2009年8月14日金曜日

[diary]ナイロビからモヤレへ(3日目)

ナイロビからモヤレへ(3日目)

08/10/04(土) 晴れ
[?:Kenya→Moyale:Ethiopia]

・朝の一杯
・エチオピア入国
・うっとおしい両替屋
・イミグレ休憩中
・エチオピアンタイム
・群がる人々
・卓球、ビリヤード
・アムハラ語

一昨日の午後にナイロビを出てから3日目。1日目の晩は徹夜で走っていたが、さすがに昨晩はトラックを未舗装の道路わきに止めての宵越しとなった。辺りには集落も見えずただ大地が広がるだけ。空には目を見張るほどの夥(おびただ)しい数の星が見えた。運転手は運転席から降り、どうも地べたに寝ている模様。何か敷物を持っているのかどうかはわからない。我らは助手席に座ったまま寝るのである。10月に入ったこともあってか車内はまったく暑くなく、逆に肌寒いほどだった。そういう意味では寝苦しいなんてことはなかったのだが、いかんせん横になれないので尻が痛くなったりして夜中に何度か目覚める。

5時を過ぎた頃にまたケツが痛くて目が覚める。あたりはうっすらと明るくなり始めていた。もうしばらくがんばって寝る。

6時前になると隣のA君も目覚める。何時間も窮屈な体勢で寝ていたので、体を伸ばすために外に出る。外はひんやりとしている。トラックの後部車輪あたりに人が横になって寝ていた。どうやら運転手らはトラックの下で寝ていたらしく、しばらくすると何人かがトラックの下から起きだしてくる。

運転手は目覚めるとそのまま運転席に向かい、すぐに発車の準備を始める。ぼくらも助手席に戻り、出発を待つ。

6時前にトラックは発車。あたりはもうすっかり明るくなっている。

昨日までと同じようなさらさらした砂の道をトラックは走る。沿道には円形の家や木製の掘っ立て小屋のような家、土壁の四角い家などがときおり現れる。

今日こそはエチオピアとの国境にたどり着くのだろうが、あとどれくらいかかるのかは、まったくわからない。それでももうだいぶ近くまで来ているはずだから一気に国境まで行くのだろうと思っていたら、1時間くらい走ったところでトラックは止まった。あたりには家々が並び、食堂や商店らしき建物もある。トラックは食堂の前で止まり、そこでみんな降りる。どうも朝飯タイムらしい。

超長距離移動ということで、この移動中は食事を控えていたが、もう先が見えてきたのでぼくも朝飯を食べることにする。電気のついていない暗い店内に入り、店の男性に注文する。今朝のメニューはチャイにチャパティにカランガという羊か何かのモツ炒め。チャイは甘い。チャパティもうっすらと甘みがある。いずれもなかなかうまい。お値段はチャイが1杯20ケニアシリング(約30円)、チャパティ1枚15ケニアシリング(約25円)、カランガ100ケニアシリング(約160円)。

食事後、表に出てみたらトラックの給油をしていた。トラックに一緒に乗っている運転手の仕事仲間がガソリンが入っているポリタンクとトラックの給油口をホースでつないでいる。日本のガソリンスタンドのように引き鉄をひけば給油が始まるというような機械はないから、ホースの一方から空気を吹き込んでその反動(?)でガソリンが這い登ってくる力を利用して給油している。空気を吹き込むときは、ホースに直接口をつけて吹き込んでいるので、あれではガソリンを飲み込んだりしてしまうこともあるんじゃないかと気になる。

店の脇にあった木製のベンチに腰掛けてそうした作業の様子を見ながら再出発を待つ。

結局、着いてから1時間ほどそこですごし、8時過ぎに再出発。同じような道をまたずっと走り続ける。

それから走ること約3時間。11時ごろになってようやく舗装されたアスファルト道が現れる。舗装されている道を見るのは久しぶり。国境はもうすぐ。それにしてもやっぱり舗装道はタイヤで走るには楽だなぁ。

