2011年2月1日火曜日

[diary]バクーからアスタラ、テヘランへ

バクーからアスタラ、テヘランへ

2008/12/31(水)
[Baku:Azerbaijan→Astara:Iran]
レート(アスタライラン側国境にて):1マナト=1万リアル、1米ドル=8千リアル

・ネット屋で夜明かし
・レンケラン経由でアスタラへ
・アスタラの国境越え、指紋採取
・イラン入国
・バスを待つ
・豪華バスの車内で年越し

バクー。

2軒目のネット屋から追い出されたのが、ちょうど夜中の12時くらいだった。また別の店を探そうとリュックを背負いバクーの市街地をふらつく。他にも「Internet」という看板を見つけたものの閉店していた。看板に「Night Club」と書かれた店はまだ開いていたけど、さすがに入れない。他に開いていたのは、シュワルマやハンバーガーなどを食べさせる小さなファストフード店や薬屋、間口が1mもないような食料品店くらい。店が開いている通りにはちらほらと人通りがあった。

開いている店は少ないけれど、あちこちの立派な建物や銅像がライトアップされているので、その辺りにいれば十分明るい。見回りしているパトカーもあり。幸いなことに気温もたいして低くなく0度前後。雪も雨も降っていない。

どうも代わりの店が見つからないので、コンサートホールのような建物の軒先にひとまず落ち着く。ライトがついているので、しばらく本を読んだり、考えごとをしたり。そのうちちょっとずつ寒くなってきたので、荷物だけそこに置いてあたりをふらついていると、そのコンサートホールの管理人に見つかる。居座っていたガラス戸の裏が管理人室だった。

中年の男と若い男が管理しているらしく中から手招きする。なので、これはもしや中で温まるよう言ってくれるのかと思いきや、若い方は自分のIDを見せてぼくにそれらしきものを見せろというような素振りをするし、おじさんの方はシッシッと手を振り、あっち行けというような素振りをするので、荷物を背負い、そこを離れる。

寒くなっていたからちょうどいいかと思い、今度は鉄道駅の方に行くことにする。2時近くになり、また一段と車の通りが少なくなったように感じる。

鉄道駅の方へ向かっている途中、たまたまネット屋を発見。電気がついていてドアが開いていたので、ラッキーと思い、中に入る。

10台ほどあるパソコンのうち6台ほどは埋まっていた。客は見た目20~30代の男ばかりで、ネットをしたりゲームをしたりしている。店主はぼくの格好を見てもたいして驚くふうもなく、何かを聞いてくるわけでもなく、すんなりと1台のパソコンを使わせてくれた。

ただ今回の台は日本語が読めない。だが、さっきの店より回線は早いので、映画でも見ることにする。

映画を見ていたらぽんぽんと肩を叩かれる。振り向くと店主がいてもう終わりというような仕草をする。いつの間にか他の客はみないなくなっている。時計を見ると6時。7時くらいまでいようかと思っていたのだが、いい時間でもあるので出ることにする。ネット代は約4時間で3.5マナト(約400円)。

外に出てみると辺りの道路を走っているバスは見あたらなかった。まだ早いらしい。アフトバグザール(バスターミナル)からのバスが走っている通りに行けばバスも走っているかと思い、しばし南に向かって歩く。10分ほど。

予想したとおりこちらの通りではバスが走っていた。待つことなくアフトバグザール近くのメトロ駅に行くバスが来たので乗り込む。すでに乗客も多い。

道が空いているおかげで20分ほどでアフトバグザール近くのメトロ駅に到着。時刻は7時前。そこからアフトバグザールは下り坂を歩いて3分程度。見えるところにある。

アフトバグザールの敷地内に入ると「Astara」と書いたボードが1台のバスのフロントガラスに見える。やっと乗れると思い、バスの乗車口に行く。入り口にいたおじさんに「アスタラ?」と聞くとうなづいて中に入るよう促す。しかし、中に入ろうとしたら中から声がして、そのおじさんに今度は制止される。外から見たとき、すでに乗客は乗り込んでいてけっこう席は埋まってそうだなと思ったが、まだ1席くらいは空いているように見えた。だが、乗せてくれてくれない。

