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2010年11月2日火曜日

[diary]死海に行く

[diary]死海に行く

2008/11/12(水)晴れ
[Amman:Jordan] 晴れ 
※レート:1USD=0.7JD、1EUR=0.9JD

・死海ツアー

6時過ぎに起床。書き物。

11時過ぎに宿を出る。今日もATMを試してみるが使えず。しょうがないのでまたドルを両替。

鳩肉を食いに同宿の人に教えてもらったレストランに行こうとするが、見つけられず。結局、宿近くの小さな食堂でひよこ豆ペーストを食べる。ここのは一昨日食べたところのと違って(あるいはレシピが若干違うのかも)、ビネガーがきいていない。ペーストをパンに付けて食べるだけなので、やはりあまり飯を食った気にならず。近くにあったパン屋で卵やひき肉がのったパンを買って帰る。
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宿に戻ってしばらくネットでキプロス情報探し。船で行く情報少なし。

13時半前に待ち合わせのホテルへ移動。他の3人と落ち合い1台のタクシーに乗り込み、死海に向かって移動。

車中ではそれぞれの人の今回の旅についてちょろちょろっと話を聞く。ひとりは学生さん(女)でシリアからエジプトまでトータル2ヶ月の旅行、一人は20代半ば女性で、以前タイで友達になったイスラエル人を尋ねて、イスラエルに3ヶ月滞在し、これからエジプトまでだったかに行くよう。もうひとりはいわゆるリーマンパッカーで30代後半男性。仕事の休みが5日取れたので、それでヨルダンを旅行中とのこと。

イスラエルに3ヶ月いたという人に、そのイスラエル人はいわゆるパレスチナ問題(イスラエル問題)をどう思っているのか聞いてみたが、なかなか聞くのは難しかったよう。彼女がパレスチナ人のオリーブの収穫を手伝いに行ってきたと言ったときには、なんでパレスチナ人なんかのためにタダで働いたりするんだ?、というようなことを言われたらしい。

車はアンマンからひたすら下り坂を走る。沿道からは木の1本もない岩山(土山?)やオリーブ畑、ときおりビニールハウスなども見える。

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アンマンを出てから約1時間ほど走った頃、海抜ゼロメーターを示す看板の前をとおりすぎ、正面奥に死海が見えてくる。思っていたよりもずっとでかい。うんてんしゅのおじさんは、死海の向こうに見える陸地がイスラエルだと教えてくれる。

やがて右手にリゾートホテルが見え、その前をもちろん素通りして大型の観光バスが5~6台泊まっている駐車場まで行き、タクシーは止まる。そこは日帰りビーチ用の駐車場。外国人観光客用らしく受付もちゃんとした建物で、塩水ではなく真水の立派なプールも併設している。プールやビーチを眺めてみると、そこで遊んでいるのはヨーロッパ系の年輩者たちがほとんど。100人はいる。

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受付で入場料を聞くとなんと12ディナール(約2000円)。事前に聞いていた話では7ディナール(約1200円)だったのだが・・・。さすがに2000円も払って死海に入る気はなく、ぼくはそのビーチに入るのはやめる。3人といったん分かれる。

駐車場をぶらぶら歩いていたら、ビーチに続いているらしい舗装道路があったのですたすたと歩いていって見ると、さっき入るのをやめたビーチの中に出る。金網のフェンスを挟んで左隣にもビーチがあり、そこで遊んでいる人たちもいる。ムスリムの格好をしている人が多いから、こちらは地元の人がよく使うビーチのよう。家族連れや学校の遠足か何かなのか、10代半ばくらいの女の子たちの集団で賑わっている。もちろん水着になって遊んでいるのは男のみで女は普段着のまま水の中に入っていたりする。観光客用のようにプールはないが、出の悪そうなシャワーはある。

さすがに観光客用の方にタダで入るには目立つだろうと思い、金網を越えてそちらのおんぼろなビーチに入る。人目につかないところで入るかなと思いながら、水際を歩いていたら、HEY!と男が声をかけてきて、どこから入ってきたのか、チケットを持っているのかとたどたどしい英語で聞いてくる。なので、観光客用のビーチ側からとは言わず、その逆どなりのなんの整備もされていない浜から入ったことにすると、チケットを来た道を戻り、チケットを買ってから来いというようなことを言う。

