2009年10月26日月曜日

[diary]大雨洪水、サナアへ逆戻り

大雨洪水、サナアへ逆戻り

08/10/26(日) 晴れ
[Aden→Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・通りすがりの人からのアドバイス
・ムカッラ行きの乗り合いタクシーは乗車拒否
・サナアへ逆戻り

5時過ぎに起床。昨日は曇っていたものの、今朝はなかなか良い天気。扇風機のおかげで夜もしっかり眠れる。ただ、やはり夜中3時頃にモスクから流れてくるお祈りの呼びかけ放送には眠りを妨げられる。

アデンからムカッラは何kmあるか知らないが、地図で見る限り1日はかかる距離。なるだけ早くに出発しようと6時前には宿を出る。

すでに太陽は昇っていたが、思いのほか涼しかった。通りを歩いている人も少ないけれどもいる。

幅1mくらいある中央分離帯を歩いて乗り合いタクシー乗り場に向かう。歩いていたら正面から腰巻きに帯刀したイエメン的格好の年輩の男性2人がやってきて、英語で話しかけてくる。最初の一声は、”どこから来たのか、フィリピンか?”だった。いやいや日本人だと答える。どこに行くのかというのでムカッラだと言うと、あそこは3日から大雨などで建物が壊れたりしていると手に持っていた新聞の写真を見せながら言う。

見ると煉瓦作りの建物がウルトラマンに蹴られたかのように、上部が崩れていたり、地域全体が水没している写真などが見開き1面に20枚くらい載っている。

おじさんは、「You are my brother」と言って、”だから2日くらいここに滞在して様子を見てから行く方がいい”と言う。

イエメンのニュースはぜんぜんチェックしていなかったため、このニュースは青天の霹靂。もしや一昨日くらいの大雨はこの一部だったのかと、今更思い知る。それに昨日、乗り合いタクシーを下見に行ったときもムカッラ行きは用意してたし、値段を聞いたときにも2000リアルだとすんなり教えてくれたので、まさか洪水のようなことになっているとは思わなかった。もしおじさんたちの言うようにムカッラには行けず、ここで足止めになると、宿代の高いこのまちで待つのは予算的につらい。取りあえずタクシー乗り場に行ってみる。

ムカッラ行きの乗り合いタクシーは、トヨタのディーゼルのランドクルーザー。他のタクシーはライトバンなので、それだけムカッラ行きの道路は荒いのだろう。すでにムカッラ行きの乗り合いタクシーには5人ほど乗客が乗っていた。なので、これは大丈夫ということだろうと思い、車の横でリュックを降ろし、車の屋根に荷物を載せてもらう準備をする。

するとそこへ車の主らしいひょろっとしたおじさんが険しい顔でやってきて、ぼくにどこに行くのだと聞き、ムカッラだというとパスポートを見せろと言う。なのでパスポートと警察からのパーミット(旅行許可証)を見せるとそれをしばらく眺めた後で、なぜか乗せられないというようなことを言う。おじさんはアラビア語しか話さないので、理由を尋ねたかったができず。とにかく乗せないというような仕草ばかり。他の乗客に英語で聞いても解する人はいなかった。ただ一人のおじさんが、バスで行けというようなことを言う。バスは昨日すでに調べており、ムカッラ行きはなかった。

予想外の展開に、はてどうしようかと考え込む。乗り場の端の段差のところに腰掛け、しばしルートについて考えごと。最初は車が変われば、つまり運転手が変われば乗せてくれることもあるだろうからと、断られた車が出るのを待っていたのだが、しばらくするとなぜか乗客たちは降ろされていた。それに控えているランドクルーザーは1台もない。

どうも今日行くことは無理のようなので、ここにしばらく滞在するかそれともタイズやサナアに戻るかを考える。宿代はタイズだと半額の1000リアル(約500円)。ただ、そこまでの乗り合いタクシー代は800リアル(約400円)。2泊以上足止めになるならタイズに戻った方がいい。

ただあの写真にあったような状態がムカッラ全域で起きていて復旧に1週間とかかかるなら別のルートを考えないといけない。それにあの状態ではオマーン行きのバスも出ているかわからないし。

などとあれこれ考えてみるが、情報がない中では結局確定できず、とりあえず宿代の安いタイズまで戻ることにする。

タイズ行きの乗り合いタクシーは同じ乗り場から出ていたので、そちらに移る。助手席に2人、真ん中に4人、後部に3人乗せて、車は7時半頃発車。

1度検問があり、パスポートとパーミットのチェックを受ける。

畑や半砂漠地帯を横目に見ながら車は快調に飛ばし、やはり2時間ほどでタイズに到着。

時刻は9時半。車に乗っている間もどうするかを考えていたのだが、ムカッラ行きのバスはサナアからもあるだろうということでサナアまで戻ろうかと考える。バスがダメなときに備えて飛行機探しをするのもサナアの方が都合がよい。

