2011年3月4日金曜日

[diary]オシュ3日目

オシュ3日目

2009/01/31(土) 曇りときどき晴れ
[Osh:Kyrgzstan]
※レート:1米ドル=40.2(両替屋にて)

・カラスーバザール
・オシュバザールでケーキ探し
・バスを間違える
・ハチチャの誕生会

今日もハチチャの家で朝を迎える。いつものように7時半頃、家族は目覚める。

やかんで洗顔。

8時半頃、朝食。しばらくムスリマの遊びの相手をする。

10時頃、中国人や韓国人がいっぱいいるというバザールに向かう。週末限定なのか、週末が特に人出が多いのかよくわからないが、そのバザールに行くバスや乗り合いタクシーが国境のマルシュートカ乗り場から出ているらしい。

ハチチャと一緒にマルシュートカ乗り場まで行く。ウズベキスタンからもそのバザール(カラスーバザール)に行く人たちがいて、その人たちと一緒に乗り合いタクシーに乗る。運賃はウズベキスタンスム払いで1500スム(約100円)。

意外に遠くバザールまでは40分ほどかかった。

バザールの駐車場で車を降りる。朝からチャイをガバガバ飲んでいたので、トイレが近くなる。バザール内の有料公衆便所に行く。料金は3ソムまた200スム(約10円)。便所はウズベキスタンと同じく、ドアなし。隣とを仕切る壁はあるものの個室の入り口のドアはないため、座り込んでいるおじさんたちの姿は丸見え。どうもこれは中央アジアの文化らしい。

ぐるぐるとバザールを歩いて回る。貨物列車で使うようなコンテナが倉庫兼店舗になっているところが多い。洋服屋、靴屋、帽子屋、布地屋、発電機屋、農薬散布機などの農作業機械屋、DVDプレイヤーやテレビなどの家電屋、靴下屋、せっけん・生理用品屋、それから青果品、パン屋、シャシリク屋などなど。地面はほとんどコンクリートで舗装されているが、どろどろしている地帯もある。

おもしろかったのが一角にビリアードコーナーがあったこと。ビリアードの台が8台ほどあって、すべての台が埋まっていた。ビリアードをしているのは男ばかり。20代くらいの若い男から腹の出た中年のおじさんまで年齢層は幅広い。ビリアードの玉は中古品なのか全部白。それも色を付けていたペイントが剥げたようなものばかりだった。

ぼくが近寄ってその様子を見ていると何人かが寄ってきてどこから来たのか、何をしているのかと聞いてくる。

もちろん通路でカゴや手押し車に商品を入れて売り歩いている人もいる。人出は思ったほど多くない。また規模も想像していたほどではなかった。アフリカ各地のバザールと比べれば小さい部類だろう。

服にしても電化製品にしても中国製品が目立つ。一部には中国語の商品ポスターも貼られてあった。また中国語をしゃべっている中国人らしき人の見せもあり。韓国人については、それらしき人は見かけず。

5本指ソックスを探して靴下屋街を歩き回るが、見あたらず。

1時間も歩き回れば一通り見て回れる広さだったので、すぐにあきてしまう。

宿代をソムで払ったことで手持ちのソムがなくなっていたので、バザール内にあった両替屋で両替。

それからここまで来たのでここで飯を食っていこうかと思い、食堂を見て回る。シャシリク屋が多く、あまり変わったものが食べられそうにない。歩道でミニ餃子のようなものを売っているおばさんがいたので、そこで飯を食うことにする。3人ほどが座れる木製のカウンターがあって、ミニ餃子を注文すると炭でわかしているお湯の中に小さめの金属製の洗面器とお湯少々とミニ餃子を入れ、温めてくれる。

ミニ餃子はワンタンのような感じ。ロシアで言うところのペリメニ。具は緑の葉をみじん切りにしたものだけ。肉などは入っていない。これだけじゃなにか物足りなかったので、おばさんが売っていたマンティも1個注文する。こっちはじゃがいもと挽き肉が入っていた。全部で25ソムのはずだったがおばさんがカップに入れて出してくれた白湯(さゆ)もカネを取るらしく、結局30ソム(約75円)払う。白湯はただと思ったのに。

もう飽きてしまったので、ここから直接家に帰ろうかと思ったが、まだ昼過ぎだし、今日はハチチャの誕生日らしいのでケーキでも差し入れするかと思い、またオシュの中心街に向かう。こちらはマルシュートカで40分ほど。運賃20ソム(約50円)。

畑を車窓から眺めながらオシュに向かう。

オシュのバザールをまわりケーキを探して回る。ケーキ屋の中には大手のケーキ屋があるようで同じ看板を出しているケーキ屋を数軒見る。どれも緑やおれんじや茶色など色鮮やか。いまいち買う気をそそられない。ホールのケーキはだいたい200ソム(約500円)以上。100ソム(約250円)くらいでないかと思っていたが、無理っぽい。

結局10軒ほどまわっているうちに夕方4時に近くなってきた。閉店しはじめるところが出てきたので、観念して適当なケーキを買うことにする。見た目がわりとまともで値段が安かった170ソムのホールケーキを160ソムにしてもらう。生クリームを全体的にべたっと塗りくるみが少し添えられている。

また昨日、撮ったムスリマたちの写真を現像。30分ほどで出来上がり、1枚5ソム(約12円)だった。

こうしてから家に戻る。バザールからいつも乗っているマルシュートカに乗る。

これがどうしたことか同じルートでも反対方向に行くマルシュートカだったようで、行きたいところとは違うところが終点だった。運転手に言うと、ここで待っていれば別の車が来るからと言われる。

すでに陽は暮れはじめ、待っている間にすっかり暗くなる。別のマルシュートカは30分待っても来ない。

やっとそれらしき車が来たが、手で合図をしたにもかかわらず素通りされる。なので、さらに待たされる。結局1時間ほど待ってやっと目的のマルシュートカに乗ることができる。

そうして国境のドゥストゥックに着いたのは19時前だった。ハチチャの店に行くと遅いからちょっと心配していたらしく、どこに行っていたのかと聞かれる。店には彼女の母親と弟も来ていて、すでに店じまいを始めていた。

店が片づくのを待って4人で帰る。

誕生日にもかかわらず、今日も晩ご飯はハチチャが作るよう。母親は部屋にいて、ぼくとムスリマが遊んでいる様子を眺めている。ムスリマは今日も元気で走ったり、跳ねたり、踊ったり。

晩飯はひよこ豆丼とでも名付けたくなるようなものだった。文字通り器は丼で、中はゆがいたひよこ豆が9割ほどと肉などが1割ほど。味付けは塩のみっぽい。肉も一緒に湯がいたようで肉の出汁が出ているので、味気ないことはない。

さすがに誕生日ということで、店で売っているお菓子がテーブルを飾る。

食事後、ぼくが買ってきたケーキを食べる。食べてみてがっかり。たいしてうまくない。ハチチャの店にあった小さなケーキの方がまだ味がしっかりしているように感じる。

食後、おじさんが昨日、ハチチャが見せてくれた家族写真をまた見せてくれる。昨日、ハチチャが”これはロシアでの写真”と言っていたのは、ウラジオストクの写真だった。海水浴をしている様子を写した写真で、おじさんはこれは”日本海だ”と説明してくれる。日本海の存在を知っていながら、昨日は中国から鉄道で行けるのかと聞いてきたのかと不思議に思う。

またおじさんは1977~1979年にかけて東ドイツに兵隊として行っていたらしく、世界地図を見ながら自分が行っていたまちの名前を教えてくれる。

Fin

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