2008/11/11(火)
[Amman:Jordan] 晴れ 朝15~20度、日中25度程度
※レート:1USD=0.7JD、1EUR=0.9JD
・『パレスチナ』
・フセインメディカルセンター、シティセンター
・メッカモールで入店拒否
・難民キャンプに行くはずが・・・
・絵はがきをただでもらう
・パレスチナ情報集め
・予定変更
・ジーンズの修理をしてもらう
6時過ぎ物音で目覚める。同室のオーストラリア人が出発準備をしている。同じ部屋にはいつの間にかもう一人若いヨーロッパ系の男が寝ていた。
ぼくも起き出して1つ階下のソファーがあるロビーに行く。ソファに座り、また情報ノートをめくる。そこへ同室のオーストラリア人も降りてきて、隣に座る。
サーメルがさっそく「ネスカフェ?」と言って、コーヒーを入れてくれる。もはやコーヒーとは呼べないくらい甘いのだが、まぁいい。
オーストラリア人の彼が情報ノートに興味を示したので、英語で書かれている部分を見せる。すると「Interesting!」と言って熟読していた。その15分後くらいに彼はペトラに向けて旅立つ。お別れの握手。結局、名前も聞かなかった。
昨晩から読みはじめた『パレスチナ』(文春新書)を読む。イスラエル側、パレスチナ側の双方のことが書かれていて興味深い。特に興味深かったのが、イスラエル側にもいろんな立場の人がいることを説明している箇所で、超正統派のユダヤ教徒はユダヤ人入植地の拡大や国(イスラエル)の暴力的なやり方などには賛成しておらず、逆にそうしたことをやる人たちを不信心な人たちだと思っているというふうに書かれていたこと。つまりかなり矮小化して言えば、聖書の教えをきちんと守りもしないで、自分たちの都合の良いように解釈していてけしかんと思っているらしい。もしユダヤ教原理主義者を旧約聖書に書かれていることをきちんと守り、実践する人という意味に捉えるなら、超正統派の人たちはまさしく原理主義者と言えるのでは。それと比べると、シャロンをはじめとしたユダヤ人だけによる国家にこだわり、パレスチナに先に住んでいた人々を追い出そうとする人たちは、まさしくご都合主義と言えるのでは? (原理主義という言葉の由来、使われ方の経過についてはよく知らないため、後にチェックする必要はある)
それにしても、と思う。そもそもイスラエルの問題はイギリスが種をまいたものだが、同じようにアフリカでも中南米でも当時のヨーロッパ各国が巻いた種が、未だに紛争や不平等などの問題の根っこにあるというのはなんともすごいことだ。その時々の判断が、それを判断した人たちの何倍、何百倍、何万倍もの人々の人生に影響している。それも悪影響を。もちろん種を蒔いたのはヨーロッパ各国であっても、それを育て、花咲かせたのは現地の人だったりするし、また、悪影響だけでなく、その逆もまたあるのだろうが。
今日はショッピングセンターに行ってそこのATMでカネをおろし、それから元難民キャンプだったというところに行こうかと思い、その行き方を宿のスタッフに聞く。
11時頃宿を出て、カネがほとんどなかったのでまたユーロを両替し、それからバスに乗ってショッピングセンターに向かう。ダウンタウンを出て30分ほどしたころ、右手にMecca Mallというのが見え、そのさらに背後にカルフールとCity Centerの文字が入った大きなモールが見える。
目指していた店とは名前が違っていたので、そのままバスに乗り続けるが、通り過ぎてすぐのところが終点だった。終点はキングフセインメディカルセンター(だったかな?)という医療施設の入り口。この施設がまた立派な建物で日本でもなかなかお目にかかれないくらいの立派さだった。
その入り口近くでチュロスを売っているおじさんが一人いたので、チュロスを1本買う。0.1ディナール(約15円)。水分というか汁気があり、噛んだら蜂蜜のような汁が口の中に広がる。甘い。
歩いてCity Centerのモールに行く。ドバイから来てしまうとそれほど大きなモールとは感じないが、それなりにでかい。真ん中は広い吹き抜けで天井はガラス張り。4階まである。入り口ではセキュリティチェックをやっていて、空港にある金属反応を調べる機械の中を通った後、ボディチェックを受ける。
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中に入ってみると客は少ない。一通り店内を見て回る。服屋、カフェ、フードコート(マクドナルドなど)などありきたりな店ぞろえ。奥がカルフールになっている。本屋も1軒あって英語の本がそれなりにあった。肝心のATMを探すが、見あたらず。
