ナイロビからモヤレへ(3日目)
08/10/04(土) 晴れ
[?:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・朝の一杯
・エチオピア入国
・うっとおしい両替屋
・イミグレ休憩中
・エチオピアンタイム
・群がる人々
・卓球、ビリヤード
・アムハラ語
一昨日の午後にナイロビを出てから3日目。1日目の晩は徹夜で走っていたが、さすがに昨晩はトラックを未舗装の道路わきに止めての宵越しとなった。辺りには集落も見えずただ大地が広がるだけ。空には目を見張るほどの夥(おびただ)しい数の星が見えた。運転手は運転席から降り、どうも地べたに寝ている模様。何か敷物を持っているのかどうかはわからない。我らは助手席に座ったまま寝るのである。10月に入ったこともあってか車内はまったく暑くなく、逆に肌寒いほどだった。そういう意味では寝苦しいなんてことはなかったのだが、いかんせん横になれないので尻が痛くなったりして夜中に何度か目覚める。
5時を過ぎた頃にまたケツが痛くて目が覚める。あたりはうっすらと明るくなり始めていた。もうしばらくがんばって寝る。
6時前になると隣のA君も目覚める。何時間も窮屈な体勢で寝ていたので、体を伸ばすために外に出る。外はひんやりとしている。トラックの後部車輪あたりに人が横になって寝ていた。どうやら運転手らはトラックの下で寝ていたらしく、しばらくすると何人かがトラックの下から起きだしてくる。
運転手は目覚めるとそのまま運転席に向かい、すぐに発車の準備を始める。ぼくらも助手席に戻り、出発を待つ。
6時前にトラックは発車。あたりはもうすっかり明るくなっている。
昨日までと同じようなさらさらした砂の道をトラックは走る。沿道には円形の家や木製の掘っ立て小屋のような家、土壁の四角い家などがときおり現れる。
今日こそはエチオピアとの国境にたどり着くのだろうが、あとどれくらいかかるのかは、まったくわからない。それでももうだいぶ近くまで来ているはずだから一気に国境まで行くのだろうと思っていたら、1時間くらい走ったところでトラックは止まった。あたりには家々が並び、食堂や商店らしき建物もある。トラックは食堂の前で止まり、そこでみんな降りる。どうも朝飯タイムらしい。
超長距離移動ということで、この移動中は食事を控えていたが、もう先が見えてきたのでぼくも朝飯を食べることにする。電気のついていない暗い店内に入り、店の男性に注文する。今朝のメニューはチャイにチャパティにカランガという羊か何かのモツ炒め。チャイは甘い。チャパティもうっすらと甘みがある。いずれもなかなかうまい。お値段はチャイが1杯20ケニアシリング(約30円)、チャパティ1枚15ケニアシリング(約25円)、カランガ100ケニアシリング(約160円)。
食事後、表に出てみたらトラックの給油をしていた。トラックに一緒に乗っている運転手の仕事仲間がガソリンが入っているポリタンクとトラックの給油口をホースでつないでいる。日本のガソリンスタンドのように引き鉄をひけば給油が始まるというような機械はないから、ホースの一方から空気を吹き込んでその反動(?)でガソリンが這い登ってくる力を利用して給油している。空気を吹き込むときは、ホースに直接口をつけて吹き込んでいるので、あれではガソリンを飲み込んだりしてしまうこともあるんじゃないかと気になる。
店の脇にあった木製のベンチに腰掛けてそうした作業の様子を見ながら再出発を待つ。
結局、着いてから1時間ほどそこですごし、8時過ぎに再出発。同じような道をまたずっと走り続ける。
それから走ること約3時間。11時ごろになってようやく舗装されたアスファルト道が現れる。舗装されている道を見るのは久しぶり。国境はもうすぐ。それにしてもやっぱり舗装道はタイヤで走るには楽だなぁ。
さすがに国境の町ということで小さいがホテルらしき建物や商店もある。人も多いように感じる。トラックで国境まで行けるものだと思っていたら、トラックは適当なところで止まり、運転手はここで降りろと言い出す。同乗のエチオピア人きょうだい2人もなんの文句も言うことなく降りる準備を始めたので、ぼくらもここで降りる。荷台に預けてあったリュックを受け取り、背中にかつぐ。
国境らしきところはもう見えているから歩いて行こうか考えていたら、エチオピア人きょうだいが荷物が多いからタクシーに一緒に乗っていかないかと言い出す。すでにタクシーはあたりに待機していて、ぼくらの動向を観察している。1台のタクシーに聞くと1人あたま100ケニアシリング(約160円)だと言う。距離のわりに高いなぁと思うが、人助けと思って一緒に乗ることにする。セダン型の車に4人で乗り込み、国境に向かう。イミグレでパスポートのチェックがあったが、あれこれ聞かれるようなことはなく、すんなり通る。ケニア出国は無事終了。
車ごと国境を超えて、エチオピア側へ。ここは緩衝地域らしき区間もなく、すぐにエチオピア側のまちに入る。イミグレは国境を越えたらすぐのところにはなく、200mほど町のほうへと進んだ右手にあった。不思議なことに入口には門番がいて、イミグレの敷地内にはスルスルとは入れない。タクシーの運転手が門番に聞くと、この時間は昼休み中らしい。で、開くのは何時かと聞くと15時だと言う。まったくなんでそんなに昼休みが長いんだ! というわけでエチオピアに入国したもののすぐには入国スタンプをもらえず。
そんなしていると周りに両替屋が集まってきて、両替しないかと言ってくる。必要ないと断ってもついてくるので、先に宿に行くことにする。宿の当てはまったくなかったので、同乗者たちと相談して運転手に安い宿に連れて行くよう頼む。
すると両替屋たちもついてくる。宿は幹線道路に面したところにあり、イミグレからは100mほど離れているだけ。中学校のサークル小屋を思わせるようなコンクリート製の長屋型の宿。部屋を見せてもらうと6畳ほどのところにベッドがあるだけ。一応、電球もあるがそんなに明るくない。便所や水浴び場は外にあり、共同。宿代を聞くと25ブル(約300円)だと言う。エチオピアは東アフリカの中では物価が低いと聞いていたので、部屋の出来などから1泊150円くらいかと想像していたのだが、意外と高かった。しかし、他に宿を探すのも面倒だし、A君もオッケーと言っているのでここに泊まることにする。まだエチオピアの通貨ブルを入手していないので、支払いは後でということにしてもらう。
部屋に荷物を置いてしばらく休憩。表に出るとさっきから着いて回っている両替屋たちがホテルの敷地の中にまで入って来ているので、ちょっと部屋で過ごす。といっても部屋も独房のような雰囲気でたいして居心地はよくないので、しばらくしたら表に出る。
A君を誘って改めて両替屋を探しに行く。トラックに一緒に乗ってきたエチオピア人きょうだいによればアディスアベバでは1米ドルがだいたい10ブルらしい。
道を歩いているとやはり目立つ。視線が集まるのを感じる。幹線道路沿いにはレストランや食料雑貨店、道具店、散髪屋などが並ぶ。水を買おうと食料雑貨店に行って聞いてみるとケニアシリングも使えるというので、とりあえずケニアシリングを使って買い物をする。ペットボトル入りの水1.8リットルが50ケニアシリング(約80円)。
人通りはそれほど多くないが、市場まで行くとだいぶ賑やかになる。道端にはビリヤードの台や卓球台もあり、そこでは若い男たちが遊んでいた。
両替ができるところがないかと探す。たまたま道端で会った人に両替屋がないか聞いてみると、あいつがそうだと30前後くらい年恰好の男を紹介してくれる。彼にレートを聞くと1米ドル=9ブルだと言う。10ブルにはかなわないが、極端に悪いということもないので彼と両替することにする。しかし、そうやって話しているとすぐに男たちが集まってきてうちらのやり取りをじっと観察しだすので財布を見せるにはあまりよろしくない状況になる。そこで彼に周りにいる奴らが鬱陶しいみたいなことを仕草で伝えると、彼はすぐに察知して周りの男たちに離れるよう言うが、そう簡単に離れないのでこちらが彼らから離れることにする。
彼がついて来いというので着いていくと、宿屋らしいこれまた長屋形式の建物のちっちゃな一室に勝手に入っていって、そこを取引場所にしてしまう。ここで両替完了。
さて、両替も済んだので飯でも食いに行こうと食堂を探してまわる。食堂はいくつかあったので、わりと客が入っている店を選んで2人で入る。
さて、エチオピアの食といえばまずはインジェラ。ある人が“あれは雑巾の味がする”と言ったほどの料理らしいのだが、これが実際にどんな味なのかを知ることがエチオピアに来てまずしなければいけないことだった。
うきうきしながら食堂の店主らしいおじさんにインジェラがあるか聞くとあると言う。英語はほとんど通じないが料理名は通じるよう。4人席に座り、注文。インジェラ&ミートという料理を注文する。それからこれもエチオピアでは外せないコーヒーも頼む。インジェラ&ミートは12ブル(約150円)、コーヒーは1杯1ブル(約10円)。さすがに原産地ということか、コーヒーが安い。
15分ほど待ったところで料理が登場。銀色のステンレス製らしい円形のお盆の上に半分に折りたたまれたインジェラとおかずが盛られた皿が乗って出てくる。インジェラの色は灰色だった。そしてでかかった。厚さはクレープ並みに薄いけど、面積は一般的なクレープよりもはるかに広い。それはいいんだけど、意味不明なところが一点ありまして、なぜかおかずが盛られた皿がインジェラの上に乗っている。なんで? インジェラが乗せられているお盆の上には隙間があるんだから、わざわざインジェラの上に乗せなくてもいいじゃん、と思うのですが。
さてさてお味の方はと、さっそく手でちぎってインジェラを食べてみる。うっ、すっぺぇ(酸っぱい)! というのが、1口食べてまずは出てきた言葉。見た目からはちょっと予想していなかった味だった。しかし、どうもこれに似たような味のものを食べた気がする。“どこだったっけ?”と思い出して、出てきたのがトーゴやガーナで食べたものだった。フーフーやウガリに似た食べ物だったが、名前は知らない。あれも酸っぱかった。炎天下に道端の屋台であれを食べたときには、“え? これ腐ってんじゃねぇか?”と思ったくらい。よく考えてみるとこの酸っぱさはドイツの黒パンなどの酸っぱさにも似ている。でも、黒パンよりもこっちのほうが数倍酸味が強い。というわけで、うまいうまいとバカバカ食べられるようなものではなく、しんみりと人生の酸っぱさに想いを馳せながらチビチビ食べることとなった。
一方のおかずは盛り付けは適当だが、味は良かった。これまで食べた料理はけっこう大雑把な、適当な味の料理が多かったが、これは味がしっかりしている。ぼくの見込みではけっこう日本人受けするような味付けだった。もう少し量が多いともっといいんだけどなぁ。
食後、おじさんにインジェラの調理場を見せてもらえないか聞くと愛想よくすぐに調理場を案内してくれる。調理場の一角にはすでに焼かれたインジェラが何枚も重ねて置かれていた。また焼く前の水に溶いた液状のものも寸胴鍋のような入れ物に入れられておかれていた。おじさんは“これをここで焼くんだ"と平べったい鉄板(? プレート)などを指差しながら教えてくれる。
そうして見学させてもらってからコーヒーをもう一杯注文する。コーヒーの味はよくわからんけど、まずくはないと思う。ブラックかと思ったら底に砂糖が1cmくらい溜まっていた。
それから時間つぶしに市場周辺をぶらつき、道行く羊を眺めたり、テコンドーか何かの道場の壁画を鑑賞したり、売られている野菜などを見て回る。幹線道路は完全に舗装されていてなかなか良いのだが、道を一つ入ると未舗装の石や糞などが転がる道となる。ぶらぶら歩きながらみかんを買ったり、ピーナッツを買ったり、バナナを買ったり、ポップコーンを買ったりする。
それから市場のすぐ近くにあったバスターミナルに行って明日乗る予定のバスについて下調べ。ぼくは首都のアディスアベバに行くのだが、エチオピアのバスは朝が早いという噂どおり、アディスアベバ行きは朝の5時発だった。
卓球台近くを通りがかったときに、そこで遊んでいるのを見ていたらやらないかと誘われる。その誘いにA君がのる。いざ卓球対決。といってもどっちも素人だから、バシバシ球が飛び交うような試合にはならず、ピンポンという音そのままのゆったりしたラリーが続く。やっているとすぐに見物客が集まる。10歳前後くらいの男の子たちも寄ってきて、卓球が終わるとぼくらの周りをうろうろする。A君がビデオカメラを持っていたからその録画画面を覗きたがっていた。言葉ははっきり言ってまったくわからない。
15時に近くなってきたので2人でまたイミグレに向かう。ちょっと早く行っても中に入れてくれるだろうと見込んでいたのだが、まったくの見込み違いでしばらく門のところで時間が来るまで待たされる。そうしてしばらく待ってようやくイミグレの建物内に入ることができる。そして入国カードを記入し、パスポートと一緒に提出。手続きは難なく終了。これでエチオピア入国の手続きは完了。
いったん宿に戻って、ここでA君とは別行動とする。
ぼくはまたさっき通った道を戻って幹線道路を北へと歩く。ネット屋を探していたのだが、最初に見つけたところは現在接続できない状態のようで使用不可。そこで他にネット屋があるか聞いたらあるというので、場所を教えてもらいそちらに行ってみた。そしたらこちらのネット屋は動いていた。が、料金高すぎ! 1時間24ブル(約300円)って日本並みじゃん。まぁ、しかし、そもそもこんな国境地帯にもネット屋があること自体が驚きだけれど。
それから予備用にパスポートとビザのコピーをとっておこうと、コピー屋でコピーを作成。白黒コピー2枚で1ブル(約10円)。
それから宿に戻る。外が明るいうちに水を浴びようと浴場へ行ってみるとちょうどA君がいたので聞いてみる。すると彼は水を浴びようとしたらバケツ一杯いくら払えとある人に言われ、でも宿主らしい人には無料で良いとも言われとちょっと混乱したらしい。結局、無料で使えたらしいが、それでも水は蛇口のあるところからバケツに汲んできたものを使うので、足りなくてもすぐにそこで水を補給することはできない。結局は最初に汲んできた量の水しか使えないので、ようく考えて計画的に水を使わねばならなかったらしい。
水浴び場は鍵がかかっているので、スタッフらしい女性の人に頼んで鍵を開けてもらい、バケツ一杯の水をもらう。
それで持参している石鹸などを使って体を洗浄。ずっと砂道だったが、それほど砂にまみれてはいなかった。気温がそれほど高くないので、水を浴びるとちょっと冷える。
夜は同じトラックに乗ってきたエチオピア人きょうだいとたまたま宿で一緒になったエチオピア人男性(20代くらいで英語堪能)の5人で飯を食う。意外と夜のレストランの選択肢は少なく、昼食べた料理の主食がパンになったというような程度だった。いくつかのレストランでは音楽がガンガンかけられ、通りを歩いていても聞こえるくらい。
明日の朝が早いこともあり、21時過ぎには解散して部屋に戻り、明日の準備。んで、暗いこともあってさっさと寝る。
Fin
2009年8月14日金曜日
2009年8月5日水曜日
[diary]ナイロビからモヤレへ(2日目)
ナイロビからモヤレへ(2日目)
08/10/03(金) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・砂漠の道を走る
・沿道の集落、石を投げる子ども
・らくだの群れ
・国境にも届かず
・満天の星空
気がついたら外が明るくなっていた。トラックは相変わらず走り続けている。昨日の夕方ナイロビを出て2日目。エチオピアとの国境であるモヤレに向かう。
ちなみにケニアからエチオピアに行くこのルートは一般的には危険だと言われている。理由は盗賊が出るから。こうして荷物を運んだりしているトラックを襲い、金品を持ち去っていくらしい。だから一般的にはこのルートを避ける。つまりは陸路ではなく、空路で移動するのを選ぶ。だが、途中で会った旅行者の中にはエチオピアから陸路でナイロビに行ったという人が少なからず(と言っても母数が10人もいないというほど少ないんだけど)いた。またエチオピアの国境とナイロビをつなぐルートは2通りあって、一方は所要時間は比較的短いが危険、もう一方は時間はかかるが比較的安全というような噂だった。トラックに乗る前に運転手に聞いた話では前者のルートを行くというようなことを言っていたのだが、後に後者のルートを通ったとことを知る。
上記のようにこのルートは危険だからか、道が整備されておらず、公共交通機関もないに等しい。南アフリカからナイロビまではバスターミナルに行ってそこから出ているバスに乗って移動はできたが、このルートはそれができない。ぼくらが乗っているようなトラックに乗るか、週に数本しかないバスに乗るしかない。
今日も天気はよい。このトラックに乗っているのはぼくとA君、エチオピア人のきょうだいやケニア人たちばかり。まぁ、地元の人が使っているならそこまで危険ではなかろう。運転手はケニア人、ぼくらの後ろに座っているきょうだい(兄と妹)はエチオピア人。彼らはスワヒリ語がわかるから運転手とはスワヒリ語で話をしている。彼らはエチオピアの言葉であるアムハラ語、スワヒリ語、そして英語と3つの言葉を使えるよう。
フロントガラスには見事なひびが入っているのだけれど、助手席に座っているからまわりの景色は良く見える。あたりはほとんどまっ平で、半分砂漠。というか、砂漠そのものかもしれない。
高さ1m足らずの木々が一応は生えているのだが、葉はない(というかそういう植物?)し、青々とはしていない。要は一面が緑というような風景を見ることはない。
道は舗装されておらず、車が走った跡が道になっている。
人の姿も見ないからここらには人は住んでいないのだろうと思っていたら、いた。水を運ばせているらしくロバに20リットルくらいのプラスチックボトルをくくりつけ、一緒に歩いている。その男性はゆったりした大き目の白の長袖シャツに下はサルン(足首まである布を腰に巻いたもの)を履いている。細身だった。
7時ごろ、なぜかトラックは停車。パンクなのか何なのか修理っぽいことを始める。後ろから同じようなトラックもやってきて、トラック2~3台が止まっての休憩となる。もちろんまわりには商店も物売りの人も集落もないから何か食うものなりを買おうと思ってもない。
トラックには運転手のほかにそのアシスタントみたいな男が一緒に乗っていて、そうした事態になると彼が動く。運転席下の葉っぱも彼が掃除をする。身長は180cmくらいあるが人懐っこい雰囲気で挨拶をするとにこっとして返す。見た目は20代半ばくらいに見えるのだが、もっと若いかも。
修理が終わり再び発車。運転手はアシスタントの彼が荷台に乗り込む前に走り出す。運転手はミラーで彼の様子を見ながらにやけている。アシスタントの彼も笑いながら全力ダッシュ。そして適当なところを手がかりにしてトラックにつかまり、一気に荷台の上まで登る。ぼくらは「いやぁ、元気だねぇ」と笑う。
それからしばらく行くと集落が現れた。すっかり人など住んでいないところを走っているもんだと思っていたので、ちょっと驚く。
家は骨組みを組んだ上からバサッとわらを重ね置きしたような家。どこが入口なのかわからない。そういう家がパッと見で50軒ほどある。しばらく行くと木の枝を編むようにして壁にしたわりとしっかりした家やレンガ積みでトタン屋根の家も見える。子どもを連れた女性を見たり、ロバやらくだを引いた女性を見たりする。女性はモロッコと同じように頭から足首まである布(ワンピース?)を着ている。黒もあれば濃い赤や緑やさまざまな柄が入ったものなど、その色はさまざま。なかなかきれいだ。
集落を抜けるとまた砂漠のような景色になる。車の前方をマイクロ小鹿とでも呼びたくなるような小さく細い動物が南東も横切る。あれは何という動物なんだろう? その他、走っていたら名も知らぬ動物を見る。飼われているのかどうかは知らないけどダチョウも見た。有名どころのライオンやシマウマ、象、きりんなどは見ない。今回のアフリカ旅行ではサファリには結局行かなかったが、タンザン鉄道とこれでちょっとはサファリ気分が味わえたから“まぁいいかな”という気になる。
しばらくそうしたところを走るとまた集落に入る。道端で遊んでいた子どもたちがトラックをよけて端による。そしてこっちを見ているから窓からA君が顔を出して見ると子どもたちは驚いてあとづさりしながらも石を投げてくる。もっともみな5~6歳くらいだから投げる石も小石。この反応には2人して苦笑い。
ある集落に入ったとき初めての食事休憩となる。ぼくはチャイとビスケットを買う。怖いもの見たさなのかさっき石を投げてきたくらいの子どもたちが5~6人集まってきて、ぼくらを遠巻きに見ている。その距離2~3mほど。子どもたちはそれ以上近づこうとしないので、こちらから寄っていこうとすると驚いて背を向けて逃げ出そうとする。近づくのをやめるとまたさっきと同じくらいの距離まで戻る。A君がふざけて「やー!」と空手の構えのような適当な構えをしたらみな驚き、逃げようとする。中には石を拾って、こっちに投げるぞという威嚇をする。ビスケットを買ったお店のおばちゃんは面白そうにそれを見ていた。あちこちで子どもには会っているけど、こういう反応をする子どもたちは初めて。子どもたちにすれば肌が黒くない人を見るのは初めてだったのだろう。
30分ほど休憩して、再出発。
14時ごろ、パンクなのかまたもやトラックは緊急停車。ぼくらは乗ったまま再出発を待つ。
再出発後、さらに走る。沿道に見える家は半球形の家が多い。建築途中らしいものからそれらの家は木の枝で骨格が作られ、その上に藁みたいなものを被せて造っているらしいことがわかる。中には藁に混ぜて服も家を覆う材料として使っている家もあった。それにしてもここらの人たちはどこで水を手に入れているのだろう?
