2009年6月29日月曜日

[diary]モシからムワンザへ(1日目)

モシからムワンザへ(1日目)

08/09/20(土) 晴れ
[Moshi→Arusha:Tanzania]
※レート
1米ドル=1150タンザニアシリング

・嘘つきバス会社
・アルーシャ止まり
・読書の半日
・バス泊

キリマンジャロ山が見えるまち、モシ。昨夜はユースホステルに宿を取ったのだが、これがなかなか快適だった。トイレは共同だが、部屋はきれいだし、ベッドの状態もよい。

7時すぎくらいに目覚め、3階のカフェで朝食。朝食付きで6米ドル(約600円)はお得だ。もっとも朝食と言ってもパンとコーヒーといくらかの生野菜にスイカという程度。カフェで朝食をとっているのは白人旅行者ばかり。そこへ日本人が入り込む。

通りに面した座席からはキリマンジャロの山がかろうじて見える。似たような高さの建物が並んでいるから全体的な景観はあまりよろしくないのだが、建物の間から雪を少しだけかぶったキリマンジャロが見える。昨日は夕方に着いたので見ることができなかった。だからキリマンジャロを見るのはこれが初めて。無意識に富士山みたいな形なのかなと想像していたのだが、まったく違った。どこにでもあるようなボコッとした山。形の悪い台形。その姿からはあまり威厳が感じられない。標高は5895mというからかなり高いのだが、あいにくここから見るぶんにはなんだか凡庸な山にしか見えない。

キリマンジャロが見える座席に座り、同室のA君と一緒に飯を食べる。ザンジバルに向かう船で再会してから5日間、一緒に動いてきたけど彼ともここでお別れとなる。彼はここからケニアへと北に向かい、ぼくはルワンダ目指して西に向かう。

今後の予定などを話しながら朝食をとっていると、日本人女性一人がやはり朝食をとりにやって来た。見た目は大学生っぽい。近くの座席が空いていたので、席をすすめ3人でちょいとしゃべってみる。ぼくらの格好を見て彼女はずいぶん長く旅行しているのではないですかと聞いてくる。この間まではまだ半年だと答えていたが、すでにアフリカに入って2ヶ月目に入っていた。

聞くと彼女は大学生で一人でアフリカにやってきたらしい。まずはケニアから入り、ウガンダ、タンザニアとまわってきたらしい。ウガンダでは日本人のおじさんがやっているエイズ孤児(だったかな?)の施設でしばらくボランティアをしていたらしい。そこのことは最初から知っていたわけではなく、ケニアで日本人旅行者から聞いたらしい。行ってみると電気や水道も通っていないところだったらしい。しかし、水汲みしたりろうそくの光で生活したりするのはなかなか面白かったと言う。

モシにはキリマンジャロに登るために来たのかと聞くと、山に登るつもりはなかったのが、誘われて結局登ってきたらしい。誘ったのは日本人旅行者2人だったらしい。2人とも短期の旅行者で、1人はリーマンパッカー(サラリーマンバックパッカーの略)で1人は学生だかなんからしい。それで3人でガイドを雇って登ったのだが、彼女は標高4000mくらいを超えたあたりで高山病になってしまったらしい。3000mあたりまではなんともなかったのに、4000mあたりを過ぎると頭がガンガンしてきて気分が悪くなったらしい。それで2人にここでもう引き返すと言ったらしいのだが、麗しい友情物語よろしく、“ここまで3人で来たんだから頂上まで一緒に行こう”と説得され、それでしぶしぶ一緒に頂上まで登って来たという。「死ぬかと思いましたよ」と本人は言う。いやいや危ない話だ。無事で帰ってきたから良かったものの。一緒に行った男2人は馬鹿じゃないかと思う。

彼女はその疲れもあり、2日ほどここでのんびりしてからケニアに戻り、それから日本に帰るらしい。A君と方角は同じだからナイロビで会うかもなどといった話になる。

朝食後、散歩がてらにバスターミナルに向かう。昨日、宿のスタッフに探ってもらったルワンダ方面行きのバスはケニア経由でかつ料金が高かったからパスした。なので散歩ついでに他に移動手段がないかバスターミナルに情報を集めに行く。行ってみて適当にチケットを売っているような人に聞いてみると西に行くバスはあると言う。ただここから直通でビクトリア湖畔のまちムワンザに行くバスはなく、アルーシャというまちまで行ってそこで乗り換えになると言う。何時ここを出ればいいのかと尋ねると14時半頃にバスターミナルに来いと言う。

