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2009年7月2日木曜日

[diary]キガリ虐殺記念館、ウガンダへ

キガリ虐殺記念館、ウガンダへ

08/09/25(木) 曇りのち雨 20℃程度
[Kigali:Rwanda→:Uganda]
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン

・キガリの虐殺記念館
・人をはねる
・ウガンダ入国
・カンパラ行きのバスなし
・バスで夜を明かす

朝は7時前に起床。それから昨日は食わなかった朝食を食いに本館に行く。朝食付きだなんて昨日は忘れていた。朝食はロールパンと卵いためと生野菜とコーヒーのみ。なんだか寂しい。

本館にはインターネットコーナーがあったので、そこのネットで30分ほどネットをする。ネット代は30分で300ルワンダフラン(約60円)。

宿代が高いので、60米ドルものビザ代を払いながら、今日ルワンダを出てしまうことにした。今日、宿を出る旨をフロントに伝え、チェックアウト時間を聞く。朝のうちに宿代2泊分を払ってしまいたかったのだが、あいにく両替しないと持ち金がない。というわけで、まずはフロントの人に、近くに両替屋がないか尋ねる。歩いていけるところにあるというので、教えてもらった方へ行ってみると、あるにはあったが、まだ準備中だった。

今日のキガリも昨日に引き続きパッとしない天気。空には雲がドヨドヨしている。半袖で歩くには肌寒く、長袖のシャツやカーディガンを着ているも目立つ。

両替屋の開店は1時間後の9時だというので、しばらくプラプラ散歩することにする。通りをフルフェイスのヘルメットにビブスをまとったバイクタクシーが走り回る。まだ8時過ぎということでか、車はそこそこ走っているものの通りを歩いている人は少ない。中心部のほうに向かって歩いていくとショッピングセンターみたいな建物を発見。見学するために入ってみる。入り口付近に警備員がいたが、何も言われず。

その建物は3階建て程度の横長の白い建物。中に入ると広い廊下があって両脇に店が並んでいる。まだオープンして間がないのか床も壁もピカピカ。天井のライトが床に反射して輝いている。だが、こちらもまだ開店時間がきていないようで開いている店はほとんどない。開いていたのは24時間営業の食品スーパーのみ。ここの入り口にも武装した警備員がいた。全体で言うと店の数も少ない。適当にぶらぶら見て回ってからこの建物を出る。

改めてキガリのまちを見ていると面的には小さいけれどもけっこう近代的なビルが多いなぁと感じる。それもわりと新しい建物があるし、建築途中のビルも何棟かある。きっとこれらは大虐殺が終わって後に造られたものなのだろう。基本的には2階建てのコンクリート作りのアパートのような建物があちこちにあって、そこが店だったり事務所になっていたりする。街路樹が多く、道にごみもほとんど落ちておらずなかなかきれいだ。

歩いていたらKIGALI A-Z BOOK CENTREという本屋を発見。ここはすでに開いていたので中をのぞいてみる。フランス語や英語で書かれた本に加えて地元の言葉で書かれているものもあり。だが、値段はけっこう高い。

さらにぶらぶらしていると両替屋を発見。こっちの方が宿近くの両替屋よりも若干レートが良かったので、ここで両替する。1米ドルが550ルワンダフラン。ちなみに1ユーロは760ルワンダフランだった。

お金ができたのでちょいと買い物。さっきの本屋に行って絵はがきを2枚購入。1枚500ルワンダフラン(約100円)。パイナップル1個よりも高い。

それから郵便局に行って切手を買う。葉書用の切手は日本まで450ルワンダフラン(約90円)。それから映画「ホテルルワンダ」のモデルとなったホテルに歩いて向かう。キガリの道はまっすぐになっておらず、上から見ればちょっと入り組んだ放射線状にでもなっているのではないかと思えるような造りなので、方向感覚だけで歩いているとなかなかたどりつけない。しかも坂道が多いから道を間違うと面倒。

迷っている時間もないので、ちゃんと地図を見てホテル近くの目印になる建物にまず行くことにする。キガリの路上には食べ物の屋台がほとんどないので、こうして歩いていてもつまみ食いすることができない。そうやって真面目に歩いていたらなんとかホテルに到着。ホテルは10階建てくらいで薄い落ち着いたベージュ色をしている。敷地の入り口には警備員の詰め所があって、その前を高級車っぽい車が颯爽と入っていく。中を見学させてもらおうかとも思ったが、今日はまだ行きたいところがあったので、外観を眺めるだけでここを離れる。

ホテルの前を離れて歩いていたら道端で雑誌を売っているおじさんがいた。見ると英語の雑誌も売っていたので値段を聞くと4000ルワンダフラン(約700円)などと言う。高すぎる。なので無視して去ろうかとしたらいくらだと食いついてくるので、1500ルワンダフラン(約300円)とふっかけると安すぎると言ってひかない。何度か繰り返して結局2500ルワンダフラン(約500円)で買うことにする。どうせどこかで拾って来たものなのだろうが、まぁおじさんの生活の足しになればと思い妥協する。

その近くでバイクタクシーをつかまえ、キガリにある虐殺記念館に連れて行ってくれるよう頼む。そこまでいくらかかるか尋ねると400ルワンダフラン(約80円)というので後ろにまたがる。キガリの虐殺記念館(Kigali Memorial Centre)は中心部から東(たぶん)のほうに外れたちょっと小高いところにあった。ここはそのために建てられたらしいきれいで立派な建物だった。外見は瀟洒な豪邸という感じ。

記念館の敷地の入り口前でバイクから降り、運賃を支払う。その入り口には警官らしい制服を着た男が2人ほどいて検問をしていた。ここで荷物のチェックがあり、たまたま持っていたアーミーナイフを預けることになる。

記念館の入場料は無料。中に入ると昨日行った記念館とはまったく違っていて、内装もレイアウトも凝っている。大虐殺までの歴史的流れから当時の様子、生き残った人たちへのインタビュー、あるいはツチ族をかばったフツ族の人の話などを文章と写真、映像などで紹介し、さらに虐殺後発掘された白骨遺体の頭部や殺された人々の所持品なども展示している。さらに世界各地で起きた虐殺のコーナーもあった。そこではナチス支配下でのユダヤ人虐殺やオスマントルコ帝国下でのアルメニア人大虐殺、カンボジアのポルポト政権下での大虐殺などなどについての簡単な展示がなされていた。

この大虐殺が起こったのは1994年。当時、ぼくは高校生で新聞はスポーツ欄しか見ないという人間だったから新聞などで詳しく追っかけるようなことはしなかったが、それでもなんだかすごい虐殺が起きているというようなニュースは入ってきていたように思う。ツチ族とフツ族という名前はそのときに聞いて覚えたように思う。

ルワンダの大虐殺を改めて知ることになったのは、映画「ホテルルワンダ」の日本での上映運動だった。時は2005年だったか、たまたま家でラジオを聞いていたら運動を立ち上げた人が招かれて話をしていた。同世代の人が運動をやっていたということもあるが、他の国々ではすでに上映されているのに日本では映画界の判断で上映される予定がまったくないという話に引かれ、上映運動について調べてみることにした。結局、ぼくがしたのは署名だけだったけど、この後、日本でも上映が決まり、各地で上映されることになる。上映運動が映画界の見込みを覆したのは、なかなか良かった。が、ぼく自身はどういう事情だったか映画館で見ることなく、この旅行の前にレンタルDVDで見たところだった。

こうして展示を見ていたら、新たに知ることも多い。説明文はフランス語と英語と地元語なので、読んでいると疲れるのだけれど、たとえばツチとフツという分け方自体が、ベルギーが侵出して来る前にこの地に侵出したドイツ人が適当にやった名残でたいしてはっきりとした根拠があるものではなかったという事実は、この虐殺の悲惨さをより強く感じさせる。すらすらと説明文を読めるわけではないので、本当なら1日くらいかけてゆっくり見たいのだが、高い宿に泊まり続ける気にならないので、2時間ほど見て記念館を出る。入場料無料なので、寄付を少々。

Kigali Genocide Memorial Centre
http://www.kigalimemorialcentre.org/old/genocide/index.html

記念館に隣り合って売店があったので、そこで冊子を購入。これがまた高い。20 米ドル(約2200)もした。買うかどうか迷ったが奮発する。

バイクタクシーに乗って宿に戻り、荷物を整理してチェックアウトする。

宿前からまたバイクタクシーに乗ってバスターミナルへ。

バスターミナルをふらつき、ウガンダとの国境に行くバスを探す。当然ながら車が多すぎてどれかわからないので、適当に人に聞いて教えてもらう。

そんなに手間取ることなく目当てのバスを発見。昼飯を食っていなかったので出発を待っている間にビスケットを買う。ダンボールやお盆にそうしたお菓子を載せて売って回っているおばさんから買う。買ったビスケットはビスコサイズで、なぜか袋には貴乃花が写っている。

バスにはいろんな物売りの人がやってくる。シャツを買わないかとかジャンパーを買わないかとか靴を買わないかとか、なかなか対応も忙しい。

結局、出発まで1時間ほど待ち、バスは14時ごろ発車。国境まででバス代は2000ルワンダフラン(約400円)。

しばらく走っていたらぽつぽつと雨が降り始め、そのうち土砂降りのようになる。例のごとく山あり谷ありの曲がりくねった道。道がそういう状態だから当然見通しもきかない。それに加えて車のワイパーは片方しか動いていないからさらに見通しが悪い。それでも順調に走っていたのだが、右に曲がるカーブに差し掛かったとき、前方で一人の男が道路を横断する。雨にできるだけ濡れまいと首をすくめて駆け抜ける。“おいおい、あぶねぇなぁ”と思っていたら、彼に続いてまた別の男が路上に走り出してくる。しかも彼は車の往来をまったく確認せずにいきなり飛び出してきた。一応、彼は駆け足だが、目に入った瞬間“ぶつかるんじゃん?”というタイミングだった。運転手も驚いてブレーキをかける。だけど、ブレーキを踏んでいないのじゃないかと思うくらい車はたいしてスピードを落とすことなくスルスルと走っていく。おいおい、と思わずぼくは運転手を見る。でも、顔は驚いているから止めようとしている様子。でも、実際にはブレーキがきいていない。“アァ、こりゃぶつかるよ”と思っていたら、フロントガラスに走っていた男がぶつかる。カエルが仰向けになったような感じで、腕は万歳状態で、足はパーって状態でフロントガラスに一瞬張り付く。車は男の後ろからぶつかったので、男はフロントガラスに張り付いた後、道路にうつ伏せになって倒れる。その瞬間、沿道で雨宿りしていた彼の友人らしき男たちが、ワーッと騒ぎ出す。運転手は目を見開いてフーフーと激しく呼吸をしている。

“あいや~”と思いながら、男を見たら彼はうつ伏せになって倒れた次の瞬間、スタッと立ち上がり、道路の端の方へまた走っていく。そして、道路の脇の安全なところまで行って驚いて興奮した様子でこちらを見ている。幸いなことに血は流れていない。もっともくねくね道で上り坂だからたいしてスピードは出ていなかったんだけど、でも打ち所が悪くなくてよかった。

沿道にいた男たちからワーワーと何か言われるが、運転手はなんとかと言い返し、またアクセルを踏んで車を先へと進める。これで一件落着(?)。死ななかったから良かったけど、しかしあの人はあとであちこちが痛むだろうなぁ。

それから1時間足らずでウガンダ国境に到着。タクシーはここでおしまい。リュックをかつぎ、運賃を払う。

あいにく雨は降り続いていた。でも、かなり小降りになっていたのでラッキーだった。またリュックにカバーをして、イミグレに向かう。ルワンダの出国手続きはすんなり終わり、そこからちょっと歩いてウガンダ側に移動。ウガンダ側のイミグレでビザの申請書と入国カードを書いて提出。ビザ代は50米ドル。高いなぁ。でも問題なく、入国できる。入国後、国境の両替屋で両替。1米ドルは1500ウガンダシリング。

さて入国はしたものの、この先がどうなるのかよくわからない。あちこちにタクシーがあるだけでまちらしき雰囲気はない。適当にまわりにいるタクシーの運転手ではない人に、首都のカンパラに行きたいんだけどどうすればいいと尋ね、行き方を教えてもらう。それによるとカバレという町までタクシーで行けば、そこからカンパラ行きのバスに乗れるとのことだった。入国してくる人たちもタクシーに乗って移動していたので、ぼくも乗り合いタクシーに乗ることにする。タクシー代は3000ウガンダシリング(約200円)。

カバレのまちには30分ほどで到着。

しかし、運転手は不親切なことにバスターミナルではなく、適当な道端でぼくをおろす。余計にカネを取られるのも嫌だからしょうがなくそこで降り、タクシー代を払う。そして、バスターミナルはどこか教えてもらい、そちらに向けて歩き始める。

カバレの町は商店や露店も多く、意外ににぎやかだった。バスターミナルに着くまで何人かに確認し、ようやくターミナル到着。サーカー場の半分くらいの敷地を取り囲むように商店やバス会社の事務所があり、真ん中は駐車場になっていた。

バスの絵が表に書かれてあるところを探し、バス会社の事務所に行く。ドアのないフルオープンの事務所だった。そこでカンパラに行きたいんだがと言うと、今日はもうカンパラ行きのバスはないと言う。ぼくの皮算用では夕方発の夜行バスに乗って、明日の朝にはカンパラに着くというものだったが、それがあえなく壊れる。他にバス会社がないか探すがない。

しょうがないので今日バスに乗ることはあきらめる。それで明日は何時発なのかと尋ねると朝の3時だとか言う。バス会社の人はホテルを紹介するからそこに今晩は泊まって明日の朝ホテルの前までバスが行くからそこで乗ればいいというようなことを言うが、3時だったら眠らずに起きておかないと逃す可能性がある。だいたい口で何時だと言っても容易には信じがたい。できるだけ早くバスに乗り込み、自分の席を確保しなければ椅子に座れない可能性もある。そんなふうに考えていたら当然ホテルに泊まるなんてもったいないので、タンザニアであったようにバスの中で寝られないかと尋ねる。が、これを許してくれない。

夜中までは時間があるので、ここからカンパラに少しでも近い町まで行って、そこでバスを乗り換えるという方法で行こうかとも思うが、だいたいこうした乗り継ぎ法を採用すると結局高くつくことが多いので悩む。

しばらくの間、あれはどうだ、これはどうだとあれこれ考える。そして、結局はここで夜中まで待つということにする。夜中にバスがあるならここも人がいなくなるということはないだろう。バスのチケットは買って、それで持ってバス会社の事務所が開いている間はずっと事務所にいて、追い出されたらその辺でバスを待とう。そういうふうにすることにした。バス代はカンパラまでが18000ウガンダシリング(約1200円)。

