[diary]ルサカからカピリ・ムポシへ、タンザン鉄道1日目
08/09/12(金) 晴れ
[Lusaka:Zanbia→Tanzania]
・ビザ問題
・カピリへバスで移動、車窓から
・順調な滑り出しータンザン鉄道
4時頃、目が覚める。同室のアフリカ人と思われる人たちも間もなく目を覚まし、がたがたと動き出す。ぼくはまだ起きるつもりはなかったのだが、同室のおじさんたちが音を立てて動く上に普通の音量でおしゃべりまで始め、さらには新聞をがさがさ広げ出す人までいて、あまりにやかましいので完全に目が覚める。あんたら何時だと思ってんだ!といらいら。
しょうがないので起きだす。部屋の外にあるソファで、昨日買ったレモンを搾り、お手製のレモンジュースを作る。酸味がそれほど強くないから、それだけでもおいしく飲めるのだが、蜂蜜があればもっとうまいだろう。
それからこれも昨日買った1kg近い大きさのパパイヤを朝飯がわりに食べる。ナイフで縦に半分に切り、スプーンで種を取り除き、やはりスプーンで果肉をすくいながら食べる。あまりうまくない。熟れていないのが一つの原因ではあるが、それにしてもこれまで食べてきたものよりもイマイチ味が良くない。がっかりだ。パパイヤもうまい品種などがあるのだろうか。
パパイヤを食べながらタンザン鉄道のことを考えていたら、ふとビザのことが気になり始めた。国境で簡単にビザは取れるのだろうか? 列車は国境で停車し、みなの出入国手続きが終わるまで待つようなかたちになるのか? それとも係員が車内をまわってパンパンとスタンプを押して回るのか? ネットで探せば情報はあるだろうが、チェックしていなかった。それにビザ関係はいつどう変わるかがわからない。鉄道で国境を越えるのはこの旅初めて。2003年に、ポーランドからドイツに鉄道で行ったことはあるもののビザは不要だったので、今回とはちょっとケースが違う。
気になってガイドブックの『ロンプラ』を見ると、鉄道や船でタンザニアに入る人は事前に大使館で国境でビザ取得の可否を確認しましょうとある。
常識的に考えれば、誰もがタンザニア大使館があるルサカから鉄道に乗るわけじゃないので、その人たちのことを考えれば国境でビザを取れるようにしておくのが普通だろう。だが、”ここはアフリカ”。日本人的常識が通じない事は多々ある。
取れない場合もありえるので、とりあえずタンザン鉄道のオフィスに行ってもしビザが取れないとなれば切符の払い戻しをし、バスで移動するしかない。
そういうわけで8時頃宿を出て、バスターミナル近くのタンザン鉄道のオフィスに行く。行ってみると窓口の人はいなかった。しばらく待つ。15分ほど待って、チケットを買ったときと同じおじさんがやってきた。彼にビザのことを聞くと列車内で取れると言う。
一安心して、バスターミナルに行く。ダルエスサラーム行きのタンザン鉄道に乗るにはルサカから北に200kmほど行ったところにあるカピリ・ムポシまで行かなければならない。なので、そこまでバスで行くのだが、ここの客引きがまたうっとおしい。それぞれ別のバス会社らしい5~6人の男がワァッと周りに集まってきて、俺について来い、ノープロブレムとか言う。だいたいノープロブレムと言う奴ほど信用できない。それに目的地の近くまでしか行かないのに、そこに行くと言って乗せたりすることがあるから、こういうふうに競争が起きている場合の交通機関に携わるアフリカ人はあまり信用できない、とぼくは思っている。
値段を聞いてもどこも同じようなもの。発車時間を聞いてもみんな返答は10分程度で発車すると言う(しかし、もちろん当てにならない)。選ぶ際の決定打がない。
しょうがないのでバスの埋まり具合を見て決めることにする。バスは大型バス。あと数席ほどで埋まりそうなバスで行くことにする。乗る前に運賃を徴収される。運賃は50000クワチャ(約1400円)。高い!だいたい1時間100~200円というのが一般的なので、その計算でいくと3~4時間ほどの移動だから30000を越えることはないと思っていたのに。さらに荷物代を10000クワチャ徴収しようとする。カネがないと言うと一発で半額になる。こんなに簡単に半額になるなら断ることができたっぽい。