なのでタイズのサナア方面行きの乗り合いタクシー乗り場近くにあるバス会社でサナア行きのバスを訪ねる。ここのスタッフ3人のうちの1人の人が英語を解した。サナア行きは14時発で1300リアル(約650円)。念のためムカッラ行きがないか聞いてみたが、ここにはなくサナアからあるとのこと。出発まで4時間以上あるので、乗り合いタクシーで行くことも考えたが、乗り合いタクシーは窮屈かつたばこを車内で運転手も乗客も吸うので、今回はそれを避けようと思い、バスに乗ることにする。ホデイダからタイズのバスは良かったし。

バス会社のオフィスにリュックを預け、あたりをぶらぶらする。朝飯がまだだったので、朝飯が食べられそうな食堂を探す。道ばたで鶏の砂肝と心臓とレバーの素揚げを売っているおじさんがいたので、それぞれ1個ずつ買って食べる。香辛料が店で用意されているので、ピリ辛のそれに付けて食べる。2つ合わせて35リアル(約17円)。

それから食堂に入って朝食。豆の炒めものにパン。よくある料理。こっちは料理名がぜんぜんわからないから、適当に店の人が訪ねてくる料理(あれはどうだ、これはどうだとアラビア語で聞いてくる)を注文するとどこでも同じようなものが出てくることになる。チャイも頼み、これで175リアル。

バス会社が面している幹線道路は交通量が多く、排気ガスくさい。かつイエメン人の悪い癖(だと思う)で、やたらめたらとクラクションを鳴らすからうるさい。

とりたてて見るべきものもないので、朝食後、ふらふら歩いた後にバス会社に戻る。裏手に便所くさい待合室があったので、そこで待つことにする。

『コーラン 上』をうつらうつらしながら読む。コーランは物語のように起承転結があるわけじゃなく、ちぎれちぎれの文が並べられているだけなので、物語としてはまったく頭に残らない。また同じことばかり言っているような印象が強い。異教徒を、とりわけユダヤ人やキリスト教徒、多神教徒を罵倒し、アッラー(神)を信じろというが、どうやったらこういう排他的な神を信じられるのかが不思議だ。

また、聖典と呼ばれる文書の内容がこうしたことではあまりありがたみを感じない。最後の訳者解説にはコーランの文体は人間離れしていて、あの独特の声と音色で聞くと実に厳かで格式高いもののように聞こえるらしい。だから、アラビア語で読んだり聞いたりするとちょっとは違うのかもしれない。ところで、イスラム教徒が仏典を読んでどう思うかが気になるところ。しかし、仏典も漢字がわからないと翻訳では意味不明かもしれない。

バス会社の窓口スタッフの3人のうちの2人は女性で1人は男。英語を解したのは女性のうちの1人。女性2人は窓口にいて客対応をしているのだが、男の方は怠け者なのか、そもそも窓口業務は担当じゃないのか、ぼくがいる待合室でベンチに横になってテレビを見たり、居眠りしたり。しかも、ぼくが本を読んでいるのに、自分が寝るために室内の電気を消すなど、客商売としてはありえないことをする。しかし、こんなんで暮らしていけるなんて気楽なもんだ。


なんとか4時間ちょっとの時間をつぶし、ようやくバスの発車時刻になる。オフィスの前に大型バスがやってきたのだが、これが想像していなかったおんぼろバス。14時前に乗車が始まり、適当に窓際の座席に座る。窓は一枚ガラスで開かず、かといって冷房は送風の音がするのみでほとんど機能していないから車内は暑い。けれどもいつもの癖でバスが走り出すと寝てしまう。

目が覚めるとバスは急傾斜の道をうなりながら走っていた。車窓からはきれいに作られた段々畑が見える。植わっているのは日本では見ない穀物や小麦。畑は細かく何段にも作られているので、りんごの皮を剥いた跡のように山に細い帯が何本も入っているように見える。

しばらく登っていくと、バスは渋滞にはまる。先の方まで車がつながっているので、事故のよう。道路は片道1車線の舗装道。これは数時間待ちとかになるかとも思ったが、30分ほど停車しただけで車は動き出す。

やはり事故だったようで、道路脇にトレーラーが積んできたらしい貨物車がひっくり返っていた。

バスはますます高度を上げ、景色からすると1000mは越えたよう。眼下に幾重にも連なる稜線が見える。
From yemen2


さすがにここまで高くなると幾分涼しくなる。サナアまではあと約140km。

上り坂を登りきってしばらく行くと、見えてきたのが広大な盆地。広大と言っても山形の置賜盆地と比べれば小さい。4分の1程度か。パッチワーク状に色の濃度が違う畑が一面に広がっている。イエメンでこれだけの畑を平地にみるのは初めて。バスはその畑の間を走る。畑にはネギや小麦などが植えられていて、小麦はちょうど黄金色になっており、収穫間近。いくつかの畑では刈り取りをしている人もいた。見た範囲ではみな釜で刈り取っている。畑には男も女もおり、女の方は、目だけ出しているアバヤ(ブルカ)姿の人も多い。それ以外でも足首まである柄物のワンピースで畑仕事をしている。日本の昔ながらの野良着と比べるとずいぶんと動きにくそうなのだが、実際はどうなのだろう?
From yemen2