フェンスの向こうの何も整備されていない浜の方に行く。こっちには水に入って遊んでいる人はいない。水際には大小の白い塩の固まりがゴロゴロしている。せっかくここまで来たのでちと入ってみる。足下は砂ではなく固形の塩。一枚の平たい岩の上を歩くような感じ。海というよりも川に入る感覚に近い。
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適当な深さのところで足を地から離し浮いてみると、確かに浮く。それも簡単に。空を向いて背筋を伸ばして仰向けになれば、海面に寝ているような感じになる。う~ん、なかなかすごいなんて思って浮いていると波に押され、すぐに岸近くまで流される。立ち上がろうと底に手を突いた瞬間、手に刺すような痛みが走り、起きあがろうと体勢を変えたとき、すねを海底で擦ってしまう。傷口に塩を塗るという言葉のとおり、すぐに擦った臑(すね)はひりひりと痛み出す。右手の手のひらを見ると、やはりかるく切っており血が出ている。

結局、待ち合わせの時間もあり、すぐにあがる。入っていたのは1分ほどだったか。塩の湖と言えばウユニが思い出されるのだが、ここもいつかはあのように水は干上がり塩だけになってしまうのだろうか。

シャワーはないので、タオルで体を拭っただけで服を着る。かなり体が塩っぽい。べたべたしている。水分をふき取っても擦った臑は相変わらずひりひりしている。

15時半、観光客用のビーチの駐車場で他の3人と落ち合う。なかなかよかったよう。1時間弱しかいなかったから時間が足りなかったのではと聞くと、肌がひりひりして長く入っていられなかったので、これくらいの時間でもまぁまぁ十分とのこと。

というわけであっと言う間に死海ツアーは終わり。宿に向けて戻る。徐々に日が落ち始め、16時半頃夕日、17時すぎると日が暮れる。

一人の人はこれからペトラに向かうというので、ペトラ行きのバスターミナルで下車。他は宿まで。帰宅ラッシュ時間なのか、アンマン市内に入ると渋滞でなかなか車が動かなくなる。

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宿に戻ると日本人客が増えていた。今晩は10人近くの日本人がこの宿に泊まるよう。

シャワーを浴びる。Tシャツのまま死海に入ったのでTシャツを洗おうとするのだが、石鹸がまったく泡立たない。どうも最初に塩抜きをしないといけないよう。しかし、ここの水道は水がザバーっとは出ないから、水洗いするにも時間がかかる。そのため適当なところで終了。シャツを絞ってみるが、まだまだ塩水が出てくる。

新しく同じ部屋になった人に誘われて夕食に行く。その人もリーマンパッカーで、ヨルダンだけ1週間の旅らしい。

歩き方にも載っているカイロレストランというレストランに行く。20種類ほどの料理がショーケースに入っており、そこから選ぶ。1品1人ぶんがどれもだいたい2ディナール(約350円)程度。高い。

小さな巻物のようにぶどうの葉でご飯を包んだものと、鶏と雑穀(麦っぽかったけど違うような気もする)のパエリア的なものと、揚げた魚を食べる。魚は体長30cmほどあり、全体的に丸っこい。食べられる白身部分が多く、これはなかなかよろし。鶏肉は1羽がまっぷたつにされた状態でその穀物の上に乗っている。味は塩だけなので、まぁ、なじみのある味。もう一つのぶどうの葉でご飯を包んだものは、すっぱかった。梅干しに使った紫蘇でご飯を食べているのとほぼ同じ。

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この店は繁盛しており、特に中年男性がよくやってくる。

例のごとく19時頃にはほとんどの店が閉まる。シャッター街を歩いて帰っているとポツポツ雨が落ちてくる。

夜は部屋で同室の人とおしゃべり。国旗と国歌、大きくは国家の話も出る。どこかであった日本人旅行者も言っていたが、外国を旅行していると”日本人って国旗とかをあまり大事にしていないように思う”と感じるらしい。例えばヨルダンで言えばあちこちに国旗が立てられていて(こんなに立てられているのは珍しいとぼくは思う)、それが”ここの人たちが自分の国に誇りを持っている”と感じさせる一因になっている模様。

以前、ネットで世界一周旅行をした人のブログだか何かを見たときに、外国旅行をした人は旅行前よりもどちらかと言えば愛国的になっているように思うというようなことを書いていた。細かく記憶していないが、そのときの外国旅行とはいわゆるバックパッカー的な旅行のことを指していたように思う。

今回の旅行中には意識してそうしたことを日本人旅行者に聞いたり、

[diary]アンマンをぶらぶら、入店拒否

[diary]アンマンをぶらぶら、入店拒否

2008/11/11(火)
[Amman:Jordan] 晴れ 朝15~20度、日中25度程度
※レート:1USD=0.7JD、1EUR=0.9JD

・『パレスチナ』
・フセインメディカルセンター、シティセンター
・メッカモールで入店拒否
・難民キャンプに行くはずが・・・
・絵はがきをただでもらう
・パレスチナ情報集め
・予定変更
・ジーンズの修理をしてもらう

6時過ぎ物音で目覚める。同室のオーストラリア人が出発準備をしている。同じ部屋にはいつの間にかもう一人若いヨーロッパ系の男が寝ていた。

ぼくも起き出して1つ階下のソファーがあるロビーに行く。ソファに座り、また情報ノートをめくる。そこへ同室のオーストラリア人も降りてきて、隣に座る。

サーメルがさっそく「ネスカフェ?」と言って、コーヒーを入れてくれる。もはやコーヒーとは呼べないくらい甘いのだが、まぁいい。

オーストラリア人の彼が情報ノートに興味を示したので、英語で書かれている部分を見せる。すると「Interesting!」と言って熟読していた。その15分後くらいに彼はペトラに向けて旅立つ。お別れの握手。結局、名前も聞かなかった。

昨晩から読みはじめた『パレスチナ』(文春新書)を読む。イスラエル側、パレスチナ側の双方のことが書かれていて興味深い。特に興味深かったのが、イスラエル側にもいろんな立場の人がいることを説明している箇所で、超正統派のユダヤ教徒はユダヤ人入植地の拡大や国(イスラエル)の暴力的なやり方などには賛成しておらず、逆にそうしたことをやる人たちを不信心な人たちだと思っているというふうに書かれていたこと。つまりかなり矮小化して言えば、聖書の教えをきちんと守りもしないで、自分たちの都合の良いように解釈していてけしかんと思っているらしい。もしユダヤ教原理主義者を旧約聖書に書かれていることをきちんと守り、実践する人という意味に捉えるなら、超正統派の人たちはまさしく原理主義者と言えるのでは。それと比べると、シャロンをはじめとしたユダヤ人だけによる国家にこだわり、パレスチナに先に住んでいた人々を追い出そうとする人たちは、まさしくご都合主義と言えるのでは? (原理主義という言葉の由来、使われ方の経過についてはよく知らないため、後にチェックする必要はある)

それにしても、と思う。そもそもイスラエルの問題はイギリスが種をまいたものだが、同じようにアフリカでも中南米でも当時のヨーロッパ各国が巻いた種が、未だに紛争や不平等などの問題の根っこにあるというのはなんともすごいことだ。その時々の判断が、それを判断した人たちの何倍、何百倍、何万倍もの人々の人生に影響している。それも悪影響を。もちろん種を蒔いたのはヨーロッパ各国であっても、それを育て、花咲かせたのは現地の人だったりするし、また、悪影響だけでなく、その逆もまたあるのだろうが。

今日はショッピングセンターに行ってそこのATMでカネをおろし、それから元難民キャンプだったというところに行こうかと思い、その行き方を宿のスタッフに聞く。

11時頃宿を出て、カネがほとんどなかったのでまたユーロを両替し、それからバスに乗ってショッピングセンターに向かう。ダウンタウンを出て30分ほどしたころ、右手にMecca Mallというのが見え、そのさらに背後にカルフールとCity Centerの文字が入った大きなモールが見える。

