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2008年4月17日木曜日

パナマシティ→ボゴタ→キトへ

2008.4.12(土)

・リュックの重さを勘違いしていたカラクリ
・ボゴタでチョコ
・予想外にでかかったキト

今日はキトへ移動日。安いということでコロンビアのボゴタ経由の飛行機にした。ボゴタ行きの飛行機は12時発予定。3時間前に空港に行ってと言われていたため9時には着かないといけない。

今朝も寝苦しいのは変わらず。6時頃おきる。荷造りをする。昨日、ぼくの上のベッドに入った人の荷物が邪魔で持ち出すのに苦労する。

空港まではタクシーで1時間もかからないから朝飯を食ってからという手もあったが、早く空港に行ってのんびりすることにする。

7時前にチェックアウトする。ホテルの前のVia Arsentina通りにはタクシーの運転手が3人でおしゃべりをしていて、ぼくに気づくと”タクシー?”と声をかけてくる。

いくらか聞くと20米ドルと言う。この間、別の運転手に聞いたときは16~20ドルという話だったので、20米ドルは拒否して15米ドルでどうかと聞く。すると、”ベインテ(20)”と譲ろうとしない。じゃあ、別のタクシーにしようと思い、歩き始めると3人のうちの一人の人が、15でいいと言い出した。なので、15でお願いする。

空港まではバスもあるので、昨日もバスで行くか迷っていたのだが、しばしば満員であることと、バスの通路がせまいことと、渋滞や客を乗せるためにしばしば止まるので遅いという3つのことがあり、やめた。バスだったら0.25ドルで行けるのだが、運が悪いと2時間もかかるというので、ちょっと高いがタクシーにした。一人だとこういうのにカネがかかる。

タクシーは快調にとばす。案の定、土曜日の早朝にも関わらず、空港行きのバスは満員。タクシーはバスを4~5台追い抜いていく。ちょうど正面に太陽が昇ったばかりでまぶしい。

30分足らずで空港に到着。7時30分にもなっていないから、さすがにまだチェックインできない。

2階の食堂でパンを一つ買い(0.65)、昨日買った水とで朝食。9時までそこで過ごす。

9時になったので、1階の出発ロビーに降り、チェックイン準備。すでにカウンター前には客が20人ほど並んでいる。チェックインの列に並ぶ前に、荷物のチェックがある。リュックを手荷物用の小型リュックを開けて見せる。検査官の男性は、小型リュックを持ち上げて重すぎる(重量オーバー)というようなことを言うが、こっちはわからないふりをする。そこで、預ける荷物用のタグをもらい、並んでいる間にそのタグに名前などを書く。

さて、心配は荷物の重さ。チケットを買ったとき、窓口の女性は預ける荷物の上限は30kg、手荷物は10kgと言っていた。そして、それを越えるとペナルティがあるとも。

ただ、これまではそんなことは一度もなかった。しかも、どこのチェックインターの秤も30kg以下を示していた。だから、ぼくは自分の荷物は30kg程度と思っていたのだが、30kgにしては重すぎると思っていた。実際の重さがわかったのは、サンサルバドルのバスターミナルで計ったときのこと。68kgと出て、やっと感覚と数字が一致した。

さっきアメリカン航空だったかのチェックインカウンター近くを歩いたときにはも50kg以上だと50ドルくらいの追加料金が発生するという立て看板があった。だから、それくらいかかるかもしれないとは予想できた。

それでも、手荷物についてはこれまで重さを測ったことはないから大丈夫だろうと、手荷物のリュックに本をだいぶ移し、大きなリュックを軽くしていたのだが、さっきの検査官は重いなんて言う。だから、もしや検査があるかもしれないと思い、10kg以内くらいになるよう、再度本をでかいリュックに移す。

前に並んでいる人たちを見ると、たいていの人がボストンバックを持っていて、確実に30kg越えしていると思える人たちばかり。なので、その人たちをまずは観察。見ていると、チェックインカウンター横の秤に荷物を乗せ、30kgを越えるとやっぱりお金を払ったりしている。

いやいやこれは参った。ぼくのリュックはおそらく上限の重さのダブルスコアだから、けっこうカネをとられるかもしれない。そうなったら本をここで捨てるのかなとも考えた。

自分の番になり、チェックインカウンターの職員にチケットとパスポートを渡す。職員は秤に預ける荷物を載せるよう言う。その声に促され、リュックを乗せようと持ち上げたとき、わかった。なぜぼくの荷物がこれまで30kg以下と表示されていたのかということが。

原因は秤の枠だった。チェックインターの秤は一般的な体重計とは違って、固定された四角い枠に囲まれている。たいていの荷物(キャスターが付いたバッグやスーツケース)は立てた状態で秤に乗せるから荷物は枠にかからない。

それがリュックの場合、そもそも寝転がってしまう構造になっているから寝かした状態で秤に載ることになる。小さいリュックであれば外枠にかかることはないが、幸いなことに、ぼくのリュックの場合、70リットルと大型のためリュックが秤の四角からはみ出て外枠にかかってしまう。

つまり、外枠にかかっている重さが減殺されて、30kg以下と表示されるわけだ。それに気づいたぼくは、できるだけ外枠にかかるように、荷物をおいた。その結果、ここでの表示は26kgだった。おかげで心配していたことは起こらず。

これには、チェックインカウンターの職員が自分で荷物を持つことがないということも一つの要因になっているだろう。たいてい、チェックインカウンターで対応をしているのは女性で、その人は電光掲示される数値をみるだけで、荷物をラインに乗せるのは別の男性職員だったりする。荷物をラインに乗せる人は表示された荷物の重さをいちいち確認することはない。

もし、チェックインカウンターの職員がベルトコンベアーのラインに乗せる体制になっていれば、毎日の仕事の中で、上限の重さの感覚を体で覚えてしまうだろう。そうなれば、表示された数値と自分が持ち上げたときの感覚とが違っているとわかるだろうが、実際はそれぞれがそれぞれの仕事をしているだけなので、それに気づかない。まぁ、ぼくにとってはありがたいばかりだけど。

そうして無事、チェックインを済まし、今度は手荷物検査と出国審査。手荷物検査を待つ列に並ぶ。自分の番がもうすぐまわってくるというときに、ペットボトルの水が残っていた事に気づく。後ろの人に順番を譲り、ぼくは列の脇で残っていた水を飲み干す。のどが渇いているわけでもないのに、500mlくらい残っていたから、ちと苦しくなる。

それから出国審査。たいした質問もなく、すんなり通過。

出発までの間にDuty free shopでカメラの買いもの。市内のショッピングモールには売っていなかったが、ここにはなくしたものと同じものが売っていたので、購入。日本で買った方がかなり安いが、致し方ない。だが、1年間の国際保証付きというのはこれからも旅が続くのでありがたい。

予定通りの時間に搭乗がはじまる。チケットを見るとぼくの座席は15A。Aということは窓際だ。ラッキーと思いながら乗り込むと、ちょうど緊急脱出用の扉のところの席だった。その席だけは他の席よりも前の席との感覚が広く、足をゆったりとのばすことができる。

これまたラッキーと思っていたら、添乗員の男性が、スペイン語で、スペイン語を完璧に話せるか、とぼくに聞いてきた。スペイン語を話せるかということなら、これまで何度も聞かれたし、普通の質問なので何とも思わないが、なぜか彼は”完璧に”という言葉を付けて聞いてきた。

なんでそんなことを聞くのだろうと不思議に思っていたら、何かまたスペイン語で言い出す。そして、後ろの列に座っていた人に、何か話しかけている。どうも、緊急避難口ということで、もしものときに添乗員とコミュニケーションがとれないといけないから、この席にはスペイン語ができる人しか座ってはいけないよう。

幸い席を替わると名乗り出た男性も窓際の席だったので、ぼくは窓際の席にありつける。

機内では軽食が出る。珍しかったのが、干しトマト。なかなか味があっていい。

窓際の席はとれたものの、眼下は雲ばかり。退屈なので本でも読む。

パナマを出てから1時間半足らずでボゴタに到着。コロンビアの空港内にはビールの看板が多かった。ここで1時間ちょっと乗り継ぎの待ち合わせ。

トランジットの人は係員に案内されて、Duty free shop
経由で再度手荷物検査を受けて、待合室に入る。

一度、手荷物検査を受けて待合室の方に行ったが、こちらには店も小さな売店のみでなにもない。せっかくコロンビアにきたのだからDuty free shopだけでも見ようと思い、係員の人に行って待合室から出る。

Duty free shopは、30軒ほどあって、うち2軒は喫茶店で、あとはコーヒーやお菓子を売っている店や布地や服屋、本屋、カメラ屋などがある。コーヒー屋にはコロンビア産のダークチョコレートが売っていたので、3.3ドルと高かったものの買ってみる。

パッケージにはSantanderという文字が筆記体で大きく書かれており、その下にはカカオを収穫する絵がある。そしてそれを縁取るようにCOLOMBIAN SINGLE ORIGINとある。一番下には「National de Chocolates」 「ESTABLISHED 1920」とある。

完全に輸出向け、あるいは観光客向けのようで、パッケージの裏側には英語でこのチョコレートの説明がある。

商品の名前であろうSantanderというのは、コロンビアの東側の地域の名前で、コロンビアでは一番カカオの栽培に適している地域と言われているらしい。その裏面の右上にはコロンビアの地形図があり、その位置もわかるようになっている。

説明は細かく、標高600~900mの地域で、気温は23~28度、平均湿度は75~80%、4~6月と9月~11月の2つの季節には1600~2500ミリの雨が降り、年間の平均日照時間は1600時間、そして微量要素の豊かな土に恵まれている、とある。

SantandarにあるSan Vicente deChucuri,El Carmen,Rionegro,Landazunといった町や村では、2世紀以上もカカオを栽培している。そして、その生産は12000家族以上の中規模または小規模の農家によって支えられているという。

その後、まだまだ説明は続く。チョコレートは、粉薬の包装として使われるような薄い紙で包まれている。アルミ箔が一般的な日本とは違う。このチョコだけなのかもしれないが。そう言えば、アルミホイルというものを旅行中、ほとんど見ていない気がする。一度、メキシコあたりの屋台で使われているのを見たが、それ以外は見ていない。

アルミを作るのには大量の電気が必要で、またその過程では有害な物質が大量に出るというような話を聞いたことがある。アルミホイルの使用量の国際比較などもあったような気がするが、不確か。

キトに向かう便の出発までまだ1時間あったので、珍しく喫茶店で一服する。コーヒーは2米ドル。酒も含めたいていが10ドル以下だった。

もう一度、手荷物検査を受けて、待合室に入る。さっきはほとんど素通りできたのに、今度は入念にかばんの中をチェックされる。チェックしている係員のおじさんは、日本語の本を見つけるとパラパラとめくり、その文字を見て驚いたようで小さく笑う。そして、同僚の人を呼んで、これを見て見ろと笑いながら見せる。

ハイチでハイチ人と話したときに思ったが、ひらがなやカタカナの50音表、それからあれば同じような漢字の表を持ってくれば良かった。それをこうしたおじさんに見せれば、少なくともひらがなとカタカナにどういった文字があるのかが、一目でわかる。それで例えばどの文字が格好良いかなどを聞いてまわるのも面白そう。外国語の会話帳にもそういうのを付ければいいのに、とも思う。

特に何もなく、検査を通過。16時前、搭乗が始まる。今度は通路側。また、機内食(パンとちょっとしたもの)が出る。機内食にはデザートがついていたのだが、これがけっこうきつかった。小さなカップ(50gくらいだったか)に入った固まっていないキャラメルで、完食するには甘すぎる。でも、完食したけど、量は半分でも十分すぎるくらい。

前の席が空いていたので、食事後、席を移動する。パナマからボゴタは、眼下は雲一色で地上が見えることがなかったが、今度は高度が低いこともあるのか、たまに雲の隙間や雲の向こうにうっすらと地上が見える。

