2008年9月28日日曜日

[速報]ナイロビ(ケニア)いり

朔日の夜に無事ナイロビにつきました。

治安の悪い街というして有名なこの街ですが、数日前には中心部近くで強盗団と警察の銃撃戦があり、昨日の午前中には宿の隣の服屋に銃を持った男が押し入り、またも警察とドンパチあったりとほんとうに治安が悪いようです。

今日は日曜日ということで午前中からマーケット巡りをしていたのですが、歩いた感じではあまり治安が悪いとは思えませんでしたが、運が悪いと痛い目に合いそうです。

ここではエチオピアのビザをとれればさっさとエチオピアに移動予定です。

ではでは。

2008.9.28 Sunday 15:40
Nailobi,Kenya

2008年9月26日金曜日

[速報]カンパラ(ウガンダ)いり

昨日の午後ウガンダにはいり、昨晩はバス中で眠り、今朝首都のカンパラにはいりました。

ルワンダのキガリとは打って変わってまちなかはバイクとタクシー(大型バン)、チャリタクシーなどでごちゃごちゃ。ストリートチルドレンもすこしあるいただけで20人はみましたね。近代的なビルもちょろちょろありますが、全体としてはごたごたしていますね。

明日にはケニアに移動し、夜にはナイロビに到着予定です。

では。

2008.09.26 13:30
Kampala,Uganda

2008年9月25日木曜日

[速報]キガリ(ルワンダ)いり

ルワンダの首都キガリにいます。
一昨日の夜につき、昨日は朝から夜まで遠出をして、これから映画[ホテルルワンダ]のモデルになったホテルと虐殺記念館を見に行き、午後にはウガンダに移動します。

もうちょっとゆっくりするつもりが宿代が20ドルと予定の倍のものしかなかったためさっさと移動します。

1994年におこった大虐殺のあとはまちなかではほとんど見ることなく、ずいぶん落ち着いています。印象としてはぼくが行った旧フランス植民地の中では、ここが一番整然としていますね。バイクタクシーなんかは運転手も客も100パーセントヘルメットを着用しているのに驚いた次第。

というわけで午後にはウガンダです。

2008.9.25 8:05
Kigali,Rwanda

2008年9月22日月曜日

【速報】ムワンザいり(タンザニア)

昨晩、ビクトリア湖のほとりにあるタンザニア第二の都市ムワンザに着きました。

南米の南の端ウシュアイアでちょろっとだけ話した日本人旅行者とザンジバル行きの船で奇跡的に再会し、一昨日まで彼と動いていました。

ザンジバルでは楽しみにしていた料理は断食中ということでそのレストラン自体が9月いっぱい閉店中。残念。

その後、キリマンジャロの麓のまちモシに立ち寄り、昨晩ここに着いたところです。

明日ルワンダに向かいます。

では

08/09/22 11:25
Mwanza,Tanzania


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[diary]ダカール:セネガルからバマコ:マリへ(1日目)

ダカール:セネガルからバマコ:マリへ(1日目)

08/07/24(木)
[Dakar→Tambacuanda:Senegal]

・マリのビザを受領
・4時間のバス待ち
・窮屈な車

※レート
1ユーロ=655CFA

[diary]ダカールでATM探し

ダカールでATM探し

08/07/24(木)
[Dakar:Senegal]

・見つからないATM
・相次ぐ停電
※レート
1ユーロ=655CFA

[diary]マリのビザを申請、ゴレ島へ

マリのビザを申請、ゴレ島へ

08/07/23(水)
[Dakar:Senegal]

・マリ大使館
・ゴレ島
・ガールルティエール
※レート
1ユーロ=655CFA

7時頃に起床。昨晩も寝苦しかった。エアコンが部屋にあったから、高い宿賃を払っていることもあり、それを使ってなんとかしのげる。エアコンは新品だから変な臭いもしない。

朝起きてみるとなぜかバルコニー側の床に羽アリがぎょうさんいる。夜中、ぶんぶん音がしたのはこいつらだったよう。だいたいバルコニーに続くドアと床の間には1cmくらい隙間があるから、いくらでもアリが入れる。

今日はマリの大使館にビザの申請をしに行くため、7時半に宿を出る。宿の前の通りから1本向こうにある片道2車線ある大きな通りに出て、ミニバスをつかまえる。昨日と同じくガール(駅)に行きたいというのだが、客寄せの奴らは、ウィかノンかで答えてくれればいいのに、ごちゃごちゃと何か言って、それぞれのバスがぼくが行きたいところに行くかどうかがはっきりしない。

しょうがないので適当に乗り込む。朝の7時半だったが、乗ったバスはすでにほぼ満席だった。昨日と同じ真ん中の通路を隔てて左右に2人がけの座席があって、真ん中の通路にも補助席(というか板)がつくから50人くらいは乗れる。ぼくは補助席に着席。

10分も走ると渋滞。かつ頻繁に止まる。客引き兼集金担当が運転手に車体を叩いて発車や停車の合図をするのだが、ぼくが乗ったバスの客引きはにぶいというかよくわからん奴で、客がいないところで止まっては道を歩いている人らに声をかけ、バスに乗せようと
する。次々と他のバスに追い抜かれるから先で待っている客を取られることになり、結局損しているようにぼくには思えるのだが・・・。同じところに10分近く止まったりするなど、あんまり進まないから客の中には降りようとする人もあり。

客があるところでガバッと降りて車内が空いた頃、後ろから女の子(20代くらい)が声をかけてくる。隣の席を指さすので、補助席じゃなくて普通の座席をすすめてくれているのかと思い、そちらに移動。すると彼女は英語で何か困っているのかと聞いてくる。

なので、念のため地図を見せ、行きたい場所の近くまでこのバスが行くか知っているかと英語で聞く。が、うまく伝わらなかったのか、彼女からの返事はない。彼女はぼくにドイツ語はしゃべれるかと聞く。"Etwas(少し)"と答えた後で、彼女にドイツ語をしゃべるのかと聞くとしゃべれるとのこと。どこでドイツ語を習っているのかと聞くと大学で学んでいるとのこと。しゃべっているうちのその大学の前に着き、彼女は”チュース(ドイツ語のバイバイ)”と言って出ていった。

自転車があればこんな遅いバスに乗らずに済むのになどと思いつつ、ようやく終点に到着。昨日買った地図に各国の大使館の位置が書かれてあったので、それを見ながらマリ大使館を探す。

地図の精度が低いため、道を何度か間違える。そうしてどう見てもここしかないというところにたどり着いたのだが、それらしき建物がない。こうなると人に聞かないといけないのだが、適当に聞くとまたカネをせびって来るような奴に当たる可能性があるので、とりあえず警察を探す。警察とて簡単には信用できない国もあるが、さすがに道を聞く程度でカネをせびってはこないだろうと見込み、近くで交通整理をしていたやや年輩の警官に聞くと、丁寧に対応してくれた。

それでわかったのは、ここではないということ。警官はユニバーシティという言葉を盛んに言うのだが、ユニバーシティと言ってもダカールにはあちこちに大学があるから、地図のどこだと身振りでぼくは聞く。一通り地図を眺めていたが、いまいちわからないようで、街角を指さし、あそこに座っている人に聞いてみろというようなことを言う。すべてフランス語のためよくわからなかったが、勘でこの人かという人がいたので、声をかけ、地図を見せる。そしたら、その人はビブリオテカ ユニバーシティと書いてある場所を指さす。

大学の中に大使館があるはずがないと思うのだが、行ってみるしかない。その大学はロンプラの地図にあったマリ大使館の位置に近いようだから、もしかしたらその近くにあるかもしれない。

ミニバスで近くまで行こうかと思ったが、例のごとく時間がかかるため、タクシーに乗ることにする。マリ大使館に行きたいと言っても、わからない上に探し回って余計に金を請求されそうなので、とりあえず大学の近くにあるらしい大きい病院に行くことにする。

1台目のタクシーの運転手はこの病院がわからず(ぼくの発音が悪かったのか? ただ、地図を見せてもわからないようだった)、パス。素直にわからないと言う人は良い人だ。

2台目は病院の名前を言っただけで了解する。この人だったら大学の図書館もわかるかもしれないと聞いてみると知っているふうだったので、乗ってから行き先を変更。

大学がある一帯は寮など大学関係の建物があちこち建っていて、敷地もけっこう広い。運転手は途中、2~3人に道を聞き、ようやく図書館に到着。昨日のあのクソタクシーと違って、最初の言い値1500CFA(約500円:これだっておそらく通常の3倍は払っているだろう)で支払いはOK。