おじさんはあっちのバスに乗れというふうに指さす。が、そっちの方には数台バスがあってどれかわからないので、何度か聞き直す。すぐ近くなんだから連れていってくれてもいいのに・・・、まぁいい。

指さされた方にあったバスに行くと行き先はアスタラではなくレンケランとなっていた。バクーから行くとアスタラより手前のまちだ。アスタラじゃないじゃん、と文句を言いつつ、国境が夕方で閉まることもあり、少しでも早く出るバスに乗りたかったためそのバスに乗り込む。乗客はまだ誰もいなかった。

乗り込んだバスは20年くらい前の型のバスで、真ん中の通路を挟んで両側に2席ずつ座席がある。ただその座席は前から6列と再後尾にあるだけで、その間には座席がなく、荷物置き場になっていた。

暖房がきいていて暖かいので、とにかく自分の座席を確保し、座る。座ったらすぐに睡魔がやってきて眠り込んでしまう。

目が覚めて窓から外を見たら、バスは動いていなかった。時計を見ると8時近い。乗り込んでからもう1時間近くたっている。しょうがないなぁと思いつつ、また寝る。

次に目が覚めたときにはバスは走っていた。窓際の席を確保したものの窓が曇っているのと汚れすぎていて、外の景色が描きなぐった抽象画のようにしか見えない。こりゃだめだと思い、また寝る。

我ながらよく寝たもので次に目が覚めたのは10時半頃だった。休憩のためバスが止まったときに目が覚めた。

車内に留まっていたがケツが痛くなってきていたこともあり、外に出る。小雨がぱらついている。すぐそこに炭火でケバブを焼いている店があって、他に食堂もある。いい匂いがしてたし、ケバブ屋のおじさんが声をかけてきたからケバブでも食うかと値段を聞いたが200円以上するようだったのでヤメにする。近くに食料品店があったので、そこでビスケットと飴玉を買う。飴玉は量り売りで100g0.3マナト(約40円)。早速食べてみると、飴玉と思って買ったのはチョコレートだった。ビスケットはトルコ産。たいしてうまくない。

30分ほど休憩してまたバスは走り出す。すっかり目が覚めた。隣のおじさんが話しかけてくる。どこから来たのか、キターイ(中国)か、クルグスタンか、カザフスタンか? どこへ行くのか? など。いろいろ聞かれるがぼくがわかるロシア語はその程度。話していると前に座っているおばさんたちが気になるのかちらちらとこちらを見る。言葉がわかればなぁ、もっと楽しいのにね。

おじさんはレンケランに入ったすぐのところで降りていった。

通路よりに席を変え、フロントガラス越しに外の様子を見る。外は雨だったり雪だったり。農地と思われる土地には数センチほどの雪が積もっている。沿道に見える家はストックホルム郊外の一軒家を思い出させるような家もあった。煉瓦色の瓦屋根に白いブロックを積んで作られている壁。2階建ての家が多い。

お客のリクエストに応じて、バスは止まり、客を下ろしていく。そうして13時半頃、終点のバスターミナルに到着。その頃には乗客は2人になっていた。

バスを降りると「アスタラ?」と聞いてくるおじさんがいた。うなづくとこっちに来いと案内してくれるが、案内されたのはタクシー。アフトーブス、アフトーブスとぼくが言うと、タクシーでどこかのターミナルに行って、そこからバスに乗るのだというようなことを言う。が、にわかには信じられないし、値段を聞いたら5マナト(約600円)などと言うので断る。

ターミナルの小さな駐車場にはバスや大型ワゴンのマルシュルートカが停まっていたので、なんだあるじゃん!と思って探すが、みなバクー行き。どうもここはバクー行き専用のターミナルらしい。

小雨がぱらついていたのでどうしようかと思っていたら、そこへ1台の市内バスがやってくる。バスに近づいて行くと近くにいたおじさんが、どこに行くのかというようなことを聞いてくるのでバザールに行ってそこからアスタラに行くと答える。そのおじさんは親切にも運転手にその旨を伝えてくれる。ちょうどそのバスがバザール行きだったのもついていた。運賃は0.2マナト(約25円)。タクシーの運賃の20分の1以下だ。

レトロな小さめのバスに乗ってバザールに向かう。途中線路が左手に見え、その向こうにカスピ海が見える。沿道には家が立ち並んでいる。バスがのろいこともあってか、けっこう遠い。20分ほどバスに揺られ、ようやくバザールに到着。運転手に乗り場を聞いて、教えてもらった方へ歩く。

小雨の中でも道ばたに果物などを並べて売っている人たちがいる。その間を歩いていく。

バスから降りたところから右に50mほど行き、突き当たりを左に行ったら大型ワゴンが停まっているのが見えた。声をかけてきたおじさんにアスタラと言うと、そのワゴンを指さす。

すんなりとアスタラ行きを見つけ、車内に乗り込む。客は他にいない。なかなか出そうにないので、近くの店でみかんを1kgちょっと買う。1マナト(約120円)。

結局、30分ほど待って客が9人くらいになったところで車は走り出す。途中で客が乗り込んできてすぐに車内は満席になる。

アスタラに着いたのは15時40分頃。レンケランから1時間ほどかかった。

降ろされたのは広場へとつながる幅4mくらいある広い歩行者道路の入り口。あたりにイラン国境の位置を示すような看板もなにもなかったので、運転手に聞くとその歩行者道路をまっすぐ行けとだけ言う。まっすぐ行けと言われて行ってみると途中で道が分かれていたというのはよくあることなので、半信半疑でとりあえず小雨の中を歩き出す。途中、リュックにカバーをかける。

人通りがほとんどないその通りを小走りぎみに歩く。そのうち広場に出てなんとかという人の銅像の脇を通る。さらにまっすぐ行っていると若い男2人連れが前からやってきて、なにやらこっちに向けて言ってくる。なんだこいつと思いながらも、他に聞く人もいないからイランはどこだと聞くと、真面目に教えてくれた。まだまっすぐだと言う。

そこから50mほど行くと横に塀が現れ、端の方に一人サイズの入り口があった。そこを入ったらすぐのところにおじさんたち5~6人がたまっておしゃべりをしていた。ぼくを見ると「ヤポニ」と言ってくる。たいていはチーニ(チーナ)と言ってくるので躊躇なく「ヤポニ」と言われたことに驚く。それだけ日本人旅行者がここを通っているということか。

すぐ近くに迷彩服を着た警官がいて、手招きする。そちらへ行くとボックスがあり、その中にまた警官がいた。そこで一度目のパスポートチェック。それからまたほんの数メートル行ったところで別の人がまたパスポートチェック。そんでそのすぐ近くのボックスが出国スタンプを押してくれるところで、そこでスタンプをもらって出国完了。所要時間2分ほどか。

そこから歩いて川に架かっている橋を渡る。橋の手前には2階建ての近代的なDuty Free Shopの建物があった。

橋は鉄板製。大きなトレーラーやバスも行き来しているのだが、歩行者用の狭い鉄板道はさびて一部穴が空いている。さびはかなりひどくて乗ったら落ちそうなところが歩道の方にはけっこうあるため、車道の方を車をよけながら歩く。

川幅は20mほどなのでイラン側はすぐそこ。イラン側に着くと右手に警察がいるボックスがあったので、そこでイミグレの場所を教えてもらう。英語ですらすらと教えてくれた。警官の雰囲気はなかなかいい。

