2009年6月29日月曜日

[diary]スパイスツアー、ダルエスサラームへ移動

スパイスツアー、ダルエスサラームへ移動

08/09/18(木) 晴れ曇りちょろっと雨
[Zanzibar→Dar es Salaam:Tanzania]
※レート
1米ドル=1150タンザニアシリング

・充実したスパイスツアー
・夜行船でザンジバルへ

ザンジバルで2回目の朝。明るくなった7時過ぎに起床。

8時前に宿を出て2人でスパイスツアーの事務所に向かう。事務所でツアー代12米ドルを払う。8時半発なのでしばらく事務所で待つ。ぼくらの他には中国系アメリカ人の女の子(20代前半)、それから40代くらいの白人夫婦などが参加する模様。

8時半過ぎ12人乗りくらいのトヨタのワゴン車がやってくる。それに乗り込み出発。昨日も通った北へと続く道を走る。もちろん道は舗装路。

15分くらい走ったところで右へと曲がる。民家や畑、それから人の手が入っているような林を見ながらしばらく走る。スパイスツアーの受け入れをしている農園(?)はいろいろあるらしく沿道にはそれと示す看板が出ている。

ゆるい起伏のある道を5分ほど走ったところで左に入るとそこが農園だった。入り口には「WELCOME TO BUTTERFLY SPICE FARM」と英語で書かれた看板があった。未舗装の道を500mほど行ったところで車は停車。あたりは明るい林となっている。

客を乗せたワゴン車が他にも2台ほど農園に入ってくる。客はヨーロピアン系ばかり。これらの人も同じツアー客のようでツアーガイドの男がみなに声をかけ、農園の一画へと案内する。客は総勢20名ほど。農園のスタッフらしい若い男性が紹介され、彼が農園の説明を始める。言葉は英語。説明されてわかったが、この周りに生えている木々などが香辛料の原料となる実(だけじゃないけど)がなる植物だった。1種類だけでなく、何種類もの香辛料をここで栽培しているという。彼は農園を移動しながらいろいろな香辛料植物(とここでは呼ぶことにする)を紹介する。木々だけでなく、畝を作って植えられている植物もあり。

送信者 tamzania



ガイドの男性は木になっているものであれば実をちぎって、草であれば葉をちぎり、根っこであればそれを掘り出し、実物を見せ客にその香り、味などを確かめさせる。10種類以上の香辛料の原料を説明されたが、名前が英語のため日本語でなんと言うのかわからないものあり。わかったのは胡椒、丁子、カカオ、シナモン程度。他はなんなのかよくわからず。しかし、面白い。植物のこういう部分を使っているのか!という発見がいろいろあった。

ぼくら観光客のまわりには10代くらいの男の子たちが数名寄ってきて、一緒に行動する。彼らはぼくらの傍で笹のような葉で小箱みたいなものを作ったり、花や草をつないで首飾りを作ったりして、それを観光客の女性にプレゼントする。ぼくはてっきり本当にプレゼントしているのだろうと思っていたが、それは見当違いで彼らはそれらをプレゼントすることでお小遣いを手に入れるのが目的のようだった。はじめは小銭を渡していた観光客もいたが、彼らは次から次へといろんなものを作ってあげようとするから、そのうちそれをもらうのを拒否するようになる。ぼくらはカネを出さない奴らだろうと見られたのかプレゼント攻撃を受けることはなかった。その代わりではないが、彼らに対抗して(?)胸ポケットに入っていた紙切れで手裏剣を作って一人の男の子にプレゼントするとこれがけっこう珍しかったようで、“ぼくにも、私にも”といった勢いで押しかけてくる。一緒にいたA君も手裏剣を作って彼らにプレゼント。その様子を他の観光客が写真に収める。

香辛料の林、畑を見た後はちょっと歩いて近くにあるハマム(浴場)の遺跡を案内される。この建物はまだザンジバルがスルタンの支配下にあり、貿易立国であった時代に支配者が自分用の浴場として建てたものらしい。この白亜の建物自体は比較的きれいに残っており、中も見学可能。日本人の感覚からすれば風呂場であったとはわかりにくい作りで、お湯が通る水路などを説明されるとなるほどなとわかる程度だった。