図書館は立派な建物で、学生たちが次々と入っていく。辺りを見回してみてもマリ大使館らしき建物はない。図書館の入り口では警備員が入館者のチェックをしていたので、その警備員にマリ大使館について聞いてみる。すると、その警備員は正面の道をずっと行って右に曲がってずっと行ったところにあるというようなことを言う。

信じるしかないので、言われた方向に向かって歩く。歩きながらもしかしたら今日中には見つからないかもな、などと思う。

図書館正面の道をまっすぐ行くと、海岸の通りに出た。海側に少し出ている空き地みたいなところは大学生たちのトレーニング場になっていて、ベンチプレスやスクワット、腹筋、背筋などをしている男子学生らが20人ほど。ベンチプレスなどの重りは金属性のプレートではなく、車のホイール付きタイヤだった。

その空き地にPoliceと書いた車が止まっていたので、もしかしたらこの人等は大使館近くで警備をしている人かもしれないと思い、車まで行き、マリ大使館の位置を聞く。

すると知っていって、あっちの方と指さす。フランス語でいろいろ言うのだが、わからず。

指さされた方に向かって歩く。しかし、ダカールは暑い。ちょっと歩いていると汗がしたたり落ちてくる。

ちょっと歩くと歩いている方角の方にマリのものらしい国旗を発見。建物の前まで行くと確かにフランス語でマリ大使館とある。安堵する。

重々しいドアを開け、中にいる人にビザの申請をしに来たというと奥への道を教えてくれる。警備は厳しくない。

奥に行くとそれらしき部屋があった。5~6人の人がおり、証明写真を撮っているらしいカメラマンもいた。

男の人等に続いて待っていると女性の職員に声をかけられたので、ビザが欲しいというと申請書の紙をくれる。が、フランス語オンリー。英語のはないか聞くが、ないとのこと。ただ、カメラマンが記入を手伝ってくれるという。

その職員がカメラマンを呼んで何事かを伝える。カメラマンはぼくに机がある方に来るよういい、カメラマンが写真を乾かしている傍らで申請書の記入を始める。

単語を見てもわかるのは名前と国籍の欄くらいで、ほんとにわからない。なのでいちいちカメラマンに聞く。カメラマンは英語はほんの少ししかできないようで、英語は彼が言う言葉の2割程度。しかもフランス語で記入せよとあるらしく、英語で記入していたらフランス語に書き直してくれる。フランス語は文字と発音がスペイン語や日本語のようには一致していないため、カメラマンの言葉を文字にしようと思ってもできない。

それだったら辞書を見た方が早いと辞書をひいてみるが、その様子を見て、カメラマンが何がわからないと聞いてくる。そして代筆してくれる。結局4割程度は彼に書いてもらった。

その紙を持ってまた女性の職員のところに行き、日本から持ってきた証明写真2枚とパスポートを添付して提出。するとビザ代15000CFA(約3000円)を要求され、支払う。そして2日後の25日の午前中に取りにくるよう言われる。宿代が高いから明日にはダカールを出たかったのだが、しょうがない。

今日やらねばならないことは終わったので、ほっとして大使館を出る。出たところに果物屋があったので、そこで朝飯代わりのバナナとみかんを買おうとするが、釣りがないとのことで購入は断念。

歩いてミニバスが走っている通りまで行く。大学が近くにあるからだろう、ネット屋やコピー屋が10軒ほど並んでいる通りがあったりする。さらに歩いていくと、道ばたの歩道で織物をしている通りにつながる。左右の歩道それぞれに織物機が並べられ、トンテンカンテンと生地を織っている。ペルーで見たときは織物をしているのは女の人がほとんどだったが、ここではすべて男。なかなかおもしろい。

ミニバスが通っている通りにスーパーがあったので、そこで水と牛乳を買う。1.5リットルのペットボトルの水は250CFA(約100円)。これまで個人商店で買っていたときは600CFAだったから半額だ。

ミニバスに乗って、ダカールの中心部まで移動。ミニバスは一律150CFAとタクシーとはけた違いにやすいから助かる。

中心部でバスを降りて歩いてゴレ島に行く船の発着港に行く。往復チケットは5000CFA(約800円)。学校の授業でなのか、船を待つ人の中には6~10歳くらいの子どもが80人ほどいた。

時刻表には12時の便があるとあったので、20分ほどで乗れるかと思っていたらそうはいかなかった。時刻表はほとんど意味がないよう。結局1時間近く待って12時半前に乗船し、いざゴレ島へ。

ゴレ島までは船で15分ほど。貨物船でいっぱいの港を出ればすぐに島が見える。小さな島に煉瓦色の建物が何棟も見える。

ゴレ島側の船の発着場は、海水浴場のすぐ隣。海で遊んでいる子どもたちの歓声を聞きながらの到着。

この島はフランスが奴隷の供給基地として使っていた島ということで、当時の煉瓦づくりの建物や石垣が残っている。そうした建物に住んでいる人もたくさんいるようで、島内を歩いてみるとあちこちで洗濯や炊事をしている風景を見る。建物と建物の間の通りは狭く3人横に並べば、他は通れないほど。

赤やオレンジの花が咲き、体長が20cmほどあり黄色い線が入っているような変わった色のトカゲ(の1種?)が石垣を走り、ヤギが道ばたで草を食む。ダカールとはまったく違う雰囲気でなかなかいい。

島の最頂点(と言っても100mもない)に続く道には、ここに住んでいるらしい画家たちの絵がたてかけられている。ドミニカのサントドミンゴで売られていた絵と色使いが似ている。

また、道のあちこちにちょっとしたお店があって、ここに住む芸術家が作ったらしい造形物や服などを売っている。そういうところの前を通るときに、たまに”アリガト、サヨナラ、コンニチハ”などと日本語で話しかけられる。買う気はまったくないので、そういうときには、挨拶だけして通り過ぎる。

島は1時間もあればほとんど見て回れる程度の大きさ。
島をひととおり回ってから海水浴場近くの歴史博物館と奴隷の家(?)を見学。いずれも入場料500CFA(約100円)。

歴史博物館は、ゴレ島の歴史だけでなく、セネガルの歴史の博物館で、本物なのかどうかはわからない(見た目は本物)が、アウストラロピテクスやホモハビリス、ホモサピエンスサピエンスの頭蓋骨まで展示されていた。セネガルで出土した土器や石器からフランスに対する抵抗の歴史などが現物と絵、説明板などを使って紹介されている。説明文はフランス語だけ。そのため内容はわからず、展示品をみただけ。

奴隷の家は、奴隷を積み出すときに奴隷を収容していた建物で、当時使われていた建物がそのまま残っている。見学者は多い。

あるのは区切られた小さな部屋ばかりで、展示品として足に着けられていた手錠のようなものがある他は何か特別なものがあるというわけではない。どの小部屋も日本で言えば土間のようなところばかり。

建物の2階にある説明板はやはりフランス語だけだったので、読めず。

早々に出ようかとしたら、ここの職員か何かの人が来館者を全員集め、入り口付近で解説を始めた。もちろんフランス語オンリー。まったく内容はわからなかったが、最後の部分でバラク・オバマという名前を言っていたので、アメリカの大統領選についてもちょっと触れたようだった。

船着き場近くに戻る。すると、ちょうどダカール行きの船が出たところだった。次の船が来るのを待つが、なかなか来そうにないので、昼飯をレストランで食べる。適当に値段を見て頼んだものは白米に鶏の胸辺りを骨付きのまま焼いたのに、タマネギを炒めて作ったソースのようなものをかけたものが出てきた。塩加減よし。ご飯の炊け具合もいい。値段は3000CFA(約500円)。

飯を食った後、店の前で売られていた黄色い果物を買う。名前はわからないが、セネガルではあちこちで売られていて、食べている人も多かった。見た目は夏みかんがしおれたような感じをしていて、大きさはリンゴ程度。自分も試してみようと1つ頼むと店(と言っても果物を置いている板があるだけ)のおばちゃんは、でかいのを選んで500CFAだという。

それでオッケーと仕草で伝えると、おばちゃんはヘタの付いている頭の方を上にして、だいたい3cmくらいの部分を横にナイフで切り抜く。するとその果物の内側(中身)が


※つづく※

[diary]サンルイからダカールへ

サンルイからダカールへ

08/07/22(火)
[St-Louis→Dakar:Senegal]

