2009/01/18(日) 晴れ、曇り、濃霧 日中10度近く
※レート:1米ドル=14214モナト(アシュガバードにて)
※現在、デノミで通貨単位を移行中。5000モナトが1新モナトになる。
・乗り合いタクシーでキョーネウルゲンチへ
・白と茶色のカラクム砂漠
・ラクダ、羊飼い
・キョーネウルゲンチのバザール
7時過ぎに起床。例のごとく外は暗く、家の家族もまだ起きていない。
荷物を準備して、部屋を出る。部屋を出たら一番年下っぽい男が起きてきて、玄関まで送ってくれる。
外に出てみるとうっすらと明るくなり始めていた。気温は低くない6度程度。吐く息は白く曇るけど昨日よりもだいぶ暖かい。歩いてバス乗り場に向かう。
キョーネウルゲンチ行きのマルシュルートカや乗り合いバスはダーシュオグズバザールの駐車場から出ている。5分ほど歩いてバス停に着き、ベンチに座って1番のトロリーバスを待つ。が、来ない。
まだ朝が早いためか、20分ほど待ってもこないので普通のバスに乗ることにする。普通のバスの何番がダーシュオグズバザールに行くかは調べていなかったので、入ってくるバスに聞く。10番のバスが行くらしい。
10番のバスが間もなくやってきたので、それに乗り込む。他のバスはけっこう満杯だったが、このバスは空いていた。
15分足らずでダーシュオグズバザールに到着。その頃にはすっかりあたりは明るくなった。
駐車場に着くと、運転手らしき人が声をかけてきてどこに行くのかとロシア語で聞いてくる。キョーネウルゲンチと答えると、「アドヌー ナーダ(1人ぶん空いている)」と言って車に案内する。
車の方に行くと、たむろしていた運転手らしき人らの一部がキターイだのチュンチョンだのと言ってくる。案内されたのは普通の乗用車の乗り合いタクシーだった。運賃を聞くと20万モナト(約1400円)。高い。キョーネウルゲンチと書いたプラカードをフロントガラスに立てているワゴン車があったので、そっちの方が安かろうと運賃を聞くとこっちは15万モナト(約1100円)。ただこちらは客が一人も乗っていない。しばし考える。乗り合いタクシーの方に安くしてくれないか聞くがダメ。しかし、ガイドブックによればここからキョーネウルゲンチまでは8~10時間かかるとあったので、明るいうちに着くためにも早く出たい。数分逡巡して予定外だけど20万モナトの出費の方を取る。
トランクにリュックを詰め、後部座席に座るとすぐに車は発車する。時刻は8時20分。すばらしいことに後部座席は3人がけで、助手席は1人。正しい乗り方をしている。後部座席に4人、助手席に2人つめこんだりしていない。
車は昨日行ったタルクーチカ脇の道を北に向けて走る。しばらく走ると運転手が「ドキュメント イェスチ(パスポートはあるか)?」と聞いてくる。検問が近いらしい。同乗の他の3人もそれぞれパスポートや文書を取りだして運転手に預ける。
同乗している他の客は若い男ばかり。ぼくの左に座っていた男は27歳、その横の男は22歳。助手席に座っている男も同じ程度。運転手は30歳は過ぎていそう。隣に座っている彼はドゥレット、22歳の方はセルダル
という名前らしい。
ドゥレットがプラスチックのカップに透明な液体が入ったものを勧めてくる。水だったら嬉しかったのだが、案の定ウォッカ。朝っぱらかつ何も食べていないのにウォッカはとても無理なので断る。彼はぜんぜんしつこくなく、笑って隣のセルダルと乾杯して飲み始める。
二人ともやや垂れ目の若干気の弱そうな優しい顔をしていて、にこにこしながらあれこれと聞いてくる。年はいくつなのか、仕事は何をしているのか、日本のどのまちに住んでいるのか、トルクメニスタンでは何をしているのかなどなど。そう言ったお決まりの質問であればロシア語で聞かれてもわかるのだが、その他となるとこちらの語彙不足から理解不能となる。
ドゥレットや自分たちが食べていたパンとサラミも分けてくれる。さらに小さなきゅうりのピクルスを1本くれる。
アシュガバードの町中を離れ、1本道になると辺りは濃霧。道の両サイドは農地っぽいがはっきりとはわからない。霧のおかげで前方も50mほど先までしか見えない。
そのうち検問所に到着。ここの検問はほかの国とは違って運転手が乗客のパスポートなどを持って警察の交番のような建物に行くだけ。警察が回ってきて車の中を覗いたり、荷物を調べたりということはない。乗客は運転手が出て行っている間待つだけ。
検問を通過して30分も走ると霧がはれる。そして両サイドに砂漠が見える。モロッコで見た景色と似ていて砂漠と言ってもけっこう草がぼそぼそ生えている。また砂の山もないため砂漠と言っても一般にイメージするような砂漠の雰囲気ではない。
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ただ不思議なのが薄茶色の砂に混じって白い砂(?)が混じっているところ。あるところは茶色いのだが、あるところは白い。雪かと思い、運転手に聞いてみたが違うと言う。まぁ、雪だったら一面が白くなっているだろう。しかしそれにしても2種類の砂が混ざっている砂漠なんてあるのか?
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そんなことを考えていたら、休憩となる。外に出て、砂漠の方に行き、白い部分を触ってみて謎が解ける。白い部分は砂漠の表面の水分が凍ったものだった。触ってみると冷たくて、すぐに滴(しずく)になってしまった。よく見てみれば白くなっているのはだいたい日陰になっている部分が多い。というわけでここで記念撮影。
10分ほど休憩してまた走り出す。路面はわりときれいに舗装されているし、対向車もほとんどないので車はバンバンとばす。メーターを見ると140km/時出ている。
さっき隣のドゥレットにパンをもらったのに、今度は前からパンとサラミをプレゼントされる。ちぎられたパンをもらいかじる。なくなる頃にまたパンとサラミが出てくる。ありがたや。
沿道には集落らしきものは滅多に見えない。当然、店も何もない。
窓の外を眺めていたらドゥレットがあれを見ろというようなことを言ってくる。見るとラクダがいた。トゥルクメ語とロシア語でらくだ、らくだと言う。らくだの後から主らしい少年が歩いてくる。
近くに集落があるようで、それらしき建物も見え、またその後もラクダを散歩(?)させている群や羊の群を見る。ぼくがラクダの写真を撮っていたら、運転手は車を止め、助手席の男に言って、ぼくに助手席に座るよう言う。
後の右の窓際に座っていたのだが、窓には日除けのビニール膜が張られていたのであまり眺めが良くなかった。それが助手席に座ると一変。とても眺めがよろしい。わざわざ気を使ってくれるなんてありがたや。
相変わらず車は140kmで走っているのだが、ここで悲劇が起こる。雀のような小鳥が前方の路上で何かをついばんでいたのでプップーとクラクションを鳴らしたものの、小鳥は近づいてくる車との距離感とそのスピードを計り間違えたようで飛び立ったものの、次の瞬間プチッというような小さな音が車のフロントから聞こえる。サイドミラーで後を伺ったがわからず。しかし、おそらく小鳥をはねた。
再び検問があり、前回と同じようにパスポートなどを運転手が警察の建物まで持っていく。
アシュガバードを出てから3時間。これまで良かった道が急に悪くなる。がたがたの舗装道になったかと思いきや、そのうち未舗装の道路になる。それでも運転手は80km台で走る。現在、道路を整備中のようで工事中らしき現場の脇を通ったりもする。
がたがたの道を走っていたら、運転手が道から外れ、道路の左側の土地に入っていく。あれ?と思って運転手を見たら、仕草で道路はぐっと左の方に曲がっているからこうして近道をしているのだと教えてくれる。
道を外れて入った土地は草もなにも生えていない整地されたように平たい土地だったため、車はまた140kmに戻る。
10分足らずでさっきの未舗装の道路とぶつかり、また道に戻る。スピードは落ちる。
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未舗装の道路に入った頃から対向車が増える。キョーネウルゲンチかどこかを朝に出た車なのだろうか。運転手はときおり手を挙げて向かいから来る車と挨拶を交わす。
ある車とすれ違ったとき、急に車が止まる。運転手は「エータ モイ ブラート(あれは自分の兄弟だ)」と言って車から降りる。ぼくも外に出て一休みする。さすがにだいぶ北上してきたからか空気が冷たい。道路には雪はないもののあたりにはちょこちょこ雪が積もっている。が、少ない。
兄弟はおしゃべりしている。運転手が写真を撮ってというので、兄弟のツーショットをカシャリと撮る。
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その兄弟の人の方にキョーネウルゲンチまであとどれくらいか尋ねたらあと150kmだと言う。まだ時刻は昼の12時前。この調子であれば14時頃には着いてしまう。乗り合いタクシーに乗ったこともあるのだろうがガイドブック『旅行人』の情報とだいぶ違う。
5分も外にいたら体が冷えてきたので、ぼくはさっさと車内に戻る。
再び車は走り出す。沿道には畑。集落も見える。左手に何かの集積所のようなと頃があって運転手がロシア語でなにやら説明してくれる。当然ぼくのロシア語では理解できなかったのだが、そのうち看板が出て来たのでそれでわかった。綿花の集積場らしい。道路にも綿花がぽつぽつ落ちている。
12時35分。また検問。検問の手前に幅5mほどの小さな運河(ドゥレットがカナルだと教えてくれた)があったが、完全に凍っていた。
それを過ぎるとまた舗装道に戻る。再び140km。
1時間ほどでまた検問。キョーネウルゲンチの入り口らしく、ドゥレットが向こう側を指さし、「キョーネウルゲンチ」と言う。検問を抜けたところから家や畑が見えてくる。農村といった雰囲気。雪は思いの外少ない。道路には雪はないし、日陰にこんもり積もっているだけ。アシュガバードはあんなに舗装されていたのに、ここは自動車道として幅8mほどが舗装されているだけでその脇はどろどろべちょべちょの状態。アシュガバードに金ぴかの像を何体も!作るカネがあるならこの辺の道路をもうちょっと何とかしろよな。
キョーネウルゲンチに入ってから15分ほど。運転手はアフトスタンツィア(バスターミナル)近くのホテルの前で車を停める。そこで荷を降ろし、20万モナトを払ってお別れ。結局アシュガバードを出てから6時間程度で着いた。
ホテルは四角いコンクリートの建物で見た目は役所か何かのように見える。
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入り口を入ると若い女性がいて、壁に貼られている値段表を指さしてから一言「パスポート」と言う。パスポートを渡すと部屋に案内してくれる。部屋は10場ほどある板間の部屋でベッドが両サイドの壁に沿って1つずつある。
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またテレビや冷蔵庫もあるが、電気は入っていないよう。電灯は裸電球が1つ。部屋を出た向かいに風呂場があるが、ドラム缶に水がためられているだけで、水道の蛇口がない。えっ?と思う。トイレの場所を聞くと外にあるという。行ってみると建物の裏に2つトイレがあり、和式と同じタイプ。中には糞が山のように溜まっている。やれやれ。
ホテルの建物に戻り、値段表を改めて眺める。トルクメニスタン人は15000モナト(約110円)だが、旧ソ連圏の人は4500モナト(約300円)、そして外国人は12万モナト(約900円)。外国人料金は桁が違う。でも1000円以下だからまだましか。
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部屋に荷物を置いてバザールに行く。
道ばたでタクシーを捕まえ、乗ること10分ほど。運賃は5000モナト(約40円)。
バザールが町の中心とガイドブックにあったが、町の中心も未舗装状態。道はどろどろ。
バザールは壁に囲まれた屋内型のところとその周りの道ばたに風呂敷を敷いている屋外型のところとがあった。道ばたで売っているものは日用品の他、蜂蜜みたいなもの、チーズ、みかん、りんご、腐りかけのすいか、オレンジ色と黄色の人参、じゃがいも、米(短粒米)、漬け物各種、ビスケット、2リットルのペットボトル入りのジュース、ウォッカ、ビニール袋などなど。
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10歳くらいの少年らが荷車をひいて手伝いをしていたりする。足下はどろんこ。外国人は珍しいのか、みなの視線が集まるのを感じる。しかし、イランのように30秒や1分近くじっと見られ続けるようなことはない。アシュガバードと比べると地元の人もアジア的な顔立ちの人が多いように感じる。
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アシュガバードの市場にもあったが、キムチみたいなものが気になり、1袋買う。大きなボールに入れて売られており、頼むと小さなお椀で3回すくい、ビニール袋に入れて売ってくれる。一袋3000モナト(約25円)。
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屋内型のバザールの方はもうすぐ16時が近いとあってか半分は店じまいしていた。通路でドネルケバブ(肉をロール状に巻いて焼きながら売っているやつ。ロール状の肉の塊から専用のナイフで肉をそぎ、それをパンに挟んでを売っている)おじさんがいて、話しかけてくる。ケバブは何度も食べていたので食べる気はなかったが、ただの倉庫かと思っていたところが食堂になっているらしく、そこでマントゥやパロウが食べられるという。ショルバ(スープ)がないか尋ねたらあるというので、そちらの店内に入り、遅い昼飯兼夕食にする。
テーブルに座ってショルバとチャイを注文する。待っていたらケバブのおじさんがやってきてケバブ(おじさんはバンブルガーと言った)を食べないかというので、いくらか尋ねると「ニェート ジェーニギ(オカネはいらない)」と言い、自分からのプレゼントだというような仕草をする。ありがたくいただく。
バンブルガーは油でべとべとだった。肉片の他に白い油片も挟まれている。これまで食べたものは肉は鶏か牛だったが、ここのは羊だった。うまい。
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ショルバはなんとかという名前のもので、香辛料がたっぷり入っているよなオレンジ色のスープに小さなマントゥ(小さな餃子っぽいの)がたくさん入っている。ちっこい人参の破片みたいなもの入っている。食べてみると意外にさっぱりしていて見た目と違って辛くもない。これでスープが澄んでいればワンタンスープと同じ。これにパンが付くが、このパンがぼくはあまりおいしいと思えない。チャイ(紅茶)は急須ごと出てくる。
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腹一杯になって支払いをする。ショルバは15000モナト、チャイは1000モナトと言っていたから2万モナト渡すと1万だけでいいと、1万モナト札を1枚しか受け取らなかった。これだけ食べて1万モナト(約70円)とはありがたや。
おじさんに礼を言うと明日も来れるかと尋ねてくる。明日も来たい気分だったが、明日はウズベキスタンに行くからと来れないと伝える。
店を出て、屋内のバザールをちらっと見て、宿に戻る。バスが通っている幹線道路まで歩いて向かっていると、チャイハネ(喫茶店、飲み屋?)から出て来た男がこちらを見て寄ってきてキターイ(中国)などという言葉を交えながら何事かをまくし立てる。無視して歩いていたらいきなりすごい力で腕をつかんでくる。すぐに振りほどいて離れながら男の顔を見ると目が酔っている。それ以上は近寄って来なかったから良かったが、なんとも鬱陶しい。
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幹線道路に出てバスを待つ。幹線道路は舗装されている。20分ほどで路線バスをゲット。ここの路線バスはバス型車両もあるが、ワゴン車を改造した車両も使われており、ぼくが乗ったのは後者。どの車も人がたくさん乗っていて盛況だ。
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そこから15分ほどでアフトスタンツィア(バスターミナル)に到着。運賃は2000モナト(約15円)。バスターミナルで明日の下調べとして国境行きの車のことを尋ねるが、最初に尋ねたバスの運転手はなんだか鬱陶しそうな顔をして教えてくれず。まぁ、バスがなければタクシーで行けばいいやとそのまま宿に戻る。
宿に戻って部屋に入ろうと思ったら鍵がない。ポケットに入れていたはずが、どのポケットを探ってもない。受付のおばちゃんがスパナと細長いナイフを持ち出してきて、鍵の出っ張りを引っ込まそうとするができない。鍵の受け穴の方は何度も壊された痕があり、おばさんの作業もその受け穴の方にナイフを突っ込んだりしてなんとかしようとするが、なんともならない。
おばさんは諦め隣の部屋にぼくを案内し、ここで待っててというようなことを言う。誰かを呼ぶらしい。キムチでも食べながら待つことにする。
キムチは唐辛子が入っていたもののまったくと言っていいほど辛くないが、やっぱり味はキムチっぽい。具はキャベツのよう。辛くないからいくらでも食べられる。
そのうち一人のおじさんを伴い、受付のおばさんがやってくる。ぼくはてっきり鍵屋を呼んだのだろうと思っていたが、おじさんが手に持っていたのはペンチひとつだけ。これじゃなんにもできないじゃんと思いながらどうなるか見守る。
おじさんはさっきおばさんがやっていた作業をまたやるがすぐに諦める。そして後で見ていたぼくをちょっとどかせて両腕を動かしカンフーのまねごとをする。なんじゃ? と思っていたら、カンフーのまねごとをし終わった瞬間右足でドアを蹴り付ける。するとドアが開いた。これまで何度も壊した鍵の受け穴は金属の板で補強されていたのだが、その金属の板が外れ、ドアが開いたというわけだった。
鍵代などを請求されたりしないか心配していたのだが、ドアが開いたらおじさんもおばさんも去っていった。
その後は部屋で明日のルートの確認や書き物をしたりする。コンセントはちゃんと使えたのでカメラのバッテリーの充電もできる。部屋は布団をかぶらなくても十分暖かい。もちろんシャワーは浴びず。
Fin
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