以上の民族がおり、それぞれがそれぞれの言葉をしゃべるから、先の言葉はそのうちのどれかの一つかもしれない。それともただのスペイン語?

市場となっている通りを歩くとジャガイモやトマト、ピーナッツ、柑橘系の果物などのほか、ボールペンや爪切り、服、鍋、鉄板など生活用品がさまざま売られてる。

昼も近かったので、ここで食事をしようかと思ったが、カフェは見つかるものの、食事できそうなところが見つからない。みんなゆでたトウモロコシとか例のマヤ伝来のものとかを食っている

。ぼくは前にサンクリストバルの市場でも買った笹団子のトウキビ版だけ2つ買う。1つ1ペソ。ちょっと安すぎると思うんだけど。それを売っていたおばちゃんに2つくださいと言うと、はぁ、2つだけ?みたいな顔をされる。そりゃ2ペソじゃ、たいして儲からないでしょとは思うものの大量に食べられるものではないし。

あと地元の人が集まっていたところで柑橘系の果物(夏みかんに似ているが、あまりすっぱみはない)を買う。道ばたにトラックを止め、荷台に積んだそのみかんを袋詰めしている。

10ペソ(約100円)ぶんで20個。これまた買い過ぎかな。と、あとで後悔。

道ばたでそれらを食う。

見ていると、ここは男の人でも民族衣装を着ている人が多い。赤を基調にした服で、なかなか格好いい。

それからコーラを飲んでいる人がやたらと多い。
この日の晩に読んだ本によれば、どこかの村では炭酸飲料を飲んで出るゲップが、悪霊が出ていっているものと信じられているそうで、教会の祭壇にもコーラが捧げられているところもあるという。

もしかしたらここの人たちもそういうことで飲んでいるのかもしれない。あるいはただのコーラ好きなのか。

ここも1時間半ほどふらついて帰る。

サンクリストバルに着いて一度、宿に戻り、みかんを置く。

それからまだ行ってなかった中心部をまわる。
歩行者天国となっているところはほとんど観光化されていて、英語でメニューを書いている店もある。

観光客はほとんどがヨーロッパ系で、英語やドイツ語、フランス語がときおり聞こえる。若いバックパッカーの人もいるが、白髪交じりのかなり年輩の人もいる。

ここは安全そうなので、ATMでカネをおろす。無事キャッシュカードが使えた。

ここは小さいまちということもあってか、インターネット屋が多い。中心部だけで30軒はありそう。

料金も1時間5~6ペソ(60~70円)とこれまでのまちの半額。安い。

まちの店先ではサパティスタ民族解放軍のポストカードなども売っている。

サパティスタ民族解放軍のグッズを専門に扱っている店やキューバの本やグッズを扱った店もある。キューバの店の中はゲバラグッズがいっぱい。

そのほか映画館もあり、そこではチアパスを題材にしたドキュメンタリー映画を見ることもできる。毎月上映するものは違うようだが、この日はちょうどサパティスタ民族解放軍の映画を19時からやるようだったので、夜に行くことにする。

歩行者天国の椅子に座って休んでいると、鮮やかなストラップなどを売り歩いている女の子のターゲットになる。一人の子と目があったら、ストラップ1本25ペソと寄ってきて、もう一人同じように売っていた女の子も寄ってくる。さらに7歳ぐらいの女の子も寄ってきて、あれこれ勧められるが、はっきり言って使わないし、すぐに日本に帰るならともかく、1年もカバンの中に入れていてもなと思って、しばらく断り続けてもずっと勧めてくるので、椅子から離れる。

中心部には何軒か本屋があったので立ち寄るとアニメの雑誌や一部の本屋にはマンガもあった。

雑誌が40ペソ(500円くらい)で、マンガは浦沢直樹のモンスターが55ペソ(600円)、デスノートが65ペソ(700円)。もちろんスペイン語版。当然のことながら高い。また、マンガの帯には18歳以上対象と書かれてあった。

新聞はスペイン語の新聞が6紙ほどあり、チアパスで出されているローカル紙もあるようだった。グアダラハラにもメキシコシティにもメキシコの英字新聞があったが、ここでは見あたらない。

また、宿に戻り、夜の映画に備えてサパティスタに関する本をざっと読む。

19時より、映画館で"A Place called Chiapas"というドキュメンタリー映画を見る。25ペソ(300円)。アメリカ人が撮ったようで、当然ながら英語がよく聞き取れない。ただ、サパティスタ民族解放軍の武装蜂起など、一連の出来事を映像を見られたので、どんなものだったかはわかる。

映画が終わったのは20時半頃。
宿まで15分ほど歩く。歩行者天国となっている通りの店はまだまだ開いていて、店からはいろんな音楽が聞こえてくる。

ストラップを売っていた女の子たちもまだいる。

夜空には星はあまり見えない。まちが明るすぎるからか。

おわり

2008年2月19日火曜日

カンクン到着

現在、2月18日正午です。

昼前10時半ごろ、ここカンクンに着きました。
さすがカリブ海に面しているだけあって暑い!

夜の到着かと勘違いしてましたが昼でしたね。

ちなみに手元の湿度&温度計によると湿度70%、気温30度です。
室内でこれですから、外はもっと暑かろうもん。

これから昼飯がてらぶらぶらしてきます。

では。

2008年2月18日月曜日

カンクンへ

今(2/17.Sun.13:20)、サンクリストバルです。

これから15:45のバスに乗ってカンクン(Cancun)に向かいます。
12時半のバスに乗るつもりが、今朝、バス会社に行ったら満席で、
上記の時間のバスしか空いていませんでした。

しかも値段も770ペソ(約8000円)と予定したいた額も高くなってしまいました。
というのも、この空いていたバスが、1等ではなくデラックスにあたるもの
だからのようです。1等は630ペソくらいだったんですけどね。
まぁ、しょうがないです。いきあたりばったりでやっているので。

乗車時間は18時間で、明日の夜の10時ころ着く予定です。

あとリンクの欄に写真のサイトを加えました。
photosってのがそれですが、ブログの中にアップするのよりもこっちのほうが
早いようなので。でも、早いといっても充分遅いですが。5枚くらいアップするのに
15分くらいかかります。

では。

サンアンドレス・ララインサール--サンクリストバル 1日目 その2

2008.2.14(木) その2

メルカドの周りには周辺の村々に行くためのターミナルが6~8か所くらいある。それぞれ駐車場みたいなところもあったり、ただのバス停みたいになっているところもあったりで、どれが自分の行きたいところに行くのか、最初は探すのが大変。

道ばたで運転手が、大きな声で行き先を言っているのだが、なかなか見つからない。4人ほどに聞いてやっと目的のターミナルに着く。その入り口に着くと、運転手のような人が、どこに行くのかと聞いてくるので、行き先を告げると車を案内される。

車はコレクティボと呼ばれている車で、後部座席が8席あるバンだ。何時に出発するかは決まっていないようで、座席が埋まったら出発するスタイルのよう。

ぼくが乗ったときにはすでに6人ほど乗っていた。15分ほど車の中で待って、ほぼ座席が埋まったところで出発。車は新調したばかりなのか、とてもきれいだ。

外は快晴。ぽかぽかした陽気に誘われ、寝てしまう。

1時間後、急な坂道を登り終えたてっぺん部分で車は止まった。教会のような建物が見え、その前は小さいが広場になっている。

その広場では、野菜や果物を売っている人やジュースを売っている人、ここで解体したのかと思ってしまうような肉の塊を売っている人などがいて、店舗数として数えると20店くらい露店が出ている。

女性はほとんどがいわゆる民族衣装を着ている。

ぼくはまわりをぷらぷら歩く。
あちこちから鶏や牛などの鳴き声が聞こえてくる。

そう言えば、サンクリストバルに来て初めて見たのが、緑がいっぱいの山々と川らしい川。

これまで通ってきたメキシコでは、ほとんどの山に木がなく、川も細いものしか見たことがなかった。

ここは木々も豊富で、遠くから見ているぶんには日本の山を見ているのと変わらない。そのせいか、家の造りも石や煉瓦だけでなく、木材を使った家がある。また、燃料として使うのであろう薪が家の壁の外に積み上げられている。

家はいわゆる掘っ立て小屋のようなもので、外から見た限りでは2部屋か3部屋くらいしかなさそうな大きさがほとんど。畳でいうと9~15畳くらいか。その中に台所から何からが全部つまっている。たいてい子どもが3人はいるようなので、5~7人でそこに住んでいるよう。