・バカなタクシー運転手
・カネくれ野郎ーホテルスタッフ
・ダカールの中心部

※未完※

[diary]サンルイで一休み、舟の大群

サンルイで一休み、舟の大群

08/07/21(月)
[St-Louis:Senegal]

・大雨洪水?
・浜の船の大群
・ウミガメで遊ぶ子どもたち
・働くロバ

※未完※

[diary]モーリタニアからセネガルへ、最悪の国境

モーリタニアからセネガルへ、最悪の国境

08/07/20(日)
[Nouakchott:Mauritania→St-Louis:Senegal]

・ヌアクショットの市場
・気が変わってセネガルへ移動
・くさっているおやじ
・まともなタクシー運転手
・変わる景観
・くさっている国境
・ストリートチルドレンの群れ

※未完※

[diary]ヌアクショットへ移動、サハラ砂漠

ヌアクショットへ移動、サハラ砂漠

08/07/19(土)
[Nouadhibou→Nouakchott:Mauritania]

・4時間のバス待ち
・擦り切れそうなタイヤ
・サハラ砂漠
・検問
・夜中前にヌアクショット着
・砂のまち

※未完※

[diary]ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ

ダクラからヌアディブ(モーリタニア)へ

08/07/18(金)
[Dahkla:Morocco→Nouadhibou:Mauritania]

・モーリタニア行きトラックゲット
・ハエ
・サハラ砂漠の端、ラクダ
・長い国境
・使えないタクシー

7時過ぎに起床。外はだいぶ明るい。昨晩洗った洗濯物は乾いていなかった。夜はけっこう涼しかったし、海に近いから湿気がけっこうあるのだろう。窓からホテルの前の路上を見ると、道ばたに止まっている車の窓が水滴で曇っていて、路面もうっすらと塗れている。

荷支度をして、1階のフロントに降りる。昨日の夜の若い男の子が受付にはいた。

彼は、ぼくを見るとタクシーを呼ぶからしばらく待ってとソファを指さしたりして教えてくれる。タクシーなんて表で待てばいくらでも捕まえられるのにと思いつつ、彼に言われたとおり待つことにする。

フロント横の待合いスペースにはロイヤルモロッコ航空のハンコが押された5月の『TIME』や『NEWSWEEK』(いずれも英語版)がアラビア語やフランス語の雑誌とともにガラステーブルの上に置かれていた。テレビもあり、映画をやっていたのだが、画面に目をやったら寺尾聰が出ていた。唐沢俊明(だったっけ?)が赤いマントを着ていて、ゲームに出てくるキャラに出てくるようなメイクをしていた。人間界とは違う世界を描いた映画のようだが、みなアラビア語を話しているからまったく内容がわからない。

そんなことしているうちに30分たつ。フロントの彼が表に出ていったので、ぼくも一緒に出ていくと、ホテルの前で待てと言う。そこへホテル隣のカフェから年輩の男性が出てきて、彼になにやら注意みたいなことをしている。見ていると、10mほど先で交差しているより交通量の多い通りでタクシーなんかすぐに捕まるというようなことを言っているようだった。

彼はそちらの通りにぼくを呼び寄せ、タクシーを呼び止め行き先を運転手に説明してくれる。ぼくには事前に20ディラム(約300円)で行けるからとも説明してくれていた。なかなか親切で丁寧な子だ。

無事タクシーに乗り込む。ここでは相乗りが普通のようで、後部座席にはすでに2人男性が乗っていた。ぼくは助手席に座る。9時前のまちは人通りは少ない。

後ろの客をそれぞれの目的地で降ろした後に、町外れのPoste de Policeに向かう。

ホテルを出てから15分ほどでPoste de Policeに到着。昨日、ここを通るときにバスで一緒だったRabab(人名)が、ここに止まっていた車を指さし”モーリタニア”と言って教えてくれたのだが、そのときはぼくが座っている席(右端)とは反対側で、そちら側の窓のカーテンがけっこう閉まっていたためちらっとしか見えなかった。今日、改めてきてみると昨日ちらっと見えたときとあまり景色が変わっていないように思える。

Poste de Policeは北から来る一本道でダクラに入る人たちをチェックするところ。いわば検問所だ。昨日、ここをバスで通るときそのバスもここで止められ、乗客の身分証明書のチェックがあり、ぼくは一人降ろされ、道路脇にある警察の四角い白い建てものに連れて行かれ、そこで職業などを聞かれた。

検問所を境にしてダクラ側の道ばたが、モーリタニアに行く車が客待ちしている場所になっており、ここでモーリタニアに行く車を待たねばならない。

ぼくがそこに着いたとき、その道ばたにあったのは乗用車が4台と荷詰めをしている大型のバン(ワゴン車)が2台。それからバンの荷詰めをしている男の人(推定年齢40~50代)が4~5人。それから乗用車にもたれている白いムスリムの服を着たおじさんが1人。

ぼくがタクシーから降りると、バンの荷詰めをしていた一人の人が手招きをした。そちらに行くとフランス語でなにやら聞かれる。よくわからないので、モーリタニアに行きたいと言ったら、乗用車が止まっている方を指さし、あっちで待てというようなことを言う。

なので、白い服を着たおじさんのところへ行く。そのおじさんにモーリタニアのヌアディブに行きたいと言うと、手でここで待つよう合図する。おじさんはフランス語で何やら話しかけてくるが、ぼくはフランス語がわからない。おじさんが運転手だと思って話しかけたのだが、おじさんがもたれている乗用車のフロントのとこには大きなボストンバッグがあった。どうもおじさんのものらしい。

つまり、おじさんもここで運転手を待っているようだった。おじさんがもたれていた乗用車は古いメルセデス。これで行くのかなと思い、車の周りをぐるっと1周して見てみると、左後ろのタイヤがパンクしていた。

待つしかないのでしばらくあたりぶらぶらして待つ。

9時前にここに着いてから30分ほどたった頃、タクシーに乗ってもう一人40代くらいの男の人がやってきた。その人も旅行用のバッグを持っている。パンクした乗用車のまわりで3人で車を待つ。気温は30度近くまであがっているようだが、海から吹く風が強いから、とても涼しく待っていてもたいして疲れることはない。

1時間ほどたった10時頃、バンで荷詰めをしていた人がこちらに向けて大きく手を上下させて、こっちに来るよう合図してくる。

そちらに行ってみると、サッカーのロベルトバッジオの肌をやや黒くしたようなおじさんが英語でヌアディブに行くことを確認してくる。そして、400ディラム(約4000円)で乗せてくれると言う。300ディラムくらいで行けると聞いていたので、300ディラムじゃないのかと聞いたが400は譲らず。他にモーリタニアに行く車もないし、一応予算の範囲内なのでこれに乗ることにする。

リュックを乗用車のところに置いていたので、それを取りに戻り、そこで待っていた他の二人に仕草でこの件を伝える。リュックを背負って二人とともにバンのところまで行く。二人はアラビア語でさっきぼくに話を持ってきた人となにやら交渉している。

バンの近くで待っていたら続々とタクシーに乗って人がやってきた。どうもみんな何時頃に出るか事前に知っていたよう。あるいは適当に来たのか?

バンのまわりに荷物を持った人が10人ほど。バンの荷詰めは最終段階。鶏や段ボールなどの荷物を屋根にこれでもかと乗せ、網をかけ、ロープで固定している。

バンは運転席と助手席に座席があるだけで後部は何もない荷台と化している。しかし、床には絨毯や毛布が敷かれているので、どうもぼくらはそこに座るらしかった。

屋根で一人のおじさんがロープかけをしている一方でバッジオ似のおじさんらはバンの車内でガスバーナーに火をつけ、お湯を沸かしお茶のみを始めた。

ロープかけも終え、お茶飲みも終わった頃に、軽トラが一台到着。荷台に積んできたガソリンが入っているらしいタンクやすいか、ぶどうなどを詰めた木箱をバンの車内後部に積む。そして、最後に客が持ってきた荷物を同じ車内後部に乗せて、やっと人間が乗り込む。

乗った人間は合計12人。運転手1人に助手席に男女1人ずつの2人が座り、後部の座席のない車内に男7人、女2人が車座になる。そこまで窮屈ではない。

こうして11時頃に車は発車。乗ったはいいものの床に座っているから視線が窓よりも低いため外の景色が見えない。しょうがないのでしばらく昼寝。

昨日のバスと同じように何度か検問で車は止まるが、昨日ほどのチェックはなかった。もっともぼくは運転席の後ろの窓のすぐ下にいたので、その窓から中を覗く警官には顔が見えなかったのも、ひっかからなかった一つの要因だったかもしれない。

車内ではアラビア語が飛び交っていた。よくしゃべる。2時間もすると尻が痛くなり、あぐらをかいていた足も若干しびれてくる。尻が痛くなるのは皆同じようで、ゴソゴソとそれぞれが動いているうちに、より広い空間ができ、足を組み替えたりするのも楽になる。

ぼくはときおり中座になり、窓から外を眺める。砂漠というより土漠という感じで、しっかりした地面の上に石がごろごろ、草がポツポツという景色が延々と続く。ダクラがある半島を出て、南に下るようになるとたまに右手に大西洋が見える。

道路は完全に舗装された片道1車線の道路で、快適そのもの。ボリビアのサンタクルスからブラジルとの国境までの道とは比べものにならないくらい。

ときおり乗用車やランドクルーザータイプの車に追い抜かれ、たまにトラックなどの対向車とすれ違う。

また、野生なのか、ラクダの群も3度ほど見る。ここのラクダは一瘤(ひとこぶ)ラクダでポツポツと生えている草を食べていた。それから1度だけ沿道で羊を放牧しているのを見る。羊飼いらしいイスラム風の服を着て、ターバンを頭に巻いたおじさんが一人沿道を歩いていた。あたりには集落らしきものは見えなかったので、どこから連れてきたのか不思議に思う。

さらに西サハラの難民なのか、海沿いを走っていたときにテントやコンクリートブロックで簡単に作った家を見る。人は見なかったので、住んでいるかどうかはわからなかったが。

車内の気温は25~30℃程度。窓から風が入るから涼しく汗をかくこともない。空は晴れているのだが、砂漠の奥の方は白くかすんでいるため、地平線はあまりはっきり見えない。

ぼくは座り方を変え、窓の方を向いて正座して外を眺めて過ごす。

道ばたには地名とそこまでの距離を書いた小さなポールがときどき現れる。

15時半、目的地のヌアディブまで160kmと書かれたポールを見る。この調子であればあと3時間くらいで着くな、などとポールを見て思う。

ヌアディブまであと140km程度になった15時50分。沿道に突然、建物が現れる。

右手にガソリンスタンドが見え、その向こうにはたくさんの一軒家が見えた。バンはガソリンスタンドに入り、停車。給油をするとともに休憩。運転手はぼくにフランス語で”20分”と言う。ちなみにこの運転手はタレントの大泉洋に似ている。

ガソリンスタンドにはレストランと売店も併設されていて、レストランには20~30人ほど客がいた。こんなことなら昨日、水やビスケットなどを買い込む必要はなかったなと思いつつ、それらを詰めたバックを持って車を降りる。

車を降りて改めてバンを見てみると、車体が左に傾いていた。走っているときに左右に揺れることがあったのでおかしいなと思っていたが、どうもこれが一因のよう。これから先には未舗装の道もあるというのに、これで大丈夫なのか。

レストランの建物の外側にある椅子に腰掛け、昨日買い込んだパンを食べる。そして水を飲む。

車に乗ってからはトイレのことを考え、ずっと飲まず食わずだったが、もう目的地が近いのでその禁を解く。

16時15分頃、車は再出発。建物群は3分ほどで見えなくなる。道ばたのポールにはヌアディブまで60kmと出る。

これなら遅くても19時くらいには着く。その時間であれば明るいから宿探しも苦労しない。なかなか調子いいぞ、などと予想外の順調さを喜ぶ。

ガソリンスタンドを出て、1時間ちょっと走ったところでバンは停車。やっとモロッコ側の国境に着いた。ここまで約400kmの間はずっと舗装道路だった。

国境には10台ほど車が止まっていて、ヨーロピアンらしき人等も見える。バンを降りると入国カードを配りに来て、それを2枚渡される。同じバンに乗っていた人が、これを2枚書くようフランス語で教えてくれる。最初は1枚だけ書けばいいのだろうと1枚書いて待っていたら、その男の人が終わったかと聞いてきたので、その1枚を見せるともう1枚も記入するように言う。その際、やはり同じバンに乗っていた別の若い男の人を連れてきて、その人にフランス語で話しかけ、それを英語に通訳して伝えるよう頼む。

入国カードは、フランス語と英語が併記されてあったので、基本的なことはわかったのだが、事前の情報でこのカードに乗ってきた車のナンバーを書かないといけないとあった。それを書く欄がわからなかったのだが、親切な男の人が英語を話す彼のカードとぼくのを付け合わせ、車のナンバーを書く場所を教えてくれた。ありがたい。

そうして記入したカード2枚とパスポートを提出する。その親切な人に教えられた場所に行くと、入り口にぴちぴちの白いTシャツにジーパン、サンダル、それにサングラスという出で立ちの男の人が立っていて、中に入れない。なんだこいつは、邪魔な奴だと思っていたら、彼が係官だった。

彼はぼくのパスポートを受け取り、しばらく待つように言う。

同じバンに乗ってきた人たちは、警察の建物に背をもたれ、地面に座り込んでのんびりしている。出国手続きだからさっさと終わるのだろうと思っていたら、これが長かった。

※つづく※

[diary]ダクラに到着

ダクラに到着

08/07/17(木)

・検問に次ぐ検問
・ダクラのまち
[Dahkla:Morocco]

※未完※

[diary]アガディールをぶらり、ダクラへ

[diary]アガディールをぶらり、ダクラへ

08/07/16(水)
[Agadir→Dahkla:Morocco]

・活気のない市場
・賑やかなビーチ
・ダクラ行きのバスで

※未完※

[diary]カサブランカからアガディールへ

[diary]カサブランカからアガディールへ

08/07/15(火)
[Casablanca→Agadir:Morocco]

・マラケシュで変心
・アガディール泊

カサブランカ3泊目。
7時過ぎに起床。昨日まで泊まっていた宿と違って窓があるから朝日が入ってきて、気持ちよく起きられる。

7時半過ぎに宿をチェックアウト。歩いてCTM(国営バス)のバスターミナルに行く。メディナの中はまだ目覚めていない。わずかに掃除をしている人が数人。カフェなどもまだ空いていない。

メディナを出たら、それなりに人通りがあった。すでに開いているカフェでは一服しているおじさま方がいる。この人たちはいったい何をして食っているのだろうかと気になる。だいたい一服しているのは日本で言えば60歳以上の年齢に見える人が多い。

ターミナルでマラケシュ行きのチケットを買う。ちょうど8時半発のがあった。料金85ディラム(約1200円)。別途荷物代が5ディラム(約70円)。

腹の調子はまだ戻らないが、腹が減ったので朝飯代わりにクッキーを買う。パンを買おうかと思ったが、店のカウンターに袋にも入れられず、ケースに入れられることもなく、他の商品と並んでそのまま置かれていているので、今の腹の状態では衛生的によろしくないと思い、お菓子の方にしてみる。バナナ味のクッキーは10ディラム(約150円)。高い! この間買ったものは半額くらいだったのに、とパッケージの製造元をよく見てみると、Made in Brazilとあった。輸入品じゃ、高いのも当たり前か。

バスは予想通り出発予定時刻から20分ほど遅れて出発。さっきまで寝ていたのに、バスに乗ると眠たくなり、寝てしまう。これはいったいどうしたものか。

目が覚めると地平線が広がる中を走っていた。舗装された片道1車線の道。舗装状態はよい。両脇に見える大地は畑なのか、それともただの荒野なのか判別がつかず。何も植わっていないのだが、機械か何かで耕した跡のようなものも見える。人はいない。

そういった緑のない土地がしばらく続くと、たまに緑が出現する。また、土で造られているしい家々もたまに見える。それから羊を30頭くらい連れている人の姿もときおり見ることがあった。

カサブランカを出て約4時間後の12時半頃、それまでの閑散とした景色が急に変わり、煉瓦色の建物が建ち並ぶ通りに入る。ショッピングモールらしいところも発見。どうやらマラケシュにはいったよう。これまでほとんど見なかったスーパーマーケット形式の店も1軒発見。マンションらしき建築中の建物があちこちにある。電車の駅も新装中のよう。