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そこを出て、メッカモールまで歩く。歩いて10分ほど。登り坂を上って入り口にたどり着く。ここでも入り口でセキュリティチェックをしていたので、さっきと同じように機械を通って中に入ろうとすると、セキュリティの男が片言英語でどこに行くのかと聞いてくる。どこに行くのかって、そりゃ中に入るだけじゃんと思いながら、スーパーにと言うと彼は「今日は家族オンリーだ」とのたまう。そこへ1人の男性がすたすたと中へ入っていったので、彼は?と訪ねると、ここの店の人だというようなことを言うが、明らかに嘘っぽい。
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別の入り口から入ろうとそこを離れ、別の入り口に行く。こちらの方が正面入り口でここにもセキュリティがいた。さっきと同じように機械を通って中に入ろうとすると、今度はセキュリティの男が体で中に入るのを制して来る。またどこに行くのだと片言英語で聞いてくるから、スーパーだと言うとやっぱり家族オンリーだなどととヌケヌケと言う。その脇で例のごとく男一人組や二人組がセキュリティを通って入っていく。もうちょっとましな嘘を考えろよな。
軽い問答をしていると一人で入ってきたおじさんが「Can I help you?」と助け船を出してくれる。それでそのおじさんになんで中に入れないのだと英語で聞くと、おじさんはセキュリティの男二人にアラビア語であれこれ尋ねる。そのやりとりを受けてぼくには、ジーパンが破れているから入れられないと言っている、と説明する。それを聞いてぼくはちょっと笑ってしまう。ショッピングモールに入るのに服装の規定があるとは面白い。まぁ、おそらくは髪型から髭から、つまりは見た目がダメということなのだろうが、そういう理由でショッピングモールに入れないというのは新しい発見だ。今日の収穫。
おじさんはちょっと管理者に話をしてくるから待っててと言って中に入って行ったと思っていたのだが、ぼくの聞き間違いだったのかしばらく待っても戻ってこないので、結局、中には入らず、向かいにあった別のスーパーに行く。そこでおやつと英字雑誌『Middle East』を買う。2.5ディナール(約400円)。表紙には大きく「Islamic Banking」とある。目次を見るとパレスチナやイスラエルの記事が3本、アフガニスタンが1本、イラク関係が3本など。中東で出されているものかと思ったらイギリスだった。
さて、地図を改めて見てみると、最初行きたかったところとは反対の場所に来ていることがわかる。バスの番号は間違えてないから逆方向に乗ったのか?またバスに乗って市街地に戻る。バスは常に座席が埋まっているような状態。UAEやイエメンと比べると女性客が多い。
そこそこ大きな交差点では2人の男が物売りをしていた。自分のところからはよく見えなかったが、箱入りのティッシュのようなものや花(造花?)を手に信号待ちをしている車の間を歩いて回っている。
いつの間にかバスの中で居眠りしていて、気づいたら終点のターミナルだった。大型バスとマイクロバス、それにセルビスと呼ばれる乗用車の乗り合いタクシーが乗り入れているターミナルで商店もあり、にぎわっている。行き先を表示している看板はあるもののアラビア語オンリーのため読めない。
まだ14時頃だったが、当初行こうと思っていたところにこれから行くという気になれず、またダウンタウンに戻る。宿の近くの店で昼飯。ひよこ豆のトマト味ベースのシチューと味付きライス。それぞれ0.6ディナール(約90円)。量は小皿なので多くはない。味はまぁよし。
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いったん宿に戻る。するとイエメンで同じ宿だったカップルが来ていた。同宿の人とロビーで談笑中。同宿の人にはエジプトポンドの両替を頼んでいたので、ちょうどいいタイミングなので両替を頼む。44米ドルぶんもポンドを持っていたのだが、彼女とは4米ドルぶんだけ、残りの40米ドルぶんをカップルがありがたいことに引き受けてくれる。これで懸案が一つ片づく。
それからイスラエル行きの準備としてイスラエルのお金シュケルを入手するため両替屋をまわる。国境にも両替屋はあるらしいが、レートが悪いというのでここで両替することにした次第。
同じ宿の人は近くの両替屋で簡単に両替できたと言っていたのだが、最初に行った2軒では両方とも扱っていないのか、嫌いなのか両替できず。3軒目でようやく両替できる。1ディナールが5シュケル。他の店のレートがわからないので、いいのか悪いのかわからないが、ドル換算で言うと悪くはないという程度か。