曇っているおかげで地上か海かも判別できないような色。だがルートから考えて、また時折濃い緑または青色の間に白い道路と思われる線が見えることから地上だとわかる。
山に木々はあまりなく、頂上周辺まで耕されている。

ボゴタを出てから1時間30分程度で、機体は雲の中を抜け、キトに上陸。まちのすぐ上空を通って着陸したので、まちの作りや車、歩いている人まで見えた。

機体から降りるとひんやりとする。空港内は最近造られたのか、デザインも洗練されていて、ただの四角い箱という感じのハバナなどの空港とは違う。

驚いたのが、入国審査のシステム。入国審査の順番を待つ人は一つの列に並ぶのだが、そのラインの前には小さな電光掲示板があり、そこに審査が終わったボックスの番号が点灯する。それを見て、次の人はそのボックスに行く。

どこの空港もたいていは空いてそうなところを各々見つけ、並ぶというスタイルだが、こんなふうにしているのを見たのは初めて。もっともこんなことしなくても、係員が一言"Passe (パセ)" "Aderante(アデランテ:お入りください)"と声をかければそれで事足りるのですけどね。

審査官の女性は、スペイン語でよくある質問をする。どれくらい滞在するのかとか、この後、どこに戻るのかとか。帰りのチケットの提示はなし。こんなことなら30ドルくらい安かった片道チケットを買っておけばよかったなどと思うが、まぁ、それも時の運のようなものだろうからしょうがない。

一通り質問が終わった後、彼女はパスポートの写真と目の前に立っている人間の顔を照合する。そして、パスポートの写真は何歳のときのものかと聞いてくる。さすがにハバナのあの係官の女性のように、あなたは変わったとは言わなかったが、やっぱりなかなか一致しないよう。

しかし、総じてぼくにしてはスムーズに通る。審査の最後に彼女はにこっとして、”Bienvenido(ビエンベニード:ようこそ)"と言って通してくれた。

荷物をベルトコンベアからピックアップし、税関審査に行く。ここはたいした検査もなく通過。

ちょっとここで戻って税関審査場内にあったツーリストインフォメーションでキトの地図をもらう。パンフの類はたくさんあって、かなり観光に力を入れていることがわかる。また、市内までのタクシー料金とバスでの行き方を聞く。

外に出る。出たところには迎えの人がたくさん。”Bienvenido MARI”と書いた紙を持っている子どもたちもいた。"MARI”が日本人なのかどうかはわからないが、ぼくの他に東洋系の女性が一人いたので、その人もかもしれない。

空港を出るとすぐがタクシー乗り場。ただ、ごちゃごちゃと客引きがいるわけではなく、数人の人がタクシーが必要かと声をかけてくるだけ。Noと言えば、それでおしまい。

女性のタクシーの係りの人がぼくに声をかけてきたが、タクシーは断り、バス乗り場を聞く。すると嫌な顔もせず、駐車場を出た大きい通りを越えたところにあると教えてくれた。

教えてもらったとおりに大通りを渡り、歩道でバス乗り場を探す。ガイドブックを見ていなかったので驚いたが、大通りの真ん中を2車両つなげた大きなバスが走っている。真ん中は専用ラインのようで、これはメキシコシティにあったものと同じスタイル。

バスの乗り場がよくわからなかったので、通りすがりの女性二人に聞く。ものを訪ねるのは女性の方がいい。男は変なやつにあたるときが往々にしてある。

そこを通るからと言うので一緒に歩く。歩いて10mほどでParada(乗り場)と書いている看板下に到着。

5分も待たずに青色の車体のバスが入ってくる。パナマのような派手な小さなバスじゃない。日本で普通に走っているようなバス。車体はHINO自動車のもの。

ここのバスにも客引き担当の人が乗っており、乗車口に立って早口で行き先を叫ぶ。目的の宿がある広場まで生きたいのだがというと、客引きの少年は運転手のおじさんに確認し、乗せてくれる。

車内は満席。しかし、ありがたいことにこのバスは運転手の後ろに、エンジンの真上になるのか楕円形に突起したスペースがある。そこには座れるようにカバーがついており、縁に8人くらい座れるようになっている。つまり、日本のバスと比べると、運転手後ろの座席2列ぶんくらいがなく、前が広く空いているのだ。

車内を見渡したとき、一瞬どこに立とうかと思ったが、客引きの少年に促され、そこに座る。このバス、バックパッカーにとっては非常にありがたい。

外はすでに暗くなっている。沿道にはホテルやレストランが多い。走っている車も多く、しばしばクラクションの音を聞く。

地図で見た距離感とバスに乗っている時間とがだんだん合わないように思えてくる。もう20分は経過しているから到着してもいい頃なのだが、声はかからない。バスは幹線道路から一旦住宅街のような狭い路地に入り、また幹線道路に戻る。隣をトローリーバスが追い越していく。こんな標高の高いところに、電気を食うバスを走らせているなんて想像していなかったので、やや驚く。

空港を出て30分もしたころ、トローリーバスの乗り場もある広場で降りるように言われ、あっちに目的の広場があると少年が指さす。あとで確認したら降ろされたところはPaza la Marinというところだった。さっきまではほとんど路上を歩いている人は見かけなかったのに、ここらは多い。

バスを降りて客引きの少年が指さしていた方向を見ると、あいや、ものすごい坂。チャリでブレーキをかけずに降りてきたら時速50kmは出るだろうというくらい(わかりにくいたとえですね)の急勾配で、チャリはおろか重い荷物を持っていると歩いてでも登るのを一瞬ためらってしまうくらい。

通りはきれいにライトアップされており、正面からは人があるいて降りてくる。通りにはファストフード系の店がちょぼちょぼある。

キトが標高2850mというのは後で知ったが、坂を上り始めて50mもいかないうちに呼吸が乱れてくる。先は長い。

気温は低いものの上着を着ていたおかげで、だんだんと汗がにじみ出てくる。

歩いている人たちは、パナマよりもグアテマラのマヤ系の人々に似ている。そこまで寒いとは思わなかったが、みなコートやジャンバーを着て、手をポケットにつっこんで歩いている。

交差する通りを見てもヨーロッパ調の建物がずらっと並んでおり、ライトアップされた教会のような大きな建物が数棟ある。予想以上に旧市街の規模がでかい。

広場では小さな男の子や女の子が小さなお菓子を詰めた木製の箱を持って、歩いている人たちに買わないか声をかけている。靴磨きの道具を持って歩いている10歳くらいの男の子もみかける。

500mも歩いただろうか、でかい宮殿のような建物が左手に見え、そこに警官がいたので、目的の広場への行き方を聞く。2つ先の角を左に曲がったら着くという。

そこまで来るとほとんど平らになっていたので、呼吸はずいぶん楽になった。やがて広い広場が突然表れ、ここが目的地だとわかる。

正面向かって左の角に目的の宿Hostal Sucreはあった。建物の壁に黒い文字で書かれていたのでそれとわかる。入り口がわからず、一度人に聞いて、宿に入る。

階段を上ると吹き抜けのロビーに出る。建物は古い。若いスタッフが対応してくれる。部屋を準備するから待ってくれと言われ、しばらく待つ。日本人がちらほら。

2階の3号室に案内される。6畳ほどの部屋にベッドが一つ。机と台が1つずつ。椅子はない。窓からは広場が見え、その向こうには明かりの点いた旧市街が広がっているのが見える。

1泊3ドル。今回の旅では最安値だが、なかなかいい。ぼくが学生の時、山形にしばらくいたときに、世界を旅して回っている人に会った。その人は日本で例えば半年なり工場などで働き、カネがたまると旅行に出ているらしかった。

そのときに、その人からキトに数ヶ月滞在していたことがあると聞いたのだが、この宿がその人が滞在していた宿だった。パナマにいるときにキトの宿をネットで探していたところ、その情報を目にし、驚く。当時のぼくはこうした旅に出ることなど、まったくと言っていいほど考えていなかった。それが8年の時を経て、こうしてつながったことが面白い。

聞くとその人が滞在した2000年頃はここは1泊50円程度だったらしい。連れ込み宿の一番上の階を日本人に提供していたらしいが、今はそういう雰囲気もない。

部屋に荷物を置いて、ちょっと飯でも食いにと外に出る。が、さっきは開いていた店もことごとく閉まっていた。時間は20時過ぎ。

人通りもぐっと減って路上でバナナチップなどを売っていた人たちも後かたづけをはじめている。しょうがないので、ぼくは後片づけしているおばさんからポテトチップと水を買う。宿に戻る途中Plaza Grandeを通ると、通りから奥に入る通路があり、そこで食事をしている人たちが見えたので、そこに入ろうとする。

するとそこへ菓子売りの少女と少年が2人、何か買わないかと寄ってくる。女の子の方は小さいが10歳は越えているだろうか、男の子よりもしっかりしている雰囲気。

通路を少し入ったところで立ち止まり、一つずつ適当なものを買うかとものを見る。するとそこへ警備員のおじさんがやってきて、女の子の左肩をつかみながら、強い口調で何やら言い、そのまま寄り切るように通路の外までゆっくりと押し出す。

女の子はおじさんをにらみ、その手をはじく。そして、おじさんに向かって強く文句を言う。そんなことをしたらおじさんがキレて、持っている警棒で女の子を叩いたりするのでは、なんて一瞬思ったが、外まで押し出した後は、口げんかのみだった。女の子が自分の3倍近い体積のあるおじさんに猛然と文句を言っている姿は、強く美しかった、と小説家が書きそうな光景だった。

それぞれから50センターボ(0.5米ドル)のお菓子を買い、その通路を通って中に入る。建物は3階立てで、真ん中が四角く吹き抜けになっており、各階に店が入っている。レストランでは観光客らがにぎやかに酒を飲んでいる。

たいしたものがなかったので、さっさとそこを出て、宿に戻る。こんなに早くに人気がなくなるとは思っていなかったので、意外だった。もっとも宿の周りは治安が悪いとは聞いていたが。さっきまでいた警官も姿が見えなくなる。

オレンジ色の街灯がまちを照らしているが、そこには人が歩いていない。遠くから眺めるためだけの光という感じだ。

宿のベッドには薄い毛布が一枚。窓を閉め、それにくるまって寝るが、夜中ひんやりして目覚める。ここまで寒い夜もこの旅では初めて。

そういえば、これから南半球は冬だ。

2008年4月14日月曜日

パナマ警察にお世話になる。そして運河へ。

2008.4.12(金)
曇り時折雨と青空

・警察に出頭
・盗難レポートづくり
・スペイン語で読み聞かせ
・パナマ運河

今朝も蒸し暑くて目が覚める。気温が高い上、9畳ほどの部屋に6人も人がいるから余計暑いのだろう。窓は開けているものの風はまったく入らない。

早く盗難の件の始末をつけようと、宿主に警察の事務所の場所を聞く。コンチネンタルホテルの近くというので、7時過ぎには宿を出る。こんな早い時間からやっていること期待できないが、とりあえず行ってみる。

コンチネンタルホテル近くまで行ったが、警察署は見あたらない。どこだろうときょろきょろしていたらちょうど自転車(マウンテンバイク)でパトロールしている警官二人が前からやてきた。二人とも黒の半ズボンに灰色のポロシャツという制服で、頭にはヘルメットを付けている。

事前に会話帳を見て書き写していたお願い文を見せる。それを見て、用件がわかったようで、こっちにと呼ばれる。

コンチネンタルホテルの入り口近くに四角錘の屋根をした小さな交番のような建物があって、そこに案内にされる。表には何も書いていないのでわからなかったが、ここはツーリストポリスのオフィスだと言われる。

オフィスと言ってもスチール机と椅子、それから観光者向けの無料の新聞、雑誌があるだけ。なかはがらんとしている。

椅子に座ってと言われて、座る。そして、名前と出身国、ツーリストかそうでないのか、どこで何をいつなくしたのかなどを聞かれる。

質問はすべてスペイン語。だいたい何を聞かれるかはわかるので、たいていのことは察しがつく。対応してくれているのは、30代くらいのアフリカ系の男性警官。その警官は、表紙がぼろくなっているノートに聞き取ったことをメモする。