バスはCTM専用のターミナルに着く。予想では、ガイドブックの地図にあるメディナ近くのメインバスターミナルに着くと思っていたのだが違った。ついたのは電車の駅の近く。ここから安宿があるメディナまでは数kmはありそう。

とりあえず到着した場所の周辺に宿がないか探して歩く。歩いた範囲では宿は三ツ星のホテルが1軒あるのみ。やはり移動しないと行けないよう。駅の前を通る大きな通りを市内バスが走っていたからそれにでも乗れば、メディナに行けそうだったが、なんだか宿を探すのが面倒になる。

よって予定を変更。またCTMのターミナルに戻り、移動することにする。Agadirというさらに南の大西洋沿いのまちには一日8本ほどバスがあるとガイドブックにあったので、とりあえず南下することにする。

チケットの窓口でアガディール行きのチケットを頼むと17時15分発のチケットでいいかと聞かれる。3時間近く待たねばならないようだが、荷物を預けてその間ぶらぶらしようと、それでOKするが、チケットを買った後に、荷物を預けるのは出発30分前からと言われる。しかも、ターミナル内には別に荷物を預けられる場所はない。

なぜ中南米では普通にある荷物預かりのサービスがここにないのか? 荷物代と称して荷物を載せるのにはカネを取る仕組みを持っているくせに、客がバスを待つ間に荷物を預かる仕組みを持たないのが不思議だ。思いつかないのか、ニーズがないのか、あったものがなくなったのか・・・。コインロッカーくらい置いとけと思うが、このコインロッカーもすぐれて”先進国”的なもののようで、スペイン以外ではほとんど見なかったようにも思う。

荷物を抱えて38度ほどある外を歩く気にはなれず、結局待つことにする。そう言えば、さっき周りを歩いたときに郵便局があったと思い、行ってみるが閉まっていた。

しょうがないので、またターミナルに戻り、待合室でブラジルで買ってもらった数独をしながら待つ。待合室に無料で飲める水が置かれているのが、目新しい。

待っている間、アガディール行きのバスは何本もあった。聞いたらどれも満席だと言う。ちなみにやりとりは英語。なお、お店で買い物する際にフランス語を使ってみたところ返事は英語という場合が多々あり、フランス語にそんな言葉があったかと首をひねってしまうこともあり。できるならばアラビア語がベストなんだけどな。

出発30分前になったので、荷物を預ける。何も食わないのも悪いかと思い、ターミナル前に並んでいる雑貨店に行き、そこで鉄板で焼いていた長方形の薄いパン(インドのナンに似ている)を買う。5ディラム(約70円)。焼いているおばさんにフランス語で値段を聞いたが、フランス語を解さないのか、店にいる若い男の子を呼び、その子にぼくの相手をするように言う。彼は多少英語を解した。多少なりとも英語を解する人がいる割合は、中南米とは比べものにならないくらい多いように思う。

それから1.5リットルの水を買う。この水の値段がどこで買っても6ディラム(約80円)。他の国では店によってちょっとずつ違ったのに、これは意外だった。統一価格で売られているのか?

予想通りバスは予定通りには出発せず、約1時間遅れの18時前に発車。満席。運賃は100ディラム(約1500円)プラス荷物代5ディラム(約70円)。

マラケシュのまちを抜けると、道路の両脇には畑が広がっていた。ぶどうやオリーブなどが見える。ビニールマルチを使っている畑もあり。

青々としている畑の隣がまったくの土漠のような空き地だったりする。畑はずっと同じところで造られているのか、それともこうした空き地のようなところも時期がくれば使っているのか? よくもこれだけの耕地で食えるものだと思う。モロッコの食料自給率はどれくらいなのか?

19時半前に夕食休憩。立派な建物の前でバスは止まる。食事代わりにここでビスケットをまた買う。2種類で7ディラム(約90円)。アラビア文字が袋に書かれているものはモロッコ産のようで、わりと安い。

同じバスに乗っている若い(おそらく10代後半)の男二人組は盛んにデジカメで写真をとりあっている。バスの車内では携帯電話で動画(映画のようだった)を見たりしていたから、けっこうな金持ちの息子らなのかもしれない。ちなみに一人が持っているデジカメは、えー!と驚いてしまうくらい分厚いソニー製のカメラ。ちょっと気になる。

30分ほど休憩した後、再出発。外は気温も25度くらいで、風が吹いていて心地よかったのだが、バスの中はちとくさい。冷房は効いているが、窓は開けられないスタイルになっているからか、微妙に空気がくさい。

21時前に日没。途中、乗客を降ろすために停まった小さなまちでは、道ばたに人々が出ていて、それぞれ何をするともなく、座り込みおしゃべりなどに興じていた。子どもたちも外に出てきていて、走り回って遊んだり、何人かでおしゃべりしたりして過ごしている。バスが止まると子どもたちが寄ってきて、中にはバスの中をしげしげと見つめる子もあり。

バスは山がちな地帯を走る。ただ、山はどれも低く、道も曲がりくねっているというわけではなく、多少起伏があるだけでこれまでと道の状態は変わらない。

暗くなると外を眺めていてもあまり変化がないので、うとうと。

そうしているうちにバスはアガディールに到着。22時半頃だった。ここでもまた予想していたところに着かず。バスの運転手に聞いても近くに宿はなく、タクシーで行かないと行けないらしい。また、面倒なところに来たなと思い、バスがあればさらに南下しようとまた予定を変更。

ここは共同のバスターミナルのようで、ターミナル内には10近いバス会社があった。そのうち6割くらいはアラビア文字のみで行き先を書いているので、まったく読めず。ふらついているとどこに行きたいのかと英語で聞かれるので、南のまちのTantanだと言うとCTMの窓口を指す。

この時間でもバスはあるらしい。なお、カサブランカなどには夜行バスがあって、それにこれから乗ろうと言う人たちがターミナル内には数十人いた。

CTMの窓口には誰もいない。なので、ちょっとターミナルの外に出てみる。確かにホテルらしき建物はない。ホテルどころか店さえも4軒ほどがあるのみ。ぶらぶらしているとタクシーの運転手が声をかけてくる。英語ができるかとまず聞いてきて、どこに行きたいのかと聞いてくる。中心部までいくらか聞くとフィフティと言う。15なのか50なのか確認するため持参している電卓で確認。すると50ディラム(約700円)の方だった。運転手は中心部まで5kmほどという。5kmで50ディラムなんて高すぎる。1泊分の宿代に近い。おっさんは英語を話す=怪しいので無視してまたターミナルに戻る。戻る際、おっさんが引き留めようと声をかけてくるが、無視。

CTMの窓口の前で待っている人がいたので、一緒に待っていると20分ほどして職員が3人やってくる。発車するバスの乗客チェックなどをしていたよう。それにしても一人くらい窓口に置いとけよな。

タンタン行きのチケットが欲しいというと、なんと満席。まったくついていない。

しょうがないので、ここで宿をとることにする。再びターミナルの外に出てタクシーを探す。客待ちしているタクシーが10台ほど。さっきとは違う人が声をかけてくる。値段を聞いてもなかなか言わないので、何度も聞いて25ディラムというのを聞きだし、それでOKする。さっきのおっさん半分。だいたい外食1食分。

運転手に行きたいホテル名を伝える。10分もかからずに到着。目的の宿がある一帯には6軒ほど宿が集まっていた。最初に行った宿は満室で泊まれず。次に行った宿も、その次に行った宿も、さらにその次、またのその次も満室。ようやく空きがあった宿も最後の1室で、値段は180ディラム(約2000円)。3泊分の宿代なのだが、他に選択肢がないのでここに泊まることにする。

さすがに高いだけあって部屋はすばらしい。ダブルベッドが1つとシングルベッドが1つあり、シャワールームと洋式便所が部屋内にあり、バスタオル、トイレットペーパー付き。これで石鹸もあればベストだったが、これはなかった。テレビもあったので、久々(ブエノス以来)にテレビを見る。アラビア語のニュース番組やドラマ、フランス語の映画、BBCなどが見れた。BBCを見ていたら日本で漁師たちが燃料代高騰に対するデモをやったとのニュースが流れる。

これまた久しぶりにシャワーを浴び、洗濯をして就寝。

Fin

[diary]ラバトをぶらり

ラバトをぶらり

08/07/14(月)
[Casablanca←→Rabat:Morocco]

