2008/12/2(火) 晴れ
[Istanbul:Turky]
※レート:1米ドル=1.57トルコリラ、1ユーロ=2トルコリラ
1米ドル=96円、1ユーロ=118円
・アイスランド、スウェーデンの情報集め
・ぷらぶら
6時頃起床。ベッドが空いていなかったためリビングのソファで寝ていたが、それでも十分だった。
2度目のイスタンブールということであまり動き回る気にもなれず、かつ昨晩からドラゴンボールにはまってしまい、起きてからしばらくの時間、残りを読み続ける。
9時頃、宿にあった各種ガイドブックの中からスウェーデンとアイスランドの資料を借りだしてコピー屋に行く。そもそもそれ自体のガイドブックがなかったので、コピーしたのは20枚ほど。コピー代は全部で150円足らずだった。
街角にはパンなどを売る屋台がそこここに出ていたので、朝飯用にパンを買う。輪っかの形をした歯ごたえのあるパンは1個1リラ(約60円)。
その後、宿に戻ってガイドブックを返却し、宿のネットでアイスランドやストックホルムの宿などをはじめとする各種情報を収集。宿のネットは早くないのに1時間1.75リラ(約110円)する。旧市街の中心部近くで見かけたネット屋は1時間3リラだったからそれよりは安いけど、もっと安くていいところがあるはず。
12時になってまた宿を出て散歩。バザールなどがある地区とは反対側をふらつく。こちらにはおんぼろな1軒屋や小学校、中学校、遊具付きの小さな公園などがあり、イスタンブール中心部とはまた違った雰囲気。イスタンブール中心部はひたすら商売のまちという印象だが、こちらは暮らし場。滑り台などで遊べる公園があること自体に、なんだかトルコの経済的な豊かさを感じる。
送信者 Turky |
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お昼で小学生達は学校は終わりのようで、キャラクターが書かれたリュックを背負っておしゃべりしながら、ふらふら歩きながら帰る子たちとたくさんすれ違う。シリアまでだと小学生くらいの子だったら、ぼくを凝視したり指さしたりすることが多かったのだが、さすがにイスタンブールの子たちということか、そういうことをする子はいない。ハローなんて言って声をかけてくる子もいない。
昼も過ぎたので適当な食堂で昼飯にするとする。中心街よりも安いかと期待して入ってみたが、そうたいして変わらない。肉や魚を使った料理は1品5~6リラ(約400円)、ご飯やスープものは2~3リラ(約150~200円)ということろ。ほうれん草のような葉っぱとご飯を炒めたピラフみたいなものとスープを注文。スープはどうも牛のテールスープのようだった。店の人の勘違いでキョフテ(羊肉の細長いハンバーグみたいなの)のトマト味煮がつく。パンは食べ放題。アラビア半島以後、これまでパンと言えば、薄く平べったい丸いもの(インドのナンやピタパンのようなパン)が多かったのだが、イスタンブールに来てからはフランスパンが基本となった。食べやすいように切られたフランスパンが、テーブルにはピラミッドのように積まれている。
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その後、適当に歩く。こうした住宅街にも屋台をひいてパンや果物を売っている人たちがいた。そのうちみかんを売っていた屋台でみかんを買う。1kg1リラ(約60円)。旧市街の中では1.5リラ/kgだったので、ちょっとだけ安い。
歩いていたらネット屋を見つけたので、そこに入ってみる。値段を聞くと1時間1リラというので、またネットをする。幸いなことに日本語が読めたので、またアイスランドやスウェーデンの情報集め。回線も早い。ADSL並み。なので宿では遅くてできなかった各種資料などのダウンロードをして、自分のメモリスティックに保存する。
そんなことをしているうちにあっという間に夕方になってしまう。
16時頃、ネット屋を出て新市街にでも行ってみようかと旧市街を横切り、イェニ・ジャーミィ(モスク)前の広場に行く。広場に着いたとき、10歳前後の4人組の男の子たちが群れてふろちょろしていた。格好からストリートチルドレンっぽく見えたので、彼らをちょっと見ていたら通りがかかった高校生と思われる男3人組に寄っていき、なにやら話しかける。高校生達は特に避けることもなく、彼らの相手をしていた。そして、高校生達は自分が食べていたサンドイッチのようなものを彼らに渡し、そのままさっきと変わらぬ調子で歩き始めた。食べ物をもらった子どもたちは腰をかけられる段差があるところもまで移動し、そこでサンドイッチのようなものを頬張っていた。
昨日ちょっと歩き回ったときにはストリートチルドレン系の子は見なかったので、そういう子たちはいないのかと思っていたが、どうも違っていたよう。ただ見える範囲だけで言えば、これだけの大都市の割には、物乞いの人は圧倒的に少ない。1日に10人も見ない程度。歩いているところが観光地付近だから、そこからはそういう人は排除されているのかもしれないし、あるいは本当にいないのかもしれない。実際のところはもっと歩き回らないとよくわからない。
ボスフォラス海峡にかかるガラタ橋の近くからトラムに乗る。ガラタ橋の上には今日も釣り客がいっぱい。
新市街に行こうかと思って乗ったものの、結局、終点まで行って引き返す。暗くなってきたということもあるが、何より見て回る気がしない。イスタンブールに到着してからはちょっと見て回ろうという気合いが消沈ぎみだ。
結局、そのまま宿に戻る。明日、ストックホルムに移動するので荷物の整理。また今晩はベッドが空いたのでそちらに移る。
夜はドミトリーの部屋で髪切り大会。髪を切ってもらいたい旅行者が美容師になりたかった旅行者に髪を切ってもらっていた。
夜は同じ部屋の人とちょっとおしゃべり。ある人(20代と思われる日本人男性)は、まず日本からアメリカ合州国に平和行進に参加するために渡り、5ヶ月かけてサンフランシスコ(だったかな?)から東海岸までをネイティブアメリカンたちと一緒に歩き通し、そこからカナダに行ったところ、ロンドン行きのチケットが安かったため予定外だったもののロンドンに渡る。そしてそこからチャリでイタリアまで行ったところ、イタリアでチャリを盗まれる。それ以後、船などを使ってここまで来て、今はインドのビザ待ちのよう。ヨーロッパにいる間はすべて野宿で一度も宿には泊まらなかったらしい。
今日は大使館などがある地区にあるショッピングセンターに行き、そこのフードコーナーで食べ残されたものたちをプラスチックの容器に集め、路上で物乞いしている人たちに配ってまわっていたという。なかなか珍しい人だ。
こうして話を聞くのは楽しいのだが、そのぶん書き物をする時間がとれなくなるのが難しいところ。睡眠時間を削る手もあるが、それは嫌いなので結局たまっていくということの繰り返しが続いている。いやはや。
Fin
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