畑には枯れたトウキビの茎(?)が立っており、その中を鶏がうろちょろしている。見た範囲では、あまり葉物などを植えている家はなく、バナナなどの果物の木も見かけない。

市場では柑橘系の果物やバナナ、マンゴー、スイカなど果物が豊富に売っていたが、それらはまた別の畑で、あるいはもっと奥地で栽培されているのだろうか。

昼飯を食っていなかったので、広場に面して立っていたタコスの店で食べる。グアダラハラなどのように、タコスの選択肢はあまりないようで、具は1種類ほどしかないよう、何個かと聞かれるので3つ頼む。これで6ペソ(70円くらい)。安い。

織物がきれいなまちということで、来てみたのだが、どうも辺りには見あたらない。一人だけ庭先で織物をしている人を見た。

道を歩いていると子どもがじっとをこっちを見るが、話しかけたりはしてこない。大人の人たちもじっとこっちを見ることがあるが、見ているだけ。

ガイドブックには村々に行くときは単独行動はしない。ツアーに参加すると安全が増すとあったが、あまり危険な感じはない。かといって、フレンドリーでもなく、そう言われると大人の人はちょっと警戒しているのかな、という程度。ただ、サパティスタのことはあるが、ただふらつくだけだったら大丈夫そう。

1時間半ほどふらついて、サンクリストバルに戻る。帰りも行きと同じ車。運転手は客が集まるまで、おしゃべりをしている。

やっぱり車の中で20分ほど待って、発車。
そして、やっぱり車の中でうとうと。

サンクリストバルに戻って、メルカドで買い物をする。旅行中は基本的に自炊はしない主義だが、売られている野菜がどんな味か知りたくなった。

一番単純な塩味のスープにしようと具材を探す。葉物は虫や農薬が気になるのでパスし、根菜類ばかりにする。母親と一緒に10歳くらいの女の子が売ってたトマトに、たまねぎ、じゃがいも、人参、にんにくそれからいりこ。あとデザートにマンゴー。他にもいろいろ買いたかったが、ここにいる間に食べきれそうにないので、それだけ。

にんにくは、日本では小さすぎて売り物にならないとされるようなものだったが、5玉(?ニンニクの数え方がわからない)くらいついて5ペソ。トマトやその他の根菜類もだいたい1kgくらい(個数でいうと8個程度)でやはり5ペソ(60円くらい)。

マンゴーはちょっと高く、やはり8個くらいで10ペソ(100円)。いりこは300g程度で10ペソ。

計45ペソ(500円程度)だったが、これで10人ぶんくらいのスープは作れそうだ。

宿に戻り、早速調理。火が弱そうなので、野菜は薄く切る。台所にはマッチで火をつけるタイプのガス台があり、そこに水と大量のいりこを入れた鍋をかける。

火力は以外に強く、日本のものとあまり変わらない感じを受ける。ただ、宿主によると不完全燃焼しやすいらしい。

20分ほどでできる。

トマトを入れたので、トマト+塩味のスープに。

じゃがいもなどの味はたいして変わらないが、トマトの味が明らかに違う。形も日本で一般に売られてるものより縦に長いので、品種が違うのだろうが、程良い酸味がある。これでトマトソースのスパゲティを作れば絶対うまいと思う。

そんなで1リットル近く作ったスープを一人で完食。その時点で18時頃だったのだが、その後、8時頃になて、泊まっている人たちは次々と食事を作り出す。居酒屋などでバイトをしていたという人が中心になってやっているよう。

ぼくは満腹になったし、面白そうな本があるので、それを読んだり、ここに泊まった人たちが書き残していった各地の情報ノートを読むが、朝が早すぎたこともあり、早々に寝る。

同じ宿に泊まっている人たちは、台所にある円形のテーブルに集まって、何やらしゃべっていた。

おわり。

2008年2月17日日曜日

これまでとは違う世界--サンクリストバル1

2008.2.15(木)
サンクリストバル・デ・ラスカサス

宿に到着したのは7時。
まだ起きてないだろうなと思ってブザーを押す。
すると30代後半かと思われる日本人男性ガ出てくる。

予約してないんですけど、今日泊まれますか?
と聞くと、ああ、そういう方ですか、と言って、実は宿の世話人は
8時くらいにならないと起きてこないんですよ、と続ける。

まぁ、中に入ってと促され、中に入ると右手の壁に巨大な地図が目に入る。

しばし待つ間、リビングをふらつく。壁にはサンクリストバル周辺の情報が書き込まれたタイプの違う地図が3枚ほど。
その奥には中米と南米の観光情報が緻密に書き込まれた、これまた巨大な地図が貼られている。

例えば南米の地図には一般的な観光情報のみならず、ゲバラが殺されたボリビアの村まで書かれている。すごい。

この地図はこの宿を経営していた人が作成したものらしい。
廊下にはメキシコに関する日本語の本が並び、中には三里塚闘争の本も混じっている。

マンガもあれこれあり、マスターキートンや手塚治本、ワンピースなどが並ぶ。

メキシコシティで泊まった日本人宿にはメキシコ関係の本がなくて驚いたが、ここには入門書の『メキシコを知るための60章』や新書本、ナショナルジオグラフィックのメキシコ特集号、ジェトロが出している経済関係本、そしてサパティスタに関する本などがそろっている。

ぼくがサンクリストバルに来たのは、ここがメキシコでも最貧州と言われているチアパス州の中心地(州都ではないが、元はそうだった)であり、先住民と呼ばれている人たちが独自の文化を守りながら生きている地域だと数年前に知ったからだ。

ただ、なかなか日本にいる間には、ここについてのことを調べる時間がなく、上記のような本を持って来ようか迷い、結局持ってこなかった。

そこで、この宿のHPにサパティスタのことが書かれていたので、ここに行けば関連の情報があるのではと皮算用をしていたら、狙いは的中した。

だが、日中に本を読むのはもったいないので、勉強は夜にして、早速出かける。

まずはお決まりのメルカド(市場)に。

宿を出て最初に目を奪われたのが、瓦の屋根。瓦と言っても、日本のような瓦ではなく、材質は煉瓦のよう。オレンジ色で半円系の瓦を上下に組み合わせて(U字にしたものをまずは並べ、その並んでいる継ぎ目の部分に逆U字にしたものを乗せて)水が入るのを防止している。

屋根も日本と同じように傾斜している。これまで見てきたメキシコの家は豪邸をのぞき多くがコンクリートや石造りの四角い家で、屋根が傾斜したものは見た記憶がない。

また歩いていて思ったのが、野良犬がやたらに多いこと。kれまでのまちでは見てもせいぜい1日に2~3匹だった。それが10分ほど歩くと5~6匹見る。ただ総じておとなしく吠えたりしてくることはない。これには安心。狂犬病の注射はしたとは言え、犬には噛まれるのはおろか追っかけられたくもない。だいたいここは標高2163m。走って逃げても犬に追いつかれる前に高山病でぶっ倒れそうだ。

メルカドには10分ほど歩いて到着。
人口規模は13万人とグアナファトとほぼ同じこともあって、メルカド自体の建物の大きさはほぼ同じだが、野菜などの生鮮品を売っている人の数がこちらの方が断然多い。

それも売り手に先住民系の人が多い。光沢のある鮮やかな色の上衣に赤や紫、青などこれまた鮮やかな色の刺繍が縫い込まれたスカート、そして帯。こうしたいわゆる民族衣装を着ているのは女性ばかりで、男性はまず見かけない。母親と一緒になって野菜や果物を売っている子どもも、女の子はそうした民族衣装を着ているが、男の子はジーパンにTシャツなど、日本のこと変わらない。ただ、かなり着古していることを除けば。

先住民の女性たちの髪型は、いわゆるひとつ結び(ポニーテール)か、2つ結び’(おさげ?)。2つ結びの人は3つ編みになっており、中にはリボンに使うような3cm幅くらい生地を一緒に編み込んでいる人もいる。

その昔、ベーリング海を渡って来たと言われているだけあって、顔はアジア系にそっくり。身長も150cm程度。

これまで見てきたまちの光景と違うのは、スカートをはいている人の率の多さ。先住民の人たちの格好をスカートというには、言葉が違うと思うが、便宜上スカート系ということにしたとして、そのスカート系をはいている人が多い。

これまで見てきたまちでは、スカート系をはいている人は制服を着ている高校生等を除けばごくまれだった。どういう理由によるかはわからない。

話を戻して、一目見てこれまで見てきた光景と違うのが、子どもたちが働いていること。

親と一緒に声を張り上げて野菜や果物を売っている女の子もいれば、ガムなど小さいお菓子が詰まったボックスを持って売り歩いている子もいる。また子ども用のリュックザックを腕に20も30もひっかけ抱いて売っている男の子もいる。あるいは小さな妹だか弟だかを布でハンモックのように包んで自分の体に結びつけ、おもりをしている女の子もいる。

ティファナでもグアダラハラでもグアナファトでも、路上で物売りをしている先住民の親子がいたが、これだけたくさん集まった状態で見るのは初めて。もちろんたくさんと言っても数千とかじゃなくて、市場周辺で言えば100人や200人くらいだと思うが。

これまでメキシコでは3つのまちで市場を見てきたが、ここで初めて見たものがあれこれあった。

まずは、生きている鶏や七面鳥、子豚。これらはメルカドの中ではないが、その周辺の路上や簡易テントのような店で売られている。鶏は肉付きがよく、重さもかなりありそう。雄鳥も売られている。

道ばたで鶏を売っているおばちゃん(見た目はおばあちゃんだが)は、鶏の二本の足をひもで結び、そのつないでいる紐を自分の腕にかけ、鶏を逆さにした状態で持っている。細い腕には逆さになった鶏が3羽。1羽3kgとしてもけっこう重いはずだ。その状態で道行く人に声をかけている。が、なかなか簡単には買い手がつかない。

さて、ここではじめて見たものの2番目は、ろうそくの専門店。回った限りで10店舗ほどあり、色も様々なろうそくが店頭にぶら下げられている。大きさは日本で通常使うものよりも遙かに大きい。きっとこれは先住民の儀式で使うものなんだろう。

またメルカド近くのサントドミンゴ教会では先住民の人たちが作った服やポシェットなどが売っている。近くの道ばたでは黒い毛を売っている(黒い羊みたいなものを午後に行った村で見る)。その毛を売っているおばちゃんは、客が来ない間はひたすら刺繍をしている。

一通り市場を見て回ったところで、メルカドの入り口の広場に戻り、そこで朝飯代わりに売られているものを買う。名前を忘れたが、まずは笹団子のとうきび版みたいなもの。トウキビの粉に小豆のような豆のすりつぶしたのを蒸して作ったようで、笹やとうきびの外側の皮(葉)に包まれている。

食べてみるととうきびの味が強烈。味は特についていないようで、ただとうきびの味に、若干の弱い小豆のような味がする。ただ、水分が蒸発したのか、これが普通なのか、団子を食べる気分で食べると、パサパサしている感じを強く受ける。これが1つ1ペソ。あまりに安いので驚いた。これまでの感覚では1つ5ペソ位かと思っていたのだが。

それからガイドブックにも載っていて気になっていたものにやっとありつく。他のまちでも見かけたが、満腹状態だったりでこれまで食べてなかった。

それはタマレスと呼ばれるもので、ガイドブックによれば古代マヤ伝来の食べ物らしい。市場のある店で食べている人がいたので、自分も頼むとトウキビの葉に包まれた枕の形をしたものが出てくる。

葉をほどき、フォークで枕状のそれの真ん中を開くと中には牛肉が。チリソースがかかっているようで、赤い。食べてみるとトウキビの味はさっきのよりも弱いが、肉の味がしっかりしている。それからチリソースが効いていて思ったりも辛い。

これに飲み物も同じ店で食べていた先住民系の人と同じものを頼む。すると発泡スチロールのコップに薄いピンク色の飲み物が出てくる。飲むとどろっとしていて、甘い。が、お代わりをしたくなるような味ではない。甘さがイチゴっぽかったので、イチゴが入っているのか聞いたところ、それも入っているようだが、それ以外にいろいろ説明され、当然のことながら意味がわからず、真相はわからず仕舞。この後、読んだ本によればトウキビの粉を溶かして飲む飲み物があるとあったので、たぶんそれなんだろう。両方併せて20ペソ(約250円)

それから、魚をその場で揚げて売っている店があったので、それも食べてみる。魚の名前を聞いたが、???ピラティアと言われ、後半しか聞き取れず。お値段は10ペソ(100円)。一人で食べるには大きいくらい。

魚は紙に包まれ、それにリモ(かぼすみたいなもの)の半分とチリソースがつき、袋に入れられ、渡される。

さっそく、教会の端っこの座れるところで賞味する。またもや箸があればと思うのだが、まだ入手できていない。よって、頭としっぽを握って食う。

味は淡泊で、ときに泥臭さを感じる。どっかの川か沼かの魚なんだろう。揚げられているので、大きな骨以外は頭からしっぽまで食べられるが、あたりをうろうろしている犬がいたので、あまり身の付いていないわき腹辺りをくれてやる。

犬はボリボリと骨も食らい、こちらを向き次を待つ。しょうがないから頭の半分だけあげる。残り半分は自分で食べる。魚はやっぱり骨がうまい。

ここで一旦宿に帰る。朝行ったときは部屋はいっぱいだった。が、誰か出るのでその後に部屋に入れることになっていた。荷物も外にだしっぱなしだったし。

宿に戻ると部屋が空いていたので、そちらに荷物を移動。3人部屋。ここも鍵はない。

また市場の方に戻り、今度はコレクティボという乗り合いタクシーを探す。ユニークな刺繍や織物がみれるというサンアンドレス・ララインサールという先住民の村に行くためだ。

つづく

2008年2月15日金曜日

メキシコシティからサンクリストバル・デ・ラスカサスへ

2008.2.13-14

7時起床。
昨晩、宿の水が出なくなるハプニングがあったため、今朝シャワーを浴びる。
日本を出てからはずっとシャワー。

午前中、宮殿のような郵便局で葉書を出し、宿に戻りパッキング。
13時にチェックアウトする。

ここも部屋の鍵がないので、チェックアウトするむねを伝えるだけ。
その際、薬を紛失したので、メキシコの薬の名前を教えてもらう。
宿主は、日本語ぺらぺらのメキシコ人女性なので、頼りになる。

13時15分に宿を出る。
昨日とは違うが、中心部へ南下してから行くルートでバスターミナルに向かう。

乗り過ごすことなく、13時40分にターミナル着。

試しにバスチケットの総合カウンターでチケットを買う。
値段は800ペソ。昨日、バス会社に直接聞いたときは788ペソだったので、えっ?
と思ってパソコンの画面をのぞき込むと、12ペソは手数料として換算されている
ようだった。

今回も1等のバス。バスターミナルからして豪華。空港と同じように、荷物を
預けるカウンターがあり、そこで乗る前に荷物を預ける。

待つ事1時間足らず。出発予定時刻の14時30分になって乗車が始まる。
あまりに乗車開始が遅いので、待っている場所が違うかと思い、近くにいた
バス会社の人に聞いたがあっていた。なんと行っても飛行機で言う搭乗ゲート
のようなものが20くらいあるので、不安になる。

一応、乗車開始時には館内に放送が流れ、行き先もアナウンスされるので、
それで確認できる。

客は少なく10人ほど。
前回、グアダラハラからグアナファトに行ったときのバスでは、飲み物とパン、お菓子
のサービスがあったので、それを当てにしていたが見事に外れる。それを期待して、
昼飯食ってなかったのに・・・。

予定時刻よりも5分送れて発車。

ぼくはすぐに寝てしまう。

車は徐々に高度を上げ、というか、高度の高い地帯を走っていく。
17時半にはあたりは霧で、50m先が見えないくらいの濃霧。
気圧の変化に敏感なぼくの耳がおかしくなりだす。

途中、乗客を乗せるためのターミナルに停車。
そこで水を1.5リットルペットボトルで買う。値段は18ペソ。街の露店で買うよりも6ペソ高い。

20時にはレストランに停車。
30分間、食事休憩。乗客はほとんど降り、食事をしていた。
ぼくは毎日食いすぎていることもあり、この晩は断食。

バスは、乗車当初は例のごとく冷房がききすぎて寒かった。
別の乗客のおばちゃんも毛布をかぶっていた。

それが夜になると冷房が止まったようで、徐々に暖かくなる。
それでも途中で停車したところで外に出ると外気の方が暖かかった。
このへんはどうにかならんもんやろかね。

車内ではメキシコ映画、ハリウッド系映画、スペイン映画(?)が立て続けに流れる。
ハリウッド系の映画は、どこかの国で反政府勢力が大統領の首をとろうと
画策するのをアメリカ軍とCIAが食い止めるという内容で、なんだか中米で見ていると
リアリティが違う。