16時ごろ、道端の商店前でトラックは停車。A君はオレンジジュースを買っていた。ぼくは何も買わず。結局、この日は小便も1回したくらいで大便なし。口に入れたものも小さい小袋のビスケットのみ。もっとも車に乗っているだけだから腹も減らないし、暑くないから喉も渇かない。
昨日、出発前に聞いた話ではエチオピアとの国境まで1泊2日だと聞いていた。だから今日の夕方、もしくは夜には着くのだろうと思っていたが、たまたま途中でみたまちの名前を手元のアフリカ地図に探してみると、国境まではまだまだある。とても今日中には着きそうにない距離だった。
それにしても運転手は何度か休憩はしているものの昨日から寝ていない。彼の目を見るとビキビキに充血している。大丈夫かと聞くと大丈夫だと言うのだが、運転しながらときおり「ぅワァァァー」と言って突然叫んだりしているから相当眠そうだった。ぼくなんかは何もしていないのにしょっちゅう居眠りしているのに、なかなか根性あるなぁ。
やがて日が暮れ、やはり今日中には着かないのだなと諦めモードになる。22時くらいまで運転手はトラックを走らせ、適当なところで止める。さすがに今晩は寝るらしい。運転手らは外に行き、戻ってこないから外で寝ている模様。ぼくもちょっと外に出て、体をちょっと動かす。空を見上げると満天の星。他の国でも星空を見て、あまりに星が多いのに感心したが、ここはまた格別だった。この星空を見られたことでさっきまでの今日中に着かないのかという諦めモードは消え去り、なんだかすっきりした気分になる。月も異様に存在感があってその光は足元まで届いているような実感がある。
しばらく空を見上げて感心した後、トラックの助手席に戻って座る格好で寝る。
FIN
08/10/03(金) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・砂漠の道を走る
・沿道の集落、石を投げる子ども
・らくだの群れ
・国境にも届かず
・満天の星空
気がついたら外が明るくなっていた。トラックは相変わらず走り続けている。昨日の夕方ナイロビを出て2日目。エチオピアとの国境であるモヤレに向かう。
ちなみにケニアからエチオピアに行くこのルートは一般的には危険だと言われている。理由は盗賊が出るから。こうして荷物を運んだりしているトラックを襲い、金品を持ち去っていくらしい。だから一般的にはこのルートを避ける。つまりは陸路ではなく、空路で移動するのを選ぶ。だが、途中で会った旅行者の中にはエチオピアから陸路でナイロビに行ったという人が少なからず(と言っても母数が10人もいないというほど少ないんだけど)いた。またエチオピアの国境とナイロビをつなぐルートは2通りあって、一方は所要時間は比較的短いが危険、もう一方は時間はかかるが比較的安全というような噂だった。トラックに乗る前に運転手に聞いた話では前者のルートを行くというようなことを言っていたのだが、後に後者のルートを通ったとことを知る。
上記のようにこのルートは危険だからか、道が整備されておらず、公共交通機関もないに等しい。南アフリカからナイロビまではバスターミナルに行ってそこから出ているバスに乗って移動はできたが、このルートはそれができない。ぼくらが乗っているようなトラックに乗るか、週に数本しかないバスに乗るしかない。
今日も天気はよい。このトラックに乗っているのはぼくとA君、エチオピア人のきょうだいやケニア人たちばかり。まぁ、地元の人が使っているならそこまで危険ではなかろう。運転手はケニア人、ぼくらの後ろに座っているきょうだい(兄と妹)はエチオピア人。彼らはスワヒリ語がわかるから運転手とはスワヒリ語で話をしている。彼らはエチオピアの言葉であるアムハラ語、スワヒリ語、そして英語と3つの言葉を使えるよう。
フロントガラスには見事なひびが入っているのだけれど、助手席に座っているからまわりの景色は良く見える。あたりはほとんどまっ平で、半分砂漠。というか、砂漠そのものかもしれない。
| 送信者 kenya |
高さ1m足らずの木々が一応は生えているのだが、葉はない(というかそういう植物?)し、青々とはしていない。要は一面が緑というような風景を見ることはない。
| 送信者 kenya |
道は舗装されておらず、車が走った跡が道になっている。
| 送信者 kenya |
人の姿も見ないからここらには人は住んでいないのだろうと思っていたら、いた。水を運ばせているらしくロバに20リットルくらいのプラスチックボトルをくくりつけ、一緒に歩いている。その男性はゆったりした大き目の白の長袖シャツに下はサルン(足首まである布を腰に巻いたもの)を履いている。細身だった。
7時ごろ、なぜかトラックは停車。パンクなのか何なのか修理っぽいことを始める。後ろから同じようなトラックもやってきて、トラック2~3台が止まっての休憩となる。もちろんまわりには商店も物売りの人も集落もないから何か食うものなりを買おうと思ってもない。
| 送信者 kenya |
トラックには運転手のほかにそのアシスタントみたいな男が一緒に乗っていて、そうした事態になると彼が動く。運転席下の葉っぱも彼が掃除をする。身長は180cmくらいあるが人懐っこい雰囲気で挨拶をするとにこっとして返す。見た目は20代半ばくらいに見えるのだが、もっと若いかも。
修理が終わり再び発車。運転手はアシスタントの彼が荷台に乗り込む前に走り出す。運転手はミラーで彼の様子を見ながらにやけている。アシスタントの彼も笑いながら全力ダッシュ。そして適当なところを手がかりにしてトラックにつかまり、一気に荷台の上まで登る。ぼくらは「いやぁ、元気だねぇ」と笑う。
それからしばらく行くと集落が現れた。すっかり人など住んでいないところを走っているもんだと思っていたので、ちょっと驚く。
家は骨組みを組んだ上からバサッとわらを重ね置きしたような家。どこが入口なのかわからない。そういう家がパッと見で50軒ほどある。しばらく行くと木の枝を編むようにして壁にしたわりとしっかりした家やレンガ積みでトタン屋根の家も見える。子どもを連れた女性を見たり、ロバやらくだを引いた女性を見たりする。女性はモロッコと同じように頭から足首まである布(ワンピース?)を着ている。黒もあれば濃い赤や緑やさまざまな柄が入ったものなど、その色はさまざま。なかなかきれいだ。
| 送信者 kenya |
集落を抜けるとまた砂漠のような景色になる。車の前方をマイクロ小鹿とでも呼びたくなるような小さく細い動物が南東も横切る。あれは何という動物なんだろう? その他、走っていたら名も知らぬ動物を見る。飼われているのかどうかは知らないけどダチョウも見た。有名どころのライオンやシマウマ、象、きりんなどは見ない。今回のアフリカ旅行ではサファリには結局行かなかったが、タンザン鉄道とこれでちょっとはサファリ気分が味わえたから“まぁいいかな”という気になる。
しばらくそうしたところを走るとまた集落に入る。道端で遊んでいた子どもたちがトラックをよけて端による。そしてこっちを見ているから窓からA君が顔を出して見ると子どもたちは驚いてあとづさりしながらも石を投げてくる。もっともみな5~6歳くらいだから投げる石も小石。この反応には2人して苦笑い。
ある集落に入ったとき初めての食事休憩となる。ぼくはチャイとビスケットを買う。怖いもの見たさなのかさっき石を投げてきたくらいの子どもたちが5~6人集まってきて、ぼくらを遠巻きに見ている。その距離2~3mほど。子どもたちはそれ以上近づこうとしないので、こちらから寄っていこうとすると驚いて背を向けて逃げ出そうとする。近づくのをやめるとまたさっきと同じくらいの距離まで戻る。A君がふざけて「やー!」と空手の構えのような適当な構えをしたらみな驚き、逃げようとする。中には石を拾って、こっちに投げるぞという威嚇をする。ビスケットを買ったお店のおばちゃんは面白そうにそれを見ていた。あちこちで子どもには会っているけど、こういう反応をする子どもたちは初めて。子どもたちにすれば肌が黒くない人を見るのは初めてだったのだろう。
30分ほど休憩して、再出発。
14時ごろ、パンクなのかまたもやトラックは緊急停車。ぼくらは乗ったまま再出発を待つ。
再出発後、さらに走る。沿道に見える家は半球形の家が多い。建築途中らしいものからそれらの家は木の枝で骨格が作られ、その上に藁みたいなものを被せて造っているらしいことがわかる。中には藁に混ぜて服も家を覆う材料として使っている家もあった。それにしてもここらの人たちはどこで水を手に入れているのだろう?
16時ごろ、道端の商店前でトラックは停車。A君はオレンジジュースを買っていた。ぼくは何も買わず。結局、この日は小便も1回したくらいで大便なし。口に入れたものも小さい小袋のビスケットのみ。もっとも車に乗っているだけだから腹も減らないし、暑くないから喉も渇かない。
| 送信者 kenya |
昨日、出発前に聞いた話ではエチオピアとの国境まで1泊2日だと聞いていた。だから今日の夕方、もしくは夜には着くのだろうと思っていたが、たまたま途中でみたまちの名前を手元のアフリカ地図に探してみると、国境まではまだまだある。とても今日中には着きそうにない距離だった。
それにしても運転手は何度か休憩はしているものの昨日から寝ていない。彼の目を見るとビキビキに充血している。大丈夫かと聞くと大丈夫だと言うのだが、運転しながらときおり「ぅワァァァー」と言って突然叫んだりしているから相当眠そうだった。ぼくなんかは何もしていないのにしょっちゅう居眠りしているのに、なかなか根性あるなぁ。
やがて日が暮れ、やはり今日中には着かないのだなと諦めモードになる。22時くらいまで運転手はトラックを走らせ、適当なところで止める。さすがに今晩は寝るらしい。運転手らは外に行き、戻ってこないから外で寝ている模様。ぼくもちょっと外に出て、体をちょっと動かす。空を見上げると満天の星。他の国でも星空を見て、あまりに星が多いのに感心したが、ここはまた格別だった。この星空を見られたことでさっきまでの今日中に着かないのかという諦めモードは消え去り、なんだかすっきりした気分になる。月も異様に存在感があってその光は足元まで届いているような実感がある。
しばらく空を見上げて感心した後、トラックの助手席に戻って座る格好で寝る。
FIN
2009年8月3日月曜日
[diary]ナイロビからモヤレへ(1日目)
ナイロビからモヤレへ(1日目)
08/10/02(木) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・バスの予約
・トラックに乗っていざ出発
・葉っぱを噛む運転手
・ノーストップ
昨日、やや調子の悪かった腹は復調。今日、予定通りナイロビを出ることにする。朝起きて、ロビーのソファでチャイを飲む。今日から一緒にエチオピアに向かう同宿のA君と今日の動きを打ち合わせ。エチオピア国境に行くトラックは午後発だから午前中は時間があいている。彼は郵便物を送るなどやることがあるようなので、午前中は別行動。ぼくは念のためトラック乗り場に行って予約してくることにする。
9時ごろ、宿を出てこの間と同じルートでイシリー地区に行く。例のごとく渋滞で、派手なデザインが施されたバスはなかなか進まない。
40分ほどかけてイシリー地区のある通りに到着。バスを降りる。今日もこの間と同じように沿道にはさまざまな露店が出ている。大きい砂利がごろごろした道を歩いてバス乗り場に向かう。
これまたこの間と同じようにトラックが止まっていた。近くにいたおじさんたちに聞くとこれは今日出るトラックらしい。バスもあったのだが、バスよりもトラックのほうが運転手が気をつけて運転するだろうという見込みからトラックを選んだ。つまり、バスは乗せているのは人ばっかりだからたとえひっくり返ったって自分の生き死には別として運転手にしてみればたいした損害はない。しかし、荷物を運ぶとなればきちんと荷物を最後まで運ばなければ給料も入ってこないし、次の仕事もないということになる。なんて適当な論理とあとはトラックの方が転倒したりしないだろうとの見込みからトラックを選んだのだった。ちなみに運賃はどっちも2000ケニアシリング(約3000円)程度。
トラックの運転手だという男はこの間とは別の男。彼に今日、2人乗りたいと伝える。すると荷台か助手席かと聞かれる。荷台のほうが安いのだが、安全を優先して助手席を予約する。運転手は午後3時ごろに来いと言い、さらに前金として1人ぶんのカネを払っていけという。前金なんて、この人たち信用できないんだけどなぁ、と思いつつ、払わないなら払わないで先着順とかになりそうだから、1人ぶんだけ払う。
こうしてバスは確保。いったん宿に戻る。
宿に帰って荷物の整理をし、しばらく休憩。それから宿代を精算。14時前にA君と一緒に宿を出る。天気はよし。
朝と同じようにバスに乗ってトラック乗り場へ行く。そこには朝と同じトラックが止まっていたが、周りにいる人間の数がちがった。指定時間よりちょっと前だったのだが、相手は遅いと感じていたようで、なんでそんな遅いんだとでも言いたげな態度で迎えられる。トラック代の残りを払おうとしたら、朝は1人2000ケニアシリングと言っていたのにいきなり2500ケニアシリング(約4000円)にあがる。出た! アフリカ得意のあと出しじゃんけん! なんて思いながら、朝は2000と言ったろと返すと、別の男が出てきて2500だと譲らない。どうもこいつが元締めか何かのよう。朝、直接話した運転手はそいつの前では黙る。あ~やだやだとしばらく無視していたのだが、向こうは2500を譲るつもりはないらしく、値切っても一切ひかず。しかも別に乗りたい人が来ているからぼくらを乗せなくても彼らは損しない模様。まったくがめつい奴だといらいらしながら追加料金(?)を払う。
トラックだから助手席にはゆったり2人座れる。しかし、そこへ男女2人がさらに乗ってこようとする。え? なんで? と思っていたら彼らは座席の背後のスペース(日本の大型トラックにもよくある)に靴を脱いであがった。聞くと二人はきょうだい(兄と妹)。エチオピア人でナイロビの親戚の家に遊びに来ていたという。エチオピアから来るときは飛行機を使ったのだが、帰りの飛行機が取れなかったためこれを使うことにしたらしい。2人とも大学生ということで英語もできる。
ぼくらの荷物は荷台の上に乗っけられ、その上からカバーをかけられる。荷台に乗る人たちは荷物に座るような格好で運転ボックス(?)のすぐ後ろの部分に座る。トラックは4トン車程度だから彼らのいる場所は地面から3mくらいのところになる。もちろん屋根も何もなし。吹きっさらしだ。ちなみにフロントガラスには石でも当たったのかピキピキと派手にひびが入っている。
結局、荷造りだのなんだのが終わってトラックが走り出したのは17時くらいだった。
しばらく市街地を走るとやがて、まわりには小さな民家以外の建物は何もなくなる。18時を過ぎると日が暮れ始め、あたりは真っ暗になる。道は舗装されているからそこまで揺れたりしないが、しかしそれは助手席にいるからそう感じるのであって、上に乗っている人は案外飛び跳ねていたりしたかもしれない。
20時ごろガソリンスタンドで給油休憩。そこでパンを買う。100ケニアシリング(約150円)。
暗くなるとあたりは真っ暗で何も見えない。車は多いからテールランプなどは見えるが、その他は何も見えない。さっきガソリンを入れるために止まったあとは、一度も止まらず、運転手はアクセルを踏み続ける。そのうちなんの葉っぱなのか木の葉を噛みだす。どうもボリビアでみんなが噛んでいたコカのような作用のあるものらしい。葉の筋なんかは噛まず、それらは足元に捨てる。だから運転手の足元は見る見る緑色に染まっていく。
そんなのを見ているうちにぼくらは眠くなり、助手席で寝てしまう。
FIN
08/10/02(木) 晴れ
[Nailobi:Kenya→Moyale:Ethiopia]
・バスの予約
・トラックに乗っていざ出発
・葉っぱを噛む運転手
・ノーストップ
昨日、やや調子の悪かった腹は復調。今日、予定通りナイロビを出ることにする。朝起きて、ロビーのソファでチャイを飲む。今日から一緒にエチオピアに向かう同宿のA君と今日の動きを打ち合わせ。エチオピア国境に行くトラックは午後発だから午前中は時間があいている。彼は郵便物を送るなどやることがあるようなので、午前中は別行動。ぼくは念のためトラック乗り場に行って予約してくることにする。
9時ごろ、宿を出てこの間と同じルートでイシリー地区に行く。例のごとく渋滞で、派手なデザインが施されたバスはなかなか進まない。
40分ほどかけてイシリー地区のある通りに到着。バスを降りる。今日もこの間と同じように沿道にはさまざまな露店が出ている。大きい砂利がごろごろした道を歩いてバス乗り場に向かう。
| 送信者 kenya |
これまたこの間と同じようにトラックが止まっていた。近くにいたおじさんたちに聞くとこれは今日出るトラックらしい。バスもあったのだが、バスよりもトラックのほうが運転手が気をつけて運転するだろうという見込みからトラックを選んだ。つまり、バスは乗せているのは人ばっかりだからたとえひっくり返ったって自分の生き死には別として運転手にしてみればたいした損害はない。しかし、荷物を運ぶとなればきちんと荷物を最後まで運ばなければ給料も入ってこないし、次の仕事もないということになる。なんて適当な論理とあとはトラックの方が転倒したりしないだろうとの見込みからトラックを選んだのだった。ちなみに運賃はどっちも2000ケニアシリング(約3000円)程度。
トラックの運転手だという男はこの間とは別の男。彼に今日、2人乗りたいと伝える。すると荷台か助手席かと聞かれる。荷台のほうが安いのだが、安全を優先して助手席を予約する。運転手は午後3時ごろに来いと言い、さらに前金として1人ぶんのカネを払っていけという。前金なんて、この人たち信用できないんだけどなぁ、と思いつつ、払わないなら払わないで先着順とかになりそうだから、1人ぶんだけ払う。
こうしてバスは確保。いったん宿に戻る。
宿に帰って荷物の整理をし、しばらく休憩。それから宿代を精算。14時前にA君と一緒に宿を出る。天気はよし。
朝と同じようにバスに乗ってトラック乗り場へ行く。そこには朝と同じトラックが止まっていたが、周りにいる人間の数がちがった。指定時間よりちょっと前だったのだが、相手は遅いと感じていたようで、なんでそんな遅いんだとでも言いたげな態度で迎えられる。トラック代の残りを払おうとしたら、朝は1人2000ケニアシリングと言っていたのにいきなり2500ケニアシリング(約4000円)にあがる。出た! アフリカ得意のあと出しじゃんけん! なんて思いながら、朝は2000と言ったろと返すと、別の男が出てきて2500だと譲らない。どうもこいつが元締めか何かのよう。朝、直接話した運転手はそいつの前では黙る。あ~やだやだとしばらく無視していたのだが、向こうは2500を譲るつもりはないらしく、値切っても一切ひかず。しかも別に乗りたい人が来ているからぼくらを乗せなくても彼らは損しない模様。まったくがめつい奴だといらいらしながら追加料金(?)を払う。
トラックだから助手席にはゆったり2人座れる。しかし、そこへ男女2人がさらに乗ってこようとする。え? なんで? と思っていたら彼らは座席の背後のスペース(日本の大型トラックにもよくある)に靴を脱いであがった。聞くと二人はきょうだい(兄と妹)。エチオピア人でナイロビの親戚の家に遊びに来ていたという。エチオピアから来るときは飛行機を使ったのだが、帰りの飛行機が取れなかったためこれを使うことにしたらしい。2人とも大学生ということで英語もできる。
ぼくらの荷物は荷台の上に乗っけられ、その上からカバーをかけられる。荷台に乗る人たちは荷物に座るような格好で運転ボックス(?)のすぐ後ろの部分に座る。トラックは4トン車程度だから彼らのいる場所は地面から3mくらいのところになる。もちろん屋根も何もなし。吹きっさらしだ。ちなみにフロントガラスには石でも当たったのかピキピキと派手にひびが入っている。
結局、荷造りだのなんだのが終わってトラックが走り出したのは17時くらいだった。
| 送信者 kenya |
しばらく市街地を走るとやがて、まわりには小さな民家以外の建物は何もなくなる。18時を過ぎると日が暮れ始め、あたりは真っ暗になる。道は舗装されているからそこまで揺れたりしないが、しかしそれは助手席にいるからそう感じるのであって、上に乗っている人は案外飛び跳ねていたりしたかもしれない。
20時ごろガソリンスタンドで給油休憩。そこでパンを買う。100ケニアシリング(約150円)。
暗くなるとあたりは真っ暗で何も見えない。車は多いからテールランプなどは見えるが、その他は何も見えない。さっきガソリンを入れるために止まったあとは、一度も止まらず、運転手はアクセルを踏み続ける。そのうちなんの葉っぱなのか木の葉を噛みだす。どうもボリビアでみんなが噛んでいたコカのような作用のあるものらしい。葉の筋なんかは噛まず、それらは足元に捨てる。だから運転手の足元は見る見る緑色に染まっていく。
そんなのを見ているうちにぼくらは眠くなり、助手席で寝てしまう。
FIN
2009年8月2日日曜日
[diary]キベラのスラム街、ウェストランド
キベラのスラム街、ウェストランド
08/10/01(水) 晴れ ラマダンあけの祝日
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・キベラのスラム街
・ナイロビショー
・ウェストランド
今朝も蒸し暑さと車のクラクションの音で目が覚める。『歩き方』にはナイロビは年中軽井沢だと書いていたが、たいして涼しくない。
昨日食べた半生米のちらし寿司のせいか腹の調子が悪い。しかし、今日の夕方からエチオピアに移動する予定なので、残っていたアップルマンゴーを朝飯代わりに食べる。カンパラからナイロビに来る途中で買った蜂蜜はカンパラの孤児院で長期でボランティアをしているという日本人女性に引き取ってもらう。
昨日到着した日本人夫婦旅行者の人等としばしおしゃべり。この夫婦はアフリカを1年旅していて西から中央、南に東とほぼすべての国を回ってきたよう。この旅で会った人の中ではこれだけアフリカを回っている人は2人目。
腹の調子が悪いのでしばらく様子見してから11時頃に宿を出る。80万人の人々が暮らすことから世界最大のスラム街と呼ばれているらしいキベラという地区に向かう。
祝日ということで閉まっている店は多いものの、通りを歩く人々は多い。混雑しているマタツ(ミニバス)乗り場をすり抜け、ヒルトンホテル近くのバス乗り場に行く。
バス乗り場周辺にいた人にキベラ行きのバスのナンバーを聞く。32番。
連なっているバスの中から32番を見つけだし、乗り込もうとしたものの、例のごとく満席だと言われ3台も見逃す。座席が埋まっているだけで通路に立てるスペースがたくさんあるのに乗車拒否。これだからナイロビはむかつく。たぶん法律か何かで決まっていて警察の取り締まりが厳しいからこうしているのだろうが、効率は悪いだろうに。
4台目のバスに乗り込む。すぐに満席になる。例のごとくその後は客を乗せることなく、バスは走る。
市街地を出る。バスは苦しそうに坂道を上る。左手には大きなスーパーマーケットなどが見える。中国大使館があるところはChina Centerという地名になっていた。
20分ほどでキベラ地区に入る。進行方向左手にトタン屋根が軒を連ねている一帯に出る。トタン屋根街のメインロードらしい一本の道が見え、その両脇に商店が立ち並んでいる。人通りは多い。メインロードは、3m幅ほどの未舗装の土道。雨が降る日にはどろどろになるから行かない方がいいと言っていたが、確かに土質を見ると雨が降ったらべちゃべちゃになりそうだ。
左にトタン屋根の波を見ながら数分行くとさっき見えたメインロードの終わりが左に、そして右に別のマーケットが見える。そこでバスを降りる。
まずはマーケットの方を見て回る。メインロードのお店はコンクリートづくりの店舗が多かったが、マーケットの方は細い木材で簡単に組んだ店ばかり。未舗装の一本道の両脇にだいたい3畳程度の大きさの木組の店が隙間なく並んでいて、売っているのは服、布地、靴などが多い。服はギコンバと同じように古着がおおく、知った名前のブランド服もある。けっこうしっかりしたウィンドブレーカーなども売っている。
100mほど奥に行くと一本道から碁盤状の地帯に出る。ここに来ると服屋の他、トマトやキャベツ、タマネギなどを売る野菜屋や木炭を売る店、チャイなどを飲ませるカフェなどがある。
声をかけられることはあまりなく、雰囲気も落ち着いている。子どもはさすがにぼくを見つけるとしばらく凝視する子が多い。
一軒のカフェに入り、1杯のチャイとチャパティ1枚を注文。チャパティはプラスチック皿に丸められフォークが刺された状態で出てくる。チャイは甘い。店内はコンクリートの床にトタン壁とトタン屋根。調理は炭でしている。
服屋の中には長袖のシャツなどを50ケニアシリング程度で売っているところもあり。
マーケットをぐるっと簡単に一周してから、トタン屋根街のメインロードに戻る。
こちらの方がマーケットよりも人通りが多い。ナイロビの町中と違うのは、ここを歩いている人にイスラムの格好をした人が多いこと。男は白い帽子に白の一張羅のイスラム服を来て、女性は広い布地を頭からかぶっている。その布の柄が色とりどりだからナイロビ市内よりもこちらの方が色彩豊かに感じる。女性の中には目だけしか見せないブルカ(だったっけ?)を着ている人もちらほら。”スラム”という言葉で想像するようなボロボロの服を着た子どもたちなどは、歩いた範囲ではほとんど見ない。みなきれいな格好をしている。
足下の道は未舗装でぼこぼこしている。ごみも多い。雨の日はどろどろになって歩くのが大変らしいが、確かにそんな様子だ。
沿道には店が並び、七輪の上に中華鍋を置き、フライドポテトを作って売っているおばちゃんたちもいる。たまに”マスター”などと言って声をかけてくる人がいるが、少ない。
このメインロードから左右に枝状に細い道が延びていて、その道を行くと住宅街に入り込むような作りになっている。メインロードは車が通れるくらいの広さがあるが、それらの道は人がすれ違う程度の幅のものが多い。また、道の入り口となっている部分には、門があったりするため、中に入るにはちょっと気が引けるような作りになっていたりもする。
ここの人々の家が見たかったものの、道を間違えたり、奥に入ると大変な目に遭うこともあると、ここで支援活動をしているという昨日あった日本人が言っていたので自制し、中には入り込まず。
時々すれ違うときに10歳くらいの男の子らが”How are you?"などと控えめに声をかけてくる。もっとじろじろ見られたりするかと思ったが、意外とそういうことはなく、ナイロビの中心部を歩いているのとあまり変わらないような雰囲気だった。
メインロード沿いはごみで汚れているものの、枝分かれしている家々に続く短い道などはきれいに掃かれていたりする。
スラム街と聞いて小さな家ばかりがひしめき合っているようなイメージを持っていたが、ここは店も数多くあり、ひとつの街として成り立っているように見える。
1時間ほどぶらぶらしてから、またバスに乗って中心部に向かう。バス乗り場のヒルトン前に戻り、そこでバスを乗り換える。あるバスの客引きがさかんに”ナイロビショー、ナイロビショー”と言っていたので、それはなんだと聞いたところケニアの農業などの紹介をする展示会みたいなのが行われていると言う。
それが気になったのでナイロビショー行きのバスに乗る。道はさっき乗ったバスが通った道とほぼ同じ。昼を過ぎてポカポカと良い陽気になってたせいか、バスの中で寝てしまう。
気が着いたらバスは止まっていて目的地に着いているようだった。
駐車場には車がいっぱいで会場の入り口には入場チケットを買う人々が列を作っていた。てっきり無料で入れるものと思っていたが、予想が外れる。入場料は200ケニアシリング。しかも5列ほどある列それぞれに20~30人が並んでいるから、入るにしてもしばらく待たなければいけない状況。
時間は13時半過ぎ。14時半前には宿に戻り、エチオピア行きのバス乗り場に移動すると同行者と約束していたため、列に並んで中に入ることはやめ、すぐにバスに乗ってまた市街地に戻る。
宿に戻る。
宿に戻ってエチオピアに一緒に行くA君と落ち合ったところ、彼が明日に出発を延期できないかと言う。今日、日本に荷物を送ろうと思ったが、郵便局がラマダン明けの休日ということで開いておらず送ることができなかったので、明日送り出してから行きたいという。ちょうどぼくの腹の調子もイマイチだったので、予定を変更。出発を明日に延期する。
時間はまだ15時過ぎ。まだ日暮れには時間があるので、気になっていたウェストランドという地区に行ってみることにする。
バスで20ケニアシリング(約30円)。30分足らずでウェストランドに着く。ここにはショッピングセンターなどがあり、ある旅行者はヨーロッパみたいと評したところ。でかい広告看板がたくさんあり、ちょっとした大型ショッピング街ふうに見えもするが、実際にはビルの中に小さな個店が入っているスタイルが多く、いわゆる大規模ショッピングセンター街というわけではない。また、祝日ということで開いている店も少ない。
ぶらぶら歩いていると主要な道路に面した一角に、細長い長屋風の商店街を発見。炭火で焼いた肉を食べさせる食堂ばかりが並んでいる商店街で、2本ある通路の両脇に長屋風の建物が立っている。1つの店はだいたい6畳程度の広さしかなく、肉は通路で焼いている。どこの店も同じメニューばかりのようで、肉とウガリ、肉とチャパティといった具合。通路は人がすれ違える程度しかない。蠅も多い。
その中の一軒で焼きあがった牛肉1枚を買う。一枚だいたい200~300gほどある。持ち帰りでと頼むとまな板の上で、親指大ほどの大きさに切り刻んでビニール袋に入れてくれる。お値段100ケニアシリング(約130円)。
早速食べてみるとかなり堅い。過剰に乾燥してしまった干し肉を食べている感じ。中には噛みきれないようなものもある。
1軒、大きなショッピングモールを見つけたのでそこに行ってみる。円形の建物で日本式に言うと4階立て。本屋やファストフード店、土産物屋、映画館、ゲームセンター、食品スーパーなどが入っている。ここには中国人や白人の姿も多い。ここでもスーパーやファストフード店以外はほとんど閉まっていた。一通り回ってから、建物を出る。
建物を出て、まちなかに行くバス乗り場に向かっていると途中、さっぱりした格好をした14~15歳くらいの女の子が話しかけてくる。スワヒリ語らしく何を言っているのかわからない。英語でわからないと言うと、彼女は英語に切り替え、水をくださいと言う。喉が乾いているふうではなかったので、不思議に思うが、どちらにしろ水は持ち歩いていなかったためないと応えると、いくらか生活のためのお金をくださいと言ってくる。格好からは物乞いのようには見えなかったが、コインを一枚プレゼント。
またバスに乗って中心街に戻る。宿に戻る頃にはだいぶ日が傾いていた。
宿のロビーに行くと同じ宿に泊まっている日本人旅行者がおしゃべりしていたので、ぼくもちょっと混ぜてもらう。新たに到着した日本人夫婦旅行者は新婚旅行と称してアフリカ一周の旅行中だという。すでに西も中央西部も南も回ってきたらしく、もう残すところあとわずかという。ちなみにアフリカ一周で1年かかった(かけた)と言っていた。一般に皆が敬遠するカメルーンあたりからナミビアにかけての諸国も一部飛行機を使ったりしながらなんとかクリアしたらしい。なかなか2人とも気合が入っているものだと感心する。
そんなこんなでお互いの旅情報を交換したりして夜を過ごす。
FIN
08/10/01(水) 晴れ ラマダンあけの祝日
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・キベラのスラム街
・ナイロビショー
・ウェストランド
今朝も蒸し暑さと車のクラクションの音で目が覚める。『歩き方』にはナイロビは年中軽井沢だと書いていたが、たいして涼しくない。
昨日食べた半生米のちらし寿司のせいか腹の調子が悪い。しかし、今日の夕方からエチオピアに移動する予定なので、残っていたアップルマンゴーを朝飯代わりに食べる。カンパラからナイロビに来る途中で買った蜂蜜はカンパラの孤児院で長期でボランティアをしているという日本人女性に引き取ってもらう。
昨日到着した日本人夫婦旅行者の人等としばしおしゃべり。この夫婦はアフリカを1年旅していて西から中央、南に東とほぼすべての国を回ってきたよう。この旅で会った人の中ではこれだけアフリカを回っている人は2人目。
腹の調子が悪いのでしばらく様子見してから11時頃に宿を出る。80万人の人々が暮らすことから世界最大のスラム街と呼ばれているらしいキベラという地区に向かう。
祝日ということで閉まっている店は多いものの、通りを歩く人々は多い。混雑しているマタツ(ミニバス)乗り場をすり抜け、ヒルトンホテル近くのバス乗り場に行く。
バス乗り場周辺にいた人にキベラ行きのバスのナンバーを聞く。32番。
連なっているバスの中から32番を見つけだし、乗り込もうとしたものの、例のごとく満席だと言われ3台も見逃す。座席が埋まっているだけで通路に立てるスペースがたくさんあるのに乗車拒否。これだからナイロビはむかつく。たぶん法律か何かで決まっていて警察の取り締まりが厳しいからこうしているのだろうが、効率は悪いだろうに。
4台目のバスに乗り込む。すぐに満席になる。例のごとくその後は客を乗せることなく、バスは走る。
市街地を出る。バスは苦しそうに坂道を上る。左手には大きなスーパーマーケットなどが見える。中国大使館があるところはChina Centerという地名になっていた。
20分ほどでキベラ地区に入る。進行方向左手にトタン屋根が軒を連ねている一帯に出る。トタン屋根街のメインロードらしい一本の道が見え、その両脇に商店が立ち並んでいる。人通りは多い。メインロードは、3m幅ほどの未舗装の土道。雨が降る日にはどろどろになるから行かない方がいいと言っていたが、確かに土質を見ると雨が降ったらべちゃべちゃになりそうだ。
| 送信者 kenya |
| 送信者 kenya |
左にトタン屋根の波を見ながら数分行くとさっき見えたメインロードの終わりが左に、そして右に別のマーケットが見える。そこでバスを降りる。
まずはマーケットの方を見て回る。メインロードのお店はコンクリートづくりの店舗が多かったが、マーケットの方は細い木材で簡単に組んだ店ばかり。未舗装の一本道の両脇にだいたい3畳程度の大きさの木組の店が隙間なく並んでいて、売っているのは服、布地、靴などが多い。服はギコンバと同じように古着がおおく、知った名前のブランド服もある。けっこうしっかりしたウィンドブレーカーなども売っている。
| 送信者 kenya |
| 送信者 kenya |
100mほど奥に行くと一本道から碁盤状の地帯に出る。ここに来ると服屋の他、トマトやキャベツ、タマネギなどを売る野菜屋や木炭を売る店、チャイなどを飲ませるカフェなどがある。
声をかけられることはあまりなく、雰囲気も落ち着いている。子どもはさすがにぼくを見つけるとしばらく凝視する子が多い。
一軒のカフェに入り、1杯のチャイとチャパティ1枚を注文。チャパティはプラスチック皿に丸められフォークが刺された状態で出てくる。チャイは甘い。店内はコンクリートの床にトタン壁とトタン屋根。調理は炭でしている。
服屋の中には長袖のシャツなどを50ケニアシリング程度で売っているところもあり。
マーケットをぐるっと簡単に一周してから、トタン屋根街のメインロードに戻る。
こちらの方がマーケットよりも人通りが多い。ナイロビの町中と違うのは、ここを歩いている人にイスラムの格好をした人が多いこと。男は白い帽子に白の一張羅のイスラム服を来て、女性は広い布地を頭からかぶっている。その布の柄が色とりどりだからナイロビ市内よりもこちらの方が色彩豊かに感じる。女性の中には目だけしか見せないブルカ(だったっけ?)を着ている人もちらほら。”スラム”という言葉で想像するようなボロボロの服を着た子どもたちなどは、歩いた範囲ではほとんど見ない。みなきれいな格好をしている。
足下の道は未舗装でぼこぼこしている。ごみも多い。雨の日はどろどろになって歩くのが大変らしいが、確かにそんな様子だ。
沿道には店が並び、七輪の上に中華鍋を置き、フライドポテトを作って売っているおばちゃんたちもいる。たまに”マスター”などと言って声をかけてくる人がいるが、少ない。
| 送信者 kenya |
このメインロードから左右に枝状に細い道が延びていて、その道を行くと住宅街に入り込むような作りになっている。メインロードは車が通れるくらいの広さがあるが、それらの道は人がすれ違う程度の幅のものが多い。また、道の入り口となっている部分には、門があったりするため、中に入るにはちょっと気が引けるような作りになっていたりもする。
ここの人々の家が見たかったものの、道を間違えたり、奥に入ると大変な目に遭うこともあると、ここで支援活動をしているという昨日あった日本人が言っていたので自制し、中には入り込まず。
時々すれ違うときに10歳くらいの男の子らが”How are you?"などと控えめに声をかけてくる。もっとじろじろ見られたりするかと思ったが、意外とそういうことはなく、ナイロビの中心部を歩いているのとあまり変わらないような雰囲気だった。
メインロード沿いはごみで汚れているものの、枝分かれしている家々に続く短い道などはきれいに掃かれていたりする。
スラム街と聞いて小さな家ばかりがひしめき合っているようなイメージを持っていたが、ここは店も数多くあり、ひとつの街として成り立っているように見える。
1時間ほどぶらぶらしてから、またバスに乗って中心部に向かう。バス乗り場のヒルトン前に戻り、そこでバスを乗り換える。あるバスの客引きがさかんに”ナイロビショー、ナイロビショー”と言っていたので、それはなんだと聞いたところケニアの農業などの紹介をする展示会みたいなのが行われていると言う。
それが気になったのでナイロビショー行きのバスに乗る。道はさっき乗ったバスが通った道とほぼ同じ。昼を過ぎてポカポカと良い陽気になってたせいか、バスの中で寝てしまう。
気が着いたらバスは止まっていて目的地に着いているようだった。
駐車場には車がいっぱいで会場の入り口には入場チケットを買う人々が列を作っていた。てっきり無料で入れるものと思っていたが、予想が外れる。入場料は200ケニアシリング。しかも5列ほどある列それぞれに20~30人が並んでいるから、入るにしてもしばらく待たなければいけない状況。
時間は13時半過ぎ。14時半前には宿に戻り、エチオピア行きのバス乗り場に移動すると同行者と約束していたため、列に並んで中に入ることはやめ、すぐにバスに乗ってまた市街地に戻る。
宿に戻る。
宿に戻ってエチオピアに一緒に行くA君と落ち合ったところ、彼が明日に出発を延期できないかと言う。今日、日本に荷物を送ろうと思ったが、郵便局がラマダン明けの休日ということで開いておらず送ることができなかったので、明日送り出してから行きたいという。ちょうどぼくの腹の調子もイマイチだったので、予定を変更。出発を明日に延期する。
時間はまだ15時過ぎ。まだ日暮れには時間があるので、気になっていたウェストランドという地区に行ってみることにする。
バスで20ケニアシリング(約30円)。30分足らずでウェストランドに着く。ここにはショッピングセンターなどがあり、ある旅行者はヨーロッパみたいと評したところ。でかい広告看板がたくさんあり、ちょっとした大型ショッピング街ふうに見えもするが、実際にはビルの中に小さな個店が入っているスタイルが多く、いわゆる大規模ショッピングセンター街というわけではない。また、祝日ということで開いている店も少ない。
| 送信者 kenya |
ぶらぶら歩いていると主要な道路に面した一角に、細長い長屋風の商店街を発見。炭火で焼いた肉を食べさせる食堂ばかりが並んでいる商店街で、2本ある通路の両脇に長屋風の建物が立っている。1つの店はだいたい6畳程度の広さしかなく、肉は通路で焼いている。どこの店も同じメニューばかりのようで、肉とウガリ、肉とチャパティといった具合。通路は人がすれ違える程度しかない。蠅も多い。
その中の一軒で焼きあがった牛肉1枚を買う。一枚だいたい200~300gほどある。持ち帰りでと頼むとまな板の上で、親指大ほどの大きさに切り刻んでビニール袋に入れてくれる。お値段100ケニアシリング(約130円)。
| 送信者 kenya |
早速食べてみるとかなり堅い。過剰に乾燥してしまった干し肉を食べている感じ。中には噛みきれないようなものもある。
1軒、大きなショッピングモールを見つけたのでそこに行ってみる。円形の建物で日本式に言うと4階立て。本屋やファストフード店、土産物屋、映画館、ゲームセンター、食品スーパーなどが入っている。ここには中国人や白人の姿も多い。ここでもスーパーやファストフード店以外はほとんど閉まっていた。一通り回ってから、建物を出る。
建物を出て、まちなかに行くバス乗り場に向かっていると途中、さっぱりした格好をした14~15歳くらいの女の子が話しかけてくる。スワヒリ語らしく何を言っているのかわからない。英語でわからないと言うと、彼女は英語に切り替え、水をくださいと言う。喉が乾いているふうではなかったので、不思議に思うが、どちらにしろ水は持ち歩いていなかったためないと応えると、いくらか生活のためのお金をくださいと言ってくる。格好からは物乞いのようには見えなかったが、コインを一枚プレゼント。
またバスに乗って中心街に戻る。宿に戻る頃にはだいぶ日が傾いていた。
宿のロビーに行くと同じ宿に泊まっている日本人旅行者がおしゃべりしていたので、ぼくもちょっと混ぜてもらう。新たに到着した日本人夫婦旅行者は新婚旅行と称してアフリカ一周の旅行中だという。すでに西も中央西部も南も回ってきたらしく、もう残すところあとわずかという。ちなみにアフリカ一周で1年かかった(かけた)と言っていた。一般に皆が敬遠するカメルーンあたりからナミビアにかけての諸国も一部飛行機を使ったりしながらなんとかクリアしたらしい。なかなか2人とも気合が入っているものだと感心する。
そんなこんなでお互いの旅情報を交換したりして夜を過ごす。
FIN
2009年7月17日金曜日
[diary]マラリアチェックと日本的な一日
マラリアチェックと日本的な一日
08/09/30(火) 晴れ
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
この日、マラリアチェックでお世話になったNPO国際医療協力機構チャイルドドクターのHP
http://child-doctor.org/index.htm
こちらは事務局ブログ
http://ameblo.jp/child-doctor/
・マラリアチェック
・日本人倶楽部
・パーティ
・縁は異なもの
今朝も7時過ぎ頃起床。昨日と同じく朝はひんやりしている。
スタッフが用意してくれたチャイをロビーのソファに座って飲む。今日はこれからマラリアチェック。昨日、電話で待ち合わせをしたので、それにあわせて動く。こうして誰かと時間を決めて何かをするなんて、かなり久しぶりのような気がする。
マラリアチェックにはA君も一緒に行くことになった。彼もこれから北上するので、マラリアのチェックをしておきたいらしい。
待ち合わせはヤヤセンターというショッピングセンターの入口。宿を出てバス乗り場に行く。朝のバス乗り場は通勤の人たちなのか、ずいぶん混んでいた。ワゴンタイプのルートバスに乗る。混雑しているためバスの進み具合はよろしくない。時間に遅れないか心配になったが、一部を抜ければあとはわりとスムースだった。
予定の時間よりやや早くヤヤセンターに到着。ヤヤセンターは4階建てほどの円形タイプのショッピングセンターで、貧乏旅行者にはとても手が出せないようなものばかり売られている。本屋、スポーツショップ、高級スーパー、画廊(?)などなど。店内はとてもきれい。きれいなトイレで用を足す。
待ち合わせしていた入口に戻るとすでにお迎えの車が来ていた。車の中には日本人女性が3人ほど。いずれも20代半ばから後半。みな診療所で働いているという。もっとも働いていると言ってもボランティアに近く、みな同じ家に住んでいるらしい。運転手は診療所で雇っている現地の人で、彼が朝はスタッフを拾って診療所まで運んでいるらしい。
聞くとこの診療所は大阪だったかの病院が始めた診療所で、低所得者向けに非常に安い料金でマラリアのチェックやHIVのチェックをやっているらしい。
ヤヤセンターから20分足らずで診療所に到着。概観はあまり病院という感じではなく、邸宅をちょっと改造して使っているよう。
すでに何人かの患者が来ていて診察を待っている。スタッフは日本人だけでなく、当然ながら現地の人もいた。ぼくらは問診票に名前などを記入し、身長、体重をはかり、あとは呼ばれるのを待つ。20人ほどが座れる待合室はすぐにいっぱいとなる。小さい子どもを連れたおかあさんや年配(といっても50代だろうが)の男性など、みな静かに待っている。
30分ほど待ったところで呼ばれる。2階にあがり、ケニア人の男性の医者(?)に簡単な質問をされ、採血をする。指の腹をパチンと刺すようなスタイルの道具で採血。ホッチキスのような音がした。採血するだけなので作業は1秒でおしまい。あとは結果が出るのを待つ。
待合室に戻り、そこで待つ。患者は切れることなく訪れる。聞いた話では正確な数字を忘れたがけっこうな割合でここに来ている人はHIVに感染しているらしい。どこが悪いわけでもないぼくは待合室のスペースを使っているのが申し訳なくなり、外に出る。
1時間ほど待った頃、結果が通知される。自覚症状がないから当然だが結果はシロ。マラリアにはやられていなかったよう。昼になったら車で送ってくれるというので、しばらく待つ。
待っている間、外でボランティアの日本人の人たちと話す。当然だが、みな日本で看護師をしていたらしい。国際協力に関心があってとか、たまたまここのことを知ってとかという理由でやってきたらしい。昼近くになったが、なかなか運転手が出てこない。中をのぞいてみるとなぜかスタッフがいなくなっている。患者はいるのに。
何が起こったのかと彼女らに尋ねると、明日がスタッフの契約更改の日らしく、所長さんとスタッフらが話し合いをしているらしい。患者をほっといてよくそんなことをするなぁ、とちょっと驚く。聞くとスタッフの中にもさまざまな性格の人がいて、まじめに指示通りやる人もいれば、指示を守らないとか患者への態度が横柄とか問題がある人もいるらしい。一応、注意はするようだが、改善されない人はこうした機会に解雇となるらしい。これを巡っては毎回すったもんだがあるらしい。いやぁ、雇うのは簡単だけど解雇するのは大変そうだなぁ。
スタッフたちの話し合いが終わるまで彼女らも時間があるようで、彼女らに誘われて焼きとうもろこしを買いに行く。診療所の道路を挟んで向こう側の歩道でとうもろこしを焼いている女性がいて、彼女らはよくそこで焼きとうもろこしを買うらしい。ここではとうもろこしのことをマイズと呼ぶらしい。確かスペイン語ではマイスだったような。だいたい南アメリカ原産だからその辺りで呼ばれていた名前がこうして受け継がれているのだろう。
焼きトウモロコシ屋の女性は炭火の上に焼き網を置き、その上に直にとうもろこしを置いて焼く。なので、けっこう表面は焦げてしまっている。ぼくは小さいサイズのものを買う。お値段10ケニアシリング(約15円)。南米とかでもそうだったが、とうもろこしは甘くない。日本のとうもろこしは甘みのある間食用のおやつや料理の付けたしのような存在だが、こちらのはいかにも主食という味。取り立てて甘みがあったり、何か特徴ある味がするわけではなく、もくもくと食べ続けられ、かつ他のものと一緒に食べたくなるような味。
診療所の駐車場で5人ほどでもぐもぐとうもろこしを食べる。
そのうちに会議が終わり、運転手も登場。どこまで送りますかと聞かれ、A君が日本食を食べたいと言っていたから日本食屋まで行ってくださいと頼む。ガイドブックにも載っている日本人倶楽部という日本食屋があって、そこはここから近いからとそこに行くことにする。
車に乗ること10分ほど。住宅街と言えばそうなのだが、なんでこんなところにというようなところに店はあった。別れ際、今晩彼女らが住んでいる家(つまりは診療所のボランティアスタッフらが共同生活している家)でパーティをやるので来ないかと誘われる。うまいものを食えるとなれば行かない手はないわけでして、即座に行きますと回答する。詳しくはまた電話でということになる。
日本人倶楽部の店はなかなか立派な豪邸みたいな建物だった。中に入ると純和風の店内になっている。日本の雑誌や漫画が本棚にあって、座敷もある。まだ開店時間になったばかりということでか、客はいない。スタッフもいない。呼びかけるが人が出てこない。なんだ? やってないのか? などと思っていたら調理人姿のケニア人男性が出てきた。せっかくなので奥の座敷に行く。奥の座敷はテラスのようになっていて、窓がなく庭が広く見渡せるなかなか気持ちのいい空間になっている。こんなに広々とした空間でゆったりするのは久しぶりだとA君は喜ぶ。そう言われると確かにそうだ。だいたい泊まる宿は狭いところが多いし、人が多いし、どこにいても自分の持ち物とか周りの人の動きとかを気にしているので、何も気にせずゆたっとする機会なんてほとんどない。
日本語に写真入のメニューがお茶と一緒に出てくる。スタッフはみな現地の人らしく、日本人はいない。ここに来る前に噂でここはメニューは100近くあるが、そのうち食えるものは5つくらいしかないということだった。要するにほとんどの料理がまずいとのことだった。なので、メニュー選びは慎重に。値段は日本と同程度よりやや高いくらい。まぁ、連れもいるし滅多にすることじゃないからと奮発することを決める。ぼくはちらし寿司ともりそばを注文。彼はカツ丼などを注文する。
料理が来るまでしばし談笑したりしながら待つ。
30分ほど待っただろうか、まずはもりそばが出てくる。さっそくいただく。う~ん、なんだか立ち食いそば屋的な味。そばの味はたいしてしないし、汁もなんだか甘すぎるように感じる。さて、数分後、ちらし寿司到着。見た目はけっこう様(さま)になっていたが、口に入れてびっくり。まったく米が炊けていない。芯のこりまくり。いったいどうしたらこんな米が炊けるんだ!思うにスタッフが男ばかりというのが心もとない。ぜったいあいつら普段米を炊いたりしたことがないはず! とぼくは断定する。結局、噂に違わぬ味で、しかも代金は結局2500円ほど払うことになる。話のネタにはなるけど、二度とこないだろうな。
食後、近くの通りまで歩き、A君が日本大使館に行きたいというので一緒に行く。彼はなんだか気になることがあったようで、再び医務官にお世話になる。
それからまたワゴンタイプのバスに乗り、まちへ。いったん宿に戻る。ぼくは公衆電話で今日あった人に電話し、夜の件について尋ねる。無事、訪問OKの許可が出たようで夕方6時くらいに来るように言われる。一応、道順も教えてもらい、準備完了。
まだ少し時間があったので、今晩ごちそうになる御礼にと差し入れ品を買いにまちに行く。何がいいだろうかと考えたところ、まちのスーパーに売っていたボンボンというアルゼンチンで有名なチョコ菓子にしようということになる。そういうわけで、近くのスーパーに行ったのだが、夕方という時間帯もあり、店内は人でごった返している。目的の品はあったもののばら売りだけ。箱で売っていないかと尋ねたが在庫がなかった。
それで、また別のスーパーを探しに行く。いくつかのスーパーにはそもそもものがなく、何軒目かに着いたスーパーでようやく箱で売っているのを見つけた。待ち合わせの18時が近くなっていたのであせる。レジに並んでいよいよ購入という段になって問題発生。レジのおにいさんは箱をぐるぐる回してバーコードを探している様子。しかし、どうも箱自体にはバーコードが付いていないようで見つからない。そんなんなら、売り場に1個辺りの単価が書かれてあるんだからそれに個数を乗じて計算すればいいじゃない、と思うのだが、そうできない理由があるのかなんなのか一向に埒が明かない。一度、レジを離れ、おにいさんはどっかに行く。そして戻ってきてレジ再開。で、ようやくレジを通過した。
と思ったら、今度は警備員のにいちゃんがぼくが買ったチョコ菓子の箱をまるごと持っていく。ハ? なんで持っていかれたかわけがわからずレジのおにいさんを見つめるが次の人に取り掛かっていて、こちらにはまったく気が向いていない。こっちは急いでいるのに、くそっ! と思い、また店内に戻って1箱取ってくる。さっき買ったときのレシートがあったから、それをかるく見せる仕草をしながらレジで並んでいる人の脇を通過。ようやく店の外に出る。
それからちょっと急ぎ足で近くの郵便局前のバス停留所に行く。そしたらまたもや問題発生。なんとバスに乗れない! 外から見る限りではまだまだ乗れそうなのに、目の前を通り過ぎていく。またもや、なんで? と頭の中にクエスションマークがあふれる。何段かバスを見送っているうちにどうも座席が埋まるとあとは客を乗せないらしいことがわかる。つまり、通路などが空いていても人を乗せていないのだった。20分近くバスを待っていたが、一向に乗れそうにないのでバスの出発点になっているバス乗り場まで移動する。急ぎ足で10分ほど。
ここも帰宅ラッシュの人々でごった返していて、バスはすぐにいっぱいになり、ドアを閉めて走り出してしまう。5台ほど見送った頃になって、ようやく乗れそうなバスが来たのでそれに2人して乗り込む。まったくバスに乗るのにどんだけ苦労しないといけないんだ。だいたい待っている乗客がいながら満杯にさせずにバスを走らせるなんてアフリカらしくないぞ! 治安とか窃盗対策とかという面もあるのかもしれないが、これにはほんとにまいった。
結局、バスに乗り込んだ頃には日が暮れてしまっていた。当然、遅刻決定。
さて、なんとか電話で言われたあたりでバスを降りたのだが、あたりは暗く、明かりといえば走り行く車のライトかたまにあるお店の明かりくらいしかない。どっち方面に行けばいいのかよくわからないので、とりあえず公衆電話を探す。が、そもそも商店がないから電話もない。近くにたまたまレストランがあったので、そこに行って電話を借りようとするが拒否される。しょうがないので、レストランの入口で駐車場への案内兼警備をやっている男性に携帯電話を借りる。ありがたや。
電話はつながり、ここまで迎えに来てくれることとなった。昼のちと古めのバンではなく、日本車でのお迎え。日本車は、というか、やっぱ新しい車は乗り心地がいいね。
レストランからパーティ会場の彼らのマンションまでは車で2分ほどだった。エレベーターで何階かにあがり、お宅にお邪魔する。中に入ると同世代くらいの日本人が10人ほどいて、にぎやか。ぼくはこんなにたくさんの日本人をまとめてみるのはかなり久しぶり。
診療所のスタッフらはここにみんな寝泊りしているらしい。診療所のスタッフでない人もいるようで、ある人はナイロビのスラム街の支援をしているヨーロッパのNGOにインターンしているといい、ある人はナイロビの大学に通っているという。ここは何LDKか正確にはわからないが、けっこう広い。けれども人数分の個室まではないから、ほとんど雑魚寝のような生活をしている人もいる。本棚にはたくさんの日本の本。すばらしい。
ちょうど食事の準備が出来上がりつつあるところで、食器の準備などを手伝う。準備が整ったところで、みな席につき、パーティ開幕。最初に今日のパーティの趣旨の説明がある。それによれば、今日のパーティはヨーロッパかどっかの財団に助成金を申請したところその結果の通知が先日あり、無事に助成金を受けることが決まったことを祝うパーティだった。めでたい。
それから各自自己紹介。そしたらどうも宮崎弁をしゃべっているらしい人が2人いる。で、聞いたらやはり宮崎出身者。しかも一人はぼくの中学の同級生と一時共同生活をしていたと言う。ぼくが宮崎の延岡出身だと言うと「じゃあ○○って知っている?」と同級生の名前を言ったので驚く。一応、そいつの特徴等を確認し、同一人物と判明。いやぁ、こんなことってあるんですねぇ。
ご飯もみなさんの手作りで、純和食ではないけれども、やはり日本的な味。昼の日本料理屋よりもよっぽどうまい。
22時くらいまで飯食ったり、おしゃべりして辞去する。帰りは宿まで送ってもらう。やはり大勢の日本人と一緒にいると、なんだかいつもとは違う感覚の1日になる。言葉がわかるというのはすごいことだ。
FIN
08/09/30(火) 晴れ
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
この日、マラリアチェックでお世話になったNPO国際医療協力機構チャイルドドクターのHP
http://child-doctor.org/index.htm
こちらは事務局ブログ
http://ameblo.jp/child-doctor/
・マラリアチェック
・日本人倶楽部
・パーティ
・縁は異なもの
今朝も7時過ぎ頃起床。昨日と同じく朝はひんやりしている。
スタッフが用意してくれたチャイをロビーのソファに座って飲む。今日はこれからマラリアチェック。昨日、電話で待ち合わせをしたので、それにあわせて動く。こうして誰かと時間を決めて何かをするなんて、かなり久しぶりのような気がする。
マラリアチェックにはA君も一緒に行くことになった。彼もこれから北上するので、マラリアのチェックをしておきたいらしい。
待ち合わせはヤヤセンターというショッピングセンターの入口。宿を出てバス乗り場に行く。朝のバス乗り場は通勤の人たちなのか、ずいぶん混んでいた。ワゴンタイプのルートバスに乗る。混雑しているためバスの進み具合はよろしくない。時間に遅れないか心配になったが、一部を抜ければあとはわりとスムースだった。
予定の時間よりやや早くヤヤセンターに到着。ヤヤセンターは4階建てほどの円形タイプのショッピングセンターで、貧乏旅行者にはとても手が出せないようなものばかり売られている。本屋、スポーツショップ、高級スーパー、画廊(?)などなど。店内はとてもきれい。きれいなトイレで用を足す。
待ち合わせしていた入口に戻るとすでにお迎えの車が来ていた。車の中には日本人女性が3人ほど。いずれも20代半ばから後半。みな診療所で働いているという。もっとも働いていると言ってもボランティアに近く、みな同じ家に住んでいるらしい。運転手は診療所で雇っている現地の人で、彼が朝はスタッフを拾って診療所まで運んでいるらしい。
聞くとこの診療所は大阪だったかの病院が始めた診療所で、低所得者向けに非常に安い料金でマラリアのチェックやHIVのチェックをやっているらしい。
ヤヤセンターから20分足らずで診療所に到着。概観はあまり病院という感じではなく、邸宅をちょっと改造して使っているよう。
すでに何人かの患者が来ていて診察を待っている。スタッフは日本人だけでなく、当然ながら現地の人もいた。ぼくらは問診票に名前などを記入し、身長、体重をはかり、あとは呼ばれるのを待つ。20人ほどが座れる待合室はすぐにいっぱいとなる。小さい子どもを連れたおかあさんや年配(といっても50代だろうが)の男性など、みな静かに待っている。
30分ほど待ったところで呼ばれる。2階にあがり、ケニア人の男性の医者(?)に簡単な質問をされ、採血をする。指の腹をパチンと刺すようなスタイルの道具で採血。ホッチキスのような音がした。採血するだけなので作業は1秒でおしまい。あとは結果が出るのを待つ。
待合室に戻り、そこで待つ。患者は切れることなく訪れる。聞いた話では正確な数字を忘れたがけっこうな割合でここに来ている人はHIVに感染しているらしい。どこが悪いわけでもないぼくは待合室のスペースを使っているのが申し訳なくなり、外に出る。
1時間ほど待った頃、結果が通知される。自覚症状がないから当然だが結果はシロ。マラリアにはやられていなかったよう。昼になったら車で送ってくれるというので、しばらく待つ。
待っている間、外でボランティアの日本人の人たちと話す。当然だが、みな日本で看護師をしていたらしい。国際協力に関心があってとか、たまたまここのことを知ってとかという理由でやってきたらしい。昼近くになったが、なかなか運転手が出てこない。中をのぞいてみるとなぜかスタッフがいなくなっている。患者はいるのに。
何が起こったのかと彼女らに尋ねると、明日がスタッフの契約更改の日らしく、所長さんとスタッフらが話し合いをしているらしい。患者をほっといてよくそんなことをするなぁ、とちょっと驚く。聞くとスタッフの中にもさまざまな性格の人がいて、まじめに指示通りやる人もいれば、指示を守らないとか患者への態度が横柄とか問題がある人もいるらしい。一応、注意はするようだが、改善されない人はこうした機会に解雇となるらしい。これを巡っては毎回すったもんだがあるらしい。いやぁ、雇うのは簡単だけど解雇するのは大変そうだなぁ。
スタッフたちの話し合いが終わるまで彼女らも時間があるようで、彼女らに誘われて焼きとうもろこしを買いに行く。診療所の道路を挟んで向こう側の歩道でとうもろこしを焼いている女性がいて、彼女らはよくそこで焼きとうもろこしを買うらしい。ここではとうもろこしのことをマイズと呼ぶらしい。確かスペイン語ではマイスだったような。だいたい南アメリカ原産だからその辺りで呼ばれていた名前がこうして受け継がれているのだろう。
焼きトウモロコシ屋の女性は炭火の上に焼き網を置き、その上に直にとうもろこしを置いて焼く。なので、けっこう表面は焦げてしまっている。ぼくは小さいサイズのものを買う。お値段10ケニアシリング(約15円)。南米とかでもそうだったが、とうもろこしは甘くない。日本のとうもろこしは甘みのある間食用のおやつや料理の付けたしのような存在だが、こちらのはいかにも主食という味。取り立てて甘みがあったり、何か特徴ある味がするわけではなく、もくもくと食べ続けられ、かつ他のものと一緒に食べたくなるような味。
診療所の駐車場で5人ほどでもぐもぐとうもろこしを食べる。
そのうちに会議が終わり、運転手も登場。どこまで送りますかと聞かれ、A君が日本食を食べたいと言っていたから日本食屋まで行ってくださいと頼む。ガイドブックにも載っている日本人倶楽部という日本食屋があって、そこはここから近いからとそこに行くことにする。
車に乗ること10分ほど。住宅街と言えばそうなのだが、なんでこんなところにというようなところに店はあった。別れ際、今晩彼女らが住んでいる家(つまりは診療所のボランティアスタッフらが共同生活している家)でパーティをやるので来ないかと誘われる。うまいものを食えるとなれば行かない手はないわけでして、即座に行きますと回答する。詳しくはまた電話でということになる。
日本人倶楽部の店はなかなか立派な豪邸みたいな建物だった。中に入ると純和風の店内になっている。日本の雑誌や漫画が本棚にあって、座敷もある。まだ開店時間になったばかりということでか、客はいない。スタッフもいない。呼びかけるが人が出てこない。なんだ? やってないのか? などと思っていたら調理人姿のケニア人男性が出てきた。せっかくなので奥の座敷に行く。奥の座敷はテラスのようになっていて、窓がなく庭が広く見渡せるなかなか気持ちのいい空間になっている。こんなに広々とした空間でゆったりするのは久しぶりだとA君は喜ぶ。そう言われると確かにそうだ。だいたい泊まる宿は狭いところが多いし、人が多いし、どこにいても自分の持ち物とか周りの人の動きとかを気にしているので、何も気にせずゆたっとする機会なんてほとんどない。
日本語に写真入のメニューがお茶と一緒に出てくる。スタッフはみな現地の人らしく、日本人はいない。ここに来る前に噂でここはメニューは100近くあるが、そのうち食えるものは5つくらいしかないということだった。要するにほとんどの料理がまずいとのことだった。なので、メニュー選びは慎重に。値段は日本と同程度よりやや高いくらい。まぁ、連れもいるし滅多にすることじゃないからと奮発することを決める。ぼくはちらし寿司ともりそばを注文。彼はカツ丼などを注文する。
料理が来るまでしばし談笑したりしながら待つ。
30分ほど待っただろうか、まずはもりそばが出てくる。さっそくいただく。う~ん、なんだか立ち食いそば屋的な味。そばの味はたいしてしないし、汁もなんだか甘すぎるように感じる。さて、数分後、ちらし寿司到着。見た目はけっこう様(さま)になっていたが、口に入れてびっくり。まったく米が炊けていない。芯のこりまくり。いったいどうしたらこんな米が炊けるんだ!思うにスタッフが男ばかりというのが心もとない。ぜったいあいつら普段米を炊いたりしたことがないはず! とぼくは断定する。結局、噂に違わぬ味で、しかも代金は結局2500円ほど払うことになる。話のネタにはなるけど、二度とこないだろうな。
