2009年9月30日水曜日

[diary]オマーンビザを取得、オールドサナア

オマーンビザを取得、オールドサナア

08/10/19(日) 晴れ 涼しい 20~25度
[Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・オマーンビザ申請&取得
・ガムテープ
・飛行機のチケット調べ
・サウジアラビア大使館へ
・イエメンブックショップを探して
・オールドサナアをぶらり

久しぶりに熟睡。サナアの夜は涼しくてよろしい。エチオピアのように虫さされもなし。蚊もいない。

ジーパンは一晩で乾いていた。おそるべしサナアの乾燥度。ちなみに手持ちの温度・湿度計では朝の気温22度。湿度は3%ほど。温度は合っていると思うが湿度が信じられない。

8時過ぎに宿をでて、オマーン大使館に向かう。外は風が若干あることもあって、部屋にいたときよりも冷える。この時間、開いている店はまだまだ少なく、道路を走る車も少ない。

歩いて20分ほどでオマーン大使館に到着。ビザを申請する小部屋に入ると昨日とは違う若い男性の担当官が窓口にいて、アラビア語で話しかけてくる。聞き返すと英語でアラビア語はできないのかと訪ねてくる。

ビザがほしいというと、A5程度の小さな記入用紙をくれる。それを記入。そして、パスポートのコピー1枚と証明写真1枚、21米ドルをパスポートと一緒に提出。てっきりその場で発給してくれると思っていたのだが、受け取りは12時半とのこと。なので、それまであたりをふらつくことにする。

ふらふらと歩いていると文房具屋を発見。2階建てのビルで品ぞろえも豊富。計算機と手帳をなくしたので、ここで買うことにする。計算機はカシオばかり。300リアル(約150円)からある。が、安いのは電池のみ。太陽光パネルがついているものは500(約250円リアル)以上する。

店内を見て回ると目に付くのが漢字。中国からの輸入品がだいぶある。他にハングル文字が入った消しゴムやドイツ語が書かれたノートもある。

驚いたのはガムテープがあったこと。これまで中南米、アフリカとちらちらとガムテープがないか見ていたのだが、いっさい見ることがなかった。あるのはビニールテープ(セロテープ)の大型版(ガムテープサイズ)ばかりで紙製や布製のガムテープは見たことがなかった。だからガムテープは日本だけで流通しているものかと思っていたのだが、ここで発見。ガムテープの包装ビニールには日本語の文字が入っている。

それからポケットサイズの手帳をここで調達。レバノン製で良さそうなものがあったので、これを購入。他にサイズが違うのを2つ。計3種類の手帳を書う。それぞれ25リアル(約15円)、80リアル(約40円)、150リアル(約75円)。

それから通りがかりの小さな食堂的カフェで朝食。小さく薄っぺらいナンを揚げたもの2つとチャイを1杯。揚げたものは甘みのないドーナツのような味。チャイは例のごとく甘い。ショウガは入っていないのか、ぜんぜんその味はしない。こうした揚げパンとチャイを食べさせる店がちょこちょこあり、どこもそこそこ客が入っていた。

その後、大きな通りに出て、その通りを見学。旅行代理店がたくさんあったので、そのうちの1軒で飛行機代を調べる。サナアからエジプトのカイロへは片道235米ドル、ドバイからカイロへは200米ドルとのこと。

それからスーパーマーケットがあったので、見学。品ぞろえは豊富。冷蔵庫も冷凍庫もちゃんと動いている。コーヒーの棚は6~7割方がネスカフェの商品で、イエメン産のコーヒーは5段ほどある棚の一番下に陳列されていた。米はインドからのものが大量に売られていた。

その後、ふと思いついてサウジアラビア大使館に行く。スーパーマーケットから歩いて20分ほど。サウジの大使館はオマーンのそれと違ってでかく、物々しかった。3mほどの壁の上にさらに有刺鉄線が張り巡らされており、入り口付近には迷彩服を着た兵士が5人ほど。連射砲(マシンガンの大きなやつ)が備え付けられたジープが2台道路に面して止められており、それぞれに兵士がついている。

門の近くに行くと迷彩服を着た一人の兵士(なのか警察なのかはわからない)が笑顔で寄ってきて、用件はなんなのかと片言英語で聞いてくる。ビザがほしいというと、今日はもう終わったから明日の8時に出直して来るように言われる。時計を見ると12時をすぎようとしているところだった。

ビザの受取時間が近くなったので、再びオマーン大使館へ。

12時半に大使館に着いたのだが、窓口の人はしばらく待つよう合図をしてくる。しょうがないので椅子に座って待つ。テーブルの上に雑誌が数冊置かれてあって、うち1冊が『Yemen Today』という英語雑誌だったので、それをぱらぱら見る。アバヤ(ブルカ)のデザイン競争の話やジプチからイエメンに橋をかけようというプロジェクトの話などが書かれている。

中でも目を引いたのがYemen Bookshopに関する記事。この本屋のオーナーは20代だかでYemen Bookshopという輸入本を売る本屋を始めたらしい。イエメンに外国の本を紹介することで、もっとこの国の人に世界のことを知ってほしいというのが狙いだったよう。彼は、そのことでイギリスのアントレプレナー(起業家)に関する賞をもらったらしい。その記事の中で彼は、昨年?(In the past year)、中東全体で出版された本の点数は5000点でイギリスのそれは10万7千点だったという数字を挙げ、もっと様々な本を人々が読んでほしいというようなことを語っていた。出版点数が中東全体で5000点というのは驚き。

結局、パスポートを受け取ったのは13時。ビザがアラビア語だけでかかれていたので、窓口の人に有効期間を念のため確認する。1ヶ月有効とのこと。

それから中心部に向かって歩く。途中で昼飯。タイル張りの10畳ほどの小さな食堂。入り口でぶつ切りにした魚を揚げていたので、それを食べることに。魚のぶつ切り4かけらとホブズ(パン)、トマトとネギか何かのペーストで600リアル(約300円)。魚はやっぱり高い。

それからさっき雑誌で見たイエメンブックショップに行こうとネット屋で調べる。が、店自体のホームページは見あたらず、わずかに通り名とかがわかったが、手持ちの地図では場所を確定できず。似たような名前の通りが地図にあったし、中心街にあるだろうと思い、それを当てにふらついてみるが、見あたらない。何人かの人に聞いてみても、誰一人店の名前すら知らない。なので、今日の所はあきらめ、まだ行っていなかった旧市街に行くことにする。

旧市街方面に歩いていると左手に城壁のような壁が現れ、その向こうに薄い煉瓦色と白色の建物群が見える。
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イエメン門をくぐって中に入ると、すぐそこは広場になっていて、服や生地、数珠のようなものなどを手に持って売り歩いている人たちぎょうさんいた。階段のようなところに座り込んでしゃべり込んでいる男たちも多い。
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人の流れに乗って適当に歩く。建物の間の通りは一大商店街となっていて、通りを歩く人々も多い。道幅は2mほどしかない。

売られているものは服が多い。男向けの服屋はイスラムの一張羅の服を売っているところが多い。女性服はアバヤ(ブルカ)を売る店の他に洋風のドレスを売っている店も多い。カジュアル系の服屋はどちらかというと少ない。
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他にイエメン特有のベルトと刀を売る店や干しぶどうやナツメヤシを売る店、駄菓子屋のような店なども多い。あるいているとハローと声をかけてくる子どももいる。
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白人の団体客がぞろぞろと歩いていたのでどこの国の人かと思ったらブラジルだった。みな60歳は越えていそう。

店があまりない通りまで行くと、そこでは子どもたちが数人でおしゃべりしたりして遊んでいた。カメラを手に歩いていたところ、子どもらが寄ってきて「スーラ、スーラ!」と写真を撮ってくれとせがんでくる。

なので何枚か写真をとる。デジカメの画面で撮った写真を見せると笑いあって、サンキューと言って離れていく。かと思いきや、またすぐに別の子たちが寄ってきて「スーラ、スーラ!」。見ているとこうして寄ってくるのは、だいたい10歳以下の男の子、女の子が多い。
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そんなことをしながらぶらぶら歩いていると電球がずらずらと張られた通りにでる。電飾するように建物と建物間に紐を張り、そこに電球がぶら下げられている。なんでこの一部の通りだけこうなっているのだろうかと不思議に思っていたところ、後にこれは結婚式のための装飾であることを知る。宿にあった情報ノートによれば、こうして電球が吊されているところでは近々結婚式が開かれ、電球の下で祝いの宴が繰り広げられるらしい。うまく行き合わせれば歌や踊りで盛り上がっている現場を見ることができるという。

が、この日はそうした場に行き合わせることはなかった。

日が暮れて以降は、宿近くでネットをしたりなんたり。宿のあたりの店は日が暮れてからもかなり遅くまで(確認していないが22時くらいまでは開いているよう)開いているから、通りは明るい。標高が高いところに来たためか、消化の速度が遅く、腹が減らなかったため晩飯は食わずじまい。

Fin

2009年9月29日火曜日

[diary]ジプチからイエメンへ

ジプチからイエメンへ

08/10/18(土) 晴れ 涼しい
[Djiboti Villa:Djibouti→Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・蚊との闘い
・ジプチを出国
・慌ただしいフライト
・イエメン入国、すずしい!
・アラビア半島”最貧国”の首都
・オマーン大使館
・ポパイな人たち

ジプチ国際空港。夜中の0時過ぎ。イエメン行きの飛行機が朝早かったこととジブチの宿が高い(約2500円もする!)ので、昨日の午後に空港に来てからずっと空港で過ごしていた。当然、宵越しも空港で。

4席並んでいるベンチに横になる。エアコンも何もないが、常に汗が流れ出るほど暑くはないが、眠るのに心地よいほどの涼しさでもない。


眠りをさまたげるのは、どこからともなく現れる蚊。入り口のドアからは20mほど距離があるのだが、やはり人間のにおいを嗅ぎつけてか蚊がやってくる。最初はまわりにいたのが2匹ほどだったので、成敗してから寝ていたのだが、成敗しても2~3匹単位でまた新たな蚊が現れる。

長袖に長ズボン、靴下という格好で寝ていたから刺されるのは決まって手。手の甲や手首あたりを刺される。成敗するのも面倒になったので、蚊取り線香を炊くがあまり効き目なし。しょうがないので最後は蚊帳を投入する。それまでに10カ所近くやられる。

そうした蚊との格闘があったり、ベンチもゆっくり眠るには窮屈だったりということもあり、あまり眠れず。

朝5時頃、人の足音で目が覚める。周りを見ると乗客らしい人たちが3人ほどいてベンチでおしゃべりをしていた。

ぼくも起きだし、蚊帳を片づけ、荷物の整理をする。

6時になったところで隣の搭乗者用の入り口に行き、セキュリティチェックを受けてからチェックイン。搭乗券をもらい、出国手続きに移る。

出国カードをチェックインカウンターでもらったので、それを記入し、パスポートとともに提出。出国カードはフランス語とアラビア語の併記だったのだが、一部わからないところがあったので空欄のまま出したところ、窓口の男性が書き込んでくれる。質問等は特になし。搭乗券とパスポートにダンダンとスタンプが押されて帰ってくる。

階段をのぼり、2階の搭乗ロビーに行く。朝早いためだろう、売店も何も開いていない。コンセントがあったのでその近くの机でしばらく日記書き。

作業をしていると搭乗ゲートに入っていく人たちが見えたのでぼくもそちらに移動。荷物チェックを受けてから待合室に入る。

ふとチケットを改めて見ると座席番号がない。スタッフの人に聞いてみたらどこでも座っていいと言う。飛行機で座席指定がないなんて初めて。

7時半。ベンチに座ってまた書きものをしていたら搭乗が始まる。あっと言う間に列ができ、片づけをしたりしていたぼくは一番最後になる。窓際に座りたかったのにこれでは席取りゲームに負けてしまうな、と思いながら窓の外を見ると、バスがやってくる。どうやら飛行機まではバスで行くらしい。これだったら勝機あり。

バスに最後に乗りこみ、ドア際に立つ。バスはゆっくりと発車し、2分ほどで飛行機の階段前に到着。ぼくが立っていた側のドアが開き、見事にすぐそこが飛行機へとつながる階段の登り口だったので、ねらい通りに一番に飛行機に乗り込めた。

安いイエメン航空ということでちょっとぼろい飛行機を予想していたのだが、なんのなんの十分にきれい。フライトアテンダントの格好もイスラム以外の国と変わらない。女性も普通に髪を出している。

一番乗りということで窓際の席が取れるなと意気揚々と飛行機に乗り込んでみたものの、なんとすでにたくさんの乗客がいた。どうやらエチオピアかどこかが初発地でここは経由地だったよう。当然、窓際の席はほぼ埋まっている。なんとか空いているところをみつけて座席は確保できたものの主翼の根本。窓から外を見てみるが、あまり視界は良くない。それに大変問題なことに窓ガラスには猫がひっかいたような傷が無数にある。美しくない。

飛行機は予定時間よりも少し早く7時55分に離陸。客室正面にあるスクリーンには飛行機の速度や外気温、離陸してからの時間などが飛行地図と一緒に映し出される。離陸後はすぐに雲の上に出てしまったため眼下は白いだけ。紅海がきれいに見えるかと期待していたのだが、見えずじまいだった。

無事、離陸をすると機内はにわかに慌ただしくなる。客室乗務員が食事の準備を始めたよう。1時間のフライトなので飲み物くらいしか出ないだろうと思っていたので嬉しくなる。

朝食の入ったプラスチックの容器と飲み物が配られる。食事はチーズのみのサンドイッチ2個とクロワッサンのようなパン2個。

ぼくのもとに食事が届いたのは離陸してから24分後。着陸まであと30分ちょっとしかない。着陸態勢に入ることを考えればのんびり飯が食えるのは実質20分ほどか。

客室乗務員は乗客全員に配り終えた後、すぐにごみの回収を始める。行動が早い。

ぼくのところには離陸後36分後に回収にくる。そうしている間にも雲の中に突入して、シートベルトのランプが付く。スクリーンに映し出されている高度が下がり始めたからすでに着陸に向けて下降し始めたよう。

雲を抜けると眼下にアラビア半島が見える。紅海も見えた。眼下にはベージュの木のない山々が見える。とにかく緑がない。そのうちちょろちょろ人家が見える。急峻そうな山の上の方に集落が見えるので、そこの人たちはどうやって水を得ているのかと不思議に思う。それからグランドキャニオンに似たような大地がボロボロと欠けた渓谷も見える。