・宿変え
・電車でラバトへ
・博物館
・クスクス
・English Bookshop

朝、7頃起床。どこからか低い声でコーランでも読んでいるような声が聞こえる。荷物を整理し、部屋を出る。鍵を返そうと受付をのぞくと、受付のおじさんがコーランらしき呪文を唱えていた。おじさんはぼくを見ても、顔をこちらに向けるだけで、お唱えは止めない。鍵を見せると目でそこに置いていけと合図をするので、机に鍵を置いてチェックアウト。

歩いて5歩ほどの隣の宿に行くと、昨日もいた白いベールをかぶったおばあちゃんが受付にいた。このおばあちゃんはフランス語を解さないが、笑顔で迎えてくれる。受付裏に向けて何やら言うと、奥から起きたばかりらしい40代くらいの女の人が出てきた。この人はフランス語を解す。

ここの受付の机には、1910年頃のメディナ白黒写真のコピー(新聞か何かの切り抜きの拡大)があって、聞くとここの表の写真だと言う。コピーには現在と当時の両方の写真があったが、やはり相当雰囲気が違っている。そもそも写っている人の服装が違う。

部屋の鍵をもらい。3階まで上る。3階には6部屋ほどあり、真ん中は吹き抜け=屋根がない。部屋には窓があるから、空気もよろし。部屋は昨日まで泊まっていた宿と基本的に変わりない。4畳半ほどのスペースにベッドが一つと机と椅子が一つずつ。壁に鏡と服などをかけるためのフックがあるのは進歩している。これで50ディラム(約700円)。トイレは和式と似たモロッコ式。

荷物を置いたらさっそく宿を出て、ラバトに向かう。宿から港の方へ歩いて10分もしないところに鉄道駅があるので、電車で行くことにする。

電車の駅のまわりはこれから再開発されるようで、完成予想図を書いた看板が立てられ、その裏は工事中。駅舎はとてもシンプルな四角い建物で、中にはチケット窓口とキオスク、カフェがあった。チケット窓口には30人ほど並んでおり、カフェで一服やっている人たちも多い。電光掲示板にはこれから発車する電車の発車時刻や行き先などがアラビア語とフランス語で表示されている。

窓口でラバトまでのチケットを購入。運賃32ディラム(約480円)。乗車時間は1時間ほど。バスでは35ディラム(約500円)だったから、荷物代を考えると200円近く安い。

電車は頻繁に出ていて、ラバト行きも15分に1本は出ているようだった。予想以上に乗客が多いのには驚く。新聞を持ったスーツ姿のおじさま方からいかにもキャリアウーマンですというパンツスタイルの女性、モロッコ洋式の服を着た人など乗り込む人はさまざま。

車両は2階立てと1階との混合。よく掃除されていて床も座席もきれい。発車時刻も予定通り。すばらしい。

電車は海岸から1kmほどのところを走る。途中、バラック街らしき地区も見かける。ぶどうの棚を作っているらしい人たちも見る。

4つほどの駅を経由して、約1時間後にラバトの駅に到着。さすがに首都だけあって、なかなか立派。ホームから駅舎にあがる際には動いているエスカレーターもある。ここの駅舎も改装中のようで、臨時通路を通って外にでる。

きれいに舗装された道路に10階立てほどの高層?ビルが立ち並ぶ。首都の雰囲気が漂っている。

地図を見てメディナの方に向かう。歩いて5分ちょっと。メディナの一大商業地帯はまだ準備中だった。時間は9時過ぎ。パン屋は開店していて、大勢の客が行列を作っている店もあり。また、コーヒーを煎っている店もあり、その香りがまたよろし。

海岸近くにある博物館に先に行くことにする。メディナの周りを取り囲むように建てられている煉瓦色の外壁沿いに歩く。歩いていたらにこにこと笑顔の警官が近づいてくる。なんだこいつと思ったら、握手を求めてきてスポーツは何をしているのか、柔道をやっているのかと聞いてくる。どうもこの人は柔道をやっている(いた?)よう。そのうちモネ(硬貨)がどうのと言い出したので、笑顔でお別れ。フランス語だったのではっきりとはわからなかったが、結局、カネが欲しかったよう。

Kasbah des Oudaiasというメディナよりも海側の地区に博物館はあった。博物館には金やエメラルドで作られた装飾品や古い旧式の銃などが展示されていた。展示の説明はアラビア語とフランス語、スペイン語。

博物館のまわりにある家は白色が基本で、狭い通路に面した壁には地面から1mほどのところまで明るい水色で塗られている。地面は石畳。海よりのところにはちょっとした広場があって、そこから海岸を眺めることができる。

すぐ眼下の浜には海水浴を楽しんでいる人でいっぱい。いい波が寄せており、子どもたちが波に向かって走っていく様子がよく見える。海に入っている女の人は少ない。入っている人も水着ではなく普通の服らしい格好のまま膝くらいまで浸かっているというのが多いよう。子どもは男も女も関係なく、入っている。浜辺ではサッカーをしている子が多い。一つのボールで7~8人が遊んでいる。

この他にも見える範囲で3つ、砂浜があり、それぞれ海水浴客が来ていた。

10時をすぎたのでメディナの中に入る。絨毯や銀(スズ?鉄?)細工、水タバコの道具、服、革靴、革製スリッパ、などの店が多い。ある一角は電気屋街になっていて、パソコンやテレビ、オーディオ機器などが売られていた。ただ洗濯機などの大型家電は見かけず。

料理屋はどこも20ディラム(300円)以上するところがほとんど。腹の調子はよくなかったが、せっかくだからと食堂に入り、クスクスを注文。

クスクスは名前だけ知っていたが、食べるのは初めて。粟らしい穀物だけのご飯の上に野菜などが入ったスープがかけられたものとそのスープだけが入ったお椀が出てきた。ご飯の色は黄色。インドのサフランライスに似ている。粟粒は小さいから噛んでも歯ごたえがない。書けられているスープは薄い塩味。カボチャとキャベツ、ピーマン、それから肉が入っている。食えないことはないが、また食いたいと思える味ではないが、たぶん飽きはしない味。

食っている途中、さすがに腹の調子がおかしくなり、スープを残して店を出る。食事代は23ディラム(約330円)。

ガイドブックにラバトにはアメリカンブックショップという店があるとあったので、英語ーアラビア語の会話帳を買いに行く。地図を頼りに行ったのだが、これが見あたらない。ガイドブックにある住所の近くまで来ているはずが、それらしき建物がない。

アパート街の中をふらついていると10代くらいの男の子が英語で話しかけてくる。それで探している場所を伝えると、一緒に探してくれるらしくついてきてというような仕草をする。聞くと彼は高校生とのこと。彼が道行く人や近所のオフィスで5~6人の人に尋ねるが、なかなかわからず。やっと確実な情報が入り、そこに行ってみるとAmerican Language Centerという看板が入り口にあった。中の建物の2階から男の人が顔出したので、彼がアラビア語でなにやら聞く。結局、ここが探していた場所らしいのだが、本屋は閉鎖したとのこと。よって、目的は達成できず。シュクラン(アラビア語でありがとう)と彼に言って、別れる。

腹の調子も悪いので、カサブランカに帰ることにする。また駅に行き、チケットを買う。ちょうど30分後くらいに電車があったので、それに乗って帰る。電車はまったく快適だ。

カサブランカの駅に降り立つと魚の生臭いにおいがした。さすがに港まち。

ちょっとまちをぶらつく。ちょうど薬局が見つかったので、マラリアの予防薬を買うことにする。出発前にアフリカ経験者にも聞いていたのだが、ネット等で調べたところSavarineというのが最近はいいらしいとのことでこれがあるか訪ねる。薬局の白髪交じりのおじさんは英語を解す人で、丁寧に対応してくれる。1箱28錠入り(一日一錠のため28日分)が168ディラム(約2500円)。

28錠が何日分なのか最初わからなかったため、聞こうとしたがおじさんに変わって対応してくれたおばさんはフランス語しか解さない。ぼくはフランス語でなんというのかわからず、適当に”日”といった言葉を並べるが伝わらない。しかし、彼女は箱の中から取扱説明書(?)を取り出して見せてくれる。説明書は英語とフランス語だったので、ようやく使い方などがわかる。

2ヶ月くらいはアフリカのマラリア地帯にいそうなので、2箱頼むと1箱しか今ないけど、ちょっと待っててと言われ、椅子に腰掛けて待つ。そうして1時間後、おじさんが、まだ座っているぼくを見て、指さし女性のスタッフに何やら強い口調で言う。そしたらその女性は裏手に行って1箱持って出てきて、それをさっきの1箱と同じ袋に入れて手渡してくれる。どうもおじさんの指示は女の人に伝わっていなかったらしい。