雨はあがり、外はまだ明るい。町を見て回りたい気分なのだが、なんせ荷物が多い。リュックを背負い、小型リュックを片手に持ってぶらぶら歩きにはなれない。というわけで、事務所の入り口の段差のところに座って、メモ書きをしたり、本を読んだりして時間を潰すことにする。今日はビスケットしか食べていないし、新しい国に入ったから何か食いたいところだが、バスにはトイレがついていないだろうし、実際のところカンパラまでどれくらいかかるかわからないので我慢する。

暗くなったらぽちぽち電気がついたが、本を読むには厳しかった。なので、あたりを眺めたり、蚊と格闘したりしながら何をするでもなく時間が過ぎるのを待つ。

こうして夜は更けていったのであった。

FIN

2009年7月1日水曜日

[diary]ムランビ虐殺記念館へ

ムランビ虐殺記念館へ

08/09/24(水) 晴れのち曇り
[Kigali⇔Murambi:Rwanda]
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン

・虐殺記念館へ
・安いパイナップル

7時ごろ起床。外からはバイクが走る音が聞こえる。

昨晩も考えていたのだが、宿代が1泊2000円もするので、ルワンダはなるべく早く抜けることにした。なのでガイドブックなどを見ながら生きたいところを絞り、向こう2~3日の予定を練る。時間ほどあれこれと考えて、支度をしてでかける。今日はギコンゴロというところにある虐殺記念館に行くことにした。

昨晩降っていた雨はあがってはいたが、すっきりとした晴れというほどではない。宿の前でバイクタクシーをつかまえ、バスターミナルに向かう。ルワンダに来て驚いたことのひとつはバイクタクシーの運転手がヘルメットをかぶり、かつそれとわかる統一されたビブスを着ていること。これは珍しいと思う。ちなみにバイクの数はそもそも人口が少ないからか混雑するほどあるわけではない。どちらかと言えば少ない。

下り坂をくだり、右のほうへ行くとバスターミナル。ここでタクシー代400ルワンダフラン(約80円)を払う。昨日とはまた違うターミナルでこちらの方が車も多く、にぎやか。行き先ごとに乗り場が決まっているようだが、どこからどこ行きが出ているのかはわかりにくい。車に行き先が書かれているのでそれを見ながら探す。バスターミナルと書いたけれども、ここにあるバスはほとんどが大型ワゴン。いわゆるバスタイプの車はほとんどない。

歩き回っていても乗るべきバスが見つからないので、客寄せでよってくる男たちに行きたい場所の名前を告げ、どのバスがそれなのかを教えてもらう。聞くとすぐに教えてくれ、バスまで案内してくれる。

バスは先も書いたように12人ほど乗れる大型ワゴン車。時刻表はなく、客が集まったら出発というスタイルのよう。乗り込む前に運転手に運賃を聞くと目的地までは2000ルワンダフラン(約400円)だと言う。すでにほぼ満席状態だったため窓際の良い席はとれず。待っている間には物売りの人たちがやってきて、パンを買わないか、ビスケットを買わないか、服を買わないかと客に物を見せて回る。

幸い20分ほど待っただけで車は発車。時刻は9時だった。車は舗装された片道1車線の道を走る。道は坂が多く、曲がりくねっている。これだけ曲がりくねっている道を走るのはアフリカでは初めてだ。平地がほとんどない。

沿道には畑や田んぼらしき土地が見える。いくつかの丘の斜面には家がいくつも建てられていた。家はもっぱらコンクリート壁にトタン屋根と簡単な作りのものが多い。

13時ごろ、目的地に行くための分岐点に到着。ここで車を乗り換える。ちょうど車が待っていたのだが、すぐには出発せずしばらく待たされる。近くの売店のにいちゃんはぼくを見つけるとビールを買わないかと大きな声で何度も呼びかける。陽気なにいちゃんだったがビールは嫌いなのでパス。そのうちバスの準備も整い発車する。

分岐点から目的地までは1時間弱だった。ギコンゴロのまちのバスターミナルに到着。ここは駐車場やトイレ、売店などが整備されているそこそこ立派なターミナルだった。ここまでの運賃は500フランスフラン(約100円)。ただここで終わりではなく、目的の虐殺記念館へはまだ距離がある。時刻はすでに14時すぎ。結局ここまで来るのに5時間、半日近くかかった。歩いて行けない距離ではないと聞いていたが、時間が時間なのでバイクタクシーに乗ることにする。ターミナルにはたくさんのバイクタクシーが客待ちしていたのでそのうちの1台を選び、値段を聞いたうえで乗る。幹線道路を外れると道は未舗装の土道。自転車や歩いている人が多い。