しばらくすると突然大量の人家が眼下に見える。隣に座っていた学生という若い男がサナアだと教えてくれる。

これから着陸という頃になって、腹が少し膨れたせいかうとうと眠くなり、気が付けば着陸していた。創造していたよりも空港は立派。

着陸したのがぼくの時計で8時45分。機体から出ると外はひんやりしていた。心地よい涼しさ。
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またバスに乗って空港に移動。そして入国審査。ビザはすでに取っていたのですぐにイミグレへ。たいした質問もなくになんなく通過。

空港内の両替屋で両替をする。1米ドル=199イエメンリアル、1ユーロ=260イエメンリアル。米ドルの細かいのがなかったので20ユーロ札を両替。

荷物もすぐに出てきてさっさと空港を出ることができる。

空港を出るとタクシーの客引きがいたが、1度断るとあとは何もなし。しつこくない。

駐車場を挟んで向こう側の道路を市内に行くミニバスが走っているとガイドブックにあったので、そちらに行く。

ちょうどミニバスがやってきたので、ハサバ(地名)?と行き先を確認し、それに乗る。ここのミニバスはダッバーブと呼ばれている。やはりトヨタのワゴン。運転手も客もターバンを頭に巻いている。道路はよく整備されていてアスファルトの表面もそれほど悪くなっていない。

道路沿いにはいくつか店が並び、その後ろの方に家が見える。遺跡のようなベージュ色の石組の四角い家々。店の看板もアラビア文字ばかり。ジプチもアラビア語が公用語だったが、店の看板はフランス語だったのでそれほどアラブの国という雰囲気はなかった。

驚いたのが男の人の大半が腰(へそのあたり)に帯刀していること。ジャンビーヤというらしいが、アラビアの半月刀をベルトと腹の間に差している。刀が本物なのかはわからない。女性も黒いブルカを着ている人がほとんど。洋服はみないし、ジプチやモロッコのように色鮮やかなスカーフをまとっている人も見ない。

服装といい、町並みといいすっかり別世界に来た印象を受ける。

30分ほどで乗り換え地点のハサバに着く。運転手に適当に代金を払うとガイドブックにあった通りの運賃を徴収してお釣りをくれた。何かとごまかそうとしていたジプチとは大違いだ。

さて、ミニバスがたくさん停まっている地帯に着いたのだが、市街地に行く車がどれなのかがわからない。なので同じ車に乗っていた背広姿の男性に宿があるタハリール(広場の名前)に行きたいと英語で言うと、”タハリール”が通じたようでその車の乗り場まで案内してくれることになる。
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乗り場は降りた未舗装の道をまっすぐ行ってぶつかった道路沿いにあり、そこにはまたたくさんの車が停まっていた。そこまで歩いて3分足らず。そのおじさんもはっきり知っていたわけではなかったようで、何人かの人に聞いてタハリール行きの車の乗り場を突き止めてくれる。そして、アラビア語でいろいろ説明してくれるのだが、まったくわからない。

とにかく言われたところで待っていたらミニバスがやってくる。運転手に聞くとタハリール行きだと言う。さぁ、乗り込もうとしたら空っぽで到着したにも関わらず、一瞬で満席になってしまい、乗れず。今度のミニバスは軽自動車のワゴン。これは初めて。なので座席が助手席をのぞけば6つしかない。そのためかタハリールに行くらしい人は、車が止まる前から待ちかまえていて、停まった瞬間に一斉に乗り込む。

車に乗れずにありゃりゃと思っていたら、次々と同じ方面行きの車がやってきて、周りにいた人もあれだあれだと指さして教えてくれる。なので、待つこともなく別の車に乗ることができた。

後部の向かい合いの6人座席のドア際に座ったのだが、ドアは閉まらないようになっている。それいてカーブもたいしてスピードを落とさないから、ドアの外へと飛び出しそうになる。クラクションが盛んに鳴り響き、隙間があればどんどん車が入ってくる。なかなか荒い。

外を眺めていたら向かいに座っている30代くらいの男が英語でどこから来たのかと聞いてくる。日本からと言うとたぶん予想が外れたのだろう、ふうんという顔をして「Thank you」と礼を言う。なかなか礼儀正しい。これには驚く。

だんだんと建物が建て詰まった地帯に入っていき、20分ほどで終点に到着。地図で見るよりも小さな広場(というかバス乗り場)だったので念のため運転手に確認するとタハリールだと言う。

車を降りて端の方に行くと食い物を売っている人たちがいた。男ばかり。女性はいない。ゆで卵を売っているおじいさんがいたので、そこでゆで卵を1個買う。15リアル(約8円)。おもしろいのが4種類ほどの香辛料が用意されていて、それを付けて食べることができるようになっている。

そばにいた少年がにこやかに話しかけてくるが、まったく言葉がわからない。

道を聞こうにもそれすらもアラビア語で覚えていなかったのでガイドブックを頼りに歩く。が、どうも違う。そうしてふらふらしていたら英語で話しかけてくる男性がいた。彼に行きたい場所を言うと英語で教えてくれる。

教えてもらった通りに行くと確かにその通りだった。バスが止まったのはタハリール広場そのものではなかった。

広場から歩いて3分ほどのところが泊まる予定の宿。日本語の情報ノートがある宿で、道ばたには日本語の看板が出ていた。

通りからちょっと奥まった建物の2階にあがる。そこが受付。ソファには日本人旅行者が2人いた。部屋の値段を聞くと1000イエメンリアル。800リアルのシングルは満室という。さっそくその部屋を案内してもらう。変わった作りの建物で階段の方向がいろいろある。これがイエメン式の建物のよう。

部屋は10畳ほどある広い部屋でベッドが2つにテレビ、タンスもある。通りに面した部屋で窓からはその通りの様子がうかがえる。なかなかよろしい。
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部屋に荷物を置いてから受付のロビーで情報ノートを閲覧。めぼしい情報は大してなかったが、サナアからサユーン行きのバスには現在外国人は乗れない(チケットを売ってくれない)ということになっているという情報は大きかった。しかし肝心のパーミットをとる場所が書かれていない。あとオマーン大使館の位置も書かれていない。

情報ノートを見ながら2人の日本人とちょっとしゃべる。1人は中東に半年いるという人だった。

時間はまだ11時すぎ。オマーンのビザを今日中に申請できればと思い、近くのネット屋に行ってサナアのオマーン大使館の位置をグーグルマップなどで調べる。

そして歩いてオマーン大使館へ。

アラビア半島ではイエメンは最貧国だなんてどこかで読んでいたので、どんなに貧しい首都かと思っていたのだが、これが予想以上に大都市だった。ぼくの感覚から言うと、アフリカでここまで整備され、かつ店が多いまちはあまりない。アディスアベバやダルエスサラーム、ナイロビよりも大きいように感じる。

店の中で目立つのがフルーツジュース屋。軒先にみかんやショウガなどをぶら下げ、カウンターには数種類のジュースがミキサーに入った状態で置かれている。それからイエメン(アラブ)らしい店が香辛料屋やイスラム服屋やジャンビーヤ(アラビア刀)屋、それから看板に「Honey」と書いた蜂蜜を使ったお菓子屋など。コーヒーモカマタリの国ではあるが、コーヒーの専門店は見ない。

道ばたで物乞いしている人は少ないが、それでもちらほらと見る。その中には頭からブルカを着た女性も多い。子どもを抱えている人もいる。片道2車線ある大きな通りの交差点では赤信号の時に停まった車の間をまわりティッシュやペットボトルの水、子供用のおもちゃ、音楽CDなどを売っている人たちがいたのだが、おじさんや少年に混じってブルカを着た少女も1人いた。
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きょろきょろしながら歩いていたが、なかなか目的地に着かない。ガイドブックの地図は道路名が大ざっぱにしか載っていないためわかりにくい。そんなこんなでふらついていたら目安にしていた通りにたどり着く。そこを歩いていたとき、ぼくが気づかずに1片の紙を落としたのを見ていた通りがかりの白人男性がそれを教えてくれる。英語だったのでこれ幸いと英語でオマーン大使館の位置を訪ねてみると、近くだと言って行き方を教えてくれた。

しかし、彼の説明は後に間違っていたことが判明する。それから3~4人の人に聞きながらなんとか大使館に到着。アラビア語だと大使館という言葉もぜんぜん違う音になるので、ガイドブックにあるオマーンの旗を見せるとみんなわかってくれた。

オマーン大使館は門の脇にビザ申請用の小部屋の入り口があってノーチェックでそこに入れる。

窓口のおじさんは英語を解す。ビザがほしいというと国境で取ったらどうかと言われるが、国境の人が英語がわかるかどうかが不安のためここで取りたいと言うと21米ドルとパスポート用の写真1枚、パスポートのコピーなど必要なものを教えてくれる。例のごとくぼくは1米ドル札を持っていないのでリアルで払えないか聞いたがダメとのこと。翌日出直すことにする。

13時を過ぎていたので近くの食堂で飯を食う。これがおもしろい飯屋で石焼きビビンバのような料理を出している。タイル張りの店内の端に調理場があり、そこではガスバーナーがゴーゴーと火を噴き、その火の中に石焼きビビンバで使われるような石釜(石鍋)が置かれていた。
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英語ができる客に助けられてなんとか注文する。10分ほど待ってじゅうじゅうはじける音とともに釜が目の前に到着。中を覗くと卵を入れたお粥のように見えた。ここに主食のパン(インドのナンのようなもの)を付けて食べる。店の入り口でブルカを着た女性が売っていた円形のナンを買ったのだが、これが直径80cmくらいある。これを釜の中の具に浸けて食べる。
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お粥のように見えたものは、実際にはジャガイモを細かくしたものや肉を細かく切ったものなどいろいろ入っている。味は親子丼の具の味に近い。辛くはない。

この釜の他にテーブルにはインド料理で使われるカレーを入れる容器に透明のスープが入れられたものが2杯分配られる。食べていたら隣のおじさんが、このスープを釜の中に入れるよう教えてくれる。どうやら焦げ付き防止用にこのスープを使うらしい。

ナンがでかいこともあってすっかり満腹になる。値段は700リアル(約350円)。意外に高い。飯はエチオピアの方が安いかもしれない。

それからぶらぶら歩いて宿の方面に向かう。商店がたくさんある通りを適当に歩いていたら道が違ったようで行きたいところにたどりつかない。しょうがないので店で道を聞いて教えてもらう。

午後になったからか路上でカート(見た目は若い木の枝。噛んでいると覚醒作用があるらしい)を噛んでいる男たちを多数見る。片方の頬に文字通り頬張っておりさながらポパイのよう。店の中でも店主らが噛んでいる。

ぶらぶらと歩いて戻り、もう一度ネット屋に行く。暗くなって以降もちらっとふらつく。スカーフなどを売っている店で買い物。タハリール広場周辺の道ばたにはスリッパや靴下、下着、コート、雑誌を売る人がたくさんいる。表の通りから一本入った通りには食堂がたくさんあり、大勢の人で賑わっている。

ちょろちょろと買い食いしていたせいか腹が減らず、そのまま部屋に戻る。部屋に戻ってからジーパンの洗濯をする。その後は日記書きなどをしているうちに就寝。

Fin

2009年9月26日土曜日

[diary]暇つぶしの1日

暇つぶしの1日

08/10/17(金) 快晴 40度
[Djibouti Villa:Djibouti]
※レート:1米ドル=175ジプチフラン

昨晩はそれまで泊まっていた部屋ではなく、2人部屋に一人で泊まることになった上、窓があったのでわりかし夜は涼しかった。

しばらく日記書きをする。

それから残金の確認。昨晩ベトナム料理で散財してしまったので、手元に残ったフランはわずか1500フランほど。空港に行くためのタクシー代(バスはない)が1000フランかかるので、使えるカネはほとんど残っていない。もう1泊ぶんの宿代を払うには両替しないといけない。が、飛行機は明日の朝8時発でチェックインは6時。だったら残金も少ないから、今日中に空港に行って夜はそこに泊まろうと思いつく。

フロントに行って空港は24時間開いているか訪ねるが、彼は知らず。

しょうがないのでネット屋に行って調べることにする。今日金曜日は休日のため、いつも使っている日本語が読めるネット屋は休み。だが、別のネット屋が開いていたのでそこで調べる。

空港の寝心地情報が載っているサイトで探すと、寝心地はよくないようだが、夜を明かすことはできたらしいことが書かれている。またその他のホームページから24時間開いていることがわかる。これで今晩の空港泊決定。

なお、このネット屋にはこれまでまちで見ることがなかった東南アジア系の男たち(30~40代と見える)が5人ほどいた。店主との会話からフィリピンから来ているらしいことがわかる。肌の色は日本人と同じ程度。彼らを見て、なぜジプチで盛んに”フィリピノ、フィリピノ”とぼくが呼ばれるのかがわかる。これまで一度もフィリピン人なんて見なかったから、ここの人はフィリピン人を知らないのではないかと思っていたが、違ったようだ。

宿に帰る前に1.5リットルのペットボトルの水を買い(80フラン)、60cmほどの長さの細いフランスパンを2本買う(各25フラン)。

チェックアウト時間の12時まで部屋で今後のルートなどを考えたりする。

夕方まで宿のロビーにいることも可能だったが、どっちにいても同じだろうと思い、チェックアウトすると空港に向かう。道ばたでタクシーを拾う。空港までいくらか聞くと、こっちの希望値を聞いてきたので800フランと言ったが、運転手は1000フランと言って譲らず。

市街地から空港まで6kmほど。途中にはなんじゃこりゃとつぶやきたくなるような豪邸がある一方で、ゴミだらけの空き地やトタン作りの家がある。

10分ほどで空港に到着。入り口を入ったときの印象は、どこかの工場の資材置き場か?というものだった。空港のターミナルビルは3階建てだが小さい。入り口が二つあり、1つは出発者用で1つは到着ロビー兼待合室。出発者用の入り口には、セキュリティが2人ほどいて、次に出る飛行機に乗る人しか入れないようになっている。なので出発者用の入り口ではなく、到着ロビーで時間をつぶすことにする。売店は3つほどあり、ベンチも15人ぶんほどはある。薄型の液晶テレビが壁に設置され、アラビア語の映画が流れている。

ベンチに陣取り本を読んだり、昼寝をしたりして時間をつぶす。ロビー内にはエアコンはついていないので、昼寝をするとじっとりと汗をかき、その暑さで目が覚めるというパターンを繰り返す。
送信者 djibouti


こういうときの時間のたち方は遅い。

到着ロビーには飛行機が到着するその時間だけ人があふれる。あふれると言ってももともとスペースが狭いから20~30人もいればずいぶん賑わっているように感じるだけ。到着する飛行機も数時間に1本なので、基本的にあたりに人はいない。

迎えに来ている人たちの中で目立つのが"US ARMY"と刺繍が入った迷彩服を着ている男女たち。人数にすれば3~4人だが、格好が格好なのでぼくから見れば浮いて見える。フランス軍がジプチに駐屯していることはどこかで読んだが、アメリカ軍がいるのはなぜ?

迎えの並は午後に1回、夕方前に1回あった後は途絶える。

眠気もなくなったので、ぼくは日本から持ってきた岩波文庫版の『コーラン 上』を読んでみる。イスラム教の聖典ということでどんな難しいことが書いてあるかと思いきや、半分近くまで読んだ限りでは色即是空や空即是色なんていうような話はなく、なんだかあまりありがたみのない話ばかり。”自分(アッラー)を信仰せよ、さもなくば地獄に落ちるだろう”的な、これはただの脅迫じゃないかと思えるような部分も多いし、信仰しない人たちへの辛辣な言葉も多い。

しかも前提としているのは男のみで女はコーランの読者として前提としていないように思える。もっとも神は男を女よりも上のものとして創ったなどと書いてあるから、それも当然なのかもしれない。

おもしろかったのがキリスト教やユダヤ教徒の関係。エルサレムがこれらの共通の神聖な場所だというのは知っていたが、イスラム教からするとこれら2つをまとめあげたのがイスラム教であるという立場を取っているらしい。コーランにもモーゼとかイエスとか、マリアも出てくるのが意外だった。

それからお祈りをする際の方向が、当初はエルサレムの方向だったのが、ユダヤ教との対立が強くなったことでメッカ(マッカ)の方角になったというのも印象的。なんだかおもしろい。非常に人間的。

それにしてもイスラムも含め現代の一神教を信じている人たちは、科学とはどう折り合いをつけているのだろうか。コーランによればアッラー(アッラーは英語で言えばThe God。神という単語に冠詞が付いたアラビア語)が「在れ」と言えばなんでも創ることができるらしいが、科学技術で作られているものは、それらを活用しているだけで何も創造していないというような理解の仕方なのだろうか? でも進化の考え方もあるし。イスラム国での科学(理科)教育がどうなっているのか気になる。

22時過ぎ、また1台の飛行機が到着。到着ロビーが賑わう。その後は、人は誰もいなくなり、ロビーにはぼくだけ。銃を持った警備員だけが時折見回りに来る。

一度警備員にパスポートと飛行機のチケットのチェックを受けたが、追い出されることはなかった。

Fin

[diary]またも舟が出ず

またも舟が出ず

08/10/16(木) 快晴 40度
[Djibouti Villa:Djibouti]
※レート:1米ドル=175ジプチフラン

今朝もやはり室内は30度越え。扇風機がなければとても眠れない。昨日のんだ薬のおかげか腹の調子は落ち着いた。

舟は夜の9時と言われたけれども、イマイチ信用できないので、8時半頃フロントに行って、どこに何時に行けばいいのかを確認してほしい旨を伝え、また電話をしてもらう。

昨日と同じ番号にかけてもらったのだが、また言っていることが変わったようで、準備ができたら宿にいたおじさんに電話するなどと言っていると言う。そんなこと言われてもおじさんとぼくは常に一緒にいるわけではないから困るわけで。フロントのあんちゃんもこれは怪しいと思ったようで、別の舟を探した方がいいと言う。

9時過ぎ、舟がすぐ出る場合のことも考え、一応、荷物を持って港に行く。すると、港の入り口にいたセキュリティのあんちゃんが、今日は舟はあるけど18時にまたここに来るように言う。怪しいと思いつつも港内に入れないからどうしようもない。

いったん宿に戻り、昼間で部屋でのんびりし、チェックアウトして後もホテルのロビーで本を読んだりして夕方を待つ。

そして17時過ぎにまた荷物を持って港へ。すると入り口には朝方の奴とは別の若い男がセキュリティとしていて、彼にイエメンに行く舟に乗ると伝えると舟はないと言う。そんなことはないと例の電話番号を見せると事務所に行ってそこから電話をかけてくれる。しかし、戻ってきて彼が言うには舟は土曜日に出ると言う。やれやれ。これだ。アフリカ。まったく当てにならない。

土曜日と言ってもどうせまた舟はないと言い出すのは目に見えているので、予定を変更。舟はやめて飛行機で行くことにする。

荷物を持ってミニバスに乗り、中心街に戻る。そして中心街にあるトラベルエージェントに行く。1軒目のエージェントでできるだけ早くイエメンに行きたいと伝えると、次の飛行機は月曜だと言う。なのでここはパス。もう1軒行ってみるとここでは土曜日にあるという。なのでここで即決。値段も往復251米ドルなので許容範囲内。片道なら100米ドル代だと思うのだが、レジデンスの証明書がなければ片道チケットを売ることはできないと言われ、断念。

その場でドルで払う。1米ドル札はなかったので、そのぶんはまけてもらって、結局250米ドルの現金でチケットを買った。

舟で行くことができれば、米ドル換算で50米ドル(7000フラン)ほどでモカまで行けたのだが、宿代が2000円以上するこのまちでは3日もいれば1万円が消しとんでしまうので、舟を待ってもどうせ同じくらいの出費がかかっただろう。それにしてもこんなことになるなら、最初から飛行機を使えば良かった。そうすれば100ドルは節約でき、今頃はイエメンであれこれ見れただろうに。最後の最後までアフリカは当てにならなかったな。

夜は気になっていたベトナム料理屋に行く。一つ一つの料理の値段はまちのレストランの2~3倍。フォー(1000フラン)、餃子(1100フラン)、海鮮スープ(1000フラン)を食べるが、ちょっと期待はずれ。特に海鮮スープは店の特製とあったが、具も少なく味も中途半端に感じる。フォーは麺がなぜかベトベトしていて、ベトナムで食べたものと比べると食べ心地がさわやかでない。リモンが用意されていないのもダメ。なお、テーブルにはキッコーマンの醤油があった。

今日も夜はにぎやか。宿への帰り道に通った通りにはきらびやかな飲み屋などもあって、人通りも多い。フランス人らもたくさんまちに出ている。

気づいたら手帳をどこかになくしていた。まったくよくないことばかり。

また、昨日まで泊まっていた宿に戻り、3500フラン(約2400円)を払って泊まる。


Fin

2009年9月25日金曜日

[diary]イエメンビザをゲット、だが舟が出ず

イエメンビザをゲット、だが舟が出ず

08/10/15(水) 快晴 40度
[Djibouti Villa:Djibouti]

腹の調子がすっかりおかしくなり、このまま舟に乗るのもためらわれるくらいだった。だが、昨日の電話では今日、舟が出るという。今日を逃したらまたいつ出るかわからない。

9時前まで部屋で寝ている。それからイエメン大使館に行く。途中、薬局で下痢止めの薬を買う。説明書がフランス語だけだったので、カウンターにいた女性に英語で使い方などを聞いて購入。880フラン(約600円)の出費は痛い。

それから薬を飲むためにスーパーでヨーグルトを買って、それを食べ、薬を飲む。

ミニバスを使ってイエメン大使館近くまで行く。運賃40フラン(約30円)。

イエメン大使館はまだ開いていなかったが、すでにビザの申請等に来ている人が屋内で待っていた。ぼくもその中に混ざり、領事が来るのを待つ。その間、アラビア語の会話帳を眺めるが、なかなか音を覚えられない。それに部屋はクーラーがきいていて涼しいから眠くなり、うとうとしてしまう。

そうしているうちに領事が到着。ビザが張られたパスポートは10時前に受け取ることができる。

それから宿に戻り、荷支度をしてチェックアウト。フロントのあんちゃんが舟はつかまえることができたのかなどと聞いてくるが、たぶんとしか言えない。試しに昨日港の事務所で教えてもらった電話番号に電話して聞いてくれないかと頼んだところ嫌な顔せずに引き受けてくれる。電話はあんちゃんではなく、ホテルのオーナーらしき年輩の男性がしてくれる。どうもその人の知り合いだったよう。

電話が終わってぼくに言うには、舟は今日は出ず、明日の夜9時に出ると言う。なので予定変更を強いられる。予想していたこととはいえ、宿代が高いジプチではこうしたことが起こると予算的につらい。腹の調子が悪かったので、その点では良かったとも言えるのだが、やはりお金ほ方がいたい。

返した鍵をもらい、もう1泊ぶんの宿代3500フランを払い、部屋に戻る。買ってきた水に、南アフリカで同じ宿だった人にもらったポカリスウェットの粉を入れ、ポカリスウェットを作る。これだと腹の調子が悪くても気持ちよく飲める。久々の味だからか、それとも自分が感じているよりも水分が不足していたのか1リットルちょっとを一気に飲んでしまう。

それから扇風機を全開にしてベッドで休息。昨日、ネット屋でダウンロードしたラジオ番組のポッドキャストを聞きながら寝込む。

夕方まで寝込み、16時過ぎにまた薬を飲むためにヨーグルトを買いにスーパーに行く。そのスーパーにはフランス産のポカリスウェットのような粉が売っていた。フランスの軍人らしき若い男の人が買っていたので、ぼくも水分補給のために買おうかどうか逡巡したのだが、でかいプラスチックボトル入り(5リットルぶん作れるよう)で値段が1500フラン(約800円)ほどもしたので、結局買わず。

帰りがけネット屋によってから宿に戻る。

ヨーグルトを食べた後に薬を飲む。腹はだいぶ落ち着いてきたが、まだ完治はしていない。

部屋に戻ってまたベッドに寝込む。

結局この日は口にしたのはヨーグルトと水のみ。

Fin

2009年9月23日水曜日

[diary]舟探し、ビザ待ち

舟探し、ビザ待ち

08/10/14(火) 快晴 40度
[Djibouti Villa:Djibouti]

7時頃、起床。今朝も部屋はぬくかった。

8時過ぎ、舟を探しに宿を出る。港に行く前に市場に寄る。みかん、すいか、パパイヤ、ぶどう、バナナ、南アフリカから輸入されたりんごなどの果物が売られ、肉がぶら下がっている。蠅がすごい。魚売場では小さなマグロらしき魚たちが売られている。どれも新鮮そう。白い色の子ザメもあり。
送信者 djibouti

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市場の一角が食堂街になっていたので、そのうちの一軒に入る。その店ではレバーの炒め物を出していた。値段は150フラン(約90円)。ピリ辛のレバーいためはなかなかうまかった。ピーマンとタマネギも入っており、トマト味。それにフランスパンがついてくるので、みなパンをちぎってパンを炒め物に浸け、具をつかみ食べている。もちろん手づかみ。
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食後、港に向かう。昨日教えてもらったイエメン行きの舟を出しているらしい事務所に行く。ドアを開け中に入ると4~5人の男がいた。イエメンに行きたいのだがと適当に言うと、そのうちの一人の人が電話番号を紙に書いて、ここに電話するように言う。

紙を受け取り、いったんまちなかに戻る。まちなかの電話屋からその番号に電話してみると、たしかにつながったがTomorrowとかOne o'clockとか言うばかりでイマイチよくわからない。どちらにしろ明日にならないとビザも手に入らないから、また明日電話することにする。

今日もまたなかなか日差しが強く、温度も高い。道ばたのオレンジジュース屋で絞り立てのジュースを飲む。ただ、氷が入っていたのが気がかりだったが。あとここのオレンジジュースの特徴は、砂糖を入れること。砂糖なんか入れない方がさっぱりとしてうまいと思うんだけど。

それからフルーツジュース屋でグァバジュースを飲む。ここも氷を使っているのか冷たくてうまい。400ml程度で200フラン(約150円)。

その他に水を買ったりして飲んでいたらすっかり腹が水腹になる。それでもなんだか水分がほしくなる。

その後、ぷらぷらと住宅街を歩く。市場街の南の住宅街はトタン張りの家やブロックづくりでもボロボロの家が多い。ヤギがたまに道ばたに落ちているあれこれを食っていたりする。縦横に敷かれている道は未舗装で、かつビニールゴミや紙ゴミなどが散らかっており、さながらごみ捨て場(最終処分場)を均したような様相を呈している。一部には大きな濃い緑色の水たまりができており、どぶくさい臭いを発している。なぜここに住む人たちは自分たちが暮らしている地域をもう少しきれいにしようとしないのか、と不思議に思う。
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住宅街をふらついた後、エデン湾に面している海岸まで行ってみる。引き潮の時間帯らしく、砂浜から向こう100mくらいが干潟のようになっている。浜にある建物の日陰には横になって寝ているおじさんが数人。

どこか涼しいところでのんびりしようかと思ったが、適当な場所が見つからないので、結局宿に帰り、夕方まで部屋で過ごす。

夕方、宿を出てネット屋に行く。日本語ができるネット屋を発見。しばらくネットを見る。ジプチからイエメンに行ったという人のブログなどを探すが、あまり使えるような情報が載っていない。

相変わらずの水腹だったものの帰り道、またフルーツジュース屋に寄り、3杯ほど違うジュースを飲んで帰る。

それら大量の水分摂取(しかも冷たいもの)が悪かったのか、夜になって腹の調子が悪くなり、あまり眠れず。ああ。

Fin

[diary]イエメンビザを取りに&舟探し

イエメンビザを取りに&舟探し

08/10/13(月) 快晴 40度
[Djibouti Villa:Djibouti]
レート:1米ドル=175ジブチフラン

・イエメン大使館へ
・使えないATM
・舟を探しに

ここのところの不規則な睡眠のためか、夜2時くらいに目が覚める。

再び起きたのは7時頃。部屋には、正確には隣の部屋とぼくの部屋との間には、天井近くの壁を一部ぶち抜いてエアコンが両部屋にまたがって設置されているため、夜も涼しく眠ることができた。さらに扇風機もあったから肌寒いくらいに感じることも。

部屋を一歩出れば、この時間でもすでにムッとした熱気を感じる。

今日、しなければいけないことなどを頭の中で整理し、それからしばらく日記書き。

8時半頃、部屋を出て、フロントに行く。フロントの英語ができる人に昨日頼んでいたとおり、イエメン大使館に電話してもらい、まだわかっていなかった大使館の場所を聞いてもらう。が、電話がつながらず。

しょうがないのでタクシーに頼ることにする。フロントの彼に相場を聞くとまちなかへはだいたい500フラン(約350円)で、ちょっと遠いとその倍になると言う。高い!