目指していた店とは名前が違っていたので、そのままバスに乗り続けるが、通り過ぎてすぐのところが終点だった。終点はキングフセインメディカルセンター(だったかな?)という医療施設の入り口。この施設がまた立派な建物で日本でもなかなかお目にかかれないくらいの立派さだった。

その入り口近くでチュロスを売っているおじさんが一人いたので、チュロスを1本買う。0.1ディナール(約15円)。水分というか汁気があり、噛んだら蜂蜜のような汁が口の中に広がる。甘い。

歩いてCity Centerのモールに行く。ドバイから来てしまうとそれほど大きなモールとは感じないが、それなりにでかい。真ん中は広い吹き抜けで天井はガラス張り。4階まである。入り口ではセキュリティチェックをやっていて、空港にある金属反応を調べる機械の中を通った後、ボディチェックを受ける。
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中に入ってみると客は少ない。一通り店内を見て回る。服屋、カフェ、フードコート(マクドナルドなど)などありきたりな店ぞろえ。奥がカルフールになっている。本屋も1軒あって英語の本がそれなりにあった。肝心のATMを探すが、見あたらず。

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そこを出て、メッカモールまで歩く。歩いて10分ほど。登り坂を上って入り口にたどり着く。ここでも入り口でセキュリティチェックをしていたので、さっきと同じように機械を通って中に入ろうとすると、セキュリティの男が片言英語でどこに行くのかと聞いてくる。どこに行くのかって、そりゃ中に入るだけじゃんと思いながら、スーパーにと言うと彼は「今日は家族オンリーだ」とのたまう。そこへ1人の男性がすたすたと中へ入っていったので、彼は?と訪ねると、ここの店の人だというようなことを言うが、明らかに嘘っぽい。
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別の入り口から入ろうとそこを離れ、別の入り口に行く。こちらの方が正面入り口でここにもセキュリティがいた。さっきと同じように機械を通って中に入ろうとすると、今度はセキュリティの男が体で中に入るのを制して来る。またどこに行くのだと片言英語で聞いてくるから、スーパーだと言うとやっぱり家族オンリーだなどととヌケヌケと言う。その脇で例のごとく男一人組や二人組がセキュリティを通って入っていく。もうちょっとましな嘘を考えろよな。

軽い問答をしていると一人で入ってきたおじさんが「Can I help you?」と助け船を出してくれる。それでそのおじさんになんで中に入れないのだと英語で聞くと、おじさんはセキュリティの男二人にアラビア語であれこれ尋ねる。そのやりとりを受けてぼくには、ジーパンが破れているから入れられないと言っている、と説明する。それを聞いてぼくはちょっと笑ってしまう。ショッピングモールに入るのに服装の規定があるとは面白い。まぁ、おそらくは髪型から髭から、つまりは見た目がダメということなのだろうが、そういう理由でショッピングモールに入れないというのは新しい発見だ。今日の収穫。

おじさんはちょっと管理者に話をしてくるから待っててと言って中に入って行ったと思っていたのだが、ぼくの聞き間違いだったのかしばらく待っても戻ってこないので、結局、中には入らず、向かいにあった別のスーパーに行く。そこでおやつと英字雑誌『Middle East』を買う。2.5ディナール(約400円)。表紙には大きく「Islamic Banking」とある。目次を見るとパレスチナやイスラエルの記事が3本、アフガニスタンが1本、イラク関係が3本など。中東で出されているものかと思ったらイギリスだった。

さて、地図を改めて見てみると、最初行きたかったところとは反対の場所に来ていることがわかる。バスの番号は間違えてないから逆方向に乗ったのか?またバスに乗って市街地に戻る。バスは常に座席が埋まっているような状態。UAEやイエメンと比べると女性客が多い。

そこそこ大きな交差点では2人の男が物売りをしていた。自分のところからはよく見えなかったが、箱入りのティッシュのようなものや花(造花?)を手に信号待ちをしている車の間を歩いて回っている。

いつの間にかバスの中で居眠りしていて、気づいたら終点のターミナルだった。大型バスとマイクロバス、それにセルビスと呼ばれる乗用車の乗り合いタクシーが乗り入れているターミナルで商店もあり、にぎわっている。行き先を表示している看板はあるもののアラビア語オンリーのため読めない。