さすがに国境の町ということで小さいがホテルらしき建物や商店もある。人も多いように感じる。トラックで国境まで行けるものだと思っていたら、トラックは適当なところで止まり、運転手はここで降りろと言い出す。同乗のエチオピア人きょうだい2人もなんの文句も言うことなく降りる準備を始めたので、ぼくらもここで降りる。荷台に預けてあったリュックを受け取り、背中にかつぐ。

国境らしきところはもう見えているから歩いて行こうか考えていたら、エチオピア人きょうだいが荷物が多いからタクシーに一緒に乗っていかないかと言い出す。すでにタクシーはあたりに待機していて、ぼくらの動向を観察している。1台のタクシーに聞くと1人あたま100ケニアシリング(約160円)だと言う。距離のわりに高いなぁと思うが、人助けと思って一緒に乗ることにする。セダン型の車に4人で乗り込み、国境に向かう。イミグレでパスポートのチェックがあったが、あれこれ聞かれるようなことはなく、すんなり通る。ケニア出国は無事終了。

車ごと国境を超えて、エチオピア側へ。ここは緩衝地域らしき区間もなく、すぐにエチオピア側のまちに入る。イミグレは国境を越えたらすぐのところにはなく、200mほど町のほうへと進んだ右手にあった。不思議なことに入口には門番がいて、イミグレの敷地内にはスルスルとは入れない。タクシーの運転手が門番に聞くと、この時間は昼休み中らしい。で、開くのは何時かと聞くと15時だと言う。まったくなんでそんなに昼休みが長いんだ! というわけでエチオピアに入国したもののすぐには入国スタンプをもらえず。

そんなしていると周りに両替屋が集まってきて、両替しないかと言ってくる。必要ないと断ってもついてくるので、先に宿に行くことにする。宿の当てはまったくなかったので、同乗者たちと相談して運転手に安い宿に連れて行くよう頼む。

すると両替屋たちもついてくる。宿は幹線道路に面したところにあり、イミグレからは100mほど離れているだけ。中学校のサークル小屋を思わせるようなコンクリート製の長屋型の宿。部屋を見せてもらうと6畳ほどのところにベッドがあるだけ。一応、電球もあるがそんなに明るくない。便所や水浴び場は外にあり、共同。宿代を聞くと25ブル(約300円)だと言う。エチオピアは東アフリカの中では物価が低いと聞いていたので、部屋の出来などから1泊150円くらいかと想像していたのだが、意外と高かった。しかし、他に宿を探すのも面倒だし、A君もオッケーと言っているのでここに泊まることにする。まだエチオピアの通貨ブルを入手していないので、支払いは後でということにしてもらう。

部屋に荷物を置いてしばらく休憩。表に出るとさっきから着いて回っている両替屋たちがホテルの敷地の中にまで入って来ているので、ちょっと部屋で過ごす。といっても部屋も独房のような雰囲気でたいして居心地はよくないので、しばらくしたら表に出る。

A君を誘って改めて両替屋を探しに行く。トラックに一緒に乗ってきたエチオピア人きょうだいによればアディスアベバでは1米ドルがだいたい10ブルらしい。

道を歩いているとやはり目立つ。視線が集まるのを感じる。幹線道路沿いにはレストランや食料雑貨店、道具店、散髪屋などが並ぶ。水を買おうと食料雑貨店に行って聞いてみるとケニアシリングも使えるというので、とりあえずケニアシリングを使って買い物をする。ペットボトル入りの水1.8リットルが50ケニアシリング(約80円)。