また歩いて農園に戻る。農園の敷地内にはいくつか家が建っていて、外で煮炊きをしている様子などを見る。家は支柱は木で壁は土壁で屋根は椰子の葉(?)葺き。

それからぼくらは木製の簡単なベンチがあるところに集められ、そこでいろいろな果物の味見をする。ガイド役の男性がジャックフルーツやあまり見慣れないりんご系の果物などを一かけらずつ切り取りながらお客に配って回る。香辛料農園やハマムの見学に果物の味見、さらに昼飯つきで12米ドルというのは安い。

木造の高床式の家屋に案内され、そこでお昼ご飯。お昼ごはんはカレー。長粒米のご飯、黄色のカレー、葉物の炒め物がそれぞれ直径30cmほどのプラスチックの洗面器にもられ、そこから各々自分の皿にとって食べる。さすがに香辛料農園のカレー。なかなかうまい。

送信者 tamzania


昼食後、車に乗って移動。昨日も通った道を北へと向かう。ツアープログラムでは昼食後は海岸に行き、行きたい人は入場料を払って近くにある奴隷が身を隠していたという洞窟に行くことができるとなっていた。昨日とまったく同じパターン。昨日もガイドブックを見てそういうことが書いてあったので、ここに来たのだった。

海岸近くで車から下ろされ、草ぼうぼうの中に通っている小道を歩き、砂浜に出る。天気が悪いから海があまりきれいではない。泳ぐには気温も低いし、日差しもない。そういうわけで適当なところに座って時間を潰す。砂浜を小さなカニたちがちょこまかと走っている。

砂浜に着いて20分もしないうちに空から雨粒が落ちてきた。というわけでみな車に退散。車に乗り込み、ストーンタウン近くの事務所まで戻る。

一度宿に戻って荷物を整理し、フロントのおじさんに頼んで夜まで預かってもらう。それから船乗り場に行って、今晩乗る船のチケット探し。船会社はいくつかあるので、それぞれ値段と船の様子を写した写真などを見て船をチェックする。結局は12米ドルの夜行船を選ぶ。出航は夜の9時頃らしい。

まだ夕方前なので時間はある。ストーンタウン内をふらつき、ネット屋でしばらくネット。代金は1時間1500シリング(約150円)。本土よりもちと高い。スピードはまずまず速い。

夕方、夕食としてピザ(350シリング≒35円)、ポテトフライ(500シリング≒50円)、チャイ(200シリング≒20円)を食す。

20時ごろ、荷物を持って二人で港へ。出国ならぬ出島手続きをして船乗り場へ行くと、すでに乗客は乗り込み始めていた。船の後部には「東海汽船」の文字あり。これも日本の中古品を持ってきたもののよう。

ダルエスサラームで会った日本人旅行者の話では外国人用の部屋があり、そこに案内されると聞いていたのだが、乗り込んでみるとそういう場所はなく、スタッフに聞いてもそれらしいところはないとのことだった。外の空気に当たっているほうが酔わないだろうと思い、甲板の席(マットレスが敷かれていて横になることができるコーナーがある)を探したがすでにいっぱい。しょうがないので椅子が並ぶ室内に席をとる。室内の前方や端など横になれるスペースがあるところはすでに他の乗客が荷物を置いたりして占有していたため横になれるような場所は取れず仕舞い。しょうがないので空いている椅子を探し、そこに座る。

ちなみに船内には「シーガル2」と書かれた船内の案内図や御神火レインボー線の運賃表などが貼られていた。

21時すぎ、船はゆっくりと動き出す。ぼくは椅子に座って本を読んだりしながら眠くなるのを待つ。眠くなってきたら隣の椅子に置いたリュックなどにもたれて寝る。しかし、ケツが痛くて夜中目覚める。言われていたような揺れはまったくと言っていいほどなく、揺れで気分が悪くなるということはなかった。ただ地元の客の中には、船に慣れていないのか、見るからに調子が悪そうな人はいた。

FIN

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