2008年9月22日月曜日

[diary]ラバトをぶらり

ラバトをぶらり

08/07/14(月)
[Casablanca←→Rabat:Morocco]

・宿変え
・電車でラバトへ
・博物館
・クスクス
・English Bookshop

朝、7頃起床。どこからか低い声でコーランでも読んでいるような声が聞こえる。荷物を整理し、部屋を出る。鍵を返そうと受付をのぞくと、受付のおじさんがコーランらしき呪文を唱えていた。おじさんはぼくを見ても、顔をこちらに向けるだけで、お唱えは止めない。鍵を見せると目でそこに置いていけと合図をするので、机に鍵を置いてチェックアウト。

歩いて5歩ほどの隣の宿に行くと、昨日もいた白いベールをかぶったおばあちゃんが受付にいた。このおばあちゃんはフランス語を解さないが、笑顔で迎えてくれる。受付裏に向けて何やら言うと、奥から起きたばかりらしい40代くらいの女の人が出てきた。この人はフランス語を解す。

ここの受付の机には、1910年頃のメディナ白黒写真のコピー(新聞か何かの切り抜きの拡大)があって、聞くとここの表の写真だと言う。コピーには現在と当時の両方の写真があったが、やはり相当雰囲気が違っている。そもそも写っている人の服装が違う。

部屋の鍵をもらい。3階まで上る。3階には6部屋ほどあり、真ん中は吹き抜け=屋根がない。部屋には窓があるから、空気もよろし。部屋は昨日まで泊まっていた宿と基本的に変わりない。4畳半ほどのスペースにベッドが一つと机と椅子が一つずつ。壁に鏡と服などをかけるためのフックがあるのは進歩している。これで50ディラム(約700円)。トイレは和式と似たモロッコ式。

荷物を置いたらさっそく宿を出て、ラバトに向かう。宿から港の方へ歩いて10分もしないところに鉄道駅があるので、電車で行くことにする。

電車の駅のまわりはこれから再開発されるようで、完成予想図を書いた看板が立てられ、その裏は工事中。駅舎はとてもシンプルな四角い建物で、中にはチケット窓口とキオスク、カフェがあった。チケット窓口には30人ほど並んでおり、カフェで一服やっている人たちも多い。電光掲示板にはこれから発車する電車の発車時刻や行き先などがアラビア語とフランス語で表示されている。

窓口でラバトまでのチケットを購入。運賃32ディラム(約480円)。乗車時間は1時間ほど。バスでは35ディラム(約500円)だったから、荷物代を考えると200円近く安い。

電車は頻繁に出ていて、ラバト行きも15分に1本は出ているようだった。予想以上に乗客が多いのには驚く。新聞を持ったスーツ姿のおじさま方からいかにもキャリアウーマンですというパンツスタイルの女性、モロッコ洋式の服を着た人など乗り込む人はさまざま。

車両は2階立てと1階との混合。よく掃除されていて床も座席もきれい。発車時刻も予定通り。すばらしい。

電車は海岸から1kmほどのところを走る。途中、バラック街らしき地区も見かける。ぶどうの棚を作っているらしい人たちも見る。

4つほどの駅を経由して、約1時間後にラバトの駅に到着。さすがに首都だけあって、なかなか立派。ホームから駅舎にあがる際には動いているエスカレーターもある。ここの駅舎も改装中のようで、臨時通路を通って外にでる。

きれいに舗装された道路に10階立てほどの高層?ビルが立ち並ぶ。首都の雰囲気が漂っている。

地図を見てメディナの方に向かう。歩いて5分ちょっと。メディナの一大商業地帯はまだ準備中だった。時間は9時過ぎ。パン屋は開店していて、大勢の客が行列を作っている店もあり。また、コーヒーを煎っている店もあり、その香りがまたよろし。

海岸近くにある博物館に先に行くことにする。メディナの周りを取り囲むように建てられている煉瓦色の外壁沿いに歩く。歩いていたらにこにこと笑顔の警官が近づいてくる。なんだこいつと思ったら、握手を求めてきてスポーツは何をしているのか、柔道をやっているのかと聞いてくる。どうもこの人は柔道をやっている(いた?)よう。そのうちモネ(硬貨)がどうのと言い出したので、笑顔でお別れ。フランス語だったのではっきりとはわからなかったが、結局、カネが欲しかったよう。

Kasbah des Oudaiasというメディナよりも海側の地区に博物館はあった。博物館には金やエメラルドで作られた装飾品や古い旧式の銃などが展示されていた。展示の説明はアラビア語とフランス語、スペイン語。

博物館のまわりにある家は白色が基本で、狭い通路に面した壁には地面から1mほどのところまで明るい水色で塗られている。地面は石畳。海よりのところにはちょっとした広場があって、そこから海岸を眺めることができる。

すぐ眼下の浜には海水浴を楽しんでいる人でいっぱい。いい波が寄せており、子どもたちが波に向かって走っていく様子がよく見える。海に入っている女の人は少ない。入っている人も水着ではなく普通の服らしい格好のまま膝くらいまで浸かっているというのが多いよう。子どもは男も女も関係なく、入っている。浜辺ではサッカーをしている子が多い。一つのボールで7~8人が遊んでいる。

この他にも見える範囲で3つ、砂浜があり、それぞれ海水浴客が来ていた。

10時をすぎたのでメディナの中に入る。絨毯や銀(スズ?鉄?)細工、水タバコの道具、服、革靴、革製スリッパ、などの店が多い。ある一角は電気屋街になっていて、パソコンやテレビ、オーディオ機器などが売られていた。ただ洗濯機などの大型家電は見かけず。

料理屋はどこも20ディラム(300円)以上するところがほとんど。腹の調子はよくなかったが、せっかくだからと食堂に入り、クスクスを注文。

クスクスは名前だけ知っていたが、食べるのは初めて。粟らしい穀物だけのご飯の上に野菜などが入ったスープがかけられたものとそのスープだけが入ったお椀が出てきた。ご飯の色は黄色。インドのサフランライスに似ている。粟粒は小さいから噛んでも歯ごたえがない。書けられているスープは薄い塩味。カボチャとキャベツ、ピーマン、それから肉が入っている。食えないことはないが、また食いたいと思える味ではないが、たぶん飽きはしない味。

食っている途中、さすがに腹の調子がおかしくなり、スープを残して店を出る。食事代は23ディラム(約330円)。

ガイドブックにラバトにはアメリカンブックショップという店があるとあったので、英語ーアラビア語の会話帳を買いに行く。地図を頼りに行ったのだが、これが見あたらない。ガイドブックにある住所の近くまで来ているはずが、それらしき建物がない。

アパート街の中をふらついていると10代くらいの男の子が英語で話しかけてくる。それで探している場所を伝えると、一緒に探してくれるらしくついてきてというような仕草をする。聞くと彼は高校生とのこと。彼が道行く人や近所のオフィスで5~6人の人に尋ねるが、なかなかわからず。やっと確実な情報が入り、そこに行ってみるとAmerican Language Centerという看板が入り口にあった。中の建物の2階から男の人が顔出したので、彼がアラビア語でなにやら聞く。結局、ここが探していた場所らしいのだが、本屋は閉鎖したとのこと。よって、目的は達成できず。シュクラン(アラビア語でありがとう)と彼に言って、別れる。

腹の調子も悪いので、カサブランカに帰ることにする。また駅に行き、チケットを買う。ちょうど30分後くらいに電車があったので、それに乗って帰る。電車はまったく快適だ。

カサブランカの駅に降り立つと魚の生臭いにおいがした。さすがに港まち。

ちょっとまちをぶらつく。ちょうど薬局が見つかったので、マラリアの予防薬を買うことにする。出発前にアフリカ経験者にも聞いていたのだが、ネット等で調べたところSavarineというのが最近はいいらしいとのことでこれがあるか訪ねる。薬局の白髪交じりのおじさんは英語を解す人で、丁寧に対応してくれる。1箱28錠入り(一日一錠のため28日分)が168ディラム(約2500円)。

28錠が何日分なのか最初わからなかったため、聞こうとしたがおじさんに変わって対応してくれたおばさんはフランス語しか解さない。ぼくはフランス語でなんというのかわからず、適当に”日”といった言葉を並べるが伝わらない。しかし、彼女は箱の中から取扱説明書(?)を取り出して見せてくれる。説明書は英語とフランス語だったので、ようやく使い方などがわかる。

2ヶ月くらいはアフリカのマラリア地帯にいそうなので、2箱頼むと1箱しか今ないけど、ちょっと待っててと言われ、椅子に腰掛けて待つ。そうして1時間後、おじさんが、まだ座っているぼくを見て、指さし女性のスタッフに何やら強い口調で言う。そしたらその女性は裏手に行って1箱持って出てきて、それをさっきの1箱と同じ袋に入れて手渡してくれる。どうもおじさんの指示は女の人に伝わっていなかったらしい。

待っている間、ぼくはガイドブックを見ながら今後のルートなどを考えていたから、特にせっつかなかったのだが、あのままおじさんが気づかなければぼくはまだ1時間くらい待つ羽目になったのかもしれない。

それから薬局の近くにあった小さな本屋に行く。本はアラビア語とフランス語の比率は半々くらい。パソコン関係の本などもある。ロンリープラネット(英語)のモロッコ版(ぼくが持っているのはアフリカ全土版)があったので、立ち読み。

宿に戻って日本から持ってきた英和・和英辞書を片手に説明書を再度読む。さすがに専門用語が多いが、ポケット版の辞書でもかなりカバーできているのには感激。

それからネット屋に行って、さっき立ち読みしたロンプラに載っていた有用なサイトというのを見る。モロッコとモーリタニアの間は領土が確定していない西サハラの問題があり、公共交通機関がない。しかし、ヒッチハイクができるという情報やタクシーや、モーリタニア人の商売人のトラックに乗せてもらえるなどという情報あり。問題は時期なのだが、この時期の情報があまりない。『旅行人』には3月までが限界などとあったので気になっているのだが、ネットで探した限りでは大丈夫そう。行ってみるしかない。

そんなこんなで夜になる。コンセントがないため日記書きができないのがいたい。西アフリカのルートがまだ定まらないためルートを考えたり、カネの残りを計算したりして就寝。

Fin

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