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2009年9月22日火曜日

[diary]ジプチに入国

ジプチに入国

08/10/12(日) 晴れ
[Diredawa:Ethiopia→Djibouti Villa:Djibouti]
レート:1米ドル=176ジブチフラン=100円

・2時起き、4時発
・国境、わけのわからない検問
・久々の海
・汚い住宅街、アリババ
・ヨーロッパ的&アラブチックな中心街
・高い物価

エチオピアはディレダワの朝。というか、まだ夜中の2時に目が覚める。2時半に携帯電話でアラームを設定していたのにそれよりも早く起きる。ここのホテルはここ数ヶ月ではかなりいい部類に入るのだが、まぁ、それだけのカネ(1泊100ブル≒1100円)を払っているから当然かもしれない。この宿賃もここ数ヶ月では最高額だし。そんないいところに泊まったのに朝2時起きなのが悲しいところ。もちろん今日ここを離れなければいけない理由などないのだが、かと言ってもう1泊ここにいる気分にもならないから、結局はしょうがないのである。

さて、ちょっと早く目が覚めてしまったのだが、ここでもう30分あるからと二度寝をしてしまったら終わりだと思い、思い切って体を起こし、完全に起きる。眠い。

荷物の支度をして2時半には宿を出る。外は真っ暗。部屋を出れば外へとつながる中庭だから鍵はほったらかしで部屋を出る。

昨日、バスを予約した宿の前の通りにあるバスの事務所まで歩く。通りに出れば明かりがついているのはそこだけだったので、すぐにわかった。ずいぶん人が集まっている。すでにこうした客を相手に商売をやっている人もいる。

バスの事務所に行き、チケットを買う。ジブチの首都であるジブチシティまでバス代は130ブル(約1500円)。チケットを手にしたらすぐにバスに乗り込む。座席は決まっていないようだから適当に窓際の席を占拠。外にはいくらか明かりがあったのだが、車内は真っ暗。すでに客は半分以上乗り込んでいて、話し声などなんやかんやと声が飛ぶ。

3時前にバスに乗り込んだのに、出発はしたのは結局4時。この待ち時間の意味がわからない。

ヘッドライトの明かりだけを頼りにバスは走る。当然、車窓からは暗闇しか見えない。というわけで、寝る。

6時にもなれば外はすっかり明るくなる。ようやくどういうところを走っているのかがわかる。辺りには緑はなく、半分砂漠のようなところをバスは走っている。ちょうどケニアからエチオピアに行くときに通ったあの国境地帯に風景が似ている。沿道には時折らくだが現れる。また、やはりナイロビからエチオピアに行くときに通った沿道で見た木の枝で骨組みを作って布などを張って作った半球型の家なども見る。

8時すぎ、前方右手に大きな屋根が見えてくる。周りは相変わらずベージュ色の砂の世界。そんな中にぽつんとある大きな屋根とくれば国境に違いない。

バスはこれまで走ってきた舗装された幹線道路からはずれ、右に曲がり、その大きな屋根のほうに行く。やっぱり国境の施設だった。でも、その屋根の下で何をするわけでもなく、バスはその屋根近くにあるコンクリート製の四角い事務所の前まで行って停車。ここがイミグレらしい。
送信者 djibouti


送信者 djibouti


通常なら一人ひとりがイミグレの窓口に行って、そこで手続きするのだが、ここでは乗客みんなのパスポートをイミグレ側がいったん全部集めて、早く終わった人から返却するというやり方だった。すぐに手続きは終わるかと思いきや、これがなかなか終わらない。15分ほどしてもパスポートが戻ってくる気配がないし、他の乗客もめいめいトイレに行ったり、バスの乗客を目当てにチャイを売りに来た人たちからチャイなり朝飯になるようなものを買って、その辺に腰をかけて待っている。

ぼくもトイレにと思って行ってみたが、これが描写する気にならないくらいひどいところだったので、その辺で済ます。暇だったし、まだ何も口にしていなかったので、チャイ売りの女性からチャイを1杯買う。チャイ(ミルクティー)は1杯1ブル(約10円)。女性は魔法瓶らしい水筒にチャイを入れて持ち歩いていて、それをコップ代わりの空き缶に入れて売る。空き缶はフルーツか何かの空き缶らしく円柱形で縦に長く、缶切りで開けた蓋もついたまま。チャイが熱いため、当然入れてもらった缶も熱く、持って飲むのも一苦労。もちろんこの缶は要返却。ちなみにこの時点で、ここに着いてから1時間が経過していた。まだパスポートは戻ってきていない。
送信者 djibouti


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それから30分ほどしてようやくパスポートの返却が始まった。ぼくはここらの人間ではないからか早くに戻ってくる。パスポートを受け取ったらバスへ。

バスはぼくらが待っている間に屋根のある方へと移動してしまっていた。なので、その屋根のあるところへ歩いていく。バスは3台ほど止まっていた。バスの屋根に載せていた荷物を見ればどれが自分が乗ってきたバスかわかるだろうと、それぞれのバスの屋根を見回してみたが、なぜかあるはずの荷物がない。そこで屋根の下のコンクリート打ちの床を見てみると一角に荷物がどさっと無造作に置かれているところがあった。なので、そこまで歩いて行き荷物を確認。ぼくのリュックも降ろされていた。荷物の山の隣には1台のバスが止まっていたので、リュックを持って乗り込もうとすると、近くにいた運転手らしい男が乗るのを制する。ジブチシティに行きたいのだがと英語で言うも、どうも通じていないようでただ首を振るだけ。ちと困る。

しょうがないので、他に止まっているバスを回ってジブチシティに行くかどうか適当に聞くが、どれもいまいちの反応。どうしたものかと思いながらも、まだパスポート待ちをしている人たちの中にジブチシティに行く人がいるだろうと思い、その人たちの動きを待つことにする。
送信者 djibouti


同じバスに乗ってきた人たちのパスポートチェックが終わったところで、また一緒にバスに乗り込む。8時半ごろにここに着いてから既に2時間近くが過ぎようとしていた。

バスはまた舗装された一本道を走る。辺りには相変わらず緑がない。まったくない。標高が下がってきたようで、徐々に暑さを感じるようになる。エチオピアは標高が高いところが多いから、アジスアベバにいるときも涼しかった。ケニアも大して暑くなかったから、暑いと感じるのは久しぶりだ。
送信者 djibouti


順調にバスはとばす。もちろん信号も何もない。

12時になってもバスは止まることなく走り続ける。このままノンストップでジブチシティまで行ってくれると早く着くなと思っていたら、突然渋滞が現れ、バスは速度を落とす。そして、道路わきの簡易食堂の前で停車。昼食休憩かと思いきや検問だった。再び乗客全員がバスから降りる。警察の格好をした男たちがバスに乗り込み、複数の乗客が持っていたカート(葉っぱの嗜好品。噛むと覚醒作用か何かがあるエキスが出てくる模様)の束を取り上げ、バスの外に持っていく。取られた乗客は警察に言い寄っているが、警察は強い態度で聞く耳を持たない。言葉がわからないので、なんでこんなことが起きているのかわからない。

乗客の中には食堂で食事を始める者もいれば、ずっと警察に食いついている人もいる。ぼくはやや離れて彼らのやり取りを眺める。

30分以上、そのゴタゴタで待たされる。結局は、警察側が乗客から取り上げたカートを返してことは終わった。結局、なんだったのか?

再びバスは走り出す。なだらかな下り坂に入り、遠くに建物が見えるようになる。もしや紅海が遠くに見えるのではと目を凝らすが、まだそこまでは近づいていないよう。

暑さはさらにきつくなり、だんだんと真夏のような空気になる。あたりは相変わらず半分砂漠のような風景。

検問を抜けてからしばらくすると遠くに海が、その手前にはジブチシティが見えてくる。1時間後、バスはジブチシティに入る。コンクリート製の背の低い四角い建物群の間をバスは抜けていく。車の量がいきなり増える。乗客のうち何人かは途中で適当なところで降りていった。

例のごとくガイドブックを取り出し、窓から見える景色や道路名と地図とを照合させ、現在地を割り出す。ジブチシティは海に面しているから方角が定めやすい。が、いまいち現在地がわからない。まっすぐ進むと予想していた通りからバスが右へと曲がり思わぬ方向へ行きそうだったので、慌てて席を立ちここで降りる旨をバスの運転手に伝える。荷物を受け取って下車。


さてさて、宿はどっちの方か? ガイドブックの地図を見ながら歩く。暑い。こんなに暑いのは久しぶりだ。これまでずっと20℃台だったのに急に30℃台にあがった模様。

近道をしようと住宅街を抜ける。同じような型のコンクリート製の四角い家が碁盤の目のように並んでいて、その間の道は幅3mほどある。なぜかその道が異様に汚い。ごみで埋め立てて作ったのかと思ってしまうくらい、路面にごみが落ちている。落ちているというよりもそもそも未舗装の道だからそれらが車や人に踏まれて舗装材のようになっている。雨が降ったのか、それとも排水施設の問題なのか、ときおり水溜りがあるのだが、これがまた緑色だったり、油のようなものが浮いていたりして汚い。なんなんだ、これは?

住宅街の道があまりに汚いので車が走っている広い通りにいったん出て、その道沿いを歩く。歩いていたらすれ違うバスの中から若い男が顔を出し、こちらを見て「アリババ!」と大きな声で言う。これが噂に聞いていたアリババ攻撃らしい。

リュックを背負って歩いているとすぐに汗が噴出してくる。30分ほど歩いて目的の宿を無事に発見。ガイドブックでは最安値の宿だったが、宿泊代を聞いてみると5000ジブチフラン(約3000円)。エチオピアと比較すると5~6倍も高い。フロントのにいさんのうちの一人は英語が出来たので、その人に言って部屋を見せてもらう。部屋はエアコン付の8畳ほどの広い部屋。トイレとシャワーは共同。トイレとシャワーが共同でこの値段なんて信じられないのだが、フロントに聞いてもこれが一番安いらしい。値下げ交渉もしたが、これで十分安いと向こうは言い張る。他に宿の当てがあるわけでもないので、一晩だけここに泊まることにして、部屋に案内してもらう。

部屋に荷物を下ろし、しばし休憩。30分ほど歩いただけだが、かなり汗をかいた。天気がとてもいいので、シャワールームで簡単に洗濯をしてからまちに繰り出す。

中心街までは歩いて10分ほど。まずは両替をしなければいけない。今日は日曜日だから開いてないかなと不安に思いながら中心部へ行くと、両替屋に限らずほとんどの店が閉まっていた。それでも1ヵ所は開いていたので、そこで両替する。

中心街はヨーロッパ調の建物で統一されていて、掃除も行き届いており、その一帯だけは見た目にも美しい。ただ、どういうことなのか、道端にらくだがいた。
送信者 djibouti


送信者 djibouti


中心街の南側にバスターミナルがあり、その周り一帯がアラブ調の市場街になっていた。野菜・果物市場ではさまざまな野菜や果物が無造作に陳列され、路上には食べ物の屋台や布や服、葉タバコなどの露店が並び、とても賑やか。ジブチはイスラムの国ということもあり、夕方にはモスクからアザーン(お祈りの時間を知らせる呼びかけ)が聞こえて来る。女性はほとんどが頭から腰くらいまでブルカのようなものと足首まであるロングスカートを着ている。ただブルカと言っても中東のように真っ黒なそれではなく、モロッコと同じくアフリカンカラーの見た目にも鮮やかな柄のものを着ている人が多いから、なんとなくまちの雰囲気が明るい。ちなみに男性はスラックスのようなズボンに半袖のTシャツなど、まぁ適当な格好をしている。男性だけ見るとイスラム的ではない。
送信者 djibouti


暗くなるまで3~4時間ほど歩き回る。夕方暗くなったところで道端の食堂で夕食。地元の食をと思っていたのだが、ちょうど歩いていた通りには魚を焼いて出すだけとかスパゲッティとかあまり物珍しくない料理を出すところしかなかった。せっかっく海のある国に来たからと、魚でも食べようかと思い、魚料理店に入ったところどの魚がいいかと冷凍庫を見せられ、その中の小ぶりのを指差したらそれだけで500円近くするというので辞めた。結局、人がそこそこ入っている食堂でスパゲッティと肉炒めみたいなもののセットを食べる。お値段は300フラン(約190円)。値段のわりに量は多いのがうれしい。スパゲティはピリ辛のミートソース。麺はちょっとやわめ。

なんだかありきたりのものにしかありつけなかったので、食後、近くに並んでいた屋台を見て回る。その中で珍しいものを売っているおばちゃんがいたので、そこで売っているものを注文。それは牛乳の中に穀物の何かを入れたもので、どちらかというとデザートのようなものだった。でも、デザートというには甘さが足りない。食べた感触だと中に入っていた穀物は麦の粒っぽい。ジブチはアラビア語かフランス語だから聞こうと思っても、こちらの言語能力が低すぎて文字通りお話にならない。だから実際はどうなのかわからない。

19時過ぎごろ、宿にいったん戻る。宿の人に近くにネット屋があるか聞いたらあるというので、近くのネット屋に行く。ネット代は1時間300フラン(約190円)。エチオピアやケニアの2倍の値段だがそこそこ速い。ネットでジブチの安宿情報やイエメン大使館の場所などを探す。

その後、ホテルに戻り、適当に就寝。

Fin

2009年9月17日木曜日

[diary]アディスアベバからデレダワへ

アディスアベバからデレダワへ

08/10/11(土) 晴れ、ときどき小雨
[Addis Ababa→Diredawa:Ethiopia]

夜中の2時頃、一時目覚める。
また寝る。

4時、携帯のアラームで目を覚ます。廊下を歩く人の足音、話し声が聞こえる。

モヤレと違って、この時間でも部屋の電気はついた。荷支度をして部屋を出る。さすがに外は冷える。20度は切っているだろう。

24時間オープンの受付には若い女性がいた。彼女にキーを返し、チェックアウト。昨日、4時半に予約しておいたタクシーはきちんと来ていた。タクシーに乗り込み、運転手に近くのバロホテルに寄ってもらうよう伝える。

ホテルの門を出る。日中はそこここに座り込んで物乞いしている人たちがいるのだが、この時間にはその人たちの姿はない。一方通行のためバロホテルまではだいぶ遠回りをした。友達連れなのか、歩いている人が数人おり、また真っ暗な中で営業している路上のお菓子売りもいる。銀行の入り口の軒先で寝ている女性や5人ほどで固まっておしゃべりしているストリートチルドレンなども見える。

バロホテルの門は閉じられていたため、ドンドンと門を叩く。中から守衛らしき男が出てきたので、中に入れてもらい、一緒にバスステーションまで行く日本人旅行者の部屋に行き、ノックする。今、起きたばかりだと言うので、しばらく待つ。

4時35分頃、バロホテル前を出発。バスステーションまでは日中と違って道が空いていたので10分ほどで着いた。宿周辺と違って、バスステーションのまわりはすでに活気がある。バスに乗ろうという客と、そうした客を狙った物売りの人たち。バスステーションの入り口を入ると、バスの客引きたちが待ちかまえていて、バスの行き先を大きな声で叫んでいる。

その入り口のところにはバスの客引きの他にバスステーションの整理員のような人もいたので、その人にデレダワに行きたいと伝えると、腕をつかみ案内してくれる。同時にバスの客引きもぼくの腕を握り、自分のバスへと連れていこうとする。それを見た整理員は、その客引きをど突き、アムハラ語でその客引きに文句を言い、そういったことをやめるように言う。ぼくの周りには整理員の他にそうしたバスの客引きが総勢6人ほど。それぞれがああだこうだと言ってやかましい。うっとおしい。

バスが並んでいるところまで連れて行かれたところで、整理員のあんちゃんに、ここの3台がデレダワに行くからいいバスを自分で選んで乗るといいと言われる。良いバスを選んでと言っても、どれも似たようなバスで値段も同じ程度だから選びようがない。客引きに囲まれているのが一番うっとおしいので、とりあえず一番近くのバスに乗り込んでしまう。

ここで一緒に来た日本人旅行者とはお別れ。

バスに乗り込んだのが、5時前。まだ外は真っ暗。車内で座っていたらチケット売りのにいちゃんがまわってきたので、チケットを買う。74ブル(約740円)。

車内にはすでに10人くらい客がいた。続々と客は乗り込んでくる。あちこちからなにやら言い合いしている声が聞こえてくる。

1時間ほどしてやっと落ち着く。席もほぼ埋まってしまう。バスのエンジンがかかるが、すぐには出ない。
送信者 ethiopiq



空が明るくなり始めた6時半前にバスは動き出す。入り口を出て、幹線道路を走る。窓から外を眺めていると、道ばたのちょっとしたスペースで腹筋のトレーニングをしている若い男2人やランニングしている若い女性を見かける。みなオリンピックを目指しているのだろうか。

バスが走り出し、日が昇ったら、太陽の当たる側に座っていたこともあり、ぽかぽかして眠くなる。寝る。

道は基本的に舗装されているが、たまに舗装がはげているところなどを通るので、そういうところではみな一斉に跳ね上がったりする。

9時頃、バスは何もない原っぱの前で停車。トイレ休憩らしい。乗客は三々五々バスを降り、原っぱの各所で立ち小便、座り小便をしている。ぼくは車内に残ったまま。

15分ほどでまたバスは走り出す。

アディスアベバからだんだんと高度が下がっているようで、気圧の変化に敏感なぼくの耳はちとおかしい状態になる。

車窓からは幾重もの山並みが見えるのだが、どの山も木が少ない。てっぺん近くまで耕されている山もあるが、家の数だけ見れば、それほど多くの人が住んでいるようには見えない。なのに山には木がない。これではちょっと雨が降らなければあっと言う間に水が枯れるだろう。
送信者 ethiopiq


しばらく走って見えてきた家々は、円形の土壁に円錐系の藁屋根というスタイルの家。こういう形の家は西アフリカでもモザンビークでもザンビアでも見たが、ちょっと違うのがその屋根の頂点が鋭く高くとがっていること。構造上の必要からそうなっているのか、ただのデザインなのか?

ただそうした家は割合から言えば少ない。たいていは長方形(直方体)の土壁にトタン屋根というスタイルが多い。

牛の群について歩いている人や薪を頭に載せて歩いている人をしばしば見る。

11時半頃、どこかのまちのメインロードにバスは止まり、そこで昼食休憩。例のごとくバスから降りると、人々の視線が集まり、子どもらは何か変わったものがいるというように指さしながらお互い知らせ合い、ぼくの方を見る。
送信者 ethiopiq



ぼくは道ばたで売っていたおばさんからバナナを1本買う。値段は2本1ブル(約10円)。そのほか、茶なども道ばたで飲めるようだったが、用心して飲まず。

たいして大きい町だとは思えないこんなまちにも物乞いはたくさんいるようで、次々とカネを乞う人がまわってくる。年輩の女性が多い。掌だけで両手の指がない女性も2人ほど。明らかに路上生活をしていると思われる10歳過ぎくらいの少年が2人ほど。どうせエチオピアをもう出るからと思い、たまっていた小銭をまわってきた人等に少しずつやる。
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30分ほどで休憩は終わり。バスに乗り込む。バスに乗り込んでからも、誰かから話を聞きつけたのか、一人のおばさんがカネをくれとやってくる。ぼくは出入り口の階段横の席に座っていたのだが、おばさんはぼくの足を何度もポンポンと叩き、アムハラ語なのかローカル言葉でなにやら言う。コインはすでになくなっていたので、もうやるつもりはなかったが、しつこいので、1ブル札(約10円)を渡すとあからさまに嬉しそうな顔をして、右手を天に突き上げなにやら言う。もちろん言葉はわからない。

ちなみにバスが止まる先々でこれだけ物乞いが集まってくるのは、東・南アフリカではエチオピアが初めて。西アフリカでは、マリで主にストリートチルドレンが停まる先々で物乞いしていたが、エチオピアは年輩女性と子どもと両方。植民地化されることなく、独立を維持して来たアフリカの唯一の国が、植民地化されていた国々よりも一見すると貧しいのはなぜか? なぜ80年代にあれだけの餓死者を出しながら、またも同じようなことを繰り返しているのか? 今年の餓死の発生は、人間の力では克服できないほどの干魃によるものなのか、それとも人為的なものだったのか?