From yemen2


一部では機械を使って籾すりらしきしている人もいた。

それから50m×10mほどの鶏舎も見る。開いていた窓から中が見えたのだが、平飼いで飼っているのは白のブロイラーっぽい。平飼いではあるものの遠目では地面があまり見えないくらいの密度で飼っている。

20分程度でその盆地は抜ける。日がだんだんと傾いてきて、やがて暮れてしまう。

それから2時間近くたったころ、小高い丘を越えると眼下にオレンジ色の明かりが一面に見える。やっとサナアかと思いきや、バスはそこを抜けてさらに走り続ける。

そしてしばらくして検問。バスの中に銃を持った若い一人の警官か軍人かが乗り込んでくる。その警官(としておく)は、ぼくを見るとパスポートの提示を求めてくる。そして、それを持ってバスから降りていく。隣に座っていたおじさんが、英語でその警官が付いてこいと言っていたというので、席を立とうとすると、さっきよりもやや年上らしい警官がまた乗り込んでくる。そしてどこから来たかと聞く。パスポートを渡してるんだから日本人ってわかるだろうに。パーミットを受け取るとその警官はまた降りていく。そして、さらに年輩の太っちょの警官が乗ってきて「ヤパーニー?」と一言だけ聞いてくる。なぜかぼくは反射的に「ウィ」とフランス語で答えてしまう。チェックはこれで終わり。ただ、これまでは返してくれていたのにパーミットの紙を警官に持って行かれてしまう。

そこから暗い中をさらに1時間ほど走った頃、オレンジ色の光がまた見えてくる。今度はさっきとはぜんぜん光の量が違う。今回は間違いなくサナア。

やがて前方にライトアップされた巨大なモスクが見える。規模だけならイスタンブールのブルーモスクに匹敵しそう。

バスはその近くのバス会社の駐車場で停車。てっきり旧市街のイエメン門まで行くものと思っていたのに、これまた予想外だった。タクシーの運転手の誘いを断り、駐車場前から乗り合いタクシーに乗る。タハリールまで行くのではなかったようで、乗り換えできる通りまで連れていってくれ、そこで乗り換えるように運転手から教えてもらう。

まわりの景色からサウジ大使館の近くだということがわかる。目的の宿まではここから歩けば30分程度か。ソニー専門店もある通りはどこも店が開いていて、レストランも人で賑わっている。やはり首都は違う。それに格段に涼しい。心地よい。

パトカーが違法駐車の車に注意しながら通りを走っていく。おお荷物だったにもかかわらず、すんなりとタハリール行きのタクシーに乗ることができる。乗客がほとんど降り、タハリール近くになった頃、運転手が●●(名前を忘れた)という食べ物をくれる。見た目はぶどうの房に南天の実がついているような感じで、もらったものは湯がかれてあった。サナアでもタイズでも路上で焼かれて売られているのは見ており、気になっていたのだが、食べるのは初めて。

食べてみると味はトウキビそっくり。ただ細かく一つ一つに竺(じく)がついているので食べにくい。

荷物で一人ぶんの座席をとっていたからと通常の2人ぶんの運賃40リアル(約20円)を払うと、運転手は間違っていると言うふうに20リアル返してくる。なかなか控えめな人だ。

歩いて宿に向かう。サナアにいたときに泊まっていた宿に行くと部屋はいっぱいだった。ただ、日本人で二人部屋に一人で泊まっている人がいるというので、そこと相部屋したらどうだと宿の人が提案してくる。

ちょうどその人がフロントに来たのでお願いする。これで一人700リアル(約350円)。安くてよろしい。

晩飯を食いに外に出る。ひよこ豆のスープの屋台でまずは立ち食い。塩味のひよこ豆のスープに酢漬けのきゅうりらしいものをトッピングしたスープは、その酸味がなかなか気持ちいい。

それから何軒か食堂をまわる。魚を出していたレストランは1000リアルだというので却下。結局、前にも一度行った店に行く。ジャガイモとタマネギ、ネギの炒め物と細長い直方体のパン2本、チャイ1杯で350リアル(約175円)。帰りがけにイエメン産のヨーグルトを買って帰る。

宿に戻ってからはシャワーを浴び、PDFの文書を読んだり、同部屋の人が帰ってきてからは旅話をして1時過ぎに就寝。

Fin

0 件のコメント: