2009年9月29日火曜日

[diary]ジプチからイエメンへ

ジプチからイエメンへ

08/10/18(土) 晴れ 涼しい
[Djiboti Villa:Djibouti→Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・蚊との闘い
・ジプチを出国
・慌ただしいフライト
・イエメン入国、すずしい!
・アラビア半島”最貧国”の首都
・オマーン大使館
・ポパイな人たち

ジプチ国際空港。夜中の0時過ぎ。イエメン行きの飛行機が朝早かったこととジブチの宿が高い(約2500円もする!)ので、昨日の午後に空港に来てからずっと空港で過ごしていた。当然、宵越しも空港で。

4席並んでいるベンチに横になる。エアコンも何もないが、常に汗が流れ出るほど暑くはないが、眠るのに心地よいほどの涼しさでもない。


眠りをさまたげるのは、どこからともなく現れる蚊。入り口のドアからは20mほど距離があるのだが、やはり人間のにおいを嗅ぎつけてか蚊がやってくる。最初はまわりにいたのが2匹ほどだったので、成敗してから寝ていたのだが、成敗しても2~3匹単位でまた新たな蚊が現れる。

長袖に長ズボン、靴下という格好で寝ていたから刺されるのは決まって手。手の甲や手首あたりを刺される。成敗するのも面倒になったので、蚊取り線香を炊くがあまり効き目なし。しょうがないので最後は蚊帳を投入する。それまでに10カ所近くやられる。

そうした蚊との格闘があったり、ベンチもゆっくり眠るには窮屈だったりということもあり、あまり眠れず。

朝5時頃、人の足音で目が覚める。周りを見ると乗客らしい人たちが3人ほどいてベンチでおしゃべりをしていた。

ぼくも起きだし、蚊帳を片づけ、荷物の整理をする。

6時になったところで隣の搭乗者用の入り口に行き、セキュリティチェックを受けてからチェックイン。搭乗券をもらい、出国手続きに移る。

出国カードをチェックインカウンターでもらったので、それを記入し、パスポートとともに提出。出国カードはフランス語とアラビア語の併記だったのだが、一部わからないところがあったので空欄のまま出したところ、窓口の男性が書き込んでくれる。質問等は特になし。搭乗券とパスポートにダンダンとスタンプが押されて帰ってくる。

階段をのぼり、2階の搭乗ロビーに行く。朝早いためだろう、売店も何も開いていない。コンセントがあったのでその近くの机でしばらく日記書き。

作業をしていると搭乗ゲートに入っていく人たちが見えたのでぼくもそちらに移動。荷物チェックを受けてから待合室に入る。

ふとチケットを改めて見ると座席番号がない。スタッフの人に聞いてみたらどこでも座っていいと言う。飛行機で座席指定がないなんて初めて。

7時半。ベンチに座ってまた書きものをしていたら搭乗が始まる。あっと言う間に列ができ、片づけをしたりしていたぼくは一番最後になる。窓際に座りたかったのにこれでは席取りゲームに負けてしまうな、と思いながら窓の外を見ると、バスがやってくる。どうやら飛行機まではバスで行くらしい。これだったら勝機あり。

バスに最後に乗りこみ、ドア際に立つ。バスはゆっくりと発車し、2分ほどで飛行機の階段前に到着。ぼくが立っていた側のドアが開き、見事にすぐそこが飛行機へとつながる階段の登り口だったので、ねらい通りに一番に飛行機に乗り込めた。

安いイエメン航空ということでちょっとぼろい飛行機を予想していたのだが、なんのなんの十分にきれい。フライトアテンダントの格好もイスラム以外の国と変わらない。女性も普通に髪を出している。

一番乗りということで窓際の席が取れるなと意気揚々と飛行機に乗り込んでみたものの、なんとすでにたくさんの乗客がいた。どうやらエチオピアかどこかが初発地でここは経由地だったよう。当然、窓際の席はほぼ埋まっている。なんとか空いているところをみつけて座席は確保できたものの主翼の根本。窓から外を見てみるが、あまり視界は良くない。それに大変問題なことに窓ガラスには猫がひっかいたような傷が無数にある。美しくない。

飛行機は予定時間よりも少し早く7時55分に離陸。客室正面にあるスクリーンには飛行機の速度や外気温、離陸してからの時間などが飛行地図と一緒に映し出される。離陸後はすぐに雲の上に出てしまったため眼下は白いだけ。紅海がきれいに見えるかと期待していたのだが、見えずじまいだった。

無事、離陸をすると機内はにわかに慌ただしくなる。客室乗務員が食事の準備を始めたよう。1時間のフライトなので飲み物くらいしか出ないだろうと思っていたので嬉しくなる。

朝食の入ったプラスチックの容器と飲み物が配られる。食事はチーズのみのサンドイッチ2個とクロワッサンのようなパン2個。

ぼくのもとに食事が届いたのは離陸してから24分後。着陸まであと30分ちょっとしかない。着陸態勢に入ることを考えればのんびり飯が食えるのは実質20分ほどか。

客室乗務員は乗客全員に配り終えた後、すぐにごみの回収を始める。行動が早い。

ぼくのところには離陸後36分後に回収にくる。そうしている間にも雲の中に突入して、シートベルトのランプが付く。スクリーンに映し出されている高度が下がり始めたからすでに着陸に向けて下降し始めたよう。

雲を抜けると眼下にアラビア半島が見える。紅海も見えた。眼下にはベージュの木のない山々が見える。とにかく緑がない。そのうちちょろちょろ人家が見える。急峻そうな山の上の方に集落が見えるので、そこの人たちはどうやって水を得ているのかと不思議に思う。それからグランドキャニオンに似たような大地がボロボロと欠けた渓谷も見える。

しばらくすると突然大量の人家が眼下に見える。隣に座っていた学生という若い男がサナアだと教えてくれる。

これから着陸という頃になって、腹が少し膨れたせいかうとうと眠くなり、気が付けば着陸していた。創造していたよりも空港は立派。

着陸したのがぼくの時計で8時45分。機体から出ると外はひんやりしていた。心地よい涼しさ。
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またバスに乗って空港に移動。そして入国審査。ビザはすでに取っていたのですぐにイミグレへ。たいした質問もなくになんなく通過。

空港内の両替屋で両替をする。1米ドル=199イエメンリアル、1ユーロ=260イエメンリアル。米ドルの細かいのがなかったので20ユーロ札を両替。

荷物もすぐに出てきてさっさと空港を出ることができる。

空港を出るとタクシーの客引きがいたが、1度断るとあとは何もなし。しつこくない。

駐車場を挟んで向こう側の道路を市内に行くミニバスが走っているとガイドブックにあったので、そちらに行く。

ちょうどミニバスがやってきたので、ハサバ(地名)?と行き先を確認し、それに乗る。ここのミニバスはダッバーブと呼ばれている。やはりトヨタのワゴン。運転手も客もターバンを頭に巻いている。道路はよく整備されていてアスファルトの表面もそれほど悪くなっていない。

道路沿いにはいくつか店が並び、その後ろの方に家が見える。遺跡のようなベージュ色の石組の四角い家々。店の看板もアラビア文字ばかり。ジプチもアラビア語が公用語だったが、店の看板はフランス語だったのでそれほどアラブの国という雰囲気はなかった。

驚いたのが男の人の大半が腰(へそのあたり)に帯刀していること。ジャンビーヤというらしいが、アラビアの半月刀をベルトと腹の間に差している。刀が本物なのかはわからない。女性も黒いブルカを着ている人がほとんど。洋服はみないし、ジプチやモロッコのように色鮮やかなスカーフをまとっている人も見ない。

服装といい、町並みといいすっかり別世界に来た印象を受ける。

30分ほどで乗り換え地点のハサバに着く。運転手に適当に代金を払うとガイドブックにあった通りの運賃を徴収してお釣りをくれた。何かとごまかそうとしていたジプチとは大違いだ。

さて、ミニバスがたくさん停まっている地帯に着いたのだが、市街地に行く車がどれなのかがわからない。なので同じ車に乗っていた背広姿の男性に宿があるタハリール(広場の名前)に行きたいと英語で言うと、”タハリール”が通じたようでその車の乗り場まで案内してくれることになる。
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乗り場は降りた未舗装の道をまっすぐ行ってぶつかった道路沿いにあり、そこにはまたたくさんの車が停まっていた。そこまで歩いて3分足らず。そのおじさんもはっきり知っていたわけではなかったようで、何人かの人に聞いてタハリール行きの車の乗り場を突き止めてくれる。そして、アラビア語でいろいろ説明してくれるのだが、まったくわからない。

とにかく言われたところで待っていたらミニバスがやってくる。運転手に聞くとタハリール行きだと言う。さぁ、乗り込もうとしたら空っぽで到着したにも関わらず、一瞬で満席になってしまい、乗れず。今度のミニバスは軽自動車のワゴン。これは初めて。なので座席が助手席をのぞけば6つしかない。そのためかタハリールに行くらしい人は、車が止まる前から待ちかまえていて、停まった瞬間に一斉に乗り込む。

車に乗れずにありゃりゃと思っていたら、次々と同じ方面行きの車がやってきて、周りにいた人もあれだあれだと指さして教えてくれる。なので、待つこともなく別の車に乗ることができた。

後部の向かい合いの6人座席のドア際に座ったのだが、ドアは閉まらないようになっている。それいてカーブもたいしてスピードを落とさないから、ドアの外へと飛び出しそうになる。クラクションが盛んに鳴り響き、隙間があればどんどん車が入ってくる。なかなか荒い。

外を眺めていたら向かいに座っている30代くらいの男が英語でどこから来たのかと聞いてくる。日本からと言うとたぶん予想が外れたのだろう、ふうんという顔をして「Thank you」と礼を言う。なかなか礼儀正しい。これには驚く。

だんだんと建物が建て詰まった地帯に入っていき、20分ほどで終点に到着。地図で見るよりも小さな広場(というかバス乗り場)だったので念のため運転手に確認するとタハリールだと言う。

車を降りて端の方に行くと食い物を売っている人たちがいた。男ばかり。女性はいない。ゆで卵を売っているおじいさんがいたので、そこでゆで卵を1個買う。15リアル(約8円)。おもしろいのが4種類ほどの香辛料が用意されていて、それを付けて食べることができるようになっている。

そばにいた少年がにこやかに話しかけてくるが、まったく言葉がわからない。

道を聞こうにもそれすらもアラビア語で覚えていなかったのでガイドブックを頼りに歩く。が、どうも違う。そうしてふらふらしていたら英語で話しかけてくる男性がいた。彼に行きたい場所を言うと英語で教えてくれる。

教えてもらった通りに行くと確かにその通りだった。バスが止まったのはタハリール広場そのものではなかった。

広場から歩いて3分ほどのところが泊まる予定の宿。日本語の情報ノートがある宿で、道ばたには日本語の看板が出ていた。

通りからちょっと奥まった建物の2階にあがる。そこが受付。ソファには日本人旅行者が2人いた。部屋の値段を聞くと1000イエメンリアル。800リアルのシングルは満室という。さっそくその部屋を案内してもらう。変わった作りの建物で階段の方向がいろいろある。これがイエメン式の建物のよう。

部屋は10畳ほどある広い部屋でベッドが2つにテレビ、タンスもある。通りに面した部屋で窓からはその通りの様子がうかがえる。なかなかよろしい。
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部屋に荷物を置いてから受付のロビーで情報ノートを閲覧。めぼしい情報は大してなかったが、サナアからサユーン行きのバスには現在外国人は乗れない(チケットを売ってくれない)ということになっているという情報は大きかった。しかし肝心のパーミットをとる場所が書かれていない。あとオマーン大使館の位置も書かれていない。

情報ノートを見ながら2人の日本人とちょっとしゃべる。1人は中東に半年いるという人だった。

時間はまだ11時すぎ。オマーンのビザを今日中に申請できればと思い、近くのネット屋に行ってサナアのオマーン大使館の位置をグーグルマップなどで調べる。

そして歩いてオマーン大使館へ。

アラビア半島ではイエメンは最貧国だなんてどこかで読んでいたので、どんなに貧しい首都かと思っていたのだが、これが予想以上に大都市だった。ぼくの感覚から言うと、アフリカでここまで整備され、かつ店が多いまちはあまりない。アディスアベバやダルエスサラーム、ナイロビよりも大きいように感じる。

店の中で目立つのがフルーツジュース屋。軒先にみかんやショウガなどをぶら下げ、カウンターには数種類のジュースがミキサーに入った状態で置かれている。それからイエメン(アラブ)らしい店が香辛料屋やイスラム服屋やジャンビーヤ(アラビア刀)屋、それから看板に「Honey」と書いた蜂蜜を使ったお菓子屋など。コーヒーモカマタリの国ではあるが、コーヒーの専門店は見ない。

道ばたで物乞いしている人は少ないが、それでもちらほらと見る。その中には頭からブルカを着た女性も多い。子どもを抱えている人もいる。片道2車線ある大きな通りの交差点では赤信号の時に停まった車の間をまわりティッシュやペットボトルの水、子供用のおもちゃ、音楽CDなどを売っている人たちがいたのだが、おじさんや少年に混じってブルカを着た少女も1人いた。
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きょろきょろしながら歩いていたが、なかなか目的地に着かない。ガイドブックの地図は道路名が大ざっぱにしか載っていないためわかりにくい。そんなこんなでふらついていたら目安にしていた通りにたどり着く。そこを歩いていたとき、ぼくが気づかずに1片の紙を落としたのを見ていた通りがかりの白人男性がそれを教えてくれる。英語だったのでこれ幸いと英語でオマーン大使館の位置を訪ねてみると、近くだと言って行き方を教えてくれた。

しかし、彼の説明は後に間違っていたことが判明する。それから3~4人の人に聞きながらなんとか大使館に到着。アラビア語だと大使館という言葉もぜんぜん違う音になるので、ガイドブックにあるオマーンの旗を見せるとみんなわかってくれた。

オマーン大使館は門の脇にビザ申請用の小部屋の入り口があってノーチェックでそこに入れる。

窓口のおじさんは英語を解す。ビザがほしいというと国境で取ったらどうかと言われるが、国境の人が英語がわかるかどうかが不安のためここで取りたいと言うと21米ドルとパスポート用の写真1枚、パスポートのコピーなど必要なものを教えてくれる。例のごとくぼくは1米ドル札を持っていないのでリアルで払えないか聞いたがダメとのこと。翌日出直すことにする。

13時を過ぎていたので近くの食堂で飯を食う。これがおもしろい飯屋で石焼きビビンバのような料理を出している。タイル張りの店内の端に調理場があり、そこではガスバーナーがゴーゴーと火を噴き、その火の中に石焼きビビンバで使われるような石釜(石鍋)が置かれていた。
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英語ができる客に助けられてなんとか注文する。10分ほど待ってじゅうじゅうはじける音とともに釜が目の前に到着。中を覗くと卵を入れたお粥のように見えた。ここに主食のパン(インドのナンのようなもの)を付けて食べる。店の入り口でブルカを着た女性が売っていた円形のナンを買ったのだが、これが直径80cmくらいある。これを釜の中の具に浸けて食べる。
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お粥のように見えたものは、実際にはジャガイモを細かくしたものや肉を細かく切ったものなどいろいろ入っている。味は親子丼の具の味に近い。辛くはない。

この釜の他にテーブルにはインド料理で使われるカレーを入れる容器に透明のスープが入れられたものが2杯分配られる。食べていたら隣のおじさんが、このスープを釜の中に入れるよう教えてくれる。どうやら焦げ付き防止用にこのスープを使うらしい。

ナンがでかいこともあってすっかり満腹になる。値段は700リアル(約350円)。意外に高い。飯はエチオピアの方が安いかもしれない。

それからぶらぶら歩いて宿の方面に向かう。商店がたくさんある通りを適当に歩いていたら道が違ったようで行きたいところにたどりつかない。しょうがないので店で道を聞いて教えてもらう。

午後になったからか路上でカート(見た目は若い木の枝。噛んでいると覚醒作用があるらしい)を噛んでいる男たちを多数見る。片方の頬に文字通り頬張っておりさながらポパイのよう。店の中でも店主らが噛んでいる。

ぶらぶらと歩いて戻り、もう一度ネット屋に行く。暗くなって以降もちらっとふらつく。スカーフなどを売っている店で買い物。タハリール広場周辺の道ばたにはスリッパや靴下、下着、コート、雑誌を売る人がたくさんいる。表の通りから一本入った通りには食堂がたくさんあり、大勢の人で賑わっている。

ちょろちょろと買い食いしていたせいか腹が減らず、そのまま部屋に戻る。部屋に戻ってからジーパンの洗濯をする。その後は日記書きなどをしているうちに就寝。

Fin

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