| 送信者 kenya |
| 送信者 kenya |
食後、近くの通りまで歩き、A君が日本大使館に行きたいというので一緒に行く。彼はなんだか気になることがあったようで、再び医務官にお世話になる。
それからまたワゴンタイプのバスに乗り、まちへ。いったん宿に戻る。ぼくは公衆電話で今日あった人に電話し、夜の件について尋ねる。無事、訪問OKの許可が出たようで夕方6時くらいに来るように言われる。一応、道順も教えてもらい、準備完了。
まだ少し時間があったので、今晩ごちそうになる御礼にと差し入れ品を買いにまちに行く。何がいいだろうかと考えたところ、まちのスーパーに売っていたボンボンというアルゼンチンで有名なチョコ菓子にしようということになる。そういうわけで、近くのスーパーに行ったのだが、夕方という時間帯もあり、店内は人でごった返している。目的の品はあったもののばら売りだけ。箱で売っていないかと尋ねたが在庫がなかった。
それで、また別のスーパーを探しに行く。いくつかのスーパーにはそもそもものがなく、何軒目かに着いたスーパーでようやく箱で売っているのを見つけた。待ち合わせの18時が近くなっていたのであせる。レジに並んでいよいよ購入という段になって問題発生。レジのおにいさんは箱をぐるぐる回してバーコードを探している様子。しかし、どうも箱自体にはバーコードが付いていないようで見つからない。そんなんなら、売り場に1個辺りの単価が書かれてあるんだからそれに個数を乗じて計算すればいいじゃない、と思うのだが、そうできない理由があるのかなんなのか一向に埒が明かない。一度、レジを離れ、おにいさんはどっかに行く。そして戻ってきてレジ再開。で、ようやくレジを通過した。
と思ったら、今度は警備員のにいちゃんがぼくが買ったチョコ菓子の箱をまるごと持っていく。ハ? なんで持っていかれたかわけがわからずレジのおにいさんを見つめるが次の人に取り掛かっていて、こちらにはまったく気が向いていない。こっちは急いでいるのに、くそっ! と思い、また店内に戻って1箱取ってくる。さっき買ったときのレシートがあったから、それをかるく見せる仕草をしながらレジで並んでいる人の脇を通過。ようやく店の外に出る。
それからちょっと急ぎ足で近くの郵便局前のバス停留所に行く。そしたらまたもや問題発生。なんとバスに乗れない! 外から見る限りではまだまだ乗れそうなのに、目の前を通り過ぎていく。またもや、なんで? と頭の中にクエスションマークがあふれる。何段かバスを見送っているうちにどうも座席が埋まるとあとは客を乗せないらしいことがわかる。つまり、通路などが空いていても人を乗せていないのだった。20分近くバスを待っていたが、一向に乗れそうにないのでバスの出発点になっているバス乗り場まで移動する。急ぎ足で10分ほど。
ここも帰宅ラッシュの人々でごった返していて、バスはすぐにいっぱいになり、ドアを閉めて走り出してしまう。5台ほど見送った頃になって、ようやく乗れそうなバスが来たのでそれに2人して乗り込む。まったくバスに乗るのにどんだけ苦労しないといけないんだ。だいたい待っている乗客がいながら満杯にさせずにバスを走らせるなんてアフリカらしくないぞ! 治安とか窃盗対策とかという面もあるのかもしれないが、これにはほんとにまいった。
結局、バスに乗り込んだ頃には日が暮れてしまっていた。当然、遅刻決定。
さて、なんとか電話で言われたあたりでバスを降りたのだが、あたりは暗く、明かりといえば走り行く車のライトかたまにあるお店の明かりくらいしかない。どっち方面に行けばいいのかよくわからないので、とりあえず公衆電話を探す。が、そもそも商店がないから電話もない。近くにたまたまレストランがあったので、そこに行って電話を借りようとするが拒否される。しょうがないので、レストランの入口で駐車場への案内兼警備をやっている男性に携帯電話を借りる。ありがたや。
電話はつながり、ここまで迎えに来てくれることとなった。昼のちと古めのバンではなく、日本車でのお迎え。日本車は、というか、やっぱ新しい車は乗り心地がいいね。
レストランからパーティ会場の彼らのマンションまでは車で2分ほどだった。エレベーターで何階かにあがり、お宅にお邪魔する。中に入ると同世代くらいの日本人が10人ほどいて、にぎやか。ぼくはこんなにたくさんの日本人をまとめてみるのはかなり久しぶり。
診療所のスタッフらはここにみんな寝泊りしているらしい。診療所のスタッフでない人もいるようで、ある人はナイロビのスラム街の支援をしているヨーロッパのNGOにインターンしているといい、ある人はナイロビの大学に通っているという。ここは何LDKか正確にはわからないが、けっこう広い。けれども人数分の個室まではないから、ほとんど雑魚寝のような生活をしている人もいる。本棚にはたくさんの日本の本。すばらしい。
ちょうど食事の準備が出来上がりつつあるところで、食器の準備などを手伝う。準備が整ったところで、みな席につき、パーティ開幕。最初に今日のパーティの趣旨の説明がある。それによれば、今日のパーティはヨーロッパかどっかの財団に助成金を申請したところその結果の通知が先日あり、無事に助成金を受けることが決まったことを祝うパーティだった。めでたい。
それから各自自己紹介。そしたらどうも宮崎弁をしゃべっているらしい人が2人いる。で、聞いたらやはり宮崎出身者。しかも一人はぼくの中学の同級生と一時共同生活をしていたと言う。ぼくが宮崎の延岡出身だと言うと「じゃあ○○って知っている?」と同級生の名前を言ったので驚く。一応、そいつの特徴等を確認し、同一人物と判明。いやぁ、こんなことってあるんですねぇ。
ご飯もみなさんの手作りで、純和食ではないけれども、やはり日本的な味。昼の日本料理屋よりもよっぽどうまい。
22時くらいまで飯食ったり、おしゃべりして辞去する。帰りは宿まで送ってもらう。やはり大勢の日本人と一緒にいると、なんだかいつもとは違う感覚の1日になる。言葉がわかるというのはすごいことだ。
FIN
2009年7月16日木曜日
[diary]エチオピアビザをゲット、ナイロビの中心街
エチオピアビザをゲット、ナイロビの中心街
08/09/29(月) 晴れ
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・エチオピアビザをゲット
・日本大使館
・ナイロビの中心街
・マラリアチェックの予約
朝はけっこう涼しかった。半そでではちょっと肌寒いくらい。ここの宿は朝のチャイは無料でつくので、ロビーのソファーに腰をおろし、チャイができるのを待つ。スタッフの男性は、ロビーの角っこにある小さなガスコンロを使ってお湯を沸かし、そのお湯を使ってチャイを用意してくれる。ぼくは昨日買ってきたチャパティとカンパラからの道中で買った蜂蜜を出してきて、それで朝飯とする。蜂蜜は蜂が数匹そのまま入っていた。他の人にも味見をすすめるとみなうまいと言う。
情報ノートでエチオピアのビザ情報を確認。その間にも同宿の日本人旅行者が集まってきて一緒にチャイを飲みながらしばし談笑。一人はすでにエチオピアのビザを入手したというので、そのときの話を聞く。けっこう簡単に取れるらしい。もう一人の人はエチオピアに行ってきたところらしく、エチオピア話を聞かせてもらう。噂ではエチオピアは、もう少し正確に言えばエチオピアの観光地の人は、かなり口が悪いと聞いていた。「Fuck」といった言葉を平気で旅行者に言ってくるらしい。実際その人もエチオピアの観光地でそうしたことを言われたらしい。
エチオピア大使館が開く時間に合わせて宿を出る。歩いてもそう遠くないようだったので歩いて行く。Latema通りを南西に歩き、Moiアベニューを越えて、Kenyattaアベニューを西へと行く。朝の通勤時間ということでバスの行き来が多く、通りを早足で歩いている人も多い。セントラルパークを右に、ウフルパークを左に見ながらきれいに整備された歩道をまっすぐに歩いていく。しばらくすると上り坂になる。ここをちょっとのぼっていったところを右に曲がる。そろそろ大使館を示す看板があってもいい頃なんだけど、とちょっと不安になりながらもきょろきょろしながら歩く。宿で行き方のルートは聞いてきたのだが、若干違っていた。さらにもう1回右に曲がって左のカーブを歩いていったら左手にエチオピア大使館があった。入り口は鉄の頑丈な壁のような扉で仕切られていて、ブザーを押すと警備員の人が歩行者用入口となっているドアを開けてくれる。ビザを取りに来たというとまだちょっと時間があるから待てと言う。
10分ほど待った頃、中からオッケーが出る。まずは入ってすぐ左手にあった警備員の詰め所で訪問者名簿みたいなものに名前、パスポート番号、訪問目的などを記入する。それから促されて大使館の建物の中へ。
早く出てきた甲斐があって、ぼくが一番乗りだった。窓口の男性にビザを取りに来たと伝えると申請用紙をくれる。それをソファなどがコーナーで記入。テーブルにはエチオピアの公用語であるアムハラ語の新聞があって、なるほどエチオピアはこれまでのアフリカの国とはまったく違う文字、言葉を使う国なんだなと改めて感じる。証明写真やパスポートのコピー、パスポート原本などとともに申請書を提出。窓口の男性は記入をざっとチェックしてから、午後の2時ごろにできるからその頃になったらビザ代金を持って取りに来いと言う。
とりあえず申請は終わり。受け取りまで少し時間があるので、日本大使館にマラリアチェックのことを聞きに行く。日本大使館までも徒歩。ガイドブックの地図と住所などを参考に曲がりくねった坂道を歩く。この辺りは病院や事務所の入った近代的なビルなどが集まっていて、宿周辺とはまた違う雰囲気。車は盛んに通るが歩いている人や自転車の人はほとんどいない。
きょろきょろしながら歩いて周る。ビル街に出たところでビルの警備をしている人に日本大使館の位置を尋ねる。こうして何人かに尋ねながらなんとか日本大使館に到着。来て見てびっくり。かなり立派な建物だった。
入口にはガラス張りの受付窓口があり、そこでまずどういう用件で来たのかを伝える。スタッフは日本語は解さないので英語でのやりとり。入口は2つあり、ひとつは領事関係や相談事用の入口でこちらはそれ用の建物へと続いている。もうひとつは日本に関する情報を得るためのセンターに入るための入口で、たとえば日本人であれば日本語の新聞や雑誌を閲覧したいとか、現地の人であれば留学情報などを入手したいといった人はこちらの入口を使う。
まずは用件を伝え、警備室に入り、荷物のチェックを受ける。そして、携帯電話やデジカメの類は中に持ち込めないため、係官に預けることになる。預けると番号札をくれる。また訪問者であることを示す名札のようなものをもらってから中に入る。
中に入るとまた受付窓口があり、こちらは日本語での対応となる。マラリアチェックについて相談したいと言うと、大使館にいる医務官が出てきて医務室に連れて行かれる。そこは本当に病院の診察室みたいなところでガラス棚には日本で見慣れた薬などが並んでいる。医務官は見たところ50代後半くらいの男性。マラリアチェックについて相談すると、これまでの旅行の経路などを聞かれ、さらにそういう旅行をして何か本を書いたりするつもりなのか、などと聞かれる。さらにナイロビでどこに滞在しているのかと聞かれたので、泊まっている宿の名前を伝えたが知らなかった。多くの日本人旅行者が泊まっている宿の名前を知らないとはとちょっと驚く。宿の位置も聞かれたので正直に伝えると、「なんだスラム街じゃないか!」と言う。この反応にはもっと驚く。加えて医務官は、自分たちはあんなところには1年に1度も行かないとも言う。ぼくから見れば宿のまわりには商店やホテルやバス乗り場があって、スラム街という言葉で想像するような家々は辺りにはまったくないきっちりとした街なんだから、その言い方はまったく現実と合っていないと思うのだが、きっとここに住んでいる日本人の人はそのような感覚なのかもしれないと思う。
マラリアチェックについては、基本的に自覚症状がなければ検査しても意味がないと言われる。ぼくは検査すればマラリア原虫がいるかどうかわかるのだろうと思っていたが、そうではないらしい。しかし、これからもしばらく旅行が続くし、この先で発症してもらっては困るので念のためチェックしたいと言うと、ナイロビの信頼できる病院の医師を教えてくれる。さらに、いいところを紹介してやろうと、日本人医師らが地元の低所得者向けにやっている診療所を紹介してくれる。加えて時間があるならその診療所まで連れて行こうかとありがたい申し出をいただいたのだが、あいにくエチオピア大使館にビザを取りに行かねばならないため残念ながら断る。
診療所を主宰している日本人医師の連絡先を教えてもらい、医務官と別れる。エチオピア大使館に行く時間まで少し間があったので、大使館に併設されている資料センター(正式な名称は忘れた)にも行ってみる。治安対策なのだろうが、面倒なことに医務室がある建物と文化センターの建物は通路みたいなもので区切られているからほいほいと移動できない。いったん外に出て向こう側に入るための入口から入りなおさなければいけない。そういうわけでいったん預けていたカメラなどを受け取り、外に出て、またもうひとつの入口から入りなおす。
センターは比較的小規模だったが、本棚やインターネットコーナーなどがある。日本の新聞や『AERA』などの雑誌のほか、日本語の本が並ぶ。漫画本もあり。こうして日本の新聞や雑誌などを見ていると、なんだか本当に違う世界なんだなと思う。現地の新聞を読んだりしていないからそういうものと比較して、というわけではないが、新聞などで取り上げられている問題が特殊日本的(あるいは先進国的)なもののように感じる。全世界の人口比率で言えば、そのことで困っている人は極小なのかもしれず、もっと多くの人は別の共通の問題で困っているのだろうと思うのだが、かといって日本的な問題がたいした問題ではないとは言えず、そのことによって究極的に言えば自殺にまで追い込まれたりするのだからこれまた大変な問題であることには変わりない。もしある問題の解決を左右するものが情報の多寡如何だとすれば、少なくとも日本の人たちは他のいわゆる発展途上国と呼ばれる国々に暮らす人々よりもより多くの情報を入手できる環境にあるわけだから、そのぶんさまざまな対応策を考えることができ、いろんな問題もちょっとは解決できそうなものだが、そうできていないように思えるのは、もっと他の要因があるということなのだろう、と当たり前のことをぐるぐる考えたりする。
適当に時間を見計らって、また歩いてエチオピア大使館に向かう。入口の警備員の人は覚えていたようで、顔を見ただけで中にすんなり入れてくれた。
すでにビザは出来上がっており、ビザ代1660ケニアシリング(約2600円)を払う。米ドルでも可だったが、ケニアシリングで払ったほうがレートの関係で若干安くなったのでケニアシリングで払った。
これで一応、ナイロビでしなくてはいけない手続きの類は終了。歩いて中心部に戻る。
まちの中心部を見て回る前に郵便局で切手を購入。日本行きのはがき用切手の値段は1枚95ケニアシリング(約150円)。けっこう高い。この郵便局はヨーロッパの古い建物風でなかなか風格があり、中も広くて立派。ただし若干暗い。
それから中心街を歩いて回る。本屋や道端の雑誌屋があり、ある一角は電化製品屋街になっている。パソコンや携帯電話、デジタルオーディオプレーヤーなど、日本のものからすればちょっと古いタイプのものが多いが、全部あわせればそこそこの品揃えになる。
本屋は見つけた限りで2店舗あった。どちらも個人営業の小中規模の店。基本的に英語の本が多く、スワヒリ語の本もけっこうある。絵葉書を売っていたので、あれこれと物色して絵葉書を購入。あと"Asian Godfather"というタイトルの英語の本があったので買う。輸入物だからしょうがないけど、やっぱり本はそれなりに高く、1200ケニアシリング(約1900円)もした。はてさていつ読むのやら。
中心部にはシティマーケットがあるとガイドブックの地図にあったので、そこに行ってみる。こちらは屋内型のマーケットで昨日行ったマーケットと比べると店数はもちろん、それぞれの店に陳列されている物の量も少ない。つまりは迫力がない。客も少ない。基本的にはマーケットに併設された安食堂が目当てだったのだが、予想通りの店が併設されていた。お昼時はちょっとずれたけれども、けっこう賑わっている。食堂街はマーケットに隣り合ってはいるが、別個にそれぞれ店舗を構えていて、そこだけは道が悪く、また水溜りや調理くずのようなものがところどころに落ちていてやや汚い。
食堂街といっても食堂は6店舗ほどしかなく、どこにしようか迷う。メニューも似たようなものだった。店の入口横で肉やチャパティを焼いたりしている人が、呼び込みの声をかけてくる。2~3度それぞれの店の前を往復してどうしようかと考えてから、ある店に入り、ビリアニを注文。平皿に長粒米の炒めご飯と湯がいただけらしい野菜サラダ、それに羊の肉をトマトと一緒に炒めたものが乗っかって70ケニアシリング(約110円)。なかなか安い。量はたいして多くない。
そこそこ腹が膨れたが、すぐ近くの店で人がまたずいぶん入っている店があったので、気になり行ってみる。そこはフルーツ専門の店のようで、フルーツの盛り合わせなどを出している。席が空いたところへぼくも座り、他の人のを見ながら適当に注文。すぐにスイカ、パパイヤ、バナナ、バナナ、ビーツ(砂糖大根)?、アボガドが豪快に盛られたお皿が出てくる。これがお値段50ケニアシリング(約80円)。食後のデザートには最適。そんなだから客の回転も早く、次から次へと注文が入っている。
それからしばらく街中を歩き回る。モスクがあったり、4階建てほどのショッピングセンターがあったり、10階以上はあるオフィスビルがあったり、とにかくナイロビは都会だ。ビルの壁にはコカコーラのでかい看板があったりする。それからチェーン方式のスーパーマーケットが数軒ある。学校帰りらしい制服を着た中学生くらいの男の子たちがゲームソフトを売っている店の前で立ち止まり、ガラス越しに陳列されているゲームソフトを見てあれこれとしゃべりあっている。
あちこち見てて思うが、スーパーマーケットがあるかどうかは、その国の経済のあるひとつの性格を物語っているように思う。それは簡単に言えば、例えば外資が入っているとかということになるのだが、もっと大きく言えばその地の社会のあり方の状況を表しているようにも感じる。具体的にはスーパーではぼったくられる心配もないが、値引き交渉もできない。要するに機械的になっている。システマチックになっていて融通が利かない。そうした領域がその社会にある部分を占めているのだということがスーパーの有無によってわかる。そうした点で言えば、日本はスーパー的なものが社会のありとあらゆる部分に浸透していて、そのお陰で省かれている手間も多々あるものの、他の国ではなんでもない当たり前の適当さがだんだんとなくなっており、そのことが人々のアタマから適当である自由を失わせているように思う。
閑話休題。
まちをぶらつきながら、両替屋や銀行を見つけたらレートをチェック。それからネット屋があったのでネットをする。ここもOSがLinuxだった。スピードはそこそこ。それからショッピングセンターに立ち寄る。エスカレーターで一番上まであがる。ファストフード店やスポーツ用品店、電化製品店、洋服屋などがあったが、夕方前という時間帯のせいか客はほとんどいない。でも、建物は立派。
ところで、ぼくはアップルマンゴーが食べたかった。さっき食堂に行く前にぶらついたシティマーケットにアップルマンゴーが売っていたが、季節はずれということもありちと高かったのでパスした。が、こうして歩きながら考えていると、この機会を逃すと一生食わないかもしれないと深刻に思うようになり、ならば今食べようではないかと頭を切り替える。
そういうわけでシティマーケットに戻り、店じまいの準備をしていた果物屋でアップルマンゴーを買う。店のにいちゃんは何kgいるかと聞いてくる。いやぁ1個でいいんだけど、意外と物が小さいし、にいちゃんはkg単位で売りたいようなので、1kgと頼む。1kgで小さいの3玉ほど。お値段200ケニアシリング(約300円)。3食分の予算だからかなり奮発した。
それから商店で5リットル入りの水(約165ケニアシリング≒260円)を買って帰る。宿に戻る途中、今日、日本大使館で紹介してくれた診療所の人に電話してみる。マラリアチェックの件を伝えると、すでに聞いているといってすんなりと話がすすむ。診療所は大使館と同じ方面にあるらしいが、住宅街みたいなところにあるためわかりにくいらしい。そこで近くまで来てくれれば迎えに来てくれるというので、待ち合わせの時間、場所を決めて電話を切る。
ちなみに電話は店先にある公衆電話を使用。日本のような電話ボックスタイプではなく、お菓子などを売っている商店の店先に公衆電話が置かれているので、店主に言って使う。電話を切ったら店主に代金を聞き支払いという手順になる。
宿に帰ると昨日マーケットに一緒に行ったA君がいたのでちょっと早い時間帯だったが、2人で晩飯を食いに行く。彼おすすめの店はすでに閉まっていたので、適当に他の店を選び入る。ぼくが頼んだのは肉のプレート70ケニアシリング(約110円)、それからライス50ケニアシリング(約80円)。肉のプレートは本当に細切れにした肉を炒めたものとキャベツ炒めだけで他に何もない。ご飯は白ご飯でけっこう大盛り。まぁまぁアフリカの他のまちで食べたことのあるような味だった。