まだ14時頃だったが、当初行こうと思っていたところにこれから行くという気になれず、またダウンタウンに戻る。宿の近くの店で昼飯。ひよこ豆のトマト味ベースのシチューと味付きライス。それぞれ0.6ディナール(約90円)。量は小皿なので多くはない。味はまぁよし。
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いったん宿に戻る。するとイエメンで同じ宿だったカップルが来ていた。同宿の人とロビーで談笑中。同宿の人にはエジプトポンドの両替を頼んでいたので、ちょうどいいタイミングなので両替を頼む。44米ドルぶんもポンドを持っていたのだが、彼女とは4米ドルぶんだけ、残りの40米ドルぶんをカップルがありがたいことに引き受けてくれる。これで懸案が一つ片づく。

それからイスラエル行きの準備としてイスラエルのお金シュケルを入手するため両替屋をまわる。国境にも両替屋はあるらしいが、レートが悪いというのでここで両替することにした次第。

同じ宿の人は近くの両替屋で簡単に両替できたと言っていたのだが、最初に行った2軒では両方とも扱っていないのか、嫌いなのか両替できず。3軒目でようやく両替できる。1ディナールが5シュケル。他の店のレートがわからないので、いいのか悪いのかわからないが、ドル換算で言うと悪くはないという程度か。

その後、絵はがきと切手を買いに行ったのだが、ある土産屋で絵はがきを買おうと1枚選んでレジに持っていったところ、フリーだと言ってタダでくれる。

それから宿近くのアラブ甘味屋に立ち寄る。いつもこれくらいの時間帯になると店の前にちょっとした行列ができていて、そこで買った甘味を店の周りでみんなうまそうに食っている。客はおじさんが中心なのだが、若い男子や女子もたまにいる。みんなが食べているものを注文。薄い生地の間にとろけるチーズが挟まっていって上部には細い麺(ソーメン並)を上げたものがちらちらとトッピングされている。シロップが大量にかかっているのでけっこう甘い。単純に言うととろけるチーズに蜂蜜をかけて食べている感じ。後にこれがコナーファというお菓子であることが判明。小(と言っても一人で食べるには十分な大きさ。7cm×7cmほど)で0.5ディナール(約80円)。

それから宿に戻る。明日イスラエルに行くのでネット状で最近の情勢やこれまでの経過などを調べる。パレスチナ関連の情報はかなりある。パレスチナナビというサイトと土井敏邦という人のサイトを中心にざざっと目を通す。

そんなことをしているところへ宿へ2人連れの若い女性がやってくる。そして、明日死海に行かないかと誘ってくる。4人のツアーがあるらしく、現在参加者2人で、あと2人必要らしい。ここには現在4人ほど日本人が泊まっているが、他の人は行く予定なし。なので、死海には行こうか行くまいか迷っていたこともあり、もし一人足りないという状況になったら行ってもいいという都合のよい条件を彼女たちに伝える。

すると彼女たちはまた別の日本人が泊まっていそうな宿に探しにいった。

ネットで2時間ほど使ってしまう。そのうちにさっききた日本人の2人がやってきてもう1人見つかったからと言う。これで予定変更。明日のイスラエル行きは延期。

日が暮れてから夕飯でも食べにと外に出るが、驚いたことにまだ19時だというのに多くの店が店じまいしていた。昼間に行ったところもすでに閉店。シュワルマ(ケバブ)などの店はやっているのだが、また食べる気にはならない。

市場辺りも行ったが八百屋は開いていたもののレストランはほとんどが閉店。そうしてふらついているときに市場の近くで仕立屋さんが集まっている路地を発見。通路でミシンを使って縫い物をしている。ちょうどジーパンの破れ口が広がっていたので、1つの店の男の人に修理できるか尋ねる。相手はあまり英語ができないためコミュニケーションはほとんど身振り手振り。修理をやってくれるというので、いったん宿に帰り、ズボンを取り替え持っていく。

