2009年7月17日金曜日

[diary]マラリアチェックと日本的な一日

マラリアチェックと日本的な一日

08/09/30(火) 晴れ
[Nailobi:Kenya]
※レート:1米ドル=70~73ケニアシリング

この日、マラリアチェックでお世話になったNPO国際医療協力機構チャイルドドクターのHP
http://child-doctor.org/index.htm
こちらは事務局ブログ
http://ameblo.jp/child-doctor/

・マラリアチェック
・日本人倶楽部
・パーティ
・縁は異なもの

今朝も7時過ぎ頃起床。昨日と同じく朝はひんやりしている。

スタッフが用意してくれたチャイをロビーのソファに座って飲む。今日はこれからマラリアチェック。昨日、電話で待ち合わせをしたので、それにあわせて動く。こうして誰かと時間を決めて何かをするなんて、かなり久しぶりのような気がする。

マラリアチェックにはA君も一緒に行くことになった。彼もこれから北上するので、マラリアのチェックをしておきたいらしい。

待ち合わせはヤヤセンターというショッピングセンターの入口。宿を出てバス乗り場に行く。朝のバス乗り場は通勤の人たちなのか、ずいぶん混んでいた。ワゴンタイプのルートバスに乗る。混雑しているためバスの進み具合はよろしくない。時間に遅れないか心配になったが、一部を抜ければあとはわりとスムースだった。

予定の時間よりやや早くヤヤセンターに到着。ヤヤセンターは4階建てほどの円形タイプのショッピングセンターで、貧乏旅行者にはとても手が出せないようなものばかり売られている。本屋、スポーツショップ、高級スーパー、画廊(?)などなど。店内はとてもきれい。きれいなトイレで用を足す。

待ち合わせしていた入口に戻るとすでにお迎えの車が来ていた。車の中には日本人女性が3人ほど。いずれも20代半ばから後半。みな診療所で働いているという。もっとも働いていると言ってもボランティアに近く、みな同じ家に住んでいるらしい。運転手は診療所で雇っている現地の人で、彼が朝はスタッフを拾って診療所まで運んでいるらしい。

聞くとこの診療所は大阪だったかの病院が始めた診療所で、低所得者向けに非常に安い料金でマラリアのチェックやHIVのチェックをやっているらしい。

ヤヤセンターから20分足らずで診療所に到着。概観はあまり病院という感じではなく、邸宅をちょっと改造して使っているよう。

すでに何人かの患者が来ていて診察を待っている。スタッフは日本人だけでなく、当然ながら現地の人もいた。ぼくらは問診票に名前などを記入し、身長、体重をはかり、あとは呼ばれるのを待つ。20人ほどが座れる待合室はすぐにいっぱいとなる。小さい子どもを連れたおかあさんや年配(といっても50代だろうが)の男性など、みな静かに待っている。

30分ほど待ったところで呼ばれる。2階にあがり、ケニア人の男性の医者(?)に簡単な質問をされ、採血をする。指の腹をパチンと刺すようなスタイルの道具で採血。ホッチキスのような音がした。採血するだけなので作業は1秒でおしまい。あとは結果が出るのを待つ。

待合室に戻り、そこで待つ。患者は切れることなく訪れる。聞いた話では正確な数字を忘れたがけっこうな割合でここに来ている人はHIVに感染しているらしい。どこが悪いわけでもないぼくは待合室のスペースを使っているのが申し訳なくなり、外に出る。

1時間ほど待った頃、結果が通知される。自覚症状がないから当然だが結果はシロ。マラリアにはやられていなかったよう。昼になったら車で送ってくれるというので、しばらく待つ。

待っている間、外でボランティアの日本人の人たちと話す。当然だが、みな日本で看護師をしていたらしい。国際協力に関心があってとか、たまたまここのことを知ってとかという理由でやってきたらしい。昼近くになったが、なかなか運転手が出てこない。中をのぞいてみるとなぜかスタッフがいなくなっている。患者はいるのに。

何が起こったのかと彼女らに尋ねると、明日がスタッフの契約更改の日らしく、所長さんとスタッフらが話し合いをしているらしい。患者をほっといてよくそんなことをするなぁ、とちょっと驚く。聞くとスタッフの中にもさまざまな性格の人がいて、まじめに指示通りやる人もいれば、指示を守らないとか患者への態度が横柄とか問題がある人もいるらしい。一応、注意はするようだが、改善されない人はこうした機会に解雇となるらしい。これを巡っては毎回すったもんだがあるらしい。いやぁ、雇うのは簡単だけど解雇するのは大変そうだなぁ。

スタッフたちの話し合いが終わるまで彼女らも時間があるようで、彼女らに誘われて焼きとうもろこしを買いに行く。診療所の道路を挟んで向こう側の歩道でとうもろこしを焼いている女性がいて、彼女らはよくそこで焼きとうもろこしを買うらしい。ここではとうもろこしのことをマイズと呼ぶらしい。確かスペイン語ではマイスだったような。だいたい南アメリカ原産だからその辺りで呼ばれていた名前がこうして受け継がれているのだろう。

焼きトウモロコシ屋の女性は炭火の上に焼き網を置き、その上に直にとうもろこしを置いて焼く。なので、けっこう表面は焦げてしまっている。ぼくは小さいサイズのものを買う。お値段10ケニアシリング(約15円)。南米とかでもそうだったが、とうもろこしは甘くない。日本のとうもろこしは甘みのある間食用のおやつや料理の付けたしのような存在だが、こちらのはいかにも主食という味。取り立てて甘みがあったり、何か特徴ある味がするわけではなく、もくもくと食べ続けられ、かつ他のものと一緒に食べたくなるような味。

診療所の駐車場で5人ほどでもぐもぐとうもろこしを食べる。

そのうちに会議が終わり、運転手も登場。どこまで送りますかと聞かれ、A君が日本食を食べたいと言っていたから日本食屋まで行ってくださいと頼む。ガイドブックにも載っている日本人倶楽部という日本食屋があって、そこはここから近いからとそこに行くことにする。

車に乗ること10分ほど。住宅街と言えばそうなのだが、なんでこんなところにというようなところに店はあった。別れ際、今晩彼女らが住んでいる家(つまりは診療所のボランティアスタッフらが共同生活している家)でパーティをやるので来ないかと誘われる。うまいものを食えるとなれば行かない手はないわけでして、即座に行きますと回答する。詳しくはまた電話でということになる。

日本人倶楽部の店はなかなか立派な豪邸みたいな建物だった。中に入ると純和風の店内になっている。日本の雑誌や漫画が本棚にあって、座敷もある。まだ開店時間になったばかりということでか、客はいない。スタッフもいない。呼びかけるが人が出てこない。なんだ? やってないのか? などと思っていたら調理人姿のケニア人男性が出てきた。せっかくなので奥の座敷に行く。奥の座敷はテラスのようになっていて、窓がなく庭が広く見渡せるなかなか気持ちのいい空間になっている。こんなに広々とした空間でゆったりするのは久しぶりだとA君は喜ぶ。そう言われると確かにそうだ。だいたい泊まる宿は狭いところが多いし、人が多いし、どこにいても自分の持ち物とか周りの人の動きとかを気にしているので、何も気にせずゆたっとする機会なんてほとんどない。

日本語に写真入のメニューがお茶と一緒に出てくる。スタッフはみな現地の人らしく、日本人はいない。ここに来る前に噂でここはメニューは100近くあるが、そのうち食えるものは5つくらいしかないということだった。要するにほとんどの料理がまずいとのことだった。なので、メニュー選びは慎重に。値段は日本と同程度よりやや高いくらい。まぁ、連れもいるし滅多にすることじゃないからと奮発することを決める。ぼくはちらし寿司ともりそばを注文。彼はカツ丼などを注文する。

料理が来るまでしばし談笑したりしながら待つ。

30分ほど待っただろうか、まずはもりそばが出てくる。さっそくいただく。う~ん、なんだか立ち食いそば屋的な味。そばの味はたいしてしないし、汁もなんだか甘すぎるように感じる。さて、数分後、ちらし寿司到着。見た目はけっこう様(さま)になっていたが、口に入れてびっくり。まったく米が炊けていない。芯のこりまくり。いったいどうしたらこんな米が炊けるんだ!思うにスタッフが男ばかりというのが心もとない。ぜったいあいつら普段米を炊いたりしたことがないはず! とぼくは断定する。結局、噂に違わぬ味で、しかも代金は結局2500円ほど払うことになる。話のネタにはなるけど、二度とこないだろうな。

送信者 kenya


送信者 kenya




食後、近くの通りまで歩き、A君が日本大使館に行きたいというので一緒に行く。彼はなんだか気になることがあったようで、再び医務官にお世話になる。

それからまたワゴンタイプのバスに乗り、まちへ。いったん宿に戻る。ぼくは公衆電話で今日あった人に電話し、夜の件について尋ねる。無事、訪問OKの許可が出たようで夕方6時くらいに来るように言われる。一応、道順も教えてもらい、準備完了。

まだ少し時間があったので、今晩ごちそうになる御礼にと差し入れ品を買いにまちに行く。何がいいだろうかと考えたところ、まちのスーパーに売っていたボンボンというアルゼンチンで有名なチョコ菓子にしようということになる。そういうわけで、近くのスーパーに行ったのだが、夕方という時間帯もあり、店内は人でごった返している。目的の品はあったもののばら売りだけ。箱で売っていないかと尋ねたが在庫がなかった。

それで、また別のスーパーを探しに行く。いくつかのスーパーにはそもそもものがなく、何軒目かに着いたスーパーでようやく箱で売っているのを見つけた。待ち合わせの18時が近くなっていたのであせる。レジに並んでいよいよ購入という段になって問題発生。レジのおにいさんは箱をぐるぐる回してバーコードを探している様子。しかし、どうも箱自体にはバーコードが付いていないようで見つからない。そんなんなら、売り場に1個辺りの単価が書かれてあるんだからそれに個数を乗じて計算すればいいじゃない、と思うのだが、そうできない理由があるのかなんなのか一向に埒が明かない。一度、レジを離れ、おにいさんはどっかに行く。そして戻ってきてレジ再開。で、ようやくレジを通過した。 

と思ったら、今度は警備員のにいちゃんがぼくが買ったチョコ菓子の箱をまるごと持っていく。ハ? なんで持っていかれたかわけがわからずレジのおにいさんを見つめるが次の人に取り掛かっていて、こちらにはまったく気が向いていない。こっちは急いでいるのに、くそっ! と思い、また店内に戻って1箱取ってくる。さっき買ったときのレシートがあったから、それをかるく見せる仕草をしながらレジで並んでいる人の脇を通過。ようやく店の外に出る。

それからちょっと急ぎ足で近くの郵便局前のバス停留所に行く。そしたらまたもや問題発生。なんとバスに乗れない! 外から見る限りではまだまだ乗れそうなのに、目の前を通り過ぎていく。またもや、なんで? と頭の中にクエスションマークがあふれる。何段かバスを見送っているうちにどうも座席が埋まるとあとは客を乗せないらしいことがわかる。つまり、通路などが空いていても人を乗せていないのだった。20分近くバスを待っていたが、一向に乗れそうにないのでバスの出発点になっているバス乗り場まで移動する。急ぎ足で10分ほど。

ここも帰宅ラッシュの人々でごった返していて、バスはすぐにいっぱいになり、ドアを閉めて走り出してしまう。5台ほど見送った頃になって、ようやく乗れそうなバスが来たのでそれに2人して乗り込む。まったくバスに乗るのにどんだけ苦労しないといけないんだ。だいたい待っている乗客がいながら満杯にさせずにバスを走らせるなんてアフリカらしくないぞ! 治安とか窃盗対策とかという面もあるのかもしれないが、これにはほんとにまいった。

結局、バスに乗り込んだ頃には日が暮れてしまっていた。当然、遅刻決定。

さて、なんとか電話で言われたあたりでバスを降りたのだが、あたりは暗く、明かりといえば走り行く車のライトかたまにあるお店の明かりくらいしかない。どっち方面に行けばいいのかよくわからないので、とりあえず公衆電話を探す。が、そもそも商店がないから電話もない。近くにたまたまレストランがあったので、そこに行って電話を借りようとするが拒否される。しょうがないので、レストランの入口で駐車場への案内兼警備をやっている男性に携帯電話を借りる。ありがたや。

電話はつながり、ここまで迎えに来てくれることとなった。昼のちと古めのバンではなく、日本車でのお迎え。日本車は、というか、やっぱ新しい車は乗り心地がいいね。

レストランからパーティ会場の彼らのマンションまでは車で2分ほどだった。エレベーターで何階かにあがり、お宅にお邪魔する。中に入ると同世代くらいの日本人が10人ほどいて、にぎやか。ぼくはこんなにたくさんの日本人をまとめてみるのはかなり久しぶり。

診療所のスタッフらはここにみんな寝泊りしているらしい。診療所のスタッフでない人もいるようで、ある人はナイロビのスラム街の支援をしているヨーロッパのNGOにインターンしているといい、ある人はナイロビの大学に通っているという。ここは何LDKか正確にはわからないが、けっこう広い。けれども人数分の個室まではないから、ほとんど雑魚寝のような生活をしている人もいる。本棚にはたくさんの日本の本。すばらしい。

ちょうど食事の準備が出来上がりつつあるところで、食器の準備などを手伝う。準備が整ったところで、みな席につき、パーティ開幕。最初に今日のパーティの趣旨の説明がある。それによれば、今日のパーティはヨーロッパかどっかの財団に助成金を申請したところその結果の通知が先日あり、無事に助成金を受けることが決まったことを祝うパーティだった。めでたい。

それから各自自己紹介。そしたらどうも宮崎弁をしゃべっているらしい人が2人いる。で、聞いたらやはり宮崎出身者。しかも一人はぼくの中学の同級生と一時共同生活をしていたと言う。ぼくが宮崎の延岡出身だと言うと「じゃあ○○って知っている?」と同級生の名前を言ったので驚く。一応、そいつの特徴等を確認し、同一人物と判明。いやぁ、こんなことってあるんですねぇ。

ご飯もみなさんの手作りで、純和食ではないけれども、やはり日本的な味。昼の日本料理屋よりもよっぽどうまい。

22時くらいまで飯食ったり、おしゃべりして辞去する。帰りは宿まで送ってもらう。やはり大勢の日本人と一緒にいると、なんだかいつもとは違う感覚の1日になる。言葉がわかるというのはすごいことだ。

FIN

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