2009年7月4日土曜日

[diary]カンパラからナイロビへ移動

カンパラからナイロビへ移動

08/09/27(土) 晴れ
[Kampala:Uganda→Nailobi:Kenya]

・明朝カンパラ発
・手羽先屋
・道端の蜂蜜屋さん
・赤道を越えて
・出発危機一髪
・20時ごろナイロビ着
・おそるおそるナイロビの夜のまちへ

起きたのは4時過ぎ。携帯電話を目覚まし代わりにしていたのだが、携帯電話よりも早く目覚める。すでに荷造りはしてあったので、こそこそと部屋を出る。こういうときは相部屋だとほかの人に気を使わないといけないので、ちと面倒。

部屋には鍵も何もないから出て行くだけ。階段を下りて裏口のドアから出る。

バス会社の事務所はすぐそこ。あるいて30秒ほど。すでに客が20人くらい集まっていて、バスも通りに止まっていた。10分ほどしたところで乗車開始。荷物は荷台に預け、チケットのチェックを受けてから乗り込む。

バスはほぼ時間通りに5時過ぎに発車。真っ暗なカンパラのまちを走る。

5時30分を過ぎたころ、だんだんと外が明るくなり始める。それから10分もすると日の出が始まる。徐々にまわりの景色が白日の下にさらされ、色を持って立ち現れる。

沿道には家や商店が見え、その向こう側には林が続いている。家の中にはコンクリート作りもあれば板を張り合わせたような家もある。その向こうにはなだらかな丘や山が見える。でも、一面が緑というわけではなく、サバンナほどではないけれど、どちらかといえば薄い。作物の植わった広い畑もあり。たまにミニ市場のようなところがあり、そこでは山盛りにされたバナナやキャッサバ、トマト、パイナップルなどが売られている。

外の景色はころころ変わるが、基本的に緑が切れることはない。

6時半ごろ、沿道にあったミニ市場の前でバスは停まる。朝飯休憩のよう。乗客はそれぞれ降りて野菜や果物、飲み物を売っている店へと行く。バスの周りには乗客を当てにして、バナナや焼きバナナ、鶏の串焼きなどを売りに来た人たちが集まる。まだ先が長いから何も買わずにバスの中で出発を待とうと思っていたのも最初だけで、焼きバナナや鶏モモの串焼きの誘惑に克てず、バスを降りてそれらを買い求める。鶏モモは1本2000ウガンダシリング(約140円)、焼きバナナは3本で500ウガンダシリング(約35円)。バナナは安いなぁ。というわけで、それらを頬張りながらバスの出発を待つ。

送信者 kenya



意外と休憩時間は長く30分近くここにいた。車内にはさまざまな食べ物の匂いが立ち込める。

バスは順調に走り、途中、街中でもないところで中国式建築で造られた中華料理屋を沿道に見る。なんでこんなところに?

畑や田んぼ(?)、湖や林などに挟まれた道をバスは快調に走る。あるところでは若い男たちがサッカーの試合をやっていた。また日干し煉瓦で造られた草葺の家なども見る。

カンパラを5時過ぎに出てから約4時間後の9時すぎ、バスは国境に到着。なぜか国境のいったいは未舗装。貨物列車が積んでいるようなコンテナを積んだトラックが数珠つながりに並んでいて、その脇を人々が通っている。トラックに車、自転車、通過人と物売りの人、牛などがいて国境はなかなかにぎやか。

乗客はいったんバスを降りて、自分の荷物を持って出国手続きに向かう。窓口に多少行列ができたが、すんなりと通る。

100mほど歩いてケニア側のイミグレへ移動。そこで入国カードとビザの申請書を記入して提出。ケニアもビザ代は50米ドルで米ドル払い。けっこう高い。タンザニア以降、ビザ代50米ドル以上が続いている。

送信者 kenya


荷物のチェックはなく、質問もほとんどなく、すんなり判子をもらってケニア入国。で、自分のバスを探すがあたりにない。きょろきょろしていたら、通りすがりの人があっちのほうじゃないかと教えてくれる。一度、そちらに行ってみるがバスは見えない。他にも似たようなバスが何台も止まっていることもあり、どれが自分が乗ってきたバスがすぐに見つけることができない。あっち行ったりこっち行ったりして、ようやく発見。幸いなことにまだ乗客は集まっていなかった。

すべての乗客が集まるまでしばらく待つ。待っている間、残ったタンザニアシリングをケニアシリングに両替。ダンボールの箱に500mlのペットボトル飲料を入れて売り歩いている男の子がいたが、ケニアのお金は少ないので我慢。

同じバスにはもう一人日本人が乗っていた。20代半ばくらいの男子。ぼくはカンパラでバスに乗り込んだときから気づいていたが、相手はまったく気づいていなかったようで、ここで初めてしゃべる。彼もナイロビに行くらしい。しかもナイロビには一度行っていて、これから戻るところらしい。ナイロビの宿の在り処も知っているというので、じゃあナイロビで一緒に動きましょうということになる。正直なところナイロビの治安がどの程度が図りかねていたので、道連れができて少し安心する。どこでもそうだが暗くなってからの到着では宿探しが面倒。その点、知っている人となら少しは安心できる。

結局、国境を通過するのに1時間ほどかかる。バスは再出発。

ケニアに入ったからといって特に景色は変わらない。風に揺れる緑の畑、ツチ壁に草葺の円形の住宅、サッカーに興じる男たち、収穫した米(小麦?)を天日で乾かす人たち。車は休まずに走り続ける。
送信者 kenya


送信者 kenya


何時ごろだったか、沿道に看板を見る。ここが赤道直下、つまり緯度0度だと書いている。エクアドルのようにどでかいモニュメントを造ったりしている様子はない。これで赤道を越えるのは何回目なんだろうとふと思う。一度はエクアドルで超え、それからアルゼンチンからスペインへ行った飛行機で南から北へと行き、西アフリカを南下する過程でもう1度越え、そして今回。こうして数えると4回目ということになる。これ以降は南下する予定はないから赤道をまたぐのはこれが最後となりそう。

ここらに来て、沿道には蜂蜜屋さんが目立つようになる。パラソルを道路わきに立てて、ビン入りの蜂蜜を台に並べて売っている。ジンバブエでもムタレからハラレに行くときに同じようにして蜂蜜を売っている人たちがいたが、バスも止まったりしなかったからそのときは買えなかった。しかし、今回は運転手の友達なのか蜂蜜売りのおばちゃんがバスに乗り込んできて、車内販売を始めた。当然バスは移動し続けているからおばちゃんは帰りはどうするんだろうと不思議に思うのだが、まぁいい。蜂蜜が入っている瓶はウィスキーが入っていたと思われる瓶やジャムなどでよく使われる円筒形の瓶などいろいろ。どれもリユースのようだ。ぼくは運転席のすぐ後ろに座っていたのだが、一度は見送ったものの、やはりアフリカの蜂蜜を試したいという気持ちに克てず、車内を回り終えて前に戻ってきたおばちゃんに蜂蜜を見せてもらう。色具合は日本で見るものと違わない。どのサイズがいいかとしばらく迷い、最終的にはウィスキーの小瓶サイズのものを購入。お値段は100ケニアシリング(約150円)。宿に着いたらレモンを買ってきて蜂蜜レモンジュースでも作ろうかな、とか、ナンとかパンとかを買ってきてぜいたくに蜂蜜をかけて食べてみるかな、などと考えはじめる。楽しみが増える。

しばらくは都市部のようなところはまったく通らなかった。

16時を過ぎたころ、ちょっとした町に入り、そこのある小さな食堂前でバスは停車。昼食休憩はなかったので久しぶりの休憩となる。乗客の中には食堂で食事をはじめる。一緒に乗っていた日本人男子も「どれくらいここで止まっているのかなぁ」などと不安げにしながら食堂に入って食事を始める。ぼくは噂でここいらのバスの運転手は気まぐれで、休憩といっても自分の都合でバスをすぐ走らせたりすると聞いていたので、置いていかれるかもという疑念から外には出てもバスが見える範囲でうろうろする。

そして案の定、そのとおりとなり、バスのクラクションがなったのを聞きつけて慌てて口をもぐもぐさせながら日本人男子は食堂から出てくる。「まったくあいつら・・・」などと彼は文句を言いながらバスに乗り込んでくる。

明るいうちにナイロビに着いたらな、と淡い期待を持っていたのだが、やがて日が暮れ、19時をまわる。19時を過ぎたころから道路が込み合いだす。大きな湖がある町にバスは入って行き、そこの町のターミナルで停車。客を何人か降ろす。

再び走り始め30分ほどたったころ、いよいよ建物が立て込んできて、ビル街が遠くに見えるようになる。やっとナイロビに入った模様。

ビルが並び立ち、よく整備された通りを走る。街中に入ってからは地図を取り出し、地図と辺りの様子を見比べながら現在地確認に励む。宿の名前を頭でリフレインしながら“どこだ、どこだ?”と探していたら、やや狭い込み入った通りに入ってバスは停車。ここが終点だった。

バスを降り、荷物を受け取って、同じバスに乗ってきた日本人旅行者と一緒に宿に向かう。幸いすぐに見つかった。バスを降りたところから100mも離れていないようなところ。階段を上って宿に入る。中には数組の日本人旅行者がいた。

カップルで旅行しているらしい日本人カップルの女のほうは、ぼくを見るなり「なんや乞食みたいな格好してるな。よう似合っとるわ」とのたまう。旅行をしているとほんのたまにだが、こういう異常になれなれしいというか無礼な奴に出くわすことがある。日本人同士だからという気安さからなのか、それとも誰にでもこうした態度をとっているのかどうか知らんが、まったくもってなっていない。というわけで、そういう人は無視するに限るので無視。やれやれしょうもない日本人だ。

相部屋が空いていたのでそこにベッドをとり、荷物を置いて2人で飯を食いに行く。宿の周辺は商店が集まっていて、飲み屋もあったが、食堂は20時をまわっているからかどこも閉店しかけるところだった。そんなわけで選択肢は少なく、しかも入った食堂はメニューはもう2種類ほどしか残っておらず、結局ビーフシチュー&ウガリを食べる。量は少なめ。お値段120ケニアシリング(約200円)。ちょっと高い。

宿に戻ってから宿にある情報ノートを借り出し、情報収集。さっきのカップルはもう宿を出たようだったが、他に4人ほどこの宿には日本人が泊まっているよう。ほとんどが20代半ばから後半で、1人は60代くらいのおじさん。ロビーの共用スペースにあるソファに座って情報ノートを見ながら、他の日本人旅行者などとしゃべったりして夜を過ごす。

ナイロビはカンパラよりも涼しいのだが、なぜか部屋には蚊がおり、羽音がうっとおしかった。なので肌を出さないようにシーツをかぶって就寝。

FIN

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