待っている間、ぼくはガイドブックを見ながら今後のルートなどを考えていたから、特にせっつかなかったのだが、あのままおじさんが気づかなければぼくはまだ1時間くらい待つ羽目になったのかもしれない。

それから薬局の近くにあった小さな本屋に行く。本はアラビア語とフランス語の比率は半々くらい。パソコン関係の本などもある。ロンリープラネット(英語)のモロッコ版(ぼくが持っているのはアフリカ全土版)があったので、立ち読み。

宿に戻って日本から持ってきた英和・和英辞書を片手に説明書を再度読む。さすがに専門用語が多いが、ポケット版の辞書でもかなりカバーできているのには感激。

それからネット屋に行って、さっき立ち読みしたロンプラに載っていた有用なサイトというのを見る。モロッコとモーリタニアの間は領土が確定していない西サハラの問題があり、公共交通機関がない。しかし、ヒッチハイクができるという情報やタクシーや、モーリタニア人の商売人のトラックに乗せてもらえるなどという情報あり。問題は時期なのだが、この時期の情報があまりない。『旅行人』には3月までが限界などとあったので気になっているのだが、ネットで探した限りでは大丈夫そう。行ってみるしかない。

そんなこんなで夜になる。コンセントがないため日記書きができないのがいたい。西アフリカのルートがまだ定まらないためルートを考えたり、カネの残りを計算したりして就寝。

Fin

[Casablanca;Morocco]カサブランカの日曜日

08/07/13(日)
[Casablanca;Morocco]

11時頃外出
・市
・桃、メロン、すいか、魚
・モスク
・海岸
・まちをぶらり、ビルの谷間、建て詰まったビル
・腹の調子が悪い
・昼寝
・ネット、写真アップ

※未完※

[Fez→Casablanca;Morocco]フェズからカサブランカへ

08/07/12(土)
[Fez→Casablanca;Morocco]

・バス停へバスで移動
・バス待ち、サラダ、炒め物
・夕方着
・ユースホステルの看板、日本人常駐
・メディナへ、貝、洋服、魚の揚げ物
・水くみ場

※未完※

[Fez;Morocco]フェズのメディナ

08/07/11(金)
[Fez;Morocco]

・メロンの朝飯
・腹の調子わるい
・11時過ぎから出歩く
・ネット
・閉店中
・モスク
・なめし工場

※未完※

[Tangier→Fez:Morocco]タンジールからフェズへ

08/07/10
[Tangier→Fez:Morocco]

・タンジールからバスでフェズへ
・フェズのメディナ
・なめし革

モロッコ1泊目。タンジール。7時頃に起床。やはり朝方は涼しい。扇風機も何もない部屋だったが、それなりに眠ることができる。蚊がいないのもすばらしい。

一口、水を飲み、荷造りをする。予定ではここに2泊位しようと思っていたが、宿代が高いからさっさと移動することにする。

8時頃チェックアウトしようと1階に降りると、受付のおじさんは廊下のソファーで睡眠中だった。先に宿を出た人たちは受付の台に鍵を置いていってたので、それに倣っておじさんを起こすことなく、静かにチェックアウトする。

昨晩ほどではないが、すでにレストランなどは開いていた。この時間からカフェで一服している人もいる。

すぐ近くの国営のバス会社CTMのオフィスに行って、フェズとだけ伝えると、チケットを発券してくれる。運賃は115ディラム(約1700円)。運賃を払うとバガージと行って、リュックを荷物預けに持っていくように言われる。そこにはおじさんが一人いて、リュックを渡すと大きな計りで計量し、重さをさっきもらったチケットの裏にボールペンで記入する。そして、これをまたさっきの窓口に持って行けとジェスチュアで言う。

23kgと書かれたチケットを持ってまた窓口に行くと、さらに7ディラム(約100円)請求された。これが荷物代らしい。こちらでは乗り物に乗るときに重さに合わせて荷物代を取られると聞いていたが、モロッコでもそうだとは知らなかった。

バスは約40分後の9時15分発。オフィスのベンチで待つ。9時前にオフィスの前にバスが止まったので、見に行く。フロントにはローマ字で"Fez"とあった。自分のリュックが積み込まれるのを確認して、バスに乗り込む。

バスは9時半頃出発。道路はよく整備されており、バスは快調に走る。天気もよく、窓際に座っているとぽかぽかと暖かくなって寝てしまう。が、そのうちじっとりと汗をかき始め、その不快さに目が覚める。

意外と森が多い。マドリッド・セビージャ間よりも緑が多い印象を受ける。しかし、木を見ていると樹種は少ないよう。みかんやオリーブ、すいか、メロン畑に加え、落花生らしき畑も見える。どの畑も大きい。スプリンクラーで水がまかれ、一部ではビニールハウスも使われていた。だいぶビニールが痛んでいるようだったが。農業機械の類は見ることはなかった。草取りや鍬で畑を耕している人の姿はちらほら見る。

12時過ぎにレストランなどがあるパーキングエリアのようなところで休憩。売店で昼飯代わりにウエハースとクッキーを買う。合わせて7ディラム(約100円)。お菓子を隣の席に座っていた子どもにあげようと思っていたのだが、ぼくの前に座っている女の人が先にあげようとして母親に断られていたため断念。

その母親はイスラム式の格好をしているが、子どもたち3人は洋服。東洋人は珍しいのか、しばしばらこちらを眺めていた。

いくつかのまちで停車後、16時半頃、フェズに到着。まだまだ日は高い。地図で現在地を確認するもロンプラの地図の範囲外にいるようで、まったく現在地がわからない。ただ地図の端に矢印でCTMのターミナルとあったのを頼りに適当に歩いていく。困るのが通りの名前が書かれていないこと。もしかしたら書かれているのかもしれないが、アラビア文字のためそれかどうかもわからず。

空港方面を示す看板はあったのでそれらから方向を判断して、歩く。その判断は間違っていなかったらしく、だんだん地図上の道路の姿と目の前に見えている景色が一致してくる。

日本語にすれば新市街とでもいうべきこの一帯は、まったく近代的なつくりのまちで10階建てくらいのぼろいコンクリートづくりの建物が並び、1階部分が店だったりオフィスだったりする。地図を頼りに行くと無事宿の近くまでたどり着き、その宿の前で商売している人が、ぼくを見てここだと指さして教えてくれる。

その宿の前に行くと確かにユースホステルのマークが出ていた。頑丈な木製の扉が閉まっており、中はうかがえない。呼び出しベルを鳴らすと、中から年輩の女性が出てきた。頭の中で言葉を準備していなかったため、スペイン語と英語とフランス語がごっちゃになり、部屋が空いているかと簡単なことを聞くのに言葉に詰まる。

ただ、聞きたいことは伝わったらしく、英語で返答あり。それによると満室とのこと。タンジェといい、フェズといいユースとは縁がないらしい。がっくり。

女性はメディナに行くよう言う。メディナのBab Bou Jeloudに行けば安い宿がいくつかあると教えてくれる。地図を見せてその位置を教えてもらい、そこまでの行き方も教えてもらう。一本向こうの通りからタクシーに乗るように言われたが、カネがもったいないので近くでバス待ちしているらしい人たちの中で待つ。

すぐにバスはくる。入り口付近にいたおじさんが英語でどこに行きたいのか聞いてくるので、さっき教えてもらった名前を伝えると乗るように言われる。料金は3ディラム(約40円)。前払い。

乗客はそこそこ多かったが、たいして混雑はしていなかったためあまり気を使う必要はなかった。バスに乗り込んでから10分ほどで、みなバスから降り始める。てっきり目的地であるメディナの入り口まで行くものと思っていたのに、ここで降りるよう言われる。しかも、乗るときに声をかけてくれたおじさんはどっかに行ってしまってすでにいなかった。

着いたところは袋小路のようなところで、周りの建物もそこそこ高いためどっちに行けばどこに出るのかまったく検討がつかない。さてどうしたものかときょろきょろしていたら、若い男性が英語で話しかけてくる。Bab Bou Jeloudに行きたいというと、案内してくれるというような仕草をするので信じてついて行ってみる。