うとうとしながらそういうことを思う。

徐々に高度が下がってきているらしく、空気もだんだんとぬるくなってくる。

15時頃、ハラールとデレダワとの分岐点に到達し、バスは左へ旋回。そこから1時間ほどでデレダワに着く。

"Welcome to Diredawa"と書かれたコカ・コーラの看板が見え、予想外に整備されたコンクリートづくりの町並みが現れる。ごみもたいして落ちていなく、全体的にきれい。

やがてバスステーションに到着。例のごとく敷地だけは広いが閑散としているただの駐車場スタイルのバスステーション。バスから降り、リュックを受け取る。これまた例のごとく荷物を屋根から下ろしてやったからとバスステーションに控えていたおっさんから2ブル(約20円)請求される。まったく気楽な仕事だ。

リュックを受け取り、タクシーの客引き2名ほどを無視して、とりあえずバスステーションを出る。出たところにバスステーションの警備員のような人が銃を持って居たので、その人にジプチ行きのバスに乗りたいのだがと訪ねる。

すると英語が通じ、彼は遠いから三輪タクシーに乗っていけと言う。バスステーションの出口の所に数台青色の車体の三輪バイクタクシーがおり、そのうちの一台を彼が呼び、行き先を告げる。値段を聞いてみると15ブル(約150円)。ちと高いなと思ったが、どちらにしろ場所がわからないので、乗ることに。

三輪バイクタクシーのおじさんは、多少英語を話した。ジプチに行くことを知ると「Have you passport?」と英語としては不正確な言い方で聞いてくる。

想像していたよりもジプチ行きのバス乗り場は遠かった。バスステーションを出て、まちなかを通り、鉄道駅を正面に右に曲がり、さらに行くと今度は雑然とした地帯に入る。

右手には木材を組み合わせただけの簡易屋台が広がり、服が山積みにされて売られている。馬車が通り、ロバや山羊が道の端を歩く。

道の両脇には商店が立ち並び、歩道にはドーナツのような揚げ物を売る人や嗜好品の草(カート)や歯ブラシ代わりの木の枝を売る人、パッションフルーツや柑橘類(晩柑みたいなの)を売る人などが座り込んで商売している。
送信者 ethiopiq


その通りを行くと右手に手書きのバスの絵が買かれた看板が見え、その前で降ろされる。そこがジプチ行きのバスを出している会社のオフィスらしい。

オフィスの入り口向かって左側には、6畳ぶんほどテントが張られ、その下に荷物と一緒におばちゃんが数名座っている。バスを待っている客なのかどうかは不明。

バス会社のオフィスは他の店と同様8畳ほどの広さがあるコンクリート打ちの部屋。入り口から入ると木製の机があり、そこに人が居た。

ジプチに行きたいというと、机にいた若い兄ちゃんは英語を解し、日にちを確認し、すぐにチケットを作ってくれる。たいていこうしたバス会社の人間は態度がでかいのだが、ここのあんちゃんはにこやかで対応も丁寧。

何時にここに来ればいいのかと彼に聞くと、「3a.m.」と紙に書いて「not Ethiopian time,Europian time」と付け加える。三輪タクシーのおじさんは、ここまでの移動中にバスは明日なら「3 evening」に出ると言っていた。だから、明日はバスが出るまでゆっくりできなと思っていたら、これだ。やはり当てにならない。まあ、ただ英語を間違えていただけかもしれないが、それにしても当てにならない。

チケットを受け取り、その彼に近くにホテルがないか訪ねる。すぐに近くにあるらしい。夜中なので、宿は取らずにここのオフィスに荷物を預けて、バスの時間まで待つことも考えたが、どうも軽い頭痛がするので一休みするためにも、宿をとることにした。

三輪タクシーに乗ってホテルまで連れていってもらう。受付で宿代を聞くと100ブル(約1100円)。高い。が、近くには他に宿がないようなので、渋々ここに泊まることにする。

部屋は値段の通りしっかりしていて、きれい。天井には扇風機もついている。蒸し暑くなってきたので、扇風機を付けてみると、長く使っていなかったのか、オーオー、落ちてくるわ、虫の死骸やごみやほこりが・・・。さすがエチオピア、アフリカ。

今日は朝から何も食べていなかったので、ちょっと外に出て、簡単に食べられそうなものを探す。三角形の揚げ物があったので、別々のおばさんから2回買う。一つの店では1ブル(約10円)で2個買え、もう一つでは同じ値段で3つ買えた。大きさは親指と人差し指で輪を作ったときの内側の円程度。小さい。中はアジスアベバで食べたときと同じで、小さな緑豆(?)とネギが入っていて、ちょっと納豆巻きっぽくてなかなかうまい。
送信者 ethiopiq


ネット屋があったので、もぐもぐしながら、そのネット屋でネットをしてみる。ここも1分0.2ブル(約2円)。パソコンは10台ほどあって、ほとんどが埋まっている。それぞれの画面を見てみるとホットメールやMSNのチャットをやっている人が多い。みな男。

ぼくは電源が付いていなかったパソコンに案内され、電源を入れるからしばらく待てと言われる。コンセントを指し、電源をオンにしてから立ち上がるまでに20分。スピードはやはり遅い。日本語は読めなかったので5分で切り上げる。

それからさっき三輪タクシーで通ってきた商店街を歩いてまわる。服屋、布屋、薬屋、板金屋、食料品店が軒を連ね、路上ではキャベツやタマネギ、人参などを売っているおばさんたちがいる。

路上でものを売っている人の中に、小型のサータアンダギーのようなドーナツを売っている人がいたので、そこでそれを買う。アムハラ語で数字だけ伝え、小さな球型ドーナツを2ブルぶん、大きめの球型ドーナツを2ブル(約20円)ぶん買う。小さい方は甘みがあるのだが、大きい方は甘くない。

歩いていると子どもが手を振ってきたりする。物を売っている女性たちがホレホレと指さしぼくが歩いているのを教え合ったりしているのも見える。

毛布屋の前を通る。毛布屋にはUNHCRと青字入った白地のビニールシートがあった。そのシートは何枚もあったので、売られている毛布はUNHCRからの流れ物なのかもしれない。

レストランはあったものの、屋台はなく、かるく食べられそうな物もこれまで買った揚げ物くらいしかないようだったので、暗くなる前に宿に戻る。

せっかくなのでシャワーを浴びる。石鹸とタオルとトイレットペーパーも付いていたので、タオルは残してあとはもらっていくことにする。

軽い頭痛があるため、携帯を2時半にセットし、しばし休息。

Fin

2009年9月16日水曜日

[diary]イエメンビザ取れず

イエメンビザ取れず

08/10/10(金) 晴れ
[Addis Ababa:Ethiopia]

・訳の分からないビザ申請条件
・ダメな銀行
・送りもの
・スパゲッティ
・久々の日本語

7時前に起床。今朝も涼しい。昨晩もダニにやられたのか、夜中かゆくて目が覚める。

昨日、イエメン大使館に行ったときに守衛のような人が朝は8時からやっていると言っていたので、さっそく準備して宿を出る。

オリンピックの聖火のような格好をした大きなモニュメントがあるところまで行き、その前の通りでミニバスに乗る。イエメン大使館近くまで1.4ブル(約14円)。

バス乗り場には揚げドーナツとチャイを売っている女性がいたのでドーナツを3ブルぶん(2個)買って、朝飯代わりにする。昨日はずいぶん込んでいた道だが、まだ朝早いようで道は空いている。1時間近くかかるだろうと見込んでいたが、20分足らずで目的地にまで着いてしまった。

↓車窓からの風景
送信者 ethiopiq


立体交差している陸橋の下から歩いてイエメン大使館に向かう。陸橋下にもチャイを飲ませる店(といってもテントも何もなく、おばさんが水筒にチャイを入れて持っており、それをコップに注いで飲ませるだけ)があり、そこから上る湯気がなんとも絵になる。
送信者 ethiopiq


5分足らずでイエメン大使館に到着。まだ8時前だったが、一応入り口の閉まっている鉄門を叩いてみる。中からしわしわの年寄りの守衛が顔を出す。英語で中に入れるか聞いたが、彼は英語を解さず。アムハラ語か何かで何とかと言い、しばらく考えて時計を指しながら「three」という。どうもエチオピアンタイムの3時、つまりはヨーロピアンタイムの9時にならないと開かないらしい。昨日は8時だと言っていたのに、まったく当てにならない。

まだ1時間あったので、どうしようかと思い、ズボンのつぎはぎが破れてきていたので、それを修理することにする。針と糸は持っていなかったため、近くの商店に行って、針と糸を買う。併せて3ブル(約30円)。それから大使館近くの小さなカフェで縫い物。チャイとパウンドケーキみたいなものを注文し、奥の座席に座って縫い物をする。この店の女性は英語を解さず。

そんなこんなで時間をつぶし、9時ちょっと前に大使館に行き、ビザの申請所の待合室に行くとすでに3人ほど先客がいた。もっと早くに開いていたよう。

窓口はイエメン人用と外国人用と2つあるが、窓口にいるのはおばさん一人。頭から薄紫色のベールをかぶり、髪が見えないようにしている。

そのおばさんにビザがほしいのだがと英語で言うと、おばさんは早口の英語で日本大使館のサポーティングレターはあるかとか、写真が1枚必要だとか言う。

また、必要な物をさらさらと言う中で27米ドルぶんを両替したことを示す銀行のレシートが必要だという。はぁ? ブラジルビザの場合、銀行でビザ代を振り込みということがあったので、そのことかと確認するが両替を示すレシートがやはり必要らしい。しかも27米ドルという中途半端な金額。

どこの銀行のレシートが必要なのかと聞くと、どこでもいいと言い、付け加えて、27米ドルぶんちょっきりの両替ができるかどうかはわからないなどと言う。なんと無責任な!しかもビザ代は750ブル(約7500円)。エチオピア通貨払いでドル払いは不可と言う。一方で米ドルを両替させといて、もう一方では米ドル払いは不可なんて、勝手もいいところだ。しかもこのおばさん態度も横柄。窓口に一人しか置かないなら、聞かなくてもわかるように張り紙でもしろよな。

まったく腑に落ちない話だが、とにかく今日中に申請しなければ土日が無駄になるので、いらいらしながら大使館を出て銀行に向かう。またミニバスに乗り、中心街に向かう。

しかし今度は大渋滞。ここの大渋滞は車がずっと連なってできるものではなく、途中で無茶なUターンしようとしている車があったりして詰まる場合などが多い。ここもほんの一部を抜ければ、あとはスムーズに走る。

途中、銀行があったので少しでも近いところで両替した方が戻りが早くていいだろうと思い、目的地まで戻らず、そこでバスを降り、その銀行に走る。窓口で両替したいと伝えると、窓口の男性は機械がまだ動いていないからダメだなどとのたまう。やれやれ。

またバスに乗る。乗って数分でまた別の銀行が見えたので、今度はそこに駆け込む。そこでは両替はできるものの釣りがないと言う。つまり、ぼくは10米ドル札と20米ドル札しか持っていなかったため、30米ドルの中から27米ドルぶんだけ両替してもらおうとしたのだが、それは無理だという。領収書だけでも27米ドルで作ってくれと頼むが、できないという。こういうところだけ堅い。使えない。

しょうがないので30米ドルぶん両替することにして、レシートに銀行から一筆書いてもらうことにする。が、今度は両替担当窓口の偽札判断機(と勝手に命名)にぼくが渡した米ドル札が合格せず、結局両替はできず。

そういうわけでまた別の銀行を探す。探しながらだんだんイラついてくる。イエメン大使館のやつ、あんな端数の金額要求するなら自分とこで両替できるようにしろよな、と。ついでに銀行も銀行で1米ドル札くらい持っとけよな!

あたりきょろきょろしながら歩き回り、また別の銀行を発見。そこでまた同じように27米ドルぶん両替できないか尋ねる。が、やっぱり細かいのがないとのこと。しょうがないので、さっきと同じ方式で30米ドル両替してもらってレシートにの裏に銀行の人に一筆書いてもらう。今回は偽札発見器もクリア。銀行の人も対応は丁寧だった。

さて、とりあえずのことは準備できたから再度イエメン大使館へ向かう。そうこうしているうちにお昼近くになってしまっていた。また昼になると昼休みと言って窓口が閉まる可能性もあるので、バスに乗っていながら焦る。

バスを降りたところからイエメン大使館まで早足で行き、また館内に入る。そして、窓口に行く。窓口にはさっきと同じ女性がいた。その女性にパスポートとさっきもらったレシートなど必要書類をそろえて渡すと、例のレシートを見て30米ドルとなっていることに気づき、その瞬間、“これじゃ、ダメだって言ったじゃない”というような勢いで一連の書類を突き返してくる。なので一応説明はしたが、納得せず。そして、そのままプイと別の仕事に移ってしまう。

さすがに頭にキタが、文句を言えば翻意するとも思えないため、ここでイエメンのビザを取ること自体を諦める。だいたい事前に聞いていた話ではイエメンのビザは24米ドル程度と聞いていたのに75米ドルもするってのはどういうことだ? 

次に行くジブチでイエメンビザを取ったという情報はなかったが、まぁ、海を挟んでイエメンとは隣の国だし、ジブチにもイエメン大使館はあるようだからそっちで取れるだろうと思い、ここでのイエメンビザ申請はやめる。それにしても半日を棒に振ってしまった。ため息もんだ。あのイエメン大使館員はなんなんだ!

イエメンビザが取れないとなればアジスアベバにいる理由もないので、明日ここを出ることにする。

またミニバスに乗って宿のある地区に戻り、まずはネット屋に行き、ジブチのイエメン大使館情報を集める。集めた範囲で言うと、ジブチでもイエメンビザは取れそうだった。これで少し安心し、次に日本へ送る荷物を郵便局に出してしまうことにする。船便にしてもけっこうなお金がかかるので、それ用に米ドルからブルに両替する。

宿に戻って中くらいのダンボールに荷物を積み込め、それを担いで宿を出る。ミニバスで行く手もあったが、車内ではダンボールが邪魔になるので歩いて行く事にする。けっこう暑い。

20分ほど歩いて中央郵便局到着。途中、中のショック緩和剤にと地元の新聞を買う。新聞は1部2ブル(約25円)だった。

郵便局の海外郵便を扱っている窓口に行き、書類を記入。ダンボールの口は開いたままだったが、職員がアムハラ文字の入った黄色いガムテープでぐるぐる巻きにしてくれる。さて、問題の送り賃は予定していたよりもずいぶんかかった。荷物自体の重さが8.7kgもあったことがあるが、これで船便代が962.8ブル(約11000円)。あまりに高いので躊躇したが、リュックには余裕ないし、これから中東に入るからいいかと思い切って自分を納得させ、船便代を払う。

これですっきりしたので、またカフェで一服。マキアートという飲み物が3ブル(約35円)で、パインがのったパウンドケーキの1カットが5.5ブル(約60円)だった。その後、適当な店でペットボトルの水1.5リットルを買う。御代は7ブル(約80円)。

ジブチ行きを決めたもののもうちょっと情報が欲しかったので、ここで最初に泊まった宿に情報ノートを見に行く。そしたらテラスに日本人男性旅行者が2人いた。ちょうど情報ノートを持っていたので、声をかけて見せてもらうことにする。

彼らは中東から下ってきたらしく、これから南下するという。日本語で話すのは久しぶり。と言っても1週間ぶり程度だけど。ぼくは中東の情報を、彼らはこれから行くアフリカの情報が欲しかったので、一緒に晩飯に行く事にして、そこで話をすることにする。

二人は別々にここにたどり着いたらしく、一人のほうはここの宿には日本人がいると聞いてやってきたらしい。

晩飯は情報ノートにも書かれていたスパゲッティ屋に行くことになった。彼らにしてみればこれからインジェラばかり食べないといけないからアジスアベバにいるうちはそれ以外のものを食べていたいらしい。

その店はけっこう混んでいて、ヨーロッパ系の人もちらほら。ぼくらはテーブルを囲み、ミックスジュースやスパゲッティなどを注文。ちなみにスパゲッティトマトソースは16ブル(約180円)だった。
送信者 ethiopiq


送信者 ethiopiq

その後、店を買えてティータイム。そこではぼくはピーナッツティーを飲む。お値段3ブル(約35円)。かすかにピーナッツの味はするが、なんだか中途半端。あまりうまい飲み物じゃない。

話をしていると一人は明日明朝にバスに乗って別のまちに移動するという。ぼくも明日は明朝のバスなので、じゃあ、一緒にバスターミナルまで行くかとなる。明日、宿を出るのはまだ暗い4時頃だし、タクシー代も一人ではちと高いので、こういうのは助かる。

明日は早いこともあり、早めに切り上げる。

宿に戻って1泊分の宿代(63ブル≒700円)を払い、受付の女性にタクシーを1台明日の朝に待機させておくようお願いする。

部屋に戻って明日の朝すぐに出られるように準備をしてから就寝。


Fin

2009年9月15日火曜日

[diary]ジプチビザをゲット

ジプチビザをゲット

08/10/09(木) 晴れ時々曇り
[Addis Ababa:Ethiopia]
レート:1米ドル=9.7ブル=100円

・ジブチビザをゲット
・イエメン大使館を下見

タイトゥホテルで2回目の朝。昨日は虫対策で靴下と長ズボンを履いたまま寝たのだが、なんだかどうもその甲斐はなかったようで、またもや新たに虫にやられたらしい痒みを感じる。やれやれ。

ジブチのビザは午後に出来るというから、午後にはジブチ大使館に行かなければいけないのだが、それまでは時間がある。なので、昨日、散歩途中で拾ってきたダンボールに日本に送る荷物を詰めたりする。ついでに荷物の詰め込みのし直しも。

昼飯は早めの11時過ぎに近くの食堂でとる。今回はちょっと奮発して高めのミックスグリルを注文。御代は23ブル(約260円)。パンもスープもそこそこうまかった。
送信者 ethiopiq


腹が膨れたところでお出かけ。昨日と同じようにミニバス乗り場へ歩いて行き、そこからジブチ大使館近くに行くミニバスに乗る。運賃は2ブル(約25円)。

バスを捕まえたりするために時間がけっこうかかるかと思っていたが、意外にすんなりとジブチ大使館近くに着く。早めに出てきたら逆に早く着きすぎたので、沿道にあった海の家のような簡易カフェでコーヒーブレイク。コーヒーは1杯2ブル(約25円)。

しばらくそこで時間を潰してからジブチ大使館へ歩いていく。それでもちょっと早かったが、大使館にはすんなり入れる。カウンターに行って用件を伝えると、職員の女性はパスポートを並べた束の中から探し出す。ぼくのパスポートは赤色で、他のパスポートは紺色だから一目でぼくは自分のパスポートのありかはすぐわかったが、職員はわからない。そこなんだけどぉ~、と心の中で突っ込みながら、自分のパスポートまで職員の手がまわるのを待つ。

そんなに待つことなく、ビザが貼られたパスポートが戻ってくる。念のためビザを確認。確かにジブチのビザがあった。

用事が済めばすぐに大使館を出て、ミニバス乗り場へと行く。次はイエメン大使館だ。沿道でやってくるバスの行き先を確認しつつ待ち、自分が乗るバスとわかれば手を挙げてバスを止めて乗り込む。

ミニバスに乗って、いったん宿のある地区に戻る。ここでミニバスを乗り換える。日本大使館やジブチ大使館は宿がある地区の南の方だったが、イエメン大使館は西の方なので、経路も乗り場も違う。新たにイエメン大使館近くまで行くミニバスを人に聞きながら探す。

何人かに聞いてようやくバスをゲット。バスに乗り込む。

日本大使館方面とイエメン大使館方面では沿道の景色がだいぶ違った。日本大使館方面に行くときは高層のビルを沿道に見ながらきれいに整備された道路を走ったが、イエメン大使館方面は道路は舗装整備がなされているものの、でこぼこしている部分もあるし、道端には野菜を売る人、炭を売る人、道路に寝転んでいる人などがいっぱい。家もトタンを貼り合わせたようなものや土壁が崩れ落ちて薄くなっているものなどを見ることになった。
送信者 ethiopiq


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渋滞していたこともあり、40分くらいかかって終点のイエメン大使館近くの通りに到着する。そこでバスを降りて、ネットで得た情報を元にイエメン大使館を目指して歩く。

なんとか間違えることなくイエメン大使館を発見。バスを降りた場所からは歩いて10分ほどのところだった。大使館が開いていれば申請用紙とかをもらって帰ろうと思っていたのだが、なんと既に閉館後だった。16時までしか開いていないらしい。ちとがっかり。

また歩いてミニバス乗り場に戻る。次々と入ってくる車とバスを待っている人でミニバス乗り場は賑やか。ミニバスに乗って宿近くまで戻る。

しばらく宿近くの地帯をぶらぶら歩く。まだ通っていなかった細い通りを行くと、服屋や肉屋などがごった煮のように並んでいてなんだか面白い通りだった。

19時前に適当な食堂に入って夕食。マバライという料理を頼む。これもなかなか高くて24ブル(約270円)。味はいつもどおり。インジェラは相変わらず酸っぱい。
送信者 ethiopiq


食後、近くのネット屋でネット。たいして早くないが、まぁしょうがない。ネット代は1時間12ブル(約140円)。

その後、近くのカフェでティータイム。メニューを眺めていたらパイナップルティー(ホット) というのがあったので、それを注文する。お値段3ブル(約35円)。確かにパイナップルの香りがするが、パイナップルジュースのような味はしない。どうやって作ったのか、気になる。
送信者 ethiopiq


そうこうしているうちにまた問題の夜がやってくる。今晩もまた虫にやられるかもしれないと思うと、眠くても寝たくなくなるのだが、やっぱり寝てしまうのであった。

Fin

2009年9月14日月曜日

[diary]日本大使館のレターをゲット、ジプチビザを申請

日本大使館のレターをゲット、ジプチビザを申請

08/10/08(水) 晴れ
[Addis Ababa:Ethiopia]
レート:1米ドル=9.7ブル=100円

・虫にやられて
・日本大使館でレターを入手
・ジブチビザ申請

タイトゥホテルに宿を移って1日目の朝。ついにやられた。朝、起きると足首周辺が痒い。見ると足首周辺の10カ所近くが赤くなって小さく腫れている。ダニか南京虫か何かにやられたらしい。これまでは一度もこうしたことなかったのに、さすがにエチオピア。噂に間違いはなかった。

しばらく本を読んだりして過ごし、それから日本大使館が開館した頃を見て電話する。電話をすると既にサポーティングレターの準備はできたとのことだったので、支度をして日本大使館に向かう。

昨日と同じ場所からライトバンタイプのミニバスに乗って、日本大使館が入っているビル近くへ行く。バス代は1.4ブル(約15円)。

持ち物チェックを受けてから大使館内へ。すぐに昨日対応してくれた職員が出てきて、頼んでいたサポーティングレターを手渡される。文面は英文。これでビザ申請の書類がそろう。

大使館前の通りでミニバスをつかまえ、ジブチ大使館へ。これも運賃は1.4ブル(約15円)。

大使館近くの通りで降り、歩いてジブチ大使館へ。ジブチ大使館は日本大使館と違って一軒屋。敷地の入り口のドアは開いていたので、そこにいた警備員にかるく挨拶して中に入る。ジブチ大使館の建物は四角い建物で、一昔前にはモダン建築と言われたのではと思えるような建物だった。

建物の中に入ると左手にカウンターがあり、そこに職員が2人いた。二人とも女性。先客が2組ほどいたので、しばらく待つ。しかし、先客の用件がなかなか終わらない。そのうち用件が終わったのを見計らって職員に声をかける。ちなみに日本でなら自分の順番になると職員から声がかかったり、番号札があってそれで順番がきたを知らされたりするが、ぼくがまわった範囲で言うと、外国ではそういうことはあまりない。少々早いかなと思うようなタイミングでも一度自分から声をかけないと対応してもらえなかったりする。そういうわけでこの時もまだ他の人の対応をしているようだったが、職員に声をかけて用件を伝える。するとビザの申請用紙や必要書類などが書かれた紙をくれる。

その場で申請用紙に必要事項を記入し、パスポート本体とパスポートサイズの証明写真、パスポートのコピー、日本大使館のサポーティングレター、それからビザ代30米ドル(約3300円)を添えて提出。窓口の職員は書類の不備がないか簡単にチェックし、受理する。そして明日の午後に取りに来るよう言う。

これで一応、今日の最低限の仕事は終了。

ミニバスで宿がある地区へ戻る。今日はおとなしく宿で本を読んだりして過ごす。

宿代を払っていなかったので2泊分をまとめて払う。夜は近くの食堂でインジェラ定食を食べる。
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宿への帰り道、道端で揚げ物を売っていたので、それも試しに買ってみる。まぁ、そんなに悪くないが、フライドポテトはしおれていたからたいしてうまくなかった。
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夜は虫対策に靴下と長ズボンをはいて、寝る。

Fin

2009年9月8日火曜日

[diary]日本大使館とジプチ大使館へ

日本大使館とジプチ大使館へ

08/10/07(火) 晴れ
[Addis Ababa:Ethiopia]
レート:1米ドル=9.7ブル=100円

・走る人々
・レターの申請のため日本大使館へ行く
・ジブチ大使館の下見へ
・宿移動
・郵便局へ
・インターネットカフェとカフェ

今朝は久しぶりにのんびり起きる。ケニアのナイロビを出てからバスで2泊、国境の町では4時半起き、そして昨日は4時起きと連日不自由な朝を迎えていた。夜は寒いというほどでもなく、またまったく暑くもなく、ちょうどいい塩梅。エチオピアの宿は虫刺され(ダニ、南京虫など)が多いから気をつけろという事前情報から、心配していた虫刺されも大丈夫だったよう。

のんびりと目覚めはしたけれど、早くに動き出さなければならない。ここアジスではやることがいっぱいある。次の移動先であるジブチのビザ取り、それからその次のイエメンのビザ取りをしなければならない。面倒なのは、双方ともビザを申請するには日本大使館のサポーティングレター(添え状)が必要なこと。サポーティングレターは入手するには通常申請してから2~5日(大使館の都合による)くらいかかるらしい。しかし、情報ノートによれば申請した翌日に取れることもあると言う。つまりは最短で2日かかり、他のビザも即日発給はないからこれらを済ますだけで最短でも4~5日はみておかないといけない。

となると、今泊まっている高い宿(1泊約1200円!)には泊まってられないので、宿替えをしないといけない。それから、アフリカをまわってきてあちこちで買い込んだ新聞や雑誌、冊子や本などがたまってきたので、それを日本に送る作業もしたい。

そういうわけで始動は早かった。地図で日本大使館の位置を確認する。大使館は9時ごろ開くだろうからそれに合わせて着きたい。地図で見ると歩いていくにはちょっと遠そうだったので、ライトバン型のミニバスに乗っていくことにする。そうするとその乗り場も探さないといけないから間違えた場合も考慮して1時間半前くらいに出たほうがいい。

というわけで7時半ごろ、宿を出る。外はひんやりしている。町を歩く人々はカーディガンやトレーナー、ジャンパーを羽織っている。ぼくは半袖シャツの上に長袖のシャツを重ね着。半袖では肌寒いが、こうすると涼しい程度になる。

地図を見ながらミニバス乗り場を探す。これはわかりやすいところだったので、すんなりたどり着く。ミニバス乗り場のまわりにはチャイを売る人やパンを売る人などが集まっていて、バス待ちをしている人たちがそこで朝食をとっていたりする。ミニバスが5台ほど止まっていたので、英語で近くの人に行きたい通りを告げ、このバスでいいか確認。バスに乗り込む。ミニバスは後部座席は4列になっており、全部で12人ほど乗れる。スーツ姿の人などが次々に乗り込んできて、バスはさっさと発車。500mほど下り坂を走る。沿道には郵便局や20階くらいはある高いビルが見える。建物はどれもやや老朽化した概観をしている。

下り坂を下り終えた正面にはなんとか広場があり、そこにはジャージ姿の人々がたくさん集まっていた。みなランニングをしているよう。

そこを正面に左に曲がって100mほど行ったところでバスを降りる。バス代は1.4ブル(約15円)。まだ9時前だったので、日本大使館が入っているビルを確認だけしてあたりをうろちょろ。9時近くになった頃にビルに入る。入り口には警備員の人がいたが、外見で日本人とわかったようですんなりビル内に入れる。エレベーターで日本大使館がある階まであがる。入り口にはまた警備員のおじさんがいた。ここで来館目的を聞かれ、手荷物チェックを受ける。そして中に通される。まだ開いたばかりなのでしばらく待つ。館内には日本の新聞があったので、それを読みながら待つ。

しばらくして職員の人(日本人)が現れる。30代後半くらいの男性でさっぱりした雰囲気の人。用件はさっき伝えていたからそれ用の書類を持ってテーブルにつく。そして用件の確認があり、どこの国のビザを取るためにレターが必要なのか、これまでどこに行ってきたのかなど雑談交じりでしばらく話をする。イエメンについてもジブチについてもレターを出すのは可能とのことだったが、ジブチからイエメンには船で行くことは海賊が最近活発に動いているので避けたほうがいいとアドバイスされる。ぼくは船で行くことを考えていたのだが、一応了解する。

それから申請用紙に必要事項を記入。申請用紙は2種類で、日本語と英語のものが1枚ずつ。これをその場で記入し、この人に手渡す。レターの発給には通常数日かかるが、明日出すことも可能かもしれないので、明日の朝に一度電話をくれと言われる。これで申請手続きは終了。

日本大使館を後にし、今度はジブチ大使館に向かう。地図に寄ればここからはそんなに遠くない。またミニバスに乗って大使館近くで降りる。バス代は1.4ブル(約15円)。ジブチ大使館はミニバスが通っている幹線道路からちょっと奥まったところにあった。一応、看板が出ていたのでそれで大使館がある通りはわかる。上り坂を200mほど歩いていくと左手に大使館を発見。まだ開館時間ではないのか入り口の門は開いていない。門を叩いても中の守衛がちょっと顔を出すだけで中に入れてくれない。もしかしたらレターなしでビザの申請ができるようになっていたりして、と勝手な想像をして、そうなっていれば今日申請してしまおうと思ったのだが、しばらく待っても入り口が開かないので、明日でいいやと諦める。もっとも早くに諦めたのは理由があった。宿替えだ。今、泊まっている宿はチェックアウトが12時だからそれまでに替わりの宿を決めて、荷物を移動させなければいけない。そういうわけで、またミニバスに乗って宿があるピアッさ地区へ移動。今回は少し乗った距離が長かったからかバス代は2ブル(約23円)だった。

ガイドブックによれば、近くにけっこう古くに立てられた洋風の安ホテルがあるようなので、その位置をまず確認。敷地の入り口からホテルの建物まで少し距離があるが、確かに概観はなんだか古い洋館という感じ。受付に行って空きがあるか確認する。それからまた近くにある別の安宿もあたってみるが、こちらは満室とのことだったので、結局さっきの洋館に移ることにする。

部屋に戻って荷物をまとめる。それから自分が持っていた本と宿の本棚にある本を2冊ほど交換し、受付に行ってチェックアウト。歩いて新しい宿に移動する。

目的のタイトゥホテルに行き、受付でチェックイン。部屋は一番安いものを頼んだがそれでも63ブル(約720円)もした。予定では300円程度のところに泊まるつもりだったのだが、まったく予定が外れてしまったけど、あまり宿探しをする気もないので、今回はここで妥協する。

建物は木造2階建てで廊下を挟んで両側に部屋が並んでいる。従業員に案内された部屋は6畳ほどの広さでベッドが2つと机があるだけ。入るとカビの臭いがツンと鼻につく。ヨーロッパ調の作りであることはそれとなくわかるが、それよりも老朽化がかなり進んでいる印象のほうが強い。これで人がいなければ新品の廃墟のような雰囲気になるだろう。なんだか値段と部屋が釣り合わないなぁと思いながらも、これ以上宿探しをする気もないため、ここではもうあきらめる。

さて、部屋に荷物を置いたら昼飯である。情報ノートで他の旅行者が一押ししていた近くのレストランにセカンドミストという料理を食べに行く。レストランは純洋風で、ウェイターは制服を着ていて、客もスーツ姿の人が多い。メニューは英語のメニューもあり、それでセカンドミストがあることを確認し、注文する。

名前を聞いただけじゃどんな料理か想像できなかったのだが、これがなかなか豪華な料理だった。野菜、肉、ご飯料理がもりもりと一枚の皿に盛り付けられていて、これを別皿のパンで食べるらしい。どの料理も日本の洋風料理的な味でなんだか舌に馴染む。これで御代は20ブル(約230円)。いやいや満足。

送信者 ethiopiq

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腹が膨れたところで、歩いて郵便局へ向かう。朝もミニバスで通った大通りをてくてく下る。道の端の草地には横になっている寝ている男たちがいた。造りかけのコンクリート製の建物の足場は細い丸太材で作られていた。

送信者 ethiopiq


宿から歩くこと20分ほどで郵便局に到着。郵便局はなかなか立派な建物で、日本で言えば大きな市の中央郵便局並みにでかい。国際郵便を扱っている窓口に行き、日本までの船便の料金表を見せてもらう。それから葉書用の切手などを買う。驚いたのが日本への切手代。絵葉書サイズのもの1枚につき切手代は2ブル(約20円)だった。最初は窓口の人が間違っているんじゃないかと思い、一度日本までだけどと確認したらやはりそうだった。あちこちで切手を買ったが、ここまで安いのはエチオピアを措いて他にない。それから絵葉書を探して歩く。もうちょっとまともな絵葉書が売っているかと思いきや、これが“何年前に作られたんだ?”と突っ込みたくなるくらいしょうもないものしかない。本屋などにも行ってみたがいいものがなく、しょうがないのでしょうもない絵葉書を買う。

郵便局で一用事を済ませたところで、ちょっと休憩。近くにあったカフェでコーヒーとパイナップルケーキを食べながら午後のひとときを過ごす。今日も天気がよい。気温は30度もいっていないが、日にあたっているとやっぱり暑い。カフェではマキアートという飲み物も飲み、全部で11ブル(約125円)払う。なんたってコーヒーが一杯10円とか20円だから安く一服できる。

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それから歩いて官庁街のような地区に行ってみる。洋風の建物が立ち並んでいて、エチオピアの象徴であるライオンをかたどった彫刻もどどんと置かれていた。
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カフェや食料品店、本屋、土産物屋などが並んでいたので本屋に寄ってみる。昨日行った本屋よりもちょっと小さい本屋だったがアムハラ文字の一覧表を売っていたので、これを購入。お値段は1枚1ブル(約10円)。それから通りがかかったネット屋に行くが、このあたりのネット屋はどこに行っても日本語が読めなかったので、5分もいずに店を出ることを3回ほど繰り返す。

夕方暗くなる前に宿のある地区に戻る。宿の前の通りには路上生活をしているらしいおじさんやおばさん、子どもたちがちょこちょこいる。一方でスターバックスのようなきれいな店構えのカフェが、ぼくが見ただけでも10軒ほどあって、どこも盛況だったりする。それにしてもアジスアベバのカフェがこんなにきれいなんて、予想外だった。

送信者 ethiopiq


暗くなった18時半ごろ、適当な店で夕食。食べたことのないもので安いものをと思い、適当に注文したらパンとトマト味のキャベツのスープだった。お値段7ブル(約80円)。これでは腹の足しにならないのでもう一軒。
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別の店に行き、メニューを見たらYebeg Kikelという名前の料理があり、これは食べたことがなさそうだったので、これを注文する。すると出てきたのはインジェラと2種類の汁物だった。1つはスパイスの効いたレッドカレーのような汁で、もう1つはあっさりめの味のスープ。どちらも肉が入っている。インジェラは相変わらず酸っぱい。これはお値段16ブル(約180円)。具が少ないのが難点だが味はよし。

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それから賑わっているカフェに行き、マンゴージュースを飲む。これが意外と高く7ブル(約80円)もした。きっと輸入品か何かなのだろう。カフェに来ているお客は若い女性が多い。中にはカップルで来ているのもいるが、多くは女性の友達連れ。店は22時くらいまで開いているようで、21時ごろ宿に戻るときにも途中前を通ったカフェはまだまだ賑わっていた。

宿に帰ってからは本を読んだりなんたり。適当に就寝。

Fin

2009年9月7日月曜日

[diary]モヤレからアディスアベバへ(2日目)

モヤレからアディスアベバへ(2日目)

08/10/06(月) 晴れ
[Awasa→Addis Ababa:Ethiopia]

・4時起き
・5時半発のバスに乗って
・畑、草原
・荷車、荷馬車、ロバ、牛、馬
・背負う人々
・アディスアベバの第一印象

エチオピアはアワサの宿。
人の声がして目が覚める。モヤレの宿もそうだったが、壁がほとんど防音効果を持っていないから隣部屋の話し声がそのままのボリュームで聞こえてくる。時計を見ると夜中の3時前。起きるにはまだ早い。また目を閉じる。

3時過ぎにまた目が覚める。この宿に連れてきてくれたバスで一緒だったエチオピア人は、5時半にぼくを起に来ると言っていたのだが、その時間までもまだ時間がある。

廊下で”ジャパニーズ”と言っているのが聞こえ、次にドアをノックする音がする。昨日の人らしい。起こしに来たよう。時計を見ると4時半。5時半に来るって言ってたのに1時間も早い。あるいはただ単に言葉を間違えたのか?

すぐに出られるように、ジーパンのまま寝ていたからベッドから起き出したらそのままリュックを背負って部屋を出る。部屋の前には昨日の彼がいた。

彼とその父親らしい人の3人でバスターミナルに向かう。バスターミナルはきちんと門があって、周囲を塀で囲まれている。宿からは道路を横切って100mほど。

外はもちろん暗いが、街灯があるからモヤレのように真っ暗というわけではない。ターミナルの入り口近くの路上には、すでにワゴン車型のミニバスが集まり、客引きをしている。

他のアフリカ諸国のターミナルと違ってここのターミナルは整然としている。居並ぶ旧型の大型バスたちは塀に沿って内側を向くような形で止められているから、敷地の真ん中は広い空きスペースになっている。バスは50台ほど停まっているようだったが、動いているものはまだ一台もない。どこ行きのバスがどこに停まっているかを示す看板などもないため、昨日乗っていたバスがどこに停まっているのかわからない。

バスの形やデザイン(塗装)も似たようなものばかり。唯一の手がかりは屋根に荷物が乗っていることくらい。二人はあたりを見回しながら歩き、ほとんど迷うことなく、昨日乗っていたバスを見つける。車内にはすでにバスのスタッフがいた。客はぼくらが一番乗りのよう。

座席を確保し、しばし眠る。

しばらくしてエンジンをかかり、バスが走り始める。車内を見ると座席は4割方くらいしか埋まっていない。発車したのは5時半すぎ。彼らが言っていた5時半とは、出発時刻だったようだ。

外の気温は20度程度。ぼくにしてみれば涼しくちょうどいい温度だが、こちらの人は皮のジャンパーなどの上着を着ている。

完全に日が昇った6時半頃。どこかのまちのバスターミナルに入る。まちと言っても沿道に店が立ち並んでいるだけで、いわゆる街ではない。バスターミナルの入り口では、おばさんたちが丸い形のドーナツや円形のドーナツのようなものを売っていた。

そこで20分ほど停車し、新たな客を乗せる。バスが停車していた脇の木陰では、チャイとパンを売っている露店(椅子があるだけ)があったので、待っている間にここで朝飯用にパンを買う。

パンは見た目は蒸しパンに似ていて厚さ10cmほどある。店の人は片手ほどの大きさに切り分けて売っている。1かけらが2ブル。ここらになるともう英語は通じない。ぼくはアムハラ語はまったく覚えていないから通じないとは知りつつも英語と仕草で買う。

パンを受け取り、カネを払おうとしたとき、パンが手から離れ、地面に落ちる。それを近くにいたおじさんが拾って、地面に着いた面をフーッと吹いて汚れを飛ばし、ぼくに手渡す。落ちた瞬間、買い換えようかと思ったのだが、おじさんが拾ってくれたので、まぁいいかと思い、それを受け取りバスに戻る。

バスに戻ってから早速食べてみるとやや酸味がある。昨日食べたインジェラほどではない。ちょうどドイツの黒パンっぽい。生地はもちもちしているのでうまい。

7割ほど座席が埋まったところでバスは発車。

日の当たる側に座っていたので、ポカポカと暖かくなり、また寝る。

バスが止まったのを感じ、目を覚ます。またどこかの町に着いたよう。窓の外には商店が並んでいるのが見える。乗客はバスからぞろぞろ降りていく。バスの添乗員のおじさんが、ぼくのところに来て、右手を口に持っていき食べるような仕草をする。どうも朝食休憩らしい。時計を見ると8時40分。朝食の休憩があるなんて珍しい。

ぼくは眠かったので、おじさんに食べないと仕草で伝え、そのままバスに残る。座席に仰向けになって寝る。

ガチャガチャとドアの開く音で目を覚ます。朝食休憩が終わったらしい。時計を見ると9時20分。ずいぶん長い朝食休憩だ。タンザニアなんか朝食休憩なんかなかったし、昼飯でさえ10分や20分だった。

それからは目が覚める。沿道の看板にはアディスアベバまであと170kmほどとある。昼頃には着きそう。

昨日と違って今日は平坦な地帯をバスは走る。ときどききれいな草原が現れる。沿道に見える森や山は緑が濃い。昨日よりも全体的に緑が多いし、色も濃い。畑もきれいに作られており、トマトか何かを作っているらしい畑では、木の枝で支柱のようなものが一株ごとに作られている。

