2009年9月17日木曜日

[diary]アディスアベバからデレダワへ

アディスアベバからデレダワへ

08/10/11(土) 晴れ、ときどき小雨
[Addis Ababa→Diredawa:Ethiopia]

夜中の2時頃、一時目覚める。
また寝る。

4時、携帯のアラームで目を覚ます。廊下を歩く人の足音、話し声が聞こえる。

モヤレと違って、この時間でも部屋の電気はついた。荷支度をして部屋を出る。さすがに外は冷える。20度は切っているだろう。

24時間オープンの受付には若い女性がいた。彼女にキーを返し、チェックアウト。昨日、4時半に予約しておいたタクシーはきちんと来ていた。タクシーに乗り込み、運転手に近くのバロホテルに寄ってもらうよう伝える。

ホテルの門を出る。日中はそこここに座り込んで物乞いしている人たちがいるのだが、この時間にはその人たちの姿はない。一方通行のためバロホテルまではだいぶ遠回りをした。友達連れなのか、歩いている人が数人おり、また真っ暗な中で営業している路上のお菓子売りもいる。銀行の入り口の軒先で寝ている女性や5人ほどで固まっておしゃべりしているストリートチルドレンなども見える。

バロホテルの門は閉じられていたため、ドンドンと門を叩く。中から守衛らしき男が出てきたので、中に入れてもらい、一緒にバスステーションまで行く日本人旅行者の部屋に行き、ノックする。今、起きたばかりだと言うので、しばらく待つ。

4時35分頃、バロホテル前を出発。バスステーションまでは日中と違って道が空いていたので10分ほどで着いた。宿周辺と違って、バスステーションのまわりはすでに活気がある。バスに乗ろうという客と、そうした客を狙った物売りの人たち。バスステーションの入り口を入ると、バスの客引きたちが待ちかまえていて、バスの行き先を大きな声で叫んでいる。

その入り口のところにはバスの客引きの他にバスステーションの整理員のような人もいたので、その人にデレダワに行きたいと伝えると、腕をつかみ案内してくれる。同時にバスの客引きもぼくの腕を握り、自分のバスへと連れていこうとする。それを見た整理員は、その客引きをど突き、アムハラ語でその客引きに文句を言い、そういったことをやめるように言う。ぼくの周りには整理員の他にそうしたバスの客引きが総勢6人ほど。それぞれがああだこうだと言ってやかましい。うっとおしい。

バスが並んでいるところまで連れて行かれたところで、整理員のあんちゃんに、ここの3台がデレダワに行くからいいバスを自分で選んで乗るといいと言われる。良いバスを選んでと言っても、どれも似たようなバスで値段も同じ程度だから選びようがない。客引きに囲まれているのが一番うっとおしいので、とりあえず一番近くのバスに乗り込んでしまう。

ここで一緒に来た日本人旅行者とはお別れ。

バスに乗り込んだのが、5時前。まだ外は真っ暗。車内で座っていたらチケット売りのにいちゃんがまわってきたので、チケットを買う。74ブル(約740円)。

車内にはすでに10人くらい客がいた。続々と客は乗り込んでくる。あちこちからなにやら言い合いしている声が聞こえてくる。

1時間ほどしてやっと落ち着く。席もほぼ埋まってしまう。バスのエンジンがかかるが、すぐには出ない。
送信者 ethiopiq



空が明るくなり始めた6時半前にバスは動き出す。入り口を出て、幹線道路を走る。窓から外を眺めていると、道ばたのちょっとしたスペースで腹筋のトレーニングをしている若い男2人やランニングしている若い女性を見かける。みなオリンピックを目指しているのだろうか。

バスが走り出し、日が昇ったら、太陽の当たる側に座っていたこともあり、ぽかぽかして眠くなる。寝る。

道は基本的に舗装されているが、たまに舗装がはげているところなどを通るので、そういうところではみな一斉に跳ね上がったりする。

9時頃、バスは何もない原っぱの前で停車。トイレ休憩らしい。乗客は三々五々バスを降り、原っぱの各所で立ち小便、座り小便をしている。ぼくは車内に残ったまま。

15分ほどでまたバスは走り出す。

アディスアベバからだんだんと高度が下がっているようで、気圧の変化に敏感なぼくの耳はちとおかしい状態になる。

車窓からは幾重もの山並みが見えるのだが、どの山も木が少ない。てっぺん近くまで耕されている山もあるが、家の数だけ見れば、それほど多くの人が住んでいるようには見えない。なのに山には木がない。これではちょっと雨が降らなければあっと言う間に水が枯れるだろう。
送信者 ethiopiq


しばらく走って見えてきた家々は、円形の土壁に円錐系の藁屋根というスタイルの家。こういう形の家は西アフリカでもモザンビークでもザンビアでも見たが、ちょっと違うのがその屋根の頂点が鋭く高くとがっていること。構造上の必要からそうなっているのか、ただのデザインなのか?

ただそうした家は割合から言えば少ない。たいていは長方形(直方体)の土壁にトタン屋根というスタイルが多い。

牛の群について歩いている人や薪を頭に載せて歩いている人をしばしば見る。

11時半頃、どこかのまちのメインロードにバスは止まり、そこで昼食休憩。例のごとくバスから降りると、人々の視線が集まり、子どもらは何か変わったものがいるというように指さしながらお互い知らせ合い、ぼくの方を見る。
送信者 ethiopiq



ぼくは道ばたで売っていたおばさんからバナナを1本買う。値段は2本1ブル(約10円)。そのほか、茶なども道ばたで飲めるようだったが、用心して飲まず。

たいして大きい町だとは思えないこんなまちにも物乞いはたくさんいるようで、次々とカネを乞う人がまわってくる。年輩の女性が多い。掌だけで両手の指がない女性も2人ほど。明らかに路上生活をしていると思われる10歳過ぎくらいの少年が2人ほど。どうせエチオピアをもう出るからと思い、たまっていた小銭をまわってきた人等に少しずつやる。
送信者 ethiopiq



30分ほどで休憩は終わり。バスに乗り込む。バスに乗り込んでからも、誰かから話を聞きつけたのか、一人のおばさんがカネをくれとやってくる。ぼくは出入り口の階段横の席に座っていたのだが、おばさんはぼくの足を何度もポンポンと叩き、アムハラ語なのかローカル言葉でなにやら言う。コインはすでになくなっていたので、もうやるつもりはなかったが、しつこいので、1ブル札(約10円)を渡すとあからさまに嬉しそうな顔をして、右手を天に突き上げなにやら言う。もちろん言葉はわからない。

ちなみにバスが止まる先々でこれだけ物乞いが集まってくるのは、東・南アフリカではエチオピアが初めて。西アフリカでは、マリで主にストリートチルドレンが停まる先々で物乞いしていたが、エチオピアは年輩女性と子どもと両方。植民地化されることなく、独立を維持して来たアフリカの唯一の国が、植民地化されていた国々よりも一見すると貧しいのはなぜか? なぜ80年代にあれだけの餓死者を出しながら、またも同じようなことを繰り返しているのか? 今年の餓死の発生は、人間の力では克服できないほどの干魃によるものなのか、それとも人為的なものだったのか?

うとうとしながらそういうことを思う。

徐々に高度が下がってきているらしく、空気もだんだんとぬるくなってくる。

15時頃、ハラールとデレダワとの分岐点に到達し、バスは左へ旋回。そこから1時間ほどでデレダワに着く。

"Welcome to Diredawa"と書かれたコカ・コーラの看板が見え、予想外に整備されたコンクリートづくりの町並みが現れる。ごみもたいして落ちていなく、全体的にきれい。

やがてバスステーションに到着。例のごとく敷地だけは広いが閑散としているただの駐車場スタイルのバスステーション。バスから降り、リュックを受け取る。これまた例のごとく荷物を屋根から下ろしてやったからとバスステーションに控えていたおっさんから2ブル(約20円)請求される。まったく気楽な仕事だ。

リュックを受け取り、タクシーの客引き2名ほどを無視して、とりあえずバスステーションを出る。出たところにバスステーションの警備員のような人が銃を持って居たので、その人にジプチ行きのバスに乗りたいのだがと訪ねる。

すると英語が通じ、彼は遠いから三輪タクシーに乗っていけと言う。バスステーションの出口の所に数台青色の車体の三輪バイクタクシーがおり、そのうちの一台を彼が呼び、行き先を告げる。値段を聞いてみると15ブル(約150円)。ちと高いなと思ったが、どちらにしろ場所がわからないので、乗ることに。

三輪バイクタクシーのおじさんは、多少英語を話した。ジプチに行くことを知ると「Have you passport?」と英語としては不正確な言い方で聞いてくる。

想像していたよりもジプチ行きのバス乗り場は遠かった。バスステーションを出て、まちなかを通り、鉄道駅を正面に右に曲がり、さらに行くと今度は雑然とした地帯に入る。

右手には木材を組み合わせただけの簡易屋台が広がり、服が山積みにされて売られている。馬車が通り、ロバや山羊が道の端を歩く。

道の両脇には商店が立ち並び、歩道にはドーナツのような揚げ物を売る人や嗜好品の草(カート)や歯ブラシ代わりの木の枝を売る人、パッションフルーツや柑橘類(晩柑みたいなの)を売る人などが座り込んで商売している。
送信者 ethiopiq