服装などからすると学生か勤め人っぽかったが、どうせ最後にはカネを要求してくるのだろうと思いながら一緒に歩く。途中、どこから来たのか、フランス語はしゃべれるのかといったことを聞かれる。

歩いて10分ほどでメディナの入り口に到着。ここがBab Bou Jeloudだと彼は言う。そして、"Welcome”と握手を求めてきたので握手をすると、そのままメディナの中に消えていった。カネは要求されず。良い人だ。

辺りにはいくつかホテルの看板があり、ヨーロピアンらしい旅行者の集団もいくつか見える。とりあえず看板が出ているところに行って宿代を聞いて回ろうと歩き出すと、10代くらいの男の子が寄ってきて、英語でチープホテルがあるといって案内を始める。適当に無視しながら、近くの宿に寄り、値段を聞く。1軒目は80ディラム(約1200円)。ちと高い。2軒目は案内された宿に行ったが部屋は満室。屋上で雑魚寝もできると行って案内してくれたが、屋上はヨーロピアンでいっぱい。却下。次に同じ男が、メディナの中に70ディラムほどの宿があると言って案内してくれるが、これも一足先にいっぱいになっていた。

なのでメディナの入り口に戻り、ホテルと看板が出ていたところに行ってみる。喫茶店の上にある宿で入り口にいた細身のおじさんに聞くと1泊70ディラム(約1000円)。というので、ここにすることにする。パスポートを見せてチェックイン。

部屋は3階の表通りに面した部屋で、昨日の宿と同じようにベッドと机と洗面所があるだけ。

荷物を置いてさっそくメディナの中を散策。城壁のようなもので囲まれたメディナの中はよく形容されるように迷路のように道がくねくねと曲がっている。アーケード街のように狭い通路の両脇に店が並び、野菜や果物、肉、革製品、銀のようなブリキのような金属製品、服、生地屋などが売られている。店舗を持っていない人も通路で座り込んで売っていたりする。中には羊の頭を売っている人もあり。

これまで中南米で回ってきたまちとは全然違うつくりになっているから、なかなかおもしろい。

その場で絞ってくれるジュース屋があったのでコップ一杯のジュースを頼む。4ディラム(約50円)。チーズやヨーグルトを売っている店もあったので、そこで甘くないヨーグルトを食。ヨーグルトはコップに詰められており、店の前で食べることができる。塩気もすっぱみものない水気の多い豆腐のようなヨーグルトだった。ヨーグルトまたはチーズの上澄み液だけでも売っており、それを飲んでいる人もいる。2ディラム(約25円)。

夕飯代わりにパンに肉などを挟んだサンドを買う。名前はわからない。肉屋の店先で売られていて、他の人が買っていたのを指さして同じものを注文する。注文すると鉄板の上にレバーやもも肉、ソーセージなどとタマネギ、トマトなどを盛り、へらのようなものを使って炒める。そして、それを縁から切り込みを入れてポケットのようにした丸く平べったいパンに詰める。値段は10ディラム(約150円)。パン自体が直径20cmほどあり、その中にぎっしり肉などが詰まっているので、1つ食べると腹いっぱいになる。味も香辛料が効いていて、なかなかおいしい。

メディナを歩いていて辟易するのは、とにかく日本語で話しかけられること。コンニチハ、サヨナラ、ジャッキーチェン、ナメシガワ、テヌリ、ハッパ、クサ(どうもマリファナも簡単に手にはいるよう)などなど。3時間ほど歩いただけでおそらく20人以上に声をかけられた。特に皮をなめしている工場(こうば:あるいは工房)はここの観光スポットになっているため、近くを通ると子どもまでが寄ってきて見ていかないかと言ってくる。中には”Give me money."と言ってくる7~10歳くらいの女の子もあり(ストリートチルドレンではない)。とりあえず今日はパス。

一通りメディナの中を歩く。地図と歩いた感覚とが一致しないのが不思議。宿近くの広場は、道路からメディナ側の部分は洋服の青空市場になっていて、おそらく中古品なのだろう、シャツやズボンが山のように積まれ、それを品定めする人たちであふれていた。

道路を挟んで反対側の広場にはいくつか屋台があり、また猿回しをしているおじさんもいた。そうした芸をやっている周りには人だかりができているのだが、よく見ると集まっているのは男の人ばかり。女の人もふつうに出歩いてはいるし、広場にすわっておしゃべりしていたりするのだが、こういう場には混ざらないことになっている模様。

宿近くのカフェを眺めてみても、カフェでのんびりしているのは男ばかり。女性がいても明らかに旅行者とわかるような人ばかりだった。

20時半ごろ宿に戻る。水シャワーを浴びて休息。外はまだ明るく、あたりからはおしゃべりする声が聞こえてくる。これくらいになると涼しくなるから、こうした時間帯に出かける人が多いようだった。

Fin

2008年9月15日月曜日

[速報]ダルエスサラーム(タンザニア)いり

4時間前にダルエスサラームに入りました。前回の速報ではマラウイ経由でここにくると書きましたが、マラウイ行きのバスにのれず、またこまかくバスを乗り継いでいくのも面倒だったので、タンザン鉄道に乗ってきました。時刻表では昨日の昨日の昼にここにつくはずが、16時間くらい遅れて今朝ついたところです。

中国が作った鉄道ということで枕木には[中華人民共和国]の文字も見え、昨日はキリンやシマウマ、ゾウなども車窓から見えましたね。

明日には船で近くの島ザンジバルにいきます。ここはスパイス貿易や奴隷貿易の一大拠点だったところです。飯のうまい店があると聞いているので、それも楽しみですね。

では。

2008.9.15 8:30
Dar Es Salaam,Tamzania

2008年9月10日水曜日

[速報]ルサカ(ザンビア)いり

いま、ザンビアの首都のルサカです。昨日の晩にジンバブエの首都ハラレをでてさきほど、ここにつきました。

ここは予想以上に都会でした。物価もジンバブエのおよそ3分の1程度で飲み物が安く買うことができるのがうれしいですね。

明日にはここをでてマラウイの首都のリロングウェイにむかいます。当初はここからタンザン鉄道でキリンをみながらタンザニアへと行くつもりでしたが、マラウイはビザ代がいらないためちょっと寄り道しようかと。ま、一番の目的はワニをたべることなんですけど。運がよければかばも食べられるとか。

というわけで、また。

2008.9.10 14:55
Lusaka,Zambia

2008年9月5日金曜日

[速報]ムタレ(ジンバブエ)いり

今日(9/5)の昼にモザンビークから国境をこえてジンバブエに入りました。

今いるまちのムタレはジンバブエで3番目くらいに大きな街ですが、予想していたよりもずっと落ち着いた雰囲気で心地いいです。大統領の強引な政治とそれに伴う深刻なインフレ=経済危機で旅行者ががた減りしているジンバブエですが、今のところ雰囲気はヨハネスよりもいいです。モザンビークではマシンガンを持った警官がまちをうろうろしていましたが、そういう姿はここにはないですし、まちを歩いていれば笑い声などもよく聞こえます。宿を探して歩いている時も親切に教えてくれたし、また歩いていたらよくHelloとかHow are you?って声をかけられます。

インフレで通貨の単位が膨れ上がっていましたが、この8月のあたまにデノミをして100億分の1にきりさげられました。ただ、未だにみんな古い単位で呼んでいて,買い物で使う単位はもっぱらトリリョン(trillion).たしかこれは日本の単位では兆だったと思いますので、4兆ドルなどと言っているわけです。また、古いお札もまだ使われていて、0が12個あったりしてなかなかすごいですね。

ここで泊まる宿が1泊5USドルとこれまで泊まってきたアフリカの宿の平均の半額なので、2泊ほどしたのちに首都のハラレに行きます。

では。

2008.9.5 16;31
Mutare,Zimbabwe


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2008年9月1日月曜日

【速報】マプト(モザンビーク)いり

昨日、午前中にスワジランドのムババネを出て、無事夕方にマプトにつきました。国境でのビザ待ちやここについての宿探しで多少苦労しましたが、まぁ順調ですね。

久しぶりのポルトガル語公用語国なのですが、同程度にしか覚えていないフランス語とごちゃまぜになって、切り替えに苦労しているところです。

ここには高層のアパートなど高い建物がけっこうあるのですが、どれもぼろぼろ。歩道もぼろぼろです。ガーナの方がよほど整備されていますね。

明日にはここを出て、また北に向かいます。
では。

2008.9.1 14:05
Maputo,Mozambique