マリのビザを申請、ゴレ島へ
08/07/23(水)
[Dakar:Senegal]
・マリ大使館
・ゴレ島
・ガールルティエール
※レート
1ユーロ=655CFA
7時頃に起床。昨晩も寝苦しかった。エアコンが部屋にあったから、高い宿賃を払っていることもあり、それを使ってなんとかしのげる。エアコンは新品だから変な臭いもしない。
朝起きてみるとなぜかバルコニー側の床に羽アリがぎょうさんいる。夜中、ぶんぶん音がしたのはこいつらだったよう。だいたいバルコニーに続くドアと床の間には1cmくらい隙間があるから、いくらでもアリが入れる。
今日はマリの大使館にビザの申請をしに行くため、7時半に宿を出る。宿の前の通りから1本向こうにある片道2車線ある大きな通りに出て、ミニバスをつかまえる。昨日と同じくガール(駅)に行きたいというのだが、客寄せの奴らは、ウィかノンかで答えてくれればいいのに、ごちゃごちゃと何か言って、それぞれのバスがぼくが行きたいところに行くかどうかがはっきりしない。
しょうがないので適当に乗り込む。朝の7時半だったが、乗ったバスはすでにほぼ満席だった。昨日と同じ真ん中の通路を隔てて左右に2人がけの座席があって、真ん中の通路にも補助席(というか板)がつくから50人くらいは乗れる。ぼくは補助席に着席。
10分も走ると渋滞。かつ頻繁に止まる。客引き兼集金担当が運転手に車体を叩いて発車や停車の合図をするのだが、ぼくが乗ったバスの客引きはにぶいというかよくわからん奴で、客がいないところで止まっては道を歩いている人らに声をかけ、バスに乗せようと
する。次々と他のバスに追い抜かれるから先で待っている客を取られることになり、結局損しているようにぼくには思えるのだが・・・。同じところに10分近く止まったりするなど、あんまり進まないから客の中には降りようとする人もあり。
客があるところでガバッと降りて車内が空いた頃、後ろから女の子(20代くらい)が声をかけてくる。隣の席を指さすので、補助席じゃなくて普通の座席をすすめてくれているのかと思い、そちらに移動。すると彼女は英語で何か困っているのかと聞いてくる。
なので、念のため地図を見せ、行きたい場所の近くまでこのバスが行くか知っているかと英語で聞く。が、うまく伝わらなかったのか、彼女からの返事はない。彼女はぼくにドイツ語はしゃべれるかと聞く。"Etwas(少し)"と答えた後で、彼女にドイツ語をしゃべるのかと聞くとしゃべれるとのこと。どこでドイツ語を習っているのかと聞くと大学で学んでいるとのこと。しゃべっているうちのその大学の前に着き、彼女は”チュース(ドイツ語のバイバイ)”と言って出ていった。
自転車があればこんな遅いバスに乗らずに済むのになどと思いつつ、ようやく終点に到着。昨日買った地図に各国の大使館の位置が書かれてあったので、それを見ながらマリ大使館を探す。
地図の精度が低いため、道を何度か間違える。そうしてどう見てもここしかないというところにたどり着いたのだが、それらしき建物がない。こうなると人に聞かないといけないのだが、適当に聞くとまたカネをせびって来るような奴に当たる可能性があるので、とりあえず警察を探す。警察とて簡単には信用できない国もあるが、さすがに道を聞く程度でカネをせびってはこないだろうと見込み、近くで交通整理をしていたやや年輩の警官に聞くと、丁寧に対応してくれた。
それでわかったのは、ここではないということ。警官はユニバーシティという言葉を盛んに言うのだが、ユニバーシティと言ってもダカールにはあちこちに大学があるから、地図のどこだと身振りでぼくは聞く。一通り地図を眺めていたが、いまいちわからないようで、街角を指さし、あそこに座っている人に聞いてみろというようなことを言う。すべてフランス語のためよくわからなかったが、勘でこの人かという人がいたので、声をかけ、地図を見せる。そしたら、その人はビブリオテカ ユニバーシティと書いてある場所を指さす。
大学の中に大使館があるはずがないと思うのだが、行ってみるしかない。その大学はロンプラの地図にあったマリ大使館の位置に近いようだから、もしかしたらその近くにあるかもしれない。
ミニバスで近くまで行こうかと思ったが、例のごとく時間がかかるため、タクシーに乗ることにする。マリ大使館に行きたいと言っても、わからない上に探し回って余計に金を請求されそうなので、とりあえず大学の近くにあるらしい大きい病院に行くことにする。
1台目のタクシーの運転手はこの病院がわからず(ぼくの発音が悪かったのか? ただ、地図を見せてもわからないようだった)、パス。素直にわからないと言う人は良い人だ。
2台目は病院の名前を言っただけで了解する。この人だったら大学の図書館もわかるかもしれないと聞いてみると知っているふうだったので、乗ってから行き先を変更。
大学がある一帯は寮など大学関係の建物があちこち建っていて、敷地もけっこう広い。運転手は途中、2~3人に道を聞き、ようやく図書館に到着。昨日のあのクソタクシーと違って、最初の言い値1500CFA(約500円:これだっておそらく通常の3倍は払っているだろう)で支払いはOK。
図書館は立派な建物で、学生たちが次々と入っていく。辺りを見回してみてもマリ大使館らしき建物はない。図書館の入り口では警備員が入館者のチェックをしていたので、その警備員にマリ大使館について聞いてみる。すると、その警備員は正面の道をずっと行って右に曲がってずっと行ったところにあるというようなことを言う。
信じるしかないので、言われた方向に向かって歩く。歩きながらもしかしたら今日中には見つからないかもな、などと思う。
図書館正面の道をまっすぐ行くと、海岸の通りに出た。海側に少し出ている空き地みたいなところは大学生たちのトレーニング場になっていて、ベンチプレスやスクワット、腹筋、背筋などをしている男子学生らが20人ほど。ベンチプレスなどの重りは金属性のプレートではなく、車のホイール付きタイヤだった。
その空き地にPoliceと書いた車が止まっていたので、もしかしたらこの人等は大使館近くで警備をしている人かもしれないと思い、車まで行き、マリ大使館の位置を聞く。
すると知っていって、あっちの方と指さす。フランス語でいろいろ言うのだが、わからず。
指さされた方に向かって歩く。しかし、ダカールは暑い。ちょっと歩いていると汗がしたたり落ちてくる。
ちょっと歩くと歩いている方角の方にマリのものらしい国旗を発見。建物の前まで行くと確かにフランス語でマリ大使館とある。安堵する。
重々しいドアを開け、中にいる人にビザの申請をしに来たというと奥への道を教えてくれる。警備は厳しくない。
奥に行くとそれらしき部屋があった。5~6人の人がおり、証明写真を撮っているらしいカメラマンもいた。
男の人等に続いて待っていると女性の職員に声をかけられたので、ビザが欲しいというと申請書の紙をくれる。が、フランス語オンリー。英語のはないか聞くが、ないとのこと。ただ、カメラマンが記入を手伝ってくれるという。
その職員がカメラマンを呼んで何事かを伝える。カメラマンはぼくに机がある方に来るよういい、カメラマンが写真を乾かしている傍らで申請書の記入を始める。
単語を見てもわかるのは名前と国籍の欄くらいで、ほんとにわからない。なのでいちいちカメラマンに聞く。カメラマンは英語はほんの少ししかできないようで、英語は彼が言う言葉の2割程度。しかもフランス語で記入せよとあるらしく、英語で記入していたらフランス語に書き直してくれる。フランス語は文字と発音がスペイン語や日本語のようには一致していないため、カメラマンの言葉を文字にしようと思ってもできない。
それだったら辞書を見た方が早いと辞書をひいてみるが、その様子を見て、カメラマンが何がわからないと聞いてくる。そして代筆してくれる。結局4割程度は彼に書いてもらった。
その紙を持ってまた女性の職員のところに行き、日本から持ってきた証明写真2枚とパスポートを添付して提出。するとビザ代15000CFA(約3000円)を要求され、支払う。そして2日後の25日の午前中に取りにくるよう言われる。宿代が高いから明日にはダカールを出たかったのだが、しょうがない。
今日やらねばならないことは終わったので、ほっとして大使館を出る。出たところに果物屋があったので、そこで朝飯代わりのバナナとみかんを買おうとするが、釣りがないとのことで購入は断念。
歩いてミニバスが走っている通りまで行く。大学が近くにあるからだろう、ネット屋やコピー屋が10軒ほど並んでいる通りがあったりする。さらに歩いていくと、道ばたの歩道で織物をしている通りにつながる。左右の歩道それぞれに織物機が並べられ、トンテンカンテンと生地を織っている。ペルーで見たときは織物をしているのは女の人がほとんどだったが、ここではすべて男。なかなかおもしろい。
ミニバスが通っている通りにスーパーがあったので、そこで水と牛乳を買う。1.5リットルのペットボトルの水は250CFA(約100円)。これまで個人商店で買っていたときは600CFAだったから半額だ。