1970年代から80年代にかけては中米の多くの国で内戦状態になっていた。
その背後には、アメリカがおり、アメリカに都合のいい政権を後押ししていた。

そんな国々の中で、こういう映画を見ると日本で見るのとはなんだか気分が違う。

そんなこんなしているうちに寝る。

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日付が変わって2月14日

バスのスピードが落ちてきた事を感じ、目が覚める。
客が次々と降りていく。

時刻は夜中の3時。

ぼくの右となりに座っていたおばちゃんがスペイン語で、ここが
サンクリストバルかと聞いてくるが、当然のことながら分からない。

念のため降りて、荷物を乗客に渡していた人に聞く。
すると、まだのよう。

それにしてもこんな夜中にバスターミナルでバスを待っている人(バス会社の人だけど)は、
大変だなぁ。

ただ、「チアパス」と言っていたので、かなり近くまで来ている事がわかる。

それからバスに戻り3時15分、バスは再度発車。

それから1時間後、またバスのスピードが落ちた事を感じ、目を覚ます。
残っていた乗客の人が次々、降りるので、運転手に確認すると、
こことがサンクリストバルと答える。

こうして朝の4時15分にサンクリストバル・デ・ラスカサスに到着。
メキシコシティを出て約14時間だった。
ほんとはもっと遅れて7時くらいに着く見込みだったのに、早すぎた。
16時半のバスがあったから、そっちにすれば良かったなんて着いてから後悔するのでした。

外は真っ暗。グアダラハラのように大きな待合室があるのだろうと思って
いたらベンチが8席ぶんしかない。

うち4席は英語を話す若い旅行者が占めている。

夜が明けるまで待つ事にする。かなり冷える。温度計を見ると16度くらい。

しばらくして別のバスが到着。
日本人らしきバックパッカー一人とヨーロッパ系のバックパッカー二人組が待合室に入ってくる。
が、すぐにどこかへ消えて行った。

ぼくは夜が明けた6時半に、宿に向け歩き出す。
まちの中心部をとおり、歩く事30分、宿に到着。

今回も日本人宿。例のキューバ情報を仕入れるためだ。

おしまい。

2008年2月14日木曜日

メキシコシティのきれいな街並み?-メキシコシティ4日目

2008.2.12(火)

昨日降っていた雨はあがり、すっかり快晴。朝方の気温は15℃程度だが、日中には28℃くらいまで上がる(持参している温度計によれば)。

実質、今日が最後のメキシコシティ滞在の日。明日はバスでここから見て東南にあるチアパス州のサンクリストバル・デ・ラスカサス(以下、サンクリと略)に行くので。

そのため、今日はまずは明日の予行演習。9時過ぎに宿を出て、サンクリまでのバスが出る東バスターミナルに行く。メキシコシティには東西南北の4つのバスターミナルがあり、それぞれ中心部からは地下鉄でだいたい20~30分くらいのところにある。ちなみにグアナファトからメキシコシティに来たときは北バスターミナルに着いた。

東バスターミナルには2本の地下鉄が乗り込んでいるので、ここからは大きく2通りのルートがある。一つは一旦中心部に南下してから東に行く地下鉄に乗り換えて行くルート。もう一つは北上してから東南に下る地下鉄に乗り換えて行くルートだ。

地下鉄のルート地図を見た限りでは南下した方が早そうだが、9時といえば通勤時間。きっと満員電車だろうと思い、北上ルートにする。

地下鉄の駅に着いてチケットを窓口で買う(2ペソ)。ホームに入るとやはり中心部に向かう方は、満員電車だった。待っている人にも1本見逃している人もいる。

北方面の行きは十分空いていて思惑が的中。へへ、と思いながら、これから行くキューバなどに向けての準備についてあれこれ考える。

そしたらいつの間にか乗換駅を2駅も通り過ぎていたことに気づき、あわてて降りる。結局、満員電車に乗る羽目に。

満員の程度は隣の人と体は接触しないものの、体を動かせばぶつかるくらい。

乗換駅で降り、東に行く地下鉄の路線に乗り換える。こちらはほんとにすかすか。ぼくが乗った車両は、3人ほどしか乗っていなかった。

10分ほどでバスターミナル最寄りの駅に着く。バスターミナルと地下鉄の駅は通路でつながっており、案内表示に従って行けば、すんなりとバスターミナルの待合室に出る。

ここもでかい。北よりも新しいのかきれいで、バスの待機台数もちょっと数えただけで100台はある。

地下鉄の改札を出て3分ほど歩くと、バス会社のカウンターがあるところに出る。円形になっており、真ん中にはファーストフードのコーナーがあり、その周り取り囲むように360度各会社の窓口がある。

バスのチケットを買う方法も大きく3種類ある。一つは、直接バスターミナルに行ってそこでバス会社を選び、買う方法。それから、主要なバス会社をカバーしている総合窓口で買う方法(ネット上で予約可)。それから、市街地などにある旅行代理店で買う方法。この3つ。

ぼくは一番目の方法ばかり。旅行会社は手数料がかかるから時間があれば交通費を考えても高くなる。

各会社とも行き先の表示はそこそこしているが、目的のバスが見あたらない。1社サンクリストバルとあったので、聞くとデ・ラスカサスではないらしい。そこの人が別の会社の名前を教えてくれたので、そっちに行く。そこの会社の掲示板(というかテレビ)を見ても、それらしき行き先が描いていないので、窓口の女性に聞く。

するとパソコンで検索してくれ、それをメモに書き移してくれた。一番早い便が12時半。乗車時間は13時間で788ペソ(約8000円)。けっこう高い。日本と同じくらいじゃないか?

それだけ聞いて、今度は日本大使館に向かう。例のメキシコ再入国の件を確認するためだ。

最寄りの駅でおり、途中、バス代を払うために両替する。昨日よりもいい1ドル=10.63。昨日とは違う銀行だったが、ここはIDの提示は求められなかった。

地図を見るとアメリカ大使館と日本大使館は隣同士のようだった。アメリカ大使館は星条旗が見えたので、すぐわかったが、日本大使館の方は旗も出てなく、地図上の位置にはただビルがあるだけ。

ビルに入ってすぐに入館者をチェックしている人がいるので、英語でここに日本大使館があるか聞くと、そのおじさんは日本語で「タイシカン?」と聞いてくる。「あ、そうです」と言うと、「ココニカイテクダサイ」と入館者記録表みたいなものを出す。

それに目的地(大使館)と自分の名前、人数、日付を書き、最後にIDをと言われたので、パスポートを見せ入る。「ヒダリ エレベーター サンカイ」と言われ、右のエレベーターに乗ると3階には止まらないエレベーターだった。なんだエレベーターを降りて左じゃなくて、左のエレベーターに乗れってことだったのね。

エレベーターを降りると右に日本大使館の入り口があった。自動ドアが開き、メキシコ人にしてはでかい180cmくらい年輩の守衛の人が、笑顔で迎えてくれ、「ニモツヲオネガイシマス」と言われる。

荷物を渡すと空港にあるのと同じ機械でチェックされ、ぼくも金属反応をチェックする例の機械を通る。

入って右側に窓口があり、20代くらいの日本人女性がいた。ことの次第を話し、キューバからメキシコに入るときにチケットは必要かを訪ねる。

すると「(なくても)大丈夫じゃなですか」とあっさり言われる。あんた「じゃないですか?」って何よ。と思いながら、問題になった例がないか聞くと、首をかしげる。まぁ、大丈夫そうなので、それだけ聞いて出ようとすると守衛さんに止められる。

なんだか窓口の方に手を向け、「ドウゾ」と言うのでもう用事は終わったと言うが、また「ドウゾ」と言うので、窓口の方を見ると、すみませんって感じでこっちを見てる。

窓口に行くと、さっきの人が「やっぱり問題になるときがあるそうです」と言う。やっぱり・・・

その人の上司らしき女性が、代わりに説明してくれる。キューバで登場拒否されることはないと思うが、チケットを持っていないとメキシコを出国する意志がないと見なされ、入国審査のときにもめることがあります、と彼女は言う。

陸路で出ることを言えば、クリアできるのかと聞くと、実際に陸路で出られるので、ちゃんと説明できれば大丈夫だと言う。

入国審査の人は英語は通じるのか聞くと、それは人によるらしい。そうなんだよねぇ、けっこうああいう審査は人によるんだなぁ。

ま、これで2500ドルの日本行きのチケットは買わないことに決定。あとは英語とスペイン語で説明できるよう準備するだけだ。

一件落着したので、腹が減ってきた。中心部に向けてぷらぷら歩いている途中にあった屋台で飯を食う。23ペソ(約250円)。

それから革命博物館に行く。ここも説明はスペイン語のみ。トロツキーもいいけど、こういうところに英語を付記してほしいと思うのは、言語帝国主義になるだろうか。

ここも親子連れや高校生くらいの子が来ている。ぼくがいた時間で20人くらい来館者がいる。親子連れもいて、子どもはしっかりとノートと筆記用具を持ってきている。

それから中米の地図を買いに市街地の本屋を回る。アラメダ公園近くの本屋はスペイン語の本ばかりで、かつ地図はメキシコのばかり。

ただスペイン語ー日本語辞書が100ペソ(約1000円)だったので買う。日本の辞書と比べると作りはおもちゃみたい。

ちなみに本屋やスーパーに入るときはかばんを入り口で預けなければならない。かばんと代わりに番号札をもらうので、帰りにそれと荷物を交換する。これはベトナムでも一緒。

本を買った本屋はかなり厳重で、買った本を店のビニール袋に入れ、袋の口をホッチキスで留め、そのときにレシートも一緒に留めた。ここまでやるところは初めてだった。

ちなみに日本に関係しそうな本は、パッと見た限り『GEISYA』と書かれた単行本が一冊目に入った程度。マンガはおいていない。キオスクみたいなところではアニメに関する雑誌があったが。

その後、ヨーロッパ的な街並みが残る通りに行く。同じ宿に泊まっていた人が、そこに行ってこんなところがメキシコにあるのかと驚いたと言って、ぜひ行けとすすめられていた。

ぼくはグアダラハラで衝撃を受けていたので、彼らほど驚かなかったが、それでもこれほど広い地帯をここまで造りこんでいるとはと驚く。

しかもメインストリートは宝石街になっていて、なんとも複雑な因果を感じる。中米の金銀を求めて当時のスペインが入ってきたわけだが、中心街のまんなかにこれらの店があるのは、当時のなごりなのか? ここにある金銀はどこから来たものなのだろうか?

その後、1681年から100年以上かけて作られたというメトロポリタン・カテドラルを見る。天井まで15mはある巨大な建物。

ガイドブックによれば、この地にはアステカ最高神をまつった神殿があったという。それをコルテスが破壊させ、その石材を使ってこの神殿を作ったという。しかも実際の労働はいわゆる先住民の人々がやったらしい。こうしたことはメキシコ全土、それからグアテマラのマヤ民族の地でもなされたらしい。

グアダラハラにしてグアナファトにしても、その街並みなどをみて、ヨーロッパみたいできれいだった、なんてことで済ませていいものか。

これだけの街並みやこれだけの建築物が残っているということは、それだけ植民地として支配されていた期間が長かったということであり、それだけ1つのこと(教会の建築など)に人やカネをつぎ込める力を持っていたということだろう。

しかも、いまやメキシコは90%の人がカトリックだという。宿の近くの教会でも毎朝ミサが行われており、教会を通り過ぎるときに立ち止まり十字をきっている人もいる。

多くの人(約60%)が、先住民とスペイン系白人の混血=メスティソだから、これらの人々は先祖にカトリック教徒がいたのであろうが、90%ってのはほんとか?

いずれにしてもそれだけスペインの支配が徹底していたということだろう。

この後、例のごとく適当にふらつく。やはりメキシコシティはでかい。この間とは違う地域に行ったが、やっぱり服屋ばかり。あと建物の中はひたすらウェデイングドレスとスーツの店が集まっており、軽く100店は越えている。

渋谷や原宿にある服屋をぜんぶ地上に並べたらこんな感じになるんじゃないか、と思うくらい多いし、そこそこ選択肢もある。

この他、歩いた範囲では車の修理屋や部品屋が集まっている地域などもあり、いわば専門店街がメキシコシティ内のあちこちにあるようだ。

晩飯はこれまた食堂が集まっている一角で食べる。Pollo(=鶏肉) en Mole(モーレ=ソースの名前)を食べる。

モーレソースは唐辛子や木の実、チョコレートなどを使って作ったもので、メキシコ特有というので、気になっていたものだ。

見た目はイカスミのように黒い。食べる日本で言うとカレーに近い。よく長時間にこんで焦げ茶色になったカレーを出すレストランがあるが、あんな感じだ。ただ、何かがちょっと違う。うまい。35ペソ(約400円)。

それからネットカフェに行き、キューバの宿とジャマイカの宿の検索。キューバについては明日予約することにする。

おしまい。

チケットを買いに-メキシコシティ3日目

2008.2.11(月)

今日はいわゆる観光はなし。ウォーキングともろもろの調べもの、キューバ行きのチケットの手配などで1日が過ぎる。

まずは金欠をなんとかしなくてはならなかったから、店が開く9時に宿を出て、両替屋や銀行を探す。

グアダアラハラでは、泊まっていた宿の周りが両替商街で10軒以上あったため、各店が出しているレートを見比べて両替できたが、メキシコシティでは今のところそのようなところを見ない(後に発見)。

グアナファトでも両替商は1軒しか見なかったので、あまり地元の人が使わないだろう。あるいは、観光地に両替商はふさわしくないと排除したのかもしれない。メキシコシティはグアナファトと同じく両替ができそうなところは銀行ばかり。

しかもグアダアラハラよりも0.2ペソ悪い。今日、見た限りでは一番よくて1ドル=10.6。ただ、ぼくはその銀行を見つける前に10.57で両替してしまった。10.5というのが多かったので、まぁ、そんなものかと数軒見て両替したのだが、ちょっとはやまってしまった。

今回、両替した銀行でもIDの提示を求められたので、パスポートを渡し、その後、領収書みたいなものにサインをする。これで金欠解消。

それから旅行会社を探して歩く。

適当に地図を見ずに適当にある鋳ていたら、完全に迷う。途中、通った政府機関の建物の前では、路上でコピーサービスをしている露店があった。歩道にコピー機を2台置き、客の注文を受け、コピーしている。値段は未確認。

元来た道を戻り、最寄りまで地下鉄で行く(2ペソ=約30円)。

目的の旅行会社(日系)は通りに看板も何もないので、ガイドブックにあった住所で建物を確認する。一つ一つの建物に番号がふられてあるので、建物はわかりやすいのだが、その建物の何階にあるかがわかりにくい。

一旦入ったが、よくわからず、この建物じゃなかったかと、また通りに出てきょろきょろしていると、道ばたで話をしていたおじさんが6階と教えてくれる。

ドアを開けると入って右側にカウンターがあり、日本語で「いらっしゃいませ」と言われる。いずれも20代と見える日本人男性。ぼくの他に客はいない。

キューバとジャマイカ、ドミニカ共和国に行くチケットがいくらか聞く。「ただ今、お調べいたします」とパソコンで調べてくれる。すると「あいにくこの3都市は乗り継ぎが悪く、かなり高額になりますけど」と言われる。値段は確認しなかったが、おそらく1000ドル(約11万)くらいするのだろう。

出発の前に、メキシコにある旅行会社に、キューバ、ジャマイカ、ドミニカ共和国(注:カリブ海にはドミニカ国という国があるが、以下はすべてドミニカ共和国のことをドミニカと略す)、バルバドス、トリニダード・トバゴのカリブ諸国の飛行機のチケットを聞いたら、合計約1900ドル(約21万円)ときた。しかも経路がマイアミなどアメリカを行ったり来たりするルートになっていた。

カリブ諸国をまわるチケットは高いとは聞いていたが、これほど高いとは・・・。カリブ諸国にはフランス領やイギリス領の島もあり、そういう国はヨーロッパから行った方が安いというような話もある。ただし、行っても今のシーズンだとヨーロッパからの観光客がいっぱい、物価もほぼ同じという話だ。