宿の前の通りBlvd du General de Gaulleでタクシーを捕まえる。イエメン大使館を知っているタクシーを捕まえるのに時間がかかるのではと思っていたのだが、1台目で知っているという車を捕まえることができた。値段を聞くと700フランと言う。相場と違うので断るといくらだと聞いてくるので、400フランと言うと500フランでどうだと言ってくるので、それでよしとする。会話は英語とフランス語のちゃんぷる~。

車は北の方に向かって走る。5分足らずでアデン湾が右手に見える道路に出て、さらに5分ほどでイエメン大使館に到着。各地の大使館が集まっているPlateau Serpentという地区にあった。『ロンプラ』アフリカ版の地図にはフランス大使館は載っていたものの、近くのイエメン大使館はなかった。

イエメンの旗がひらめいている建物の前で車を降りる。すると50代くらいの男性が寄ってきて、アラビア語かなにかでなんとかと言いながら握手を求めてくる。なんだかわからなかったが、握手。

彼に英語でビザがほしいと言うと、近くにいた若い男性を呼ぶ。彼は英語を流ちょうに話した。彼の話では大使館が開くのは10時で、ビザを取るにはパスポートのコピー1枚と写真が1枚必要だと言う。値段を聞いたが、わからないとのこと。開館までまだ1時間ほどある。不覚にもパスポートのコピーを持ってきてなかったので、町中にコピーしに行く。

途中、病院の前を通ったところ、ここでも病院の前にはお菓子やチャイやジュースを売っているおばちゃんたちがいた。アフリカではどこに行っても学校の前や病院の前はたいていこうした物売りの人で賑わっている。その中の一軒で朝飯代わりのクッキーを買う。まずい。どこで作られたものかは確認せず。

まちなかまでは歩いて20分ほど。半袖のTシャツの上に薄手の長袖シャツ、それにジーパンという格好をしていたのだが、やはり歩いていると汗がすぐに吹き出してくる。地元の人たちも歩いている人は多いのだが、顔は鼻汗ひとつかいておらず、涼しい顔をしている。また、ここでは男の人が足下まである腰巻き(インドネシアでいうサルン)を着ている。見た目はスカートなのだが、これが涼しそう。女の人は、頭からスカーフをかぶったりしている人が多く、いわゆるイスラム式の格好をしている人が多い。ただ、黒で目のみ出している人は少なく、モロッコと同じようにたいてい色鮮やかな布地をまとっている。
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それにしても、これだけ暑いのは久しぶりだ。西アフリカ以来かもしれない。

昨日も来た中心街に戻り、コピー屋を探す。ネット屋が兼ねているコピー屋があったのでそこでパスポートをコピーする。1枚白黒0.3フラン(約40円)。高い!

それから安い宿を調べるためツーリストインフォメーションに行く。が、今泊まっている宿よりも安いところはなく、どこも6000フラン(約3500円)以上する。ちょっと期待していたのだが、がっかり。

それからATMでカネをおろそうとするが、なぜかおろせず。しょうがないので、ビザ代と宿代用に米ドルをフランに両替。1米ドル=175フラン。

そこから歩いてまた大使館に戻る。通りには大型ワゴンを改造したミニバスが走っているのだが、どれがどこに行くのかわからず。結局、歩く。

10時ちょっと過ぎに大使館に到着。セキュリティチェックなどはなにもなく、すんなりと中に入れる。

さっき来たときに握手をした人は大使館の職員だったようで、その人はぼくを見ると寄ってきて、領事がいる部屋に入るよう丁寧に促す。そして、申請書を持ってきてくれ、ぼくの名前だけは彼が書き込む。

申請書はフランス語とアラビア語の併記。併記と言ってもアラビア語は右から書くので、左端からフランス語で、右端からはアラビア語で書かれている。

マリのビザを申請したときはフランス語で記載するよう言われたのだが、ここではそういうこともなく、英語でOKだった。西アフリカでの経験で、ビザの申請用紙で聞かれる質問はだいたいわかっていたので、フランス語を見ながら埋めていく。

領事の部屋は12畳ほどの広さで、領事が座っている机の他には、申請待ちをしている人たちが座るためのソファがあるだけ。領事は一人だが、きちんと順番も守られ、整然とビザの申請手続きは進む。

ぼくの前に6人ほどビザを申請に来ている人たちがいたが、パスポートからほとんどの人がジプチの人らしいことがわかる。

20分ほど待って自分の番になる。申請用紙とパスポートのコピー1枚と証明写真1枚とパスポートを領事に渡す。領事はパスポートの個人情報部分と申請用紙をしばらく黙って眺め、突然ぼくのフルネームを外国語なまりで呼ぶ。イエスと応えると、また黙って書類を眺める。

そしてホッチキスで書類を綴じ、ビザ代7000フラン(約4000円)を渡すよう言い、お金を渡すと英語で”明日はパブリックホリディなので、水曜日の10時に来るよう”言われる。

ジプチでイエメンビザが取れるかどうかは未知数であったため、受理されてほっとする。

時間は11時前。また歩いてまちに行く。そして宿探しの続き。

中心街にあるCasinoというスーパーの前の路上で果物を売っているおばちゃんたちがいたので、そこでバナナなどを買う。勝手に1kg300フランだからとバナナとみかん合わせて1kgを袋に詰めてくれる。ついでに宿のことを訪ねると、そこの女の子(10代後半くらい?)が、案内してくれるという。
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これは安いところが見つかるかもしれないと思ってついていってみると、たどり着いたのは立派なホテル。守衛のような人に1泊いくらか訪ねてみると100米ドル以上する。

なのでその守衛のような人に安い宿はないかと訪ねてみる。すると彼はジプチホテルが安いという。値段を聞いてみると5000~6000フランと言う。ぜんぜん安くない。彼女には礼を言って、別れて探すことにする。

なお、彼女と歩いているとき、おっさんら数人が”チャイナ”などと言ってきた。そのとき彼女は、あの人等は頭がおかしいというような仕草をして”Me don't like"と言う。

ジプチホテルを捜し当てたもののやはり宿代は高く、1泊6300フラン(約3500円)。

安い宿がないか市場近くの通りもふらついてみたが、それらしきものは見つからず。チェックアウト時間の12時も近づいていたので、安宿探しはあきらめて宿に戻る。

いったん部屋に戻ってから、今度は舟を探しに港に行くことにする。

港の方に向けて歩く。昼飯でも食べようかと市場周辺のまだ通っていない通りに入ったときホテルと書かれている看板を発見。フロントに行き、値段を確認すると一番安い部屋が3500フラン(約2200円)。今の宿よりも1000円近く安い。

チェックアウト時間の12時は過ぎていたものの、値段を聞いてすぐに宿をここに変えようと、来た道を急いで戻る。宿のフロントでこれからチェックアウトできるかを訪ねると大丈夫だと言うので、荷物をまとめてチェックアウト。

リュックを背負い、汗をかきかき、新しい宿に移動。3500フランの部屋は5畳ほどの部屋で、ベッドが1つあるだけ。天井には扇風機付き。あとコンセント付き。窓はない。暑い。共同のトイレとシャワーは狭いものの、とても清潔に保たれているのがいい。

部屋に荷物を置いて舟探しに出る。

港に行く前に飯を食おうと宿の周辺の路地を散策。このあたりの路地は中心部と違って未舗装の土道。服を縫っている店や化粧品店、散髪屋、レストランなどがある。目を引いたのがシャワー屋。50フラン(約30円)ほどで水浴びができるよう。ただシャワー屋は排水施設がきちんと整備されていないようで、店の前などは水たまりができていてあまり清潔ではない。

ある路地にはテーブルと椅子が道ばたにずらっと並べられていて、そこでみな食事をしている。調理された料理の鍋も路地に出されていて、盛りつけから皿の洗浄まですべてが路上でなされている。数軒あるそうした路上レストランの1軒に入る。

メニューがないので、適当に300フラン内でよろしくと注文する。すると出てきたのは、まず湯がいた骨付きの肉。牛らしい。でかい。骨込みで500gくらいありそう。それからその肉を湯がいて作ったらしいスープ。これはほんとにゆで汁という感じで、味も塩味だけでそれほどうまいというものではない。それからメインが出てくる。メインはご飯とパスタ(麺)の上にミートソースに似たソースがかけられたもの。

ミートソースはピリ辛でじゃがいものかけらなどが入っている。隣の人の食べ方をみると、ご飯も麺も一緒に混ぜこぜにして食べるよう。フォークなどは使わず手づかみ。水を入れた小さなボールが運ばれてきたので、それで手を洗い、手づかみで食べる。麺はだいぶ柔いのだが、ご飯は胡椒などと一緒に炊いたスパイスライスで、ソースとなかなか合う。量も2人で食べてもそこそこ十分なくらい多い。
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水も出てきたが、念のため飲まず。

なお食事後は、手洗い用の水で手を洗えるようになっている。

食事後、カネを払おうとしたら350フランだと言う。昨日と同じパターン。300だと最初に言ったのに勝手に料金を変えやがる。アフリカの得意技である後出(あとだ)し。プラス30円程度だから払ったけれども。

腹がいっぱいになったところで、港に向かう。

途中、大統領官邸の建物の写真を撮ろうとしたら守衛に見つけられ、咎められる。「Come」と迷彩服に銃を持った若い守衛がどなりたてるので、待っていったら他に3人連れてやってきて、うち偉そうな軍人おじさんはえらい剣幕で怒っている。そしてカメラを取り上げられる。

ちょっとインド系のおじさん警察官は落ち着いていて、英語で何をしているのかなどと聞いてくる。旅行者であること、写真はまだ撮っていないことなどを説明すると、カメラのデータを見せてくれと言うので、カメラを取り上げた守衛からカメラを取り戻し、データを見せる。実際に官邸の写真はまだ撮っていなかったので、特に問題はなし。あれこれの写真を見て、彼はこれはエチオピアの写真か?などと聞いてくる。そして、怒り狂っていたおじさん軍人に、彼は旅行者だなどといって説明してくれる。

結局、カメラも無事戻ってきて一件落着。

それからまた歩いて港に向かう。今日も見事な快晴で、空は青い。陽に当たっているとジリジリと焼けていくような感覚をおぼえる。

Port de Djiboutiと大きな看板が見え、そこの守衛に英語で舟でイエメンに行きたいのだがと伝えると英語が通じ、もう一つ入り口があるからそこでまた聞くように言われる。

教えてもらった道を歩いていき、もう1つの入り口に行く。守衛の警察に同じようにイエメンに行きたいと伝えると、わかったと言い、あそこにいるセキュリティの人に聞けと言われる。教えてもらったセキュリティの人に聞いてみると、英語が通じ、話も通じたが、今は事務所が閉まっているから夕方4時くらいに出直してくるように言われる。

ネットで調べた限りでは、その辺の人に聞けば舟が泊まっている港まで連れていってもらい、そこで値段交渉などをするというイメージだったのだが、港の中に入ろうとしても別のセキュリティに追い出され入ることができず。客船ではないはずだから事務所に行くというのもよくわからなかったが、また出直すことにする。

港近くの路上からワゴン車を改造したミニバスに乗る。隣の白髪交じりのおじさんが、握手を求めてきて、陽気な雰囲気でなにやらアラビア語で言う。そして、ぼくの頭を指さし、髪を切った方がいいというような仕草をする。これで昨日に続き2度目。

このミニバスの客引き兼運賃集め係の若い男がまたダメな奴で、中心街で降り、500フラン(約300円)払ったところOKというような仕草をして釣りを出さない。そんな高いわけがないので、釣りを出せと言うが、ごまかそうとするばかりでちゃんと釣りを出さない。しかも同じことを地元の人にもやっているから、同じ場所で降りた他の客からも非難轟々。髪を切った方がいいと言っていたおじさんが運賃は0.5フランだと教えてくれ、ぼくが受け取った釣りをみて、それじゃおかしいと言って、客引きにちゃんと釣りを出すよう言ってくれる。結局、ちゃんと釣りをもらうのに5分くらいかかる。まったくどうしようもない。

1時を過ぎたことでいろんな店は閉まり始めた。外にいるのも暑いので宿に戻って一時休息。それからネット屋でネットをする。1時間約200円。

4時前にまた港に行く。今回乗ったミニバスの料金係はまっとうな人ですんなりとお釣りをくれる。

さっき話をしたセキュリティの人がいたところに行ったところ、その人がいない。別の人にイエメン行きの舟について聞いてみたが、アフターと言うだけで話が通じない。しょうがないので、また警官などに聞いて回り、なんとかイエメン行きの船会社の事務所を見つけることができる。が、午後は開いていないとのことでまた出直すことに。

中心街に戻る。今回乗ったミニバスの料金係はまたも嘘つきだった。

中心街に戻って、フルーツジュース屋で一服する。その店には白人が10人以上たまっていて、ほかと異質な雰囲気。ジュースは小さいサイズが200フラン(約130円)と高い。エチオピアならその半額だったのだが。アボカドジュースが飲みたかったのだが、なかったためメロンジュースを飲む。うまい。

それから市場周辺の路地をほっつき歩き、晩飯探し。布地屋や化粧品屋が並ぶ通りには露店が並び、そこでも化粧品などが売られている。
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その露店街の一角に揚げ物屋5軒ほど連続して並んでいるところがあった。金属製などのお盆に3種類ほどの揚げ物を乗せて売っていて、その場で食べることができるよう、小さな椅子も用意されている。ここで揚げ物を食べているのはなぜか女性ばかり。持ち帰りと違うのは、ここで食べるときには店側が用意したチリソースを使えること。

ぼくも女性たちに倣い一軒の揚げ物屋の前に座り込む。英語もフランス語も通じないので、適当に100フランぶんというような仕草をすると伝わったようで、店の男の子はオッケーと言うような仕草をする。その店には揚げ物の他に湯がいた小型のじゃがいももあった。じゃがいもを頼むと少年が皮を剥いてくれる。そして、それをチリソースに付けて食べる。揚げ物も適当につまんで食べる。揚げ物はエチオピアで売られていたものとほぼ同じ。