車窓から外を眺めているだけで、これまで通ってきたアフリカとエチオピアではまったく文化が異なることがわかる。例えばモロッコ以降、通ってきたアフリカでは物を運ぶと言えば、頭に載せるスタイルが基本だった。しかし、エチオピアに入って以降、正確にはケニア北部以降、頭に載せて物を運ぶ姿は見られなくなり、二宮金次郎の銅像のように紐などを使って背中に背負うスタイルをよく見るようになった。もちろん子どもたちの中には頭に載せて物を運んでいる子もいるが、少ない。大人ではまずいない。

それからロバや牛が荷物を運ぶのに使われているのを頻繁に見るようになった。特にロバが多い。ロバの背に直接荷物を載せるスタイルと荷馬車で運ぶスタイルとがあるが、基本は直接背に荷物を載せるスタイルのよう。これもケニア北部以降。それ以南では家畜を使って物を運ぶ姿は稀(まれ)にしか見なかった。

また、耕作に牛を使っているのも見る。そして久々に見たのが馬。途中、通り過ぎたまちでは馬車が活躍しているところもあった。ただ造りが簡素なので、荷馬車なのか人を運ぶ馬車なのかはわからなかった。

それから昨日途中で停まったある町で目を引いたのが木製の一輪荷車。二宮金次郎像が背に付けているような木製の背負い子を大きくした物に金属の車輪が1つだけ付けられていて、それが荷を運ぶのに使われている。他のアフリカで頭に薪などを載せて歩いている人たちを見て、なぜこの人たちは荷車(車輪)を使わないのか(そこには自転車があったから作ろうと思えば作れるはずだ)と思うことがあったが、ここではこうした道具が一般的に使われている。

こうしたことだけからしても、エチオピアは他のアフリカとは違うとの印象を受ける。

バスは朝食休憩後は、たまに乗客を乗せるために沿道に停まるだけであとは走りっぱなし。いつの間にか車内は満席になっていて、最初は隣に置いていたぼくのリュックも若い添乗員が屋根の上にあげてしまった。

車内ではエチオピアの音楽が大きな音で流れている。モロッコでよく流れていた音楽と似ていて、アラブチックでもあり、インドチックでもある。

その後、大きなビニールハウス地帯を3カ所ほど見る。こんな国で数ヶ月前には餓死者が出ていたとはとても思えない。

12時頃。バスは検問のためストップ。いよいよアジス・アベバらしい。

乗客は全員降ろされ、警察らしき人たちが車内を点検する。検問所にはジュースを売るおばさんや少年、揚げたスナックを売るおばさん、青年などが待ち構えていた。ぼくはスナックを買う。1袋2ブル。おばさんの中には山高帽のような藁帽子をかぶっている人がいた。道路を挟んで反対側にはお菓子工場があった。

検問所には警官が6人ほどいて、女性警官もいる。迷彩色の服にサングラスをしている女性警官もいた。

パスポートのチェックなどはなく、車内の検査が終わるとまた乗り込み、再発車。

首都に入ったはずなのだが、それらしい雰囲気はあまりない。もうすぐ着くかと思ったら道路工事のため大渋滞。

とろとろ走るバスの窓からはトタン屋根街などが見える。中心部らしきところに入ったようだが、ナイロビなど東アフリカの首都と比べると都市としては劣る。どちらかというと西アフリカの各首都と同じくらい。

『ロンプラ』を取り出し、道路名から現在地を確認しようとするが、道路名を書いた標識が見あたらない。

そのうちバスターミナルに到着。ガイドブックの地図は範囲が限られているため、このバスターミナルが地図上にあるバスターミナルなのかどうかがわからない。

13時半ごろバスは停車。降りて荷物を受け取る。屋根に載せた荷物はターミナルのポーターみたいなおじさんたちが降ろすのだが、当然のようにカネを要求してくる。2ブル(約20円)程度だから安いのだが、頼みもしないのにバスの屋根から荷物を下ろしただけでカネを取るなんて、なんて気楽な商売なんだと思う。

普通であれば、バスを降りた瞬間からタクシーの運転手にからまれるのだが、ここではそういうことがない。ターミナルからはタクシーの運転手らは排除されているようで、そういう人たちさえも見ない。これはこれで気が楽でよい。

ターミナルを出て、大通りで交通整理をしていた警官に行きたい場所を英語で告げ、どうやって行けるかを訪ねる。すると彼は英語を解すようで、あっちからミニバスに乗って行けると教えてくれる。

たくさんのワゴン車が止まっている道ばたに行き、今晩泊まる予定の宿があるピアッサ(地区名)行きの車を探す。歩いていたら一人のおじさんが英語でどこに行くのかと聞いてくる。ピアッサと言うと”カム”と行って案内してくれる。案内した後にカネを要求してくるのではと思ったが、そのときはそのときと思い着いていく。

おじさんは停まっているミニバスややってくるミニバスの運転手などにピアッサ行きかを訪ねる。何台かそれらしい車はあったが、リュックが大きいからか乗せてもらえず。

5分ほど待って、おじさんが止めた車が乗せてくれた。おじさんはカネを要求してくることもなく、ぼくが乗り込んで椅子に座った頃にはどっかに行ってしまっていた。

この通り沿いには通り名を書いた看板があったので、車の中で『ロンプラ』の地図とつきあわせながら位置を確認。ようやく自分の居場所がわかる。

地図と周りの様子を照合しながら降りる場所を見定め、予定の宿の近くに来たところでミニバスから降りる。バス代は2ブル(約25円)。

これまで通ってきたまちと比べると、あたりには瀟洒な店が立ち並び、行きかう人々もスーツ姿があったりしてやっぱり首都なのだと感じさせる。リュックを背負い、手に別の荷物をぶらさげ、地図を見ながら宿を探す。地図で浮かぶイメージと実際のまちの道が若干違ったため、少し時間がかかったが15分ほどさまよって目的の宿に到着。この宿を選んだのは日本語の情報ノートがあったり、本の交換をやっていると聞いていたから。ただ受付で1泊の宿代を聞いて泊まるかどうかためらう。一番安い部屋で95ブル(約1200円)もする。1200円なんて一日の予算だっつーのに。しばらく悩むが、宿探しをする気分にはならないので、ここは奮発することにする。

案内された部屋はベッド、シャワー、トイレつきの6畳ほどの部屋。内装はそんなに悪くない。ベッドに荷物を降ろし、ちょっと一息。それから受付に言って情報ノートを出してもらう。宿の入り口にあるテラスの席で情報ノートを見ながらしばらく情報収集。うまい食事どころやビザ情報、大使館情報などを中心に情報を集める。

情報ノートを一通り見終えたところで食事に行く。宿の近くには食堂やレストランが何軒かあったのだが、混んでいて入れないところもあったので、空いているところに行ってみる。メニューをもらうとすべてアムハラ語。文字自体が読めないからまったくわからない。しょうがないのでガイドブックにあったエチオピア料理名を店員に告げ、注文してみる。出てきたのは春巻きのように畳まれたインジェラ2枚とパンのかけら2つ、それにおかずとしてチーズのようなものとミートソースのようなもの。インジェラはモヤレで食べたものよりもすっぱさが弱いように感じたが、やっぱり酸っぱい。おかずの方はどちらともなかなかいい味。これで御代は17ブル(約200円)。

送信者 ethiopiq


食事後、近くをぶらぶら。街角に本屋があったので、そこに入ってみる。本は専門書から教科書らしき本までいろいろある。基本はアムハラ語の本だが、全体の2~3割は英語の本。英語-アムハラ語の会話帳があったので購入。本代は23ブル(約300円)。それからまたぶらぶらする。

近くをぶらぶらしていて感じるのが、全体的にみんな体型が細めであること。痩せているってほどではないが、これまで行ったアフリカ諸国や南米と比べると細身の人が多い。また道端で飴を売ったり、揚げ物を売ったり、靴磨きしている人もナイロビと比べると多く感じる。小豆の半分くらいの大きさの豆を春巻きのような皮で三角形に包んで揚げたものを売っている人が道端にいたので、1粒購入。1つ1ブル(約10円)。味はなかなかよい。

歩いていたらネット屋を見つけたのでしばらくネット屋に入り浸る。看板ではADSLをうたっていたが、実際にはけっこう遅い。いちいちホームページを開くのに待ち時間がある。ここのネット屋では日本語が読めた。70分ほどいて料金は14ブル(約170円)。けっこう安い。

そんなことをしているうちにだんだんと外は薄暗くなり始める。アジスアベバ初日だし、長距離移動後だったので、あまりあちこち動き回ることはせず。

夜は近くのピザ&スパゲッティ屋でピザを1枚(23ブル=約280円)食べた後、まだ腹が減っていたためエチオピア料理屋に移り、そこで適当な料理を注文する。そしたらまた不思議な食べ物が出てきた。

送信者 ethiopiq



インジェラはいいのだが、おかずがどれもチーズっぽい何かで、けっこう塩気がきつく、全部食べるにはインジェラが少なかったため、完食できず。料理名がよくわからないのだが、この料理は人生初めてだった。

あとは宿に帰って明日の予定を考えたり、今後のルートを考えたり。涼しいし、蚊もいないので健やかに眠れる。

Fin

2009年9月5日土曜日

[diary]モヤレからアディスアベバへ(1日目)

モヤレからアディスアベバへ(1日目)

08/10/05(日) 曇りときどき雨
[Moyale→Awasa:Ethiopia]

・4時半起き
・当てにならない人たち
・丘を越えて

日本から持ってきた携帯電話のアラーム音が鳴る前に目が覚める。部屋は真っ暗。時間を確認すると朝の4時過ぎ。

エチオピアは虫刺されがひどいと聞いていたから長袖、長ズボンに線香を焚いて寝た。そのおかげか、それともここのベッドには虫がいなかったのか、虫刺されから逃れることができた。

目が覚めてからしばらくベッドの上でごたごたして、それから勢いをつけて起きる。部屋の照明が点かないから懐中電灯で明かりを作り、荷支度を始める。昨日は荷解きはほとんどしていないから準備も早い。それから用を足しにトイレへ。トイレは部屋にはない。向かいの建物にあるのだが、こちらも電灯が点かないので懐中電灯を頼りに歩き、用を足す。

それから同じ時間帯のバスに乗るA君を起こす。A君は隣の部屋にいるのだが、壁が薄いおかげで軽く壁をどんどんと叩いて声をかければ聞こえた。

ナイロビからここまで一緒のトラックに乗ってきたエチオピア人きょうだいも同じバスに乗ると言っていた。昨日の晩飯の時間に、明日は4時半過ぎに部屋の前で合流して一緒にバスターミナルに向かおうと言っていたのだが、時間になっても2人は現れない。エチオピアの長距離バスは朝が早い(4時や5時出発)うえに事前に予約が取れない、というか予約の仕組みがないため、早くバスターミナルに着いたもん勝ちという方式になっていると聞いていた。だから今日、確実に移動するためにも一刻も早くバスターミナルに行きたいのだが、彼らはなかなか来ない。

10分ほど待っていたが、起きている気配もないのでA君と2人で先に行くことにする。地元の人だからどうせ何か考えがあるのでしょう。

まだ夜が明けない暗闇の中、てくてくとやや上りの道を歩いてバスターミナルへ。半そででは寒いくらいの気温だが、長袖のシャツを着て歩いているぶんには心地よい。宿からは歩いて3分ほど。距離にして言えば300mほどか?

バスターミナルに着くとすでにバスも客も出発準備をしていて、ドッドッドという低いエンジン音のまわりでワーワーと人の声が舞っていた。バスは30年位前のタイプのバスで見るからに年季が入っている。これもどこかからの輸入品なのだろうが、どこのものかはわからなかった。

送信者 ethiopiq


フロントガラスのところに行き先を書いたボードが置かれているのだが、これがアムハラ文字だけで書かれているのでまったく読めない。知らない文字の世界に入れば、誰もがいわゆる文盲になってしまう。これまでヨーロッパに支配されていたところばかり行っていたので、意味はわからなくても読むことはできた。しかし、ここのアムハラ文字はアラビア文字並みに読めない。まったく文字の形状が違う。

ふと世界の言語数と比べると独自の文字を持っている地域というのは少ないものなのだなと感じる。これまで回った中で言えば、マヤやインカにも独自の文字はあったらしいが、ヨーロッパ人の侵略のお陰でその文字を使える人はいなくなった。そうしたこともあり、今回の旅行で言うといわゆるローマ字以外の文字に出会ったのは、アラビア語についでアムハラ語が2種類目。ぱっと思いつく限りで言うと、そうした独自の文字を今でも使っているところはアジアに多い。日本は言うまでもなく、中国、朝鮮・韓国、ベトナム、タイ、ラオス、インド、それからこれはヨーロッパとの境界になるが、ロシア、グルジア、アルメニアなど。もし豊かさの基準を多様であることにとるなら、ヨーロッパによる世界各地の侵略(特に英語圏の拡大)がどれほど世界を貧しくさせたかが文字の問題からだけでもわかるように思う。

話を戻す。今の問題は世界の文字文化に関することではなく、バスのフロントガラスにある行き先を書いた文字が読めないということだった。こうなると当然聞くしかない。アムハラ語はまったくわからないので、とりあえず英語で首都のアディスアベバに行きたいと近くの人に言うと、あるバスを指差して教えてくれる。

A君はぼくとは違うところへ行くので、ここでお別れ。それぞれ自分が乗るバスのところへ向かう。

さっき教えてもらったバスの近くまで行き、2~3人にこれがアディスアベバ行きのバスであることを確認する。それから客の間をぐるぐるまわってチケットを売っている男に近づき、バスのチケットを買う。アディスアベバまで110ブル(約1300円)。2日かかるし、エチオピア人きょうだいに聞いていた値段とそんなに変わらないので、値引き交渉はせず。

リュックなどの荷物は屋根の上に乗せる。バスのチケット売りとは別に荷物を載せる作業をする男たちがいて、彼らに荷物を渡し、屋根の上に乗せてもらう。もちろん屋根は荷物を載せられるように改造されてあるが、屋上屋はない。荷物の積載作業をしている男にリュックを預ける。すると荷物代を請求される。値段を聞くと10ブル(約120円)もする。1食相当の代金だ。バスの屋根に荷物を載せるだけの仕事でそんなに取るか? しかもバス賃の約1割。周りを見ると、他の人もいくらかカネを渡している。だから払うものなのではあろうが、金額が高いので安くしろと言うが、相手はまったく聞かず。自分で載せる手もあったのだが、盛んに作業員の男たちがバスの屋根を行き来しているから入る余地がない。しょうがないので、まぁ、これもこの人らへのボーナスと思ってカネを払い、荷物を屋根に載せてもらう。

荷物が屋根に載ったのを確認してからバスに乗り込む。外見どおり車内も相当ふるい。内装はすっかりはがれ、座席も木目が磨り減った板そのまま。なんだか木造校舎の雰囲気に似ている。

座席は特に決まっていないようなので、適当に窓際をゲット。あとは出発を待つだけ。

出発時間などはけっこう適当なのかなと思っていたら、意外にもわりと時間を守っていた。6時出発には遅れたけれど30分も待たずに発車。それまでに車内の座席はすっかり埋まってしまう。

バスは舗装されている一本道を走る。丘のような地形のためゆるい坂道を上ったり下ったりを繰り返す。エアコンはもちろんついていないので、空調機能は人力による窓の開閉だけ。出発前には前回だった窓も走り出すと吹き込んでくる風が冷たく、すぐに窓のオープン面積は少なくなる。

あたりはサバンナ的な風景。やっぱり緑が少ない。

走り出してしばらくすると、なぜかバスが止まる。前方を走っていたバスも止まっている。そして乗客がみな降り始める。沿道には小さな集落があって、掘っ立て小屋のような店にはチャイ(ミルクティー)とチャパティ(小麦粉で作った厚手のクレープみたいなの)を作っているおばちゃんが1人いた。

ぼくもバスから降りて状況を観察していると、あのエチオピア人きょうだいを発見。彼らは別のバスに乗っていたようで、英語で挨拶を交わし、何事かと尋ねてみると警察のチェックを待っているのだという。バスは3台ほど止まっており、どのバスの乗客も全員外に出ている。そうして空っぽになったバスの中を征服を着た警官が2~3人でチェックして回っている。何をチェックしているのかはよくわからず。

暇だったので掘っ立て小屋のような店でチャイを一杯とチャパティを1枚買う。これが朝飯。
送信者 ethiopiq


結局、警察のチェック待ちに30分ほどかかる。個々人の尋問のようなことはなく、車内のチェックが終わるとみなすぐに車内に戻っていった。

また遠くまで見通せるような丘の波をバスはえっちらおっちら走る。沿道には民家以外の建物を見ることはまずない。
送信者 ethiopiq


お昼頃、沿道に店が並ぶ通りでバスは止まる。どうやらこのあたりはこのまちの中心商店街のよう。昼食休憩のようで、バスからみな降りはじめる。ぼくもあれこれ食べたいところだが、バスにトイレはないし、まだまだ移動は続くので昼食は抜き。よって道端をふらふらしながら店を見て回る。そこにはクッキーやコカコーラなどを売っている小さな食品店、雑貨屋、八百屋などが並んでいた。何も食べないのも口さびしいので、クッキーを買うことにする。15枚入りくらいの小さなクッキーは1袋50円程度。味は日本のものとたいして変わらない。ここで面白かったのがユニークな形の木製一輪車だった。こうしたつくりのものを見るのは初めて。
送信者 ethiopiq


昼食休憩は30分ほどだった。昼飯が終わるとまたどかっとバスに乗り込む。相変わらず隙間がない。満席状態がつづく。

ときおりバスの中でウトウトしながら、そうでなければ窓を開けて外を眺めながらバスに身を任せる。

気がつくと緑が多い地帯をバスは走っていた。道の両側にこんなに一面の緑を見るのは久しぶり。こんなところもあるんだと思いながら外を眺めていたら、バスがまた止まった。どういう理由かはわからない。何かの店に立ち寄るわけでもなく、ただ止まってしまったようだったから、おそらく故障か何かでの停止らしい。なかなかバスが動かないので、外に出て立ち小便したり、ぶらぶら歩いたりして待つ。

30分かそこらの間、そこで待たされた後に再出発。その後も同じ調子でうとうとしたり大して変化のない景色を眺め続けたり。

日が暮れてもバスは走り続ける。

暗闇を走っていくとまちに着く。そして、そのまちのバスターミナルにバスは入る。アジスアベバ行きのバスだが、ここで今日はおしまいらしい。つまり、このバスに乗っている乗客はみなここでいったん解散し、明日の朝5時に再びバスに集合ということらしい。こうした習慣があることは事前に別の旅行者から聞いていたから、たいしてあわてることもなく受け入れられたが、知らなかったら何がどうなっているのか訳がわからなくなっただろう。

こういう場合、他の国ならば夜もバスは走り続けるのだが、なぜかエチオピアは走らない。しかもバスの中で寝れるか運転手に聞いたところダメとのこと。つまり、宿泊は自前で探し、自腹で確保しなければいけない。長距離バスに乗って宿代を浮かせるというお金を節約するための十八番が使えない。荷物は屋根にあげており、別にそのままでもいいとのことだったのだが、心配なのでおろしてもらう。

同じバスに乗っていたおじさんに近くに宿があるかと尋ねると付いて来いと言う。おじさんとその連れの男性にくっついて歩く。バスターミナル周辺が繁華街のようで、20時を過ぎたこの時間でも開いている店やレストランがちらほらとある。

宿はバスターミナルから左斜めに100m程度でレストラン併設だった。一緒に来たおじさんが宿主に話をしてくれ、部屋を確保してくれる。宿代を聞くと1人部屋1泊25ブル(約300円)だと言う。ちと高いなと思ったが、他に当てもないのでここにする。

部屋を案内してもらうと、なかなか逆の意味で素敵な部屋だった。部屋にあるのはベッドと水の入ったペットボトルと洗面器だけ。洗面器は奥の角に置かれていて何か意味ありげなのだが、かなり汚れているし何に使うのかわからない。トイレやシャワーは別。
送信者 ethiopiq


送信者 ethiopiq


腹が減っていたので荷物を置いたら近くの食料雑貨店に行く。お菓子の類ばかりで食事代わりになるようなものがないのだが、しょうがないので昼と同じようにクッキーを1袋買う。あたりをぷらぷらしていると道端で既製品のクッキーをダンボールに並べて売っている人がいたので、その人からも1袋買う。10枚程度入っている小さなサイズでお値段は1ブル(約12円)。それからペットボトルの水1.5リットルを買う。こちらは8ブル(約100円)。

この通りには50m置き程度に街灯があるのでそこそこ明るい。けれど、道を歩いている人はまばら。車が時折走るからそのエンジン音がやけに響く。

部屋に戻って菓子で晩餐。あとは明日着くであろうアジスアベバの予習をして就寝。

Fin