なので、トリニダードなどはヤメにして、主要な3国にしたのだが、それでも相当するらしい。

じゃあ、2カ国はということで、キューバとドミニカ共和国で調べてもらうと、これが700~800ドルするという。事前の情報では2カ国で500ドルくらいと見ていたのだが、予想以上に高い。

しかも、3日後とか4日後に取れると思っていたのに、この旅行会社では1週間後のしかとれないという。それで一旦考えることにして、その会社をでる。

宿近くまで乗り合いバスで戻り(2.5ペソ:10分ほど)、飯を食い、安いネット屋さんでカリブ海を飛んでいる航空会社のサイトや『ロンリープラネット』のカリブ海版に載っていた格安チケットの比較サイトを見る。

空港の名前を入力しなければ、検索できないサイトもあり、面倒くさい。都市名を入れれば候補となる空港名が出てくるが、複数の空港がある場合は候補がいくつも出てくる。都市名を覚えていればいいかと思っていたので、空港の名前を確認するのに時間がかかる。

結局比較サイトはあまり使えず航空会社のサイトで調べる。調べたところ旅行会社の出した値段は適正のようだった。

とりあえずキューバとドミニカだけ行って、ジャマイカにはパナマから行こうかと思い、調べてみたらチケットは片道200ドル以下だったものの、燃料代などもろもろ入れると1000ドルという結果が出た。ドミニカだとまだ安いが似たようなものだ。また悩む。

結局、キューバと2カ国だけにして、現地で自分で飛行機を探し、3つ一緒に回る方法を採ることにする。

また、1週間もここにいるのは退屈なので、今回のメキシコ滞在のもう一つのメインであるチアパス州のサンクリストバル・デ・ラスカサスに行き、カンクンまで移動して、そこからキューバに行くことにする。

旅行会社に再度行き、それができるか聞くと、できると思います、とのこと。

ただ、キューバとジャマイカのチケットをここで買って、ジャマイカ滞在中に一度ドミニカに行くというのは難しいという。

というのも、ジャマイカは入国時に滞在期間中の宿を聞かれるらしく、それを言えなければ場合によっては入国拒否されるというのだ。

これではロシアと一緒だ。2001年に日本からロシアに行ったときは、ビザを申請するのに、滞在中の宿をすべて知らせなければいけなかった。このときは旅行会社にすべて頼んだが、ビザもロシアを出国する予定日プラス5日ぶんくらいしか出なかった。

ジャマイカにはアメリカ人観光客などがけっこう行っているようなので、その点はらくちんかと思っていたが、そうではないらしい。

それならと、キューバとドミニカのチケットを頼む。ドミニカに2週間滞在することにして、うまくチケットが取れれば、その間にジャマイカに行くという算段。

クバーナ航空を使うチケットで、すべて込みで合計529ドル(約5万9千円)。これなら、予想金額の範囲内。これでOKする。

ただ、キューバに入るにはツーリストカードというのが必要なのでそれを事前に購入しなければいけないことと、かつ入国審査時には宿泊先を聞かれるので、事前に予約していくよう言われる。

ツーリストカードについては、キューバに行った証拠が残らないようにするためのものらしい。

例えば、アルメニアとアゼルバイジャンなども紛争を抱えているので、アルメニアのビザがパスポートにあると、アゼルバイジャンに入れなかったりする。その逆もしかり。

キューバの場合は、ツーリストカードを出すことで、旅行者がキューバに行った後に、キューバと国交のない国に行っても不都合がないようにしつつ(こうすることで、旅行者がキューバに来やすくしている)、キューバ政府は入国者を把握する、ということなのだろう。

このツーリストカードはキューバの空港でも取れるので(2008年2月11日付メキシカン航空で確認した人の情報)、空港で取る方法もあったが、こういう手続きは面倒で嫌いなので、ここで一括して頼む。

ぼくの場合、キューバからドミニカに一度出国して、またキューバを経由してメキシコに戻るので、ツーリストカードが2枚必要になる。1枚25ドルで合計50ドル。

結局、もろもろ込みで579ドル。支払いはドルでもペソの現金でもできたが、トラベラーズチェックでもOKとのことなので、トラベラーズチェックで支払う。さすがに2枚のIDは不要。

ただ、問題がもう一つ出てくる。メキシコに再度入国する際に、空港で日本に帰る航空券の提示を求められるというのだ。当然、そんなものは持っていない。第3国でもいいらしいが、比較的安い隣国のグアテマラでも片道が400ドルする。しかもキャンセルの払い戻しは不可。

日本行きのチケットで払い戻しがきくチケットとなると、いわゆる格安航空券ではなく、正規料金のチケットとなるので2500ドル(約28万円)すると言う。ちょっとあんた28万円って・・・。

航空会社でこれを買って払い戻しをすれば、ちょっとした手数料以外はほぼ全額戻ってくるらしい。このチケットをここの旅行会社で買い、払い戻しの手続きもしてもらうことはできるが、その場合150ドルくらいの手数料がかかるという。

これにはどうしようかと迷い、とりあえず他に情報を集めないとわからないと思い、キューバなどに行くチケットのみ買い、帰る。

すでにこの時点で17時を過ぎていた。行きたかった地図専門店や観光どころはすでに閉まる時間。

しょうがないので、宿の近くをふらつく。例の鶏の足を売っていた屋台を探すが見つからず。うまそうな汁物を出している屋台があったので、そこに入る。

メニューについてきくと、ケースに入った鶏の部位を見せながら、これはこの部位を使ったものとスペイン語と素振りで教えてくれる。見た目20代後半から30代くらいのおにいさん。ほんとに丁寧だ。

それで、ぼくはRabadilla(ラバディージャ:29ペソ)を注文。注文したら1分後くらいにどんぶりが出てくる。それもそのはず、調理は必要なく、既にゆがいていた鶏の部位をどんぶりに入れ、そこにスープをそそぐだけだ。

スープは澄んでいて、塩加減もいい。香辛料などは使っていないよう。

食事台にあるボールに入ったタマネギ(みじん切りになっているもの)とハラペーニョと葉物を混ぜたもの(めちゃくちゃからい)、リモ(すだちに近い)を好みで入れて食べる。

他にトルティージャとパンが選べて、ぼくはトルティージャを注文。

鶏が丸ごと入っているようなものなのだが、隣のおばちゃんは手で鶏をつかみ、肉を取っている。靴のひもを結びなおしたりしたぼくの手ではちょっとそれはまねできないなと思い、ぼくはスプーンで肉をこそぎ、骨が出てきたところで、骨をつかみかぶりつく。

隣のおばちゃんとおじちゃんはスープが3分の1くらいになるとスープを加えてもらっている。店主はぼくにもスープを足すか聞いてくる。それからなくなっていたトルティージャも足すかと聞いてくる。ぼくの腹はだいぶ膨れていたので、もういいと手を振る仕草をして、断る。

ぼくが食べ終わった頃には、年輩の夫婦連れが来たので、そこそこお客さんがついているようだった。

腹がいっぱいになったところで、甘い物が食べたくなったので、路上で売っていたケーキを買う。プリンのようで、味も日本で売っている濃厚プリンをもっと濃くして、もったりさせた感じ。まぁまぁうまいが、もう一度食べたいと思うほどではない。

それから、ネット屋に行って、キューバ情報やカンクンのユースホステルなどを調べ、21時頃宿に着。

メキシコシティ3日目はいわゆる観光をすることなく、終わった。

2008.2.13.
メキシコシティからアップ

2008年2月12日火曜日

金欠になる+トロツキー博物館ーメキシコシティ2日目

2008.2.10(日)午後

テオティワカンの遺跡を昼前に後にする。そのままバスで帰るのもつまらないので、適当に歩く。左に高速道路、右手奥にはサッカーをしているグランドが見える。最初道路沿いを歩いてたが、安全を考え、一段したにある草地を歩く。しばらくするとでかいトラクターの手入れをしているおじさんがいた。Hola!(オラ)=こんちわと声をかけられたので、Hola!と返す。

街にはいり、うまそうなものがあったので、買おうかと思うが、ペソがないことに気づく。テオティワカンがただのつもりでいたので、飯代と往復のバス代ちょうどしかペソは持ってなかった。その飯代が消えたので、帰りのバス代しかペソは残っていない。日曜と言うともあり、また田舎ということもあり、両替屋は開いていない。ATMはあるが、飯代を引 き出すにはレートと手数料を考えるともったいない。

財布にはドルが入っていたから、ドルでなんとかできるかと自分で納得する。

歩いていたら右手前方奥に街が見えたので、そちらの方へ。店が並ぶ道を歩いていくと、小さな広場がある中心街に出た。ここにもメルカド(市場)があったので、進入。お昼時でみんな飯を食っているので、のぞいていると総菜屋のおねえさん(というか子どもというか)が、肉の試食をすすめてくる。沖縄のラフテーのように煮込んだもので、うまい。これは醤油ではないだろうに、ほとんど同じ味だ。

店主のおばさんが何やら言ってくる。それでスペイン語でわからないと言うと、ゆっくり話してくれるがやっぱりわからない。せっかくなので、そこの総菜を買うことにする。ノパレスという食用サボテンの葉を使ったサラダと試食した肉。財布にペソがなかったので、ドルでいいかと聞くと1ドル=10ペソでOKしてくれた。

最初サラダを頼むと200gくらい適当にビニール袋に入って1ドルだった。それだけではと思い、それからちょっと間をおき肉を頼むと300gくらい包んでくれた。細かなドルがなかったので、20ドルわたすとおばさんはお釣りは100ペソ(=10ドル)でいいかという素振りをする。あんた肉料理したやつが10ドル(1100円)なんて、日本でも高いわ。と思いながらも、なんかにこやかな顔でこっちを見てるので、しょうがないボーナスじゃとOKする。予定外の出費に、このあとまた困ることになるのだが。

おばさんはさすがに悪いと思ったのか、OKしたあと、もう一つアボカドで作ったソースを付けてくれた。

広場でこれを食す。やっぱり箸を持ってくるべきだったなと思いながら、しょうがないから手で摘みながら食べる。肉は内蔵(小腸?)も混ぜてくれるよう頼んだので、いくつかの部位が入っていた。けっこう塩気があるので、ご飯かパンかがほしくなる。

サラダの味もちょうどいい。ベトナムやタイのサラダと同じようにパクチー(だと思う)を使っている。アボカドのソースは口にしたら、即舌がしびれるくらい辛い。これはハラペーニョがかなり使われてそう。完食できる量かと思っていたが、肉は塩気が強すぎてだんだん気分が悪くなってくる。できるだけ食べたが、完食できず。残りは残飯に。アーメン。

腹が膨れたので、帰りのバスに乗ることにする。道中、シティ行きのバス乗り場らしきポイントがあったので、そこからバスに乗る。24ペソ。行きよりも7ペソ安い。バスは行きよりもいいのに。会社が違うのか?

来るときとは違うルートをバスは通った。いつの間にか寝る。目が覚めたらシティの地下鉄駅のところだったので、あわてて降りる。

今度は、地下鉄で中心部から10kmほど南にあるトロツキー博物館に行く。

トロツキーは言わずとしれたロシア革命の重要人物。スターリンを批判して、各地を転々とし、晩年をメキシコで過ごし、ここでスターリンが放った刺客に殺された。

ということを、ガイドブックで知った。トロツキーは前から気になっていたけど、何も読んでいなかった。

地下鉄の駅から20分ほど歩いてたどり着く。表には2m四方はあろうかというトロツキーの顔写真の垂れ幕がかかっている。

30ペソ(約350円)で入館。チケットの肖像は野口英世に似ている。

トロツキーの博物館で一番驚いたのは、すべての展示物の解説に英語が併記されていること。メキシコではどの博物館に行っても、テオティワカンをのぞきたいていがスペイン語だけの解説になっていたので、ここもそうだろうと思っていたが、見事に裏切られた。小さな博物館なのに、それだけ外国人を意識しているのか、それとももっと他の力が働いているのか?

それから予想外だったのが、1人や2人という単位ではあるが、来館者が次々と来ること。それも地元の学生くらいの年代や中学生くらいの子もいる。メキシコも革命を経た国なので、そのお国柄なのだろうか。

1時間ほど見てまわって、次にここから歩いて3分ほどのところにある画家フリーダ・カーロの博物館に行く。ここも45ペソ(約500円)。

フリーダ・カーロという名前は前に聞いたことがあったが、この人がメキシコ女性の画家とはしなかった。そして、共産主義思想の持ち主で、トロツキーとも親交があったことも。

もっともぼくが彼女の博物館に行きたいと思った大きな理由は、あの眉毛だったのだが。右と左の眉が切れ目なく続いている彼女の肖像画や写真を見て、おお同志よ!と思ったのです。これは行かねばならぬと思い、入館料の高さにちょっと戸惑ったけど見て良かった。

彼女はメキシコを代表する画家ディエゴ・リベラと暮らしていたのが、そのリベラの絵もある。

博物館を出て歩いていくとまたメルカド(市場)に出会う。ここはCoyoacanという地区だが、この地区のメルカドがある。また進入して歩いてたらうまそうなものがある。しかし、またもやペソ切れ。あのとき100ペソでOKなんかしないで、適正価格まで落としてもらえば良かった、なんて思っても後の祭り。

しょうがないから、食事をしたい店の人に事前にドル払いでいいか聞いてchevichesという料理を頼む。

トマトソースの中に、ゆでたエビとスライスしたタマネギ、アボカドを入れた料理で、食べた感じはトマトジュース。でも、うまい。

それで4ドルを渡すと店の人は困った顔をして、上司を呼んで相談している。どうも先に話したことが通じてなかったよう。でも、すんなりOKが出て、アディオス。

市場の先には教会と広場があって、広場には露店がたちならび、大道芸が行われていた。芸人は観客の子どもを巻き込んで芸をする。子どもが芸人に促されてする滑稽な動きに周りは爆笑。

広場の別のところでは、先住民の儀式みたいなものが行われていた。

帰りはメトロバスという乗り物に乗るが、チケットの買い方がわからず苦戦。見張りのおじさんが教えてくれた買うことはできたが、なんだかICカード式になっているようで、ガイドブックに乗っていた金額の4倍のカネがかかった。未だにどういうことになっているのかわからず。

宿に20時頃帰り、近くのネット屋さんで1時間(10ペソ)ネットをして、帰着。

おしまい。

P.S.
写真をアップするのに時間がめちゃくちゃかかるので、また明日にでもアップします。

テオティワカン遺跡へーメキシコシティ2日目

2008.2.10(日)午前

昨晩、1時過ぎに寝たのに7時過ぎに目覚める。
今日は、キューバ行きのチケットを買いに行こうかとと思っていたが、日曜で会社が閉まっていることに気づき、予定変更。早く目覚めたことだし、テオティワカン遺跡に行くことにした。

『地球の歩き方』には日曜は入場料無料だが、そのぶん混むとあったが、早く行けばきっと少ないだろうし、手元のペソも少なくなっていたので、ちょうどいいだろうと思い、朝飯も食わずに8時ちょっと前に宿をでる。

宿から1分ほどの地下鉄の駅から地下鉄に乗り、終点のIndos Verdes(インドスベルデス)で降りる。地上に上がる階段が、改札を出て左右に2カ所あり、左の方にまず出る。地上に出たところにバスがあったので、ピラミッドに行くか聞いたら、Noと言い、反対側だというようなことを言う。それで反対側の出口に出て、また待機しているバスの運転手にピラミッドに行くか聞くと、もっと向こうのバスと言って(たぶん)、指さす。

そちらの方に行くと、確かにPiramidesとバスのフロントガラスにあり、車体にはテオティワカンの象徴的な
意匠があり、ローマ字でTeotihuacanとあった。

すでに乗車する人の列ができている。列で並んでいる間に、道ばたの店でメキシコスタイルのサンドイッチを買う。中身はトマトとタマネギと卵焼き(というか揚げに近いけど)。13ペソ。

バス代は31ペソ。歩き方に載っている値段よりも高い。

トウキビ畑などを眺めながらバスは行く。てっきりみんな遺跡まで行くかと思っていたら手前の停車場で続々降りて、結局遺跡まで乗ってたのは2人ほどだった。ぼくの他は英語を話す親子らしき2人組とメキシコ人の親子。

バスを降りて10mほど行くと小さな管理小屋みたいなのがあって、その前に制服を着たおじさんがいた。管理小屋には代金等が書いてあったが、歩き方に日曜は無料とあったので、素通りすればいいのかなと思っていたら、前を言ってた外国人連れがカネを払っているではないか。その次に並んでいたメキシコ人はIDを見せて、カネを払わずに入っていった。要するに無料というのはメキシコ人だけだ。おい、歩き方!

