2009年7月2日木曜日

[diary]キガリ虐殺記念館、ウガンダへ

キガリ虐殺記念館、ウガンダへ

08/09/25(木) 曇りのち雨 20℃程度
[Kigali:Rwanda→:Uganda]
※レート:1米ドル=550ルワンダフラン

・キガリの虐殺記念館
・人をはねる
・ウガンダ入国
・カンパラ行きのバスなし
・バスで夜を明かす

朝は7時前に起床。それから昨日は食わなかった朝食を食いに本館に行く。朝食付きだなんて昨日は忘れていた。朝食はロールパンと卵いためと生野菜とコーヒーのみ。なんだか寂しい。

本館にはインターネットコーナーがあったので、そこのネットで30分ほどネットをする。ネット代は30分で300ルワンダフラン(約60円)。

宿代が高いので、60米ドルものビザ代を払いながら、今日ルワンダを出てしまうことにした。今日、宿を出る旨をフロントに伝え、チェックアウト時間を聞く。朝のうちに宿代2泊分を払ってしまいたかったのだが、あいにく両替しないと持ち金がない。というわけで、まずはフロントの人に、近くに両替屋がないか尋ねる。歩いていけるところにあるというので、教えてもらった方へ行ってみると、あるにはあったが、まだ準備中だった。

今日のキガリも昨日に引き続きパッとしない天気。空には雲がドヨドヨしている。半袖で歩くには肌寒く、長袖のシャツやカーディガンを着ているも目立つ。

両替屋の開店は1時間後の9時だというので、しばらくプラプラ散歩することにする。通りをフルフェイスのヘルメットにビブスをまとったバイクタクシーが走り回る。まだ8時過ぎということでか、車はそこそこ走っているものの通りを歩いている人は少ない。中心部のほうに向かって歩いていくとショッピングセンターみたいな建物を発見。見学するために入ってみる。入り口付近に警備員がいたが、何も言われず。

その建物は3階建て程度の横長の白い建物。中に入ると広い廊下があって両脇に店が並んでいる。まだオープンして間がないのか床も壁もピカピカ。天井のライトが床に反射して輝いている。だが、こちらもまだ開店時間がきていないようで開いている店はほとんどない。開いていたのは24時間営業の食品スーパーのみ。ここの入り口にも武装した警備員がいた。全体で言うと店の数も少ない。適当にぶらぶら見て回ってからこの建物を出る。

改めてキガリのまちを見ていると面的には小さいけれどもけっこう近代的なビルが多いなぁと感じる。それもわりと新しい建物があるし、建築途中のビルも何棟かある。きっとこれらは大虐殺が終わって後に造られたものなのだろう。基本的には2階建てのコンクリート作りのアパートのような建物があちこちにあって、そこが店だったり事務所になっていたりする。街路樹が多く、道にごみもほとんど落ちておらずなかなかきれいだ。

歩いていたらKIGALI A-Z BOOK CENTREという本屋を発見。ここはすでに開いていたので中をのぞいてみる。フランス語や英語で書かれた本に加えて地元の言葉で書かれているものもあり。だが、値段はけっこう高い。

さらにぶらぶらしていると両替屋を発見。こっちの方が宿近くの両替屋よりも若干レートが良かったので、ここで両替する。1米ドルが550ルワンダフラン。ちなみに1ユーロは760ルワンダフランだった。

お金ができたのでちょいと買い物。さっきの本屋に行って絵はがきを2枚購入。1枚500ルワンダフラン(約100円)。パイナップル1個よりも高い。

それから郵便局に行って切手を買う。葉書用の切手は日本まで450ルワンダフラン(約90円)。それから映画「ホテルルワンダ」のモデルとなったホテルに歩いて向かう。キガリの道はまっすぐになっておらず、上から見ればちょっと入り組んだ放射線状にでもなっているのではないかと思えるような造りなので、方向感覚だけで歩いているとなかなかたどりつけない。しかも坂道が多いから道を間違うと面倒。

