2011年2月24日木曜日

[diary]アシュガバードからキョーネウルゲンチへ

アシュガバードからキョーネウルゲンチへ

2009/01/18(日) 晴れ、曇り、濃霧 日中10度近く
※レート:1米ドル=14214モナト(アシュガバードにて)
※現在、デノミで通貨単位を移行中。5000モナトが1新モナトになる。

・乗り合いタクシーでキョーネウルゲンチへ
・白と茶色のカラクム砂漠
・ラクダ、羊飼い
・キョーネウルゲンチのバザール

7時過ぎに起床。例のごとく外は暗く、家の家族もまだ起きていない。

荷物を準備して、部屋を出る。部屋を出たら一番年下っぽい男が起きてきて、玄関まで送ってくれる。

外に出てみるとうっすらと明るくなり始めていた。気温は低くない6度程度。吐く息は白く曇るけど昨日よりもだいぶ暖かい。歩いてバス乗り場に向かう。

キョーネウルゲンチ行きのマルシュルートカや乗り合いバスはダーシュオグズバザールの駐車場から出ている。5分ほど歩いてバス停に着き、ベンチに座って1番のトロリーバスを待つ。が、来ない。

まだ朝が早いためか、20分ほど待ってもこないので普通のバスに乗ることにする。普通のバスの何番がダーシュオグズバザールに行くかは調べていなかったので、入ってくるバスに聞く。10番のバスが行くらしい。

10番のバスが間もなくやってきたので、それに乗り込む。他のバスはけっこう満杯だったが、このバスは空いていた。

15分足らずでダーシュオグズバザールに到着。その頃にはすっかりあたりは明るくなった。

駐車場に着くと、運転手らしき人が声をかけてきてどこに行くのかとロシア語で聞いてくる。キョーネウルゲンチと答えると、「アドヌー ナーダ(1人ぶん空いている)」と言って車に案内する。

車の方に行くと、たむろしていた運転手らしき人らの一部がキターイだのチュンチョンだのと言ってくる。案内されたのは普通の乗用車の乗り合いタクシーだった。運賃を聞くと20万モナト(約1400円)。高い。キョーネウルゲンチと書いたプラカードをフロントガラスに立てているワゴン車があったので、そっちの方が安かろうと運賃を聞くとこっちは15万モナト(約1100円)。ただこちらは客が一人も乗っていない。しばし考える。乗り合いタクシーの方に安くしてくれないか聞くがダメ。しかし、ガイドブックによればここからキョーネウルゲンチまでは8~10時間かかるとあったので、明るいうちに着くためにも早く出たい。数分逡巡して予定外だけど20万モナトの出費の方を取る。

トランクにリュックを詰め、後部座席に座るとすぐに車は発車する。時刻は8時20分。すばらしいことに後部座席は3人がけで、助手席は1人。正しい乗り方をしている。後部座席に4人、助手席に2人つめこんだりしていない。

車は昨日行ったタルクーチカ脇の道を北に向けて走る。しばらく走ると運転手が「ドキュメント イェスチ(パスポートはあるか)?」と聞いてくる。検問が近いらしい。同乗の他の3人もそれぞれパスポートや文書を取りだして運転手に預ける。

同乗している他の客は若い男ばかり。ぼくの左に座っていた男は27歳、その横の男は22歳。助手席に座っている男も同じ程度。運転手は30歳は過ぎていそう。隣に座っている彼はドゥレット、22歳の方はセルダル
という名前らしい。

ドゥレットがプラスチックのカップに透明な液体が入ったものを勧めてくる。水だったら嬉しかったのだが、案の定ウォッカ。朝っぱらかつ何も食べていないのにウォッカはとても無理なので断る。彼はぜんぜんしつこくなく、笑って隣のセルダルと乾杯して飲み始める。

二人ともやや垂れ目の若干気の弱そうな優しい顔をしていて、にこにこしながらあれこれと聞いてくる。年はいくつなのか、仕事は何をしているのか、日本のどのまちに住んでいるのか、トルクメニスタンでは何をしているのかなどなど。そう言ったお決まりの質問であればロシア語で聞かれてもわかるのだが、その他となるとこちらの語彙不足から理解不能となる。

ドゥレットや自分たちが食べていたパンとサラミも分けてくれる。さらに小さなきゅうりのピクルスを1本くれる。

アシュガバードの町中を離れ、1本道になると辺りは濃霧。道の両サイドは農地っぽいがはっきりとはわからない。霧のおかげで前方も50mほど先までしか見えない。

そのうち検問所に到着。ここの検問はほかの国とは違って運転手が乗客のパスポートなどを持って警察の交番のような建物に行くだけ。警察が回ってきて車の中を覗いたり、荷物を調べたりということはない。乗客は運転手が出て行っている間待つだけ。

検問を通過して30分も走ると霧がはれる。そして両サイドに砂漠が見える。モロッコで見た景色と似ていて砂漠と言ってもけっこう草がぼそぼそ生えている。また砂の山もないため砂漠と言っても一般にイメージするような砂漠の雰囲気ではない。

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ただ不思議なのが薄茶色の砂に混じって白い砂(?)が混じっているところ。あるところは茶色いのだが、あるところは白い。雪かと思い、運転手に聞いてみたが違うと言う。まぁ、雪だったら一面が白くなっているだろう。しかしそれにしても2種類の砂が混ざっている砂漠なんてあるのか?

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そんなことを考えていたら、休憩となる。外に出て、砂漠の方に行き、白い部分を触ってみて謎が解ける。白い部分は砂漠の表面の水分が凍ったものだった。触ってみると冷たくて、すぐに滴(しずく)になってしまった。よく見てみれば白くなっているのはだいたい日陰になっている部分が多い。というわけでここで記念撮影。

10分ほど休憩してまた走り出す。路面はわりときれいに舗装されているし、対向車もほとんどないので車はバンバンとばす。メーターを見ると140km/時出ている。

さっき隣のドゥレットにパンをもらったのに、今度は前からパンとサラミをプレゼントされる。ちぎられたパンをもらいかじる。なくなる頃にまたパンとサラミが出てくる。ありがたや。

沿道には集落らしきものは滅多に見えない。当然、店も何もない。

窓の外を眺めていたらドゥレットがあれを見ろというようなことを言ってくる。見るとラクダがいた。トゥルクメ語とロシア語でらくだ、らくだと言う。らくだの後から主らしい少年が歩いてくる。

近くに集落があるようで、それらしき建物も見え、またその後もラクダを散歩(?)させている群や羊の群を見る。ぼくがラクダの写真を撮っていたら、運転手は車を止め、助手席の男に言って、ぼくに助手席に座るよう言う。

後の右の窓際に座っていたのだが、窓には日除けのビニール膜が張られていたのであまり眺めが良くなかった。それが助手席に座ると一変。とても眺めがよろしい。わざわざ気を使ってくれるなんてありがたや。

相変わらず車は140kmで走っているのだが、ここで悲劇が起こる。雀のような小鳥が前方の路上で何かをついばんでいたのでプップーとクラクションを鳴らしたものの、小鳥は近づいてくる車との距離感とそのスピードを計り間違えたようで飛び立ったものの、次の瞬間プチッというような小さな音が車のフロントから聞こえる。サイドミラーで後を伺ったがわからず。しかし、おそらく小鳥をはねた。

再び検問があり、前回と同じようにパスポートなどを運転手が警察の建物まで持っていく。

アシュガバードを出てから3時間。これまで良かった道が急に悪くなる。がたがたの舗装道になったかと思いきや、そのうち未舗装の道路になる。それでも運転手は80km台で走る。現在、道路を整備中のようで工事中らしき現場の脇を通ったりもする。

がたがたの道を走っていたら、運転手が道から外れ、道路の左側の土地に入っていく。あれ?と思って運転手を見たら、仕草で道路はぐっと左の方に曲がっているからこうして近道をしているのだと教えてくれる。

道を外れて入った土地は草もなにも生えていない整地されたように平たい土地だったため、車はまた140kmに戻る。

10分足らずでさっきの未舗装の道路とぶつかり、また道に戻る。スピードは落ちる。

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未舗装の道路に入った頃から対向車が増える。キョーネウルゲンチかどこかを朝に出た車なのだろうか。運転手はときおり手を挙げて向かいから来る車と挨拶を交わす。

ある車とすれ違ったとき、急に車が止まる。運転手は「エータ モイ ブラート(あれは自分の兄弟だ)」と言って車から降りる。ぼくも外に出て一休みする。さすがにだいぶ北上してきたからか空気が冷たい。道路には雪はないもののあたりにはちょこちょこ雪が積もっている。が、少ない。

兄弟はおしゃべりしている。運転手が写真を撮ってというので、兄弟のツーショットをカシャリと撮る。
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その兄弟の人の方にキョーネウルゲンチまであとどれくらいか尋ねたらあと150kmだと言う。まだ時刻は昼の12時前。この調子であれば14時頃には着いてしまう。乗り合いタクシーに乗ったこともあるのだろうがガイドブック『旅行人』の情報とだいぶ違う。

5分も外にいたら体が冷えてきたので、ぼくはさっさと車内に戻る。

再び車は走り出す。沿道には畑。集落も見える。左手に何かの集積所のようなと頃があって運転手がロシア語でなにやら説明してくれる。当然ぼくのロシア語では理解できなかったのだが、そのうち看板が出て来たのでそれでわかった。綿花の集積場らしい。道路にも綿花がぽつぽつ落ちている。

12時35分。また検問。検問の手前に幅5mほどの小さな運河(ドゥレットがカナルだと教えてくれた)があったが、完全に凍っていた。

それを過ぎるとまた舗装道に戻る。再び140km。

1時間ほどでまた検問。キョーネウルゲンチの入り口らしく、ドゥレットが向こう側を指さし、「キョーネウルゲンチ」と言う。検問を抜けたところから家や畑が見えてくる。農村といった雰囲気。雪は思いの外少ない。道路には雪はないし、日陰にこんもり積もっているだけ。アシュガバードはあんなに舗装されていたのに、ここは自動車道として幅8mほどが舗装されているだけでその脇はどろどろべちょべちょの状態。アシュガバードに金ぴかの像を何体も!作るカネがあるならこの辺の道路をもうちょっと何とかしろよな。

キョーネウルゲンチに入ってから15分ほど。運転手はアフトスタンツィア(バスターミナル)近くのホテルの前で車を停める。そこで荷を降ろし、20万モナトを払ってお別れ。結局アシュガバードを出てから6時間程度で着いた。

ホテルは四角いコンクリートの建物で見た目は役所か何かのように見える。
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入り口を入ると若い女性がいて、壁に貼られている値段表を指さしてから一言「パスポート」と言う。パスポートを渡すと部屋に案内してくれる。部屋は10場ほどある板間の部屋でベッドが両サイドの壁に沿って1つずつある。

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またテレビや冷蔵庫もあるが、電気は入っていないよう。電灯は裸電球が1つ。部屋を出た向かいに風呂場があるが、ドラム缶に水がためられているだけで、水道の蛇口がない。えっ?と思う。トイレの場所を聞くと外にあるという。行ってみると建物の裏に2つトイレがあり、和式と同じタイプ。中には糞が山のように溜まっている。やれやれ。

ホテルの建物に戻り、値段表を改めて眺める。トルクメニスタン人は15000モナト(約110円)だが、旧ソ連圏の人は4500モナト(約300円)、そして外国人は12万モナト(約900円)。外国人料金は桁が違う。でも1000円以下だからまだましか。
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部屋に荷物を置いてバザールに行く。

道ばたでタクシーを捕まえ、乗ること10分ほど。運賃は5000モナト(約40円)。

バザールが町の中心とガイドブックにあったが、町の中心も未舗装状態。道はどろどろ。

バザールは壁に囲まれた屋内型のところとその周りの道ばたに風呂敷を敷いている屋外型のところとがあった。道ばたで売っているものは日用品の他、蜂蜜みたいなもの、チーズ、みかん、りんご、腐りかけのすいか、オレンジ色と黄色の人参、じゃがいも、米(短粒米)、漬け物各種、ビスケット、2リットルのペットボトル入りのジュース、ウォッカ、ビニール袋などなど。
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10歳くらいの少年らが荷車をひいて手伝いをしていたりする。足下はどろんこ。外国人は珍しいのか、みなの視線が集まるのを感じる。しかし、イランのように30秒や1分近くじっと見られ続けるようなことはない。アシュガバードと比べると地元の人もアジア的な顔立ちの人が多いように感じる。

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アシュガバードの市場にもあったが、キムチみたいなものが気になり、1袋買う。大きなボールに入れて売られており、頼むと小さなお椀で3回すくい、ビニール袋に入れて売ってくれる。一袋3000モナト(約25円)。
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屋内型のバザールの方はもうすぐ16時が近いとあってか半分は店じまいしていた。通路でドネルケバブ(肉をロール状に巻いて焼きながら売っているやつ。ロール状の肉の塊から専用のナイフで肉をそぎ、それをパンに挟んでを売っている)おじさんがいて、話しかけてくる。ケバブは何度も食べていたので食べる気はなかったが、ただの倉庫かと思っていたところが食堂になっているらしく、そこでマントゥやパロウが食べられるという。ショルバ(スープ)がないか尋ねたらあるというので、そちらの店内に入り、遅い昼飯兼夕食にする。

テーブルに座ってショルバとチャイを注文する。待っていたらケバブのおじさんがやってきてケバブ(おじさんはバンブルガーと言った)を食べないかというので、いくらか尋ねると「ニェート ジェーニギ(オカネはいらない)」と言い、自分からのプレゼントだというような仕草をする。ありがたくいただく。

バンブルガーは油でべとべとだった。肉片の他に白い油片も挟まれている。これまで食べたものは肉は鶏か牛だったが、ここのは羊だった。うまい。
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ショルバはなんとかという名前のもので、香辛料がたっぷり入っているよなオレンジ色のスープに小さなマントゥ(小さな餃子っぽいの)がたくさん入っている。ちっこい人参の破片みたいなもの入っている。食べてみると意外にさっぱりしていて見た目と違って辛くもない。これでスープが澄んでいればワンタンスープと同じ。これにパンが付くが、このパンがぼくはあまりおいしいと思えない。チャイ(紅茶)は急須ごと出てくる。

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腹一杯になって支払いをする。ショルバは15000モナト、チャイは1000モナトと言っていたから2万モナト渡すと1万だけでいいと、1万モナト札を1枚しか受け取らなかった。これだけ食べて1万モナト(約70円)とはありがたや。

おじさんに礼を言うと明日も来れるかと尋ねてくる。明日も来たい気分だったが、明日はウズベキスタンに行くからと来れないと伝える。

店を出て、屋内のバザールをちらっと見て、宿に戻る。バスが通っている幹線道路まで歩いて向かっていると、チャイハネ(喫茶店、飲み屋?)から出て来た男がこちらを見て寄ってきてキターイ(中国)などという言葉を交えながら何事かをまくし立てる。無視して歩いていたらいきなりすごい力で腕をつかんでくる。すぐに振りほどいて離れながら男の顔を見ると目が酔っている。それ以上は近寄って来なかったから良かったが、なんとも鬱陶しい。

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幹線道路に出てバスを待つ。幹線道路は舗装されている。20分ほどで路線バスをゲット。ここの路線バスはバス型車両もあるが、ワゴン車を改造した車両も使われており、ぼくが乗ったのは後者。どの車も人がたくさん乗っていて盛況だ。

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そこから15分ほどでアフトスタンツィア(バスターミナル)に到着。運賃は2000モナト(約15円)。バスターミナルで明日の下調べとして国境行きの車のことを尋ねるが、最初に尋ねたバスの運転手はなんだか鬱陶しそうな顔をして教えてくれず。まぁ、バスがなければタクシーで行けばいいやとそのまま宿に戻る。

宿に戻って部屋に入ろうと思ったら鍵がない。ポケットに入れていたはずが、どのポケットを探ってもない。受付のおばちゃんがスパナと細長いナイフを持ち出してきて、鍵の出っ張りを引っ込まそうとするができない。鍵の受け穴の方は何度も壊された痕があり、おばさんの作業もその受け穴の方にナイフを突っ込んだりしてなんとかしようとするが、なんともならない。

おばさんは諦め隣の部屋にぼくを案内し、ここで待っててというようなことを言う。誰かを呼ぶらしい。キムチでも食べながら待つことにする。

キムチは唐辛子が入っていたもののまったくと言っていいほど辛くないが、やっぱり味はキムチっぽい。具はキャベツのよう。辛くないからいくらでも食べられる。

そのうち一人のおじさんを伴い、受付のおばさんがやってくる。ぼくはてっきり鍵屋を呼んだのだろうと思っていたが、おじさんが手に持っていたのはペンチひとつだけ。これじゃなんにもできないじゃんと思いながらどうなるか見守る。

おじさんはさっきおばさんがやっていた作業をまたやるがすぐに諦める。そして後で見ていたぼくをちょっとどかせて両腕を動かしカンフーのまねごとをする。なんじゃ? と思っていたら、カンフーのまねごとをし終わった瞬間右足でドアを蹴り付ける。するとドアが開いた。これまで何度も壊した鍵の受け穴は金属の板で補強されていたのだが、その金属の板が外れ、ドアが開いたというわけだった。

鍵代などを請求されたりしないか心配していたのだが、ドアが開いたらおじさんもおばさんも去っていった。

その後は部屋で明日のルートの確認や書き物をしたりする。コンセントはちゃんと使えたのでカメラのバッテリーの充電もできる。部屋は布団をかぶらなくても十分暖かい。もちろんシャワーは浴びず。

Fin

[diary]タルクーチカ、ショッピングセンター

タルクーチカ、ショッピングセンター

2009/01/17(土) 晴れ 日中10度近く
※レート:1米ドル=14214モナト(両替所にて)
※現在、デノミで通貨単位を移行中。5000モナトが1新モナトになる。

・タルクーチカの市
・警察に拘束さる
・賑やかな市
・旧ソ連バッジ
・バス探し
・ショッピングセンター

寝坊する。部屋はストーブ(燃料はガスのよう)があるので、半袖でいいくらい暖かい。時刻は8時に近かったもののまだ外は薄暗い。

今日は週末に開かれるという市を見に行く。ガイドブックによれば市の名前はタルクーチカと言い、古着市といった意味らしい。早朝から昼過ぎまでやっているというので、さっそく宿を出る。

昨日の日中もけっこう暖かかったからやや薄着で出たところ、やっぱり寒かった。霜も降りている。

宿の人に教えてもらったタルクーチカ行きのバス乗り場に行く。オンボロの山型カットのバスはすぐに見つかる。女性が一人バスのドアが開くのを待っていたので、一応、その女性にタルクーチカ行きかどうかを確認し、一緒に待つ。

まだ夜が明けて間もないからかバスを待つ人は少ない。車道を挟んで反対の歩道には制服を着た子どもたちが歩いている。

10分ほど待ってバスのドアが開く。ドアの開閉ボタンを押しても2~3秒しないと開かないくらい年季が入っている。運賃は後払いで4000モナト(約30円)。

乗り込んでもなかなか乗客は増えない。いつまで待つのだろうと思っていたら5人くらい乗ったところで突然発車する。そしてたびたび停車しながら客を乗せる。あっと言う間に車内は満席になる。乗客の9割以上が女性。売り物らしい大きな袋を抱えて乗り込んでくるおばさんもいる。

10分も走ると左手に空港が見えてくる。またなにかわからないモニュメントがあり、その先に運河に架かる橋があった。その橋を越えて左手に曲がるとそこがタルクーチカだった。あたりは砂漠。西の方角に雪をかぶった山々が見える。今日も快晴のようで、山がよく見える。

砂漠の中でシートを敷いてやっているようなイメージを持っていたが、実際は市の中心部は塀で囲われ、簡易ではあるけれども屋根付きの店舗も整備されていた。鉄道のコンテナも荷物倉庫兼店舗として使われている一帯もあり。

塀の外は即席の市になっていて、円形のパンや野菜、果物、ピクルス、ビスケットなどのお菓子などを売る店が4~5列ほど100m以上にわたって並んでいる。アゼルバイジャンやイランの市場はたいして面白くなかったから久しぶりにわくわくする。

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すでに店は準備を終えていて、客もそれなりに入っている。いろいろ眺めながら歩く。

アーチが架かっている正面入り口を入る。

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[diary]アシュガバードの1日

アシュガバードの1日

2009/01/16(金) 晴れ
※レート:1米ドル=14214モナト(両替所にて)
※現在、デノミで通貨単位を移行中。5000モナトが1新モナトになる。

・両替でしくじるー逃げた闇両替おばさん
・市場で拘束さる
・インターネット
・郵便局の仕組み
・ある本屋
・市場で飯を食おうとしたら
・マントゥ、パロウ
・安いアイス
・黄金のバシュ

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[diary]サラフスからトルクメニスタン、アシュガバードへ

サラフスからトルクメニスタン、アシュガバードへ

2009/01/15(木) 晴れ
※レート:1米ドル=14000モナト(国境にて)
※現在、デノミで通貨単位を移行中。5000モナトが1新モナトになる。


・サラフスの国境
・タクシーでごたごた
・マーリー行きのバスは和気藹々
・マーリーから乗り合いタクシーでアシュガバードへ
・ドバイチックなまち
・さまよう19歳の運転手
・宿着