それで45ペソ(約500円)払って入る。20mほど歩くと、今度はチケット切りの人が立っていて、その人がチケットに穴を開けてくれる。敷地にはいるといきなり土産物屋。メキシカンハットや絵はがきなどが売られている。それをとおるとガイドなどの受付窓口がある。ガイドを頼むほどのカネを持ってきていなかったので、ガイドはパス。だが、地図がないか英語で聞くと折りたたみのパンフレットをくれた。が、スペイン語。英語版はないらしい。

その建物を出ると目の前奥に月のピラミッドが見え、左の奥には太陽のピラミッドが見える。思わず、おおぉ、っと声がでる。想像よりも巨大、かつ広大。サッカー場なんて20面は軽くとれるんじゃないかという広さ。20万人以上の人口を抱えていたという推測もうなづける。

早速、月のピラミッドを上る。階段の高さが30cmほどあるため、ほとんど片足でフルスクワットをしているような感じ。傾斜も45度以上はありそうなので、ちょっとバランスを崩すとまっさかさまに落ちそう。かつ階段の石はボコボコしているので足下を常に見ていないとバランスを崩しそう。年輩の人や子どもの中には手をつきながら上っている人もいる。

息もきれぎれで(ここらは標高2000m以上)上る。壮観。しかし、向こうに見える太陽のピラミッドはもっと高い。

移動し、太陽のピラミッドに上る。こちらからの景色も圧巻。テオティワカンの遺跡の敷地が360度見渡せる。やはり広大。てっぺんには50人ほどいて、なにやら手をつないで瞑想している人たち(ヨーロッパ系)やメキシコ人の団体客や家族連れ、中国人10人ほどの客、日本人3人グループなどがいる。

この遺跡で感心したのは積み上げられている石がみんなバラバラの形をしていること。どうやって60mも積み上げたのか気になる。

10分ほど眺めて下る。下ったところにはテオティワカンの置物やアクセサリー、鳥の鳴き声がする笛などを売る先住民系のおじさん、おばさんが10人ほど待ちかまえている。

あるおじさんは「安いよ、高くない」と日本語で売り込んでくる。

ぼくはいらないと手を振りながら通り過ぎ、敷地内にある博物館に向かう。博物館では入り口でスペイン語でフラッシュはダメと言われる。

展示物の中にはカカオの実を象ったアクセサリーみたいなものがあり、数千年も前からカカオがこの地で食されていた(?飲まれていた?)ことがわかる。また、内陸にあるにもかかわらず、貝殻で作ったアクセサリーもあり、当時の交易が伺える。

その他、発掘された白骨も展示されており、改めて本当に人々が暮らしていたんだなと感じる。

つづく





2008年2月10日日曜日

グアナファトからメキシコシティへ

2008.2.9(土) 19:05 メキシコシティより

今、メキシコシティです。ネットカフェというか本屋兼文具屋
の中にあるパソコンを使って入力しています。入り口に"日本語で入力できます"と日本語で書かれており、また1時間10ペソ(120円くらい)と安かったので、ここにしました。近くに日本人宿があり、今日から4泊します。 日本人しか泊まらせない宿で非常にきれいで、日本語の本もたくさんあります。外国まで来て、日本人ばかりの環境に入るなんて、あまり気が進まなかったのですが、1泊9ドルという安さとバスターミナルからの行きやすさ、それから荷物を預かってくれるサービスをしているということで、ここにしたところです。

さて、今日(2/9)のこと。
今日は、バスで2泊したグアナファトからメキシコシティに移動。

朝は寝坊し、8時40分ころに起き出し、慌てて昨日の夕方4時過ぎに行った時には閉まっていた郵便局に行く。宿の人の話では"たぶん"8時半には開くと言っていたが、本当にすでに開いていた。切手は、昨日市街地から離れた郵便局で買っていたが、どうもそこで買った切手では金額不十分だったようで、新たに買い直すことになる。昨日の窓口の
おじさんは親切だったんだけど、金額を間違えるなんて。切手は買い足せばいいと思っていたのですが、どうも差額の切手がないようで、全額買い替え。交渉できるほど言葉もできないし、時間もないので、相手の言うがママに買い直す。

それから宿に戻ってチェックアウト。
ここの宿は部屋のカギもなかったので、荷物を持ってアディオスと言ったらチェックアウト完了。

メルカド(市場)前にあるバス乗場まで歩く。石畳のまちを10分ほど。ちょうどバスターミナル行きのバスが来たので、それに乗る(4ペソ=60円くらい)。9:40

20分ほどで中央バスターミナルに到着。8社ほど並ぶバス会社の中から、適当にメキシコ行きの案内が書かれているバス会社を選ぶ。ちょうど20分後の10:20発のバスがあったので、それに乗る(282ペソ=約3000円)。

時間通りに乗車。客は6人ほどしかいない。グアダラハラから乗ったバスよりも1ランク落ちるバス会社のようで、さすがに水やお菓子などのサービスはない。しかも車内がちょっと小便臭い。座席は広々としてい良い。客もいないから2席分に陣取る。

10:25に発車。

車窓からはトウモロコシが刈られたあとの広大な畑やキャベツ畑、牧草らしきものが植わっている畑が見える。また、道路沿いには農産物を売る人が見え、特にいちごが直径20cm、高さ40cmくらいのかごで売られている。

しばらくして バスのテレビがつき、会社のコマーシャルが流れたあと、エディマーフィ主演の映画が始まる。スペイン語の字幕で、声はそのまま。ぼくはいつのまにやら眠り込む。

4時間たった15時くらいになると、車線が多くなり、車も増える。メキシコシティに入ったよう。

そして、乗車から4時間半後の15時半頃、メキシコシティの北バスターミナルに到着。さすがに首都。ターミナルもでかい。バスが50台くらい並んでいる。

今日も宿をとっていなかったので、ターミナルの建物の中にある電話屋兼ネット屋でユースホステルを探すが、日本人宿もよりも安いところがなかったので、日本人宿に行くことにする。ただ、ここもけっこう混んでいて事前に予約をしておいた方がいいとガイドブックにあったので、念のため電話してみるが、公衆電話はぼくのコインを3ペソ分のみ込んだまま、うんともすんとも言わない。

そこで、人間がかけてくれる電話屋さんで、ガイドブックの番号を見せ、つないでもらうが、どうもつながらないよう。

それでしょうがないから直接行くことに。

バスターミナルには地下鉄の駅が直結しているので、地下鉄で行くことにする。窓口で行き先を告げ、チケットを買う(5ペソ)。グアダラハラの地下鉄は自動販売機で、お金を入れると専用のコインが出てきて、それを入り口の機械に入れると回転式のバーのロックがはずれる仕掛けだったが、ここは日本と同じ紙のカード式だった。

ただ、違うのは入る時に紙のチケットを入れるとそのまま飲み込んでしまい、日本の自動改札のように出てくることはない。

改札を入ると地下道があり、タコスなどの店が並ぶ。

目的地に向かうホームに立つと人、人、人。入ってきた電車もいっぱいで、1本見送る。次の電車も混んでいたが、ぼくが乗れるくらいのスペースはあったので、乗り込む。しかし、次の駅などで新たに乗ってきて、けっこう窮屈。東京のような鮨詰めではないが、足場は気にしないと人の足を踏んでしまいそうな位だ。

宿がある中心地近くの駅で降りる。

宿を探してきょろきょろしていると、食堂のおにいさんがスペイン語で声をかけてきて、なにやら言う。その中に"ハポネス"という言葉があったので、"Si"というと、スペイン語で何やらいいながら、仕草でその先を右に曲がれと言う。

そうして宿に到着。暗くなる前に着いたので良かったわ。

ブザーを押すと、20代位の日本人の管理人が出てきて、中に入れてくれる。前金で4泊ぶん払い、6人部屋に通される。やっぱり日本人だらけの空間というのは、違和感があるなぁ。

荷物を置いて、町に出る。

やっぱり首都だけあり、また世界でも最大の人口を抱える都市の中心部ということもあり、物量はすごい。

つづく。