2009年8月2日日曜日

[diary]キベラのスラム街、ウェストランド

キベラのスラム街、ウェストランド

08/10/01(水) 晴れ ラマダンあけの祝日
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング

・キベラのスラム街
・ナイロビショー
・ウェストランド

今朝も蒸し暑さと車のクラクションの音で目が覚める。『歩き方』にはナイロビは年中軽井沢だと書いていたが、たいして涼しくない。

昨日食べた半生米のちらし寿司のせいか腹の調子が悪い。しかし、今日の夕方からエチオピアに移動する予定なので、残っていたアップルマンゴーを朝飯代わりに食べる。カンパラからナイロビに来る途中で買った蜂蜜はカンパラの孤児院で長期でボランティアをしているという日本人女性に引き取ってもらう。

昨日到着した日本人夫婦旅行者の人等としばしおしゃべり。この夫婦はアフリカを1年旅していて西から中央、南に東とほぼすべての国を回ってきたよう。この旅で会った人の中ではこれだけアフリカを回っている人は2人目。

腹の調子が悪いのでしばらく様子見してから11時頃に宿を出る。80万人の人々が暮らすことから世界最大のスラム街と呼ばれているらしいキベラという地区に向かう。

祝日ということで閉まっている店は多いものの、通りを歩く人々は多い。混雑しているマタツ(ミニバス)乗り場をすり抜け、ヒルトンホテル近くのバス乗り場に行く。

バス乗り場周辺にいた人にキベラ行きのバスのナンバーを聞く。32番。

連なっているバスの中から32番を見つけだし、乗り込もうとしたものの、例のごとく満席だと言われ3台も見逃す。座席が埋まっているだけで通路に立てるスペースがたくさんあるのに乗車拒否。これだからナイロビはむかつく。たぶん法律か何かで決まっていて警察の取り締まりが厳しいからこうしているのだろうが、効率は悪いだろうに。

4台目のバスに乗り込む。すぐに満席になる。例のごとくその後は客を乗せることなく、バスは走る。

市街地を出る。バスは苦しそうに坂道を上る。左手には大きなスーパーマーケットなどが見える。中国大使館があるところはChina Centerという地名になっていた。

20分ほどでキベラ地区に入る。進行方向左手にトタン屋根が軒を連ねている一帯に出る。トタン屋根街のメインロードらしい一本の道が見え、その両脇に商店が立ち並んでいる。人通りは多い。メインロードは、3m幅ほどの未舗装の土道。雨が降る日にはどろどろになるから行かない方がいいと言っていたが、確かに土質を見ると雨が降ったらべちゃべちゃになりそうだ。

送信者 kenya


送信者 kenya



左にトタン屋根の波を見ながら数分行くとさっき見えたメインロードの終わりが左に、そして右に別のマーケットが見える。そこでバスを降りる。

まずはマーケットの方を見て回る。メインロードのお店はコンクリートづくりの店舗が多かったが、マーケットの方は細い木材で簡単に組んだ店ばかり。未舗装の一本道の両脇にだいたい3畳程度の大きさの木組の店が隙間なく並んでいて、売っているのは服、布地、靴などが多い。服はギコンバと同じように古着がおおく、知った名前のブランド服もある。けっこうしっかりしたウィンドブレーカーなども売っている。

送信者 kenya


送信者 kenya


100mほど奥に行くと一本道から碁盤状の地帯に出る。ここに来ると服屋の他、トマトやキャベツ、タマネギなどを売る野菜屋や木炭を売る店、チャイなどを飲ませるカフェなどがある。

声をかけられることはあまりなく、雰囲気も落ち着いている。子どもはさすがにぼくを見つけるとしばらく凝視する子が多い。

一軒のカフェに入り、1杯のチャイとチャパティ1枚を注文。チャパティはプラスチック皿に丸められフォークが刺された状態で出てくる。チャイは甘い。店内はコンクリートの床にトタン壁とトタン屋根。調理は炭でしている。