バスの座席は奥の数席しか空いていなかった。通路を歩くときにはみなの視線を感じる。一番奥の席に座って発車を待つ。
10時すぎ。
30分ほど待ってバスは発車。車内正面にあるテレビではミュージックビデオが流れる。音楽はヒップホップ系。誰かが口づさんでいるのが聞こえる。
窓が開くので風を受けながら外を眺めていると眠たくなり、いつの間にか寝てしまう。
起きたのがだいたい1時間後。まわりは平べったい景色が広がっていた。サバンナ的な風景。草地にポツポツと木が茂っている。火で焼いたらしく、あちこちが黒く焦げている。スワジランド以降、ルサカに着くまで山がちな景色が多かったから、こうした広々とした景色を見るのは久しぶりだ。
しばらくすると広大な畑が見える。麦畑のよう。見渡す限りが麦畑でその中に農薬あるいは水を散布するためらしい機械が見える。企業名らしい名前を書いた小さな看板が柵に貼られていた。
そうした大農場を進行方向左側の車窓からだけで2カ所ほど見る。南米と違うのは放牧場らしきところが見えない点。
『アフリカを知る事典』によればアフリカ農業の特色として、家畜の利用度が低いとあった。たとえば土地を耕すときに鋤をひかせたりとか、家畜の糞尿を肥料として使うとか、そういうことがあまりなされていないという。この旅の中では西アフリカで何度か牛に鋤をひかせているのを見たが、糞尿は確かに使われていなさそう。
ときどき見える集落はレンガ造りに藁葺きというところが多い。モザンビークやジンバブエでよく見た円形の家は少ないように感じる。
13時過ぎ。
2つほどのまちで停車しただけで、カピリ・ムポシに到着。駅前に到着してくれるのかと思いきや道ばたの空き地っぽい駐車場に止まる。周りの看板にカピリ・ムポシとあったので、それを見てここがカピリ・ムポシだとわかった。隣のおばさんにカピリ・ムポシであることを確認し、バスを降りる。降りた人は5~6人ほどと少なかった。
バスを降りるとタクシーの運転手が何人か声をかけてくる。バス代が予想以上に高かったためタクシーはおろかご飯を食べるに足るお金(クワチャ)も残っていない。なので無視。
バスの運転手にタンザン鉄道の駅を尋ねると、まっすぐ行って右と歩いていけるような雰囲気で言うので、そちらに向かって歩く。
舗装されている道沿いを歩くが、線路らしきものは前方に見えないし、駅を示す看板らしきものの見えない。適当に聞きながら歩くしかないなと思っていたところ、うしろからプシューという人の声がする。人を呼ぶときに使う音。振り向くと両手に荷物を持ったおばちゃんが、こっちと指さす。彼女もタザラの駅に行くらしい。おばちゃんはルサカ在住のザンビア人でダルエスサラームまでちょっとしたビジネスで行くらしい。会話は英語にて。
ありがたいと思い、ついていく。家々の間の砂地の道を歩く。やがて車も通る道に出る。どうやらここまでは近道を使って来たよう。その道路に沿って歩いていくと正面奥左手に貨物車が見え、その右に大きな建物が見える。
13時半過ぎ。
結局、バスを降りた地点から20分ほど歩いて駅舎に到着。駅舎に入るとすぐが待合い所になっていて、なかに店らしきものはない。おばちゃんは何か食べたいならあっちに店があるからと駅舎と道路を挟んで反対側の方を指さす。
駅舎は必要以上にでかかった。階数があるわけではなく、ただ天井が高いだけ。待合所の天井は10m以上あった。
待合い所には壁に沿って四角くベンチが設置されている。そこは列車を待つ人でほぼ埋まっている。が、階段を数段あがったところにファーストクラスとセカンドクラス用の待合い所があって、そこは半分くらいしか埋まっていなかった。そこはベンチもプラチックの椅子ではなく、革張りの椅子があったりする。