しかし、なんだかあまりにも簡単な料理過ぎて食べた気にならなかったので、もう一軒行く。ピラウがあったのでそれを頼む。名前から想像がつくようにピラフのような料理。付け合せに黒豆の湯がいたやつやちょっと塩気が足りないスープが出る。
さて、宿に帰ったら同じ部屋に泊まっているという日本人おじさんがいた。おじさんはナイロビにはもう半年近くいるそうで、しかも毎晩のように飲み歩いているらしい。おじさんはぬるいけど50円くらいで飲める飲み屋があるから行かないかと誘ってくださる。なので、2人でその話にのる。
歩いて1分くらいのビルの中にその飲み屋はあるらしく。カンカンと金属音をたてながら階段を上っていくと小便くさいにおいがする。それもそのはず階段をあがったところに便所があった。2階は4人がけくらいのテーブルがあちこちに並べられていて、お客もそこそこいる。ぼくは基本的にビールは飲まないのだが、ぬるくて安いというのにつられ頼む。
おじさんが言うには、ここに飲みに来ている人の中には盗人家業をしている人やそうした人の情報を警察に売って稼いでいる人、日本で言う極道みたいな人、それから性稼業の人までいろんな人がいるらしい。なんでそんなことを知っているのかと尋ねると、以前ここで飲んでいたときに声をかけてきた現地の人が、あいつは●○だなどといって教えてくれたかららしい。
店内には音楽が大音量の1つ手前くらいの音量で流れていて、話すには顔を近づけないと声が聞こえない。そんな中、おじさんと一緒に来たA君としばらくおしゃべり。1時間ちょっとくらいいて、引き上げる。
あとは宿で過ごす。
FIN
08/09/29(月) 晴れ
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・エチオピアビザをゲット
・日本大使館
・ナイロビの中心街
・マラリアチェックの予約
朝はけっこう涼しかった。半そでではちょっと肌寒いくらい。ここの宿は朝のチャイは無料でつくので、ロビーのソファーに腰をおろし、チャイができるのを待つ。スタッフの男性は、ロビーの角っこにある小さなガスコンロを使ってお湯を沸かし、そのお湯を使ってチャイを用意してくれる。ぼくは昨日買ってきたチャパティとカンパラからの道中で買った蜂蜜を出してきて、それで朝飯とする。蜂蜜は蜂が数匹そのまま入っていた。他の人にも味見をすすめるとみなうまいと言う。
情報ノートでエチオピアのビザ情報を確認。その間にも同宿の日本人旅行者が集まってきて一緒にチャイを飲みながらしばし談笑。一人はすでにエチオピアのビザを入手したというので、そのときの話を聞く。けっこう簡単に取れるらしい。もう一人の人はエチオピアに行ってきたところらしく、エチオピア話を聞かせてもらう。噂ではエチオピアは、もう少し正確に言えばエチオピアの観光地の人は、かなり口が悪いと聞いていた。「Fuck」といった言葉を平気で旅行者に言ってくるらしい。実際その人もエチオピアの観光地でそうしたことを言われたらしい。
エチオピア大使館が開く時間に合わせて宿を出る。歩いてもそう遠くないようだったので歩いて行く。Latema通りを南西に歩き、Moiアベニューを越えて、Kenyattaアベニューを西へと行く。朝の通勤時間ということでバスの行き来が多く、通りを早足で歩いている人も多い。セントラルパークを右に、ウフルパークを左に見ながらきれいに整備された歩道をまっすぐに歩いていく。しばらくすると上り坂になる。ここをちょっとのぼっていったところを右に曲がる。そろそろ大使館を示す看板があってもいい頃なんだけど、とちょっと不安になりながらもきょろきょろしながら歩く。宿で行き方のルートは聞いてきたのだが、若干違っていた。さらにもう1回右に曲がって左のカーブを歩いていったら左手にエチオピア大使館があった。入り口は鉄の頑丈な壁のような扉で仕切られていて、ブザーを押すと警備員の人が歩行者用入口となっているドアを開けてくれる。ビザを取りに来たというとまだちょっと時間があるから待てと言う。
10分ほど待った頃、中からオッケーが出る。まずは入ってすぐ左手にあった警備員の詰め所で訪問者名簿みたいなものに名前、パスポート番号、訪問目的などを記入する。それから促されて大使館の建物の中へ。
早く出てきた甲斐があって、ぼくが一番乗りだった。窓口の男性にビザを取りに来たと伝えると申請用紙をくれる。それをソファなどがコーナーで記入。テーブルにはエチオピアの公用語であるアムハラ語の新聞があって、なるほどエチオピアはこれまでのアフリカの国とはまったく違う文字、言葉を使う国なんだなと改めて感じる。証明写真やパスポートのコピー、パスポート原本などとともに申請書を提出。窓口の男性は記入をざっとチェックしてから、午後の2時ごろにできるからその頃になったらビザ代金を持って取りに来いと言う。
とりあえず申請は終わり。受け取りまで少し時間があるので、日本大使館にマラリアチェックのことを聞きに行く。日本大使館までも徒歩。ガイドブックの地図と住所などを参考に曲がりくねった坂道を歩く。この辺りは病院や事務所の入った近代的なビルなどが集まっていて、宿周辺とはまた違う雰囲気。車は盛んに通るが歩いている人や自転車の人はほとんどいない。
きょろきょろしながら歩いて周る。ビル街に出たところでビルの警備をしている人に日本大使館の位置を尋ねる。こうして何人かに尋ねながらなんとか日本大使館に到着。来て見てびっくり。かなり立派な建物だった。
| 送信者 kenya |
入口にはガラス張りの受付窓口があり、そこでまずどういう用件で来たのかを伝える。スタッフは日本語は解さないので英語でのやりとり。入口は2つあり、ひとつは領事関係や相談事用の入口でこちらはそれ用の建物へと続いている。もうひとつは日本に関する情報を得るためのセンターに入るための入口で、たとえば日本人であれば日本語の新聞や雑誌を閲覧したいとか、現地の人であれば留学情報などを入手したいといった人はこちらの入口を使う。
まずは用件を伝え、警備室に入り、荷物のチェックを受ける。そして、携帯電話やデジカメの類は中に持ち込めないため、係官に預けることになる。預けると番号札をくれる。また訪問者であることを示す名札のようなものをもらってから中に入る。
中に入るとまた受付窓口があり、こちらは日本語での対応となる。マラリアチェックについて相談したいと言うと、大使館にいる医務官が出てきて医務室に連れて行かれる。そこは本当に病院の診察室みたいなところでガラス棚には日本で見慣れた薬などが並んでいる。医務官は見たところ50代後半くらいの男性。マラリアチェックについて相談すると、これまでの旅行の経路などを聞かれ、さらにそういう旅行をして何か本を書いたりするつもりなのか、などと聞かれる。さらにナイロビでどこに滞在しているのかと聞かれたので、泊まっている宿の名前を伝えたが知らなかった。多くの日本人旅行者が泊まっている宿の名前を知らないとはとちょっと驚く。宿の位置も聞かれたので正直に伝えると、「なんだスラム街じゃないか!」と言う。この反応にはもっと驚く。加えて医務官は、自分たちはあんなところには1年に1度も行かないとも言う。ぼくから見れば宿のまわりには商店やホテルやバス乗り場があって、スラム街という言葉で想像するような家々は辺りにはまったくないきっちりとした街なんだから、その言い方はまったく現実と合っていないと思うのだが、きっとここに住んでいる日本人の人はそのような感覚なのかもしれないと思う。
マラリアチェックについては、基本的に自覚症状がなければ検査しても意味がないと言われる。ぼくは検査すればマラリア原虫がいるかどうかわかるのだろうと思っていたが、そうではないらしい。しかし、これからもしばらく旅行が続くし、この先で発症してもらっては困るので念のためチェックしたいと言うと、ナイロビの信頼できる病院の医師を教えてくれる。さらに、いいところを紹介してやろうと、日本人医師らが地元の低所得者向けにやっている診療所を紹介してくれる。加えて時間があるならその診療所まで連れて行こうかとありがたい申し出をいただいたのだが、あいにくエチオピア大使館にビザを取りに行かねばならないため残念ながら断る。
診療所を主宰している日本人医師の連絡先を教えてもらい、医務官と別れる。エチオピア大使館に行く時間まで少し間があったので、大使館に併設されている資料センター(正式な名称は忘れた)にも行ってみる。治安対策なのだろうが、面倒なことに医務室がある建物と文化センターの建物は通路みたいなもので区切られているからほいほいと移動できない。いったん外に出て向こう側に入るための入口から入りなおさなければいけない。そういうわけでいったん預けていたカメラなどを受け取り、外に出て、またもうひとつの入口から入りなおす。
センターは比較的小規模だったが、本棚やインターネットコーナーなどがある。日本の新聞や『AERA』などの雑誌のほか、日本語の本が並ぶ。漫画本もあり。こうして日本の新聞や雑誌などを見ていると、なんだか本当に違う世界なんだなと思う。現地の新聞を読んだりしていないからそういうものと比較して、というわけではないが、新聞などで取り上げられている問題が特殊日本的(あるいは先進国的)なもののように感じる。全世界の人口比率で言えば、そのことで困っている人は極小なのかもしれず、もっと多くの人は別の共通の問題で困っているのだろうと思うのだが、かといって日本的な問題がたいした問題ではないとは言えず、そのことによって究極的に言えば自殺にまで追い込まれたりするのだからこれまた大変な問題であることには変わりない。もしある問題の解決を左右するものが情報の多寡如何だとすれば、少なくとも日本の人たちは他のいわゆる発展途上国と呼ばれる国々に暮らす人々よりもより多くの情報を入手できる環境にあるわけだから、そのぶんさまざまな対応策を考えることができ、いろんな問題もちょっとは解決できそうなものだが、そうできていないように思えるのは、もっと他の要因があるということなのだろう、と当たり前のことをぐるぐる考えたりする。
適当に時間を見計らって、また歩いてエチオピア大使館に向かう。入口の警備員の人は覚えていたようで、顔を見ただけで中にすんなり入れてくれた。
すでにビザは出来上がっており、ビザ代1660ケニアシリング(約2600円)を払う。米ドルでも可だったが、ケニアシリングで払ったほうがレートの関係で若干安くなったのでケニアシリングで払った。
これで一応、ナイロビでしなくてはいけない手続きの類は終了。歩いて中心部に戻る。
まちの中心部を見て回る前に郵便局で切手を購入。日本行きのはがき用切手の値段は1枚95ケニアシリング(約150円)。けっこう高い。この郵便局はヨーロッパの古い建物風でなかなか風格があり、中も広くて立派。ただし若干暗い。
それから中心街を歩いて回る。本屋や道端の雑誌屋があり、ある一角は電化製品屋街になっている。パソコンや携帯電話、デジタルオーディオプレーヤーなど、日本のものからすればちょっと古いタイプのものが多いが、全部あわせればそこそこの品揃えになる。
本屋は見つけた限りで2店舗あった。どちらも個人営業の小中規模の店。基本的に英語の本が多く、スワヒリ語の本もけっこうある。絵葉書を売っていたので、あれこれと物色して絵葉書を購入。あと"Asian Godfather"というタイトルの英語の本があったので買う。輸入物だからしょうがないけど、やっぱり本はそれなりに高く、1200ケニアシリング(約1900円)もした。はてさていつ読むのやら。
| 送信者 kenya |
| 送信者 kenya |
中心部にはシティマーケットがあるとガイドブックの地図にあったので、そこに行ってみる。こちらは屋内型のマーケットで昨日行ったマーケットと比べると店数はもちろん、それぞれの店に陳列されている物の量も少ない。つまりは迫力がない。客も少ない。基本的にはマーケットに併設された安食堂が目当てだったのだが、予想通りの店が併設されていた。お昼時はちょっとずれたけれども、けっこう賑わっている。食堂街はマーケットに隣り合ってはいるが、別個にそれぞれ店舗を構えていて、そこだけは道が悪く、また水溜りや調理くずのようなものがところどころに落ちていてやや汚い。
食堂街といっても食堂は6店舗ほどしかなく、どこにしようか迷う。メニューも似たようなものだった。店の入口横で肉やチャパティを焼いたりしている人が、呼び込みの声をかけてくる。2~3度それぞれの店の前を往復してどうしようかと考えてから、ある店に入り、ビリアニを注文。平皿に長粒米の炒めご飯と湯がいただけらしい野菜サラダ、それに羊の肉をトマトと一緒に炒めたものが乗っかって70ケニアシリング(約110円)。なかなか安い。量はたいして多くない。
| 送信者 kenya |
そこそこ腹が膨れたが、すぐ近くの店で人がまたずいぶん入っている店があったので、気になり行ってみる。そこはフルーツ専門の店のようで、フルーツの盛り合わせなどを出している。席が空いたところへぼくも座り、他の人のを見ながら適当に注文。すぐにスイカ、パパイヤ、バナナ、バナナ、ビーツ(砂糖大根)?、アボガドが豪快に盛られたお皿が出てくる。これがお値段50ケニアシリング(約80円)。食後のデザートには最適。そんなだから客の回転も早く、次から次へと注文が入っている。
| 送信者 kenya |
それからしばらく街中を歩き回る。モスクがあったり、4階建てほどのショッピングセンターがあったり、10階以上はあるオフィスビルがあったり、とにかくナイロビは都会だ。ビルの壁にはコカコーラのでかい看板があったりする。それからチェーン方式のスーパーマーケットが数軒ある。学校帰りらしい制服を着た中学生くらいの男の子たちがゲームソフトを売っている店の前で立ち止まり、ガラス越しに陳列されているゲームソフトを見てあれこれとしゃべりあっている。
| 送信者 kenya |
| 送信者 kenya |
あちこち見てて思うが、スーパーマーケットがあるかどうかは、その国の経済のあるひとつの性格を物語っているように思う。それは簡単に言えば、例えば外資が入っているとかということになるのだが、もっと大きく言えばその地の社会のあり方の状況を表しているようにも感じる。具体的にはスーパーではぼったくられる心配もないが、値引き交渉もできない。要するに機械的になっている。システマチックになっていて融通が利かない。そうした領域がその社会にある部分を占めているのだということがスーパーの有無によってわかる。そうした点で言えば、日本はスーパー的なものが社会のありとあらゆる部分に浸透していて、そのお陰で省かれている手間も多々あるものの、他の国ではなんでもない当たり前の適当さがだんだんとなくなっており、そのことが人々のアタマから適当である自由を失わせているように思う。
閑話休題。
まちをぶらつきながら、両替屋や銀行を見つけたらレートをチェック。それからネット屋があったのでネットをする。ここもOSがLinuxだった。スピードはそこそこ。それからショッピングセンターに立ち寄る。エスカレーターで一番上まであがる。ファストフード店やスポーツ用品店、電化製品店、洋服屋などがあったが、夕方前という時間帯のせいか客はほとんどいない。でも、建物は立派。
ところで、ぼくはアップルマンゴーが食べたかった。さっき食堂に行く前にぶらついたシティマーケットにアップルマンゴーが売っていたが、季節はずれということもありちと高かったのでパスした。が、こうして歩きながら考えていると、この機会を逃すと一生食わないかもしれないと深刻に思うようになり、ならば今食べようではないかと頭を切り替える。
そういうわけでシティマーケットに戻り、店じまいの準備をしていた果物屋でアップルマンゴーを買う。店のにいちゃんは何kgいるかと聞いてくる。いやぁ1個でいいんだけど、意外と物が小さいし、にいちゃんはkg単位で売りたいようなので、1kgと頼む。1kgで小さいの3玉ほど。お値段200ケニアシリング(約300円)。3食分の予算だからかなり奮発した。
それから商店で5リットル入りの水(約165ケニアシリング≒260円)を買って帰る。宿に戻る途中、今日、日本大使館で紹介してくれた診療所の人に電話してみる。マラリアチェックの件を伝えると、すでに聞いているといってすんなりと話がすすむ。診療所は大使館と同じ方面にあるらしいが、住宅街みたいなところにあるためわかりにくいらしい。そこで近くまで来てくれれば迎えに来てくれるというので、待ち合わせの時間、場所を決めて電話を切る。
ちなみに電話は店先にある公衆電話を使用。日本のような電話ボックスタイプではなく、お菓子などを売っている商店の店先に公衆電話が置かれているので、店主に言って使う。電話を切ったら店主に代金を聞き支払いという手順になる。
宿に帰ると昨日マーケットに一緒に行ったA君がいたのでちょっと早い時間帯だったが、2人で晩飯を食いに行く。彼おすすめの店はすでに閉まっていたので、適当に他の店を選び入る。ぼくが頼んだのは肉のプレート70ケニアシリング(約110円)、それからライス50ケニアシリング(約80円)。肉のプレートは本当に細切れにした肉を炒めたものとキャベツ炒めだけで他に何もない。ご飯は白ご飯でけっこう大盛り。まぁまぁアフリカの他のまちで食べたことのあるような味だった。
| 送信者 kenya |
しかし、なんだかあまりにも簡単な料理過ぎて食べた気にならなかったので、もう一軒行く。ピラウがあったのでそれを頼む。名前から想像がつくようにピラフのような料理。付け合せに黒豆の湯がいたやつやちょっと塩気が足りないスープが出る。
| 送信者 kenya |
さて、宿に帰ったら同じ部屋に泊まっているという日本人おじさんがいた。おじさんはナイロビにはもう半年近くいるそうで、しかも毎晩のように飲み歩いているらしい。おじさんはぬるいけど50円くらいで飲める飲み屋があるから行かないかと誘ってくださる。なので、2人でその話にのる。
歩いて1分くらいのビルの中にその飲み屋はあるらしく。カンカンと金属音をたてながら階段を上っていくと小便くさいにおいがする。それもそのはず階段をあがったところに便所があった。2階は4人がけくらいのテーブルがあちこちに並べられていて、お客もそこそこいる。ぼくは基本的にビールは飲まないのだが、ぬるくて安いというのにつられ頼む。
おじさんが言うには、ここに飲みに来ている人の中には盗人家業をしている人やそうした人の情報を警察に売って稼いでいる人、日本で言う極道みたいな人、それから性稼業の人までいろんな人がいるらしい。なんでそんなことを知っているのかと尋ねると、以前ここで飲んでいたときに声をかけてきた現地の人が、あいつは●○だなどといって教えてくれたかららしい。
店内には音楽が大音量の1つ手前くらいの音量で流れていて、話すには顔を近づけないと声が聞こえない。そんな中、おじさんと一緒に来たA君としばらくおしゃべり。1時間ちょっとくらいいて、引き上げる。
あとは宿で過ごす。
FIN
2009年7月4日土曜日
[diary]ナイロビのマーケット、半日ぶらり
ナイロビのマーケット、半日ぶらり
08/09/28(日) 晴れ
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・エチオピア行きバスを探して
・カリアコー、ブコンバマーケットで買い物
7時過ぎに起床。部屋は空気がこもり、ややぬくい。蚊も多かったが、備え付けの蚊帳のおかげで刺されることはなかった。が、おそらくタンザニアのムワンザからルワンダ国境のルスモに行くとき乗ったバスで虫に刺されたらしく、足首やわき腹あたりがかゆい。噛まれた跡もある。
宿では朝はチャイが用意される。宿の情報ノートを見ながらチャイができるのを待つ。同宿の日本人旅行者と話すと、彼もこれからエチオピアに行くという。ビザは既に取得済みで今日はエチオピア行きのバス乗り場を探しに行くというので、自分も一緒に行くことにする。
出かける前にチャイを2杯ほど飲み、彼とこれまでの旅行話を少し。タンザニアからのルートはぼくとほぼ同じで、モシからムワンザのバスがひどかったという話やルワンダがよかったという話などもろもろする。またナイロビの治安について話をふったら、彼がここに到着する1週間前に宿から100mくらいのスーパーに強盗がはいって警察官と撃ち合いになって泥棒が射殺されたことがあったとか、彼がこの宿に泊まって2日目に宿の隣のイスラム系服屋さんに強盗が入り、発砲して逃走していく事件が発生したらしい。それぞれ起こったのは昼の11時ごろだとか。さすがアフリカ三大危険都市(他は南アフリカのジョハネスバーグ、ナイジェリアのアブジャ)の1つだ。
ちなみに『地球の歩き方 東アフリカ 08~09』のナイロビ欄にはページ上部に次のようなことが書かれている。「2007年、12月末の大統領選挙の結果をめぐり民族対立が激化し、暴動や虐殺事件が起きた。十分注意して行動するようにしてください。(2008年2月現在)」(p188)。さらに「とにかくナイロビでは、用事もないのに出歩くことは絶対避けてほしい。」といったことや「ダウンタウンへは決して行ってはいけない」「ダウンタウンには生活の手段を持たない人も住んでいるため、非常に危険をともなう。特に旅行者は誰ひとり歩いていない。いつ、どこで強盗、殺人事件が起こっても、まったく不思議ではない。」などと書かれてある。そのダウンタウンに宿を取っている我々は、やっぱり何か起きたときには自己責任論で散々非難されるんだろうな、なんて思ったりする。
9時頃、宿を出て、まずはATMでカネをおろす。さすがにナイロビ。ATMで苦労することはない。
それから9番のバスに乗り、情報ノートにあったエチオピア行きのバスが出ているという地区へ移動。バスは紫色など原色の色に有名人らしい人たちのペイントなどがされていてけばけばしい。車内では大音量で音楽がかけられていて、隣の人としゃべるにも声を大きくしないといけない。車体自体はそれほどおんぼろではなかった。運賃は25ケニアシリング(約30円)。運転手は盛んにクラクションをならし、客の呼び込み担当は入り口のステップに立って、行き先を連呼しながら客をつかまえる。
道は渋滞していてなかなか先に進まない。1時間ほどでようやく目的地に到着。混んでいなければ20分くらいの距離だった。
バスを降りてから情報ノートに書いてあった情報を元にエチオピア行きのバス乗り場を探す。バスが走る通り沿いには露店がいろいろ出ていてパイナップルやパパイヤの切り身売りの人から服や靴下を売る人、ネクタイ、ベルトなどを売る人などいろいろ。
辺りをきょろきょろしながら情報に合致する看板を探していたら発見。工事用の壁にやや隠れて、その看板があった。舗装されていない石だらけの道を歩く。この通り沿いにも商店が並んでいる。それらしきものは見当たらない。もうひとつ向こうの通りかと横切る道路をひとつ渡ってまだまっすぐ行くとそれらしきトラックとバスが路上に止まっていた。バス会社のものらしい看板もある。それにしてもなんでこんなところからなのだろう。駐車場も何もなく、路上にバスやトラックを止め、そこから客が乗るようなスタイルになっている。近くで立ち話をしていた男の人らに近づき、エチオピアに行きたいんだけどと聞くと、あっちの人に聞けと教えてくれる。そちらに行って同じ事を言うと、1人の人が携帯電話を取り出し電話をかけ、ここでしばらく待てと言う。
しばらく待っていると携帯電話を手に持った男が現れる。彼にエチオピアとの国境のまちに行きたいのだがと告げ、バスの頻度と運賃を尋ねる。バスは週に3本くらいしかなかったが、トラックは毎日午後発があるという。運賃は2000シリング(約3000円)だと言う。予約をするかと聞かれたが、予約金を払わないといけないようなのでやめ、とりあえずは情報を入手しただけでここを去る。
来た道を戻ってバスが通る通りに出る。朝飯を食っていなかったのでバスを待っている間に道端のキャッサバ焼きとパイナップル4分の1かけを買って歩き食いする。それぞれ値段は20シリング(約30円)。
乗ってきたものと同じバスに乗り込み、市街地を目指す。帰りもやや渋滞。
途中、市場の近くを通りがかったので、予定を変更して市場に行くことにする。A君も一緒にバスをおり、カリアコーマーケットを見て回る。ぼくとしては冬の中央アジアに備えて冬用のジャケットが欲しかった。ナイロビのマーケットにはいわゆる先進国からの援助物資である中古服が出回っており、けっこうしっかりしたジャケットを安く買うことができると聞いていた。なので、こうして市場に来てみたのだが、カリアコーマーケットには革ジャンはいくらでもあるものの、いわゆるスキーや登山でも使えるようなジャケットは売ってなかった。市場内にはなめされた革があり、それを使って縫製作業をしている人たちもいた。
歩いていたら店のおじさんが何を探しているのかと話しかけてくる。なのでジャケットを探していると言うと革のジャケットをあれこれと薦めてくるが、にこやかに却下する。
ここが一番大きなマーケットだと思っていたぼくはけっこうしょぼいのにがっかり。青果物などはなく、もっぱら服や工具の類ばかり売っていて、日曜だからか閉店しているところも多い。しょうがないのでここで買うのはあきらめて、もう1つ大きいらしいギコンバマーケットというところに行くことにする。
持ってきたガイドブックの地図を見てギコンバマーケットの位置を確認。二人で歩いて行く。
15分ほど歩いたところで賑やかな通りに出る。露店が通りに並び、通りから入るとずっと奥まで店が並んでいる。中に入ってみると服が山のように盛られてあったり、所狭しと陳列されてあったり、とにかく量がすごい。服のほかにも靴や道具の類などもあったが、行ったところがたまたまそうだったのか服屋が延々と続いていた。道幅はすれ違うときには肩をよけないと通れないくらいの幅しかなく、路面は土。排水施設がないため水がたまっており、足元を気をつけないとぐちゃぐちゃになってしまう。
噂どおりよく見るブランド物の服や靴、ジャケットなどが売られていた。ここにはスキーや登山用品店においてあるようなしっかりした防寒服もあった。二人であれこれ物色。それぞれの目的の品を探す。
改めて防寒服を眺めるとやっぱり持ち運ぶには嵩張ることに気がつく。値段を聞いてみるとたいていが20~30米ドル程度。たしかに安いが、ここで買うにはちょっとまだ先が長い。というわけで冬物ジャケットはやめにして、長袖のシャツに目的を変更。持参していた長袖のシャツは袖を引っ掛けて破れたりして、地元の人にも新しいのを買えと言われるような状態になっていた。なのでここで奮発して新しいの(と言っても中古だが)を買うことにする。シャツばかり売っている店をまわり、山盛りになっている中からいいものを探す。これがけっこう大変。片っ端から服を広げ、サイズやポケットの有無などを確認する。30分ほどその作業をしていただろうか、2~3着買ってもいいようなものを発見した。長袖のシャツを2着と半そでシャツ1着、カッパ代わりにもなりそうなウィンドブレイカーを1着購入。シャツは1着20シリング(約30円)、ウィンドブレイカーは50シリング(約80円)だった。
A君もいろいろと発掘したようでいくつか服を買っていた。
マーケットはまだまだ奥深かったが、買い物で疲れたこともあり、もう街のほうへ戻ることにする。
適当に街の方向に向かって歩く。
途中、人が多いバスターミナルみたいなところに差し掛かる。バスターミナルの周りには青空食堂がいくつもあったので、そこで昼飯を食べることにする。店先には石炭あるいは木炭を使った七輪が並べられその上に鍋がかけられている。その鍋の中や周りで食べている人の皿をのぞいたりしながらどこにしようかと迷う。で、結局は話しかけてきた店で食べることにする。道端に置かれたケツが落ちそうな細いベンチに座り、ホーロー風の深皿に盛られた豆野菜スープを食す。基本はトマト味で小豆色の豆にたまねぎ、トマトなどが入り、一番上にはアボガドがどかっと盛られている。ご飯も頼んだつもりだったが、ご飯は出てこず。見た目はかなり適当だが、味はそれほど悪くない。2人とも完食。A君は意外にうまかったと言っていた。
ちょっと腹が膨れたところで、また歩いてまちへと向かう。そしたら今度は新品の服市場を発見。そしてその近くにチャパティ(厚手のクレープみたいなもの)とチャイ(ミルクティー)を出している屋台をいくつも見つける。さっきの食事だけではいまいち腹が膨れなかったので、2人してチャパティをつまむことにする。チャパティは1枚20シリング(約30円)、チャイは1杯15シリング(約25円)。チャイは例のように甘いがなんとなく落ち着く。
そして再び歩き始めたら今度は果物市場を発見。ぼくはアップルマンゴーが気になっていたのでアップルマンゴーがないか探す。マンゴーは西アフリカにいるときに散々食べたが、アップルマンゴーはまた味がぜんぜん違うと途中であった旅行者に聞いた。それならば食べてみねばならぬと思い、探すのだがあいにく今は旬ではないため市場のどの店にも置いていなかった。
その代わりではないが、ここの市場にはフルーツの屋台があり、地元の客でけっこうにぎわっていた。プラスチック製のお椀のような容器にパパイヤ、スイカ、バナナ、アボガドなどのフルーツが盛られ、1杯30シリング(約50円)。けっこうな値段だが、あれこれフルーツを食べられるということを考えれば安い。A君も気になるというので、ここで食後のデザートとする。やっぱり果物はうまい。
そこからまちに戻る途中にも道端に露店があり、あっちにふらりこっちにふらりしながら帰る。途中でぼくは石鹸1個(20シリング≒30円)と南京錠1個(100シリング≒160円)を買う。南京錠は意外に高い。
結局20分ほど歩いたら市街地に戻った。最初は宿の位置と現在地の位置関係がわからなかったが、そのうちわかるようになる。日曜日ということでか商店街は人がいっぱい。スーパーなどにも客がおおぜい詰め掛けている。店舗の数、建物の数、人々の服装からもナイロビはアフリカ有数の都市なのだということがわかる。
ぼくは宿に戻る前にネット屋へ。宿に近い5階建てのビルの中は、そのほとんどの店がネット屋になっていて、店によって多少値段が違う。適当に店に入って使ってみると、まずOSがWindowsでないのに驚く。何を使っているのかと思って確認したらLinuxだった。これにはけっこう感心したが、肝心の日本語の読み書きができなかったため、最初に入った店は30分で出る。店を変えて試してみると2件目の店は日本語の読み書きができた。利用料は1時間35シリング(約55円)。なかなか安い。2件目の店で1時間ほどネットをして、宿に戻る。
宿に戻る前にふと思い出し、あたりをふらつき近くの食堂でチャパティを4枚買ってかえる。チャパティ1枚35シリング(約55円)はけっこう高い。やっぱり街中価格ということだろうか?
チャパティを買って帰ったのは昨日買った蜂蜜を食べるため。さすがに蜂蜜だけをなめるのはきついのでチャパティにつけて食べることにした。蜂蜜を食べるのはかなり久しぶりだが、なかなかいい味をしている。同宿の人らにも味見をしてもらったが、評判よし。
夜は再び情報ノートを読んだり、本を読んだり、日本人旅行者とおしゃべりしたりして過ごす。
FIN
08/09/28(日) 晴れ
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング
・エチオピア行きバスを探して
・カリアコー、ブコンバマーケットで買い物
7時過ぎに起床。部屋は空気がこもり、ややぬくい。蚊も多かったが、備え付けの蚊帳のおかげで刺されることはなかった。が、おそらくタンザニアのムワンザからルワンダ国境のルスモに行くとき乗ったバスで虫に刺されたらしく、足首やわき腹あたりがかゆい。噛まれた跡もある。
宿では朝はチャイが用意される。宿の情報ノートを見ながらチャイができるのを待つ。同宿の日本人旅行者と話すと、彼もこれからエチオピアに行くという。ビザは既に取得済みで今日はエチオピア行きのバス乗り場を探しに行くというので、自分も一緒に行くことにする。
出かける前にチャイを2杯ほど飲み、彼とこれまでの旅行話を少し。タンザニアからのルートはぼくとほぼ同じで、モシからムワンザのバスがひどかったという話やルワンダがよかったという話などもろもろする。またナイロビの治安について話をふったら、彼がここに到着する1週間前に宿から100mくらいのスーパーに強盗がはいって警察官と撃ち合いになって泥棒が射殺されたことがあったとか、彼がこの宿に泊まって2日目に宿の隣のイスラム系服屋さんに強盗が入り、発砲して逃走していく事件が発生したらしい。それぞれ起こったのは昼の11時ごろだとか。さすがアフリカ三大危険都市(他は南アフリカのジョハネスバーグ、ナイジェリアのアブジャ)の1つだ。
ちなみに『地球の歩き方 東アフリカ 08~09』のナイロビ欄にはページ上部に次のようなことが書かれている。「2007年、12月末の大統領選挙の結果をめぐり民族対立が激化し、暴動や虐殺事件が起きた。十分注意して行動するようにしてください。(2008年2月現在)」(p188)。さらに「とにかくナイロビでは、用事もないのに出歩くことは絶対避けてほしい。」といったことや「ダウンタウンへは決して行ってはいけない」「ダウンタウンには生活の手段を持たない人も住んでいるため、非常に危険をともなう。特に旅行者は誰ひとり歩いていない。いつ、どこで強盗、殺人事件が起こっても、まったく不思議ではない。」などと書かれてある。そのダウンタウンに宿を取っている我々は、やっぱり何か起きたときには自己責任論で散々非難されるんだろうな、なんて思ったりする。
9時頃、宿を出て、まずはATMでカネをおろす。さすがにナイロビ。ATMで苦労することはない。
それから9番のバスに乗り、情報ノートにあったエチオピア行きのバスが出ているという地区へ移動。バスは紫色など原色の色に有名人らしい人たちのペイントなどがされていてけばけばしい。車内では大音量で音楽がかけられていて、隣の人としゃべるにも声を大きくしないといけない。車体自体はそれほどおんぼろではなかった。運賃は25ケニアシリング(約30円)。運転手は盛んにクラクションをならし、客の呼び込み担当は入り口のステップに立って、行き先を連呼しながら客をつかまえる。
道は渋滞していてなかなか先に進まない。1時間ほどでようやく目的地に到着。混んでいなければ20分くらいの距離だった。
バスを降りてから情報ノートに書いてあった情報を元にエチオピア行きのバス乗り場を探す。バスが走る通り沿いには露店がいろいろ出ていてパイナップルやパパイヤの切り身売りの人から服や靴下を売る人、ネクタイ、ベルトなどを売る人などいろいろ。
辺りをきょろきょろしながら情報に合致する看板を探していたら発見。工事用の壁にやや隠れて、その看板があった。舗装されていない石だらけの道を歩く。この通り沿いにも商店が並んでいる。それらしきものは見当たらない。もうひとつ向こうの通りかと横切る道路をひとつ渡ってまだまっすぐ行くとそれらしきトラックとバスが路上に止まっていた。バス会社のものらしい看板もある。それにしてもなんでこんなところからなのだろう。駐車場も何もなく、路上にバスやトラックを止め、そこから客が乗るようなスタイルになっている。近くで立ち話をしていた男の人らに近づき、エチオピアに行きたいんだけどと聞くと、あっちの人に聞けと教えてくれる。そちらに行って同じ事を言うと、1人の人が携帯電話を取り出し電話をかけ、ここでしばらく待てと言う。
しばらく待っていると携帯電話を手に持った男が現れる。彼にエチオピアとの国境のまちに行きたいのだがと告げ、バスの頻度と運賃を尋ねる。バスは週に3本くらいしかなかったが、トラックは毎日午後発があるという。運賃は2000シリング(約3000円)だと言う。予約をするかと聞かれたが、予約金を払わないといけないようなのでやめ、とりあえずは情報を入手しただけでここを去る。
来た道を戻ってバスが通る通りに出る。朝飯を食っていなかったのでバスを待っている間に道端のキャッサバ焼きとパイナップル4分の1かけを買って歩き食いする。それぞれ値段は20シリング(約30円)。
乗ってきたものと同じバスに乗り込み、市街地を目指す。帰りもやや渋滞。
途中、市場の近くを通りがかったので、予定を変更して市場に行くことにする。A君も一緒にバスをおり、カリアコーマーケットを見て回る。ぼくとしては冬の中央アジアに備えて冬用のジャケットが欲しかった。ナイロビのマーケットにはいわゆる先進国からの援助物資である中古服が出回っており、けっこうしっかりしたジャケットを安く買うことができると聞いていた。なので、こうして市場に来てみたのだが、カリアコーマーケットには革ジャンはいくらでもあるものの、いわゆるスキーや登山でも使えるようなジャケットは売ってなかった。市場内にはなめされた革があり、それを使って縫製作業をしている人たちもいた。
歩いていたら店のおじさんが何を探しているのかと話しかけてくる。なのでジャケットを探していると言うと革のジャケットをあれこれと薦めてくるが、にこやかに却下する。
ここが一番大きなマーケットだと思っていたぼくはけっこうしょぼいのにがっかり。青果物などはなく、もっぱら服や工具の類ばかり売っていて、日曜だからか閉店しているところも多い。しょうがないのでここで買うのはあきらめて、もう1つ大きいらしいギコンバマーケットというところに行くことにする。
持ってきたガイドブックの地図を見てギコンバマーケットの位置を確認。二人で歩いて行く。
15分ほど歩いたところで賑やかな通りに出る。露店が通りに並び、通りから入るとずっと奥まで店が並んでいる。中に入ってみると服が山のように盛られてあったり、所狭しと陳列されてあったり、とにかく量がすごい。服のほかにも靴や道具の類などもあったが、行ったところがたまたまそうだったのか服屋が延々と続いていた。道幅はすれ違うときには肩をよけないと通れないくらいの幅しかなく、路面は土。排水施設がないため水がたまっており、足元を気をつけないとぐちゃぐちゃになってしまう。
噂どおりよく見るブランド物の服や靴、ジャケットなどが売られていた。ここにはスキーや登山用品店においてあるようなしっかりした防寒服もあった。二人であれこれ物色。それぞれの目的の品を探す。
| 送信者 kenya |
改めて防寒服を眺めるとやっぱり持ち運ぶには嵩張ることに気がつく。値段を聞いてみるとたいていが20~30米ドル程度。たしかに安いが、ここで買うにはちょっとまだ先が長い。というわけで冬物ジャケットはやめにして、長袖のシャツに目的を変更。持参していた長袖のシャツは袖を引っ掛けて破れたりして、地元の人にも新しいのを買えと言われるような状態になっていた。なのでここで奮発して新しいの(と言っても中古だが)を買うことにする。シャツばかり売っている店をまわり、山盛りになっている中からいいものを探す。これがけっこう大変。片っ端から服を広げ、サイズやポケットの有無などを確認する。30分ほどその作業をしていただろうか、2~3着買ってもいいようなものを発見した。長袖のシャツを2着と半そでシャツ1着、カッパ代わりにもなりそうなウィンドブレイカーを1着購入。シャツは1着20シリング(約30円)、ウィンドブレイカーは50シリング(約80円)だった。
A君もいろいろと発掘したようでいくつか服を買っていた。
マーケットはまだまだ奥深かったが、買い物で疲れたこともあり、もう街のほうへ戻ることにする。
適当に街の方向に向かって歩く。
| 送信者 kenya |
途中、人が多いバスターミナルみたいなところに差し掛かる。バスターミナルの周りには青空食堂がいくつもあったので、そこで昼飯を食べることにする。店先には石炭あるいは木炭を使った七輪が並べられその上に鍋がかけられている。その鍋の中や周りで食べている人の皿をのぞいたりしながらどこにしようかと迷う。で、結局は話しかけてきた店で食べることにする。道端に置かれたケツが落ちそうな細いベンチに座り、ホーロー風の深皿に盛られた豆野菜スープを食す。基本はトマト味で小豆色の豆にたまねぎ、トマトなどが入り、一番上にはアボガドがどかっと盛られている。ご飯も頼んだつもりだったが、ご飯は出てこず。見た目はかなり適当だが、味はそれほど悪くない。2人とも完食。A君は意外にうまかったと言っていた。
| 送信者 kenya |
ちょっと腹が膨れたところで、また歩いてまちへと向かう。そしたら今度は新品の服市場を発見。そしてその近くにチャパティ(厚手のクレープみたいなもの)とチャイ(ミルクティー)を出している屋台をいくつも見つける。さっきの食事だけではいまいち腹が膨れなかったので、2人してチャパティをつまむことにする。チャパティは1枚20シリング(約30円)、チャイは1杯15シリング(約25円)。チャイは例のように甘いがなんとなく落ち着く。
そして再び歩き始めたら今度は果物市場を発見。ぼくはアップルマンゴーが気になっていたのでアップルマンゴーがないか探す。マンゴーは西アフリカにいるときに散々食べたが、アップルマンゴーはまた味がぜんぜん違うと途中であった旅行者に聞いた。それならば食べてみねばならぬと思い、探すのだがあいにく今は旬ではないため市場のどの店にも置いていなかった。
その代わりではないが、ここの市場にはフルーツの屋台があり、地元の客でけっこうにぎわっていた。プラスチック製のお椀のような容器にパパイヤ、スイカ、バナナ、アボガドなどのフルーツが盛られ、1杯30シリング(約50円)。けっこうな値段だが、あれこれフルーツを食べられるということを考えれば安い。A君も気になるというので、ここで食後のデザートとする。やっぱり果物はうまい。
| 送信者 kenya |
そこからまちに戻る途中にも道端に露店があり、あっちにふらりこっちにふらりしながら帰る。途中でぼくは石鹸1個(20シリング≒30円)と南京錠1個(100シリング≒160円)を買う。南京錠は意外に高い。
結局20分ほど歩いたら市街地に戻った。最初は宿の位置と現在地の位置関係がわからなかったが、そのうちわかるようになる。日曜日ということでか商店街は人がいっぱい。スーパーなどにも客がおおぜい詰め掛けている。店舗の数、建物の数、人々の服装からもナイロビはアフリカ有数の都市なのだということがわかる。
ぼくは宿に戻る前にネット屋へ。宿に近い5階建てのビルの中は、そのほとんどの店がネット屋になっていて、店によって多少値段が違う。適当に店に入って使ってみると、まずOSがWindowsでないのに驚く。何を使っているのかと思って確認したらLinuxだった。これにはけっこう感心したが、肝心の日本語の読み書きができなかったため、最初に入った店は30分で出る。店を変えて試してみると2件目の店は日本語の読み書きができた。利用料は1時間35シリング(約55円)。なかなか安い。2件目の店で1時間ほどネットをして、宿に戻る。
宿に戻る前にふと思い出し、あたりをふらつき近くの食堂でチャパティを4枚買ってかえる。チャパティ1枚35シリング(約55円)はけっこう高い。やっぱり街中価格ということだろうか?
