2009年6月30日火曜日

[diary]ビクトリア湖畔ムワンザの1日

ビクトリア湖畔ムワンザの1日

08/09/22(月) 晴れ
[Mwanza:Tanzania]
※レート:1米ドル=1150タンザニアシリング

ムワンザの朝。部屋には扇風機がついていたが、使わなくてもそう暑くなかった。

8時過ぎに宿を宿を出てまずはルワンダとの国境方面に行くバスの下調べ。昨日の終着点だったバスターミナルに歩いていく。宿からは100mほど。途中、車体に大きく「朝日新聞」と書いたトラックが走っていくのを見送る。

長距離バスは他と同じくいろんなバス会社がめいめいバスを走らせており、窓口もそれぞれ持っている。なのでそれぞれで聞いて回らないとまとまった情報を得ることができない。それぞれバス会社の看板が一応出ているのだが、ルワンダ行きを示すような文字は見つからない。しょうがないので適当に聞いてみる。すると人が人を呼び、目的の情報も手に入る。それによるとルワンダ国境方面行きのバスは明日の明朝5時ごろ発らしい。しかも乗り場はここでなく、別の場所だと言う。時間通りに出るかわからないので、明朝発なら今晩バスの中で寝れないかと尋ねる。すると夕方19時にここに来れば乗り場まで連れて行ってくれると言う。なかなか親切だ。これでバス探しは終了。

ターミナルの隣が市場だったのでそこを見に行く。服屋や布地屋、工業製品店、八百屋、食堂、魚屋などが並ぶ。食堂ばかりが集まっているところに行くとえらく客が入っている店があったので、そこで朝食にすることにする。メニュー表はないので人が食べているのを見ながら何を食うか考える。大きく言えば肉と魚があったのだが、せっかくビクトリア湖畔に来ているのだからと魚のスープを頼む。魚はナイルパーチのよう。ウガリかナンかがつくのかと思いきや本当にスープだけ。スープも魚とスライスされた芋が数枚入っているだけのむちゃくちゃシンプルなものだった。味は塩味。ひどくはないがうまくもない。魚の身はやっぱり泥臭い。お値段は1500シリング(約150円)。

食後、市場を一通り見て回ってから街中の方へと歩く。タンザニアシリングがやや足りなくなってきたので、少しばかり両替するために銀行を探す。ムワンザのまちはそこそこ近代化されていて通りを走っている車はトヨタが多いし、建物も高さはないものの近代的なものがちらほらある。高いものでだいたい10階建て。多くは2~3階建てがおおい。アフリカらしくとでも言うのか建物の色は黄緑だったり、青だったり、マンゴー色だったり、なかなかカラフル。他にもイギリスあたりが植民地時代に作ったらしいヨーロッパ調の白亜の建物も目に付く。そうした建物には「1948」など建築年らしい数字が刻み込まれている。またモスクもあり。

人々の格好は男はもっぱらスラックスみたいなズボンあるいはジーパンに半そでのワイシャツ。ワイシャツは柄入り、柄なしいろいろ。女性はオフィスワーカーは別として市場などで働いている人は、Tシャツに足首近くまである布地を腰に巻いているスタイルの人をよく見る。布地の柄はさまざま。加えて頭にもバンダナ(と言っていいのか?)を巻いている女性も多いので、その柄と腰巻式スカートの柄があることでずいぶん景色に彩があるように感じる。

タンザニアシリングが少し足りなくなりそうだったので通りがかった銀行で米ドルからタンザニアシリングへと両替する。他と同じくここの銀行の入り口にも武装した警備員がいた。

適当にあちこち通りをふらついていたらインターネットカフェを発見。立ち寄る。1時間 1500シリング(約150円)。

そうこうしているうちにお昼になったので昼飯を食いに行く。昨晩行った店にまた行く。昨日行ったときにはビリアニはもう終わったと言って食えなかったが、今日の昼ならあるとのことだった。店の男の子の愛想も良かったし、また行ってみるかという気になったのだが・・・。

店に入ると昨日の今日ということで店の子はぼくのことを覚えていたようで、にこっと微笑み席をすすめる。席に座り、ビリアニを注文。しばらく待つ。

待っている間、近くの席に座った男が話しかけてくる。見た目は30代後半から40代。どこから来たのか、何しに来たのかなどと英語で聞いてくる。それに答えるところで料理が到着。が、それを見て驚く。出てきた料理は昨日と同じ魚にご飯、カレースープのようなもののセット。さっき確かにビリアニを注文したし、昨日だってまずはビリアニがあるかどうかを尋ねたのだからビリアニが食いたくて来ていることくらいわかるだろうになぜか違うメニュー。料理を持ってきた男の子に尋ねると、ビリアニはないと言う。“えっ? なんで? ないならないで、ないと教えた上で何を食べるか聞くじゃろうが!” う~ん、わけがわからん。どうしようかと思っていたら今話していたおじさんが、ビリアニが食べれる店を知っているから連れて行ってやると言い出す。おじさんはすでに自分の食事は終えていて、さらに何かを注文していたようだがそれはキャンセルして一緒に店を出るよう促す。

というわけで試しについていってみようとおじさんと一緒に店を出る。

おじさんとおしゃべりしながら歩く。おじさんはここには仕事がないとかなんとかと言う。

到着したのはこじゃれたレストランだった。お客も多い。しかもオフィスワーカーのような格好をした男が多い。店に入るとすぐにウェイターの女性が来て人数などを尋ねる。50~100人くらいは収容できそうなくらい広い敷地に4人がけくらいのテーブル席があちこちにレイアウトされている。おじさんと2人で適当なところに座る。メニューを見るといろんな料理があったのだが、1食100円予算のぼくにとってはほとんどが予算オーバー。ビリアニはなかったもののピラウ(ピラフ)がそれと一緒だと言われ、ピラウを頼むことにする。おじさんはすでに食事済みということで何も頼まず。しかし、それではなんか気まずいのでおじさんにご馳走するから何か飲まないか聞くとおじさんは速やかにビールを注文する。ピラウは2000シリング(約200円)。ビールは一本1200シリング(約120円)。

どういう流れからだったか言葉の話になる。おじさんは英語は難しいと言う。なぜ難しいかと言うと文字と発音があっていないからと言う。その点スワヒリ語は簡単。英語と同じアルファベットを使っていて、さらにローマ字読みすればそのまま通じる。文字と発音が一致している。おじさんはそういうわけでおそらくスワヒリ語は世界で一番簡単な言葉だと言う。しかしぼくの知っている範囲では文字と発音が一致していない言葉のほうが少ないと思うんだけど、あまりそこは突っ込まず。

おじさんは銀行に用事があるらしいし、この後ずっと一緒にいるのも気疲れするので食事後に別れる。

まずはビクトリア湖畔まで歩き、湖畔に沿って伸びる道をてくてく歩く。目指すはガイドブックの地図に載っている湖畔の魚市場。

アスファルトで舗装された歩道を歩いていくのだが、日差しもけっこう強く思いのほか暑い。気温は30度はいっているだろう。トヨタのハイエース(大型ワゴン)を改造したミニバスが脇を走っていくのを見て、乗ってしまいたい誘惑に駆られる。が、節約節約。歩く。

途中、湖畔の船着場の前を通り過ぎる。ザンジバルに行ったときと同じような小型フェリーが止まっていて、船着場周辺では乗船客を狙って物売りをしている人たちがいた。そこから歩いて15分ほどで湖畔の魚市場に到着。これが不似合いなくらいに施設が立派。見た目のきれいさからするとここ数年のうちに造られたよう。市場の隣には食堂市場とでも言うべき施設があって奥行き30mくらいはありそうな屋根つきのコンクリート製の建物の中にいろんな食堂が集まって入っている。