イミグレの建物に続く道は水たまりに沈んでいた。が、飛び石が水たまりの中にあったので、それを足がかりにして水たまりを渡る。

アゼルバイジャン側のイミグレは人も並んでいなかったので、イラン側もすんなり行くだろうと思ったら、これが長蛇の列。商売用なのかみんな何かを詰めたでかい箱を持っている。荷物の検査に時間がかかってる模様。

列に並ぶといくら時間があっても足りないなと思い、パスポートコントロールの窓口の方に行くと、ぼくを見つけた一人の係官が手招きする。そちらに行くとパスポートと言われて、それを渡すと彼はパスポートコントロールの窓口の女性のところに持っていき、手続きをしてくれる。

そしてカモンと言って、並んでいる人の間をかきわけ中へと入っていく。もしやこれは出口まで先に案内してくれるのかと思いきやなぜか建物の2階にあがり、なにやら上司らしい人と話をする。その間、ぼくは待ちぼうけ。

上司の部屋の入り口部分は塗装工事をやっていて、二人のおじさんが足場を組んで壁を白く塗っていた。一人のおじさんが英語で話しかけてくる。日本人だというと、にこっと笑顔を見せ、携帯を取り出し、ぼくの写真を撮ってもいいかと聞いてくる。というわけで、なぜかこんなところで写真撮影。上の足場にいるおじさんも上から携帯電話でぼくの写真を撮る。

係官はまた「カム」と言ってどかどかと歩き出す。ペンキ塗りのおじさんは「グッドバイ」と手を振る。

係官はイミグレの建物を出て、駐車場を横切り、小さな2階建てのアパートのような建物にぼくを連れていった。警察の建物らしく、入り口には警備の人がいて、門を開けてくれる。

しかし、なぜこんなところに連れてこられたのかがわからない。係官はコンクリート作りのアパートふうの建物の中に連れていき、ある部屋のドアを開けようとするが開かない。彼は英語ができると自分で言うのだが、聞き取りにくくて何を言っているのかわからないため、自分の状況もいまいちわからない。

係官のにいちゃんは、また入り口の警備員室に戻り、そこの警官とおしゃべりを始める。ぼくは待ちぼうけ。

30分近く待った頃、10歳くらいの男の子2人を連れた年輩の男性が門から入ってくる。どうもこの人を待っていたらしく、係官はそのおじさんの後に続き、ぼくにも来るように言う。

建物の1階にある部屋のドアをおじさんは開け、中に招き入れる。荷物を置くよう言われて、椅子の上に荷物を置く。部屋の中には仕事机と待ち人用らしい椅子が5脚ほど、あとは書類などが置かれている棚がある。

おじさんは係官としゃべりながら仕事の準備をはじめる。しばらくしてぼくを呼ぶ。おじさんは版画で使うような道具で黒インクを専用のトレイの上で薄く伸ばしている。それからその脇に四角い枠が描かれた紙を固定する。その紙に描かれてある枠の下には英語で親指、人差し指などの指の名前が書かれていた。どうも指紋を採るらしい。

まずは右手を出す。おじさんは右手でぼくの手首をつかみ、左手で指をつかみ、トレイの上のインクに1本ずつ押しつけていく。そして、紙の方に移動し、また一本ずつ左から右に転がすようにして押印(?)させる。その後、インクを付け直し、別の欄に同じ右手の4本指をそろえた形で押印し、さらに別の欄に親指の指紋を押印する。左手でも同じ作業を繰り返す。

これまでアメリカやイスラエルで指紋をとったりはあったが、すべての指をとるのは初めて。その部屋にはぼくしか連れてこられていないから、また怪しまれたのかと思いつつ作業が終わるのを待つ。
(※翌日、ネット屋で在イラン日本大使館のホームページを見たら2008年12月22日付けで、イラン政府から日本人旅行者については両手の5指と手のひらの指紋を採取するという通知が来たとの情報が載っていた)。