そうして一通り聞き取った後、しばらく待てと言われる。これから日本で言うところの警察の本署に行って、そこで盗難のレポートを作成するらしい。そして、その本署まではパトカーで連れていってくれるという。

10分ほど待っていたが、なかなか来ない。することもないので、あたりを見回したりしていると、オフィスにあった観光客向けの新聞や雑誌を持ってきて、これでも見ててと勧める。新聞や雑誌は英語とスペイン語の併記式。

新聞の1面は、カリブ海側にあるサンブラス諸島でガイドをしている現地の男性の話を掲載していた。サンブラス諸島には先住民の 族の人たちが以前からのスタイルを変えずに暮らしており、観光も受け入れている。取り上げられている男性は50歳くらいの男性で、以前、パナマシティに働きに来たときに英語とスペイン語を覚えたらしい。今はそのときに覚えた言葉を駆使し、自分の出身地を訪れる人たちに対し、ガイドをしているという話だった。

一方の雑誌は2種類あり、小さいA5サイズの方は、観光地にはよくあるクーポンや店の広告がたくさん載った雑誌。観光で行くとおもしろそうなところも紹介している。国内とパナマシティの地図が付いているのはありがたい。

もう1種類は、住宅会社が共同で出している雑誌のようで、表紙はきれいな高層マンションの写真。中を見てもマンションの広告ばかり。アメリカやカナダ、オランダなどからパナマに移り住んだ人たちの体験談も載っている。

その中のあるアメリカ人夫婦の話では、9.11のときになんらかのトラウマを負った妻がのんびり暮らせるようにと新しい土地を探していたところ、パナマの内陸の高地地方にベストな土地が見つかり、そこに移り住んだということだった。そこは自然がいっぱいで、妻もその土地とその地の人々をすぐ好きになり、落ち着いた生活ができているとあった。

在パナマ日本大使館のホームページを見たときに、ここのところ下り調子だった経済が建築需要の増加で持ち直しているという話があったが、どうもその需要の背景にはこうした外国人がいるよう。

実際、パナマシティに来て驚いたことは、次々と高層ビルが建設されていること。それもほとんどがマンション。建築中の建物がある通りを歩くと完成予定図があり、たいてい30階や40階立てになる予定のようだった。細かく数えてはいないが、そうした建築中の高層ビルが新市街には10棟はあり、しかもそれらは互いに半径3~5km圏内に集まっている。

ここのオフィスには他の警官も集まってきておしゃべりがはじまる。ある年輩の警官は、新しい携帯を今し方買ったばかりらしく、携帯会社のビニールの袋に箱詰めされた携帯を入れて持ってきていた。

それを他の警官が、見せてと言って中身を取り出す。ピンク色の折り畳み式ではない、日本で言うと旧式のスタイルの携帯。メーカーはSUMSUNG。値段を聞かれてその警官は、30米ドルくらいだったと言う。なかなか安い。

そうして待つこと1時間ほど、9時半頃になってようやくパトカーがやってきた。

パトカーには3人の男性の警官が乗っている。ぼくは助手席の後ろに座る。

運転している若いアフリカ系の警官が、英語で何が起こったか聞いてくる。なので、さっきオフィスで対応してくれた警官に伝えたことを繰り返す。

20分ほで本署に到着。日本の警察署のようにでかいビルではなく、3階建て程度の小さなところだった。入り口を入ると階段があり、10段ほど下った半地下が外来者の応対をするフロアだった。

運転していた警官が受け付けの人に何をか伝え、受付の前にあった丸テーブルのところでしばらく待つ。その間、また被害の状況を聞かれる。

しばらくすると、黒縁メガネをかけた金髪のヨーロッパ系の年輩女性の職員が流暢な英語で話しかけてくる。これからドキュメントを作成するが、十分に英語は話せるかと、まず聞かれ、十分ではないと伝えると、正確に書くことはできるかと言われる。

正確には書けないと言うと、まぁ、わかったという感じで、ちょっと書類を取りに行ってくるから待っててと言う。

運転してきた警官は、そこで席をたち、ビルを出ていく。別の男性の職員が、自分の英語は十分ではない(bad)がいいか?と断った上で、また被害の状況を聞かれる。ぼくの英語は彼のよりももっと十分ではないので、詳しく説明しようとすると単語が出てこないし、時制がぐちゃぐちゃになる。彼はわかったようなわからないような様子。

さっきの警官はわかってくれたから、彼から聞いてくれた方がすんなりいったのにと思うが、彼はもういない。

そうこうしているうちに、先ほどの女性の職員が戻ってきて、4枚の紙を渡される。そして、こことこことここを埋めてと、ぼくにとっては早口の英語で説明する。

一枚目の紙には自分の名前や誕生年月日、年齢、出身国と生誕地、パスポート番号、両親の名前、日本の住所と電話番号、メールアドレスを記入する欄があり、2枚目はパスポートを紛失した場合の紙でこれは記入不要。3枚目が被害にあった物とその金額を書く紙。4枚目は30段ほど罫線が入っただけの紙で、冒頭にいつ、どこで、どういう状況で、どういう被害にあったのかを書く紙になっていた。

また後から来るからと言って、その女性職員は去る。ぼくは持ってきた英和・和英辞書を取り出し、思いつかない単語をひきひき書く。

書いている途中、60歳手前くらいの男性がやってきて
、ぼくと同じテーブルで似たような用紙に必要事項を書き込む作業を始める。どうも彼も盗難か何かに遭ったよう。

ぼくが辞書をひいたりしているとそのおじさんが話しかけてくる。スペイン語で普通にしゃべるので、何を言っているのかわからない。首を傾げているとおじさんは自分の目と紙を交互に指さしながら何か言う。

その仕草で、どうやら老眼か何かで文字が見えないということがわかる。おじさんが言いたいのは、ここにはなんて書かれているのか、ということのようだった。

それで、そのおじさんの文書を見せてもらい、ぼくが読み上げる。おじさんはそれを聞いて、ああわかったと空欄になっているところに筆記体で何か記入している。

空欄は5カ所ほどあったので、おじさんが1つ記入すると、その続きをまたぼくが読み上げるという作業を繰り返す。

アクセントの位置を間違い、また英語とほとんど同じ単語を英語式に呼んでしまい、おじさんが考え込んでしまうこともあったが、基本的にはぼくのスペイン語を聞いて、おじさんは次々と空欄を埋めていった。

これがもし英語やフランス語、ロシア語だったらこんなことはできない。日本語と発音が近い言語だからこそできることだ。

もし、中学や高校で習う外国語がスペイン語だったら、きっとぼくは英語よりもできるようになったに違いない。文法事項はスペイン語の方がちょっと複雑ではあるが、それは覚えれば済むこと。英語のRとLや細かな”ア”の発音の違いなど、聞き分けることはもちろん、それを再現することに比べれば簡単なことだ。もちろん、日本式発音の英語でも実際上は十分通じることもあるが、試験ではそうはいかない。

スペイン語圏は日本からは地理的に遠いが移民などの縁で言えば近い。中学の最初にでも複数の言語を紹介されてその中から選択できるとなっていれば、ぼくは聞き分けや発音で苦労しない外国語を選んだだろう。なんてことは、今だから言えることだが、実際大学では選択肢にあるいくつかの外国語の中から選んだのは、日本語と発音がけっこう似ている(発声が違うが)ドイツ語だった。

レポートを書き終わってそんなことを考えていたら、さっき自分の英語は不十分だと言った男性職員が寄ってきて、終わったかと聞いてくる。

それで終わったと言うと、ちょっとまた待っててとレポートを持って別のオフィスに入っていった。

待っている間も目の悪いおじさんは、ぼくに普通に話しかけてくる。なので、例のごとく、空欄をおじさんが埋められるよう、ぼくがスペイン語の文を読み上げる。

そうしているうちに先ほどの女性職員が来て、レポートを作ったから内容を確認するのでこっちに来てと言われる。あるブースに連れて行かれ、そこのパソコンの画面に映し出された文書を彼女が読み上げる。

文書自体はスペイン語で書かれているが、読み上げるのは英語。文の切れ目ごとに、ぼくに内容に間違いがないか確認をする。ぼくは特に修正する必要もなかったので、OKを連発。そうして全文確認した後に、彼女から何か付け加えることはないかと聞かれ、何もないと答えると、それをプリントアウトして持ってきた。全部で3枚。それぞれのページに自分のサインとパスポートの番号を書くように言われ、それらを記入する。

現物は警察で保管するというので、コピーをもらう。その女性職員は、それを渡すときにぼくにこう言った。”Thank you for your effort." この言葉はもしかしたら儀礼的な言葉かもしれないが、それでもこんなことを言われるとは思っていなかったので意外だった。逆にぼくの拙い英語に付き合ってくれてありがとうと言いたいくらい。

おもしろいのが紙のサイズ。盗難のレポートが印刷された紙は、A4とかB5とかというような基準の紙ではなく、A4をさらにひょろ長く伸ばしたようなサイズ。アメリカやジャマイカ、ドミニカの新聞がひょろ長かったが、それと同じ感じ。紙のサイズの基準に、A4などの他にどんなものがあるのか、気になる。

帰りもまたパトカーで宿まで送るというから、至れり尽くせりだ。

本署に着いてからの対応は早く、2時間かからないくらいですべての手続きが終わった。時刻はすでに12時近くになっており、ふと腹が空いていることに気づく。

パトカー=ツーリストポリスが迎えに来るからロビーで待っててと言われて待つ。ここからが長かった。待つこと2時間ちょっと。14時過ぎにここに連れてきてもらったときに運転してくれた警官が、また迎えに来てくれた。

それまでの間はロビーに設置されているケーブルテレビを見ていた。放送されていたのはミスタービーンの吹き替え映画。言葉はわからないが、手続きが終わってほっとしたことで気軽に笑える。他にも10人くらいロビーにいて、それを見ながら笑っている人は多かった。

ただアフリカ系の男性だけは一度も笑うことがなかった。その人は、ぼくが記入用紙を書き終えた頃に、警官と一緒に本署に入ってきた人で、かなり落ち込んだ様子だった。ぼくは始めパナマの人かと思ったが、その人には英語のできる女性職員が紹介され、英語で話をしていた。

目の前で話をしていたので、少し聞き取れたところによると、その男性はジャマイカから来たらしい。パナマシティのある地区でパスポートなどが入ったカバンを目を離した隙に取られてしまったらしい。彼は見たところ40~50歳くらい。終始浮かない顔をしていた。

パトカーにまた乗って、宿まで送ってもらう。さすがパトカー、早かった。別にサイレン鳴らして、他の車をどかしながら走ったわけではないが、バスと比べると早い。

宿に戻り、レポートの写真を撮り、カバンに保管してからやっとまちに出る。

腹が減って動きが鈍くなっていたので、昨日も行った旧市外に行って飯を食う。旧市街にはパナマ運河を建設するために連れてこられたアフリカ人についての博物館があり、そこに行きたかったのだが、すでに3時を過ぎており、閉館間際(3時半閉館)だったため、断念。

昼飯に選んだ店も外れで塩気がきつすぎてダメだった。旧市街では食堂というと、かなりの割合(たぶん7割くらい)で中国系や台湾系の店になる。そうでなさそうな店と思ってこの店を選んだが、外れだった。

その店を出た後、口直しに5月5日広場でおじさんが売っていた肉とキャッサバのセット物を買う。1ドル50センターボと予想外に高かったが、味はまずまず。香辛料とチリソースがかかっており、けっこう辛いが、それはそれでうまい。

それからタクシーを捕まえてパナマ運河のビジターセンターもあるミラーレス水門に行く。ここはカリブ海側から来た船が太平洋にまさに出るという水門で、船底が川底につかないよう水量が調節され徐々に船が太平洋側に出る様子が見られる。

バスでも行けるらしいが、歩き方によると、最寄りのバス停から20分くらい歩くとあったので、ちょっと空が雨模様になってきていたこともありタクシーにした。タクシーでは片道5米ドル。