迷っている時間もないので、ちゃんと地図を見てホテル近くの目印になる建物にまず行くことにする。キガリの路上には食べ物の屋台がほとんどないので、こうして歩いていてもつまみ食いすることができない。そうやって真面目に歩いていたらなんとかホテルに到着。ホテルは10階建てくらいで薄い落ち着いたベージュ色をしている。敷地の入り口には警備員の詰め所があって、その前を高級車っぽい車が颯爽と入っていく。中を見学させてもらおうかとも思ったが、今日はまだ行きたいところがあったので、外観を眺めるだけでここを離れる。

ホテルの前を離れて歩いていたら道端で雑誌を売っているおじさんがいた。見ると英語の雑誌も売っていたので値段を聞くと4000ルワンダフラン(約700円)などと言う。高すぎる。なので無視して去ろうかとしたらいくらだと食いついてくるので、1500ルワンダフラン(約300円)とふっかけると安すぎると言ってひかない。何度か繰り返して結局2500ルワンダフラン(約500円)で買うことにする。どうせどこかで拾って来たものなのだろうが、まぁおじさんの生活の足しになればと思い妥協する。

その近くでバイクタクシーをつかまえ、キガリにある虐殺記念館に連れて行ってくれるよう頼む。そこまでいくらかかるか尋ねると400ルワンダフラン(約80円)というので後ろにまたがる。キガリの虐殺記念館(Kigali Memorial Centre)は中心部から東(たぶん)のほうに外れたちょっと小高いところにあった。ここはそのために建てられたらしいきれいで立派な建物だった。外見は瀟洒な豪邸という感じ。

記念館の敷地の入り口前でバイクから降り、運賃を支払う。その入り口には警官らしい制服を着た男が2人ほどいて検問をしていた。ここで荷物のチェックがあり、たまたま持っていたアーミーナイフを預けることになる。

記念館の入場料は無料。中に入ると昨日行った記念館とはまったく違っていて、内装もレイアウトも凝っている。大虐殺までの歴史的流れから当時の様子、生き残った人たちへのインタビュー、あるいはツチ族をかばったフツ族の人の話などを文章と写真、映像などで紹介し、さらに虐殺後発掘された白骨遺体の頭部や殺された人々の所持品なども展示している。さらに世界各地で起きた虐殺のコーナーもあった。そこではナチス支配下でのユダヤ人虐殺やオスマントルコ帝国下でのアルメニア人大虐殺、カンボジアのポルポト政権下での大虐殺などなどについての簡単な展示がなされていた。

この大虐殺が起こったのは1994年。当時、ぼくは高校生で新聞はスポーツ欄しか見ないという人間だったから新聞などで詳しく追っかけるようなことはしなかったが、それでもなんだかすごい虐殺が起きているというようなニュースは入ってきていたように思う。ツチ族とフツ族という名前はそのときに聞いて覚えたように思う。

ルワンダの大虐殺を改めて知ることになったのは、映画「ホテルルワンダ」の日本での上映運動だった。時は2005年だったか、たまたま家でラジオを聞いていたら運動を立ち上げた人が招かれて話をしていた。同世代の人が運動をやっていたということもあるが、他の国々ではすでに上映されているのに日本では映画界の判断で上映される予定がまったくないという話に引かれ、上映運動について調べてみることにした。結局、ぼくがしたのは署名だけだったけど、この後、日本でも上映が決まり、各地で上映されることになる。上映運動が映画界の見込みを覆したのは、なかなか良かった。が、ぼく自身はどういう事情だったか映画館で見ることなく、この旅行の前にレンタルDVDで見たところだった。

こうして展示を見ていたら、新たに知ることも多い。説明文はフランス語と英語と地元語なので、読んでいると疲れるのだけれど、たとえばツチとフツという分け方自体が、ベルギーが侵出して来る前にこの地に侵出したドイツ人が適当にやった名残でたいしてはっきりとした根拠があるものではなかったという事実は、この虐殺の悲惨さをより強く感じさせる。すらすらと説明文を読めるわけではないので、本当なら1日くらいかけてゆっくり見たいのだが、高い宿に泊まり続ける気にならないので、2時間ほど見て記念館を出る。入場料無料なので、寄付を少々。