人通りはそれほど多くないが、市場まで行くとだいぶ賑やかになる。道端にはビリヤードの台や卓球台もあり、そこでは若い男たちが遊んでいた。

両替ができるところがないかと探す。たまたま道端で会った人に両替屋がないか聞いてみると、あいつがそうだと30前後くらい年恰好の男を紹介してくれる。彼にレートを聞くと1米ドル=9ブルだと言う。10ブルにはかなわないが、極端に悪いということもないので彼と両替することにする。しかし、そうやって話しているとすぐに男たちが集まってきてうちらのやり取りをじっと観察しだすので財布を見せるにはあまりよろしくない状況になる。そこで彼に周りにいる奴らが鬱陶しいみたいなことを仕草で伝えると、彼はすぐに察知して周りの男たちに離れるよう言うが、そう簡単に離れないのでこちらが彼らから離れることにする。

彼がついて来いというので着いていくと、宿屋らしいこれまた長屋形式の建物のちっちゃな一室に勝手に入っていって、そこを取引場所にしてしまう。ここで両替完了。

さて、両替も済んだので飯でも食いに行こうと食堂を探してまわる。食堂はいくつかあったので、わりと客が入っている店を選んで2人で入る。

さて、エチオピアの食といえばまずはインジェラ。ある人が“あれは雑巾の味がする”と言ったほどの料理らしいのだが、これが実際にどんな味なのかを知ることがエチオピアに来てまずしなければいけないことだった。

うきうきしながら食堂の店主らしいおじさんにインジェラがあるか聞くとあると言う。英語はほとんど通じないが料理名は通じるよう。4人席に座り、注文。インジェラ&ミートという料理を注文する。それからこれもエチオピアでは外せないコーヒーも頼む。インジェラ&ミートは12ブル(約150円)、コーヒーは1杯1ブル(約10円)。さすがに原産地ということか、コーヒーが安い。

15分ほど待ったところで料理が登場。銀色のステンレス製らしい円形のお盆の上に半分に折りたたまれたインジェラとおかずが盛られた皿が乗って出てくる。インジェラの色は灰色だった。そしてでかかった。厚さはクレープ並みに薄いけど、面積は一般的なクレープよりもはるかに広い。それはいいんだけど、意味不明なところが一点ありまして、なぜかおかずが盛られた皿がインジェラの上に乗っている。なんで? インジェラが乗せられているお盆の上には隙間があるんだから、わざわざインジェラの上に乗せなくてもいいじゃん、と思うのですが。

さてさてお味の方はと、さっそく手でちぎってインジェラを食べてみる。うっ、すっぺぇ(酸っぱい)! というのが、1口食べてまずは出てきた言葉。見た目からはちょっと予想していなかった味だった。しかし、どうもこれに似たような味のものを食べた気がする。“どこだったっけ?”と思い出して、出てきたのがトーゴやガーナで食べたものだった。フーフーやウガリに似た食べ物だったが、名前は知らない。あれも酸っぱかった。炎天下に道端の屋台であれを食べたときには、“え? これ腐ってんじゃねぇか?”と思ったくらい。よく考えてみるとこの酸っぱさはドイツの黒パンなどの酸っぱさにも似ている。でも、黒パンよりもこっちのほうが数倍酸味が強い。というわけで、うまいうまいとバカバカ食べられるようなものではなく、しんみりと人生の酸っぱさに想いを馳せながらチビチビ食べることとなった。

一方のおかずは盛り付けは適当だが、味は良かった。これまで食べた料理はけっこう大雑把な、適当な味の料理が多かったが、これは味がしっかりしている。ぼくの見込みではけっこう日本人受けするような味付けだった。もう少し量が多いともっといいんだけどなぁ。

食後、おじさんにインジェラの調理場を見せてもらえないか聞くと愛想よくすぐに調理場を案内してくれる。調理場の一角にはすでに焼かれたインジェラが何枚も重ねて置かれていた。また焼く前の水に溶いた液状のものも寸胴鍋のような入れ物に入れられておかれていた。おじさんは“これをここで焼くんだ"と平べったい鉄板(? プレート)などを指差しながら教えてくれる。

そうして見学させてもらってからコーヒーをもう一杯注文する。コーヒーの味はよくわからんけど、まずくはないと思う。ブラックかと思ったら底に砂糖が1cmくらい溜まっていた。

それから時間つぶしに市場周辺をぶらつき、道行く羊を眺めたり、テコンドーか何かの道場の壁画を鑑賞したり、売られている野菜などを見て回る。幹線道路は完全に舗装されていてなかなか良いのだが、道を一つ入ると未舗装の石や糞などが転がる道となる。ぶらぶら歩きながらみかんを買ったり、ピーナッツを買ったり、バナナを買ったり、ポップコーンを買ったりする。

それから市場のすぐ近くにあったバスターミナルに行って明日乗る予定のバスについて下調べ。ぼくは首都のアディスアベバに行くのだが、エチオピアのバスは朝が早いという噂どおり、アディスアベバ行きは朝の5時発だった。

卓球台近くを通りがかったときに、そこで遊んでいるのを見ていたらやらないかと誘われる。その誘いにA君がのる。いざ卓球対決。といってもどっちも素人だから、バシバシ球が飛び交うような試合にはならず、ピンポンという音そのままのゆったりしたラリーが続く。やっているとすぐに見物客が集まる。10歳前後くらいの男の子たちも寄ってきて、卓球が終わるとぼくらの周りをうろうろする。A君がビデオカメラを持っていたからその録画画面を覗きたがっていた。言葉ははっきり言ってまったくわからない。

15時に近くなってきたので2人でまたイミグレに向かう。ちょっと早く行っても中に入れてくれるだろうと見込んでいたのだが、まったくの見込み違いでしばらく門のところで時間が来るまで待たされる。そうしてしばらく待ってようやくイミグレの建物内に入ることができる。そして入国カードを記入し、パスポートと一緒に提出。手続きは難なく終了。これでエチオピア入国の手続きは完了。

いったん宿に戻って、ここでA君とは別行動とする。

ぼくはまたさっき通った道を戻って幹線道路を北へと歩く。ネット屋を探していたのだが、最初に見つけたところは現在接続できない状態のようで使用不可。そこで他にネット屋があるか聞いたらあるというので、場所を教えてもらいそちらに行ってみた。そしたらこちらのネット屋は動いていた。が、料金高すぎ! 1時間24ブル(約300円)って日本並みじゃん。まぁ、しかし、そもそもこんな国境地帯にもネット屋があること自体が驚きだけれど。

それから予備用にパスポートとビザのコピーをとっておこうと、コピー屋でコピーを作成。白黒コピー2枚で1ブル(約10円)。

それから宿に戻る。外が明るいうちに水を浴びようと浴場へ行ってみるとちょうどA君がいたので聞いてみる。すると彼は水を浴びようとしたらバケツ一杯いくら払えとある人に言われ、でも宿主らしい人には無料で良いとも言われとちょっと混乱したらしい。結局、無料で使えたらしいが、それでも水は蛇口のあるところからバケツに汲んできたものを使うので、足りなくてもすぐにそこで水を補給することはできない。結局は最初に汲んできた量の水しか使えないので、ようく考えて計画的に水を使わねばならなかったらしい。

水浴び場は鍵がかかっているので、スタッフらしい女性の人に頼んで鍵を開けてもらい、バケツ一杯の水をもらう。

それで持参している石鹸などを使って体を洗浄。ずっと砂道だったが、それほど砂にまみれてはいなかった。気温がそれほど高くないので、水を浴びるとちょっと冷える。

夜は同じトラックに乗ってきたエチオピア人きょうだいとたまたま宿で一緒になったエチオピア人男性(20代くらいで英語堪能)の5人で飯を食う。意外と夜のレストランの選択肢は少なく、昼食べた料理の主食がパンになったというような程度だった。いくつかのレストランでは音楽がガンガンかけられ、通りを歩いていても聞こえるくらい。

明日の朝が早いこともあり、21時過ぎには解散して部屋に戻り、明日の準備。んで、暗いこともあってさっさと寝る。

Fin

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