20分ほどで水門に到着する。ビジターセンターの入場料が5米ドル。それを入って中にはいるとビジターセンターのバルコニーから水門の様子を見ることができる。まずは5階(こちらの数え方では4階)に上がり、その様子を見る。ヨーロッパ系の観光客がたくさん来ている。

思ったよりも水門の幅はせまい。50mほど。しかし通過する船はでかい。幅も思ったよりせまいとは言え、こんなものを作ろうとすれば相当の労力が必要になることはわかる。

ビジターセンターには運河建設の経過などがわかる博物館も併設されているのだが、それを見るとアフリカ系の人は主にジャマイカから連れてこられたらしく、黄熱病やマラリアなどで相当数の人が作業中に死んでいったらしい。

また展示の中には、タンカーは巨大化を続けており、その傾向から言うと、パナマの運河は幅や川底の深さの問題から2012年頃には限界を迎えると見込まれているらしい。そうなるとパナマ運河の重要性が相対的に薄れるので、今と同じような位置を占め続けるためにも拡張が必要だと書かれている。

1時間ほど見て、タクシーで国営バスターミナルに行く。ここに併設されているショッピングモールでカメラ探し。なくなったカメラと同じ物がないか探すが、見つからない。カメラはパナソニックとソニーのものが多い。

それにしてもカメラを盗っていた人はあれをどうするのか。だいたい充電が切れれば使えなくなるし、あのカメラにあった充電器なんてこのショッピングモールの品ぞろえを見る限り、簡単には手に入らない。

誰かの手に渡ってまた使われるなら良いけど、充電ができないという理由で売れもせず、ほったらかしにされるとしたら、それこそ盗られた意味もない。それに説明を日本語バージョンにしていたから、わからないだろうな。質屋も充電器がないのに買ったりするのかねぇ。

盗難物がどのような流通に乗るかも調べたらおもしろそうなことだ。

結局、カメラは見つからなかったので、明日行く空港のDuty Free Shopに期待することにして、宿に帰る。

宿のフリーのネットは写真のアップが難しいので、1ドル払って近所のネット屋で1時間ネットをする。

宿にもどって、今度は宿のネットで明日の宿について調べる。調べていたらドイツ人と日本人のハーフというドイツからの旅行者がパスタを作ったから食べないかと言ってくる。ありがたくいただく。

ドイツからは男女4人くらいで来ているようで、みんなでパスタを作ったらしい。そのお裾分けに預かったわけだ。彼女らはいつも夕方になると化粧をして夜中どっかで遊んでいるよう。

他にもネットをしてたら、”どうですか?”と日本語で話しかけてくる男性がいる。日本語が少ししゃべれる彼は、米軍の兵士で通算2年日本にいたらしい。相撲がすきなようで、”ワカハナダ”を連発。それからパチンコがいっぱいなどと言う。

宿泊客はひきもきらず、毎日誰かが出ていっては、誰かが入ってくる。4月になったということもあってか、日本人客はいない。ロビーの本棚には誰かが置いていった2~3年前の歩き方が2冊ほどあった。ぼくもここで歩き方の中米編を手放す。

それから明日出発のために荷造りをして、寝る。今晩も暑かった。

08/04/14 キトよりアップ

パナマシティでまさかまさかのとーなんときた

2008.4.10(木)

・郵便局探しで閉口
・荷物発送
・ソナロハ
・カメラを紛失

今、思えばパナマ入国寸前にホテルに忘れ物をし、パナマ運河を越えるのを見逃したりした一昨日から、どこか調子が狂ってきていたのかもしれない。

朝は暑くて、6時前に目が覚める。2度寝しようとするが、暑さで眠れず。

7時すぎ朝食。パンとコーヒー、バナナ、チーズを食べる。朝食付きで10.5米ドルとはなかなかよろしい。

9時頃、宿を出て銀行に行くが、目的のことはできず。

それからメキシコで一反は送ろうと思って、ここまで持ち越してきたものを送ることを決断し、それらを箱詰めし、郵便局に行く。郵便局の位置は歩き方もロンプラも当てにならず。

宿の人に聞いて、近くの郵便局に行く。するとここでは小包などは扱っておらず、旧市街の郵便局に行くように言われる。

言葉があまり通じないことがわかった郵便局の窓口のおばちゃんは、行くべきところをメモしてくれるが、筆記体で書かれているため、読みづらい。タクシーで1.25米ドルだと言われたが、ケチってバスに乗っていくことにする。

バス停にいた人に、もらったメモを見せると止まっていたバスの客引きのにいちゃんにその旨を伝えてくれる。

泊まっていた宿の近くで、そのバスのにいちゃんが合図し、降りるように言われる。あっちの方に行けと指さすので、そっちに行くがそれらしき建物が見あたらない。

建物の警備をしてる人に聞くと、知らないという。別の建物の警備員に聞くと、海に面した通り沿いにあるというので、そこに行ってみるが見あたらない。

ホットドッグを売っているおじさんに聞くと、一緒にいた他の二人の人たちとあっちだこっちだと議論をはじめる。すぐに店主のおじさんが二人を無視して、あっちに行けと言って、バスを降りた方向を指さす。

おじさんの言ったとおりに行くが、見あたらない。またそこでおばちゃんに聞くと、あっちの通りだという。20mほど離れたビルの1階にCorreos(郵便)の文字を発見。そこに行くと、そこは窓口ではないと言い、別の入り口から入らないといけないと言われる。その入り口はすぐ近くにあり、そこで荷物を送れるか聞くと、ここでは小さなものしか扱っていないといって、ぼくのサイズはここからは遅れないという。

そして、先のところの郵便局に行ってと言われる。

言われたあたりで人に聞いてみるが、なかなかわかる人がいない。すでに宿を出て2時間近くたっている。やれやれ。

宿近くに民間の国際郵便会社があったので、そちらから送ることにする。少しでも安くと思って郵便局を探したが、結局見つけられず、半日無駄にした形となった。

宿近くのその会社に行く。荷物の重さをパウンドで言うから、何kgかわからない。送ろうと思って詰めていたものすべてを送るとなると150米ドル近くかかるというので、中身を減らし、100米ドルにし、それで発送してもらう。

IDを見せてといわれるが、あいにくパスポートは宿に置いてきていたため、とりに戻る。パスポートのコピーが必要らしい。

こうしてやっと発送作業が終わった。もう時間は3時をすぎている。

旧市街にあるムゼオ(博物館)に行こうと、またバスに乗って旧市街に行く。しかし、この博物館は3時半閉館で見ることができず。

旧市街には古いヨーロッパ調の建物が並んでおり、一部の通りは歩行者天国になっている。歩行者天国には人がたくさん歩いており、新市街とはまたぜんぜん雰囲気が違う。

新市街ではほとんど見なかった民族服を来ている女性も歩いており、こちらの方が歩いていて圧倒的に面白い。ちなみにここで見る民族服は、グアテマラやメキシコ南部で見たものとは、ぜんぜん違う。グアテマラやメキシコ南部の方が気温が低い地域だからか、あちらの方が布地が厚いように思う。インドネシアのサルンのような腰巻きタイプのスカートに、帯などは似ているが、まったく異なっているのが、手首から肘にかけてと、足首から膝にかけての部分。

こちらの人は、オレンジなどの鮮やかな色(たいてい一色)をした紐(ミサンガのようなもの)を、上記の部分に重ならないよういくつもつけており、一目見たときには時代劇に出てくる人がはいている脚半(感じが違うような)のように見える。

ただこうした民族服を来ている人は圧倒的に少数。おそらく女性の中でも1割もいないだろう。具体的に言えば、3時間くらいそれらの地域をぶらぶらすれば、おそらく千人以上の人とすれ違ったりしていると思うのだが、その中でその服を着ているのは10人程度しかいない。

基本的には年輩の女性が着ている場合が多いが、20代くらいの女性が着ているのを見ることもあった。あと付け足しで書くと、サリーを着ているインド系のおばあちゃんもいた。

パナマシティもニカラグアのグラナダと似てアフリカ系の人が多い。コスタリカのサンホセでは圧倒的に少数だったのに、こちらでは半数とまではいかなくても、それなりの割合を占めているよう。これもパナマ運河の建設の歴史と関係があるのだろうか。ポルトープランスで会ったインド人のように、運河建設後に、出稼ぎに来た人たちが多いのだろうか。

歩行者天国になっている通りの海に近い方の入り口には線路跡があった。そこにはちょっとした広場もあり、そこで麻雀のような遊びをしている叔父さんたちを見る。

通りの入り口の向こうには海が見えたので、ぼくは海を見るためにそこまで歩くことにした。

3~4階建ての古いアパートが立ち並び、一部の建物は崩れて廃墟になっている。ちらっと中を覗いてみると、中はは自然とゴミ捨て場になってしまっているようだった。

路上でボールを蹴って遊んでいる少年がいる。アパートのベランダから下を眺めている人もいる。建物の高さがまったく違うものの、建物の古びた感じや壊れかけの感じがハバナに似ている。

向かいから荷車にアイスを入れて売り歩いているおじさんがやってきたので、リモン味のアイスを買う。0.5ドル。なかなか味はいい。

正面には海と住宅街を隔てた1m50cmほどの壁があり、その手前にはベンチがあった。そこに地元の人たちが腰掛けてしゃべっていた。

壁の手前でぼくは右に曲がる。そして次の角を左に曲がったところで海を少しの間だけ眺めた。ヨットらしき船や遠くにはタンカーのような船が見える。

眺めると言うよりも見たという程度だったが、それで満足し来た道を戻る。歩いていたら道端で別の人と話していたおじいさんが、何をしているのかと聞く。散歩しているだけだと適当に単語を並べ、身振りも交え答えると、おじいさんは来た道を通って帰った方がいいというようなことを言う。そして、握った右手を首もとにやり、親指を立てて、首の左から右へと動かす。端的に解釈すれば首を切られるぞ、と言っているよう。

ガイドブックでは、パナマシティでは平均100件の犯罪が一日に起こっているという。そしてそのほとんどが、旧市街のある地区で起こっているとも。その地区はここから近いものの、そこには入っていないと思っていた。

でも、危険地帯では長老の言うことは聞いた方がいい。おそらくそれだけのものを他の人よりも長く見てきているから。ぼくは来た道を戻る。

だが、さっきの歩行者天国となっている通りの入り口には戻らず、バスも通っている別の通りを見に行ってみた。小さなスーパーがあったので、そこで水を買う。ちょっと歩くと、バスが通っている道に出る。その通りの壁にはDOnationとかyoung,drug,arcoholなどという文字とともに、頭を抱えている人の絵やドラッグの絵が描かれている。今思うと確か英語で書かれていたはずだが、なぜスペイン語でなかったのか、あるいはぼくが勝手に英語として見ていたのか、ちょっとひっかかるところはある。

ただ、そういう問題がこの地区にあることはわかった。先ほどの年寄りはこうしたものを見てきたのだろう。

その壁の絵の写真を撮ろうと立ち止まると道端で、飲み物を売っていたヨーロッパ系のおばさんが、親しげに話しかけてくる。その飲み物を飲まないかということだったで、1杯もらうことにする。

パイナップルのかけらが入った透明のもので、たとえて言うと、パイナップルの缶詰の汁のようだった。おばさんはそれをぼくに渡しながら、ここは”peligroso(ぺりぐろそ)"と言う。そして、ここは"zona roja(ソナ ロハ)"と呼ばれていると、眉間にしわを寄せ、真剣な表情で言う。

両方とも以前に聞いて知っていたが、すぐには対応する日本語が出てこない。”peligroso"って聞いたことがあるけど、なんだったっけと思っていたら、話し続けていたおばさんの言葉の中に"seguro(セグロ)"と言う言葉を聞く。これは安全(safe)に対応する言葉で、銀行の広告やホテルの広告によく載っていて覚えていた。そして、”peligroso"がその反対の概念、つまり”危険”を表す言葉だということをようやく思い出した。

つまり、おばさんはここは危険だと言っていて、そうとわかるとさっきからおばさんが何を言っているかすべてわかった。おばさんは今買ったものを飲んだら早く、ここを出た方がいいと言っているのだった。

"zona roja"も英語にすればred zoneのこと。さっきのおじいさんの言葉と壁の絵、そしてこのおばさんの言葉に、そんなに何があるかわからない地区なのかと改めて知らされたので、ちょうど走ってきたバスにコップを持ったまま乗り込む。

おばさんはこっちを見て、うんうん、うなづいている。

そのバスは宿に近い通りも通るバスだったので、まだ17時前だったが、宿に戻ることにする。買ったジュースはパインは食べきったものの、ジュースが甘すぎてとても飲む気になれず、発泡スチロール製のコップに入ったまま。揺れるバスにジュースがこぼれないか気を使いながら、外を眺める。

何度も通った通りに入り、隣には体格のいいおばさんが座った。ぼくはときどき窓から写真を撮ったりしている。

そして、降りる場所が近くなったとき、手元にあったはずのカメラがなくなっていることに気づく。バスは渋滞でなかなか先に進まない。

いつもはカメラに付けているストラップを手首にかけていて、自分でもそうしているものと思っていたが、無意識のうちに外していたようだ。カバンを見てもない。その様子を見たのか、隣のおばさんは腰をどかす。そして、渋滞を待ちきれなくなったのか、すたすたと突然バスを降りていった。

ぼくはおばさんが座っていた座席や座席の下などを探し続けるが、見つからない。バスはやや前に進む。そして、その瞬間、さっきのおばさんが盗っていったのではないかという可能性に気づく。

ただ、おばさんが降りてからもう数分経過しており、今、降りたとしてもおそらくわからない。何より顔を覚えていない。隣に座っている状態なら聞くこともできるが、路上でそれらしき人を見つけても知らん顔をされればそれまでだ。

相手はぼくの外見からすぐにぼくだとわかるだろうが、例えば別のバスに乗っていたりしたら、ぼくはおばさんを判別できない。

こういうときの反射と瞬発力が、ぼくにはないことを改めて感じる。いろんな可能性を考える前に、さっさとおばさんを探せばいいが、それよりもありえることをいろいろ考えすぎて時間を食う。

やっと、もしかしたらけっこうまぬけなおばちゃんかもしれず、その辺をうろうろしているかもしれないという可能性を考え付いたところでバスを降り、来た道を戻ったが、いるはずもなく、そこでカメラが戻ってこないことを認めざるをえなくなった。

午前中の郵便局探しといい、カメラの紛失といい、今日は禄なことがない。幸い保険に入っていたので、保険を請求すればカメラ代とXDカードの代金は100%ではないにしろ戻ってくる。が、コスタリカからここまでの写真のデータはバックアップをとっていなかった。今思えば、今日、宿を替えた後に宿のパソコンででもバックアップをとっておけばよかったが、あれこれやることがあるし、これまで大丈夫だったから、大丈夫だろうと思い、先延ばしにしていた。

また、この2日間は国境に泊まったり、ネットのない宿だったのでパソコンにアクセスできなかったことも多少は影響した。

保険を請求するには基本的に警察の盗難に関するレポートが必要。でも、すでに暗くなりはじめているので、今日、警察に行くのはやめ宿に戻り、保険の証書を読む。

それによれば何かあればコレクトコールで対応してくれる窓口あるとあったので、それで相談してみようかと考える。コンビニのような店の中にある公衆電話まで行き、いざコレクトコールをかけようとしたところ、まずコレクトコールをつないでくれる、この国の国際電話局のオペレーターを呼び出す番号がわからないことに気づく。

保険の証書にはイギリスやアメリカなど、日本人がよく行く国の番号は載っているが世界中を網羅していない。解説にはホテルのフロントに頼めばつないでくれるとあるが、さっき宿のフロントの人に言ったら、ここの電話ではできないようなことを言われる。そんなはずはないと思うのだが、ちょっとずれたとようなところのにいちゃんなのでわからないだろう。

そうするとネットで調べるか、近くの高級ホテルに聞きに行くかということになる。ネットで調べたが、他の国のは別の保険会社のホームページにあったものの、パナマのがない。

世界中のコレクトコールの呼び出し番号を整理したページがあってもよさそうだったが、探し方が悪いのか見つからなかった。

ホテルに行くという選択肢も考えたが、気が進まずやめる。高級ホテルはちょっと離れたところにあり、暗くなっていたこともあり、どうも悪いことが続きそうな予感だったのでやめる。

そして、明日警察に行くことにして、宿のパソコンで保険会社に質問のメールを出した後は、のんびりと考えごとをする。明後日にはパナマシティを出るから、明日、警察のレポートをもらわないと、出発日を替えるか、レポートを諦めるかしなければならない。出発日を替えるとなると、また手数料が数十ドルかかる。

そんなことを考えていても、どうこうなるわけではないので、気分を変え、南米のガイドブックを見ながらルートを考えたりする。ガイドブックを見ていたら、とても数ヶ月ではまわれないように思えてくる。やっぱり各地域ごとに半年くらいないと細かくは見て回れないななどと思う。また、世界を見尽くすことはたぶん人生のすべての時間をかけても、ほとんど不可能なのかもしれないとも。

100カ国以上、旅して回ったという人は、ネットで探せばごろごろいるが、1カ国に1ヶ月いるとしても100ヶ月以上、つまり10年近くかかる。

1つの大きなまちを見ようと思えば1週間はかかるので、1ヶ月いてもせいぜい10カ所も見られればいい方だろう。

もちろん、何を見るかによるが、ぼくの趣味の範囲でいうと、そういう計算になる。

旅の途中で会うヨーロッパ系の旅行者はたいていが1ヶ月単位で旅行をしており、そのぶん、日本人はあまり行かないところまで行っている人が人が多い。彼らも感覚的には日本人の一般的な観光旅行とあまり違わないのかもしれないが、ガイドブックの内容で比較する限りでは、だいぶ見ているものが違うのかもしれないと思う。

ガイドブックを持っている人が、それをちゃんと読んでいるかという問題はあるにしても、少なくともガイドブックの会社は、こういう点は知っておいた方がいいと判断して書いているのは間違いない。その知っておいた方がいいという範囲が、日本でメジャーなガイドブックと比べると圧倒的に広い。英語(他の言語はわからないので)で書かれた3種類ほどのガイドブックを読む限りでは、そう思う。

ふとガイドブックの比較研究をやっている人がいるのかどうかが、気になる。もしいればその人の書いたものなどは、けっこう面白いかもしれない。ただ言葉の壁があるからなかなか難しいだろうな。自前のガイドブックを持っていない国も多いだろうし。

夜は相変わらず寝苦しい。

おわり

08/04/14 キトよりアップ

パナマシティで宿替え、チケット購入

2008.4.9(水)

・宿探し、チケット探し
・キト行きチケットゲット
・林立する高層ビル

エアコンをつけずに寝ていたら、やはり朝には蒸し暑くなった。

テレビをつけ、CNNのニュースをボーと見る。もうメジャーリーグは開幕したんですね。

この宿には朝飯はついていない。チェックアウト時間は14時なので、それまで次の宿と飛行機のチケットの下調べをすることにする。

宿から出て幹線通りでバスを待つ。目的の安宿はここ旧市街ではなく、新市街にある。新市街までは一本道でつながっているが、2~3km離れている。

まちを走っているのは、色鮮やかにデザインされたバスたち。運転手の趣味なのであろう、それぞれのバスには様々な絵が描かれている。中にはボブ・マーリーもあるし、キリストなどを扱った宗教的な絵を描いているバスもある。

バス乗り禁止のマークの下が、バス乗り場らしく人が集まっているところでぼくも待つ。フロントガラスの下にそれぞれの行き先(主には通り名や番号)が書かれており、それを見ているとけっこういろんなルートがあることがわかる。

どれに乗ったらいいかわからないので、待っている人に聞くと、ぼくの行き先にはどのバスが行くかわからないという。地図で最寄りの通りの名前を調べ、適当にバスの運転手に聞いて乗り込む。乗り込んだときに1米ドル札を渡すと75センターボのお釣りがあった。

パナマ市内のバスは、前乗り・前降り制で、料金は後払い。ぼく以外の人はみな乗り込むときにはカネは払っていなかった。こういう後払い制は今回の度で初めて。後払いだからといって、距離に料金が比例しているわけではなく、0.25ドルの均一料金。

パナマも米ドルがそのまま流通しているので、エルサルバドルで余った米ドルコインが使える。しかし、こういう自国通貨を作っていない国は、金融政策はどうなっているのだろう。貨幣の発行量を調整するなんてことはできるのか。

バスは、人が立っているところに次々止まるので、5分も続けて走らない。止まってばかり。さらに渋滞しているから、100m進むのに10分くらいかかる。自転車で移動した方が圧倒的に早い。各まちや各宿で自転車のレンタルがあったらどれだけ移動がスムーズだろうかと思うこと、たびたび。ニカラグアとかでは自転車に乗っている人がけっこういたのに、バスから見る限りじゃ、ほとんど見ない。たいして勾配があるわけでもないのに、なぜチャリに乗らないのか不思議。

前もって行きたいところを告げていたので、近くに来ると運転手が教えてくれる。

バスを降りたら近くにコロンビアのAvianca航空があったので、そこでチケットの値段を聞いてみる。パナマシティからボゴタ経由でキトに行く往復のチケットは586米ドル。やっぱり高い。片道を聞いたら550米ドル程度。ほとんど変わらない上、やはりここでもキトからの帰りのチケットを買わないといけないと言われる。

情報だけ聞いて店を出る。歩いて宿探し。ガイドブックに載っていた8ドルの宿を探す。ガイドブックに載っている住所に行くと、看板はあったもののどこから入ればいいかわからない。ビルの入り口にいた警備員に聞くと、ちょっと待ってと言って、カバンからこの宿のチラシを持ってきた。

それを見たら、この宿は引っ越ししたらしい。そこまでの道を教えてもらい、また歩く。宿はバスを降りた場所からけっこう離れていた。幹線道路のエスパーニャ通りからは歩いて10分足らずだが、そのエスパーニャ通りは一方通行で、ダウンタウンから来るバスは通れない通りになっている。

ダウンタウンから新市街に向かうバスはエスパーニャ通り(Avenida Espana:スペイン語標記ができないため文字が不正確)から500mほど離れた50号線(Calle 50)という通りを通る(正確には一本道でも区間によって名前が変わるため、別の名前の通りも通っている)。

しかも移転した先はゆるやかな坂道を上っていった先だった。料金も1泊10.5ドルになっていた。この暑さで、あの重さでこの距離はちょっと面倒だなと思い、他に安い宿がないか探す。

宿に戻る道を歩きながら、通りがかったトラベルエージェントでチケットを聞いてまわったりもする。

昨晩から泊まっている宿の周りには、他にもホテルがあるのだが、ぼろそうなところに行っても、たいてい20ドル以上。表に10米ドルと掲げている宿も値上げしたのか、10ドル台がほとんどない。

もうお昼が近くなっていることもあったので、新市街の宿に移ることにして、宿の近くの食堂で食事をする。地元の店だろうと思ったら入ったらカウンターにいたのは、台湾系の夫婦。彼らが店主らしい。他に地元の人がウェイターをやっている。

店主等はスペイン語で注文を聞いてくるが、ぼくが聞いても中国語あるいは台湾語なまりのスペイン語。つまり、声音(だったっけ)がついており、音程だけ聞いていると中国語かと思えるほど。

ぼくは彼らが何を言っているかさっぱりわからず。とりあえずぼくはスープが食べたかったので、それを伝えるが、まだ何か聞いてくる。で、わからずに首をひねっていると、店主等の後ろにいた生粋のパナマ人らしき男の人が、"Sopa y Arroz ,1 dollares"と言う。"Si"とぼくは了解すると、それでことは済んだ。