その通りを行くと右手に手書きのバスの絵が買かれた看板が見え、その前で降ろされる。そこがジプチ行きのバスを出している会社のオフィスらしい。

オフィスの入り口向かって左側には、6畳ぶんほどテントが張られ、その下に荷物と一緒におばちゃんが数名座っている。バスを待っている客なのかどうかは不明。

バス会社のオフィスは他の店と同様8畳ほどの広さがあるコンクリート打ちの部屋。入り口から入ると木製の机があり、そこに人が居た。

ジプチに行きたいというと、机にいた若い兄ちゃんは英語を解し、日にちを確認し、すぐにチケットを作ってくれる。たいていこうしたバス会社の人間は態度がでかいのだが、ここのあんちゃんはにこやかで対応も丁寧。

何時にここに来ればいいのかと彼に聞くと、「3a.m.」と紙に書いて「not Ethiopian time,Europian time」と付け加える。三輪タクシーのおじさんは、ここまでの移動中にバスは明日なら「3 evening」に出ると言っていた。だから、明日はバスが出るまでゆっくりできなと思っていたら、これだ。やはり当てにならない。まあ、ただ英語を間違えていただけかもしれないが、それにしても当てにならない。

チケットを受け取り、その彼に近くにホテルがないか訪ねる。すぐに近くにあるらしい。夜中なので、宿は取らずにここのオフィスに荷物を預けて、バスの時間まで待つことも考えたが、どうも軽い頭痛がするので一休みするためにも、宿をとることにした。

三輪タクシーに乗ってホテルまで連れていってもらう。受付で宿代を聞くと100ブル(約1100円)。高い。が、近くには他に宿がないようなので、渋々ここに泊まることにする。

部屋は値段の通りしっかりしていて、きれい。天井には扇風機もついている。蒸し暑くなってきたので、扇風機を付けてみると、長く使っていなかったのか、オーオー、落ちてくるわ、虫の死骸やごみやほこりが・・・。さすがエチオピア、アフリカ。

今日は朝から何も食べていなかったので、ちょっと外に出て、簡単に食べられそうなものを探す。三角形の揚げ物があったので、別々のおばさんから2回買う。一つの店では1ブル(約10円)で2個買え、もう一つでは同じ値段で3つ買えた。大きさは親指と人差し指で輪を作ったときの内側の円程度。小さい。中はアジスアベバで食べたときと同じで、小さな緑豆(?)とネギが入っていて、ちょっと納豆巻きっぽくてなかなかうまい。
送信者 ethiopiq


ネット屋があったので、もぐもぐしながら、そのネット屋でネットをしてみる。ここも1分0.2ブル(約2円)。パソコンは10台ほどあって、ほとんどが埋まっている。それぞれの画面を見てみるとホットメールやMSNのチャットをやっている人が多い。みな男。

ぼくは電源が付いていなかったパソコンに案内され、電源を入れるからしばらく待てと言われる。コンセントを指し、電源をオンにしてから立ち上がるまでに20分。スピードはやはり遅い。日本語は読めなかったので5分で切り上げる。

それからさっき三輪タクシーで通ってきた商店街を歩いてまわる。服屋、布屋、薬屋、板金屋、食料品店が軒を連ね、路上ではキャベツやタマネギ、人参などを売っているおばさんたちがいる。

路上でものを売っている人の中に、小型のサータアンダギーのようなドーナツを売っている人がいたので、そこでそれを買う。アムハラ語で数字だけ伝え、小さな球型ドーナツを2ブルぶん、大きめの球型ドーナツを2ブル(約20円)ぶん買う。小さい方は甘みがあるのだが、大きい方は甘くない。

歩いていると子どもが手を振ってきたりする。物を売っている女性たちがホレホレと指さしぼくが歩いているのを教え合ったりしているのも見える。

毛布屋の前を通る。毛布屋にはUNHCRと青字入った白地のビニールシートがあった。そのシートは何枚もあったので、売られている毛布はUNHCRからの流れ物なのかもしれない。

レストランはあったものの、屋台はなく、かるく食べられそうな物もこれまで買った揚げ物くらいしかないようだったので、暗くなる前に宿に戻る。

せっかくなのでシャワーを浴びる。石鹸とタオルとトイレットペーパーも付いていたので、タオルは残してあとはもらっていくことにする。

軽い頭痛があるため、携帯を2時半にセットし、しばし休息。

Fin

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