チケットを買ったときオフィスのおじさんが、出発は16時だけど14~15時に行ってパスポートとチケットを駅で見せなければならないと言っていた。来てみればわかるかと思っていたが、チェックしに来る人はいないし、あのおばちゃんもベンチに腰をおろしたままでそういったことはしていない。
しばらく様子をみることにして、ベンチで本を読みながら待つ。隣のベンチに座っていた7~8歳くらいの男のが、珍しげにじっとこっちを見ている。
15時近くになってもパスポートのチェックなどはない。乗車時に改札の人に見せるということだったのかと思うが、飛行機のチェックインのように事前に見せないといけないということもありえる。
インフォメーションボックスに、ラフな格好をした一見駅の職員とは思えないにいちゃんがいたので、念のため、その人に英語でいつパスポートを見せればいいのだと聞いてみる。するとチケットを販売していた窓口の方に案内され、そこで見せるよう言う。
チケット売場には窓口が3つあり、そのうちの2つはずっと行列ができていた。その人たちの様子を見ていたらチケットを買っているだけだったので、まさかそこでそのような手続きをしているとは思わなかった。その2つの窓口は確かにチケットの販売所だったのだが、列があまりできていない左端の一つの窓口がチェックイン的な手続きをする窓口だった。
窓口の女性にチケットとパスポートを差し出すと、彼女は受け取り、紙にパスポートの情報などを書き写す。手続きはそれだけ。
またベンチに戻り、本を読みながら16時を待つ。
15時半頃、改札の所に数人の駅員が出てくる。それを見た人たちが一斉に改札に集まり、列を作る。3等などは6人掛けの椅子席らしいから場所を取るためには早く並ばないといけない。
ファーストクラスやセカンドクラスは一応部屋は決まっているようでチケットにそれらしき数字が手書きで書かれている。
列が消えた頃に改札を通る。チケットを見せるだけ。
さてホームに入ったものの列車には車両番号らしきものがない。チケットと照らし合わせてみてもチケットに書かれてあるアルファベットや数字に合致しそうな文字が見えない。
しょうがないので車両の入り口に立っていた係員らしき年輩の細身の男性にチケットを見せて聞いてみる。向こうの車両だと言われ、そっちに行き、また別の係員のおじさんに聞くとあっちだと言って、今聞いたおじさんがいる方を指さす。そして、そのおじさんを呼び、なにやら言う。
すると最初のおじさんが4番の部屋にと言うので、車両に乗り込み、4番の部屋に入る。6人の寝台室。ドアを横にひいて入ると両脇にベッドがある。一番下と一番上のベッドは横になっているが、真ん中のベッドは壁に垂れ下がった状態。真ん中のベッドを固定してベッドとして使えるようにしてみるとそれぞれのベッドの間はけっこう狭い。座ってもさらに身を屈(かが)めないといけないくらいの高さしかない。これはけっこう窮屈だなと思う。
しかし、前日にチケットが取れたということは、2等は全部は埋まっていないということだろう。つまりは一部屋6人にはならない可能性がある。今までのところ誰もこの部屋には入ってきていない。さっきの係員の様子では、部屋もどうやらきっちり決まっているわけではなさそうだから、うまくいけば満室にならずに済むかもしれない。
他に人が入ってくる気配もないから、とりあえずドアを閉めてしまえば、心理的には入って来にくくなるだろうとドアを閉める。
誰も来なければいいなと願いつつ列車の発車を待っていたところ、ガチャガチャと音がして部屋のドアが開く。40代くらいのおじさんが一人入ってくる。身なりからビジネスマンか何かの人のように見えた。挨拶を交わしてから、おじさんはぼくの向かいのベッドに座った。会話は英語にて。
2人して発車を待っているとまた入り口のドアがガチャガチャ言う。ドアが開いて顔を見せたのは列車の乗務員らしき制服を着たおじさん。同室のおじさんと地元の言葉で何をか話し、おじさんは荷物を持って部屋を出る準備をしだす。ぼくにも部屋を出るよう言うので、ぼくも荷物を持って部屋を出てその乗務員とおじさんの後をついていく。