食事をすませ、宿に戻り、荷物を持ってバス停へ。どのバスも混んでいて、さっきと同じバスに乗れそうにない。まぁ、近くまで行けばいいやと、乗客の少ないバスに乗る。

すると、さっきのバスでは右に行った交差点をこのバスは左に曲がる。えーっ、なんかぜんぜん違うところに行きそう、と思い、次に止まったところで降りようと思ったが、方角的には近づいているようなので、しばらく様子を見て、おそらくここらへんのはずというところで降りる。そこはパナマ大学のすぐ近く。学生がじろじろとこちらを見る。

ぼくは宿の方に歩く。そのうち見えてきた看板を見ると、間違ってはいなかった。近くまで来ている。宿はVia Argentinaという通りにあるのだが、歩き方の地図には通りの名前がほとんど載っていない。よって、使えない。

これまでの経験でいうと、中南米でバスに乗るときには通りの名前が重要。それを載せていないなんて、ダメだ。あとでロンリープラネットをみると、倍ほどの紙面を割いているが、細かい通り名まで書いていた。こうでなくては使えない。

さて、地図の問題のみならず、パナマシティは歩いていても通りの名前がわからない。たまに通りの入り口には通りの名前を書いた看板があるのだが、基本的にはあまりない。

目的のVia Argentinaと接している通りには来たものの、どの通りがそれなのかがわからない。さっき通った雰囲気に似ている通りがあり、ここかなとも思うが、確認するため聞く人も近くにいなく、いやもうちょっと離れてるだろうとも思ったので、先に進むと、先の直感の方が合っていた。

ここかもと思ったが通り過ぎてから10分ほど歩いたところで聞いたら北方向を指さされ、がっくり。来た道には戻りたくないし、こっちの道もVia Argentinaにぶつかりそうだからと思って、そっちの道を歩く。果たしてねらい通りにVia Argentinaにぶつかったのだが、さっき通り過ぎた通りの入り口からは10mほど入っただけのところだった。ため息。

暑さと重さと坂道で、汗が噴き出し、指先から汗がしたたり落ちる。寝袋もあるし、もうここらの路上で寝るかな、なんて思いつつも、もうちょっとだからと言い聞かせ歩く。

坂道を上りきったところで、宿が入っているビルを前方に発見。通りの花壇の縁に座り、しばし休む。

また、気合いを入れ直して歩き、ホテルにチェックイン。旧市街の宿をチェックアウトしてから1時間以上たっていた。やれやれ。

部屋は2段ベッドが3つ入った6人部屋。先客が3人おり、みな学生くらいの女性だった。

荷物を置いて、フロントで宿代を前払いし、航空券を買いに出る。Copa Airlineに行ったが、やっぱり600ドル台なので、さっき行ったAvianca航空で買うことにする。一応、コロンビアにも滞在したことになるから、まぁ、いいかということで。

さっきとは別の女性が対応してくれる。さっきの人は英語を解したが、今度の人はスペイン語のみ。対応は丁寧だった。さっきとは違う人なので、念のため、自分は日本人だが、帰りのチケットは買わないといけないかと訪ねる。すると、別の人に聞いたりしてくれる。そして、机にあったパソコン画面をぼくに見せる。そこに英語で文章が書かれてあって、たしかに帰りのチケットが必要だと書かれてある。

搭乗拒否にあっても面倒なので、往復で買うことにする。ルートはコロンビアの首都ボゴタ経由。

トラベラーズチェックで払えるか聞いたところ、あまり扱ったことがないらしく、電話でどこかに問い合わせている。電話が終わって大丈夫とのことだったので、それで支払う。

プリントアウトしたチケットを見せながらスペイン語で”Entiende(エンティエンデ:わかりましたか)?""Completo(コンプレート:全部わかった)?"と、ひとつひとつ確認。ほんとに丁寧だ。

最後の方はよくわからない部分もあったが、チケットがあれば大丈夫だろうと店を後にする。店内は冷房がきいており、ちょうどぼくはクーラーの風が直にあたるところで手続きをしていたので、すっかり体が冷えてしまった。

冷えた体には外気は暖かく気持ちいい。

とりあえず今日のノルマは終わったので、あとはぶらぶら。銀行に行きたかったので、目的の銀行を探す。が、これがまた見つからない。あっちに行き、こっちに行きして見つかったのは夕方の5時過ぎだった。当然閉まっていたので、用事は明日すますことにする。

それにしても新市街には建築中の建物が多い。どれも100mはある建物でざっと数えても30階は越えている。これだけ高層ビルが建っており、かつ建築中でもあるまちは中米でははじめてみた。どれもマンションのようで、建築現場には高級感あふれる完成予定図が張られてある。

誰がこんなところに住むのだろうと不思議に思いながら歩く。

ちょっとまちから離れたところに行ってみようと思い、適当にバスに乗る。20分ほど乗って、野菜の露店が並んでいる場所で降りる。郊外というよりも中心部のまわりを走っている幹線道路沿いというところで、バス待ちをしている人も多い。

果物や野菜などを並べた露店が6軒ほど軒を連ねており、どこも品ぞろえは似ている。60cmくらいあるパパイヤは縦半分に切られて売られており、値段は0.7米ドル。安い。

買って帰ろうかとも思ったが、冷蔵庫にも入りそうにない大きさなので腐らせるだろうと思い、何も買わず。そのかわりでもないが、箸の露店がバティド(Batido:シェイク)を売っていたので、パパイヤのバティドを飲む。ジューサーにパパイヤの切り身を半分ほどまで入れ、そこへ牛乳、塩と砂糖と思われる2種類の白い粉、それから何かわからぬ黒い液体をちょびっと加えて、最後に氷を入れてスイッチオン。

量でいうと300~400mlある。味は、ちょっとなぁ、いまいち。パパイヤの味が損なわれている。ぼくの好みとしては白いものと黒いものを入れなかった方がうまいと思うんだけど。

暗くなってきたので、宿に帰る。

宿の周りの新市街にはカジノがあり、24時間開いている大型のスーパーもあり、有名ブランドのスポーツショップやアウトレットショップもある。

旧市街では1ドルちょっとで食事ができたが、ここらにあるファストフード系などの店の値札を見ていると最低3米ドル。日本で考えても高いと感じるくらい。

ここらで食事をしている人たちなんて、ぼくより金持ちなんだろうなと思いながら宿に戻る。

晩飯は、宿に戻る前にスーパーの駐車場にあった露店でホットドッグと大きなジャガイモに味のついたご飯を詰めあげたものを食べる。それぞれ1米ドル。ホットドッグのソーセージは化学物質いっぱいそうで、ちょっとひいたけど、まぁ、こちらの人がけっこう食べていたので、試しにと思い食べる。kれで腹一杯。

宿に戻ってからは、無料のネットをしたり、本を読んだり。

ロビーのソファで本を読んでいると同宿の女の子が”日本人ですか?”と話しかけてくる。そうだというと、自分の母親が日本人だという。ただ、日本語はほとんど話せないようですぐに英語になる。どこから来たのか聞いたらドイツから来たらしい。

宿のにいちゃん(宿主の息子らしい)は、またけったいな奴ですでにぼくのことを日本人をわかっているから、ぼくとすれ違うときにふざけてお辞儀をする。ただ、その仕方は日本人のスタイルと曲げ方とかお辞儀をする速度とかが違うので、最初は何をしているのかわからなかった。あとは手を合わせてみたりとか。そんなことご飯を食べるときとかしかしませんから。

またもや不覚なことに、部屋に扇風機はあるものの、ぼくのベッドまでは隣の人が邪魔になって風が届かず。窓は近くにあるものの風は入ってこない。電球も一つしかないから暗い。

12時には部屋の電気が消える。また、熱帯夜の日々が始まった。

08/04/14 キトよりアップ

シクサオールからパナマシティへ

2008.4.8(火)


・忘れ物危機一髪
・国境はバナナ鉄道
・1時間後の世界
・約15時間の移動

5時頃、目覚める。扇風機をつけて寝ていたら朝にはちと寒くなった。外からはいろんな鳥の声がする。近くからは鶏の鳴き声と牛の声も聞こえる。

部屋をでてみると、部屋がある建物の裏は牛の遊び場になっており、1頭の牛が部屋がある敷地とその遊び場の境まで来ていた。境には有刺鉄線があるからこちら側には入ることはできない。一方、こちら側は鶏の遊び場になっていて、雄鶏・雌鶏がせわしく羽をばたつかせながら走り回ったりしている。そして、ときおりコケコッコッーと雄鶏が鳴く。ぼくが歩いていると鶏が集まってくるので、どうも餌をくれると思っているらしい。

ホテルが面している道路沿いにでる。このホテルは路線バス(長距離含む)の終着点にもっとも近い宿ということで、その運転手等が泊まっており、ホテルの前には10台近くバスが止まっていた。5時過ぎだが、もうだいぶ明るく、道端に停まっているバスの何台かからは低いエンジン音が聞こえる。小学生くらいの子どもたちが、そのバスに乗り込む。こんな朝早くからどこへ行くのだろうか。道路には人の姿はほとんどない。

バスに近づいていき、運転手の女性にパナマに行きたいんだけど、と言うと、タクシーで行ったらと言われる。が、そのあと、考え直したように”Pase(パセ:入って)”と言って乗せていってくれるようなことを言う。荷物を持っていなかったので、スペイン語で”荷物、荷物”とホテルの方を指さし、ちょっと待ってと言って部屋にあわてて戻る。

部屋に戻り、荷物を整理して、バスがいたところに急いで戻ると、バスはすでにいなかった。

リュックを背負ってバスのまわりをふらふらしていたら、準備をしていた別のバスの運転手がどこに行くのか聞いてくる。パナマと言うと、乗れと言われる。

ありがたい、ありがたいと思いながら、乗り込む。進行方向左手、カリブ海の方に太陽が見える。沿道の家家は高床式で、その奥にはわりと大きな集落が見える。

正面からは自転車に乗った男の人たちが数名、こちらに向かって走ってくる。

5分もしないうちに国境に到着。こんなに近かったとは。バス自体は国境に入る道路から左にそれ、路線バスの終着点であるターミナルに行く。その手前で運転手は降ろしてくれる。

国境に入るための道は1本のみ。まだ国境が開いていないのか、路上には20台以上トレーラーが止まっている。パナマ側からは何人もの人が歩いてこちら側に来るので、てっきり歩きの人は通過できると思っていたが、そうではなかった。

バスから降りて国境の方に向かうと、アフリカ系の男性2人が英語で話しかけてくる。トレーラーの運転手らしい。どこに行くのかと聞いてくるので、パナマだというと、パナマのどこだと聞いてくる。細かいことを聞いてくるので、もしかしたらタクシーの運転手かとも勘ぐったが、そうではなかった。彼はそこをまっすぐ行って、コスタリカのスタンプとパナマのスタンプをもらって、その先に行くと左手にタクシー乗り場があって、右手にバス乗り場があると教えてくれる。

トレーラーの間を縫って、歩いてくる人たちが出てくる方向に行くと、目の前に鉄橋が現れた。鉄橋はコンクリートやアスファルトで舗装されてはおらず、分厚い板が路面には敷かれている。それもよく見ると板の間には線路が見える。どうも元線路だったところを車が通れるよう、分厚い板を敷いて段差をなくし、平たくしているよう。

パナマ側からはその板の上を歩いて、パラパラと人が渡ってくる。長靴を履いている男性が多い。

確認したわけではないので、はっきりとは言えないが、つまり、ここの場合、パナマとコスタリカをつないでいるのは、バナナの運搬用に敷かれた昔の鉄道用の鉄橋のようだった。

鉄橋の手前右手にはイミグレの建物があるが、鉄格子の入り口は閉まっている。左手奥には警官が何人かいておしゃべりしていたので、そちらに行ってパナマに行きたい旨を伝える。すると、イミグレの建物を指さして、スタンプを押さなければいけないというような仕草をする。そして、イミグレは7時に開くと教えてくれる。

時間はまだ5時40分。6時の間違いじゃないかと思い、またしばしば7(シエテ)と6(セイス)を間違えるので、時計を見ながらその警官に”1 hora(ウナオラ)?"
と聞くと、”そう、まだ1時間ある”と答える。

こんなことならホテルでゆっくりしておけば良かった。これからまた戻るのは面倒だからイミグレの鉄格子の前に荷物を降ろし、そこで待つことにする。あたりは木々にかこまれており、そこから何種類かの鳥の声が聞こえる。

そういえば、パナマは米ドルだから、細かい米ドルを用意しとかないといけないなと思い、財布と貴重品を入れていたバッグの中を探る。そんなことをしていたときに、ふとトラベラーズチェックと保険証書、さらにイエローカード(黄熱病の予防接種証明書)を入れた袋がまるごとないことに気づく。

ゲゲゲっと思い、どこにやったかを急ぎ思い出す。そう言えば、昨日、宿に着いたとき、ベッドの下に隠したような・・・。一応、リュックの中や手持ちのカバンの中を確認したがない。やっぱり宿に置いてきたよう。

急いでリュックを背負い、バスターミナルに向かう。さっき会ったアフリカ系の人が、パナマに行くんじゃなかったのか?と聞いてくる。忘れものをしたと言うと、パスポートかと聞いてくるが、そこは曖昧にして答えず。

バスターミナルに行くと、さっき乗せてくれた運転手がいて、パナマに行くんじゃないのかと聞いてくる。それで、手元の辞書で忘れたという単語をひき、適当なスペイン語でホテルに荷物を忘れたと言うと、パスポートか、と彼も聞いてくる。ここもとりあえず曖昧にして、出発しようとしていたバスの方に行く。こちらの運転手はいつのまにか去っていた最初の女性の運転手だった。

どこに行くのか聞くので、ホテルだと言う。どうも事態が飲み込めないようで、スペイン語でなにやら聞いてくるが、何を言っているのかわからない。さっき見たはずの忘れたというスペイン語の単語はすでに頭から飛んでおり、また調べる。すると後ろからさっきの運転手が大声で何やら伝えてくれる。それを聞いてようやくわかってくれた。

タダで乗せてくれるかと思ったが、一応、値段を聞くと容赦なく350コロン(約80円)と請求される。なんだよ、たった1kmくらいなんだからもっと安くしてくれよ、とスペイン語ができれば言いたいところだが、言えず。

バスは基本的に均一料金の前払い制。日本のように距離ごとに細かく料金が分かれていない。遠いところに行くには、非常にありがたいのだが、今回のように近場に行くときは損した気分になる(実際は遠い所に行くときには得しているんだが)。

バスはPuerto Limon行き。すでに20人くらい乗客がおり、ホテルに着くまでの間にも10人近く乗り込んでくる。

すぐにホテルの前に着く。バスを降りるとちょうどホテルの管理人のおじさんが表にいた。また、忘れるという単語を忘れる。おじさんに”en habitacion,mi equipaje(部屋に、私の荷物)”と片言スペイン語で言うがまったく伝わらず、おじさんは”1泊1人5000コロンだ”と聞いてもいないことを言う。やはり状況がまったくわかっていないよう。

そんなの昨日泊まったから知ってるよと思いつつ、また忘れるという単語を辞書で調べ、見せる。すると、すぐにわかって、部屋の鍵をくれる。

果たしてベッドマットをどかしてみると、捜し物はそこにあった。まったくアホだ。せっかくただで国境までいけたのに。少し部屋でゆっくりして、今日、使いそうな金額ぶんのお金を用意して、再度宿を出る。

ホテルの前には2台、バスが止まっていたが、その運転手らしき人はいない。まったく発車する気配がないので、ため息をひとつつき、歩いて国境に向かう。

制服を着た中学生くらいの男の子が二人前を歩いている。気温は30度にはなっていないようだったが、日差しはすでに強く、汗がじわじわと染み出してくる。

15分ほど歩くと、トレーラーが見える。また、トレーラーの間をぬって歩いていると、野球帽に半袖のポロシャツ、セミロングのジーパンにスニーカーという軽装のムラートのにいちゃん(30代くらいか)が英語で話しかけてきた。そして、どこに行くんだと聞いてくる。パナマシティだと言うと、タクシーを勧めてくる。

予定では、国境を渡ったところで、バスに乗り、パナマ側の国境近くでは交通の拠点になっているチャンギノーラ(Changuinola)というところまで行き、そこでバスを乗り換え、太平洋側のダビ(David)に行き、そこでパナマシティ行きのバスに乗り換えるつもりだった。

そのにいちゃんは、チャンギノーラまではタクシーで行ったほうが早くていいという。どれくらい時間がかかるか聞くとチャンギノーラまでは30分と言う。運賃を聞くと10米ドルと言う。30分で10米ドルは高いなと思い、妥当だと思う5米ドルにできないか聞くと8米ドルと言う。

彼は横浜や神戸に居たことがあるそうで、日本人にとっては8米ドルなんて安いだろと見込んで、そのような値段を言っているようだった。

考えている間、彼は加えて、国境の向こうでもしタクシーをひろうとなれば15米ドルは要求してくるはずと言う。さらにタクシーを使えば、今日の夜8時くらいにはパナマシティに着けるとも。チャンギノーラからダビまでは10米ドル、ダビからパナマシティまでは12.5米ドルかかるということも教えてくれる。

彼の話から推測すると、バスで行くとすれば、待ち時間も入れるとチャンギノーラまで1時間ちょっとはかかりそう。そうするとパナマシティ着はそれだけ遅くなる。到着が夜になることは避けられそうにないようだが、できるだけ早くつきたい。

そういうわけで、8米ドルの出費は許容するかと思い、彼にOKを出す。すると彼は”Vamos(バーモス:行こう)"と行って国境に向かって歩き出す。

イミグレの建物の前に着き"You have to wait here"と彼は言う。さっきは誰も居なかったが、4人ほどイミグレが開くのを待っていた。

待っている間、彼はぼくに名前を聞いてきて、自分の名前も名乗る。Jose(ホセ)と言うらしい。彼はマリーンで働いていたらしく、日本の他にも中国や香港、ベトナムのサイゴン(ホーチミン)、インドなどに行ったことがあるらしい。

彼はぼくにコービーを知っているかと聞いてくる。コービー? 知らないというと、携帯を取り出し文字を見せる。見ると"koby"とある。はて?

そこで思い出したのが、NBAのスタープレイヤー、コービー・ブライアントの話。聞いた話によると彼のコービーという名前は、彼の両親が日本の神戸が好きだったかなんかで、その神戸から取った名前らしい。

もしや彼も神戸のことも言っているのかと思い、まちの名前かというと、"Yes, big city!"と言うからやはり神戸のことのようだった。

彼は"Japan is rich country."と言って、技術力は高いし、まちはとてもきれいだと付け加える。インドは嫌いだと言うので、なぜか聞くと彼の答えは”Too dirty"だった。

また、彼はベトナムにいたときに良い女の人がいて、その人とパナマで一緒に暮らそうと思いもしたらしいが、彼女をパナマまで呼び寄せるための飛行機代が高くて、それは諦めたらしい。たしかにベトナムからパナマじゃ20万円近くはかかるだろう。ベトナムじゃ20万円なんて、いい給料をもらっている人でも数年ぶんの収入だし、パナマ人にとっても金持ちじゃないとなかなか出せない金額だろう。

7時。イミグレの窓口が開く。パスポートを持って待っていたら、ぼくの後ろにいた男の人がこれが必要だと言って、彼が持っていた出国カードのようなものを見せてくれる。どこで手にはいるか聞くと、窓口の方をあごでさす。

窓口の男性にドキュメントをくれというと、何もいわずにくれる。そこに必要事項を記入し、それとパスポートを持って待つ。

10分ほどで自分の番がまわってくる。それらを出すとパナマに行くのかと聞かれただけで、他に質問はなし。スタンプを押してくれる。

さて、次はパナマの入国手続き。問題はこちら。情報によるとかなりの確率で、陸路での入国でも出国用のチケットの提示を求められるとあった。それは飛行機でもバスでもいいらしいが、昨日の結果、飛行機のチケットはないし、バスのチケットも買っていない。さてさて、どうなることやら。ただ、この国境の雰囲気から言うとチェックはぬるそう。

鉄橋を歩いて渡る。歩行者はトレーラーなどが通る脇の鉄板の上を歩く。基本的にさびていて、一部隙間ができている。近いうちにこれは作り替えるなり改修するなりしないと、この鉄板もさびて弱くなり誰か落っこちることになるんじゃないかと思えるくらい。

鉄橋の下には幅30mくらいはある川が流れている。水の色は茶色。鉄橋の真ん中よりややパナマよりまで行くと、歩行者用の通路は欠けていて、前から来る人たちはトレーラーが通っている真ん中部分(枕木)を歩いていた。混雑しているのか、トレーラーが2台鉄橋の上で止まって動かない。前からも人が来るので、道を譲り合いながらでないと、前に進めない。

距離にすれば50~100mほどだろうか、鉄橋を渡り終え、パナマに入国。

パナマ側に上陸すると、靴磨きの道具を持った10歳前後の男の子が二人いた。鉄橋を渡り終えた左手にパナマ側のイミグレがある。ホセがこっちだと言って、そこを案内してくれる。

そこの窓口の女性にパスポートを出す。手続きが終わるのを待っていると、その靴磨きの少年の一人が寄ってきて、何やら言う。何を言っているのかわからなかったが、どうも靴を磨かせてほしいと言っているよう。ぼくのはランニングシューズだし、第一くさいから彼に良くない。

なので、断る。特に質問もなくパスポートは戻ってきた。パスポートを返しながら女性が何か言うがよくわからない。それをホセが訳してくれて、こっちでツーリストカードを買わないといけないと案内してくれる。

ぼくが理解したのを見て、窓口の女性はぼくの横にいた靴磨きの男の子を呼び、なにやら叱っている。彼はにこにこしながらそれを聞いていたが、たぶんここでの商売は禁じられているのであろう、バス乗り場などがある方へ歩いていった。

イミグレの窓口の3つほど隣に、また事務室があり、そこに入る。事務室には年輩の男性が一人いて掃除をしていた。彼がここの主らしく、ホセが彼に何か言うと、彼は机に書類を取り出し、ツーリストカードを発給する準備を始める。

名簿に自分の名前と国を書くように言われる。名簿を見るとUSAやAustraliaの人の名前がある。

すぐにツーリストカードは発給され、それをパスポートと一緒にしまっていると、ホセが入ってきて、それにスタンプを押してもらわなければいけないと言って、それを渡せと言う。渡すと、さっきの窓口に行ってスタンプをもらってきてくれる。

これで入国手続きは完了。

時計を見ているとホセが、パナマは1時間プラスだと教えてくれる。今の今まで7時すぎだったのに、橋を渡ると1時間後だった。時計の針を1時間すすめないといけない。

線路後を歩いていくとすぐに左手にタクシーが数台止まっているところがあった。そのうちの一台に案内され、運転手を紹介され、彼に8ドル払うようにホセに行われる。てっきりホセが運転手だと思っていたので、こうなるとは思っていなかった。

荷台にリュックを乗せる。後部座席にはすでに3人の地元の乗客が座っている。これまたてっきり一人乗りだと思っていたが、外れた。乗り合いタクシーとなれば8米ドルはかなり高い。でも、いまさらごねるのも格好悪いので颯爽と車に乗り込む。

タクシーに乗り込むとホセは握手を求めてきて、英語で別れの挨拶を言う。

車はすぐに発車。トヨタ製のタクシーは快調にとばす。道路も舗装されきれい。右手にはすぐに広大なバナナ畑が見える。

20分ほどでチャンギノーラのバスターミナルに到着。そこでダビ行きのマイクロバスに乗り換える。マイクバスの運転手に促され、リュックを後部の荷台に乗せる。良かった、これで雨がもし降ってもリュックが濡れることはない。