魚市場の方はコンクリート化された床の上に屋根だけという簡単なものだった。しかしなかなかでかい。敷地は50m×20mくらいはある。ただ魚市場というよりも飼料市場のようなところだった。飼料袋が積まれ、魚の干し物なども山のように積まれている。客は少ない。禿げサギとでも名づけられそうな鳥が辺りをうろうろし、人々が仕分けした魚を狙っている。市場の奥隣を見に行ってみるとこちらはでは木製の台に開いた魚を並べて干す作業をしている人たちがいた。

ちょろちょろっと見ただけで市場を後にする。帰り道の途中、お店でジュースを1本買って水分補給。またてくてく歩いて中心部に戻る。中心部近くにも船着き場があってそのあたりは人口密度が高い。

まだ歩いていない通りを歩いて宿近くまで戻る。宿近くの市場の服屋通りに出たら店先で足踏みミシンを使って服を作っている人たちがいた。その人たちの足元には布地の切れ端が落ちている。ちょうどズボンの太もも辺りが破れてしまったので、適当な大きさの切れ端を探し、落ちていたやつを拾ってもらえないかとあるミシンのお兄さんに尋ねる。するとお兄さんは事態がよくわからなかったようでちょっと考えていたが、ただ布切れが欲しいだけというのがわかると笑って持ってけという仕草をする。なのでありがたくいただく。ついでに針と糸もくれないかなと思い、指差しながら一応値段を聞いてみると300シリング(約30円)で売ってくれる。

いったん宿に帰って荷物の準備をして、まだ早かったが宿を出る。そしてバスターミナルに行ってそこのベンチで縫い物をしながら時間を潰すことにする。ズボンは相変わらず1着しかないので履いたまま縫う。西日が射す中の作業となり、まぶしくて目が疲れる。

ターミナルには路上生活をしているらしい母子がいた。子どもはまだ3歳くらい。小鳥を捕まえようと無邪気に走り回ったり、落ちているものを拾って遊び始めたり、うんこしたり。母親は子どもをおとなしくさせようとしているが、あまり気が入っていない。疲れているように見える。母親はバス待ちをしている人たちに近づいて物を乞う。たいていの人はあげられるものを持っていないようで首を横に振っている。その母親はぼくのところにも来たので、ぼくは1食分程度のオカネを手渡す。

ズボンの縫い方が終わったところでベンチを離れ、バス会社の窓口に行く。ルワンダの国境近くまでのチケットを購入。チケット代は22000シリング(約2200円)。けっこうする。窓口を閉めるまでちょっと待ってろと言われ、しばらく待つ。今夜バスに泊まるのはぼくだけではないようで、2人の子どもを連れた女性も一緒に待っている。

暗くなった19時半ごろ、バス会社の男に案内されて車に乗り込む。子ども連れの母親も一緒。

車に乗って15分ほど。市街地からはだいぶ離れた通りにやってくる。運転手は舗装された幅広の道路の脇に車を止める。車から降りるよう言われ、街灯がぽつんぽつんとしかない暗い道を歩く。案内されて着いたのがバス乗り場だった。会社ごとにバスターミナルを持っているようで、この会社のターミナルがここらしい。バスターミナルの入り口には簡単な食事ができる屋台があった。他にもバスを待っているらしい人々はいたので、その中にいる限りではそこそこ賑やか。暗いから本を読むわけにもいかず、辺りの様子を眺めたりして時間を潰す。

1時間か2時間待たされた頃、ようやくバスが到着。バスの中に乗り込んでいいと言うので、バスに乗り込み、適当な座席に座る。荷物は手元に置き、貴重品が入っているウェストバックは枕代わりにする。しばらく横になっていると蚊の羽音が聞こえる。長袖長ズボンに靴だから指される心配はあまりないのだが、念のため蚊帳を布団代わりに使う。昼間は暑かったが、夜になるとそこそこ涼しい。客も少ないので横になって寝ることができた。

FIN

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