ミニバスに乗って、ダカールの中心部まで移動。ミニバスは一律150CFAとタクシーとはけた違いにやすいから助かる。
中心部でバスを降りて歩いてゴレ島に行く船の発着港に行く。往復チケットは5000CFA(約800円)。学校の授業でなのか、船を待つ人の中には6~10歳くらいの子どもが80人ほどいた。
時刻表には12時の便があるとあったので、20分ほどで乗れるかと思っていたらそうはいかなかった。時刻表はほとんど意味がないよう。結局1時間近く待って12時半前に乗船し、いざゴレ島へ。
ゴレ島までは船で15分ほど。貨物船でいっぱいの港を出ればすぐに島が見える。小さな島に煉瓦色の建物が何棟も見える。
ゴレ島側の船の発着場は、海水浴場のすぐ隣。海で遊んでいる子どもたちの歓声を聞きながらの到着。
この島はフランスが奴隷の供給基地として使っていた島ということで、当時の煉瓦づくりの建物や石垣が残っている。そうした建物に住んでいる人もたくさんいるようで、島内を歩いてみるとあちこちで洗濯や炊事をしている風景を見る。建物と建物の間の通りは狭く3人横に並べば、他は通れないほど。
赤やオレンジの花が咲き、体長が20cmほどあり黄色い線が入っているような変わった色のトカゲ(の1種?)が石垣を走り、ヤギが道ばたで草を食む。ダカールとはまったく違う雰囲気でなかなかいい。
島の最頂点(と言っても100mもない)に続く道には、ここに住んでいるらしい画家たちの絵がたてかけられている。ドミニカのサントドミンゴで売られていた絵と色使いが似ている。
また、道のあちこちにちょっとしたお店があって、ここに住む芸術家が作ったらしい造形物や服などを売っている。そういうところの前を通るときに、たまに”アリガト、サヨナラ、コンニチハ”などと日本語で話しかけられる。買う気はまったくないので、そういうときには、挨拶だけして通り過ぎる。
島は1時間もあればほとんど見て回れる程度の大きさ。
島をひととおり回ってから海水浴場近くの歴史博物館と奴隷の家(?)を見学。いずれも入場料500CFA(約100円)。
歴史博物館は、ゴレ島の歴史だけでなく、セネガルの歴史の博物館で、本物なのかどうかはわからない(見た目は本物)が、アウストラロピテクスやホモハビリス、ホモサピエンスサピエンスの頭蓋骨まで展示されていた。セネガルで出土した土器や石器からフランスに対する抵抗の歴史などが現物と絵、説明板などを使って紹介されている。説明文はフランス語だけ。そのため内容はわからず、展示品をみただけ。
奴隷の家は、奴隷を積み出すときに奴隷を収容していた建物で、当時使われていた建物がそのまま残っている。見学者は多い。
あるのは区切られた小さな部屋ばかりで、展示品として足に着けられていた手錠のようなものがある他は何か特別なものがあるというわけではない。どの小部屋も日本で言えば土間のようなところばかり。
建物の2階にある説明板はやはりフランス語だけだったので、読めず。
早々に出ようかとしたら、ここの職員か何かの人が来館者を全員集め、入り口付近で解説を始めた。もちろんフランス語オンリー。まったく内容はわからなかったが、最後の部分でバラク・オバマという名前を言っていたので、アメリカの大統領選についてもちょっと触れたようだった。
船着き場近くに戻る。すると、ちょうどダカール行きの船が出たところだった。次の船が来るのを待つが、なかなか来そうにないので、昼飯をレストランで食べる。適当に値段を見て頼んだものは白米に鶏の胸辺りを骨付きのまま焼いたのに、タマネギを炒めて作ったソースのようなものをかけたものが出てきた。塩加減よし。ご飯の炊け具合もいい。値段は3000CFA(約500円)。
飯を食った後、店の前で売られていた黄色い果物を買う。名前はわからないが、セネガルではあちこちで売られていて、食べている人も多かった。見た目は夏みかんがしおれたような感じをしていて、大きさはリンゴ程度。自分も試してみようと1つ頼むと店(と言っても果物を置いている板があるだけ)のおばちゃんは、でかいのを選んで500CFAだという。
それでオッケーと仕草で伝えると、おばちゃんはヘタの付いている頭の方を上にして、だいたい3cmくらいの部分を横にナイフで切り抜く。するとその果物の内側(中身)が
※つづく※
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