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2011年2月6日日曜日

[diary]マシュハドからサラフスへ

マシュハドからサラフスへ

09/01/14(木) 晴れ
[Mashhad→Sarakhs:Iran]
レート(マシュハドの両替屋にて):1米ドル=10000リアル

・マシュハドのバスターミナルで寝る
・マシュハドからサラフスへバスで移動
・バスの中でパキスタン人と
・サラフスのまち

空港のようなマシュハドのバスターミナルの一画で寝ていた。屋内施設は24時間開いていて暖房も効いている。だからそこまで寒くはないのだが、横になっているベンチが金属製のためだろう、寝ていると時折冷たく感じて目が覚める。寝袋をベンチの上に敷いて寝ていたけれども寝袋自体が寒冷地用でないこともあり、ぐっすり眠ることはできない。

5時頃、ベンチが時折揺れ、足に何かあたるので、なんだ?と思い、足の方を見るとぼくが足を伸ばしていた先に一人若い男が寝ている。他にもベンチは空いているだろうに、なんでこんなスペースに入ってくるんだ? なんだか気になるので起きる。荷物を背負ってトイレへ。

トイレはきれいに掃除されていて、洗面所ではお湯もきちんと出る。さすが聖地のバスターミナルだ。

まだ夜は明けていないので、明るくなるまでベンチに座って待つ。そこへ昨晩尋問してきたひげの警備員(というか警官?)がやってきて、握手。彼は同僚2人を伴っていて、彼らにジャポネがどうのとぼくのことをしゃべる。そして”コジャー(どこ)?”とどこに行くのか聞いてきたので、”サラフス”とまた答える。すると、車を運転する仕草をする。他の仕草も含め判断すると、どうもサラフス行きのバスターミナルまで送ってくれると言っているらしい。それでしばらくここで待てというようなことを言って、どこかへか歩いていってしまう。

一旦トイレに行って戻ってきたが、彼らはいない。送ってくれるようだったが、彼らが信用できるかどうかはわからない。大丈夫そうなんだけど、相手が3人いるっていうのが気になるところ。

結局、7時近くになってすでに外も明るくなっているので、彼らを待つことなくターミナルを出る。今日は昨日と違って快晴。雪をかぶった山々が美しい。夜はずいぶん冷えていたようで、植え込みには霜が見え、水たまりには薄く氷が張っている。

ターミナルを出て、タクシーが行列を作っているところに行くと運転手等が声をかけてくる。サラフス行きのバスターミナルまでの運賃を聞くと「2ヘザール(トマンが省略されていて、額面は2万リアル)」と言う。昨日、ここのターミナルの人に聞いたときはここからタクシーで1万リアル(約100円)で行けると言っていたので、却下。するとすぐに15000リアルに落ちるが、やはり却下。バスで行くことにする。

市内バス乗り場に行ってチケット売場で「テルミナル サラフス?」と聞くと、窓口のおじさんは顔をしかめて”あっちだ”みたいな仕草をする。よく意味がわからない。

バスの運転手に聞いた方が早いかと思い、停まっていたバスの運転手に”テルミナル サラフス?”と聞くと乗れと言うような仕草をする。

バスのチケットを買っていなかったが、なぜかタダで乗せてくれる。バスはすぐに出発し、レザーシャーの霊廟方面に向けて走る。昨日乗ったバスでは右に曲がった交差点で左に曲がったので”ぼくの発音が悪くてテルミナル・サラフスと言葉が通じていなかったか”と心配になるが、急いでいるわけではないので、どうなるか待つ。

大回りしてレザーシャーの霊廟近くの通りまで来たとき、バスが止まり、運転手が降りるように合図する。そしてイラン語でなにやら後の方を指さして言う。

意味がわからなかったが、バスを降りる。バスの後の方を見ても代わりのバスがあるわけではなかった。まったく状況が理解できないので、もうタクシーに乗ってしまうことにする。

通りを走ってきたタクシーに右手で合図する。白髪交じりのおじさん。口元には髭。「テルミナル・サラフス」と言って、昨日バスターミナルの人にイラン語で書いてもらった文字を見せる。そして「チャンデ(いくら)?」と聞く。おじさんの言い値は15000リアル(約150円)。まぁいいかと思い、乗り込む。

昨日のバスが通った道とは違う道を走るので、大丈夫かなぁと思ったが、方向としては合っていたので到着を待つ。運転手が選んだ道は空いていて、車はすいすいと走る。正面には太陽。

10分ほどでテルミナル・サラフスに到着。近くまで来ると運転手のおじさんは「タクシー? アフトブス?」と聞いてきたので「アフトブス」と答えると、バスターミナルの入り口まで丁寧に乗せて行ってくれる。荷物を降ろし、15000リアル(約150円)を払い、「ヘイリー マムヌーン(ありがとう)」と言って別れる。

壁で囲まれたバスターミナル内の駐車場にはバスが10台ほど止まっていて、どれもおんぼろ。どのバスにも乗客は乗っておらず、エンジンもかかっていなかった。人が集まっているチケット売場らしいところへ行き、チケットを買う。

窓口の人に向かって「イェキ(=1) ビリェート(=切符) サラフス」と単語を並べる。それから「チャンデ(いくら)?」と値段を聞く。すると窓口のにいちゃんはピースサインをするので2万リアル(約200円)かと思い、2万リアルを渡す。窓口のにいちゃんは、ぼくに名前を聞いてきて、その名前をチケットに書き込む。

チケットをぼくに渡してから彼はお札を見せながら2000リアルはないかという仕草をするので、それを財布から取りだし渡すとお釣りをくれる。2万リアルかと思っていたが11000リアル(約110円)だった。

ぼくは出発時間を聞こうと時計を指さし、尋ねる。すると彼は”11”と紙に書いて見せる。

現在の時刻は7時40分。11時までにはまだ3時間以上ある。これなら何も急いで来る必要はなかったと思いながらベンチに腰掛ける。そして朝飯代わりに昨日買ったみかんを食べる。隣に座っていた女性は英語の学習本を開き、発音の練習をしているのかぶつぶつ言いながら、もくもくと勉強していた。

11時までどうするかなぁと思いながらみかんを食べていたら、1台のバスが動き出し、チケット売場近くのベンチに座って待っていた客たちが一斉にそのバスの方に向かって動き出す。

チケット売場近くのベンチが空いたのでそちらに移る。ドンとベンチに腰掛けたら、バスの方から運転手らしき人が「サラフス」と言いながら歩いてくる。あのバスはサラフス行きらしい。

乗り込んでしまえばこっちのものだと思い、その運転手らしき人にチケットを見せると一瞥して、バスの方に行くよう促す。乗れるらしい。

運転手らしいそのおじさんは、バスの荷台のドアを開け、そこにリュックを入れるように言う。荷台はまったく掃除されていないようで薄く土ぼこりが積もっている。ゲッと思いつつもリュックを入れる。

さてバスに乗り込もうかとしたらおじさんが、仕草で荷物台に5000リアル(約50円)よこせというようなことを言ってくる。イランで荷物代を請求されるなんてなかったので、「ノーノー」と言うとあっけなくおじさんは諦めた。

バスはほぼ満席状態。空いていた一番後ろから2番目の席に座る。と、座席が壊れているらしく、傾く。窓も掃除されていないため汚い。

座って待っていたら窓口でチケットを売っていたにいちゃんが乗り込んで来てチケットの確認などをしている。ゲッと思ったが、チェックされても何もなく、そのまま乗ることに。う~ん、あの”11”はなんだったのだろう? チケットにも”11 -”とあったからてっきり発車時刻と思っていたのだが、よくわからん。まぁいいや。

バスは8時過ぎに発車。やっぱりこれまで乗ってきたバスと比べると、外観がおんぼろなだけあって動きが硬い。

ぼくの隣には兵役中らしい若い男が座る。それでなにやら話しかけてくるのだがイラン語なのでよくわからない。そこへ後から英語で話しかけてくる人がいた。ヒゲモジャの男が2人。一人はイラン人っぽいが、一人はモンゴル系。二人とも英語が片言以上にできるので、おかしいなと思っていたら二人ともパキスタン人だった。

彼らは絨毯ビジネスでイランに来ているらしく、年齢は20代半ば。ぼくに近い方に座っていた人はいろいろ聞いてくる。何をしにイランに来ているのか? どこを旅行しているのか? 年齢は? 結婚は? 子どもは? いくつの言語を話せるか? などなど。

彼にいくつ言葉を話せるのか尋ねると4つと言う。パキスタンの言葉であるウルドゥー語、英語、イラン(ペルシャ)語、アラビア語、マレーシア・インドネシア語(これは1つとしてカウント)。

パキスタンでは学校では外国語は何を習うのか尋ねると英語とアラビア語だと言う。英語はほとんどの人が話せるらしいが、アラビア語はそうでもないらしい。

そんなことを話していたら、彼がまた質問してくる。よく聞き取れなかったので、聞き直すと彼の質問は日本は原爆をいくつ持っているのかという質問だった。この質問は初めて。なので日本は原爆を持っていないと伝える。”We don't have atomic bomb.”と英語で言ったのだが、”We”を主語にすると「日本は~」と日本語で答える場合とは違った印象を受ける。

彼はぼくの答えを聞いて、”それならアフガニスタンと同じだ、アフガニスタンも持っていない”と言う。

彼にパキスタンは原爆をいくつ持っているのかと尋ねると、彼は3つと言い、付け加えてイランは2つだと言う。イランて対外的には核兵器は持っていないって言ってるんじゃなかったっけ? と思うが、これは後で要チェック。

外の景色はうっすらと雪が積もっている農地あるいは草も大して生えていない原野が続く。意外にも山は見えない。高圧電線がずっと遠くまで続いている。

沿道に集落を見ることもほとんどない。

パキスタン人の二人は途中で降りる。道が枝分かれしているところだったが、辺り集落らしきものは見えなかった。

バスはまだまだ走る。

隣に座っていた男が、身振り手振りで日本のお金を見せて欲しいというようなことを言ってくる。見せると欲しがるだろうなと思いながら、持っていた硬貨を見せると案の定欲しがる。1円玉と50円玉、100円玉、500円玉を見せたのだが、50円玉が気に入ったらしくこれをくれというようなことを言い出す。これから先の旅先でも現地の人に見せるネタとして50円玉は取っておきたかったが、やけに熱心に欲しがるのでやることにする。

マシュハドを出てから約3時間たった11時すぎ、バスはサラフスに到着。

[diary]マシュハドでの1日

マシュハドでの1日

2009/01/13(水) 曇り
[Mashhad:Iran]
レート(マシュハドの両替屋にて):1米ドル=10000リアル

テヘランを出たのが昨日の13時40分。休憩を挟みながら走ること9時間。夜明け前の3時にマシュハドに到着。小さめの空港のような立派なバスターミナルには煌々と電気がついていて降りてきた乗客たちを迎え入れる。

到着した人たちはそれぞれ帰宅の途につくが、当然、ぼくはこれから宿探しというわけにも行かず、バスターミナル内のベンチに横になり、朝が来るのを待つ。人の気配が始終する中ではなかなか眠れないが、横になれるだけでもありがたい。

と、そこへぼくを起こす声がする。目を開けて見ると制服姿の男が2人。警察らしい。パスポートチェックなどが例のごとくあり、それで解放される。

外が明るくなってもすぐにはターミナルを離れず9時半ゴロまで本を読んだりして過ごす。

昼間はマシュハドの中心街を見てまわる。
宿に泊まろうかと安宿をまわるがどこも満室。

2軒目の宿が荷物だけは預かってくれるというので、荷物を預かってもらい街を見てまわる。
夕方には荷物を取りに行って、バスターミナルへ。今晩もバスターミナルで過ごす。連泊。

夜中、またもや警官が3人やってくる。イラン語でいろいろ聞かれるが理解できず。一人はぼくの髪の毛を触ってにやにやしている。パスポートチェックがあったものの立ち退きにはならず、またベンチに寝袋を敷いて寝る。

2011年2月3日木曜日

[diary]テヘランからマシュハドへ移動

テヘランからマシュハドへ移動

2009/01/12(火) 雪、曇り
[Teheran→Mashhad:Iran]
レート(テヘランの両替屋にて):1米ドル=9970リアル、1ユーロ=13520リアル

・エスファハーン行き取りやめ
・バスでマシュハドへ

テヘランの宿。

まだ夜も明けていない5時頃、目が覚める。早起きしてエスファハーンに行くつもりなのだが、この時間では地下鉄が動いているか怪しい。確か街角にあった地下鉄の運行時間を示した看板には6時前が始発だったような気がした。

なので、しばらく寝る。6時前に再度目覚める。起き出して、出る準備をするが、どうも腹の調子がよろしくない。昨日、ブーツを買ったことで手元のリアルも少なくなっていたので、エスファハーン行きはやめにして、午後のバスでここから直接マシュハドに行くことにする。よって、引き続き就寝。

7時を過ぎて外が明るくなる。空は曇り。ここのところずっと青空ばかりだったのに、久しぶりだ。窓際に行って外を覗いてみると雪がちらちら舞っていた。

店が開くのを待って9時過ぎに宿を出て、宿から歩いて10分足らずのカード屋街に行く。テヘランではずいぶん絵はがきを探したが、結局英語の雑誌をおいている古本屋に10年以上前くらいの絵はがきがあるのを見つけただけ。しかも、そこは宿から歩けば2時間近くかかるので、近くのカード屋街で見開きタイプのカードを書う。

50軒ほどカード屋が並んでいて、招待状用とか贈答用とかお祝い用のカードを多種類売っている。が、観光客向けのいわゆる絵はがきタイプのは少ない。2枚だけ買う。意外に安く1枚3500リアル(35円)。しかも封筒で包んでくれる。

宿で書き物をして郵便局へ。ハガキだったら切手代は1枚1000リアル(約10円)だったが、封書だと一枚6000リアル(約60円)だった。

その後、昼のチェックアウト時間まで宿で書きもの。

[diary]再びのテヘラン、トルクメビザをゲット

再びのテヘラン、トルクメビザをゲット

2009/01/11(月)
[Teheran:Iran]
レート(テヘランの両替屋にて):1米ドル=9970リアル、1ユーロ=13520リアル

・テヘランに戻る
・トルクメビザをゲット
・ブーツを買う

テヘランに向かうバスの中。いつも通りケツの痛みで何度も目が覚めつつ、それでもしっかり寝る。

テヘランに近づいたところで隣に座っていた人が降りたので、それ以降は2つの座席にまたがりのんびり眠れる。

昨日の出発が遅かったので、もしや到着は昼前になるのでと危ぶんでいたのだが、思いの外早く、テヘランのバスターミナルに着いたのは6時過ぎだった。しかも今回は南バスターミナルに着いたようで、バスから降りると目の前が地下鉄の乗り場の入り口。すばらしい。トルクメニスタン大使館は11時に閉館するため、ちょっとバスが遅れたり、テヘラン市内に行くのに手間取ったりしたら、今日ビザを入手できないかもと思ったりもしたが、これでトルクメニスタンのビザの受け取りは十分間に合うと確信する。

地下道を歩いていき、改札前のチケット販売窓口の列に並ぶ。「Two Trip Ticket」と書かれた切符が2500リアル(約25円)。ホームにいくと人がいっぱい。

待つことなくホームに列車が入ってくる。1番前の車両は女性専用車両。他の車両は男ばかり。しかもすでに通勤時間なのか、満杯。乗車率130%程度。山手線、埼京線もちょっとびっくりの混み具合だ。

リュックがあるので、これは乗れないかなと思ったが、がつがつと入り口に進むとなんとか一人分のスペースは空く。無事乗車できたものの鮨詰め状態。パンを持って乗り込んでいる人が何人かいるため、辺りにパンの香ばしい香りが漂う。なかなかよろしい。

途中の駅でも人はなかなか降りず、逆に乗ってくる始末。中に押されてぐにゃっとした体勢を強いられる。

20分ほどでイマームホメイニー駅に到着。無事、降りることができる。久々のテヘラン。思ったよりも寒くない。

前回泊まった宿に一直線。受付のおじさんはまだ寝ていた。荷物をベッドの脇におろし、颯爽と宿を出る。

地下鉄駅近くのバス乗り場に行き、そこからバスに乗る。バスの番号は22-3。もちろん数字はアラビア数字で書かれている。

こちらのバスも座席は満席。手すりに捕まり通路に立つのだが、運転手の白髪のおじさんは、ブレーキとアクセルが細かく交互に踏むから絶え間なく前後に振られる。手すりを握る腕が疲れる。

こんな運転になるのもテヘランの交通事情ゆえ。相変わらずひどい。バイクも車も”おいおい!”とつっこまざるを得ないような運転ばかり。3車線の道路なのに車線が無視され実際には4車線になっている通りがあったり、明らかにバックミラー見てないだろと思わせるような急停車もあり、少しでも隙間があれば入ってくるバイクや車は数え切れないし、逆走しているバイクもいるし、加えてこんなに運転マナーが悪いのになぜか信号は点滅信号になっているし、よくわからん。イランでは年間3万人が交通事故で死んでいるらしいが、それもうなづける。

50分ほどで終点に着く。時刻は8時すぎ。バスを降りてからゆっくり歩いて30分ほどでトルクメニスタン大使館に着くのだが、9時半の開館にはしばらく時間があったので、朝飯を食うことにする。

午前中しか開いていない羊の頭のスープ屋に入る。薄いパンとスープ、それに頭の肉で1万リアル(約100円)。やすいね。でも、スープは具はなし。肉は湯がいた羊の頭から手でちぎり取ったぺらぺらの肉が皿に盛られただけ。スープはかなり油っぽいがシナモンパウダーがかかっているので、多少は食べやすくなっている。パン(ナン)は乾燥してやや堅くなっているためスープに浸して食べる。
送信者 iran


送信者 iran


腹がふくれたところで大使館に向かう。

大使館に着いたのは9時前。今日はまだ誰も来ていない。しばらくガイドブックを眺めて時間つぶし。

9時過ぎに一人のおじさんがやってくる。この人もビザの関係で来たらしい。するとまだ9時半じゃないのに窓口が開き、ビザの担当者が顔を出す。担当者はぼくを制止して、先にそのおじさんと話し始める。ただ、その前に申請書をくれたので、おじさんと窓口の人が話をしている間に申請書を記入する。

イランのビザ申請書にもあったが、ここでも申請者がトルクメニスタンに滞在している間、誰がカネを出すのかという質問がある。

すぐにおじさんの用件は終わり、ぼくの番。記入した申請書と写真1枚、それからビザ代の31米ドルを窓口の人に渡す。ちょうどそのとき後から別の人が窓口に来る。大使館の人はその人に英語ができるか尋ね、その人に通訳を頼む。その人が言うには、31米ドルは通常の料金で今日、ビザが欲しいなら55米ドル払えと窓口の人が言っているという。加えて31米ドルならあと3日かかるとも。

ぼくは1月15日にトルクメニスタンに入国したいと思っていたので、3日後となると入国日をずらさないといけない。プラス20米ドルなので、どうするか迷っていると、窓口の担当者は申請書などをぼくに戻してくる。

ウズベキスタンのビザが1月30日に切れるので、ウズベキスタンの滞在日数を減らすかどうかが問題だったのだが、結局、1日でも多くウズベキスタンにいる方を取り、しぶしぶ55米ドル払うことにする。

窓口のおじさんに申請書と60米ドルを出すと、「セボードニャ、ドバ(=今日の14時に取りに来い)」とロシア語で言う。それくらいのロシア語なら知っていたが、そのおじさんの後にいた別の職員の人が「トゥデイ 2オクロック」と英語に通訳してくれる。

意外に手続きは早く終わったが予定外の出費20米ドルはちと痛い。

14時まで時間があるので、バスで中心街に戻り、なくなっていたリアルを補給するため両替屋と写真のデータを保存するためにネット屋に行く。が、両替の方はなぜか2~3時間後にならないと両替できないと言われ、両替できず。

13時すぎまたバスに乗ってトルクメニスタン大使館へ。14時ちょいすぎに大使館に着き、ビザセクションの窓口を叩くが誰も出てこない。

なんだ? と思って警備員に尋ねたら、警備員が正面玄関のドアフォンをならし、中の人に日本人がビザのことで来ているというようなことを伝えてくれる。ビザセクションの窓口とは違う正面玄関から女性の職員が顔を出し、午前中受け取った領収書を見せるように言う。それを見せると領収書に彼女のサインをしてパスポートと一緒に返してくれる。念のためビザを確認する。確かにトランジットビザあり。ようやく中央アジアに入る準備が終わる。

予定ではこの近くの商店街の食堂で昼飯を食うつもりだったが、さっき両替ができなかったため飯を食うためのリアルもなかった。しょうがないのでまたバスに乗り、中心街に戻る。バス代は片道1500リアル(約15円)。

中心街に戻り、また両替屋街に行く。今回は両替可。ユーロを両替。1ユーロ=13510リアル。

それから近くの服屋街にある食堂で羊カレーを食べる。付け足しとして出てくる生タマネギをかじるとからくて涙が出る。カレーは、カレーと言うよりもトマトスープ的なマイルドな味。具は肉の他に茄子となんとか豆。25000リアル(約250円)なり。

それから民俗博物館に行くが、どうも今日は休館日らしく閉まっていた。なので、近くのバザールに行く。前回来たときはお祭りのため店は見事に閉店していたが、今日は営業していた。

ここのバザールは半分問屋街のようになっている。通りや区画ごとに専門店が集まっていて、あるところは靴ばかりで、別のあるところは服ばかり、またあるところは食器や台所用品ばかり、さらに別のところは貴金属ばかりといった感じ。3mほどの歩行者道路をおじさん、少年、青年が荷車をひいていく。

中央アジアに行くにあたってブーツを買うかどうか迷っていたのだが、今のランニングシューズではスウェーデンやアイスランド、グルジアで冷たい思いをしたので、ここで買うことにする。靴屋街を見て回るとブーツはだいたい3000円前後(25万リアル~)からある。