服屋の中には長袖のシャツなどを50ケニアシリング程度で売っているところもあり。

マーケットをぐるっと簡単に一周してから、トタン屋根街のメインロードに戻る。

こちらの方がマーケットよりも人通りが多い。ナイロビの町中と違うのは、ここを歩いている人にイスラムの格好をした人が多いこと。男は白い帽子に白の一張羅のイスラム服を来て、女性は広い布地を頭からかぶっている。その布の柄が色とりどりだからナイロビ市内よりもこちらの方が色彩豊かに感じる。女性の中には目だけしか見せないブルカ(だったっけ?)を着ている人もちらほら。”スラム”という言葉で想像するようなボロボロの服を着た子どもたちなどは、歩いた範囲ではほとんど見ない。みなきれいな格好をしている。

足下の道は未舗装でぼこぼこしている。ごみも多い。雨の日はどろどろになって歩くのが大変らしいが、確かにそんな様子だ。

沿道には店が並び、七輪の上に中華鍋を置き、フライドポテトを作って売っているおばちゃんたちもいる。たまに”マスター”などと言って声をかけてくる人がいるが、少ない。

送信者 kenya


このメインロードから左右に枝状に細い道が延びていて、その道を行くと住宅街に入り込むような作りになっている。メインロードは車が通れるくらいの広さがあるが、それらの道は人がすれ違う程度の幅のものが多い。また、道の入り口となっている部分には、門があったりするため、中に入るにはちょっと気が引けるような作りになっていたりもする。

ここの人々の家が見たかったものの、道を間違えたり、奥に入ると大変な目に遭うこともあると、ここで支援活動をしているという昨日あった日本人が言っていたので自制し、中には入り込まず。

時々すれ違うときに10歳くらいの男の子らが”How are you?"などと控えめに声をかけてくる。もっとじろじろ見られたりするかと思ったが、意外とそういうことはなく、ナイロビの中心部を歩いているのとあまり変わらないような雰囲気だった。

メインロード沿いはごみで汚れているものの、枝分かれしている家々に続く短い道などはきれいに掃かれていたりする。

スラム街と聞いて小さな家ばかりがひしめき合っているようなイメージを持っていたが、ここは店も数多くあり、ひとつの街として成り立っているように見える。

1時間ほどぶらぶらしてから、またバスに乗って中心部に向かう。バス乗り場のヒルトン前に戻り、そこでバスを乗り換える。あるバスの客引きがさかんに”ナイロビショー、ナイロビショー”と言っていたので、それはなんだと聞いたところケニアの農業などの紹介をする展示会みたいなのが行われていると言う。

それが気になったのでナイロビショー行きのバスに乗る。道はさっき乗ったバスが通った道とほぼ同じ。昼を過ぎてポカポカと良い陽気になってたせいか、バスの中で寝てしまう。

気が着いたらバスは止まっていて目的地に着いているようだった。

駐車場には車がいっぱいで会場の入り口には入場チケットを買う人々が列を作っていた。てっきり無料で入れるものと思っていたが、予想が外れる。入場料は200ケニアシリング。しかも5列ほどある列それぞれに20~30人が並んでいるから、入るにしてもしばらく待たなければいけない状況。

時間は13時半過ぎ。14時半前には宿に戻り、エチオピア行きのバス乗り場に移動すると同行者と約束していたため、列に並んで中に入ることはやめ、すぐにバスに乗ってまた市街地に戻る。

宿に戻る。

宿に戻ってエチオピアに一緒に行くA君と落ち合ったところ、彼が明日に出発を延期できないかと言う。今日、日本に荷物を送ろうと思ったが、郵便局がラマダン明けの休日ということで開いておらず送ることができなかったので、明日送り出してから行きたいという。ちょうどぼくの腹の調子もイマイチだったので、予定を変更。出発を明日に延期する。

時間はまだ15時過ぎ。まだ日暮れには時間があるので、気になっていたウェストランドという地区に行ってみることにする。

バスで20ケニアシリング(約30円)。30分足らずでウェストランドに着く。ここにはショッピングセンターなどがあり、ある旅行者はヨーロッパみたいと評したところ。でかい広告看板がたくさんあり、ちょっとした大型ショッピング街ふうに見えもするが、実際にはビルの中に小さな個店が入っているスタイルが多く、いわゆる大規模ショッピングセンター街というわけではない。また、祝日ということで開いている店も少ない。

送信者 kenya


ぶらぶら歩いていると主要な道路に面した一角に、細長い長屋風の商店街を発見。炭火で焼いた肉を食べさせる食堂ばかりが並んでいる商店街で、2本ある通路の両脇に長屋風の建物が立っている。1つの店はだいたい6畳程度の広さしかなく、肉は通路で焼いている。どこの店も同じメニューばかりのようで、肉とウガリ、肉とチャパティといった具合。通路は人がすれ違える程度しかない。蠅も多い。

その中の一軒で焼きあがった牛肉1枚を買う。一枚だいたい200~300gほどある。持ち帰りでと頼むとまな板の上で、親指大ほどの大きさに切り刻んでビニール袋に入れてくれる。お値段100ケニアシリング(約130円)。

送信者 kenya


早速食べてみるとかなり堅い。過剰に乾燥してしまった干し肉を食べている感じ。中には噛みきれないようなものもある。

1軒、大きなショッピングモールを見つけたのでそこに行ってみる。円形の建物で日本式に言うと4階立て。本屋やファストフード店、土産物屋、映画館、ゲームセンター、食品スーパーなどが入っている。ここには中国人や白人の姿も多い。ここでもスーパーやファストフード店以外はほとんど閉まっていた。一通り回ってから、建物を出る。

建物を出て、まちなかに行くバス乗り場に向かっていると途中、さっぱりした格好をした14~15歳くらいの女の子が話しかけてくる。スワヒリ語らしく何を言っているのかわからない。英語でわからないと言うと、彼女は英語に切り替え、水をくださいと言う。喉が乾いているふうではなかったので、不思議に思うが、どちらにしろ水は持ち歩いていなかったためないと応えると、いくらか生活のためのお金をくださいと言ってくる。格好からは物乞いのようには見えなかったが、コインを一枚プレゼント。

またバスに乗って中心街に戻る。宿に戻る頃にはだいぶ日が傾いていた。

宿のロビーに行くと同じ宿に泊まっている日本人旅行者がおしゃべりしていたので、ぼくもちょっと混ぜてもらう。新たに到着した日本人夫婦旅行者は新婚旅行と称してアフリカ一周の旅行中だという。すでに西も中央西部も南も回ってきたらしく、もう残すところあとわずかという。ちなみにアフリカ一周で1年かかった(かけた)と言っていた。一般に皆が敬遠するカメルーンあたりからナミビアにかけての諸国も一部飛行機を使ったりしながらなんとかクリアしたらしい。なかなか2人とも気合が入っているものだと感心する。

そんなこんなでお互いの旅情報を交換したりして夜を過ごす。

FIN

2 件のコメント:

アンネのバラ友 さんのコメント...

アンネのバラ友です。
キベラのスラム街、ウェストランド

・キベラのスラム街
・ナイロビショー
・ウェストランド

日本人夫婦旅行者でアフリカを1年旅していて西から中央、南に東とほぼすべての国を回ってきたとのこと、何歳くらいの人ですか。
また、お仕事は自営業なのでしょうか。

数日前に、BSで映画”Out of Africa"(愛と悲しみの果て?)を観て、ちょっと考えるところがありました。

ぶらぷらびと さんのコメント...

アンネのバラ友さま

日本人夫婦旅行者は40歳前後で仕事は二人とも薬剤師でした。お金の心配要らないですね。
”Out of Africa”はぼくも見てみたいです。