指紋採取の後、また係官に連れられ、イミグレの建物に戻る。そして2階のある事務室で彼はパスポートの写真べーじとイランビザのページのコピーを取る。

そうしてやっと入国手続き終了。けっきょく1時間近くかかった。

敷地の出口を出るとタクシーが数台停まっていて、なにをしているのかおじさんたちが数人たまっておしゃべりしている。ここでもおじさんたちに「ジャパニ」と言われる。

声をかけてきたおじさんいテヘラン行きのバス乗り場に行きたいと言うと、タクシーで行くように言われる。そしてタクシーに乗るならリアルが必要だろうと「チェンジマネー?」と聞いてくる。レートを聞くと1マナトが1万リアル。事前にネットで調べたところでは1米ドルが9800リアルだったので、マナトなら12000リアル程度でないと釣り合わない。レート悪い。もう一人別のひとが両替を持ちかけてきたがレートは同じ。どうしようかと思っていると、両替屋のおじさん二人が口げんかを始める。客の取り合いのよう。

雨が降っていることもあるし、もう夕方だからテヘラン行きのバスが何時にあるのかもわからないから、早めにバスターミナルに行きたかった。なので、しょうがなく残りのマナトを両替。8マナトで8万リアル。
送信者 iran


タクシーは2万リアル(約200円)。意外とバスターミナルは遠かった。その間、町並みを見ることができる。これまた予想外に大きな町で店がいくつも並んでいた。
送信者 iran


バスターミナルに着いたのはイラン時間の17時頃。アゼルバイジャンとの時差は30分(遅い)。
送信者 iran


バスターミナルに着くと運転手のおじさん(おじいさんに近い)はバス会社の事務所まで案内してくれる。ターミナル内には10社ほどバス会社があったものの、おじさんは一つの会社に直行。そして中にいた男性にテヘラン行きのチケットを頼んでいる。バスは20時と22時発があるらしく、どちらがいいかと言うので22時発にする。

バス代は7万リアル。手元には6万リアルしかない。おじさんは10米ドルでもいいなどと言うが、まったく釣り合わないので却下。バス会社の人はまったく両替してくれる気はないようで、おじさんとのやりとりを見てるだけ。そこへ別の客の男性2人がやってくる。彼らも割って入ってきて、1マナトないのかと言ってくるので、残っていたコインを見せるが0.6マナト分しかない。1米ドルはあるかというので、1米ドル札を見せるとそれとコイン0.4マナトを取り、それをおじさんに渡し1万リアルと両替するように言う。おじさんはレートに不満があるのかなにやら言い返していたが、間に入った客がそれを言いくるめしぶしぶ1万リアルに両替し、ようやく運賃の支払い終了。

それからまたおじさんが両替しないかと持ちかけてくるが、レートが悪すぎるので断る。

銀行で両替しようかとバス会社の人に銀行の場所を聞くが、もう時間が遅いから閉まっていると言われる。

バスの発車までまだまだ時間があるので、辺りをふらついてみようかと外に出るが、市街地からはだいぶ離れているようだった。周りには商店が2~3あるだけ。1つの店で米ドルが使えるか聞いてみるが、ダメ。

まるっきりリアルがないのは、ちと不安でもあるのだが、明日テヘランのバスターミナルに行けば両替所があるだろうと思い、今日はあきらめる。

あとはバス会社のオフィスで椅子に座ってストーブにあたりながら時間がくるのを待つ。また寝る。

21時半を過ぎた頃に、声がかかりバスに案内される。バスはVolvo製。車内はとてもきれい。だが、エンジンはかかっているのに暖房がついていないようで寒い。
送信者 iran


22時を少し過ぎてからバスは発車。乗客はなんと10人以下。ぼくは真ん中辺りの席に座っていたのだが、ぼくより後には客はなし。おかげで伸び伸びと座れる。

バスは路面がいいのか、揺れも少なく快調に走る。あれだけ寝たのに、そのうち眠くなり寝てしまう。というわけで、テヘラン行きの夜行バスの中で年を越す。

Fin

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