というわけで出発まではしばらく時間があるので、しばらくまちをぶらつく。2~3階建ての建物が並ぶメインの通りには銀行や両替屋、食料品店や服屋などが並ぶ他、道端で時計の修理や足踏みミシンを使っての服の縫製をしている人なども見る。もちろんお菓子やペットボトルに入った飲み物などを売っている人、果物屋さんも道端に見る。

ぶらぶら歩いていたら市場を発見。入ってみる。一辺が10mくらいの通気性のいい建物が中心にあり、その中では肉や魚、野菜、香辛料、服などが売られていた。その周りを取り囲むように小さな商店群もあり、そっちでは工具や各種部品、農業機械などが売られていた。全体では街中にある公園程度の大きさ。つまりは15~20m四方程度の広さしかなく、かなり小さい。あまり写真をパチパチ撮れないので一通り見学してから後にする。

あとは当てもなくあちこちをぶらぶら。観光客はわずかだがいた。キリマンジャロコーヒーなどを売っているカフェがあったので、そこで休憩したりする。

A君が壊れた時計を修理したいというのでまた通りを巡り、時計の修理屋を探す。すると文字通りの街角の路上で時計修理をやっているおじさんを発見。A君が時計を見せ修理できないかと尋ねるとできると言う。おじさんはちょっと見せろと言って時計を手に取り、分解を試みるがこのタイプの時計は初めてらしく、電池が入っている部分を開けることもなかなかできない。その様子を見ている限りでは修理ができそうにはない。数分かけて電池が入っている部分を開け、なかをあれこれと観察し始める。いくらかかるか尋ねたら日本円で600円くらいするという。高い。宿代並み。ぼくがアルゼンチンで時計のガラスを交換したときは300円くらいだったからそれよりもはるかに高い。そういうわけでどうするかA君は考え込む。しばらくああだこうだと考えてから400円くらいでできないかとおじさんと交渉。そしたら電池を買ってこないといけないから高いんだと言う。それでも何度か交渉しているとA君の希望価格を受け入れてくれる。

おじさんは電池を買わないといけないからと前金を要求してくる。なのでお金を渡し、しばらく戻ってくるのを待つ。戻ってきてからおじさんは仕事を始める。20分ほどおじさんの作業を眺めて待つ。本当に修理できるのか半信半疑だったが修理は無事終了し、時計も動き始めた。ただA君いわく、どこかの国で電池の交換をしたのだが、数日ほどしたら止まってしまったので、また今回も同じことになるのでは、とのことだった。

宿のチェックアウトが12時なのでいったん宿に戻り、荷物をまとめてチェックアウトする。長距離移動前にはぼくは断食するため昼飯は食べず。

14時前、ちょっと早かったがバスターミナルに向かう。宿前でA君とはお別れ。

バスターミナルまでは宿から歩いて5分ほど。着いてまずチケットを購入。ムワンザまで35000シリング(約3500円)もした。高いなぁ。バスは15時前と言われていたのだが、乗り場をふらふらしていたら来いと呼ばれ、バスターミナル内に止まっていたバスに乗るよういわれる。リュックは荷台に預けてバスに乗り込む。予定より遅く動くことはあっても早くに動くなんてことはこれまでなかったので、なんだか奇妙だなぁとこのとき感じる。

バスはアルーシャ行き。終点のアルーシャまで行ってそこでバスを乗り換える。

アルーシャまでは1時間ほど。30年は使われているようなかなり年季の入ったバスだが、きちんと走る。道は舗装されていて幅6mほどある。沿道には畑。しばらく寝る。

アルーシャはモシよりも大きな町だった。バスは市場の近くらしい中心街を通る。道には物売りと買い物客がうじゃうじゃいるので街中に入ってから急に進まなくなる。回りにはホテルなどの建物あり。

しばらくしてバスターミナルに到着。ターミナルには大量のバスが止まっていて、かつバスチケットを売っている会社もいくつもあったので、はてどれに乗り換えればいいのかとわからなくなる。モシでは、チケットに会社名が書いてあるからそこを探せと言われたのだが、それがどこにあるのかわからない。しょうがないので乗ってきたバスの運転手にチケットを見せて、この会社のバスはどれと尋ねてみる。彼はわからないようで、別の人を呼ぶ。その人は知っていて、バス会社の窓口まで案内してくれた。感謝。

その窓口は、窓口と言うよりも屋台のようなところで、テントの下に机と椅子、ラジオがあるだけのところだった。20代後半から30代に見える男が2人いたので、彼らにチケットを見せムワンザに行くのだがバスはどれかと訪ねる。するとバスは明日の朝に出ると言う。だからここに荷物を預けろ。ついては荷物預かり代5000シリング(約5米ドル)だとのたまふ。はぁ? 訳がわからん。バスが明日の朝だというのも聞いていないし、さらに荷物代で5000シリングもとるなんてぼったくりもいいところじゃないか。そういうわけで荷物代は拒否し、しばらくテント内で時間を潰すことにする。ガイドブックを取り出し、今後のルートなどを考えていたのだが、男は5000シリング払えとうるさい。ずっと無視していたらそのうちバスに乗せないなどと言い出す。こんなことになるならアルーシャまで自分で来て、ここでバスを探すべきだった。すでにムワンザまでのバスチケットは買っている。これで本当に乗車拒否となったら大金(バス代)がパーになる。とぐだぐだ考え、結局はいらいらしながら5000シリング払う。むかつく。タンザニアのバスは性質(たち)が悪いと聞いていたが、このことかと今更思い知る。

カネを払ってしばらくしたら男たちがバスが来たから行けと言い出す。なんだよ、明日じゃないのか? と思いながら、座っていた椅子から腰を上げ荷物を持って移動を始める。リュックはバスの運転手か何かの男が持ってくれ、バスまで案内してくれる。バスは大型バス。客はまだ1人もいない。そこへ1人だけ乗り込む。リュックを運んでくれた男に礼を言うと、男はさっきの5000シリングは払ったのかと聞いてくる。払ったと答えると、じゃあ俺にも、と言うように右手を差し出し、カネを要求する。「なんで?」と聞くと「荷物を運んでやったからだ」と言うが、ぼくが頼んだわけではなく、あんたがあの男の指示で運んだだけだろうが! ぼくは5000シリング(約500円)も払ったんだからそこからもらえと彼に伝えると、意外に素直にひっこむ。これでさっきの5000シリングがただのぼったくりだったということが明らかになる。やれやれ、いちいち頭に来る奴らだ。

朝までこのバスの中で待つのかと思っていたら、たいして客が乗っていないのにバスは動き出す。どこへ行くかと思っていたら町外れの住宅街のある通りまで行き、その道端で止まる。どうもその通りにこのバスの会社の事務所があるみたいで、その事務所前にバスを止め、運転手らはその事務所に入っていった。どうもここで朝まで待つらしい。外は暗くなり始め、しばらくすると完全に暗くなる。

ぼくは通りの適当なところに腰をかけ、本を読んで時間を潰す。一度、バスの中を見に行ったらすでに何人かは座席に横になり寝ていた。

1冊本を読み終えると暇になる。まったく予想外の展開に、また5000シリングとられたことにまだいらついていたので、あたりをふらふらしてみる。食料雑貨屋や食堂、露店などあり。食堂で飯でもと思ったが、明日が本番なので我慢。その代わりではないが、少しだけ腹の足しにしようとビスケット(約100円)を買い、露店でチャパティとチャイをくらふ。ビスケットよりもそこで焼いているチャパティの方が安い。

バスが止まっている辺りにはバス待ちの客を目当てにムシカキ屋(串焼き屋)がやってきて商売していた。まだ食べていなかったので牛肉か何かの串焼きを一本かって食べる。1000シリング(約100円)。なかなか高い。

夜はバスの中に戻って蚊帳を布団代わりにかぶって座席に横になって寝る。蚊の音がしたりしてあまり眠れず。

FIN

1 件のコメント:

アンネのバラ友 さんのコメント...

アンネのバラ友です。
キリマンジャロが見える町での朝食は、いいですね。

アフリカを女子学生の一人旅とは、勇気がありますね。ケニアから入り、ウガンダ、タンザニアとまわってきたとのこと。ウガンダではエイズ孤児施設でしばらくボランティア。電気や水道も通っていないところ。水汲みしたりろうそくの光で生活したりするのはなかなか面白かったとのこと。たくましいですね。

バラ友の現職場の卒業生の女性二人が、JICAの青年協力隊から派遣されて、一月からアフリカに行きました。一人はルワンダ、もう一人はニジェールです。

タンザニアのバス乗車をめぐるやりとりは勉強になりました。