食べていると7歳くらい子どもたちが周りに集まってきて、右手を出し、何かくれという仕草をする。総勢7人ほど。この店に来る前に買った揚げ物を適当にあげる。が、それだけでは満足せずにまだ手を出してくる女の子もいる。店の少年が何やら言っておっぱらう。ストリートチルドレンなのかどうかはわからない。見る限りでは服装もこざっぱりしていたからそうとは思えなかった。
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それからまたふらつく。ジプチでは新鮮な魚が食べられるとどこかで読んだので魚を食いに行く。レストランの中には魚の絵を書いて、魚が食えると示しているところがあったので、そこに入る。魚を食べたいというと魚だけで300フラン(約200円)もするという。予想外に高かったが、試しに頼む。300フランは魚に、200フランはその他にというふうに注文したのだが、出てきたのは焼き魚とインド式に近いナンのみ。焼き魚はともかくナンだけというのはがっかり。焼き魚は唐辛子ソースか何かを塗りながら焼かれたようで、ピリ辛味。中型のタイくらいの大きさ。まぁまぁ。ナンはうまいのだが、これだけというのが寂しい。
送信者 djibouti


がっかりしながら店を後にし、宿に戻る。

まだまだ夜は始まったばかり。部屋に戻っても表の通りから音楽が聞こえてくる。宿の向かいに音楽屋があって、そこでは大音量で音楽がかけられている。テンポのいいアラブチック、インドチックの音楽が夜中近くまで聞こえていた。

Fin

2009年9月22日火曜日

[diary]ジプチに入国

ジプチに入国

08/10/12(日) 晴れ
[Diredawa:Ethiopia→Djibouti Villa:Djibouti]
レート:1米ドル=176ジブチフラン=100円

・2時起き、4時発
・国境、わけのわからない検問
・久々の海
・汚い住宅街、アリババ
・ヨーロッパ的&アラブチックな中心街
・高い物価

エチオピアはディレダワの朝。というか、まだ夜中の2時に目が覚める。2時半に携帯電話でアラームを設定していたのにそれよりも早く起きる。ここのホテルはここ数ヶ月ではかなりいい部類に入るのだが、まぁ、それだけのカネ(1泊100ブル≒1100円)を払っているから当然かもしれない。この宿賃もここ数ヶ月では最高額だし。そんないいところに泊まったのに朝2時起きなのが悲しいところ。もちろん今日ここを離れなければいけない理由などないのだが、かと言ってもう1泊ここにいる気分にもならないから、結局はしょうがないのである。

さて、ちょっと早く目が覚めてしまったのだが、ここでもう30分あるからと二度寝をしてしまったら終わりだと思い、思い切って体を起こし、完全に起きる。眠い。

荷物の支度をして2時半には宿を出る。外は真っ暗。部屋を出れば外へとつながる中庭だから鍵はほったらかしで部屋を出る。

昨日、バスを予約した宿の前の通りにあるバスの事務所まで歩く。通りに出れば明かりがついているのはそこだけだったので、すぐにわかった。ずいぶん人が集まっている。すでにこうした客を相手に商売をやっている人もいる。

バスの事務所に行き、チケットを買う。ジブチの首都であるジブチシティまでバス代は130ブル(約1500円)。チケットを手にしたらすぐにバスに乗り込む。座席は決まっていないようだから適当に窓際の席を占拠。外にはいくらか明かりがあったのだが、車内は真っ暗。すでに客は半分以上乗り込んでいて、話し声などなんやかんやと声が飛ぶ。

3時前にバスに乗り込んだのに、出発はしたのは結局4時。この待ち時間の意味がわからない。

ヘッドライトの明かりだけを頼りにバスは走る。当然、車窓からは暗闇しか見えない。というわけで、寝る。

6時にもなれば外はすっかり明るくなる。ようやくどういうところを走っているのかがわかる。辺りには緑はなく、半分砂漠のようなところをバスは走っている。ちょうどケニアからエチオピアに行くときに通ったあの国境地帯に風景が似ている。沿道には時折らくだが現れる。また、やはりナイロビからエチオピアに行くときに通った沿道で見た木の枝で骨組みを作って布などを張って作った半球型の家なども見る。

8時すぎ、前方右手に大きな屋根が見えてくる。周りは相変わらずベージュ色の砂の世界。そんな中にぽつんとある大きな屋根とくれば国境に違いない。

バスはこれまで走ってきた舗装された幹線道路からはずれ、右に曲がり、その大きな屋根のほうに行く。やっぱり国境の施設だった。でも、その屋根の下で何をするわけでもなく、バスはその屋根近くにあるコンクリート製の四角い事務所の前まで行って停車。ここがイミグレらしい。
送信者 djibouti


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通常なら一人ひとりがイミグレの窓口に行って、そこで手続きするのだが、ここでは乗客みんなのパスポートをイミグレ側がいったん全部集めて、早く終わった人から返却するというやり方だった。すぐに手続きは終わるかと思いきや、これがなかなか終わらない。15分ほどしてもパスポートが戻ってくる気配がないし、他の乗客もめいめいトイレに行ったり、バスの乗客を目当てにチャイを売りに来た人たちからチャイなり朝飯になるようなものを買って、その辺に腰をかけて待っている。

ぼくもトイレにと思って行ってみたが、これが描写する気にならないくらいひどいところだったので、その辺で済ます。暇だったし、まだ何も口にしていなかったので、チャイ売りの女性からチャイを1杯買う。チャイ(ミルクティー)は1杯1ブル(約10円)。女性は魔法瓶らしい水筒にチャイを入れて持ち歩いていて、それをコップ代わりの空き缶に入れて売る。空き缶はフルーツか何かの空き缶らしく円柱形で縦に長く、缶切りで開けた蓋もついたまま。チャイが熱いため、当然入れてもらった缶も熱く、持って飲むのも一苦労。もちろんこの缶は要返却。ちなみにこの時点で、ここに着いてから1時間が経過していた。まだパスポートは戻ってきていない。
送信者 djibouti


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それから30分ほどしてようやくパスポートの返却が始まった。ぼくはここらの人間ではないからか早くに戻ってくる。パスポートを受け取ったらバスへ。

バスはぼくらが待っている間に屋根のある方へと移動してしまっていた。なので、その屋根のあるところへ歩いていく。バスは3台ほど止まっていた。バスの屋根に載せていた荷物を見ればどれが自分が乗ってきたバスかわかるだろうと、それぞれのバスの屋根を見回してみたが、なぜかあるはずの荷物がない。そこで屋根の下のコンクリート打ちの床を見てみると一角に荷物がどさっと無造作に置かれているところがあった。なので、そこまで歩いて行き荷物を確認。ぼくのリュックも降ろされていた。荷物の山の隣には1台のバスが止まっていたので、リュックを持って乗り込もうとすると、近くにいた運転手らしい男が乗るのを制する。ジブチシティに行きたいのだがと英語で言うも、どうも通じていないようでただ首を振るだけ。ちと困る。

しょうがないので、他に止まっているバスを回ってジブチシティに行くかどうか適当に聞くが、どれもいまいちの反応。どうしたものかと思いながらも、まだパスポート待ちをしている人たちの中にジブチシティに行く人がいるだろうと思い、その人たちの動きを待つことにする。
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同じバスに乗ってきた人たちのパスポートチェックが終わったところで、また一緒にバスに乗り込む。8時半ごろにここに着いてから既に2時間近くが過ぎようとしていた。

バスはまた舗装された一本道を走る。辺りには相変わらず緑がない。まったくない。標高が下がってきたようで、徐々に暑さを感じるようになる。エチオピアは標高が高いところが多いから、アジスアベバにいるときも涼しかった。ケニアも大して暑くなかったから、暑いと感じるのは久しぶりだ。
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順調にバスはとばす。もちろん信号も何もない。

12時になってもバスは止まることなく走り続ける。このままノンストップでジブチシティまで行ってくれると早く着くなと思っていたら、突然渋滞が現れ、バスは速度を落とす。そして、道路わきの簡易食堂の前で停車。昼食休憩かと思いきや検問だった。再び乗客全員がバスから降りる。警察の格好をした男たちがバスに乗り込み、複数の乗客が持っていたカート(葉っぱの嗜好品。噛むと覚醒作用か何かがあるエキスが出てくる模様)の束を取り上げ、バスの外に持っていく。取られた乗客は警察に言い寄っているが、警察は強い態度で聞く耳を持たない。言葉がわからないので、なんでこんなことが起きているのかわからない。

乗客の中には食堂で食事を始める者もいれば、ずっと警察に食いついている人もいる。ぼくはやや離れて彼らのやり取りを眺める。

30分以上、そのゴタゴタで待たされる。結局は、警察側が乗客から取り上げたカートを返してことは終わった。結局、なんだったのか?

再びバスは走り出す。なだらかな下り坂に入り、遠くに建物が見えるようになる。もしや紅海が遠くに見えるのではと目を凝らすが、まだそこまでは近づいていないよう。

暑さはさらにきつくなり、だんだんと真夏のような空気になる。あたりは相変わらず半分砂漠のような風景。

検問を抜けてからしばらくすると遠くに海が、その手前にはジブチシティが見えてくる。1時間後、バスはジブチシティに入る。コンクリート製の背の低い四角い建物群の間をバスは抜けていく。車の量がいきなり増える。乗客のうち何人かは途中で適当なところで降りていった。

例のごとくガイドブックを取り出し、窓から見える景色や道路名と地図とを照合させ、現在地を割り出す。ジブチシティは海に面しているから方角が定めやすい。が、いまいち現在地がわからない。まっすぐ進むと予想していた通りからバスが右へと曲がり思わぬ方向へ行きそうだったので、慌てて席を立ちここで降りる旨をバスの運転手に伝える。荷物を受け取って下車。


さてさて、宿はどっちの方か? ガイドブックの地図を見ながら歩く。暑い。こんなに暑いのは久しぶりだ。これまでずっと20℃台だったのに急に30℃台にあがった模様。

近道をしようと住宅街を抜ける。同じような型のコンクリート製の四角い家が碁盤の目のように並んでいて、その間の道は幅3mほどある。なぜかその道が異様に汚い。ごみで埋め立てて作ったのかと思ってしまうくらい、路面にごみが落ちている。落ちているというよりもそもそも未舗装の道だからそれらが車や人に踏まれて舗装材のようになっている。雨が降ったのか、それとも排水施設の問題なのか、ときおり水溜りがあるのだが、これがまた緑色だったり、油のようなものが浮いていたりして汚い。なんなんだ、これは?

住宅街の道があまりに汚いので車が走っている広い通りにいったん出て、その道沿いを歩く。歩いていたらすれ違うバスの中から若い男が顔を出し、こちらを見て「アリババ!」と大きな声で言う。これが噂に聞いていたアリババ攻撃らしい。

リュックを背負って歩いているとすぐに汗が噴出してくる。30分ほど歩いて目的の宿を無事に発見。ガイドブックでは最安値の宿だったが、宿泊代を聞いてみると5000ジブチフラン(約3000円)。エチオピアと比較すると5~6倍も高い。フロントのにいさんのうちの一人は英語が出来たので、その人に言って部屋を見せてもらう。部屋はエアコン付の8畳ほどの広い部屋。トイレとシャワーは共同。トイレとシャワーが共同でこの値段なんて信じられないのだが、フロントに聞いてもこれが一番安いらしい。値下げ交渉もしたが、これで十分安いと向こうは言い張る。他に宿の当てがあるわけでもないので、一晩だけここに泊まることにして、部屋に案内してもらう。

部屋に荷物を下ろし、しばし休憩。30分ほど歩いただけだが、かなり汗をかいた。天気がとてもいいので、シャワールームで簡単に洗濯をしてからまちに繰り出す。

中心街までは歩いて10分ほど。まずは両替をしなければいけない。今日は日曜日だから開いてないかなと不安に思いながら中心部へ行くと、両替屋に限らずほとんどの店が閉まっていた。それでも1ヵ所は開いていたので、そこで両替する。

中心街はヨーロッパ調の建物で統一されていて、掃除も行き届いており、その一帯だけは見た目にも美しい。ただ、どういうことなのか、道端にらくだがいた。
送信者 djibouti


送信者 djibouti


中心街の南側にバスターミナルがあり、その周り一帯がアラブ調の市場街になっていた。野菜・果物市場ではさまざまな野菜や果物が無造作に陳列され、路上には食べ物の屋台や布や服、葉タバコなどの露店が並び、とても賑やか。ジブチはイスラムの国ということもあり、夕方にはモスクからアザーン(お祈りの時間を知らせる呼びかけ)が聞こえて来る。女性はほとんどが頭から腰くらいまでブルカのようなものと足首まであるロングスカートを着ている。ただブルカと言っても中東のように真っ黒なそれではなく、モロッコと同じくアフリカンカラーの見た目にも鮮やかな柄のものを着ている人が多いから、なんとなくまちの雰囲気が明るい。ちなみに男性はスラックスのようなズボンに半袖のTシャツなど、まぁ適当な格好をしている。男性だけ見るとイスラム的ではない。
送信者 djibouti


暗くなるまで3~4時間ほど歩き回る。夕方暗くなったところで道端の食堂で夕食。地元の食をと思っていたのだが、ちょうど歩いていた通りには魚を焼いて出すだけとかスパゲッティとかあまり物珍しくない料理を出すところしかなかった。せっかっく海のある国に来たからと、魚でも食べようかと思い、魚料理店に入ったところどの魚がいいかと冷凍庫を見せられ、その中の小ぶりのを指差したらそれだけで500円近くするというので辞めた。結局、人がそこそこ入っている食堂でスパゲッティと肉炒めみたいなもののセットを食べる。お値段は300フラン(約190円)。値段のわりに量は多いのがうれしい。スパゲティはピリ辛のミートソース。麺はちょっとやわめ。

なんだかありきたりのものにしかありつけなかったので、食後、近くに並んでいた屋台を見て回る。その中で珍しいものを売っているおばちゃんがいたので、そこで売っているものを注文。それは牛乳の中に穀物の何かを入れたもので、どちらかというとデザートのようなものだった。でも、デザートというには甘さが足りない。食べた感触だと中に入っていた穀物は麦の粒っぽい。ジブチはアラビア語かフランス語だから聞こうと思っても、こちらの言語能力が低すぎて文字通りお話にならない。だから実際はどうなのかわからない。

19時過ぎごろ、宿にいったん戻る。宿の人に近くにネット屋があるか聞いたらあるというので、近くのネット屋に行く。ネット代は1時間300フラン(約190円)。エチオピアやケニアの2倍の値段だがそこそこ速い。ネットでジブチの安宿情報やイエメン大使館の場所などを探す。

その後、ホテルに戻り、適当に就寝。

Fin

2009年9月17日木曜日

[diary]アディスアベバからデレダワへ

アディスアベバからデレダワへ

08/10/11(土) 晴れ、ときどき小雨
[Addis Ababa→Diredawa:Ethiopia]

夜中の2時頃、一時目覚める。
また寝る。

4時、携帯のアラームで目を覚ます。廊下を歩く人の足音、話し声が聞こえる。

モヤレと違って、この時間でも部屋の電気はついた。荷支度をして部屋を出る。さすがに外は冷える。20度は切っているだろう。

24時間オープンの受付には若い女性がいた。彼女にキーを返し、チェックアウト。昨日、4時半に予約しておいたタクシーはきちんと来ていた。タクシーに乗り込み、運転手に近くのバロホテルに寄ってもらうよう伝える。

ホテルの門を出る。日中はそこここに座り込んで物乞いしている人たちがいるのだが、この時間にはその人たちの姿はない。一方通行のためバロホテルまではだいぶ遠回りをした。友達連れなのか、歩いている人が数人おり、また真っ暗な中で営業している路上のお菓子売りもいる。銀行の入り口の軒先で寝ている女性や5人ほどで固まっておしゃべりしているストリートチルドレンなども見える。

バロホテルの門は閉じられていたため、ドンドンと門を叩く。中から守衛らしき男が出てきたので、中に入れてもらい、一緒にバスステーションまで行く日本人旅行者の部屋に行き、ノックする。今、起きたばかりだと言うので、しばらく待つ。

4時35分頃、バロホテル前を出発。バスステーションまでは日中と違って道が空いていたので10分ほどで着いた。宿周辺と違って、バスステーションのまわりはすでに活気がある。バスに乗ろうという客と、そうした客を狙った物売りの人たち。バスステーションの入り口を入ると、バスの客引きたちが待ちかまえていて、バスの行き先を大きな声で叫んでいる。

その入り口のところにはバスの客引きの他にバスステーションの整理員のような人もいたので、その人にデレダワに行きたいと伝えると、腕をつかみ案内してくれる。同時にバスの客引きもぼくの腕を握り、自分のバスへと連れていこうとする。それを見た整理員は、その客引きをど突き、アムハラ語でその客引きに文句を言い、そういったことをやめるように言う。ぼくの周りには整理員の他にそうしたバスの客引きが総勢6人ほど。それぞれがああだこうだと言ってやかましい。うっとおしい。

バスが並んでいるところまで連れて行かれたところで、整理員のあんちゃんに、ここの3台がデレダワに行くからいいバスを自分で選んで乗るといいと言われる。良いバスを選んでと言っても、どれも似たようなバスで値段も同じ程度だから選びようがない。客引きに囲まれているのが一番うっとおしいので、とりあえず一番近くのバスに乗り込んでしまう。

ここで一緒に来た日本人旅行者とはお別れ。

バスに乗り込んだのが、5時前。まだ外は真っ暗。車内で座っていたらチケット売りのにいちゃんがまわってきたので、チケットを買う。74ブル(約740円)。

車内にはすでに10人くらい客がいた。続々と客は乗り込んでくる。あちこちからなにやら言い合いしている声が聞こえてくる。

1時間ほどしてやっと落ち着く。席もほぼ埋まってしまう。バスのエンジンがかかるが、すぐには出ない。
送信者 ethiopiq



空が明るくなり始めた6時半前にバスは動き出す。入り口を出て、幹線道路を走る。窓から外を眺めていると、道ばたのちょっとしたスペースで腹筋のトレーニングをしている若い男2人やランニングしている若い女性を見かける。みなオリンピックを目指しているのだろうか。

バスが走り出し、日が昇ったら、太陽の当たる側に座っていたこともあり、ぽかぽかして眠くなる。寝る。

道は基本的に舗装されているが、たまに舗装がはげているところなどを通るので、そういうところではみな一斉に跳ね上がったりする。

9時頃、バスは何もない原っぱの前で停車。トイレ休憩らしい。乗客は三々五々バスを降り、原っぱの各所で立ち小便、座り小便をしている。ぼくは車内に残ったまま。

15分ほどでまたバスは走り出す。

アディスアベバからだんだんと高度が下がっているようで、気圧の変化に敏感なぼくの耳はちとおかしい状態になる。

車窓からは幾重もの山並みが見えるのだが、どの山も木が少ない。てっぺん近くまで耕されている山もあるが、家の数だけ見れば、それほど多くの人が住んでいるようには見えない。なのに山には木がない。これではちょっと雨が降らなければあっと言う間に水が枯れるだろう。
送信者 ethiopiq


しばらく走って見えてきた家々は、円形の土壁に円錐系の藁屋根というスタイルの家。こういう形の家は西アフリカでもモザンビークでもザンビアでも見たが、ちょっと違うのがその屋根の頂点が鋭く高くとがっていること。構造上の必要からそうなっているのか、ただのデザインなのか?

ただそうした家は割合から言えば少ない。たいていは長方形(直方体)の土壁にトタン屋根というスタイルが多い。

牛の群について歩いている人や薪を頭に載せて歩いている人をしばしば見る。

11時半頃、どこかのまちのメインロードにバスは止まり、そこで昼食休憩。例のごとくバスから降りると、人々の視線が集まり、子どもらは何か変わったものがいるというように指さしながらお互い知らせ合い、ぼくの方を見る。
送信者 ethiopiq



ぼくは道ばたで売っていたおばさんからバナナを1本買う。値段は2本1ブル(約10円)。そのほか、茶なども道ばたで飲めるようだったが、用心して飲まず。

たいして大きい町だとは思えないこんなまちにも物乞いはたくさんいるようで、次々とカネを乞う人がまわってくる。年輩の女性が多い。掌だけで両手の指がない女性も2人ほど。明らかに路上生活をしていると思われる10歳過ぎくらいの少年が2人ほど。どうせエチオピアをもう出るからと思い、たまっていた小銭をまわってきた人等に少しずつやる。
送信者 ethiopiq



30分ほどで休憩は終わり。バスに乗り込む。バスに乗り込んでからも、誰かから話を聞きつけたのか、一人のおばさんがカネをくれとやってくる。ぼくは出入り口の階段横の席に座っていたのだが、おばさんはぼくの足を何度もポンポンと叩き、アムハラ語なのかローカル言葉でなにやら言う。コインはすでになくなっていたので、もうやるつもりはなかったが、しつこいので、1ブル札(約10円)を渡すとあからさまに嬉しそうな顔をして、右手を天に突き上げなにやら言う。もちろん言葉はわからない。

ちなみにバスが止まる先々でこれだけ物乞いが集まってくるのは、東・南アフリカではエチオピアが初めて。西アフリカでは、マリで主にストリートチルドレンが停まる先々で物乞いしていたが、エチオピアは年輩女性と子どもと両方。植民地化されることなく、独立を維持して来たアフリカの唯一の国が、植民地化されていた国々よりも一見すると貧しいのはなぜか? なぜ80年代にあれだけの餓死者を出しながら、またも同じようなことを繰り返しているのか? 今年の餓死の発生は、人間の力では克服できないほどの干魃によるものなのか、それとも人為的なものだったのか?

うとうとしながらそういうことを思う。

徐々に高度が下がってきているらしく、空気もだんだんとぬるくなってくる。

15時頃、ハラールとデレダワとの分岐点に到達し、バスは左へ旋回。そこから1時間ほどでデレダワに着く。

"Welcome to Diredawa"と書かれたコカ・コーラの看板が見え、予想外に整備されたコンクリートづくりの町並みが現れる。ごみもたいして落ちていなく、全体的にきれい。

やがてバスステーションに到着。例のごとく敷地だけは広いが閑散としているただの駐車場スタイルのバスステーション。バスから降り、リュックを受け取る。これまた例のごとく荷物を屋根から下ろしてやったからとバスステーションに控えていたおっさんから2ブル(約20円)請求される。まったく気楽な仕事だ。

リュックを受け取り、タクシーの客引き2名ほどを無視して、とりあえずバスステーションを出る。出たところにバスステーションの警備員のような人が銃を持って居たので、その人にジプチ行きのバスに乗りたいのだがと訪ねる。

すると英語が通じ、彼は遠いから三輪タクシーに乗っていけと言う。バスステーションの出口の所に数台青色の車体の三輪バイクタクシーがおり、そのうちの一台を彼が呼び、行き先を告げる。値段を聞いてみると15ブル(約150円)。ちと高いなと思ったが、どちらにしろ場所がわからないので、乗ることに。

三輪バイクタクシーのおじさんは、多少英語を話した。ジプチに行くことを知ると「Have you passport?」と英語としては不正確な言い方で聞いてくる。

想像していたよりもジプチ行きのバス乗り場は遠かった。バスステーションを出て、まちなかを通り、鉄道駅を正面に右に曲がり、さらに行くと今度は雑然とした地帯に入る。

右手には木材を組み合わせただけの簡易屋台が広がり、服が山積みにされて売られている。馬車が通り、ロバや山羊が道の端を歩く。

道の両脇には商店が立ち並び、歩道にはドーナツのような揚げ物を売る人や嗜好品の草(カート)や歯ブラシ代わりの木の枝を売る人、パッションフルーツや柑橘類(晩柑みたいなの)を売る人などが座り込んで商売している。
送信者 ethiopiq


その通りを行くと右手に手書きのバスの絵が買かれた看板が見え、その前で降ろされる。そこがジプチ行きのバスを出している会社のオフィスらしい。

オフィスの入り口向かって左側には、6畳ぶんほどテントが張られ、その下に荷物と一緒におばちゃんが数名座っている。バスを待っている客なのかどうかは不明。

バス会社のオフィスは他の店と同様8畳ほどの広さがあるコンクリート打ちの部屋。入り口から入ると木製の机があり、そこに人が居た。

ジプチに行きたいというと、机にいた若い兄ちゃんは英語を解し、日にちを確認し、すぐにチケットを作ってくれる。たいていこうしたバス会社の人間は態度がでかいのだが、ここのあんちゃんはにこやかで対応も丁寧。

何時にここに来ればいいのかと彼に聞くと、「3a.m.」と紙に書いて「not Ethiopian time,Europian time」と付け加える。三輪タクシーのおじさんは、ここまでの移動中にバスは明日なら「3 evening」に出ると言っていた。だから、明日はバスが出るまでゆっくりできなと思っていたら、これだ。やはり当てにならない。まあ、ただ英語を間違えていただけかもしれないが、それにしても当てにならない。

チケットを受け取り、その彼に近くにホテルがないか訪ねる。すぐに近くにあるらしい。夜中なので、宿は取らずにここのオフィスに荷物を預けて、バスの時間まで待つことも考えたが、どうも軽い頭痛がするので一休みするためにも、宿をとることにした。

三輪タクシーに乗ってホテルまで連れていってもらう。受付で宿代を聞くと100ブル(約1100円)。高い。が、近くには他に宿がないようなので、渋々ここに泊まることにする。

部屋は値段の通りしっかりしていて、きれい。天井には扇風機もついている。蒸し暑くなってきたので、扇風機を付けてみると、長く使っていなかったのか、オーオー、落ちてくるわ、虫の死骸やごみやほこりが・・・。さすがエチオピア、アフリカ。

今日は朝から何も食べていなかったので、ちょっと外に出て、簡単に食べられそうなものを探す。三角形の揚げ物があったので、別々のおばさんから2回買う。一つの店では1ブル(約10円)で2個買え、もう一つでは同じ値段で3つ買えた。大きさは親指と人差し指で輪を作ったときの内側の円程度。小さい。中はアジスアベバで食べたときと同じで、小さな緑豆(?)とネギが入っていて、ちょっと納豆巻きっぽくてなかなかうまい。
送信者 ethiopiq


ネット屋があったので、もぐもぐしながら、そのネット屋でネットをしてみる。ここも1分0.2ブル(約2円)。パソコンは10台ほどあって、ほとんどが埋まっている。それぞれの画面を見てみるとホットメールやMSNのチャットをやっている人が多い。みな男。

ぼくは電源が付いていなかったパソコンに案内され、電源を入れるからしばらく待てと言われる。コンセントを指し、電源をオンにしてから立ち上がるまでに20分。スピードはやはり遅い。日本語は読めなかったので5分で切り上げる。

それからさっき三輪タクシーで通ってきた商店街を歩いてまわる。服屋、布屋、薬屋、板金屋、食料品店が軒を連ね、路上ではキャベツやタマネギ、人参などを売っているおばさんたちがいる。

路上でものを売っている人の中に、小型のサータアンダギーのようなドーナツを売っている人がいたので、そこでそれを買う。アムハラ語で数字だけ伝え、小さな球型ドーナツを2ブルぶん、大きめの球型ドーナツを2ブル(約20円)ぶん買う。小さい方は甘みがあるのだが、大きい方は甘くない。

歩いていると子どもが手を振ってきたりする。物を売っている女性たちがホレホレと指さしぼくが歩いているのを教え合ったりしているのも見える。

毛布屋の前を通る。毛布屋にはUNHCRと青字入った白地のビニールシートがあった。そのシートは何枚もあったので、売られている毛布はUNHCRからの流れ物なのかもしれない。

レストランはあったものの、屋台はなく、かるく食べられそうな物もこれまで買った揚げ物くらいしかないようだったので、暗くなる前に宿に戻る。

せっかくなのでシャワーを浴びる。石鹸とタオルとトイレットペーパーも付いていたので、タオルは残してあとはもらっていくことにする。

軽い頭痛があるため、携帯を2時半にセットし、しばし休息。

Fin

2009年9月16日水曜日

[diary]イエメンビザ取れず

イエメンビザ取れず

08/10/10(金) 晴れ
[Addis Ababa:Ethiopia]

・訳の分からないビザ申請条件
・ダメな銀行
・送りもの
・スパゲッティ
・久々の日本語

7時前に起床。今朝も涼しい。昨晩もダニにやられたのか、夜中かゆくて目が覚める。

昨日、イエメン大使館に行ったときに守衛のような人が朝は8時からやっていると言っていたので、さっそく準備して宿を出る。

オリンピックの聖火のような格好をした大きなモニュメントがあるところまで行き、その前の通りでミニバスに乗る。イエメン大使館近くまで1.4ブル(約14円)。

バス乗り場には揚げドーナツとチャイを売っている女性がいたのでドーナツを3ブルぶん(2個)買って、朝飯代わりにする。昨日はずいぶん込んでいた道だが、まだ朝早いようで道は空いている。1時間近くかかるだろうと見込んでいたが、20分足らずで目的地にまで着いてしまった。

↓車窓からの風景
送信者 ethiopiq


立体交差している陸橋の下から歩いてイエメン大使館に向かう。陸橋下にもチャイを飲ませる店(といってもテントも何もなく、おばさんが水筒にチャイを入れて持っており、それをコップに注いで飲ませるだけ)があり、そこから上る湯気がなんとも絵になる。
送信者 ethiopiq


5分足らずでイエメン大使館に到着。まだ8時前だったが、一応入り口の閉まっている鉄門を叩いてみる。中からしわしわの年寄りの守衛が顔を出す。英語で中に入れるか聞いたが、彼は英語を解さず。アムハラ語か何かで何とかと言い、しばらく考えて時計を指しながら「three」という。どうもエチオピアンタイムの3時、つまりはヨーロピアンタイムの9時にならないと開かないらしい。昨日は8時だと言っていたのに、まったく当てにならない。

まだ1時間あったので、どうしようかと思い、ズボンのつぎはぎが破れてきていたので、それを修理することにする。針と糸は持っていなかったため、近くの商店に行って、針と糸を買う。併せて3ブル(約30円)。それから大使館近くの小さなカフェで縫い物。チャイとパウンドケーキみたいなものを注文し、奥の座席に座って縫い物をする。この店の女性は英語を解さず。

そんなこんなで時間をつぶし、9時ちょっと前に大使館に行き、ビザの申請所の待合室に行くとすでに3人ほど先客がいた。もっと早くに開いていたよう。

窓口はイエメン人用と外国人用と2つあるが、窓口にいるのはおばさん一人。頭から薄紫色のベールをかぶり、髪が見えないようにしている。

そのおばさんにビザがほしいのだがと英語で言うと、おばさんは早口の英語で日本大使館のサポーティングレターはあるかとか、写真が1枚必要だとか言う。

また、必要な物をさらさらと言う中で27米ドルぶんを両替したことを示す銀行のレシートが必要だという。はぁ? ブラジルビザの場合、銀行でビザ代を振り込みということがあったので、そのことかと確認するが両替を示すレシートがやはり必要らしい。しかも27米ドルという中途半端な金額。

どこの銀行のレシートが必要なのかと聞くと、どこでもいいと言い、付け加えて、27米ドルぶんちょっきりの両替ができるかどうかはわからないなどと言う。なんと無責任な!しかもビザ代は750ブル(約7500円)。エチオピア通貨払いでドル払いは不可と言う。一方で米ドルを両替させといて、もう一方では米ドル払いは不可なんて、勝手もいいところだ。しかもこのおばさん態度も横柄。窓口に一人しか置かないなら、聞かなくてもわかるように張り紙でもしろよな。

まったく腑に落ちない話だが、とにかく今日中に申請しなければ土日が無駄になるので、いらいらしながら大使館を出て銀行に向かう。またミニバスに乗り、中心街に向かう。

しかし今度は大渋滞。ここの大渋滞は車がずっと連なってできるものではなく、途中で無茶なUターンしようとしている車があったりして詰まる場合などが多い。ここもほんの一部を抜ければ、あとはスムーズに走る。

途中、銀行があったので少しでも近いところで両替した方が戻りが早くていいだろうと思い、目的地まで戻らず、そこでバスを降り、その銀行に走る。窓口で両替したいと伝えると、窓口の男性は機械がまだ動いていないからダメだなどとのたまう。やれやれ。

またバスに乗る。乗って数分でまた別の銀行が見えたので、今度はそこに駆け込む。そこでは両替はできるものの釣りがないと言う。つまり、ぼくは10米ドル札と20米ドル札しか持っていなかったため、30米ドルの中から27米ドルぶんだけ両替してもらおうとしたのだが、それは無理だという。領収書だけでも27米ドルで作ってくれと頼むが、できないという。こういうところだけ堅い。使えない。

しょうがないので30米ドルぶん両替することにして、レシートに銀行から一筆書いてもらうことにする。が、今度は両替担当窓口の偽札判断機(と勝手に命名)にぼくが渡した米ドル札が合格せず、結局両替はできず。

そういうわけでまた別の銀行を探す。探しながらだんだんイラついてくる。イエメン大使館のやつ、あんな端数の金額要求するなら自分とこで両替できるようにしろよな、と。ついでに銀行も銀行で1米ドル札くらい持っとけよな!

あたりきょろきょろしながら歩き回り、また別の銀行を発見。そこでまた同じように27米ドルぶん両替できないか尋ねる。が、やっぱり細かいのがないとのこと。しょうがないので、さっきと同じ方式で30米ドル両替してもらってレシートにの裏に銀行の人に一筆書いてもらう。今回は偽札発見器もクリア。銀行の人も対応は丁寧だった。

さて、とりあえずのことは準備できたから再度イエメン大使館へ向かう。そうこうしているうちにお昼近くになってしまっていた。また昼になると昼休みと言って窓口が閉まる可能性もあるので、バスに乗っていながら焦る。

バスを降りたところからイエメン大使館まで早足で行き、また館内に入る。そして、窓口に行く。窓口にはさっきと同じ女性がいた。その女性にパスポートとさっきもらったレシートなど必要書類をそろえて渡すと、例のレシートを見て30米ドルとなっていることに気づき、その瞬間、“これじゃ、ダメだって言ったじゃない”というような勢いで一連の書類を突き返してくる。なので一応説明はしたが、納得せず。そして、そのままプイと別の仕事に移ってしまう。

さすがに頭にキタが、文句を言えば翻意するとも思えないため、ここでイエメンのビザを取ること自体を諦める。だいたい事前に聞いていた話ではイエメンのビザは24米ドル程度と聞いていたのに75米ドルもするってのはどういうことだ? 

次に行くジブチでイエメンビザを取ったという情報はなかったが、まぁ、海を挟んでイエメンとは隣の国だし、ジブチにもイエメン大使館はあるようだからそっちで取れるだろうと思い、ここでのイエメンビザ申請はやめる。それにしても半日を棒に振ってしまった。ため息もんだ。あのイエメン大使館員はなんなんだ!

イエメンビザが取れないとなればアジスアベバにいる理由もないので、明日ここを出ることにする。

またミニバスに乗って宿のある地区に戻り、まずはネット屋に行き、ジブチのイエメン大使館情報を集める。集めた範囲で言うと、ジブチでもイエメンビザは取れそうだった。これで少し安心し、次に日本へ送る荷物を郵便局に出してしまうことにする。船便にしてもけっこうなお金がかかるので、それ用に米ドルからブルに両替する。

宿に戻って中くらいのダンボールに荷物を積み込め、それを担いで宿を出る。ミニバスで行く手もあったが、車内ではダンボールが邪魔になるので歩いて行く事にする。けっこう暑い。

20分ほど歩いて中央郵便局到着。途中、中のショック緩和剤にと地元の新聞を買う。新聞は1部2ブル(約25円)だった。

郵便局の海外郵便を扱っている窓口に行き、書類を記入。ダンボールの口は開いたままだったが、職員がアムハラ文字の入った黄色いガムテープでぐるぐる巻きにしてくれる。さて、問題の送り賃は予定していたよりもずいぶんかかった。荷物自体の重さが8.7kgもあったことがあるが、これで船便代が962.8ブル(約11000円)。あまりに高いので躊躇したが、リュックには余裕ないし、これから中東に入るからいいかと思い切って自分を納得させ、船便代を払う。

これですっきりしたので、またカフェで一服。マキアートという飲み物が3ブル(約35円)で、パインがのったパウンドケーキの1カットが5.5ブル(約60円)だった。その後、適当な店でペットボトルの水1.5リットルを買う。御代は7ブル(約80円)。

ジブチ行きを決めたもののもうちょっと情報が欲しかったので、ここで最初に泊まった宿に情報ノートを見に行く。そしたらテラスに日本人男性旅行者が2人いた。ちょうど情報ノートを持っていたので、声をかけて見せてもらうことにする。

彼らは中東から下ってきたらしく、これから南下するという。日本語で話すのは久しぶり。と言っても1週間ぶり程度だけど。ぼくは中東の情報を、彼らはこれから行くアフリカの情報が欲しかったので、一緒に晩飯に行く事にして、そこで話をすることにする。

二人は別々にここにたどり着いたらしく、一人のほうはここの宿には日本人がいると聞いてやってきたらしい。

晩飯は情報ノートにも書かれていたスパゲッティ屋に行くことになった。彼らにしてみればこれからインジェラばかり食べないといけないからアジスアベバにいるうちはそれ以外のものを食べていたいらしい。

その店はけっこう混んでいて、ヨーロッパ系の人もちらほら。ぼくらはテーブルを囲み、ミックスジュースやスパゲッティなどを注文。ちなみにスパゲッティトマトソースは16ブル(約180円)だった。
送信者 ethiopiq


送信者 ethiopiq

その後、店を買えてティータイム。そこではぼくはピーナッツティーを飲む。お値段3ブル(約35円)。かすかにピーナッツの味はするが、なんだか中途半端。あまりうまい飲み物じゃない。

話をしていると一人は明日明朝にバスに乗って別のまちに移動するという。ぼくも明日は明朝のバスなので、じゃあ、一緒にバスターミナルまで行くかとなる。明日、宿を出るのはまだ暗い4時頃だし、タクシー代も一人ではちと高いので、こういうのは助かる。

明日は早いこともあり、早めに切り上げる。

宿に戻って1泊分の宿代(63ブル≒700円)を払い、受付の女性にタクシーを1台明日の朝に待機させておくようお願いする。

部屋に戻って明日の朝すぐに出られるように準備をしてから就寝。


Fin

2009年9月15日火曜日

[diary]ジプチビザをゲット

ジプチビザをゲット

08/10/09(木) 晴れ時々曇り
[Addis Ababa:Ethiopia]
レート:1米ドル=9.7ブル=100円

・ジブチビザをゲット
・イエメン大使館を下見

タイトゥホテルで2回目の朝。昨日は虫対策で靴下と長ズボンを履いたまま寝たのだが、なんだかどうもその甲斐はなかったようで、またもや新たに虫にやられたらしい痒みを感じる。やれやれ。

ジブチのビザは午後に出来るというから、午後にはジブチ大使館に行かなければいけないのだが、それまでは時間がある。なので、昨日、散歩途中で拾ってきたダンボールに日本に送る荷物を詰めたりする。ついでに荷物の詰め込みのし直しも。

昼飯は早めの11時過ぎに近くの食堂でとる。今回はちょっと奮発して高めのミックスグリルを注文。御代は23ブル(約260円)。パンもスープもそこそこうまかった。
送信者 ethiopiq


腹が膨れたところでお出かけ。昨日と同じようにミニバス乗り場へ歩いて行き、そこからジブチ大使館近くに行くミニバスに乗る。運賃は2ブル(約25円)。

バスを捕まえたりするために時間がけっこうかかるかと思っていたが、意外にすんなりとジブチ大使館近くに着く。早めに出てきたら逆に早く着きすぎたので、沿道にあった海の家のような簡易カフェでコーヒーブレイク。コーヒーは1杯2ブル(約25円)。

しばらくそこで時間を潰してからジブチ大使館へ歩いていく。それでもちょっと早かったが、大使館にはすんなり入れる。カウンターに行って用件を伝えると、職員の女性はパスポートを並べた束の中から探し出す。ぼくのパスポートは赤色で、他のパスポートは紺色だから一目でぼくは自分のパスポートのありかはすぐわかったが、職員はわからない。そこなんだけどぉ~、と心の中で突っ込みながら、自分のパスポートまで職員の手がまわるのを待つ。

そんなに待つことなく、ビザが貼られたパスポートが戻ってくる。念のためビザを確認。確かにジブチのビザがあった。

用事が済めばすぐに大使館を出て、ミニバス乗り場へと行く。次はイエメン大使館だ。沿道でやってくるバスの行き先を確認しつつ待ち、自分が乗るバスとわかれば手を挙げてバスを止めて乗り込む。

ミニバスに乗って、いったん宿のある地区に戻る。ここでミニバスを乗り換える。日本大使館やジブチ大使館は宿がある地区の南の方だったが、イエメン大使館は西の方なので、経路も乗り場も違う。新たにイエメン大使館近くまで行くミニバスを人に聞きながら探す。

何人かに聞いてようやくバスをゲット。バスに乗り込む。

日本大使館方面とイエメン大使館方面では沿道の景色がだいぶ違った。日本大使館方面に行くときは高層のビルを沿道に見ながらきれいに整備された道路を走ったが、イエメン大使館方面は道路は舗装整備がなされているものの、でこぼこしている部分もあるし、道端には野菜を売る人、炭を売る人、道路に寝転んでいる人などがいっぱい。家もトタンを貼り合わせたようなものや土壁が崩れ落ちて薄くなっているものなどを見ることになった。
送信者 ethiopiq


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渋滞していたこともあり、40分くらいかかって終点のイエメン大使館近くの通りに到着する。そこでバスを降りて、ネットで得た情報を元にイエメン大使館を目指して歩く。

なんとか間違えることなくイエメン大使館を発見。バスを降りた場所からは歩いて10分ほどのところだった。大使館が開いていれば申請用紙とかをもらって帰ろうと思っていたのだが、なんと既に閉館後だった。16時までしか開いていないらしい。ちとがっかり。

また歩いてミニバス乗り場に戻る。次々と入ってくる車とバスを待っている人でミニバス乗り場は賑やか。ミニバスに乗って宿近くまで戻る。

しばらく宿近くの地帯をぶらぶら歩く。まだ通っていなかった細い通りを行くと、服屋や肉屋などがごった煮のように並んでいてなんだか面白い通りだった。

19時前に適当な食堂に入って夕食。マバライという料理を頼む。これもなかなか高くて24ブル(約270円)。味はいつもどおり。インジェラは相変わらず酸っぱい。
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食後、近くのネット屋でネット。たいして早くないが、まぁしょうがない。ネット代は1時間12ブル(約140円)。

その後、近くのカフェでティータイム。メニューを眺めていたらパイナップルティー(ホット) というのがあったので、それを注文する。お値段3ブル(約35円)。確かにパイナップルの香りがするが、パイナップルジュースのような味はしない。どうやって作ったのか、気になる。
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そうこうしているうちにまた問題の夜がやってくる。今晩もまた虫にやられるかもしれないと思うと、眠くても寝たくなくなるのだが、やっぱり寝てしまうのであった。

Fin

2009年9月14日月曜日

[diary]日本大使館のレターをゲット、ジプチビザを申請

日本大使館のレターをゲット、ジプチビザを申請

08/10/08(水) 晴れ
[Addis Ababa:Ethiopia]
レート:1米ドル=9.7ブル=100円

・虫にやられて
・日本大使館でレターを入手
・ジブチビザ申請

タイトゥホテルに宿を移って1日目の朝。ついにやられた。朝、起きると足首周辺が痒い。見ると足首周辺の10カ所近くが赤くなって小さく腫れている。ダニか南京虫か何かにやられたらしい。これまでは一度もこうしたことなかったのに、さすがにエチオピア。噂に間違いはなかった。

しばらく本を読んだりして過ごし、それから日本大使館が開館した頃を見て電話する。電話をすると既にサポーティングレターの準備はできたとのことだったので、支度をして日本大使館に向かう。

昨日と同じ場所からライトバンタイプのミニバスに乗って、日本大使館が入っているビル近くへ行く。バス代は1.4ブル(約15円)。

持ち物チェックを受けてから大使館内へ。すぐに昨日対応してくれた職員が出てきて、頼んでいたサポーティングレターを手渡される。文面は英文。これでビザ申請の書類がそろう。

大使館前の通りでミニバスをつかまえ、ジブチ大使館へ。これも運賃は1.4ブル(約15円)。

大使館近くの通りで降り、歩いてジブチ大使館へ。ジブチ大使館は日本大使館と違って一軒屋。敷地の入り口のドアは開いていたので、そこにいた警備員にかるく挨拶して中に入る。ジブチ大使館の建物は四角い建物で、一昔前にはモダン建築と言われたのではと思えるような建物だった。

建物の中に入ると左手にカウンターがあり、そこに職員が2人いた。二人とも女性。先客が2組ほどいたので、しばらく待つ。しかし、先客の用件がなかなか終わらない。そのうち用件が終わったのを見計らって職員に声をかける。ちなみに日本でなら自分の順番になると職員から声がかかったり、番号札があってそれで順番がきたを知らされたりするが、ぼくがまわった範囲で言うと、外国ではそういうことはあまりない。少々早いかなと思うようなタイミングでも一度自分から声をかけないと対応してもらえなかったりする。そういうわけでこの時もまだ他の人の対応をしているようだったが、職員に声をかけて用件を伝える。するとビザの申請用紙や必要書類などが書かれた紙をくれる。

その場で申請用紙に必要事項を記入し、パスポート本体とパスポートサイズの証明写真、パスポートのコピー、日本大使館のサポーティングレター、それからビザ代30米ドル(約3300円)を添えて提出。窓口の職員は書類の不備がないか簡単にチェックし、受理する。そして明日の午後に取りに来るよう言う。

これで一応、今日の最低限の仕事は終了。

ミニバスで宿がある地区へ戻る。今日はおとなしく宿で本を読んだりして過ごす。

宿代を払っていなかったので2泊分をまとめて払う。夜は近くの食堂でインジェラ定食を食べる。
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宿への帰り道、道端で揚げ物を売っていたので、それも試しに買ってみる。まぁ、そんなに悪くないが、フライドポテトはしおれていたからたいしてうまくなかった。
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夜は虫対策に靴下と長ズボンをはいて、寝る。

Fin

2009年9月8日火曜日

[diary]日本大使館とジプチ大使館へ

日本大使館とジプチ大使館へ

08/10/07(火) 晴れ
[Addis Ababa:Ethiopia]
レート:1米ドル=9.7ブル=100円

・走る人々
・レターの申請のため日本大使館へ行く
・ジブチ大使館の下見へ
・宿移動
・郵便局へ
・インターネットカフェとカフェ

今朝は久しぶりにのんびり起きる。ケニアのナイロビを出てからバスで2泊、国境の町では4時半起き、そして昨日は4時起きと連日不自由な朝を迎えていた。夜は寒いというほどでもなく、またまったく暑くもなく、ちょうどいい塩梅。エチオピアの宿は虫刺され(ダニ、南京虫など)が多いから気をつけろという事前情報から、心配していた虫刺されも大丈夫だったよう。

のんびりと目覚めはしたけれど、早くに動き出さなければならない。ここアジスではやることがいっぱいある。次の移動先であるジブチのビザ取り、それからその次のイエメンのビザ取りをしなければならない。面倒なのは、双方ともビザを申請するには日本大使館のサポーティングレター(添え状)が必要なこと。サポーティングレターは入手するには通常申請してから2~5日(大使館の都合による)くらいかかるらしい。しかし、情報ノートによれば申請した翌日に取れることもあると言う。つまりは最短で2日かかり、他のビザも即日発給はないからこれらを済ますだけで最短でも4~5日はみておかないといけない。

となると、今泊まっている高い宿(1泊約1200円!)には泊まってられないので、宿替えをしないといけない。それから、アフリカをまわってきてあちこちで買い込んだ新聞や雑誌、冊子や本などがたまってきたので、それを日本に送る作業もしたい。

そういうわけで始動は早かった。地図で日本大使館の位置を確認する。大使館は9時ごろ開くだろうからそれに合わせて着きたい。地図で見ると歩いていくにはちょっと遠そうだったので、ライトバン型のミニバスに乗っていくことにする。そうするとその乗り場も探さないといけないから間違えた場合も考慮して1時間半前くらいに出たほうがいい。

というわけで7時半ごろ、宿を出る。外はひんやりしている。町を歩く人々はカーディガンやトレーナー、ジャンパーを羽織っている。ぼくは半袖シャツの上に長袖のシャツを重ね着。半袖では肌寒いが、こうすると涼しい程度になる。

地図を見ながらミニバス乗り場を探す。これはわかりやすいところだったので、すんなりたどり着く。ミニバス乗り場のまわりにはチャイを売る人やパンを売る人などが集まっていて、バス待ちをしている人たちがそこで朝食をとっていたりする。ミニバスが5台ほど止まっていたので、英語で近くの人に行きたい通りを告げ、このバスでいいか確認。バスに乗り込む。ミニバスは後部座席は4列になっており、全部で12人ほど乗れる。スーツ姿の人などが次々に乗り込んできて、バスはさっさと発車。500mほど下り坂を走る。沿道には郵便局や20階くらいはある高いビルが見える。建物はどれもやや老朽化した概観をしている。

下り坂を下り終えた正面にはなんとか広場があり、そこにはジャージ姿の人々がたくさん集まっていた。みなランニングをしているよう。

そこを正面に左に曲がって100mほど行ったところでバスを降りる。バス代は1.4ブル(約15円)。まだ9時前だったので、日本大使館が入っているビルを確認だけしてあたりをうろちょろ。9時近くになった頃にビルに入る。入り口には警備員の人がいたが、外見で日本人とわかったようですんなりビル内に入れる。エレベーターで日本大使館がある階まであがる。入り口にはまた警備員のおじさんがいた。ここで来館目的を聞かれ、手荷物チェックを受ける。そして中に通される。まだ開いたばかりなのでしばらく待つ。館内には日本の新聞があったので、それを読みながら待つ。

しばらくして職員の人(日本人)が現れる。30代後半くらいの男性でさっぱりした雰囲気の人。用件はさっき伝えていたからそれ用の書類を持ってテーブルにつく。そして用件の確認があり、どこの国のビザを取るためにレターが必要なのか、これまでどこに行ってきたのかなど雑談交じりでしばらく話をする。イエメンについてもジブチについてもレターを出すのは可能とのことだったが、ジブチからイエメンには船で行くことは海賊が最近活発に動いているので避けたほうがいいとアドバイスされる。ぼくは船で行くことを考えていたのだが、一応了解する。

それから申請用紙に必要事項を記入。申請用紙は2種類で、日本語と英語のものが1枚ずつ。これをその場で記入し、この人に手渡す。レターの発給には通常数日かかるが、明日出すことも可能かもしれないので、明日の朝に一度電話をくれと言われる。これで申請手続きは終了。

日本大使館を後にし、今度はジブチ大使館に向かう。地図に寄ればここからはそんなに遠くない。またミニバスに乗って大使館近くで降りる。バス代は1.4ブル(約15円)。ジブチ大使館はミニバスが通っている幹線道路からちょっと奥まったところにあった。一応、看板が出ていたのでそれで大使館がある通りはわかる。上り坂を200mほど歩いていくと左手に大使館を発見。まだ開館時間ではないのか入り口の門は開いていない。門を叩いても中の守衛がちょっと顔を出すだけで中に入れてくれない。もしかしたらレターなしでビザの申請ができるようになっていたりして、と勝手な想像をして、そうなっていれば今日申請してしまおうと思ったのだが、しばらく待っても入り口が開かないので、明日でいいやと諦める。もっとも早くに諦めたのは理由があった。宿替えだ。今、泊まっている宿はチェックアウトが12時だからそれまでに替わりの宿を決めて、荷物を移動させなければいけない。そういうわけで、またミニバスに乗って宿があるピアッさ地区へ移動。今回は少し乗った距離が長かったからかバス代は2ブル(約23円)だった。

ガイドブックによれば、近くにけっこう古くに立てられた洋風の安ホテルがあるようなので、その位置をまず確認。敷地の入り口からホテルの建物まで少し距離があるが、確かに概観はなんだか古い洋館という感じ。受付に行って空きがあるか確認する。それからまた近くにある別の安宿もあたってみるが、こちらは満室とのことだったので、結局さっきの洋館に移ることにする。

部屋に戻って荷物をまとめる。それから自分が持っていた本と宿の本棚にある本を2冊ほど交換し、受付に行ってチェックアウト。歩いて新しい宿に移動する。

目的のタイトゥホテルに行き、受付でチェックイン。部屋は一番安いものを頼んだがそれでも63ブル(約720円)もした。予定では300円程度のところに泊まるつもりだったのだが、まったく予定が外れてしまったけど、あまり宿探しをする気もないので、今回はここで妥協する。

建物は木造2階建てで廊下を挟んで両側に部屋が並んでいる。従業員に案内された部屋は6畳ほどの広さでベッドが2つと机があるだけ。入るとカビの臭いがツンと鼻につく。ヨーロッパ調の作りであることはそれとなくわかるが、それよりも老朽化がかなり進んでいる印象のほうが強い。これで人がいなければ新品の廃墟のような雰囲気になるだろう。なんだか値段と部屋が釣り合わないなぁと思いながらも、これ以上宿探しをする気もないため、ここではもうあきらめる。

さて、部屋に荷物を置いたら昼飯である。情報ノートで他の旅行者が一押ししていた近くのレストランにセカンドミストという料理を食べに行く。レストランは純洋風で、ウェイターは制服を着ていて、客もスーツ姿の人が多い。メニューは英語のメニューもあり、それでセカンドミストがあることを確認し、注文する。

名前を聞いただけじゃどんな料理か想像できなかったのだが、これがなかなか豪華な料理だった。野菜、肉、ご飯料理がもりもりと一枚の皿に盛り付けられていて、これを別皿のパンで食べるらしい。どの料理も日本の洋風料理的な味でなんだか舌に馴染む。これで御代は20ブル(約230円)。いやいや満足。

送信者 ethiopiq

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腹が膨れたところで、歩いて郵便局へ向かう。朝もミニバスで通った大通りをてくてく下る。道の端の草地には横になっている寝ている男たちがいた。造りかけのコンクリート製の建物の足場は細い丸太材で作られていた。

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宿から歩くこと20分ほどで郵便局に到着。郵便局はなかなか立派な建物で、日本で言えば大きな市の中央郵便局並みにでかい。国際郵便を扱っている窓口に行き、日本までの船便の料金表を見せてもらう。それから葉書用の切手などを買う。驚いたのが日本への切手代。絵葉書サイズのもの1枚につき切手代は2ブル(約20円)だった。最初は窓口の人が間違っているんじゃないかと思い、一度日本までだけどと確認したらやはりそうだった。あちこちで切手を買ったが、ここまで安いのはエチオピアを措いて他にない。それから絵葉書を探して歩く。もうちょっとまともな絵葉書が売っているかと思いきや、これが“何年前に作られたんだ?”と突っ込みたくなるくらいしょうもないものしかない。本屋などにも行ってみたがいいものがなく、しょうがないのでしょうもない絵葉書を買う。

郵便局で一用事を済ませたところで、ちょっと休憩。近くにあったカフェでコーヒーとパイナップルケーキを食べながら午後のひとときを過ごす。今日も天気がよい。気温は30度もいっていないが、日にあたっているとやっぱり暑い。カフェではマキアートという飲み物も飲み、全部で11ブル(約125円)払う。なんたってコーヒーが一杯10円とか20円だから安く一服できる。

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それから歩いて官庁街のような地区に行ってみる。洋風の建物が立ち並んでいて、エチオピアの象徴であるライオンをかたどった彫刻もどどんと置かれていた。
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カフェや食料品店、本屋、土産物屋などが並んでいたので本屋に寄ってみる。昨日行った本屋よりもちょっと小さい本屋だったがアムハラ文字の一覧表を売っていたので、これを購入。お値段は1枚1ブル(約10円)。それから通りがかかったネット屋に行くが、このあたりのネット屋はどこに行っても日本語が読めなかったので、5分もいずに店を出ることを3回ほど繰り返す。

夕方暗くなる前に宿のある地区に戻る。宿の前の通りには路上生活をしているらしいおじさんやおばさん、子どもたちがちょこちょこいる。一方でスターバックスのようなきれいな店構えのカフェが、ぼくが見ただけでも10軒ほどあって、どこも盛況だったりする。それにしてもアジスアベバのカフェがこんなにきれいなんて、予想外だった。

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暗くなった18時半ごろ、適当な店で夕食。食べたことのないもので安いものをと思い、適当に注文したらパンとトマト味のキャベツのスープだった。お値段7ブル(約80円)。これでは腹の足しにならないのでもう一軒。
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別の店に行き、メニューを見たらYebeg Kikelという名前の料理があり、これは食べたことがなさそうだったので、これを注文する。すると出てきたのはインジェラと2種類の汁物だった。1つはスパイスの効いたレッドカレーのような汁で、もう1つはあっさりめの味のスープ。どちらも肉が入っている。インジェラは相変わらず酸っぱい。これはお値段16ブル(約180円)。具が少ないのが難点だが味はよし。

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それから賑わっているカフェに行き、マンゴージュースを飲む。これが意外と高く7ブル(約80円)もした。きっと輸入品か何かなのだろう。カフェに来ているお客は若い女性が多い。中にはカップルで来ているのもいるが、多くは女性の友達連れ。店は22時くらいまで開いているようで、21時ごろ宿に戻るときにも途中前を通ったカフェはまだまだ賑わっていた。

宿に帰ってからは本を読んだりなんたり。適当に就寝。

Fin