2009年6月28日日曜日

[diary]中華街を探して、からゆきさんの家、奴隷市場

中華街を探して、からゆきさんの家、奴隷市場

08/09/17(水) 曇り晴れ
[Zanzibar:Tanzania]
※レート:1米ドル=1150タンザニアシリング

・港の魚市場
・中国人街を探して
・強いられる断食
・からゆきさんの家
・奴隷市場
・北の海辺へ

扇風機を回して寝ていたら意外と寒かった。蚊に刺されることもなし。

7時半ごろおき、ぼくはしばらく書きもの。同室の彼が起きたところで今日の打ち合わせ。一緒に行動するか別行動にするかを適当に話し合う。結果、だいたい見に行きたい場所は似たようなものだったり、僕自身相手がどういうところを見るのかに関心があることもあり、一緒に行動することにする。

9時ごろ宿を出て、まずは近くの港に向かう。目的は魚。ガイドブックの地図によれば、昨日フェリーが着いた港の北側が魚市場のよう。がたがたした細い道を歩く。すぐに魚市場らしきところに到着。ただ市場というよりも道端の露店といったほうが妥当。屋根も何もない道端にかつおのような魚や頴娃(だと思うんだけど・・・)、あるいは見たことのない魚、たこなどを並べて売る人が10人ほどいただけだった。大きな掘っ立て小屋といった様相の市場らしき建物もあったのだが、台などは片付けられていて、すでに営業は終わったかまだ始まっていないかというような様子。

建物の向こうは船着場になっているのだが、この時間は潮が完全に引いていて水がない。そのため木造の帆船らしき船たちがあらわになった岸辺に横たわっている。

市場らしき建物内で2人でぶらぶらしていると、あたりをたむろしていた男たちの中の何人かがどこから来たのかと言ったことを聞いてくる。それに答えていると、どこからともなく4~5歳くらいの男の子が現れ、“遊ぼう!”というような仕草をする。なので、抱き上げたり、持ち上げたりして遊んでやると、まだまだとさらにくっついてくる。周りの人はその子を知っているらしく、その様子を見て面白がっている。こうしていきなりなついてくる子どもも珍しい。そのうち若い母親が現れ、ごめんなさいというようなことを言いながら、子どもをぼくから引き剥がし何やら叱っている。その隙にぼくらは市場を離れる。

予想外に市場が小さかったのは残念。もっといろんな魚などが見れるかと思ったが、そうでもなかった。イカでも飼おうかと思ったりもしたが、1パイが100円ほどしたので辞めた。

それからここには中華街があるというので、それを探しに行く。天気はよろし。

適当に歩いていると道端に漁具を作っているらしい作業小屋のようなものを発見。小屋の入り口には完成した漁具が山積みにされていた。

さらにしばらく歩くとやはり道端で麺を干しているのを発見。木製のケース(日本語の固有名を忘れた)の上にくるくると一定の大きさに巻かれた麺が規則正しく並んでいる。ちょうどラーメン屋などで見るようなスタイルと同じ。ちなみに麺はラーメンのような色をしているが、ソーメンのように細い。麺を作っているところを見たかったが、どうも機械を使って小さな工場のようなところで作っているようだったので踏み込まず。

それからまた中華街を探して歩くのだが、これが見つからない。途中、通りがかった運動場のような広場には漁のときに使う網が広げられ、網を繕っている男の人たちがいた。

さて、ガイドブックの情報を元に中華街を探して歩くのだが、まったくそれらしきところがない。なので通りがかった人に聞いてみるのだが、知らなかったり答えがバラバラだったりと当てにならない。最後に聞いた人があっちだと言うのでそっちのほうに行ってみたのだが、それらしき一帯はなかった。ただその一帯は商店が並ぶ賑やかな通りだったのでぶらぶらと見て回る。工業用の部品や工具などから服などいろんなものが売っている。

そんなこんなで歩いているうちに昼近くになる。ぼくは知り合いの人からタンザニアのザンジバルに行ったらぜひ行くようにと言われていた店があったので、そこに2人で行ってみる。するともう昼も近いのに店は開いていない。まだ開店時間じゃないのかと思い、しばらくあたりをふらついて待つ。しかし、昼になっても開かない。すると店の中から店主らしいおじさんが出てきたので、おじさんに聞いてみると今はラマダン中で休業中と言う。夜はやっているのかと聞いたが、夜もやっていないらしい。いつまで休業するのだと聞いたらラマダンの月すべて、つまりは向こうほぼ1ヶ月は休業するらしい。日本からわざわざここのビニヤニを食べに来たんだと言っても、みんなが断食をしているか店は開けないとの返事で、あえなく退散。楽しみにしていたのになんともタイミングが悪かった。

さて、じゃあ別の店を探すかとなるも、あたりの食堂は開いていない。でも、果物を売っている人はいたので、その人から果物を買ってストーンタウンの人通りの少ない駐車場で食べる。するとそこへ通りがかかった若い男が“食べるのを止めろ”というようなことを怒った顔して言ってくる。いやぁ、ぼくらイスラム教徒ではないんですけど・・・、と思いつつも、まぁ、みんながそうしているからそれに合わせるのがここの流儀なのかと思ったりして、いったんは食べるのを止めるが人がいなくなったところを見計らってまた食べる。そこへ今度はおじさんと若い女性が2人でやってくる。彼らはぼくらが食べているのは気に介していない様子で、まずはどこから来たのかと英語で聞いてくる。それで日本からと答えると日本語を少し教えてほしいと言い出す。なので、いいですよと答えて、どんな言葉を知りたいのかと待っていると、女性のほうから“モンキーは日本語でなんと言うのか?”と聞かれる。意外な質問。サルだと答える。彼女は何度か“サル、さる、さる”と繰り返し、ほかにも2~3の言葉を日本語でなんと言うのかと聞いてくる。なぜそんな言葉を知りたいのかと聞くと、どうも彼女らはツアー会社か何かをしているようで、日本人客を集めるために少しでも日本語を知りたいということのようだった。

彼女らとやりとりしているときも通りがかりの若い男などが、ぼくらが手に持っていた食い物を見てなんだかんだと文句を言ってくる。が、そういう人には彼女らがスワヒリ語でなんだかと言って応酬していた。

さてさて、それにしても飯を食うところがない。しょうがないので地元の飯はあきらめ、中国人なら店をやっているだろうとストーンタウンの中の観光客が多く集まる地域にある中華料理屋に行く。はたして予想通り中華料理屋は開いていた。だが、この一帯には他にも少しだけだが開いている店はあった。不本意ながらも中華料理で昼飯。やはり地元の屋台などと比べると値段は倍以上になる。

このあたりには洒落たカフェやレストランのほかに土産物屋やネット屋、郵便局、ホテルなどが密集していた。道は車がやっと通るくらいの幅しかないのだが、けっこう交通量は多い。

『歩き方』にストーンタウンの一角にからゆきさんが住んでいたところがあるとあったので、そこを探す。地図を見ながら歩くのだが、これがなかなか見つからない。ガイドブックにその一角の写真が載っていたのでそれと一致する場所を探して、あっちかいやこっちかなどとあちこちをぐるぐる回りながら探す。そして、ようやくたどり着く。ガイドブックの写真と比較して確認。確かにここのようだが、それらしき看板などは何もない。そこは3階建ての横長のアパートのようなところで、ガイドブックによればつい40年ほど前(1959年)までからゆきさんとして日本から連れてこられた女性がここに住んでいたらしい。からゆきさんの話は東南アジアなどに連れて行かれたということは知っていたが、アフリカまで連れて来られていたとは知らなかった。こんなところまで連れてこられた彼女らは当時この地をどういうふうに見、感じていたのだろうか。

それから奴隷市場だったという現協会に向かう。これもストーンタウン内にある。途中、道端でクレープみたいなものを焼いて売っているおばさんがいたので買ってみる。

ぶらぶら歩いて元奴隷市場に到着。入り口には「WELCOME TO THE ANGLICAN CHRIST CHURCH CATHEDRAL(THE FORMER SLAVE MARKET SITE)」と書かれた説明板があり、この地の歴史を簡単に紹介している。中に入ろうかと思ったら入場料が必要とのことだったので、外から眺めるだけにする。近くでは椰子の実を売っているおじさんがいたので、おじさんから椰子の実を買う。一緒に動いている彼はこれまで椰子ジュースを飲んだことないというので、やや強引におごりという形でチャレンジしてもらう。椰子ジュースは1個約100円ほど。ジュースに加え、内側の果肉も食べられるのでけっこうお得。

それからぶらぶら歩いていると大きな青果市場前を通りがかる。野菜や果物、山型パンなどいろんな食材、食品が売っていた。市場は建物の中だけでなく、建物の前の道端まであふれていた。そのあふれ出したところで白い液体をペットボトルに入れて売っている人たちがいたので、これは何だと尋ねると牛乳だというので試しに飲んでみることにする。絞りたてだからかまだ温かい。ペットボトルはもちろん使いまわしのもの。1.5Lサイズと500MLサイズがあったので500MLを買ってみる。さっそく飲んでみるとこれがなかなかうまかった。ザンビアで飲んだ牛乳もうまかったが、ここの牛乳もなかなかいける。

それから北のほうにある海岸に行こうとバスを探す。と言っても日本で一般的に走っているようなバスではなく、軽トラの荷台を客席に改造したような元トラックが住民の足となっている。市場近くのバスターミナルで目的地に向かうバスを探す。なかなか目的のバスが来ないため20分ほど待つ。そうしてようやくバスをゲット。

荷台を改造した客席にはだいたい20人ほど乗れる。屋根が付いているから雨に濡れる心配はないが、壁や窓ガラスのようなものはないから横殴りの雨となれば屋根もあまり意味がないものとなってしまう。幸い雨の気配はない。満杯になったところで発車。

30分ほど走ると木々の多い通りに入る。沿道に見える家は土壁に藁屋根。野菜畑なども見える。運転手に行きたいところを伝えていたので、適当なところで声がかかり降りることになる。降りたところには英語で書かれた看板があり、そこに目的地の名前が書かれてあった。ここからさらに少し歩いたところにあるらしい。未舗装の道を歩く。沿道は木と畑と住宅があるだけ。なんだかストーンタウンとは空気が違う。

歩いていたら後ろからロバ車がやってくる。操縦しているのは10歳くらいの男の子で、きょうだいらしき男の子と女の子も一緒に乗っている。男の子らに目的地の場所を英語で聞いたらまだ先だと教えてくれた。男の子のロバの操縦方法がなかなか器用で、クィクィクィと昆虫の鳴き声のような音で進めと止まれの合図をしている。最初はぼくはそれに気づかず、一緒に動いている彼が「なんか面白い音を出してますね」と言ったのでそれで気づいた。ばった系の昆虫が出すような音にも似た、あるいは啄木鳥(きつつき)が木をつつくときの音にも似たような音を男の子は出している。音を出す様子を見ている奥歯をこすり合わせて音を出しているように見えたのだが、本当のところはよくわからなった。

歩いていっているとコテージ風のホテルが見えてきた。小さなホテル。この裏手の海岸が目的地のよう。海岸に出るための踏み固められた道があり、それに従って歩く。そのホテルからは1分足らずで海に出た。小さな白い砂浜で人はいない。水は澄んでいて水の中もよく見えるほど。あいにく空が薄く曇っているからいまいち青さがない。ガイドブックによれば、ここらも以前は奴隷の積み出しかなんかで使われていた海岸らしい。

暗くなるとバスがなくなると思い、20分足らずで来た道を戻る。するとホテル前にバスが止まっていた。運転手に聞くとストーンタウンのほうに行くというので乗せてもらう。来たときと比べれば乗客は少ない。ゆったりと座ることができる。

ぼくらはこのバスはてっきり来るときに乗ったバスと同じくルートバスだと思っていたのだが、道端で手を上げて乗る合図をしている人がいても乗せようとしないので不思議に思う。それで判明したのだが、どうもこの車はホテルの従業員を送り迎えしているバスのようだった。そのためか行きよりも帰りのほうがなぜか運賃を余計に取られる。来たときと同じだろうと乗るときに運賃を確認しなかったのがいけなかった。しかもやや郊外で下ろされてしまう。やれやれ。

ストーンタウンに着く頃にはだいぶ薄暗くなっていた。いったん宿に戻る。そして宿の人に明日スパイスツアーに行きたいんだけどと相談し、ツアーを紹介してもらう。夕方だったので予約が取れるかわからなかったが、ラマダンの時期で観光客が少ないということもあるのだろう、問題なく明日のツアーを予約することができた。

夜は昨日と同じく屋台街で食事。屋台街に行ってみるとまだ暗くなって間もないと言うのに、食堂や屋台の椅子はほぼすべて埋まっている。しかも不思議なことに食べにきているのは男ばかり。店をやっているのが女性だったりするが、ご飯を食べに来ている女性の姿は見当たらない。いくつもある屋台をまたぐるぐるまわって食べたことのないようなものを出している屋台を探す。けっこう味が予想できるようなものが多く、迷ってしまうが最後は適当に決めて椅子に座る。今晩も食べたのはぶっかけ飯のようなもので豆やらスパゲッティやらが白いご飯にのっかっているのを食べる。まぁ、味はうまくもなくまずくもなくというところか。

帰りには揚げだこを買って帰る。これがけっこう高いのだけど、もうしばらくはたこにありつけないだろうと思い、奮発。

宿に戻ってからは同室の彼と明日の予定やこれまでの旅話などをし、適当な時間に消灯。寝る。

FIN

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