15分ほどで虐殺記念館に到着。運賃500ルワンダフラン(約100円)を払う。

入り口の看板があり、そこには「MURAMBI GENOCIDE MEMORIAL CENTRE」とある。もともと学校だったか何か建物を改造して作ったようで、そこだけ広々としている。バイクから降りたら中からおじさんが出てくる。身長は180cmくらいあるが頬はこけ、かなり痩せている。年季のはいったスーツ姿でのそのそと歩く。ぼくはそのおじさんを見て、思わずギョッとしてしまう。おじさんのおでこには明らかに銃で撃たれた痕があったのだ。それはどうしたのかと聞く勇気(?)はなく、きっとあのときにやられ、なんとか生き残ったのだろうと想像しながら、おじさんに促されるまま中へ入る。もう1人おばさんも出てきて、2人で案内してくれる。ここは虐殺された人々の死体を保存し公開している記念館ということだが立地が立地なのであまり人は来ていないよう。ぼくが着いたときも客は他にいなかった。

おばさんはフランス語を解すらしいが、ぼくができないのでおじさんの方が英語であれこれ話してくれる。しかし、このおじさんの英語はなまりと声質のおかげで聞き取りづらく、ほとんどわからない。ぼくが簡単な質問をしても「OK,OK」と言うばかりでちっともわかっていない。他の国では通じたんだからそこまでぼくの英語はひどくないと思うんだが、おじさんにはまったく通じなかった。

ここの記念館の敷地内には長屋風のレンガ造りの平屋の建物が数棟あるだけで、いわゆる記念館として新たに作られたような建物はない。敷地内に入るとまっすぐにその平屋の建物に案内される。おばさんが鍵を出し、1部屋1部屋の鍵を開け、おじさんがドアを開けて中に入るよう促す。

中に入ってみると薬くさい臭いがした。見ると細長い白い物体がいくつもある。なんだ? と思ってよく見てみたらこれが人体だった。ミイラのように骨と皮だけになった人体が折り重なって置かれている。白いのはどうも保存剤のようで、鼻につく臭いはこれが原因のようだった。おじさんはぼそぼそと何か言うがわからない。

1つの部屋を見たあと、次の部屋を案内される。そこもさっきと同じ。ミイラのようになった人体が置かれている。おじさんはその中から1つを指差し、あれは足を切り落とされた子どもだと教えてくれる。そう教えられてから注意して見ると五体のどこかが欠けているというものが目に入ってくる。その次の部屋もそうで、その次もそう。次から次へと同じような部屋を見せられる。

10部屋近く見せられたが、別の棟の建物の中にも同じように保存されているというからこれだけでもすごい数になる。次に案内されたのはコンクリート製の小型の体育館みたいなところで、そこには殺された人々が身につけていたものが保存されていた。もっとも、保存されているといっても棚にドカッと置かれているだけで、なんらの処置もなされているものではなかった。そこには元の形のまま残っているものもあればあちこちが破れたり、切り裂かれていたりしているものも多い。

それから外を案内され、大きな穴が開いているところまで連れて行かれる。そしてここに埋められていたのが、さっきの人体だと教えてくれる。

見学はこれでおしまい。最後に受付に連れて行かれ、ノートを渡され署名と寄付ができるならその金額を記入して欲しいといわれる。ぼくは記念館に2人も常駐がいるならけっこう財政的に大変だろうと思い、奮発して5000ルワンダフラン(約1000円)を寄付。
2003年にポーランドのオシヴィエンチム(アウシュビッツ)に行ったときは人の髪の毛や靴などが山積みされているのに息を呑んだが、ここもまた当時の悲惨さが思い計られ、なんとも言葉にはできない気分になる。

帰りは歩いて帰ろうとぼちぼち歩く。来たときと同じ風景を見ているのだが、あれを見た後ではなんだか見え方が変わる。もちろん物理的には来るときと何も変わらないのだが、道を歩いている人々や家の前で遊んでいる子どもたちを見ていたら、あのときこの人たちはどうしていたのだろうと気になってくる。現地の言葉やフランス語ができればちょっとした会話もできるのだろうが、あいにくぼくはフランス語は挨拶と数字くらいしか知らないし、現地語にいたっては何もしらない。

などと考えながらとぼとぼ歩いていたら、記念館にいたさっきのおじさんがぼくの後をついてくる。なんで? と思っていたら、おじさんは「自分にチップはないのか」とぼくに尋ねてくる。「さっき寄付したじゃん」と答えると、おじさんは「あれはあの女が全部とってしまうんだ」と言う。そんなこと今頃言われても…、と困る。おじさんは自分の額の左側にある銃痕を指差し、自分は虐殺のとき撃たれたんだとか仕事がないとか言って食い下がる。そんなこと言ったってその辺を歩いている人たちも同じように大変だったろうし、だいたいこっちは予定外に大きな寄付をしたからあまりお金の余裕がない。とは言え、自分が食べる飯代くらいはあるんだけど、たまたまあそこにいたおじさんにだけチップをやるのもなんだか周りの人に悪いし、だいたいおじさんの英語はまったくわからんかったから、はっきり言ってガイドになってなかったんだよなぁ。というわけで、おじさんには断り続け、諦めてもらう。

途中まで歩いたが、けっこうバスターミナルは遠いということがわかり、近くを走っていたチャリタクシーを捕まえ、乗せてもらう。坂道が多いのに大変な仕事だ。いくらかは乗せてもらったが、上り坂になると結局歩いたほうが早いこともあり、ゆるい下りだけチャリタクシーに乗って上りは歩く。チャリタクシー数百メートルの運賃は100ルワンダフラン(約20円)。

こうしてバスターミナルに到着。幸いなことにキガリ方面行きのバスはまだあった。まだ客が集まっておらず、しばらく出ないようなので、ここで朝飯兼昼飯兼夕食を食べることにする。ターミナル内にあったこぎれいな食堂に入る。メニューはいくつかあったが、内容がわからないので適当に頼むがどうも通じていない。そこへ店内にいた若い男の子が英語で通訳してくれる。彼を通じて注文。米にポテトフライ、茹でキャッサバ、肉、緑の葉炒めが1枚の皿に山盛りにされたものが出てくる。料理の写真を撮っているとさっきの彼がカメラを見せてくれないかと言うので貸す。すると画面を見ながらあちこちにカメラを向け、最後にはぼくの写真を撮る。彼らの写真を撮ろうかと聞いたが断られる。食事は700ルワンダフラン(約140円) 。キガリではこんな安い料理は見かけなかったからやっぱり田舎と首都ではだいぶ物価が違うのかと感じる。

食後、駐車場のバス近くでバスが出るのを待っていたら、物売りしていた女の子が商品を載せたお盆を見せながら何か買わないかと薦めてくる。野菜が多かったのでいまいち買えるものがなかったのだが、その中にレモンがあったのでレモンを買うことにする。レモン5個で250ルワンダフラン(約50円)。

夕方、16時半ごろバスは発車。また分岐点まで行き、そこで乗り換え。運賃はそこまでが500ルワンダフラン(約100円)。乗換えがうまくいくか心配だったが、幸いちょうどいい車があった。ワゴン車のバスに乗り換えキガリを目指す。運賃は行きと同じ2000ルワンダフラン(約400円)。

走り出して1時間もすると外は暗くなり、そのうち真っ暗になる。沿道には街路灯はないから車のフロントライトのみが頼り。途中、何箇所かで客を降ろしたり、乗せたりする。そうやって止まった場所では、果物やクッキーなどのお菓子を抱えたおばちゃんたちがバスにやってきて営業を始める。ぼくは、今日は寄付でだいぶお金を使ったから何も買うまいと思っていたのだが、乗客のがパイナップルを買っているのを見てたらそれがずいぶん安いことがわかったため、朝令暮改、パイナップルを買うことにした。小玉だが、2個で500ルワンダフラン(約100円)はやっぱり安い。

暗くなると沿道にはときたま家の明かりが見えるくらいで暗くて何も見えなくなる。時折うとうと寝る。

キガリのバスターミナルに着いたのは22時前だった。やっぱり遠かったなぁ。ターミナル前からバイクタクシーに乗り、宿に帰る。バイクタクシーの運賃は500ルワンダフラン(約100円)。部屋に戻る前にまだ開いていた商店でペットボトルの水1.5リットル(600ルワンダフラン ≒120円)などを買って帰る。

部屋に戻ってからは今後のルートを考えたりなんたりをして、就寝。

FIN

[diary]ムワンザからルワンダ、雨のキガリへ

ムワンザからルワンダ、雨のキガリへ

08/09/23(火) 晴れのち曇り、雨
[Mwanza:Tanzania→Kigali:Rwanda]
※レート:1米ドル=1150タンザニアシリング
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン

・明朝に出発
・ビクトリア湖を越えて
・窮屈なバス
・ルワンダ入国
・懐かしい風景、千の丘の国
・雨のキガリ、宿探し

ルワンダ国境方面行きのバスは朝が早いからと前日からバスに乗り込み、バスの中で夜を明かす。車内はたいして暑くはなかったのだが、蚊がうるさく、何度か目を覚ます。刺されもした。

まだ日が昇っていない5時ごろ、まわりがバタバタとうるさくなる。座席に横たえていた体を起こし、状況確認。どうやら客がどんどん乗り込んできているようだった。座席はすでに取っているから座れない心配はないんだけど、リュックも持ち込んでいたからそれが邪魔だった。なので運転手らしき男に声をかけ、荷物はどうしたらいいか聞くとそのまま持っていろと言う。ぼくのリュックは小学3年生くらいの子と同じくらいの丈と重さがあるからそれを置いているだけで1人分の座席を占領してしまうことになる。網棚にでも上げることができればいいのだが、あいにく幅がありすぎて網棚に乗らない。車内がガラガラならば隣の座席においていてもいいのだろうが、次から次へと人が大きな荷物とともに乗り込んでくるからそうするわけにもいかない。しょうがないから前に抱えて座ってみたが、これは脚に負担がかかっていまいち。なのでリュックを背負ったままのスタイルで座席に座ってみると、こちらのほうが楽。だが当然リュックが座席の面積のほとんどを占めてしまうので、尻を乗せられるのは前部の10cmほどしかないためバランスが悪い。幸いなことにとでも言うのだろうか、このバスの座席の間隔は狭く、リュックを背負った状態で椅子に座ると膝小僧が前の座席の背中にあたってしまう。おかげで前にズルズルずれるのを膝で止めることができる。傍(はた)から見れば前の座席にピタッとくっついているように見えるだろうが、リュックに背中を押されながら膝で後方へと押し返すことでバランスが取れるというような状態で座ることができた。

バスは客を満載したところで発車。外はまだ暗い。どうもバスの荷台は使えないようで乗客はみな荷物を車内に持ち込んでいる。当然大きな荷物は置くところがないから通路にあふれ、さらに人も座席以上に乗せるから荷物同様通路にあふれ、荷物の上に座ることになる。

バスは舗装された道を走る。そのうちだんだんと外が明るくなる。

1時間ほど走ったところでバスはスピードを落とす。休憩かと思って前方を見たらフロントガラスの向こうには湖。道は途切れている。その代わりフェリーが泊まっていて、どうもそれに乗り込むらしい。アルゼンチンのマゼラン海峡のようにバスごと乗り込むのではなく、人はひとまずバスから降りるが同じフェリーに人もバスも乗って湖を渡るという手順になっていた。湖手前で乗客はみなバスから降りて、歩いてフェリーに乗り込む。時刻は6時半過ぎ。乗船が完了すると船は離岸。客のほとんどは船前方の甲板にあるベンチに腰をかけて外を眺めたり、ビスケットなどをつまんだり、おしゃべりしたりしている。ちょうど湖面から陽が昇ったばかりで朝の日を浴びるのが心地よかった。

この湖は広い。端がどこなのか見えない。湖には丸木舟で移動している人や網を使って魚を取っている人たちを少しだが見る。30分ほど船でのゆったりした移動を楽しむ。

着岸してバスに乗り込むと窮屈な時間が再び始まる。けっこうきつい体勢で座っているにもかかわらず、眠ることはできてときどきうとうとと眠くなり、寝込んでしまう。今回は舗装された道ばかりを走っているからこの間みたいに砂が車内に舞い込んでくるということがない。

バスは休憩なしでがんがん走る。昼を過ぎるとお客が降りることがときどきあり、そのときは集落のバスターミナルなどで止まる。

そろそろルワンダ国境に近いんじゃないかと思いながらもどこで降りればいいかは自分で判断つかない。あたりは林や畑ばかり。

14時半ごろ、沿道に平屋の商店などが10軒ほど並んでいるところに差しかかる。同じバスに乗っていた白人カップルが降りる準備を始めたからもしかしたらここがルワンダ国境に近い村かと思い、周りの人に尋ねる。すると隣のおばちゃんがここだと教えてくれる。通路も荷物や人でいっぱいだからバスから降りるのに一苦労。なんとか降りるとすぐにタクシーが待ち構えていて、国境に行くのかと尋ねてくる。ちょうどバスから降りた人が数人おり、その人たちも国境に向かうふうだったのでその人らと一緒にタクシーに乗る。運賃は事前に尋ねたところ3000シリング(約300円)。けっこう高いけど、まぁいいかと思い乗り込む。

タクシーは舗装されている道をかっとばす。あたりはこんもりとした山と林。

国境までは30分ほどかかった。予想よりも遠かったので3000シリングもありかと考え直す。国境についてタクシーを降りたところで支払いをし、国境のイミグレに向かう。あたりは山ばかり。人気のあまりない国境で今一緒に乗ってきた人以外でこの国境を通っている人はいない。車やトラックも見ない。

まずはタンザニアの出国手続き。出国カードを書き込んでパスポートと一緒に提出。数分で終わる。

そこから大きくカーブしている道を歩き、ルワンダ側のイミグレに向かう。途中、短い橋があり、左手奥には幅はないが水量たっぷりの迫力ある滝があった。滝の底は水しぶきに煙って見えない。

カーブを左に曲がって上り坂を歩いていくと上りきったところにルワンダのイミグレがあった。ルワンダもビザが必要なので、ここでビザを買う。ビザ代がなかなか高く60米ドル(約6000円)もする。ちなみに米ドル払い。6日間の宿代相当だから旅行者によってはビザ代を理由にルワンダを避けたという人もいた。ビザを取得するための用紙を記入し、入国カードも書いてパスポートと一緒に提出。こちらもすんなりと手続きは済む。ここから首都のキガリに行くバスはないかと係官に聞いたら、その先でバスに乗れると教えてくれる。

係官が言ったとおりイミグレの建物から50mほど向こうに歩いたところに大型ワゴンのバスが止まっていた。運賃を聞くとキガリまで2000ルワンダフラン(約400円)と言う。バスを降りてから国境まで300円もしたのに、こっちはずいぶん安い。それに車体も車内もきれいで乗り心地が良さそう。ルワンダフランは持っていなかったので、とりあえず座席だけ確保して、出発までにはまだ間があるというので両替しに行く。国境の両替屋でタンザニアシリングを両替。両替したお金で運賃を払う。こちらは前払い。