Kigali Genocide Memorial Centre
http://www.kigalimemorialcentre.org/old/genocide/index.html

記念館に隣り合って売店があったので、そこで冊子を購入。これがまた高い。20 米ドル(約2200)もした。買うかどうか迷ったが奮発する。

バイクタクシーに乗って宿に戻り、荷物を整理してチェックアウトする。

宿前からまたバイクタクシーに乗ってバスターミナルへ。

バスターミナルをふらつき、ウガンダとの国境に行くバスを探す。当然ながら車が多すぎてどれかわからないので、適当に人に聞いて教えてもらう。

そんなに手間取ることなく目当てのバスを発見。昼飯を食っていなかったので出発を待っている間にビスケットを買う。ダンボールやお盆にそうしたお菓子を載せて売って回っているおばさんから買う。買ったビスケットはビスコサイズで、なぜか袋には貴乃花が写っている。

バスにはいろんな物売りの人がやってくる。シャツを買わないかとかジャンパーを買わないかとか靴を買わないかとか、なかなか対応も忙しい。

結局、出発まで1時間ほど待ち、バスは14時ごろ発車。国境まででバス代は2000ルワンダフラン(約400円)。

しばらく走っていたらぽつぽつと雨が降り始め、そのうち土砂降りのようになる。例のごとく山あり谷ありの曲がりくねった道。道がそういう状態だから当然見通しもきかない。それに加えて車のワイパーは片方しか動いていないからさらに見通しが悪い。それでも順調に走っていたのだが、右に曲がるカーブに差し掛かったとき、前方で一人の男が道路を横断する。雨にできるだけ濡れまいと首をすくめて駆け抜ける。“おいおい、あぶねぇなぁ”と思っていたら、彼に続いてまた別の男が路上に走り出してくる。しかも彼は車の往来をまったく確認せずにいきなり飛び出してきた。一応、彼は駆け足だが、目に入った瞬間“ぶつかるんじゃん?”というタイミングだった。運転手も驚いてブレーキをかける。だけど、ブレーキを踏んでいないのじゃないかと思うくらい車はたいしてスピードを落とすことなくスルスルと走っていく。おいおい、と思わずぼくは運転手を見る。でも、顔は驚いているから止めようとしている様子。でも、実際にはブレーキがきいていない。“アァ、こりゃぶつかるよ”と思っていたら、フロントガラスに走っていた男がぶつかる。カエルが仰向けになったような感じで、腕は万歳状態で、足はパーって状態でフロントガラスに一瞬張り付く。車は男の後ろからぶつかったので、男はフロントガラスに張り付いた後、道路にうつ伏せになって倒れる。その瞬間、沿道で雨宿りしていた彼の友人らしき男たちが、ワーッと騒ぎ出す。運転手は目を見開いてフーフーと激しく呼吸をしている。

“あいや~”と思いながら、男を見たら彼はうつ伏せになって倒れた次の瞬間、スタッと立ち上がり、道路の端の方へまた走っていく。そして、道路の脇の安全なところまで行って驚いて興奮した様子でこちらを見ている。幸いなことに血は流れていない。もっともくねくね道で上り坂だからたいしてスピードは出ていなかったんだけど、でも打ち所が悪くなくてよかった。

沿道にいた男たちからワーワーと何か言われるが、運転手はなんとかと言い返し、またアクセルを踏んで車を先へと進める。これで一件落着(?)。死ななかったから良かったけど、しかしあの人はあとであちこちが痛むだろうなぁ。