隣の車両まで移動し、そこの一室をあてがわれる。おじさんの話ではさっきの車両は途中下車や途中乗車する人向けの車両で、こっちの車両は終点のダルエスサラームまで行く人用の車両らしい。乗客の出入りがある車両は物盗りなどの被害に遭う可能性があって危険なためこうして移動させられたらしい。だったら最初からここの車両を指定しろよな、と思うのだが・・・。
16時、驚いたことに列車は発車予定時刻通りに走り出す。この列車はずるずる遅れるのが普通だと聞いていたが、今回はもしかしたら時刻表通りに走ってくれるかもしれないと淡い期待を抱く。
列車に乗るのは、久しぶり。モロッコでカサブランカからラバトに行ったときに使って以来。寝台の長距離列車となるとこの旅では初めて。予定では2泊3日だからこれだけの距離を列車の中で過ごすのは2001年にシベリア鉄道に乗って以来。
残念なのはぼくが座ったベッドは進行方向とは逆だったこと。おじさんに進行方向を向いたベッドを取られたのが残念。
おじさんは落ち着いた雰囲気の人で少しずつ話しかけてくる。どこから来たのか、何をしているのか、これからどこに行くのかなど。聞くとおじさんはザンビアのルサカにある教会の説教師らしい。その仕事の関係でダルエスサラームに向かっているという。ダルエスサラームにはしばしば行くようだが、たいてい飛行機を使うらしい。が、今回は飛行機のチケットが取れなかったため、列車にしたという。列車はしばしば遅れるので嫌いだと言っていた。以前、乗ったときは到着予定時刻から9時間も遅れて到着したこともあったらしい。
車窓からはこんもりした林や雑草地、農地、ときおり集落が見える。全体的に平たい。大規模な集落はほとんど見ることはなく、数戸から20戸程度の集落が多いように見える。
おじさんは本とノートとペンを取り出し、窓際の固定テーブルで何か書き物をしている。ぼくはひたすら外を眺め続ける。
途中、いくつかの駅に止まる。新たに乗客が乗り込んでくる。部屋はドアをしめていたら開けにくいからか、何度か開けようとガチャガチャする音を聞いたものの中に入ってくることはなかった。ぼくはおじさんが教会関係者だというから、きっとこういうときは自らドアを開けて新たな客を迎えるのではと思っていたが、ドアがガチャガチャ音を立てたときには息を殺し、まったく動かず。誰も入ってこないように願っているかのようだった。
実際におじさんはぼくに、人が増えるのは安全じゃないと言った。2人が一番いいと。ぼくについてはおそらく日本人でかつ旅行者だからと安心していたのだろう。まぁ、ぼくにしても教会関係者ならちょっと魔が差して物をとったりするというような可能性は低いだろうと勝手に見込んでいるので、安全面で言えばおじさんと利害は一致する。なので、あえてドアを開けようとする音がしても動かず。
そうした駅に止まると、駅には乗客を目当てに集まっている物売りの人たちがいて、飲み物からバナナ、アボカドなどの果物からナッツからご飯の類まであれこれ買うことができる。が、ぼくはザンビアのクワチャがほとんど底をつきかけていたため、買い物できず。加えて多くの物売りの人たちは前の方の座席車両の方にばかり行って、ぼくが乗っている後方の寝台車両まで回ってくる人がなかなかいない。これは誤算だった。
日が暮れると乗務員が晩飯はいらないかと注文をとってまわる。聞くと値段は500円ほどするので、ぼくは断念。おじさんは注文。メニューはウガリとビーフシチューだった。
暗くなってしまうとおじさんは窓を閉めてしまったため、車内の光がガラスに映って外がうまく見えず。なので、スワヒリ語の会話帳をめくったりして時間を過ごす。
冷暖房はついていないようで、夜になるとやや冷えてくる。毛布などは配布されているので、それをかぶって寝る。
Fin
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