ルワンダフランも手に入ったし、朝から何も食べていないので何か食い物がないかと辺りを見渡すが、物売りが一人もいない。珍しい。まぁ、移動の途中でどっかに止まればそのときに物売りの人が来て何か買えるだろうと思い、とりあえず辛抱する。

16時前にバスは出発。どれくらい標高があるのかわからないが、窓からの景色はなかなかいい。千の丘の国とルワンダは呼ばれたりするようだが、まったくその通りでこんもり低い山や丘がいくつも連なっている。さらに目を引いたのが、それぞれの丘にきれいに畑が作られていること。どの畑も一枚一枚の面積は小さい。しかし、よく手入れされている。日本の山間部の景色によく似ているのに驚く。

車は快調に舗装道を走る。沿道には土壁にトタン屋根の家やコンクリート壁にトタン屋根、レンガ壁にトタン屋根の家などが見える。また一部ではテントを見る。難民か何かなのだろうか?

途中、乗客を乗せたり下ろしたりするためにいくつかのまちでバスは止まったのだが、不思議なことにバスの乗客を狙った物売りがいない。おかげでこちらは食べ物を何か買いたかったのだが買えず。

地図で見る限りではこの国はとても小さい国だから国境からキガリまでもそうたいして時間はかからないだろうと見ていた。明るいうちにキガリに着けるのではと期待していたのだが、18時を過ぎても着く気配がない。車は何度も上り下りを繰り返す。

淡い期待もむなしく日は暮れてしまい、しばらくすると前方にビルなどが建て込み明かりがついている地帯が見えてくる。フロントガラスには雨粒が落ちてくるようになり、そのうち強い雨になる。

坂を下ったらキガリの中心部だった。近代的なビルがちょこちょこ見える。雨合羽を着たバイクタクシーがバンバン走り、道を走る乗用車の数も格段に増える。

バスは中心部に入り、また坂道を登って縦横に走っている道をちょこまかと走り、終点のバスターミナルにようやく着く。移動日に雨なんて最悪だと思いながら、リュックに雨よけカバーをかけ、とりあえず辺りをふらつく。どこに着いたのかよくわからないので、バスが通ってきた道と人の流れを見ながら商店が集まっている中心部にいく。もう20時近くだから中心部の店は閉まっているのではないかと思っていたが、意外にどの店も開いていて買い物客も多い。ルワンダには安宿はないと聞いていて、実際ガイドブックに載っているのものも1500円以上するところばかり。地元の人は安いところを知っているかもしれないと適当に店で聞いたりするが、意外とみな知らない。しょうがないのでタクシーに聞いてみると安いところはあるという。なので乗せていってもらったら20米ドル以上もしたので却下。時間も時間だし、雨も降っているので安宿探しはあきらめガイドブックに載っている中で一番安い宿に向かう。

中心部からタクシーで5分ほど。あたりにはあまり店がない。ホテルのフロントを見る限りではちょっと高級そうだったが、とりあえず1泊だけでもと思い、ここに宿を取ることにする。タクシーから荷物をおろし、タクシー代を払う。タクシー代は2箇所回ったからと3500ルワンダフラン(約700円)もとられる。

フロントで一番安い部屋に泊まりたいというと、別館に連れて行かれる。別館は本館から30mほど離れていてまったく別のところにあった。こちらはモーテルのような作りの宿で、駐車場に面して部屋が数部屋あるだけ。部屋の内部は10畳ほどあり、けっこう広い。トイレ・シャワーつき。だが建物自体はちょっと古くなっていて、フロントも何もないのでセキュリティ面ではちょっと不安な点あり。

部屋に荷物を置いて、まずは食料を買いに行く。近くには安食堂がなかったので、食料品店でパンや牛乳などを買って部屋で食べる。買い物に行った店の店主は中国人で、どこから来たのかなどと英語で尋ねてきた。さびしい夕食をとった後、シャワーを浴び、濡れたカバーや靴などを早く乾くように部屋の中に干してから就寝。静かな夜だった。

FIN

2008年9月25日木曜日

[速報]キガリ(ルワンダ)いり

ルワンダの首都キガリにいます。
一昨日の夜につき、昨日は朝から夜まで遠出をして、これから映画[ホテルルワンダ]のモデルになったホテルと虐殺記念館を見に行き、午後にはウガンダに移動します。

もうちょっとゆっくりするつもりが宿代が20ドルと予定の倍のものしかなかったためさっさと移動します。

1994年におこった大虐殺のあとはまちなかではほとんど見ることなく、ずいぶん落ち着いています。印象としてはぼくが行った旧フランス植民地の中では、ここが一番整然としていますね。バイクタクシーなんかは運転手も客も100パーセントヘルメットを着用しているのに驚いた次第。

というわけで午後にはウガンダです。

2008.9.25 8:05
Kigali,Rwanda