その後、絵はがきと切手を買いに行ったのだが、ある土産屋で絵はがきを買おうと1枚選んでレジに持っていったところ、フリーだと言ってタダでくれる。
それから宿近くのアラブ甘味屋に立ち寄る。いつもこれくらいの時間帯になると店の前にちょっとした行列ができていて、そこで買った甘味を店の周りでみんなうまそうに食っている。客はおじさんが中心なのだが、若い男子や女子もたまにいる。みんなが食べているものを注文。薄い生地の間にとろけるチーズが挟まっていって上部には細い麺(ソーメン並)を上げたものがちらちらとトッピングされている。シロップが大量にかかっているのでけっこう甘い。単純に言うととろけるチーズに蜂蜜をかけて食べている感じ。後にこれがコナーファというお菓子であることが判明。小(と言っても一人で食べるには十分な大きさ。7cm×7cmほど)で0.5ディナール(約80円)。
それから宿に戻る。明日イスラエルに行くのでネット状で最近の情勢やこれまでの経過などを調べる。パレスチナ関連の情報はかなりある。パレスチナナビというサイトと土井敏邦という人のサイトを中心にざざっと目を通す。
そんなことをしているところへ宿へ2人連れの若い女性がやってくる。そして、明日死海に行かないかと誘ってくる。4人のツアーがあるらしく、現在参加者2人で、あと2人必要らしい。ここには現在4人ほど日本人が泊まっているが、他の人は行く予定なし。なので、死海には行こうか行くまいか迷っていたこともあり、もし一人足りないという状況になったら行ってもいいという都合のよい条件を彼女たちに伝える。
すると彼女たちはまた別の日本人が泊まっていそうな宿に探しにいった。
ネットで2時間ほど使ってしまう。そのうちにさっききた日本人の2人がやってきてもう1人見つかったからと言う。これで予定変更。明日のイスラエル行きは延期。
日が暮れてから夕飯でも食べにと外に出るが、驚いたことにまだ19時だというのに多くの店が店じまいしていた。昼間に行ったところもすでに閉店。シュワルマ(ケバブ)などの店はやっているのだが、また食べる気にはならない。
市場辺りも行ったが八百屋は開いていたもののレストランはほとんどが閉店。そうしてふらついているときに市場の近くで仕立屋さんが集まっている路地を発見。通路でミシンを使って縫い物をしている。ちょうどジーパンの破れ口が広がっていたので、1つの店の男の人に修理できるか尋ねる。相手はあまり英語ができないためコミュニケーションはほとんど身振り手振り。修理をやってくれるというので、いったん宿に帰り、ズボンを取り替え持っていく。
やはりミシンは早かった。自分でやれば1時間はかかるであろう縫製を15分程度でやれてしまう。代金は2ディナール(約350円)。ここでズボンを買うと一番安くて15ディナール(約2500円)するというから安くついた。
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あとは宿に戻ってロビーでシリア、レバノン、トルコなどのガイドブックを読む。ここの本棚にはこれらの地域の歩き方が何冊もあるので、それに目を通して今後のルートを考える。
地図を見ていてふとキプロスに行こうかと思う。
ロビーのソファにサーメルも座っていたので、今日の入店拒否の話をすると、彼はズボンが破れているだけでなく”きっと髪が長いからアフガン人に見られたんだと思う”というようなことを言う。アフガン人のイメージは髭に長髪らしい。しかもあまり良く思われていないらしい。自分としてはアフガン人とは顔の系統が違うと思うので、にわかには信じがたいが、まぁ、それが本当だとしたらまた面倒なことだ。
ロビーには同じ宿の日本人が他に2人。そのうちの一人の人はカメラマン。齢50歳程度か。その人と少し話す。基本的に中東ばかりを回っているらしい。この辺りで気に入っているのはシリアとイラクらしい。イラクには2000年と2001年に行ったらしい。その頃も一部で空爆がされていて、旅行も政府の役人付きだったらしい。シリアとイラク双方ともとにかく人がよく、旅の緊張を解いても大丈夫と思えるような場があり、歴史の古さなどが気に入っているよう。
12時近くまでしゃべったりして解散。昨晩同じ部屋に泊まっていた2人はもう出てしまったので、今晩は一人。だが、スタッフの一人がやってきて、夜中に人が来るかもしれないから鍵をかけないようにと言われる。
寝る。
Fin
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