やはりミシンは早かった。自分でやれば1時間はかかるであろう縫製を15分程度でやれてしまう。代金は2ディナール(約350円)。ここでズボンを買うと一番安くて15ディナール(約2500円)するというから安くついた。
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あとは宿に戻ってロビーでシリア、レバノン、トルコなどのガイドブックを読む。ここの本棚にはこれらの地域の歩き方が何冊もあるので、それに目を通して今後のルートを考える。

地図を見ていてふとキプロスに行こうかと思う。

ロビーのソファにサーメルも座っていたので、今日の入店拒否の話をすると、彼はズボンが破れているだけでなく”きっと髪が長いからアフガン人に見られたんだと思う”というようなことを言う。アフガン人のイメージは髭に長髪らしい。しかもあまり良く思われていないらしい。自分としてはアフガン人とは顔の系統が違うと思うので、にわかには信じがたいが、まぁ、それが本当だとしたらまた面倒なことだ。

ロビーには同じ宿の日本人が他に2人。そのうちの一人の人はカメラマン。齢50歳程度か。その人と少し話す。基本的に中東ばかりを回っているらしい。この辺りで気に入っているのはシリアとイラクらしい。イラクには2000年と2001年に行ったらしい。その頃も一部で空爆がされていて、旅行も政府の役人付きだったらしい。シリアとイラク双方ともとにかく人がよく、旅の緊張を解いても大丈夫と思えるような場があり、歴史の古さなどが気に入っているよう。

12時近くまでしゃべったりして解散。昨晩同じ部屋に泊まっていた2人はもう出てしまったので、今晩は一人。だが、スタッフの一人がやってきて、夜中に人が来るかもしれないから鍵をかけないようにと言われる。

寝る。

Fin

2010年11月1日月曜日

[diary]アンマンに到着

[diary]アンマンに到着

08/11/10(月)
[Amman:Jordan] 晴れ 朝15~20度、日中25度程度
※レート:1USD=0.7JD、1EUR=0.9JD

・真夜中のヨルダン入り
・さむっ
・オーストラリア人と一緒にダウンタウン入り
・オリーブ畑、ビニールハウス、四角い白いアパート群
・マンスール・コーダホテル
・ATM使えず
・ひよこ豆ペースト
・米プリン
・ローマ劇場
・市場
・サーメルご飯


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2008年11月10日月曜日

[速報]アンマン(ヨルダン)いり

どうも、現在、ヨルダンの首都アンマン、午前9時15分です。
UAEは毎日30度を超える日々でしたが、ここは朝方の気温は10度台とずいぶん寒くなりました。

ここには昨晩の夜中の飛行機でUAEのシャルジャから移動してきました。移動時間は飛行機で3時間半ほど。時差が2時間あって、ここに着いたのはヨルダン時間の夜中の2時くらいでした。なので朝まで空港で寝て、移動してきたしだい。

今、泊まっているホテルはコーダホテルと言い、日本人旅行者が良く使っている宿です。今日は8人ほど日本人旅行者が泊まっているとか。中東以降のガイドブックを持っていないためここで情報を集めようかと来たところ。

コーダと聞いてピンと来た人がいるかもしれませんが、このコーダはイラクで殺害された香田証生さんからとられたものだそうです。ここのスタッフの一人が別のホテルに勤めていたとき(当時、そのホテルを日本人がよく使っていた)、香田さんがそこに来て、イラクへ行きたいとその手配を頼まれ、しぶしぶとその手配をしたところ(そのスタッフはずいぶん引き止めたらしい)、あのようなことが起こってしまい、そのスタッフはそのときの自分の判断をずいぶん後悔したようです。そして、彼の名前を残そうとホテルの名前にしたということです。

関連情報はネットに大量にあるので、関心があれば検索を。

ドバイには結局1週間ちょっといましたが、当初の目的の1つでもあったウズベキスタンのビザが無事取得できました。UAE滞在が長くなったのは、このビザ待ちをしていたからですが、いまやウズベキスタンビザはイスタンブールでも3週間待ちなどがざららしいので、1週間で取れてほっとしているところです。

結局、エジプトは行かず、ここからイスラエル、またヨルダン、そしてシリア、レバノン、トルコと北上します。2日後くらいにはイスラエルに行く予定です。

ではでは。

2008.11.10 9;30
Anman,Jordan