待つこと20分ほど。パナマ時間9時過ぎにバスは発車。発車と同時に頭の上から冷気が降りてくる。このバスも運転手と客寄せ兼集金の二人体制。客寄せ担当の方が、車の窓を閉めるよう言う。せっかく窓際に座ったのに、これじゃだいなし。しかもスモークがかかっているから、外界の色がちょっと変わってしまう。

頭の上から吹き付けてくる冷気は異常に冷たく、汗が一気に冷える。止めようと思っても、操作できないよう防御されている。それもあり、2度だまって窓を開けたが、その度に注意される。いつもそうしているのか、あるいは窓を開けるのを警戒してか、集金担当の彼は後ろを向いたまま立っているので、3度目はできなかった。他の乗客も強すぎる冷気を気にしている様子。一人の若い男は上着を取り出し、それを着ていた。なんで運転手に弱めろとみんな言わないのか、不思議だ。

チャンギノーラのまちは思いの外大きく、しばらく商店が並ぶ道沿いを走る。バナナのまちということなのか、道沿いに見えるレストランの中には、チキータバナナという看板を掲げいる店もある。

まちを外れると車道横に線路跡が見える。線路の脇には民家が建ち並び、それを抜けるとまたバナナ農園が広がる。

20分ほどすると、バスは信号待ちで停車する。信号は鉄橋の入り口にあり、ここも国境と同じく鉄道用の鉄橋のようだった。停まったバスにバナナチップスをかかえたおじさんが寄ってくる。が、入り口のドアは開かない。昨日の晩はクッキーを少し、今朝は何も食べていないという状況だったので、窓を開け、おじさんに向けて手を振る。おじさんは気づき、こちらにやってくる。値段を聞くと50センターボ(0.5米ドル)という。袋には小さい紙が付けられていて、そこには商品名と賞味期限らしき日付まで書かれてある。道売りの人から買ったもので、こんなものが付いてるのは初めて。

バスは、徐々に山の中に入っていく。山は、コスタリカ同様緑の種類が豊富。だが窓が開けられないのが、残念。

くねくねした山道を走っていくと、道に沿って高床式で椰子の葉葺きの家々が見えてくる。ベリーズで見た先住民系の人たちの家と同じ。沿道には制服を着た中学生くらいの男の子や女の子がときどきいて、何人かはバスに乗り込んでくる。たまに民族服を着た人もいるが、ベリーズの同様の地域やグアテマラに比べれば圧倒的に少ない。

パナマにも先住民系の民族が つあり、 と は自治区になっている。そのうちの は観光を受け入れており、観光客も行けるが、残りのふたつは基本的には入れないことになっている。

その地域にここが当たるのかは、勉強不足でわからない。

座席はすでに満席だったので、途中で乗ってくる子等は通路にギュウギュウに押し込められる。モンゴロイド系の子が多いが、アフリカ系の子やヨーロッパ系の子も見える。彼らは途中、学校の前でみんな降りていった。

11時30分、Chiriqui Grande(チリキグランデ)というまちのターミナルに到着。ここで客が3分の1ほど入れ替わる。

待っている間は、エンジンを切るため冷房も切れる。久々に窓が開く。そしてそれ以後は、2度と冷房が付くことはなかった。山の間だけということなのか、それとも単なる気まぐれか、なぜこの間だけ窓を閉めて切っていたのか謎だ。すれ違うバスの中には、窓を開けて走っているのもあったのに。

バスはさらに山の中に入り、ときおり左手にはカリブ海が見える。あいにく曇っているから、海の色も冴えない。右手には山並みが見え、見た感覚だと1000m超の山々が連なっている。相変わらず緑は濃い。

段々と窓から入ってくる風がひんやりとしてくる。

苦しそうに山道を登り終え、下りに入ると右手奥には平べったい空間が広がっているのが見える。曇っていて、空と地上との区別が判然としないためわからないが、おそらく晴れていれば太平洋が見えるのではないかと思う。ようやく太平洋側に出たのは間違いなさそう。

カリブ海側は緑の濃い熱帯雨林という様相だったが、一転して太平洋側の山の斜面は放牧場になっている。こちらの方が、傾斜がゆるいということもあるのだろう。

それから下りは、ずっと放牧場が続く。窓から入る空気も生ぬるくなってくる。グアテマラ同様、牛の数にしては土地が広すぎるように思うが、季節によって牧場の使い方が違ったりするのだろうか。なぜこんなにだだっ広いのか、謎だ。

チャンギノーラを出て、約5時間後、パナマ時間の13時半頃、ダビのバスターミナルに到着。久々の本格的なバスターミナルで、楕円形場の建物を取り巻く形で、各地に向かうバスが止まっている。

バスを降り、荷物を背負う。さて、パナマ行きのバスはどこかときょろきょろしていたら、建物の壁にこのターミナルの見取り図が貼られていた。これはありがたい。

それを見ると、このターミナルには40近くの乗り場があり、それぞれで行き先が違う。パナマ行きは29番乗り場で、一番北側。乗り降りしている乗客も多く、店も多い。面白いと思ったのが、売店で鞍を売っていること。土産物にしては、こんなところで売るのは不適当だと思うので、おそらく実用品なのだろう。

見取り図のおかげで迷うことなく、パナマ行きのバス乗り場にすぐにつく。運のいいことに、ちょうど14時発のバスがあった。窓口でチケットを買う。12.5米ドル。

乗り換えの時間が15分ほどしかなかったが、売店でハンバーガーとトルティージャケーキ(?トウモロコシの粉で作った蒸しパンみたいなの)を買う。二つ合わせて3米ドル足らず。コスタリカより安い。

バスは大型バスで、車内には2カ所ブラウン管のテレビがぶら下がっている。ほぼ満席。窓は開けられないようになっており、また寒い思いをするのかと思いきや、奇跡的なことにこのバスの温度設定はまともだった。

たぶん25度程度で、暑くもなく寒くもなく、やや涼しいと感じるほど。こんなまとな温度設定はアメリカ以来。やるな、パナマ。

気持ちの良い温度に、腹も膨れて、あとは終点を待つだけという気楽な状態になったこともあり、だんだん眠くなる。幸いなことに(?)窓の外は、雑草地ときどき牧場、ときどき民家とあまり変化がない。寝る。

バスは時折乗客を降ろしながら走る。

ダビを出て、約3時間後、Santiago(サンチアゴ)のターミナルに到着。レストラン付きのターミナルで、ここでみんな夕食をとる。ぼくもPapas salteadas(ジャガイモのペースト)とGuacho Deldoreo(※スペルが合っているか疑問。トマト味の鶏肉と野菜の炒め物)、Arroz con lecheを食べる。それぞれだいたい1ドル。

Arroz con lecheは、グアテマラシティで飲んだような暖かい飲み物としてではなく、ゼリーのように小さいカップに入った冷たいデザートとして売っていた。グアテマラシティで飲んだものよりも甘い気がする。

30分ほどここで休憩して、バスはまた走り出す。だんだんと空は暗くなり始め、6時過ぎには完全に暗くなる。暗くなると車内ではテレビで映画が放映される。

うとうとしながら、窓の外を見ていると、空がときおり光っている。音は聞こえないが、雷が鳴っているよう。国境で会ったホセは、20時にはパナマシティに着くと言っていたが、どうもその見込みは甘いような気がしてきた。グアテマラシティで買った中米の地図を見ても、もう1時間ちょっとで着くとは思えない。

雷の光を見ながら、パナマシティも雨が降っていたら最悪だなと思う。そもそもバスがどこに着くかわからないし、安宿街は治安が悪いらしいから、歩いて宿を探すのはちょっと面倒だな、と思いながらうとうと。

そして気が付いたら、パナマシティに着いていた。楽しみにしていたパナマ運河を渡る瞬間を完全に見逃す。地理的にはパナマ運河を渡ることで南米大陸に入ったことになるのだが、その瞬間を不覚にも逃すとは、アホだ。

まわりをみるとみんなバスを降りようとしているところで、ぼくも荷物を持って外に出る。

驚いたことに、ここのバスターミナルもでかい。2階部分にバスは止まったようで、一階部分を見下ろすとそこにもバスがどんどん入ってきている。ここも楕円形状になっており、建物の外側が乗り場になっている。そして建物の内側は10m近くある広い通路の両脇にきれいな店がずらっと並んでいる。

時間は21時30分。

リュックを一旦ベンチに置き、さてここからどうするかなぁ、と考えていたところへ、会社の制服を着た女の人が話しかけてきた。"Habla espanol(アブラ エスパニョール:スペイン語はしゃべれますか)?”と聞いてきて、少しと答えると、ホテルを探しているのか聞いてきた。そうだと言うと、トイレ付き、お湯が出るシャワー付きで20米ドルの部屋があると言う。

どうもホテルの売り込みの人らしい。見ると、近くにはホテルの写真、連絡先などが書かれた看板があり、その下には空港のインフォメーションのような受付ボックスがある。

聞くとホテルまでの送迎も含めて20米ドルと言う。パナマシティでは8米ドルくらいの宿に泊まろうと思っていたので、ちょっと予算オーバー。聞いても安くはならないらしい。

自分で探すとなるとここからバスに乗ってホテル街までどれくらい時間がかかるかわからないし、安宿がすんなり見つかるとも限らない。そうすると下手したら宿を決めるのに23時くらいまでかかる可能性もある。あれこれとしばらく逡巡した結果、予定を変更してこの宿にすることにする。

1泊だけと頼むと、迎えが来るから待ってとその女性はいい、ボックスの方で新聞を読み始める。

15分ほどしてHotelと書かれたトヨタのワゴンが到着。それに乗り込む。運転手は若いおにいさん。これがなかなかひどかった。

急発進、急ブレーキは当たり前。おいおい、アクセルの踏み方おかしいだろ、と思うのだが、キュッキュキュッキュと踏み込む。そして、交差点ではポッピングブレーキ。ヤン車ならともかく客を乗せたホテルの車がポッピングブレーキなんて、そんなことありえませんから。

背負いなおすのがめんどくさいからと、ぼくはリュックを背負ったまま車に乗っていたため、前に横に振られる振られる。おにいちゃんは、そんなことに気づいているふうもなく、ゴキゲンよろしく運転している。

オレンジ色の街灯の光をくぐり、静かに夜のパナマシティに入っていくつもりが、なんですかこれは!

幸いなことにホテルはターミナルからそう遠くなく15分ほどで宿に着いた。やれやれと思いながら車を降りる。このにいちゃんは、ぼくの荷物を持とうともしない。こちらではマイクロバスの運転手などは、客の確保のためだろうが、率先して荷物を運んでくれたりするのが当たり前だったから、あんたちょっとマイクロバスの運転手とかに弟子入りしたらと思うも、そんなことは言えず。

ホテルの受付で、宿泊カードに名前などを書き、1泊ぶんの料金を払う。鍵をもらう。408号室。エレベーターはなく、疲れた体にむち打ち、リュックを背負って4階まであがる。

ホテルは日本で言うビジネスホテルそのままという感じ。部屋はこちらの方が広いが、机にエアコンに、トイレとシャワールーム、ケーブルテレビがある。扇風機派のぼくとしては扇風機がほしいのだが、あいにくない。

シャワーを浴びて、ベッドにねそべりテレビを付ける。ここも圧倒的にアメリカの番組の吹き替えなどが多い。フランス語やドイツ語の番組はない。

CNNにチャンネルを合わせていると、ハイチのニュースが数秒だけ流れる。ポルトープランスをパトロールしていた国連軍の兵士が発砲したらしい。映像を見ているとぼくが泊まった宿の前にあった中心部の広場で、それは起こったよう。トラックに乗ってパトロールをしている国連軍に対し、ハイチの人が抗議をしていたら、突然ある兵士が発砲した様子をテレビは放送していた。

夜は蒸し暑さで何度か目覚める。パナマは蒸し暑い。

2008年4月10日木曜日

パナマ入り

昨日4/8の夜にパナマシティに入りました。

今、4/9の14時過ぎです。これからペルー行きのチケットを買いに行きます。

この間のことはまた。では。