2008年9月22日月曜日

[diary]ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ

ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ

08/07/18(金)
[Dahkla:Morocco→Nouadhibou:Mauritania]

・モーリタニア行きトラックゲット
・ハエ
・サハラ砂漠の端、ラクダ
・長い国境
・使えないタクシー

7時過ぎに起床。外はだいぶ明るい。昨晩洗った洗濯物は乾いていなかった。夜はけっこう涼しかったし、海に近いから湿気がけっこうあるのだろう。窓からホテルの前の路上を見ると、道ばたに止まっている車の窓が水滴で曇っていて、路面もうっすらと塗れている。

荷支度をして、1階のフロントに降りる。昨日の夜の若い男の子が受付にはいた。

彼は、ぼくを見るとタクシーを呼ぶからしばらく待ってとソファを指さしたりして教えてくれる。タクシーなんて表で待てばいくらでも捕まえられるのにと思いつつ、彼に言われたとおり待つことにする。

フロント横の待合いスペースにはロイヤルモロッコ航空のハンコが押された5月の『TIME』や『NEWSWEEK』(いずれも英語版)がアラビア語やフランス語の雑誌とともにガラステーブルの上に置かれていた。テレビもあり、映画をやっていたのだが、画面に目をやったら寺尾聰が出ていた。唐沢俊明(だったっけ?)が赤いマントを着ていて、ゲームに出てくるキャラに出てくるようなメイクをしていた。人間界とは違う世界を描いた映画のようだが、みなアラビア語を話しているからまったく内容がわからない。

そんなことしているうちに30分たつ。フロントの彼が表に出ていったので、ぼくも一緒に出ていくと、ホテルの前で待てと言う。そこへホテル隣のカフェから年輩の男性が出てきて、彼になにやら注意みたいなことをしている。見ていると、10mほど先で交差しているより交通量の多い通りでタクシーなんかすぐに捕まるというようなことを言っているようだった。

彼はそちらの通りにぼくを呼び寄せ、タクシーを呼び止め行き先を運転手に説明してくれる。ぼくには事前に20ディラム(約300円)で行けるからとも説明してくれていた。なかなか親切で丁寧な子だ。

無事タクシーに乗り込む。ここでは相乗りが普通のようで、後部座席にはすでに2人男性が乗っていた。ぼくは助手席に座る。9時前のまちは人通りは少ない。

後ろの客をそれぞれの目的地で降ろした後に、町外れのPoste de Policeに向かう。

ホテルを出てから15分ほどでPoste de Policeに到着。昨日、ここを通るときにバスで一緒だったRabab(人名)が、ここに止まっていた車を指さし”モーリタニア”と言って教えてくれたのだが、そのときはぼくが座っている席(右端)とは反対側で、そちら側の窓のカーテンがけっこう閉まっていたためちらっとしか見えなかった。今日、改めてきてみると昨日ちらっと見えたときとあまり景色が変わっていないように思える。

Poste de Policeは北から来る一本道でダクラに入る人たちをチェックするところ。いわば検問所だ。昨日、ここをバスで通るときそのバスもここで止められ、乗客の身分証明書のチェックがあり、ぼくは一人降ろされ、道路脇にある警察の四角い白い建てものに連れて行かれ、そこで職業などを聞かれた。

検問所を境にしてダクラ側の道ばたが、モーリタニアに行く車が客待ちしている場所になっており、ここでモーリタニアに行く車を待たねばならない。

ぼくがそこに着いたとき、その道ばたにあったのは乗用車が4台と荷詰めをしている大型のバン(ワゴン車)が2台。それからバンの荷詰めをしている男の人(推定年齢40~50代)が4~5人。それから乗用車にもたれている白いムスリムの服を着たおじさんが1人。

ぼくがタクシーから降りると、バンの荷詰めをしていた一人の人が手招きをした。そちらに行くとフランス語でなにやら聞かれる。よくわからないので、モーリタニアに行きたいと言ったら、乗用車が止まっている方を指さし、あっちで待てというようなことを言う。

なので、白い服を着たおじさんのところへ行く。そのおじさんにモーリタニアのヌアディブに行きたいと言うと、手でここで待つよう合図する。おじさんはフランス語で何やら話しかけてくるが、ぼくはフランス語がわからない。おじさんが運転手だと思って話しかけたのだが、おじさんがもたれている乗用車のフロントのとこには大きなボストンバッグがあった。どうもおじさんのものらしい。

つまり、おじさんもここで運転手を待っているようだった。おじさんがもたれていた乗用車は古いメルセデス。これで行くのかなと思い、車の周りをぐるっと1周して見てみると、左後ろのタイヤがパンクしていた。

待つしかないのでしばらくあたりぶらぶらして待つ。

9時前にここに着いてから30分ほどたった頃、タクシーに乗ってもう一人40代くらいの男の人がやってきた。その人も旅行用のバッグを持っている。パンクした乗用車のまわりで3人で車を待つ。気温は30度近くまであがっているようだが、海から吹く風が強いから、とても涼しく待っていてもたいして疲れることはない。

1時間ほどたった10時頃、バンで荷詰めをしていた人がこちらに向けて大きく手を上下させて、こっちに来るよう合図してくる。

そちらに行ってみると、サッカーのロベルトバッジオの肌をやや黒くしたようなおじさんが英語でヌアディブに行くことを確認してくる。そして、400ディラム(約4000円)で乗せてくれると言う。300ディラムくらいで行けると聞いていたので、300ディラムじゃないのかと聞いたが400は譲らず。他にモーリタニアに行く車もないし、一応予算の範囲内なのでこれに乗ることにする。

リュックを乗用車のところに置いていたので、それを取りに戻り、そこで待っていた他の二人に仕草でこの件を伝える。リュックを背負って二人とともにバンのところまで行く。二人はアラビア語でさっきぼくに話を持ってきた人となにやら交渉している。

バンの近くで待っていたら続々とタクシーに乗って人がやってきた。どうもみんな何時頃に出るか事前に知っていたよう。あるいは適当に来たのか?

バンのまわりに荷物を持った人が10人ほど。バンの荷詰めは最終段階。鶏や段ボールなどの荷物を屋根にこれでもかと乗せ、網をかけ、ロープで固定している。

バンは運転席と助手席に座席があるだけで後部は何もない荷台と化している。しかし、床には絨毯や毛布が敷かれているので、どうもぼくらはそこに座るらしかった。

屋根で一人のおじさんがロープかけをしている一方でバッジオ似のおじさんらはバンの車内でガスバーナーに火をつけ、お湯を沸かしお茶のみを始めた。

ロープかけも終え、お茶飲みも終わった頃に、軽トラが一台到着。荷台に積んできたガソリンが入っているらしいタンクやすいか、ぶどうなどを詰めた木箱をバンの車内後部に積む。そして、最後に客が持ってきた荷物を同じ車内後部に乗せて、やっと人間が乗り込む。

乗った人間は合計12人。運転手1人に助手席に男女1人ずつの2人が座り、後部の座席のない車内に男7人、女2人が車座になる。そこまで窮屈ではない。

こうして11時頃に車は発車。乗ったはいいものの床に座っているから視線が窓よりも低いため外の景色が見えない。しょうがないのでしばらく昼寝。

昨日のバスと同じように何度か検問で車は止まるが、昨日ほどのチェックはなかった。もっともぼくは運転席の後ろの窓のすぐ下にいたので、その窓から中を覗く警官には顔が見えなかったのも、ひっかからなかった一つの要因だったかもしれない。

車内ではアラビア語が飛び交っていた。よくしゃべる。2時間もすると尻が痛くなり、あぐらをかいていた足も若干しびれてくる。尻が痛くなるのは皆同じようで、ゴソゴソとそれぞれが動いているうちに、より広い空間ができ、足を組み替えたりするのも楽になる。

ぼくはときおり中座になり、窓から外を眺める。砂漠というより土漠という感じで、しっかりした地面の上に石がごろごろ、草がポツポツという景色が延々と続く。ダクラがある半島を出て、南に下るようになるとたまに右手に大西洋が見える。

道路は完全に舗装された片道1車線の道路で、快適そのもの。ボリビアのサンタクルスからブラジルとの国境までの道とは比べものにならないくらい。

ときおり乗用車やランドクルーザータイプの車に追い抜かれ、たまにトラックなどの対向車とすれ違う。

また、野生なのか、ラクダの群も3度ほど見る。ここのラクダは一瘤(ひとこぶ)ラクダでポツポツと生えている草を食べていた。それから1度だけ沿道で羊を放牧しているのを見る。羊飼いらしいイスラム風の服を着て、ターバンを頭に巻いたおじさんが一人沿道を歩いていた。あたりには集落らしきものは見えなかったので、どこから連れてきたのか不思議に思う。

さらに西サハラの難民なのか、海沿いを走っていたときにテントやコンクリートブロックで簡単に作った家を見る。人は見なかったので、住んでいるかどうかはわからなかったが。

車内の気温は25~30℃程度。窓から風が入るから涼しく汗をかくこともない。空は晴れているのだが、砂漠の奥の方は白くかすんでいるため、地平線はあまりはっきり見えない。

ぼくは座り方を変え、窓の方を向いて正座して外を眺めて過ごす。

道ばたには地名とそこまでの距離を書いた小さなポールがときどき現れる。

15時半、目的地のヌアディブまで160kmと書かれたポールを見る。この調子であればあと3時間くらいで着くな、などとポールを見て思う。

ヌアディブまであと140km程度になった15時50分。沿道に突然、建物が現れる。

右手にガソリンスタンドが見え、その向こうにはたくさんの一軒家が見えた。バンはガソリンスタンドに入り、停車。給油をするとともに休憩。運転手はぼくにフランス語で”20分”と言う。ちなみにこの運転手はタレントの大泉洋に似ている。

ガソリンスタンドにはレストランと売店も併設されていて、レストランには20~30人ほど客がいた。こんなことなら昨日、水やビスケットなどを買い込む必要はなかったなと思いつつ、それらを詰めたバックを持って車を降りる。

車を降りて改めてバンを見てみると、車体が左に傾いていた。走っているときに左右に揺れることがあったのでおかしいなと思っていたが、どうもこれが一因のよう。これから先には未舗装の道もあるというのに、これで大丈夫なのか。

レストランの建物の外側にある椅子に腰掛け、昨日買い込んだパンを食べる。そして水を飲む。

車に乗ってからはトイレのことを考え、ずっと飲まず食わずだったが、もう目的地が近いのでその禁を解く。

16時15分頃、車は再出発。建物群は3分ほどで見えなくなる。道ばたのポールにはヌアディブまで60kmと出る。

これなら遅くても19時くらいには着く。その時間であれば明るいから宿探しも苦労しない。なかなか調子いいぞ、などと予想外の順調さを喜ぶ。

ガソリンスタンドを出て、1時間ちょっと走ったところでバンは停車。やっとモロッコ側の国境に着いた。ここまで約400kmの間はずっと舗装道路だった。

国境には10台ほど車が止まっていて、ヨーロピアンらしき人等も見える。バンを降りると入国カードを配りに来て、それを2枚渡される。同じバンに乗っていた人が、これを2枚書くようフランス語で教えてくれる。最初は1枚だけ書けばいいのだろうと1枚書いて待っていたら、その男の人が終わったかと聞いてきたので、その1枚を見せるともう1枚も記入するように言う。その際、やはり同じバンに乗っていた別の若い男の人を連れてきて、その人にフランス語で話しかけ、それを英語に通訳して伝えるよう頼む。

入国カードは、フランス語と英語が併記されてあったので、基本的なことはわかったのだが、事前の情報でこのカードに乗ってきた車のナンバーを書かないといけないとあった。それを書く欄がわからなかったのだが、親切な男の人が英語を話す彼のカードとぼくのを付け合わせ、車のナンバーを書く場所を教えてくれた。ありがたい。

そうして記入したカード2枚とパスポートを提出する。その親切な人に教えられた場所に行くと、入り口にぴちぴちの白いTシャツにジーパン、サンダル、それにサングラスという出で立ちの男の人が立っていて、中に入れない。なんだこいつは、邪魔な奴だと思っていたら、彼が係官だった。

彼はぼくのパスポートを受け取り、しばらく待つように言う。

同じバンに乗ってきた人たちは、警察の建物に背をもたれ、地面に座り込んでのんびりしている。出国手続きだからさっさと終わるのだろうと思っていたら、これが長かった。

※つづく※

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