それから1時間足らずでウガンダ国境に到着。タクシーはここでおしまい。リュックをかつぎ、運賃を払う。

あいにく雨は降り続いていた。でも、かなり小降りになっていたのでラッキーだった。またリュックにカバーをして、イミグレに向かう。ルワンダの出国手続きはすんなり終わり、そこからちょっと歩いてウガンダ側に移動。ウガンダ側のイミグレでビザの申請書と入国カードを書いて提出。ビザ代は50米ドル。高いなぁ。でも問題なく、入国できる。入国後、国境の両替屋で両替。1米ドルは1500ウガンダシリング。

さて入国はしたものの、この先がどうなるのかよくわからない。あちこちにタクシーがあるだけでまちらしき雰囲気はない。適当にまわりにいるタクシーの運転手ではない人に、首都のカンパラに行きたいんだけどどうすればいいと尋ね、行き方を教えてもらう。それによるとカバレという町までタクシーで行けば、そこからカンパラ行きのバスに乗れるとのことだった。入国してくる人たちもタクシーに乗って移動していたので、ぼくも乗り合いタクシーに乗ることにする。タクシー代は3000ウガンダシリング(約200円)。

カバレのまちには30分ほどで到着。

しかし、運転手は不親切なことにバスターミナルではなく、適当な道端でぼくをおろす。余計にカネを取られるのも嫌だからしょうがなくそこで降り、タクシー代を払う。そして、バスターミナルはどこか教えてもらい、そちらに向けて歩き始める。

カバレの町は商店や露店も多く、意外ににぎやかだった。バスターミナルに着くまで何人かに確認し、ようやくターミナル到着。サーカー場の半分くらいの敷地を取り囲むように商店やバス会社の事務所があり、真ん中は駐車場になっていた。

バスの絵が表に書かれてあるところを探し、バス会社の事務所に行く。ドアのないフルオープンの事務所だった。そこでカンパラに行きたいんだがと言うと、今日はもうカンパラ行きのバスはないと言う。ぼくの皮算用では夕方発の夜行バスに乗って、明日の朝にはカンパラに着くというものだったが、それがあえなく壊れる。他にバス会社がないか探すがない。

しょうがないので今日バスに乗ることはあきらめる。それで明日は何時発なのかと尋ねると朝の3時だとか言う。バス会社の人はホテルを紹介するからそこに今晩は泊まって明日の朝ホテルの前までバスが行くからそこで乗ればいいというようなことを言うが、3時だったら眠らずに起きておかないと逃す可能性がある。だいたい口で何時だと言っても容易には信じがたい。できるだけ早くバスに乗り込み、自分の席を確保しなければ椅子に座れない可能性もある。そんなふうに考えていたら当然ホテルに泊まるなんてもったいないので、タンザニアであったようにバスの中で寝られないかと尋ねる。が、これを許してくれない。

夜中までは時間があるので、ここからカンパラに少しでも近い町まで行って、そこでバスを乗り換えるという方法で行こうかとも思うが、だいたいこうした乗り継ぎ法を採用すると結局高くつくことが多いので悩む。

しばらくの間、あれはどうだ、これはどうだとあれこれ考える。そして、結局はここで夜中まで待つということにする。夜中にバスがあるならここも人がいなくなるということはないだろう。バスのチケットは買って、それで持ってバス会社の事務所が開いている間はずっと事務所にいて、追い出されたらその辺でバスを待とう。そういうふうにすることにした。バス代はカンパラまでが18000ウガンダシリング(約1200円)。

雨はあがり、外はまだ明るい。町を見て回りたい気分なのだが、なんせ荷物が多い。リュックを背負い、小型リュックを片手に持ってぶらぶら歩きにはなれない。というわけで、事務所の入り口の段差のところに座って、メモ書きをしたり、本を読んだりして時間を潰すことにする。今日はビスケットしか食べていないし、新しい国に入ったから何か食いたいところだが、バスにはトイレがついていないだろうし、実際のところカンパラまでどれくらいかかるかわからないので我慢する。

暗くなったらぽちぽち電気がついたが、本を読むには厳しかった。なので、あたりを眺めたり、蚊と格闘したりしながら何をするでもなく時間が過ぎるのを待つ。

こうして夜は更けていったのであった。

FIN

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