2009年6月28日日曜日

[diary]ザンジバルへ、再会

ザンジバルへ、再会

08/09/16(火) 曇り晴れ
[Dar es Salaam→Zanzibar:Tanzania]
※レート:1米ドル=1150タンザニアシリング

・再会
・ストーンタウンで迷う
・屋台街
・たこ

6時過ぎに起床。天井備え付きの扇風機のおかげで心地よく眠れる。

部屋にコンセントがなかったので廊下で充電しながらしばらく日記書き。

9時前には、同室の2人も起きる。すでに宿代は払ったというので、ここでぼくのぶんの精算をする。トリプルの部屋に3人で泊まったことで一人8300シリング(約900円)なり。だいたいどこもシングルは10000シリング以上するので1食分が浮いた計算になる。

一人の人がいらないというので、『地球の歩き方 エジプト』をもらう。ぼくは彼に意図せず残ってしまった西アフリカで使える通貨CFAをプレゼント。また、もう一人の人には酔い止めの薬を分けてもらう。彼がザンジバルからダルエスに戻るときは船がめちゃくちゃ揺れ、乗船者の多くが嘔吐していたという。その話を聞いたので念のため。

10時ちょっと前にチェックアウト。彼ら二人は夕方発のタンザン鉄道でルサカに行く予定をしていたため、夕方まで宿で荷物を預かってもらえないかと交渉していたが、あっさり断られていた。

宿の入り口で記念撮影をしてから彼らと別れ、ぼくは船着き場に向かう。

船着き場近くになると昨日もそうであったように、うっとおしいおじさらんらが声をかけてきてチケットを買うならこっちだというようなことを言って案内しようとする。彼らの”仕事”はザンジバル行きの船に乗ろうとしている外国人旅行者に勝手に付いていって勝手にチケットを頼んで、それで手伝ってやったからと5ドル程度を巻き上げるというもの。あんたなんか必要ないと言ってもそれを無視してついてこようとするから、質が悪い。昨日行ったYMCAには彼らを相手しないよう張り紙がされてあったほど。

昨日、チケットを買った会社Flying Horseの窓口に行き、どこから船に乗れるのか聞く。乗船は11時からと言い、すぐ脇に警備員がいる入り口があって、そこから入って中で待っておけと彼女は付け加える。

ゲートでチケットの確認があり、中に入ると荷物のチェックがある。これはほとんど形だけ。あまり意味のあるチェック体制にはなっていない。待合い所があり、そこで座って待つことができるが、ぼくが行ったときにはすでに満席。

通路で待つ。カシューナッツを売っている人がいたのでカシューナッツの小さな袋を2袋買う。20~30粒ほどが1000シリング(約100円)。モザンビークでは同じ値段で倍くらいの量が買えたのだが。しかも食べてみたら黴くさいのがあった。湿気で柔くなっていて歯ごたえも味もいまいち。

11時になると船に向かう通路に行列ができる。ぼくもその列に並ぶが、皆が持っているチケットはぼくのと違い高い会社のもの。おかしいなと思い、チケットをチェックしている人に聞いたらさっさと通してくれ、左側の方を指さし、あっちの船だという。

目の前にはもう1隻船が停泊していて、塗装もしっかりされており、きれいだったのだが、これに乗るのではなかった。

左の方に通路を歩いていき、桟橋の先に止まっていた船は塗装があちこちはがれ、さびて古くなっているのが一目でわかるような船。チケットを見せ、2階の客室にあがるとすでにほとんどの席が埋まっていた。11時から乗船と言われ、1時間ほど外で待っていたのに、これでは早く来た意味がない。さすがアフリカ。適当だ。

客室は3人掛けほどの椅子が3列あり、その間を細い通路が通っている。外がよく見える壁際の席に座りたかったのだが、空いていない。しょうがないので船の先の方に近いところの座席に座る。椅子は固定されておらず、後からとってつけたような椅子だった。

船は12時発。しばらく待つ。同じ宿だった人からもらった『地球の歩き方 タンザニア等』を読みながら待つ。

客はちょろちょろとやってくるが、ぼくが乗って以降はそれほど増えなかった。12時前に日本人らしきバックパッカーが一人乗り込んできて、ぼくの隣に座る。話してみると聞きおぼえのある声。でも容姿からはどこで会ったかが思い出せない。

ちょっと話した後、彼の方から前に会ったことがあるようなと切り出してくる。どこで会ったかと尋ねると南米の南の端アルゼンチンのウシュアイアで同じ宿だったという。それで思い出す。

彼とは1泊だけ同じ宿で同じ部屋だった。ぼくがウシュアイアを出る朝、彼もウシュアイアのまちなかに行くというので、宿から町中まで一緒にバスで行ったのだった。薄暗い中、雪の降りつもったバス停で、いつ来るかもわからない町中行きのバスを二人で待っていて、そのとき多少話をした。思い出せば確かにそのとき聞いた声だった。

なんだかそのときとは出で立ちが違ったから、ぼくは彼となかなか気づけなかった。彼の方はぼくを見て一瞬そうじゃないかと思ったらしいが、ちょっと雰囲気が違って見えたので最初にいくつか質問をしてみたという。

旅行中に会った人と再会するのは、これで3ケース目。他のケースは南米内での出会いと再会だったが(具体的にはパラグアイの日本人移住地の宿で一緒だった人とブエノスと宿で再会。またチリの船で一緒だった人とやはりブエノスで再会)、今回は大陸を越えての再会。しかも船の上というのに巡り会いの不思議さを感じる。

彼はあれから南米を北にあがり、中米を通ってニューヨーク、スペインを経由してから南アフリカに入り、そこから北上して今朝の3時にダルエスサラームに到着
したという。

船は12時半過ぎに発車。港を離れ、北東に向かう。湾内では網を引き上げている漁船や白い帆を張って走るダウ船、釣りをしているらしい丸木舟などを見る。

ダウ船は50人以上乗れそうなわりと大きな船も走っていた。風を受けて走る様はなかなかかっこいい。特に三角形の帆の形がなかなかよろしい。帆かけ舟自体は西アフリカでも見ることがあった。ベニンの湖の集落でも四角い布を帆にして走ったりしていたが、こちらの方が、断然本格的という印象を受ける。

湾内はたいして揺れがなかったものの、湾を出ると大きく揺れるようになる。外を見てれば酔いはしない程度だったが、外が見えない場所にいればたぶん酔うであろうというくらいだった。

船に乗っているのは地元の人かアフリカ人の観光客か(?)という人がほとんど。日本人はぼくらの他にもう一人おじさんがいた。その人は日本語の文庫本をずっと読んでいた。周りの人ともしゃべっていたからここに住んでいる人なのだろう。

客室にはテレビが備え付けられていたものの、使われることなく、また移動につきものの音楽もなく、ただ船のエンジン音と波をかき分ける音、そして吹き込む風の音が聞こえるばかり。

久しぶりの再会ということで、彼とはお互いのこれまでの旅話などをする。

ダルエスサラームを出てから3時間ほどたったころザンジバルの島が前方に見えてくる。後ろからやってきた東海汽船と船体に書かれてある高速船がわきを颯爽と追い抜いていく。高速船では1時間半ほどでここまで来る。つまり2倍程度のスピードが出るらしいのだが、こうして近くで見ると呆然とするほどまったくスピードが違う。

ザンジバルの港の桟橋には2艇の高速船がすでに停泊していて、客や荷物を下ろしているところだった。そこにおんぼろ船が加わる。

急な階段を下りて桟橋を歩き、Welcomes to Zanzibarと書いた看板を右に見ながら上陸する。通路に沿って歩くとすぐにイミグレがあり、そこで係りの人から入国カードをもらいカードを記入。様式はタンザニア入国時に書いたものとまったく同じ。

この島は1964年までは独立したザンジバル共和国として存在していたのだが、その年に併合されタンザニアの一部となった。そのころの名残なのか同じ国内なのにイミグレがあるのは珍しい。

てっきり観光的な手続きかと思っていたが、パスポートと入国カードを渡すと係官は機械でパスポート情報のページを読みとったりしていてなかなか本格的。窓口には小型カメラもある。ただ質問等はまったくなしで、パスポートにスタンプが押されて戻ってくる。

二人の手続きが終わり、さて、島に入るかとしたところ「Hello my friend」とやや年輩のおじさんが声をかけてくる。なんかの商売人かと思って適当にあしらっていたら、自分はHealth Officeの者だとイミグレの隣にあった窓口を指さす。そして、黄熱病の接種証明書が見たいと言う。それならそうともっと官僚的な言葉遣いをしてくれればさっさと対応したのに、呼びかけの言葉が路上の怪しいおっさんたちと同じだから勘違いしてしまった。

それでそのオフィスに行き、中にいた女性に黄熱病の証明書を見せようとすると、その仕草だけでOKと言って解放してくれる。まったく意味がわからん。

港の入り口前で迷路のようだというストーンタウンの地図を見て、今晩泊まる予定の宿の位置を再確認。

港の入り口には警備員がいて、人の出入りを一応チェックしているが、出入りする人や物が多く、あまり厳格にはなされていない。

その入り口を出ると、外にはホテルの客引きやタクシーの運転手らが待ちかまえていて、なんだかんだと声がかかる。そして例のように話の通じないおっさんが、ザンジバルの話などを英語でぶつぶつ言いながら宿はこっちだなどと案内を始める。ノーマネーなどと言うが、とても信じられない。

無視しながら二人で歩く。ストーンタウンは、モロッコのメディナを思い起こさせるような造りになっていた。ひしめき合うように立ち並んでいる3階立て程度のアパート(?)群はバルコニー作りやその格子の形、窓枠がアラブ的なデザインになっていて、それがまたモロッコを思い起こさせる。

いざ入ってみると地図で見た感覚とまったく違う。どちらに目的の宿があるかわからなくなる。地図を確認しても地図自体が不正確に見える。

3人が横になればいっぱいという細い石造りの道を歩き、なんどか行ったり来たりするが、どうもわからないのでインド系の人がやっている化粧品屋で道を尋ねる。尋ねていたら通りすがりのおじさんが間に入ってきて、連れていくから後をついてこいと言う。

彼もカネはいらないというので、半信半疑ながら彼についていく。

途中、2階の窓から買い物かごを紐で吊して、なすの受け渡しをしている人を見る。

そこから5分程度で宿に着いた。そこまでの道もちょっとくねっていて慣れぬ人では迷いそうな道筋だった。宿まで行ったらおじさんは本当にカネを要求することもなく、去っていった。

宿の受付の太いおじさんに部屋があるかと英語で尋ねるとあるという。値段を聞くと10米ドル。部屋を見せてもらい、それから彼と打ち合わせして値引き交渉。彼は英語がよくできるので彼がおじさんと話し合って、タンザニアシリング払いで安飯1食ぶん程度下がる。3泊するなら1米ドル程度ディスカウントすると言ったが、3泊するかはまだ未定だし、もっと安い他の宿を探すのはぼくが面倒なので、それで手を打つ。

部屋に荷物を置いてから受付で名前とパスポートナンバーを記入し、2泊分前払い。

腹が減っていたが、イスラム教徒が多いザンジバルはラマダン中ということもあって、日暮れまで屋台などは出ないというから、しばし部屋で休息。

夕暮れが始まった18時前に宿を出る。まずは港の通りまでの道を確認し、ストーンタウン内での宿の位置を再確認。

それからうまいというフォロダニ公園の屋台街を目刺し、海沿いの道を歩いていく。300mほど歩くとオールドアラブ砦あたりに来て、その脇の通りが屋台街になっていた。が、屋台は10軒ほどと少ない。屋台は炭火焼きの屋台がほとんどで、たこやいかや魚やロブスターなど串刺しにした海産物を選んで焼いてもらうスタイルのよう。値段を聞くと1000、2000、3000シリングと物によって別れている。1本の量は大したことないからちょっと高い。2000シリングも出せばウガリ(トウモロコシの粉をお湯でついたもの)と肉スープのセットが食えたり、中華料理屋で一品食えたりすることを考えると、値段的に割があわない。また、地図で見た位置とも違っているように思える。

なので、目的の公園にある屋台街はここではないのだろうと思い、歩き続けるがそれらしきものはない。

通りすがりの若い男性に彼が聞くとまだ先だという。彼はキリマンジャロに近い観光地アルーシャからこの島に仕事で来ているという。

町中を抜け、くらい通りをしばらく歩いてここだと彼が案内してくれたのは飲み物などを売っている雑貨屋だった。どうもこちらの意図がうまく伝わっていなかったよう。しょうがないので、そこでぼくは水と麺を揚げたベビースターのようなスナックを買う。水は1.5リットルが600シリング(約60円)、スナックは40gほどの小袋が200シリング(約20円)。

その店でしばらく休憩。

それから地元食が安く食べられるところを彼に案内してもらう。町中を経由して、宿の前を通り出たのは、屋台街。こちらの方がごみごみしていて、雰囲気がいい。木製の机と簡単な長いすだけの青空食堂(すでに暗かったのだが)や屋台が30軒程度ある。

切り身にしたスイカを売っている屋台もあれば、サトウキビジュースを絞りながら売っている店もある。また、15cmほどの小さな揚げた魚を売る人、それから揚げダコ屋も多い。街灯はなく、あたりは暗い。魚を売っている人たちはろうそくのようなものを灯しており、やっと魚の判別ができる程度には明るい。食堂の方は、客が食べているものの大まかな形はわかるが、具に何が入っているかはわからないくらい暗い。

ぐるぐると店をまわってご飯を食べている彼おすすめの屋台に座る。同室の彼はウガリとチキンスープを別の店で買ってきて同じ屋台のテーブルで食べる。

おばさんに頼んで出てきたのは、平皿に大盛りのご飯の上に葉ものを炒めたものとスープをかけたぶっかけご飯のようなもの。暗くてよくわからなかったが、具にはじゃがいもや小魚も入っていた。ご飯は黒豆の豆ご飯で木屑のように細かく削ったココヤシの堅い果肉も一緒に炊いているようで、ココヤシの味もする。スープは辛みのまったくないカレースープのような味。味にあまりインパクトがないが、初めて食べるのでよしとする。

食後、ぼくの希望でその屋台街をふらふら。同室の彼は案内してくれたタンザニア人とあれこれしゃべっている。

屋台はだいたい似たようなものばかりで、ご飯やウガリを出す店のほかに、フライドポテトとチキンなどを売っている店も多い。ここで安くロブスターや貝類、あるいは見たこともないようなものが食べられるかと期待して見て回ったが、期待に応えてくれるようなものはなかった。

宿に買える前に揚げダコを買う。足を2本と体の部分とで2500シリング(約250円)。なかなか高い。

宿に帰ってタコをつまみながら、しばらくアフリカ話。

その後、水シャワーを浴びて就寝。

Fin

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