チャパティを買って帰ったのは昨日買った蜂蜜を食べるため。さすがに蜂蜜だけをなめるのはきついのでチャパティにつけて食べることにした。蜂蜜を食べるのはかなり久しぶりだが、なかなかいい味をしている。同宿の人らにも味見をしてもらったが、評判よし。
夜は再び情報ノートを読んだり、本を読んだり、日本人旅行者とおしゃべりしたりして過ごす。
FIN
[diary]カンパラからナイロビへ移動
カンパラからナイロビへ移動
08/09/27(土) 晴れ
[Kampala:Uganda→Nailobi:Kenya]
・明朝カンパラ発
・手羽先屋
・道端の蜂蜜屋さん
・赤道を越えて
・出発危機一髪
・20時ごろナイロビ着
・おそるおそるナイロビの夜のまちへ
起きたのは4時過ぎ。携帯電話を目覚まし代わりにしていたのだが、携帯電話よりも早く目覚める。すでに荷造りはしてあったので、こそこそと部屋を出る。こういうときは相部屋だとほかの人に気を使わないといけないので、ちと面倒。
部屋には鍵も何もないから出て行くだけ。階段を下りて裏口のドアから出る。
バス会社の事務所はすぐそこ。あるいて30秒ほど。すでに客が20人くらい集まっていて、バスも通りに止まっていた。10分ほどしたところで乗車開始。荷物は荷台に預け、チケットのチェックを受けてから乗り込む。
バスはほぼ時間通りに5時過ぎに発車。真っ暗なカンパラのまちを走る。
5時30分を過ぎたころ、だんだんと外が明るくなり始める。それから10分もすると日の出が始まる。徐々にまわりの景色が白日の下にさらされ、色を持って立ち現れる。
沿道には家や商店が見え、その向こう側には林が続いている。家の中にはコンクリート作りもあれば板を張り合わせたような家もある。その向こうにはなだらかな丘や山が見える。でも、一面が緑というわけではなく、サバンナほどではないけれど、どちらかといえば薄い。作物の植わった広い畑もあり。たまにミニ市場のようなところがあり、そこでは山盛りにされたバナナやキャッサバ、トマト、パイナップルなどが売られている。
外の景色はころころ変わるが、基本的に緑が切れることはない。
6時半ごろ、沿道にあったミニ市場の前でバスは停まる。朝飯休憩のよう。乗客はそれぞれ降りて野菜や果物、飲み物を売っている店へと行く。バスの周りには乗客を当てにして、バナナや焼きバナナ、鶏の串焼きなどを売りに来た人たちが集まる。まだ先が長いから何も買わずにバスの中で出発を待とうと思っていたのも最初だけで、焼きバナナや鶏モモの串焼きの誘惑に克てず、バスを降りてそれらを買い求める。鶏モモは1本2000ウガンダシリング(約140円)、焼きバナナは3本で500ウガンダシリング(約35円)。バナナは安いなぁ。というわけで、それらを頬張りながらバスの出発を待つ。
意外と休憩時間は長く30分近くここにいた。車内にはさまざまな食べ物の匂いが立ち込める。
バスは順調に走り、途中、街中でもないところで中国式建築で造られた中華料理屋を沿道に見る。なんでこんなところに?
畑や田んぼ(?)、湖や林などに挟まれた道をバスは快調に走る。あるところでは若い男たちがサッカーの試合をやっていた。また日干し煉瓦で造られた草葺の家なども見る。
カンパラを5時過ぎに出てから約4時間後の9時すぎ、バスは国境に到着。なぜか国境のいったいは未舗装。貨物列車が積んでいるようなコンテナを積んだトラックが数珠つながりに並んでいて、その脇を人々が通っている。トラックに車、自転車、通過人と物売りの人、牛などがいて国境はなかなかにぎやか。
乗客はいったんバスを降りて、自分の荷物を持って出国手続きに向かう。窓口に多少行列ができたが、すんなりと通る。
100mほど歩いてケニア側のイミグレへ移動。そこで入国カードとビザの申請書を記入して提出。ケニアもビザ代は50米ドルで米ドル払い。けっこう高い。タンザニア以降、ビザ代50米ドル以上が続いている。
荷物のチェックはなく、質問もほとんどなく、すんなり判子をもらってケニア入国。で、自分のバスを探すがあたりにない。きょろきょろしていたら、通りすがりの人があっちのほうじゃないかと教えてくれる。一度、そちらに行ってみるがバスは見えない。他にも似たようなバスが何台も止まっていることもあり、どれが自分が乗ってきたバスがすぐに見つけることができない。あっち行ったりこっち行ったりして、ようやく発見。幸いなことにまだ乗客は集まっていなかった。
すべての乗客が集まるまでしばらく待つ。待っている間、残ったタンザニアシリングをケニアシリングに両替。ダンボールの箱に500mlのペットボトル飲料を入れて売り歩いている男の子がいたが、ケニアのお金は少ないので我慢。
同じバスにはもう一人日本人が乗っていた。20代半ばくらいの男子。ぼくはカンパラでバスに乗り込んだときから気づいていたが、相手はまったく気づいていなかったようで、ここで初めてしゃべる。彼もナイロビに行くらしい。しかもナイロビには一度行っていて、これから戻るところらしい。ナイロビの宿の在り処も知っているというので、じゃあナイロビで一緒に動きましょうということになる。正直なところナイロビの治安がどの程度が図りかねていたので、道連れができて少し安心する。どこでもそうだが暗くなってからの到着では宿探しが面倒。その点、知っている人となら少しは安心できる。
結局、国境を通過するのに1時間ほどかかる。バスは再出発。
ケニアに入ったからといって特に景色は変わらない。風に揺れる緑の畑、ツチ壁に草葺の円形の住宅、サッカーに興じる男たち、収穫した米(小麦?)を天日で乾かす人たち。車は休まずに走り続ける。
何時ごろだったか、沿道に看板を見る。ここが赤道直下、つまり緯度0度だと書いている。エクアドルのようにどでかいモニュメントを造ったりしている様子はない。これで赤道を越えるのは何回目なんだろうとふと思う。一度はエクアドルで超え、それからアルゼンチンからスペインへ行った飛行機で南から北へと行き、西アフリカを南下する過程でもう1度越え、そして今回。こうして数えると4回目ということになる。これ以降は南下する予定はないから赤道をまたぐのはこれが最後となりそう。
ここらに来て、沿道には蜂蜜屋さんが目立つようになる。パラソルを道路わきに立てて、ビン入りの蜂蜜を台に並べて売っている。ジンバブエでもムタレからハラレに行くときに同じようにして蜂蜜を売っている人たちがいたが、バスも止まったりしなかったからそのときは買えなかった。しかし、今回は運転手の友達なのか蜂蜜売りのおばちゃんがバスに乗り込んできて、車内販売を始めた。当然バスは移動し続けているからおばちゃんは帰りはどうするんだろうと不思議に思うのだが、まぁいい。蜂蜜が入っている瓶はウィスキーが入っていたと思われる瓶やジャムなどでよく使われる円筒形の瓶などいろいろ。どれもリユースのようだ。ぼくは運転席のすぐ後ろに座っていたのだが、一度は見送ったものの、やはりアフリカの蜂蜜を試したいという気持ちに克てず、車内を回り終えて前に戻ってきたおばちゃんに蜂蜜を見せてもらう。色具合は日本で見るものと違わない。どのサイズがいいかとしばらく迷い、最終的にはウィスキーの小瓶サイズのものを購入。お値段は100ケニアシリング(約150円)。宿に着いたらレモンを買ってきて蜂蜜レモンジュースでも作ろうかな、とか、ナンとかパンとかを買ってきてぜいたくに蜂蜜をかけて食べてみるかな、などと考えはじめる。楽しみが増える。
しばらくは都市部のようなところはまったく通らなかった。
16時を過ぎたころ、ちょっとした町に入り、そこのある小さな食堂前でバスは停車。昼食休憩はなかったので久しぶりの休憩となる。乗客の中には食堂で食事をはじめる。一緒に乗っていた日本人男子も「どれくらいここで止まっているのかなぁ」などと不安げにしながら食堂に入って食事を始める。ぼくは噂でここいらのバスの運転手は気まぐれで、休憩といっても自分の都合でバスをすぐ走らせたりすると聞いていたので、置いていかれるかもという疑念から外には出てもバスが見える範囲でうろうろする。
そして案の定、そのとおりとなり、バスのクラクションがなったのを聞きつけて慌てて口をもぐもぐさせながら日本人男子は食堂から出てくる。「まったくあいつら・・・」などと彼は文句を言いながらバスに乗り込んでくる。
明るいうちにナイロビに着いたらな、と淡い期待を持っていたのだが、やがて日が暮れ、19時をまわる。19時を過ぎたころから道路が込み合いだす。大きな湖がある町にバスは入って行き、そこの町のターミナルで停車。客を何人か降ろす。
再び走り始め30分ほどたったころ、いよいよ建物が立て込んできて、ビル街が遠くに見えるようになる。やっとナイロビに入った模様。
ビルが並び立ち、よく整備された通りを走る。街中に入ってからは地図を取り出し、地図と辺りの様子を見比べながら現在地確認に励む。宿の名前を頭でリフレインしながら“どこだ、どこだ?”と探していたら、やや狭い込み入った通りに入ってバスは停車。ここが終点だった。
バスを降り、荷物を受け取って、同じバスに乗ってきた日本人旅行者と一緒に宿に向かう。幸いすぐに見つかった。バスを降りたところから100mも離れていないようなところ。階段を上って宿に入る。中には数組の日本人旅行者がいた。
カップルで旅行しているらしい日本人カップルの女のほうは、ぼくを見るなり「なんや乞食みたいな格好してるな。よう似合っとるわ」とのたまう。旅行をしているとほんのたまにだが、こういう異常になれなれしいというか無礼な奴に出くわすことがある。日本人同士だからという気安さからなのか、それとも誰にでもこうした態度をとっているのかどうか知らんが、まったくもってなっていない。というわけで、そういう人は無視するに限るので無視。やれやれしょうもない日本人だ。
相部屋が空いていたのでそこにベッドをとり、荷物を置いて2人で飯を食いに行く。宿の周辺は商店が集まっていて、飲み屋もあったが、食堂は20時をまわっているからかどこも閉店しかけるところだった。そんなわけで選択肢は少なく、しかも入った食堂はメニューはもう2種類ほどしか残っておらず、結局ビーフシチュー&ウガリを食べる。量は少なめ。お値段120ケニアシリング(約200円)。ちょっと高い。
宿に戻ってから宿にある情報ノートを借り出し、情報収集。さっきのカップルはもう宿を出たようだったが、他に4人ほどこの宿には日本人が泊まっているよう。ほとんどが20代半ばから後半で、1人は60代くらいのおじさん。ロビーの共用スペースにあるソファに座って情報ノートを見ながら、他の日本人旅行者などとしゃべったりして夜を過ごす。
ナイロビはカンパラよりも涼しいのだが、なぜか部屋には蚊がおり、羽音がうっとおしかった。なので肌を出さないようにシーツをかぶって就寝。
FIN
08/09/27(土) 晴れ
[Kampala:Uganda→Nailobi:Kenya]
・明朝カンパラ発
・手羽先屋
・道端の蜂蜜屋さん
・赤道を越えて
・出発危機一髪
・20時ごろナイロビ着
・おそるおそるナイロビの夜のまちへ
起きたのは4時過ぎ。携帯電話を目覚まし代わりにしていたのだが、携帯電話よりも早く目覚める。すでに荷造りはしてあったので、こそこそと部屋を出る。こういうときは相部屋だとほかの人に気を使わないといけないので、ちと面倒。
部屋には鍵も何もないから出て行くだけ。階段を下りて裏口のドアから出る。
バス会社の事務所はすぐそこ。あるいて30秒ほど。すでに客が20人くらい集まっていて、バスも通りに止まっていた。10分ほどしたところで乗車開始。荷物は荷台に預け、チケットのチェックを受けてから乗り込む。
バスはほぼ時間通りに5時過ぎに発車。真っ暗なカンパラのまちを走る。
5時30分を過ぎたころ、だんだんと外が明るくなり始める。それから10分もすると日の出が始まる。徐々にまわりの景色が白日の下にさらされ、色を持って立ち現れる。
沿道には家や商店が見え、その向こう側には林が続いている。家の中にはコンクリート作りもあれば板を張り合わせたような家もある。その向こうにはなだらかな丘や山が見える。でも、一面が緑というわけではなく、サバンナほどではないけれど、どちらかといえば薄い。作物の植わった広い畑もあり。たまにミニ市場のようなところがあり、そこでは山盛りにされたバナナやキャッサバ、トマト、パイナップルなどが売られている。
外の景色はころころ変わるが、基本的に緑が切れることはない。
6時半ごろ、沿道にあったミニ市場の前でバスは停まる。朝飯休憩のよう。乗客はそれぞれ降りて野菜や果物、飲み物を売っている店へと行く。バスの周りには乗客を当てにして、バナナや焼きバナナ、鶏の串焼きなどを売りに来た人たちが集まる。まだ先が長いから何も買わずにバスの中で出発を待とうと思っていたのも最初だけで、焼きバナナや鶏モモの串焼きの誘惑に克てず、バスを降りてそれらを買い求める。鶏モモは1本2000ウガンダシリング(約140円)、焼きバナナは3本で500ウガンダシリング(約35円)。バナナは安いなぁ。というわけで、それらを頬張りながらバスの出発を待つ。
| 送信者 kenya |
意外と休憩時間は長く30分近くここにいた。車内にはさまざまな食べ物の匂いが立ち込める。
バスは順調に走り、途中、街中でもないところで中国式建築で造られた中華料理屋を沿道に見る。なんでこんなところに?
畑や田んぼ(?)、湖や林などに挟まれた道をバスは快調に走る。あるところでは若い男たちがサッカーの試合をやっていた。また日干し煉瓦で造られた草葺の家なども見る。
カンパラを5時過ぎに出てから約4時間後の9時すぎ、バスは国境に到着。なぜか国境のいったいは未舗装。貨物列車が積んでいるようなコンテナを積んだトラックが数珠つながりに並んでいて、その脇を人々が通っている。トラックに車、自転車、通過人と物売りの人、牛などがいて国境はなかなかにぎやか。
乗客はいったんバスを降りて、自分の荷物を持って出国手続きに向かう。窓口に多少行列ができたが、すんなりと通る。
100mほど歩いてケニア側のイミグレへ移動。そこで入国カードとビザの申請書を記入して提出。ケニアもビザ代は50米ドルで米ドル払い。けっこう高い。タンザニア以降、ビザ代50米ドル以上が続いている。
| 送信者 kenya |
荷物のチェックはなく、質問もほとんどなく、すんなり判子をもらってケニア入国。で、自分のバスを探すがあたりにない。きょろきょろしていたら、通りすがりの人があっちのほうじゃないかと教えてくれる。一度、そちらに行ってみるがバスは見えない。他にも似たようなバスが何台も止まっていることもあり、どれが自分が乗ってきたバスがすぐに見つけることができない。あっち行ったりこっち行ったりして、ようやく発見。幸いなことにまだ乗客は集まっていなかった。
すべての乗客が集まるまでしばらく待つ。待っている間、残ったタンザニアシリングをケニアシリングに両替。ダンボールの箱に500mlのペットボトル飲料を入れて売り歩いている男の子がいたが、ケニアのお金は少ないので我慢。
同じバスにはもう一人日本人が乗っていた。20代半ばくらいの男子。ぼくはカンパラでバスに乗り込んだときから気づいていたが、相手はまったく気づいていなかったようで、ここで初めてしゃべる。彼もナイロビに行くらしい。しかもナイロビには一度行っていて、これから戻るところらしい。ナイロビの宿の在り処も知っているというので、じゃあナイロビで一緒に動きましょうということになる。正直なところナイロビの治安がどの程度が図りかねていたので、道連れができて少し安心する。どこでもそうだが暗くなってからの到着では宿探しが面倒。その点、知っている人となら少しは安心できる。
結局、国境を通過するのに1時間ほどかかる。バスは再出発。
ケニアに入ったからといって特に景色は変わらない。風に揺れる緑の畑、ツチ壁に草葺の円形の住宅、サッカーに興じる男たち、収穫した米(小麦?)を天日で乾かす人たち。車は休まずに走り続ける。
| 送信者 kenya |
| 送信者 kenya |
何時ごろだったか、沿道に看板を見る。ここが赤道直下、つまり緯度0度だと書いている。エクアドルのようにどでかいモニュメントを造ったりしている様子はない。これで赤道を越えるのは何回目なんだろうとふと思う。一度はエクアドルで超え、それからアルゼンチンからスペインへ行った飛行機で南から北へと行き、西アフリカを南下する過程でもう1度越え、そして今回。こうして数えると4回目ということになる。これ以降は南下する予定はないから赤道をまたぐのはこれが最後となりそう。
ここらに来て、沿道には蜂蜜屋さんが目立つようになる。パラソルを道路わきに立てて、ビン入りの蜂蜜を台に並べて売っている。ジンバブエでもムタレからハラレに行くときに同じようにして蜂蜜を売っている人たちがいたが、バスも止まったりしなかったからそのときは買えなかった。しかし、今回は運転手の友達なのか蜂蜜売りのおばちゃんがバスに乗り込んできて、車内販売を始めた。当然バスは移動し続けているからおばちゃんは帰りはどうするんだろうと不思議に思うのだが、まぁいい。蜂蜜が入っている瓶はウィスキーが入っていたと思われる瓶やジャムなどでよく使われる円筒形の瓶などいろいろ。どれもリユースのようだ。ぼくは運転席のすぐ後ろに座っていたのだが、一度は見送ったものの、やはりアフリカの蜂蜜を試したいという気持ちに克てず、車内を回り終えて前に戻ってきたおばちゃんに蜂蜜を見せてもらう。色具合は日本で見るものと違わない。どのサイズがいいかとしばらく迷い、最終的にはウィスキーの小瓶サイズのものを購入。お値段は100ケニアシリング(約150円)。宿に着いたらレモンを買ってきて蜂蜜レモンジュースでも作ろうかな、とか、ナンとかパンとかを買ってきてぜいたくに蜂蜜をかけて食べてみるかな、などと考えはじめる。楽しみが増える。
しばらくは都市部のようなところはまったく通らなかった。
16時を過ぎたころ、ちょっとした町に入り、そこのある小さな食堂前でバスは停車。昼食休憩はなかったので久しぶりの休憩となる。乗客の中には食堂で食事をはじめる。一緒に乗っていた日本人男子も「どれくらいここで止まっているのかなぁ」などと不安げにしながら食堂に入って食事を始める。ぼくは噂でここいらのバスの運転手は気まぐれで、休憩といっても自分の都合でバスをすぐ走らせたりすると聞いていたので、置いていかれるかもという疑念から外には出てもバスが見える範囲でうろうろする。
そして案の定、そのとおりとなり、バスのクラクションがなったのを聞きつけて慌てて口をもぐもぐさせながら日本人男子は食堂から出てくる。「まったくあいつら・・・」などと彼は文句を言いながらバスに乗り込んでくる。
明るいうちにナイロビに着いたらな、と淡い期待を持っていたのだが、やがて日が暮れ、19時をまわる。19時を過ぎたころから道路が込み合いだす。大きな湖がある町にバスは入って行き、そこの町のターミナルで停車。客を何人か降ろす。
再び走り始め30分ほどたったころ、いよいよ建物が立て込んできて、ビル街が遠くに見えるようになる。やっとナイロビに入った模様。
ビルが並び立ち、よく整備された通りを走る。街中に入ってからは地図を取り出し、地図と辺りの様子を見比べながら現在地確認に励む。宿の名前を頭でリフレインしながら“どこだ、どこだ?”と探していたら、やや狭い込み入った通りに入ってバスは停車。ここが終点だった。
バスを降り、荷物を受け取って、同じバスに乗ってきた日本人旅行者と一緒に宿に向かう。幸いすぐに見つかった。バスを降りたところから100mも離れていないようなところ。階段を上って宿に入る。中には数組の日本人旅行者がいた。
カップルで旅行しているらしい日本人カップルの女のほうは、ぼくを見るなり「なんや乞食みたいな格好してるな。よう似合っとるわ」とのたまう。旅行をしているとほんのたまにだが、こういう異常になれなれしいというか無礼な奴に出くわすことがある。日本人同士だからという気安さからなのか、それとも誰にでもこうした態度をとっているのかどうか知らんが、まったくもってなっていない。というわけで、そういう人は無視するに限るので無視。やれやれしょうもない日本人だ。
相部屋が空いていたのでそこにベッドをとり、荷物を置いて2人で飯を食いに行く。宿の周辺は商店が集まっていて、飲み屋もあったが、食堂は20時をまわっているからかどこも閉店しかけるところだった。そんなわけで選択肢は少なく、しかも入った食堂はメニューはもう2種類ほどしか残っておらず、結局ビーフシチュー&ウガリを食べる。量は少なめ。お値段120ケニアシリング(約200円)。ちょっと高い。
宿に戻ってから宿にある情報ノートを借り出し、情報収集。さっきのカップルはもう宿を出たようだったが、他に4人ほどこの宿には日本人が泊まっているよう。ほとんどが20代半ばから後半で、1人は60代くらいのおじさん。ロビーの共用スペースにあるソファに座って情報ノートを見ながら、他の日本人旅行者などとしゃべったりして夜を過ごす。
ナイロビはカンパラよりも涼しいのだが、なぜか部屋には蚊がおり、羽音がうっとおしかった。なので肌を出さないようにシーツをかぶって就寝。
FIN
2008年9月28日日曜日
[速報]ナイロビ(ケニア)いり
朔日の夜に無事ナイロビにつきました。
治安の悪い街というして有名なこの街ですが、数日前には中心部近くで強盗団と警察の銃撃戦があり、昨日の午前中には宿の隣の服屋に銃を持った男が押し入り、またも警察とドンパチあったりとほんとうに治安が悪いようです。
今日は日曜日ということで午前中からマーケット巡りをしていたのですが、歩いた感じではあまり治安が悪いとは思えませんでしたが、運が悪いと痛い目に合いそうです。
ここではエチオピアのビザをとれればさっさとエチオピアに移動予定です。
ではでは。
2008.9.28 Sunday 15:40
Nailobi,Kenya
治安の悪い街というして有名なこの街ですが、数日前には中心部近くで強盗団と警察の銃撃戦があり、昨日の午前中には宿の隣の服屋に銃を持った男が押し入り、またも警察とドンパチあったりとほんとうに治安が悪いようです。
今日は日曜日ということで午前中からマーケット巡りをしていたのですが、歩いた感じではあまり治安が悪いとは思えませんでしたが、運が悪いと痛い目に合いそうです。
ここではエチオピアのビザをとれればさっさとエチオピアに移動予定です。
ではでは。
2008.9.28 Sunday 15:40
Nailobi,Kenya
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