2009年9月26日土曜日

[diary]暇つぶしの1日

暇つぶしの1日

08/10/17(金) 快晴 40度
[Djibouti Villa:Djibouti]
※レート:1米ドル=175ジプチフラン

昨晩はそれまで泊まっていた部屋ではなく、2人部屋に一人で泊まることになった上、窓があったのでわりかし夜は涼しかった。

しばらく日記書きをする。

それから残金の確認。昨晩ベトナム料理で散財してしまったので、手元に残ったフランはわずか1500フランほど。空港に行くためのタクシー代(バスはない)が1000フランかかるので、使えるカネはほとんど残っていない。もう1泊ぶんの宿代を払うには両替しないといけない。が、飛行機は明日の朝8時発でチェックインは6時。だったら残金も少ないから、今日中に空港に行って夜はそこに泊まろうと思いつく。

フロントに行って空港は24時間開いているか訪ねるが、彼は知らず。

しょうがないのでネット屋に行って調べることにする。今日金曜日は休日のため、いつも使っている日本語が読めるネット屋は休み。だが、別のネット屋が開いていたのでそこで調べる。

空港の寝心地情報が載っているサイトで探すと、寝心地はよくないようだが、夜を明かすことはできたらしいことが書かれている。またその他のホームページから24時間開いていることがわかる。これで今晩の空港泊決定。

なお、このネット屋にはこれまでまちで見ることがなかった東南アジア系の男たち(30~40代と見える)が5人ほどいた。店主との会話からフィリピンから来ているらしいことがわかる。肌の色は日本人と同じ程度。彼らを見て、なぜジプチで盛んに”フィリピノ、フィリピノ”とぼくが呼ばれるのかがわかる。これまで一度もフィリピン人なんて見なかったから、ここの人はフィリピン人を知らないのではないかと思っていたが、違ったようだ。

宿に帰る前に1.5リットルのペットボトルの水を買い(80フラン)、60cmほどの長さの細いフランスパンを2本買う(各25フラン)。

チェックアウト時間の12時まで部屋で今後のルートなどを考えたりする。

夕方まで宿のロビーにいることも可能だったが、どっちにいても同じだろうと思い、チェックアウトすると空港に向かう。道ばたでタクシーを拾う。空港までいくらか聞くと、こっちの希望値を聞いてきたので800フランと言ったが、運転手は1000フランと言って譲らず。

市街地から空港まで6kmほど。途中にはなんじゃこりゃとつぶやきたくなるような豪邸がある一方で、ゴミだらけの空き地やトタン作りの家がある。

10分ほどで空港に到着。入り口を入ったときの印象は、どこかの工場の資材置き場か?というものだった。空港のターミナルビルは3階建てだが小さい。入り口が二つあり、1つは出発者用で1つは到着ロビー兼待合室。出発者用の入り口には、セキュリティが2人ほどいて、次に出る飛行機に乗る人しか入れないようになっている。なので出発者用の入り口ではなく、到着ロビーで時間をつぶすことにする。売店は3つほどあり、ベンチも15人ぶんほどはある。薄型の液晶テレビが壁に設置され、アラビア語の映画が流れている。

ベンチに陣取り本を読んだり、昼寝をしたりして時間をつぶす。ロビー内にはエアコンはついていないので、昼寝をするとじっとりと汗をかき、その暑さで目が覚めるというパターンを繰り返す。
送信者 djibouti


こういうときの時間のたち方は遅い。

到着ロビーには飛行機が到着するその時間だけ人があふれる。あふれると言ってももともとスペースが狭いから20~30人もいればずいぶん賑わっているように感じるだけ。到着する飛行機も数時間に1本なので、基本的にあたりに人はいない。

迎えに来ている人たちの中で目立つのが"US ARMY"と刺繍が入った迷彩服を着ている男女たち。人数にすれば3~4人だが、格好が格好なのでぼくから見れば浮いて見える。フランス軍がジプチに駐屯していることはどこかで読んだが、アメリカ軍がいるのはなぜ?

迎えの並は午後に1回、夕方前に1回あった後は途絶える。

眠気もなくなったので、ぼくは日本から持ってきた岩波文庫版の『コーラン 上』を読んでみる。イスラム教の聖典ということでどんな難しいことが書いてあるかと思いきや、半分近くまで読んだ限りでは色即是空や空即是色なんていうような話はなく、なんだかあまりありがたみのない話ばかり。”自分(アッラー)を信仰せよ、さもなくば地獄に落ちるだろう”的な、これはただの脅迫じゃないかと思えるような部分も多いし、信仰しない人たちへの辛辣な言葉も多い。

しかも前提としているのは男のみで女はコーランの読者として前提としていないように思える。もっとも神は男を女よりも上のものとして創ったなどと書いてあるから、それも当然なのかもしれない。

おもしろかったのがキリスト教やユダヤ教徒の関係。エルサレムがこれらの共通の神聖な場所だというのは知っていたが、イスラム教からするとこれら2つをまとめあげたのがイスラム教であるという立場を取っているらしい。コーランにもモーゼとかイエスとか、マリアも出てくるのが意外だった。

それからお祈りをする際の方向が、当初はエルサレムの方向だったのが、ユダヤ教との対立が強くなったことでメッカ(マッカ)の方角になったというのも印象的。なんだかおもしろい。非常に人間的。

それにしてもイスラムも含め現代の一神教を信じている人たちは、科学とはどう折り合いをつけているのだろうか。コーランによればアッラー(アッラーは英語で言えばThe God。神という単語に冠詞が付いたアラビア語)が「在れ」と言えばなんでも創ることができるらしいが、科学技術で作られているものは、それらを活用しているだけで何も創造していないというような理解の仕方なのだろうか? でも進化の考え方もあるし。イスラム国での科学(理科)教育がどうなっているのか気になる。

22時過ぎ、また1台の飛行機が到着。到着ロビーが賑わう。その後は、人は誰もいなくなり、ロビーにはぼくだけ。銃を持った警備員だけが時折見回りに来る。

一度警備員にパスポートと飛行機のチケットのチェックを受けたが、追い出されることはなかった。

Fin

0 件のコメント: